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処分性拡大論に関する一考察―形式的行政処分論と相対的行政処分論を中心に― 利用統計を見る

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処分性拡大論に関する一考察―形式的行政処分論と

相対的行政処分論を中心に―

著者

高木 英行

著者別名

Takagi Hideyuki

雑誌名

東洋法学

56

3

ページ

1-55

発行年

2013-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004099/

(2)

第一章   はじめに   「処 分 性」 と は、 「行 政 活 動」 の 抗 告 訴 訟 (取 消 訴 訟 等) 対 象 適 格 性 を 問 う、 行 政 事 件 訴 訟 法 (以 下「行 訴 法」 ) の 〈訴 訟 要 件〉 問 題 で あ る (行 訴 法 三 条 二 項) 。 処 分 性 は、 「当 事 者」 の 抗 告 訴 訟 対 象 適 格 性 を 問 う 訴 訟 要 件、 「原 告 適 格」 問題 (同法九条) と並んで、 《行政救済法》 の判例学説上、 長年にわたり論じられてきた解釈問題である。 もっ とも処分性は《行政法総論》の問題にも関わる。というのも伝統的な処分性の考え方によると、処分性の認められ る行政活動とは、行政法総論でいう「行政行為」のこととされてきたからであ ( 1) る 。この「処分性公式」に従えば、 行政行為以外の行政活動、例えば行政計画、行政立法、行政指導等には処分性が認められないこととなる。実際に も判例では、同公式が厳格に解釈適用され、抗告訴訟が不適法とされる傾向にあっ ( 2) た 。   しかし二〇〇四年行訴法改正前後から、最高裁は処分性を拡大的に解釈し、従来なら処分性を認めなかったよう 《 論    説 》

処分性拡大論に関する一考察

形式的行政処分論と相対的行政処分論を中心に

 

  

 

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な行政活動についてまでも処分性を認めてきている。これら「処分性拡大判 ( 3) 例 」をめぐっては賛否両論があ ( 4) る 。し かし筆者は、賛否はさて置き、処分性拡大判例が「判例法理」としてどのように一貫して理解しうるのかといった “解 釈 論 的 な” 問 題 意 識 の ほ か に も、 こ の 判 例 法 理 の 背 景 に は「行 政 行 為」 概 念 に 関 わ る い か な る 含 意 が あ る の か と い う“理 論 的 な” 問 題 意 識 に 立 っ て、 一 連 の 研 究 を お こ な っ て き 5) た 。 と い う の も、 処 分 性 拡 大 判 例 が'常 態 化' し て い る 今 日 の 状 況 下 で は、 賛 否 両 論 を 越 え、 あ る い は、 賛 否 両 論 の 前 提 と し て、 〈処 分 性 拡 大 判 例 を 行 政 法 学 と して解釈論的・理論的にいかに理解すべきか〉という見地からの《内在的な》研究が必要なのではないかと考える からである。   もっとも近時の処分性拡大判例以前にも、処分性拡大を志向する'学説'があっ ( 6) た 。本稿はこれら「処分性拡大 論」 を 再 考 し、 あ る べ き 処 分 性 論 構 築 に 向 け た 一 定 の《準 備 作 業》 を 行 う こ と を 目 的 と す る。 具 体 的 に は、 一 九 七 〇 年 代 頃 か ら 本 格 化 し て き た「形 式 的 行 政 処 分」 論 と、 一 九 八 〇 年 代 頃 か ら 展 開 し て き た「相 対 的 行 政 処 分」 論 と い う 二 つ の 代 表 的 な 処 分 性 拡 大 論 (以 下 併 せ て「両 拡 大 論」 ) を 中 心 に、 議 論 内 容 や 賛 否 両 論 を 整 理 検 討 す ることによって、論争の対立点を明らかにし、またその到達点を確認する。そしてこの確認を足掛かりに、今日の 判例状況からみた両拡大論の課題点を探ることとしたい。   かくして本稿は、両拡大論へと考察対象を限定する関係から、例えば一九六〇年代頃の「事実行為」の処分性を めぐる論 ( 7) 争 、また近時の処分性拡大論争に関して考察しない。ゆえに処分性拡大論の系譜を探るという問題意識か らは、中途半端な考察となる。さらに処分性拡大と当事者訴訟活用とは「表裏」の形で議論されてきた経緯がある とこ ( 8) ろ 、本稿は後者に関して考察しない。ゆえに処分性拡大を訴訟類型論の見地から論ずる問題意識からは、中途 半端な考察となる。

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  以 上 本 稿 は、 「処 分 性 拡 大」 を め ぐ っ て 今 日 検 討 が 求 め ら れ て い る 全 体 的 な 問 題 領 域 か ら す れ ば、 極 め て 限 定 さ れた問題を考察するにすぎない。しかしあえてこのような限定を施すことを通じて、戦後の処分性論争の中でもと りわけ重要な位置を占めてきた両拡大論の今日的意義が、処分性拡大判例との関係において、より明確に浮かび上 がるように思う。以下第二章で形式的行政処分論、第三章で相対的行政処分論を検討する。第四章では以上の考察 結果を踏まえ、両拡大論をめぐる対立点、到達点、課題点を確認するとともに、処分性拡大判例との関連性をも浮 き彫りにし、今後の研究課題を指摘する。 第二章   形式的行政処分論   本章では形式的行政処分論争につき、代表論者たる原田尚彦氏の所説を中心に賛否両論を分析する。 第一節   原田尚彦説   本節では原田「形式的行政処分」論に関して、第一項において、比較的初期のまとまった研究である「抗告訴訟 の 対 象 に つ い て ―― 処 分 性 の 拡 大 要 因 と 縮 小 要 因 ――」 (初 出 一 九 七 一 9) 年) 論 文 に つ い て、 本 稿 の 観 点 か ら 整 理 紹 介 する。また本論文以降、原田氏は自説を大きく修正していないが、確認のため、第二項において、本稿執筆時点で 入 手 し え た 同 氏 教 科 書 最 新 版『行 政 法 要 論[全 訂 第 七 版 補 訂 二 版] 』 (二 〇 一 二 年) の 関 連 記 述 を も 整 理 紹 介 す る。 第三項では原田説の特徴を分析する。

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第一項   「抗告訴訟の対象について」   まず原田氏は、 「権利」でなくとも「法律上保護された利益」と言えれば原告適格を認める緩和動 ( 10) 向 に、 「取消訴 訟 の 救 済 機 能 の 拡 大」 を 見 て と る。 そ し て 取 消 訴 訟 の 救 済 機 能 を 重 視 す る な ら、 「行 政 行 為」 で な く と も「国 民 の 利害に重大な係わりをもつ行政庁の権力的行為」であれば、訴訟の現実として処分性を認め抗告訴訟の対象に組み 入れざるをえ ( 11) ず 、処分性も原告適格や狭義の訴えの利益との「三位一体」の関係をなし ( 12) て 拡大していかざるをえな いとする。実際にも下級審裁判例のなかで、本来は行政行為と言えないものの処分性を肯定した事 ( 13) 例 が見受けられ るという。   しかし従来の判例は、行政行為に準ずる権力的な公役務活動の処分性を肯定するにとどまるところ、さらに緩和 すべきとする。というのも、福祉国家時代の国民生活において適法性が問題になるのは、契約、行政指導、事実行 為といった「非権力的な行政活動」をめぐってであり、その違法性の追求・是正をはかるためには、契約の履行強 制 や 損 害 賠 償 の 請 求 を 予 定 し て つ く ら れ た「民 事 訴 訟」 や「当 事 者 訴 訟」 よ り も、 「抗 告 訴 訟」 の ほ う が 実 効 的 な ことが多いからである。   ま た 諸 外 国 で も、 「分 離 し う べ き 行 為 の 理 論」 (フ ラ ン 14) ス) や「二 段 階 説」 (ド イ 15) ツ) が あ り、 非 権 力 的 行 政 過 程 の 裁 判 統 制 を は か る た め、 そ の 過 程 に あ る 権 力 的 要 素 を 持 つ 部 分 を 抽 出 し、 そ れ を 行 政 行 為 と 擬 制 し て 抗 告 訴 訟 (越 権 訴 訟) の 対 象 と す る こ と を 挙 げ 16) る 。 た だ し 原 田 氏 は、 両 議 論 に つ き「あ ま り に も 技 巧 的」 と 評 価 す る 一 方、 「非 権 力 的 な 行 政 過 程 そ の も の」 の 処 分 性 を 肯 定 し た 国 立 歩 道 橋 事 件 (東 京 地 決 昭 和 四 五 年 一 〇 月 一 四 日 行 集 二 一 巻 一 〇 号 一 一 八 七 17) 頁) に つ い て は、 「事 物 の 本 質 を 直 視 し た 画 期 的 事 例」 で、 「こ れ か ら の 抗 告 訴 訟 の 救 済 機 能 を 方 向 づ け る」と高く評価す ( 18) る 。

