工場社会の自主的統治と人事管理 三四
工場社会の自主的統治と人事管理
進
藤
勝
美
繍 序 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 経営における人事管理の問題はきわめて複雑多岐に亘っているが、その何れをとってみても、結局経営における人聞の 問題をどのように理解し、どのように処理してゆくかという点に帰着する。人事管理は経営という︼の組織体における人 ヘ へ 汝の自発的協力の確保を任務とするものである。したがって、それを達成するための具体的な管理の方式は、経営におけ ヘ ヘ ヨ る人聞についての正しい理解をもとにしではじめて有効なものとなり得るのである。 ところで、メィヨー︵国自窒。︶を祖と、する入間関係派の多くの業績が、今日この問題に対するもっとも優れた解答と されていることは周知のところである。そしてその主張の中核をなしているのは、所謂インフォーマル組織︵ぎ隔霞巳巴。お卑 ロ蜜ぎ昌︶ の概念であるといえよう。レスリスバーガーは、﹁産業における人君の行動に関するもっとも適切な考え方は、 それを本質的に社会的なものとして把握することであり﹂そしてこの社会的なものとして把握される入間行動を動機づ けるのは、非論理的︵目巳&箪︶な人間の感情であると規定する。すなわちレスリスバーガーは、産業における人間行動 ヘ ヘ ヘ へ は、感情の論理︵夢こ。讐亀。。。巨ぎ霞けω︶の具体的なあらわれであるインフォーマル組織を通してもっともよく把握し得ら れる、と主張している。 ,ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ル ヘ ヘ インフォーマル組織の概念が、今日経営における人間の問題の理解において.きわめて有効な武器であることは疑いな いところである。すなわちインフォ←ル組織の究明にもとづいて展開されているん隊馬道榔③︵重事§一畢 ぎ昌ω︶は、たしかに大規模企業における動脈硬化的な官僚組織の下で働く壁掛を情緒的飢餓の状態から救い出して、感覚 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 的平衡を得しめるのにきわめて有効なものといえる。しかしその技術は、あくまでも上からの管理として、すなわち経営 者統制︵至忠σq①暮暮8屋貯。H︶の一方式として展開されているものであることを忘れてはならない。特にその研究の立場 が経営者的な偏向︵胃。§窪諾①臼。暮び陣器︶を示しているという点は、その大きな欠陥とされている。それは単に労働組合 の無視というにとどまらず、﹁経営者は合理的であるが、労働者は本質的に感情的、非合理的︵§島8二二q智鉾δ指引ごで あみ﹂とするその労働者観から観取される。 たしかに人閤関係技術は、抑圧感情の流出を量り、人々に感覚的平衡を得しめるだろう。しかしそれ丈けでは人間協ヵ の阻碍要因を除去するという消極的な機能にとどまり、−真に自発的な協力を生みだすに足る積極的な手段とはなり得ない ヘ ヘ ヘ ヘ エ へ と考える。人汝の自発的協力を確保するためには、さらに進んで主体性の回復を保障ずる措置が講ぜられねばならない。 そしてそれには何らかの形での自由の制度的な保障が必要となる。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ さて、経営におげる労働者の主体性の回復の問題は、労働組合の問題を無視して論ずることは出来ない。いうまでもな く労働組合は労働者の自由を保障する制度である。しかもそれはもともと経営者統制に対抗する集団として制度化された ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ものである。したがって組合の機能は、上からの管理として発展してきた入事管理機能と直ちに調和的な関係をもちうる ものでないことは明らかである。労使協力の問題が、企業の経営管理におけるもっとも困難な課題とされる所以である。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 然し乍ら主体性の回復は、組合を通してではなくて、入事管理それ自体の方式を替えることによっては実現し得ないも ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヨ ヘ へ も ヘ へ め のであろうか。われわれはこの問に対する答は、人事機能の上からの管理に対する下からの管理︵びg8日,ε日猿楽。冒①鼻︶ 工場祉会の自主的統治と人事管理 三五
工場祉会の自・王的統治と八事管理 . 三六 もしくは経営者統制に対する自主的統治︵百・畳−σq。く㊤暮白・暮︶の成否を検討することによって与えられるものと信ずる。われ ヘ ヘ へ われがこの小論でドラッカー︵頃Φけ①同 H剤.一︶弓信O騨①弓︶の工場社会の自主的統治の問題を取り上げたねらいはまさにここにある。 すなわちドラッカーの構想は、一会社ないし一言揚の従業員の形成する工揚社会を、一の制度C5。・葺・邑自︶にまで高め、 それに企業の社会的機能︵ωOO一触︸ 馬d[HHOけ一〇HH︶ すなわち広義の人事機能を自主的に統治せしめようとするものである。換言す 、 、 、 、 ⑨ れば、それは氏の所謂連邦主義︵上巴零昌。・唐︶の原理を入事機能の組織化にも適用しようとするものに他ならない。果して それは正鵠を得たものといえるであろうか。以下われわれはドラッカーが、﹁新らしい社会﹂ ︵日匿乞。≦乙。8糞ざ日菌b屡鉾。営図 亀誓①H巳募直巴。喜界”おUO︶において展開している工場社会の自主的統治の構想を明らかにすると共に、その人事管理論 的意差咽と限界を明確 にしたい。 ①飼脂穿g轄hωぴ㊦凝g竃魯岳麗①目導昌飾鎧g匙9︸㊤q9娼・志
②響g巨諾9お霞聾9∪δ犀ω。p寓き凋窪①暮きq毒g騨。属二89℃・U紹聡
