教育実践経験に対する自伝的推論と
教職アイデンティティ
── 成功経験と失敗経験に着目して ──
佐 藤 浩 一
Autobiographical Reasoning for Teaching Practices
and Teacher Identity:
Research Focusing on Success Experiences and Failure Experiences
Koichi SATO
群馬大学共同教育学部紀要 人文・社会科学編 第70巻 207―216頁 2021 別刷
教育実践経験に対する自伝的推論と
教職アイデンティティ
── 成功経験と失敗経験に着目して ――
佐 藤 浩 一 群馬大学大学院教育学研究科教職リーダー講座 (2020年9月30日受理)Autobiographical Reasoning for Teaching Practices
and Teacher Identity:
Research Focusing on Success Experiences and Failure Experiences
Koichi SATO
Program for Leadership in Education, Graduate School of Education, Gunma University
(Accepted on September 30th, 2020)
問題と目的
自伝的記憶と自伝的推論 私たちは過去の自己に関わる多くの情報を保持し ている。こうした情報は「自伝的記憶」と呼ばれ、 自己の連続性を確認したり(自己機能)、日々の行 動・判断の根拠や基準となったり(方向づけ機能)、 対人関係を調整したり(社会機能)するなど、様々 な役割を果たしている。このうち自己機能について は近年、自伝的記憶とアイデンティティが密接に関 わっていることを示す実証的な知見が蓄積されてき ている。例えばアイデンティティ確立度の高い人は、 重要でかつ感情喚起度が高く鮮明な自伝的記憶を頻 繁に想起する(山本,2013)。また、重要な自伝的 記憶(山本,2015)や自己確認機能を有する自伝的 記憶(中村・瀧川,2018)を想起することで、アイ デンティティ確立度が高まる。がんばったり積極的 に取り組んだりした経験の想起数やその成功感が、 心理社会的同一性を予測する(小島,2015)。 このように自伝的記憶と自己の間には密接な関連 があるが、すべての記憶が等しく、アイデンティティ に寄与しているとは考えにくい。上に紹介した先行 研究からは、重要な記憶、自分を確認するような記 憶、強く自我関与した記憶などが、アイデンティティ の構築に役割を果たしていると推測される。個人が 有する数多の自伝的記憶とアイデンティティとが直 接結びつくのでなく、特定の経験を重要なものと評 価したり、「がんばって成功した」と意味づけたり する過程が媒介することで、自伝的記憶とアイデン ティティが結びつくと考えられる。 このように経験を意味づける思考過程は「自伝的 推論」と呼ばれる。自伝的記憶に比べると自伝的推 論を検討した研究は多くはない。しかし現在まで次 のような理論的・実証的な知見が得られている。理 論的には、自伝的推論によって複数の自伝的記憶が つなぎ合わされ、そこからライフストーリー(Blagov& Singer, 2004; Singer & Blagov, 2004)やアイデン ティティが構成される(Habermas & Koeber, 2015) というモデルが提示されている。実証的には、自伝 的推論尺度(佐藤,2015,2017)を用いた検討から、 成功のようにポジティブな経験は失敗のようにネガ ティブな経験よりも強い自伝的推論を引き起こすこ
と( 佐 藤,2015,2017; 佐 藤・ 清 水,2012; 堤, 2019)、失敗経験に比べて成功経験に対する自伝的 推論がアイデンティティの確立や適応の指標(自尊 感情、人生満足度)と強く結びつくこと(佐藤, 2017)が見出されている。 ところで自伝的記憶や自伝的推論とアイデンティ ティとの関連を検討した先行研究で多く用いられて きたのは、下山(1992)によるアイデンティティの 確立尺度ならびにアイデンティティの基礎尺度で あった。これは「自分の生き方は、自分で納得のい くものである」や「私の心は、傷つきやすく、もろ い」など、アイデンティティ全般を捉える尺度であ る。 一方、より領域限定的にアイデンティティを捉え ることも可能である。例えば児玉・深田(2005)は、 職業における自分らしさの感覚を「職業アイデン ティティ」としている。このように領域を限定する ことで、職業に関連した自伝的記憶や自伝的推論と 職業アイデンティティとの関連を検討することが可 能になる。例えば佐藤(2008)は、教職志望の強い 大学生は、教師にまつわるポジティブな記憶を想起 し、さらにその出来事から「影響を受けた」と意味 づける傾向にあることを報告している。