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鴨長明「すき観」の一考察

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Academic year: 2021

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杉本亜由美   鴨長明「すき観」の一考察 一.はじめに   「 り、 た。 ず、 後、 き」 「数奇 (寄) という漢字があてられ、 院政期の歌論書 『袋草紙』 や『 を「 る。 』( は、 。」 、「 し、 る。 で「 人、 や。 る。 が、 て「 る。 た、 』( は、 り「 し、 い、 り、 は「 は、 や。 る。 も「 きもの」 「少し常軌を逸した行動をとる者」 と表現されており、 『袋 草紙』と同様に「すき」を良い意味には捉えていない。   「すき」 の意味合いは 『袋草紙』 『宇治拾遺物語』 から長明の 『無 名抄』 にかけて捉え方が変わっており、 長明の 「すき観」 『袋草紙』 や『 る。 長明は純粋に 「すき」 を良いものと理解し解釈し、 自身の著書 『無名抄』 が、 ど「 いものと解釈して表現した者はいないのではないか。   は『 で「 て、 ば、 姿 る。 は、 姿 し、

鴨長明「すき観」の一考察

 

 

亜由美

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成蹊人文研究   第二十三号(二〇一五) る「 ら、 る「 の「 釈とは意味が違うことを考察したい。 二. 『無名抄』における「すき」   『無名抄』で長明は五つの章段( 16・ 17・ 28・ 80・ 81)において「す る。 い。 お、 特に断りがない限り、 『無名抄』の引用文はすべて( 『鴨長明全集(梅 )』   る。 た、 の番号はないが、 便宜上、 久保田淳訳注 『無名抄』 (角川ソフィア文庫、 二〇一三年)に拠って章段毎に番号を付した。 16「マスホノスヽキ」の「すき」表現 いみじかりける すき物 なりかし   は、 が、 や、 て、 て、 に、 る。 は「 る。 は、 た「 ぎ、 からず」 としてここに記している。その後、 長明は 「マスホノスヽキ」 る。 る『 は、 て、 「 伊 勢記 」 のものとしている。        鴨長明   ねくらし   はなのをすすき   なにぞみる 云、 に、 ど、 り、 で、 れば、 いたづらにこもりゐたる、 なぐさめがてら、 に、 語りしをおもひいでて、心みによめると云

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杉本亜由美   鴨長明「すき観」の一考察   語「 け、 は、 語「 り、 て、 る。 語「 までに十五首程度あり、その内、三首が長明の詠んだ和歌である。 17「ヰデノ山ブキ幷カワヅ」の「すき」表現 人の すき となさけは年月をそへておとろへゆくゆへなり   は、 う「 と「 る。 で、 を「 ど、 使 れ、 た、 使 る。 は、 を「 て、 が、 く、 る。 は、 段「 る「 は、 た。 ら、 も「 し、 を、 退 る。 の「 が、 い。 て、 あ、 い・・・」 る。 の「 は、 の「 る、 う「 る。 い、 い・・・ めているのである。このあたりは長明ほど純粋に 「すき」 を感じ取っ ていた人はいないのだと思わせる内容ではないだろうか。   『 他、 で「 が、 の「 は「 熱をもつもの」として表現されている。 28「俊頼哥ヲクヾツウタフ事」の「すき」表現 ありがたき すき人   が、 え、 ろ、 を「 めたという「すき」説話である。

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成蹊人文研究   第二十三号(二〇一五) 80「頼実ガスキノ事」の「すき」表現 いみじき すき物 なり   「 は、 が、 にする行為となったものであるとしている。 81「業平本鳥キラルヽ事」の「すき」表現 すき にことよせて   が、 い、 に、 と「 東国の方へ出かけていったということである。   は、 と「 が、 が「 葉を好意的に捉えていることは理解できる。 三. 『発心集』における「すき」   は『 く、 も「 ばを用いている。以下にそれらを考察する。 中納言顕基、出家、籠居ノ事(第五巻―八) テ、 ヽ、 ヲカウブリテ、配所ノ月ヺ見バヤトナム願ハレケル。   が、 る「スキ人」としている。 永秀法師、 数奇 ノ事(第六巻―七) 家貧テ、心スケリケル。夜昼、笛ヲ吹ヨリ外ノ事ナシ。 (中略) 実、 テ、 送リケリ。   も、 で、 う永秀を「スキモノ」としている。 時光・茂光、数奇及ブ天聴ニ事(第六巻―八) 数寄 ハコトニタヨリトナリヌベシ。   光、 使 け、 て、 を「 ている。

