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第二次世界大戦は、1945年8月15日にポツダム宣言を受諾して終結することになる

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徳山大学総合経済研究所モノグラフ

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地域と企業

―山口県コンビナート関連企業を中心に―

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し が き

本稿は、拙稿(2002)「周南コンビナートの形成」、徳山大学総合経済研究所編『石油化学 産業と地域経済―周南コンビナートを中心として―』、山川出版を書き上げる中で、盛り込 むことができず、派生して知り得た興味深い内容などを取り上げたものである。 「周南コンビナートの形成」において、三井石油化学コンビナート(岩国・大竹地区) と周南コンビナートの形成と展開を取り上げ、旧軍燃料廠の払い下げに端を発する両コン ビナートの比較検討を当初行う予定であった。しかし、紙面の制約と内容の整合性の問題 があり、三井石油化学コンビナート(岩国・大竹地区)の形成については採用することが できなかったのである。 「周南コンビナートの形成」と第2章「三井石油化学コンビナートの形成」を併せて、 両コンビナートの形成期における経緯を分析することができた。しかし、両コンビナート の詳細な比較検討はまだ行われていない。この点については今後の課題にしたいと考えて いる。 両コンビナートの形成期を簡単にまとめると以下のようになる。 三井石油化学コンビナートは、工場立地の制約や三井の同一資本といえども調整に困難 が生じたことや地元の山口県岩国市・和木町、広島県大竹市との立地における綱引きなど があり、何かと困難を抱えた上でコンビナートの形成がなされることになった。当時とし ては周南コンビナートよりも「三井グループの総結集」と言われた三井石油化学コンビナ ートの方が資金面、技術面で優位であると考えられていたが、そのような条件が石油化学 コンビナートの建設、運営上有利に働いたとは必ずしも判断されなかった。むしろ、エチ レンプラントの小規模な設備や立地上の制約を受けることになり、石油化学製品総需要の 6割を占める関東市場を押さえるために千葉への進出計画が1961年から早くも進めら れることになる。 一方、周南コンビナートは参加企業や山口県、徳山市、新南陽市(両市は現在合併して 周南市)の協力の下、当初不利と思われた諸問題に対処する。また、元々当地に存在した 徳山曹達(現トクヤマ)と東洋曹達(現東ソー)がアンモニア法苛性ソーダから電解法苛 性ソーダへの製造転換を通して、塩化ビニルなどの生産を行い、有機化学の分野に進出す る。更に、誘導品関連会社の誘致にも成功して、コンビナートの運営を軌道に乗せること ができたのである。 石油化学産業の歩みについて理解する上で、(有)化研フォーラム代表栂野棟彦氏(元『石 油化学新聞』編集長)に(裏話も含めて)いろいろご教示いただいた部分が大きかったこ とを書き添える。上京する度に石油化学工業協会が入る飯野ビル(東京都千代田区)で食 事をしながら興味深いお話を伺った。

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三井石油化学コンビナートの形成を書き上げる過程で、興亜石油の事業史に関心が引か れることになり、調査を開始する。興亜石油について聞き取り調査を実施していた時期は、 興亜石油が新日本石油精製へ合併する時期と丁度重なっていた。そのため、合併までの経 緯も含めて戦後の興亜石油の足跡をまとめたものが第1 章である。 また、興亜石油の取材は丁度時勢的に印象深いものになる。「同時多発テロ」、「アフガン 戦争」、「イラク戦争」へと続いた政情不安な状況におけるテロ攻撃に対する警戒から、米 軍基地がある山口県岩国市に隣接する和木町の興亜石油麻里布製油所(新日本石油精製麻 里布製油所)への訪問は、戦車止めのある入口検問所で車の下側に鏡を入れて爆発物や持 ち物を検査するなどの物々しい中で行われたのである。 米英石油会社による終戦直後の「外資提携」の内容を考察するにつれて、現在の米英軍 によるイラク統治の問題も強く意識させられた。イラクの石油会社を取り巻く状況は、日 本の終戦直後の状況との類似点が恐らくあるものと思われる。このような情勢の中での研 究を通して改めて石油が戦略物資であることを認識させられることになるのである。 興亜石油の聞き取り調査においては、新日本石油精製株式会社麻里布製油所総務グルー プマネージャー(肩書きは取材当時のもの)今村裕次氏に大変ご協力を賜った。また、元 興亜石油平田次男氏、『源流』の著者である元興亜石油阿部要一氏の両氏には貴重なお話を 伺いすることができた。興亜石油の社内報や内部資料を閲覧する上で新日本石油精製株式 会社常務取締役丸紘氏のご支援もあったと聞き及んでいる。本稿では興亜石油の戦後の足 跡について株式所有を中心に論じたが、阿部氏の洞察力には及ばず、勝手な解釈や事実と の相違があるかもしれない。それはあくまでも筆者の責任である。 第3章では、帝人におけるリサイクル事業を取り上げた。これも周南コンビナートを調 査している時に知り得たものである。世界初のペットボトル完全リサイクル設備が周南コ ンビナートに存在することに驚きを覚えた。 この画期的なリサイクル技術について勉強したいと思い、徳山大学で私が講義している 「ベンチャービジネス論」で、社内ベンチャーの事例として取り上げることになる。ベン チャービジネス論は、ベンチャービジネスの育成に力を入れる山口県、周南市、(財)やま ぐち産業振興財団、徳山大学の主催で市民も参加できる公開講座である。この講座で、こ の技術の開発者である帝人ファイバー株式会社原料重合事業部・原料重合生産部部長栗原 英資氏に講演をお願いすることにした。帝人松山事業所からフェリーで来られた栗原氏か ら技術的内容も含めて多くのことをわかりやすく説明していただいた。 また、社内資料に関しては帝人株式会社広報・IR 室東京広報課長宇佐美吉人氏にご協力 をいただいた。機密内容にも触れる工場見学には帝人ファイバー株式会社徳山事業所総 務・環境・安全室長幸野慶治氏にご尽力賜った。また、リサイクル事業に対する帝人の方 針や哲学、トップの意思決定などについて帝人ファイバー株式会社取締役鈴岡章黄氏にお 忙しい中徳山までお越しいただいてお話を伺った。鈴岡氏はイラク戦争の開戦によって海 外出張が取りやめとなり、お会いできる機会が生まれたのである。また、徳山大学学生生

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活課でお世話になっている鈴岡憲子氏の義理の弟さんであることが分かり、二度驚くこと になる。 本稿の執筆を振り返ってみれば、いかに多くの方々に助けていただいたのかがよく分か る。多くの人々のご協力によって何とか書けたものである。貴重な証言や資料があればこ そ、まとめることができたのだとつくづく思う。この場を借りて皆様に心よりお礼を申し 上げたい。 本研究に際しては徳山大学総合経済研究所平成14 年度一号研究制度(部門研究「周南コ ンビナート及び三井石油化学コンビナート(岩国・大竹地区)の形成と展開」平成14 年 4 月∼平成15 年 3 月)の助成を受けた。 最後に、執筆に行き詰まったとき一緒に気分転換をしてくれた娘の皐(6歳)と有希(2 歳)に、聞き取り調査・資料収集のために何度も出張して家のことを任せきりにしてしま った妻美樹に感謝したい。 2004 年 3 月 3 日 ひなまつりの夜に

稲葉 和也

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地域と企業

―山口県コンビナート関連企業を中心に―

目 次

はしがき 第1 章 戦後における興亜石油の企業活動 ―外資提携から新日本石油精製への合併まで― はじめに··· 1 1 戦前の興亜石油··· 2 2 外資提携と国内石油市場··· 6 3 カルテックスとの資本提携··· 7 4 事業の拡充と展開··· 18 5 新日本石油精製への合併··· 24 おわりに··· 31 第2 章 三井石油化学コンビナートの形成 はじめに··· 34 1 石油化学工業形成の背景··· 37 2 三井石油化学コンビナートの形成··· 41 2―1 三池合成の石油化学計画··· 41 2―2 旧陸燃払い下げ申請··· 43 2―3 三井化学の動向··· 44 2―4 修正岩国計画の作成··· 46 2―5 コンビナートの建設··· 49 2―6 千葉工場計画··· 56 おわりに··· 59 第3 章 帝人におけるリサイクル事業 はじめに··· 61 1 ポリエステルのケミカルリサイクル··· 63 2 帝人ファイバー社のケミカルリサイクル··· 66 3 帝人ファイバー徳山事業所のPETボトルリサイクル··· 69 4 帝人の企業理念··· 74 おわりに··· 77

