〈 論 説 〉
内閣総理大臣の内閣運営上の権限について
上
健
介
田
はじめに││問題の所在││ 第一章明治憲法下における内閣総理大臣の﹁弱さ﹂の理由 第 一 節 憲 法 五 五 条 説 第 二 節 美 濃 部 説 第二章憲法制定過程にみる内閣総理大臣の﹁弱さ﹂の理由 第 一 節 国 務 大 臣 U 各省大臣 H ﹁絶対の責任者﹂観の継続 第 二 節 国 務 大 臣 H 各省大臣 U ﹁絶対の責任者﹂観からの離脱 おわりに はじめにil
問題の所在ll
最近、首相公選制の議論が高まっている。その背景には、近年の社会、経済、政治等の実情に照らして、内閣、 そ して首相の業績に対する不満が潜んでいることは想像に難くない。それでは、なぜ首相の業績が上がらないのだろう第14巻 1号一一 72 か。それは、業績を挙げることのできる人物がその地位に就かないからであるともいえようが、他方で、有能な人物 が首相となり業績を挙げようとしても、 それを行うだけの法的、政治的な力を持っていないからであるとも言、えるよ うに思われる。 首相の﹁弱さ﹂は、憲法学における議論を見ても際立つ。多くの論者は、内閣総理大臣について、内閣の組織に関 する地位や権限に関しては強く認めつつも、 いざ内閣を運営して行政権の行使を行う段になると、内閣の合議体性を 強調する。その裏返しとして、内閣総理大臣の﹁弱さ﹂が浮かび上がるのである。たとえば、次のような表現である。 首長性は、体内的あるいは組織的な要素が強く、行政権行使については、原則的に内閣総理大臣の独走を阻止し、 ( 1 ) 閣議が重視されている。 ﹁閣議が重視されている﹂端的な現れは、﹁全員一致の原則﹂であろう。この原則は、実務で採用されてきたもので ( 2 ) ある。また、学説にもこの原則を支持する者が多い(もっとも、仔細に見れば、この原則を、拘束力ある規範だと捉えるの ( 3 ) か、拘束力のない慣例、慣行であると捉えるのか、で意見が分かれる。また規範であるとしても、その根拠を憲法六六条二項の ( 4 ) ( 5 ) ( 6 ) ﹁ 連 帯 責 任 ﹂ に 求 め る も の や ﹁ 憲 法 の 構 造 ﹂ を 理 由 と す る も の 、 ま た 慣 習 法 で あ る と す る も の と 、 様 々 な バ リ エ ー シ ョ ン が あ る 。 ( 7 ) そもそも、これらの点について、あいまいなものも多い点には留意が必要であろう)。 また、全員一致を強調する裏返しであるともい、えようが、内閣総理大臣の主宰権を強調するものは見当たらない。 行政改革で一九九九年に内閣法四条二項に﹁基本的な方針その他の案件﹂の発議権が追加されたが、これは﹁﹃閣議を ( 8 ) 主宰﹂する権限に当然含まれているが、疑問をなくすために明示した﹂とされる。かかる事情は、主宰権に対する認
識がどのようなものであるのか、よく表しているように思われる。 ( 9 ) 興味深いのは、これらの点が明治憲法下と何ら変わらないことである。明治憲法下においても、周知のように、内 ( 叩 ) 閣総理大臣は﹁閣議を招集し、主宰し、閣議に附すべき事項を選定する﹂権限を有するとされていたが、ここにいう ﹁主宰﹂は、単なる﹁議長﹂の意味に過ぎない。また意思決定に関しても、全員一致でなければならないとされてい た 。 も ち ろ ん 、 現行憲法は総理大臣に国務大臣の罷免権を与えている。これにより、内閣総理大臣は、全員一致であっ ても、反対する大臣を罷免することによって自らの意思を優先させることができるので、総理大臣の運営上の地住も ( 孔 ) 強まったのだということもできよう。しかし、罷免権のかかる機能を強調するならば、強い主宰権を導くことになる は ず で あ る が 、 そのような議論はない。弱い主宰権と全員一致の原則は、罷免権と対峠するかたちで、 いわば所与の ものとして存在しているのであって、実際の内閣運営における総理大臣の地位をより強く規定している印象を受ける の で あ る 。 それでは、弱い主宰権と全員一致の原則は、なぜ明治憲法下から引き続いて日本国憲法下に存しているのだろうか。 明治憲法下において内閣総理大臣の地位が弱かったのは 一 般 に それが﹁同輩中の主席﹂にすぎず、他の国務大臣 明治憲法が内閣総理大臣についてまったく触れず、 五五粂で﹁国務各大 と対等であったからだと説かれる。それは、 臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス﹂とのみ定めていたこと、すなわち単独輔弼制を前提としているのだろう。それなら ば、なぜ単独輔弼制から連帯責任に変わったのに総理大臣の運営面での地位に変わりがないのか、 という疑問が生じ る の で あ る 。 そこで、本稿では、 明治憲法下の学説に遡って、総理大臣が有する内閣運営上の地位が弱い理由を考察することと
第14巻 1号一一 74 する(第一章)。そこでは、論者によって憲法五五条の解釈が微妙に異なり、何より内閣総理大臣の弱さを憲法五五条 によって説明することができない説の存在が明らかとなる。すると、単独輔弼制とは異なる理由となる発想が明治憲 それが現行憲法下でも生き延びているのではないか、 という仮説が可能となる。そのような観 法下に存在しており、 現行憲法及ぴ附属法の制定過程を振りかえり、第一に、 かかる発想が相当程度、制定過程に影響を与えてい 点 か ら 、 たこと、第二に、他方で、 かかる発想と相容れない現行憲法の理解も登場していたことを明らかにしたい(第二章)。 ( 1 ) 日 笠 完 治 ﹁ 内 閣 総 理 大 臣 の 地 位 ﹂ 高 橋 和 之 川 大 石 田 県 編 ・ 憲 法 の 争 点 ︿ 第 三 版 ﹀ ( 有 斐 閥 、 樋口陽一・憲法 I ( 青林書院、一九九八年)二九 01 九 三 頁 。 ( 2 ) 内閣制度百年史編纂委員会・内閣制度百年史上巻(大蔵省印刷局、一九八五年)一四九頁。また参照、林修三﹁内閣の組織 と運営﹂田中二郎 H 原龍之助 H 柳瀬良幹編・行政法講座第四巻(有斐閣、一九六五年)三九 i 四 O 頁 。 ( 3 ) この点、もっとも明快であるのは、野中俊彦 H 中 村 陸 男 川 川 高 橋 和 之 H 高見勝利・憲法日︿第三一版﹀(有斐閣、二
o o
-年 ) 一 七 五 1 七 六 、 二 O 五 i 二 O 七頁︹高橋執筆︺。また参照、佐藤幸治・憲法︿第三版﹀(青林書院、一九九五年)二二七頁。 ( 4 ) 清宮四郎・憲法 I ︿第三版﹀(有斐閣、一九七九年)一二二八頁。実務もこの立場に立つようである。内閣制度百年史編纂委 員会・前掲注 ( 2 ) 一 四 九 頁 。 ( 5 ) 辻村みよ子・憲法(日本評論社、二 000 年 ) 四 六 七 頁 。 ( 6 ) 宮沢俊義・憲法︿改訂五版﹀(有斐閣、一九七三年)三 O 九頁。清宮・前掲注 ( 4 ) 一 二 二 七 頁 、 長 谷 部 恭 男 ・ 憲 法 ︿ 第 二 版 ﹀ ( 新 世 社 、 二 O O 一 年 ) 三 八 四 頁 。 ( 7 ) たとえば、佐藤功は、慣行であると言いつつ、連帯責任を根拠に﹁全員一致によらなければならないとされている﹂と述べ る(日本国憲法概説八全訂第五版﹀︹学陽書房、一九九六年︺四四六 1 四 七 頁 ) 。 逆 に 、 宮 沢 俊 義 は 、 慣 習 法 で あ る と 一 言 い つ つ 、 それは﹁実際政治的﹂な配慮から生じたものであると述べる(宮沢・前掲注 ( 6 ) 同頁)。同様に、長谷部恭男も、慣習法である としつつ、﹁閣議における内部的意思決定手続の如何は、その[閣議が秘密とされている]限りで大きな意義を有しない﹂と述 一 九 九 九 年 ) 二 O 二 頁 。 ま た 参 照 、
べる(長谷部・前掲注 ( 6 ) 同頁)。また参照、杉原泰雄・憲法 H ( 有 斐 問 、 一 九 八 九 年 ) 三 五 一 i 五 二 頁 。 ( 8 ) 野中俊彦川中村陸男
