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日本産業に於ける我が國農業の積極的意義-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

亀ア 自由主義・営利主義に基調をぁく特定の経済国内に於て、資本童蕗経済の教展趨勢が存蒸する場合には、叫般 にその商工業の漸増的膨張の勢を見ると共に、むの選集その他の原始的産業Ⅵ漸減的愛猫の傾向を示すのを常と するとせられてゐる。管詮的に見もも多数の資本主轟諸国に於てはか1.る傾向を顧著に示してゐる。 然るに我が国に塊てはすでに見た如く明治維新以降、農本主魂経済の驚異的蟄展をとげ凍ったにもか1はら す、他の多く.の資本主義諸国の場合之は全くその趣を異にして、番茶我が閲産米上に於て盛柴の済めて釆た重安 なる地位は依戯とし七動かなかつた。即ち我が国凝集は、明治維新以降資本主義経済軒内容として敬展し来った _▼ ヽγ 首本産静に於ける我が国藤策の硫旛的意義

\日本産糞ほ於けみ我が囲農蒐の奄塵翰意義

−、概

、 惑露 第†七巻解義︵謂敲桝︶

延 乗 数 之 助

︵ご Aり

(2)

第十ヰ替 聖教

︵ニ︶ニ

哉が国民経済盗て、汲も基本的霊位霊め∵依管して我が欝於ける藍本産発として存嶺し発つ芸でか

る○

苧甘藷天皇が表芸下の大本なオ、民の悼みて以て生くる所雷鳥せ給,是墓の壷誉蓋は

塵菜の近代的章展をとげるに室つた阻拾維新以降、規準に鍵若依蛮として欠はれず、それ.は基本産柴として存 在←て虻るので屠る。然らばそれは如何にtて我が国に於ける基本産業であるといひ得るのであるか。

好走産米が遍に雷る基本産発たる霊灯は、発づそれはその困に於り急診庶幾の一たるの地位を占めな

ければなら警のであるが1執が国典発こ守はその包容人諾於て﹂その生産力に於て、賂、立、国際牧草、産 薬資本、囲l民新得等の紺偏に於て見るも、まさに我が国重要度柴の㌻たる地位を占むるの資格を有するノもの、で ぁ・る。かく、で農業はまづ第−に我か固に於ガる東賓産菜の二であるといふことが出釆るJ 第二に我が園濫あ少ては∵糞染は商工共に乱してその基礎的産発たるの地位を保冷し釆つ/た。即ち、、それは商

事業に封七我が国民食料の大部分、簡定原料の廉償賢供給を保託することによつて、或望志貰る財政的負

警讐で、或は直接纂蒼迫濃給するこ濃よ老、都市並に商工菓の敬昏晩成し保管るこど誓つ

て、濠ば叉、商工兼敏展の表力漁る労働力の供給源又は貯水池たることによつて、吏には棒大なる農村購買力

を通℃て、我が国盛典は商工共に射する基礎的産米たる地位を保持し来ったのである。

第三に我が国にありて酸鼻柴は周知の如︷驚に阻民食料供給漁として、頗る重要なる蓋を保持し釆つたので 、

(3)

ある。一層重要食料の供給源としての意義は∵それが高基本産発たるための最も箆要なる蒜件を思すもので

ある

第四に我が国軋あ少ては怨讐しそは、我が国防上、産葉上、換言すれば、我が国力蒐琶教展上極めて重要な旦琴

義を有す︰る、積極的にし七、健祭完人的資源の源泉苦役剖を果しつ去各もので雪。表人的資汲の最蒔最

適なる源泉たることは﹂またそれが“表基本産発たるための最も盈要なる蒜件を構成するものであるといへる。

以上略述せる如くして我が酪農莫嬢饗に我が開基本産業と七ての地位を保持し、′且つその使命を果し釆わしも

空言㌻、明治維新以降に於ける禁固違額の急臥凝針慧教屠、′か・七億憲扱なる農償のカ炭つとこ

ろ極めて大なるものがあ鳶而して我が層に於て農業がかゝる特殊性を強く示すに至つたのは要するに、我が国

匿於ける自戯的・匪兜的並に政策的産共蟄展規制保件の特殊性によるものであるといふことが閻来るが、特に我

が国凋特の尊厳なる固鰻を始め、国家主義的・家族主義的な竃鮭兜的規制條備に侠つところ頗る大でや葱同時

にそれ推蓮綿性を有し、且つ農装本雑の性質によかところもまた央で、奉るが、忘我が国費本主義経済教展の急 ′

進性の故に盛業の地位も此餃的影響訂受ける′ことが歩く雫囲んだと滝いふてと隕できよう。

土、資本童轟′の簡展と農弟

良計吏撃営利主義にそノの基調針おく特定の静岡国内に於て、、資本立教経済の敬展趨勢が′存在する場合笹はヽ

日本顔策に於ける我が国農策の噴梅的意義 ︵三︶ ニ仙 一r・・

(4)

へ四︶ 四

第十七懲 帝劇況

一般にその近代的渡英たる商工柴の敵槍的膨張の勢を見ると共に、そ秒農兼その他の原始的塵柴の漸減的衰頚の

傾向を元し、途に通商工柴が、その支配的部門たる地僚を占め、痘始嵐柴は、産んど、/波頭す牒に至

るといふのが、資本主義教展の▲﹁般的法則として従卒の経済拳の認むるヰjろで牢つ允。との港則は多くの資属 主義靡臍蟹展開に於ける賛展過程その鳥のゝ現賓の参に於ても二止記せうれるとr宣であ少、また同時に理論的 にも論詮し得られるところであるとせちれ名q

まづ革質的給鐙について見れぼ1資本主義の典遡的牽展を迭げた英軌に於ては、大股に於て右の沈静過りの蟹

展過程を経て居るものゝ如くで臥る。元来英閻は十九世紀め初窮まで埠盈菜園躇あゎ、その支配的産業は農柴で

あつたが﹂周知の如く、をの後に於ける資本主義的畿展の持果その様相を全くエ欒せしむるに空つたのである′。

即ち英国産柴蟄連史は十九せ紀前年に於て人口増加・、疲慣上勝・静騰軍′選挙椿の撰張・穀物條例の腰棄等、

数多め盛工別事調和問題を通じで、.如何に封建的螢族∴地主と近代的新興資本とが相争ったか、そして遮に後者 の膠利に節するに室つたかむおしへて居る?即ケ常時に於いて英国商ユ菜は躍進的敬展をと酢、農業に代りで + しか軒之に屈する戎配樺を確隠すかに空つたのであ冬爾来英国は兜遊資本主義経済後屈困とん七躍進し、腐五 菜の異常なる数展をむたらしたと同時にそめ農米伊衰退を見、蓋兼の地位ぼ重く失はる1に空つた。かくて英樹 は、▼完全な.る商工囲となかと共にその必要とする食料品及夙料晶の殆∧ど凡、てを海外に依存しなければならなく なつたので奉る。

(5)

英国に於ける右の′趨勢を元隷二指棟として、その職業別人口構成の欒遽の大要を見るに、盛栄人口封工装入口

の比率庭西警吉年に竺封妄りし急が、芝十年彼の千告三十年に筈でに警官£警l霊し∵

更にその後百年を経た千九育三十年︵昭和五年︶には、・㌢れは驚竺封芸大勢竪琴に至⋮ゐる。その他の資

本主義閥に於て紅英圃程麟嘗は禁、が、併し同株な傾向堅若菜をせは紆雪目∵猟∵伊・彿十英・米遠

巣別人訂纂てもまたヶかヾふこと溜警一。、溜櫻別人遠戚賃何のみが、蒜資豊義震宗の質

現過程畝示際する唯一のものセは甘いが、々の濃尾主要なるものの完ることは疑ひない。

ユ靡水魔無肴綿調

日本産共に於ける我が国農策の噴逼的意義 ▲叫覇l叫 産 米 梁 人 策 業 業策、著 者 ロ 日・猫・伊・併・英・ 日 本 昭和五∴年 六遠望︵岩曾○︶ ニ、九竺︵宍・〇︶ 三、買三︵藷。○︶・ 一、讐宍宅。七︶ 豊︵ 丁〇

責墨㌻三軍吼冨︶

宅〇二九●エこ 餞 ヽ・一・ヽ一ノ 逸 伊 大 和 猫

㌦年 六 年

八 パ、警不言○。○︶、四、二へ︵一〇〇。○︶ き三〇︵究£︶ ﹁空宍望。九︶ 三、亮一︵真孟︶ ニ、亮一︵宍・一γ 栄職柴別人日義イ暴食餞人=カツコ薫育分此︶ 九︵ 〇・五︶ 望宍夷・九︶ ︵イ︶八宍︵冥・パ︶ 宍 ○品︶ 空宍克。九︶ 併 蘭 西 六 年 頭、ニ≡︵一8。○︶ ニ、ヨ︵竺・琶 て突亭宅。六︶ 宍票蓋。三︶ 七︵ 〇・三︶ 買︵ 普○︶ 宍宍重。ボ︶ 六 年 回、宍〇二〇〇。○︶ ニ、岩宍宅昌︶ 一コ着実彗。○︶ 二意へ 誉讐 栗 〇・ニ︶ ︼完︵ 守一二 宍栗萱・五︶ ︵五︶ 五 圃 光合衆囲 年 五 ニコ一天︵岩〇・〇︶ 誓入会︵室外・∧︶ 七、莞宍苔。e ﹁冥宍二丁入︶ 七︵ ○●ニ︶ 資︵ 子0︶ 一、竺一︵︼苓九︶

