Title
マルクス恐慌理論の研究−解明と批判−その一 利潤率の
傾向的低下の法則と恐慌
Author(s)
松沼, 勇
Citation
沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 1(1): 44-67
Issue Date
1960-03-30
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10687
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ルクス恐慌理論の研究
ー解明と批剣
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そ
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利潤卒の傾向的低下の法則と恐慌
次 桧 沼 勇 間 同 は し が き カ 1 ル・マルクスの利潤率の傾向的低下の治則 カール・マルクスの利潤率の傾向的低下の法則に対する撹判 ポ ー ル ・ ス ウ イ ー ジ ー 及 び ジ ヨ l ン・ロビンソンによる利潤率の傾向的低下の法則に対する論評 利潤率の傾向的低下の法則と恐慌 免 一 節 第二節 第三節 第四節は
し
が
き
現 代 資 本 、 主 義 経 済 社 会 に お け る 経 済 の 周 期 的 ・ 循 環 的 変 動 、 即 ち 景 気 変 動 ハ ・ な い し 景 気 循 環 ) が 如 何 友 る 原 因 に 基 づ い て 生 起 す る か と い う 問 題 は 、 と と 数 年 来 の 私 の 主 た る 関 心 事 で あ っ た 。 い う ま で も 友 く 、 ζ の問題の解明は、経済学それ自体にとっても、極めて重要放課題であり、古典学派から 現 代 に 至 る ま で 多 く の 経 済 学 者 に よ っ て 究 明 さ れ 議 論 さ れ て 来 た の で あ っ て 、 そ れ に 関 す る 文 献 は 枚 挙 に い と ま が ・ な い ほE
お び た だ し い 。 そとで私は、特にマルクス経済学から近代経済学に至るまでの景気変動に関する諸学説を追究するととによって私たりの麗論を構成し、そしてその 理論に基づきかっ具体的にして統計的・実証的研究に準拠しつつ、現代の資本主義経済社会において生起する景気変動の原因や様相を分析し解明して 更にそれに対する政策論を樹立しようと思い立ったのである。即ち、景気変動に関する諸学説の追究とそれに基づく新理論の構成、具依的にして統計 的 実 証 的 研 究 、 政 策 論 の 樹 立 の 三 つ を 企 図 し た の で あ る 。 し か し -な が ら 、 未 だ に そ の 所 期 の 目 的 の 四 分 の 一 も 達 成 し て い た い 状 態 で る る 。 今回の記念すぺ脅持大論離の創刊号に、かつて準備した論文の極︿一部をそのままの形で掲載させて頂くととにした。掲裁するに当って補筆修正を 加 え 友 け れ ば な ら な い 箇 所 が 多 A あ る の で あ る が 、 何 込 町 来 島 後 の 日 も 浅 く 、 気 候 や 食 物 に 慣 れ ず 、 そ の 上 数 科 目 の 講 義 の 為 に 忙 殺 さ れ 、 そ れ は 到 底 不 河 能 で あ る 。 マルクス恐慌理論は、大著﹁資本論﹂の多くの箇所に散在的に敷桁されており、更に﹁剰余価値学説史﹂(特に第二巻第二部)においても若干取扱 われてゐるが、本論文は主として前者のみを研究の対象としている。それは、殊に﹁資本論﹂において恐慌理論の基本的体系を見出すととができるの で あ っ て 、 ﹁ 剰 余 価 値 学 説 史 ﹂ に ま で 立 入 ら た く て も こ と 足 り る と 恩 わ れ る か ら で あ る 。恐 慌 に 閲 す る マ ル ク ス の 理 論 は 、 利 潤 率 の 傾 向 的 低 下 の 法 則 、 生 産 財 生 産 部 門 と 消 費 財 生 産 部 門 と に 関 連 す る 不 均 衡 説 及 び 過 少 消 費 説 の 一 一 一 つ の 体 系 化集約されるであろう。私見によれば、利潤率の傾向的低下の法則は、不均衡説及び過少消費説と対比してその重要性や真実性を欠くものと思われ る 。 経 済 政 策 と 計 画 経 済 の 採 用 ・ 強 化 の 下 に お か れ て い る 現 代 の 資 本 主 義 経 済 社 会 に お い て は 、 い わ ゆ る 恐 慌 ( の 号 山 田 と は 別 義 ﹀ な る も の は そ の 発 生 の 危 険 性 が 殆 ん 左 友 ︿ 、 も は や 彼 岸 的 友 も の と ・ な っ た 。 そ と で 経 済 変 動 、 景 気 変 動 、 恐 慌 等 々 の 用 語 の 概 念 規 定 に つ い て ふ れ ・ な け れ ば な ら ・ な い の で あ る が 、 そ れ は 後 自 に 謹 り た い 。 第 一 節 カ
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ル・マルクスの利潤率の傾向的低下の法則
マ ル ク ス は 、 資 本 主 義 経 済 社 会 に -お い て は 、 資 本 の 蓄 積 が 絶 え ず 行 わ れ る に つ れ 資 本 の 有 機 的 構 成 は 高 度 化 し 、 そ れ に 伴 っ て 利 潤 率 は 漸 次 低 下 す る 傾 向 が あ る と 提 唱 し た 。 マ ル ク ス は と の と と を ﹁ 一 般 的 利 潤 率 の 傾 向 的 低 下 の 法 則 ﹂ と 称 し 、 ﹁ 資 本 論 ﹂ 第 三 一 巻 第 三 篇 に お い て 諦 述 し て い る 。 本 節 に お い て は 、 先 ず と の 法 則 に 関 す る マ ル ク ス の 論 述 を 跡 づ け し 、 次 節 以 後 に お い て は 、 と の 法 則 を 若 干 抗 判 し 、 更 に と の 治 則 と 恐 龍 一 理 論 と の 関 連 を 吟 味 し て み た い と 思 う 。 マルクスはとの法則に閲して次のようにいう。