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懲罰的損害賠償論 利用統計を見る

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懲罰的損害賠償論

著者

三沢 元次

著者別名

Mototsugu Misawa

雑誌名

東洋法学

36

2

ページ

57-82

発行年

1993-01

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003510/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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懲罰的損害賠償論

一兀

目  次

三二

四 はじめに 無過失責任と企業責任 懲罰的賠償責任と根拠 ω アメリカの動向 鋤 懲罰的責任の理論的根拠 結   語 東 洋 法 学 五七

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懲罰的損害賠償論 五八

はじめに

 我国においても最近課題とされ立法化の方向にある製造物責任法で、特に問題点とされる無過失責任︵厳格責任 の鼠9萄ぴ淳受︶と懲罰的損害賠償︵讐鉱憂Φ薮誉謎霧︶について、その法的内容と要件或いは根拠が必ずしも明確 なものとなっていない。この無過失責任の法理が従来の過失責任主義の発展によるものか、或いは他の要因ないし法 論理に基づくものか、その当否についての分析も十分ではないし、懲罰的責任についても同様で内容と導入の根拠等 の分析と整理が必要と思われる。  周知のようにアメリカでは統一プロダクトニフイアビリティモデル法が商務省の作成によって一九七九年一〇月に 公表され、各州の立法化に活用し厳格責任と懲罰的損害賠償の導入を図られた。またヨーロッパにおいても今年末の EC経済統合を前に、EC域内での流通の促進及び消費者保護の立場から一九八五年七月EC理事会において製造物 責任にかかわるEC指令が採決され、加盟一ニカ国は一九八八年七月三〇日迄に国内立法化と施行を義務付けられ着 実に進行した経緯がある。もっとも、マ⋮ストリヒト条約の関係で、今後多少の困難の続く事も予測される。  これらに対し我国では二年前より通産省や経済企画庁等で製造物責任の検討を始めたものの、多くの学者の早くか らの要請と期待に反し未だ立法化のめども立たない状況である。  早期の立法化は当然の事として、近年の事件事故の多様化・被害の増加・裁判の長期化等も伴って具体的な被害者 の救済にも遅れや不備を生ぜしめているが、更に大切な事は被害者の救済についても具体的・現実的な救済の可能性

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を論ずべき段階と思われる。  これらの視点から特にアメリカの先例を参考にしながら、 にし、より現実的な対応をさぐらんとするものである。 無過失責任と懲罰的責任の理論的・実際的な根拠を明確    二 無過失責任と企業責任  0 ゆ 製造物責任立法において特に課題となるものの一つが、無過失責任︵厳格責任︶導入の可否とその根拠につい ての問題である。  我民法は過失責任主義を原則とし、学説・判例でも危険責任及び報償責任の理論を用いて企業責任についての過失 責任主義を修正せんと努力し、判例実務においても工夫を重ね実質的な無過失責任導入の実績も見受けられるところ である。殊に公害訴訟において加害行為と被害発生との因果関係の立証に関わり、被害者側の立証責任の軽減に努め た。  最近の工業技術の高度な発展や情報化に伴う専門分化の傾向は、公害事例や医療過誤訴訟にもみられるような科学 的な問題点も介在し、被害者側による立証は不可能に近い状況となる場合も増加している。また精密機械や電気製晶 等の製造物では固有の因果としての個別的因果関係が問題となるのに対し、食品や医薬品等に関する場合は特定の物 質による損害発生との関わりである一般的因果関係が問題となり専門知識や客観性が必要となる。  そこでこのような被害者側の立証責任の軽減を図り、例えば﹁汚染源の追及がいわば企業の門前にまで到達した場     東洋 法 学       五九

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    懲罰的損害賠償論       六〇 合、企業内部における原因物質の生成・排出についてはむしろ企業側において、自己の工場が汚染源になりえない所       ハ ロ 以を証明しない限り、その存在を事実上推認される﹂と責任を転倒する手法である。また﹁カドミウムとイタイイタ イ病の関係が疫学的調査や臨床・病理所見等からの考察のほか、動物実験の結果によって明白となった以上本病の病 理機序は大筋において一応説明が可能であるから、現段階においてはそれ以上病理機序が細部にわたってくまなく明       ハき  確にならない限り、本病の発生原因を確定しえないとすることは到底できないしとした疫学的手法、或いはレントゲ ン線照射と癌の発生についての統計的因果関係等を用いて、被害者側の立証責任を軽減すべく努力している。  これらの事は従来むしろ重要とされた過失の立証において、特に企業の専門家としての注意義務を求め更には危険 防止の注意義務を要求し、これらに違反する事で過失を当然に認定せんとする。ここではすでに過失の有無よりも加 害と被害の因果関係の具体的な立証に要件が移り、過失の有無よりむしろ企業の不法行為責任が重要な問題点となっ てきており、実質的な企業の無過失責任への推移の現象と見受けられよう。 ω しからば今日、何故に無過失責任を企業責任として問いうるのか、その社会的ないし法的根拠はいかなるもの であるのか、次にいくつかの要因を列挙し検討してみよう。   ω 都市集中と人口増・大量生産と大量消費・物資の豊富さと商品の多様化等の社会状況の変化。   ㈲ 生産・流通・消費等の構造的変化。   の 情報化と広域販売等の変化。

