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OEDとは何か : シェイクスピアの新語,新語義のリスト作成をめぐって

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(1)

OEDと

は何 か

― シェイクス ピアの新語

,新

語義の リス ト作成 をめ ぐって 一

英米文学教室 岡

先 に私 は,「シェイクス ピアの新語

,新

語義の リス ト」(↓出著 [シェイクス ピアの新語

,新

語義の 研究』(濃水社

,1996年

)に

収録

)を

作成 して きたが

,そ

の時の作成の中心的な資料 となった Fオ

ックス フォー ド英語大辞典』(T力″Ox/97J E2g''s力 D力廃ο夕ιαヮ

)(略

OED)に

ついて

,今

回はい く らかの点か ら考 えてみたい。 シェイクス ピアの新語

,新

語義は,「新語

,新

語義であるらしい」 とい うものであってはならず, 考察の前段階 として

,正

確 なその リス ト作成がなされていなければならない。 しか し

,批

評家ばか りでな く

,

よく知 られているシェイクス ピアの造語論 (新語論 といつてもよい

)の

研究者 といえど も

,新

語 として例示 し

,考

察 しているもののなかに

,実

際は新語でない ものが多々ある。`ウイルヘ ルム・ フランツ

(wnhelm Franz)は

,そ

の著

,斉

藤静他訳 層シェイクスピアの英語一 詩 と散文』 (篠崎書林

,1938年

)の

「造語論」(143216頁

)に

おいて

,シ

ェイクス ピアの新語 で ない もの を, 新語 として数多 く例示 している。私たちが

,簡

単 に見分 ける方法は

,そ

の用例 を『オ ックスフォー ド英語大辞典』(これについては

,後

ほど詳述す る

)で

確認 してみることである。 それ以前 の多 く の初出例が見つかるはずである。 先ず

,山

口誓子の造語 (新語

)と

いわれた「門波」 について検討 してみ よう。 俳人の山口誓子が

,1994年

3月26日

,92歳

で亡 くなった。氏 を偲 んだ文章が

,新

聞・雑誌等 に寄 せ られたが

,そ

の一つは『朝 日新聞』の「天声人語」(1994年3月28日

)で

ある。 古い言葉 を組み合 わせて新 しい言葉 をつ くるとい う試み も

,俳

句 に新 しい感覚 を盛 る努力 の一つだったのだろう。門波 (となみ

),山

扉 (やまと

),青

嶺 (あおね

),枯

路 (かれ じ), その他の造語がある。代表的な句 にも使 われている。「流氷や宗谷の門波荒れや まず」。 これには後 日談がある。同 じ「天声人語」欄 (1994年 4月 4日

)に ,読

者か らの指摘で「門波」 とい う造語は『万葉集』ですでに用い られていた

,

と記 されている。 とすれば,「F弓波」 は山口誓 子の造語ではな くなる。 この ように新語の作 り手は誰かを見定めることが重要である。 しか し

,こ

の指摘 は一読者の記憶 による ものではあるが

,わ

が国の 日本大辞典刊行会編 『日本国 明 俊 ■ J 装 T

(2)

語大辞典J1/1ヽ学館

,1976年

)に

,そ

の出典 についての記載がある。同辞典 に収録 され てい る「門 波・戸波」 に

,次

の三つの引用例が挙 げ られている。 万葉

,七

。1207「淡島に漕 ぎ渡 らむ と思へ ども明石の門浪 (となみ)ヤヽまだ騒け り

<古

集>」 久安百首

,雑

下「播磨がたあか しの となみ騒 ぐめ りしば しな出でそか この舟人

<藤

原実清>」 凍港

<山

口誓子

>「

流氷や宗谷の門波 (トナ ミ

)荒

れや まず」 これ らの用例 を見れば,「F弓波」 とい う語 は,『万葉集』(1207年

)で

初めて作 られた ということ, またその後のおお よその歴史的変遷が分かるであろう。それを裏付 けるようにこの辞典の「発刊の 辞」 には次の ような記述がある。 国語大辞典の生命 は, まずその引例文 にある。上代か ら現代 に至 る実際の用例 を集め