﹁充用された生きた労働の分量は、モれによって運用させられる対象化された労働 l 生 産 的 に 消 費 さ れ た 生 産 手 段 l の 分 量 に 比 ぺ 絶 え す 糠 少 す る の で あ る か ら 、 ζ の生きた労働のうち不払であって剰余価値に対象化される部会もまた、充用された総資 本の価値量に対する比率において絶えず掠少するに違い友い。しかるに、充用された総資本の価値に対する剰余価値量の比率は利潤率をなすのでるる か ら 、 利 潤 率 は 絶 え ず 低 落 せ ざ る を 得 な い の で あ る 。 ζ の 法 則 段 、 ζ れ ま で に 展 開 さ れ た と と ろ に よ れ ば 簡 単 に 見 え る が 、 ζ の 治 則 一 を 発 見 す る と と は 、 後 段 で 見 る で あ ろ う 如 ︿ 、 従 来 の ど の 経 済 学 に よ ② っ て も 成 功 し た か っ た ﹂ と 。 マルクスによれば、各生産部門においての生産物は、費用価格(不変資本の消耗部分+可変資本﹀+平均利潤(剰余価値の平均)としての価格ハ産 価絡﹀で以って市場に販売される。それ酸、資本家は平均利潤だけしか後得するととができたい。しかるに、滋烈な競争を基調とする資本制生産にあ っては平均利潤を低減させる傾向があるから、資本家はとれを防止する為にも、更に競争に打勝つ為にも、できる限り生産費を切下げる努力を払わ怠 け れ ば 友 ら な い 。 そ ζ で今ある特定の資本家が、生産技術の改善を行い、新しい生産方法を採用して、著しく生産力を高め、従来と同一の労働時閣を以ってしてよ b 多 量 の 生 産 物 を 生 産 じ 得 た と 寸 抗 ば 、 マ ル ク ス の 価 値 法 則 ( 生 産 物 の 価 値 は そ の 生 産 に 必 要 た 労 働 の 量 に 正 比 例 じ 、 そ の 生 産 力 に 反 比 例 す る ) か ら 、 当然乙れらの生産の個別的価値は、同種生産部門における標準的生産力で以って生産されたととろの生産物の平均的・社会的価値よりも低廉と怒るの で る る 。 だ が マ ル ク ス に よ れ ば 、 と れ ら 特 定 の 生 産 物 が 、 市 場K
-おいては、社会的・平均的価値で販売され得るから、とこにおいてその特定の資本家 は 差 額 とL
て の 超 過 利 潤 即 ち ﹁ 特 別 剰 余 価 値 ﹂ を 取 得 し 得 る 6 けれども資本制生産においては、競争が絶えす行われているのでるるから、一人の資本家が平均以上の生産力をもって、生産して行︿ととは永続し た い 。 仰 の 資 本 家 も と れ に 追 従 す る か ら 、 聞 も も 仏 ︿ 今 ま で 一 人 の 資 本 家 だ け し か 有 し ・ な か っ た 生 産 力 は 社 会 一 般 の も の と 友 り 、 そ れ が 平 均 生 産 力 と た-45
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っ て 、 超 過 利 潤 は 消 滅 す る 。 し か し そ れ ・ ま で の 聞 は 、 最 初 の 資 本 家 は 超 過 利 潤 を 取 得 し 得 る 。 そ れ 故 資 本 家 は 有 利 た 地 位 に 立 た ん が 為 に は 、 絶 え ず 他 の 資 本 家 に 先 ん じ て 生 産 力 の 増 大 に 努 力 せ ざ る を 得 友 い 。 と の よ う た 関 係 に 対 し て マ ル ク ス は 次 の よ う に い っ て い る 。 ﹁ 利 調 率 が 低 下 す れ ば 、 一 方 で は 資 本 が 緊 張 す る の で あ り 、 か く し て 、 個 k の 資 本 家 政 改 良 さ れ た 方 法 等 々 に よ り 、 自 分 の 個 別 的 商 品 の 個 別 的 価 値 を そ の 社 会 的 ・ 平 均 的 価 値 以 下 に 低 下 さ せ 、 か く し て 、 与 え ら れ た 市 場 価 格 の 也 と で は あ る 特 別 利 潤 を 得 る 。 他 方 で は 、 一 般 的 ・ 平 均 的 利 潤 か ら 独 立 し た 、 か っ と れ を 超 過 す る 、 何 ら かの特別利害確保する君、新た差産方法、新たた投資、新妻冒険における熱狂的な試みによって塁、喜一般的な思惑禁字句一生 し か る に 労 働 の 生 産 カ を 高 め る 為 に 除 、 資 本 家 は 不 断 に よ り 一 困 層 の 資 本 の 答 積 を 行 円 高 性 能 を 有 す る 新 レ い 機 棋 を 導 入 し て 行 か た 出 り れ ば ・ な ら た い 。 他 方 労 働 の 生 産 力 が 高 ま る 放 ら ば 、 一 定 の 労 働 量 と 組 合 さ れ る 原 料 、 補 助 材 料 等 の 分 量 が 増 大 す る 。 従 っ て 一 定 の 生 産 物 に 対 し て 投 下 さ れ る と と る の 労 働 量 ハ 時 間 ﹀ が 相 対 的 に 樺 少 す る か ら 、 そ の 生 産 物 の 価 値 は 低 下 す る 。 か く し て 、 ﹁ 蓄 積 せ よ 、 蓄 積 せ よ ! と れ が モ 1 ゼ の 言 葉 で あ り 、 予 言 者 た ち の 言 葉 で
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る 。 ﹃ 勤 勉 は 、 節 約 に よ っ て 蓄 積 さ れ る 材 料 を 提 供 す る 。 ﹄ だ か ら 節 約 せ よ 、 節 約 せ よ 、 1 即 ち 剰 余 価 値 叉 は 剰 余 生 産 物 の う ち で ・ き る だ け 大 き た 都 多 を 資 本 に 再 転 化 せ よ ! 蓄 積 の 為 の 蓄 積 、 生 産 の 為 の 生 産 ! と の 範 式 に お い て 古 典 派 経 済 学 除 、 ブ ル ジ ョ ア 時 代 の 歴 史 的 使 命 を 語 っ た の で あ @ る ﹂ と い う の が 資 本 制 生 産 の 至 上 命 令 た ら ざ る を 得 友 く た る 。 をれ政資本の有機的構成(ヤ見もの高度化につれて、一定の可変資本2
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署されるぺき不変資本ハ定増大するのであるから、可変資本 の 分 量 と 剰 余 価 値 率 ん 搾 取 率H