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  ⑭ 機器具類・薬品・食品等の新製品の開発と事故の増加。   ㈱ PCB・フロン等の新物質や原発等の未知の危険の発生。  これら諸種の要因と社会構造的変化や新しい製晶や物質による危険の増加或いはその複合的な作用に伴う事故の多 発等、文明社会の高度化と発展した物質社会に生ずる危険と損害を誰かが負担するべき責任と共に、被害発生に伴う その救済と資金の必要性が生じる事となり、他方企業はそれら危険を内包しながらも着実に利潤を得て発展してきた       ハ レ のも事実である。  ここに報償責任なり危険責任なりの思想が生じ、更に重要な点は製品を流通に置く場合、消費者の安全性について の信頼保護に対する企業の責任の問題である。また具体的に企業に無過失責任による損害賠償を負担せしめても、製 品価格の引上や保険の付保によって危険を効率的に分散させうる立場にある。更に高度な技術や情報を有する企業は、 その製品による危険ないし可能性について最もコントロールしうる立場にあるし、専門家集団として消費者保護の責 任もあると同時に、利益追及の過度の許容がモラルの低下や欠如に連なる場合も認められる点である。 偶 法人の権利能力および不法行為能力は、通説である法人実在説で組織体説を前提として自然人と同等なものと して扱かわれ、特に自然人に特有なもの以外の各種の能力を認められている。﹁個人以外にこれと同様に、一個独立       ハぐレ の社会的作用を担当することにょって、権利能力の主体たるに適する社会的価値を有するもの﹂とされている。そし て理事その他の代理人がその職務を行うにつき他人に加えた損害の賠償責任も生ずる事となる︵民法四四条︶。この法

    東洋法学       六一

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    懲罰的損害賠償論       六二 人の能力の実質的価値の本質は何か、またこの企業の不法行為責任は、民法七〇九条以下に定める一般不法行為の要 件を備える事で、自然人と対等の立場に置かれた能力として認められているが、はたしてそれが妥当であるのか、こ こでは製造物責任と関連した責任能力ないし過失論について検討してみょう。  ①人や財産の集合体によって組織され活動する法人即ち企業も、大小様々ありその種類内容も無限に近いもので あり、一見通説の説く如く独立の社会的作用の担当能力と権利能力の主体たるに適する社会的価値を有するかのよう である。しかしこれは一面的で非論理的且非現実的な見方であり、或いは自然人である人間とは全く違った能力を有 し異なった価値基準に従った評価なり規定なりが必要と考えられる。例えば企業は合議体として多数決による意思決 定が行われ、その意思実行は個人としての企業の代表機関が直接行う場合、或いは代表機関の指令に基づく多数の下 部機関や人の集団によって現実化されていく場合、また単に代表個人や少人数の判断や決定で実行できる企業等、多 種多様な企業活動が考えられる。特にこのような場合にその意思決定と意思実行との間に変動や蛆齪が生じうる可能 性があり、この点自然人の意思決定と行動との関りと全く異質な要因と条件が介在し、両者に異質の価値基準なり判 断基準の必要性がまず存在する。すなわち企業においてはその意思決定と実行との間に不確実なあいまいさが生じる 可能性と多数による解釈の相違の危険性等に伴い、責任の負担や能力ないしは責任の所在や負い方等にも企業間格差 等も影響し、差異の生じる要因と考えられる。  更には代表によって行動する企業体で、その代表者の交替︵それも数回可能︶は、その企業の既に決定された意思

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或いはその後の意思決定や意思実行に変化をもたらしえないものであろうか。即ち従前の代表者の意思決定と実行が、 個人のものであれ代表のものであれまた集団のものであれ、形式的に代表という一体性を存続させていたとしても、 その代表の交替にょって人間としての個人的ないし集団的責任感や思想や判断力そして理念等に差異を生ぜしめ、そ の事自体が企業の社会的対応や将来への方針や業績等様々の部門で各種の変化をもたらしうるもので、これこそ人の 集合体の特性と可能性であり、自然人の如き一貫性は存在せずそれ故に一貫した不変の責任観念を有しえず、それこ そ企業の発展の原動力としての可能性であり、この点でも自然人と全く異質の存在性の証明が可能と思われる。  特に現代社会に最も影響力をもち最大の活動力を有する株式会社において、その意思決定機関と執行機関の分難の 不可欠性はともかくとして、意思決定の最高機関たる株主総会は、単に利潤追及を目的とした出資人の集合体であり、 それも社員相互は全く未知で関りを持ちえない多数人の存在でしかない。これらの株主がその意思決定に対しどれだ けの社会的責任の自覚を有し得るものか、また執行機関のいかなる行為にも出資の限度の責任しか有しない社員に、 執行機関の社会的責任に対しそれ以上の責任をいかに及ぼし負いうるのか。他方で執行機関は総会のなおざりなのは やむを得ぬとしても、それだけにいかなる手段を講じてでも最大級の利益をあげるべく全力をつくす責任を株主に対        ハぢゾ して負っているのが実態である。  企業の社会的実在性の本質は、このような集団的・永続的・時間的・質的・目的的等諸種の要因とその実態や変化 を明確にし、企業意思とその実行の過程や結果の影響を分析検討してこそ、その独自の存在としての評価をなし、独 自の現代的な価値基準も与えうるものであり、その上でその責任論を論ずべきかと思われる。