,そ

の 上 に立 って意義用法 を記述すべ きである。そのために

,国

語大辞典の編纂 は

,さ

まざまな分野 の資料 を渉猟 して

,そ

の中か らことばの生 きた使用例 を集めることか ら出発す る…。 また

,国

語大辞典は

,今

日の 日本 を正 しく反映す るものでなければな らない。従来の国語辞 典 にとられて きた語彙の範囲を広 げ

,固

有名詞・専 門用語

,あ

るいは

,方

言・俗語 などをも収 め

,広

く日本語 をとらえる必要がある。そ して

,そ

のためには

,ひ

とり国語国文学界のみなら ず

,さ

まざまな学問分野か らの幅広い協力 を仰がなければならない。 『日本国語大辞典

Jは

,右

の ような判断 と構想の上 に立 って

,

日本語の歴史 を振 り返 り

,一

語一語の経歴 を明 らかに し

,さ

らに未開拓であった現代 日本語 について も

,そ

の背景 を明確 に 把握 しようとす るものである。 この ように語の経歴 を明 らかにし

,用

例 を歴史的に記述 したことが この辞典の特色であ り

,そ

れ はわが国では大 きな業績 とはいえようが

,歴

史的原理 に基づいた大辞典 としてはこれで十分なのか, とい うことに対す る疑問点がある。 第一の疑問点は

,む

しろ欠点 といって もいいが,「F弓波」の記述 にあるように

,こ

れは『万葉集」 のみその年代 を記 しているが

,あ

との二つの用例 の年代 の特定がない ことである。歴史的原理の辞 典であるか らには, どの用例 にも

,原

則的には年代 の明記が不可欠であろう。 第二の疑問点は

,そ

こか ら用例 を収集すべ き書誌 を前 もって明記 してお らず

,閲

読者の判断にま か されているため

,テ

キス トの異同か らくる問題や

,方

,俗

語等 に関する用例 の選択 に一貫性が ないのではないか, とい うことである。 第三の疑問点は,「F弓波」 に限 らず

,特

,語

の最初の用例 は十分 に信頼 され る ものであ るか ど うか不確かなところがある。私 自身はそれを反証する立場 にないが

,要

,こ

の種の辞典 には信頼 すべ き初出例が収録 されることが重要であ り

,次

にそれをめ ぐって

,そ

の辞典の関係者以外 の研究 者 による初出例以前の用例 の リス トが提示 され

,論

議 されて初めて

,初

出にかんす る辞典の信頼性 が試 されることになる。わが国の国語国文学界 に

,こ

とばの初出をめ ぐるそ うい う土壊があること に対する疑間である。 こうい う疑問点にかかわ らず

,こ

の辞典 は

,わ

が回の国語辞典の編集の企 て としては壮大 な試み であるが

,こ

の辞典 にはモデルがあつたのだろうか。その ことは「発千Jの辞」 には記 されていない が,「上代か ら現代 に至 る実際の用例 を集め

,そ

の上 に立 って意義用法 を記述す る」 とい う編 集方

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第49巻 第

2号

(1998) 303

針から

,明

らかにそのモデルは

,イ

ギリスで発刊 されている『オックスフオー ド英語大辞典」(略

OED)で

あろう。

では

OEDと

はどういうものか

,ま

,シ

ェイクスピアの新語 。新語義は

,9EDと

どのような関 係があるのかを改めて考 えてみる必要がある。 というのは

,こ

こで

,シ

ェイクスピアの新語

,新

語 義 という場合

,9ED諸

版の最初の用例

,初

出 (arst cttaion)一語全体 の初出が新語

,語

義の初出 が新語義に相当する一及びシェーファ αurgen schafer)(『オックスフオー ド英語大辞典 における 文献―テス ト・ケース としてのシェイクス ピア とナ ッシユー』Dοθ "ηοη″励 物 ナカ¢

