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要 旨 平成 25 年 9 月 16 日に岩手県を襲った台風第 18 号が盛岡市玉山区下田地区にもたらした洪水被害を調査し その原因を考察した その結果 地域内を流れる松川の 過去の記録を超える異常な増水が根本的な原因ではあるが 下田地区を囲む堤防のうち 地区の上流部で IGR の線路が松川を越える

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平成 28 年度(第 60 回)

岩手県教育研究発表会発表資料

平 成 25 年 台 風 第 18 号 が 盛 岡 市 玉 山 区

下 田 に 及 ぼ し た 被 害 に つ い て の 考 察

平 成 29 年 2 月 1 0 日

県立盛岡第四高等学校

教 諭 山 岸 千 人

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要 旨 平成 25 年 9 月 16 日に岩手県を襲った台風第 18 号が 盛岡市玉山区下田地区にもたらした洪水被害を調査し、 その原因を考察した。その結果、地域内を流れる松川 の、過去の記録を超える異常な増水が根本的な原因では あるが、下田地区を囲む堤防のうち、地区の上流部で IGR の線路が松川を越える付近の堤防が低くなってお り、そこから河川水が地区内へ流れ込んで被害を拡大さ せたことが分かった。しかし、仮に松川のこの場所の堤 防が正規の高さを保っていたとしても、増水した北上川 による内水氾濫もしくは地区内に水が逆流することで、 下田地区の被害は発生したと考えられる。但し、IGR 線 路土手に沿う越流がなかったとすれば、被害の程度は軽 減できた可能性がある。盛岡市のホームページで公開さ れているハザードマップによれば、IGR の線路土手に沿 う越流は、堤防の高さが足りないことを見落としてお り、全く想定されていなかった(図 2)。北上川による 内水氾濫または逆流現象は想定されていたが、川の水位 が想定以上だった分、被害(冠水範囲)が想定を上回っ た。 は じ め に 今回調査対象である盛岡市玉山区下田は、盛岡市の北 部約 17km の場所にある。国道4号線を盛岡市中心部か ら車で 30 分ほど北上すると石川啄木で有名な盛岡市玉 山区渋民に至るが、渋民からみて北上川の対岸(西側) に下田地区が広がっている。今回洪水被害をもたらした 平成 25 年台風第 18 号は下田だけでなく、県内各地およ び日本全国に甚大な被害をもたらした。松川では今回報 告する盛岡市玉山区下田だけでなく、流域の各地で住居 への浸水、田畑への冠水被害や土砂の流入および流出被 害等が報告されている。報道ではボランティアが下田の 保育園の清掃作業にあたっている様子や、松川温泉(特 に松風荘)への土砂の流入被害の様子が繰り返し報道さ れていた。 洪水の原因となった台風第 18 号について 平成 25 年台風第 18 号は、9 月 16 日朝に愛知県付近 に上陸した後、速度を速めなから東日本を北東へ進み、 同日夕方 には東北地方を通過して三陸沖に達した。前 日の 15 日は、気圧の谷と南から流れ込む湿った空気の 影響により、大気の状態が不安定となって岩手県内の広 い範囲で雨となった。16 日は、東北地方に停滞する前 線の活動が活発化し、また、台風の接近も重なって県内 各地で 50 ミリ近い 1 時間降水量を観測した(表1)と 同時に、9 月観測史上の最高記録を塗り替えもした。降 り始め(15 日 5:00) からの総降水量は、県の北部を中心 に 150 ミリを 超える大雨となった(表2)。なかでも 今回の洪水の原因となった松川上流では観測地点(岩手 松尾)でも約 200 ミリの降水量を記録していることか ら、山間部あるいは局地的にこれを上回る降水があった ことは想像に難くない。 図 1 平成 25 年 9 月 16 日午前 9 時の天気図 24 時間後台風はカムチャッカ半島にまで達した 「気象庁HPより」 図2 盛岡市洪水ハザードマップ北部から抜粋・一部加筆 冠水が想定される場所が塗りつぶされている ※気象庁 HP より