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1 章 戦後における興亜石油の企業活動

― 外 資 提 携 か ら 新 日 本 石 油 精 製 へ の 合 併 ま で ―

は じ め に 1945 年 8 月 15 日 に ポ ツ ダ ム 宣 言 を 受 諾 し て 第 二 次 世 界 大 戦 が 終 結 す る こ と に な り 、 戦 争 は 終 わ り を 告 げ た が 、 日 本 の 石 油 会 社 の 戦 後 に お け る 事 業 活 動 は こ の 時 か ら ス タ ー ト す る こ と に な る 。 だ が 、 戦 後 の 石 油 会 社 の 置 か れ て い た 状 況 は 大 変 苦 し い も の で あ っ た 。 現 在 の 視 点 か ら 、 各 石 油 会 社 の 戦 後 の 変 遷 を 比 較 し て 評 価 す る こ と は 可 能 で あ る 。 そ の 場 合 各 社 の 置 か れ て い た 立 場 、 す な わ ち ど の よ う な 経 営 状 態 か ら 出 発 し た の か を 検 討 す る こ と が 各 社 の 動 き を 考 え る 上 で の 指 標 に な る 。 置 か れ て い た 立 場 に よ っ て 日 本 の 石 油 会 社 は そ の 後 の 企 業 活 動 に 大 き な 影 響 が 与 え ら れ た か ら で あ る 。 ど の 石 油 会 社 も 大 変 苦 し い 状 況 か ら 戦 後 の 会 社 経 営 が 行 わ れ た の で あ る が 、 そ の 中 で も 特 に 苦 し い 立 場 で あ っ た の が 興 亜 石 油 で あ る 。 興 亜 石 油 の 戦 後 の 足 跡 を 検 討 す る こ と は 、 日 本 の 石 油 会 社 の 一 例 と し て そ の 企 業 活 動 の 一 帰 結 を 明 ら か に す る も の で あ ろ う 。 興 亜 石 油 の 諸 活 動 を 理 解 す る 上 で 日 本 石 油 と の 比 較 が 可 能 で あ る 。 両 社 と も 外 資 提 携 先 と し て 、 同 じ カ ル テ ッ ク ス と 契 約 を 交 わ す こ と に な る 。 し か し 、 そ の 契 約 内 容 に は 違 い が あ っ た 。 そ し て 、 こ の 提 携 が 興 亜 石 油 と 日 本 石 油 の 戦 後 の 企 業 活 動 を 拘 束 し 、 大 き な 影 響 を 与 え て い る 。 興 亜 石 油 は こ の 外 資 提 携 に よ っ て 元 売 り を 返 上 し て 石 油 精 製 専 業 の 会 社 と な る 。 そ し て 、 現 在 は 新 日 本 石 油 精 製 に 合 併 し て 、 そ の 社 名 は 残 っ て い な い 。 興 亜 石 油 が 合 併 を 回 避 し て 存 続 し 得 た の か ど う か を 論 じ る こ と を 目 的 と は し て い な い 。 興 亜 石 油 が 新 日 本 石 油 精 製 に 合 併 さ れ る に 至 っ た 経 緯 と そ の 理 由 を 明 ら か に す る こ と に 主 眼 を 置 い て い る 。 結 論 か ら 先 に 述 べ る な ら ば 、1996 年 特 石 法 の 廃 止 ま で は 、多 少 の 増 減 は あ る も の の 、 興 亜 石 油 の 企 業 業 績 は 順 調 で あ り 、 う ま く 会 社 経 営 が な さ れ て き た と 述 べ る こ と が 出 来 る 。 カ ル テ ッ ク ス と の 資 本 提 携 は 興 亜 石 油 に と っ て 有 効 な も の で あ っ た 。 特 石 法 の 廃 止 と い う 外 部 環 境 の 変 化 が 同 社 の 新 日 本 石 油 に よ る 買 収 を 直 接 的 に 引 き 起 こ し た と 述 べ る こ と が 出 来 る 。 し か し 、 何 故 こ の 外 部 環 境 が 変 化 し た 時 に 対 応 す る こ と が 出 来 な か っ た の か と い う 疑 問 は 残 る 。 こ の よ う な 疑 問 に 答 え る こ と も 論 点 の 一 つ と な る 。 興 亜 石 油 の 戦 後 の 企 業 活 動 を 通 し て 、 日 本 に 進 出 し た 米 英 石 油 会 社 に よ る 石

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油 市 場 の 管 理 、 そ し て 、 そ れ に よ っ て 限 定 さ れ た 企 業 活 動 を 余 儀 な く さ れ た 国 内 石 油 会 社 の 問 題 点 な ど に 触 れ る こ と が で き る 。 日 本 の 石 油 会 社 が 官 に よ る 規 制 が 必 要 と さ れ 、 メ ジ ャ ー に よ る 日 本 石 油 市 場 管 理 の 下 で 国 際 競 争 力 を 持 て な か っ た 点 な ど も 間 接 的 で は あ る が 、 興 亜 石 油 に お け る 戦 後 の 足 跡 を 検 討 す る こ と か ら う か が い 知 る こ と が 出 来 る 。 興 亜 石 油 と い う 一 企 業 の 企 業 活 動 を 分 析 す る こ と で 日 本 の 石 油 会 社 全 体 の あ る 側 面 が 示 唆 で き れ ば あ る 種 の 目 的 を 達 し た と 言 え る だ ろ う 。 戦 後 の 石 油 会 社 の 企 業 活 動 を 取 り 上 げ た 先 行 研 究 も 存 在 す る 。し か し な が ら 、 興 亜 石 油 を 単 独 で 取 り 上 げ た も の は な い 。 本 稿 で は 各 社 の 社 史 、 戦 後 日 本 経 営 史 の 蓄 積 を 参 考 に し て 、 主 に 『 興 亜 石 油 60 年 史 』、 社 内 報 、 内 部 資 料 な ど を 検 討 し た 。 ま た 、 元 興 亜 石 油 阿 部 要 一 氏 の 主 観 的 な 立 場 か ら 物 語 形 式 で 編 纂 さ れ た ユ ニ ー ク な 社 史『 源 流 』に 触 発 さ れ た 部 分 が 大 き い 。『 源 流 』に は 書 か れ な か っ た 、 興 亜 石 油 が 吸 収 合 併 さ れ る ま で の 経 過 も 分 析 す る 。 阿 部 氏 の 表 現 力 に は 及 ば な い が 、 戦 後 興 亜 石 油 に 勤 務 し た 人 々 の 姿 と 会 社 の 結 末 を 記 録 に 残 す こ と は 別 の 面 で 意 義 が あ ろ う 。 社 内 報 『 興 亜 ニ ュ ー ス 』 の 全 ペ ー ジ を め く る と 、 興 亜 石 油 で 働 い て い た 人 々 の 声 が 聞 こ え る よ う で あ っ た 。 興 亜 社 員 の 奮 闘 と は 別 の 次 元 で 、興 亜 石 油 の 会 社 存 続 を 決 定 づ け た 要 因 が あ る 。 こ れ ら を 別 の 面 か ら 考 察 す る 。 興 亜 石 油 に 合 併 と は 別 の 方 法 や 選 択 肢 が あ っ た の か 、 多 角 化 し て 別 の 形 態 の 会 社 に 変 化 す る こ と が 可 能 で あ っ た の か ど う か も 検 証 す る 。 1 戦 前 の 興 亜 石 油 興 亜 石 油 が 戦 後 出 発 し た 状 況 は 、 資 金 面 、 技 術 面 、 原 油 調 達 面 の 上 で か な り 厳 し い も の が あ っ た 。 し か し な が ら 、 こ の よ う な 苦 し い 立 場 か ら 事 業 を 展 開 せ ざ る を 得 な か っ た 理 由 は 、 戦 前 の 興 亜 石 油 の 事 業 活 動 か ら 説 明 し な け れ ば な ら な い 。 1933 年 6 月 に 取 締 役 社 長 野 口 栄 三 郎 、取 締 役 薄 井 久 男 、山 崎 欽 祐 、鈴 木 相 之 助 、 監 査 役 森 川 静 雄 、 資 本 金 10 万 円 で 興 亜 石 油 の 前 身 で あ る 東 洋 商 工 株 式 会 社 が 創 立 さ れ た 。そ し て 、翌 年 東 洋 商 工 石 油 株 式 会 社 と 社 名 が 変 更 さ れ る 。1934 年 と い う 年 は 、 石 油 国 策 実 施 要 綱 の 下 、 戦 前 の 「 石 油 業 法 」 が 成 立 し 、 施 行 さ れ た 年 で あ る 。 そ し て 、 今 後 同 法 の 適 用 を 受 け る と 石 油 業 へ 参 入 す る こ と が 業 者 の 乱 立 を 防 ぐ 目 的 か ら む ず か し く な る こ と が 予 想 さ れ た 。 こ の よ う な 理 由 か ら 石 油 会 社 が 設 立 で き る 最 後 の 機 会 を 逃 さ な い た め に 東 洋 商 工 石 油 が 駆 け 込 み

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で 設 立 さ れ た の で あ る1 東 洋 商 工 石 油 は 当 初 事 業 分 野 を 潤 滑 油 に 絞 っ て 横 浜 製 油 所 建 設 に 1933 年 10 月 着 手 す る ( 翌 年 3 月 操 業 開 始 )。 石 油 産 業 へ の 参 入 に は 多 額 の 資 金 を 必 要 と す る 。 会 社 設 立 当 初 10 人 の 発 起 人 に よ る 資 本 金 の 払 い 込 み2に よ っ て 出 発 す る が 、 資 金 繰 り に は 設 立 当 初 か ら 苦 労 し て い る 。 こ の 資 金 不 足 を 解 消 す る た め に 梁 瀬 商 事 に 声 を か け る 。1934 年 梁 瀬 商 事 に 未 払 資 本 金 7 万 5000 円 の 内 、 5 万 円 を 払 い 込 ん で も ら い 、同 社 は 払 込 資 本 金 50% を 取 得 し て 経 営 参 加 す る こ と に な る 。 梁 瀬 商 事 を 選 ん だ 理 由 は 第 一 に 資 金 調 達 で あ り 、 第 二 に 大 手 代 理 店 の 一 つ で あ っ た 同 社 を 取 り 込 む こ と で 販 売 、 営 業 力 が 強 化 さ れ る こ と が 理 由 に あ っ た 。 東 洋 商 工 石 油 の よ う な 新 興 企 業 に と っ て 販 路 を 確 保 す る こ と は 重 要 な 問 題 で あ る 。 設 立 当 初 か ら の 販 売 力 、 営 業 力 の 脆 弱 性 は 、 そ の 後 も 同 社 の 弱 点 の 一 つ に な っ て い く 。 梁 瀬 商 事 の 資 本 提 携 を 受 け て 潤 滑 油 の 製 造 が 開 始 さ れ る が 、 業 績 は 芳 し く な か っ た 。 次 の 新 た な 活 路 を 見 い だ す た め 梁 瀬 商 事 と の 提 携 を 解 消 す る 決 断 を す る 。そ し て 、「 新 興 コ ン ツ ェ ル ン 」の 一 つ で あ る 日 本 曹 達 株 式 会 社 と の 提 携 を 同 社 は 模 索 す る こ と に な る 。 日 曹 は 当 時 多 角 化 の 一 環 と し て 石 油 業 界 へ の 進 出 を 画 策 し て お り 、東 洋 商 工 石 油 が 買 収 候 補 先 企 業 の 一 つ と な る3。東 洋 商 工 石 油 に と っ て は 、 事 業 の 不 振 を 何 と か し な け れ ば 倒 産 の 危 機 も あ り 、 日 曹 の 資 本 参 加 は 今 後 と も 石 油 事 業 を 続 け て い く た め に 必 要 な 提 携 で あ っ た 。 日 曹 は 経 営 に 参 加 す る 際 3 万 8,000 円 の 無 担 保 融 資 を 行 い 、 資 本 金 を 当 初 の 10 倍 の 100 万 円 ( 払 込 資 本 金 32 万 5,000 円 )と し 、増 資 株 式 の 大 半 を 日 曹( 及 び 同 社 関 係 者 ) が 取 得 し て 、全 株 式 の 90% を 所 有 す る こ と に な る 。1937 年 4 月 に 資 本 金 を 100 万 円 に 増 資 し 、 日 本 曹 達 株 式 会 社 と 資 本 提 携 が 行 わ れ た 。 野 口 栄 三 郎 は 社 長 か ら 常 務 取 締 役 と な り 、 中 野 友 礼 が 社 長 に 就 任 し た 。 こ れ に よ っ て 東 洋 商 工 石 油 は 日 本 曹 達 の 子 会 社 と な る の で あ る4 日 本 曹 達 と の 提 携 に よ っ て 、 資 金 面 に お け る 問 題 の 解 消 と 技 術 面 の バ ッ ク ア ッ プ を 得 る こ と が で き た 。 そ し て 、 同 社 に 対 す る 対 外 的 な 信 用 が 生 ま れ る こ と 1 興 亜 石 油 60 年 史 編 纂 委 員 会 (1996)『 興 亜 石 油 60 年 史 』、興 亜 石 油 株 式 会 社 、 p.10. 2 1933 年 4 分 の 1 の 払 込 資 本 金 で ス タ ー ト す る 。 3 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.20. 4 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.21.