ぼ ﹀ が 同 一 の 場 合 に は 、 利 潤 率 ( l b r ' ﹀ は 低 下 せ ざ る を 得 ・ な い 。 今 利 潤 率 を マ と す る と 、 問 。 。 + M g ︿ ・ = g z の 場 合 に ぐ の + く 除1
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とたり、資本の有機的構成が高度化するにつれて、利潤差益占低下するととがわかる。 次 に 利 調 率 を 表 示 す る 可 │ │ 件 ー た る 式 に つ い て 考 察 し て み よ う 。 ζ の 式 は 次 の よ う に 変 形 さ れ る J f │ 医 │ │ 冨 l E C +雪
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比例し、資本の有機的構成ハlpl)に反 ぐ ( の + J 3 く の + ︿ ・ ︿ 比 例 す る と と が わ か る の で あ る 。 放 に 剰 余 価 値 率 を 一 定 と 寸 仇 ぽ 、 資 本 の 有 機 的 構 成 が 高 度 化 す る に つ れ て 利 潤 率 は 低 下 す る 。 も し ・ 私 費 本 の 有 機 的 構 成h m
一 定 不 変 で あ る と 寸 抗 ぼ 、 利 潤 率 は 剰 余 価 値 率 が 高 い 程 大 と ・ 怒 る 。 と と ろ で 加 速 度 的 た 資 本 の 蓄 積 と と れ に 伴 う 生 産 力 の 向 上 除 、 一 方 に お い て は 資 本 の 有 機 的 構 成 の 高 度 化 を も た ら す で あ ろ う が 、 他 方 に お い て は 剰 余 価 値 率 の 何 程 か の 増 大 を も た ら す は ず で あ る 。 従 っ て 利 潤 率 が 低 下 す る 必 要 条 件 と し て は 、 資 本 の 有 機 的 構 成 の 高 度 化 か ら 結 果 す る 利 潤 率 の 低 下 を 相 殺 す る 程 に 、 剰 余 価 値 率 が 増 大 し ・ な い と と を 要 す る 。 利 潤 の 麓 得 が 動 機 で あ り 目 的 で あ り 出 発 点 で あ る と 同 時 に 帰 着 点 で あ る と と る の 資 本 制 生 産 に お い て は 、 相 調 率 の 低 下 は 資 本 家 の 最 盛 忌 避 す る と と ろ で あ る か ら 、 と れ を 阻 止 す る 為 に 資 本 家 段 、 資 本 の 蓄 積 を 増 加 す る と と に よ っ て 利 潤 の 絶 体 量 を 増 殖 す る と 共 に 、 他 方 剰 余 価 値 率 一 を 高 め 怠 け れ ば 友 噌 隆 明 庁 酬 慨 を 高 め る 為 在 、 労 働 日 ( 一 日 の 労 働 時 間 ) を 延 長 さ せ る と と に よ っ て い わ ゆ る 絶 対 ち な い 。 剰 余 価 億 率 聞 ち的剰余価値を大きくするか、あるいは労働の強化や熟練化等によって必要労働時聞を短縮しいわゆる相対的剰余価値を大き︿するかしたければたらた い。しかし友がら、一労働日の延長にはそれ自体労働者自身の生理的限界があって労働の能率を低下させるだけで友く‘労働条件の改善を企図した法律 や労働組合の対抗等の社会的制限がある為に、絶体的剰余価値の増大には限界がある。 他方相対的剰余価値の増大にも、労働の強化、熟練化、技術の改善・向上等は無限に可能ではたく制限されているから、とれ叉限界がある。 更に相対的剰余価値を増大させる為には、労働力の価値(労働力の再生産に必要友社会的・平均的労働時間﹀よりも賃銀︿労働者及がその家族を養 うのに要費する生活資料即ち賃謀財の価値によって決定される)を低減させるととも一つの手段であろうが、しかしとの場合にも制限があるから、こ の 手 段 は 重 要 視 で き た い 。 賃 銀 支 払 額 を 減 少 さ せ る た め に は 賃 銀 を 決 定 す る と こ ろ の 賃 銀 財 の 価 値 を 低 下 さ せ ・ な け れ ば ・ な ら ず 、 そ れ に は 賃 銀 財 の 価 値 即ちそれを生産するに必要た社会的・平均的労働時聞を短縮化するととを要する。だが賃銀財の中心である農産物を生産する農業部門段、他の部門よ りも一般的にいって、生産力は低滞的でるり、かつ収穫逓減の法則が作用するから、賃銀(賃銀財の価値﹀の切下げにはある一定の限界がある。 かくして、以上のよう友論理に立脚するならば、利潤率の傾向的低下の法則を容認せざるを得ないであろう。 ととろがマルクスによれば、利潤率低下傾向に反作用を及ぼす諸要因があるという。即ちマルクスは次のようにいっている。﹁もし仏とが、以前の す ぺ て の 時 代 と 比 較 し て 最 近 の 僅 か = 一
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年聞における社会的労働そのものの生産諸カの非常友発展そ考察するたらば、ととに、本来機械は別として社 会的生産過程の全体に入りとむ固定資本の非常な分量を考察するたらば、とれまで経済学者たちをとらえた難問、即ち利潤率の低落を説明せねばたら ・ な い と い う 難 問 の 代 り に 、 反 対 の 難 問 、 即 ち た ぜ と の 低 落 が よ り 急 速 で な い か を 説 明 し ・ な け れ ば ゑ ら た い と い う 難 問 が 現 わ れ る 。 逆 作 用 を す る 諸 勢 力 が働いていて、それがこの一般的法則の作用と交錯しかっそれを止揚し、モしてとれにただ一傾向たる性格のみを附加するーだからとそ我 k は一般的 @ 利潤率の低下を一つの傾向的低下と名づけたのだーに違いたい。とれらの原因中の最も一般的なものは次のものでるる。﹂ 即ちマルクスによれば、(一)労働の搾取度の増大、(二﹀労働力の価値以下への労賃の引下げ、会一)不変資本の諸要素の低廉化. 過 剰 人 口 、 ( 五 ) 対 外 商 業 、20
株 式 資 来 の 増 加 が こ れ で あ る 。 ..,-47ー
( 四 ) 相 対 的 ⑤ (一﹀については、マルクスは、﹁労働の搾取度、剰余労働及び剰余価値の取得は、就中労働日の延長及び労働の強化によって高められる﹂という に とE