これは職業 選択というアイデンティティ領域において(Marcia, 1966)、自伝的記憶や自伝的推論が重要な役割を果 たしていることを示すものである。 本研究の目的 本研究の目的は、大きく二つある。まず主な目的 として、教員として勤務している協力者を対象に、 教育実践経験に対する自伝的推論と教職アイデン ティティとの関連を検討する。そのために、教職ア イデンティティを捉える尺度を構成し、信頼性・妥 当性を検討する。教育実践経験としては、佐藤(2015, 2017)や佐藤・清水(2012)に準じて成功経験と失 敗経験を問うことにする。また佐藤(2017)では最 近1~2年以内の経験を検討していたが、長時間が 経過してもなお強い自伝的推論を引き起こす出来事 もあることから(佐藤・清水,2012)、最近1~2年 以内だけでなく、それ以前の出来事の想起も求める。 あわせて、先行研究で見出された知見を確認し、 その頑健性を検証することを目的とする。具体的に は、成功経験が失敗経験よりも鮮明に想起され強い 自伝的推論を引き起こすこと(佐藤,2015,2017)、 成功経験に対する自伝的推論が自尊感情などの適応 指標やアイデンティティの確立と強く結びつくこと (佐藤,2017)を確認する。また経験の時期(最近 1~2年以内、それ以前)がこうした効果に関連す るのか検討する。
方 法
協力者 大学の講義や大学主催の講習会で質問紙を配布し た。評定もれのある者、想起内容が具体的でない者、 「最近1~2年以内」「それ以前」という教示から外 れた時期の出来事を回答している者などを除いた。 その結果、計351名から有効回答が得られた。その 内訳は、30歳代177名(平均32.8歳、男性84名、 女性93名)、40歳代86名(平均43.4歳、男性29名、 女性57名)、50歳代88名(平均53.3歳、男性45名、 女性43名)であった。 協力者の調査時点での勤務状況は、小学校129名、 中学校107名、高等学校75名、その他(特別支援 学校、中等教育学校、幼稚園等)40名であった。 手続き 調 査 は2017年7月 ~2018年12月 に 実 施 し た。 「過去の経験や自分に対する意識に関する調査であ る」と説明し、協力は任意であること、個人情報は 保護されることを伝えるなど、倫理上の配慮を行っ た。 成功経験と失敗経験の想起と記述 協力者には、教員としての仕事の上での成功経験 と失敗経験を想起し、具体的に記述することを求め た。成功は大きな成功でも小さな成功でもよく、「う まくいった」「よかった」経験として考えて構わな いと教示した。同様に失敗も、大きな失敗でも小さ な失敗でもよく、「まずかった」「わるかった」経験として考えて構わないと教示した。成功・失敗とも に、「最近1~2年以内」と「それ以前」の二つずつ、 計四つの経験を記述させた。内容だけでなく経験し た時期(年号)の記入も求め、教示した時間枠から 外れていないか確認した。 成功・失敗経験に対する評定 自伝的推論 佐藤(2017)では成功経験と失敗経 験の二つについて、それぞれ26項目で自伝的推論 の程度を問うた。本研究では四つの経験について自 伝的推論の評定を求めることから、協力者の負担を 考慮し、項目数を減らした。佐藤(2017)や佐藤・ 清水(2012)に基づき8項目を設定し、1~7の7 段階で回答を求めた。具体的な項目は附表1の通り である。なお因子分析の結果1項目が削除され、附 表1には7項目が示されている。 記憶特性 四つの経験のそれぞれについて、鮮明 度(ぼんやりしている~はっきりしている)と現在 の感情(よくない~よい)の2項目に、1~7の7 段階で回答を求めた。 尺度評定 続いて協力者は、自尊感情などの尺度に1~5の 5段階で評定を行った。用いた尺度は、自尊感情10 項目(例「色々な良い素質を持っている」、山本・ 松井・山成,1982)、人生満足度5項目(例「私は 自 分 の 人 生 に 満 足 し て い る 」、Diener, Emmons, Larsen, & Griffin, 1985)、アイデンティティの確立
10項目(例「自分の生き方は、自分で納得のいく ものである」、下山,1992)、アイデンティティの基 礎10項目(例「私の心は、傷つきやすく、もろい」、 下山,1992)、教職アイデンティティ16項目であった。 教 職 ア イ デ ン テ ィ テ ィ に つ い て は、 松 井・ 柴 田 (2008)や山田・長谷川(2010)を参考に、教師と しての有用感、適合感、教育観などに関わる項目を 作成した。具体的な項目は附表2の通りである。
結 果
