丹 川 大 ? 粁 i汗1論 議 百~()1:&司~i ~J 1992 il2 )J 141158
シュマーレンバッハの利益と
リーガーの利益概念
井 原 理 代
はじめに 会計学の歴史において動態論の時代を画したシュマーレンパッハに徹底的に 抗したリーガーの足跡を,会計学説史上に刻むことはできないのであろうか。 その足跡は,r
偉大な単独歩行J
[(1),S 8
9
.
]のあとにすぎないのであろうか。 われわれは,これまで,リーガーの資本維持観,価値観,貸借対照表本質観, あるいは貸借対照表真実性や損益計算構想に関する見解といった側面から,彼 の貸借対照表論を特徴づけ,会計学説史上における位置づけを尋ねてきた。 シュマーレンバッハの動的貸借対照表論に対する透徹した論,駁の理論が,単な るあるいは一方的な単独歩行のあとにしかすぎないとは思われなし、からである。 そして,そのようなリーガーの貸借対照表論とシコマーレンパッハの動的貸借 対照表論との批判的かつ双方的な関連,および正当な位置関係が捉えられるな らば,それは,総じて動態論に基づく現行企業会計のかかえる諸課題に対し て,資するところがあると考えられるからである。 そこで,小稿は,リーガーの利益概念に関する見解に基づいて,いま一度, 彼の貸借対照表論の意義を問おうとするものである。とはいえ,リーガー自身 の利益概念に関する見解は,他の見解と同様に,否それ以上に,直接的には呈 示されていない。そのため,われわれは,まず,リーガーの批判するシュマー レンパッハの利益概念に関する見解[
(
2
)
,S
.86-113
, ]を辿り,ついで,その 見解を理解するために,経営経済的・貸借対照表的利益概念についてのタロイ-142- 香川大学経済論叢 834 の所説
[
(
3
)
]
を縮きたい。そのうえで,シュマーレンバッハの見解に対する リーガーの批判[(4), S" 61-98ゎ]を跡づけ,その批判のうちに伏在するであろ うリーガー自身の利益概念に関する見解を紡いでみたいと考える。 E シュマーレンバッハの利益概念に関する見解 シュマーレンバッハの利益概念に関する見解は,周知のように三つの部分, すなわち「概念規定の原則J
,r
利益に関する種々の見解」および「経済性の表 現としての利益J
から構成されている。このうち,ここでは,前二者と後者の 第一部分を構成する「共同経済的利益と私経済的利益」においてみられるシュ マーレンバッハの見解を忠実に辿りたい。なお,後者の残り部分を構成する利 益計算とその計算原則については,別稿で考察したいと考えている。 シュマーレンパッハの見解の第一は,r
概念規定の原則」についてであるが, そこでは,なによりもまず,r
利益概念の内容を明らかにしておかねばならな し 、J
[(2), S86 ]必要性が説かれる。貸借対照表を利益決定の手段として性格 づけるシzマーレンバッハとしては,利益概念の内容によって貸借対照表の結 果がどのようになるか定めようとするからである。 そこで,利益の定義が問題となるが,彼によれば,この場合,r
その概念をで きうる限り一般的または専門的な言葉の慣用に相当して取り扱うことが問題と なるのではないJ[(2), S86リ]。そこでは,われわれの計算目的に相応した概 念を見出すことが問題となる。 ふえんすると,r
利益は,われわれがわれわれの計算目的としてもつべきも のJ
[(2), S86叶〕というのである。そして,この目的は合目的性の考慮、から定 められるものである。したがって,利益概念をきわめて単純な,しかも意味深 い言葉で表わそうとする試みは断念せねばならないことになる。そのことは, 利益概念が満たすべき条件が余りにも多く,またその構成要素である収益と費 用のこ要素の多様性のために,なおさらである。 このような利益概念を規定する原則についての見解につづいて,第二に, シュマーレンバッハは,r
利益に関する種々の見解」を検討している。そこで835 1ンュマーレンパッハの利益とリーガーの利益概念 -143-は,
I
利益と所得J
,I
利益と収益J
,I
株式法上の利益概念」および「私経済的利 益概念jについて考察が加えられるが,要するに利益に類似する概念を取り上 げているのである。 利益概念に類似する概念の一つに所得がある。シコマーレンバッハは,パウ クナーに従い,所得概念についての学説を次のように分類する。すなわち,消 費基金説,循環学説,源泉説,収益範鴎説および純財産増加説がそれである。 消費基金説は,所得概念を全て消費となる所得の目的に関係させるもので, 所得は消費しうるものと捉えられる。循環学説は,所得の特徴を収入の規則的 回帰に求めるもので,収入の本質には立ち入らない。源泉説は,所得の特徴を その源泉の存在に求めるもので,特に士地所得税の説明のために有意義であっ た。収益範時説は,所得の根源に遡るもので,その根源を収益に求める。そし て,収益と所得とは,大きさにおいて全く同ーであるが,概念上収益を客観 的,他方所得を主観的にみることによって異なるとされる。純財産増加説は, 所得を経済主体の財産が増加した事実によって捉えようというもので,収入が 何処から発し,何時流入し,何に役立つかは考慮の外に置しここで財産とは 所得期の初めに所有していた財産と解される。 このような諸説のうち,消費基金説は,利益概念の構成には問題とならない ものであり,また循環学説ならびに源泉説は,所得概念をその発生の側面から 捉えているにすぎず,積極的な概念規定を断念している。さらに,収益範時説 は,所得概念を収益の概念に転じてしまっている。残りの純財産増加説のみが 所得概念の積極的な規定に努めているが,この説は「財産の価値が期首におけ るものと変わらないと考えるJ
[(2), S 101
.
