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新刊紹介 早田啓子著『仏教文化─インド・パキスタン 中央アジア─』

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Academic year: 2021

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─ 128 ─ あると述べている。さらに、タキシラに建設され た 三 都 市 (ビ ル 丘、シ ル カ ッ プ 及 び シ ル ス フ) の 遺 跡に関し現地調査と先行研究のレビューと文献に よる丹念な検証を行っている。加えてパルティア 時代はまだ仏像も僧院も見られず仏塔信仰が中心 であったこと、郊外でクシャーン時代に塔院と僧 院からなる伽藍形式が存在し仏像も出現し礼拝の 対象となったこと、仏塔崇拝はドラヴィダ系民間 信仰に倣ったもので、仏教供養が火を使うアーリ ア的要素と水を使う非アーリア的要素が混淆した ものであること、仏教の灌頂儀礼にインド文化の 根 底 に 潜 む 水 信 仰 が 汲 み 取 れ る と し、 「水」の 有 無が文明の型を決めるほど重要であったこと等に 言及している。   第三節タキシラでは、法顕訪問の五世紀に小乗 仏教が興隆し玄奘訪問の七世紀に仏教が衰退して いたことや後一世紀のシルスフ都城が西アジアか ローマ帝国の影響を受けたとする田辺勝美氏の説 を支持している。また、都城外のジャンディアー ル及びダルマラージカ両寺院のうち、前者がゾロ アスター寺院と推測したマーシャルに対し著者は アテネのパルティノン神殿を彷彿させると述べ、 後者はアショーカ王の造塔故にタキシラ仏教寺院 中最も重要であるとする。さらに著者はアショー カ王治世仏塔と僧院は独立した存在であったがタ 持せず仏陀が神格化され形象化が不可能であった ことを挙げ、後者は仏像不表現の原則のもと仏陀 への篤い信仰が存分に読み取れると指摘している。   第二章「パキスタンの仏教文化」第一節で前四 世紀末ギリシャのアレクサンダー大王のガンダー ラ遠征後アショーカ王治世の「正法」の統治、前 二世紀頃ギリシャ系グリーク王朝メナンドロス王 とナーガセーナの問答、後二世紀クシャーン王朝 カニシカ王治世での仏教の繁栄,九世紀のヒンド ゥー教徒、十一世紀のイスラーム教徒の支配等を 詳述している。また、ガンダーラ美術の源流を漢 書 ・ 後漢書等の漢籍史料も駆使しつゝクシャーン 美術がギリシャ的要素の影響を「たっぷり」受け たと述べている。さらにタキシラ発掘のガンダー ラ美術諸資料から仏像が当初から存在したとする 通説が覆されその出現時期に関し新たな問題が提 起された点に言及し、第二節タキシラ遺跡で初期 美術で不表現の仏像がガンダーラで例外的に表現 されたとの推論が否定されたことは極めて重要で

早田啓子著

『仏教文化





─インド

パキスタン

 

中央アジア─』

 

 

 

  本書は日本と地理的に遠隔で文化 ・ 慣習の異な るインドから中央アジアに至る地域の度々の現地 踏査と信憑性ある史料による厳密な精査で裏打ち された論集だけに説得力ある論を展開している。 本 書 は 「 は じ め に 」 で ガ ン ジ ス 中 流 域 に 興 っ た 仏 教 がアジア各地への伝搬過程で創出された地域や時 代の文化を吸収して表現された仏教文化の持つ包 容力とダイナミズムに驚嘆し、その研究対象地域 のフィールドワークを通じ仏教文化に深く魅了さ れつつ、本来生き抜くための人間の創造的営みで あるべき文化が地球環境の悪化で損なわれいく現 状を憂い、今一度研究の原点に立ち返りその意義 を問い直そうとする著者の鋭い視点が読み取れる。   第 一 章「イ ン ド の 仏 教 文 化」 で 著 者 は、 第 一 節 サ ンチーの仏塔及び第二節バールフットの彫刻を取 り上げ、前者は紀元前三世紀マウリア王朝第三代 アショーカ王建立後前二世紀頃拡大された第一仏 塔の本生図と仏伝図の考察で仏伝図に仏像表現が 全く見られない理由に元来アーリア人が神像を保 2017 年 2 月 25 日発行 BookWay B5 判 222 頁 定価 本体 2800 円+税