分析の枠組み 以下のように分析を行う。 第一に、自伝的推論と教職アイデンティティの因 子構造を確認する。教職アイデンティティに関して は、自尊感情などとの相関を検討し、妥当性を確認 する。 第二に、教育実践経験に対する自伝的推論と教職 アイデンティティの間にどのようなつながりがある かを、相関と重回帰分析により検討する。 第三に、経験の内容(成功・失敗)と時期(最近・ 過去)により自伝的推論や記憶特性に差があるかを 検討し、成功経験の方が失敗経験よりも鮮明に想起 され強い自伝的推論を引き起こすことを確認する。 第四に、自伝的推論と自尊感情やアイデンティ ティの確立などとの相関を検討し、成功経験に対す る自伝的推論が自尊感情やアイデンティティの確立 などと結びついていることを確認する。 自伝的推論の因子構造 「最近の成功」「最近の失敗」「過去の成功」「過去 の失敗」の四つの経験それぞれについて、固有値= 1を基準として主因子法・プロマックス回転で因子 分析を行った。その結果、「過去の失敗」のみ2因子、 他は1因子であった。「当時、そのことについて何 度も考えた」は四つの経験のいずれでも因子負荷量 が低かった。そこでこの項目を除いて改めて因子分 析を行ったところ、四つの経験のいずれについても 1因子構造が確認され、信頼性も十分であった(附 表1)。 教職アイデンティティの因子構造と妥当性 主因子法・プロマックス回転で因子分析を行い、 解釈可能性から「適合感」「教育観」「有用感」「貢 献」「効力感」の5因子解を採用した(附表2)。い ずれの因子も信頼性は十分であった。 教職アイデンティティ5因子と自尊感情等との相 関を表1に示す。なお自尊感情等の信頼性はいずれ も十分であった(自尊感情:α=.867、人生満足度: 教育実践経験に対する自伝的推論と教職アイデンティティ 209α=.830、アイデンティティの確立:α=.854、アイ デンティティの基礎:α=.836)。 5因子のいずれも、アイデンティティの確立との 間に強い相関が認められた。また、教師という職業 が自分にあっているという「適合感」と自尊感情や 人生満足度、教師として他者から必要とされており 自信があるという「有用感」「効力感」と自尊感情 のように、内容的に関連したものの間に中程度以上 の相関が認められた。こうした関連はどの世代にお いても認められ、教職アイデンティティ尺度の妥当 性を示すと言える。 5つの因子の平均評定について、世代による差異 を検討した(表2)。その結果、有用感と効力感に お い て 世 代 の 主 効 果 が 有 意 で あ り、 下 位 検 定 (Tukey法)の結果、いずれも30歳代に比べると 50歳代の評定が高かった。教師という職業が合っ ているという「適合感」、どんな教育がしたいかはっ きりしているという「教育観」、児童生徒の役に立 ちたいという「貢献」に比べると、児童生徒・同僚・ 保護者から必要とされているという「有用感」や、 授業実践・集団作り・関係作りに自信があるという 「効力感」は、様々な教育実践経験の裏付けを要す ると考えられる。従って、これらの因子で世代差が 見られたことも、この尺度の妥当性を示すと言える。 教職アイデンティティと自伝的推論 教職アイデンティティの5因子の評定平均と、自 表1 教職アイデンティティ5因子と自尊感情等との相関 世代 尺度 教職アイデンティティ 適合感 教育観 有用感 貢献 効力感 全体 自尊感情 .377 ** .361 ** .510 ** .197 ** .501 ** 人生満足度 .403 ** .244 ** .313 ** .260 ** .278 ** アイデンティティの確立 .493 ** .513 ** .515 ** .377 ** .491 ** アイデンティティの基礎 .291 ** .277 ** .307 ** .142 ** .289 ** 30歳代 自尊感情 .354 ** .339 ** .541 ** .140 .494 ** 人生満足度 .393 ** .285 ** .350 ** .209 ** .348 ** アイデンティティの確立 .448 ** .535 ** .586 ** .304 ** .527 ** アイデンティティの基礎 .269 ** .300 ** .348 ** .134 .284 ** 40歳代 自尊感情 .281 ** .297 ** .387 ** .237 * .340 ** 人生満足度 .341 ** .157 .240 * .319 ** .050 アイデンティティの確立 .459 ** .459 ** .445 ** .444 ** .369 ** アイデンティティの基礎 .246 * .243 * .273 * .225 * .315 ** 50歳代 自尊感情 .544 ** .487 ** .512 ** .306 ** .643 ** 人生満足度 .509 ** .274 ** .362 ** .331 ** .377 ** アイデンティティの確立 .619 ** .533 ** .473 ** .468 ** .545 ** アイデンティティの基礎 .387 ** .260 * .227 * .067 .271 * *p<.05 **p<.01 表2 教職アイデンティティと世代 平均 SD F(2,350) 適合感 30歳代 3.935 0.769 0.597 40歳代 4.032 0.774 50歳代 4.014 0.734 教育観 30歳代 3.838 0.687 1.665 40歳代 3.996 0.721 50歳代 3.954 0.782 有用感 30歳代 3.631 0.652 4.327 * 40歳代 3.686 0.544 50歳代 3.864 0.584 貢 献 30歳代 4.394 0.542 0.192 40歳代 4.389 0.541 50歳代 4.432 0.472 効力感 30歳代 3.154 0.836 3.810 * 40歳代 3.283 0.671 50歳代 3.436 0.794 *p<.05