③ 詞Φo爵房ぴΦ茜霞Oや蝕壁℃・=窃 ④⑤ 9bρしdき嵩目日冨。Ω。。ぎ塑一雰饗ぎざ讐。隔冒山雪麸︺おU9勺即鴇∼8, なおこの点についてドラッカーは次のように述べている。 ⋮⋮嘗①巨陣中器器。口名げ唄の。ヨ騨昌団①目目窪8忌。ぎけご墓暮8ざぎbヨ①ほ銘昌一β創彦ひ曼8量繁げ塑ぎ8白①け。夢Φ8β。冒。。δβ嘗鉾 導①き。駐。﹄§Φ弓。8陣営鷲。宮Φ啓し。o隔昌Φ琶きけ霞oo⊆けむ。試Φ些。題目暮露昌μ言筈①を。岳霞.。・b①話。出窓筥巴豊旨馨巨①昌けω=。。育Φ。訪①首 茜昇菩①マげ目時餌ロ,冨冨江。塁曉。晩蜜日。・げ磐¢集団巴び①鶏羨野鶏毒霞①臼臨海叢Φ目。雲霞。σq舜ヨω用裂け9月目窟。懲①・︵即円U箋爵霧り 日冨匿①薯ωooδ酬ざ勺ω0む r ⑥感覚的平衡と主体性回復の聞題はついては高橋・城戸・綿貫稿、集団と組織の機械化︵岩波講座、現代思想.第八巻機械時代所 収︶一五〇一一五五頁参照。 ⑦葛鯵閏■宮Φ淘目昌︾b山巳巳訟帯帥臨く①卜。江昆二89挿酌Oc。庸 ■へ も へ も も も ニユゥマンは次のように述べている。 ﹁下からの管理は分権組織︵幽⑦O①昌け弓餌一一N麟ぴ一〇一P︶における最終の段階に属するQこの計画の 下においては、執行権限だけでなく.発案権︵一二一静一即什一ぐΦ︶も分権化される﹂と。したがってそれは最近盛んにとり上げられている 分権組織の一形態に他ならないといえよう。 一 ⑧ 社会的機能と人事的機能の性格については第四章参照。 ⑨ドラソカーによれば﹁企業の必要としているのは.中央本部と各部の双方に真の経営管理の機能と権力を与える原理﹂であり、こ れが連邦主義である。 ﹁連邦主義においては、企業の全体が自主的単位︵四一 ひO]POヨOβコワ q昌一酔の︶から構成されるものと理解される。﹂ ︵∪昌。冨ぴ8馳聾●剛・鴎①の︶なお連邦主義の原理については、ドラッカー﹁現代の経営﹂邦訳続編第二章、山本教授稿、分権管理 と分権管理組織、PR 昭・三﹁丁四月号、山城教授稿、分権管理、ビジネス、レビュー第四巻第四号参照。
二 企業と工場社会
ヘ ヘ ヘ ヘ ドラッカーは企業を機能的観点から分析して、経済的機能を担当する経済制度︵㊤]P ΦOO一〇巨一〇 一〇〇ロひ附けdPげ一〇口︶、政治的機能を担 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ゐ 零する統治制度︵騨碧く①忘我①暮㊤=b段貯叶δp︶及び社会的機能を担当する昏乱社会の三つの制度からなる一の制度であると規 ① 定する。 いうまでもなく企業は生産を担当する組織体であり、したがって生産性ないし牧益性を指導原理とする経済的機能がも っとも重視されなければならない。すなわち企業は物的及び入端資源についての長期に亘る巨額の投資.を必要とする。そ して企業の維持発展は専らこれら資源が効果的に利用されているか否かにかかっている。かくして企業における経済的機 能は、他の諸機能に比して支配的な重要性を有しているといえる。 次に統治制度についてみよう。統治活動は大別して対外的活動と対内的活動に分たれる。前者は生産組織への参加︵爵Φ ㊤§。。。・8爵①鷲。含昌。口。薩睾皇蓼昌︶の統制という形で現われ、後者は権力関係にもとつく内部秩序の維持を目的とする。い うまでもなく統治機能は強制と同意の二つの契機を含む権力現象であるから、一方においては構成員に対する執行権をも 工場社会の自主的統治と人事管理 三七,工場仕会の自主的統治と人事管理 三八﹂ たねばならないが、それと同時に統治者の被統治者に対する責任が生ずる。企業の統治制度においても、 ﹁他の統治機関 におけると同様に、経営管理者は適法な︵一Φσq陣触器︶ものでなければならない。それは統治せられる人汝の利益において 権力を行使しなければならない。然し乍ら経営管理の第一の責任は経済活動に関する責任である。ここに企業の経済的機 能と統治権との間の基本的な分裂︵ぴ鼠二品け︶が生ずる。この矛盾が労働組合出現の基礎となり、且それによって組合の機 能が規定せられる﹂のである。すなわち企業における統治機能は、基本的には生産という経済目的によって方向づけられ 乍ら、他方それが適法に行使されるためには、対象である、成員の利益の実現を無視することができないという二重の性 格を有する。それ故にこれら両者の関係をいかに調整するかということがきわめて重要な問題となる。そしてそのために は労働組合の機能及び、企業の社会的機能が明かにされなければならない。 ヘ ヘ ド ドラッカーの企業の概念、正確には産業的企業︵ぎ魯顕露①器暮匡。。①︶の概念では、労働組合もそのなかに包含される。す ④ なわち組合は企業の統治構造の一部であるとされている。ドラッカーは次のように述べている。 ﹁産業的企業の政治的二 重性︵包註。9含昌彗︶に対する可能な唯一の解答は労働組合である。⋮企業の統治権は被統治者の福祉を第一とすること ができない。それは適法なものたり得ないのである。それ故に分裂は制度化されねばならぬ。⋮企業の統治体を適法なら しめる唯一の途は、それ自身この統治体の︺部を形成し乍ら、なおそれに対立する成員を代表する対抗勢力.︵。8暮Φ壱暑巳 によって開かれる。かくして組合は企業の基本的な政治的緊張︵昏。び琶。弓&§覧蕃昌陥8︶の制度的表現であり、それは.も ともと政治的機関︵9つ9置邑。お爵︶なのである。﹂つまり組合は企業における政治的機能を担うものであるが、しかしみ ずから統治機能を行使することは許されない。それは本来的に対立勢力念諺試.轟。目8︶であり、対立機能︵.ぎ試・.閏き妥8︶ の行使に限らるべきものとされている。 ・ ’ 以上のように組合の機能を政治的な対立機能に限ることによって、社会的機能を担当する工揚社会の企業における地位