0.E.D.―

S力膨 ψι2%ο αη 'AraSル 。 s ttdチ Cαstts(Oxford:Clarendon Press,1980年

)に

よる

,そ

の初 出 にたい す る先行例 と平行例及びシェーファの リス トの補正 を含めて私が作成 した「シェイクスピアの新語, 新語義の全 リス ト」 に基づいて

,シ

ェイクス ピアのことばについて考 えて きたか らである。新語, 新語義 と

OEDと

の関係が このような ものである以上

,新

,新

語義の信頼性 についての十分 な情 報 を得 るためにも

,私

たちは

OEDに

ついて知 る必要があるだろう。

OEDは

現在 は第二版 (1989年

)で

あ り

,こ

れ まで初版 (1933年

),旧

補遺 (1933年

),新

補遺 (1986年

)が

発行 されている。では

,OED諸

版 の特質及び完成 されるまでのいきさつ を

,主

に,1そ れぞれの版 に付 された序文 をもとに

,考

えてみたい。 αの 初版 は

,[歴

史 的原理 に基づ いた新英語大辞典

J(ス

貶ν

Eに

力s力 D力肋切ゅ 伽 れsbttοα, Pギ 'ο

S,略

N酌

)の

翻刻である。現在では『新英語大辞典』 で はな く,『 オ ックス フ オー ド 英語大辞典』 として知 られている。それ は3段 組 み12巻 にお よび

,総

頁数15,487頁

,収

録語数 は 414,825語 (その うち主要見出語 は252,259語

),用

例数は約180万である。その辞典 は

,記

録 に残 っ ている時代(750年頃

)か

,現

代 に至 る語形

,語

義等 を

,歴

史的に編纂 された用例 をもって明 らか にしていることである。 収録語彙数だけに関 してい うな らば

,収

録語数約26万語の Fリ ーダーズ英和辞典』(研究社

,198

4年

)の

1.6倍にす ぎない。 しか し収録語彙数だけの比較ではいかに無意味か を理解 していただかね ばならない。

OEDは

信頼す るに足 る典拠の引用全体 または理解 される形の引用か らなる。 中で も

,

よ く使 わ れる主要語の取扱いには極 めて多 くのスペースが さかれている。例 えば,`seど とい う動 詞 には, 154の主要項 目が立て られ

,そ

れぞれの項 目には

,古

い時代順 に並べ られた引用文がある。その154 番 目の項 目 (set up)に とま

,ま

a,b,c,,,で

分割 された下位 区分 が あ る。 その下位 区分 は

,ア

ルファベ ッ トの

zで

終わ らず

,さ

らに

aa,bb,cc,,,と

な り

,rrで

おわつてい る。`set'だ けで,

3段

組の辞書が18頁にお よぶ といつた くわ しい ものである。 しだがって

,語

彙数だけの比較 は無意 味であ り

,要

,そ

の内容であることになる。

OED初

版 の完成 には長い年月を必要 とした。その第一分冊 (四分冊が一巻

)の

出版 は1884年, 最終分冊の出版 は1928年であった。その間の年月は

,45年

であ る。 しか しその辞典 の刊行計画が 1857年に始 まったため

,そ

の年か ら計算する と

,72年

の年月が過 ぎたことになる。 これほどの大事 業であ り

,そ

れほ どの年月を要 したのであったが

,辞

典編纂 について立てた最初の計画は最後 まで み じん も揺 るがなか った。その方針 とはなんなのか。 どういう人たちが編集 に関わつたのか。 イギリスには

,そ

れまで知 られていた英語辞典の一つに

,

ドクター・ジ ヨンソン (Dr.JohnSOn) の編集になる『ジョンソンの英語辞典』 彿力出伽 `D,θ肋陶り 1775年

)が

あった。 この辞典 は

,語

の定義

,用

法を系統的に選ばれた文学作品等からの多 くの引用で示 したことで知 られている。この 辞典以外 に

,歴

史 的原理 を導入 して編纂 した辞書 にチ ヤールズ・ リチ ヤー ドソ ン (Charles

(4)