め、それ以上立入った検討をしていないし、先ほど若干ふれたところであるから、とれ以上追求したいことにしよう。 。 一 ﹀ に 関 し て も 同 様 で あ る 。 ハ三)に関して、マルクスは次のようにいう。﹁総資本について見れば、不変資本の価値はその物質的数量と同じ比率では増加し友いというととが をれである。:::要約すれば、不変資本の不分量を変資本との比率において増加させるその同じ発展が、労働の生産力増大の結果として、不変資本の 諸要素の価値を減少させ、従って、不変資本の価値が絶えず増加するにしても l 可 変 資 本 の 物 質 的 数 量 、 即 ち 同 一 一 堂 の 労 働 力 に よ っ て 運 動 さ せ ら れ る ん一産手段の物質的数量、と同じ比率で増加することを阻止する。若干の場合には、不変資本の諸要素の分量が増加しても、その価値は同等不変叉はむ ⑨ し ろ 減 少 す る と と さ え る り 得 る ﹂ と 。 労働の生産力が高まり、従来と同一の労働時聞においてより多量の生産物が生産される、ならば、生産物の価値はその生産に必要友労働の量に正比例 しその生産力に反比例するというマルクスの価値理論からして、当然不変資本の価値は低際化するであろう。更に、マルクスは不変資本の諸要素の低廉化に関して次のようにいっている。﹁:::産業の発展につれて、既存の(即ちその質料的諸要素の)価値 識少が生ずる。乙のととも叉利潤率の低下を阻止するととろの絶えず作用する原因の一つである。ーもっともとれば、事情によっては、利潤を生む資 本 の 分 量 を 侵 害 す る と と に よ っ て 、 利 調 の 分 量 を 侵 害 す る の で あ る が 、 ζ の場合にもやはり、利潤率低下の傾向を生み出すその同じ諸原因が叉との領 @ 向 の 笑 現 を 緩 和 す る と い う 乙 と が わ か る ﹂ と 。 ととでマルクスが不変資本の価値を減ずる有力た要因として、会計学でいうと ζ ろのいわゆる減価償却に関連する問題を重要視していたととがわか る 。 現 代 に お い て 、 ζ の問題は極めて重要であるから、若干立入って検討するととにしよう。 い う ま で も 友 く 、 固 定 資 本 財 の 大 部 牙 は 引 続 い て 使 用 さ れ る う ち に 減 損 し 、 と れ を 廃 棄 し な け れ ば 友 ら た い 。 聞 ち 、 減 価 償 却 の 問 題 が 介 在 し て く る 。 ⑧ 固定資本財に生ずる減価はとれを経常減価 ( 3 0 司 自 由 戸 内 回
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に よ る 減 価 と 時 の 経 過( O
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6 明 仲 間 白 骨 ) に よ る 減 価 と が 含 め ら れ る 。 物 質 的 減 価 は 固 定 資 本 財 ︿ 固 定 生 産 設 備 で も よ い が ﹀ の 構 造 ・ 性 質 に よ る の み で 友 く 、 用 途 、 所 在 地 の 環 積 等により、叉立地条件例えば乾燥地とか湿潤地とか等によって腐朽の程度が異たる。 次に後者に属するものとしては、経済的・機能的減価(
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﹀とがこれである。不適応化とは、物自体として物質的にホ減損せず、叉陳腐化していないが、他の関係から 利用価値を失うものを意味する。例えば、従来工作機桜を製造していた農業が繊維産業に転換した為に、とれまで使用していた機械や道具等の固定 資 本 財 が 用 途 を 失 い 、 不 必 要 と -放 っ た 場 合 が と れ で あ る 。 旧式陳腐化に関してはいうまでもたく、流行の変遷、新発明叉は発見等により、従来の機械や道具・器具等の固定資本財が不経済となって行︿場合 を意味する。経済事情が絶えず変化し、科学・技術が著しく進歩して行き、発明・発見の相次いで起る今日の経済社会においては、 ζ の 旧 式 陳 腐 化 に よ る 減 価 が 最 も 顕 著 で あ る 。 資本家は、競争に打ち勝つ為にも、叉税金対策の為にも、固定資本財の減価償却を絶えず強行せざるを得ない。 かくして、一方では﹁蓄積せよ、蓄積せよ、これがモ 1 ゼの言葉であり、予言者たちの言葉である﹂というととが、他方では﹁減価償却せよ、減価 償却せよ、とれがモ l ゼの言葉であり、予言者たちの言葉である﹂というととが資本制生産の奈上命令たらざるを得たいのである。それ故、資本の蓄 積の増加に伴う資本の有機的構成の高度化は、絶えざる固定資本財ハ不変資本の一部分ではあるが)の価値廃棄によって、減殺される傾向がある。こ のととは必ずしも、今日の経済社会においてはそのまま妥当するとは限らないのでるるが、しかし全然無視すぺきものでも友い。 かくして利潤率の傾向的低下の法則は限定づけられるであろう。 利潤率の傾向的低下に対し反対に作用する要因としての第四の相対的過剰人口に関して、マルクスは産業予備軍の増大l
労働力の供給増加│賃銀の 切下げという意味において考慮していたように恩われるのであるが、今日では労働組合の勢力増大、労働立法等に基づき賃銀は硬直的であり、あるい はむしろ騰貴的傾向にb
る の が 現 状 で あ る か ら 、 ζ の 要 因 は 大 し て 重 要 で は 友 い 。 第五の対外商業(外国貿易)の要因に関して、マルクスは﹁対外商業が一部的に不変資本の諸要素を低廉化させ、又一部的に生活必需品 l 不 変 資 本が転態されるぺきーを低廉化させる限りでは、対外商業は利潤率を高める作用をする。けだしそれには、剰余価値率を高め、かつ不変資本の価値を誠 ⑨ 少させるからである﹂と述べている。聞ち外国貿易によって、外国から低廉た原材料や生活必需品を輸入し得る・ならば、一方では不変資本の諾要素が 低廉となり、他方では可変資本め要素たる賃銀問の価値が低下するから、利潤率は低下せず‘剰余価値率は高まるわけである。 更にマルクスは﹁対外商業に投下された資本が高い利潤率を生ずるのは、けだしとの場合には第一に生産能率の低い他国によって生産される商品と @ の競争が行われるからであり、かくしてより進歩した園は自国の商品を l 競争国よりも安くではあるがーその価値以上に売るからである﹂とする。 利潤率の煩向的低下を相殺する要因としての最後の株式資本の増加について、マルクスは﹁とれらの資本除、大きな生産的諸企業に投ぜられはする であろうが、るらゆる費用を控除すれば、大友り小怒りの利子、いわゆる面当しか法一じ友いという意味においてである。:::けだし、それらは平均利 @ 潤率よりも僅かたもむしか生じたいから﹂といっている。即ち、資本の蓄積の増加は利潤(剰余価値﹀の絶対量を増殖させるのに対し、組員付資本に対 して支払われる利子、機式資本に対して支払われる国当はそれ程増加せず限