(6)

職業別官分地は有業者を二〇〇七す。

︵イ︶ 狩猟巣を含篭 ︵日本帝国統計年鑑﹂東洋脛洒経済年鍵、′列国資源授嬰等に擦る。︶ さて従来の経済単に於て認められて居た資本主義畿展法則として、の、商工柴の漸増的膨警農業の漸減的衰退/ の現象は、右管見せる好く∴多tの資料主義困に於て現賓に盛験せられ′たところであるが、この法則はまた理論

的把も協詮心待ちれるところであるとせら竹篭針これを約晋すれば∵農柴生産はその日然的要田に影響せちる

ゝこと太であ㌔所謂牧橙漸減の漁則Ⅵ作㈲瀦癒着な、る庵どの自然約件質によカ、その生産、供給のその給費管

掌へ′の順應璧宗困難であゎ、市場生慮、由晶生産を原則とする変容主義的生産として通徹億砂く、営利企発と

して経営することは不聾票壌る。加之農業はその資本労働の特質或は文意兼脛臍制度の特質からしても近代的

企柴形簸たる株式倉放と心て准督することは瀾経であそ凝って資前会義、皆糾主義を基調とする同義臍圏内 −1丸∵

にノ層利金誉もて最牒適格性を有する商工訝と、反射に営利企乗せして最も不壊格なる農業とが併存する場合に

商 業

交 通 築

公務自由′築 家事 其他ノ有染者 飾十七替 第仙訝 舌四︵ 六・九︶ 七︵︵ニ・ご 老︵ 丁九︶ 先王︵、一︵品︶ ﹂竺︵ 完︵ 〓ス ︵ −へ 三− 印・〇 六・e 三・こ ー︶ ニ究︵ ⊥宅︵ 完宍 先宍 −︵ 三・空 晋九︶ ●〇 ”・= ト︶ ニ忘︵ ︵ふハ︶ 六 書冗︵ 宗・〇 ス宍 ︵壱︶ 天○︵ l誉三︶ 貢宍

い︰︰︰︰㌦︰一

苔ハ︵二丁五︶ 三鎧︵ 号外︶ 空一︵ 八。巴 先人︵ズ・四︶ /

(7)

は必然的にあらゆる塵塵カ、餐本、企柴衆、労働人口等は盛覚、田舎を去つ/て商工盤、都市へと流弟出るセあら

うぺけゼし営利主義、資埼主義経臍に於て、濫費漆皿義積材潤Ⅵ獲得は盛栄によるよりも商工梁忙よ畠揚が、

よ少はく驚現し得られるからである。

六拾点昭翌年墓八雷放ける猫∵伊・彿・準・黎有業者組数二誓〇八二間浩中嚢琴及水産慧三、七八

九萬人たる、に勤してエ柴及瞭衆は五き二商魂入﹂商数及交通柴は三、〇六五茂人、公儀及自虐党は㌦、〇八っ

萬人、家事使用人は七四四商人、rその他八〇萬人せなつてるる。︶ 三、我が国藍翠産東のtとし/ての我が国愚弟 、

然るに我が国に於てはすで陀見た如く明治維新以降、資本主義経済の驚異的額展をとげ発つ′潅、にもかゝはら

す、

地位は依蛮として動かなかつたっ即ち我が国民経済軋明治維新以降資本主義的躍進をとげ、夙に高度資本主義経

済の段階に到達したるにもか∼はらず、我が国農薬捻依然として我.が閲基本産発として存続し来ってゐる。盛ら

ばそれはまづ如何にして我が国に於ける基本産米であると富ひ得るのでぁるか。

或る特定産柴が、特定閲に於ける基本塵糞太り得るためにはむれは以下逐次述べる如き警/の條件を発すもの

て苦れ替らないが忘つ常該望要産柴の妄る地雷占還る獣で眉れぼ警ない。然らば、我が囲

︵き 七

石本産業に於ける我が国澄雄の積極的澄琴

(8)

第患懲 讐教

ゑ ︵八︶ 八㌣ 農菜はまづ我が圃基本産数凍り得るために、かづ我が国に於ける重要産米の一た名地位を占め得るも抄で潜る か。もしそケであるならば、ぞれは如何むしてがく雷ひ得るのであるか。

或邁定訝於て特差慧、その貢産柴の完る地位富め得る食めには、それは、壷屋る傑作を発き

なければならないであらうけれども、まづ、包容人口、生産力、国際政文、産尭資本、国民所得等の路傍檻於て 一薗塵糞上重要なる意義盈有す訝ものでな財ればなちぬ。従つ互特定図に於七重質屋柴たるの資格を有するもか 竺にしてどゞまらず、園によjてほ多数併存するものもあるであらう。而し′てその革質蒔菓中岡時に以下逐次 述べるで㊦らう如き表基本産嘗首得♪べき條件を発し得る特定塵発こそ、常該開基本産業と考へらい牒べきも伊 官あ告従って特定闊民経済内に於て重要璧苦して数へらるべきもの味沢して∵にしてとゞまらや、多数存在す るで為らう、が、基本塵柴なるもの管常該国産柴の基本的地位を占 されるものであかと窄へられる。廃らばまづ艶が圃農業は我が閲重要度柴の盲あると旨ひ得るであらうかqそ ′ れは正tぐ我が薗重要麿魔の十であるといふことが躇来るヤ撰して然らば如何にしてそれは可能なのであるか。 ) も ︵イ︶ 包容人口から混た我が/闘蟄柴 われわれはまづ、第叫濫我が尉盛発の包容人口に・ついてこれを見よう恥 ■昭和毒の周勢調雷よれば、我が欄内地絶入霊的六千晋遍人にセ、有巣人口は約享九至十二萬 人であるが.、その内農柴東栄人口は約千三富尭十八蕗人であゎ、有幾人口の調剤七分八恩恵毛歓占臥、林党人ロ

(9)

約十姦ん急寄れぼ、訝八分四璧雷達する。患九年の閲勢調奔昆撃れば、その比率、に於て纂

干減少して告が蒜封数に於ては警増加しセゐる姦である。︵歪蕉︶これ虹よつてこれを観れぼ、琴業

富枝銅係む有する人品ち蟄党人淫我が閣故人口笛割五分乃至八分の多きを占めももの′と考へられる。︵拾 堅剛掲日・準伊・掛・英・米機柴別人月表参畢︶

猿ほ幾変声数篭いで見れぼ、蚤覧蕃如く昭和豪富於て書六サニ撃にして内地賢警二貫

十六浄戸各国割四分七壁ハ毛を牒㈲てゐる有様である。

ヽ かぐの如く我が国農柴が、鹿央恵る包容人口嘉するノそは、図星普、成敗政治上、敢倉上極めて墓た

る霊鳥すると共に、差我が圃震貿易上の意義砂少驚ざるものがあるので警。、これを多くり発進資本

義閲の糞箸人口の情警比較し警と針∵そ・こに葛知れぬ慧しさと警と姦えるのであるこ

内地盈党人 口人翠傲千人︶ 林 農 有 j隠 業 菜 策、巻 数 日本産集に於げる扱が酪農業の積極的敵襲

大′㌔九 年

五五、九六三 % 二七、三七八一︵血00。8︶ 〓ニ、九−ニ九 ︵五〇・九︶ 劃八九、︵○●七︶ 昭 声翠d兵七 二九、〓二≡○鎚00︶ 士ニ︵九八三 ︵四七・八五︶ 一七三 ︵〇・六〇︶ ︵九︶ 九

(10)

農 工 親 ︵こ 生産力から見た我が圃農薬 我が国産業別生産の趨勢を見れば、攻め過少である0 V、 我が囲産薬別生産額 ︵軍使眉萬囲︶ 外 地 同 内 地 \ ′−ヽu−ノ、_こ:ざ ̄ナ、 昭 大 明 和 正 冶 葬十七魯 飾一軒 計 内地農.家 戸 数 ︵寒葦、東栄を含む︶ 策 発 振 十 十 八∴年秦∵

・一山 −..L−

末 宋 一四、〓一入 ︵五㌻夫︶ 大正†年 鵬○、〇二六 五、四〇九 三、四〇〇 農 策 戸 数 呼声 五、三五九 五、四四〇 五、六〓二 三、五Oi 昭和鱒年 九、こ四二 五、入七九 二、三八“ 娘戸数に封する都合 % 六四・一 五二◎五 四四●八 大七●九 血四、〓草六 ︵四八・四五︶ 昭和†年 血五十仙七八 一〇、八三七 三ト〇七九 ︵三菱経済研究所調鷺に擦る︶ ︵昭和五.年国勢調査結果概観に捗る︶ ︵鵬○︶ 叫○ 昭和十・二等 刷七、二六四 一二、〓五八 三、五三≡

