1.はじめに 近年,わが国の大気中から,低濃度であっても発 ガン性等を有するベンゼン,ダイオキシン類などの 様々な化学物質が検出され,これら物質の長期暴露 による健康影響が懸念されている。この中には,人 類が初めてタール中から発見した発ガン物質である benzo[a]pyrene(BaP)も含まれている。BaPは肺ガ ンとの因果関係が指摘されるディーゼル排気粒子中 に含まれることから,自動車排ガス汚染の著しい都 市大気の研究が国内外で進められている。 岡山県では,BaPを含む未規制大気汚染物質の発 生源による影響および汚染の実態把握を目的として, 1983年度から1996年度まで,工場や住宅地などが立 地する県南部5か所を中心に,夏期(7月),冬期 (1月)の年2回各3日間の調査を実施してきた。バ ブル好景気以降の1991∼1992年(平成3∼4年)冬 期には,工業地域で40ng/m3を超えるBaP濃度が検出 された測定日もあったが,1996年には,5地点30検 体で平均濃度1.68ng/m3(検出下限値∼8.52 ng/m3) と濃度ダウンの傾向がみられた(岡山県大気未規則 物質調査、未発表)。その後,環境省(当時の環境庁) は大気中に存在して健康影響の懸念される有害化学 物質の対策を進めるため,1996年5月9日付けで 「大気汚染防止法の一部を改正する法律」を施行し, 有害大気汚染物質に対する各種の規定が盛り込まれ た。これまで人体への有害性が疑われながらも未規 制であった大気中の化学物質について,「有害大気汚 染物質に該当する可能性がある物質」として234物質 (群)のリストを作成した。更にこのうち,特に優先 的に対策に取り組むべき「優先取り組み物質」とし てBaPを含むベンゼン等22物質(群)のリストを作 成した。大気汚染防止法本則では,地方公共団体の 責務として,「区域における有害大気汚染物質による 大気汚染状況の把握」を規定していることから,全
岡山県内7か所で採取した大気粉じん中の多環芳香族炭化水素類の
濃度プロファイル
小田 淳子
吉備国際大学 国際環境経営学部研究紀要 第19号,83−90,2009 吉備国際大学 国際環境経営学部環境経営学科 〒716−8508 岡山県高梁市伊賀町8Department of Environmental Management, School of International Environmental Management, Kibi International University 8, Igamachi, Takahashi, Okayama, 716-8508, Japan
キーワード:大気粉じん,多環芳香族炭化水素類,岡山,対ベンゾ[e]ピレン比,土地利用
Junko ODA
Contamination Profiles of Airborne Polycyclic Aromatic Hydrocarbons collected at the seven cites in Okayama area
国でモニタリング調査が開始された。以来,現在ま で継続して調査が行われている(環境省,2007)。岡 山県でも,これら優先取組み物質による汚染状況を 把握するため,土地利用環境が異なる県下4地点 (定点3,移動点1)で1997年度に調査を開始した経 緯がある。そこで,本研究では,有害大気汚染物質 モニタリング開始時期前後の1996年∼1999年に採取 した岡山県内7地点の大気粉じんについてPAHs測定 を行った結果から,PAHsの濃度プロファイルを考 察した。 2.調査の方法 2.1 調査地点および調査時期 県内の調査地点7か所と調査時期の概要を表1に示 す。調査地点の周辺環境の土地利用状況を図1に示 す。A地点は中山間地域の盆地にあり,B地点は中山 間地域の田園地区に位置していた。C地点はビルや 住宅が密集して立ち並ぶ商業地域にあり,D地点は 農林畑に囲まれた住宅地域に位置するが,南西2㎞ の方向に工業地帯が控える場所であった。E地点は 国道2号線沿いで周囲に住宅及び田園地域が混在し た。F地点は石油コンビナート地区にあって公園や 住宅が近接し,G地点は南部直近に工業地域を控え る市街地に位置した。調査回数はA∼E地点では月 に1回24時間,FおよびG地点では隔月毎に3回24 時間サンプリングを行った。 2.2 測定方法 (1)試料の採取および前処理 ハイボリュームエアーサンプラー(紀本電子工業 製,120F型)を用いて石英繊維ろ紙(PALLFLEX 製,2500QAT-UP)上に1000∼1500L/minで大気を 吸引し,24時間連続採取を行った。大気粉じんから のPAHs抽出には,既に多試料・多成分の同時抽出 を確立している超臨界流体抽出(SFE)法を用いた (小田,1999;小田,2005)。抽出装置はHewlett-Packard製SFE7680Tを使用した。すなわち,粉じん 採取後のろ紙を恒温恒湿室で風乾し,速やかに粉じ んの重量を測定した。その後,45mmφサイズにカ ットしたろ紙4枚を細切して,SFE抽出管に入れ, 既報告の条件で抽出した。 (2)分析試薬 PAHsは東京化成工業㈱製及びシグマルドリッチ ジ ャ パ ン ㈱ 製 , G C / M S 測 定 用 内 部 標 準 の fluoranthene-C12はCILジャパン㈱製,カラムクロマ トグラフィー用のシリカゲルC200は和光純薬工業㈱ 製を使用した。SFE,ソックスレー抽出,クリーン アップ用の有機溶媒は和光純薬工業㈱製または関東 表1.大気粉じんの採取場所と調査時期 1) 2) 注1)採取施設は調査当時の名称である。 注2)土地利用分類は国土交通省国土地理院の2万5千分の1地形図(土地利用図)から判定。