はきわめて重要なものとなる。ドラッカーによれば、企業の工場社会は産業社会における明確且、代表的な社会単位であ る。いうまもなく企業の第一の目的は生産である。そして権力関係にもとづいて形成さるれ統治制度は、生産を目的とす る経済活動に対し直接の責任を負っている。之に対して工場社会は成員の社会的欲求㊨充足をその機能とする。しかしド ラッカーの措定する工蕩社会は企業の創ったもの︵O目①9けβ屑⑦︶ではない。 ﹁その.存在は企業の欲求や目的に依存するもので はなく、人間︵瓢虫差立ぎσ莞。・︶としての成員の欲求や目的に依存するもりである。企業は工場社会を創ることもできないし ノ 廃止することもできない。それはあらゆる企業において自然発生的なものであり、抑圧し得ないものである。﹂ すなわち ドラッカーの工場社会はその生成の基盤においては、レスリスバーガーらのインフォーマル組織と異なるところはないの である。しかしドラッカーは、工揚社会を単なるインフォーマル組織の組合せとして放置することなく、それを一の制度 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ としての自主的な統治体にまで高めようと意図している。しかも自主的な工揚社会は、企業の民主的な運営に不可欠であ る丈けでなく、自由な産業社会煽︵塑守8言貯ω霞巨ω6同㊦受︶の維持発展の基本的な前提であると考えている。すなわちドラッ カーは、 ﹁産業的企業はその成員によって産業社会の代表的社会制度と看徹されていることは明かである。企業は工揚社 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 会のなかで社会的地位と機能︵。。09巴乙ね窮言㎝帥鐸衛隔暮諄一ヨ︶を与えることによって社会の信頼と期待に応えねばならない。さ もなければ社会のエトスと、社会の代蓑的制度の秩序とが相反する目標を志向することになろう。そしてそれは社会の道 徳的崩壊ないしは企業の機能的分解を招くのみであろう﹂と述べている。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ところで、ドラッカーのいう成員の社会的地位と機能に対する欲求の充足というのは、一体何を意味するものであろう ヘ へ か。ドラッカーによれば、﹁社会的地位と機能は、帰属性、同一化︵︷qΦ倒け一蹴一〇騨け一〇b︶、調和の関係を現わす語である。地位は 相互的必要性において組織集団に関係するものとしての人聞の存在︵唐碧、。・①因蓉導。・霧・①響①黛剛節言巴ま。馨論義窪①。蹟キ ヘ へ 旨&機。ξ︶を規定する。機能は個人と社会の双方を満足せしめるような繋りにおいて、組織集団の権力と目的へ、個人 工場祉会の自主的統治と人事管理 三九
工場社会の自主的統治と人事管理 四〇 の仕事・抱負・野心を結びつける︵・鼻翼象。巨。譜。・募ぎ蒔尋霧旨薮。塁舞動農ぴ三・蕩8昏。唱。翻霞竃g曉唇。・霧。隔嘗:・σ崇き奮勲 σ舜笏iぼ帥ぎ巳藍島・・讐。・諮。・び。9国q三階巴嘗動・。曾受︶﹂ものである。要するに地位と機能は、組織集団に対する成員の関係 を示す概念である。それは組織集団に対する成員の社会的欲求の表示であると共に、組織集団自体の凝集性︵8ぎ・。言︶と 存続を確保するための基本要件であるといえる。 、 注意すべきは、ここにいう社会的地位は決して静的・固定的・特権的な地位を意味するものではなく、より動的・民主 的なものとして理解さるべきであるという点である。﹁地位の概念は社会的流動性︵m。魯﹁馨び已爵︶を排するものではない。 ヘ へ われわれの社会においては、社会的流動性こそまさに本来の地位に対する必要要件である。機会均等︵。宕鑑。題。塁暮三・。・ 隔8。<三雲。爵︶という語こそ今日適切な地位実現の基本的な要件を表示している。﹂すなわちそれは、﹁われわれが機会均 ヘ へ 等なるスローガンによって示している所謂正義︵噛諺自。①︶﹂の具体的表示に他ならない。 ゆ ﹁社会的機能も集団と成員との二路の関係︵ヨ9≦鎚邑器。塞ぼ弓︶によって成立する。﹂ それは人体とその部分の関係に 似ている。しかし人体の各部分はそれ自体の目的をもたないが、政治的統一体︵誌δぎ身葛ま5の成員はそれ自体が一の ノ 実体︵①暮一崎︶である。つまりコつの社会において適切な社会的機能をもっためには、各成員はみずからの目的・抱負の 実現につとめ乍ら、同時に社会の目的に奉仕しなければならない。﹂しかし﹁その関係は一致局①置上︶の関係ではない。 ヘ へ 社会の目的と個入の目的の一致は両者を共に崩壌に導くであろう。⋮⋮必要なのは調和の関係である。﹂かくして﹁機能の ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ぬ へ 組織化は、一個の市民としての責任ある参加︵夢。目ω奮曇霞。轟き一。す蚤8島。三N8。。げ一唱︶という語で示されるように、人間 ゆ の尊厳性の信念にもとづいて行われなければならない。﹂ 要するに組織集団に対する成員の社会的地位と機能についての欲求の充足は、それが、かれらの機会均等の期待と、一 個の市民としての責任ある参加の欲求に応えうるか否かにかかっているといえる。そして企業の工揚社会に課せられた本
来の使命もまさにここにある。 以上がドラッカーのいう企業における一二つの制度の基本的な性格である。ドラソカーにおいては企業はあくまでも自由 な産業社会の決定的、代表的、基本的な制度であり、それの自主的な運営を欠いては自由な産業社会の維持発展は期待し 得ないという考えが基調をなしている。これら三つの制度は、それぞれ独自の機能を有する制度として運営せられねばな らぬ。と同時にこれら相互間の関係を調整して、最終目標である生産の遂行へと統合してゆかねばならない。それは結局 企業の経済的機能と、人間問題処理の機能とをどのように調和せしめ、統合してゆくかということになろう。したがって ここでは、いかにして工場社会を企業の経済目的と矛盾なしに、人聞問題処理の有効な制度として組織化するかというこ とが当面の課題となる。これに対してドラッカーは連邦主義の原理を適用して、それを自主的統治体へと組織化すること を提案している。章を更めてその主張をみよう。 ①