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れているのであるから、ととに資本家は利潤の増殖を可能にし得るわけ で あ る 。 以よの如︿にして、反対諸要因の存在は利潤率の傾向的低下を相殺する作用を有するのでるる。しかしながら、マルクスはそれによって利潤率の傾 向 的 低 下 が 完 全 に 相 殺 さ れ る と は 考 え て い ・ な か っ た よ う で る る 。 -49-② w n 同 吋 同Z
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・ 長 谷 部 訳 、 前 恒 調 書 ‘ 一 九 三 河 一 四 一 汗 ⑨ ⑨ @ ⑥ @ @ ⑧ ⑨ ⑮ @第二筒
カール・マルクスの利潤率の傾向的低下の法則に対する批判
上 述 し た マ ル ク ス の 利 潤 率 の 傾 向 的 低 下 の 法 則 に 対 し 、 次 の 四 つ の 論 点 か ら 、 と れ を 批 判 し て み た い と 思 う 。 先ず第一には、資本の蓄積増大に基づくととろの資本の有機的構成の高度化は、絶えざる固定資本財の減価償却によって相殺される傾向がるり、従 っ て 必 ず し も 資 本 の 有 機 的 構 成 は 漸 次 高 度 化 す る と は 限 ら た い 。 第二に、現実の資本主義経済社会においての利潤及び利潤率の問題に関しては、価値概念の次元に倖迷する限 hy 、 と の 問 題 を 解 明 し 得 ず 、 価 格 概 念 の 次 元 に 立 脚 し て 解 明 し 怠 け れ ば な ら 友 い 。 み ﹄ れ 故 、 利 潤 率 の 変 動 は と れ を 需 要 と 供 給 、 貨 幣 の 数 量 と 購 買 力 等 と 関 連 さ せ て 考 察 し た け れ ば 友 ら 友 い 第 一 二 に 、 第 二 の 場 合 に 立 脚 す れ ば 、 可 変 資 本 だ け で は た く 不 変 資 本 も 叉 利 潤 を 増 殖 し 、 従 っ て 不 変 資 本 も 叉 可 変 資 本 で あ る と 考 え ら れ る 。 第四に、現実の資本主義経済社会における市場形態は、巨視的分析から守抗ば、完全競争市場と完全独占との中聞に位する不完全競争市場であって 企 業 ( 独 占 企 業 ) は 独 占 力 を 行 使 す る と と に よ っ て 価 格 を 左 右 し か っ 利 潤 率 の 一 低 下 を 阻 止 し 得 る 。 かかる論点とは別個に、スウイージー耳ひロビンソンはマルクスの説いた利潤率傾向的低下の法則の重要な欠陥を指摘しており、とれについては後 ほ ど 検 討 す る こ と に し よ う 。 右 の 第 一 の 論 点 に つ い て は 、 素 朴 ・ な が ら 既 に ふ れ た と と ろ で あ る か ら 、 と と で は 再 び 繰 、 事 合 友 い と と に す る 。 第 二 の 論 点 に つ い て は 、 利 潤 率 と 価 値 ・ 価 格 理 論 と の 問 題 で あ り 、 本 論 文 の 婚 外 に あ る か ら 、 極 め て 簡 単 に 検 討 す る と と に し よ う 。 今日に至るまでの主要た価値学説としては、労働価値説・生産費説及び限界効用学説の三つが挙げられる。とれらのうち生産費説は商品(生産物で もよいが﹀の交換価値は生産要素の交換価値より構成されるという学説であるから、とれは明らかに価値は価値より友るといういわゆる循環論法に陥 っており、価値そのものの本質を説明し得ない。従って重要な価値学説としては、労働価値説と限界効用学説の二つでるる。との両者は会ミ対僻的で あ り 互 に 自 己 の 正 し さ を 主 張 し て や ま た い 。 労 働 価 償 説 は 最 初 か ら 研 究 の 対 象 を 労 働 の 要 因 に 限 定 し 、 価 値 が 労 働 の 易 量 ( 時 問 、 ﹀ に よ っ て 決 定 さ れ る と 主 張 す る b し か し ・ な が ら 稀 少 財 の ご と ︿ 労 働 の 分 量 を 多 ︿ 包 含 し て い な い で も 、 高 い 価 値 ・ 価 格 を 有 し て い る 経 験 的 事 実 を 十 分 に 説 明 し 得 た い 難 点 が あ る 。 更に消費者叉は需要者側の事情を無視し、生産者側叉は供給者側の事情しか考慮し得たいという難点もある。たとえ労働を投下して生産した生産物 でも、とれに対する需要文は消費欲望が伴わない友らば、価値・価格を有し得たいはずで - b る 。 マ ル ク ス は い う 。 ﹁ い か ・ な る 物 も 、 使 用 対 象 で あ る と となしには価値ではるり得友い。物が無用であれば、それに含まれている労働も叉無用であり、労働としては計算にはいらず、従って何らの価値も形 ② 成 し た い ﹂ と 。 盆産者側が労働者を雇い、労働を投下して商品を生産しかっ市場に供給する前に、消費者側の消費欲望、又は効用を考慮せず全く無視して生産活動 を 営 み 得 る と い う と と は 現 実 に お い て は 殆 ん ど あ り 得 な い で あ ろ う 。 ス ウ イ ー ジ ー は い う 。 ﹁ : : : 量 的 価 値 の 問 題 は 、 単 怠 る 交 換 比 率 の 問 題 よ り も 、 も っ と 広 い も の で あ り 、 そ し て そ れ は 、 商 品 生 産 の 社 会 に お け る 具 象る生産領域への、社会的労働力の量的分闘の研第をも包含している。とのように問題を広︿考えると、消費者の需要は、もはや考慮のそとにお︿と と は で き た い 。 例 え ば 、 鹿 が 品 会 の 主 要 食 糧 と 友 っ て い る と き 、 ピ l ヴ ァ は 毛 皮 の 帽 子 の 製 造 に し か 用 い ら れ た い と す れ ば 、 は る か に 多 ︿ の 労 働 は 、 ピ 1 ヴァの狩猟よりも鹿狩につきとまれるでるろう。従って、我 A が交換比率及び労働の担分の両者を知りたいと望むたらば、二種の知識を必要とす② る 。 第 一
K
.