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松川の様子 松川は文字通り八幡平市の松川温泉の脇を流れる清流 である。松川温泉南西に位置する三ツ石山付近を水源と して松川温泉、八幡平市大更を抜け今回調査対象の盛岡 市玉山区(川崎)で北上川に合流する。ただし国土地理 院の地形図では、松川温泉付近では赤川と記載されてい る。温泉から4㎞ほど下って八幡平温泉郷の有名な紅葉 スポットである「森ノ大橋」付近まで来ると松川となっ ている。以下本文ではこの川を場所にかかわらず「松 川」と記述することとする。松尾鉱山の鉱毒水で知られ る赤川は松尾鉱山付近を水源としており、松川温泉脇を 流れる赤川(松川)とは全く別の河川である。 気象台観測所 総降水量 気象台観測所 総降水量 岩手松尾 195.5 ミリ 祭畤 194.5 ミリ 荒屋 168.0 ミリ 二戸 160.5 ミリ 種市 158.5 ミリ 奥中山 156.0 ミリ 普代 154.0 ミリ 軽米 152.5 ミリ 表2 主な地点の総降水量(9 月 15 日 5 時~9 月 16 日 24 時) * 岩手県防災ポータルより 普段の松川は非常に水量が少なく、上流部では長靴で 簡単に渉れるかという程度の水位である。途中で合流す る主要な河川に、八幡平市東大更駅東方で合流する「赤 川」があるが、大更の町を抜けた後は平地が広がり川幅 が広いことも相まって水位は低いままである。表3およ び表4に古川橋(盛岡市好摩・国土交通省管轄の水位観 測所)での観測データを挙げておく。洪水被害が生じる 前日(15 日)の水位が、ほぼ平常時のものである。 実際の松川は、大更以西であれば最大直径1mにも及 ぼうかという転石が見られるなど、河川防災に少しでも 関わった目で見れば洪水時にかなりの水量が流下し、そ れに伴う大量の土砂も発生していることが分かる。「森 ノ大橋」付近は多くの観光客が訪れるが、その下に溶岩 流や凝灰岩を松川が削り込んで作った谷を利用して巨大 な砂防堰堤が建設されていることに気付いている人は少 ないだろう。さらにその上流・下流にもいくつもの砂防 堰堤・および床固め工が施されている。玉山区付近で見 る松川は立派な堤防に広い川幅と少ない流量で非常に優 雅に見えるが、これらの施設は、松川がかなりの暴れ川 であることを物語っている。 IBC テレビでは、宿泊客が撮影したという松川温泉松 楓荘が濁流に襲われる様子が放映された。この映像によ れば、松楓荘すぐ脇を流れる松川は、河床から露天風呂 の縁まで人の背丈ほど(2mほど)の高低差がある。普 段は川底をサラサラと流れるだけの松川が、風呂の縁近 くまで増水しているところから映像が始まる。その後数 十秒の間に水位が増して、露天風呂と吊り橋が濁流に呑 み込まれてしまう一部始終が映っている。この映像は YouTube で閲覧可能である。 被害の様子 ~ 玉山区下田地区 被害の様子1 洪水の発生 文中の説明地点および写真撮影場所は、図3にまとめ て記しておく。 テレビでも繰り返し放映された玉山区下田保育園付近 では、1 階天井~屋根付近まで浸水した(写真1・地点 気象台観測所 日最大 1 時間降水量 起 時 岩手松尾* 48.5 ミリ 9 月 16 日 15 時 16 分 葛根田* 47.5 ミリ 9 月 16 日 15 時 53 分 好摩* 42.0 ミリ 9 月 16 日 16 時 05 分 雫石* 38.5 ミリ 9 月 16 日 16 時 03 分 荒屋 36.5 ミリ 9 月 16 日 15 時 24 分 表1 主な地点の日最大 1 時間降水量 上表のうち(*)の4地点は 9 月観測史上最高記録 * 岩手県防災情報ポータルより 表3 古川橋における被害当日の松川の水位 グラフが途切れているのは、観測所が水没したため *国土交通省「水文水質データベース」より引用