    東洋法学       六三

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    懲罰的損害賠償論       六四  企業体は自然人としての人問とは似て非なるものであり、これを同等・岡質の社会的実在として扱い、少なくとも 相互の過失の責任を等置して、立証責任や賠償責任とその能力等を平等に認め対等に扱っている法の論理は不合理で はなかろうか。まさに自然人と違った実在としての企業の異質性および近来の変質性を認識せず、社会的作用の担当 能力があるとして自然人と対等の権利能力と不法行為能力を認めてきた点に重大な誤りがあったようである。企業は まさしく企業体としての実在性とその能力・価値・責任等を多面的に分析し論証し自然人と異質な社会的有機的存在 である事を明確に証明すべき時期である。特に独立の社会的作用の担当者として社会的価値があると錯覚し、利点の みを強調し優遇してきた結果、各種公害をはじめ企業犯罪・環境汚染や破壊等予測もしがたい害悪を社会にもたらし てしまったのではなかろうか。  従来の過失論と因果関係の立証の問題は、本来自然人を対象に組み立てられてきたものであり、企業と自然人とを 等置すべきでない部分即ち異質性をり異次元的存在性なりが明白となれば、少なくともここで問題とされる過失の立 証責任は常に加害者である企業の側に転換せしめ被害者たる自然人の立証責任を免責しうるのみならず、ここに無過 失責任導入の根拠の可能性を見い出しうる。これらの事は企業の能力や責任についての新たな理論構成と法的扱いが 不可欠な事を証明している。 ②企業の社会的実在性は、企業が独立の存在として社会的作用を担当するに適した社会的価値がある点に根拠づ けられるとする。しかしはたして多くの企業に社会的作用の担当能力とそれに適した社会的価値がある事の根拠と証

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明が可能であろうか。確かに国家・公共団体を始めとする公共的公益的法人や社会福祉を目的とする財団・社団等、 社会的使命と役割を担ってその存在価値も有用性も認めうるものも多いであろう。また各種公益事業体や優良企業が 多数実在し、社会的役割と責任を果たし、国家社会のみならず国際的な発展平和に貢献している場合の多いのも事実 である。ところが一方企業の社会的使命の自覚さえ疑わしく、利潤の追及と競争の論理のみに従い倒産の危険にさら されるが故に他を顧りみない無責任な企業も増加しており、近時の銀行の不正融資や不良債権問題・証券会社の損失 補填問題を始め企業の信頼を裏切るような事件も多発している。  自然人に故なく加害をなした場合、国家公共団体と言えども許されず、もっぱら社会的使命を果す為であってもま た不可抗力であったとしても、無過失の責任を負担し被害者の救済の不可欠なのは論をまたない。まして自己の利益 の追及のみを目的として活動している一般企業に、自然人と社会生活の安全を脅かし被害を与える事の正当な抗弁す なわち無過失の無責を権利として認めえないのは明白な論理で、自然人に害悪を及ぼす危険な企業は本来存在すべき でなく、ここに無過失責任の理論的根拠がある。  人を欺闇し脅迫してでも利益を追及した豊田商事等は例外としても、近来の企業活動は利潤のみを追い求め、一方 で不可避的な危険を包蔵するものも増加し、且活動は拡散し企業も巨大化の傾向もみられる。わずかな社会的効用の 存するを理由に、人を犠牲とし社会にも危険を及ぼす事とその十分な救済をなさない事の正当な根拠として企業を擁 護し行為を正当化する論理的根拠は何であろうか。  従来経済優先企業活動優遇の結果四大公害訴訟をはじめ、スモン・カネミ・サリドマイド等どれ程の被害者を出し

    東洋法学       六五

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    懲罰的損害賠償論       六六 その救済にどれ程時間をかけ過ぎたか、またいかにそれによって環境を汚染し破壊してきたかに思い致すべき時期で ある。  人が犯罪を犯し他人を傷つけ不幸をもたらした以上に企業も罪深い行為を行いながら単にその代表だけが罰せられ 損害金を支払うだけでなく、企業犯罪として社会に害悪をもたらした責任を負担すべきで、単に個人の被害の救済の みでは許されないのは明白であり、これこそ無過失責任と共に懲罰的責任を負うべき実際的根拠と言い得よう。  今日危険な企業活動は単に近隣に被害をもたらすだけではなく、商品の大量生産と大量販売や流通機構の整備等に ょりその危険性と被害を拡散し、且永続的な未知の危険をもたらす被害も増加している。更に水質汚濁・大気や土壌 汚染・食晶や薬品公害等の国内的な被害のみならず、海洋汚染・酸性雨・フロンに伴うオゾン層の破壊・有害有毒物 質による汚染等、地球環境の汚染や破壊の原因が特に先進国としての日本の企業活動と生産活動によってもたらされ       ハもザ た責任を自覚すべき時である。

654321

平野﹁製造物責任の理論と法解釈﹂二五五頁 富山地判昭四十六年六月三十日民集二二巻 新潟水俣病判決、新潟地判昭四十六年九月二十九日・判時六四二号九六頁 我妻﹁民法総論﹂一二六頁 フランシス・ケリー・近藤訳バ⋮バード・ビジネススク⋮ルは何をどう教えてい蕎か﹂ 拙稿﹁製造物責任論﹂比較法二八号東洋大学 七一頁

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三 懲罰的賠償責任と根拠  OD アメリカの動向  早くから統一製造物責任モデル法︵ζd勺ゼ︾︶を制定し各州における立法作業と裁判所の活動によって被害者の 救済に着手し、実際的な成果をあげているアメリカの状況で、特に厳格責任︵ω鼠〇二一魯象蔓︶と懲罰的損害賠償責 任︵℃暴蕊語鼠欝謎8︶の近時の具体的傾向を検討してみよう。  この懲罰的損害賠償は被害者の実損害の填補を目的としたものだけではなく、むしろ加害者に対する制裁的意義を 有し、その行為に対する処罰と共に将来の危険の仰止を目的としている点に大きな特色がある。各州での立法もほぼ 成立し懲罰的損害賠償が認められるためには、次のような要件に従う事になる。  すなわち加害行為が一定の要件に相当する悪意性を有し、極悪な行為︵・暮H夷8器﹀や他人の権利に対する無謀 な無視︵おo鉱Φ。 陰ω汐鎌鶏謁餌鼠8爵2おげざ3爵Rω︶等の行為である事を要する。その他加害行為の悪意性ないし 害意性を示すものとして、故意の︵沖簿Φ呂○霊一︶.意図的な︵惹疑巳Y悪意の︵箏&90蕊Y非道な︵貯αQ触磐樽︶ ・無関心︵一&漆段窪8︶等の概念も判例にみられるところである。  統一製造物責任モデル法は、加害行為の責任の有無の判断に裁判所が具体的に考慮すべき要件として、次の八項目 に区分している。  ④関連時点において製品販売者の不当な行動にょって重大な危害が生ずるおそれ。⑤製品販売者がそのような可能