【A地点:中山間地域】 【B地点:中山間地域】 【C地点:商業地域】 【D地点:住宅地域】 【E地点:道路沿道】 【F地点,G地点:工業地域】 赤 色:商業地区 橙 色:文教地区 淡橙色:運動競技施設(ゴルフ場等) 濃緑色:針葉樹林(人工・天然) 緑 色:混交樹林 黄緑色:広葉樹林 黄 色:畑(ふつう畑,果樹畑等) 淡黄色:田 青 色:工業地区 淡青色:運輸流通施設または供給処理施設 図1.調査地点A∼Gの土地利用状況 (国土交通省国土地理院,2万5千分1土地利用図から作成)
化学㈱製を使用した。超臨界流体用CO2は昭和炭酸
㈱製の液体CO2(99.9990 vol.%以上),SFEのポンプ
及びトラップ冷却用 CO2は東中国エア・ウオーター ㈱製の液体CO2(99.99%)を使用した。 (3)測定対象物質 環境中のPAHsは現在100種類以上が確認されてい るが,今回対象としたPAHsは大気粉じんから検出 される頻度の高い3∼7環の非極性PAHs(nonpolar-PAHs)23種類とした。2環のnaphthalene,3環の acenaphthylene,acenaphthene,fluoreneは大気環境 中にガス状で存在する割合が高いため石英繊維ろ紙 での捕集効率が低くなること,分析中の濃縮過程で 回収率が低下することから,測定対象より外した。 Nonpolar-PAHsの内訳は,3環PAH(phenanthrene, a n t h r a c e n e , d i b e n z o t h i o p h e n e ), 4 環 P A H ( f l u o r a n t h e n e , p y r e n e , b e n z o [ b ] f l u o r e n e , benz[a]anthracene,chrysene,triphenylene, naphthacene),5環PAH(benzo[b]fluoranthene, benzo[j]fluoranthene,benzo[k]fluoranthene, benzo[e]pyrene,benzo[a]pyrene,perylene,3-methylcholanthrene,dibenz[a,h]anthracene, dibenz[a,c]anthracene),6環PAH(benzo[ghi]perylene, indeno[1,2,3-cd]pyrene,dibenzo[a,h]pyrene),7 環PAH(coronene)であった。 (4)PAHsの分析条件 SFE抽出した試料液についてGC/MS(SIM)法で PAHs測定を行った。分析条件を表2に示す。 3. 結果および考察 3.1 県内7地点の大気中PAHs濃度 地点別の大気中PAHs濃度の平均値(ng/m3)およ び総PAHs濃度を表3に示す。Dibenzothiophene, naphthacene, 3-methylcholanthrene, dibenz[a,h] anthracene, dibenz[a,c]anthracene, dibenzo[a,h]pyrene
は検出下限値以下(0.01ng/m3)であったため,表記 していない。最も高値を示したPAHsは全地点で benzo[b]fluoranthene/benzo[j]fluoranthene(分析上 は未分離ピーク)であったが,次に高値を示した PAHsはC地点でbenzo[ghi]perylene,B・D・E地点 でpyrene,F・G地点でbenzo[e]pyreneであり,地点 により異なるPAHプロファイルの存在が示唆され た 。 P A H s の 大 気 中 総 濃 度 は , 工 業 地 域 F 地 点 (42.1ng/m3)>工業地域G地点(29.3ng/m3)>住宅 地域D地点(7.2ng/m3)>道路沿道E地点(6.5ng/m3) >商業地域C地点(5.6ng/m3)>中山間地域A地点 (4.3ng/m3)>中山間地域B地点(2.0ng/m3)の順で あった。工業地域のF地点は中山間地域のA・B地点 に比べて10∼21倍の高値を示したが,国外の大気粉 じんと比べると,チリ・サンティアゴの26∼117ng/„ (小田,2005)よりやや低く,中国の249∼898ng/„ (小田ら,2003)より一桁低いレベルにあることがわ かった。 3.2 県内7地点の粉じん中PAHs含有量 一般的に採取地点のPAHsを考察する場合,大気 中PAHs濃度を用いることが多いが,PAHs濃度の高 低は採取時の粉じん量の多少に左右される。そこで, 大気粉じん重量当たりに換算したPAHs含有量を用 いて比較することが地点の性状をより反映すると考 え,7地点の各PAHsの含有量平均値(μg/g)と総 PAHs含有量を算出した(表4)。各地点でPAHs含 表2.GC/MS分析条件