(11)

即ち、暇和十劇年度に於けふ我が図紙生産額はヾ約百七十三億園にしてその中億幾組生産額は三十五億三千駿 馬園に達し、蔑柴の開成生産上に於ける地位の重要性が看取せられる。更にこれを他種躇柴の生産額と比餃する た、水産学錬準備数等の生産は右表匿見る如く何れも盛兼敏産とは比較に計らない。薫るにエ発生産額との b 比故に瀞ては、我が固はすでに述べ良知く明治練新以降近代的床其の異常なる敬展をせげ、従ってエ発生産に於 てはその躍進蟹に萌著なるものがあゃ、昭和十仙年度工共生産粗密は約首二十二倍六†萬圃に達し、農発生産線 額を遠かに家駕し、その≡倍以上に及んでを少、両者間にノは著しい達磨があるが如く観えるゾ併し、その純生産 馬︵純慣低生産︶に於て見れば、それほどの懸隔はないことを注意しなければなら凌い。特定産準の生産力の鷺 痴はむしろ純慣借生摩に如常に現れるもの、であ牒I、この比較こそより軍勢なる意義を示すものである。即ちこの 場合に於てはエ蛍生産にありではその級生恩顧から、原料費、材料費、駄科及動力琴建物及磯城償却費等約六 割六分か多きを捲除しなければなら患いが、歳費生産にあやては肥料凌、・種苗及窯種費、飼料琴兵舎及農兵償 却優等約三割を撞除すれば足る。︵この計算望l真紅漁研究掛の調査にかる。もとよ少右の軽除率は好況期不況期 など場合甘よりて一定不欒な庵の.に非ること庖言ふまでもないが、こ1・に軋一膝右の率によることゝするや︶従つ _ 林 靡、水 産 菓 栄 欒 潤本農常に於ける我が国濃紫の噴確約意義 鴫 ︵二︶ ﹂鵬 三 五 玉 田 八 四 ○ 九 四

(12)

と甚だしい懸隔はないもの1如くである。何れにしても夙に高度資本主義の段階にほで進み来つた我▼が園庭葵に 於で、責柴の生産力はノ、他の資本主義囲の多く・の場合とは重くその様相を異にして、拾ほ依然盲して翼要牒阜地 位を占めて居る・とよを濱取し得名のである。況んや我国の盤柴は我が国猫特なる国民必需食料品等の如き重要隠 者農産物を戯給する等、単に盈約軍費性にとゞまらや、また質的重要性を肴す烏ことをも併せ観れば、ト我が国農 柴の盈的・質的生産力は賛に偉大なる恵酪を有するもーの ︵ハ︶ 貿湯上よト見た我が国盤兼∵ 特定層家の塵兼敏展上常該困の貿易の占むる地位大なる閲に於ては、特定産柴が、その殿夢産凝たるの資格せ 有し得るや否やの﹁有力條件と㌦でその産憩が、督該困貿易ハ薙いて欄閥際敏文上︵積極的消極的何れにせよ。︶ 如何庵る貢献をなしてゐるかを見なゼればなら凌い。周知の如く我国嵐発の畿歴と貿易との関係榛解に許接なる ものがあゃ、従って農業が我が国重要塵柴のーたるがためにはまたそq貿易上に於ける相槌的並に栴檀的地位も 亦相甘意義あるものでなけれぼならな 童づ我が周農産物が明治初年より貿易上に於て如何なる地位を占め来ったかを観るに攻撃の示ナが如くであ を0 弟十七替鍼弟蒜 二こ︶ 心 て、昭和十叫年度純生産高即ち純像借の増加として鬼徹さる、べきものは1エ衆生産に於て約初十倍園なるに封し て、農発生産に於て璧約二十五億閲を占めるわけで烏るノ。かくtて純鳳倍生産なる鮎から見れば、農柴はエ柴

(13)

・右掲表に於て明かなる如く、主賓盤産物の貿易上た於甘怠芯的地位は翰艶に於ては逐年減退、し、輸入に於て は漸増してゐる。これは二面我が図民経済が進展して、近代的産発たる商工柴の顔進せることを示すも′のでぁ ∫′ る。とをあれ、主蟄幾度物の鞄去に於け乳貿易上の地位蜂頗る重要なるむめがあ㌢乳打蕾たその輸闇入組額に 於ても逐年檜勢聖不してゐる。このとと捻我が国産発及貿易の驚異的な飛躍的蟄展の結果粧して、我が国貿易紙 叡の埼誉ら警常蛮蒜果の如くにも敬えるが1せ鳳かくか1る絶封嶽の檜加は予女流べし放き主要盛産物の 貿易上に焚ける地低を強化すす品で篭。かくの如ぺ所謂農菜園皇桝せられた時代からこ賢た過去に於ける 一、 ー ︵三︶=ニ 払奉遷染に於け格・我が国段数〆積極的患撃 五 ケ年平均 明野Lハー・﹁○年 鱒\〓−〓皐年 回 〓ハー二〇年 問∵こ叫−こ五年 同 四則1四五年 大 正 十 劇 年 へカツコ内は主賓農産物翰出翠は鞄入の線輪灘又は線輪入申の朝食 へ高椅亀吉氏、明治大正産米汲連盟に繰る︶ 主琴農産物輸出入貿易 出 喩 千円% 一七︰四五刷︵八〇が四︶ 二二、一二二︵七三・九︶ エ七、八七四︵六八ノユニ ′妃 堅ニ、五〇五︵六〇。六︶ 劇九六、五二五︵、四四・七︶ 七八六、′八ゴ四︵町七。四︶ 馬 入 級 千円% 四、四五九︵〓ハ伊八︶ 五、六四〇︵一七。三︶ 八、一二二︵〓五・〇︶ こ三、大玉二〇ニ三1八︶ こ七二、八三〇︵罫大ト五︶ 九八六、六七八︷四九月五︶ 、 △ 七六、三〇五 △一九九、八五四 出超︵入超△︶ 千円 ∵二、九九二 〓ハ、四八こ 山九、六六二 劇八、八五三

(14)

第十七懲 昇一鰐 \ ︵劃四︶ 山田 我が国盈柴は貿易上に於ても極めて呆なる意義を有するものであるが1最近に於ける情勢ぼ如何であるか。 厭・餌 食し 晶料喝.伺 品 料 食\庶 1 ′−−■ノ}−−ヽ ′†−■−ノ\_一−−ヽ 農腰耳 串・窓工科鳥生蔀■敷始 産粉濾 毛 及 琴 農 曜磯養 豚 作 兵 ′ 詰■粉 晶一計 奄 爾 物 毅 卵 肉 質 物 品 内地農産物輸出入貿易 ⊥犬、宗六 ⊇、三三 立 宝、宍七 云九 ∴、竃八 宕完全 .空貢 愉 卜 昭和四年 〓、六七 九、荒○ 意困 苦、空八 空 て言責 登、発火 云、へ〇一 美七 へ軍使千囲︶ 山川 九 年 ぎ宗 三⊇l竃 宗 三、六三 芳、空︵ へ、票竜 一雪天一 茎〓孟 ︼コき セ、一言 三、突三 言五 盃七、豊ニ ﹁劫篭 ;四、毛穴 毛四﹂孟︵ 臓 ート■L 昭和四年 七 年 石丸、矢温 一、窒一 由、宍○ 望 美、○で 究五、ニ孟 三告 八hてニ﹂叶い 七石二〇ロ 三、誓七 去︵︵ 先、孟六 ﹁署一 穴、八竃 ︹ ∵完、豊九 七仝、蓋三 空 i空、七宝 ﹂、ニ穴、○望 ぷこ プレ

(15)

製品楓物油三、五囲九耗鳳、生新三九、二八一濁園、

∼日、原産共に於ける君圃農琴の積極的意義 右摘衣に於て之を観れば、農産物輸出は我固執出塊顧に比餃すれば、僅少なるが如きも、・すでに述べた如し我 が国がすでに近代的盛栄化し、高密虚数阻た竜の域に到達し居ることを想へば、拾ほ右の数字は我が閣員弟の貿 易上に於ける地位の低からざるを感ぜしむるの恐あ懲 更に昭和工年度主要農崖物輸出状況を見れば養料品申、米及級二三六萬個、豆類七〇三馬呵小穿粉山、七 六二島園、茶二三−≡萬園、精糖二、〇九七萬墜椎詰類七、醐〇八萬園、原料品申除虫菊三ニー萬園﹂原料用 バ / 農産、胡脂、油槽、集材 ′鑑練、屠蘇、展鵜 澄 渡勧 奨 晶 合 計 絶 計 内 地 貿易組翫 晶 ㈲∴食 ■■■−・剛Ⅶ血鵬 砂 糖 清酒、味掛、啓拍 茶濃 コーヒー、 コ コア 乳 製 品 ︵三重経路研究所日本の産業と貿易の蟹展に墟る︶ 元、宅偲 三、空三 三、○天 ±天 ≡、空六 晃四、天王 −へ、、、二八 荒︿、豊○ 莫大、三富 ニ、一笑、慧九 七、克七 誓︼完 八、∵二 嘗〇 r 三、ニ竜 三会、完凡 愚 、膏七 雷同、ニ苫 吾雪空六 て四完、究ニ 金華附属絨物六、八〇二萬園等がその主な、牒ものである1 ︵仙五︶一志 .′ ニエ、彗ニ n、山ハ三 九、豊れ 一志天 王、巨⋮へ 芳九、○金 言、豊六 宍五、吾九 望四、望セ ニ、石﹁空孟 三、竜三 誓四酔二 七ハ、喜二 仙、入宅 去、毒︵ 二軍、矢玉 一、萱l、雷三 ニ、≡六、童︵ 彗、一言 て筆、賢 ニ、天ニ、葦 ゴ﹁彗二 三、宍二 三、コ︰瓜二 貢、薮 一、舌Q 一ご望 空、宕所 七宍、空虚も 九、宕九 三、聖人 宣告 望、毛玉 望再 空〇 六虻二男 一、一望、完○