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ドラッカーの企業概念はきわめて広く且包摂的である。馬場教授は.これを経営組織と訳しておられる。 ︵馬場敬治.経営学と人 間組織の問題、昭和三〇年、=一八頁︶なお教授は同書にカいてドラッカーの企業構造論の紹介と論評を試みておられる。 ︵同書 第三編.二.経営組織の静的構造参照︶ ∪巨節貫ε冒§.亨ホ ③陣甑働こ勺﹄。。 ④誠創置δN ⑤§勉.層一二8 ⑥謹画.”勺・=匂。謹創二即ω其層 ⑧薫臼てワミ
⑨義画‘℃﹄。。障 ⑩帥三生こ℃即お∼σO ⑪誠蜘二℃二望 藷q・︸田・δN ⑬謹q二飛ぶ轟 ⑭駿q二即8N ⑮筐q二聞剛・δω∼δ# 三 工揚社会の自主的統治 ドラッカーは工場社会の問題の考察において、まず、企業の関心︵ぼけ霞①。・け︶とその成員の関心とは、もともと異なるも のであるということを基本的前提としている。すなわち前者は生産という経済的な目標を志向するのに対し、後者は主に 工場社会の自主的統治と人事管理 四一工場社会の自主的統治と人事管理 四二 社会的欲求の充足を目指すものとしている。それ故に、これら両者の異なれる関心を矛盾対立なしに、調和の関係におい て維持する方策が必要となる。ドラッカーはこの問題を,企業を多元論的基盤︵覧毎筈ω“び琶・︶において組織化することに よって解決しうるものと考えている。すなわち、 ﹁企業は同時に二つの分化した、異なった機能を果さねばならぬからそ れは多元論的基盤に立って組織せられねばならぬ。企業内の相異と対立は、調和の強力な基礎に嵌込まれる︵§98巴︶も のであるから、すなわち社会的領域における同 の方策が同時に両者の関心を満足せしめるものであ.るから、多元論的組 織化︵覧霞聾ωけ自撃巳N彗。ロ︶が可能であり、且相互に実り多きものとなる﹂と述べている。 多元論的基盤に立って組織される挙揚社会が目撃的な統治機能を与えらるべきは当然である。しかしそれが絶対的なも のではなく、一定の椹内での自主性であることも否定し得ない。すなわち﹁その機能は限定される丈けでなく、全く従属的 なものである。経営者は依然として企業の統治機関でなければならぬし、そして経済行為が統治の論理的根拠食逸。冨5 でなければならぬ。まさしく、工場社会の自治は、それが経営者を強力にし、その経営活動を容易にし、企業の経済活動 を促進する場合のみ正当化されるものである。﹂﹁同時に工場自治体はそれ自身の機関と職員をもたねばならぬ。その適法 性︵﹃σq崔巨帥畠︶は経営者の承認に存するのではなく、工場社会によって選ばれること︵。・①露㌶自︶にある。かくして専ら工 揚社会の社会生活に係る事項については、その権限は派生的であるというよりも寧ろ本源的な︵。隊讐巴︶ものでなければ な.らない。﹂ 以上によって明らかなように、ドラッカーの構想は工場社会の統治に連邦主義を適用してそれを自主的統治体として組 織化しようとするものである。つぎにその具体的内容についてみてみよう。 8 工場自治の範囲 工場自治の領域は、完全に工場社会に委ねらるべき分野と、経営者側との間で調整︵8自蝕霧鉱自︶ を要する分野に大別される。前者に属するものとしてドラッカーは次の二つをあげている。
\ ①仕事とは、時藤壷にも空聞的にも分離している純粋に社会的な領域︵職賜への通勤・駐車場・食堂・レクリエィシ・ン 活動。教育漕動など︶、 ② 企業はその仕事が為されるということ以上に何らの関心をもたない領域︵休暇日程・交替制の割当など︶がそれである。 これに対して後者はある程度企業の経済的な利益に影響を有する領域である。ドラッカーはこの領域をさらに区分して その影響が単に附随的である︵ぎ§目芭︶分野に属する事項から、それが支配的である分野に属する事項に至る六つの主 要範疇︵の園§﹄霞§。瞬鼠。。。︶を措定している。すなわち次の通りである。 ①安全・保健などの経済活動と殆んど関係をもたない事項i一留保条件なしに工場社会へ委せらるべぎである。 ② 基本方針は経営者によって決定せらるべきであるが、細部に亘る管理は工場祇会が担当すべき機能。平入保証・雇 用予測・利益分配基金・その他の保障給与に関する事項はこれに属する。 ③方針の設定もその執行も経営者と工場社会が対等の立場で共同して処理すべき諸機能。多くの人事管理機能すなわ ち配置、職務の割当、訓練、欠勤と移動・工場規律・工場規約・配置転換などはこの範藩に属一する。 ④方針は協力というよりは寧ろ交渉乏妥協︵慧σq註薮。昌p巳8琶肩。邑。。①︶によって決定され、決定された方針の管理は 共同の仕事︵﹄9毒断h聖遷となるような事項。ランク内での昇進・賃金格差・職務規定・職務記述書・時間動作研究 ・生産高基準・奨励給・作業者数の削減などの問題がこの範囲に入る。 ⑤技術的変革︵け①㊦げ口O一〇晩一〇国見 〇︸F9郎晩①︶に関するコミュニクィシ.ンの機能。労務考には変革の意義を報せ、経営者には それに対する労働者の反応︵吋①餌O叶陣O︼P︶を報せるというきわめて重要な機能。 ⑥生産性の促進によって直接企業の経済活動に貢献すること。以上の六つがそれであ.る。 ドラッカーの設定したこれらの領域はきわめて広範に亘り、そのすべてを工場社会の統治分野とすることには問題があ 工場社会の自主的統治と人事管理 四三
