• 検索結果がありません。

アメリカにおける家事労働の歴史文献をたどる : 大衆消費の歴史と併せて (9)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "アメリカにおける家事労働の歴史文献をたどる : 大衆消費の歴史と併せて (9)"

Copied!
34
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

〔研究ノート〕 アメリカにおける家事労働の歴史文献をたどる ∼大衆消費の歴史と併せて(9) 森 (元札幌大学経営学部教授 呆 札幌大学附属稔合研究所顧問) を一瞥」(産研論集No.33,2007年2月)の冒 頭部分で,家の外に働きにでている主婦がア メリカの主婦の多数派である実態に触れて, 「−−一既婚女性の62%が職についており,この 就業率は同じ統計における独身女性の65%と あまり差がない」こと,およびトー一子供をも つ母親(母子家庭を含む)の労働力率を見る と,0歳から2歳までの子をもつ母親で63%, そしてこれが3−5歳児の母では74%,6−13

歳で78%,14−17歳では81%と,驚くべきテ

ンポで上昇する」ことを書いた。その少し後 には,こうした主婦の高い就業率がけっして 合衆国の歴史的伝統といえるようなことでな く,第2次世界大戦後に起こった近年の特徴 であるとも述べた。1 前号までの目次 はじめに 1.現状を一瞥 2.植民地時代の家庭と家事労働 ……以上「産研論集」No.33 3.「独立革命」∼建国期の家庭と家事労働 の変容 4.キャサリン・ビーチヤーの家事指南に見 る19世紀の家事労働 ……以上「産研論集」No.34 5.19世紀の家事と家事用具の実際

−S.ストラッサーを手がかりに

…‥イ産研論集」No.35 6.家事労働としての「子育て」 7.ホーム・エコノミクスの源流 ……以上「産研論集」No.36 8.「大衆消費」に向けての産業と市場の動き 9.19−20世紀転換期,家庭購買力の測定 ……以上「産研論集」No.37 10.家事の「生産から消費への転換」をめぐって …‥イ産研論集」No.38 11.耐久消費財の家事・家計への浸透 ……「産研論集」No.39 11.耐久消費財の家事・家計への浸透(前号 からの続き) ……「産研論集」No.40 1)GaryN.Powe11andLauraM.Graves,仇,menandMen inManagemenl,thirdedition,2003.p.16の記述による。 なおアメリカの既婚女性就業率の現状を日本と較べる には両国の諸統計を収集・加工してそれでもなお厳密 な対比が難しいのであるが,ここではほんの見当づけ のために.日本の文部科学省が2005年に行った6カ国 調査(各国1000人,総計6000人)を利用しよう。調査 対象になったのは0歳から12歳までの子供をもつ世帯 (母子家庭を含む)であって既婚女性全体の就業率で はないが.それによると.日本では常勤の磯について いる母親が11.0%.パート・臨時職が27.8%であるのに たいして.アメリカではそれが夫々40.69乙,19.09乙とな っている。0−3歳児の母親にしぼってみると,日本で は常勤6.9%.パート・臨時9.4%であるのにたいして. アメリカでは36.0%.20.8%となる。(アメリカについ てのこの計測値は本稿第1図のそれよりかなり低くな っている。)なお6カ国調査の対象になったこのほか の4カ国のうち.ヨーロッパのフランスとスウェーデ ンはアメリカの数億に近く,アジアの韓国は日本に近 い。アジアのもう一カ国タイは,農業の比率が高いた めに「勤め人」である母親は少ないが家業での夫婦共

12.“ワーキング・マザー”問題の諸側面

(1)近年の事態をとりあげる視点

本研究ノートは,その最初の章「1.現状

(2)

上の数値は,2000年の合衆国センサスとそ の時点の周辺資料から計測されたものである

が、今回の本稿の書き出しとして,既婚女性

の就業状況が時代とともに変った様子を大ま かにおさえるのと,2000年から10年を経た今 日時点に,さらに何か新しい事態が見られる かどうかを窺う手がかりとして.いくつかの

図表によって簡単な特徴づけを試み,そこか

ら立ち入るべき問題を展望したい。なお以

下,本稿で就業率などの数値を挙げる場合, 多くの記述はセンサスあるいは労働省の統計 を基準としているが,それらも何をテーマと して集計されたかにより女性の就業の実態が

違うふうに数値化されているのが,めずらし

くない。さらに,さまざまな機関によるほか

の調査もあって,調査対象とされた年齢幅, 「就業」と認定した労働日の下限,自宅で行 う内職や夫(農夫,職人,その他自営業)の 仕事への助力などの算入如何,等々で,数値 にかなりの違いがでている。そういう性格を

持たざるをえない統計であることを,留意し

なければならない。2

第1,2表からは,19−20世紀転換期ころ

主婦が家の外で働いて収入を得ていた家庭が ごく稀であった一世帯人口の大部分を占め

る白人家族の場合,2,3%にすぎない一事

態から出発し,その後ほぼ一貫して白人の既

婚女性の就業比率は高まるものの,本格的に

労働市場の一大勢力になるのは時代をかなり

下った後であり,第2次大戟後になって10年

毎に7∼8%から10%にも及ぶ増勢をたどっ

た,というふうに読み取れる。政府統計で白

人既婚女性の就業率が半数を越すのは,1980 年代からということになっている。一方,黒 人(非白人)の既婚女性の動態はこれと大き

く違って,20世紀初めすでに就業率が2剖を

越していたのが,その後30%台に達してから はしばらく横ばいを続け,そして1950年代以

降,10年10%前後の高い増勢に転ずる。就業

率が1950年代から急昇するのは黒人も白人も

同様であるが,黒人の場合は未婚女性の就業

の伸びが停滞的で既婚女性のほうが就業率に

おいて上回っていくのが,白人との違いにな

っている。結果として,未婚女性では白人が

黒人より就業率がかなり高く,反対に既婚女

性では黒人が白人より就業率が高いといった ことが,第2次大戦後の特徴となっている。

次に第1,2図は,センサスではなく合衆

国政府のCurrentPopulation Surveyの各年

データから作成されたもので,25歳から54歳 稼ぎが突出して高くなっている。このように乳幼児の 母親を含めて母親が常勤の職につく比率が高いのは今 日ではアメリカだけのことでないが.6カ国調査でア メリカとスウェーデン.フランスとの大きな違いにな っているのは,アメリカだけ保育所など社会施設が子 どもの世話をする度合いが極端に低いことである(牧 野カツコ他編著 F国際比較にみる世界の家族と子育 てj ミネルヴァ書房,2010年4月.第1章)。この点に かんして本稿でも後に掘り下げて論ずる。 2)合衆国センサスによる調査方法についてだけ.ここ で記しておく。センサスで既婚女性の労働力参加を計 測するようになるのは1890年以降である。それは「有 所得労働者」(gainfulworker)概念に基づく調査とい われるもので,「調査が行われる前の1年間に何らか の俄について報酬を得たことがあったか」,という問い への答えを集計したものである。本文でものべるよう に,この間き取りでは昔に遡るほど.家族農業での女 性の労働や都会における下宿業.内職.あるいはパー ト・タイム的な雑業が捕捉できなかった。そのことへ の反省から,1910年センサスは「どんな形態であれ農 業で働いている女性」を労働者として算入することと したが.これが各所で大きな混乱や二重計算を引き起 こしたとされ,したがって本稿第2表では1910年の数 億だけ他の年度との比較が不適当という理由で除かれ る結果になっている。1940年センサスから以降,就業 率は「労働力」(1aborforce)概念に基づく計測に変更 となり,具体的には「調査が行われるこの1週間に. 働いて報酬を得たか」(無報酬でも家族経営の事業に 過14時間以上従事していた者.その週に失業していた が職探しを行っていた者,を含む)という質問をもと に集計している。なおセンサス調査そのものでは,フ ル・タイム労働とパート・タイム労働の区別,あるい は個人が一定期間内に失業や転職をした回数はわから ず,これは他の調査を加えて推察するしかない。今日 ではフル・タイム労働者は通常.週34時間以上働いて 報酬を得ている者.1年に50週以上働いている通年雇 用労働者といった基準で測られるが,この基準がセン サス局によって採用されるのは1950年代からである。 以上の統計方法の推移,比較.問題点にかんしては, ClaudiaGoldin.L血dbrstanding(heGenderGqp:AnEconomic 〃f∫JOりげA′〝grJcd〃l侮椚e〃,1990,とくにそのpp.14−15,28, 180−182.219−222が有益である。