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①)。高低差が僅かなため地形図での判別は難しいが、 現地道路を歩いてみると浄泉寺(保育園北方)から保育 園方向に向かって僅かに傾斜し(写真2)、松川を溢れ た水は保育園北方からほぼ道路に沿って流れ込んできた ことが分かる。そして保育園付近から東側の IGR の線路 に至る一帯が今回最も浸水被害が大きかった範囲にな る。水が流れ込んできた方向(北方)に辿っていくと、 泥水は IGR の下田踏切(地点②)を越えて、好摩から IGR 線路に沿って延びる道路沿いに流れてきたことが分 かる。この道路をさらに北方に向かうと下田地区を冠水 させた今回の越流現場がある(地点③−1,③-2、玉山 区川崎)。現場は IGR 橋梁の前後の、堤防がやや低くな っている箇所である。 ここでは IGR および平行する道路の橋脚・橋桁に流木 等が引っかかっていることから相当な水位にまで達して いたことが分かる。堤防を越えた水は水田に流れ込んで 水田および IGR の線路土手を削り込んで一時運休・減速 運転へと追い込んだ(写真3・4・5)。越流現場は松 川がゆるく左へカーブしている外側である。ここは高さ の低いコンクリートブロック積みの堤防が直接水面に接 している。ブロックは一部崩れたものの高さを減じてい るわけではなく、堤防の決壊によって洪水が発生したの ではないことが確認できる。水位が異常に高かったこと が今回の洪水の主因だが、ここの堤防の高さは松川の他 の場所に比して明らかに低い。コンクリートブロック部 は一部決壊したが高さは損なわれず、ブロックの上に続 く土盛りの部分が、IGR 橋梁の前後だけ異常に低く(少 なく)なっていたということだけである。何らかの理由 で水位の上昇を考慮しないまま人為的にのぞかれたので はないだろうか。よって下田地区の洪水の原因は表 1・ 表 2 に示したような、上流部での記録的降水による水位 の上昇が主原因であるが、現場では相当な水位にまで達 していた松川の水が、カーブの外側で勢いを増し、そこ には十分な高さの堤防が存在せず、想定以上の水位に達 したために IGR 橋桁・橋脚に引っかかった流木等の抵抗 も相まって更に水位を増し、その水が相当な勢いを持っ て水田や IGR 線路土手を侵食し被害を拡大させたと考え られる。 IGR 橋梁上流側(地点③-1)で越流した水はそのま ま南下して下田地区中心部に向かったわけではない。一 部は越流部から 100mほど南下したところで線路下の隧 道をくぐり、線路東側に抜けた(地点④)。IGR 線路は 土手になっており周囲よりも高いがここでの水田の高さ は線路西側より東側の方が低いため、水は隧道を東側に 抜けていったのである。この水は、IGR 橋梁下流部で越 流した水(地点③−2、ここも堤防が高くない)と合流 して線路土手と道路の間の低地を南方へ向かった。一部 は道路にも溢れた。道路には冠水の痕跡が残るが道路東 側に並ぶ住宅は玄関先にまで水が押し寄せたものの、僅 かの差(道路より高かったために)で冠水を免れたよう 日 付 時 刻 水位(m) 日 付 時 刻 水位(m) 2013/09/15 00:00 0.18 2013/09/16 08:00 0.31 2013/09/15 06:00 0.17 2013/09/16 09:00 0.32 2013/09/15 12:00 0.17 2013/09/16 10:00 0.40 2013/09/15 18:00 0.29 2013/09/16 11:00 0.65 2013/09/16 00:00 0.48 2013/09/16 12:00 0.80 2013/09/16 01:00 0.44 2013/09/16 13:00 0.94 2013/09/16 02:00 0.40 2013/09/16 14:00 2.37 2013/09/16 03:00 0.37 2013/09/16 15:00 3.54 2013/09/16 04:00 0.35 この間に既往最高水位4.19m(2004/9/30/13:00)を越える 2013/09/16 05:00 0.33 2013/09/16 16:00 4.29 2013/09/16 06:00 0.32 2013/09/16 17:00 5.31 2013/09/16 07:00 0.31 この後観測所は水没し,データは得られていない 表4 盛岡市玉山区好摩・古川橋観測所における水位 9月15日は6時間毎、16日は1時間毎の松川の水位である。16日13:00以降急速に水位を増したことが分かる。一方で、松川の古川橋 観測点における平常時の水位はこのように15日午前中程度である。 * 国土交通省 「水文水質データベース」より