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に な る 。 し か し な が ら 、 日 曹 と の 提 携 で 後 に つ な が る 重 要 な こ と は 、 陸 軍 と の パ イ プ が 生 ま れ た こ と で あ る 。 こ の 陸 軍 と の 関 係 が 同 社 の そ の 後 の 展 開 に 大 き な 影 響 を 与 え る こ と に な る 。 東 洋 商 工 石 油 は 当 初 潤 滑 油 専 業 か ら 始 ま る が 、 燃 料 油 製 造 へ 進 出 す る 機 会 を 図 る こ と に な る 。し か し 、1934 年 施 行 の 石 油 業 法 は 、業 者 乱 立 の 防 止 と 市 況 安 定 を 目 的 と し て い る た め 、 燃 料 油 の 新 規 参 入 は 困 難 が 予 想 さ れ た 。 そ こ で 、 新 規 市 場 へ の 参 入 で あ れ ば 可 能 性 が 高 い と い う こ と で 、 当 時 日 本 国 内 で は あ ま り 生 産 も な か っ た 高 オ ク タ ン 価 航 空 揮 発 油 の 製 造 に 乗 り 出 す 方 針 を 打 ち 出 す 。 こ れ は 軍 部 の 意 向 に も 合 致 し た も の で あ り 、 こ の 方 向 で の 検 討 が 始 め ら れ る こ と に な る 。 東 洋 商 工 石 油 は 1939 年 「 航 空 揮 発 油 製 造 計 画 」 を 陸 軍 航 空 本 部 に 提 出 し 、 こ の 計 画 が 承 認 さ れ て 陸 軍 の 支 援 を 受 け る こ と に な っ た 。 こ の 時 期 民 間 の 共 同 出 資 に よ っ て 東 亜 燃 料 工 業 株 式 会 社 ( 資 本 金 5,000 万 円 ) が 設 立 さ れ て い る 。 東 洋 商 工 石 油 と 日 本 曹 達 が 同 社 に 加 わ る こ と も 検 討 さ れ た が 、 陸 軍 主 導 に な る と の 海 軍 か ら の 反 対 が あ り 、 新 会 社 発 起 人 か ら も 拒 否 さ れ て 、 東 燃 と は 別 に 航 空 揮 発 油 製 造 を 独 自 に 行 う こ と に な る の で あ る 。 東 洋 商 工 石 油 は 、 新 興 勢 力 で あ る た め か こ の 時 既 存 石 油 会 社 か ら 好 意 的 な 取 り 扱 い を 受 け て い る よ う に は 思 わ れ な い 。 し か し な が ら 、 同 社 に と っ て は 単 独 で 製 油 所 を 建 設 す る 機 会 が 得 ら れ た の で あ る5 航 空 揮 発 油 製 造 の た め の 技 術 的 な 問 題 も 日 曹 技 術 者 の 援 助 を 得 る こ と が で き た 。 そ し て 、 陸 軍 航 空 本 部 と 商 工 省 か ら 航 空 燃 料 製 造 所 建 設 の 内 諾 を 得 て 、 工 業 用 地 の 選 定 を 同 社 は 行 う こ と に な る 。 用 地 選 定 を 行 っ た 結 果 、 山 口 県 玖 珂 郡 麻 里 布 町 装 束 開 作 及 び 同 郡 和 木 村 沖 新 開 の 地 域 が 適 地 で あ る と 判 断 さ れ 、 こ の 地 に 工 場 が 建 設 さ れ る こ と に な る 。 麻 里 布 工 場 を 建 設 す る 際 に 多 額 の 資 金 が 必 要 と さ れ た が 、資 金 の 問 題 で も 陸 軍 の 協 力 が 得 ら れ た 。1937 年 よ り 日 中 戦 争 が 始 ま っ て お り 、 航 空 揮 発 油 の 製 造 は 戦 争 遂 行 上 必 要 な 事 業 で あ る た め 資 金 調 達 は 必 ず し も 問 題 と は な ら な か っ た の で あ る 。 金 融 面 か ら 軍 需 産 業 を 積 極 的 に 支 援 す る た め の 法 律 で あ る 、 会 社 利 益 配 当 及 資 金 融 通 令 が 1939 年 4 月 よ り 施 行 さ れ 、翌 年 10 月 に 銀 行 等 資 金 運 用 令 及 び 会 社 経 理 統 制 令 が 施 行 さ れ る 。 東 洋 商 工 石 油 は 前 者 の 法 律 に 基 づ い て 日 本 興 業 銀 行 か ら 2,100 万 円 の 命 令 融 資 を 受 け る こ と に な る6。そ の 後 航 空 燃 料 製 造 計 画 を 5 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.27. 6 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.36.

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年 産 8 万 kl か ら 約 12 万 kl へ と 変 更 す る 。こ の 増 設 計 画 に よ っ て 、隣 接 す る 陸 軍 燃 料 廠 へ の 対 応 設 備 も 含 め て 、1,851 万 8,000 円 の 追 加 命 令 融 資 を 受 け る 。 麻 里 布 製 油 所 は こ の 多 額 の 命 令 融 資 を 受 け る こ と で 誕 生 す る の で あ る7 1941 年 4 月 の 命 令 融 資 決 定 を 受 け て 、東 洋 商 工 石 油 は 同 年 5 月 20 日 の 臨 時 株 主 総 会 の 決 議 で 、 社 名 を 「 興 亜 石 油 株 式 会 社 」 に 変 更 す る 。 こ の 社 名 変 更 に は 理 由 が あ っ た 。そ の 理 由 は 、日 曹 コ ン ツ ェ ル ン の 業 績 悪 化 が 背 景 に あ り 、1940 年 日 本 興 業 銀 行 の 5,000 万 円 に 上 る 日 曹 へ の 追 加 融 資 の 条 件 に 中 野 社 長 の 退 陣 が 含 ま れ 、 併 せ て 合 理 化 策 の 一 環 と し て 関 連 会 社 の 整 理 が 行 わ れ 、 東 洋 商 工 石 油 も 日 本 曹 達 経 営 撤 退 の 対 象 と な っ て い た か ら で あ る8。 そ し て 、 中 野 は 1941 年 3 月 に 社 長 を 辞 任 し 、元 陸 軍 少 将 で あ っ た 内 田 三 郎 が 代 表 取 締 役 社 長 に 就 任 し て 、 野 口 栄 三 郎 は 代 表 権 を 持 つ 常 務 取 締 役 に な る 。 日 本 曹 達 は 全 発 行 株 式 2 万 株 の 内 1 万 5100 株 を 所 有 し た が 、 1942 年 11 月 に そ の 全 株 式 を 株 式 会 社 興 亜 石 油 報 公 会 に 譲 渡 す る 。 同 報 公 会 は 、 日 本 曹 達 か ら 譲 渡 さ れ た 株 式 を 保 有 す る 目 的 で 設 立 さ れ た 組 織 で 、興 亜 石 油 の 役 員 、社 員 59 名 の 株 主 で 構 成 さ れ た 。 こ れ に よ っ て 日 本 曹 達 と の 提 携 関 係 は な く な る9こ と に な り 、興 亜 石 油 は 陸 軍 の 支 援 ・ 監 視 体 制 に は あ る も の の 一 応 独 立 し た 会 社 と し て 企 業 活 動 を 行 う こ と に な る の で あ る10 麻 里 布 工 場 の 建 設 工 事 は 1942 年 よ り 開 始 さ れ 、 翌 年 に 常 圧 蒸 留 装 置 、 原 油 タ ン ク 、 半 製 品 タ ン ク な ど が 完 成 し 、 南 方 還 送 原 油 に よ り 操 業 を 開 始 す る 。 そ し て 、 陸 軍 法 装 置 ( 接 触 分 解 改 質 装 置 ) が 完 成 す る 3 年 後 の 1945 年 に 全 計 画 が 完 了 す る 予 定 で あ っ た 。 戦 時 下 に お け る 資 材 の 不 足 や 1942 年 8 月 の 台 風 に よ る 被 害 な ど が あ り 、 工 事 が 難 航 す る 場 面 も あ っ た が 、1945 年 5 月 9 日 に 陸 軍 法 装 置 の 完 成 を 記 念 し て 、竣 工 式 が 無 事 執 り 行 わ れ た 。し か し 、翌 日 10 日 午 前 9 時 47 分 に 南 西 山 側 上 空 か ら 飛 来 し た B −29 爆 撃 機 の 編 隊 に 約 4 0 分 間 6 回 に 渡 り 空 爆 を 受 け 、主 要 設 備 及 び 付 帯 設 備 が 使 用 不 可 能 に な る 打 撃 を 受 け る こ と に な る 。 こ の 空 襲 に よ り 従 業 員 24 名 、 広 島 工 業 専 門 学 校 及 び 岩 国 工 業 学 校 か ら 来 た 動 員 学 徒 9 名 の 合 計 33 名 が 犠 牲 に な る 。 こ の 被 爆 後 、 麻 里 布 製 油 所 の 復 旧 計 画 が 立 て ら れ る が 、1945 年 8 月 15 日 戦 争 が 終 わ り 、こ の 復 旧 計 画 は 実 行 さ れ る こ と は な か 7 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.36. 8 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.37. 9 中 野 個 人 は 戦 後 ま で 1,800 株 保 有 し 続 け た 。 10 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 pp.38-9.