(3)

報は,この程度であろうか。だが実はそこか

ら先にこうして記された数値の「質」の問題 があり.そこに立ち入らないかぎり図表が示 していることの意味は十分にわからないし, ときには誤解にさえつながる。たとえば上で

は第1,2表から,白人既婚女性の労働市場

への参入が,20世紀初頭のほとんどネグリジ プルなほど低いレベルから発して今日まで一 貫して上昇趨勢をたどったこと,とくに第2 次大戦後その趨勢が加速されたことだけが強 く印象づけられそうだが,内実はそう単純で もストレートでもなかった。既婚主婦が家事 をこなしながら同時に外に働きにでて賃金を 得るという行為は,それを推進した条件,抑 制し時に逆行にさえ導いた条件,あるいはそ れを社会が賃労働として認知した程度にいた るまで,時代によってさまざまであって,歴 史をたどることの主要な意義はむしろそうし た諸力が及ぼしたジグザグな動向を把握する までの女性を調査対象とし,「過去1年の一 定期間,雇用されて働いたか,あるいは職探 しを行ったか」という開いにたいして得られ た回答をもとに作成されたものである。パー ト・タイム労働の統計への算入幅がセンサス より総じて広いこと,また20代に入ったばか りの大学生世代や55歳以上の高齢者を除いて

いることが,先の第1,2表との違いであろ

う。そのため時代的にも表よりずっと早くに 高い数値に到達し,1970年代にもう,半数と

いうより6剖台を推移している。そして今日

では,乳幼児の母親だけを別として(これで さえ6剖を越すが),既婚女性の就業率はじ

つに8剖を標準にして動いている。また第

1.2表に表示された最新年(1988年)から

あと,つまり1990年代以降には白人女性と黒 人女性との就業率の差がほとんどなくなって きていることをも,窺わせる。 図表の数量と図形とを一見して得られる情 第1表 未婚・既婚別の女性の労働力参加率(A) (%) 1890190019101920193019401950196019701980 未婚者 41 41 48 44a 寡婦・離婚者 30 33 35 − 既婚者 5 6 11 9 (うち)母親* − − − − 46 48 51 44 53 62 34 32 36 13 46 41 12 17 25 32 41 − 28 33 37 43 1 6 5 5 aこの年だけ寡婦・離婚者と一緒の数億 *18歳以下の子供がいる母親 出所:LynnY.Weiner,FromWorkingGir[toWorkingMother,1985.p.6.(合衆国センサスおよび 労働続計局資料から作成されたもの)

第2表 未婚・既婚別の女性の労働力参加率*(B) 白人と非白人(%)

1890190019201930194019501960197019801988 全 体 18.9 20.6 23.7 24.8 25.8 29.5 35.1 41.6 51.1 未婚者 40.5 43.5 46.4 50.5 45.5 50.6 47.5 51.0 61.5 既婚者 4.6 5.6 9.0 11,7 13.8 21.6 30.6 39.5 50.1 白 人 未婚者 38.4 41.5 45.0 48.7 45.9 51.8 48.5 5え1 6A2 68.6 既婚者 2.5 3.2 6.5 9.8 12.5 20.7 29.8 38.5 49.3 55.8 非白人 未婚者 59.5 60.5 58.8 52.1 41.9 40.0 39.7 43.6 49.4 56.4 既婚者 22.5 26.0 32.5 33.2 27.3 31.8 40.5 50.0 59.0 弘4 *1890−19鋭)年については15鼓以上(但し15歳は全員が未姑と想定されている). 1970−19㍊年は16歳以上の女性を対象に調査している。なおこの裏では.配偶者との経姑・死別 による「シングル」は.未婚と既婚のどちらの集計にも入っていない。 出所:ClaudiaGoldj几unde”tanding(heGendeTG甲:AJ7EtoIZOmic〃fstorydAmerican仙men,1990. p.17.(合衆国センサスおよび労閲読計局資利から作成)

(4)

第1図 既婚女性の就業率の推移(最も若い子供を基準に) % 劉) 80 70 60 50 40 30 20 10 0

・士・./・、、、こ、 ̄・・、・∴、・:、.ノ ′ ヾ・・t・・ミニ・・■・、−\・・・・・:・・・、

出所:DavidCotter.PaulaEngland.andJoanHermsen.MomsandJobs:Trendsin Mother’sEmploymentandwhichMothersStayHome (AFαCJ∫力eeJル0椚Col川CfJo〃Co〃Je′叩Or叫,Fα椚fJfg∫,MaylO.2007) 第2図 女性就業率の推移(エスニック・グループ別) 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 葉菜パ買禁喜…琵岩 出所:第1区lに同じ 貰ヽ︼H †きN NさH ︵古ON 空茶一 票空 一︼宗一 N¢巴 ○か聖 霊望 講¢一 一ぁの一 Nの巴 豆♪− ∞トか一 ︵、卜♪−

ところにあるだろう。またたとえば第1,2

図では,子育て期かそうでないかにかかわら ず,あるいは白人・黒人の別にかかわらず,

今日の既婚女性の就業率が8割水準という高

さにあることが示されるが,この8割という 数値のなかで,高学歴(大学卒以上)の女性 とそうでない女性の違い,家計の所得水準と 就業率との関連などは不問のままである。ま た1990年代に8制水準を達成したその後のい

わば横ばいの(ときにわずかの後退をも含

む)趨勢にも,説明はなされていない。これ らのことの解明が実は,今日のワーキング・ マザー問題の今日性を把握するのに不可欠の 要素なのである。 これらにかんして考察を深めようというの

が本稿の目的である。既婚女性の労働市場へ

の参入にかかわる問題は,男性が賃労働者と

なって労働市場に編入された過程で取り上げ られてきた問題とは異なる論点を多々持って いるが,中でも突出している独自性は,彼女

(5)

たちの賃労働者化が家事労働の負担との関係 に制約されている側面である。この研究ノー トの主題からして,本稿が扱うのはこの問題 領域となる。3 ここではその分析視点として5 点を挙げよう。 第1に,既婚女性の賃労働(あるいはカネ を稼ぐ労働)と家事労働とは,時代を遡るほ ど区別が明確でないのを無理に2分して統計 に表示した気味があったこと.やがて両者の 区別が歴然となり個々の家庭が生計を考慮し て外に働きにでるかどうかを選択する時代に

入ったこと,だがその展開のなかで既婚女性

の就業に家計の面からだけでない要因が徐々

に作用するようになってきたこと,そして今

日,既婚女性の圧倒的な部分が就業している 状況のもとで単純に賃労働と家事労働とに2 分しえない新たな要素が胚胎していること, 本稿はそういうコンテキストをもって展開さ れる。 たとえば19−20世紀転換期ころ家族成員の

生産活動が統計にどう表示されたかを見る

と,人口の最大多数を擁する農業では基本的 に世帯主の夫が労働の対価たる金銭の取得者 と想定されて妻の菜園での仕事,妻が作物を 市場で売る類の活動は労働統計には滅多に拾 われず,4 また都会では,職人の夫が行う生産 を妻が助ける仕事も(恒常的に妻が部分労働 を担った記録が数々あるにもかかわらず)多 くが統計化されず,さらに重要なことには都 会の貧困層の主婦にとって不可欠でさえあっ た下宿人をおいて収入を得る行為,そしてお