Richardson)の 『新 英語辞典』 (貶ν うが,d力 Dカカο陶7」j1836-37年

)が

あ る。しか し

,

これ ら二 つ

の辞典 では まだ不 十分 だ とい う認識が英 国言語学会 にあ つた。

1857年

に開催された同学会において, 英語の辞書に「収録 されていない語」ぐ

unreゴ stered

wOrdsつ

を収集する「未収録語委員会」が設けられ

,そ

の委員にハーバー ト・コールリッジ

(Herbert coleridge),F.J.フ アーニヴアル (F.J.Furnivall), リチ ヤー ド・ トレンチ (Richard Trench,ウ エス トミンス ターの主任司祭

)の

三人が任命 された。 この段 階で

,

ジ ヨンソンとリチ ャー ドソンの両辞書 には収録 されていない語彙 を収録する

,一

巻本の辞書の編纂 とい う計画が生 ま れていた。そ して トレンチ氏 は

,同

学会 における二回の講演 をまとめた「私 たちの英語の辞書 にお ける欠陥」 ぐon some Deficiencies in our English Dた tionartts',1857年

)と

題する論文 を英国言語 学会で発表 したが

,こ

れがやがて作 るべ き辞書の則 るべ き原理一歴史的原理 を明確 に指 し示 した。 この ように して1859年には

,英

国言語学会の監修 の下 に英語の辞書 を編纂すること

,そ

の初代の 編纂者 にハーバー ト・ コール リッジの任命が決定 された。彼 は

,こ

の辞書の根幹 となる用例 の収集 にとりかかった。勿論

,一

人でで きる仕事ではないため

,篤

志閲読者 にその仕事 を依頼 した。 1859年とは

,わ

が国ではまだ江戸時代であ り (1868年が明治元年

),欧

米諸 国 に見 られ る近代 的 諸整備が不十分であったが

,イ

ギ リスではすでにこの時代

,郵

便制度が発達 してお り

,そ

の ことが 篤志閲読者 による

,国

,国

外 か らの用例の返送 を容易 に し

,辞

書の完成 に導いたのである。本格 的辞典の完成 には

,こ

のような他の近代 的諸整備 も必要 とされる。 しか しコール リッジは

,不

幸 にして

,31歳

の若 さで死去 した (1861年)。 その後任 には,「未収録 語委員会」の一人

,フ

ァーニヴアルがあたった。彼の最初の仕事 は

,篤

志閲読者がすでに読 んだ, あるいはこれか ら読みべ き本の リス トを作 ることであつた。24頁にわたるリス トは出版 されたが, これがあったために

,読

む範囲 とテキス トが限定 され, より正確 な引用の用例が篤志閲読者か ら期 待 された といえよう。 ファーニヴァルは

,リ

ス ト作成ばか りでな く

,OEDの

歴史 において

,

きわめて大 きい貢献 を し た。 この辞典の方針 は

,語

,語

義等 を

,歴

史的に編纂 された用例 をもって明 らかにす ることであ るが

,フ

アーニヴァルは

,中

央語 (Middle English,約 11501500年

)の

印刷 された文献 が不 十分 であることに気づいた。 このため彼 はこれ らの時代 の

,原

稿の ままで しか残 っていない文献 を印刷 す るために,「初期英語テキス ト協会」 (Early EnJish Text Society)を 1864年 に

,

そ して中英語 の代表的詩人ジェフリー・チ ヨーサー (Geoffrey Chaucer 1340?-1400)を 中心 とす る「チ ョーサ ー協会」(Chaucer society)を 1868年に設立 した。 こうい う息の長い基礎的作業 を した こ とが