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っ た 。 興 亜 石 油 は こ の よ う な 困 難 な 状 況 の 中 か ら 戦 後 の 企 業 活 動 が 始 ま る の で あ る 。 2 外 資 提 携 と 国 内 石 油 市 場 戦 後 石 油 会 社 が 事 業 活 動 を 再 開 す る 上 で い く つ か の 問 題 点 が あ っ た 。 そ の 中 で 特 に 重 要 な も の は 、 製 油 所 の 復 旧 、 原 油 の 調 達 、 技 術 の 導 入 、 資 金 の 確 保 、 販 売 体 制 の 再 構 築 で あ っ た 。 興 亜 石 油 に は こ れ ら の す べ て が 不 足 し て お り 、 こ れ ら の 問 題 を 一 つ ず つ 解 決 し て い く こ と が 、 戦 後 の 事 業 活 動 を 再 開 す る 上 で 避 け ら れ な い 条 件 と な っ て い た の で あ る 。 戦 後 興 亜 石 油 の 事 業 再 開 は 、 戦 前 あ っ た も の を 復 旧 す る と い っ た も の で は な く 、 す べ て 新 た に 作 り 出 さ な け れ ば な ら な い 極 め て 不 利 な 状 況 か ら の ス タ ー ト で あ っ た 。 同 業 他 社 も 戦 後 苦 し い 立 場 か ら の 事 業 再 開 で は あ る が 、 い く つ か の 条 件 面 で す べ て で は な い が 、 興 亜 よ り 比 較 的 有 利 な 面 も あ っ た 。 こ の 条 件 の 差 が 外 資 と 提 携 す る 上 で 契 約 上 微 妙 な 差 違 を 生 み 出 し て い る 。 興 亜 石 油 よ り も 条 件 が 悪 か っ た と 考 え ら れ る 出 光 興 産 も 外 資 と の 提 携 交 渉 を 持 つ の は 、 興 亜 よ り も 早 い 。同 社 は 戦 前 中 国 大 陸 で ラ イ ジ ン グ・サ ン と 販 売 競 争 を 行 っ た 経 緯 か ら 、 メ ジ ャ ー に 知 名 度 が あ っ た 。 そ し て 、 事 業 再 開 に 向 け て 他 の 事 業 を 行 い な が ら 販 売 網 構 築 に 取 り 組 ん で い る 。 興 亜 石 油 は 石 油 会 社 で あ る と い う 実 績 の み し か な か っ た と も 言 え る 。 こ の よ う な 立 場 か ら 製 油 所 を 復 興 し て 、 製 品 を 販 売 し よ う と す る 興 亜 石 油 は 様 々 な 困 難 を 段 階 的 に 解 決 し て い く 必 要 が あ り 、 不 利 な 出 発 地 点 で あ っ た と 言 わ ざ る を 得 な い 。 興 亜 石 油 は 、 不 利 な 条 件 を 解 消 し て 製 油 所 を 再 開 す る た め に 、 他 の 国 内 石 油 会 社 と 同 様 に 外 資 と の 提 携 を 模 索 す る こ と に な る 。 国 内 石 油 会 社 の 外 資 と の 提 携 先 を ま と め る と「 カ ル テ ッ ク ス と 興 亜 石 油 、日 本 石 油 精 製 」、「 ス タ ン ダ ー ド・ ヴ ァ キ ュ ー ム( ス タ ン バ ッ ク )と 東 亜 燃 料 工 業 」、「 ラ イ ジ ン グ・サ ン( シ ェ ル ) と 昭 和 石 油 」、「 タ イ ド ウ ォ ー タ ー と 三 菱 石 油 」、「 ユ ニ オ ン と 丸 善 石 油 」と な る 。 し か し 、 契 約 内 容 に 違 い が あ る た め 一 言 で 外 資 提 携 と ま と め る こ と に は 注 意 が 必 要 で あ る 。 ま た 、 民 族 系 と 呼 ば れ る 会 社 に お い て も 、 外 資 が 入 っ て い な い 点 で は 確 か に 民 族 系 と 分 類 で き る の で あ る が 、 外 資 と の 連 携 を 取 ら ね ば な ら な い こ と は 同 じ で あ っ た 。一 方 で 、日 本 に 進 出 し た 外 資 に よ っ て 国 内 石 油 市 場 が 、 彼 ら の 目 的 、 す な わ ち 利 益 を 享 受 す る た め に 管 理 さ れ る 形 で 日 本 企 業 が 位 置 づ け さ れ て い る と 考 え る こ と が で き る 。 こ の よ う な 市 場 管 理 の 下 こ れ を 所 与 の も の と 受 け 止 め て 、 国 内 石 油 会 社 は 自 社 の 利 益 を 確 保 す べ く 日 本 市 場 で シ ェ ア 競

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争 を 繰 り 広 げ る こ と に な る 。 ま た 、 販 売 と 精 製 と を 分 離 し て 事 業 が 行 わ れ る こ と も 、 規 模 が 大 き い た め 別 会 社 に す る と い う 説 明 も あ る が 、 外 資 石 油 会 社 に と っ て は リ ス ク の 分 散 、 子 会 社 化 、 分 業 と い っ た 意 味 合 い が あ る 。 そ し て 、 外 資 間 で 競 争 が 行 わ れ る の で あ る が 、 市 場 管 理 を 前 提 と し て い る た め 、 政 府 も 石 油 業 の 育 成 に は 、 国 内 市 場 の み に 関 心 が 向 き が ち に な り 、 国 内 の 過 当 競 争 を 抑 制 す る 方 策 が 中 心 を 占 め る よ う に な る 。 出 光 興 産 店 主 出 光 佐 三 の み が こ の よ う な 市 場 の コ ン ト ロ ー ル に 反 発 し 、 独 立 し た 石 油 会 社 を 作 る べ く 努 力 し ( 日 章 丸 事 件 、 石 油 連 盟 脱 退 な ど )、1950 年 代 か ら 60 年 代 初 頭 の 徳 山 製 油 所 の 完 成 当 た り ま で 健 闘 し て い る 。 し か し 、 出 光 興 産 も 日 本 国 内 で 製 造 ・ 販 売 を 行 う た め 、 そ の 後 日 本 の 石 油 市 場 に 合 っ た 形 で 会 社 が 適 用 し て 行 か ざ る を 得 な い 状 況 に な る 。 石 油 業 法 に よ る 管 理 さ れ た 国 内 市 場 に お い て 他 社 と 競 争 す る た め 米 英 石 油 会 社 へ の 反 発 が 必 ず し も 必 要 と な く な り 、 他 の 国 内 石 油 会 社 と の 差 違 も 見 ら れ な く な っ て い っ た も の と 思 わ れ る 。 日 本 の 石 油 会 社 に 国 際 競 争 力 が な い と 言 わ れ る の も 、 管 理 さ れ た 市 場 と 生 産 で 国 内 に 限 定 さ れ て い た 面 が 大 き い 。 戦 後 こ の よ う な 管 理 市 場 が 生 み 出 さ れ 、国 際 競 争 力 の 乏 し い 石 油 会 社 が 生 ま れ た の は 、 敗 戦 後 に 交 わ さ れ た 外 資 と の 提 携 が 原 因 の 一 つ で あ る 。 3 カ ル テ ッ ク ス と の 資 本 提 携 太 平 洋 岸 に 製 油 所 を 持 つ 各 社 に 対 し て 操 業 ・ 設 備 改 造 を 停 止 す る G H Q の 命 令 が 1946 年 出 さ れ る 。 こ れ を 受 け て 国 内 製 油 会 社 は 、 将 来 の 事 業 再 開 に 向 け て の 準 備 を 開 始 す る 。 こ の 頃 、 中 東 で 豊 富 に 採 掘 さ れ る 石 油 の 供 給 先 と し て 日 本 の 石 油 市 場 が 有 力 候 補 に 上 り 始 め て い た 。 カ ル テ ッ ク ス 、 ス タ ン バ ッ ク 、 シ ェ ル 、 タ イ ド ウ ォ ー タ ー 、 ユ ニ オ ン の 米 英 石 油 会 社 は 、 日 本 の 石 油 会 社 に 原 油 を 売 り 込 む こ と が 目 標 と な り 、 相 手 先 企 業 を 探 し 始 め る 。 こ の よ う な 状 況 の 中 で 、 日 本 の 製 油 所 が 再 開 さ れ る の は 時 間 の 問 題 と な っ て い た 。 そ し て 、 再 開 を 望 む 日 本 の 石 油 会 社 と 原 油 を 売 り た い 米 英 石 油 会 社 と の 両 者 の 利 害 が 一 致 す る 。 こ こ に お い て 日 本 の 石 油 会 社 と 海 外 石 油 会 社 が 提 携 し て 、 日 本 の 石 油 市 場 を 再 開 す る 動 き が 始 ま る こ と に な る 。 こ の 動 き は 、1946 年 か ら 47 年 の 短 期 間 に 集 中 し て 始 ま る こ と に な る 。 そ し て 、 各 社 の 操 業 が 再 開 さ れ る 1950 年 1 月 ま で に 提 携 交 渉 は 終 了 す る11 興 亜 石 油 が 提 携 す る カ ル テ ッ ク ス は 、1936 年 6 月 ス タ ン ダ ー ド・オ イ ル・カ 11 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.75.