    東洋法学       

六七

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    懲罰的損害賠償論      六八 性を認識していた程度。◎販売者が当該不当な行動によって利益をうる可能性。④当該不当な行動および販売者によ る隠匿が続いた期間。◎当該不当な行動の発覚後製晶販売者の態度および行動とその行動の停止の有無。①販売者の 財政状態。⑧販売者に不当な行動の結果として課せられた、また課せられようとする他の刑罰の総合的効果︵請求権 者に対して同様の立場にあった者に対する懲罰的損害賠償および製品販売者がすでに服し、またはこれから服すこと        ハァレ ある刑事処罰を含む︶。⑤請求権者がうけた危害が請求権者自身の無謀な個人の安全の無視の有無。  コ  A 厳格責任を認めた最近の判例に次のようなものがある。  ︹  ①原告アンの薬剤師であり医師である父親は、アンに一九六三年まで七回以上感染症の治療のためデクロミシン ︵ご①。一〇讐饗ぎ︶を与えた。このデクロミシンの副作用でアンの歯が変色して灰色となり、製薬会社に副作用につい ての警告のなかった事を理由として厳格責任を問い損害賠償を求めた事例である。製薬会社は一九五九年から製造販 売し、一九六三年に注意書きを改め幼児や児童が服用したとき歯が灰色になる副作用の危険性を書き加えたが、原告 が服用した当時デクロミシンによる副作用の可能性は知られていず責任のない旨主張する。ここでは警告上の欠陥を 理由とする厳格責任において、製薬会社が販売当時の段階で副作用の危険性について知らなかったか或いは知りえな かった事が抗弁できるか否かが争われたものである。  被告は以下の点を主張した。﹁顕著な例はパスツ⋮ルの狂犬病治療のためのワクチンであり、これが注射されると 非常に重く深刻な結果を招くことも希ではない。ただこの病気自体が必ず恐しい死を招くものであるから、このワク

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チンに関する非常に高いリスクにもかかわらずこれを販売使用することが完全に正当化される。⋮⋮このような製品 の売手は先のような限定つきで、即ち製品が適正に製造販売され必要な状況に応じて適正な警告がなされることを条 件として、これの使用により不幸な結果が生じたとしても、厳格責任を問われることはない。﹂とする不可避的に危 険な製晶︵慧麩○箆魯ぐ慧鋸8冥○倉o錺︶についての不法行為リステイトメントのコメントKの引用及び。 。翼9        パ   畏による承認を主張して厳格責任を免れるとした。  これに対し原告側は次のように述べる。製造物の欠陥たる副作用についての問題を争点としているのではなく、被 害者の父である医師がデクロミシンの娘に対する投与により、副作用の危険性を知らされているべきであったのにそ の警告書の存しなかった点である。そのため一九六三年には薬の製造販売を製薬会社は中止していたにかかわらず、 原告側は引き続き薬を服用してしまった。  ちなみに製薬会社がデクロミシンに関する副作用の危険性についての知識はすでに保持していた事の推定は、一九 六〇年迄には副作用としての歯の変色を指摘した科学コミュニティ⋮の文献からも推察される。  裁判所は次の通り決定した。製品を製造販売した者の合理性の判定に当って、設計上の欠陥の件では技術水準が、 また警告上の欠陥の件では入手可能な知識が重要な要素と認められる。警告をした者の行動は製晶の製造販売当時、 合理的に入手可能な科学的・技術的その他の情況のもとで、危険について知りあるいは知りえたか否かで判定され、 知りえたか否かは業界あるいは当該分野で、一般的または合理的に入手可能で、信用するに足りる情報に基づき判断 されるべきであるとして厳格責任を認めた。尚薬品の欠陥についての知識のなかった事は、被告側で立証する責任を

    東洋法学       六九

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    懲罰的損害賠償論      七〇     すレ 認めている。  ②原告コリンズは母親が妊娠中に流産防止剤DESを服用したため、その副作用によって腫瘍に罹患したとして 複数のDES製造業者に損害賠償を請求した事例である。原告被告共に記録も存せずDESの製造業者を特定しえな い場合でも、製造業者の特定は必要なく同一種類のDESを被告が製造販売していたことを立証すれば、被告が反証 しえない限り責任を負う事になる。被告がDES販売に当ってテストを行ったか否か・市場占有率・DESの販売に       る  当り先導的役割を果したか・危険が判明した後も販売したか等総合的に考慮され厳格責任を認められた。  ③原告ベシャダはアスベストにさらされた場所で長年働き、その結果アスベスト症或いは肺癌に罹患したもので、 アスベスト製造業者および販売業者に対して、アスベストの危険性について警告しなかったとして損害賠償を請求し た。製品に危険性がありその危険性について警告がなされないときは責任を負担する。当時の技術水準を理由とする 抗弁は認められず、アスベストの危険性についてその当時知りえなかったことは抗弁とは認められないとして、厳格         ねロ 責任を負うとする。  このように被告側即ち加害者側にとっては大変厳しい要件のもとに注意書きの不備に対しまた不可抗力の抗弁さえ 認めず、或いは厳しい立証責任のもとに厳格責任による損害賠償責任を課する傾向にある点注意を要するものである。  コ  B アメリカでの懲罰的損害賠償を認めた例は次のようなものであり、従来懲罰的損害と不法行為法の厳格責任と 〔        ル  は別種のものと考えられ、厳格責任訴訟では懲罰的損害賠償は認められないとする判例もかなり存した。