,

フ ァーニヴァルの特色であ り

,ま

OEDの

奥の深い ところである。中英語の用例の十分 な収 集が な ければ

,語

の歴史 をた どる

OEDは

,大

きな欠陥を持 っていたことになるであろう。本格 的辞典 と は

,与

えられた文献か らのみ作 るとい うものではない。欠落 した部分の用例収集のために

,本

格的 テキス トの整備 とい う仕事 もしたのである。 しか しファーニヴァルの仕事の関心が

,辞

書の編纂以外の仕事へ と移 ったこと

,そ

して経費

,補

助的人員 などの不足のために

,英

国言語学会 は

,大

辞典の編集 に対応 しきれな くなっていた。 それを理解 した当時の学会会長ヘ ンリー・スイー ト (Henry SWeet)は

,編

集者 をジェイムズ・ マ レー (」ames Murray)イ こ

,出

版社 をオ ックスフォー ド大学出版局 に決 めた。 これが1879年であ るが

,マ

レーは辞書編集者 として天才的オ能 を発揮 し

,ま

たオ ックスフォー ド大学出版局は40年以 上 にわたつて

,資

金 と人材の両面 において

,こ

の辞典の完成 に尽力 した といえよう。 この時点で同学会 と大学出版局の間で考 えられていたことは

,完

成 に要する年月は10年程度

,頁

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第49巻 第

2号

(1998) 305

数は6,000頁か ら7,000頁見当 とい うことになっていたが

,実

際は

,45年

そ して15,487頁 となったた め

,年

月に して4.4倍

,頁

数 に して約2.6倍にふ くれあがったことになる。マ レーは出版のための原 稿づ くりをす ぐ始めたか とい うとそ うではない。彼 は

,コ

ール リッジ及びファーニヴァルか ら引 き 継いだ200万を越 える用例で も

,本

格的辞典編纂 にはまだ不十分 と判断 していた。 とい うの は

,

ジ ョンソンとリチ ヤー ドソンの辞書の例 にまつ まで もな く

,語

義 を確立 し

,そ

の歴史 を辿 るには

,語

の信頼す るに足 る用例が必要不可欠であると考 えた。そのためには

,更

に多 くの用例が必要である と考 えたのである。 彼 は

,閲

読者 を754人 に増員 し

,収

集のための方針 を明示 して

,用

例収集の懇請 の手紙 を発送 し た。それに答 えて

,十

分 に集 まった用例 をもとに

,マ

レーは本格的な辞書の編纂の仕事 に没頭する ことがで きた。彼 らか ら送 られて きた用例 は656,900イ固となった。そ して彼 の編纂 になる第一分冊

(A―

AnO(第

一巻 はA―

B)が

1884年に発行 された。

初版 は全体で15,487頁であるが

,そ

の うちマ レーが編集 した ものは約7,207頁であ るか ら

,初

版 の半分弱 を彼が編集 したことになる。このため

oEDは

,別

名『マ レーの辞典』

(Mttη

`D力

肋切771 とも称 されている。 勿論

,マ

レーを補助す る人がいたが

,仕

事 の膨大 な量 を考 えると

,彼

一人の責任 でアルファベ ッ ト順 に最初か ら最後 まで編集す ることは不可能である。 このため

,マ

レーの助手 をつ とめて

,そ

の 後編集者 とな り

,独

立 して別 なアルファベ ッ トか ら編集す る ことになったヘ ンリー・ ブラ ドリー (Henry Bradley)が 登場す ることになる。 仕事 を進めるにあたって第三の編集者が必要 とな り