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杉本亜由美   鴨長明「すき観」の一考察 人、   如、 所事(第六巻―九) イミジカリケル スキ物 ナリカシ。   に、 后の御歌を冬の夜に一晩中吟詠して皇后宮の後世を弔った行為を 「ス キ物」としている。   『 る「 は、 狂、 て「 り、 る「 る。 中する姿を、やりすぎだなどとは非難せず、好意的に捉えている。 四. 『方丈記』における「すき」   『 や『 に「 て、 る『 は、 い。 ら、 り、 なかったとは考えにくい。歌人である長明が書いた 『方丈記』 「す く、 の「 る。 詳細な数値表現 (「去安元三年四月廿八日カトヨ」 「一二町ヲコエツヽ 」「 」「 」「 」「 んに見られる。中でも日野山での閑居の様子である、   チ、 シヲサシテ、 シバヲリクブルヨスガトス。 南タケノスノコヲシキ、 西 リ、 ヽ、 シ、 キ、 リ。 テ、 ス。 西 テ、 リ。 チ和哥、 管絃、 往生要集ゴトキノ抄物ヲイレタリ。カタハラニ琴、 琵琶、 ヲノ〳〵一張ヲタツ。イハユルヲリ琴、 ツギビワ、 コレ也。 カリノイホリノアリヤウカクノ事シ。 や、和歌で名高い猿丸大夫の墓への訪問部分である、   ヽ、 ヒ、 テ、 ヲタヅヌ。 は、 れ、

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成蹊人文研究   第二十三号(二〇一五) せ、 ら、 の「 じとることができるのである。   ら『 』『 』『 と、 の『 や『 て「 り、 ろうか。 五.長明の登蓮観   の「 合、 が「 憧れていたと思われる登蓮を無視することはできない。 長明の 「すき」 は『 の「 」「 る。 り、 る。 うな感情を抱いていたのかを考察したい。   ず、 て、 が、 寿 元( る『 る。 は『 を初出として総計十九首入集しており、 家集に 『登蓮法師集』 がある。   く、 かりかねるが、 源頼政や西行とも交際があったようである。また、 『平 次、 際、 来、 り、 に、 で、 が、 蔵『 には、 もと比叡山の僧で下山後、 青蓮院和尚御房に芸能(歌)をもっ て伺候していた際に、忠盛に出会ったという異伝があ   さらに 『源三位頼政集』 三二一番歌、 『林葉和歌集』 一一六番歌、 『禅 西 り、 て注意すべきである。   方、 寿 二( 四( り、 に、 る。 が、 ば、 蓮、 る。 た、 か。 と、 書『 の「 ホノスヽキ」 「ヰデノ山ブキ幷カワヅ」 の章段や 『発心集』 の中の 「蓮 城、 事( )」 せ、 る。 に『 』『 し、

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杉本亜由美   鴨長明「すき観」の一考察 たい。 16「マスホノスヽキ」   て、 て、 て、 く、 に、 ば、 ら、 り。 て、 き、 て、 を、 て、 ふ。 り。 て、 ふ。 ら、 も、 ど、 な。 も、 は。 すてゝいにけり。いみじかりける すき物 なりかし。 17「ヰデノ山ブキ幷カワヅ」   が、 は、 ん。 に、 は、 からことのたよりありて、 かしこにゆきのぞみたりとも、 心とゞ し。 とは、年月をそへておとろへゆくゆへなり。   「マスホノスヽキ」 、「ヰデノ山ブキ幷カワヅ」 の章段に関しては 「す が、 は「 で、 に、 を、 姿 し、 く「 も、 そ、 が、 り、 を、 が、 は、 に「 て、 る。 て「 に「 と「 い。 ず「 る。 は、 て「 えるのである。 次に『発心集』において登蓮が登場する場面を見てみたい。   蓮花城、 入水ノ事   入水ノ時後悔シテ、物怪ニ成テ来事 (第三巻―八)   比、 云、 在。 テ、 ニ、 テ、 様、

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成蹊人文研究   第二十三号(二〇一五) バ、 事、 疑。 終リ正念ニシテマカリ隠ンコト、 極ル望ニテ侍ル。 心ノ澄ヌル時、 ト、 フ。 人、 テ、 ズ。 ニ、 ハ、 ト、 モ、 用。 バ、 ハ、 ク、 バ。 キニコソ有ラメト、云テ、其用意ナドヲ力ヲ合テ沙汰シケリ。   テ、 ヽ、 ヌ。 キ、 人、 テ、 ミ、 シ。 ハ、 テ、 ヘテ帰ケリ。   角テ日来経ル程ニ、 登蓮 物ノ怪ガマシキ病ヲス。 (後略)   る『 の、 安元二年 (一一七六) 八月十五日の条に、 「十五日。 上人十一人入水。 。」 り、 かである。   『発心集』 の「蓮花城、 入水ノ事」 を記した長明の登蓮への感情を探っ と、 は、 せ、 べ、 く、 は、 る。 調 り、 い。 と、 る。 し、 る。 も、 している「すきもの」と特別視し、 「すきもの」として完全に認めて、 に『 ということを、窺い知ることができるのである。 六.顕昭の登蓮観   『 や『 り、 る。 は、 か。 目したい。   は『 』『 る。 下に引用す 『散木集註』   な(

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