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  しかし処分性拡大論に関しては、通説的見解から、拡大に伴って係争行為に公定力や不可争力といった権力的性 質が生じ、 国民にかえって不利益をもたらすとの批判があ ( 19) る 。 原田氏の反論を引用しよう (傍点は原文のまま) 。「抗 告 訴 訟 は 行 政 行 為 (= 行 政 庁 が 優 越 的 地 位 に 立 っ て 国 民 の 権 利 義 務 を 個 別 的 に 決 定 す る 行 為) に は、 実 体 法 上、 適 法 性 ないし有効性の推定が働くことを前提として、これに対する『抗告』手続として成立した。だが、このように抗告 訴訟制度が沿革的には権力的行為につかえる権力擁護の訴訟形式として発達したとしても、また、今日では取消訴 訟制度の存在が行政行為の公定力を支える唯一の実定法上の根拠であるとしても、いまやこれをできるだけ救済の 具として国民のために活用することを妨げるべき理由はない。なぜなら、公定力などの権力的徴表は行政の行為の 実体法上の客観的属性として認められるものであり、訴訟手続のうえで抗告訴訟の手続が利用されるか否かによっ て 作り出される 4 4 4 4 4 4 ものではないから、たまたま救済の便宜をはかるために行政行為以外の行政庁の行為が抗告訴訟の 対象とされたとしても、そのことによって本来公定力や不可争力をもたなかった行為が突然公定力などをともなう ことになるいわれはない。本来公定力のない行政の行為は、たとえ抗告訴訟の対象にされたとしても、それとは別 途に、本来の姿において通常の民事訴訟等の先決問題として、その違法即無効を主張しうべき性質が失われるもの で は な い は ず で あ る。 そ れ ゆ え、 (本 来 公 定 力 を と も な っ た) 行 政 行 為 に 対 す る 救 済 は、 抗 告 訴 訟 を 唯 一 排 他 的 な 訴 訟形式とせざるをえないが、行政行為以外の行為は、たとえ抗告訴訟の対象にされることはあっても、抗告訴訟を も っ て 排 他 的 な 訴 訟 形 態 と み る 必 要 は な い の で あ る」 。 こ の よ う に 原 田 氏 は、 処 分 性 の 拡 大 は 救 済 の 便 宜 か ら に す ぎず、公定力や不可争力は問題とならないとい ( 20) う 。   関連して原田氏は抗告訴訟の対象である「処分」を二つに区別す ( 21) る 。一方で、その「処分」のうち、公定力や不 可争力をもつ行為をとくに「行政行為」と呼び、これを厳格に概念規定する必要がある。他方で抗告訴訟の対象と

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なる「処分」の範囲は、関係人に救済を与えるに際し抗告訴訟の形式を選ぶのが適切か否かの見地に基づき、具体 的利益状況に応じ事案ごとに決すれば足りるとの考 ( 22) え から、処分概念は「いちおう“行政庁の一方的に実施する公 役務活動で、国民生活を他律的に規制するもの”と措定したうえで、抗告訴訟の“訴えの利益”ないし“争いの成 熟性”の一側面として、むしろ具体的妥当性を重んずる立場から救済の実効性を考慮して弾力的に考察すれば足り る」 。いわば“総論的”行政行為概念と“救済法的”行政処分概念との峻別である。   かくして原田氏は、処分性の拡大と抗告訴訟の活用を認めるのだが、他に有効で確実な救済が可能なら抗告訴訟 を認める必要がないし、また民事訴訟・当事者訴訟を身近に利用できるなら処分概念を厳格に解釈する余地も示唆 す 23) る 。すなわち「抗告訴訟の補足性」を強調するわけで、当事者訴訟や民事訴訟による救済を否定しな ( 24) い 。とはい え抗告訴訟の補足性が「平行訴訟禁止の原則」を導き出し、処分性の有無が微妙な行為形式について、抗告訴訟と 当事者訴訟・民事訴訟との間の選択をめぐり原告市民に不利益が生じるおそれがあるとし、訴訟類型に関して原告 市民の自由選択による解決を示唆する。 第二項   『行政法要論』   処 分 性 公 式 に 対 抗 す る 考 え 方 と し て 次 の よ う に 論 ず 25) る 。「取 消 訴 訟 は た し か に 沿 革 上 は 行 政 行 為 の 公 定 力 を 否 認 するいわば上訴類似の制度として誕生した。よって、公定力をともなう『行政行為』は取消訴訟の排他的管轄に属 し、取消訴訟によらなければその効力を否認することができない。しかし、今日、取消訴訟の働きを行政行為の公 定 力 を 否 認 す る だ け に 限 定 す る 必 要 は な い。 取 消 訴 訟 を 違 法 な 公 行 政 の 活 動 か ら 国 民 生 活 を 擁 護 す る 道 具 (救 済 手 段) と し て 活 用 す る 道 が 開 か れ て も よ い と す る。 行 政 行 為 以 外 の (公 定 力 を と も な わ な い) 行 政 庁 の 行 為 で あ っ て

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も、それが実質的に国民生活を一方的に規律するものであり、かつ国民がこれにより現実に不利益を受け、または 受けるおそれがあるにかかわらず、民事訴訟その他の手続によっては救済が求めにくい場合には、これを取消訴訟 の対象に加えて争うことを認めるべきだというわけである。救済の必要性が存するかぎり柔軟に対応して、行政行 為 以 外 の そ れ 自 体 は 公 定 力 を も た な い 行 為 に も、 『処 分 性』 を 承 認 し 取 消 訴 訟 の 手 続 を 借 り て 争 う こ と を 認 め る べ きであるとの、こうした見方は取消訴訟を国民の実生活を擁護する道具として役立てようとする救済本位の訴訟観 に立つものといってよいであろう。 」   ま た、 「救 済 の 便 宜 の た め に、 必 要 が あ る 場 合 に は 行 政 行 為 以 外 の 行 為 に も 処 分 性 を 拡 大 し 取 消 訴 訟 の 利 用 を 認 め よ う と す る」 形 式 的 行 政 処 分 論 に よ り 生 じ う る 問 題 に 関 し て 次 の よ う に 論 ず る。 「形 式 的 行 政 処 分 は、 も と も と 権力性をもたない。救済の便宜のために、取消訴訟の手続を借りて争うことを許しても、それが当然に取消訴訟の 排 他 的 管 轄 に 服 す る こ と と な り、 公 定 力 や 不 可 争 力 と い っ た 実 体 法 上 の 効 力 を 帯 び る と み る べ き で は な い。 む ろ ん、取消訴訟を提起した原告は、いったん取消訴訟を選んだ以上、形式的行政処分に対しても終始取消訴訟の手続 に従って対応しなければならないけれども、それ以外の関係者は、取消訴訟以外の訴訟で形式的行政処分の違法= 無効を主張し権利保護を求めることができる。この点を確認しておけば、処分性の拡大は関係者に取消訴訟による 救済の途を開くだけのことで、国民の救済にマイナスの効果をもたらすとはいえない。 」 第三項   小括   原 田 説 の 特 徴 を い く つ か 挙 げ よ う。 ま ず ⒜ 行 政 処 分 は 行 政 行 為 よ り も 概 念 的 に 広 い と 理 解 し、 処 分 性 を 拡 大 す る。いわば「行政処分=行政行為」という処分性公式を明確に否定した上で成立している。また⒝形式的行政処分

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につき“行政庁の一方的に実施する公役務活動で、国民生活を他律的に規制するもの”等の定義を示すとはいえ、 その有無の判断を裁判所に広くゆだねる。この背景には、処分性解釈に当たって、⒞立法府の一律的な法制定では なく、裁判所の個別事案での法運用を重視する傾向があろ ( 26) う 。この点、原告適格等の他の論点でも見出される、原 田氏の一般的なスタンスのようにも思われ ( 27) る 。   加えて⒝⒞との関連で、⒟処分性につき行為の性質決定問題としてではなく、紛争の成熟性問題として議論する 傾 向 が あ る。 こ の 傾 向 の 実 定 法 的 背 景 に は、 処 分 性 を ⒠「公 権 力 の 行 使」 (行 訴 法 三 条) と の 関 係 で よ り も、 「法 律 上 の 争 訟」 (裁 判 所 法 三 条) と の 関 係 で 理 解 す る 意 識 が あ る よ う で あ る。 さ ら に ⒠ と も 関 連 し て、 ⒡ 処 分 性 と 原 告 適 格 と を「峻 別」 で は な く、 「融 合」 し て 解 釈 す る 特 徴 も 見 ら れ る。 原 告 適 格・ 処 分 性・ 狭 義 の 訴 え の 利 益 に 係 る 「三位一体説」であ ( 28) る 。   さらに⒢処分性を拡大し抗告訴訟の活用を主張するが、だからと言って当事者訴訟の利用に消極的なわけではな い。原田説の眼目は⒣訴訟類型の排他的運用ではなく、融通的運用であ ( 29) る 。ただしこの点、当事者訴訟のあり方を 含めさらに検討する必要があるので、本稿ではこれ以上検討しない。他方本稿では、⒣の前提である、⒤処分性を 拡大しても排他的管轄は適用されないとの議論に注目する。この点学説の議論を踏まえた上で検討しよ ( 30) う 。 第二節   学説の議論   以下原田説と親和的な議論を「積極説」と、批判的な議論を「消極説」と称し、代表的な議論を中心に整理検討 する。