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ン パ ニ ー ・ オ ブ ・ カ リ フ ォ ル ニ ア と テ キ サ ス ・ コ ー ポ レ ー シ ョ ン と の 折 半 出 資 に よ り 、 カ リ フ ォ ル ニ ア ・ テ キ サ ス ・ オ イ ル ・ カ ン パ ニ ー ・ リ ミ テ ッ ド と し て 設 立 さ れ た 。 こ の 会 社 は 、 そ の 後 社 名 を 何 度 か 変 え る が 、 同 社 及 び 同 社 の グ ル ー プ 会 社 を 総 称 し て カ ル テ ッ ク ス と 呼 ん で い る12。 日 本 に お い て は 代 表 機 関 と し て カ ル テ ッ ク ス・オ イ ル( ジ ャ パ ン )・リ ミ テ ッ ド を 1948 年 1 月 に 設 立 す る 。 カ ル テ ッ ク ス は 日 本 の 石 油 会 社 と の 提 携 に 当 た り 、 最 初 か ら 興 亜 石 油 に 狙 い を 定 め て 交 渉 を 開 始 し た わ け で は な い 。 あ く ま で も 自 社 の 利 益 を 中 心 に 据 え て 複 数 の 国 内 石 油 会 社 と 提 携 交 渉 を 持 つ こ と に な っ た 。 一 番 早 い も の で 1946 年 11 月 以 前 に カ ル テ ッ ク ス は 日 本 石 油 と の 提 携 を 模 索 し て お り 、 1947 年 1 月 頃 東 燃 と の 交 渉 、1947∼ 8 年 に か け て 出 光 興 産 と も 交 渉 し て い る13 カ ル テ ッ ク ス と 日 本 石 油 と の 提 携 交 渉 が 進 展 し 、 日 本 石 油 社 長 佐 々 木 弥 市 が 取 締 役 会 で 提 携 内 容 の 骨 子 に つ い て 説 明 し て い る の が 、1948 年 5 月 31 日 の こ と で あ る 。 日 本 石 油 と し て は カ ル テ ッ ク ス 一 社 に 交 渉 先 を 絞 っ て 内 容 を 検 討 し て い る 時 に 、カ ル テ ッ ク ス は 日 石 以 外 に 丸 善 石 油 に も 提 携 話 を 持 ち か け て い る 。 日 石 の 販 売 力 は 国 内 一 位 で あ る が 、 カ ル テ ッ ク ス が 考 え る よ り も 石 油 精 製 能 力 が 不 足 す る の が 他 社 に も 交 渉 を 持 ち か け る 理 由 で あ っ た 。 カ ル テ ッ ク ス と し て は 、 当 時 大 量 に 採 掘 さ れ る 中 東 石 油 を 販 売 す る た め に 、 原 油 販 売 量 を 増 や す と い う 自 社 の 目 的 を 優 先 し て 、 何 社 で も 提 携 す れ ば よ い と い う 立 場 で あ っ た 。 こ れ に 対 し て 日 本 石 油 は カ ル テ ッ ク ス が 日 本 の 複 数 の 石 油 会 社 に 原 油 を 供 給 す る こ と は 、 同 じ 出 所 の 原 油 を 国 内 で 販 売 競 争 す る だ け の 話 で あ る た め 、 日 石 側 か ら 見 れ ば こ の よ う な 節 操 の な い 契 約 は 断 じ て 容 認 す る 訳 に は い か な か っ た 。 日 本 石 油 は 、 譲 歩 し て 有 利 な 選 択 権 を 与 え て も 独 占 販 売 だ け は 貫 き 通 す 契 約 を 相 手 に 迫 る こ と に な る 。 日 本 石 油 は 「 一 店 一 社 主 義 」 を 基 本 方 針 と し て 、 他 社 と の 契 約 を 認 め ず 日 石 と の み 契 約 し 、 販 売 区 域 を 設 定 し て 厳 格 に 競 争 を 回 避 す る 方 策 を 販 売 店 に 採 用 し て い た14。 こ れ は ま さ に 会 社 の 経 営 哲 学 で あ り 、 一 歩 も 引 け な い 考 え 方 で あ っ た 。 日 石 自 身 が カ ル テ ッ ク ス の 「 特 約 店 」 に な る と い う 12 1946 年 12 月 カ リ フ ォ ル ニ ア ・ テ キ サ ス ・ コ ー ポ レ ー シ ョ ン 、 1959 年 1 月 カ リ フ ォ ル ニ ア・テ キ サ ス・オ イ ル・コ ー ポ レ ー シ ョ ン 、1968 年 1 月 カ ル テ ッ ク ス ・ ペ ト ロ リ ア ム ・ コ ー ポ レ ー シ ョ ン と 社 名 を 変 え て い る 。 13 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.75; 阿 部 要 一 (1996)『 源 流 ― 続 物 語 ・ 興 亜 石 油 』、 興 亜 石 油 株 式 会 社 、pp.306-22; 近 藤 完 一 、 小 山 内 宏 監 、 エ コ ノ ミ ス ト 編 集 部 編(1978)『 戦 後 産 業 史 へ の 証 言 三 エ ネ ル ギ ー 革 命・防 衛 生 産 の 軌 跡 』、毎 日 新 聞 社 、pp.30-74. 14 日 本 石 油 株 式 会 社・日 本 石 油 精 製 株 式 会 社 社 史 編 纂 室 編 (1988)『 日 本 石 油 百

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形 を 取 る の で あ る 。そ し て 、「 カ ル テ ッ ク ス は 当 社 に 対 し カ ル テ ッ ク ス 社 石 油 製 品 の 唯 一 独 占 的 供 給 者 と な る 」 と の 文 言 が 契 約 条 件 に 入 れ ら れ る こ と に な る15 ( 表 1)。 表 1 日 本 石 油 と カ ル テ ッ ク ス と の 提 携 契 約 石 油 製 品 委 託 販 売 契 約 (1949 年 3 月 ) ① カ ル テ ッ ク ス の 委 託 に よ り 当 社 は カ ル テ ッ ク ス の 石 油 製 品 お よ び 容 器 を 日 本 国 内 で 受 託 販 売 す る ( た だ し 国 際 的 に 取 引 さ れ る 船 舶 、 航 空 機 ま た は 各 国 政 府 に 対 す る カ ル テ ッ ク ス に よ る 直 接 販 売 を 除 く )。 ② 当 社 の 受 託 販 売 に 必 要 な 販 売 施 設 な ら び に 作 業 員 、 販 売 員 を 当 社 が 準 備 、 雇 用 す る 。 カ ル テ ッ ク ス は 当 社 の 施 設 、 作 業 技 術 、 販 売 手 続 き な ど に 関 し 助 言 お よ び 勧 告 を 与 え る 。 ③ カ ル テ ッ ク ス は 当 社 に 対 し カ ル テ ッ ク ス 社 石 油 製 品 の 唯 一 独 占 的 供 給 者 と な る 。 ④ カ ル テ ッ ク ス は 必 要 が あ れ ば 当 社 に 委 託 し た 製 品 の な か か ら 一 定 量 を 取 り 戻 し う る し 、 ま た 、 直 接 販 売 し う る 。 カ ル テ ッ ク ス は ま た 、 当 社 以 外 と も 本 契 約 と 同 様 の 契 約 を 締 結 す る 権 利 を 留 保 す る 。 た だ し そ の 場 合 の 条 件 が 当 社 と の 場 合 よ り も 有 利 で あ れ ば 、 当 社 が 不 利 と な ら な い よ う 本 契 約 を 修 正 す る 。 ⑤ 当 社 の 受 託 販 売 は カ ル テ ッ ク ス の 指 値 に よ る 。 日 本 政 府 が 石 油 製 品 の 販 売 価 格 を 設 定 す る 場 合 は 、 カ ル テ ッ ク ス は 自 己 の 判 断 で 契 約 破 棄 を な し う る 。 ⑥ 受 託 品 の 販 売 収 入 は 当 社 が カ ル テ ッ ク ス の た め に 信 託 保 管 し 、 カ ル テ ッ ク ス の 要 求 が あ れ ば 、 受 託 販 売 に 要 す る 諸 経 費 を 差 し 引 い て そ の 代 金 を カ ル テ ッ ク ス に 送 金 す る 。6 カ 月 ご と に 精 算 の う え 、両 者 の 諸 経 費 を 差 し 引 い た 余 剰 の 2 分 の 1 は カ ル テ ッ ク ス よ り 当 社 に 支 払 わ れ る 。 ⑦ こ の 契 約 の 有 効 期 間 は 10 年 と す る 。当 事 者 間 に 意 義 が な け れ ば さ ら に 5 年 延 長 で き る 。 年 史 』、 日 本 石 油 株 式 会 社 、p.442. 15 契 約 締 結 に 際 し て 草 案 を 見 せ て 日 本 石 油 社 長 佐 々 木 弥 一 は 東 京 大 学 教 授 脇 村 義 太 郎 に 意 見 を 求 め て い る 。 カ ル テ ッ ク ス は 余 っ て い る 原 油 を 他 社 に も 売 る こ と を 希 望 し て い た が 、 日 石 が 国 内 石 油 市 場 を 抑 え て い る 強 み を 活 か し て 、 精 製 し た 製 品 を 日 石 が 全 量 販 売 す る 内 容 で 契 約 を 進 め る よ う に 脇 村 は 「 知 恵 」 を 付 け た と い う ( 阿 部 要 一(1996)、 pp.364-5)。

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石 油 製 品 委 託 販 売 契 約 と 同 時 に 締 結 さ れ た 選 択 契 約 (1949 年 3 月 ) ① 選 択 権 A カ ル テ ッ ク ス は 、 当 社 所 有 の 輸 入 原 油 精 製 施 設 の 2 分 の 1 ま で の 所 有 権 を 取 得 す る こ と を 選 択 で き る 。 ② 選 択 権 B カ ル テ ッ ク ス は 、 ア ラ ビ ア 原 油 2 万 ロ ン グ ト ン を 供 給 す る こ と に よ っ て 、 当 社 旧 ・ 鶴 見 製 油 所 の 土 地 お よ び 施 設 を 取 得 す る こ と を 選 択 で き る 。 ③ 選 択 権 C 原 油 の 商 業 的 輸 入 が 再 開 さ れ れ ば 、 カ ル テ ッ ク ス は 当 社 に 対 し 、 国 産 原 油 以 外 に 必 要 と す る 原 油 の 総 量 を 年 間 計 算 で 供 給 す る こ と を 選 択 で き る 。 同 等 同 品 質 の 原 油 を 、カ ル テ ッ ク ス か ら よ り も 安 い FOB 価 格 で 当 社 が 他 か ら 購 入 で き 、 そ の 結 果 、 日 本 着 の 当 社 入 手 価 格 も 安 く な る 場 合 は 、 カ ル テ ッ ク ス は そ の 価 格 を 上 回 ら な い よ う FOB 価 格 を 引 き 下 げ る 。 ④ 選 択 権 D カ ル テ ッ ク ス は 、 当 社 の 所 有 し 、 ま た は 将 来 所 有 す る 神 戸 ・ 九 州 地 区 の 外 航 タ ン カ ー 受 入 れ 可 能 な 油 槽 所 を 取 得 す る こ と を 選 択 で き る 。 ⑤ こ の 契 約 の 有 効 期 間 は 「 石 油 製 品 委 託 販 売 契 約 」 と 同 じ で あ る 。 た だ し A 、 B 、 D の 三 つ の 選 択 権 は 原 油 の 商 業 的 輸 入 再 開 の 6 ヵ 月 後 ま で に 限 り 行 使 で き る 。 ま た 、 本 契 約 有 効 期 間 中 、 製 油 所 や 選 択 権 D に い う 油 槽 所 の 全 施 設 ま た は 一 部 施 設 を 当 社 が 他 に 売 却 し よ う と す る と き は 、 カ ル テ ッ ク ス は そ れ と 異 な ら な い 価 格 と 条 件 で 買 い 取 る 優 先 権 を も つ 。 委 託 精 製 契 約 (1950 年 4 月 ) ① 当 社 は カ ル テ ッ ク ス の 委 託 す る 原 油 を 横 浜 ・ 下 松 両 製 油 所 の い ず れ か ま た は 双 方 に お い て 受 託 精 製 す る 。 ② カ ル テ ッ ク ス は 横 浜 ・ 下 松 両 製 油 所 の い ず れ か ま た は 双 方 に 対 し 、 そ れ ぞ れ 最 低 5,000 バ ー レ ル / 日 の 原 油 供 給 を 保 証 す る 。 両 社 が 合 意 す れ ば 、 横 浜 ・ 下 松 両 製 油 所 の い ず れ か ま た は 双 方 の 全 精 製 能 力 ま で 原 油 を 供 給 し 、 精 製 を 委 託 す る 。 た だ し 日 本 政 府 に よ る 統 制 期 間 中 は 、 政 府 の 割 当 量 を も っ て 原 油 供 給 量 と す る 。 ③ カ ル テ ッ ク ス は 横 浜 ・ 下 松 両 製 油 所 の い ず れ か ま た は 双 方 の 再 建 と 運 営 に 必 要 な 技 術 援 助 を 行 う 。 た だ し そ の 費 用 は 当 社 負 担 と す る 。 ④ カ ル テ ッ ク ス は 当 社 と 協 定 の う え 、 適 正 な 利 潤 を 含 む 精 製 手 数 料 を 支 払 う 、

