987) ~ 56
気 象 庁 震 源 デ ー タ の 変 遷 と そ の 問 題 点 *
石 川 有 三 * Change ofJ M A hypocenter data and some problems Y uzo lshikawa M atsushiro Seismological Observatory J apan Meterological AgencyJMA hypocenter catalogue is generally used for researching seismicity in Japan. This catalogue, however, has changed in quality with the development of the observation systems and the technique of the determinating hypocenters. The travel time table used for deter -mining hypocenters was changed in 1961, 1967, 1973, 1978 and 1983 since 1951. The formula of determing magnitude was changed in 1957, 1974 and 1977. The electoronic computer was used from 1961 f or determing hypocenters. Bef ore 1961, hand -mapping met hod was used. In 1982, the lowest limit of the amplitude which should be reported was change to three times larger than before. It made the decrease of the ability for determining the magnitude of deep earthquakes and gave some distortion on the value of magnitude for shallow events.
~ 1. まえがき 近年の汎用コンピ屯ュータやパーソナノレコンピュー タの普及と共に地震活動を統計的に処理する研究が 多くなってきた.その様な研究の中で,対象とされ る地震活動のデータとしては,広く流通している気 象庁震源カタログ・ファイル(以下気象庁カタログ と略す)が多く使われている.しかし,乙のカタロ グは気象庁の地震観測と震源決定の変選と共に,内 容的 lとは時間的均質さを保っていない.この辺の事 情については,一部で紹介されているが(市川,1982, 浜田・他, 1983,津村, 1987), 気象庁の地震観測 に長年携わってきたメンバーの大量退職が始まり, 震源データの変還の歴史を詳しく知っている者が少 なくなってきている.さらに最近パーソナルコンピ ュータを使った地震活動解析システム:SEIS-PCC石 川・他, 1985,石川, 1986)の利用者が増え,内容 的変選に十分な注意を払わずに,乙のカタログが利 用される恐れが出できた.そのため,乙乙で詳しく 検討しその変遷を明らかにしておくことが必要にな っfこ. ~
2
.
地震資料について まず,震源カタログの内容の検討に入る前 !C,気 象庁の出版物中の地震資料の歴史について調べてみ る. 気象庁及びその前身の中央気象台では地震に関す る報告を「気象要覧JとfS
e
ismological BulletinJ K掲載していた.前者は, 1900年(明治33年)の 1 号から,地震に関する色々な記述がある.後者は, 中央気象台時代「地震年報J
と呼ばれ,各年 lと発生 した地震の震源要素が示されると同時にその地震の 損IJ器観測値も掲載されている 0925年から1950年ま で存在するらしいが, 1933 -1939年は未確認.他に 関東地震のときのものもある). その中で特に1950 年の「地震年報JCCentral Meteorological Obser -vatory, 1952)には, 1885年から1950年までの震源 カタログ(地震総数4195ケ)が付いており,乙れが 気象庁関係での震源カタログの第一号であると思わ れる.*