工場社会の自主的統治と人事管理 四四 ろう。特に⑥は、工場社会本来の機能を超えた目的の為にそれを動員しようとするものである。もちろんエ場自治は企業 の経済活動を促進する場合のみ正当化される従属的なものである以上、企業の経済目的への貢献を無視することは許され へ み ないQただそれを直接の目的とするところに問題があるといえよう。つまり工場自治は成員の社会的欲求の充足を本来の 使命とする・ものであり、・したがってそれと関連する限りにおいて経済的な側面が問題となるのである。しかし両者の関係 はきわめて微妙であり、それを明確に規定するのは至難である。われわれはそこに工場自治の一つの問題点があると考え る。 目 工場自治体の組織 ﹁工揚自治体にはすべての機能に対して責任を負う一の中枢機関がなければならない。﹂ それ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ はいわば連邦制分権組織における自主的単位のトップに相当するものである。そしてその機関は、 ﹁成員にとって親密な ︵。冨①︶ものでなければならない。それが代表する単位は個汝の成員が積極的に参加できるような小規模のものでなければ ゆ ならない。﹂もちろんここでいう小規模性は、壁8・辟?蜜8の関係にある少数者によって形成されるインプレーマル集団の 小規模性と同一視せらるべきではない。それは自主的統治の単位としての小規模性であり、親近性であると解すべきであ る。 う カ も ぬ ゐ ヵ 次に工場自治と経営者の関係が問題である。それは連邦制分権組織の中央本部と各部の関係に相当する。ドラッカーは 経営者は監督ないし干渉︵聲暮均一自。三無Φ属隔Φ司直8︶に類することはなすべきでなく、運営基準︵ω貯昌量巳。h需篤自§腎8︶を 共同して設定するにとどむべきであると云っている。たとえそれが企業の経済活動に緊密に結びついている機能であって も、自主的統治に委せた以上、経営者は承認や認可の権限よりも寧ろ抗議権ないし拒否権︵玉葛白霞亀賢。叶①。。華車①酔。︶に頼る べきである。就中﹁工揚自治体の存在と権力は経営者の善意︵σ奪8㍗乱εに頼るべきものではなく、法的に拘束された義務 ︵巴。σ日蝕ξ野尻昌σQ呈奮けざ肖︶を基盤とすることが絶対に必要である。工場自治体は労働組合に替るもの︵即。・暮・・§旨①︶では
ない。それが強力で自主的なものとなるには、労働協約にしっかりと結びつく︵口口O崔O国Φq 一昌 けぽO 葺冨一〇口 OO︼P8居90酔︶﹂ことが必 、要となる。しかしドラッカーは組合の機能を政治的対就機能に限定する。しかもなお両者の緊密な結びつきが強調されて いる、。次にこの関係を明かにしなければならぬ。 ⇔ 工場自治と組合 既述の如く夏篭社会も組合も共に企業の制度として規定されている。そして制度としての当然の 結果として各日の活動はみずからの存続の要求によって決せられざるを得ない。しかも両者は同一の成員によって構成さ れるのであるから、それぞれの機能の行使において相互に矛盾対立が生じてはならない。ところで組合の参加が必要とさ れるのは、その政治的対立機能を支えとして自主性を高めようというにある。ドランカーは次のように云っている。 ﹁経 営者の善意にのみ依存する工場自治体は経営者に反対できなくなる掻けでない。それは絶対の権力をもっていた皇帝から 召集され、その意に反した投票を行えば直ちに解散さぜられたロシヤの議会に似たものになろう。それはせいぜい勧告を 行う団体たるにとどまり、真の権威は一切もち得ないし、真の意味の尊敬もうけ得ないだろう﹂と。つまり罷業という強 力な対抗手段をもつ組合の参加によってはじめて工揚社会は経営者の恣意に左右されぬ輩固な自治の基盤を得ることにな ると考えるのである。しかし日常の自治活動が、つねに罷業という政治的武器を意識し乍ら進められなければならぬとい うことは、決して望ましい状態ではない。労働協約が自治の基盤としてつよく要請せられる所以である。 以上は工場社会の側からみた組合参加の意義である。われわれはさらにこれを組合の側に立ってその意義を検討する必 要がある。ドラッカーはきわめて楽観的に、組合の参加が組合自体にもよき結果を齎すものであることを強調している。 すなわち亥のように云づている。 ﹁工場自治は組合の地方的基盤を強化する。それは組合員の組合問題への参加と関心を 増し、かれらの無関心の病根を除去するであろう。それは組合への忠誠を確保するのにきわめて重要な要因である労働者 自身の機会の象徴︵筈①島陰亀。コ冨ぎ葺①・.。。。麸昌。題。昌盲三邑としての組合機能を取戻すのに助けとなろう。それはまた 工場社会の自主的統治と人事管理 四五
工場祉会の自主的統治と人事管理 四六 対内的緊張・極端な党派心・政治ストに.対する圧力を減ずるだろう。就申それは国家統制による組合活動の抑圧を事実上 不可能とするだろう。それは各汝が各自の生活をもった多数の強力な組合細胞︵口︼P一〇]P OΦ一一砂︶を創りだすだろう﹂と。 組合員の社会的欲求の充足ば、組合が組織,の凝集性を確保するのにきわめて重要な要件である。しかし政治的対抗機能 を本来の機能とする組合は、組合活動のみによってこの欲求を充足することは困難であろう。工場自治への参加が組合自 体にとっても必要且有意義とされる所以である。 ㈲ 申間階級︵些①ド自華華巨亀ざ。霧乙・︶と工場社会 これまでは主として第一線労働者を成員とする工場社会について みて来たが、ドラソカーはさらに技術者・専門家・職長・会計士・中級管理者などの中間階級も当然一の工場社会を形成 するものと考えている。しかし中間階級の工場社会は、第一線労働者のそれが組合と緊密な繋りをもっているのと対踪的 に、企業の最高経営管理層と強く結びついている点が第︸に注意さるべきである。 ︸般に現代の大規模企業の組織のなか では、中島階級はきわめて限られた従属的な権限を与えられているにすぎない。それ故に、かれらはみずからの権限の行 使を通して、真の意味の経営経験ないし経営者切能坐度︵筈①巨9轟σ身霞巨鷲鼻鼠②︶をうることが困難である。しかも社会的に は、最高経営管理層と第一線労働者の間に挾まれて隔離された︵一◎ゆO心墨け①9︶存在となり勝ちである。ドラッカーが申間階級 の工揚社会にも自治が認めらるべきであると主張する理由はここにある。 中間階級の工場社会が第一線労働者のそれと分離せらるべきは当然である。それは﹁多く労働者の工場自治を取扱う為 の経営の機関となる﹂からである。ドラソカーは中間階級の工場社会が自主的に行使しうる主なる機能として、①最高経 営管理層とのコミュニクィシ.ン、②中級集団自体の人事管理、③第一線労働者の工揚自治に対して、特にその人事管理 問題に対して企業を代表する機能の三つを挙げている。これらの諸機能が何れも社会的な側面を有することは明らかであ るが、同時に企業の経済活動、特に人的資源の能率的利用に係る面の大であることも否定し得ない。しかし要は、これら