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 これらは懲罰的損害賠償が加害者の悪意性を要素とした点に差異が認められるものであったが、その後次第にこの 考え方も変わり論理的見地よりむしろ被害者保護の実際的見地を優先させる傾向にある。  ①原告グリムショウ︵当時一三歳︶は、一九七二年グレイ夫人の運転するフォ⋮ド・ピント車で南カリフォルニ アをドライブ中高速道路の出口近くでエンストを起した。このため後方を走ってきた乗用車が追突し、追突と同時に ピントは火災を発生し、ガソリンがすき間を伝って車内に流入していた。この事故でグレイ夫人は数日後心不全で死 亡し、グリムショウは全身の八○%以上に火傷を負い、生命はとり止めたものの五〇回以上の手術を受け、指四本と 鼻・片方の耳を失い今後十年以上にわたり追加手術を受ける必要がある状態となった。  地裁の陪審は填補賠償二八○万ドルに加え懲罰損害賠償として一億二五〇〇万ドルの高額評決をしたが、判事はあ まりに高額なため三五〇万ドルに減額し、控訴審でもこの額を認めたものである。特に当時技術担当重役で副社長の アイアコッカと安全に対する衝突で退社したコップは原告側の証人となり、﹁﹁フォ⋮ド社はピントを﹃二千ドルの価 額の二千ポンドの車﹄として製造することに専念し安全を犠牲にした﹂と語らしめ、コップの法廷での証言でフォー ドに大変不利となった。そして裁判所は、﹁もし被告の行為が意図的でかつ故意︵欝け窪鋤S巴︶で起きるかもしれな い結果を、意識的に無視︵8霧90霧良段罐輿α︶してなされていれば、悪意︵欝饒8︶はその行為から推論され       ハお  る﹂と陪審に説示しており、他の人権無視ともとれる証拠とともに高額の懲罰賠償金が課された。  ②原告フィッシャーはアスベストの塵にさらされている職場で五力年間働き、その結果アスベスト症に罹患した として、製造業者に厳格責任に基づく損害賠償および懲罰的損害賠償を請求した。     東 洋 法 学       七一

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    懲罰的損害賠償論       七二  厳格責任に基づく損害賠償請求の訴訟において、原告がアスベスト塵にさらされている時にアスベスト製造業者が 健康上の危険についての知識があり、そのアスベストについての危険性を警告しないのみならず、その危険性を隠す        ハんレ 積極的な行動を被告が行った場合であって、懲罰的損害賠償を認めうると裁判所が判断した例である。  ③原告ドーシ⋮が一九七一年型ホンダAN六〇〇を運転中他車と衝突し、運転席のシートがはずれ、前面ガラス と窓の闘の支柱﹁Aピラー﹂にぶつかり、脳に障害を受けた事件である。  連邦地裁の陪審は、本人に対し七五万ドル妻に対し七・五万ドルの填補賠償を認めたうえ、本人に五〇〇万ドルの 懲罰損害賠償を認め、判事は否決したが控訴審で再び認められて課されたケ⋮スである。  特にこの事件では、連邦自動車安全基準の関係個所のすべての基準︵第二〇四条ステアリングホイールの動き・第 二〇七条座席組立の強度・第二〇九条シートベルトの強度と弾力性・第一二〇条シートベルトのとめ方等︶をクリア しているにもかかわらず、懲罰的損害賠償を課された点と、あまりに高額な最初のケ⋮スとして日本でも大変注目さ        ハお  れたものであった。  このように無過失責任︵厳格責任︶の有無にかかわらず加害者にとっては厳しいそして高額の懲罰責任が問われる ケースも増加しており、更には業界の慣習に従っている事や連邦法の基準を守るだけでは責任を避けられないのみな        ハ サ らず、会社の承継があった場合にもとの会社に重過失を理由に承継会社に懲罰的損害賠償を課すケースもみられる。  また一方高額化する賠償判決の頻発により製造物責任保険の危機、或いは米国製造物責任の行き過ぎに対する是正 の動きは、新製品の開発をためらう企業の発生に伴い﹁製造物責任の危機︵嘆&8江鈷ぴ蕪蔓9器ごとなって表面

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化し、       ハガレ 多少の修正の動きもみられるところである。  ω 懲罰的責任の理論的根拠  ①経済政策や生活様式の変化に伴いまた大量生産大量消費や流通機能の整備発達等相まって生じた今臼の社会の 構造的な変容は、従来の法形式や法概念と理論にも影響を与え少しずつ各方面で齪齪を生ぜしめている。例えば民法 の認める売買契約の概念が、今臼のコンピュータ利用のカ⋮ド社会では条件も異なり受け入れられない要素も生じて いるにもかかわらず、法の改正もままならずそのようなギャップがみられ、この事は不法行為の分野でも特に過失責 任について既に述べたが、救済の法理や懲罰責任の分野にも当然生じている事でもある。  また資源開発と科学技術の発達は、より便利で高級で手軽な多種多様な製晶を飽和状態に作出したが、他方でその 製造と利用に伴いPCB・フロン・ダイオキシン・アスベスト・六価クロム・トリクロロエチレン等未知や既知の物 質による汚染や被害の多発且拡大が生じてしまうし、製晶の専門化・高度化はもっぱら危険の拡散をもたらす事にな る。これらの点の防止と救済が不可欠であり、法制度の整備と現実的な対応により、危険の作出及び被害の結果の回 避と原状回復ないし再生が今後の課題でもある。  更に企業活動は今後も活発化すると共に多国籍化や拡大化の傾向がみられるが、それに伴い経営的な危機の生ずる 事も多くその維持管理のために必然としてより利潤の追及に奔走せざるをえなくなり、品質低下や乱開発等更にはモ ラルの低下も起りうるもので、ここにも企業が危険を社会にもたらす可能性があり、もし表見すれば懲罰責任の原因