Received August 26, 1987. 林気象庁地震観測所 円 t A 斗 &48 験 震 時 報 第51巻 第1-2号 1951年から出版され始めた「地震月報
J
は,乙の 「地震年報J
,ζ代わるものであったが,r
気象要覧j の中に記されていた地震に関する記述も無くなり, 乙れら両方の役割を果たすものとして扱われた. 乙の「地震月報J
の震源データが気象庁カタログに 採用されているが,乙の震源が,気象庁の地震計の 改良,整備等や震源決定法の改良等の歩みと共に検 知能力の向上・変化等となり,先に述べた通り時間 的iと均質な資料とはなっていない. さらに気象庁では震源カタログをときどき「地震 月報別冊」という形で出版している.乙れは今まで 表1 色々な震源カタログ 地震年報 1950年版 1952,日本の主な地震のカ タログ 0885年--1950年) 坪井のMと河角のMを併記(地震総数 4195ケ) 地震月報 別冊 1号 1958,日本付近の主要地震 の表 0926年一 1956年) 1944年以前の地震:1958年当時の決定 法で再決定された 1945年:気象要覧の震源 1951年以降:地震月報の震源 Mは60km以浅だと坪井の式.印刷以深 だと未定かMG
地震月報 別冊 2号 1966 日本付近の主要地震 の表 0957年一 1962年) 1957 -1960別冊 1号と同じ方法 1961 -1962電子計算機で決定 地震月報 別冊 3号 1968,日本付近の主要地震 の表 0963年一 1967年) 地震月報 別冊4
号, 1972,日本付近の地域別地 震表 0961年一 1970年) 地震月報と同じ 地 震 月 報 別 冊 5号 1974,日本付近の深さ 70km 以深の地震表 0961年一 1973年) 震源要素はM以外「地震月報J
と同じ. M は勝又の方法(勝又, 1964) 地 震 月 報 別 冊 6号, 1982,改訂 日本付近の主 要地震の表 0926年一 1960年) 走時表は市川・望月 (971) 深さはlOkm毎. Mは坪井の式と勝文の 式. 勝文カタログ 1961年から 1975年まで地震月報で Mが決っていない地震にすべてMを与 えたもの lζ6号まで出されており,表 1,とその簡単な注釈と 共にタイトノレを示した.現在,気象庁カタログは, 1926年から 1986年の途中までに発生した地震を含ん でいるが,基本的には「地震月報jの震源データが 用いられ,r
地震月報」が存在しなかった 1950年以 前のデータには,r
別冊 6号J
の震源データを採用 している.従って気象庁カタログは基本的には「別 冊 6号J+
r
地震月報jで構成され,マグニチュー ドについてのみ「別冊 5号J
が追加利用されている. ただ,乙のr
5.l1J冊 6号」が出るまでは「別冊 1号」 の震源データが使われていたと思われる.r
別冊 6 号J
が出版されたのは 1982年であるが,それ以前に も気象庁カタログは利用されていたので, 1950年以 前のデータを使用する際,どちらの資料を基にした カタログかを住意する必要がある.ただ,r
別冊 6 号」は最新の結果ではあるが,必ずしも正しい震源 を与えているとは限らないようである.例えば1930 年12月20日の広島県北部の地震の震央は明らかに震 度分布から推定される震源域からはずれている.乙 の他にも,乙の号のいくつかの地震の震源位置につ いて疑問等が寄せられている.乙れは現在と比べれ ば質的にも量的にも不十分なデータをもとに,電子 計算機を使って機械的に震源決定をした乙とが原因 と推定される.事実このカタログの前書には同趣旨 の事が書かれてあり,カタログ中の震源データにつ いても M 6. 5以上程度の浅い主な地震についてはそ れ以前に使われていた地震の震源データを併記して ある.乙の併記された震源データは,注釈欄i乙r
C
J
rDJ
と記されているので,乙のカタログを利用す る際は必ず新旧どちらかの震源データを削除して利 用しないといけない.ただ,乙ういう問題点はある にしろデータ全体を同じ方法で機械的に扱って作ら れたカタログはそれなりの意味があり,先lζ述べた 問題点がその価値を低めるものではない. 表1の最後にある「勝文カタログJ
は勝又(私信) によるもので,その内容は 1961年から 1975年までの 地震で「地震月報J
KM
が与えられていないものに すべてM
を与えたものである.乙れは特KM
未決定 の地震が多い 1961年から 1964年までの期間について は,貴重な資料となっている. ~3
.