]前提がみられ,その現実性から 問題となる。 このようにみると,学説上の所得概念はいずれも,利益の概念規定に寄与す るものとならないが,シュマーレンパッハによれば,租税論上の所得概念もま た同様であるとされる。税法上の所得概念は,I
ある特定の期間において,個々 の人に,彼自身および彼が法律上扶養すべき人々の欲望を支えるため,財の生 産の永続的源泉からの収益として自由に処分しうる物財の総計J
[(2), S-144- 香川大学経済論叢 836
8
8
,J
,あるいは「一定期聞において欲望充足の手段をえるための永続的源泉か ら生ずる純収益および利用の全体であり,…ゎ ωしたがって,個人が期首に有す る財産の貨幣価値を減ずることなしに使用しうる,また使用しなければその財 産を増加する剰余J
[
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,,8
8
“]と捉えられる。そして,このような所得概念 は,全く主観的であるゆえをもって,利益の概念規定に寄与しないというので ある。 こうして,所得概念と利益概念とを峻別した後,利益概念に類似する概念の またーっとして,収益が取り上げられる。シュマーレンバッハは,収益の概念 規定に功績があったのは,租税論であるとL、う。租税論は収益概念にとって源 泉の必要性を認識したからであり,そこで収益とは源泉から生ずるものと捉え られたのである。しかし,現実には,営利経営の収益は源泉と因果関係の存在 しない部分を包含することがある。それは,経営と直接的に関係のない設備資 産の価値の増加や偶発的利益,売却益等である。したがって,I
税法上の収益概 念にとって,特に本質的なものは収益と財産の増加との区別であるJ
[(2), S" 89,J
ことになる。 このような税法上の収益概念について,シュマーレンバッハは,利益概念と 類似性をもつにもかかわらず,利益の概念規定に何の手がかりも与えないとす る。租税論では,収益概念を把握しようとする計算上の問題が一般に存在せ ず,それを何らかの完成したものとして,それからある部分一一部分的には, 単に想像上非利益とされる部分一ーを引き去るのである。 こうしてまた,収益概念を利益概念と区別した後,利益概念に類似する概念 のさらにーっとして,株式法上の利益概念が取り扱われる。シzマーレンバッ ハは,株式法で問題となるのは稼得した利益ではなく,配当しうる利益を正確 に決定することであると説く。株式法上の利益とは,ある期に配当しうる利益 に,前期の配当や積立金設定をして残された利益を加えた額,あるいは前期か ら繰越された損失を減じた額にほかならないのである。株式法上,利益とは配 当しうる利益と同ーなのである。 このような株式法上の利益概念に対して,シコマーレンバッハは,I
私のい837 シュマーレンパッハの利益とリーガーの利益概念 -145-う利益とは稼得Lた利益であって,配当すべき利益ではなし、
J
[(2), S.. 90刷]と 断じる。 こうしてさらに,株式法上の利益概念を利益概念と分かった後,利益概念に 類似する最後のーっとして,私経済的利益概念が問題とされる。シコマーレン パッハにあって,私経済的利益概念とは貸借対照表実務の利益概念を指す。 との貸借対照表実務の利益概念は正確な概念規定を欠いているが,シュマー レンバッハによれば,これをめぐって次のような問題があるといわれる。その ーは,所得のみに執着し,自分の経営をこの目的の手段とのみみる経営者が多 く,こうした人々にはその所:得が共同経済上重要な給付から生じているか否か は問題でないということである。しかし,その二は,私経済的利益が共同経済 上重要な給付から生じたものである場合,偶然的な,共同経済的には重要でな く,いわば寄生虫的性質を有する所得より確実であることを認識する経営者も いるということである。さらに,その三は,所得の正しい喜びは,経営活動が 国民経済的社会において重要であり促進すべきであるということを知った場合 にのみえられるものであるという高尚な職業観念をもっ経営者も少なくないと いうことである。 このような貸借対照表実務の利益概念をめぐる多様な状況は,当然に,その 利益計算の結果に対する関心の多様性をもたらし,さらに計算方法に影響する ことになる。例えば,自らの所得のみに関心をもっ人がし、るとする。その人 は,後で所得が多くなった方がよいとして,いわゆる用心深い計算を行う傾向 がある。