そらく企業の下請内職の大部分も,労働統計

には人らない。つまり昔に遡るほど,広がり

つつある労働市場のなかで主婦の労働実態は

彼女固有のものと認められず.そうした労働

を統計に反映させる工夫はほとんどなされて

いないのである。何らかのかたちでそれを数

値化したとすれば,既婚女性の就業率は一貫

した右肩上がりとはならないかもしれないし,5 黒人の既婚女性の就業率と低所得層の白人既 婚女性の就業率とがこれほど大きく違って表 示されることにはならないはずである。6話を 一挙に最近のことに移していうと ,近年のパ ート・タイム労働とフリー・エージェントの

増大,一部での労働時間のフレックス化・選

択制や休暇権の拡大,育児の社会化等々を背

景にして,時間区分でも働く者の観念のなか

でも,ワークとホームとの対比に新たな質や 混和が生じつつあることが,今後の展望にと 5)C.Goldin,Op.Cit.,(p.11.226ほか)は,従来,統計に 算入されなかった既婚女性のこうした労働を丹念に拾 い集めて集計した結果,1890年の白人既婚女性の就業 率(=「市場参加」)を12.5%と試算している。この数 値は,本稿第2表における1940年のそれと同じであ る。試算をもとに著者ゴールデインは,20世紀におけ る白人既婚女性の就業率は右上がりばかりではなく. 世紀転換期ころから第1次大戦ころまで.労働市場に おけるtaskの専門化に伴ってむしろ徐々に下がったの だと解する。それが1920年代から上昇に転じ第2次大 戦後に加速されるという.「U字型カープ」を措いた と主張している。 6)上の注4に続けていうと,世紀転換期ころの異人家 族の圧倒的多数が南部農業地帯に住み,既始女性の仕 事は農作と他家への家事奉公に集中しており−1890 年に,就業者として計測された黒人既婚女性の92%が 農業労働者と家事奉公人である(ibid..p.27)−その 両方とも涙金とはいえ女性が直接.雇用主から金銀を 与えられ「就業」として労働統計に拾われやすかった のにたいして.同じように農作に従事していても家族 労働のケースが多い白人の既姑女性の場合には労陶枕 計から除かれた傾向が強い。都市部においても,黒人 家族の場合,夫の収入が家族を養うにはあまりに少な いことが自明であったがゆえに.妻も子どもも何らか の形で収入を得ていることが調査以前からいわば予定 されていたのにたいして,白人家庭では妻が収入を待 ていると競計調査貝に答えることを嫌う風潮が強かっ た(注13参照)という。 3)したがって本稿では.女性の職場における仕事や労 働条件そのもの一女性の主たる職種,労働時間や休 暇の権利,男職場との分離や賃金格差.キャリア形成 と昇進の可能性と現実.復職・転職の可能性等々一 については.あまり立ち入らない。主題は.家事労勘 の担い手であり続ける主婦が働きにでることが生み出 してきた過去の問題,今日の状況,今後の展望である。 4)センサスで農菓労働者数は.19世紀には農業総人口 と農場(自営と借地)の疑計からしか推定できない。 1910年センサスから以降,「家族労働者」という項目 が設定されて夫も婁も子どももそこに一括集計され. そして妻のうち農場主(夫を含む)から賃金を支払わ れていることが明示された場合だけ「被雇用者」(農 業労閉者)の項目に入れられるようになった。

(6)

伸びを最も顕著としているような特質にもつ

ながっていて,これはおそらく今日の問題の

焦点とすべきことである。(このテーマは一

論文の一節におさめるにはあまりに大きいの

で,大部分を次章で独自にまとめて論ずる予

定としている。) 第4に,働きにでている既婚女性にとって

の固有の問題ともいうべき,賃労働と家事労

働との時間配分にかんする条件や実際のあり 様を,具体的に検証する必要がある。本研究 ノートの前章(「産研論集」40号)において

私は,耐久消費財が家庭に入ってくるにつれ

て主婦の家事労働がどれほど軽減されたかと いう問題に言及したが,7 そこで私が主として

依拠した2人の論者(Vanek,Cowan)の実証

では,家庭に「機械」が入ったこと(ほかに

もちろん加工食品や家事サービス業の浸透

等々もあろう)によって家事労働の内容には

大きな変化がもたらされたものの.家事労働

の時間の総計は1910年代,1930年代,1960年

代いずれも週50時間台と驚くほど変化が少な

いというのであった。一方にそのような実証

があり,他方で既婚女性のフルタイム就業が

著増した事実があるということは,今日でさ

え週50時間台を要する(つまり平均的な賃労 働時間よりずっと長い)とされるような主婦

労働の「標準値」が無くなっておらず,しか

し同時にそれを多少とも回避あるいは縮減す るさまざまな方策が個別的に採用されている ことを,意味するだろう。(たとえば夫の家 事協力が進んだこともたしかに要因の一つで

あろうが,後述するようにその要因は未だき

わめて頼りないものである。)主婦が賃労働

と家事労働の両方をこなすことが,賃労働と 家事労働との両面からどのようにして可能に

なり現実のものになっているかという問題

を,時間配分の実態にそくして吟味しようと いうのである。

第5に,第1,2図に見たような,1960年

代からほぼ30年に及ぶ顕著かつ恒常的な就業 って重要な考慮事項であろうと思われる。 第2に,就業率上昇の規定要因が時代によ って同一でなく経済的,社会的,心理的等々 の要因の働きがさまざまであったと踏まえた ことからして,諸要因の全体を視界に置きな がら時代ごとの特性を析出するための,いわ ばフレームを保持しなければならない。すな わち,既婚女性に職を提供する労働市場の側 の条件(都市におけるサービス労働=ホワイ トカラー職の拡大,戦争その他の要因による

労働力不足,労働日の短縮による労働需要拡

大,パート・タイム職やフレックス勤務の誕

生,結婚退職制度のような「マリッジ・バ

ー」の撤廃,中高年者「復職」の受入れ

等),いわゆる人口学的な諸条件(人口の都 市化・郊外化,出生率の低下と少子化,離婚 の増加,女子の学歴の向上等),家庭や家計 の側からの条件(家計の状況,「家族賃金」 の含意の変化,労働と家事の時間配分変更の 可能性,子育て条件の変化等),それにフェ ミニズム運動の高揚やワーキング・マザーに たいする社会の評価の変化などが,みな同方

向に一斉に作用したわけではなく,それぞれ

別々に,あるいは相互に影響しながら時代に おける役割を果たした。 第3に,既婚女性が外に働きにでるという

問題にとって,いうまでもなく子供の存在が

決定的な規定要因であるが,この「決定的」 という表現にも多面的な含意がある。すなわ

ち子倶がいながら働きにでる行動の選択に

は,そうしなければまともな生活ができない

家計状況,仕事と育児を両立させうる社会的

な装備と制度の整備(それがどんな所得階層 の家庭によくフィットしたかまで含めて), 企業単位でのいわゆるファミリー・フレンド

リーな人事管理政策の導入などが作用する

が,それと並んで母親の子育てにかんする価

値観や家族概念の面からの,時代的な観念も

濃くかかわってくる。その観念はけっして時

代ごとに一元化されてはいないから個別の母 親の悩みや模索のもとになるのであるが,と はいいながら第1図に見たように,20世紀末 の趨勢としては乳幼児をもつ母親の就業率の 7)「産研論集」No.40,11章(7),24−31ページ。

(7)

率の上昇のあと.1990年代以降にその趨勢が

鈍化し,一種の高原状態を呈するにいたった

ことの意味づけが求められる。少なくとも今 日まで,2剖ほどの既婚女性は職につかない というのが就業率の上限であるかのようであ るし,そればかりでなく,2000−2010年とい う10年には微弱ながら何故かその上限から下 降の趨勢さえ認められる。このような水準や 動きの理由を家計の必要や景気の動向などか らだけ説くことはできないし,またこれを将 来の予見につなげるのも危険であろう。この ことをめぐる解釈と議論が,今日時点でどん なふうに展開されているかを,検討したい。 (2)ワーキング・マザーの歴史概要 既婚女性の就業の歴史を克明にたどること は興味深い大きなテーマであるが,本稿はそ