u
高 橋 和 之 u u 高 見 勝 利 ・ 憲 法 H ︿ 第 三 版 V ( 有 斐 閣 、 二 00 一 年 ) 一 七 六 ︹ 高 橋 執 筆 ︺ 。 参 照 、 佐 藤 幸 治 H 高 橋 和 之 ﹁ ︹ 対 談 ︺ 統 治 構 造 の 変 革 ﹂ ジ ュ リ ス ト 一 二 二 三 号 ( 一 九 九 八 年 ) 一 七 頁 ︹ 高 橋 発 言 ︺ 。 ( 9 ) 参照、初宿正典﹁政治的統合としての憲法﹂佐藤幸治日初宿正典日大石虞編・憲法五十年の展望(有斐閣、一九九八年)二 五 1 二 六 頁 。 (日)山崎丹照・内閣制度の研究(高山書院、一九四二年)一六二頁。 (日)参照、大石虞﹁内閣制度の展開﹂公法研究六二号(二 000 年 ) 六 一 i 六 二 頁 。 大 石 教 授 は 、 ﹁ 主 宰 ﹂ の 理 解 に つ い て 、 議 長 職にプラスして発議権の有無に着目されるが、本稿で﹁強い主宰権﹂と述べるときは、発議権も合むが、それに限られず、広 く、閣議における議論を、自らの望む方向を示して、そちらへ積極的に導く権限を意味する。これに対し、本稿で﹁弱い主宰 権﹂と述べるときは、自らの望む方向を示すことを許されず、ただ議事の進行のみを行う議長職の権限を意味する。 ﹁ 弱 さ ﹂ 明 治 憲 法 下 に お け る 内 閣 総 理 大 臣 のの
理
由
第一章 第 節 憲法五五条説 穂積・上杉説 正統学派として括られることの多い穂積八束、上杉慎吉は、内閣総理大臣の﹁弱さ﹂についても、 ( ロ ) たちで説明を与えるもののように思われる。 おおむね同じか 彼らは、単独輔弼を理由として、内閣制度、すなわち内閣という合議体や連帯責任を否定する。たとえば、穂積は 次のように述べる。﹁我カ憲法ハ国務各大臣ヲ視テ以テ輔弼ノ責任アル者トス、内閣ト語へル憲法上ノ職責ノ主体アル コトヲ認メス、輔弼ノ大臣ハ君主ノ内閣ニ参入シテ謀議一一与カルノミ。輔弼ト其ノ責任トハ各大臣各個ノ資格ニ於テ ス、連帯シテ輔弼シ及責ニ任スルノ制ニ非ス﹂と(穂積五五四頁)。第14巻1号一一 76 また、﹁内閣ノ制度ノ最モ完全ナルハ、各大臣ノ上ニ一人ノ首相アリテ、各大臣ヲ指揮監督シ、各大臣は一人の首相 の意見に服従スルモノトセラルルモノニシテウ:]此ノ知クナレハ、政治ノ実権ハ自ラ首相ニ帰スルニ至ル﹂との認 識が一不されるが(上杉六四九頁)、かかる内閣制度の帰結たる総理大臣の特別な地位も、彼らは単独輔弼を理由として拒 否する。﹁国務大臣トシテノ憲法上ノ輔弼、一副署及責任ノ事ニ付テハ各大臣皆天皇ニ直隷シテ同列同権ナリ﹂と述べ(穂 積 五 五 六 l 七頁てあるいは﹁国務各大臣ハ、[:・]国務ノ全範囲ニ亘リテ、輔弼ノ職務ヲ有ス、輔弼ノ職務ニ就テハ、 各大臣ノ問、事務ノ分掌アルコトナシ、各省大臣トシテノ主任ノ事務ト相関スルコトナク、各大臣ハ対等ニ、国務ノ 全 範 囲 ニ 就 テ 、 天皇ニ進言スルコトヲ得、内閣総理大臣モ、亦国務大臣トシテハ、他ノ各大臣ト異ルコトナシ﹂と論 じている(上杉六六三頁)ところである。 それでは、内閣官制が内閣そして内閣総理大臣の存在を認め、これらに各種の職務を与えているのはどのように理 解するのか。彼らは内閣や内閣総理大臣を憲法五五条の定める輔弼のための﹁憲法上ノ機関﹂としてではなく﹁行政 施行ノ為ニ大権ヲ以テ特ニ設クル﹂﹁行政最高ノ監督官府﹂として捉える(穂積五三 O 、五五五頁)。すなわち﹁内閣及 ビ内閣総理大臣ナル者ハ、国務大臣カ行政各部ノ長官タルノ地位職務ニ就テ存スル者ニシテ、国務大臣トシテノ地位 職務ニ関スルモノニ非ス﹂(上杉六五 O 頁 ) 。 もちろん、﹁便宜﹂﹁輔弼ノ職務トスル所ニ関シ、閣議ニ於テ評議スルコト﹂があることを彼らも承認する(穂積五五 七 頁 、 上 杉 六 五 O 頁)。しかし、その場合であっても﹁大権輔弼ノ憲法上ノ任務ハ[:・]尚大臣各個ノ憲法上ノ資格ト権 能トニ於テスルモノタルヲ忘ルヘカラス﹂(穂積五五七頁)。そこで、かかる国務各大臣の権能を害さないためには、輔 弼に関して行う閣議での議論は﹁唯タ打チ合セ相談タルニ止マリ、多数ヲ以テ全体ノ唯一ノ意志ヲ決定シ、各大臣ヲ 拘束スルノ効力アル議決ヲ為スコト﹂まではできない(上杉六五 O 頁 ) 。
したがって、輔弼に関して内閣総理大臣が自らの意見を他の国務大臣の意見に優先させることができないのは言う までもない。それは、内閣総理大臣が内閣官制二条によって行政各部の統一を保持する特別な権限を与えられ、各省 長官を国務大臣が兼ねるゆえに﹁行政一部ノ分担者トシテハ各大臣ハ行政ノ全部ノ統一ヲ保持スルノ総理大臣ノ職権 ノ下ニ立ツノ事アリ﹂という状況にあっても変わらない。﹁若之ヲ以テ憲法上ノ国務大臣ノ地位ト混シ、諸大臣ハ一首 領ノ下ニ立チ之ヲ経由スルニ非サレハ大権輔弼ノ任ヲ行フコト能ハストセハ、是レ明カニ憲法ニ反スルモノナリ﹂と 穂 積 は 明 言 す る の で あ る ( 穂 積 五 五 八 頁 ) 。 以上が彼らの論理であるが、最後に確認しなければならないのは、彼らの所論の背景には、﹁大権政治﹂という﹁政 体 ﹂ 、 かかる政体の基礎となる天皇主権の﹁国体﹂の観念が存在していたことである(穂積五五三頁、上杉六四二 i 四 五 頁)。単独輔弼制は、﹁大臣交々信ずる所を執て廷争せしめ、以て輔弼の一層有効ならんことを期し、またこれに依て、 ( 日 ) 大権が有名無実に帰せず、真に憲政の中心として活動するの、我が憲法の基本方針を徹底せんとしたものである﹂。 したがって、内閣という合議体が輔弼を行うこと、 その結果、内閣総理大臣のカが突出することを彼らが認めない のは、他の国務大臣の権限を弱めるからというよりはむしろ、天皇の力を弱めるからであるといえよう。﹁内閣制度ハ 君主ノ勢力ヲシテ軽カラシメ、内閣ヲシテ実権ヲ掌握セシムルニ至ルノ傾向アリ、各大臣各様ノ意見ヲ上ルハ、天皇 自由ニ之ヲ選択決定スルコトヲ得ヘキモ、内閣ニ於テ唯一ノ意見ヲ決定シテ採択ヲ請フトキハ、仮令法律上決定ノ権 ハ天皇ニ在ルモ、事実上内閣ノ意見ヲ拒絶スルコト困難ナルヘシ、 又各大臣ハ実際上内閣ニ於ケル多数ノ意見ニ直接 服従シ、天皇ノ命令ニ直接服従スルニ非サル者トナルヘシ﹂と上杉が述べる(上杉六四八頁。穂積五四
O
、 四 二 i 四 三 頁 も 参 照 ) の は 、 かかる思想をよく表しているように思われる。第14巻1号一一 78 清水説 ( M ) 清水澄も、憲法五五条一一項の単独輔弼の原則から出発して、﹁内閣総理大臣の弱さ﹂を説明するように思われる。ま 0 ず、清水は﹁憲法第五十五条ハ国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ云々トアルカ故ニ国務大臣ハ﹂﹁単独ニ天皇ヲ輔弼スルモノ﹂ であって﹁合議体ヲ以テ天皇ヲ輔弼スルニアラス﹂(圏点は原文)と述べて内閣の合議体性を否定する(清水﹃団法学﹂ ハ 四 六 1 四 七 頁 ) 。 それでは、内閣官制が内閣の存在を認め、 五条や六条で閣議を経るべき事項を定めているのは、 どのように考える のだろうか。清水によると、内閣には﹁異ナル二ツノ性格﹂がある。﹁大権作用ニ関スルモノ﹂を議論する﹁国務大臣 ノ集合トシテノ内閣﹂と﹁行政作用ニ属スルモノ﹂について決定を行う﹁行政長官ノ集合トシテノ内閣﹂である(清水 ﹃ 国 法 学 ﹄ 七 三 五 l 二一六頁)。内閣官制に列挙されている権限は、その性質に応じて二種類の内閣いずれかに振り分けら れるわけである(もっとも﹃逐篠﹄と﹃国法学﹄とでは、その﹁振り分け方﹂は異なる)。 ﹁行政長官ノ集合トシテノ内閣﹂は憲法五五条と無関係なので、﹁内閣カ確定ノ決議ヲ為スモ憲法ノ精神ニ背カサル ノミナラス之ニツキ内閣カ単ニ評議スルニ止マルモノトナストキハ却テ各省ノ主管明カナラス且行政ノ統一ヲ保ツヲ 得サルノ不当ノ結果ヲ生スルモノナリ﹂として、合議制の官庁であることが明確に肯定される(清水﹃国法学﹄七三七 百 九 。 た だ し 、 清 水 は ﹁ 行 政 長 官 ノ 集 合 ト シ テ ノ 内 閣 ﹂ に お い て も 、 内 閣 総 理 大 臣 の 優 越 性 に つ い て 消 極 的 な 立 場 を と る 。 こ の こ とは、憲法五五条からは説明できないものであることに留意しなければならない。この点は A 口 議 体 と の 関 係 で 後 述 す る ) 。 ﹁国務大臣ノ集合トシテノ内閣﹂の存在も、清水は、﹁素ヨリ各大臣相会シテ輔弼ニツキ意見ヲ交換スルハ妨ケナク 又実際ニ行ハルル所ナリ﹂として肯定する。しかし、﹁輔弼ハ常ニ各大臣輔弼シテ之ヲ為スヘキモノニシテ内閣ヲ以テ 団結ノ一体トナシ多数決ヲ以テ輔弼シ衆ヲ以テ寡ヲ庄シ各独立ノ意見ヲ奉ルコトヲ得サラシムルカ如キハ我カ憲法ノ