    東洋法学       七三

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    懲罰的損害賠償論      七四 としての潜在的要因と一言いうるものである。  ②企業の能力と責任について、従来国家も法律家も経済優先・企業活動優遇にかたよりあまりにも寛容すぎたの ではなかろうか。少なくとも今臼企業の本質的な内容と活動の実態に従来と異なった変化が起っており、その能力も 機能も異質なものとなりつつある現実を直視すべき時であり、今後増々計り知れない能力と影響力をあらゆる面で持 ちつつある事を認識すべきである。  確かにこの企業論なり法人論は資本主義体制の根幹にかかわる課題であり、多面的且国際的な企業の論理的分析と 新たな価値基準に従った評価による能力及び責任ないし使命の認定を必要とするもので、単に民法上の論理として解 決しうるものではないであろうが、社会経済的視点からみてもこの激変の世情からみても法理論上の再構築も不可欠 な時期と思われる。ここでは単に企業の責任性と危険性等について考えてきたが、今後も危険を包含し加害をもたら す可能性が増大する点からも、むしろ今後の加害についてはその能力と資力を有する企業には絶対責任︵魯8ご富 一ごσ籔蔓︶を負わしめうるのではなかろうか。これらの理由と新たな視点から無過失責任︵厳格責任︶のみならず、 企業の懲罰的損害賠償責任を課する有用な根拠と考えられる。  この不可欠な懲罰的損害賠償は、被害者の十全な救済を期すると共に、欠陥製品を流通に即ち市場に置く事の抑止 となるに止まらず、危険な企業活動の防止とその社会的使命の自覚に役立ちうると確信する。

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 ちなみに、一九八九年三月アラスカ湾沖でエクソン社のタンカー・バルディーズ︵く>ピU綿N︶号の原油流出事故 に伴い湾岸一帯への汚染および附近の生態系に多大の被害を生ぜしためたが、これを機会にアメリカの民問組織 ﹁O円幻国ω﹂により十項目にわたる企業活動の評価基準が示され、これを﹁バルディーズの原則﹂と称される事と なった。  各企業は環境問題について自らが主要な責任者でありその認識のもとに経営にたずさわるべきとし、より具体的な 行動基準を将来にわたって企業に求めるものとしている。  その原則の中で注目されるものとして、第一項では、大気・水質・地質およびそこに生息する生命体に環境上の被 害を与える汚染物質の放出は減らしまた無くしていくよう努力し、川・湖・湿地・沿岸地域や海など生物の生息地を 保護し、地球温暖化やオゾン層の減少・酸性雨やスモッグの原因を無くしていくよう努力する。また第三項では、廃 棄物で特に危険なものは出さない・また原材料は可能な限りリサイクル利用し・廃棄物の処理は安全かつ確実に行う。 そして第六項では、環境に有害な影響を与える可能性が最も低く、それを利用する消費者が安全に使えるような商晶 とサービスを提供する・また自社の商品やサ⋮ビスが環境に与える影響について、消費者に情報を提供する事とする。  殊に第七項では、環境の原状回復と被害者への損害賠償に全力を尽して、企業活動を原因とするいかなる災害につ いても責任を負う事と定めている。  これら当然に企業が注意すべき点及び負担すべき責任についてその努力目標を設定し、これらの規準に合するか否 かを今後企業活動について評価を与えながら、更に情報の提供を投資家にも与えるもので、これからは企業もこれら

    東洋法学      七五

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    懲罰的損害賠償論 の問題に積極的に関与すべき方向へと導かれることになる。  この当然の事ではあるが、画期的な試みがアメリカですでに始まっており、       ハぬレ を得ない事に心すべき時である。 七六 いずれ日本企業もその洗礼を受けざる

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土井﹁アメリカ製品責任法﹂八九頁 U’≦亀饗○σの誘○戸9鑓←O霧霧¢泣銀象の江鋒の8↓○厩誘黛ω︵おc oO︶ 勺①嵐旨§ダい&亀①ビ魯○讐○鮭ω噸零零8畠Φ誤お”>,臣◎も 。隷’︵お○。麻︶ OO⋮参<.難帥口ξ欝OρG 。濤翠牽臣零一譲沖ω。ω、○︵騨⑩o 。轟︶ ω①ωζ紆<﹂oぎ甲駕き並竃軍o含o房OO穫マ8客8愈噴︾臣器④︵ごo 。N︶ Oo箆ぐ﹂oぎω1竃き≦一凝ω鶴霧○○β︶、P累旨脇ω頃ω毛℃溶○ 。N︵るo 。ω︶ U・ミ﹄菊○びの誘Op簿山rO霧Φω伽&窯無9巴ω860講ωも 。魔︵お○ 。O︶ 9紳暴げ碧<e頃○鑓属08じ一Φ○鉢︾薯段G 。頴レ謬○鉱齢幻℃ぼG 。G 。㎝︵る○ 。一︶ 国ω魯角も 。くしo訂竿竃器<一一一のOo500餌江08v2﹂﹃ψρ︵るo 。①︶ UO湧2ダ濁○&鋤竃08場09︶①誤プ淫08︵るo 。一︶ 罵舞2く・甲蝕讐二嘗段○○巷;①①㎝男臣一ω雪︵一⑩○ 。ω︶ 竃貰冒く﹂・ぼ望竃欝昆一①○・βる8彫欝ω巷gω騨o 。︾9臣①象︵ご○ 。ら 。︶ 山口﹁欧米の製造責任﹂四一頁 バルデ⋮ズ研究会は、既に日本企業の環境対応調査等積極的な活動を進めている ︵週刊東洋経済九二年六月六日号︶