536μg/g)や中国(545∼1135μg/g)の総PAHs含有 量と肩を並べる濃度レベルであった。 3.3 Benzo[a]pyreneの大気中濃度 BaPはIARC(国際ガン研究機関)による発がん性 評価のレベルで2A(人に対して発がん性を示す可 能性が高い)に指定されている。7地点のBaPの大 気中濃度は0.15∼4.64ng/m3の範囲にあり,工業地域 で高値を示した。日本では環境基準や指針値は提示 されていないが、オランダの環境基準は1ng/m3, WHO欧州地域事務局(1996)の改定ガイドライン値 は0.011 ng/m3を設定している(環境省,1999b)。こ 有量の順位は大気中PAHs濃度の場合と変わらない が,7地点の総PAHs含有量は工業地域F地点(628 μg/g)>工業地域G地点(464μg/g)>住宅地域D地 点(238μg/g)>中山間地域A地点(195μg/g)>商 業地域C地点(179μg/g)>中山間地域B地点(162 μg/g)>道路沿道E地点(137μg/g)の順であった。 この地域順位は大気中PAHs濃度の場合と異なって おり,B地点の大気粉じん中には,中山間地域であ っても商業地域や道路沿道より多いPAHsが含まれ ていた。このデータを国外のPAHsと比較すると, 工業地域のF・G地点および工業地域を南西に控える 住宅地域のD地点では,チリ・サンティアゴ(169∼ 表3.検出されたPAHsの大気中平均濃度 表4.検出されたPAHsの粉じん中平均濃度
れ を 参 照 し て 岡 山 県 の 状 況 を み る と , F 地 点 (4.64ng/m3)およびG地点(2.98ng/m3)のBaP平均 濃度は健康影響が懸念される高い値を検出したこと になる。 本調査結果を現在の状況と比較するため,環境省 が公表した1998∼2006年度の有害大気汚染物質モニ タリング調査結果(環境省,1999∼2007)における 岡山県のBaP濃度を表5に示す。D地点(発生源周 辺:笠岡市,茂平測定局)およびE地点(沿道:早 島町,長津測定局)では経年的な濃度変化が認めら れないが,C地点(一般環境:津山市,津山振興局) およびF地点(発生源周辺:倉敷市,松江測定局) では2006年度現在,本研究の調査時期の1/2∼1/3程 度に濃度低下しており,大気改善の進んでいること が示唆された。 3.4 芳香環別PAHsの構成比 燃焼源となる物質が異なると,排出されるPAHs の芳香環数の構成に違いが生じることが発生源推定 の研究で報告されている(Daiseyら,1986)。大気中 の各PAHs濃度から芳香環数別に大気中濃度を算出 し,全PAHs濃度に占める割合(芳香環構成比)を 図2に示す。AおよびB地点(中山間地域),C地点 (商業地域),D地点(住宅地域)で優占的に検出さ れたPAHsは5環のPAHs(0.98∼3.35ng/m3)で総 PAHs濃度の45∼48%を占めており,次に4環の PAHs(0.64∼2.57 ng/m3)が25∼35%を占めた。E地 点(道路沿道)で主に検出されたPAHsは4環の PAHs(3.08 ng/m3)で47%を占めており,次に5環 のPAHs(2.62ng/m3)が40%であった。F地点および G 地 点 ( 工 業 地 域 ) で は , 5 環 の P A H s が 5 5 % (23.68ng/m3)および54%(16.11ng/m3)で高値を示 したが,4環のPAHs(8.29および5.43ng/m3)の比 率は21%以下で他の地点より低かった。 著者らは大気粉じん中PAHsの発生源推定に関す る研究(Oda,1998;Oda,2001)から,相対的に低 分子量PAHsの比率が高い事象は自動車排ガスの影 響が強い大気粉じんに見られた特徴であり,5-7環 のPAHsの比率が高い事象は暖房装置や工場の燃焼 過程等から発生したPAHsの特徴であることを報告 している。また,一般道路トンネルの大気粉じん中 PAHs(小田,2005)や道路近傍ツツジ葉中のPAHs 濃度分布(山本,2004)の研究で,自動車排出ガス 中にはfluoranthene,pyreneの含有量が高いことが 報告されている。E地点で高い構成比を示した4環 PAHs にはfluoranthene,pyreneが検出されており (表3),濃度プロファイルの特徴から自動車排ガス の影響が推察された。FおよびG地点は5∼7環の PAHsが78%および80%を占めており,濃度プロファ イルの特徴から暖房および工場の燃焼過程の影響が 表5.有害大気汚染物質モニタリング測定結果におけるBaPの経年大気中濃度