伝的推論得点(7項目の評定平均)との関連を、四 つの経験ごとに整理した(表3)。失敗経験より成 功経験に対する自伝的推論の方が、教職アイデン ティティとの関連が強かった。こうした関連は、ど の世代においても、また最近の経験でも過去の経験 でも、同じように認められた。 教職アイデンティティ5因子の平均評定値を目的 変数、四つの経験に対する自伝的推論得点を説明変 数として、重回帰分析(強制投入法)を行った。な おVIFはすべて2.0より小さく、多重共線性の問題 は無いと判断した。5因子のいずれについても、最 近の成功経験と過去の成功経験に対する自伝的推論 が、有意であった(表4)。同じ分析を世代ごとに 行った結果、世代や教職アイデンティティの因子に よっては、成功経験に対する自伝的推論が有意では ない場合も見られた。しかしどの世代においても、 最近あるいは過去の成功経験に対する自伝的推論が 教職アイデンティティ5因子のうち3~4因子の評 定値を有意に予測していた。 経験の内容・時期と自伝的推論・記憶特性 記憶特性(鮮明度、現在の感情)と自伝的推論得 点について、経験の内容(成功・失敗)×時期(最 近・過去)×世代(30歳代・40歳代・50歳代)の 分散分析を行った。世代の有意な主効果は見られな かった。世代と他の要因との交互作用が一部で認め られたものの効果は小さいことから、世代をまとめ て、経験の内容(成功・失敗)×時期(最近・過去) の結果を表5に示す。鮮明度では時期の主効果のみ 有意であり(F(1,350)=58.073,p<.001)、最近 の経験の方が鮮明に想起されていた。現在の感情に ついては内容の主効果のみ有意であり(F(1,350) =2643.301,p<.001)、成功経験の方がよい感情を 引き起こしていた。自伝的推論については、経験の 主 効 果(F(1,350)=55.374,p<.001) と 時 期 の 主効果(F(1,350)=6.22,p<.05)が有意であり、 成功経験が失敗経験よりも強い自伝的推論を引き起 こしていた。また過去の経験が最近の経験よりも強 い自伝的推論を引き起こしていた。 表3 教職アイデンティティと自伝的推論との相関 世代 教職 アイデンティティ 最近 過去 成功 失敗 成功 失敗 全 体 適合感 .255 ** .167 ** .281 ** .110 * 教育観 .346 ** .112 * .370 ** .171 ** 有用感 .289 ** .173 ** .326 ** .198 ** 貢 献 .285 ** .247 ** .305 ** .220 ** 効力感 .291 ** .056 .311 ** .095 30歳代 適合感 .265 ** .166 * .242 ** .132 教育観 .328 ** .052 .324 ** .194 ** 有用感 .332 ** .175 * .398 ** .211 ** 貢 献 .184 * .289 ** .287 ** .319 ** 効力感 .283 ** .023 .282 ** .123 40歳代 適合感 .302 ** .292 ** .436 ** .191 教育観 .345 ** .315 ** .457 ** .180 有用感 .114 .007 .175 .171 貢 献 .332 ** .214 * .272 * .208 効力感 .292 ** .151 .333 ** .197 50歳代 適合感 .197 .060 .205 .018 教育観 .401 ** .039 .388 ** .160 有用感 .401 ** .295 ** .285 ** .246 * 貢 献 .460 ** .207 .381 ** .051 効力感 .344 ** .038 .352 ** .014 *p<.05 **p<.01 教育実践経験に対する自伝的推論と教職アイデンティティ 211
自伝的推論と適応・アイデンティティ 四つの経験に対する自伝的推論と、自尊感情、人 生満足度、アイデンティティの確立・基礎との相関 を表6に示す。世代をまとめて全体で見ると、最近 の経験でもそれ以前の経験でも、失敗に比べると成 功に対する自伝的推論の方が、適応(自尊感情、人 生満足度)やアイデンティティ(確立と基礎)との 間に、強い関連を示していた。世代ごとに見ると、 こうした関連は40歳代では弱かったが、30歳代と 50歳代では認められた。