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第一項   積極説 一.事実的効果   ま ず 兼 子 仁 31) 氏 は、 「取 消 訴 訟 の 救 済 本 位 的 活 用」 を 掲 げ、 処 分 性 の 有 無 は、 法 律 上 不 服 申 立 て 規 定 が 定 め ら れ て い る よ う な 場 合 を 除 い て、 「法 律 の 規 定 以 外 に 条 理 解 釈 に よ っ て 決 め る ほ か な く、 そ の 場 合 に は、 当 該 行 為 の 性 質・効果のほか、取消訴訟制度の目的・性質、さらには司法裁判による国民の権利保障原理をも十分に考慮」すべ きと主張す ( 32) る 。また取消訴訟の対象たる「行政庁の処分」には、 「実体的行政処分 (=行政行 ( 33) 為) 」と、 「もっぱら救 済の必要上から取消訴訟の対象」とされる「形式的行政処分」とが含まれ、公権力の行使の実体を備える前者は公 定力をもち、それゆえ取消訴訟の排他的管轄に服するとい ( 34) う 。   こ れ に 対 し 後 者 に つ き い わ く。 「形 式 的 行 政 処 分 は、 厳 密 に 前 記 の 実 体 的 行 政 処 分 の 要 素 を 備 え て は お ら ず、 と りわけ公権力行使の実体を欠いている行政の行為でありながら、広く利害関係者がその法益救済のために行政機関 の行為を直接に捉えて対世的な是正判決を求めうるという利点をもつ取消訴訟の活用を認める際に、もっぱら救済 の 必 要 上 か ら 取 消 訴 訟 に か か る『行 政 処 分』 『公 権 力 の 行 使』 と い う 法 制 度 的 形 式 に 該 当 す る こ と が 肯 認 さ れ た も のである。したがってこの形式的行政処分に対しては、訴えの利益をもつ国民が取消訴訟・執行停止申請の手続に よって救済をうけようとすることができるが、原則として、実体的行政処分のごとく公定力および不可争力を伴な わないので、この救済方式を利用せず、仮処分をふくむ民事訴訟等を選択して法益主張をしようとすることも許さ れる。つまりここでは取消訴訟は、欲する者に行政処分の取消しによる救済の可能性をもたらす、排他性のないプ ラス・アルファー的訴訟形態となるが、このようなしくみが、現行行訴法上の『処分の取消しの訴え』の解釈とし て可能かつ必要となってきているのであ ( 35) る 。」

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  かくて兼子説は、原田説同様、行政処分と行政行為の概念的区別を前提とし、また行政行為に当たらない行政処 分 (形 式 的 行 政 処 分) に は 排 他 的 管 轄 を 及 ぼ さ な い と す る。 た だ し 兼 子 説 は、 「形 式 的 行 政 処 分 の 概 念 要 素」 を 検 討 し、 そ の 定 義 を 明 確 化 す る。 す な わ ち 形 式 的 行 政 処 分 と は、 「行 政 機 関 な い し そ れ に 準 ず る 者 の 行 為 が、 公 権 力 行 使の実体をもたないが、一定の行政目的のために、国民個人の法益に対し、継続的に、事実上の支配力を及ぼす場 合に、関係国民が抗告争訟の対象とすることを欲しているもの」であ ( 36) る 。この点、形式的行政処分が処分性公式の 前 提 と す る 係 争 行 為 の「法 的 効 果」 で は な く、 「事 実 的 効 果」 に 着 目 し て 処 分 性 を 拡 大 す る 議 論 で あ る こ と を 明 確 化するととも ( 37) に 、形式的行政処分の有無につき予測可能性がないとの批判への応答を試みるものであろ ( 38) う 。さらに 原告市民が取消訴訟を選択した場合、原田説では取消訴訟により争わねばならないが、兼子説では別途民事訴訟等 の選択も可能とす ( 39) る 。原告市民へのメリット面で兼子説は原田説をさらに進めるものといえよう。 二.法律行為 ≒行政行為 ≠行政処分   つぎに山村恒年 ( 40) 氏 は、行政行為概念が抗告訴訟の対象適格性を前提につくられながらも、民法の「法律行為」概 念に引きずられ「概念法学的な方向に構成」され、その結果生ずる不都合を行政処分という実定法概念でカバーす る た め に、 「純 粋 な 抗 告 訴 訟 の 目 的 論 的 見 地」 か ら 処 分 性 が 論 じ ら れ て き た こ と、 ま た こ の こ と か ら 行 政 行 為・ 行 政処分両概念間で、 「多分に理論の混乱が生じ、問題を紛糾させている状況にある」ことを指摘する。   その上で行政行為と行政処分との概念区別を主張し、処分性要件として法的効果を求めるのは民法や民事訴訟法 の要件・効果的発想に影響されたものと批判する。というのも、抗告訴訟の機能が違法性に関する紛争解決である 以上、処分性は「行政処分の適法性に関する紛争解決の客体としての適格性」であって、直接には法的効果の有無

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と は 関 係 し な い か ら で あ る。 さ ら に 山 村 氏 は、 「法 的 効 果 の 発 生 は も ち ろ ん、 事 実 上 の 効 果 さ え も 必 要 と さ れ な ( 41) い 」とし、 《行為形式》の「効果」として処分性を把握する姿勢そのものを退け ( 42) る 。   よ っ て「抗 告 訴 訟 の 対 象 と な る 行 政 処 分 は、 第 一 に、 行 政 権 の 行 使 と し て の 公 権 的 行 為 で あ り、 第 二 に、 そ れ が、 適 法 か 違 法 か の 判 断 の 可 能 な 行 為 で あ れ ば よ」 く、 「法 的 効 果 の 発 生 と か、 相 手 方 の 権 利 を 制 限、 侵 害 し、 義 務 を 課 す る 結 果 を 生 ず る こ と は、 行 政 処 分 の 意 義 要 件 と は な ら な い。 」 ま た「法 に 基 づ か な い 行 政 庁 の 行 為 で も、 そ れ が 権 力 的 に 発 動 さ れ る も の に つ い て は 行 政 処 分 と し て 抗 告 訴 訟 の 対 象 と な る と 解 す べ き」 で、 「行 政 処 分 は、 抗告訴訟における処分の違法性に関する紛争解決の適格性を有すれば足 ( 43) る 。」   かくして山村氏は、 「紛争解決の対象適格性」という一種の機能的見地に立脚し、 「行政処分とは、行政庁が、第 一次的判断権の主体として、行政の執行としてする一方的意思活動、および事実行為であると解すべき」と主張す る。 な お 排 他 的 管 轄 問 題 に つ い て は、 脚 注 の な か で、 「取 消 訴 訟 は 公 定 力 の 働 か な い 行 為 に つ い て も 可 能 で あ り、 それ以外の抗告訴訟は公定力と直接関係がない。従って、処分の範囲を広く解しても直ちに公定力を広く認めるこ とにはならな ( 44) い 。」と説明するにとどまる。   渡部吉隆 ( 45) 氏 も、法律行為由来の講学上の行政行為概念と、救済の見地から技術的に定められるべき訴訟法上の行 政処分概念とを区別す ( 46) る 。また処分性拡大が問題となる係争行為は民法の不法行為を形成せず、民事訴訟は問題と なりえないとして、排他的管轄拡大により民事訴訟選択ができなくなるとの「消極説」も、その消極説の前提に立 ち抗告訴訟・民事訴訟間選択を認める「積極説」もいずれも妥当でないとす ( 47) る 。ただしこの指摘については、行政 の 契 約 活 動 に 関 わ っ て 処 分 性 が 争 わ れ る 場 合 ―― 民 間 移 管 施 設 受 託 事 業 者 不 選 定 通 知 事 件 (最 判 平 成 二 三 年 六 月 一四日 :LEX/DB 25443473 ) 等――、民事訴訟の対象と判断されうることも踏まえる必要もあろう。