各種の変遷 概略は表2,乙示す通りであるが,以下各項目毎に 少し詳細に記す. -48-各種変選の歴史 表2 決 定 能 力 手 作 業 M ? ? 震 度 と 距 離 大 ﹂
"
坪 井 (IBM 704導入) ヮ ・ 9 ・ 9 ・ 9 ・ 9 ・ 9 ・ 9 ・ ヮ ・ 9 ・ 9 ・ 深 走 時 表 ヮ ・ 9 ・ 0 f o r ・ 9 ・ 。 ・ 9 ・ 9 ・ 9 ・ o f 業 作"
〆 ノ , ペY H 年1
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kuFbpb 広 d k d に d p b p b ﹁ O F O 電 計 作 業 開 始 11 ノ〆 " 〆 20km毎(40km) Wadati IBM 70 両振巾 1皿 67型 展 開 開 始 H ノノ"
10回 毎(20km) H 内 挿W 電 計 HITAC5020F H 1 4 つ ム つ U A 吐 F h d 氏 U ヮ , QUQυnu ρ h u ρ h U F h U 戸 hUFOPOPOPOPO 可 i ,ゲ 11 、 E j m ' u n n u n ノ 臼 ' 〆 , 、 、 , メ毎 k m L k u n u 噌 E E A 、B , , , 4 E E A 門i 〆 , 、 、 H M H -T E E A 電 計 76型 展 開 開 始 又 H 勝 H+
式 公T
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四 H H 1 km毎 A 円 べ U 口6 'らA
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' t u 、 A 、 , ‘ .J , t n カ 広 白 川 ハ U 4 E E A H H -AnruqO 必 任 ﹁ o n o n H u n o n R u n R U 〆〆 --400kmは, 40km毎, 400 --500 kmが50km毎であっ た (Wadati et a,.l 1933,鷺坂・竹花, 1935). そのため決められた震源の深さも走時表の深さのき ざみと同じであった.乙れは1967年から,補聞によ り走時表が追加され20km毎 が10km毎, 40km毎 が20km 毎となった(浜田・他, 1983). その後1973年から,市川・望月の走時表(市川・ 望月, 1971)が 全 面 的 に 使 わ れ て い る . た だ1978年 - 49ー (1) 走 時 表 「地震年報J
や「気象要覧J
R:示されている震源 の 決 定 方 法 に つ い て は 不 明 と さ れ て い る ( 市 川 , 1982) . 第二次世界大戦後はWadati et al.(1933) と鷺坂・竹花(1935)の 走 時 表 か ら 作 っ たs
-p--Aノモグラフを利用している(市川, 1982). ただ, 乙れらの走時表は深さが0--120kmは20km毎, 12050 験 震 時 報 第51巻 第1-2号 以降,千島南部から北海道東方沖にかけての地域の 地震についてのみ,特別の走時表(市川, 1978 b) を使っている.その後1983年10月からとの特別の地 域を除いた所では浜田 (984)による走時表83Aモ デルに全面的に切り換えられた.乙れら市川・望月 (971)以降の走時表は深さ 200kmまで=がlOkm毎に 与えられ,それ以深については20km毎になっている. 従って気象庁カタログを走時表の面から見れば, 83Aモデルは市川・望月の修正版であるため大幅な 変更はなく,質的に異なっているのは1961年から 1972年の間だけである. (2) 震源決定法と震源の深さ 1961年から地震月報用の震源決定は電子計算機を 利用する様になったが それ以前は手作業であった (市川, 1982). 電子計算機を用いて震源要素を計 算する方法とプログラムについては気象庁地震課 (963) 及び~lchikawa (965)に報告されている. そして,求められた震源の深さは用いられた走時表 K対応して1961年から1966年までは, 0 --120 kmが 20km毎で, 120--400kmは40km毎, 400 --500 kmが 50km毎であった.その後走時表が補間された1967年 以降は, 0--200kmがlOkm毎, 200 --500 kmが20km 毎となった.市川・望月の走時表が採用された1973 年以降は,最深が500kmから600加1まで延ばされた だけで震源決定の深さのきざみは変化が無かった. しかし,浜田・他 (983)の震源決定法が採用され た1983年からは震源の深さが1km毎に求められる様 になった. 従って気象庁カタログの震源、の深さは1961年から 1966年までが荒く, 20kmと40km毎で, 1983年以降は 1km毎だが,その他はlOkm毎と20km毎で、ある.乙の 様l乙深さのきざみが全期間を通じて一様ではないの で, 60年代や最近の地震を扱う場合注意を要する.