これに反して,客観的経済性を計ろうとする人がし、るとする。その人 は,過小評価を誤りとして,正確性を熱望する。また,多くの利益分配権利者 が存在する場合,彼らの所得の要素が経済性の要素よりも前面に立つ。この利 益分配権利者としての株主が経営の外部にいる場合,経済性の測定はさらに後 退する。株主が経営の外部にいるような株式会社では,経営者は計算書を作成 しなければならないが,その計算書は流動性に配慮した銀行向けになる傾向が あり,また利益の減少期を見込んで,利益の多い時に秘密積立金を設けるよう になる。ここにみられる公開の原則は,利益計算の正確性を損ない、やすく,株-146ー 香川大学経済論叢 838 主等から批判を受けないように粉飾を導きやすくなる。株主に関して付け加え ると,配当が高いと株価が上昇し,その利益を好むので,高い配当になるよう 配慮した利益計算になりやすい。 さらに,財務政策や銀行対策あるいは租税政策も,利益計算に影響をもたら すのである。財務政策として経営者が広く市場で株主を募集しなければならな い場合,配当の安定性と恒久性が求められるので,その配慮のため,経済性の 測定を誤らせることがある。また,銀行対策として,経営者は銀行家に合わせ て原価計算的考え方より,流動性への配慮、を必要とするため,経済性測定の意 義が軽んじられることがある。あるいはまた,租税政策による税法上の規定の 影響を受けて,利益計算の本質が完全に奪われることさえある。 このようにみてくると,貸借対照表実務の利益概念は,さまざまな状況のな かで,実に多様かつ恋意的なものとなるといわざるをえない。シュマーレン バッハによれば,
I
総じて株式会社は,その性質上 l……誤れる利益概念を生ず る機会を与えられているJ[
(2), S.. 92..]のであり, Iこれは,企業形態として の株式会社の欠陥であるJ[
(2), S.. 92 " ]。そして,彼は,このような状況から 離れて,利益概念が,できうる限り正しくかっ透徹した経済性の観念に基づく ように形成されるべきであると主張するのである。 このようにして,利益概念をそれに類似する概念と峻別した後,シュマーレ ンメッハの利益概念に関する見解の第三は,I
経済性の表現としての利益J
に ついてである。彼の利益概念が直裁に語られるところであろう。そしていう, 「財貨の生産が白川引いかなる程度に経済的に実現されたかということは,利益 計算が決定すべきものであるJ[
(2), S 93. ] ,と。この決定の目的は,不経済 的であると分かった企業を経済的な企業にするかあるいは中止し,他方,経済 的な企業に対しては,さらに発展の可能性を与え,まっ先に国民経済の資本を 使用できるようにしてやることである。また,この目的は,経済的に勤勉でな い人に後退してもらい,他方,経済的に有能な人に向上してもらうという,経 済人間での正しい選択が行われるようにすることである。 このように経済性の表現としての利益の決定の目的は,物と人との配分を正839 シュマーレンパッハの利益とリーガーの利益概念 -147-しく行わせることになるが,その利益とは共同経済的利益か私経済的利益かい ずれを指すかが問題となる。これについて,シュマーレンバッハの立場は明確 である。彼の学聞の意図は「し、かにすれば,かつまたし、かなる方法で,経営が 共同経済的生産性を示すかを研究すること
J
[
(
2
,)S 94J
だからである。した がって,シzマーレンバッハとすれば,本来,経済性の表現としての利益を決 定するためには,経営経済的収益の中で共同経済的給付に基づくものだけを求 め,他方,費用について国民経済的価値で計算しなければならないことになる。 ところが,実際には,利益計算において,共同経済的給付だけでなく全ての 収益を包含し,他方,費用を価格で計算する。この矛盾に対して,つぎのよう な根拠があげられている。その一つは,計算の確実性のためであり,共同経済 的生産性を測定することは実際的には貫徹し難いものであること,およびいま 一つは,企業者は共同経済に奉仕するために働くのではなくて,自己の利益を えようと働くものであることである。 このようにして,シコマーレンバッハは,共同経済的生産性の測定の代わり に,私経済的利益の計算を採択する。しかし,彼はなお,自らの学問の意図と このような実際の成り行きの聞の自己矛盾を,I
私経済的利益は共同経済的利 益と一致するJ