れを意図するものでない。この節で行うの

は,今日の状況が歴史的にどんな要因によっ て,いかなる段階をへて現出したかをおさえ

るための,要約作業である。

i)19世紀末∼20世紀初頭

本稿の第9章(「産研論集」No.37)で19

−20世紀転換期に実施された家計調査を取り 上げたが,そこで労働者家庭の家計について は,一家の家長たる夫=父親だけの収入で生 活していた家族がむしろ少数派だったことを 窺わせる結果がみられた。たとえば1903−05 年ニュー ヨークの200家族調査では,「夫の

収入だけ」しかなかったのは23世帯に過ぎ

ず,また家族の所得水準の分布でも,夫の職

種や熟練による差異より夫以外の家族成員

(妻や子供)の収入があるかないかの要因の ほうが決め手となる度合いが強いことをも示 した。8 この世紀転換期は都会で女性の就業がミド ル・クラスの子女までを一部含んで顕著に増

加した時代であるが,もっぱら光があてられ

たのは「ワーキング・ガール」であって既婚

女性ではない。それでも上のような実態調査

では.家計の一部を稼いだ妻=母親がけっし て少数でなかった実態が各所で明らかにされ ている。当時通いの家事奉公人や洗濯女は黒 人女性と相場が決まっていたような観がある が,そこにも移民の妻が紛れこんでいたし, 行商,店番それにベビー・シッター などに

は,年配の女性がふつうに見られた。専業主

婦という範時に入れられながら家庭内で内職 (縫製,造花,タバコ巻き,洗濯等々)をす るのは,どんな都市でも労働者家庭に広く潜

行していた。移民家庭の場合にはとくに,同

じ母国の独身男性を下宿人として受け入れて 家計の足しにするのが,多数派だったとさえ いってよいだろう。アパートの管理人という 職もあったが,この多くは自分が住むアパー トー棟の日常管理を引き受ける代わりに家賃 を無料にしてもらうといった内容である。9工

場町では,たとえば紡績女工は若い独身女性

ばかりと思われがちだが,世紀交ころはここ にも既婚の女工がある程度の比重を占めたよ 9)1911年に連邦政府が行った一調査では,外国生まれ の既婚女性のうち就業率が最も高いのがアイルランド 人の28%,最も低いのがポーランド人の7%となって いる。やや時代を下るが,Gwendolyn Hughesが1918 −1919年に多様な工業を擁することで代表的な都市フ ィラデルフィアを調査した結果では.既婚女性全体の 就業率は20%程度となっていたなかで.ケンジントン 地区のアメリカ生まれと北西ヨーロッパ出身の女性は 繊維工場はじめ工場に雇われる傾向が顕著にあり,市 の北東部に住むスロヴァキア系の母親は女中・家事奉 公人や洗濯女として働き,市の南東部に多いポーラン ド.イタリア.ハンガリー,ロシア,ユダヤ系の母親 は.新聞売り,雑貨売り.小南店主 八百屋,惣菜屋 などに多く見られた。イタリア人 ポーランド人の家 庭では.母親が外で働くより下宿人や内職で収入を得 る道を探す傾向が強く.ユダヤ人の母親たちは工場で 衝くのをとくに避けてどんなにステータスが低くても ファミリー・ビジネスのなかで勘こうとする−と.こ のような人種別の選好の遠いがあったことをも析出し ている(ElizabethRose,^Mother,sJob:T7ze11istotッqf βの・CαrgJβタ0−Jタ即,1999.p.15)。 8)ニューヨークのような成熟度が高く第3次産業の多様 な項種が発達している都市ばかりでなく,鉄鍋町 炭鉱 町のように単一産業で成り立つ都市の数々の実証でも. 主婦の内囁や児童労陶が家計に相当の比重を占めていた ことが明らかにされている。そのような町では,男が短 期的に失業する頻度が高かったぷん.かえって飽からの 収入が家族の命綱になった意味さえあった。

(8)

化があり,労働力供給面では出生率の低下,

かつての家事労働の一部を商品購入(衣料

品,加工食品,石鹸・蝋燭の類)をもって充

足するようになった事態,などがあったろ

う。この,商品購入ということでは,家庭内 の消費の必要事項が次々と金銭支出をもって

まかなわれるようになる時代変化が,主婦行

動の重点移動を誘引したことをも,視野に入

れなければならない。つまり主婦が外に働き

にでるのが,かつがつの生活にもがく貧困家

庭のよんどころない方策というだけでなく, 「よりよい生活」を求めるもう少し上の層の 家庭をもまきこんでいったという意味での,

新しい事態である。狭義の生活維持の必要に

とどまらず,生活水準をあげるための就業へ

の動力が,既婚女性の世界に浸透し始める最

初の歴史段階とすべきではなかろうか。 だがこれと同時におさえておかなければな らないのは,この時代,働く妻の存在にたい する社会の評価が圧倒的に冷たく軽蔑的ある

いは否定的だった事実である。当時のワーキ

ング・ガールのニュース性とはまったく区別

されて,ワーキング・マザーの増勢はもっば

ら,深刻な貧困問題,貧困が招来する諸々の 社会問題の系のなかでクローズ・アップされ

た。世紀転換期に台頭した社会改革の運動家

(リフォーマー)たちは,働く母親の過重労 働と母親不在で家に残された子供たちの悲惨

な状況を,取り組むべき課題のシンボルとし

て扱った。12これを受けて母親たち自身にも, うである。10 というわけで,19−20世紀転換期に都会の 労働者階級の家庭(移民家族が大きな比重を 占める)では,公の統計に表れるよりはるか に高い程度で既婚女性の金銭収入活動が展開 されたように思われる。11彼女たちの実数にし て10年で倍増とかそれ以上となるほどの趨勢 だったのではなかろうか。それを可能にした

条件として,労働力需要の面では都市化と市

場経済の広がりによる就業機会の増加と多様 10)Donald Cole,LmmigranlCity,・LL7WrenCe,Massachuse(tS. Jβ45−ノ92J(1963)で調査対象になった1909年のローレ ンスの一紡績工場における女工のうち36%が既婚者だ ったという。翌1910年に合衆国政府が行っている全国 調査でも,紡績業における女工の27.9%が既婚者と推定 され,とくにイギリス生まれの女工では35.3%が既婚者 だとされた。AliceKessler−Harris,OuttoWork:AHEStOry げⅥ匂ge−gβr〃如Ⅵわ∽e〝i〃血U〃毎d∫JdJど∫,1982.(2003 editionp.122,pp.359r360note26.) 11)既婚女性の稼ぎが公の統計に捕捉され難かった理由 には,すでに述べたことのほかに,既婚女性の市場参 加が,時間を基準として計るにはあまりに多様だった ということもあろう。独身女性の場合,製造業での工 場労働や商業の売り子としての雇用はいわゆるフル・ タイム雇用としての実態をもつものが多くて,雇用統 計に集計されやすかったと思われる。19世紀末,男性 の賃労働者の標準的な労働日は過6日.1日10時間で あり,1900年時点でも週55時間程度であるが,ほとん どの州政府は女性労働については,児童労働規制と並 べてこれよりやや少ない労働時間の上限を法制してい た(19世紀半ば以降の各州による女性労働時間規制の 推移の概要はKessler−Harris,Op.Cit.,Chapter7および Goldin,Op.Cit.,pp.189−192を参照)。こうした時間規制の 実効は疑わしい面が多々他あるが,それでも就業統計 の作成には,調査する側にもされる側にもこの建前が 作用していた。既婚女性の場合にはこの基準がのっけ から意味を持たないような内実があるだろう。農業労 働にせよ下宿人をおく賄い労働にせよそうであるし, 製造業の女工として働く場合でさえ.いくつかのケー ス調査によれば,週あたりあるいは年あたりの収入額 が独身女性よりずっと少ないことが多く,これは何ら かのしくみで労働時間が少なかったことを示唆する。 だからといって既婚女性の労働を今日のパート・タイ ムのようなものに帰属させてよいかは問題である。た とえば家内での内職の年あたり労働日数はふつう工場 で働く独身女性より多く,そうでありながら内職の年 収は女工のそれよりずっと少ない。そのような雑多な 労働参加を調査する側とされる側がともに,公式の 「就業」とは別のものと観念しがちであったことは, 想像に難くない(Gordon.pp.179−180,220−221)。 12)革新主義時代のリフォーマーが措く貧困家庭の代表 的な像は,乳幼児ほか何人もの子がいる狭い一室で内 職にいそしみ疲労困優している母親(寡婦を含む) か,子供たちを自宅アパートに残し「産業の奈落で苦 痛と疲労と心配とにさいなまれながら働く母親(“The MotherinIndustry’’)」の姿である(ElizabethRose, AAわJんgrkJ(}か乃e〃血0りq′βαγC(】reノβ夕0−ノタdO,1999. p.16)。次章で詳述するが,世紀転換期の都会で,共稼 ぎ労働者あるいは寡婦の子を預かるデイケアの施設は 皆無に近い状態であって,乳幼児をもつ母親が働きに でるときには,子供をつれて出かけ子供を脇において 仕事をする,自重に鍵をかけて閉じ込めておく,睡眠 薬で眠らせて出勤する.間敬的に近所の人間に見回っ てもらう,「孤児」に準じて慈善設備の厄介になる一−−−