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である。越流部の近く、道路西側にあって IGR 土手に挟 まれた場所にある住居(地点⑨)は南へ向かう激しい水 流にさらされ、大きな被害を受けた。ここは道路よりも 一段低くなっている。下田踏切(地点②)付近にまで達 した泥水は、一方は水田や道路を浸しながら東へ向かい 渋民中学校付近にまで達した。もう一方は線路の側にあ る電気施設を泥浸しにし道路上に溢れながら踏切を越 え、線路西側を南下してきた水と再び合流しながら下田 地区中心部へと流れ込んだ。越流部③から下田踏切まで 約 700mの距離である。 被害の様子2 下田地区の地勢と被害 盛岡市玉山区下田地区は、保育園付近で標高 183.8m と最も低く、洪水の原因となった北部の越流部(地点③ -1)でも 187m程である。ここでは水流による水田の 削り込み(コンクリートブロック製の堤防の裏側)が見 られるが、一段上の段丘面に連なっている家屋(玉山区 上下田地区・IGR 線路の西側)への直接の冠水被害はな い。北部を洪水の原因となった松川、東部を北上川に囲 まれ、西部と南部は標高 200m余の丘陵地(台地)に囲 まれた河岸段丘を形成している。ほぼ平坦ではあるが、 水路の構成および今回の冠水の様子から、北部および北 上川に沿う東部でやや高く、IGR 線路の西側がやや低 い。越流部(地点③-1)での標高が 187m、そこから直 線で 760m 離れた下田集落の北端での標高は 186m だが、 集落北端から保育園(標高 183.8m)までの直線距離僅 か 280mほどで約2m 高度を減じる。よって流水は下田 中心部(保育園付近)へと向かう。水は深く切れ込んだ 小川へと集められ、地区の南側は僅かに高くなっている ために東へと向かい、IGR の線路土手をくぐって北上川 へと注ぎ込む。つまり下田中心部は、地区内で最も標高 の低い場所に位置しているのである。 写真5および 12 に、(地点③-1)付近で削り込まれ た箇所の写真を掲載した。ここではこぶし大の段丘礫の 層が存在し最大長径 20cm 程のものも混じっている。段 丘礫が含まれない層はシルト〜細粒砂の層である。下田 の段丘面(水田)に立ってみると、周囲を丘陵地に囲ま れた凹地であり、北上川の後背湿地であるように感じら れるが、実際は上記のような土壌と河川から十分な高度 差を持つ立派な河岸段丘である。このため下田 は湿地などほとんど形成されなかったと推測できる。ま た、地区の西側は丘陵地で遮られ岩手山方面からの季節 風が遮られる。大きな寺社が 2 軒もあることから、交通 日 付 時 刻 水位(m) 2013/09/16 10:00 0.39 2013/09/16 11:00 0.47 2013/09/16 12:00 0.69 2013/09/16 13:00 0.83 2013/09/16 14:00 1.20 2013/09/16 15:00 2.28 2013/09/16 16:00 3.30 2013/09/16 17:00 3.90 2013/09/16 18:00 4.48 2013/09/16 19:00 5.26 2013/09/16 20:00 5.43 2013/09/16 21:00 5.03 2013/09/16 22:00 4.53 2013/09/16 23:00 3.83 2013/09/16 24:00 3.27 表5 船田橋観測所における水位(北上川) * 国土交通省 「水文水質データベース」より 図4 下田を水没させた越流水の方向 最後は IGR の線路土手をく ぐって北上川へ流出する 「国土地理院地図」に加筆