考 察
結果のまとめ まず本研究で明らかになったことを、目的に即し てまとめる。 第1に、適合感などの5因子からなる教職アイデ ンティティ尺度が構成され、一定の信頼性と妥当性 を有することが示された。 第2に、教育実践上の成功経験に対する自伝的推 論が、教職アイデンティティを有意に予測していた。 その程度は、最近の経験もそれ以前の経験も大差な かった。 第3に、成功経験は失敗経験に比べると鮮明に想 起され、強い自伝的推論を引き起こすことが示され た。これは先行研究(佐藤,2015,2017)と一致す る結果である。 第4に、成功経験への自伝的推論が自尊感情、人 生満足度、アイデンティティの確立と結びついてい た。これも先行研究(佐藤,2017)と一致する結果 である。 教職アイデンティティと自伝的推論 松井・柴田(2008)や渡邉・諸岡・山本・橋本 表4 自伝的推論から教職アイデンティティを予測する重回帰分析の結果 目的変数 説明変数 全体 30 歳代 40 歳代 50 歳代 β t 値 調整済R2 β t 値 調整済 R2 β t 値 調整済 R2 β t 値 調整済 R2 適合感 最近の成功 .133 2.135 * .087 .172 1.929 .068 .065 .534 .163 .150 1.139 .016 最近の失敗 .060 .988 .066 .800 .103 .903 -.038 -.255 過去の成功 .206 3.191 ** .129 1.369 .350 2.604 * .172 1.347 過去の失敗 -.036 -.596 .008 .090 .001 .009 -.064 -.452 教育観 最近の成功 .233 3.926 ** .165 .257 3.001 ** .135 .109 .909 .192 .401 3.480 ** .245 最近の失敗 -.089 - 1.543 -.130 - 1.629 .120 1.067 -.375 - 2.841 ** 過去の成功 .261 4.224 ** .176 1.935 .349 2.639 * .269 2.410 * 過去の失敗 .044 .759 .107 1.276 -.024 -.226 .185 1.498 有用感 最近の成功 .158 2.595 * .119 .163 1.938 .162 .037 .280 .007 .313 2.559 * .148 最近の失敗 .008 .134 .023 .290 -.120 -.965 .052 .374 過去の成功 .212 3.349 ** .291 3.255 ** .155 1.060 .075 .629 過去の失敗 .066 1.114 .031 .372 .135 1.132 .100 .764 貢 献 最近の成功 .143 2.342 * .121 .003 .029 .132 .254 2.004 * .092 .361 3.103 ** .228 最近の失敗 .102 1.733 .174 2.180 * .066 .554 .042 .318 過去の成功 .163 2.576 * .154 1.687 .051 .367 .256 2.265 * 過去の失敗 .071 1.204 .178 2.124 * .108 .947 -.171 - 1.371 効力感 最近の成功 .206 3.365 ** .119 .221 2.529 * .096 .157 1.240 .089 .302 2.491 * .164 最近の失敗 -.105 - 1.765 -.122 - 1.495 -.037 -.307 -.180 - 1.297 過去の成功 .245 3.871 ** .183 1.973 * .228 1.624 .304 2.580 * 過去の失敗 -.012 -.210 .037 .432 .078 .684 -.070 -.539 *p<.05 **p<.01 表5 四つの経験の鮮明度・現在の感情・自伝的推論 得点 最近 過去 成功 失敗 成功 失敗 鮮 明 度 平均 6.308 6.179 5.843 5.826 SD 0.929 1.072 1.288 1.284 感 情 平均 6.236 2.336 6.251 2.359 SD 1.017 1.286 0.955 1.425 自伝的推論 平均 5.890 5.536 5.943 5.671 SD 0.764 0.963 0.861 0.961(2010)による研究では、進路選択プロセス、職業 経験、ロールモデルの有無などと職業アイデンティ ティとの関連が示されていた。これらはライフコー スを構成する外的な変数が教職アイデンティティに 及ぼす影響を示すものと言える。これに対して本研 究では、教育実践経験に対する自伝的推論という内 的な省察過程が、教職アイデンティティにつながる ことが示された。 特に重要なのは、成功経験とそれに対する自伝的 推論である。成功経験は失敗経験よりも鮮明に想起 され、強い自伝的推論を引き起こしていた。