,当

時セ ン ト・ アン ドリュズ大学講師であっ た

W.A.ク

レイグ

(w.A,Craigie)が

あたることになった。 ク レイ グ も

,最

初 はマ レー とブラ ッ ドリーの助手 をつ とめ

,後

に独立 して別 なアルファベ ッ トか ら編纂 を始めた。 しか し

,第

一次大戦の勃発 に際 して

,辞

書 編纂 に携 わっていた多 くの若者 たちが戦場へ行 き, 1915年には

,38年

間この辞典の編纂一筋 であつた編集主幹マ レーが死去す ることになる。1923年に は

,ブ

ラッ ドリー も死去 し

,そ

2年

,ク

レイグが シカゴ大学へ転出 したため

,第

四の編集主幹 C.T.アニアンズ

(c.T,onbns)が

迎 えられた。彼 は

Wの

項 目か ら編集 を初 め

,

ようや く1928年 に

OEDの

完成 にこぎつけた。 主だった閲読者 は227名

,副

編集者 は62名

,助

手は65名

,本

文校 閲者 は23名であ る。 引用文作成 のために関読者 に送 られた本の リス トは

,9EDの

巻末 に書かれている。

3段

で書 かれ

,

その総頁 数は91頁に及ぶ。

OEDの

編纂 はまことに大 きな事業であった といえよう。

9ED初

版 の特色 は数多 くあ るが

,二

つ に纏めるとすれば次の ようになるだろう。 第一 は

,出

版 され続 けた年月だけで45年

,最

初の企画か ら数えると72年の問

,こ

れだけの大規模 の辞書 にかかわ らず

,編

集の方針が揺 るがなかったことは感嘆 に値する。 これはジ ョンソンや リチ ャー ドソンの辞書の特質 を

,意

識的に取 り上 げて

,来

るべ き辞書の方針 とした人物 ウエス トミンス ターの主任司祭 トレンチ及びそれを具体化 した天才的辞書編集者マ レーの功 に負 うところである。 第二は

,こ

の辞書で

,多

くの用例 に裏付 けされた語の歴史が明確 にされたことである。篤志閲読 者 によって寄せ られた用例 は

,最

終的には約500万に達 し

,そ

のうち辞書 に収録 されたのは約180万 である。約

3分

の とに精選 されている。 辞典の宿命 とはいえ

,完

成 した途端

,改

訂の作業が待 っている。大辞典 とて例外ではない。 この ため

oED初

版 の出版以後

,補

遺が

2度

にわたって出版 された。 最初 の補 遺 は

1巻

本 の1933年版

(6)