推察された。A,B,C,D地点の芳香環構成比は石 炭を主燃料源とする中国3都市のPAHsの報告(小 田ら,2003)と近似したが,4地点の発生源情報が 不足しているため,濃度プロファイルの影響要因は 明かでなかった。 3.5 Benzo[e]pyrene(BeP)に対するPAHsの 濃度比(BeP ratio) Benzo[e]pyrene(BeP)はPAHsの中で相対的に光 化学的安定性が大きいため,指標物質としてPAHs の発生源推定の解析に利用されている(Khalili, 1995;Nielsen,1996;Benner,1989;Lim,1999)。 7地点のBePに対する各PAHの相対濃度比(BeP ratio)を算出し,図3に示す。E地点のfluoranthene およびpyreneの BeP ratio(1.54および2.07)はA,B, CおよびD地点の約1.5∼2倍,FおよびG地点の約10 倍であった。A,B,C,D地点のbenzo[ghi]perylene のBeP ratio はE,F,G地点の1.6∼2倍程度大き かった。F,G地点でBeP ratioが1.0 を超えたPAHs は benzo[b]fluoranthene/benzo[j]fluorantheneのみで あり,全体的にBeP ratioが低いプロファイルを示し た。地域別のBeP ratioのプロファイルは芳香環構成 比に見られたように,周辺環境の違いが現れたもの と考えられた。 4.まとめ 岡山県内の土地利用状況が異なる地域(中山間地 域,商業地域,住宅地域,工業地域,道路沿い)の 7地点で大気中の多環芳香族炭化水素類(PAHs) 濃 度 を 測 定 し た と こ ろ , 各 地 点 で 3 環 ∼ 7 環 の 17PAHsが検出された。大気中の総濃度は2.0∼ 42.1ng/m3,粉じん中含有量は137∼628μg/gであり, 工業地域は中山間地域より数倍の高値を示すなど, PAHsの濃度レベルが広範囲にあった。芳香環別の PAHs構成比は道路沿道で4環(47%)のPAHsが高 いのに対して,工業地域で5環のPAHs(54∼55%) が高く,濃度プロファイルが異なった。Benzo[e]-pyrene(BeP)に対するfluorantheneおよびpyreneの 相対濃度比(BeP ratio)は道路沿道で中山間地域の 1.5∼2倍,工業地域の10倍を示し,自動車排ガスの 影響が示唆された。調査した周辺環境の土地利用状 況 や 自 動 車 等 の 移 動 発 生 源 に よ っ て , 大 気 中 の PAHsプロファイルは変化すると考えられた。 本報告の一部は2000年6月に開催された第9回環 境化学討論会(札幌市)で発表した。 図2.7地点の大気中PAHsプロファイル,芳香環構成比
【参考文献】
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山本高士,関口幹周,小野芳朗:「道路近傍ツツジ葉中の 多環芳香族炭化水素類の濃度分布」,統計数理,52(2), 297-307(2004)
Abstract
Amounts of polycyclic aromatic hydrocarbons(PAHs)of 125 particulate samples collected from air at seven sampling sites in Okayama prefecture were chemically analyzed in order to study regional contamination of PAHs. Supercritical fluid extraction method and GC/MS was used for analysis of PAHs. Among 3-7 ring PAHs found in the samples from moderately mountainous area and commercial zone, 5-ring PAH to total concentrations of PAHs was found in the highest content(45-48%). The content of 4ring PAH in the site of roadside area was 47%, followed by 5-ring PAH(40%). The content of 5-ring PAH in the site of industrial area was the highest(55%)among 7 sampling sites, while that of 3-4 ring PAHs was less (21%). The BeP ratios for fluoranthene,pyrene calculated from the results in roadside area were generally 1.5-2.0 times and 10 times compared to those in moderately mountainous area and industrial area, respectively. This result suggests that PAHs contamination in air was influenced by land use and mobile source.