の諸機能を自主的に行使せしめるこどによって、申間階級の企業における社会的欲求を充足せしめようとするにある。換 言すれば、連邦主義の原理を申間階級の工場社会にも及ぼそうというに他ならないと理解する。、 ヘ ヘ ヘ ヘ へ ㈲ 労彷者と工場自治 工場社会は成員の社会的欲求に応え得るものでなければならぬ。第一に社会的地位の欲求につ いてみよう。今日のフォーマルな企業の階層組織の下では、第一線労働者はもちろんのこと申間階級に属する人山につい ても、より上位の階層に昇進する機会は著るしく制約されている。そしてこの事実がモラール︵暮巨①︶の低下・欲求不 溝︵h艶。・ぎぎ口︶などによって示される組織的非能率の最大の原因になっていることは否定できない。これに対して工揚自 治は、経済的な価値体系の外で︵。零露9窪㊦㊦8巳慧ρ<亀器。・甥富日︶成員に昇進の平等な機会を与え、これらの欠陥を克服 しようとするものである。すなわち﹁工場自治体における地位︵竃。・葺8︶は、成員が昇進の希望を充足し、その能力を顕 示し、社会的威光︵§芭胃α弓・轟Φ︶を得ることのできる新たなディメンシ.ンを与える﹂ものといえよう。 ヘ ヘ ヘ ヘ へ 第二に社会的機能についての欲求が充足されねばならぬ。それは各成員が各自の仕事や、直接関係のある工場社会の諸 問題に責任をもって参加しているという実際の経験︵自警舘Φ叢話Φ口8︶を与えるごとに他ならない。しかしここにいう責 任ある参加は、必ずしも問題処理に必要な専門的知識や技能を前提とするものではない。 ﹁工揚社会が安全係技師や医師 などをやめさせて、訓練のない人汝に技術的ないし専門的な仕事をやらせようというのではない。工場社会が保有してい るのは指揮と決定︵玉器註8窪山留。邑。昌︶の権限であって執行︵①図㊦。昌8︶ではない。⋮⋮可能な最上の自治体を創るのが 目的ではない。責任ある、成員から十分受け容れられ支持せられる白治体を創るのが目的なのである。⋮⋮十分機能を発 揮できる工場社会︵守まぎ巳茜8日日⊆巳身︶の創造こそ目的なのである。﹂ 自主的統治は経営者統制に対するものである。そして経営者統制はそれが如何に優れたものであっても、他律的である ことを免れることはできない。社会的欲求の充足が主体性.の回復に繋るものである以上他律的統治がその要求に応え得な 工揚社会の自主的統治と人事管理 四七
し 工場社会の自主的統治と人事管理 四八 いことは明らかである。 ㈹ 企業と工場社会 工場社会は自主的統治体として組織化されてもなおそれは企業の一部であり、全体としての企業 の維持発展に貢献し得るものでなければならない。しかも自治体としてのその本来の機能はあくまでも保持しなければな らない。それは果して可能であろうか。ドラッカーはこの点に関してもまたきわめて楽観的である。ドラッカーは企業が 工揚社会に対して要求しなければならない事項を次の三つに要約し、それらは決して工場社会の自治活動と抵触するもの でないと主張する。すなわち次のように述べている。 ﹁企業は労働者に経営者的態度を要求しなければならぬ。また企業 は労働者に企業の経済目的の理解と、牧益性・生産性の基準の容認を求めねばならぬ。そして最后に、企業は中間層の地 位を越すための訓練され、テストされた人汝の供給を堅実に増してゆくことを工場社会に要求しなければならぬ。そして これら三つの要求はすべて工揚社会の自主的統治によって叶えられる﹂と。 ドラソカーの経営者的態度というのは、全体との関連においてみずからの機能を理解する態度、 ﹁みずからの仕事のな ⑬ かに全体を集約する態度︵蒸けひ一け口山① 名げ一〇げ O①口ひΦ目の 叶げO 類げO一① 一冨 O口①−ω O貞昌 司O蒔︶ をいうのである。それはまさしく専門的分化 ︵蓄豊巴鑓け岬露︶に対する統合化︵騨超罵言︶を志向するものであり、今日の大量生産組織を成功的に維持するのにもっと も重要なファクターである。そしてこのような態度は﹁実際に決定を行ったり、有効な方策を発展させたり、対立や妥協 を取扱ったりした経験﹂によってはじめて得られるもので、訓練・宣伝・教育.図書などに頼ることはできない。しかも 極度に専門化されている日常の仕事においては、このような経験を得る機会はきわめて乏しい。それ故にすべての成員に 経営者的態度を得しめるためには、それを可能とする新たなる方策が講ぜられねばならない。工場社会の自治活動が問題 とされる所以である。もちろん従業員代表を直接重役会や全般管理に参加させるのも一方法であちうし、組合活動も引合 によっては経営者的態度を得る助けとなるかもしれない。しかし工場社会の自治活動はこれらにみられない長所をもって