ピ 1 ヴァと蕗との相対的労働費用に関する知識。第二に、ピ l ヴ T と鹿とに対する需要の相対的強度に関する知識。﹂ マルクスの労働価値説によれば、商品の価値の原固たいし実体は抽象的な人間労働でるり、その量的決定は商品を生産するのに必要た社会的・平均 的労働の易量(時間﹀に依拠するというのでるるが、しかしながら、個 k の商品に投下された労働は、全︿質的に異たる具体的有用労働 ( 1 単純・複 雑労働、熟練、不熟練労働等)であるにもかかわらず、それを如何にして抽象的友人間労働に還元し得るかが問題である。更に社会的・平繍的必要労 働 時 聞 を 如 何 に し て 科 学 的 に 測 定 す る か も 問 題 で あ る 。 次に限界効用学説によれば、商品の価値は限界効用によって決定されるとするのであるが、しかしたがら、現実には、効用は各人によって主観的で あ り 、 と れ を 数 量 化 す る と と は 不 可 能 で あ ろ う 。 換 言 す れ ば 効 用 測 定 の 問 題 に よ っ て 均 一 折 ず る の で る る 。 単に各人の効用を機械的に総計してみたととろで、統一的・有機的な社会現象としての交換価値や価格は生じてと友い。 かくして今日に至るまで、価値の量的決定を完全に説明し得る価値学説はた︿、何れの学説にも欠点がつきまとっている。だからとそ資本主義経済 社会にゐける複雑多岐法商品の交換現象は価値概念の次元に低迷し拘泥する限り、十牙に説明され得友いのであって、価格概念の次元において取扱わ れ た け れ ば 友 ら た い で あ ろ う 。 事実商品は価格の変化を媒介として交換され、交換手段、価値尺度、価値保蔵手段等の機能を有する貨幣の一定数量によって表示されている。勿論 商品の価値が変位すれば、価格段変化するのであるが、しかし叉貨幣の数量や購買力(価値)、盛帽姿と供給等の関係如何によって変化する﹃殊に需要 ' c 供 給 と の 関 係 が 重 要 で る る 。 しかして価値理論と価格現論とは次元を具にし、かつ両者は別個の問題である。資本主義経済社会に・おいての利潤率の変化に関しては、価格理論か ら 説 明 し た け れ ば 怒 ら な い 。 との点に関してスウイージーは次のようにいう。﹁価値計算や価績の価格への転化に関連した一群の問題は、余計なととだといわれるかもしれな い 。 現 実 の 世 界 は 価 格 計 算 の 世 界 た の だ か ら 、 な ぜ 最 初 か ら 価 格 で も っ て 論 じ な い の か と 。 マルクス主義者は、安んじてとの見解をるる程度まで認めるととができる。取り上げられた問題が、経済制度のなかの別 A の要素(個別商品の価格 特定資本家の利潤、個別企業における生産要素の組合せ等々﹀の動きに関するものである限 hy 、価格計算は殆んど助けにたら友いというととは、疑う 余地はたいようである。正統派の経済学者たちは、との半世紀の間叉はそれ以上にわたって、 ζ の種の問題に非常にカを入れてきた。彼等はとの領域 ③ で除、マルクスや彼の後継者たちとみられるどれよりも一種の価格理論を発展させている﹂と。 ととろでマルクスによれば、労働価値説は資本主義社会に先行する単純商品生産社会の下でのみ純粋に妥当するとする。しからば、マルクスの価値 理 論 は 資 本 主 義 社 会 の 下 で は い ζ の よ う に 妥 当 す る で あ ろ う か 。 資本主義における各種の生産部門はすぺて資本の有機的構成・私脅本の回転速度も異たるから利潤はすぺて異たる。しかるに競争の結果高い租潤率の 部門へは資本と労働とが流れその部門の産出量は増加するととに友り、価格が下落して利潤率は低下する。低い利潤率の部門からは資本と労働とが引 上げられ、供給は減少するから、価格が騰貴して利潤率は上昇する。その結果一般的・平均的友利潤率が成立する。 かくして平均利潤率が成立するとす仇ば、各生産部門の生産物の価値と価格とが一致しないととになり、価値法則は妥当したいかのよ AYK 思われる -51~が、しかしマルクスによれば各生産部門の生産物は費用価格︿不変資本の消耗部分
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・ + 可 変 資 本 V ) に平均利潤(剰余価値の平均)を加えたいわゆ る生産価格で販売される。マルクスは・五つの生産部門を掲げた表を以ってとの関係を説明しており、個別生産物が生産価格で販売されると価値と価 格とは異たるが‘生産価格合計と価値 AP 討とが一致し、更に平均利潤合計と剰余価値 A E H りとも一致しているから、価値理論はとの意味において貫徹さ @ ・ れ て い る と 主 張 す る 。 し か し た が ら 、 我 k は現実において個別的危価値・価格・利潤を問題としているのであって、とれら各 k の合計を問題としいるのではない。生産物 の価格は資本の消耗部込町と平均利潤との合計聞ち生産価格によって決定されるというマルクスの価格理論を以ってしては、労働の分量からでは価格は 決定されないととにたる。とれは労働価値説と矛盾しているであろうという非難も一応首肯し得るところである。 以 上 の ζ とからして、現実の資本主義経済社会においての利潤率に関しては、価格理論の次元において問題としたければたらたい。価格理論の次元 においては、労働や効用は価格決定諸要因の極く一部分作過が干、価値理論では妥当したかった生産費説は価格決定に関する有力た学説となってくる の で る る 。 しかしたがら、価格決定の最も有力な要因は需要&供給との関係である。マルクスはいう。 ﹁ : : : 需 要 と 供 給 と の 関 係 は 、 一 方 で は 、 市 場 価 値 か ら ③ の市場価格の諸背畿を説明する作過ぎず、他方では、との背離の止揚への、即ち需要供給の関係の作用の止揚への、傾向を説明する作過ぎない﹂と。 今ある自動車工場において、同一の機械及び原材料を使用し、同一の平均的・社会的必要労働時間(分量)を投下して、二台の自動車を生産したも のと仮定しよう。もしもとのうち一台は時代の尖端を行︿最新式型の自動車であるとし、他は時代遅れした旧式型の自動車であるとすれば、明らかに 前者の方が需要、効用、販売価格、利潤等は優るであろう c マルクスが理論を展開するに当って、何故消費や需要の要因を軽視したかについて、スウイージーは次のようにいう。﹁マルクスが社会的労働の配 置の決定に際して、需要の寓する役割をそれほど明瞭手認めていた放らば彼の体系的友理論的構造のたかで、何故に彼は、 ζ の要因(需要)をかくも 簡単に・そして見方によっては気まぐれにとり扱ったかと問われるであろう。何故にマルクスは、彼の同時代人であったジェヴオンズ・ワルラス e メ シガーらの線に沿って、消費者選択の理論の展開を行わ友かったのであろうか。マルクスが、との問題を無視したかにみえるととについては、二つの 根 本 的 た 理 由 が あ る の で あ る 。 第 一 昨 札 、 資 本 主 義 の 下 で は 、 有 効 需 要 は 、 部 分 的 に の み 消 費 者 欲 望 の 問 題 で あ る 。 も っ と 重 要 友 の は 、 所 得 込 町 国 の 基 本 的 友 問 題 で あ っ て 、 そ れ は 更 に さ か の ぼ れ ば 、 生 産 関 係 の 反 映 で る り 、 換 言 寸 抗 ば 、 マ ル ク ス 、 豆 義 者 た ち の い う 社 会 の 階 級 構 造 の 反 映 で あ る 。 : : : そ ζ で 第 二 の 要 因 が 考 慮 に 入 れ ら れ ゑ け . は た ら た い 。 も っ と は っ き り い え ば 、 彼 は ﹃ 資 本 論 ﹂K
-おいて、﹃近代社会の経済的運動法則﹄の究明を行 っ て き た の で あ る 。 : ・ : ・ マ ル ク ス が 、 消 費 者 欲 望 を 社 会 生 活 に 治 け る 受 動 的 要 素 の 範 ち ゅ う に 属 す る も の と 考 え た と と は 、 明 ら か で あ る 。 欲 望 は 、 そ れが基本的友生物学的・物理学的必要より生じたものではたい限り、社会の技術的並びに制度的た発展の反映であって、その逆では永い。﹃物質的生 活の生産様式段、社会的・政治的耳ひ精神的友生活過程一般を制約する。人聞の意識が彼等の存在を規定するものでは友くして、なしろ逆に、彼等の 社会的友存在が彼等の意識を規定するのである。﹄もしも人が経済的変化に関心をもったらば、そしてもしも人が主観的要因たるものは、との変化の 過程においては、本質的には受動的役割しか演じたいという見解をとる怒らば、人はマルクスが行った如︿消費者欲望を無視したととは正しかったと⑥ 認 め ざ る を 得 ・ な い よ う で あ る ﹂ と 。 スウイージーはとのようにマルクスを擁護しているのであるが、しかしマルクスが価値環論を敷引するに当して、需要や消費の要因を無視し、供給 や 生 産 あ る い は 労 働 の 要 因 を 重 要 視 し た の は 何 か の 信 念 的 な も の あ る い は 先 入 主 的 た も の が あ っ た か ら で は ・ な か ろ う か 。 いづれにしても、利潤率は価格理論に立脚して考察されなければ友らず、価格は需要の供給との関係から決定されるのであるから、利潤率は有効需 要如何によって変化し、そして叉有効需要は概していえは景気変動如何によって変化するのであるから、かくして利潤率は景売変動と関連させて吟味 し 友 け れ ば 友 ら -友 い で る ろ う 。 第三の論点ハ利潤翠と不変資本﹀ マルクスによれば剰余価値ハ利潤)は労働者の提供する労働力が価偵以上の使用価値を作り出すととから生ずる。労働者が労働力の価値だけで労 働を中止すれば、剰余価値は生じてとたい。従って剰余価値は労働者からの搾取の上に成立するとマルクスは主張する。との見解は一一閣の真理として 妥当するのであるが、しかし労働力(労働者の提供する)のみが剰余価債券}もたらすというのは誇張では友かろうか。何故ならば、マルクスの価値理 論は、剰余価値が労働力によって生み出されると主張し・ながら、資本家(厳密には企業家だが)の生産的機能を等問視しているからである。資本家は 生産の企画を行い、生産要素を調達し、指揮・監替・命令・組織編成等の労務管理、広義には経雷管理を行うのであって、との種の高級にして複雑た 精 神 労 働 力 拡 単 な る 貿 相 続 労 働 者 の 提 供 す る 労 働 力 の 数 百 倍 に も 達 す る の で は ・ な か ろ う か 。 と れ は あ た か も オ ー ケ ス ト ラ の 指 揮 者 ( 楽 譜 長 と も い う ぺ き か)の如くである。従って資本家の労働力もまた剰余価値を生み出す原動力でるると考え友くては友ら友い l 、更にか︿考える友らば一般的労働力と の 等 質 化 の 問 題 は 益 々 困 難 と た っ て ︿ る で あ ろ う 。 更 に ま た 各 工 場 内 の 各 生 産 工 程 に -お け る 労 働 者 相 互 間 の 協 業 に よ っ て 構 成 さ れ る 特 殊 一 念 盆 産 カ 即 ち マ ル ク ス の い う ﹁ 労 働 の 社 会 的 生 産 力 ﹂ - t u る い は ﹁ 社 会 的 労 働 の 生 産 力 ﹂ は 、 個 々 別 k に 分 隊 し た 相 場 合 の 労 働 者 の 提 供 す る 労 働 力 よ り も 著 し い 価 値 従 っ て 剰 余 価 値 の 増 殖 を も た ら す 怯 ず で あ り 、 か か る価値増殖の所以は労働者の労働力のみに帰すぺきでは友く、労働者をかく組織し編成するととろの資本家たちの手腕あるいは労働力に帰すぺきであ 九 ず っ 。 