[(2), S 95 ]とし、う前提を導入することによって遮蔽しようと している。だが,この前提の脆さは,シュマーレンパッハ自ら察知するところ であり,彼は,この脆弱性に対する責任を彼自身の論理構成に求めず,経済状 態に帰せしめ,経済政策上の問題と教育上の問題に転嫁して,経済道徳が発育 不全であるために共同経済的利益を追求する経営が現れないとしている。 とはいえ,シュマーレンバッハは,現実に計算される経済性の表現としての 利益とは,私経済的利益であることを次のように明言している。すなわち,I
わ れわれの立場は,私経済的利益が本来われわれの測定しようとする最終目的で はないが,私経済的利益のみが必要な確実性と計算人の善意をもつものである ことを知って,これをわれわれの計算目的とするのであるJ[
(2), S 95 ],と。-148ー 香川大学経済論議 840
E
タロイの経営経済的・貸借対照表的利益概念に関する見解 われわれは,利益概念に関するシュマーレンパッハの見解に対するリーガー の批判から,リーガーの見解を紡いでみたく,それに先だって,以上のよう に,あえて忠実にシュマーレンバッハの見解を辿った。しかし,シュマーレン バッハの見解にはなお鮮明ではないところがみられる。とりわけ,利益は計算 目的であり,その目的は目的適合性の考慮から定められるという彼の基本的主 張はどのように理解されるべきか,問いたいところである。そして,これに対 する一つの理解を与えてくれるのが,タロイの経営経済的・貸借対照表的利益 概念についての所説ではないかと思われる。この所説では,利益概念の目的依 存性に関して,直載な考察が展開されているのである。われわれは,リーガー のシzマーレンバッハ批判を跡づける前に,批判の対象をできうる限り正しく 理解しておくために,タロイの所説を播いておきたい。 ところで,タロイの所説は,もともと「株式法上の利益概念,すなわち年次 余剰ならびに貸借対照表利益と,動的貸借対照表の利益概念もしくは期間損益 計算による利益概念,すなわち経営経済的・貸借対照表的利益概念との聞の関 係J
[(3), Sリ187..Jについて考察しようとしたものである。 ここで経営経済的・貸借対照表的利益概念とは,シュマーレンバッハの見解 においてみられた利益概念そのものであり,他方,株式法上の利益概念とは シュマーレンバッハのいうそれと同ーであるといえよう。前者については,前 述のように動的貸借対照表の利益にほかならず,また後者については,次のよ うにして求められる貸借対照表利益に相当するからである。すなわち, 年次余剰または年次欠損 +(一) 前年次からの繰越利益または欠損 十 公示積立金の取崩 年次余剰からの公示積立金組入額 貸借対照表利益または欠損 このような株式法上の利益の算定について,タロイは,r
経営者が"の"財務841 シュマーレンバッハの利益とリーガーの利益概念 -149-政策的な考慮によって利益数字を繰縦するという可能性をもたないように,期 間損益計算上規定される要素以外の要素によってできうる限り作用を受けでは ならなし、
J
[
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と主張する。この主張は,シュマーレンバッハの見 解と明らかに異なる。シュマーレンパッハにあっては,株式法上の利益は,配 当しうる利益と特徴づけられ,配当政策によって恋意的に影響されるものと捉 えられているからである。その意味で,タロイにおける株式法上の利益概念と シュマーレンバッハにおけるそれは,算定される大きさにおいて同じである が,後者では,稼得した利益と特徴づけられる経営経済的・貸借対照表的利益 概念とは異なるものとして分かたれるのに対して,前者では,経営経済的・貸 借対照表的利益概念に基づくものとして密接に関係づけられるのである。その 関係づけこそ,タロイの所説の課題であることは前述のとおりであるが,ここ では,その所説のうちに経営経済的・貸借対照表的利益概念の目的依存性につ いての考察を中心に,検討していくことにする。 タロイの考察においてなによりも注目したいのは,彼はいみじくもシュマー レンバッハに似て,r
普遍的に妥当する利益概念は存在せず,利益概念は利益 計算が追求する目的から求められる相対的概念であるJ
[
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8
8
.