(9)

働いているのを他人に知られることを,質屋

通いを見られるのと同じように恥じる傾向が 一般にあった。13労働組合運動のほうでは,当 時台頭した「生活貸金」要求とは.夫(male

breadwinner)だけの稼ぎで家族が暮らせる

という意味での“family wage”要求であって, 組合が職場に女性が入ってくるのを妨害する さいに,それがしばしば妨害行為の正当性の 論拠となる。14進歩的と目される運動家や勢力

が立ったかかる地点から右側にずっと,既婚

女性の就業ということにたいする世間の通

念,政府の対応策等が配されたわけである。 上の趨勢と別に,革新主義時代,例外的に 高い学歴を身につけたミドル・クラスおよび エリート層の女性がさまざまな専門職に進出 し始めたことも,統計数値に表されるものと は異なって今日にまで及ぶ趨勢と論題の系譜

の発端をなす。彼女たちは人数からすればわ

ずかであれ,良き妻や母親になるのとは違う

積極的な生き方があることを実践してみせ

て,女性全般に密かな新しい時代への予感や 憧れをもたらした。15シャーロット・ギルマン のような,女性が自由を獲得する条件の第1 に自分で働いて収入を得るということを掲げ る論も,この時代に初登場し,当初の異端視 をじりじり克服しつつ女性全般への浸透の度 を深めていく。16 ii)第1次世界大戦期

アメリカ史の文献における戦争の記述に

は,独立戟争,南北戟争,そして20世紀に入

ってからの第1次,第2次世界大戟などいず

れにも,女性の社会意識を高め社会進出を促

す契機となったという評価が伴っている。と くに独立戦争と第2次大戦にかんしてはその ことを強調する研究に多く出会うが,それと の対比でいえば,第1次大我期の内実はごく わずかで断片的にしかわからない。そして記 述の量以上に特徴的なのは,第1次大戦期に (多くミドル・クラスの)女性たちが自由の 観念と愛国心に鼓舞されて数々の銃後の支援

活動一赤十字社と協力しての奉仕,自由公

債を売る,軍服を縫う等々−を行った紹介

といった対応がとられていることが続々報告された。 小学校にあがるほどになった子供たちの多くは,午前 中の授業が終わると街中のそこここにたむろして.日 暮れまで監視の日なしに行動しており,勢いそれが少 年非行と結びついた。当時続出したセツルメントの活 動の重点のひとつが,そうした子供たちの世話という ことになった(Lynn Y.Weiner,FromWorkingGir](O lγ〃rた血g〟βJ力gr.・mg Fe椚αJg上〟ム∂r Forcg f〃J力g〃〃毎d ∫rβrg∫,ノβ20−J9β0,1985.pp.120−124.)。 13)注11に続けると,就業調査の質問者にたいして.と くに内職やパート・タイム的な労働で働く既婚女性の なかに,働いていると認めることを嫌う傾向が強かっ たともいう(Goldin.op.ciLp.221)。 14)NancyMacLeanの論文“PostwarWomen’sHistory: Tbe’誌condWaYe’or出eEndof也cFam出yⅥrage?’ inJean−ChristopheAgnewandRoyRosenbergeds..^ C(,JJ甲〃〃わ〃JクPo∫トブタ45A爪grfcd,2002.における論議の主 眼は,20世紀の女性史で最も多くのアメリカ人に影響 を及ばしたことが女性運動そのものでなく.19世紀か ら20世紀初頭までに確立された】famiIy wage norm−すな わち夫たる男を一家のbreadwinnerと想定して最低賃 金,国の貧困救乱 福祉.諸改革を要求・構想してき た.その前提を20世紀後半に覆しつつあることこそに あるという主張である。 15)1900年のレディーズ・ホーム・ジャーナル誌の−論 説は,女性の担うべき主領域があくまで家事にあるこ とを強調して次のように説く。「もしある女性にたい して運命が,家や夫や赤ん坊を授けるのを拒絶するな ら,彼女は絵描き,医者.鍛冶屋など何にでもなれば よい。だがそれが彼女ほんらいの技能一妻となり母 親になる高い天隈−−よりも良い職業だと主張するの は,最も浅はかかつ危険な通り言葉である。」大衆向 け女性誌がこう説くようになったということは,換言 すればそのような感覚が多少ともふつうの主婦たちに まで共有され始めたことの証拠でもあろう。(Weiner. op.ciLp.100.) 16)CharlottePerkinsGilmanのWomenandEconomics (1898).The Home(1903)は,女性が自分で働いて 財政的に独立することこそ女性の自由への決定的な条 件だということをほほ初めて説いた著作とされる。そ の観点に立って彼女は.とくに協同キッチンと協同育 児の施設を提唱した。協同キッチンは個々の家庭の食 卓よりも栄養と衛生を確保できる。育児についても, 「生まれてすぐ.すぐれた調練をつんだ育児専門家の 手にゆだねられるほうが.そうした熟練者がおらない ところで.若く末調練の母親のびくびく震える膝の上 に置き去るよりも.はるかに幸せ.健康で,安らかな状 態に導かれる。」(ibid,p.100andp.158note7.)

(10)

はあるけれども,労働市場でどんな役割を果

たしたかについての分析がきわめて乏しいこ

とである。近年の女性史研究のなかでも,第

1次大戦期の女性労働にたいする関心は高い ように思えない。この課題に取り組んだ実証 で私がこれまでに入手しているのは,M.W.