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四 結 甑 隣日  ω 証券会社による損失補填や銀行による高額不正融資と不良債権問題等、信用を最も必要とする大企業たる金融 機関においてさえ不祥事が続発しているが、これらが単なるバブル経済の行き過ぎと考えるか或いは企業活動の本質 的要因と見るかで自ずと事情は変わるであろう。  戦後の日本経済の驚異的な復興と発展は各企業の生き残りをかけた長年の業績主義ないし営利第一主義の結果であ り、企業人全体が不眠不休で利潤を追及してきた成果でもある。各企業は利潤以外のあらゆるものを犠牲とし、例え ば従業員の健康や処遇・その家族と生活・消費者や環境等で、その結果が家庭内暴力と家庭破壊・過労死や多くの職 業病・ノイローゼ症候群等を内に生ぜしめている。他方フロン・PCB・ダイオキシン・六価クロム・カドミウム・ テトラクロロエチレン等の有害有毒物質を作出しまた産業廃棄物の海洋投棄或いは埋め立てや焼却に伴う加害、そし て周囲の生活環境を汚染し多くの人命と健康を害し被害者を長年苦しめたのは四大公害訴訟はじめカネミ油症・スモ ン訴訟・サリドマイド禍等多くを数えうるが、更に被害は岡様に発生し今後も継続するであろうしそれは国内のみな らず国外への公害輸出として非難されつつある。その結果が海洋を汚濁させ土壌や空気や水資源さえも汚染し、まさ に地球環境の破壊や汚染をもたらした先進諸国の一員としてその最先端を担う企業の自覚のもとに責任を負担すべき 時である。周囲の住民や一般利用者のみならず自然をも犠牲として成り立ってきた企業活動とその展開を見直し、こ こにおいて過去への反省こそが大切で、これこそ企業の将来の存続の前提であり、危険な製晶や物資を市場に供し人     東 洋 法 学       七七

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    懲罰的損害賠償論       七八 身や環境に被害をもたらす企業活動の抑止の必要性は、先にも見たバルディ⋮ズの原則がやがて世界の常識となる ルールであろう事の予測からも不可欠と思われる。  今臼までの企業の論理はまさに利潤の追及であり弱者切り捨ての強者の論理であり、それなくしては確かに存在が 危ぶまれると考えられてきたし、国家も国民も経済効果と効用のメリットから黙認し忍従してきた側面があろう。確 かに戦後の混乱を思えば豊かで便利で幸多き望まれた時代かも知れないが、他面失くしてしまったものの大きさにも 気付くべき時である。豊かすぎる日常で、食品一つ見ても多彩で豊富な品揃えと鮮度の良いめずらしい多様な商品の 濫れ返える市場は、世界の中でも多くの例はあるまい。  その反面、農薬・添加物・消毒薬・防腐剤・着色料・その他各種の薬品等による人体への影響や複合汚染の警鐘さ え無視した結果多発する子供のゼンソクとアレルギ⋮或いは母体への悪影響が広がり、最近では大阪で母乳からダ イオキシンが発見され、また羊水まで変色汚濁し胎児の酸欠状態やビタミン過多等で奇形や幼児アレルギーの心配さ えある。  無農薬・無消毒・無添加の自然の食晶など都会では望むべくもないとしても、せめて危険性の少ない安全な食品や 製品を流通市場に置きえないのだろうか。それにも増して飲料水も空気さえも危険な程汚染しつつある現状をいかに 打破し、いかにして原状の回復に近づけるか或いは再生せしめるかの課題が、今後増々広がり深まりゆく危険性の回 避の最後の手段と言い得ようし、その為にこそこの懲罰的責任論が有用な事が明確となってきた。

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 ω①企業が自然人と異質で違った存在としての扱いの必要性は先に論証したが、それを前提にして自然人に危 険を与え害を及ぼす企業活動は、犯罪にも等しい反社会的行為である。また最近のアメリカでの傾向では、医療機器 で七〇%・産業機械自動車食晶医薬品で六〇%・消費者の製品の誤用で五〇%等で製造販売者の懲罰的責任を問われ   ハの  ている。  これらの危険な製品を市場に放置した責任は単に被害を受けた個人の法益を害するだけでなく、社会的利益やその 安全を脅かすものでもある。今後ますます活発となる企業行動に伴い強大化しその能力も多様化する企業にとって、 それだけ危険をも拡散し人や自然を害する恐れが十分にあり、その抑止のためにも加害企業への懲罰は不可欠である。 そして報償責任でもみられるように資金の点でも、また危険を分散し価格や保険でコントロールしうる立場にある点 でも、企業の負担が結果的な妥当性をも持つ事となる。  仮に金銭で償ってもそれが原状に回復しえない以上は本来の償いではないのであり、失った生命はもはや再生しえ ない如く、一度汚濁した海は元に戻しえずこの海こそ次世代を含めた公共物であり世界の貴重な資源としていくたの 生命の源でもあれば、産業廃棄物や有害物質を投棄し河川に廃液を流した責任の重さを自覚すべきである。このよう に企業にとっての償いとしての金銭賠償は軽度の償いであり制裁なのである。それ故最近主張されている二倍額・三 倍額の懲罰金では無意味となるのはその抑止的効果のない点と懲罰的意義が少なくなり、被害の状況や内容に応じた 賠償額を定める事こそ本来の懲罰賠償の姿である。  ②民法は私法の原則法であり私権の基本的利益を守るところにその使命があって、財産権はもとより生命及び身     東 洋 法 学       七九