J
と断言 していることである。利益概念はどのように目的と相対的概念であるかみてい こう。 ところで,利益は,期間損益計算においては,費用を超える収益余剰として 算定される。そのため,利益概念は,その費用概念によって決定的に定義され る。費用概念は,財貨経済的かあるいは貨幣経済的か,いずれかによって解さ れるのである。 そのうち,財貨経済的考察法のもとでは,一期間に帰属する要素費用(投 入〉と要素収益(産出)との差額が利益とみなされるが,計算可能性と比較可 能性のために,費用も収益も貨幣数字で表現される。要素収益が売上げによっ て測定されるから,この考察法の利益概念は,本質的には費用測定に対する要 素価格によって規定される。要素投入の測定に関しては,それに対する再生産 価値ないし再調達価値または時価が見積られる。それゆえに,財貨経済的考察-150ー 香川!大学経済論叢 842 法のもとでは,要素費用が貸借対照表価値すなわち歴史的調達価値から解放さ れる。ここでは,費用が経営の収支過程および信用過程と直接的に結びつきを もたないため,当然に,利益概念は財務経済的観点全示さないことになる。 これに対して,貨幣経済的考察法のもとでは,費用測定は,支出と直接的に 結びついている。要素投入に関して,実際に支出されたもののみが費用として 計算され,したがって,算定される利益は,収支計算に基づいているのである。 ここで,タロイは,このようなこつの考察法を資本維持思考と関連させる。 明らかに,財務経済的考察法は実体維持思考と,他方,貨幣経済的考察法は名 目資本維持思考と通じている。前者では,一定の財貨量ないし経営力の維持が 図られる。ハゼアックによれば,それは,給付等量的ないし発展適応的経営維 持と称されるところである。これに対して,後者では,費用計算を通して,一 定の拠出資本が維持される。 そして,このような二つの考察法における利益概念は,貨幣経済的計算結果 が経営プロセスに投入された生産要素の総額または利用潜在力を再び取替える ことに十分であるといった状況,すなわち,いわば静的経済とし、う非現実的な 場合においては,一般に,一致するであろう。しかし,動的経済の場合,すな わち,需要変化,技術進歩,経営規模変化等の多様な要素が国民経済の価値構 造ならびに財貨構造をたえず変化させている状況においては,二つの考察法の 利益概念は,一般に,一致しない。 このうち,動的経済の場合が現実的であり,したがって二つの考察法の利益 概念は一致しないことが一般的であるならば,企業は,財貨経済的考察法かあ るいは貨幣経済的考察法のいずれかを選択して適用しなければならない。その 場合,選択の基準は,企業の維持思考目的によることになるはずである。 いま,タロイに従って,シュミットの有機的貸借対照表論に目を注ごう。そ れは,費用についての財貨経済的考察に基づくものであり,そこでは,取引日 の時価が期間損益計算の基礎的価値となる。したがって,企業の利益は,企業 財産の維持を超えて獲得されたもののみであり,
r
全体経済における平均生産 力の形成に比例してJ
[(3),8..191叶],企業の維持が図られようとする。その意843 ショマーレンバッハの利益とリーガーの利益概念 -151ー 味で,
I
本質的には,時価による要素投入の測定が有機的貸借対照表論の利益 概念を規定しているJ
[(3), S ,191
.
.
J
ことになる。そして,一般に時価が変動 するため,財産についての持続的な新評価によって,次期以降に発生する要素 費用ははじめに生じた支出との結びつきを失うのである。 これに対して,シュマーレンバッハの動的貸借対照表論に自を転じると,そ れは,貸借対照表価値と収支計算との結びつきに基づいている。利益は,収益 と費用とのプラスの差額にほかならず,収益と費用はそれぞれ収入と支出で測 定される。ところが,貨幣価値変動が起こるとすれば,支出に基づく取得価値 は費用測定の基礎となりえない。費用測定のためには,計算目的に適する時価 が用いられる。そこでは,最終的には,貨幣資本の実体維持,すなわち購買力 の維持思考を計算目的と結びつけたのである。 また,コジオールの収支的貸借対照表論をみると,周知のように,シュマー レンバッハとワルフ。により発展させられた動的貸借対照表論の一貫した流れを 達成すると同時に,一つの独立した評価論を打ち樹てている。コジオールは, 企業の損益作用的な財貨運動をそれと結びつく収支過程に帰せしめている。費 用と収益は収支的価値であり,全ての財貨はその収支的価値をもって期間損益 計算に現れる。 Lたがって,費用において計算される支出を超える売上げ余剰 が利益と解される。このように,評価は,シュマーレンバッハと異なり,厳密 な取得価値に基づいており,それゆえ,収支的貸借対照表論の利益概念は,名 目的資本維持を満足させるものである。そして,コジオールにおいて,財貨経 済的考察法は,もっぱら利益からの公示積立金の設定という形で行われること になる。 