グリーンウォールドによるものだけで,これ

とても知りたいことのごく一部を教えられる にとどまるが,とりあえず彼女の著述からワ ーキング・マザーの歴史におけるこの戦争期 の意義を推察し要約しておく。17 ヨーロッパで大戦が勃発して以来1910年代 の末まで,アメリカの労働市場は,経済の急 拡大による労働力需要増加,移民の途絶によ る労働力供給減少,そして1917年からは参戦 による徴兵という要因によって,はなはだし

い人手不足に陥った。それを埋め合わせた一

つが南部農村地帯からの黒人の大挙北上だっ

たことはよく知られているが,もう一つの主

要国が女性の雇用増加である。女性にたいす

る求人の情報は,個々の企業が行った

“woMENWANTED’’という見出しをつけ

た新聞広告や数々の街頭ビラ,政府機関によ る求人情報提供,18それに友人・知人等との情

報交換によって与えられた。とくに製造業の

工場で働く女性の姿は華麗な文章に写真付で

報じられ,繊維産業以外ではいわば初めて多

数の女性が生産労働の現場についたかの印象 を世間にもたらしたものである。

しかしグリーンウォールドの検証による

と,こうした過程で女性労働者が絶対数でも

比重の面でも急増したと考えるのは,まった

く実態にそぐわない。まず絶対数で言うと,

1910−1920年の10年でみても,非農業の女性

雇用数は1910年に807万余だったのが1920年

855万人と,6.3%の増加にすぎなかった。先

の第1表では女性の就業比率がこの10年にか

えって低下した気味さえあり,他のどの10年

と比べても伸張が目立ってはいないのであ

る。とはいいながら他方で,この時期の女性

労働市場には,激動と表現してもよいほどの

大きくかつ重要な動きがあった。中心をなす

のは職業・職種の変化であり,すでに就業し

ていた女性たちが大挙してこれまでの仕事を

辞めて,もっと条件のよい職場に移ったとい

うことである。この10年の女性の就業で最も 多かったのが,事務職(商業以外の産業にお けるclerk)であり,次いで製造工業(それも 重工業)における半熟練の現業職,それに速

記者・タイピスト,この三つが突出してい

る。それに続く3集団が簿記・会計職,商業

における販売と事務,学校教師である。以

下,電話交換手,製造工業の非熟練職,看護

婦等々となる。他方,減少のほうで突出して

いるのが女中・奉公人であり,アメリカの中

上流階級家庭は,この期を境に完全に奉公人

なしの家事運営ということを考えなければな

らない時代に入ったといってよいほどであ

る。19次の減少が「苦汗職場」と呼ばれたよう な小スペースの仕事場での縫製や衣服製造で あり,そして洗濯請負,帽子の製造販売,下 17)取り上げるのはMaurineWeinerGreenwaldが1980 年に出した著書 Ⅵわmg〃,l侮r,α〃dl侮r慮.・乃ビル叩αCJげ l侮rJdl侮rJo〃Ⅵわ椚g〃Wor尼er∫J〃伽び〃fJgd∫Jαre∫(なお 1990年に復刊された同書には,この10年で飛躍的に充 実した女性史研究の成果を踏まえての新しいPrefaceが 加えられたが.そこにも第1次大戦期そのものの研究 には自分以外に業績の追加がないと善かれている) と.1989年に発表した論文“Working−Class Feminism and the Family WageIdeal:The Seattle Debate on Married Women’s Right to Work,1914−1920”(

JournalQf’AmericanHislory,VOl.76,June1989,pp.118−149)

の2点である。

18)とくに1918年1月創設のUnited States Employment Serviceが政府支援による各地・各企業の求人情提供を 制度化した。同時にFederalVocationalBoardが不熟 練労働者の訓練プログラムを担当することとなった。 (Greenwald.14bmen,Ⅵ厄r,andWork,Op.Cit.,p.20,54,) 19)Ibid.,pp.13−15.なお女中・奉公人職につく女性が激減 するなかで,とくに北部の中上流階級家庭が最後の拠 り所としたのが,南部から北上してきた黒人家庭の女 性だったことを反映して,北部における女中・奉公人 のうち黒人が占める割合は1910年の11.5%から1920年 18.5%に上昇し,実数でも9万2318人から10万8342人へ と純増した。このことに限らず,1910年代の労働力不 足のなかでも黒人女性が本文に述べたような新しい職 種に吸収された事例はごく少なく,むしろ黒人女性の 就業の増加は白人女性が撤退した職を埋めるかたちで 生じた性格が強い(ibid.,pp.22−23)。

(11)

宿業−一一と続く。上の変化の中で,製造工業 (とくに重工業)の製造現場における女性雇 用だけは大戦という特殊条件に強く規定され た(したがって終戦後に逆流現象が生ずる) ものとすべきであろうが,他の職種の増加と 衰退は20世紀を通じてその後にまでずっと引

き継がれる趨勢である。第1次大戦がその趨

勢に強い活力を与えたということである。

本章のテーマからいって問題は,こうした

女性労働の新しい動きの中に既婚女性がどの

程度含まれどんな役割を果たしたかである

が,それにかんする実証はグリーンウォール

ドの1980年の著作からはほとんど得られな

い。白人女性の雇用増加分野に既婚女性も少

なくなかったという類の一般的な記述がある だけである。白人女性の就業が顕著に減った 縫製,洗濯,下宿賄い等々は,もともと既婚

女性の割合が高い分野だったわけだから,す

でに働いて金銭を得ていた既婚女性に総じて もっと有利かつ多様な転職の櫻会が与えられ ただろうこと.この転職をもって既婚女性は 以前より未婚の若い女性と同じ職場で働く度

が増したであろうことは,記述全般からも示

唆されるが,それでも働きにでる既婚女性の

絶対数はそれほど増えなかったというのが解

釈の基調と思われる。その理由に立ち入って

はいないが,一つ,第1次大戦期,女性を自 由と愛国の行動に駆り立てた世間の風潮が, 既婚女性を台所から連れ出して生産の場に押 しやるような性格のものでなかったとした論

点が窺える。当時.政府や産業界のはったキ

ャンペーンにおける,また連日の新聞等が称 揚した愛国的女性の像は,第1にかつての男

性職場に入って生産活動に励む(若い独身

の)女性,第2に切実に国民の倹約が求めら れた時代に家事の合理化を徹底するとともに 目を家の外にまで見開いて夫の社会活動を支 援し周りすべての子の健全な成長に気を配る ような(庶民の)主婦,第3に赤十字などの

組織に入ってボランティア活動に挺身する

(ミドル・クラスの)女性,この三つであっ

て,非常時として女性の労働者化を専業主婦

の上に配して称える雰開気までには至らなか ったとするのである。20 第1次大戦期の既婚女性の動向を考察する ことは,グリーンウォールド自身にもやり残 した課題として意識されていたのであろう。 上の著作からほぼ10年を経て彼女は.大戦中 に既婚女性が男性の従来の仕事分野に進出し たことをめぐって起こった出来事を主題とし た論文(および旧著への新しい序文)を書い

た。彼女によれば.「フェミニスト」という

呼称は1910年代にアメリカで始めて同時代の

用語として定着するのだが,その呼称はこの

時代,賃労働に挑戦した既婚女性に最もふさ

わしい。つまり彼女は,それ以前のミドル・

クラス,高学歴女性に特定されたフェミニス トと明確に異なる労働者階級のフェミニスト の登場を重視する観点に立って,それを大戦 時の既婚女性の行動を通して描き出そうとし ている。 考察の対象とされたのは.アメリカ西部ワ シントン州の都市シアトル,そしてとくにア メリカ参戦から終戦後にいたる1918−1920年 という時代である。シアトルは労働運動の活

発なこと,すでに女性が労働組合に組織され

女性のオルグ,幹部等まで擁していたこと, 労働運動における男女の共闘がすでにあった こと,また労働者階級の女性とミドル・クラ

スの女性団体−一婦人参政権,女性労働保

護,貧困救済等に取り組む連動団体−との

協力が常態化されていたこと,これらの点で

当時,アメリカを代表する都市であった。21か 20)Ibid..p.13,34. 21)全米的にも労働運動が最高潮に達した1919年初頭の 時点で.シアトルの中央労働協議会に加盟していた労 働組合数は110.組合員数6万5000人で同市の労働者縁 数15万3000人(シアトル市の幾人ロは約30万)の42% にのほる。女性の労開祖合致はほぼ4000人(最高時 6000人とも。同市の女性労働者定数は3万人程度)と推 定されるが.これとても1916年の記録にある568人から はめぎましい急成長であった。女性組合月の多くはウ ェイトレス.洗濯菓.縫製,製靴.製本.音楽,菓子 製造など女性固有の後程に属しており.男性主体(金 属,造船.建設等)の労働組合の活動と友好的な関係 を保ち.共闘を組んだこともあった。一方.1910年 代,ミドル・クラスの女性を主体とするさまぎまなク

(12)