(旧補遺

)で

あ り

,そ

れは

OED初

版 の出版の期間約45年間に生 まれた新語

,新

語義 を取 り扱 って いる。新補遺 は

,旧

補遺が取 り扱 っている期 間に生 まれた新語

,新

語義 を対象 としているばか りで な く

,1928年

か ら今 日に至 るまでにイギ リス及び他の英語圏の諸国で

,英

語の語彙 となった もの も 含めている。 新補遺は

,編

者Ro W.バ ーチ フイール ド

(R.W.Burchfield)に

よると

,当

初 は約

7年

ほ どか け,

1巻

本 とい うことであったが

,そ

の完成 には29年の歳月が必要 とされ

,か

4巻

本 となった。収録 語彙数は69,372語 である。 バーチ フイール ドは

,ま

ず最初 に

,用

例の収集か ら始めた。初版刊行 の ときと同 じく

,篤

志 閲読 者 に依頼 して用例の収集 を初め

,約

150万の用例 を集めることがで きた。前 もって決 めてい た文献 を読 んで もらうわけだが

,そ

の文献の種類 は

,重

要な文芸作品はい うに及ばず

,科

学書

,新

,雑

誌等 を広範 に含めることであつた。 その編集方針 は次の五つである。

1 1884年

か ら今 日に至 る までの

,OED初

版 に収録 されていない

,書

かれたイギ リス英語の 「普通の語」 を収録 したこと。

2

初版 は

,文

学重視 (`ltterary incluttveness')の 方針であったが

,こ

の版 もほぼ同 じ方針 を踏 襲 し

,キ

ップリング

,イ

エーツ

,ジ

ェムズ・ ジ ョイス らの作家の語彙 を取 り入れたこと。

3

イギ リス諸島以外 の国々

,特

,北

アメリカ

,オ

ース トラリア

,ニ

ユージラン ド

,南

アフリ カ

,イ

ン ド

,パ

キス タンの文書 となって残 っている英語 を大胆 に取 り入れたこと。

4

社会学

,言

語学

,コ

ンピューター・サイエ ンス

,人

類学

,心

理学等の新 しい学問か ら作 り出 された用語 を取 り入れたこと。

5

性的

,排

出器官 を取 り扱 った口語的

,野

卑 な語 も収録 していること。 この後

,1989年

OED第

二版20巻が出版 された。総頁数 は21,728頁

,収

録語数 は616,500語, 用例数は約240万

,新

たに付加 された新語

,新

語義は約5,000語である。 この編集方針 は

,12巻

の初 版お よび

4巻

の新補遺のすべてをテキス トを

,本

質的な ところはすべて

,変

更せず に収録 し

,そ

の 両者 を,「連続 した

,継

ぎ目のないテキス ト」(`a continuous seamless texど

)と

して融合 した こと になっている。 これは全面改定ではないが,「Э

EDの

全面改定 は長期 間にわたつて設定 され た 目標 である。中

0こ

の新 しい版 は

,そ

の 目標 に向か う

,最

初の

,そ

してほぼ確 かに

,最

も根気強 い歩み を意味 してい る」(The full revねbn and updating of the Dicdonary¨ .must be regarded as a

long―term goal.¨rΓhis ne鞘′ edition represents the first, and almost certainly the most arduous, step

towards hat goal.)と なっている。

辞典の宿命 とはいえ

,改

訂 したとたん次の改訂が待 ってお り

,そ

の改訂では

,シ

エイクスピアを 含めた近代英語の初出の用例が大 きき変わる可能性があるからである。

このことを裏書 きするように

,第

三版の新編者ジョン・シンプソン 00hn SimpSOn)と エ ドマ ン ド・ワイナー

(Edmund Weiner)は

,世

界中で読 まれている週刊文芸誌

TLS誌

上で (1993年11月

5日),「

OED第

二版に収録されている語及び語義の年代

,語

義の分類等を変更する可能性のある, 文献 として残っている資料」(`any textuЛ matenal that is l ely to modify the dating and status

of words and meanings listed in the Second Edition of the Dtθ ttοηαり')の 提供 を世界の読者 に訴 えている。勿論

,篤

志閲読者は多数いるはずであるが

,彼

ら以外に

,こ

のようなかたちで

,編

集者 が初出をめ ぐる資料の収集を呼び掛けているものと思われる。 ﹁ ︱ ︱ ︱ 上

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第49巻 第

2号

(1998)

また

,第

三版の編集主幹 (general editor)で ある

Y.L.ウ

オーバ トン

(Y.L.Warburton)は

,

筆者への私信 (1993年12月 6日 付 け

)の

なかで,

We are currently engaged in revising the Dictionary, and will be adding many more antedatings as part of this process, We hope to improve in particular the Dictionary's coverage of Early Modern English, and Shakespeare's position wili doubtless move again in

the game of statistics,

私 たちは現在 「辞書」の改訂の作業 に取 り組んでいますので

,そ

の過程で より 多 くの先行例 をつけ加 えることになるで しょう。私 たちは

,特

,第

二版 に収録 された初期近代英語の用例 を改善す ることを希望 しています。そ うなれば

,統

計上のシェイクス ピアの位置は長い もな く 変 わることになるで しょう。 と

,書

いている。第三版では

,確

かに

,シ

ェイクス ピアの新語

,新

語義は変化 し

,私

の リス トに あるシェイクス ピアの新語

,新

語義の初出の用例 も

,単

なる初期用例 の一つ にす ぎな くなる可能性 はあるだろう。 しか し

,そ

の改訂 に要す る年月は

,初

版の第一分冊が出版 されて

,最

後の分冊が出版 されるまで 45年

,初

版の完成か ら第二版 の出版 までの年月が56年とい うことを考 えれば

,い

かにコンピュータ ー化 されているとはいえ

, 5年

6年

とい う短期 間ではなかろう。 またその改訂の先 にも

,ま

た改 訂が待 つているはずである。 それを考 えると

,私

の「 シェイクス ピアの新語

,新

語義の リス ト」は,「現在 の時点 で は」 とい う留保条件がついてはいるが

,客

観的資料 に十分 な りうる

,

と思われる。 したがって,「新語である らしい」 とい うことではな く

,す

べてこのような手続 きに従 って作成 された「 シェイクス ピアの新語

,新

語義の リス ト」 に基づいたものであるとい うことが

,私

のシェ イクス ピアの新語

,新

語義論の一つの特色であろう。

(8)

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