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の要地として古くから栄えていたと考えられる。なお、 高度は地理院地図の高度データ(DEM5A)を利用して得た ものである。 下田保育園では人の背丈を超えるほどまで冠水した (写真1)。この付近では概ね1階の天井近く~軒先ま で冠水した。下田保育園から東側に向かうにつれて道路 さらに低くなる。住宅のほうは洪水を予想してかどうか は分からないが、保育園東側の地域(地点⑤)では道路 よりも高めの土地・基礎上に住居が構えられ、住居の冠 水は1階半ば程度で済んでいる、道路を基準とした冠水 位は人の背丈を遙かに超える。道路に沿って流れる水路 は、道路と分かれて IGR の線路土手をくぐり北上川へと 向かう。 道路は住宅密集地を抜けると南へ転じ、やや高度が増 す(地点⑥)。この付近の道路は道路西側に山裾に沿っ て伸びる水路からあふれた水が道路を覆って泥が綺麗に 洗い流されており、洪水の越流水で冠水したかどうか調 査時にはよく確かめることができなかった。道路は水路 からの清水に洗われて綺麗になってしまっていた。そし て再び道路は高度を下げ、西側から谷間を抜けてきた生 出川を渡り(地点⑦)渋民駅方面へと抜ける。この橋は 今回完全に水没した。生出川と下田地区の間(地点⑥) は後述する下田での推定水位とほぼ同じ高度(185m)で ある。下田地区に溢れた水が⑥地点を越えて生出川に流 れ出す、あるいは生出川が増水して IGR の土手をくぐり きれない場合、下田地区側に溢れ出すというようなこと が起こった可能性がある。 考 察 考察1 下田地区における冠水被害の時系列的考察 越流部(地点③)に十分な高さの堤防があれば下田地区 の洪水は防げたかというと、解答は否である。今回は松川 だけでなく、その合流先の北上川も増水しており、下田地 区の北上川を挟んだ対岸である玉山区渋民でも水田への冠 水被害が出ている(地点⑧)。ここは北上川左岸の低位段 丘面で、下田地区は北上川右岸の低位段丘面である。両者 ほぼ同じ高度であるので、一方が冠水するということは、 向かい側も冠水することになる。渋民側の段丘面高度は、 地理院地図から読み取れるデータでは概ね 183m〜184m で、道路上のガードレールが完全に水没していたことから 水位は高度 185m 程まで達していたことになる。北上川左 岸の渋民地区の住居等はもう一段高位の段丘面に建設され ており(国道 4 号線が通る段丘面)、そこは北上川の増水 による冠水被害がない。盛岡市の報告によれば渋民地区 コミュニティセンターを避難所として開設したものの、 避難者はいなかった。 下田の集落から見ると、北上川の水面は一段下にあり さらに IGR の線路土手が視界を遮ってしまっている。下田 東方では線路土手が堤防の役割を担っているが、開口部に 水が押し寄せれば全く用をなさない。地点③から越流した 水は線路土手の両側を、おそらく誰にも気づかれずに南下 していったと考えられる。集落に流れ込んだ頃には北上川 からの逆流も始まっていただろう。越流が早く発見され、 北上川を直接見ることができていれば避難が間に合った可 能性がある。 下田保育園の傍らを流れる水路と、地区の南側を東進 する生出川は IGR の線路土手を貫いて北上川へ注いでい る(写真6は生出川)。北上川の増水時には少なくとも この 2 カ所からの逆流が予想され(盛岡市ハザードマッ プにも記載あり)、今回も冠水状況から逆流が生じたの は間違いない。よって今回の下田地区の冠水は、水路で ない場所(地点③)からの水の流入と北上川からの逆流 が同時に生じたことによる、内水被害である。ただし、 地区内への流入と北上川からの逆流のどちらが先に生じ たのかは明らかでない。 下田以外の場所での被害は盛岡市のハザードマップで 予想されており、たとえば古川橋両岸地区(玉山区好摩 字小袋、玉山区松内字古川)や地点③の対岸(地点⑩・ 写真7・写真8)などは想定に沿う形で被害を被った。 なお、地点⑩の越流の有無については今回全く調査しな いでしまったが、水田脇の水路から泥水が逆流した痕跡 は確認できた。 地点③での越流はハザードマップでは全く予想されて いない。地点③近傍の集落は一段高い場所にあり、今回 冠水を免れている。ハザードマップ作成時は松川に沿っ て適当な高さの堤防があったのだろうか。先に述べたよ うに、何らかの理由または都合で人為的に削られたので はないかと想像される。 この場所での越流を想定していなかったのだから、今 回のように水が河川と関係ない場所を通って広く被害を 及ぼすとは全く予想できなかっただろう。そして、ハザ ードマップに示されている下田地区の洪水被害の予測 は、松川によるものではなく、北上川の増水によって生 じる逆流によるものである。 古川橋観測所では 17:00 以降の記録が冠水のため残っ ていないが、観測機器は堤防より高い場所にあることか ら、古川橋両岸(玉山区好摩字小袋、玉山区松内字古 川)への冠水は 17:00 頃から始まり増水の速さから見て ごく短時間のうちに(18:00 を待たずに)水田が完全に