ったといえよう。女性自身は,賛成論と反対

論の両側にいた。また既婚女性の職場進出に

よって職を奪われることを恐れる,未婚女性

からの反対論というのもあった。

この論文における分析と記述の詳細を,こ

こで紹介するわけにはいかない。本稿のテー

マからしてここで読み取るべきは,次のこと

であろう。まず比重や速度を数値化できる資

料はないものの,既婚女性の労働市場への参

入は,第1次大戦の情勢下でかなりの進展が

あったのだと思われる。その参入は,人数の

増加にとどまらず従来の男性職場や独身女性 に特定されていた職場に向けての進出だった

という点でも,やはり一つの画期としてとら

えるべきであろう。25と同時に,このような好

条件を与えられながら,既婚女性の職場進出

がなまなかの抵抗なしには進展しえなかった

ことも,同じくらい重要な史実としなければ

ならない。家族賃金をという当時の労働界に

広く行き渡った要求と自身が育んだ労働要求

とがぶつかりあうような事態の中で,自主的

に職場を見つけそこに留まった女性というも

のは,未だごく部分的な存在であったろう。

グリーンウォールドが,この時期に率先して かる都市においてさえというべきか,あるい はかかる都市だったからいっそうというべき か,既婚女性の就業の適否をめぐる論争は,

シアトルの労働界を挙げて熱烈に展開され

た。22しかも賛成の側も反対の側も論拠は一様 でなくて,それが論争を混乱させ労働運動の 中で収束しがたいものにさせた。きわめて大 まかに分類すれば,賛成論の側には,生活向 上を理由としての支持,23女性の権利(経済面 での自律,個人としての自立)としての容認 があり,反対論には.組合が掲げる家族賃金

family wage要求との矛盾(男の低賃金を固

定することになる,あるいは経営者による組

合切崩しを助けるといった批判とともに), 男女の役割の違いの強調(昔ながらの子育て 義務論,「道徳的」理由からの判定24)があ ラブが同市に叢生したが,中でもWomenlsunionCard andLabelLeague(WUCL−一市民に,労働組合認証の ラベルを貼った会社の商品を購入させる消費者運動を 中心とし,それとともに8時間労働制,男女の同一賃 金,児童労働保護等にも取り組んだ団体)が,労働者 階級の女性を女性運動にまきこむ中心的な役割を果た した。(Greenwald.‘‘working−Class Feminism−r”op. cit.,pp.122−124,130−131.) 22)既婚女性が働きにでることにたいする賛否両論は当 時の大衆雑誌,新E乱 小説,専門誌,モノグラフ類, フェミニストや労働運動関連の文書で花盛りとなった が,とくにシアトルでは.ワシントン州労働総同盟の 公式記録であるSeattleUnionRecordに収録された, この間題をめぐる読者の手紙,アンケート ニュー ズ・レポートの類が重要な資料となるという観点か ら,グリーンウォールドはそれを多用している。 23)主婦の金銭収入で家計がより豊かになるという支持 に加えて,前出のWomen’sunionCardandLabelLeague 内部での支持のうちには,産業の発達によってもはや 主婦の家内労働はかつてのような時間と精力を求めら れる仕事ではなくなったのだから,主婦を孤立.退 凰 イライラから救い夫婦関係を改善するためにも働 きにでたほうがよいとする主張の台頭もあったとい う。(ibid.,p.136) 24)すでにこの時代には,貧窮のゆえに主婦が働きにで ることの正当性は“moraleconomy”として社会的に 承認されてもいた。したがってこれを逆用すると,主 婦の貸労働はそうした家計の必要に限られるべきだと する反対勢力の論拠となる。グリーンウォールドによ ると,第1次大戦時にこの“moraleconomy”論は, 極端な労働力不足に陥った国家の非常時に限って認め られるべきとの観念にまで広げられたが,その条件が 終わるや直ちに既婚女性の就業反対論の力になった (ibid..pp.120T121,nOte5,pp.126−127.) 25)研究対象をシアトルという一都市に限定しても,第1 次大戦期に既婚女性の職場進出を数値化できる資料は 得られないようである。この論文でも,1900年と1920 年の合衆国センサスからシアトル部分を抜き出して計 測した表が与えられているだけである。それによれ ば.既婚女性の賃労働者は1900年に881名,それが1920 年に8203人となっており,女性労働者全体に占める比 率は18%から25%に上昇している。しかしこのうちの とくに1920年の数値は.1918年の終戦直後からシアト ルの労働組合とワシントン州政府の諸エージェントが 既婚女性排除の雇用政策を打ち出し−それが何披か の大論争をも喚起した(ibid.,pp.126−127)−また戦 後の労働運動の分裂・後退と,女性の権利主張を支え てきたWUCLの衰退なども加わって,おそらく多くの 既婚女性が専業主婦に戻った彼のものだという点で も,戦時を窺う資料としてまったく不十分なものであ る。ただこの1900年と1920年とを比較した中で,既婚 女性の職場として,製造工業,運輸,商業,および事 務一般職が大きくひらかれたことの見当はつく(ibid., p.125)。

(13)

貸労働に挑戦した既婚女性こそ市民権を獲得 したばかりの「フェミニスト」と呼ばれるに ふさわしいとするのは,26その意味においてで あろう。 揖)両大戦間期 本稿でこれまですでに何度も引用している ゴールデインの著書(【血der∫Jd〃d玩gJ力e Ge〃der

Gqp)は,既婚女性の就業の歴史をたどるな

かで,19−20世紀転換期からしばらくはむし

ろその就業を押し下げる力が優勢に働いた

(実質的な就業率は下がった)と看取するの であるが,「いつからと時機を明示すること はできないものの,1920年代が,それまで既 婚女性の雇用を減退させ結婚というステータ スによって女性の経済的機能を特定化してき た趨勢への,ターニング・ポイントを印した と思われる」と書き,271920年代をもって彼女 のいう「U字型」の後半,上昇趨勢に入った という理解を示している。 しかしそのゴールデインが作成した表(本

稿第2表)によっても,既婚女性のうちの就

業者の比率は1920年9%から1930年11.7%に

上がった程度であって,数値上この10年間に

特段に躍進したというのではない。ゴールデ

インの理解は,数値にこめられた内実の変化 と数値以外の事件や事象を伴って成り立って

いると考えるべきであろう。念頭に浮かぶ第

1は,上述のように第1次大戦を契機とし

て,既婚女性の労働市場への参入を単なる貧

困問題の一環としてでなくそれ自体を主題に とりあげ,適否と正当性の根拠を論議する時

代に入ったということである。言うまでもな

く1920年は婦人参政権の獲得年でもあって,

情勢からして既婚女性の就業問題は,女性の

権利をめぐる新しい地平で議論されなければ ならなかった。またこの同じ1920年に労働省

の中に女性局(Women’s Bureau)が設置さ

れ,女性労働をめぐる議論の重点をワーキン グ・ガールからワーキング・マザーに移す牽 引的な役割を果たした。それらのことの端的 な現れは,女性の就業にかんする「保護」論

と「平等」論の確執のクローズアップであ

る。女性労働という固有の労働問題にたいす る行政の施策は19世紀以来の「保護」(労働 時間制限,深夜労働禁止,諸労働条件規制) 導入の長い歴史をもち,社会改良家もそうし た保護の強化に向けて奮闘してきたのであっ たが,ここに台頭してきた男女「平等」の主 張は,簡単には保護論と融合しえない。1920 年代はまさにこの両論が正面からぶつかり合 う時代となったのである。たとえば男女平等 の実質化に最も戟闘性を発揮したアリス・ポ ール率いる全国女性党の活動にたいしては, 少なからぬ社会改良家が女性保護を蔑ろにす る可能性ということからの懸念を表明し,今 なお若く貧困で短期的,非組織的な労働者が 主力をなす女性労働の現実のほうに目を向け させようとしたし,逆に保守派のなかに男女 平等時代の到来を称えることで行き過ぎた女