(
3
)
マグニチュード 地震の規模を示すものとしてマグニチュード(M) が採用されたのは1957年からであった.それ以前は, 1953年から 4年間,震源とその震央距離の関係か ら一部の地震をA--Eの 5段階に分けて評価してし、 た.坪井の式(坪井, 1954)が1957年から使われ始 めたが,乙れは60km以浅の地震についてのみで,用 いた測器はウィーへjレト式地震計及び59年型地震計 であった.一方,深い地震についてはGutenbergの M によって, しかし, 1974年から印刷より深い地震 については勝又の式(勝文, 1964)を採用した.そ して通称76型と呼ばれる電磁式高感度地震計が業務 化された後の1977年からは67型, 76型地震計の記録 振幅を併用して浅い地震のMをきめるようになった (EMT公式:神林・市川, 1977,竹内, 1983).た だこれは後で詳しく述べるが, 67型, 76型の速度型 地震計の振幅だけでM5程度までの大きさの地震を 決めようとするとかなり無理があり, 59型地震計の 振幅規制が3mmとなって以降M
4.5 --5程度の地震 のマグニチュード決定に問題が生じたり,岸尾・望 月 (987)や津村 (987)の指摘する様に深い地震 のMがほとんど決められなくなったと考えられる. 気象庁カタログのMは, 1926年から1976年まで坪 井の式と勝又の式によって決められ, 1977年以降だ けがEMT公式が追加されている.本来「地震月報J
の震源データによるものであれば1961年から1973年 までは深い地震のMが与えられていないはずである が,気象庁カタログの震源要素には,r別冊5号J
(表 1参照)を基に深い地震のMが追記されている.ま たMが未決定の場合,時期 iとよりr
9. 9J
とされた りr
0J
又はブランクになっている乙とがあるので 注意を要する.SEIS-:-PCの震源カタログはMが未 決定のものはr
O
J
としている.(
4
)
検知能力 気象庁地震観測網の検知能力については,その観 測機器の展開,更新等(浜松, 1966,勝又, 1971) により時と共に変化向上してきている.そのあたり の事情は1960年以前については,久保寺・他(980) の調査があり,それ以降では,望月・他 (978),市 川 (978), 横山 (984) Iζ報告されている.乙乙 では細かな地域的な変化については議論せず,日本 全体すなわちカタログに質的変化を起乙すような事 実を列挙する. まず,図1で気象庁地震カタログのなかの地震の 数の経年的変化を見ると, 1950年代でそれ以前と後 とで差があるように見える.乙れは1951年から「地 震月報jの発行が始まり,業務内容の変化があった 可能性がある.また, 1960年から, 1964年までは更 に増えたように見え,乙れはそれ以前の手作業によ る震源決定という苦労から解放され,電子計算機処 理が始まった乙とによるのが原因と思われる. しかし,乙の増加も1965年には地震数が前年に比 べほぼ半減してしまう.乙れは, 1968, 69年K回復 したかに見えるが,図2のM 4以上, M 5以上のグ n u p h u,Ilil
:
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c・』 " 5000 4000 3000 2000 1000 年τ
'he yearly change of the number of earthquakes in JMA catalogue, Real line and broken line show the changes of total event and shallow event (h=<60km), respectively. 唱 E A F h d 80 70 60 50 40 1930 O Fig.1験 震 時 報 第51巻 第1-2号 反 人 "1‘¥パ1 J i ハ ー l 巴、ヘー ' . . へ ・ . - 、f¥1¥J 偽 ,'.". . ..,,'''¥,/"\./\ノ\...'い、,~\~!\,...,'''''V,I\\/\ .1 ¥ i、司、 v¥,. ... 500 52 1000 500
Fig.3 Real line and broken line show the yearly change of the number of shallow earthquakes (shallower than
61km)of which magnitude is larger than 4 and 5, respectively. Doted line in 1960 s shows t he one f or Katsumata catalogue. 80 70 60 50 40 1930 ,~\ノ川,. - . . 、 ヘ 人 、目¥ A ,'"'._,....;ヘ、,11、会人J、八 ./'''\/~\...' 'y¥, ¥ ,--'¥ 、 , 、J ‘、...'戸、・ ν Fig. 2 Real line and broken line show the yearly change of the number of earthquakes of which magnitude is larger than 4 and 5, respectively. Doted line in 1960s shows the same one for Katsumata catalogue. 80 70
目
。