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た だ し 日 本 政 府 に よ る 統 制 期 間 中 の 精 製 手 数 料 は 、 精 製 業 者 の 統 制 販 売 価 格 か ら 原 油 C I F 価 格 を 差 し 引 い た 額 と す る 。 ⑤ 委 託 精 製 に よ る 全 製 品 は 、 石 油 製 品 委 託 販 売 契 約 に よ り 当 社 が 受 託 販 売 す る 。 ⑥ 契 約 有 効 期 間 は 10 年 と し 、当 事 者 間 に 異 議 が な け れ ば さ ら に 1 年 ず つ 延 長 す る 。 日 本 石 油 精 製 株 式 会 社 設 立 契 約 (1951 年 5 月 ) ① 両 社 お の お の 20 億 円 、 計 40 億 円 の 出 資 に よ っ て 、 精 製 専 業 の 当 社 の 下 請 子 会 社 を 創 立 す る 。 ② 資 本 金 の 払 込 み は 、 当 社 は 横 浜 ・ 下 松 両 製 油 所 の 現 物 出 資 、 カ ル テ ッ ク ス は 20 億 円 の 現 金 を も っ て す る 。 ③ 会 社 設 立 後 に お け る カ ル テ ッ ク ス か ら の 払 込 金 20 億 円 の 使 途 は 、 ア . タ ン カ ー1 隻 購 入 代 金 7 億 2,000 万 円 、 イ . 当 社 に 対 す る 債 務 の う ち 即 時 弁 済 分 約 6 億 3,000 万 円 、ウ . 残 余 6 億 5,000 万 円 は 新 会 社 発 足 当 座 の 設 備 な ら び に 運 転 資 金 と す る 。

④ 新 会 社 の 商 号 は 「 日 本 石 油 精 製 株 式 会 社 」" Nippon Petroleum Refining Co., Ltd."と し 、 社 長 は 当 社 の 社 長 が こ れ を 兼 務 す る 。 ⑤ 当 社 と カ ル テ ッ ク ス が 現 在 締 結 し て い る 委 託 精 製 契 約 は そ の ま ま 存 続 す る が 、 当 社 は そ の 精 製 作 業 を 新 会 社 に 下 請 さ せ る 。 ⑥ 新 会 社 の 製 品 の 販 売 は 、 カ ル テ ッ ク ス と の あ い だ に 現 在 締 結 し て い る 石 油 製 品 委 託 販 売 契 約 に よ っ て 、 専 ら 当 社 が こ れ に 当 た る 。 ⑦ 当 社 、 カ ル テ ッ ク ス 双 方 か ら 同 数 の 取 締 役 を だ し 、 重 要 事 項 は こ の 取 締 役 会 に お い て 決 定 す る が 、 具 体 的 な 運 営 の 面 は す べ て 当 社 が こ れ に 当 た る 。 ⑧ 新 会 社 の 株 式 は 、 当 社 と カ ル テ ッ ク ス で 一 括 所 有 す る 。 新 会 社 の 株 式 を 当 社 株 主 に 割 り 当 て た り 、 一 般 に 放 出 し た り す る こ と は し な い 。 出 所 )『 日 本 石 油 百 年 史 』1988、 pp.496-507 よ り 作 成 。 カ ル テ ッ ク ス が 販 売 拡 大 の た め に 交 渉 し て い た 丸 善 石 油 と の 契 約 は ほ ぼ ま と ま り か け る の で あ る が 、 こ れ は 最 終 局 面 で 破 棄 さ れ る 。 カ ル テ ッ ク ス と の 提 携 は 、 日 石 と の 独 占 販 売 条 項 が あ る た め に 精 製 し た 石 油 を 販 売 が 出 来 な い 、 す な わ ち 元 売 り の 権 利 を 返 上 す る と い う 意 味 を 持 っ て い た 。 こ れ は 、 丸 善 石 油 に と っ て 屈 辱 的 で 容 認 で き な い 内 容 で あ り 、 こ の 内 容 が 知 れ た 時 点 で 交 渉 が 白 紙 に 戻 さ れ た 。 こ の 契 約 交 渉 の 失 敗 を 受 け て 、 交 渉 に 当 た っ て い た 当 時 の カ ル テ ッ

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ク ス ・ オ イ ル ( ジ ャ パ ン )・ リ ミ テ ッ ド 初 代 首 席 カ ー ソ ン が 解 任 さ れ て い る16 こ の 後 、 提 携 先 日 本 企 業 に 販 売 権 を 放 棄 さ せ て 精 製 の み に 専 念 さ せ る と い う カ ル テ ッ ク ス の 都 合 を 押 し つ け る た め に 、 慎 重 に 提 携 交 渉 が 進 め ら れ る こ と に な る 。 こ の 交 渉 相 手 に 選 ば れ た の が 興 亜 石 油 で あ っ た 。 興 亜 石 油 は 外 資 と の 提 携 交 渉 が 本 格 的 に 始 ま っ て い た 時 期 に 、 交 渉 先 が な か な か 現 れ な か っ た 。 ま た 、 元 売 り 指 定 を 巡 っ て 最 初 の 選 定 に 漏 れ 、 指 定 を 受 け た 後 も 「 現 存 施 設 の 修 理 及 び 復 旧 を 許 可 す る 。 右 製 油 所 に は ク ラ ッ キ ン グ 原 料 の 供 給 を 考 慮 す る 」17と い う も の で 、 潤 滑 油 の 実 績 が 認 め ら れ た だ け で あ り 、 本 格 的 な 製 油 所 の 再 開 に は ほ ど 遠 い も の が あ っ た 。 興 亜 石 油 は 製 油 所 の 再 開 に 向 け て 各 方 面 に 働 き か け た り 、 独 自 に 動 い て い た が 、 事 業 を 再 開 す る 状 態 に 持 っ て い く ま で の 条 件 を 整 え る に は 不 充 分 で あ っ た 。 そ ん な 中 で 始 め ら れ て い た の が 、 事 業 再 開 を 実 現 す る た め の 資 金 調 達 で あ り 、 大 株 主 を 見 つ け る 動 き で あ る ( 表 2)。 1949 年 9 月 30 日 付 株 主 構 成 を 見 る と 、戦 前 の 興 亜 報 公 会 か ら 編 成 し て 、興 亜 石 油 の 役 員 、 及 び 社 員 を 中 心 に 構 成 し て い る 。 し か し 、 こ の よ う な 株 主 構 成 の 場 合 、 会 社 の 経 営 権 を 社 員 が 手 中 に す る こ と は で き る が 、 有 力 な 資 金 調 達 者 を 含 ま な い 構 成 と な っ て し ま い 、 多 額 の 資 金 を 必 要 と す る 製 油 業 に と っ て は あ ま り 意 味 の あ る も の に は な っ て い な い 。 16 阿 部 要 一 (1996)、 p.316. 17 『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.79.

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表 2 戦 後 の 興 亜 石 油 に お け る 大 株 主 大 株 主 お よ び 保 有 株 式 数 ( 千 株 ) 年 月 日 発 行 済 株 式 総 数( 千 株 ) 払 込 済 資 本 金 ( 千 円 ) 株 主 数 ( 人 ) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 1 0 備 考 野 口 薄 井 城 地 堀 江 不 器 雄 杉 本 保 也 、 田 中 豊 惠 、 佐 藤 英 三 、 塩 野 直 一 高 橋 作 治 ( 不 明 ) 1 9 4 9 . 9 . 3 0 1 0 0 5 0 0 0 1 3 9 1 2 . 6 9 . 3 4 . 5 3 . 7 5 各 3 . 5 3 . 2 5 会 社 役 員 、 従 業 員 個 人 株 主 が 主 日 興 証 券 大 洋 漁 業 遠 山 偕 成 薄 井 野 口 東 貿 易 大 東 魚 類 東 京 海 上 火 災 保 険 、 日 米 M S G 5 名 1 9 5 0 . 9 . 3 0 1 2 0 0 6 0 0 0 0 5 8 6 1 7 2 6 6 6 2 5 9 . 0 5 5 7 5 5 4 0 各 3 0 各 2 0 法 人 大 株 主 の 出 現 C O P 日 興証 券 大 洋 漁 業 遠 山 偕 成 薄 井 野 口 東 貿 易 大 東 魚 類 東 京 海 上 火 災 保 険 、 日 米 M S G 1 9 5 1 . 3 . 3 1 5 2 0 0 2 6 0 0 0 0 8 4 8 2 6 0 0 3 9 9 . 5 1 3 2 1 2 5 . 4 1 1 8 . 1 1 1 4 1 1 0 8 0 各 6 0 カ ル テ ッ ク ス 5 0 % 取 得 ( 1 9 5 0 . 1 1 . 1 0 ) C T O C 三 菱 信 託 銀 行 遠 山 元 一 日 本 共 同 証 券 中 央 信 託 銀 行 日 興 証 券 三 井 信 託 銀 行 第 百 生 命 保 険 東 京 海 上 火 災 保 険 住 友 信 託 銀 行 ( 東 京 ) 1 9 6 5 . 3 . 3 1 6 3 5 6 7 . 5 3 1 7 8 3 7 5 7 4 0 0 3 1 7 8 3 . 7 5 2 1 2 2 . 4 6 2 0 0 0 1 0 5 0 1 0 0 4 8 8 3 . 0 7 8 8 0 1 8 0 0 7 2 2 . 3 5 6 6 1 8 . 5 カ ル テ ッ ク ス 5 0 % C P C 日 本 石 油 東 京 海 上 火 災 保 険 第 百 生 命 保 険 、 大 正 海 上 火 災 保 険 協 和 銀 行 住 友 海 上 火 災 保 険 住 友 信 託 銀 行 三 井 銀 行 、 三 菱 銀 行 、 大 和 銀 行 、 三 井 石 油 化 学 工 業 1 9 7 5 . 3 . 3 1 9 6 0 0 0 4 8 億 円 4 0 7 8 4 8 0 0 0 7 6 0 0 2 7 0 0 各 2 0 0 0 1 6 5 0 1 5 3 0 1 5 0 1 . 5 各 1 5 0 0 カ ル テ ッ ク ス 5 0 % 、 日 石 7 . 9 % C P C 日 本 石 油 東 京 海 上 火 災 保 険 第 百 生 命 保 険 大 正 海 上 火 災 保 険 協 和 銀 行 三 井 銀 行 、 三 菱 銀 行 、 大 和 銀 行 、 住 友 信 託 銀 行 1 9 8 5 . 3 . 3 1 1 . 3 2 億 株 6 6 億 円 8 4 1 2 6 6 0 0 0 7 7 0 0 2 8 18 2 2 77 1 9 25 1 7 8 7 各 1 6 5 0 カ ル テ ッ ク ス 5 0 % 、 日 石 5 . 8 % C P C 日 本 石 油 東 京 海 上 火 災 保 険 住 友 信 託 銀 行 第 百 生 命 保 険 三 井 海 上 火 災 保 険 さ く ら 銀 行 あ さ ひ 銀 行 三 菱 信 託 銀 行 三 菱 銀 行 、 大 和 銀 行 1 9 9 5 . 3 . 3 1 1 . 4 5 2 億 株 7 2 . 6 億 円 7 7 1 5 7 2 6 0 0 8 4 7 0 3 1 0 0 2 7 5 9 2 5 0 4 2 1 1 7 2 0 3 5 1 9 6 6 1 8 7 1 各 1 8 1 5 カ ル テ ッ ク ス 5 0 % 、 日 石 5 . 8 % 出 所 )『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.359 よ り 作 成 。 そ こ で 、 製 油 所 再 開 の 準 備 と し て 資 金 調 達 先 や 有 力 な 需 用 者 を 株 主 に す る 方 法 が 取 ら れ て い る 。1950 年 9 月 30 日 付 の 株 主 構 成 は 、 日 興 証 券 、 遠 山 偕 成 、 東 京 海 上 火 災 保 険 、 日 米 MSG と い う 資 金 提 供 者 と な り う る 株 主 と 取 引 関 係 が あ る 東 貿 易 、 重 油 の 大 口 需 要 者 で あ り 、 安 価 な 購 入 を 期 待 す る 大 洋 漁 業 、 大 東 魚 類 が 名 前 を 出 し て い る 。 こ こ で 銀 行 の 名 前 が 出 て 来 な い の は 、 戦 後 ま も な く