(16)

第十七魯 第仙汲

︵宗︶ 〓ハ

以上を綜合するに、我が国蕗産物貿易の我が国貿易上に於掛る廃位は、大勢として輸出に於ては明治初年以降

瑚濁し、輸入に於ては漸増し来った。即ち明治前牛期に於ては我が由盛栄の生産虻かゝる盛産物は我が闊輸劇貿

易申瓢梶的地位を占めてゐたが、我が閣紅顔の敬藤と相俵つ七その相封的地位は拭過堅等に慮っ寛之に反し

て童嬰農産物の輸入は相封的灯紅梅封的に牒増大傾向華不し来った。かゝる儲勢は資本意義経済を内容とせる我 ′

が図足軽臍の畿展すると共に必鎗的に隠伸する現象であらう。けれ共前にも述べた如く所謂高度産業国として牽

展をとザっ、計る我国としては﹂その鼻糞生産品の職出貿易庭占むる相封的並に絶動的地位ほ次じて挺しとレな

いのである。沈んや、若し足れ、英固・′猟逸︵今次観潮大蔵勃撃叩の︶車の如くその国民経済の高度資本主義化

と共に園内盛栄の姦頚傾向著んく、ためにその、豪愈料品は晋ふま潤もなく、会費農産原料品の殆んと凡てむ砕

入に僕たねば掛らぬが如き国々と比較すれはス糾著せ原資政論参照︶我が国に於ては相常額の幾度物輸入が存廃 するとはいへ、同時にまた輸出額も粕普顧布衣する有様で参り、この審驚はまキとに我が国猫特な1る戯紫の健在

するの結果に外ならぬ。俄が図盈柴が、全面的に寅瀕したりと俵定せんか。、その場合に於ては遺産物輸入は頗㌢

多額に上る\べく、まをの輸出粛極めて僅少顔に止ることゝならう。これ誓つてこれを崩れば、我が薗蔑蔑は 我・が貿易上痍蔵的意義に警も、ま尭滑胤的億義に於吉越要塞琴芝地位を葛るも名君、

診のみならす、質的意儀に於ても腰を大なるものがあるのである。′堆つて同様匪して我が乱闘際貸借上身欠礼貢

献をなし凍ったことは疑ひなきょころである。

(17)

︵こ∴投下資本額から見た我が国農業 計を

が、我が切に於てはそわ適確なる調査はまゼ行は弟ず、

特定国に於ける絶技資額に於て如何なる地位を占むるかによつてまた特定酷柴の違質性を知り得るわけである 一■ 右の凄は必ずしも適確を期することは出来疑いかも知れないが、然し太盛の情勢をうかゞふことは出来よう。 水 発 頭 林 エ・、蘭 農 ′ナノ′ グ 盲許 農 道 兼 業 栄 黎 築く 兼 業 ′ 日本産韓に於ける我が国農染の額極的意義 る0 内地各位の慶柴資本推計 資 本 線 板 億円 三四七 〓ニ○ 一〇〇 六〇 五〇 四五 ∂ 比 率 % 四七・T 一七・六 〓ニ・六 八・一 大・八 六・一 〇・七 仙00。○ ︵那須胎博士の推計に揺る︶ 償確なみ資料は現常らないようである。乙 J ︵山七し 仙七

(18)

蘭定偏に於ける癖先度柴が、常該国儀怒雷警盟要なる地位を占めて賢か否かの遠慮は国民所得の構成

に於ても現れるセ属らう。即ち我が国盛栄が、我が固座乗に於て畳安産発たる地位を占むるものであるならば、

それはまね阻民所得の構成呈忙も臥らはれてゐなければなら㌣讐雪針われわれ誓づ次の衣を見る㌻

打1する。

\周民所得推計顔︵昭町墓︶畢讐町

位の太なることむうかづふこ㌧とが出来る。

︵ホ︶由居所得の構成上から見た甜が圃農薬 / 一 二八︶ †八 第十七巻 解仙洪 これにょれば資材投下級額の紛年鑑てが、農共に投下せられてゐる㌢1な㌢蔑糞の資本額は玲ん豊地でか \ るが、エ栄商柴等に比較してその額は断然凌発してゐオものであるり以て遠投下資本を通じて我が国鼻償の地 エ 感 水 盛 線 へ 策 一〇、六三五、七八妄 ﹁八八三、﹁九五 一入九、五四八 こ四九憲三四 三、四八三、○†一 † ︵内私人所得︶ 山○、こ七五、ふ瑞抱 血、八四六、七ふ公ハ ︼八九、五四剛 二四四、七〇三 三、四一入、′二三恵 千 剰員﹂劉 一〇〇〇 劇止七 山八 こ三 二一〓八 ‘汐

(19)

発の一たる資格む有するものであるといふ緒論に到達したのである。 J ● ノ 四、商工薬に射する基礎的産尭としての農黄 † 次に我が開農柴は、色々な意味・に於て我が固民経済の有力都南を構成せる緒方発に封する、基礎的産発として の頗る重要なる地位を占めてゐる。われわれはその大変を見るこ占1し七う。 ︵イ︶ 我が阻喪糞は我が国商ユ菜紅封ん ︵山九︶ 山九 日本産野に於ける我が′国展策の囁極的忠義 右掲表に於て示す如く、蔑兼併得は国民所得級初の一割七分乃苓〓割八分を占.めてゐる。勿論土柴・商業所得 には及ばなふけれども併しその地位は頗る重要である。 われわれは以上に於て、我が国墓索が、その包客人口に於七、更に生蔑カ、 の各関係に翠て我か国産柴駐韓上重要なる地位を占むるものでぁること見たっ

交 通 業

公務、自由策、家事 国、際 投 資/及 事 米 所衛差・板 商 ︵△印は支沸起、東洋脛臍新報杜経済年鑑に揺る︶ 染 ㌧ 二、七〇六、〇七九 八四て三二ハ 鵬﹂ニ四六、七〇二 △ 六三、六〇〇 ′ こ、七〇六、〇七九 五由〓、五七大 ニュ登ハ、七〇二 △ 血七、九〇五 国際収支、産業嚢本、国民所得等 そして我が国曲流柴は我が国運勢慶 ニ五四 七九 〓㌣七 ム 穴 ニ六三 五三 〓土γ 、︼ 二

(20)

我が園に於ても明治年間特に明治初年に於ては絹紙物も綿絨物も簡単な慮機式は地横と科せちれる手織機によ

って農象の家内工染として行はれるもの砂からざ外し有様で参り、これらの番幣はとれらの所謂軽工柴は失張少

農薬に直接塞礎を筐きつゝ著展し来るに至つねこと空不唆す牒もやでぁるが、こ㌧にはすでに我が圃の近代的工

柴が育成せられ敬展するに至つ食過程或はその後に於ての摘係を毒として見ることゝしよう。

すでに述べた如く資本主義蟹展捧飾の。言して従凍の経済拳が静めて米た資庫主轟畿展と商工柴の漸増的膨張

並に農巣の漸蘭的衰魔の法則の

空面に於て品溜凄接不払警協阻に雪ともいへる。即ち、何/祭妄の訂は同時に他方1の磯達を促

逸し、繭者は粕踊関係にあるといへる㍉即ちいふまでもなくエ柴は盛柴始め庶始産業にょつて灘給せちれる墓こ

ろの原料を加エ・欒形して、その慣値の増大をもたらすところ監恩義が存在す藩のであり、従つて原料たる農産

、′ 物等が善愚僧に生産供給せられることは直顔にエ先の敬展を促進することゝなる。加之主要なる衣・.食・位の

糧は主哀して柴柴を中心どする原始鷹巣から取得せられるものであゎヽ凝ってそれらが豊富且つ低廉に生産供給

せられる場合には.エ柴︵商柴の場合も同株であるが︶人口′の生活費従クて資銀、更には生産費を低廉ならしめ、

以て工柴の蟄展を促進するこ士ゝなる。

それと同時陀盛栄もまた商工兼敏達し、盈産物に封する軍勢増大或は叉工業の生産にかゝはる機械・故術・肥 ■− 第十七筍∵歯甲二薪 って直接に商工柴蟄展の背景炉於し来ったのである。 へ二〇︶ 二〇