いる。すなわちそこで取扱われる問題は人汝にとってきわめて親近性のある問題であり、且工場自治の機能は企業の目的 と調和のとれた関係において行使されるということが挙げられよう。というのは、これらはいわば統合化についての企業 の要求と成員の要求が、矛盾なしに充足されるための基本的な要件をなすものであると考えられるからである。しかし工 場自治体の機能は企業の社会的機能に限られるものであるから、人汝がそこで得る経験は企業の社会的側面に限られざ ⑮ るを得ない。したがってそれはドラッカーのいう﹁全般管理者のように工揚をみる﹂態度とほ可成りの距りのあることを 否定することはできないだろう。 さらにこの問題はただちに中間層の充足の問題に通ずる。経営者的態度こそ昇進に必要な最大の要件と考えられるから である。 最后に経済目的の理解の問題に触れておく。現代の企業の経済目的が、所謂営利目的とは全く異なった性格のものとな っていることは疑い得ないところである。しかしこのことをすべての成員に十分理解させるのは決して容易ではない。 かれらは企業の経済目的を理解するのに必要な具体的経験を得る機会に恵まれていない。ドラッカーが工場社会に経済面 でもある程度の自主性をもたせ、でぎる丈け完全な自主的単位に近づけようとしているのは、この点からみて+分理解さ れる。もちろん工場自治体が完全な経済的自主性をもち得ないことは云うまでもない。しかし自治活動に必要な支出が、 かれらの自主的な決定に委ねられるということは、企業の経済の実体を理解させるのに大きな助けとなろう。 以上がドラッカーの構想の概略である。之を要するに、ドラッカーは企業における人間問題の面心を成員の社会的欲求 の充足、におき、その解決を、経営者統制に替る新しい原理︵p昌雪℃H暮菅①︶すなわち自・王的統治の原理の導入に求めてい る。それはまさしく氏の連邦主義原理の工場社会への適用に他ならないのである。 ①d目套窪8.鼻や障。。N ②蜜蜘こやP。。ω ③ま8℃・縛。。㎝ 工場社会の自主的統治と人事管理 四九
工場杜会の自主的統治と人事管理 五〇 ④⑤葦噺こ剛.鴎。QN ⑥董自・●b.ωO。。 ⑦薫創.層男ω忘 ③ドラソカーは中間階級を最高経営管理者、組合指導者からなる支配階級︵野川長亀霧の︶と並んで、現代の企業制度か生みだした新 しい階級︵昌㊦白 O一騨・一ω︶として重視している。 ︵ま9二勺剛・轟0∼轟ω︶ ⑨彗qこ℃.ω8 ⑩葦Q.”やG。9 @蚤飾.響即ωON ⑫謹8勺■博。。⑩ ⑬誠自ニリ.6D ⑭謹q二雪n8 ⑮量q;℃.↓。。O
⑯ドラソカーは次のように云っている。 ,
弓冨心酔80巨。藝の㊦︼やσqo<Φ旨日㊥暮。㎞窪㊦牲雪け8日冒ロ巨費ぎ貯oq旨震目口①芝b目げ。ぢげ轟爵⑦目蓋9昌砂出目露ぎσqぐ口①細鷲窒甑霧’ ︵一び一9こ用▼・ NoQN︶ 四 工揚自治の人事管理論的意義とその限界 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ドラッカーの構想においては、工数自治体は、氏の描く自由産業社会i新らしい社会の代表的単位としての産業的企業 ヘ ヘ へ も ヘ へ の社会制度として位置づけられると同時に、それ自体自由産業社会の代表的社会単位として位置づけられている。つまり ヘ ヘ へ ゐ ヘ マ ヘ ヘ へ ゐ へ それは産業的企業の外にある自由産業社会の社会単位であると、同時に産業的企業の内における社会制度であるという二 重の立揚の統合された全体として理解される。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ゐ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ も へ も も モ ヤ へ ところで企業の労働者を、企業の外における一個の慰問としての立場と、内における仕事の担当者としての立場の統合 された全体として理解する見方は、今日の人事管理における支配的な観点であり、ドラッカーの工揚社会の構想の基調も 基本的にはこれと異るものでないと考える。唯このような二重の立揚にある労働者の欲求を、工場自治体という一の制度 の確立によって矛盾なく充足せしめ得るとするところにその新らしい主張がみられるといえよう。われわれがドラソカー の工場自治の構想を、人事管理論的観点から取上げた理由もまたそこにある。 人事管理は人事機能を担当する。しかしドラッカーの措定している工場社会の本来の機能は社会的機能である。これら‘ 両者は、果して同じものといえるであろうか。人事機能は経営における人間協力の確保を目的とする基本的機能︵9審ωδ ヨ帥暴σ自§①暮h琶9ざ目︶である。それは大別して、雇傭・教育訓練・維持・調整の機能に分たれよう。他方これを管理される 客体i労働者の側からすれば、それはかれらの経済的・心理的・社会的欲求充足の機能として理解される。就中社会的 欲求が支配的要因をなしているという見方は、人間関係を重視する最近のアメリカの人事管理論の一般的観点である。す なわち企業の社会的機能は、労働者の人間関係を基調とする人事機能として理解することができよう。しかし社会的機能 は、ドラッカーの主張する社会的地位と機能の欲求の充足を以てその総てであるということができるかどうかは、なお検 討を要する問題であると考えるが、ここでは単に問題の指摘にとどめる。ところで、ドラッカーはこのような社会的機能 あ ヘ へ を自主的に統治できる工場社会の確立を企図しているのである。それはまさに人喜機能の組織化の問題であると考える。 それ故に、われわれはまず組織化に関するドラッカーの基本的立面を顧み、次に工場社会の自主的統治体としての限界に ついて考えてみたい。 ヘ ヘ マ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 周知の如く人事機能の組織化の問題は、従来多くラインとスタッフ︵含。き凸皿け紘馬︶の関係を中心として、論ぜられてき た。そしてそこでは、人事活動におけるスタッフとしての人事部門に対する、ライン部門の主体性保持の問題が大きく取 上げられている。しかしここで問題とされなる主体性は、経営者統制の一環としての人事活動におけるラインの主体性で あって、蛍働者自身の主体性の回復を志向するものでないことは明らかである。新らしい人事管理方式の樹立を提唱する 人聞関係論においてもこの点は同様であるといえる。 これに対しドラッカーの構想は、従来被統治者の地位におかれてきた労働者自身に統治の権限を与え、かれらの主体性 の回復に制度的な保障を与えようとするものである。しかしわれわれは、それを所謂従業員代表制︵①碁ξ8目㊦肩①ω㊦暮鉾一8 b湧昇︶と混同してはならない。それは外部の組合活動の介入を阻止するための会社内ないし工揚内組合の組織化を志向す 工場社会の自主的統治と人事管理 五一