さらに,ハゼナックの貸借対照表論についていえば,それは,シュマーレン パッハの動的貸借対照表論に広く拠っているとともに,リーガーの名目的貸借 対照表論に基づくものである。ハゼナックは,一致の原則の優位性から,必然 的に,長期にわたる取得価値の適用を要求する。彼は,形式的な名目論者なの である。すなわち,彼は,企業の公表年次貸借対照表における評価は,常に, 発生した貨幣価値変動を考慮することなく行われなければならないとする。彼-152ー 香川大学経済論叢 844 によれば,このようにして算定される名目利益は真の企業利益ではありえない。 むしろそれは,企業の経営管理のための羅針機能をはたしているにすぎない。 そして,ハゼナックは,こうした名目利益を算定する貨幣経済的考察法に加え て,財貨経済的考察法を採り入れている。彼は,給付等量的ないし発展適応的 経営維持を要求するのである。しかし,それは,利益計算によってではなく, コジオールの場合に類似
L
て,適切な積立金政策によって保証される。 以上の検討から明らかなように,貸借対照表論においては,I
利益概念は,厳 密に貨幣経済的,名目的に定義された利益概念から,財貨経済的に調整された 利益概念まで及んでいるJ
[(3), S..194..J。そして,その場合,利益概念を規定 しているのは,貨幣経済的考察法かあるいは財貨経済的考察法,換言すれば名 目資本維持思考かあるいは実体維持思考のいずれを選択するかとし、う利益計算 の目的なのである。 N リーガーのシュマーレンバッハ批判 われわれは,こうしてシュマーレンパッハの基本的主張である利益計算の目 的に相応した利益概念に関して,そこに計算目的とは,貨幣経済的考察法か財 貨経済的考察法,すなわち名目資本維持思考か実体維持思考のいずれかの選択 であるという一つの解釈を手にしたことになる。そこで,ここまで検討した, 利益概念に関するシュマーレンメッハの見解に対するリーカーの批判を跡づけ ることにしたい。 シュマーレンバッハの見解に対するリーガーの批判の基本的視点は,I
一つ の貸借対照表の形式には,利益概念もまたはじめて決定されなければならな し 、J
[(4), S 62,J
ということである。すでに周知のように,シュマーレンバッ ハは,二つの貸借対照表,すなわち損益計算の手段としてのそれと財産計算の 手段としてのそれが元来存在するという洞察のうえに,前者の静的貸借対照表 は揺らぎ,貸借対照表は後者の動的貸借対照表として捉えられるべきであると 主張した。そして,彼は,I
貸借対照表の課題,すなわち利益決定の手段という ことから,貸借対照表の内容が結果するJ
[(2), S“印刷]と述べる。そうなら845 シュマーレンバッハの利益とリーガーの利益概念 -153ー ば,貸借対照表の形式に相応する利益概念が決定される、べきことになるであろ う。 このような基本的視点に立つリーガーの批判を,シュマーレンバッハの見解 に即してみていくことにする。まず,シコマーレンパッハの「利益は,われわ れがわれわれの計算目的としてもつべきもの」であるという基本的主張に対し て,それは,次のように解されるべきであるとする。すなわち,
I
利益は,われ われが利益としてもたねばならないものであらねばならなしづ [(4), S , 64,J
と。そして,I
われわれの計算目的に一致するところの概念を見出すべきであ るJ
[(2), S, 86叶]というシュマーレンバッハの立場は,リーガーにはまったく 理解できないことになる。シュマーレンパッハにあっては,計算目的に利益を 従属せしめ,相応する概念を考えているわけである。これに対して,リーガ1ー によれば,計算目的は変わることなく,与えられたものであり,いわば利益計 算そのものが問題なのである。 まさしく,シコマーレンバッハによれば,I
利益は目的適合性の考慮から定 められるJ
[(2), S 86,J
が,この見解に対するリーガーの批判は辛掠である。 すなわち,それは「何処でも通用する旅行免状のようなものだJ
[(4),S
64,J
と。何処でも,あるいは誰もかれも通用する免状は,免状の役目をもたないと いわざるをえず,シコマーレンバッハの見解の無意味さを指摘している。 このように,シュマーレンバッハにあっては,利益は目的適合的であるべき である結果,その概念は満たすべき条件が余りにも多く,きわめて単純な,し かも意味深い言葉で表わそうとする試みは断念せざるをえなかったのである。 これに対して,リーガーは,I
利益概念を明瞭,かつ明白に定義づけることは, 全ての状況のもとで,非常に単純な事態であるJ
[仏),S
,64,J
と真っ向から異 論を唱える。また,利益概念を単一には表わしえないのは,その構成要素であ る収益と費用のこ要素の多様性にも拠っているというシュマーレンパッハの指 摘に対して,リーガーは,I
利益概念の把握において,概念上ではなく,計算実 施上に関係する実際的困難性は問題とならないJ
[仏),S.6
白5