そして 成功経験に対する自伝的推論が、教職アイデンティ ティを有意に予測していた。こうした効果は、最近 の経験でもそれ以前の経験でも、またどの世代でも 認められた。 本宮(2017)は教職初任期(入職後の約10年間) の成長について、「立ち現れる課題をその都度乗り 越えることで、前半から後半にかけて教師としての アイデンティティが確立されていく」(p.197)と述 べている。本研究の結果からは、初任期に限らず、 どの世代の教師であっても、日々の教育実践―特に 課題を乗り越えるような一種の成功経験―から何か を学んだり、自分らしさを考えたりすることを通し て、教師としてのアイデンティティが構築され続け ていくと言える。小島(2015)は大学生において、 積極的に取り組んで成功した経験の想起が心理社会 的同一性を予測することを見出したが、青年期に限 定されることではないのだろう。 ただし自伝的推論が教職アイデンティティに時間 的に先行する保証は無く、因果関係を結論づけるこ とはできない。自伝的推論を働かせ経験の意味を考 えることがアイデンティティの構築につながるとも 言えるし、反対に、教師としてのアイデンティティ が確立されている人ほど、自分の教育実践経験を強 く意味づけて解釈しているとも言える。 しかし自伝的推論が教職アイデンティティに影響 するという方向性を想定することには、次のような 意義がある。本研究の協力者の多くは中年期であり、 アイデンティティの危機に直面する世代である。こ うした人たちが、適性や仕事の意味に悩むなど職業 上の危機を経験したときに(児玉・深田,2005)、 教育実践上の成功経験について自伝的推論を働かせ、 その意味を内省することは、アイデンティティの回 復や再構築にプラスに働き、さらに自尊感情や人生 表6 四つの経験に対する自伝的推論と適応・アイデンティティとの相関 世代 尺度 最近 過去 成功 失敗 成功 失敗 全 体 自尊感情 .191 ** .044 .196 ** .062 人生満足度 .163 ** .038 .124 * .106 * アイデンティティの確立 .264 ** .137 ** .342 ** .186 ** アイデンティティの基礎 .122 * .015 .164 ** .014 30歳代 自尊感情 .232 ** .023 .226 ** .063 人生満足度 .202 ** .174 * .208 ** .182 * アイデンティティの確立 .320 ** .118 .365 ** .219 ** アイデンティティの基礎 .177 * -.008 .244 ** -.007 40歳代 自尊感情 .002 .095 -.007 .139 人生満足度 .058 -.152 -.004 .100 アイデンティティの確立 .163 .300 ** .247 * .206 アイデンティティの基礎 .101 .023 .002 .054 50歳代 自尊感情 .307 ** .048 .306 ** .015 人生満足度 .190 -.040 .087 -.040 アイデンティティの確立 .265 * .052 .392 ** .121 アイデンティティの基礎 .031 .047 .133 .036 *p<.05 **p<.01 教育実践経験に対する自伝的推論と教職アイデンティティ 213
満足度などにも好ましい影響を及ぼすと推測される。 近年の教師教育学では、教員によるリフレクション として、強み・長所・成功経験に着目する「コア・ リフレクション」が提唱されている(坂田・中田・ 村井・矢野・山辺,2019)。成功経験に対する自伝 的推論の重要性は、こうしたリフレクションの発想 とも整合する。 本研究のまとめと課題 以上のように本研究では、教職アイデンティティ 尺度を構成し、成功経験に対する自伝的推論が教職 アイデンティティと結びつくことを見出し、アイデ ンティティ危機への一つの対処方略として活用でき ることを提案した。また、成功経験が強い自伝的推 論を引き起こし自尊感情やアイデンティティの確立 等 と 結 び つ く と い う、 先 行 研 究( 佐 藤,2015, 2017;佐藤・清水,2012;堤,2019)の知見が概ね 確認され、その頑健性が示された。経験への意味づ けはこれまで、ネガティブな経験への対処という文 脈(例:堀田・杉江,2013)で検討されることが多 かった。しかし日常生活においては、ネガティブな 経験以上にポジティブな経験に対する意味づけが、 適応やアイデンティティを支えているのである。ま た先行研究(山本,2013,2015;中村・瀧川,2018; 小島,2015)が青年期における自伝的記憶とアイデ ンティティの関連を示したのに対し、本研究では、 青年期以降においても、自伝的記憶や自伝的推論が アイデンティティと密接に結びつくことを示した。 どの世代にあっても、自伝的記憶や自伝的推論は自 己を支えると言える。 最後に今後の課題を述べる。本研究で扱ったのは あくまで、最近と過去一つずつの成功あるいは失敗 経験に対する自伝的推論に過ぎない。そこからライ フストーリーやアイデンティティがどう構築される か、詳しい過程は明らかではない。一口に「教育実 践」と言っても、授業、生徒指導、家庭や地域との 連携、学校運営など様々な経験が考えられる。こう した経験が、自伝的推論を介して、その人独自の教 育観や学校観になり、それがライフストーリーに一 貫性(Habermas & Bluck,2000)を与えると推測