許ス所ニアラサルナリ﹂(清水﹃国法学﹄六四七頁)。﹁国務大臣ノ集合トシテノ内閣﹂はあくまで合議を行う場にすぎな ぃ。その結果すべての国務大臣の意見が一致して、﹁便宜上其一致ノ意見ヲ以テ輔弼スル﹂ことはあるだろう(清水﹃国 法学﹄六四八頁)。しかし、﹁国務大臣ノ集合トシテノ内閣﹂は、反対者を押さえて意思決定を行うことのできる合議体 で は な い 。 このように、﹁国務大臣ノ集合トシテノ内閣﹂が輔弼に関して意思決定を行うことによりその意見を反対する大臣に 押し付けることは否定されるが、これは内閣総理大臣の意見であっても同様である。なぜなら、﹁国務大臣トシテハ各 大臣単独ニ天皇ニ対シテ輔弼ノ任ヲ蓋スモノナルカ故ニ総理大臣モ各省ノ大臣モ国務大臣トシテハ其間ニ差異ナキモ ( お ) ノ﹂だからである(清水﹁国法学﹄六四五頁)。結局、輔弼に関する合議の場面においては、憲法五五条に由来する国務 大臣の単独輔弼制によって、内閣の合議体性、 ひいては総理大臣の優越性が否定されることとなる。 もっとも、清水がかかる筋道をたどる背景には微妙なものがある。 一方で、国務大臣が内閣という合議体を通して 天皇を輔弼することができないのは五五条が﹁国務各大臣ト規定シ特ニ﹃各﹄字ヲ備フ故﹂であると述べる(清水﹁逐 篠 ﹄ 四 O 七頁)ところからは、次に述べる佐々木と同様、憲法典の文言を重視する姿勢がうかがわれる。他方で、内閣 が大権の輔弼に関して決議を行う場合には﹁雷ニ国務大臣単独輔弼ノ制ニ反スルノミナラス輔弼官タル国務大臣カ其 ノ 意 見 ヲ 以 テ 天 皇 ノ 意 思 ヲ 拘 束 ス ル ノ 結 果 ヲ 生 ス ル ニ 至 ル ヘ キ ナ リ ﹂ と 述 べ ( 清 水 ﹃ 国 法 学 ﹄ 七 一 二 七 頁 。 六 四 六 頁 も 参 照 ) 、 穂積や上杉と同様に天皇との関係も視野に入れている。この点﹁中間派﹂と住置づけられる清水の学説の性格が表れ ているように思われる。 佐々木説 ( 団 ) 佐々木も、憲法五五条一項は﹁各国務大臣ハ各別ニ天皇ヲ輔弼ス﹂る趣旨を明らかにしたものであるとし、ここか
第14巻1号一-80 ら﹁内閣総理大臣の弱さ﹂を説明するもののように思われる。もっとも、佐々木は既に述べた穂積、 上杉、清水と異 なり、輔弼に関し、国務大臣としての資格で、内閣総理大臣に一定の特別な地位と権限を明確に認める(佐々木三九 四 i 九五頁)。すなわち、佐々木によれば、内閣総理大臣は、各大臣の首班として、内閣の運営との関係で、第一に、 閣議を準備し指揮する権限を、第二に、機務を奏宣する権限をもっ。このような二種類の権限が内閣総理大臣にある と明言する点で、佐々木は、次に述べる美濃部と共通しており(もっとも、後述するように、機務奏宣の内容は美濃部と佐々 木とで微妙に異なるし、また美濃部が﹁主宰﹂の語を用いるのに対して、佐々木はこの語を用いないて前のコ一人に比較すれば ﹁強い内閣総理大臣﹂を認めていたともいえよう。しかし、これらの権限もすぐに限界に突き当たる。やはり﹁内閣 総理大臣は弱い﹂のである。そしてその説明の仕方が、佐々木と美濃部とでは異なるのである。この点に注目するこ とによって、美濃部が﹁内閣総理大臣の弱さ﹂について憲法五五条では説明できない理解をとっていることが際立つ であろう。そこで、以下では美濃部の議論との比較を念頭におきながら、機務奏宣権と閣議指揮権についての理解に 着目することによって、 やや詳細に﹁内閣総理大臣の弱さ﹂に関する佐々木の考えをたどる。 一言で言えば、佐々木は、憲法五五条の趣旨を、機務奏宣権との関係でも閣議指揮権との関係でも徹底して貫こう と す る 。 機務奏宣権との関係では、憲法五五条の趣旨から﹁総テ国務大臣ハ同等ノ地位ニ於テ天皇ヲ輔弼ス﹂ることが導か れ、それゆえ﹁天皇ヲ輔弼スルコト其ノコトニ関シテハ内閣総理大臣ト他ノ国務大臣トノ間ニ何等差異アルナシ﹂と いうこととなる(佐々木コ一八九頁)。そこで﹁内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ[・:]﹂と定める内閣官 制二条の理解が問題となるが、佐々木は、輔弼を行う権限と輔弼を行う手続を区別し内閣官制は後者に関わるもので あるとして解決を図ろうとする。すなわち、﹁総テノ国務大臣併立シテ輔弼ノ権限ヲ行フトセパ、其ノ相互ノ関係ノ問
題ヲ生ズ。之ニ関シテ帝国憲法ハ何等規定スル所ナシ。天皇ハ国務大臣ガ輔弼ノ権限ヲ行フノ手続ア設ケ以テ国務大 臣相互ノ関係ヲ定メタマフコトヲ得﹂とし、内閣官制を、 天皇が﹁国務大臣ノ輔弼ノ権限ヲ行フ手続ヲ定メタマヒタ ルモノ﹂と理解するのである(佐々木三九 O 頁 ) 。 ゆえに、二条も﹁輔弼ヲ為スノ子続ニ付﹂いて内閣総理大臣に特別の権限を認めたものということになる。具体的 には﹁天皇ノ行為トシテ行ハルベキコトニ付自己及ビ総テノ他ノ国務大臣間ニ存スル意見ヲ上奏シ、其ノ他一般ニ国 務上ノ事項ニ付上奏スルコト﹂が認められる。他の国務大臣は﹁亦其ノ意見ヲ上奏スルコトヲ得ルモ、唯自己ノ意見 ノミヲ上奏スルコトヲ得ルニ止マリ、他ノ国務大臣ノ意見ヲ上奏スルコトヲ得﹂ないので、この点で内閣総理大臣の 権限は特別のものということになる。さらに、佐々木によれば内閣総理大臣には﹁他ノ各国務大臣ガ上奏セントスル 意見ヲ報告セシメ、場合ニ依テ其ノ上奏ニ立チ会フコト﹂も認められる(佐々木三九五頁)。この点でも内閣総理大臣は 特別の権限を有することとなる。 しかし、これらの内閣総理大臣の権限は、各国務大臣の有する﹁輔弼ノ権限﹂を害さないことが前提となる。佐々 木も右の諸権限に触れた上で﹁但是レ他ノ各国務大臣ガ之ヲ上奏スルニ当テ必ズ内閣総理大臣ヲ経由シ又ハ其ノ承認 ヲ得ルヲ要スト云フニハ非ズ。他ノ国務大臣ハ或ハ直接ニ上奏シ或ハ内閣総理大臣ヲ経由シテ上奏スルコトヲ得﹂と 留保を付すのである。確かに﹁実際ニ於テハ内閣総理大臣ヲ経由スルノ慣例﹂となっているが、法上は国務大臣が直 接上奏することもできる(佐々木三九五頁)。そして、佐々木はこの法的側面に留意する理解をしているように見えるの で あ る 。 かかる機務奏宣権の理解は、憲法五五条一項を根拠に法的には各国務大臣と天皇とのパイプを認めなければならな い 点 を 強 く 打 ち 出 す 分 、 たとえ内閣総理大臣を経由する慣例があるといっても内閣総理大臣の力を弱める効果を持つ