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濁流で覆われていたのであろう。同地区は、盛岡市によ る避難勧告が発令されなかった(「台風第 18 号に係る 盛岡市の対応状況について(最終報 11 月 1 日現在)」 より)。 下田地区の冠水の原因となった地点③の堤防は、古川 橋付近より遥かに貧弱である。平成 29 年 1 月現在、こ こには大型の土嚢が積み上げてある。古川橋観測所での 水位をそのまま地点③に当てはめることはできないが、 古川橋で過去最高水位 4.19m(表3参照)の際に被害 が出たという話が無いので、16:00 に古川橋で 4.29mの 水位を観測して間もなく、17:00 過ぎの観測所の水没時 にはすでに地点③での越流が始まっていたのではないだ ろうか。 表5は船田橋水位観測所での北上川の水位である。古 川橋観測所からは川沿いに約7Km 弱下流、国道 4 号線 が北上川を渡る船田橋から 100m 程下流にある。松川の 水位のピーク時刻は古川橋観測所の水没のため不明だ が、船田橋での観測によると、北上川では古川橋観測所 が水没した 17:00 以降も水位が増え続けている。よって 今回の下田地区の冠水のシナリオは以下のように考え た。 1) 古川橋付近での越流(17:00 過ぎ)に先立ち、 16:00〜17:00(おそらく 17:00 頃)の間にIGR 松川橋梁付近(地点③)からの越流が始まる。 2) 越流した水が IGR 線路に沿って南下し、下田地 区中心部へと向かう。但し、線路土手に沿って溢 れていった、水田に広がりながら流れていったた め気付いた人、重大さを感じ取った人はいなかっ たと思われる。目撃したとしてもせいぜい「水田 が冠水している」とだけ認識して、下田が水田よ り低い場所にあることまで考えが及ばなかったの ではないだろうか。 3) 下田中心部に水が達した頃には北上川も本格的 に増水し地区からの水の逃げ場が完全に失われ (18:00 頃?)冠水被害が決定的となった。 但し、仮に地点③の堤防が十分な高さがあって 松川の氾濫が生じなかったとしても、北上川の増 水による逆流によって、下田地区の冠水は避けら れなかった。但しこの被害の程度については次章 で考察を加える。 4) 北上川の水位のピークだった 20:00 頃が、下田 地区での最高水位と考えられる。 5) 北上川の水位の低下に伴って下田地区でも水位 が減少、排水困難な窪地などを除いて 23:00〜 24:00 にかけてほぼ排水が終わる。 考察2 越流による水位上昇についての考察 図5に下田地区周辺の標高を示した。標高は実測では なく国土地理院のホームページ上で使用できる「地理院 地図」から得られる標高データである。詳細は地理院地 図の説明を参照していただきたいが、航空レーザ測量に よって得られたデータ(DEM5A)を用いて計算し、条件を 満たしていれば±0.3m という精度が得られる。この標 高データと現地を調べてまとめたものが図 6 である。下 田では下田保育園前の標高 183.8m に保育園の壁に残っ ている泥の跡から推測される水位(比高約2m)を加え た 186m が洪水の最大水位であると推測した。一方の渋 民側では、水田や付近の道路の標高(約 184〜185m)に 現地に残っているゴミや泥などの冠水跡から推測される 水位を加えた 185mを洪水の最大水位と推測した。 図5 下田周辺の高度一覧 地図および高度は国土地理院地図による