される。多種多様な教育実践経験やそれらに対する 自伝的推論が、教員としてライフストーリーや教職 アイデンティティにどのように結びつくのか、内容 分 析 や 面 接 な ど も 併 用 し 検 討 す る こ と( 抱 井, 2015)が求められる。 付記 本研究はJSPS 科研費 17K04342 の助成を受けた。 引用文献
Blagov, P. S., & Singer, J. A. (2004). Four dimensions of self-defining memories (specificity, meaning, content, and affect) and their relationships to self-restraint, distress, and repressive defensiveness. Journal of Personality, 72, 481─ 511.
Diener, E., Emmons, R. A., Larsen, R. J., & Griffin, S. (1985). The satisfaction with life scale. Journal of Personality
Assesment, 49, 71─75.
Habermas,T.,& Bluck,S. (2000). Getting a life: The emergence of the life story in adolescence. Psychological Bulletin, 126, 748─769.
Habermas, T., & Koeber, C. (2015). Autobiographical reasoning is constructive for narrative identity: The role of the life story for personal continuity. In K. M. McLean & M. Syed (Eds.), The Oxford handbook of identity development. NY: Oxford University Press. Pp.149─165.
堀田 亮・杉江 征(2013).挫折体験の意味づけが自己概 念の変容に与える影響 心理学研究,84,408─418. 抱井尚子(2015).混合研究法入門―質と量による統合のアー ト 医学書院 児玉真樹子・深田博己(2005).企業就業者用職業的アイデ ンティティ尺度の作成 産業ストレス研究,12,145─ 155. 小島淳広(2015).過去の経験の想起数と青年期後期の自我 同一性の感覚の関連 パーソナリティ研究,24,159─ 162.
Marcia, J. E.(1966). Development and validation of ego-identity status. Journal of Personality and Social
Psy-chology, 3, 551─558.
業的アイデンティティとの関連 新潟大学教育学部附属 教育実践総合センター研究紀要 教育実践総合研究,7, 141─159. 本宮裕示郎(2017).専門家としての教師の成長 石井英真 (編)教師の資質・能力を高める!アクティブ・ラーニ ングを超えていく「研究する」教師へ―教師が学び合う 「実践研究」の方法― 日本標準 pp.196─197. 中村友理香・瀧川真也(2018).自伝的記憶の想起における 記憶の重要度と想起回数がアイデンティティの達成に及 ぼす影響 日本心理学会大会発表論文集, 82,1PM-059. 坂田哲人・中田正弘・村井尚子・矢野博之・山辺恵理子 (2019).リフレクション入門 学文社 佐藤浩一(2008).自伝的記憶の構造と機能 風間書房 佐藤浩一(2015).教師の思い出、家族の思い出に対する自 伝的推論―世代、教職志望との関連―群馬大学教育学部 紀要 人文・社会科学編,64,145─156. 佐藤浩一(2017).成功経験と失敗経験に対する自伝的推論 とアイデンティティ発達,適応との関連 認知心理学研 究,14,69─82. 佐藤浩一・清水寛之(2012).中学校時代の教師に関する自 伝的記憶:日常的な出来事に対する自伝的推論の検討 認知心理学研究,10,13─27. 下山晴彦(1992).大学生のモラトリアムの下位分類の研究: アイデンティティの発達との関連で 教育心理学研究, 40,121─129.