第14巻1号 82 で あ ろ う 。 これと同じことが内閣総理大臣の閣議指揮権との関係でもいえる。佐々木も、内閣を﹁国務大臣ガ天皇ヲ輔弼スル ノ方法一一就テ協議スル機関﹂としての内閣と﹁行政事務ヲ行フ機関﹂としての内閣に分けるが、ここで問題になるの ( げ ) は前者、すなわち﹁輔弼上ノ内閣又ハ国務上ノ内閣﹂である。この意味での内閣は、各国務大臣がそれぞれ別々に国 務一般について天皇を輔弼することができるところ、それでは各々の輔弼相互の関係が問題となり、﹁国務大臣相互間 ニ天皇ヲ輔弼スルノ方法ニ就テ連絡ヲ保チ統一ヲ為ス﹂必要があるので、﹁国務大臣ヲシテ天皇ヲ輔弼スル方法ニ就テ 協議ヲ為サシメ﹂るために天皇が設けた機関である(佐々木三九 Oi 九一頁)。しかし、この内閣を用いた輔弼の手続も ﹁帝国憲法ニ抵触セザル限リ﹂認められるにすぎない。 ゆえに、佐々木によれば輔弼上の内閣のありさまは次のよう に な る 。 少 し 長 い が 引 用 す る ( 佐 々 木 三 九 一 頁 ) 。 輔弼上ノ内閣ニ於テハ国務大臣ハ協議ヲ為スモ議決ヲ為スコトヲ得ズ。従テ総テノ国務大臣ヲ一体トスル内閣 ノ意志ナルモノヲ生ズルコトナシ。蓋シ既述ノ知ク帝国憲法上各国務大臣ハ各別ニ天皇ヲ輔弼スルモノナレパナ リ。故ニ内閣ニ於テハ総テノ国務大臣ノ意見ノ一致ヲ見ルマデ議ヲ尽スカ又ハ其ノ議一致セザル侭ニ放任スベキ モノトス。而シテ何レノ場合ニ於テモ内閣ニ於ケル各国務大臣ノ意見ヲ其ノ侭天皇ニ上ルコトヲ要ス。天皇ハ内 閣ニ於ケル国務大臣ノ協議ヲ参考トシテ御自身ノ意見ニ依テ国務上ノ行為ヲ決定シタマフモノトス。故ニ内閣ニ 於テ国務大臣ノ意見一致セザルモ理論上何等妨ゲナシ。而モ実際ノ運用ニ於テソノ適当ナラザルコト論ヲ待タズ。 然レパ実際ニ於テハ内閣ニ於テ国務大臣ノ意見ノ一致ヲ見ル迄議ヲ熟セシメ其ノ一致スル所ヲ以テ天皇ヲ輔弼ス ル ヲ 適 当 ト ス 。
憲法の文言上は各国務大臣が輔弼をし、 天皇自らが決定を行うことを前提としているが、他方で立憲主義の観点か ら天皇に実質的な決定を行わせてはいけないという要議が働くため、これらを両立させるため全員一致が運用上説か れるのであろう。かかる実際の閣議のありさまを前提とすれば、各国務大臣の意見を﹁一致セシムルコトニ特ニ努力 スル者﹂が必要となる。﹁是レ即チ内閣総理大臣ナリ﹂(佐々木三九五頁)。内閣総理大臣は、﹁閣議ヲ準備シ、指揮シ、 成ルベク総テノ国務大臣ノ意見ノ一致ヲ見ルコトニ努力スル﹂職責を有するのである(佐々木三九四頁)。 しかし、右の引用からも窺えるように、佐々木の頭には法理論、すなわち憲法五五条一一項から各大臣は個別に天皇 に対し輔弼を行う権限を有し、それを害してはならないということが厳然と存在していた。したがって、あくまで内 閣総理大臣の権限は﹁総テノ国務大臣ノ意見ノ一致ヲ見ルコトニ努力スル﹂ことに限られ、国務大臣の意に反してま で意見を一致させる権限は有さない。ここでも、憲法五五粂一項を根拠として持ち出すことで内閣総理大臣の権限は 弱められるのである。 佐々木は、確かに立憲主義的な慣例や運用も唱え、 その中で内閣総理大臣の﹁機務奏宣権﹂や﹁閣議指揮権﹂も主 張する。この点では、穂積や上杉、清水と異なり、美濃部と並ぶ位置づけを与えるべきである。しかし、 それらの権 限の限界を憲法五五条一一項から論じようとする筋道それ自体においては、穂積や上杉、清水と共通していたといえる だ ろ う 。 ( ロ ) 穂 積 八 束 ・ 憲 法 撮 要 下 巻 ( 有 斐 問 、 一 九 一 O 年 ) ( 以 下 、 穂 積 OO 頁 で 引 用 ) 、 上 杉 慎 吉 ・ 憲 法 述 義 ︿ 増 補 改 訂 九 版 ﹀ ( 有 斐 閣 、 一 九 二 八 年 ) ( 以 下 、 上 杉 OO 頁 で 引 用 ) 。 以 下 、 旧 漢 字 は 改 め た 。 ( 日 ) 上 杉 慎 士 口 ・ 帝 国 憲 法 逐 候 講 義 ( 日 本 評 論 社 、 一 九 三 五 年 ) 一 四 二 頁 。 ( M ) 清 水 澄 ・ 国 法 学 第 一 篇 憲 法 篇 八 二 二 版 V ( 清 水 書 底 、 一 九 二 八 年 ) ( 以 下 、 清 水 ﹁ 国 法 学 ﹄ OO 頁 で 引 用 ) 、 同 ・ 逐 候 帝 国 憲
第14巻1号 一-84 法 講 義 八 二 四 版 ﹀ ( 松 華 堂 書 底 、 一 九 四 二 年 ) ( 以 下 、 清 水 ﹃ 逐 僚 ﹄
OO
頁 で 引 用 ) 。 (日)清水も、内閣官制二条に定める内閣総理大臣の権限を憲法五五条の輔弼とは区別された行政作用に関わるものとして理解す る よ う で あ る 。 清 水 ・ 前 掲 注 ( 日 ) ﹃ 国 法 学 ﹄ 七 四O
頁 参 照 。 ( 日 ) 佐 々 木 惣 一 ・ 日 本 憲 法 要 論 ︿ 訂 正 五 版 ﹀ ( 金 刺 芳 流 堂 、 一 九 三 三 年 ) ( 以 下 、 佐 々 木OO
頁 で 引 用 ) 三 八 八 頁 。 (刀)参照、佐々木惣一﹁国務大臣と内閣﹂同・憲法行政法演習第一巻(日本評論社、一九四一年)七八 1 八 O 頁 。 第二節 美濃部説 美濃部説の概要 これに対し立憲学派のもう一人の巨頭、美濃部達吉は、内閣総理大臣を﹁内閣中最モ重要ナル地住ニ在ル者﹂と述 ( 問 ) べ、閣議主宰権や機務奏宣権を含めて内閣総理大臣に特別の権限を列挙する。この点で、美濃部は佐々木と共通する。 しかし、佐々木と異なり、美濃部は、機務奏宣権を論じる際には憲法五五条一項をより柔軟に解釈する一方、閣議主 宰権を論じる際には憲法典に含まれない要素を持ち出して、内閣総理大臣の権限を限界づける。 まず、機務奏宣権については、佐々木よりも憲法五五条一項を緩やかに解釈するためであろう、内閣官制二条から 内閣総理大臣の権限を強く認める。すなわち、内閣官制二条は機務奏宣が内閣総理大臣の職務に属することを定めた ものであって、﹁閣議ヲ経タルモノハ常ニ総理大臣ヨリ閣議ノ結果ヲ上奏シテ裁可ヲ仰グハ勿論、閣議ヲ経ザルモノニ 付テモ各省大臣ヨリ直接ニ裁可ヲ奏請スルコトヲ得ズ、常ニ総理大臣ヲ経テ総理大臣ヨリ之ヲ上奏﹂しなければなら ないとするのである(美濃部﹃撮要﹄二九六頁。ここで﹁国務大臣﹂ではなく﹁各省大臣﹂という語が用いられている点に注 意 さ れ た い ) 。 憲法五五条一項との関係については明示されていないが、右の引用の直後に﹁英国ニ於テ普通ニ総理大臣ハ国王ノ溝渠ナリト称セラルルハ、外部ノ意思ヲ国王ニ上奏シ及ビ国王ノ意思ヲ外部ニ伝フルニハ何レモ総理大臣ヲ通ズルヲ 要スルコトヲ一不スモノニシテ、等シク我ガ国法ニモ適用セラレ得ベク、憲法義解ニ ﹃国務大臣ハ内外ヲ還流スル王命 ノ溝渠タリ﹄ト日へルモ同一ノ意ヲ一不スモノナリ﹂と述べているところから、あるいは起草者の意思に照らして、 か かる機務奏宣権の理解が正当化されると考えていたのだろうか。とまれ、機務奏宣権との関係では、憲法五五条一項 にもかかわらず、美濃部は総理大臣を他の国務大臣よりも一段上に見ていたことは間違いない。 ところが、閣議主宰権との関係では議論が一変する。以下その流れを見ていく。まず美濃部は、佐々木とは異なり 内閣(閣議)を﹁重要の国務に付いて[・:]合議の結果[・:]全体の意見を纏め、之に依って天皇を輔弼するものたら しむ﹂ために存する合議体であることを承認する(美濃部﹃精義﹄五二二 1 二 三 頁 。 美 濃 部 ﹃ 撮 要 ﹄ 二 九 一 頁 も 参 照 )oA ロ 議体として一つの意思が生成されることを想定している点は、 その意思が唯一の﹁溝渠﹂である総理大臣を通して天 皇に上げられる点と同様、憲法五五条一項の柔軟な解釈を反映しているように思われる。そして、美濃部はかかる前 提の上で、﹁総理大臣は内閣の議長であって、その総ての議事を主宰することは、その当然の任務に属する﹂と閣議主 宰権を総理大臣の職務の一つとして明記する(美濃部﹃精義﹄吾三頁)。美濃部は、これに続けて﹁何を閣議に附する 総理大臣が其の選定権を有する﹂として閣議事項の決定権がある旨、 か も 、 明言することから、閣議運営における内 閣総理大臣の優位性すら示唆しているようにも思われる。 しかし他方で、美濃部は内閣が﹁統一体﹂でなければならないことを強調する。すなわち、﹁内閣ハ普通ノ合議機関 ノ如ク、各員ガ独立ノ意見ヲ以テ合議ニ加ハリ、多数ヲ以テ議決スルモノニ非ズシテ、少クトモ政治ノ大体ノ主義ニ 於テハ其ノ全員ノ間ニ意見ノ一致アルコトヲ要[する︺﹂(美濃部﹃撮要﹄二九二頁)。このことから、美濃部は閣議にお ける多数決を排除し、全員一致の要請を導くのである。この帰結は、閣議運営における総理大臣の力を著しく下げる