リ一ガ一にとつて問題になるのは,概念規定以外の何ものでもない。-154ー 香川大学経済論叢 846 リーガーの批判は,つぎに利益に類似する概念に対するシュマーレンバッハ の検討に向かう。所得,収益,株式法上の利益,私経済的利益といった類似概 念について,シュマーレンバッハは,総じて,彼の求めるべき利益概念と峻別 し,その概念規定に資するものではないと捉えている。ところが,リーガーは これらの概念が,利益の概念規定に寄与するとし、う見方はとっていないが,し かし, I実務における利益概念はきわめて鋭く定義されている
J
[(4), 8, 65J
として,高く評価していることは興味深い。 このような類似概念のうち,株式法上の利益概念に対するシュマーレンパッ ハの検討に対して,リーガーの批判が目立つ。リーガーは,そもそも「株式法 上の利益概念というものが,一般に生じるかJ
[(4,) 8, 65J
疑問を呈する。彼 は,株式法に従って,利益の計算がなされればよいとする。そして,シュマー レンバッハの次の叙述に注目する。すなわち,I
株式法で問題となるのは,ある 年に稼得した利益ではなく,配当しうる利益を決定することであるJ
[(2,) 8" 89..J,と。そとで述べられているのは,利益についてであって,利益概念では ない。リーガーは, I利益は利益概念でないJ
[(4), 8,65J
と厳しく断言する。 また,この叙述に対して,リーガーの批判が続く。シ"-'"'<ーレンバッハは, 株式法上,稼得した利益で叫はなく配当しうる利益が問題となるというが,そこ に「稼得」とは何か,何から構成され,どこで,いつ認識するか明瞭にされな いままに,問題とされていることを批判する。稼得されたのに,分配されない 利益の事情とはどのようにして生ずるのか明らかにされないままに,両者を取 り上げていることを論評する。シュマーレンパッハは利益概念に関する単一の 形式を見出しえないと説いたばかりであるにもかかわらず,I
利益は稼得であ る」と高唱することを批評する。 さらに,シ2マーレンパッハの検討した類似概念のうち,私経済的利益概念 について,リーガーの批判は高い。その最大の批判は,株式法上の利益概念の 場合と同様に,リーガーによれば,本来「私経済的利益が存在するのであっ て,同種の利益概念が存在するのではなし、J[(4), 866,J
ということである。 彼は,無味乾燥な利益概念が,株式法上の,あるいは私経済的彩りを与えられ847 シュマーレンバッハの利益とリーガーの利益概念 に J V P 、 d , , a a て生気のある利益を見出すことになるというのである。シュマーレンバッハに おける利益概念と利益の取り違えを鋭く指摘する。シュマーレンパッハにあっ て,利益の概念規定が課題となるのならば,正しい概念を形成することに集中 するべきであって,計算方法によって生ずる問題に目を転じるべきではない。 その意味で,シュマーレンバッハの類似概念の検討において,実務における計 算技術や方法,あるいは,配当政策や租税政策,用心深い計算思考等によって 生じる利益をめぐる状況が持ち出されたことは,リーガーには全く理解し難い こととされる。 こうしたシュマーレンパッハの類似概念の検討に対する一連の批判の後, リーガーは,経済性の表現としての利益についてのシュマーレンバッハの考察 に対しても,疑問と批判を投げかける。その最初の疑問は,そもそもシコマー レンバッハの考察が必要であったかということで舟る。繰り返し述べているよ うに,シュマーレンパッハの課題が利益の概念規定ならば,利益の定義そのも のにかかわるのであって,それが何かの表現とみなされるかということにかか わる必要はないなずだからである。 ここでリーガーにより投げかけられた次の疑問は,経済性の表現としての利 益として,シュマーレンバッハによれば利益に経済性が映し出されるのである が,この
2
つの大きさの平衡関係は成り立ちうるのかということである。経済 性は,ちょうど「外国から来た少女J
[(4), S, 72 " ]のように全く思いがけず現 われ,どこから来たか分からないままに,両者は等しく同居させられている状 況だからである。一般に利益を知る前に,すなわち利益が一つの捉えうる大き さとして存在する前に,利益は,いわば「他の未知なるものJ[
(4), S, 74, ]の 表現とみなされている状況だからでもある。 ふえんすれば,リーガーの批判は, ["利益は明らかに多くを決定しないかも しれないが,しかしそれにもかかわらず,利益計算は出発点であり,その利益 計算によって,経済性が表現されるべきJ
[
ω
)
, S, 76, ]であって,経済性の表 現としての利益が計算されることではない。シュマーレンパッハに従えば,一 つの計算,すなわち利益計算が存在する場合,一つの目的が必要であり,その-156- 呑川大学経済論議 848 課される目的が経済性の測定ということになるのであろう。これに対して, リーカーの納得しえぬ問L、かけは,利益計算に何のためか分からないままに, なぜ目的が与えられなければならないのかということである。このような目的 の賦与は必然的であろうか,あるいは可能であろうかということである。リー ガーはあらためて問う,