﹃ 工場社会の自主的統治と人事管理 五二 みものに他ならないからである。ドラッカーの工場自治体は組合に替るものではない。それは組合とは別箇の労働者集団 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ の自主的統治体として措定される。つまり経営者主体の人事活動を労働者主体の人事活動に置き換えようというのがその ヘ ヘ へ ねらいといえる。それはまさに、自発的協力の確保を使命とする人事管理に対して、 一つの新らしい方向を示すものとし て注目に値すると考える。 しかしそれが直ちに現実に即した真に有効な構想でありうるかどうかは、 さらに検討を要す る。すなわちわれわれはつづいて自主的統治体としての工揚社会の限界を明らかにしなければならない。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 既述の如く、ドラッカーの構想は工場社会の統治、に連邦主義の原理を適用しようとするものである。連邦主義は企業の なかに強力な自主的単位を確立することによって実現せられる。それ故に、ここでは工場社会を一の自主的単位として組 ヘ ヘ へ 織化することがねらいとなる。しかし企業の社会的側面のみを担当する工揚社会が、果して強力な自主的統治体たりうる であろうか。 所謂連邦制管理組織の下における自主的単位は、それ自体一の自主的な製品単位事業として広範な経営管理機能を保有 し、且単位事業としての有効性は独立採算的な成果計算によって明らかにされる。しかるに、工場社会は企業の社会的機 能のみを担当するものであるから、独立採算的な計算システムをもつのはどだい無理なことであるといわざるを得ない。 すなわちそれはみずからの活動の有効性を証明するに足る独立の計算システムをもち得ない、きわめて不完全な自主的単 位であるといえようゆわれわれは、ここに工場社会自治化への超え得ざる一つの限界が存在すると考える。 ところで、みずからの自治活動の有効性を証明する手毅をもたない工場社会は、その自主性の保証を他に求めなければ ならない。労働組合の参加が不可欠とされる所以はそこにある。しかし組合参加は、工場自治体が経営側に対して自主性 ヘ ヘ ヘ ヘ へ を保持するにはきわめて有効な方策であるとしても、逆にそれは組合依存性という自治活動への他の障害を齎すのではな かろうか。もちろんドラッカーは、工揚社会は組合に従属するものでなく、機能的には完全な自主性を保持しうるものと
︸ 考えている。しかし乍ら、ドラッカーの挙げている工場社会の統治領域のなかには、企業の経済活動とも不可分の関係を もち、したがって組合活動の対象とせざるを得ない多くの問題が含まれている。それ故に労使が激しく対立しているよう な揚合には、たとえ工揚社会は機能的な自主性を有すべきものとされていても、その成員が同時に組合員である以上、そ れを期待するのは無理であろう。労働協約が工揚社会の自主性を維持するための重要,な前提とされるのはその為である。 しかしさらに考えてみると、労働協約の存在を以てしても、必ずしも組合依存性からの脱却が十分に保証されるものとは いい得ないように思われる。 すなわち、労働協約の締結が直ちに協力的な労使関係の存続を保証するものではなく、武 装平和的︵“騨帥閨bPΦq 酔弓500= び騨砂州ω︶労使関係も当然あり得る。そしてこのような労使関係において果して工場社会が機能的自 主性を保持しうるか否かもまたきわめて疑問である。それ故に、工揚社会の十分な自・王性は協調的な労使関係を前提とし ではじめて確保することができるものと老えざるを得ない。けだしドラソカーのいう暑三島①σ㊤ぎ昌8は対立的な労使関 .係の下では望み得ないものといわざるを得ないからである。 、 之を要するに、われわれは工揚社会の自主的単位としての欠陥は、それが独立の計算システ仏をもち得ないことと、組 合に依存せざるを得ない点にあると考える。.すなわちそれは、制約された不完全な自主的単位といわざるを得ないであろ う。このような制約のもとにおいて、なおそれが成員の主体性の回復を保障しうるためには、協調的な労使関係の存在こ そ不可欠の前提であるといわなければならぬ。然し乍らドラソカーにおいては労働者が組合員の立揚と工揚社会の成員の 立揚を明確に区別して行動することが可能であるとしているためこのような問題は起らなかったのである。之に対して、 このような区別は概念的なものにすぎない、薯艮聾。駐霞8は一定の条件の下においてのみ可能であるという立場からす れば、必然的に労使協力こそ工場自治の前提要件であると考えざるを得ないのである。 ①霊已銅09話騨民O鍔忌碑︸ほ団霞9℃Φ話。きΦ周b庫昆邑。。霞帥菖§二8u⊃”勺.。。 工場社会の自主的統治と人事管理 五三 」
② @@ @@ 工場社会の自主的統治と人事管理 五四 例えばレスリスバーガーは、正しい人事管理の問題として ④組織内のコミュニケイション ◎対内組織の均衡の維持 の適応の達成の三つの問題を新しい人事管理の問題としてあげている9︵霧9三喜Φお實壱.9叶■二二=︶ 第一章参照。 ダォーアーティは従業員代表制を薗昌該ーロ艮。昌①目覧。翼霞によってとられた産業民主化方式として特徴づけている。 ︵ρ即∪碧讐畳ざ冒げ霞団・。幕塞ぎ男工旨きぎ含。・ξ︺お轟ご唱曜①ωN∼c・ミ︶ コ晩。屡帥昌Ω嵐唄Φ話’8。臨け.℃.ωN U弓琴ざジ8●o詳.即ミ。◎ ㊦個々人 5ゼ晃