第14巻1号一-86 効果を持つことは間違いない。しかし、なぜ内閣が﹁統一体﹂でなければならないことから閣議における全員一致の 必要が導かれるのか。またそもそも、内閣が﹁統一体﹂であるとはどういう意味なのか。美濃部が次のように述べて いるのが手がかりになるように思われる(美濃部﹃精義﹄五二三 l 二 四 頁 ) 。 内閣は普通の合議体のやうに、機械的の多数決主義を取るものではない。多数に依って事を決し、反対の意見 を有する者も、之に従はねばならぬとすることは、内閣員たる各大臣が凡て絶対の責任者であることと相両立し 得ないものである。自分が反対であるにも拘らず、自らそれに付いての責任を負担することは、責任の原理に反 する。それであるから、内閣の合議に依って事を決する場合には、大権を輔弼する職務に於いても、 又は行政官 庁としての職務に於いても、常に全会一致たることを要することを主義とする。 ここでは、﹁各大臣は絶対の責任者である﹂という発想と、﹁責任の原理﹂が根拠として挙げられている。ただ、後 者はそれだけでは全員一致の要請とは結びつかないように思われる。大臣の態度として、﹁あくまで決定には反対する が、その決定には従う﹂というあり方は十分に考えられるところであるし、 かかる態度を、結局は従うという点で美 濃部のいう﹁反対﹂に含めないとしても、﹁決定には反対であるし、かかる決定には従えない﹂という姿勢をとる者も、 自ら辞職することで責任の負担を免れることができるからである。しかし、美濃部はかかる大臣の行為を想定し、こ れを準則化する道は採らなかった。彼は右の引用に続けて、﹁仮令多少の意見の相違が有っても、譲歩し得る限りは譲 歩して以て全員の一致を得なければならぬので、若し絶対に譲歩することが出来ないとすれば、それは内閣の分裂を 来すの時である﹂と述べる。大臣の辞職によってではなく、内閣の崩壊をもって﹁責任の原理﹂の貫徹を図るのであ
る かかる結論は、結局﹁各大臣は絶対の責任者である﹂という発想こそが閣議において全員一致を要請する真の根拠 であることを示しているのではないか。ここでは﹁統一体﹂としての内閣も﹁各大臣﹂を前提し、 そ れ に 劣 位 す る 。 美濃部が﹁統一体﹂を強調しなければならなかったのは、内閣が﹁各大臣﹂に劣位するからこそであるように思われ る。それならば、﹁内閣の統一を保持することに付いて主たる責任を負ふ﹂内閣総理大臣の閣議主宰権の行使も﹁各大 臣﹂の前に空回りするだけであろう。 以上より、美濃部は、内閣を合議体として承認し総理大臣に機務奏宣権を認める場面では、憲法五五条一項の柔軟 な解釈から内閣や総理大臣の地位を強める帰結を導くにもかかわらず、閣議の運営の場面に至るや議論一変して、全 員一致を説いて、内聞や総理大臣の地位を低める。そしてその根拠として﹁各大臣は絶対の責任者である﹂という発 想が突如として登場したのであった。 そ れ で は 、 かかる発想は何に由来するのか。この発想に基づく全員一致制は憲法上の原則なのだろうか。第一に考 えられるのは、佐々木と同様、この発想は憲法五五条一項に基づくもので、 それゆえに全員一致制は憲法上の原則で あるとする理解である。しかし、すでに述べたように、美濃部はこの条項を別の場面では極めて緩やかに解釈する。 一方で緩やかに解釈しながら、他方で﹁各大臣は絶対の責任者である﹂という発想を導くような厳格な解釈をとるこ とは、矛盾した態度であろう。したがって、美濃部の論を整合的に理解しようと思えば、この理解は採りえない。 したがって、全員一致制が憲法上の原則であることを認めるならば、 その根拠である﹁各大臣は絶対の責任者であ る﹂という発想を憲法五五条一項から切り離して理解し、 かかる発想の結果を一種の憲法慣習法と扱うしかない。結 局、﹁閣議の運営の場面では、各大臣は絶対の責任者であるので、全員一致が要請される﹂との慣習法が憲法五五粂と
第14巻1号 館 は別に存在していたということになるだろう。 以上より、内閣総理大臣の﹁弱さ﹂の理由について、美濃部は他の主な論者と異なり、憲法五五条によらないこと が明らかとなった。それでは、 かかる美濃部の﹁各大臣は絶対の責任者である﹂という発想の背景には何があったの だろうか。次節では、この点について探りながら、美濃部説の特徴をさらに明らかにしよう。 美濃部説の背景と特徴 ( l ) 美濃部と他の論者との議論を比べた場合、まず目につくのは、美濃部が国務大臣の語 各省大臣 H 国務大臣 と各省大臣の語とを互換的に使用していることである。たとえば、既に述べたように、輔弼が問題となる場面で﹁各 省大臣﹂の語を用いている。また、﹁国務大臣ハ [・:]天皇ヲ輔弼シ、議会ト交渉シ及行政官庁タルコトノ三重ノ職務 ヲ有ス﹂と述べた直後に﹁各省大臣ハ決シテ単ニ行政官庁トシテノミ省務ヲ担任スルニ非ズシテ、 天皇ヲ輔弼シ議会 ト交渉スルノ職務ニ於テモ[:・]主トシテ省務ニ付キ輔弼交渉ノ任ニ当ルモノナリ﹂との叙述が登場する(美濃部﹃撮 要 ﹄ 二 九
O
頁)。かかる言葉遣いは、国務大臣と各省大臣とを区別しない意識の表れであるように思われる。 このことは、他の論者と比較した場合により顕著となる。本章第一節で掲げた論者は、程度の差はあるものの、す べて国務大臣の地住・資格と各省大臣の地住・資格との峻別を自覚し、また強調するところである。たと、えば、上杉 は、﹁国務大臣タル地位ト各省大臣タル地位トハ、概念上明ニ之ヲ区別セサルヘカラス﹂と述べ ( 日 ) 六 1 五七頁も参照)、清水も﹁国務大臣ハ憲法上ノ輔弼機関ナリ行政施行ノ任ニ当ル行政大臣ト其ノ観念ヲ異ニス我カ国 ( 上 杉 六 五 一 頁 。 六 五 一一於テハ各省大臣ヲ以テ当然国務大臣ト為セルカ故ニ動モスレハ此ノ両者ヲ混漏スルノ虞アルモ両者ハ性質ヲ異ニス ( 初 ) ルカ故ニ深ク留意スルヲ要ス﹂と述べる(清水﹃逐篠﹄四 O 四 頁 。 同 ﹁ 国 法 学 ﹄ 六 三 九 、 六 四 三 頁 も 参 照 ) 。 また、穂積や佐々木は、 さ ら に 進 ん で 、 とくに国務大臣と各省大臣との分離の可能性すら明記する。すなわち、穏積は、﹁大権輔弼ノ憲法機関ト、行政施行ノ為ニ大権ヲ以テ特ニ設クル諸般ノ官府トハ、其ノ地位自ラ異ナルモノアル ナリ﹂と述べるのにとどまらず、﹁現行ノ制、行政各部ノ長官ヲ以テ同時ニ憲法上ノ輔弼、副署ノ大臣ト為ス、事便ニ シテ何等違憲ナルコトナシ、[・:]然レトモ之ヲ誤解シテ是レ我カ憲法必然ノ法理ニ出ルモノト為スヘカラス、若更ニ 官制ヲ改メ国務大臣ト行政長官トヲ分離シ、憲法上ノ輔弼、副署ノ事ハ行政各部ノ長官ノ外ニ、別ニ参政ノ大臣ヲ特 設スルコトアルモ、其ノ便ト否トハ問ハス亦何等違憲ナルコトナキナリ﹂と論じる(穂積五三 O 、 五 五 七 1 五 八 頁 ) 。 ま た、佐々木も、現行官制によれば﹁各省大臣タル人ハ当然国務大臣タリトセラル、ガ故ニ、各省大臣ト国務大臣ト同 一ノ機関タルノ観アル﹂が、これはあくまで﹁全ク官制ノ規定ノ結果﹂なのであって﹁官制ノ改正ニ依テ之ヲ変更ス ルコト﹂ができる。すなわち、﹁国務大臣ト行政機関タル各省大臣トノ重畳ノ関係ヲ絶チ、国務大臣タル者ガ単ニ天皇 ヲ輔弼スル国務大臣ノミニ任ジ行政機関タル各省大臣ニ任ゼザルノ制度ヲ設クルコト﹂ができる、 とするのである ( 佐 々 木 三 七 一 i 七四頁)。このように、国務大臣の地位と各省大臣の地位とを嵯別する論者から見れば、美濃部はこれ ら を ﹁ 混 同 ﹂ し て い る こ と と な ろ う ( 佐 々 木 三 七 一 頁 ) 。 美濃部が、国務大臣の地住と各省大臣の地住とを当然に重畳するものと見ていた背景には、右に引用した佐々木の 議論が示唆するように、当時の制度が国務大臣各省大臣兼任制を採用していたことが存しているように思われる。 かかる兼任制の歴史的沿革に着目するならば、美濃部が当然視した国務大臣と各省大臣との重畳は、 8 各省大臣はじ めにありき 4 の重畳であったといえよう。それは、美濃部が、 明治一八年の内閣制度創設の要点の一つを﹁各省ノ長 宮ヲシテ直接ニ大政ヲ輔弼スル国務大臣タラシメ﹂る所に見ていた(美濃部﹃撮要﹄二九三頁)ところからも窺われる。 また、憲法の制定後、すなわち内閣総理大臣の地位を弱めた点で明治一八年当初の内閣職権とは異なると評価される ことの多い内閣官制の制定後においても﹁憲法ニハ内閣ノ制ニ付キ更ニ明言スルコトナシト雄モ、尚其ノ制ヲ維持シ