50 40 1930 頃から同様であるとみて差し支えないようである. まず大きな問題としてマグニチュードがある.図 れとは1983年日本海中部地震とその余震群のM-:-度 数分布を示している.図から明らかにM 5. 1 K.一つ のピークがあり, M4.7に谷があるという異常な分 布をしている.乙れは累積分布でもM5から急にな だらかになるという様子に対応しており, b値で見 ればM 5の所にピークが現れている.乙の異常な度 数分布は既に清野(私信)Iとより指摘され,一部で は地盤の悪い観測点(例えば秋田,青森等)が近く にあった乙とが原因ともされた.しかし,乙の異常 な度数分布は全国の浅発地震を対象とした1982年2 月から5年間地震でも見られる(図 5参照).ただ, 図5の度数やb値がM 5でピークを持つのは,先の 日本海中部地震の期間を含んでいるためそれが影響 している恐れもある.しかし,図5の地震数が 14,877 ケで,図4が711ケと20倍であるため,ほとんど無 視できると考えられる.ただ念の為,更に日本海中 部地震の影響を避けた1982年2月から1983年4月ま での全国の浅発地震についても調べてみた(図6). しかし,図6でもいま述べた特徴が見られる乙とか ら単にいくつかの観測点の地盤が悪いととが原因と なっているのではなさそうである. では,もう少し過去を調べてみる.図7Iζ1970年 から1975年までの同様の結果を示した.乙の期間は, Mの決定iζEMT公式を使っていない.そのためか つ b F h d 問題点 ~ 4. ラフを見る限り,乙の2
年間は異常に地震活動が高 かった (1968年十勝沖地震のため)乙とがわかる. 従って1965年に始まった地震数の減少は1976年にな るまで回復していない.これは表2の「決定能力」 の欄に書いた「両振幅 1m
m
J
が原因と考えられる. 乙れは,それ以前は59型地震計記録で験測可能な地 震はすべて験測していたのを,乙の年以降「両振幅 1m
m
J
以上の地震のみ験測するようになったのであ る.乙の規制のため少し小さい地震は験測値が少な くなり震源が決定できなくなったと想像される.乙 のため決定できた地震が減少し, 1965年以降はそれ 以前のおよそ6--7割になってしまった.そして, 乙の減少は電磁式の67型地震計の展開でも回復でき ずI 76型地震計の展開が始まった1976年になってや っと回復した.その後は76型地震計の展開の進展と, 各管区のテレメータ化の進行と共に検知能力が飛躍 的に向上した事が図1から理解できる.ただ, 1982 年の2
月から再度基準が変り, 59型地震計記録につ いては「両振幅3m
m
J
以上の地震についてのみ験測 するようになった.乙れは高感度地震計が既に各地 に展開された時点であったので,検知能力について 何ら影響を与えていない.しかし,乙の規制は後に 述べるようにMの決定について大きな問題を生じさ せた. 気象庁カタログの全期間を通してみれば,図2, 図3からM 5以上であれば1930年頃から殆ど検知さ れている乙と,またM 4以上であれば1960年の半ば度数分布は数が少ない M 6あたりで乱れるが,それ よりMの小さい所ではほぼなだらかな分布になって いる.次に, EMT公式も使われている 1979年から 1981年までの 3年間の結果を図 8に示した.乙れも ほぼ正常な分布である. 円 日 . 白-9.自
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41 8 k m 6日k mO 寸 1 1 1 1 イ │ │ ﹂ 白 白 7 N=771 leeeee b leeae leee z、見ム ¥
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2 3 4 5 6 7 8 9 MFig. 4 Upper: The epicenters map of the Nihonkai-chubu earthquake and its aftershocks from May 26 to Dec.31in1983. Lower: Magnitude-frequency distri -bution for the earthquakes in the rectangle in the upper figure. Closed circ1es, open circ1es and crosses show the frequency, cumulative frequency and b -values, respectively.τnese are t he .same for figures 5,6, 7,and 8. 1982 82ノ81 88'88 -- 1986 81ノ31 24 '88 M 8.8-9.8 り
O
6 0 s 0 4 0 3 0 8km 6Bkm ... 寸 │ l J I l l J a w a u e 5 N=14877 b}一「¥
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-o 2 3 4 5 6 7 8 9 M Fig.5τne seismicity for recent 4 years from 1982Feb.to 1986J
an. in and aroundJ
apan. 以上から,異常な度数分布を示し始めたのは, 1982年 2月から「両振幅 3m
m
J