I
一つの計算が利益計算と呼ばれるとき,それは一つ の目的,すなわち利益を目的とすると仮定すべきである。そうでなければ,そ の名称は甚だ理由のない,不当なものではないだろうかJ
[(4), S.. 78リ]と。一 連の問いかけは,経済性の表現としての利益についてのシコマーレンメッハの 考察に対する批判以外の何ものでもない。 V むすびに代えて 以上,われわれは,シュマーレンパッハの利益概念に関する見解に対する リーガーの批判を跡づけてきた。繰り返し述べてきたように,その批判はし、か にも苛烈ではあるが,しかし,リーガー自身の見解を呈示することはほとんど みられない。そこで,われわれは,リーガーの批判から,そのうちに伏在する であろう彼自身の利益概念に関する見解を紡いでみることにしたい。それを紡 ぐために,リーガーの批判から手繰り寄せられた糸は,次のようである。リー ガーは次のような見解をそのうちに潜ませていると考えられないだろうか。 そのーは,利益概念は,計算目的に相応するものではなく,利益計算そのも ののうちで,利益として規定されるべきであるということである。その意味 で,利益概念には,タロイの主張する貨幣経済的考察法も財貨経済的考察法も 関係しないことになる。 その二は,利益概念は単純な,しかも意味深い言葉では表せないのではな く,単一に規定されるべきであるということである。 その三は,利益概念と利益は明らかに峻別すべきであり,利益概念が彩色さ れると,利益が見出されることになるということである。概念規定が問題とな るのは,利益ではなく利益概念についてであることはいうまでもない。 その四は,利益計算は経済性の測定ではなく,利益計算を目的とするのであ849 シュ 7ーレンパッハの利益とリーガーの利益概念 157-り,それ以外のものではありえないということである。 こうして,利益計算そのものうちにある,利益ではなく利益概念を単一に規 定すれば,どのように表されるだろうか。実は,その方向は,リーガー自身に よって用意されているように思われる。「利益概念は,一定の状況のもとで獲 得された期首の状況を超える余剰であるJ[但),
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山64J
のである。そして,こ の余剰は具体的に獲得されなければならないので,基礎となる計算単位から生 じ,企業は貨幣で計算するのでこの限りにおいて,貨幣余剰である。リーガー にあって,利益概念は貨幣余剰として規定されることになる。 では,こう単純に規定されるであろうリーガーの利益概念によって,彼の貸 借対照表論はどのように特徴づけられるであろうか。リーガーにあっては,利 益概念についての考察のうちに,貸借対照表との結びつきが希薄であったよう に思われる。それは,すでに拙稿[
(
5
)
,(
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)
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において考えてみたように,貸借 対照表本質観と会計目的観を異なるものと捉えているかもしれないリーガーな ればこそであるのだろうか。その答えは,前述のように,なお残されている シコマーレンバッハの利益概念に関する見解とそれに対するリーカーの批判の 検討をはたすまで,慎重に待ちたし、と考える。その答えは,そのままにリー ガーの貸借対照表論の会計学説史上における位置づけにつながると思われるか らである。 小稿はンュマーレンバッハの利益とリーヵーの利益概念をできうる限り忠 実に辿ったことで,結んでおきたい。 参考文献(l) Muscheid, W, Schmalenbachs D'ynamisc.he Bilanz一一Dars.tellung,Kritik und
Antikritik-一一, Koln und Opladen, 1957
(2) Schmalenbachs, E D'ynamische Bilanz, 4.Aufl, Leipzig, 1926
(3) Tallau, H,“Der betriebswirtschaftlich-bilanzielle Gewinnbegriff als Grundlage der aktienrechtlichen Gewiimbegriffe : Jahresuberschluss und Bilanzgewinn", ZfB,
-158- 香川大学経済論議 850
処 Rieger,W, Schmalenbachs Dynamische Bilanz --Eine kritische Untersuch -ung一一一,Stuttgart dnt Koln, 1936
(5) 拙稿「リーガーの価値観と貸借対照表論JW産業経理~ VOL 48, No.4, 1989, 75~
83ページ。