(21)

ノ 料等を商葉の仲介を通じて直哲硫発生産に利用する乞とによつて敏速する傾向も存在する一と一首ふことが出来る。 然らば我が囲貞菜は商工共に勤して、その原料及び、衣・金・世の棍を如何なる程度に於て供給し空完ので 憎 〆 あるか。 畢づ衣食住の糠について見れぼ、束を始め各橙の蘭民食料については比較的誉田濫計ろ廉慣虻提供し爽つ窄のく であるが、この番が我が国商工菓の蟹展を促進せしとごろは決して妙くない。殊に主要固民食料たる米にありて は、 我が国猟特なる特殊性の布衣す㌃あり、豊富且低廉灯供給せられ照ったこ守は驚砿我が図工柴の蟄展に資す るところ頗る大なかものがある。このことについて倣後に滞び、咽れるであらう。 我が園農薬の工兼用原料の生産供給について姪造撼ながらそれぼ決して豊富であつたとばいへない。即ち周知 の如く我閲に協少ではエ美原料︵例へぼ、棉花・肺類の如き︶■の外観依存辞儀は腐る大であケたが、併し、特殊 なものにありて針注目すべき園内農産供給が布衣するのセある。就中、黒鯛の如き峰我が国蕃豊栄が旺にして世 界無比なることを反歌し、その生産供給額腐る多く我が国財工柴の畿腰元寄興せしところ極めて犬なるものあり しことぼ言を保たぬ。ノその他のエ費用原料農作物宣して比較的見るべきものは暗好原料たる茶︰楽焼苧甘軍 務劫∴干。製油原料たる菜粒∵造滞原料たる欄、東用原料たる除虫菊・薄荷、褒紙原料磨る三柵・柿、繊維原料 たる大曲・並肺等であるが、それらはそれぞれ我が固商工柴の敬厳に多少の貢献はしてゐるといはねばならぬ。 昭和十年皮に於ける我が国濃度工菜瀾原料生産廟を見れぼ、次の通わである。 日本産実に於富我が国農米桝積極的意義 、 ︵〓こ 〓叫

(22)

× モ

討 茶 菓 へ 七 蘭 黄 董 正 ラ 大 胡 菜

麻 ことがその主食る僅務であるが、.以上見た如†、それノ これを要するに、我が国蓮蓋生産は一いふ、まセもなべ封外輪出をその日横とするものでなく、 第十七筍 第劇窮 チ 島 種 電 マ一問.麻 子 肺l病 癖 種 ︵圭セして国勢放及東洋経済新潮瀧調査に掠る︶ ×印は昭和十一年度生塵 数 盈 千石 一、∩こ一 \ 三二 百聞耳 一●九 〇●〓 七・ニ ー・〇 〇・吉 仙九●一 三・四 同園個 四〇八、 関許丑 〇・二 一二・八 三●二 /し 〇・三 こ▲三 〇・四 〇・二 七●四 一・七 〇・鵬 〇・鵬 二八・三 四八四・一 ー 金 額 安 帝 人 甘 英 個 櫓 .一一山 爾 恥 除 虫 菊 萄 蕩 芋 棉 柳 荷 参︵薬用︶ 薦 煙 草 /′ 柾 ︵ニ二︶ 二二 数 盈 百茶な‖ ○エ q〇八 〓本革 乳灯 三・九 再出叫貰 側七。ニ 四・六 一∴●ニ ≡・〇▼ 八二・山 ニT四、一 山四。八 園内需要に應ずる 金 額 官許円 ○。こ ●五 五ト0 0﹂五 九・七 閤○。ミ ニニ ー・八 ニ●︰、 \ 三五〇 五・三 七●五 /

(23)

す牒こと元よりて、直接に我が国商工葉蟹展の背景をなし釆つたといふことができる。このことを饗琵する著例

として、まだわれわれの記憶にあらたなるものは、最近に於ける所謂躍進日庫時代に於ける事情である。即ち督

時に於け・る我が国盤産物の廉債なりしことは、我が国商工柴に勤tては却って、その生産費を低廉ならしめるこ とが出奔、その海外競争力を強化し、所謂躍進日本出現の主たる原因をなし世のであう/この議に見るも如何

に我が国農業が商工糞に射し七直接その生産物を供給することにょりその蓉展の誓言なし来ったかを知ること

が出奔る。

︵こ哉儲農菓品政的負掩蓋じて警発の畿厳に東献し郊?莞

由洋資本主義の蚤鷹の下灯その近代的牽足をとげた我が国産発は、その葺鷹に封抗し之を排愴するがために

は′、急速且つ健饗蓋牒展軒鳶護ればな宜かつたす.て我が図針栄針治灘牒降針九雪国霊力

の下に、所謂富国慧ハを目的とする保詮指導主義殖産興柴政策を計喜的・統凱的に磨施しなければならない必然

性kおかれてゐ允。而してその殖産典薬政軍の直接的目橡は資本主義経癖を内容とする国民経済を急速に育成獲

展せしむをとろに存し、讐て、その選鮎造代的生塵式の輸入移植・豊かれ駕而してそ恩義蓋言し

て、吏遷座警の他毘志望特殊なる意義を有す.る芸震に関しての富、或は叉民間稟に封サる歪

約∵蘭越的彗保護助成策警が採用せられたのでぬる。かくして近代的産業の保護育成、軍備の充蟹の食めた

虐めで志望国家的夢を雀とし誓とはいふ告ぎく、をの実なる経費調達支那方法として喧、公

︵ニ三︶ 羞

日本産策に於ける慧国展業の積槌的意義

(24)

第十七魯 第劇渋

\ ︵ニ四︶ 二四

倍・不換紙幣の蟄行・親株の徴収なる三方法が、採用せられた。而してそ作らの中越局的なる根源たり得る忍

は央張わ和観であつたといふことがHi簸る。即ち、明治初年に於て偲、周知の如く多額の不換紙幣の蟄府、並把

公債の磯行髄相づいで行はれたのであるが、とれむは結局鑑於て腰親税を根接とするものであり、壷額なる軍穣

収入を預定することなくし七はそれらの襲行は不可飽であ.つ莞けだし、公債の蟄行についてはご邦金償還・利

子支沸等公債債務の履行が礫少、不換紙幣の馨行についても結局之を計牧亀理しなけれぼならないからで′あろ。

而して公債債蘭の履行、不換紙幣の回収整理について、償∵ま凌宜額なる資金を必要とすることいふ雲で鴻ない。

か、くて。れら毒する資金は他の讐れ警固家資本調達方聴として有潔して、羞可能性ある憲法、即ち瀾

税の徴収による外はないっ即ち明治初年以降我が固産米保護町長乃糞残席興柴繁賛施上に必要とせる宜顧奉る贋

本は之を公債・不換紙幣の蟄行並比和税徴収竺二方法にまつたので透るが.胡棟こそは最も根本的なものであ

り、他の二者の基調をなしたもので優る。賓に明治維新以降に於ける親授は、直接に国家資金調達源として殖産

輿共栄鷺施上蓋太なる職分を果せしのみならず、常時北於いて賓蓼なる意義を有せし、公債・不換紙幣の基調と 〆

な′ることにより、更に二重の意俄に於▲て東なる職分を兆し葬ったので思る。換言すれば∵明給紙新以降把於ける

我閲歴柴の急進性の質現達成のた也に蝶潤せられた殖産頻発政菰鷺施に聾した遊覇警固家資金は、壇接間接に

我が国租税収入に依存し食ものやあト、明治初年以降に於ける我が憾粛胡の意義は極めて大東る特異的性質を有

するものといふことが出発る。

(25)

而して、右の如き韮穿な意義を有する相磯収入は主とレて々の基調を地利におい芸た。とぷいふ凌でもな

い。即ち明治初斑庭於ては我が国蘭まだ純然たる盛栄観たるの敏速階段に卑って、近代的商工柴も未だ次なる蟄

展をとげす、しかも我が圃に於ては党進認本主義諸国灯その例を風食如く、概民地利益或は貿易収入にも亦多く

よるペきもかはなく、従って常時の贋倒的支配的産柴であつた農柴以外にはこれら亘親柱る国家資本を負櫓し得

竃のはなかったのである。その後に於ても濃紫ばその特殊的張緻性の故にそ毘較的薫い負拾によく堪呪っゞ

けて莞ので雪。か÷殖産輿柴毒魔に要した閣豪資本温和に主雷財誓おく祁税政入徹その根源を患 いたのである?︵地租ゐ源泉はまた主として高率なる小作料に存したのである。︶ ﹂ ︵明滴絆新以降竃施せられ窺産興慧警商草業のみ疫限らや、農柴自慢に剖しでも行はれたことはいふま