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  以 上 両 説 と も「形 式 的 行 政 処 分」 論 と 明 示 的 に 主 張 す る わ け で は な い が、 行 政 行 為 と 行 政 処 分 の 区 別 を 前 提 と し、後者に関しては法的効果に拘泥せず、個別事件の救済の見地から緩やかに処分性を認める点で「形式的行政処 分」論に類縁する。とはいえ両説は、処分性公式に関して、行政処分概念の基本枠組みにまで遡って批判を展開す る点 ( 48) で 、原田・兼子説とは別角度から注目すべき問題提起をしてい ( 49) る 。また機能的見地に基づき処分性を解釈する スタン ( 50) ス は「相対的行政処分」論にもつながる。 第二項   消極説 一.議論内在的批判   塩 野 宏 51) 氏 は、 形 式 的 行 政 行 為 (行 政 処 分) と い っ て も 様 々 な 用 語 法 が あ る と し、 各 学 説 を 論 評 す 52) る 。 ま ず 原 田 説 に つ い て、 「取 消 訴 訟 以 外 の 方 法 で は 適 切 な 救 済 が 与 え ら れ な い 場 合 に 処 分 性 を 認 め る と き に、 そ の 処 分 性 を 認 め られた行為を形式的行政処分と名付ける例」とした上で、 「アプローチの方法としては可能」だが、 「解釈論上は端 的 に 行 政 行 為 (処 分) と し て 取 消 訴 訟 の 対 象 と す れ ば よ く、 形 式 的 行 政 行 為 観 念 を 用 い る ま で も な い」 と す 53) る 。 こ の 点、 行 政 処 分 と 行 政 行 為 の 概 念 的 峻 別 を 基 礎 に 処 分 性 拡 大 を 論 じ る 原 田 説 へ の 批 判 で あ る と と も に、 「行 政 行 為」概念を堅持したままでの、換言すれば「処分性公式」を維持した上での処分性拡大の余地を示唆す ( 54) る 。また取 消 訴 訟 以 外 の 訴 訟 を 排 除 し な い こ と も、 「行 政 の 行 為 に よ っ て 生 ず る と さ れ る 不 利 益 が 民 事 訴 訟 の 方 法 に よ っ て も 救済されないときに[…]形式的行政処分の観念が機能するのであるから、民事訴訟の場における形式的行政処分 の存在を語る余地はないように思われる (取消訴訟の活用を民事訴訟の利用が可能な場合にまで拡大すれば別である) 。」 とする。この点、原田説が処分性拡大の「補充性」――他に「適当な」訴訟方法があるか――を前提に論じること

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を受けての指摘といえようが、原田氏と塩野氏とでは想定する「補充性」の厳格度合いに認識の相違があるものと 思われる。   つぎに塩野氏は、兼子説を「制定法上行政行為が選択された場合でも、形式的行政行為は公権力の実体がないか ら、公定力、不可争力を有しないので、取消訴訟、民事訴訟のいずれも可能であるという具合に用いられる場合」 と し た 上 で 批 判 す る。 「法 律 が あ え て 行 政 行 為 と い う 道 具 を 採 用 し た 以 上、 こ れ に 公 定 力、 不 可 争 力 を 否 定 す る こ と は、 立 法 者 意 思 を 無 に す る こ と に な る の で、 解 釈 論 と し て は 無 理 で あ ろ 55) う 。」 こ れ は、 兼 子 説 の「法 定」 形 式 的 行政処分 ( 56) 論 につき、立法者意思の観点から、その排他的管轄不適用論の難点を指摘するものと言えよ ( 57) う 。   そ の ほ か 塩 野 氏 は 全 般 的 に 懐 疑 的 な 指 摘 を す 58) る 。 例 え ば、 「形 式 的 行 政 処 分 概 念 は、 道 具 概 念 と い う よ り は、 解 釈 的 操 作 の 結 果 の 命 名 の 問 題 と み る べ き か も し れ な い。 」、 「形 式 的 行 政 処 分 論 は 現 在 は 認 識 よ り も 実 践 と い う 気 分 が濃い」 、「法律が処分性を与えていると解される場合にも形式的行政処分ということから別訴を認めるのは、価値 追求が先行しすぎてはいないか。他方、取消訴訟の対象の拡大は当該行為に対する他の救済手段のありかたを考慮 し つ つ 検 討 さ れ る べ き 問 題 で あ る。 」 等 で あ る。 か く し て 塩 野 氏 は、 場 合 に よ っ て は、 処 分 性 を 拡 大 し て 抗 告 訴 訟 を通じた権利救済をはかるこ ( 59) と 、またそれに付随して処分性を拡大しても排他的管轄の適用を認めないこ ( 60) と に対し ては否定しないものの、形式的行政処分論の〈議論のあり方〉は問題視するようである。 二.通説的枠組みからの批判   越山安久 ( 61) 氏 は、処分性公式に立脚する通説の立場を、形式的行政処分論との対比のもと明らかにしていく。まず 同氏は、いかなる行政庁の行為に公定力が認められるかは立法政策の問題として、立法者意思を重視す ( 62) る 。その上

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で 公 定 力 が 実 定 法 の 解 釈 問 題 で あ る 以 上、 「行 政 庁 の 行 為 が 本 質 的 に は 非 権 力 的 な も の で あ っ て も、 法 律 が 行 政 庁 の行為に公定力を付与していると認めることができるのであれば、それは公権力の行使にあたる行為として取消訴 訟の対象とすることができるのは当然であり、そのような場合には取消訴訟によってのみ争われるべき」とする。   ま た 形 式 的 行 政 処 分 論 が、 「実 定 法 の 解 釈 の 枠 を 超 え て、 本 来 非 権 力 的 な 行 為 で は あ る が 国 民 を 事 実 上 4 4 4 支 配 し そ の法益に重大な影響を与えるものについては救済の便宜をはかるためにこれを抗告訴訟の対象と見立てて取消訴訟 の 利 用 を 許 す と い う こ と で あ れ ば、 そ れ は、 も は や 解 釈 論 の 域 を 超 え た 立 法 論」 と 批 判 す る (傍 点 は 原 文 の ま ま) 。 さ ら に、 「行 政 過 程 を 一 体 と し て と ら え て こ れ を『処 分』 と 解 す る」 国 立 歩 道 橋 事 件 の「考 え 方 も、 そ の 意 欲 と 苦 心のほどは察することができるにしても、個々的にみて、公権力性の要素を見出すことができないものを一体的に 把 握 し た 場 合 に な ぜ 公 権 力 の 行 使 と 解 す る こ と が で き る よ う に な る の か の 理 論 的 な 説 明 が 明 確 で な い」 と 批 判 す る。   救 済 の 便 宜 か ら の 抗 告 訴 訟・ 当 事 者 訴 訟 併 用 論 に 関 し て も、 「一 般 に 訴 訟 法 の 上 で 同 一 事 項 に つ い て は 二 途 の 救 済手段は認められないのが原則」だから、処分性を拡大し取消訴訟の提起を認めるなら、民事訴訟又は当事者訴訟 の 利 用 は 認 め ら れ な い と す る の が「一 応 の 筋」 と す 63) る 。 同 じ く 三 位 一 体 説 に 対 し て も、 「三 者 は 相 互 に 密 接 に 関 連 するものであるが、訴えの対象の問題は、他の二者と異なりより一般的な形で、すなわち、当該訴訟だけでなく、 同様の取消訴訟すべてにおいてその対象として取り上げるに適するような性質の行為かという形であらわれる。こ れに対し、原告適格及び狭義の訴えの利益の問題は、まさに当該具体的訴訟において、訴えを提起した原告が訴え を提起するだけの適格を有しているか、また、当該事件において取消しを求めるだけの実益ないし必要があるかと いう個別的な形であらわれる」と批判す ( 64) る 。