以上しか験測しない という規制が始まってからと結論できる.乙れは, 乙の規制により低感度の59型地震計の験測値が減り, 59型地震計でMが決まらない地震が増え,一方その ような地震にたいしては 短周期速度型地震計の振 幅に基づく EMT公式を用いてMを決めているため, この二つのMの決定公式のつなぎが良くない事から 生じたと考えられる.要するに, EMT公 式 をM 4.5程度以上の地震に適用すると Mの頭打ちが起乙 り,実際のMより小さい値にしていると思われる. 従って,気象庁カタログを用いて統計的処理を行う 場合, 1982年 2月から M 4.5 --5 (もしくはもう少 し両側へ範囲を広げ、た)付近の地震のMがそれ以前 のM とは質的に異なっている乙とを十分に考慮しな q o F h u54 験 震 時 報 第51巻 第 1~ 2号 刊 e.e-9.e 1982 B2〆e1 ee ,ee -- 1983 e4/3e 24,ee 197e B1〆e1 ee, ee -- 1975 12/31 24' ee M e.e-9.e ~O 6 0 5 0 4 0 3 0 2-e。 ekm 6Bkm .... 寸 1 1 1 1 1 │ J 8 8 a u R i w 1<=3926 b
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0 2 3 4 5 6 7 8 9 M Fig.6The seismicity from 1982 Feb. to 1983 Apr. in and around J apan.ければならない. 更に,乙の「両振幅3
m
m
J
規制は, 59型地震計の 読み取りデータを減少させ,乙のため59型地震計の 振幅だけを用いる深発地震のMが決まらなくなると いう事態をも引き起乙している(岸尾・望月, 1987, 津村, 1987). 次lと,検知能力の問題では1965年に始まったr
両 振幅1阻j規制で著しく低下した乙とは既に指摘し た(図9参照).乙の時期にはまだ,大学や国立防災 科学技術センターの微小地震観測網が無く,気象庁 の地震観測網の検知能力が低下した乙とは,大変残 念な乙とである.しかし,浜田(私信)によれば, 1961, 62年の地震を地震調査原簿から再調査し,最 新の震源決定法を用いれば震源の求まる地震の数が 約5割増えたとされている.1961, 62年は,地震資 ~O 6 0 5 0 4 0 3 0 2-9 0 ekm 6Bkm '-' 寸 -4 │﹂
a u a u 8 5 1<=243e 1eeeee b.
-o
2 3 4 5 6 7 8 9 M Fig.7τbe seismicity from 1970 to 1975 in and around Japan.料の面から見れば特別に条件の良い期間というわけ ではないので,同様の事がその前後の時期について も期待できる.従って"古いデータについても,再 度原記録により近い資料まで戻って調査すれば,よ り質の良いデータが得られる可能性が高く,その様 な調査が実現される乙とが望まれる. 最後に,宇津(1987)は気象庁が決定してきた地 震のMが時と共に小さくなっている可能性を指摘し た.乙れは気象庁のM'と,震度分布及び水沢(緯度 観測所)の大森式地震計によるそれぞれのM との比 較が根拠になっている.確かに, M決定方式の変更 や計測機器の更新・改良の影響を受けている気象庁 のMが時間的に均質でない可能性が高い.しかし, ζ の変化も宇津が示した0.0078/年, 0.0058/年と いう様な一定の経年的変化ではなく,何等かの変更 必 住 民 d
1979 a1ノa1 aa, aa -- 1961 12ノ31 24,a6
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o 2 3 4 5 6 7 8 9 Fig. 8 1)1e seismicity fro m 1979 to 1981 in and aroundJ
apan. 円6.a-9.6 ~O 6 0 5 0 4 0 3 0 2-6。 6km 6Bkm '-" 6 ,... 566 --' N=5542 b があった年からステップ的に変化したものが積み重 なったものと思われる.しかし,乙の問題について は更に詳しい検討が必要である. ~ 5. おわりに 最後に気象庁の各種震源カタロク、、資料について色 々御教示いただいた勝又護気象研地震火山研究部長 に感謝いたします. 参考文献 The Central Meteorological Observatory (952):
τ
'heS
e
ismological Bulletin of the Central Meteorological Observatory,J
apan For the Year 1950. 浜田信生(984):近地地震用走時表の再検討, 気 象研究所報告, 35, 109 -167. 浜田信生・吉田明夫・橋本春次 (983):気象庁震 源計算プログラムの改良(1980年伊豆半島東方沖 の地震活動と松代群発地震の震源分布の再調査), 1500 1000 500 -l E I s ,y
y
-
一
一
J ' ‘ 1930 40 50 60 70 80 M Fig. 9 Real line and broken line show the yearly' change of the total number and the shallow one of earthquakes of which magnitude is less than 1 or undetermined. 験震時報 48,35ー55. 浜松音蔵(1966):気象官署における地震計観測の 履歴表,地震(II), 19, 286 -305.I
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