ケもないが、併し近代的産業たる商工柴にその主力が向けられたことは明かである。︶

われわれは、明治初年に於て如何に地劫が、財政収入中雌倒的な重きむなしてゐたかを次表に於七見よう。

歳入親許 †円 明 治ノ元壷∵ 三三、〇八九 こ 年 三四、四三八 三 年 ニ○、九五九 四 年 二二、j四四 五 年 五〇、四四五 日本産梁に於ける筑が圃農業の硫極的認董 通常収入 千円 三、六六胆 四J公ハ蕃 山0、四三〇 山五、三四8 二田、四〓二 】 地 租 守円 二、0〇九 三、三五五 八、二仙入 山 て三由〇 二〇、○罫州 地租の通常収入 r に劃する比率 り叫︶ 五四。六 七丁九 八丁八 七三・九 入二.山 ● ︵二五︶ 二五

(26)

かぐてその後日本産魔の資本主義的教展に伴ふ、遍敷の我が国産農に於ける壁倒的支配的地位?相封的減車

と、商工蟄の琵的靂の澄その選の向上とに因十豊実溝於ける地租の相封朝比悪筆鳳溜

向票すこj姦つた。併しながら濃紫ぬ依然左して肴力彗財警し妄蹟し雪雲である。殊竃接国税

たる地相以外の公課の免接も筐老兵犬ぷ額にのぼつ告で告莞今1れらの傾向蔦すぅのせ王て賢二表を

右掲表に於屋る如ぐ明治初年に於ては国家財政は、鞄和に依存する㌢ろ偏る犬で雷ノ、徒つてまた地軸制度

富雷必要とすること切富ものが盾?莞即ち政府は、名驚共に完全なる近代的地謡魔窟嘗以つて財

政の健全雷誉慧を禁ると共に廣の芸濃進せんとしたので雪。かぐて選漂のこ泉明治六年

鱒布告せられ、八年か富四年に晋て行はれ居であるか、その後に於ても俵管して遥恩、財政収入の 、

中心をなしてゐたこと欄とれまた次表に於て見るが如くである。

明治十四年 十五年 十大年 †七年 第十七魯 第γ渋 六 年 八五、五〇七 七〇、空ハ叫 六〇、六〇四 \ 八五・九 十人年 空ハ、四二九 経常歳入 平河 六四、三〇四 大九、八八八 七大、四二五 七こ、叫〇二 租税鹿入 牢円 六て六七草 六セ、七ニス 六七﹂ハ茸九 大七、ニ〇三 五〓、五八、仙 地 租 千円 四三、二七四 四三﹂ニ四二 四三、五三七 四三、四一一五 四三、〇三三 に地 、郵租 すの %る租 比視 率収 入 七〇〇二 大四・〇 六四・四 ﹂ハ四・﹂︵ 八一・八 ︵二大︶ 二大 1 \ 〆

(27)

かゝげる。 ∵かくの如くして朋治初年以降最近に至るまで、 日本澄後に於ける我が国農韓の積鹿的意義 / 、 明 治 八 年 十六年 二十六年 三十﹂ハ年 大 正 二/年 十 年 農一発 公 明治 〓十三年 三十二年 四十∴年 大 正 元 年 九 地 相 の 相封 的 比重 地. 礎 % 八五。山 六四・四 五五・四 三二・劇 二〇. ︼○。六

課 負 鹿

賂 ノ租 円 木、〇七 ﹂○、三三 一七、㌻七 劇四、六八 〓ニ、五九 農兼は財政的活動を通じて日本産業の蟄展に貢献し爽ったのセ ︵二七︶ 二七 所得税 戯〃 て八 五・﹂ハ 巨 九・六 二九・二 府膵頓 円 土、五〇 六、五山 七、重工 八、九一 〓○、ニ二 酒 税 % 四・三 山一・九 土三・八 三六・仙 こ号〓 二五・三 村 円 こ、七八 六﹂0〇 二.七〇 〓ニ↓六四 三七、六山 二 一五、七〇 二五、二五 四二、五一 四四﹂ニ五 入四、六六 闘 魂 % こ・九 四●〇 七・三 一二・二 二〇・二 〓了七

(28)

に計違的統制的保薩助成政策の驚警必然的若しやちれ、従ってこ1に多警る囲家資本の精勤怠警篭 /\ のであるが、その国家資本の造Ⅶの淵滋は地軸なる形式を通じで、我が盛栄に存在して居たのである。換言すれ 小\

ば、明治維新以降我が国農菜は囲家財警通じてその資本を連出することによわ、琴が園商工柴の膚成簡雷促

盲るが、猿最近に於い七も依鍔として農柴は、はるかに商工柴に比し竃課せ.られTゐた。次表は昭和八年度に ∵

於ける鼻糞者と商工螢共著との胡税、公課及拷負擦の新得額に封する割合を嘉すものであるが、畏柴は小作旗を 一

除いて偲商工柴に封←てこ乃至二倍の盈き負槍を瓢せられてゐるのであるハ。併しかくの如き明治絆新以降の戯柴

重諜は我が国産業後進性超克上まことにやむを得ないところであつたの′でかる。

これを要するに、我が国産菜が明治維新以降、 商襲螢共著 物品敬一馨染着 物品攣童業者 所 得 \ 農 染・着 自 作 小 作 第十七螢 第仙渋 圭 農 農 三二。四 こ七●二 心〇・二 仙 ㌻五 二。六 〓丁八 〓T二 〓TO 三宮園 五官囲 % % 三八豊川 二丁四 二三月数 二号九 〓子化 そ′の後進性を超克し、 チ甜T 賓ぎ鼠 % 三六上声 四大・五 二四。四 三;六 / 〓丁二 ⊥五◎二 心六エハ 叫七・八 〓音九 一穴皇︼ ∴一九〇八 急進性を達成するためには国家樺力の下 ご千囲 三千阿 五千囲 ︻ % % % 四〓エハ 三九。二、四二甘八 三四。五 ︵ニ八︶ ニ八

(29)

逸し来ったといふことが潤凍る。むことに我が囲農発こそは、貌が薗近代的産柴の母であり、義が商工発こそは ′・ 暦に我が闊盛栄は宕の如き財政による間接的なる資本の造出のみならザ、更に、直接に商工柴に封して資本 於て、、農柴に関り、ノその育成畿展を促進せしめられ氷ったことについてはすでに見たところである。㌧ 後進日本産葉が高率なる地灘を通じて、換言すれば、蓋軒財政的負槍を通じての図家資本の追出といふ方故に ︵ハ︶ 我が団農柴朴歯工菜に直接に資本を供給することによつてその育成教展を促進し来った。 性に基くものといふことが出来ようノ 凄ほ盛栄はかくの如き重き負櫓によく耐へて釆た¢であるが、そ推放後に述べる様に全く.我が国遊資猫特の儲敵 とれあるによつてその資本的僕件をよ甘整備せしめられ、以て、老の躍進針とげ得たといふ七とが出来る。しかも を造出供給することによつて瞥尭の逝代的敬展せ促進し票を告† 高率なる地胡が結局は高い小作料・︵地代︶から文節はれたと同様に、商工業への直感なる資本の供給も亦その 〟 淵瀕は高率なる小作料︵地代︶に存した。如ち明治維新以降に放ても地主ば依然として蕗率なる小作料を取得サ ることが 地相改正に普つても地殻明率は依然攣るごとなふ伺率であった。然るに明治十年減和のことあり、ついで通貨 下港︰農産物筒妥増大による米債の騰貴あるに及んで、現物小作料収入の増大と金納地軸の相封的減退を見るこ とゝ濁り、′こゝに地主敬前は著七い増加を見ることゝなつた。 日本産共に於け㌃我が国農薬の墳極的意義 ︵二九︶ ニ九

(30)

であつて、地主の取前は著しい増加を見せて居る。 \ 今更に右の表にて明かなる如く地代は土地収穫高の六割八分とい▼ふ高率なものせあった。かくも地代が高率であ ったのは明治政府がその地相収入を確保するために虻の源凝たる小作料の高率を維持し氷ったととに主な原因が ある。その儀には政府は小作料完納のために法律的‘敬治的・敢愈的保護を地主に加へたほどでぁった。どもか くもかノ1各局率なう小作料を源泉として、重要なる意義む有する地科は支彿はれたのセあるが、す膏に鱒べた如 く、地租金納制と地代現物軌制との併用は﹂貨幣併催欒動と相侠って、地主の取前を頗る太ならしむるに至つた のである。 然るに︼方租晩負蹄の選管す㌧諾盈警して風教瞥著しく盃灯せしゆつゝ盾っ食ゎであるが、澄明滴 †七、八年以降の紙幣峯理期に伴ふ貨幣侶佑の上階、米僚の下落を通じて常時秒主要生産瓢門たりし葉菜の象つ た影響は深刻なるもの軒lぁヵ、蔑属の窮乏化は甚しく、公祁針路の盈き質括、地主の鉄琴α下に小遊民はその土 今国家・地主・小作人の取前の欒動を見れば、 同血 叫年−〓ハ年平均 −○ 同,仙○年減租 同 明治﹂ハ年 第十七巻 第一洪 国 家 % 三四 〓ニ、 一入 ■≠ 磯 童 形 三四 五五 五〇 五入 小作人 、% 三二 三二 ニュ二 三三 ︵三〇︶ 三〇