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の 興 亜 石 油 は 、 系 列 関 係 が 薄 く 、 信 用 力 が 低 か っ た か ら と 推 測 さ れ る 。 ま た 、 グ リ ー ス な ど 潤 滑 油 の 販 売 実 績 は あ っ た も の の 石 油 製 品 の 出 荷 販 売 に つ い て は 実 績 が 乏 し か っ た 。 む し ろ 、 戦 時 中 陸 軍 と 密 接 に 結 び つ い て い た 企 業 と し て 戦 後 不 利 益 を 被 っ て い た の で は な い だ ろ う か 。 興 亜 石 油 の 経 営 陣 は 資 金 調 達 に 苦 労 し た と 思 わ れ る が 、 国 内 で 資 金 調 達 を す る こ と は ほ ぼ こ の 時 期 に お い て 限 界 が あ っ た よ う に 思 わ れ る 。 こ れ が 外 資 の 資 本 参 加 を 受 け 入 れ る 背 景 と な っ て い る 。 ま た 、 原 油 の 確 保 、 戦 後 圧 倒 的 に 差 の 付 い た 技 術 格 差 を 埋 め る な ど の 問 題 を 短 期 間 に 解 決 す る た め に 必 然 的 に 外 資 と 結 び つ く 道 が 準 備 さ れ て い た 。 こ れ は 、 他 社 も 同 様 の 条 件 で あ っ た と 思 わ れ る が 、 そ の 中 で も 興 亜 石 油 は 特 に 切 実 で あ っ た 。 日 本 石 油 と カ ル テ ッ ク ス と の 提 携 交 渉 が 進 展 し 、 カ ル テ ッ ク ス は 日 本 石 油 精 製 に 50% 資 本 参 加 す る こ と で 原 油 精 製 能 力 を 増 や す だ け で な く 、精 製 部 門 の 大 株 主 と し て 強 力 な 関 係 を 持 つ こ と に な る 。 国 内 一 の 販 売 網 を 誇 る 日 本 石 油 と 組 め る こ と を 優 先 し て 、日 石 の 独 占 販 売 の 要 求 を 受 け 入 れ る 決 断 を す る の で あ る 。 し か し 、 ま だ 足 り な い 精 製 能 力 を 補 う た め に 興 亜 石 油 と の 接 触 を 開 始 す る 。 し か し 、 前 回 の 丸 善 石 油 の 失 敗 に 懲 り て 、 日 石 の 独 占 販 売 契 約 は 守 秘 義 務 を 利 用 し て 話 す べ き タ イ ミ ン グ ま で 巧 妙 に 直 接 的 に 触 れ ら れ な い ま ま 興 亜 石 油 と の 提 携 交 渉 に 臨 む こ と に な る 。「 巧 妙 に 直 接 的 に 触 れ ら れ な い 」と は 、全 く 話 題 に 上 げ な い と い う わ け で は な く 、 非 公 式 な 場 で の 一 般 的 な 議 題 に 乗 せ る な ど の 方 法 を 取 っ て 慎 重 に 取 り 扱 わ れ た 。 失 敗 を 繰 り 返 さ な い た め に 探 り を 入 れ な が ら の 交 渉 で あ る 。 最 初 は 興 亜 と の 原 油 委 託 精 製 と い う ソ フ ト な 形 で 契 約 を 結 ぶ こ と に な る 。 こ れ は 原 油 を 供 給 し 、 必 要 な 資 金 も 貸 し 付 け 、 精 製 し た 製 品 を す べ て カ ル テ ッ ク ス が 買 い 上 げ る と い う 興 亜 に と っ て は 申 し 分 の な い 契 約 内 容 で あ っ た 。 販 売 面 で の 問 題 に カ ル テ ッ ク ス は 自 由 討 議 の 形 式 で 一 応 言 及 し て い る(1949 年 10 月 ) が 、 興 亜 は 精 製 と 販 売 と は 別 も の だ と 考 え て 製 油 所 の 再 開 に 向 け て 自 社 の 販 路 先 の 獲 得 に 乗 り 出 し て い た 。 そ し て 、 精 油 所 再 開 が 軌 道 に 乗 り 始 め 、 資 本 提 携 の 契 約 が 結 ば れ た(1950 年 7 月 )後 で 、日 石 と の 独 占 販 売 の 機 密 条 項 が 持 ち 出 さ れ る こ と に な る (1950 年 9 月 )。 そ し て 、 興 亜 に 販 売 を 中 止 さ せ る と い う 厳 し い 内 容 の 説 明 は 日 石 側 に 「 日 本 流 」 で や ら せ る と い う 方 法 を 取 っ た18。 興 亜 石 油 は 自 社 が 日 石 ・ カ ル テ ッ ク ス グ ル ー プ の 精 油 所 に な る た め の 軌 道 上 を 走 ら 18 阿 部 要 一 (1996)、 pp.428-74.

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さ れ て い た こ と に こ の 時 改 め て 理 解 す る こ と に な る 。興 亜 と し て は 販 売 を 諦 め 、 元 売 り を 返 上 し て 精 製 専 業 の グ ル ー プ 会 社 に な る か 、 契 約 を 破 棄 す る の か の 二 つ に 一 つ の 選 択 肢 し か な か っ た 。 し か も 、 精 油 所 を 再 開 す る 話 が 進 み 始 め て い る 。 そ し て 、 結 論 は 元 売 り を 返 上 す る 道 を 選 択 す る の で あ る ( 興 亜 石 油 の 契 約 内 容 は 、 表 3)。 表 3 興 亜 石 油 と カ ル テ ッ ク ス と の 提 携 契 約 原 油 受 委 託 精 製 に 関 す る 予 備 契 約 (1949 年 7 月 ) 相 互 間 の 義 務 お よ び 契 約 を 実 行 す る た め に 次 の 事 項 を 協 定 す る 。 一 、 興 亜 は 興 亜 の 一 製 油 所 ま た は 数 製 油 所 に お い て 原 油 処 理 に 十 分 な る 能 力 を 力 社 の た め に 用 意 し な け れ ば な ら ぬ 。 二 、 力 社 は 原 油 を 供 給 し な け れ ば な ら ぬ 。 従 っ て 興 亜 の 製 油 所 の 復 旧 に 関 し て は 同 社 が 主 務 官 庁 の 許 可 を 得 て 、 そ の 復 旧 を 完 成 し た る 時 に お い て 興 亜 の 有 す る 製 油 所 ま た は そ の 支 配 下 に あ る 製 油 所 に 対 し 、 力 社 は 両 社 協 定 の 条 項 お よ び 条 件 に 基 づ い て 原 油 を 供 給 す る 事 を 両 社 間 で 同 意 す る 、 な お 現 在 両 者 に お い て 検 討 中 の 条 項 及 び 条 件 を 記 載 せ ら れ る 協 定 書 に 基 づ き 力 社 は 自 己 の 責 任 と し て 供 給 さ れ た る 原 油 を 興 亜 石 油 の 製 油 所 ( 一 ま た は 一 以 上 ) に お い て 処 理 す る 事 を 両 者 間 で 同 意 す る 、 右 協 定 書 中 の 条 項 を 双 方 検 討 調 整 し て 相 互 に 満 足 す る 点 に 達 し 、 か つ 協 同 し て な る べ く 早 く 実 行 せ ら る べ き も の で あ る 。 そ の 間 、 相 互 間 に 次 の 原 則 を 最 重 要 事 項 と し て 、 こ れ を 認 め る 。 一 、 も し 両 者 の 支 配 力 以 外 の 外 的 理 由 に よ り 、 直 接 間 接 を 問 わ ず 力 社 が そ の 供 給 原 油 の 代 金 を 米 ド ル 貨 に て 回 収 で き ぬ 場 合 、 お よ び 他 国 の 貨 幣 に よ る 支 払 い を 受 け る 事 が 出 来 ぬ 事 情 の 場 合 、 も し く は こ れ を 好 ま ぬ 場 合 に は 力 社 の 原 油 供 給 の 義 務 は 一 時 停 止 せ ら れ た る も の と す る 。 二 、 前 記 ( 一 ) の 様 な 原 油 供 給 停 止 の 場 合 は 興 亜 は 自 社 の 選 択 に よ り 必 要 な る 原 油 の 一 部 ま た は 全 部 を 他 の 供 給 源 か ら 入 手 す る 自 由 を 有 す る こ と と な る 。 三 、 興 亜 が 力 社 の た め に 原 油 を 処 理 す る 場 合 は 、 既 に 大 体 の 協 定 済 み の 条 項 に 従 い 興 亜 に 精 製 費 用 が 払 い 戻 さ れ 、 か つ 利 潤 が 支 払 わ れ る も の で あ る 。 な お 、 右 条 項 の 内 容 は 両 者 の 協 議 に よ り 些 少 の 補 正 を 加 え る 事 が あ ろ う 。 四 、 原 油 が 興 亜 に よ っ て 買 い 入 れ ら れ る 場 合 に は 公 正 な る 競 争 市 場 の 原 油 価 格 お よ び 運 賃 に よ り 、 こ れ を 行 う べ き も の で あ り 、 世 界 市 場 の 市 価 お よ び 運 賃 レ ー ト と し て 認 め ら れ て い る も の に よ る こ と を 条 件 と す る 事 を 定 め る 。