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    懲罰的損害賠償論      八○ 体の安全や自由等あらゆる私法上の基本となる権利や利益の保護救済のための法である。ところで通説・判例に従え ば現行民法では不法行為をなし損害を与えても、結果的に裁判上敗訴となってから損害賠償金を支払えば良いとし、 それも保険でまかないうるとなれば、まさに欠陥製晶の売り得となり不法行為を助長する事になりはしないかという 事になる。仮にこの解釈が正しいとしても何故立法府は修正しようとしないのか、また不可欠とされる製造物責任法 の制定にも未だ着手せず、いずれにせよ法の論理としては許されぬ点である。すなわち、加害行為があり被害が生じ た場合に、その被害の拡散を差し止る事が先決であり或いは可能な限り被害の生じなかったように原状に回復せしめ る事が前提である。これらの差止や原状回復の責任を認めず、企業にとって全く簡便な金銭賠償で全て解決するとし てきた民法の解釈は、解釈の誤りか法の欠陥かはともかく、公害を多発させ欠陥製品を市場に放置し薬害で多くの被 害者を長期にわたって苦しめてきた最大の原因ではなかろうか。可能な救済手段のある限り例えば六価クロムの土壌 汚染では六価クロムの除去により原状回復も可能であるし、PCB・ダイオキシン・トリクロロエチレン等の回収や 化学的に分解・解毒も不可能ではあるまいしまた製品のリコールによる修理等、差止請求や原状回復請求をぜひ活用      ハ  すべきである。  ③この懲罰的損害賠償責任の本質は、加害企業が単に被害者個人の利益を害した結果に対する責任であるだけで なく、社会的利益や公共的法益への侵害に対する責任の分担であり負担にある。既にこの事について述べた様に被害 状況に応じた無限の責任を加害企業が負担するのは右の損害賠償も含まれるからであり、その意味で懲罰賠償金の全 額を現在の被害者である原告に引渡すのではなく、%∼%は将来の被害防止ないし加害状況除去の資金として仮に地

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域の公共団体なり製造物被害者救済財団等に留保して必要に応じた配分をする事を考えるべきである。  なぜなら例えば今後は二重船底を義務付けられ大きな欠陥船による事故も減少するかと思われるが、仮にバルデ ィーズ号の如き被害を生ぜしめた場合には次のような問題の解決とその資金が必要となる。↑0沿岸魚民や直接の被害 者への損害填補・回流出した原油の回収と分解作業・の将来にわたっての海洋汚染の除去・口海洋生物への影響や状 況回復の為の調査研究資金等おおざっぱにみても直接的な被害者への賠償以外の必要な資金として、公共的利益の回 復や次の世代への責任の分担を含めた費用が必要となるであろう。従来は目先の被害者救済と損害填補で済まされて しまいその周辺に生じていた損害や将来における被害なりは無視されてきたわけであり、それを補うためにもこの懲 罰的損害賠償が有効であって、これこそ広い意味での被害者救済に止まらず地球環境の汚染や破壊を防止する有用な 役割を果す事になると共に、実質的に国家や地域が負担しきれない資金としてのストックにも役立つ事となるもので ある。  更に重要な点は、加害者としてその損害賠償を支払いうる企業の場合は被害者の救済も可能となるが、次のような 場合の考慮が必要である。↑の被害者が多数となり高額な賠償金で企業に支払う能力が欠ける場合・@勝訴した時点で すでに企業が倒産している場合・の損害保険等による支払の限度等制限があり企業が支払いえない場合・口国家公共 団体による救援なり救済の出来ない場合等で、これらに必要な資金のストックが不可欠なのである。  特にこの懲罰賠償責任の正当な根拠は、これが民事制裁としての民事罰に十分該当しうる事である。すなわち公法 上の刑事罰は国家社会に対する犯罪等として公権力による制裁を科されるものであり、犯罪者への制裁と犯罰の抑止     東 洋 法 学       八一

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     懲罰的損害賠償論      八二 等に役立つものである。しかしそこには被害者への救済と特に一地域なり一部集団の救済とその資金について定めは なく、その部分は民事責任として扱われる分野となり、この点からも民事制裁ないし民事罰としての懲罰的損害賠償 の妥当性と根拠が証明される事となる。以上のようにいくつかの提言をしてきたが、無過失責任と懲罰的損害賠償を 導入し現実的な被害者救済を目指した、製造物責任法の一鷺も早い成立を期するのみである。 ︵狛︶安田総合研究所﹁製造物責任対策﹂一六頁 ︵20︶拙稿﹁不法行為における原状回復的救済論﹂東洋法学二四巻㎜号  ︹主要参考文献︺   安園総合研究所﹁製造物責任﹂・山口正久﹁欧米の製造物責任﹂・土井輝生﹁アメリカ製鑓聖員任法﹂・同■フロダクト・ラ  イアビリティ﹂・掛井健﹁製造物責任の研究﹂・現代損害賠償法講座四﹁医療事故・製造物責任﹂・平野裕之﹁製造物責任の  理論と法解釈﹂  ご、ミ ,菊○ぴ①誘8る欝一‘○霧のωき傷罵伽8目難ω8↓○旨ω︵るo 。④︶ 冒鼠Ω譲の邑pαQ︶び睾○︷↓○誘︶臣る斜︵欝o Qα︶ ㎏○夢鍔蜜。篇8馳ビののρG oO一江おΦ鮮○○纂篤gい婁営汝○留3ω○鼠Φ蔓毘&︸︵るo 。○︶

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