性保護立法の廃棄をせまる動きもあった。女

性局の内部にさえ意見の対立があり,その後

さまざまの具体的な施策をめぐる試行錯誤の

起点ともなる。婦人参政権成立に伴いERA

(男女平等憲法修正法案)が始めて合衆国議 会に提出されるのは1923年であるが,周知の

ようにそれは法案にたいする3分の2支持ル

ールと4分の3州批准ルールの達成をめぐる

長年に及ぶ攻防を生み,遂に批准を達成せぬ まま1982年の廃案に至るのである。この長期 の過程で交わされる議論もまた,1920年代を 起点としている。28 28)有賀夏紀ーアメリカ・フェミニズムの社会史j(勤 草書房.1988年)は.1920年代初頭の「平等権の規定 と女性提議の労諦立法」との関連をめぐって生じた運 動家たちの確執を詳細に紹介していて有益である(182 頁以下)。有賀氏はまた,1920年代をターニング・ポイ ントとする考えの一つとして.「保護・平等」論とや や異なる次のような視角をも提供している。すなわち 同番における第2次世界大乾期の記述のなかで.大戦 を較に政府やメディアの既始女性動眉キャンペーンに よって「仕事と家庭の両立」という観念が歴史上初め て社会に浸透したと強調する−そのくだりは本稿で 後に再度取り上げる−さいに.「この女性の役∃削こ 26)Greenwald.Women,WaT,andWork,Op.CiL Preface (1990)Ⅹ五L 27)Goldin.op.ciLp.12.120.

(14)

になく進出したわけであり,やがて1920年代 のマリッジ・バーの正当性をめぐる論議のも とともなるのである。32公式の人事政策のなか

では,若い女性を低賃金で雇うそれまでのメ

リットだけでなく,経験と高い質の労働力の

必要を認めることで既婚女性雇用の門戸は広

がるけれども,しかし多くの職場でマリッ

ジ・バーそのものは廃棄されては行かなかっ た。33あるいは「既婚者を雇用しない」という

歴然たるバリアから,パート・タイムの設

次に企業の雇用政策の面から見ると,両大

戦間期は企業の中に人事部という組織が走者 し,人事管理が制度化された時代である。29 企業は各々の人事管理制度のもとで女性の処 遇にかんする方策を文書等で明示するように なり,それによって男女の賃金格差や労働時 間,労働条件の違いも公式のものとなるので あるが,既婚女性にとってそれはいわゆるマ リッジ・バーの公然化というふうに集約でき るかもしれない。30労働市場で既婚女性を差別 する障害(bar)一既婚者を雇わない‘‘hirebar” と,結婚したら即退職を求める“retainbar”−の

設定は,19世紀には軍隊,郵便局,消防署,

法務関連職種などに明文化されたものがある ほか,多くの企業が採用および報酬や職種, 訓練面などで習慣的にそれを実践していた。 世紀転換期ころには女性の進出が目覚しい教 師職31とオフィス・ワークにおけるバーが目 立つものとなるが,ということを言い換える ならば,こういう職場にこそ既婚女性が従来 31)学校区で教育委員会が既婚女性の教員を認めないと したマリッジ・バーは,19世紀末から20世紀初頭にか けて最もめざましくひろがり定着した制度である。全 国数育協会が1920年代末から着手した全国規模の調査 によれば,1928年でも既婚女性を教員として採用しな い学校区が全体の61.9%,結婚した教員に退職を強要す る学枚区が52.2%あり,その数値は1942年調査ではそれ ぞれ77.7%,70.0%とさらに増加している。第2次大戦 後にようやくそのバーは廃止されていくことになる (Goldin,Op.Cit.,pp.161−162.)。 32)1920年代の既婚女性の就業で目立ったこととして, 黒人・移民の女性よりもアメリカ生まれの白人女性の 伸びが高い,年齢層では若い既婚女性層の就業の伸び が高い(その点,1940,1950年代と対照的),というこ とがある(Goldin,ibid.,p.20,120,161.Kessler−Harris, op.cit.,p.218)。それはワーキング・ガールの職場にワ ーキング・マザーが浸透し始めた内実を反映してお り,ホワイト・カラー職に既婚女性が進出した第1段 階とも解しうる。実際にこの時代,見るからに高齢者 である者がホワイト・カラー職場で働いている光景と いうものは(高学歴女性がそうした職場で働く条件が なかっただけに)きわめてめずらしかった。若い既婚 女性のうちには結婚していることを隠して働いている 者も少なくなく,当時の就業者統計の区分はその点で 大きな欠陥があるともされる(SharonH.Strom,Beyond 血−7二l・「・川・J一高−r.■G川IJ什(■’/り、ヾ、い川‘/J/l√()′■申I=!/仙・‘ん¶J AmericanQniceⅥbrk,1900−1930.1992,pp.410−411,nOte 43.) 33)1931年に女性局が行った7都市178企業の抽出調査 (0fficeFirmSurvey)によれば,結婚退職制を明示し ている企業は12%(大企業ほどその傾向が強いため, 女性従業員の25%に適用)と数億はそれほど高くない が,結婚後の雇用継続にさまざまの条件をつけている 企業は全般的にあった。既婚者を最初から雇わないこ とについては,明文化していない場合を含め.50%以 上の企業が既婚者の採用を避ける意向のようである。 業種では生命保険会社,出版社,銀行,公益事業会 社.製造工業の事務部門にマリッジ・バーの実質が行き 渡っているようにみえた(Goldin,Op.Cit.,pp.163−164)。 ついての両立性の観念は,おそらく1920年代に現わ れ,戦争によって刺激を受けて成長したものと思われ る−−−」(176頁)とするのである。そしてこの「1920年 代に現われ」の箇所に注を付し,典拠としてWinifred D.Wanderseeの論文(1976年)と著書(1981年)を挙 げている。 29)「第1次世界大戦の戦中・戦後に,従業員250人以上 の企業のなかで人事部をもつ企業の割合は5%(1915 年)から25%(1920年)に急増し,1929年までには従 業員1000人以上の会社の40%が人事部をもつにいたっ た。そして1930年代,政府による労働市場規制に対応 してアメリカには第2次人事管理ブームがおとずれ, 人事部の設置は中小規模の企業にまで普及する。」拙 稿「アメリカ経営史におけるパターナリズム」(北大 「経済学研究」第53巻3号.2003年12月)23頁。 30)ゴールデインの著書は,マリッジ・バーの検証にあ てた章の結び部分で,「総括すると,マリッジ㌧バー は大恐慌に先立つ一定の時期に,企業収益と生産性と の関係を切り離したさまざまな人事政策にたいする対 応として,ホワイトカラー雇用のなかに出現した。し たがってこのバーは,労働者を企業に結びつける,ウ エルフェア・キャピタリズムの環境を作り上げる,監 督者の気まぐれな行動を制約する,そして従業員の転 職を少なくする,といった企業レベルの政策に起源を 有する。」と書いて,それが近代的な人事管理政策の 登場とともに整備されたものだという見解を提示して いる(Goldin.op.cit.,p.183)。

参照

関連したドキュメント

 彼の語る所によると,この商会に入社する時,経歴

 母子保健・子育て支援の領域では現在、親子が生涯

事前調査を行う者の要件の新設 ■

ユース :児童養護施設や里親家庭 で育った若者たちの国を超えた交 流と協働のためのプログラム ケアギバー: 里親や施設スタッフ

エネルギー大消費地である東京の責務として、世界をリードする低炭素都市を実 現するため、都内のエネルギー消費量を 2030 年までに 2000 年比 38%削減、温室 効果ガス排出量を

 このようなパヤタスゴミ処分場の歴史について説明を受けた後,パヤタスに 住む人の家庭を訪問した。そこでは 3 畳あるかないかほどの部屋に

また自分で育てようとした母親達にとっても、女性が働く職場が限られていた当時の

学校の PC などにソフトのインストールを禁じていることがある そのため絵本を内蔵した iPad