(31)

地を失ひ、小作桑眉作、小作農、日傭人或は虚数以外の方南に於て生温する′のやむなきに至つた。即ちかくの如 ぐして我が隊に於ける小作関係腋儲大せられ、肝謂中小農が減じ、零細土地所有者が埼加すると英にその反屈、 大地主の蟄達を見ると 小作地の増大とな、つて現れた。かくて′この勢はその後も特級せられて釆冤今新地金髄に封す&小作地の割合の 檜加を見れぼ、ノ明治十六年砿は、 は四劉、三十六年に牲囚酎四分六草木垂毎には四割華分、十二年宜は四倒六分に増加しでゐる。 ′ 他方に於てすでに見た如き高率なる地代の存在は到底資本主義的脛常に於ける利潤め成立を許さす、かくし/で ヽ、

我が翼柴農管して資本主義化せ望ゝ、逐守、督祭らの形式於て雷雲ゞけ訝ればならなかつ

′. た かく曙如くして、′小作踊係め疎太はあつノたとは富へ、そこ かくして地主の取締は時として貨幣偶像の欒動米債の動格により甚しい.影響は受けたとはぃヘ、しかも地利改ノ 正常時に比ぶれぼ、ノ常に米債は上位にあつたため庵月利するとてろは央であつた。たとへば地主の取前は地租改 山 正常時田予反歩箇少叫閲八恥五録であつたが、靂慣低落期たる明治十八年に於てさへ、それは三園二十四鎮にし て約二鹿近いも賢あつ賢かくてかゝる苧告意地主の取前は明治二十年前優に於ける好具象に際して近代的 慶巣たる商工菜が畿展し始めるや、漸次これに投資せらる’に至つたのである。即ちこα時代に至るキ所謂小 / 日本農薬に於ける我が国農栄の硬旛的意義 ノ ︵三こぎ血

(32)

而してその後に於ける公線の農業負婚の加重及近代的産柴の恐層に伴ふその相封的地位の低下は、多く¢地主 の生計を因耗軋らしむ㌃に室少、彼等は明治二手年誰彼から、その取得せる地代を農業以外のより有利なる方面 陀利用することゝ査少、こゝに商工業に勤して投資する傾向を助凝することゝなつた。 ′ \− 以上述べし働き琴情に於て明治維新以降敢淀に至るを、高率芝地代に朋警もつて、渡米は直接鱒商工共

に射し呈警る資本畏給し警告ことは推察するに難く悉。

鶴 然らば我が閲貞潔が、かくの如せ筒率なる地代を税源として、或は働政的方法により、或は直摸的資本供給芳 法により望覇の資金を遮出することができたのは如何なる理由にょるのであらうか。それは質するに我が国農敷 、の親授性に基くも切といへ電。この上一については凍れわれは後拡見窄いと思ふ。 / ︵三二︶ 三± 第十七巻 作料ノに寄生する多くの地主を生じ∵農業純益の東部分は従来の如く農事改良に向けられず、農業以外のより相姦 ︵一一︶ ノ我が閲農柴は労働力の供給源或はその貯水池として商工柴の蟄屏を促進した。 ▲1ガ いふ誉でもなく、妃代的産業が張展する尭めにはその基本的前提條件の一として、 カの豊膏血して且つ低廉なる供給がなされなければならぬ。我が国産共に於ても明治維新以降急遽に近代的教展 をとげ凍っ賢とは周知わ通名雪が、ぞの雷獣いそれ忙必要とせる労働九が、豊富低廉に供給せられ釆 つねこと更にその主たる供給源は鷺に我が盛典そのものであつたといふこ︿とを藍息しなければならない。 の多い近代的産業に股資せらる1傾向を生ずるに至った。 それに要する有効なる労働

(33)

先づ明治初年我が囲座席の近代的畿展の教鬼夢初に於ガるーその労働力の主なる供給源は何であつたかを灯る に、無簡明治の政利臥約十ケ年間は未だ所謂労働市場甘るもの′ば底意tてゐなかった。けれども常時軋於て労働 ﹄の供給淑とし七考へちるペきもの、は、資本を看せざる商人、号工発着∵肇下級武士階級及び小作盛を中心とす ∵ 乱小農等であつた筈である。\右の中富時の.商人及争工共著はその性質上近代的産業の労働力供給放ではあり得 や、.叉懲武士階級は、中佐は労働者と應ったものもあつ露が、︵事饗明治十三四年頃の、好況期にほ彼等の中野働 者化tた庵のが凋雷多数に上ノつた。︶併し彼等はその教養素質Ⅵ優れてゐたことな㌧の故を以つて主として指導的 或は技術的方面に於て活路するrぃと▲ゝな㌔所謂努働力の主食る源泉どはなり待なかつねの.である。かぐで常時 瓜於ける労働力の主たる供給ぉは農民の他にはあり得なかった。屠鷺また胡治初年に於て我が国人口申の八割を 占め、且つ我が国紅於ける支配的邸倒的盛栄としての地位を占め享望窟箕こそ、′新様式産業の近代的蟹展に必 要とする多量の労働力の供給をなし解凍し、またその負槍にも堪へ得たであらケと想はれる。明治初年の地租改 正後町於狩る入合地の億止、高率なる地租、その金納化簸の重度のもと尤虚数経済は著しく困難化せられ、小貞 の土地喪央相次ぐ有様、となう宅更に明華十五年以降に於軋る紙簡薬理に伴ふ不況期には凝集経済は更に困難窮 乏化の優を増し、その土地を央ふ牒の愈オ多きを却へることゝなつた。かくて彼等はその生時の途を他に求めざ るを蘭なぐな少、こゝに近代的産柴房必要せする労働力は大鹿面供給せられること するに明治初年の我が断崖巣の近代的蟄展への教足夢訂に於いて、その必要よした労働力の主たる源泉は遊民で ∼ 日本産共に於ける我が周農業の項塵的意義 ︵三三︶ 三三

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あり農村であつたⅥであつ軋のである。 以上は明治初年に於ける我が国産米の近付的訝展の畿足閣に際して、をの・忘提的須要條件たる労働力の立た る供給源が我が国農民であ㌔盛栄であつたこと吃ついて児允のであ牒が、′その後に於ける我が国産柴の近代的 襲展の愈速なゑ別進に必要と 、/ \ /′ ,、 次表我が固摘発別人口の欒藩を観ること\によつてわれわれは次のととを知るととが出来る。牲ち明治五年から 昭和五年覧誉意十八年間に於て、我が閉経人口は約二手罵人、有発着数は約千二百三十萬人の増加堅ポし、そ の中、・南条人曇音ヤ五萬人、エ米人口五首萬人¢増加む示心てゐ 萬人の減少を示してゐるのである。即ちこの期問常於ける有業者千二百三十萬火の増加は、盛林水産凛以外の ′牒・工・交通業等の都市的、近代的應共に放ける檜加であつね。然るに周知曙如′く農山漁村に於ける人口の自然 \ 的増加率は称市のそれにくらべて、軋るかに高い筈であるから︵恵ほ後摘、表我が国那苗別人口の自然的増加及 政令的埼加重躇︶農林・∴水産業人口のこの期間に於ける埼加は商工柴等のそれせりもはるかに太なるものでなけ れぼならす、仮り粧すべての選集が有米人口の檜加に應じて一株に膨脹蟄居するものとしても、農林・通産共有 業者数は、昭和嵐年に瞥亭四首八十属人に達してゐなければなかない筈である。然るに事管は〟千田百七十萬 人に過ぎキその差二†萬人は、ノこの期開に放て、社食的・職弟的移動の形式に於て、、農山漁村かゃ都市的‘ / 第†七替 第仙翫 ︵三四︶ 三四

(35)

近代的産業に封して供給せられたことを示唆するものであるといへる。即ち農山漁村に於ける人口の自然的増加 数の殆んど凡てが年々引きつすき︵平均して﹃年約十七萬入乃至二十属人づつ︶都市的近代的産業に封して供給 せられ発つ字しと、なり、換言すれ璧商ユ柴を中心とすカ我が閲近代的蕗柴は農村を中心とする我が国遊山漁 ︸ 村から︵前掲主要訂職菓別人口表蓼闇︶その人日払自然的増力11 か1る劇般的な我が囲人口の農村から都商へ凝菜から商工業への集中流入傾向は、引きつゞき故近に於てもこ れを見ることが出奔る。︵次摘諸表金牌︶げれ共明治初年以降行はれた負凄から商工業への労働力供給の程度につ いては、必ずしも時によ少凋じではなかつ告好況時に於て皆の散大なるべく不況略に於てはその勢衰ふペき ことば想像に難くないJ然しながら大勢と.tては移しい労働力が盈柴から近代的産礫へ供給せられ来った伊であ ′ 、 る0

我が閑職琴別八軒の欒違

\ たことによつて、その急速的な教展酪進をとげ得たといふことが出来る。

絶 入

有 策 拳 数

日本産業に於正る貌が国展韓の横越的意義 ロ 明超五冬 、苗人 三、四八〇 山、七三二 昭和五年 常人 六、四四五 こ、九大こ ︵三五︶.三五

(36)