第14巻I号一一 90 テ変ズル所ナシ﹂とするのは(美濃部﹃撮要﹄二九四頁)、内閣官制においても﹁各省ノ長官ヲシテ直接ニ大政ヲ輔弼ス ル国務大臣タラシメ﹂る点で変更がない点に鑑みれば、美濃部における内閣制度の理解に占める兼任制の位置づけの 大きさを表していないだろうか。結局、美濃部の議論の特徴は、国務大臣と各省大臣との重畳、 それもグ国務大臣は じめにありき 4 の重畳ではなくか各省大臣はじめにありき。の重畳を当然のものとする見方にあるとはいえないだろ ( 幻 ) 、 っ か 。
( 2
)
各省大臣 H ﹁ 絶 対 の 責 任 者 ﹂ ( l ) で見たように、美濃部が国務大臣と行政長官の地位をグ各省大臣はじめ にありき 4 という意識で当然に重畳するものと考えていたことを念頭におくと、﹁各大臣は絶対の責任者である﹂とい う発想の源について、次のような推量が可能となる。 つまり、ここでいう﹁各大臣﹂が本節一で示したように﹁国務 それは﹁各省大臣﹂ではないか、ということである。 ( 幻 ) 美濃部によれば、各省大臣は、﹁最高ノ行政官庁﹂である。その意味について明記するところはないが、﹁天皇ニ直 大臣﹂ではありえない以上、 隷スル﹂と述べる以上、 その担任する行政事務に関してどの機関からも指揮を受けないということであろう。なぜな ら、理論的には天皇の指揮を受けることはありえるが、立憲主義の観点に立つならば天皇がかかる指揮を行うことは ( お ) 許されないだろうからである。もちろん、﹁内閣総理大臣ハ各省大臣ニ対シ上級官庁ノ地住ニ在ル者﹂ではない。内閣 も同じだろう。そうである以上、内閣は、各省大臣が担当する行政事務に属する事項に関して協議するが、﹁其ノ決議 ハ普通ノ合議体ノ如ク多数決ニ依ルニ非ズ、全員一致ナルコトヲ要ス﹂るのも当然である。﹁何トナレパ、各省大臣ハ 其ノ職務ニ関スル絶対ノ責任者ニシテ、自己ノ意思ニ反シテ多数ノ議ニ従フハ其ノ責任者タル地位ト相容レ﹂ないか ら で あ る 。 こ こ に は 、 天皇に代わって、輔弼者たる国務大臣(またその集合である内閣) が各省大臣を指揮する、 と い う 発 想 は な い 。かかる﹁各省大臣は絶対の責任者である﹂との発想は、清水澄にも見られる。清水は、 一応、国務大臣としての地 位と各省大臣としての地位を分けて論じ、国務大臣の集合である内閣における内閣総理大臣の脆弱性については憲法 五五条から説明するのであったが、﹁行政長官ノ集合トシテノ内閣﹂においても内閣総理大臣に弱い権限しか認めてい t ミ O 手 向 d し 清水は、﹁内閣カ合議ノ官庁トシテ行動スル場合ノ決議ノ方法﹂について﹁何等ノ規定ナキニヨリ或ハ内閣総理大臣 ノ意見ヲ以テ之ヲ決定スヘキカ或ハ閣員ノ多数決ニ依リ之ヲ決定スヘキカノ疑問ヲ生ス﹂と問題提起を行う(清水﹃国 法 学 ﹄ 七 三 八 i 三 九 頁 ) 。 し か し 、 ﹁ 我 カ 国 ニ 於 テ ハ A 口議制ノ官庁ノ決議ノ方法ニツキ一般ニ通スル規定ナク而カモ内閣々 議ニ関シ特別ノ明文ヲ融クニ由リ当然多数決ナリト断定スルヲ得サルナリ﹂と述べる(清水﹃国法学﹄七三九 l 四
O
頁 ) 。 興味深いのはその理由である。﹁一部ノ多数意見ヲ以テ全体ノ意見ト為スハ変則﹂だからであると、内閣の構成員、す なわち各省大臣ひとりひとりの責任を強調するのである。もちろん、 かかる清水の理由づけを、意思決定方法に関す る定めのない合議体一般に妥当するものであると考えることもできよう。しかし、合議体の意思決定が・当然全員一致 であると断定することもできないならば、 とくに内閣について﹁各省大臣は絶対の責任者である﹂との発想の結果で あると解釈することもできるのではないだろうか。 そ し て 、 かかる各省大臣の責任に由来するその地位の強さは、行政各部の統一保持など内閣総理大臣の職務を定め る内閣官制二条も打ち破ることができない。清水は、本条について﹁総理大臣ハ内閣各大臣ノ意見ヲ取纏メ以テ内閣 ノ意思ヲ決定スヘキモノ﹂であって、これに失敗した場合には﹁政務統一ノ職責ヲ壷ス能ハサルモノトシテ其ノ職ヲ 辞セサルヘカラサルナリ﹂と述べ(清水﹃国法学﹄七四 O 頁)、各大臣の意見の一致を優先する解釈を行うのである。﹁各 省大臣は絶対の責任者である﹂との発想は決して美濃部特有のものではなかった点には留意が必要であろう。第14巻1号一一92 と も あ れ 、 かかる﹁各省大臣は絶対の責任者である﹂との発想こそが、美濃部においては、各省大臣 H 国務大臣に よって組織される内閣という合議体の性質に影響を及ぽし、 かかる合議体を運営する内閣総理大臣の主宰権を弱める ものであったとの理解も可能であるように思われる。 ﹁ 連 帯 責 任 ﹂ の 承 認 最後に、美濃部説の特徴として、特に現行憲法の解釈との関係で興味深いのは、美濃 ( 3 ) ( 2 ) で述べたように各省大臣の単独責任によって強く影響されていたにもかかわらず、他方で、内閣の﹁連帯 ( M } 責任﹂をも承認していた点である。 部 が 、 すなわち、美濃部は、﹁国務大臣が其の進退を決するに当り、金内閣員が進退を共同にすること﹂を﹁連帯責任﹂で あるとした上で﹁国務大臣の責任が、連帯責任であるや個人的責任であるやに付いては、本線[憲法五五条]には何 等の明文もな﹂く、﹁僚理より云へば、内閣の一般政策に関し、閣議に依って定まった事項に付いては、全内閣が連帯 責任を負[う]﹂と述べ、﹁連帯責任﹂を正面から認めている(美濃部﹃精義﹄五五二頁、岡﹃撮要﹄三二頁)。 しかし、美濃部の﹁連帯責任﹂を仔細に観察するとき、 それが、あえていえばやや特殊な観念であることが明らか となる。この点、佐々木の指摘が参考となる。佐々木は、憲法五五条の文言を根拠に、輔弼に関しては国務各大臣が 単独で行うという立場をとるものであったが、それゆえに﹁各国務大臣タル人ハ、各別ニ責任ヲ負フ﹂とする。﹁各別 ニ責任ヲ負フトハ各国務大臣ノ責任ノ関ニ何等ノ関係ナキノ義ノミ。即チ総テノ国務大臣タル人ガ一体トシテ責任ヲ 負フニ非ザルノ義ナリ﹂。しかし、実際には、天皇の行為に対して、ある国務大臣だけが単独で責任を負うわけではな ぃ。天皇の行為は、﹁総テノ国務大臣ノ輔弼ニ依ルモノナレパ、之ニ関シ国務大臣タル人ノ責任ヲ生ズル場合ニハ、当 然総テノ国務大臣タル人ノ責任ヲ生ズベキナリ﹂。結果としては、各大臣の単独責任が束ねられるかたちで、同時に、 総ての国務大臣が責任を負うのである。興味深いのは、佐々木は、 かかる責任の態様を﹁一問責任﹂と名づけ、 明 確