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─ 129 ─ 検討する上で看過できない問題であるとし、また ジャータカ先導の民衆強化運動が後に大乗仏教興 起の一因となっていく過程で仏教説話が重視され るべきとの問題提起を行っている。これに関連し 著者は「おわりに」 、「仏教は哲学的原動力とその 文 化 が 内 包 す る 知 識 体 系 が 百 科 全 書 的 な 役 割 を 担 」 うとし、その世界を共有する人々にとり「実質的 に有益なことであったに違いない」と結んでいる。   な お、著 者 に は 他 に Theravāda Buddhist  Studies in Japan (博士論文、 一九九八年) 及び、 『一 遍 ─ そ の 思 想 と 生 涯』 (二 〇 一 三 年) と そ の 英 訳 Ip pe n : T h e J ap ane se Bu dd h ist “ Sag e W h o Abandoned All” (二 〇 一 五 年) が あ る。前 者 は 日 本の仏教研究者が過去一世紀に上座部仏教研究の 発展にいかに大きく寄与してきたか、また彼らが その研究抜きで仏教研究は完結しないとしている ことに言及している。後者は鎌倉末期の遊行聖人 一遍が日本浄土教を止揚し仏教思想と日本人の自 然観を見事に融合させた点を強調しているが、そ の根底に文化とは人類にとり自然の中を生き抜く ための精神的営為であるとする著者の揺ぎ無い信 念があり、人類は今こそ全英知を結集し自然との 調和を模索すべき時である旨、英訳本でも今を生 きる我々の喫緊の課題である旨強調している。 ( お く だ い ら   り ゅ う じ     東 京 外 国 語 大 学 名 誉 教 授 ) している点に注目し、大乗教典成立期と地域をク シャーン朝下の北西インドに比定している。最後 に北西インドで仏教施設が伝統的に国王等の在家 信者に始まり実質的な製作者はグレコ ・ ローマ美 術の技術を持つ職人であったと推定している。   第二節仏教伝搬とカラ ・ テパ遺跡では、特にテ ルメスの石窟寺院カラ ・ テパ、中央アジア仏教美 術の最高傑作ファヤズ ・ テパ寺院の石灰岩製三尊 仏、アムダリア北岸のアイルタム仏教寺院、ダル ヴェルジン ・ テパ第二仏教寺院出土の菩薩像等に ついて、第三節中央アジアの遺跡群では、仏教と 拝火教の習合施設ザル ・ テパ寺院、ズルマラのス トゥーパ、 中央アジア最大の涅槃像所蔵のアジナ ・ テパ仏教寺院、トルクメニスタン南東部とアフガ ニスタン北部を含むメルヴの仏教遺跡、タジク共 和国カフィル ・ カラ都城跡の寺院、イラン系民族 ソグドの仏坐像やテラコッタ出土のペンジケント、 アフラシアブ遺跡、ヴァラフシャの城郭都市に言 及している。さらに、仏教がガンダーラからアフ ガニスタン経由で後一世紀末頃バクトリアに伝搬 し、その約二〇〇年後建立のシャフリスタン第二 仏教寺院等の遺跡について調査結果を明らかにし ている。   なお、 著者は、 ガンダーラ中心のジャータカ (本 生 経) 関 連 の 論 考 を 付 記 し 西 北 イ ン ド に 頻 見 す る その存在は同地域の伝説と共に大乗仏教興起期を キシラで両者組み合わせの伽藍形式が出現したこ とに言及し、これが出家集団が仏塔を崇拝する端 緒となったと同時に紀元後一世紀頃ガンダーラ伝 来の仏像が三世紀に高浮彫へ立体化していく現象 を仏教思想内容の変化と捉え、小乗仏教から大乗 仏教への変遷時期と重なるという重要な指摘を行 い、最後に法顕記述の宗教美術や建築を紹介し、 またシルスフ近郊のカーラワーン仏教寺院に関し マーシャルの記録と自身の調査を踏まえ詳述して いる。   第三章「中央アジアの仏教文化」第一節で著者 は、当該地域に存在した諸宗教であるミトラ神信 仰、ゾロアスター教、マニ教、ユダヤ教、ネスト リュウス派キリスト教、ヒンドゥー教及び仏教を 解説し、就中、北西インドに伝搬した仏教で上座 部系「説一切有部」が優勢であった根拠として仏 滅後三〇〇年北西インドで『大毘婆沙論』が出て 有部の教学が興隆し仏教の現実主義的教義がシル クロード往来の人々に流布した点を挙げている。 また、中央アジアへの仏教の伝搬による大乗仏教 興起を含む部派仏教時代の有部の布教活動の一環 で美術活動が行われていたとし、さらに大乗仏教 は興起の地域の特定は困難としつつ部派仏教中比 較的進歩的思想を持つ大衆部から発展したものと する説を紹介する一方、大乗仏教がその基本的教 理を「阿毘達磨大毘婆沙論」等の有部からも借用

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1  ミャンマー(ビルマ)  570  2  スリランカ  233  3  トルコ(クルド)  94  4  パキスタン  91 . 5 

技術部 斉藤 晃 営業部 細入