以上に於てわれわれは明肇初年以降近代的産業の黎展に必要とレた労働力は農村から誉田に供給せられ来った ことを知つたものであるが、このことはまた次掛諸表に於て駁また明瞭に観取す各ことが出来る。 我が国人口の′都市集中傾向 農 商 エ 朋冷主十二甲荒 岡 喝十叫年末 大正九年十月小月 同十四年十月二日 昭和五年十月仙日 降 十月十凡一日 檜、加 一率 第十七替 第一渋 林 水 産 幾 米 韓 十萬以上 ︵比率︶ % 千人 三、四九七 ︵七・七︶ 五、五三六︵山〇・七〇︶ 六、七五三二二・〇七︶ 八、七四仙 ︵∵四・六三︶ ㌧山一、、四八︼ ︵、鵬七ヽ八二︶ 鵬七、専一八︷二五・三〇︶ ︵十︶四〇㌻豆% 一、四七九 〓ニ三 七二 五千衰騰 ⊥比率︶ % や人 三〇、四九二︵六七・二ハ︶ こ八、山〇七︵瓦四壬≡︶ 二七、山〇五︵四八●四三︶ ニ六、Ⅶ〇八︵四四†;︶ 二五、六八五︵三九・八五︶ 土四、五木四、︵三宜・闇七︶ ︵こ こ四・血〆 ㌻、四大九 阻四八 五七〇 ︵蔓ハ︶ 三ハ

(37)

大正1九年− 十四年 大正サ匹年−昭和五年 昭和五嘩∼ 十年 大 正 九 年 十四年 間 昭 和 五 年 十 年 同 眉本農業に於√ける我が国農準の墳極的意義 ︵幅和十年国勢調査常時の地域に墟る︶ ︵昭和十年周智細萱暫時の地域に揺る︶ 無 我が闊市郡別人口増加の割合 ︵大正九年−昭和†年︶ ︻ 我が図南郡別人口.増加 ︵大正九年†昭和一〇年︶ 席 千人 一四、三九五 〓ハ、九三︼ 一九、﹂二二九 二二、六大六 市 ■ 檜 抽 部 千人 二、五三五 ニ、七〇五 三、〇二九 や人〆 四.て五六七 四二、八〇五 四四1八〓ニ 四大、五入七 数 l 部 一、ニ三八 二、0〇七 二、七七由 郡 市 /部 劇七・六 〓ハ・b 叫五●四 市、 ノ 部 l0〇・0 鵬 仙七・六 〓三ハ・四 二皐七・五 郡 部 三。○ / 四・七川 四・〇 ︵三七︶/ 三七 離 部 劇0〇・〇 劇〇三・〇 叫〇七・八 血 〓TT 部 、 % 六七・ニ 五七・四 ﹂ハ三・⋮ 市 部 人口都留 % 三五・七﹂ ニ八・三 三〇. 三ニ・七

(38)

∴昭和十年国勢調査常時の地域′に揺る︶ 猿ほ細部に於ける赦禽的檜伽を地域的に見れぼ︰近代的産業の中心喝に於てはその率殊に顕著である。即ち次\ の如く・である。 部 市 大正九年− 十四年 大正十四年り昭和五年 昭和五年I・・† 年 部 郡 大正九年−+十四年 大正†四年1昭和五年 昭和五年− 十 年 大正九年− 十四年 大正十四年−昭和五年 昭和五庄て∴†′年 第十七巻∴∵第十奴 我が国都市別人口の自然的増加及敢禽的増加 敷 ノ千人 土、豊玉 ニ、七Cユ 三、○完 噂

景 浅

% 三田●三 四士。五′ ニニハ▼・六 訂然的檜血 下人 登○ 砦ニ ﹁蒜九 三、蒜三 三、七竺 三、宝玉 ︷こ二、告鼠 ︵、こl、望三 ︵ニー、ハ00 証曾的檜血 千人 ﹁九〇四 一、七三ニ ー、入会 京阪紳 % 二五。ロ 二二・八 三吉・“ 晋 晋 菅 ⊂⊃ ・ヒ ⊂⊃ ︵三八︶ 左入 自然的檜血 ′ヽ ノ1ヽ 七; ○ ● ● ニ=.1七; フ▲く ′■\ /−、 ( ) \ノ \_ノ 四 四 国 ● ○ ● =. ⊂:) フ■く % プし ・七; F勇 j / % ⊇・ニ [ニ・二 九。鮎

(39)

新 愛 群 富 浦 石 山 稽 大 佐 山 宮 東 京 蘭身地名 長 岡 兵 日本産染に於ノける我が国農染の墳遍的意義 山 原 時 間 分 賀 口 崎 岡 山 馬 丘♪ nH 滞

東京甲府喪螢償灘身地別詠基

質ノ 疲 ∴甘分比 出易地名 質 て四八九 二ハ叫−山 九仙 人七 五入 虻田 二八 二四 一革 仙〇 九 −・四 五 大一七 % ・四三・八四 均 茨 栃 湛 山 滋 宮 辟 日 暮州り 徳 愛 奈 整 鳥 魔 岩 見 轡 放 鳥 手 島 城 賀 梨 井 歌山 鳥 嬢 良 † 水 郷人玉 夢 二一二九 劇 ごこ 九〇 六閤 五大∵亮 四八 二▲叱 こ仙 仙 叫 九 八 七 六 罫 四 三﹂ニ九六人︶ 首分比 % 出易地名 茸 千 共 晶 野 紳許川 岐 せ 絆 問 三 霧 大 阪 京 ∴郡 秋 ′ 飼 育 川 島 根 北渥道 ︵三九︶ 三九 数 一入四 一T〇 九〇 五九 五六 四六 土革 こ○ 鵬○ 三、四 大 六 八 九 官分比 % ′

(40)

/−−¢

其 岐 愛 三 寮 潜 同 和 京 兵 歯 大

大 阪 市 内 第十七懸 第劇既 ︵竹林庄太郎氏首本中小宿弊の構邁に掠る︶ 大阪摘果服店見出身地蝕 歌 阜 知 室 長 鳥 山 部 膚 衆 山 一阪 雁.下 人骨林庄太融∵日本中小筒策構造に塘る︶

他牒=阻牒=臥願ぃ臥牒㍉野 顛

小 猫只 〓ハ九 八四 八五 九七 七六 七四 五六 七〇 七山 宍二 二l 山五 三三五 、仙九六 卸小変 岬患 九 七 ハ. 二 ∵ 七大 仙七〇 三 ニ▼六′−・、三 九 【 一七二 却 賢 や 五八 三仙九 八三 血五〇 卦七 四九 六七 主七 八 二三 二六 四八〇 ﹁卦三九 卸問屋 八正 二四 エソ: ニ二 大七 四〇 叫七 八 こ三 四 五 三四九 七七五 問 屋 七八 二山九 四一五 四− 五七 四四 劇四 二九 ニー 一五 ︼四 五 三七ニ ー、︼四四 ︵四〇︶ 四〇 計 五山九 ニ︼四 て〇五七 二五九 三五九 ニー八 〓ニ七 叫九〇 〓ハ四 八八 壷五 五二 て茸〇二 四、八︼四

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以上見たるが如ぐ我が困農業は商工発をヰ心とする我が国近代胡座栄に勤して常尤豊富に労働力を供給し凍っ たのであるが、併し労働力供給源としての盤柑の相封的地位は漸次低下し来ったものと思はれる。わだし、一団 産業痙顔が進歩し磯達するに伴ひ、そ秒近代的産米たる商工柴の包容人口もまた増加し、、それらがまた有力な る労働供給淑塞なり得るからである。、右についての適格漁る褒料は見常ら甘いが、吹摘表は、ある程度まで之.を 示唆してゐると思ほれる。即ち次摘表濫よれぼ、エ柴労働力の供給源は盛栄め外に各方面が存廃し、吏紅は各工 柴問比於ても相互に労働力の供給源たるあのあることダ想はしめる。か・くの如くして農柴の労働力供給瀕として の相封胡地位は漸次減退す′る傾向が象L得られるが、要世また工費の種類によつてその率は均しからぎるも、し かもなほ、最も盈要なる且つ健康有力なる労働力供給源たることば次摘表尤も見へ右如く、蔑も凝ふ飴地はな い0

第一次世界大戦中に於げる新現工場の職工及び琉張工場に演張後 入場したる職工中耳菜以外より韓職したる者の鷲敷並に百分比

叫 右拘束京市及大阪市に於ける両調査は清栄人口乃凛労働力供給濾としての痕が囲農村の地位を示唆す思ものと ↑ いふことが出来る。 農 日本産業に於ける貌が国展粟の硬極的意義

組 数▲儲讐場 鯛用離化警場 躇億鋤

人人 一宝、空四 一〇〇﹂言責

人 宍、四宍

人 一三、三塁

人 セ、四〇一 染織ユ瘍

雑工墟 特別工場 以列の

エ場合計

人 一三、竜三

︵四二︶四〓

人 羞、苦○

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