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  さらに〈事実的効果〉に基づく処分性肯定に対しても、通説「の立場からすれば、ここにいう個人の権利又は法 律上の利益に対する『直接の影響』というのも、この公定力を通じての影響、すなわち、行政庁の行為の結果を国 民として一応受忍せざるをえず、その結果を民事訴訟又は当事者訴訟によって直接に排除することができないとい う効果を受けることによる影響であり」 、「単なる事実上の効果を及ぼすような性質をもつだけでは足りない」と批 判する。そして〈紛争解決の対象適格性〉を基準とする山村説に対しても、処分性のカテゴリカルな判断を強調す る文脈で批判す ( 65) る 。   以上越山説は、通説の立場から形式的行政処分論の内容を各個撃破的に反論し、その説得力も強 ( 66) い 。ただしその 批判は、あくまでも通説の枠組み内での説得力に過ぎず、給付行政における実効的な権利救済の必要性といった、 同 論 の 提 起 し た 本 質 的 問 題 に 対 67) し 、 越 山 氏 は い か に 応 え る の だ ろ う か。 こ の 点 以 下 の 指 摘 が 注 目 さ れ る。 「も し 実 務の方向が、原告適格について、差しあたって、法的利益救済説の枠付けを維持しながら、救済の必要な場合に実 体法の解釈の操作により侵害される利益を法律上保護された利益と認めていくという立場を維持して行くものとす れば、訴訟の対象についても、実定法が行政の行為に公権力性を付与していると認めうる場合に抗告訴訟の対象と す る こ と が で き る と い う 枠 組 を 維 持 し た う え で、 真 に 抗 告 訴 訟 に よ ら な け れ ば 救 済 の 実 が あ が ら な い と い う 場 合 に、実定法の解釈上公権力性を付与されていると解釈する手法によって抗告訴訟の対象とすることを認め、その場 合には抗告訴訟によってのみ争わせることとする、というのが差しあたって実務でとることのできる方向ではない か と 思 わ れ る。 」 こ の よ う に 越 山 氏 は、 処 分 性 拡 大 の 余 地 を 否 定 す る わ け で は な く、 む し ろ 処 分 性 公 式 の 枠 内 で、 か つ、 原 告 適 格 問 題 の よ う に 解 釈 論 の 精 緻 化 を 図 る こ と に よ っ 68) て 、 実 効 的 な 権 利 救 済 を 図 る ア プ ロ ー チ を 示 唆 す る。

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三.処分性拡大の代替策   さらに高木光氏の議論をみよ ( 69) う 。「原田教授の『訴えの利益論』 、兼子仁教授の『形式的行政処分論』は、取消訴 訟 の 拡 大 と 抗 告 訴 訟 の 対 象 の 拡 大 を 平 行 し て 説 く も の で あ り、 『行 政 行 為 な い し 行 政 処 分 概 念 の 拡 大』 ま た は『公 権力概念の拡大』を招くものである。そして、概念の拡大は必然的にその概念の内包の希薄化を招くものであるか ら、そのような解釈論は、結論の妥当性を確保しようとすればするほど、理論的整合性を犠牲にしなければならな い 運 命 に あ る。 救 済 の 便 宜 を 正 面 か ら 掲 げ、 『抗 告 訴 訟 と 民 事 訴 訟 の 原 告 に よ る 選 択』 を 認 め る 解 釈 論、 あ る い は 『形式的行政処分は公定力をもたない』という解釈論は、柔軟なだけに、 『解釈論の域を超えた立法論』という印象 を与えるのであ ( 70) る 。」   また高木氏は、大阪国際空港訴訟事 ( 71) 件 の「不可分一体論」を批判する原田 ( 72) 説 が、国立歩道橋事件に賛成すること を 批 判 す る。 「抗 告 訴 訟 の 対 象 の 拡 大 は、 公 権 力 概 念 の 拡 大 を 意 味 す る。 つ ま り 個 々 の 行 政 行 為 な い し 行 政 処 分 を なすという権限についてのみならず、全体としての行政作用の機能に着目しても『公権力の行使』が語りうること になる。この点では、皮肉なことに、裁判所による行政統制を拡充し権利救済に資することをめざした東京地裁の 国 立 歩 道 橋 事 件 決 定 も、 裁 判 所 に よ る 行 政 統 制 を 抑 制 し た 最 高 裁 判 所 の『不 可 分 一 体 論』 も 共 通 の 理 論 的 基 盤 に た っ て い る の で あ る。 こ の よ う に み る と、 筆 者 に は、 『行 政 行 為 の 権 力 性 に つ い て』 周 到 な 分 析 を 加 え 前 法 律 的 な 権 力 観 を 厳 し く 排 斥 し た 原 田 教 授 が、 国 立 歩 道 橋 事 件 決 定 に 賛 意 を 評 し て い た の は、 や や 大 局 観 に 欠 け る も の が あったように思われ ( 73) る 。」   さらに紛争解決の適格性に着目する山村説に対して ( 74) も 、「このような発想の難点は、 『処分性』のメルクマールか ら『法 的 効 果』 な い し『法 的 地 位 に 対 す る 影 響』 を 排 除 す る た め、 『権 利 保 護 の 利 益』 と い う 判 断 を ほ ぼ 常 に 別 途

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行 な わ ね ば な ら な く な る こ と で あ る。 つ ま り、 『処 分 性』 の 概 念 要 素 と し て、 最 高 裁 判 所 の 定 式 に お け る よ う に 『特殊な』 『法的効果』を要求するのであれば、ある行政作用の『処分性』が肯定されるとその作用がなされたとき は い わ ば 定 型 的 に『権 利 保 護 の 利 益』 が あ る こ と に な る。 『処 分 性』 概 念 を 限 定 す る 解 釈 論 は、 少 な く と も 取 消 訴 訟 に つ い て は、 個 別 的 事 案 ご と の『権 利 保 護 の 利 益』 の 判 断 と い う 作 業 の 相 当 部 分 を 不 要 と す る と い う 機 能、 『複 雑性縮減機能』を有している」と指摘する。そして山村説では個別判断が必要となり、また処分性拡大論一般にお いても、 「民事訴訟における『確認の利益』の判断におけるような多面的な検討、複雑な判断を、 『処分性があるか 否か』という判断として行うことになりかね」ず、複雑性縮減機能に反するという。   かくして高木氏は、形式的行政処分論による処分性拡大が「法的効果ではなく、事実的影響を基準にして『公権 力 の 行 使』 に あ た る か 否 か を 定 め な け れ ば な ら な 75) い 」 こ と、 そ の 結 果「 『行 政 行 為 論 の 負 担 過 重』 な い し『公 権 力 概 念 の 負 担 過 重』 を 招 く と い う 理 論 的 難 点 が あ 76) る 。」 こ と を 問 題 視 す 77) る 。 そ し て 同 氏 は、 「行 政 救 済 の 拡 充 は、 『概 括主義』の概念のもとで『訴えの利益』をできるだけひろく認め ( 78) る 」という形での抗告訴訟に依存した権利救済で はなく、むしろ「 『取消訴訟の対象』を『行政行為』=『行政処分』に限定し、 『抗告訴訟』を『行政行為』=『行 政処分』の作為不作為に関する訴訟と捉えるとき、 『法律上の争訟』ではあるが、 『抗告訴訟』に当てはまらないも の を、 『当 事 者 訴 訟』 又 は『民 事 訴 訟』 で ひ ろ い あ げ 79) る 」 と い う 形 で の 当 事 者 訴 訟 を 含 め た 権 利 救 済 を 語 る べ き と 主張す ( 80) る 。   以 上 高 木 説 は、 「行 政 行 為」 概 念 の 役 割 や あ る べ き「訴 訟 類 型」 論 を 念 頭 に 置 き つ つ、 形 式 的 行 政 処 分 論 を 批 判 す 81) る 。 越 山 説 が 通 説 の 枠 内 に 立 っ た 批 判 や 代 案 提 示 に と ど ま る に 対 し、 高 木 説 は 通 説 を 踏 ま え つ つ も、 「公 法 上 の 当事者訴訟の活用」論やそれを裏付ける「公法の復権」 ( 82) 論 を唱えながら、形式的行政処分論とは別の実効的な権利

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救済の方向性を解釈論的・法原理論的に提示した点に意義があろう。 四.文理解釈による転回   宮田三郎 ( 83) 氏 は、形式的行政処分論が判例にほとんど反映されず、不毛だったし、前途に光明を見いだせないと厳 しく批判す ( 84) る 。そして権利保護の便宜のために処分性を拡大する議論は、行政行為概念の著しい稀薄化・空洞化を もたらすので理論体系上好ましくない ( 85) し 、処分性を拡大しても必ずしも権利保護の拡張をもたらすものではないと して、取消訴訟の出訴期間の制約を示唆する。そこで宮田氏は、行政処分なければ権利保護なしという処分性拡大 論の発想から解放され、別の道を模索する必要があるという。具体的には、行訴法三条二項が取消訴訟の対象とし て「行 政 庁 の 処 分」 の ほ か、 「そ の 他 の 公 権 力 の 行 使 に 当 た る 行 為」 を 挙 げ て い る こ と に 着 目 す る。 た だ し こ の 規 定の立法経緯として、当初「事実行為」に処分性を認めることを念頭に置いていたが、その後の立法化に当たり、 行政行為と事実行為の区別の実際的困難さを理由に、曖昧な文言として定められてしまったことがある。しかし宮 田 氏 は、 こ の 規 定 に つ き、 「法 解 釈 と し て は、 行 政 処 分 以 外 の 公 権 力 的 行 政 措 置 に 対 す る 取 消 訴 訟 が 許 容 さ れ る 余 地が残っている」と理解する。   そして宮田氏は、この「公権力的行政措置」に含まれるものとして、行政計画や環境基準等の一般的・抽象的な 措置であって、インフォーマルな行政による法の設定とみられるもの、またごみ焼却場や空港の運営や操業に関す る 決 定 等、 行 政 が そ の 環 境 影 響 に つ き 責 任 を 負 う べ き 個 別 的・ 具 体 的 な 措 置 を 挙 げ る。 そ の 上 で、 「行 政 処 分 以 外 の 公 権 力 的 な 行 政 措 置 に 対 す る 取 消 訴 訟」 を、 取 消 訴 訟 と 民 事 訴 訟 の 中 間 に 位 置 づ け ら れ る、 独 立 か つ 非 定 型 な 「取消訴訟」と認知すべきと主張する。またこの種の「取消訴訟」に関しては、 「通常の取消訴訟」の出訴期間等が