Singer, J. A., & Blagov, P. S. (2004). Self-defining memories, narrative identity, and psychotherapy: A conceptual model, empirical investigation, and case report . In L. E. Angus & J. McLeod (Eds.), The handbook of narrative and
psycho-therapy: Practice, theory, and research. Thousand Oaks,
CA: Sage Publications. Pp.229─246.
堤聖月(2019).印象深い出来事に対する自伝的推論 日本認 知心理学会第17 回大会発表論文集,72. 渡邉照美・諸岡浩子・山本奈美・橋本香織(2010).家庭科 教師のキャリア発達―職業アイデンティティに関連する 要因の検討― 日本家政学会誌,61,155─167. 山田哲也・長谷川裕(2010).教員文化とその変容 教育社会 学研究,86,39─58. 山本晃輔(2013).アイデンティティ確立の個人差が意図的 および無意図的に想起された自伝的記憶に及ぼす影響 発達心理学研究,24,202─210. 山本晃輔(2015).重要な自伝的記憶の想起がアイデンティ ティの達成度に及ぼす影響 発達心理学研究,26,70─ 77. 山本真理子・松井豊・山成由紀子(1982).認知された自己 の諸側面の構造 教育心理学研究,30,64─68. 附表1 四つの経験に対する自伝的推論の因子分析結果 項 目 最近の成功 最近の失敗 過去の成功 過去の失敗 この出来事と今の自分との間につながりが強く感 じられる .784 .874 .866 .835 この出来事の経験は、現在に強く生かされている .748 .798 .852 .842 この出来事は大きな意味を持つと確かに思う .737 .813 .841 .834 この出来事は私に大きな変化をもたらしたと確か に思う .735 .845 .823 .809 この出来事から私は大切なことを学んだ .665 .751 .758 .773 この出来事はその当時の私を非常によく表してい る .652 .526 .601 .597 この出来事と関連する他の出来事をはっきり思い 出せる .565 .458 .600 .405 固有値 3.935 4.213 4.528 4.256 寄与率 56.219 60.183 64.687 60.800 α .867 .880 .902 .880 (注)項目は「最近の成功」で因子負荷量が大きい順に配列している。 教育実践経験に対する自伝的推論と教職アイデンティティ 215
附表2 教職アイデンティティ尺度の因子分析結果 因 子 共通性 1 2 3 4 5 因子1:適合感 α=.888 私は教師を選択してよかったと思っている。 .874 .360 .408 .481 .236 .743 私は教師であることが、自分らしい生き方だ と思う。 .863 .386 .499 .380 .427 .842 私には教師という職業が合っていると思う。 .811 .428 .504 .339 .487 .457 私は教師としての仕事にやりがいを感じてい る。 .752 .456 .485 .566 .308 .478 因子2:教育観 α=.886 自分がどんな教師になりたいか、はっきりし ている。 .455 .890 .463 .493 .557 .725 自分がどんな教育をしたいか、はっきりして いる。 .395 .880 .404 .389 .561 .520 教育のあり方について、自分なりの考えを 持っている。 .372 .784 .461 .428 .559 .793 因子3:有用感 α=.842 私は教師として、児童生徒から必要とされて いる。 .513 .433 .917 .426 .555 .621 私は教師として、保護者から必要とされてい る。 .427 .456 .858 .425 .535 .689 私は教師として、同僚から必要とされている。 .499 .346 .648 .281 .455 .755 因子4:貢献 α=.769 私は教師として、児童生徒の役に立ちたい。 .407 .407 .331 .848 .188 .781 私は教師として、社会に貢献していきたい。 .376 .425 .322 .715 .252 .794 私は教師として、保護者の期待にこたえてい きたい。 .354 .316 .440 .671 .236 .625 因子5:効力感 α=.803 私は学級などの集団作りの指導に自信があ る。 .367 .518 .509 .229 .836 .570 私は授業実践に自信がある。 .288 .516 .454 .211 .751 .699 私は一人一人の児童生徒との関係作りに自信 がある。 .484 .558 .611 .450 .693 .572 固有値 6.657 1.503 1.164 .915 .429 寄与率 41.605 9.392 7.275 5.717 2.679 累積寄与率 41.605 50.996 58.271 63.989 66.667 因子間相関 1 .474 .559 .505 .434 1 .501 .516 .634 1 .474 .628 1 .286 1