( お ) に連帯責任とは区別している点である。かかる責任の態様を﹁連帯責任﹂と呼ぶことは﹁用語の問題であるから﹂不 可能ではないが、﹁是レ恐クハ連帯責任ト一五フノ普通ノ用法ニ非ズ﹂と断言するのである(佐々木四一二i一三頁)。 確かに、美濃部が憲法五五条を柔軟に解釈し、輔弼に関して内閣総理大臣に強い権限を認める以上、美濃部のいう ﹁連帯責任﹂は佐々木のいう﹁一同責任﹂とまったく閉じものではない。しかし、美濃部が﹁連帯責任﹂を閣議と結 びつけて論じるとき、国務大臣日行政長官 H ﹁絶対の責任者﹂ゆ、えに全員一致による意思決定が要請される点に注目 するならば、美濃部における﹁連帯責任﹂は、﹁絶対の責任者﹂各々の責任の束であるとの理解も可能とならないだろ うか。そうであるならば、単独輔弼を行う国務大臣であるか、行政長官 H ﹁絶対の責任者﹂でもある国務大臣である かは違うものの、各大臣の責任の束を捉、えて﹁連帯責任﹂と名づける点で佐々木と共通する以上、美濃部のいう﹁連 帯責任﹂も﹁連帯責任ト云フノ普通ノ用法﹂ではないように思われる。 それでは、﹁連帯責任ト云フノ普通ノ用法﹂とはどのようなものであろうか。この点、佐々木自身は明示していない が、おそらく、内閣の機関性を承認した上で、かかる﹁内閣とゅう一体のもの﹂が責任をとることであると思われ ( お ) る。この点、﹁各別ニ責任ヲ負フトハ、[・:]総テノ国務大臣タル人ガ一体トシテ責任ヲ負フニ非ザルノ義ナリ﹂と述 べていることも示唆的であろう。連帯責任の主体は 一体としての内閣である。そして、この機関の意思決定のあり 方については、佐々木が機関性を承認する﹁行政上の内閣﹂の議論を参考にするならば、﹁各個ノ大臣タル者ノ責任ヲ 有スルコトハ宅モ国法又ハ内閣自身ノ定ニ依リテ多数決ノ方法ヲ設クルコトヲ妨ゲス。其ノ責ニ任スルヲ欲セサル者 ( 幻 ) ハ辞任スベキモノナレハナリ﹂。このように考えるならば、佐々木にとっての連帯責任の﹁普通ノ用法﹂とは、主体は 一 体 と し て の 内 閣 で あ り 、 そして内閣内部の運営方法について特定のあり方を合意するものではないという理解が潜 んでいたように思われる。
第14巻 1号一一 94 また、清水も、﹁国務大臣ハ合議体トシテ君主ヲ輔弼スルモノナリトナササル国ニ於テハ何故ニ大臣ハ当然連帯責任 ヲ負ハサルヘカラサルカヲ解スルコトヲ得サルナリ﹂と述べ、 一体としての内閣と連帯責任の結びつきを示唆する。 そして注目されるのは﹁連帯責任ハ其行為ニ与ラサル者若ハ其ノ行為一一反対スル者マテモ同一ノ責任ヲ負ハシムルコ トニシテ責任ノ原則ニ例外ヲ成スモノ﹂であると述べていることである(清水﹁国法学﹄七
O
二頁)。ここでは、連帯責 任とは、内閣運営において国務各大臣が自らの責任を根拠にその意思の貫徹を図ることを排除する意義を有している の で あ る 。 結局、美濃部は、﹁国務大臣の進退を決するに当り、全内閣員が進退を共同にする﹂という結果だけを見て、かかる 責任の態様を﹁連帯責任﹂と名づけていたのではないだろうか。この点、美濃部も﹁連帯責任﹂から﹁全員一致﹂を、 そして﹁内閣総理大臣の弱さ﹂を導いていたわけではない点には、 日本国憲法の解釈との関係で、注意が必要である。 美濃部が、憲法五五条一項を柔軟に解釈し、当時の論者の中では最も大きく内閣総理大臣の特別な地位を認め、内 閣の合議体性を認め、 そして内閣の﹁連帯責任﹂を認めていた点では、当時において最も立憲主義的であったと評価 すべきことは当然である。しかし、 その中には国務大臣 H 行政長官 H ﹁ 絶 対 の 責 任 者 ﹂ と い う 、 それ自体、立憲主義 とは異なる発想が入っていたのではないだろうか。かかる要素こそが、内閣の運営における総理大臣の弱い地位を規 { 足 し て い た の で あ る 。 ( 日 ) 美 濃 部 達 吉 ・ 憲 法 撮 要 八 改 訂 五 版 ﹀ ( 有 斐 閣 、 一 九 三 二 年 ) ( 以 下 、 美 濃 部 ﹃ 撮 要 ﹄OO
頁 で 引 用 ) 二 九 五 1 九 九 頁 、 同 ・ 逐 篠 憲 法 精 義 ( 有 斐 閣 、 一 九 二 七 年 ) ( 以 下 、 美 濃 部 ﹃ 逐 篠 ﹄ OO 頁 で 引 用 ) 五 三 Ol 三 五 頁 。 ( 川 口 ) も っ と も 、 上 杉 は 、 穂 積 と 異 な り 、 国 務 大 臣 と 各 省 大 臣 と の 兼 任 制 は ﹁ 官 制 ニ 基 ヅ ク 偶 然 ノ 結 果 一 一 非 ス 、 現 行 ノ 官 制 ニ 於 テ ハ 、 各 省 大 臣 カ 国 務 大 臣 ト 相 兼 ヌ ル モ ノ ト ス ル ノ 明 文 ナ シ ト 雄 モ 、 憲 法 ハ 其 ノ 相 兼 ヌ ル コ ト ヲ 前 提 ト シ テ 、 諸 種 ノ 規 定 ヲ 設 ケタリ﹂と述べる。さらに﹁国務大臣ハ各省大臣ヲ以テ之レニ充ツルモノトスルハ、 る ( 上 杉 六 五 一 1 五二頁)。最後の議論は美濃部に近いもののようにも思われる。 (却)もっとも、清水は、﹁輔弼﹂と﹁行政施行﹂とを、具体的に論じる際には明確に区別していないのではないかと思われる点も ある。たと、えば、内閣官制に列挙されている職権の理解について、同・前掲注 ( M ) ﹃ 逐 条 ﹄ 四 O 八 i 四 O 九 頁 を 参 照 。 (幻)美濃部が、内閣官制一 O 条に定める、いわゆる﹁無任所大臣﹂について﹁例外トシテ﹂認めていたことも、かかる美濃部説 の 理 解 か ら 説 明 で き る だ ろ う 。 (幻)美濃部達吉・行政法撮要︿改訂増補再版﹀(有斐閣、一九二七年)(以下、美濃部﹁行政法﹄ O O 頁 で 引 用 ) 一 八 三 頁 。 (幻)以下の引用は、美濃部・前掲注
( n )
一 八 九 i 九 O 頁 。 ( M ) 参照、瀧谷峻嶺﹁国務大臣の輔弼の態様﹂法学論叢三二巻三号(一九三五年)五八三頁。 ( お ) 佐 々 木 惣 一 ﹁ 内 閣 の 進 退 ﹂ 同 ・ 前 掲 注 ( げ ) 一 九 九 頁 。 (お)佐々木・前掲注( η
)
二 O 一 頁 。 (幻}佐々木惣一・日本行政法論︿改訂版﹀(有斐閣、 我カ憲法ノ原則トスル所ナリ﹂とまで述べ 七 一 八 一 、 一 九 二 四 年 ) 三 三 四 頁 。 憲 法 制 定 過 程 に み る 内 閣 総 理 大 臣 の 第二章 ﹁ 弱 さ ﹂の
理
由
第一節 国務大臣 H 各省大臣 H ﹁絶対の責任者﹂観の継続 ﹁ 連 帯 責 任 ﹂ H 各国務大臣の合同責任 ( 1 ) 憲法制定議会における議論の概要 それでは、現行憲法起草者は内閣の運営における総理大臣の権限が弱い どのように考えていたのだろうか。まず、内閣の運営における総理大臣の地住についての憲法制定議会にお( m )
ける議論を整理しておく。 理 由 を 、第14巻I号一-96 興味深いのは、抽象的には総理大臣の地位の向上は認められていた点である。たとえば、金森は﹁今回ノ内閣制度 [:・]其ノ中ノ内閣総理大臣ト云フモノニ梢々強キ重点ヲ認メテ居リマス、 現在ノ制度ヨリモ一一層強ク総理大臣ガ ノ、 首長ト致シマシテ其ノ内閣ヲ統括シテ行クト云フコトヲ認メテオリマス﹂と述べる(衆委一八三四八)。同種の答弁は 繰り返されており(衆委九一五一二、貴委一九│三九、二二│二五)、総理大臣のいわば統括権者としての地位は明確に認 めていたといえよう。 し か し 、 その内実としては、統括を確保するための担保として罷免権が挙げられるだけで、実際に閣議を運営し導 く権限、すなわち主宰権の充実と結びつけようという発想は薄かった。 この点は閣議主宰権に関する議論から明らかとなる。そもそも閣議主宰権についての議論は少ない。また、 そ の 結 果として、この権限が憲法上のものであるのかどうか、またその内容や強さがどれほどのものであるのか一義的にま では明らかとはならない。 第一に、閣議主宰権が憲法上のものであるかどうかの点については、憲法上のものであるとしてその根拠を﹁首長﹂ である点に見出すことができるのかが問題となる。 一方で金森は﹁首長ト云フ言葉ハ、謂ハパ警喰的ノ意味ノ首デア リ長デア﹂り、﹁法律的ノ正確ナル意味ハ、此ノ憲法ニアル他ノ規定ヲ綜合シテ之ヲ掴ミ出ス﹂と述べ(貴委一九│一 O ) 、 ﹁首長﹂という語のみから法的な命題は引き出されないと考えていたようにも思われる。しかし、他方で入江俊郎は、 閣議主宰権を明記した内閣法四条二項に関連して﹁是がなければ、結局首長たる総理大臣と云ふ風なこともあります から、解釈で出るかもしれませんけれども、[・:]其の内容を具体化して、此処に書いたのでありま[すことも述べ て い る と こ ろ で あ る ( 内 賞 委 二 │ 八 ) 。 第二に、閣議主宰権の強さ、内容という点についても、 明治憲法下における主宰権との異同が問題となるが、 日 月 解