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ここで、計測誤差について触れておかなければならな い。標高は前述の通り地理院地図から PC の画面上で得 たものであるし、これはあらかじめ誤差を含んでいる旨 注意されている。現地での洪水水位は写真や目測に依っ ている。しっかりと水準測量を行ったわけでもなく調査 の際には定規も使用しないでしまった。しかしそのよう な誤差を含めたとしても図 5 の X-X’断面において北上 川の水位が IGR の土手を挟んだ下田地区の水位よりも高 かったとは考えにくい。越流部(地点③)における(越 流時の)水位の具体的な標高は分からないが、越流部 (地点③)の地理院地図からの読み取り高度は 187m、 傍らの集落の標高が 190m で冠水していないことから、 越流時の水位標高は 187m から 190m の間だったというこ とになる。この高さから越流水が水田等を南下し、下田 地区に流れ込み、北上川へ流れ出ようとしたところそこ に IGR の土手がそびえていたことと、土手をくぐる水路 が狭く、流しきれなかった分が地区内に滞留することで 北上川の水位を超えたと考えられる。 地点③からの越流が無かったとしても北上川からの逆 流によって下田地区への冠水被害は免れなかったであろ うが、冠水位は 186−185=1m 少なくて済んだ可能性が ある。また、下田では水田の標高が高く集落の方が低い ので(集落の方が北上川に近いので)、水田への被害は かなり押さえられたであろう。さらに、水位の上昇が今 回程度だったとしても、時間がごく短時間であるなら ば、北上川の水位の上昇によって地区内に水が溢れ切ら ずに終わってしまう可能性もあった。 授業への展開 地学では、災害についても学ぶことになっている。 災害そのものについて学んで終わりではなく、様々な 地形形成の多くは、もし我々がそこに住んでいたなら 「災害」と称する現象や出来事に依るのだというこ と、それが過去に何度も繰り返されてきたということ まで理解し、できるならば実感してもらいたい。 今回の事例では、松川温泉で撮影された土石流映像 を利用して扇状地の形成を考える、治山治水事業につ いて考える、下田地区の冠水からハザードマップの活 用について考えるなどの授業展開があるだろう。洪水 といえば、岩手県は昭和 22 年のカスリーン台風、翌 23 年のアイオン台風によって大被害を受けた。それに対 する回答が「北上特定地域総合開発計画」である。こ の計画について触れることは岩手の自然環境の理解に 図6 地点③の越流部 〜 越流水の進入路 〜 X-X’ (図4参照)にかけての模式断面図

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留まらず、地学と社会や行政との関わりを考えるきっ かけにできるかもしれない。 災害について資料や映像は多数入手できるようになっ たが、「実感・体感」できる機会は多くない。第一に人 命・安全が最優先であることが当然だが、その後は貴重 な教材として活用を図っていきたい。 参 考 文 献 等 ・地理院地図 ・国土交通省 「水文水質データベース」 ・岩手県防災情報ポータル ・台風第 18 号に係る盛岡市の対応状況について (盛岡市ホームページ) ・盛岡市洪水ハザードマップ 北部 (盛岡市ホームページ) 本稿は 2014 年度岩手県高等学校教育研究会理科部会 誌に掲載されたものを本教育研究発表会(理科部会)用 に加筆修正し、新しい知見を若干加えたものである。

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   写真5 IGR土手の崩壊場所  地点③−1を逆方向に(北方に向かって)見た。手 前の水田も水流で1m以上削り込まれている。 写真8 越流部左岸  白矢印が冠水位。道路は土が圧密・乾燥後で20〜 30cm堆積。 写真7 越流部左岸  白矢印(1階窓上端)まで冠水。   写真1 下田保育園    白矢印の位置まで冠水。壁に泥の跡が付いてい る。   写真2 保育園西側交差点より北方を望む    白点線の位置まで冠水。矢印は水が流れ込んだ向 き。 写真3 地点③−1  氾濫地点IGR松川橋梁上流側。洪水はIGR土手 に沿って南下。 写真4 地点③−2 氾濫地点  IGR松川橋梁下流側。右側IGR土手と左側道路の 間を洪水が南下。 写真6  生出川がIGRと道路をくぐる  地点⑦より撮影。白矢印は冠水位。IGRの土手をく ぐった向こう側に見える道路は水没。       

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写真11 越流部〜下田踏切の中間部  左側IGRの土手の東側の水田と道路上を越流し た水が南下。写真右側の水田も冠水したが住居は 冠水を免れた。 写真13 越流部左岸付近・隧道(写真8を下流側 から撮影)  IGRの土手を潜る隧道。写真奥(上流)から手前 に向かって越流水が抜けた。路面には30〜50c mの土砂が堆積している。写真手前に、ここを通り 抜けられなかった1BOX車が駐車してあった。 写真14 下田踏切西側  道路を越えてきた水が写真右側(東側)から道路を 越えて西側の土手を削剥したと考えられる。写真右 側の水位が高かったため、道路を潜った暗渠はサイ フォン作用によって流れ込んだ石を吸い出し、周辺 へ堆積させた。 写真9 古川橋水位観測所①  白矢印の先端が通常の水位。観測所上の白破 線が冠水位。 写真10 古川橋水位観測所②  橋は水没を免れたが橋桁まで増水したことが分か る。 写真12 越流部右岸付近  IGR線路土手下部段丘礫とシルト〜細粒砂の層が 見える。過去に氾濫があった証拠。

参照

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