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適 用 さ れ 86) ず 、 ま た 行 政 活 動 に つ き 処 分 性 の 有 無 が 疑 わ し い 場 合、 公 権 力 的 行 政 措 置 と の 推 定 が 働 く と の 示 唆 を す る。   か く て 宮 田 説 は、 行 訴 法 三 条 二 項 の「行 政 庁 の 処 分」 (行 政 行 為) 概 念 の 拡 大 で は な く ―― そ の 限 り で は 形 式 的 行 政 処 分 消 極 説 ――、 同 項 の「そ の 他 の 公 権 力 の 行 使 に 当 た る 行 為」 概 念 を 活 用 し、 実 質 的 な 処 分 性 拡 大 を 試 み る。最終的に取消訴訟に依拠する点では、当事者訴訟に代替を見いだす高木説とは異なり、むしろ取消訴訟に依拠 する形式的行政処分論と軌を一にする。ひるがえって、このような「文理解釈」でもって処分性拡大を受け止める 議論は、近時の処分性拡大論でも見られ ( 87) る 。この文理解釈論が、処分性拡大判例理解に際していかなる意義をもつ のか、仕組み解釈論との関係をも含め検討する必要がある。もっともこの点は今後の研究課題としたい。 第三節   若干の検討   以上積極説・消極説の大まかな展開を見てき ( 88) た 。もちろん両説内部で様々な議論の相違はある。ここではおおよ その対立点を整理しよう。まず積極説が行政処分概念を行政行為概念から区別して抗告訴訟の拡大をはかるのに対 し、消極説が両概念の一致を前提としつつ、それによって生ずる救済の欠如を民事訴訟や当事者訴訟の活用により カバーしようとする。つぎに積極説は、処分性に関し原告適格や狭義の訴えの利益と融合して考える「三位一体」 的理解に立つのに対 ( 89) し 、消極説は、原告適格や狭義の訴えの利益とは異なった、処分性のカテゴリカルな理解を重 視す ( 90) る 。   さらに処分性判断に当たり、積極説が個別事件での裁判所の創造的判断を重視するのに対し、消極説は立法者の 一 般 的 な 意 思 を 重 視 す る。 ま た 処 分 性 に つ き、 積 極 説 は「法 律 上 の 争 訟」 (と り わ け 紛 争 の 成 熟 性) 問 題 と 捉 え、 消

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極 説 は「公 権 力 の 行 使」 (と り わ け 行 為 の 性 質 決 定) 問 題 と 捉 え る。 そ し て、 積 極 説 が 処 分 性 解 釈 に 当 た っ て 係 争 行 為がおかれている「行政過程」を一体的に把握してそこに権力性を見いだす余地を認めるのに対し、消極説はあく までも係争行為の「行為形式」としての性質に権力性を見いだそうとす ( 91) る 。加えて、積極説が係争行為の「事実的 効果」――より漠然とした事実上の不利益な影響も含め――をもって処分性を肯定するのに対し、消極説はあくま でも係争行為がもたらす法的地位の変動効果、すなわち「法的効果」の存在をもって処分性を肯定する。   以上の議論対立は、処分性拡大に係る'要件'面での議論である。この面では、処分性問題をいかに捉えるかの 点で根本的な議論対立があり、現時点でどちらに説得力があるのか評価困難である。しかし他方で、処分性拡大に 係る'効果'面での議論、とくに処分性拡大に伴って排他的管轄の適用も拡大すべきか否かをめぐる議論対立に関 しては、必ずしも評価困難ではない。というのもこの議論に関しては、今日、形式的行政処分論の問題意識は評価 しつつも、その解釈論的構成を問題視する見 ( 92) 解 が見出されるように、やはり消極説に説得力があるように思われる からである。   例えば原田氏は、ある文 ( 93) 献 において、形式的行政処分論を「論理的誤り」とする批判――具体的には「ある行為 が取消訴訟の対象となる以上は、その反射的効果として公定力のような効力を帯有することになると考えざるをえ ない。したがって、取消訴訟の対象と認めておきながらも、公定力や不可争力を帯びない、いわゆる形式的行政処 分のようなものの存在を認めることは、論理的にいって承認しがたい」という批判――に対し、以下のように反論 している。   公定力等の効力が「取消訴訟制度の存在によって支えられていると解することに賛成であるが、しかし、そのこ とから、ただちに取消訴訟の対象とされる『処分』には、すべて公定力等が付着しなければならないといった逆命

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題が、論理必然的に導き出されてくるとはいえない」 、「かりに救済の便宜を期して、形式的行政処分を肯認しこれ を取消訴訟の手続をかりて争うことを認めるとしても、形式的行政処分を取消訴訟の排他的管轄としなければなら ないとする論理的必然性は認められない。取消訴訟の対象としつつも、その排他的管轄から外しておくという選択 も、 論 理 的 に は 十 分 可 能 だ か ら で あ る。 」、 「取 消 訴 訟 の 存 在 が 行 政 行 為 に 公 定 力 等 を 認 め る 法 的 根 拠 で あ る と 理 解 しても、そのことからただちに、取消訴訟の対象となる『処分』はすべて公定力や不可争力を帯びなければならぬ と速断し、形式的行政処分の論理的存立可能性をいっさい否認してかかるのは、いささか短絡した議論であるよう におもわれる」 、「筆者は、形式的行政処分を承認することは、体系美学のうえからみて適当でないとする議論はあ りえてよいとおもうが、その成立を論理的に不能とみるのは、非論理的であると考えている。 」   も っ と も 以 上 の 反 論 の 具 体 的 論 拠 と し て 原 田 氏 が 挙 げ る の は、 フ ラ ン ス で は 規 範 的 行 政 行 為 (行 政 立 法) の 違 法 につき越権訴訟で争えるばかりでなく、その出訴期間経過後であっても適法性審査訴訟によりその無効を主張しう る と の 外 国 法 紹 介 の み で あ 94) る 。 し か し こ の 紹 介 に よ っ て、 わ が 国 の 法 制 度 に お い て、 ど の よ う な 論 理 で も っ て、 《形 式 的 行 政 処 分 を 認 め て も 排 他 的 管 轄 が 適 用 さ れ な い こ と》 が 正 当 化 さ れ う る の か ま で は 具 体 的 に 述 べ ら れ て い な い。 仮 に こ の 紹 介 を 通 じ、 「取 消 訴 訟 の 対 象 と し つ つ も、 そ の 排 他 的 管 轄 か ら 外 し て お く と い う 選 択 も、 論 理 的 には十分可能」との命 ( 95) 題 が論証できるとの立場に立ったとしても、その選択を しなければならない 4 4 4 4 4 4 4 4 4 との命題を導く のは、日本の法制度を踏まえた上での別途の論証が必要となるのではない ( 96) か 。   とはいえ原田氏としては、 「救済の便宜」を論拠に、この点の論証も可能との考えかもしれない。しかしそうす る と、 《処 分 性》 の 拡 大 も「救 済 の 便 宜」 か ら 行 な 97) い 、 そ の 付 随 問 題 た る《排 他 的 管 轄》 の 不 適 用 も、 「救 済 の 便 宜」から正当化するということになろう。しかしこのような〈便宜に便宜を重ねる〉議論については、少なくとも