で は な い 。 こ の 点 、 入江は右の点を指摘した直後で﹁閣議を招集したり、議長になったり、閣議に議案を出したりす ると云ふことは総理大臣がやると云ふ趣旨を明かにした﹂と述べる。これは明治憲法下における総理大臣の閣議主宰 権と同じであろう。 しかし他方で﹁閣議を主宰するということは、閣議を開くということ、 そのほか閣議進行の上に必要なる措置をす るという点を、当面の規定の内容としておりまするけれども、 その含蓄の中には、閣議を或る方向に導くべき政治的 なる効力を予想しておる次第でございます﹂とも述べる(内衆本七
l
七九)。先に挙げた﹁統括者の地位﹂との繋がりが 感じられる点、注目に値する。 それにもかかわらず、 かかる﹁閣議を或る方向に導く﹂力と関係してくる、内閣の意思決定のあり方については、 ﹁全員一致﹂を明確に要求していた。これは明治憲法下のあり方とまったく変わりない。ただ、 その論拠は明治憲法 下とは異なり、これを内閣の連帯責任に求めていたようである点は注目に値する。たとえば金森は憲法の審議におい て﹁日疋ハ内閣ハ国会ニ対シテ総テ連帯シテ責任ヲ負フト一五フコトガハツキリシテ居リマスルヤウニ、各々ノ責任デハ ア リ マ ス ケ レ ド モ 、 ソレガ共同ノ全員一致ノ責任トナツテ来ルト云フ考へ方ニ憲法ノ規定ガナツテ居リマス、此ノ趣 旨カラ還元シテ説明ヲ致シマスレパ、内閣デ決メマスルコトハ、此ノ構成員全員ノ一致デナケレパナラナイト云フコ トハ恐ラク当然ノ帰結ト考へテ居ル訳デアリマス﹂と述べ(衆委一八│三四八)、また入江も内閣法の審議において﹁連 帯責住と云ふ規定の趣旨に鑑みまして、全会一致たるべきものと考へて居ります﹂と述べているところである(内貴委 一 一 │ 九 。 ま た 植 原 悦 二 郎 国 務 大 臣 の 言 葉 と し て 、 内 貴 本 七 │ 九 八 、 内 衆 委 二 │ 四 ) 。 以上より、抽象的には、統轄権者としての内閣総理大臣の優越性を認めつつも、具体的には、主宰権についても、 全員一致についても、考え方は明治憲法下と変わっていないことが確認されよう。注目すべきは、全員一致の理由と第14巻1号一一 98 して連帯責任が挙げられていた点である。内閣総理大臣の﹁弱さ﹂を連帯責任から説明していたのである。
( 2
)
内閣総理大臣の﹁弱さ﹂の真の理由 しかし、なぜ連帯責任ゆえに内閣総理大臣の﹁弱さ﹂が導かれるのだ ろうか。連帯責任に関する政府側の答弁を注意深く見なおすと 一つの傾向が明らかとなる。たとえば、先に見た﹁是 ハ内閣ハ国会ニ対シテ総テ連帯シテ責任ヲ負フト云フコトガハツキリシテ居リマスルヤウニ、各々ノ責任デハアリマ ス ケ レ ド モ 、 ソレガ共同ノ全員一致ノ責任トナツテ来ルト云フ考へ方ニ憲法ノ規定ガナツテ居リマス﹂との答弁、あ るいは﹁国会ニ対シテ各大臣合同致シマシテ責任ヲ負フノガ当然デアリマシテ[:・]﹂との答弁はいずれも、責任を負 う主体につき、内閣をいったん各国務大臣に分解したうえで、その各大臣の共同責任、合同責任という構成を取って い る の で あ る 。 かかる内閣の連帯責任 H 各国務大臣の合同責任という構成が、第一章第二一節( 3
)
で み た 美 濃 部 に お け る ﹁ 連 帯 責 任 ﹂ の構造と共通していることは明らかであろう。それでは、やはり右の意味が連帯責任の﹁通常の理解﹂であって、 か かる意味での﹁連帯責任﹂が抵抗なしに受け入れられたのであろうか。 政府内部の憲法起草過程を前史まで遡っていくならば、内閣あるいは連帯責任に対しては消極的で、 むしろ﹁各国 務大臣﹂に対する強いこだわりがあったことが明らかとなる。憲法問題調査委員会では、内閣を憲法上の機関として { m m } { 初} 認めるかどうかすら意見の対立があった。この点は美濃部の案が参照されたためであろう、結局は肯定されることと なったが(要綱二 O てそれでも今度は﹁内閣の責任は連帯責任か、各大臣の責任かという点につき、明らかにする必 ( 況 ) 要があろう﹂とされた。この点、内閣を憲法上の機関とするのは連帯責任を採用する趣旨であるとする見解もあった ( 明 記 ) ( お ) ょうであり、また美濃部私案には﹁第一院ハ内閣又ハ国務大臣ノ不信任ヲ議決スルコトヲ得﹂とも定められていた。 しかし、委員の多数は連帯責任の採用に消極的だったようであり、結局、総司令部に提出された﹁憲法改正要綱﹂で( お } は、議会に対し責任を負うのも、衆議院の不信任議決の対象も﹁国務各大臣﹂とされたのであった(要綱二 0 ・ 二 二 。 かかる、連帯責任に消極的な、そして﹁国務各大臣﹂に執着する姿勢は
g
r
n
己認可2
3
5
5
白々を明記したマッカーサl
草案が提示された後でも変わらなかった。たとえば、三月六日要綱の公表後、法制局と関係各庁との協議によ って洗い出された問題点を列挙した﹁要綱ニ関スル問題﹂(三月二四日の日付がある)の中に﹁第六十二第二項、第六十 ( お ) ﹃国務大臣﹄トスベキナラズヤ﹂という項目があったほどである。 五乃至第六十七ノ﹃内閣﹄ ノ、 そして、連帯責任について先に触れたような構成を取る理解が登場する。佐藤達夫によると、彼が持っていた口語 化 第 一 次 案 ( 四 月 一 七 日 草 案 の 原 型 で 四 月 五 日 に 完 成 し て い た ) の プ リ ン ト 中 に 、 ﹁ 第 六 二 条 第 二 項 の ﹃ 内 閣 は : ・ 連 帯 し て ﹄ について﹃内閣﹄を﹃各国務大臣﹄とするか、﹃連帯して﹄を削るかしないと、対応関係がおかしい[・:]という趣旨 の 書 き 込 み が あ る ﹂ 。 ﹁ 内 閣 の 責 任 ﹂ H ﹁各国務大臣の連帯責任﹂という理解に基づいて、文言上は現れていない各国務 大臣を見出そうとするのである。その結果、連帯責任の主体は、内閣ではなく各国務大置であるとの理解が登場する。 議会での答弁資料として法制局で用意された﹃憲法改正草案に関する想定問答﹄(入江文書三六)では、﹁連帯してとは ( お ) 知何﹂という問に対して﹁内閣を組織する各国務大臣が連帯しての意味である﹂という答が用意されるのである。 日本政府における﹁各国務大臣﹂へのこだわりである。このことと、 以上の経過から明らかなのは、 マ ッ カl
サl
草案提示後まで、連帯責任の採用について消極的であったことを考え合わせれば、﹁連帯責任﹂とは、﹁内閣の連帯責 任日各国務大臣の合同責任﹂であるとする解釈は当然のものであったとはいえないように思われる。逆に、﹁各国務大 臣﹂へのこだわりが、﹁内閣の連帯責任 H 各国務大臣の合同責任﹂という﹁連帯責任﹂解釈を生み出したのではないだ ろ 、 っ か 。第14巻1号 100 各省大臣 H 国務大臣 ( l ) 憲法七四条の﹁主任の国務大臣﹂ それではなぜ、単独輔弼から連帯責任へと、憲法の文言上の変化にもか かかる各国務大臣から出発する構成に対するこだわりがあったのか。それは、 明治憲法下の美濃部の発想 か わ ら ず 、 を引きずって、﹁各省大臣は絶対の責任者である﹂との発想にとらわれていたからであるように思われる。 かかる仮説の一つの﹁状況証拠﹂は、兼任制、それも各省大臣は必ず国務大臣でなければならないというかたちで の兼任制への強いこだわりである。かかるこだわりが最もよく現れているのは、憲法七四条の﹁主任の国務大臣﹂と ( 却 ) い う 文 言 で あ ろ う 。 そもそも、この文言は起草過程の当初からあったわけではない。三月六日に発表された﹁憲法改正草案要綱﹂中、 本条の前身にあたる第七