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五 、 力 社 は 興 亜 の 製 油 所 で 精 製 に 適 し 、 か つ 市 販 に 適 す る と 認 め ら れ る 良 質 の 原 油 を 供 給 す る も の で あ る 。 も し そ れ が で き な い 場 合 は 興 亜 は 他 の 供 給 源 か ら 原 油 の 供 給 を 受 け さ せ る こ と に 力 社 は 同 意 す る 。 六 、 力 社 は 日 本 国 内 の 興 亜 以 外 の 製 油 会 社 に も 原 油 を 供 給 す る 自 由 を 有 す る こ と に 興 亜 は 同 意 す る 。 し か し 、 こ の 場 合 少 な く と も 興 亜 は 力 社 が 興 亜 以 外 の 他 社 に 原 油 を 供 給 す る の と 同 様 の 有 利 な る 価 格 お よ び 条 件 を 享 受 す る も の で あ る こ と を 力 社 は 確 約 す る 。 七 、 興 亜 お よ び 力 社 は 協 力 し て 連 合 国 最 高 司 令 官 お よ び 日 本 政 府 に 対 し て 本 協 定 に 必 要 な る 認 可 を 得 る こ と に 努 力 す る 。 注 ) 原 文 は 縦 書 き 。 出 所 ) 阿 部 要 一(1996)、 pp.392-4. 原 油 委 託 精 製 の 本 契 約 大 要 (1949 年 9 月 ) 1. 本 契 約 は 一 九 五 九 年 ま で 十 か 年 有 効 な る こ と 。 2. カ ル テ ッ ク ス 石 油 会 社 は そ の 間 興 亜 石 油 に 対 し ア ラ ビ ヤ 原 油 ( A P I 三 十 七 度 級 ) を 一 日 最 低 五 、 ○ ○ ○ バ ー レ ル 処 理 可 能 な る よ う 供 給 す る こ と を 保 証 す る 。 尚 、 工 場 能 力 の 増 加 に 応 じ 原 油 の 供 給 量 を 増 大 す る 。 こ れ に 対 し 興 亜 石 油 は 供 給 せ ら れ た る 原 油 に 対 し 最 低 量 二 五 〇 、 ○ ○ ○ バ ー レ ル の 貯 油 施 設 を 持 つ べ き こ と 。 3. 興 亜 石 油 は カ ル テ ッ ク ス 石 油 と の 相 互 協 定 に よ り 調 整 せ ら れ た る 原 油 か ら の 収 得 率 に 基 づ き カ ル テ ッ ク ス 石 油 に 対 し 石 油 製 品 を 引 き 渡 す こ と 。 但 し 製 造 に 当 た り 原 油 の 六 ・ 五 パ ー セ ン ト は 燃 料 と し て 興 亜 石 油 は 無 償 使 用 す る こ と が で き る 。 4. カ ル テ ッ ク ス 石 油 は 製 品 受 取 後 三 十 日 以 内 に 興 亜 石 油 に 対 し 、 製 造 報 酬 を 支 払 う 。 製 造 報 酬 は 、( A ) 減 価 償 却 費 ( B ) 直 接 費 、 一 般 間 接 費 お よ び 副 原 料 費 ( C ) 一 定 の 協 定 せ ら れ た る 利 潤 の す べ て を 含 む も の と す る 出 所 ) 阿 部 要 一(1996)、 pp.407-8. カ ル テ ッ ク ス ・ ジ ャ パ ン と の 資 本 提 携 骨 子 (1950 年 7 月 ) (1) 当 社 は 2 億 円 増 資 し て 新 資 本 金 を 2 億 6,000 万 円 と し 、 う ち 半 分 の 1 億 3,000 万 円 に 相 当 す る 株 式 引 受 権 を カ ル テ ッ ク ス ・ ジ ャ パ ン に 与 え る 。 (2) カ ル テ ッ ク ス ・ ジ ャ パ ン は サ ウ ジ ア ラ ビ ア 原 油 で 現 物 出 資 す る 。 (3) 当 社 は 8 月 25 日 ま で に 本 件 に 関 し 臨 時 株 主 総 会 を 開 催 す る 。

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(4) 当 社 は 、 増 資 完 了 直 後 に 開 催 す る 臨 時 株 主 総 会 に お い て 、 両 者 合 意 の 人 数 の カ ル テ ッ ク ス 側 役 員 を 選 任 す る 。 (5)カ ル テ ッ ク ス の 50% の 持 株 比 率 は 将 来 的 に 維 持 す る 。ま た 、カ ル テ ッ ク ス が 所 有 す る 株 式 に 優 先 す る 株 式 を 当 社 は 発 行 し な い 。 (6) カ ル テ ッ ク ス に 対 す る 配 当 金 は 米 ド ル を も っ て 海 外 送 金 す る 。 (7)本 契 約 の 成 立 は 、当 社 株 主 総 会 お よ び 外 資 委 員 会 そ の 他 官 庁 の 承 認 を 条 件 と す る 。 出 所 )『 興 亜 石 油 60 年 史 』 1996、 p.90. 当 時 の 株 主 構 成 を 見 る と カ ル テ ッ ク ス の 資 本 参 加 が 行 わ れ る 以 前 に 法 人 大 株 主 が 登 場 し て い る 。 こ の 意 味 で 厳 密 に は 興 亜 石 油 の 経 営 権 は 、 創 業 者 や 発 起 人 の 手 を す で に 離 れ て い た 。 カ ル テ ッ ク ス の 資 本 提 携 に お い て は 当 然 の こ と な が ら 、 法 人 株 主 に 意 見 を 求 め た も の と 思 わ れ る 。 元 売 り 返 上 は そ の 上 で の 決 定 事 項 で あ っ た 。 取 締 役 会 に お い て 元 売 り 返 上 の 案 件 に つ い て 、「 日 石 か ら 見 れ ば カ 社 と 日 石 の 関 係 は 本 妻 、 カ 社 と 興 亜 の 関 係 は 妾 の 関 係 と 考 え て い る 。 し か し な が ら 、 当 の カ 社 は 必 ず し も そ う で は な く 、 販 売 ・ 製 造 相 互 の 遠 大 な 計 画 を 持 っ て い る 」 と 専 務 取 締 役 薄 井 久 男 は 悔 し さ を 込 め な が ら も 弁 解 し て い る19。 そ し て 、 日 石 ・ カ ル テ ッ ク ス グ ル ー プ に 入 る こ と に 野 口 社 長 と 薄 井 専 務 は 腹 を 決 め 、 い か に こ の 状 況 を 利 用 し て 有 利 な 条 件 で こ れ か ら 契 約 を 進 め て い く の か と い う 条 件 交 渉 へ と 方 向 転 換 し て い く 。 興 亜 石 油 創 業 以 来 の 歴 史 を 振 り 返 る と 梁 瀬 商 事 の 資 本 参 加 、 日 本 曹 達 に よ る 子 会 社 化 、 陸 軍 の 支 援 を 受 け て の 興 銀 融 資 と い う よ う に 絶 え ず 外 部 か ら 資 金 や 人 材 を 取 り 込 ん で き た 歴 史 が 同 社 に は あ る 。 こ の 点 に お い て は 、 戦 前 と 戦 後 に お い て 大 き な 違 い が あ る と は 思 わ れ な い 。 時 が 経 て ば 再 び 機 会 が 到 来 し て 、 独 立 し て 事 業 を 営 め る 可 能 性 が 生 ま れ る の で は な い か と い う 過 去 の 経 験 に 基 づ い た 楽 観 的 な 考 え も あ っ た か も し れ な い 。 ま た 、 戦 後 興 亜 石 油 が 置 か れ て い た 状 況 を 考 え る と 、 日 本 の 他 の 石 油 会 社 に 吸 収 さ れ る か 、 行 政 指 導 で 他 の 石 油 会 社 と 合 併 し て 新 し い 石 油 会 社 と し て 発 足 す る か 、 外 資 と の 資 本 提 携 を し て 、 新 会 社 と し て 出 発 す る か と い っ た 選 択 肢 し か 残 さ れ て い な か っ た 。 む し ろ 、 興 亜 石 油 は 販 売 を 切 り 捨 て て 製 油 業 一 本 に 絞 り 、 技 術 力 の 高 い 精 製 工 場 を 再 開 す る こ と に 専 念 す る こ と が こ の 時 点 で は 得 策 だ と 判 断 し た も の 19 阿 部 要 一 (1996)、 p.454.

表 2  戦 後 の 興 亜 石 油 に お け る 大 株 主 大 株 主 お よ び 保 有 株 式 数 ( 千 株 )   年 月 日   発 行済 株式 総 数( 千 株 )   払 込済 資本 金( 千円 )   株 主数( 人)  1   2 3 4 5 6 7 8 9   1 0  備 考   野 口   薄 井   城 地   堀江不 器 雄   杉 本 保 也 、 田 中 豊 惠 、 佐 藤英 三 、 塩 野 直 一  高 橋作 治   ( 不明 )  1 9 49
表 4  戦 後 の 興 亜 石 油 に お け る 業 績   売 上 高   営 業 利 益   経 常 利 益   当 期 純 利 益   1 9 5 0 年 度   9 0 7  1 0 9 9 3 n
表 1   市 町 村 回 収 率   市 町 村 分 別 収 集 量   ( ト ン )   生 産 量  ( ト ン )   市 町 村 回 収 率  ( 比 率 : % )   1 9 9 3   5 2 8   1 2 3 7 9 8 0
表 4  帝 人 フ ァ イ バ ー 徳 山 事 業 所 に お け る 事 業 内 容 お よ び 設 備 対 応 2002 年 4 月 操 業 開 始  2003 年 10 月 操 業 開 始 事 業 内 容 回 収 P E T ボ ト ル を 主 と す る ポ リ エ ス テ ル 製 品 か ら 良 質 な ポ リ エ ス テ ル 原 料( D M T お よ び E G =エ チ レ ン グ リ コ ー ル ) を 回 収 す る 。 原 料 リ サ イ ク ル に よ り 回 収 し たD M

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