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原田氏から〈非論理性〉を指弾されている消極説からすれば、論理的に納得しうるものではないだろう。うがった 見 方 を す れ ば、 消 極 説 へ の 非 論 理 性 を 理 由 と し た 原 田 氏 の 追 及 が 激 し け れ ば 激 し い ほ ど、 そ れ だ け ま す ま す、 「救 済の便宜」に依拠する原田氏の論証不足がかえって浮かび上がってしまっているようにも思われる。この点、すで に 小 早 川 光 郎 氏 は、 原 田 氏 の「機 能 的 考 察 方 法」 を 分 析 す る な か で、 「十 分 な 実 定 法 的 ま た は 方 法 論 的 な 基 礎 を も たないままに、みずからが主観的に社会的要請であると考えるものを、直接、法解釈論に持込むことは、まさに著 者[原 田 氏: 髙 木 注] の い う『政 治 的 法 理 論』 と の 誹 り を 受 け る こ と に な ろ 98) う 。」 と 批 判 す る が、 的 を 射 て い る よ うに思われる。   つ ぎ に 原 田 説 で は、 形 式 的 行 政 処 分 に は も と も と 権 力 性 が な い か ら、 公 定 力 (取 消 訴 訟 の 排 他 的 管 轄) は 問 題 と ならないとする。しかし“行政庁の一方的に実施する公役務活動で、国民生活を他律的に規制するもの”などとの 形式的行政処分の定義のなかには、事実上、従来からの行政行為概念に含まれているのと 同様の 4 4 4 「権力」的な要素 が、 暗 黙 の う ち に 紛 れ 込 ん で い る の で は な い 99) か 。 こ の 点、 す で に 村 上 武 則 氏 か ら の、 「形 式 的 行 政 処 分 の 場 合、 そ の権力性は形式的な訴訟技術的なものといわれるが、実際は実体的にも権力性を前提としているのではないだろう ( 100) か 。」との指摘があるが、あらためて留意すべきであろう。   そ し て そ う だ と す る と、 原 田 説 は、 「要 件」 面 で 形 式 的 行 政 処 分 を 実 体 的 な 権 力 類 似 の 行 為 と し て 定 義 し て お き な が ら、 「効 果」 面 で そ の 処 分 に は そ の 種 の 権 力 性 が な い (だ か ら 排 他 的 管 轄 も な い) と い う 議 論 を し て い る こ と に なろう。もちろん必ずしも論理的な矛盾とまでは言えないにしても、かなり違和感のある議論ではないだろうか。 もっともこの点、兼子説や山村説も類似の議論をしており、両説にも少なからず同様の指摘があてはまりうるよう に思 ( 101) う 。

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  さらに原田説では、兼子説を念頭においてか、取消訴訟を提起した原告はいったん取消訴訟を選んだ以上は、形 式的行政処分に対しても終始取消訴訟の手続に従って対応しなければならないとす ( 102) る 。この帰結そのものはバラン スのとれた解決策と評価しうる。しかし問題なのは、このような「縛り」が 何を根拠として導き出されたものなの 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 か 4 、明確でない点である。そもそも、理論的には複数の訴訟類型の選択利用が考えられるのに、制度上ある一つの 訴訟類型しか選択が許されないということは、まさしく「排他的管轄」のことではないだろう ( 103) か 。   こ こ で ま た う が っ た 見 方 を す れ ば、 原 田 氏 は 形 式 的 行 政 処 分 を め ぐ っ て、 「正 面」 で は 取 消 訴 訟 の 排 他 的 管 轄 を 否 定 し て お き な が ら、 そ れ を「裏 口」 で は 肯 定 し 事 実 上 適 用 し て し ま っ て い る の で は な い か。 つ ま り は、 〈排 他 的 管 轄〉 の 行 き 過 ぎ を 是 正 す る た め に、 「救 済 の 便 宜」 が 根 拠 と し て 持 ち だ さ れ、 そ の「救 済 の 便 宜」 の 帰 結 の 行 き 過 ぎ を 是 正 す る た め に、 〈排 他 的 管 轄〉 が 持 ち だ さ れ て い る の で は と の 疑 念 で あ る。 そ う だ と す る な ら、 形 式 的 行 政処分論の理論的整合性の欠如を批判する先の高木氏からの批判もやむをえないだろう。   思うに、裁判所が処分性を拡大的に解釈し、市民の権利救済ニーズを真摯に受け止めるべきとの積極説の趣旨に 賛成するとしても、何ゆえその処分性に随伴する排他的管轄という法的帰結が適用されないのか、仮にその不適用 が 市 民 の 権 利 救 済 と い う 実 践 的 観 点 か ら み て 極 め て 妥 当 で あ る に し て も、 積 極 説 は、 「法 解 釈 論」 と し て、 ま た 「法 原 理 論」 に 遡 っ て、 積 極 的 に 論 証 し て い く 必 要 が あ る は ず で は な い 104) か 。 し か し 従 来 の 積 極 説 の 議 論 を 顧 み る と、 「救 済 の 便 宜」 以 上 の 積 極 的 な 論 証 を し て き た と は 思 え な い。 戦 後 の 行 政 訴 訟 論 に お い て 形 式 的 行 政 処 分 論 が も た ら し た 功 績 が 多 大 な も の で あ る に せ よ、 こ の 点 に 関 し て は や は り 問 題 が あ っ た の で は な い か。 と は い え こ の 「形式的行政処分」論の課題点をも踏まえて、新たに登場してきた処分性拡大論が「相対的行政処分」論である。

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第三章   相対的行政処分論   本章では相対的行政処分論争につき、提唱者たる阿部泰隆氏の所説を中心に分析する。 第一節   阿部泰隆説   以 下 本 節 で は、 相 対 的 行 政 処 分 を め ぐ る 同 氏 の 代 表 的 な 論 文、 「抗 告 訴 訟 の 守 備 範 囲 ―― い わ ゆ る 処 分 性 ――」 (初 出 一 九 八 三 105) 年) 並 び に「相 対 的 行 政 処 分 概 念 の 提 唱」 (初 出 一 九 八 二 106) 年) を 中 心 に、 本 稿 の 観 点 か ら 整 理 紹 介 す る。まず阿部氏は、形式的行政処分論の問題点とし ( 107) て 、抗告訴訟の対象とした以上救済の便宜のための形式的行政 処分といえども一応は公定力がある、また同一行政活動に対する民事訴訟・抗告訴訟の併用説の理由付けが原告の 便宜では解釈論的に説得力がないとする。しかしだからと言って伝統的処分観に逆戻りするのは性急で、非権力行 政の司法的統制の必要という形式的行政処分論の問題提起を正面から受け止め、よりきめ細かな理論構成をする必 要があるとい ( 108) う 。    そ こ で ま ず 阿 部 氏 は、 「公 定 力 は 抗 告 訴 訟 の 対 象 と す る 前 に 存 在 す る も の で は な く、 抗 告 訴 訟 の 対 象 と し た 結 果 発 生 す る 現 象 で あ る か ら、 抗 告 訴 訟 の 対 象 と す る か ど う か の 判 断 基 準 に は お よ そ な り え な い」 と の 観 点 か ら、 「伝 統的処分観に賛成しえないのみならず、処分性拡大提唱派に対しても、公定力を有する実体的行政処分なる観念を 認めてい ( 109) る 」点で賛成しえないとする。このように同氏は、形式的行政処分論が立脚する、公定力の有無を前提と し た「行 政 行 為」 と「行 政 処 分」 の 区 別 論 に 対 し 異 議 を 申 し 立 て る こ と に よ っ て、 「公 定 力 を 抜 き に し て 抗 告 訴 訟 制度のあり方を考えるべ ( 110) き 」との主張を導き出す。

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  つ ぎ に 阿 部 氏 は、 形 式 的 行 政 処 分 論 (併 用 説) が「救 済 ル ー ル 明 確 性 の 要 請」 を 提 起 し た と の 理 解 の も と、 「現 状においては、救済ルールが不明確な場合はいずれの訴えも認め、訴訟間の調整はつぎの課題としても、その不合 理 は 相 対 的 に 受 忍 で き る の で は な い か と 思 う。 な ぜ な ら、 現 実 に 同 一 の 事 件 で、 両 立 し な い 複 数 の 訴 え (た と え ば、 現 業 公 務 員 の 配 置 転 換 に つ い て の 抗 告 訴 訟 と 民 事 訴 訟) を 提 起 し、 そ の 両 者 の 結 論 が 矛 盾 す る な ど と い う こ と は 稀 なのであり、そうした稀な事態が起きるとしても、その不合理は原告が過失なくして選択した訴えを却下されて救 済 手 段 を い っ さ い 失 う 不 合 理 に 比 べ れ ば ま だ 小 さ 111) い 」 か ら と 指 摘 す る。 も っ ぱ ら 二 重 訴 訟 (民 事 訴 訟 法 一 四 二 条、 行 訴 法 七 条) の 事 態 を 念 頭 に 置 き つ つ、 不 合 理 性 の 比 較 衡 量 を 論 拠 に 排 他 的 管 轄 不 適 用 を 導 く も の と 言 え よ う 112) か 。 またその他にも、救済ルール統一のための解釈論的な方向性として、訴えの変更を促す積極的釈明や請求の趣旨の 善解等、もっぱら裁判所の訴訟指揮を重視した「法技術的解決」を念頭に置かれているようであ ( 113) る 。   以上の新「併用説」を踏まえ阿部氏は処分性公式を批判す ( 114) る 。処分性が問題となる場合は、抗告訴訟と民事訴訟 と の 機 能 分 担 の ほ か に も、 「そ も そ も 救 済 方 法 を 認 め る か ど う か、 国 家 賠 償 し か 認 め な い か ど う か、 刑 事 訴 訟 と の 機能分担、どの段階で争わせるか、どの側面が争われているかなど種々存在する。 」のであって、 「こうした複雑多 様な場面にわたる法解釈を『国民の権利義務を確定する行為』などという一個の文節の解釈で決定しようとするこ とに無理があ ( 115) る 。」このような無理は、 「国民を現実に支配する行為」といった基準を提示する処分性拡大論にも当 てはまる。阿部氏は、こうした「一個の言葉」に「あまりにも多くの場合の解釈を求め」 、「負担過重にあえ」ぐよ りも、むしろ「処分性が問題となる場面ごとに分解して、抗告訴訟による救済を認めるべきかどうかを機能的に考 察」すべきとする。   そ こ で こ の 考 察 の 具 体 的 展 開 と し て、 同 氏 は、 「行 政 活 動 が も た ら す 利 益 状 況 は 相 手 に よ り 異 な る こ と が あ る。

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処分性とは抗告訴訟でとりあげるかどうかという問題であるから、争う角度なり争う人次第で処分性の有無やその 理由が異なり、個々に吟味することが必 ( 116) 要 」として、行政処分をめぐる〈対人的〉観点からの相対的理解を正当化 す る。 す な わ ち、 「抗 告 訴 訟 の 対 象 性 を 行 為 の 性 質 に よ り 一 律 に 決 め る 考 え 方 を 放 棄 し て、 誰 が 争 う か、 争 う 理 由 は何かという紛争の利益状況次第で、同じ行為でも抗告訴訟の対象となるかどうかが異 ( 117) な 」るとの相対的行政処分 論である。   「用 途 地 域 指 定 替」 を 採 り 上 げ そ の 論 旨 を 見 よ 118) う 。 阿 部 氏 は 用 途 地 域 指 定 (以 下「指 定」 ) の も つ、 「環 境 維 持 効 果」と「建築の自由の制限効果」との二側面に着目する。前者の側面、すなわち住環境悪化の防止を求めて指定替 を争おうとする「住民」に対して、他人が受ける建築確認をめぐって取消訴訟等を提起し、その中で指定替の違法 性を争えと求めることは事実上無理ないし不適切である以上、指定を対象に取消訴訟で争わせるべきという。ここ で は、 原 告 (住 民) の 利 益 を め ぐ っ て、 そ も そ も 何 ら か の 訴 訟 を 通 じ て 救 済 す べ き か ど う か が 処 分 性 と し て 問 題 と なる。   これに対し後者の側面、すなわち土地の高度利用を求めて争おうとする「地権者」にとって、建築確認等の後続 行政処分段階を待つまでもなく、指定段階で紛争が成熟している以上、指定替の違法性につき取消訴訟で争わせる べ き と い う。 こ こ で は、 原 告 (地 権 者) の 利 益 を め ぐ っ て 紛 争 の ど の 段 階 で 救 済 す べ き か が 処 分 性 と し て 問 題 と な る。このように阿部説では、各当事者ならびに紛争状況を踏まえて処分性を議論していこう、そして――指定に関 しては結論として両側面とも処分性を肯定するのだが――場合によっては誰が争うかによって処分性の有無が異な るという結論を認めよ ( 119) う とする点に特徴がある。   な お 指 定 の 処 分 性 を 認 め る と 不 測 の 不 利 益 が 市 民 に 生 じ る と の 指 摘 に つ き、 い わ く。 「た し か に 一 般 に は 抗 告 訴

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訟の対象となる行為について出訴期間内に争わないと公定力が生ずるものであるが、そうしたことが正当化される のは、当該行為が行政処分として出訴期間内に争わなければならないことが一般に理解できる場合に限るべきであ る。さもないと、国民は当該行為が行政処分に当たらないと思って出訴しなかったのに、行政処分であるから公定 力を生じたとして、救済の機会を奪われるであろう。これではだまし討ちである。そして、用途地域の指定制度で は、指定の段階で争わないと、もはや建築確認等の段階で争えないことがわかるようにはなっていないと思われる ので、用途地域指定制度については、その出訴期間徒過後も、建築確認等の段階に違法性の承継を認めるべきであ ろ 120) う 。」   ここで阿部説の特徴を整理しよう。まずは、形式的行政処分論も暗黙の前提とする、処分性解釈に当たっての行 政行為の公定力という考え方を明確に拒否し、処分性を抗告訴訟の対象適格性問題に還元する。またこの際、抗告 訴訟と民事訴訟とのメリット・デメリット論にまで踏み込んで、抗告訴訟を通じた権利救済の実効性を論ず ( 121) る 。さ らに処分性判断が複雑な考慮要素に基づくことを直視し、その複雑性を行為形式の「効果」という定式で無理やり 受け止めるのではなく、むしろ事案類型ごとに機能的に考察して受け止めていくことを主張する。この点山村説も 「紛 争 解 決 の 対 象 適 格 性」 と い う 形 で 念 頭 に お く ア プ ロ ー チ だ が、 阿 部 説 は こ の 機 能 的 考 察 方 法 の 論 理 的 帰 結 と し て、関係当事者により処分性の有無の判断が異なっても差支えないという、処分性の「対人的」な相対的理解を導 き 出 し た 点 で、 さ ら に 進 め る も の で あ ろ 122) う 。 加 え て 阿 部 説 は、 排 他 的 管 轄 不 適 用 と そ れ に 基 づ く 併 用 的 構 成 に つ き、形式的行政処分論の説得力のなさを指摘する一方、しかし結論として自説でもその帰結を認める議論をする。

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第二節   学説の議論   以 下 本 節 で は、 阿 部「相 対 的 行 政 処 分」 論 に つ き 批 判 的 見 地 に 立 つ 学 説 を「消 極 説」 、 肯 定 的 見 地 に 立 つ 学 説 を 「積極説」と称して、学説の議論を整理検討していきたい。 第一項   「公権力の行使」対「法律上の争訟」     高 木 光 氏 は、 阿 部 説 が「従 来 の 行 政 行 為 論 の 枠 を 越 え る」 も の 123) で 、「 『取 消 訴 訟 の 負 担 過 重』 の ゆ き つ く 先 で あ り、裁判救済になじむかという『法律上の争訟』概念のもとで検討されるべき事項を『処分性』の判断と重ねあわ せ る も の」 と 批 判 す 124) る 。 ま た 阿 部 説 の よ う に、 「≪ き め 細 か に ≫ 権 利 救 済 に ふ さ わ し い も の を ひ ろ い あ げ る た め に 行 政 処 分 概 念 を 操 作 す る 場 合 に は、 『行 政 処 分 論 の 負 担 過 重』 が 避 け ら れ な い」 と こ 125) ろ 、 そ も そ も「処 分 性 は ≪ カ テゴリカル≫に判断されるものとみる方が制度の理解としては穏当」とす ( 126) る 。その理由として、 「『公権力の行使』 という概念はいわば『硬い概念』であり、柔軟な解決を可能にするのは『法律上の争訟』や『公法上の法律関係』 といういわば『柔らかな概念』であると考えられる」ことを挙げる。   以上に対し阿部 ( 127) 氏 は、そもそも硬い概念・柔らかい概念といった表現、さらには公権力の行使が硬い概念で法律 上の争訟や公法上の法律関係が柔らかい概念であるといった、高木批判の依拠する用語法や論評の趣旨が不明瞭と 疑 問 を 呈 し つ つ、 「公 権 力 の 行 使 と い う 概 念 は 相 手 に よ っ て 異 な る も の で は な い と い う 趣 旨 で あ る よ う で も あ る が、筆者は、とにかく抗告訴訟の対象としての公権力の観念は、抗告訴訟で取りあげるべきかどうかを判定する観 念なので、英米法でいう成熟性などもはいるし、 『かたい概念』とする必要は感じない。 」と反論す ( 128) る 。その上で、 「筆 者[阿 部 氏: 髙 木 注] の 説 明 で は 法 律 上 の 争 訟 と 公 権 力 の 行 使 と の 区 別 が は っ き り し な い 面 は あ る。 法 律 上 の

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