次に果して、人聞の労働力のみが利潤を生み出し、機械・車両遼搬具・道具・器具・備品等の不変資本(とのうち特に機被そ考えてみれば﹀は利潤 を 生 み 出 さ 友 い か 否 か に つ い て 検 討 す る と と に し よ う 。 マルクスは、資本財購入の為に投下された資本部 a u は、その資本財が有する価値量を不変のまま生産物に移転する作過ぎたいから、それを不変資本 正 称 し 、 労 働 力 の 購 入 に あ て ら れ た 資 本 部 分 は 価 値 を 生 み 出 し 増 殖 す る か ら ( す な わ ち 可 変 的 友 も の で る る か ら ﹀ 、 そ れ を 可 変 資 本 と 称 し た 。 寸 ' -な わ ちマルクスはいう。﹁かくして、資本のうち諸生産手段に 1 すなわち、原料、補助材料及び労働手段に l 自らを転態する部分は、生産過程でその価伎 の大いさを変じない。だから私は、とれを不変資本部分あるいはより簡単に不変資本と名づける。 とれに反し、資本のうちで労働力に自らを転態する部会は、生産過程においてその価格(の大いさ ν を 突 す る 。 ζ の部分は、それ自身の等価と、そ
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れ以上のある超過分すなわち剰余価値 l それは変動するのであって、増加するとととも減少するとともあり得る!とを、再生産する。資本のとの部分 @ は一つの不変量から一つの可変量にたえず転化する。だから私は、とれを可変資本部分、あるいはより簡単に可変資本と名づける﹂と。 しかしながら、価格理論の次元に立脚して考える友らば、可変資本のみでたく不変資本も叉利潤を生み出すのではないだろうか(価値理論の次元に 立脚する友らば、不変資本も叉剰余価値を生み出すか
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う か に つ い て 即 答 し か ね る ﹀ 。 一般的にいって、各企業の総利潤は総収入から総生産費を控除した残額であり、総利潤率はこの総利潤を総資本で除した商であるハマルクスの利 潤 率 を 表 示 す る 式 │ 陪 ー も 叉 価 格 理 論 に 立 脚 す る 友 包 ば 妥 当 す る で あ ろ う ﹀ 。。 +
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資本家はできる限り多くの利潤を獲得する為には、多量の生産物を高価格で売却して売上高(広義には収入)の絶対量を増加させるかあるいは更に 生 産 費 を で き る 限 り 切 下 げ す る か し ・ な け れ ば 友 ら な い 。 前 者 の 目 的 を 達 成 し 得 る 為 に は 先 ず 以 っ て 有 効 需 要 が 大 で た け れ ば た ら ・ な い か ら 、 と と で は ふ れ な い ζ と に し て 後 者 の 場 合 に つ い て の み 検 討 す る と と に し よ う 。 生 産 由 貿 の 切 下 げ に 関 し て は 、 大 量 生 産 の 法 則 並 び に 大 規 康 生 産 の 法 則 友 考 慮 し ・ な け れ ば ・ な ら 友 い 。 売 す 前 者 か ら 出 発 す れ ば 、 一 定 規 模 の 生 産 設 備 と 一定の生産方法の下に、生産数量ハ産出量﹀を増加させるたらぽ、ある限度(平均生産費の最低点 I 長適操業点)までは平均生産費が低下する。との 関 連 は 素 朴 ・ な が ら 、 同n
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︿ ( K 1 生 産 物 一 単 位 当 り 生 産 費 、C
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総 不 変 費 用 、 MH 総 産 出 量 、 VH 生産物一単位当り可変費用﹀なる式によって V 向 一 示 さ れ 得 る 。 次 に 大 規 模 生 産 の 法 則 -な い し 大 規 模 生 産 の 有 利 性 に つ い て 考 察 し よ う 二 般 的 に い っ て 生 産 規 模 の 拡 大 、 生 産 技 術 の 改 善 等 は 平 均 生 産 費 を 通 被 さ せ 、 ⑧ 最適操業点を小規模の企業よりもより低下させる傾向がある。そとで広義における大規模生産の有利性を一ぺつしておとう。 ハA ) 生 産 技 術 上 の 利 益 大量の資本投下を必要とする環境の美化、福利厚生設備及び技術養成機関の設置等は著しく労働の生産力を高めるととが可能であるが、より一層重 要 な の は 機 械 化 に よ る 生 産 力 向 上 の 問 題 で あ る 。 工業の大規模化をもたらすととろの生産の機織化は、(一)先ず生産物の品質上においてハ a ﹀純粋労働によっては絶体的に不可能た大型の製品を 生 産 す る と と を 可 能 ・ な わ し め る だ け で 放 く 、 ( B ) 製品の正確性、るるいは均一性 l 斉 一 性 を も た ら し ハ 二 ) 次 に 叉 生 産 の ( A ) 連 続 性 ( B ) 迅 速 性 を 与 え る ζ とによって大量生産の利益を実現し得る。機械はただ単に労働力を節約するだけでは放く、機械力そのものによって純粋労働とは比較にな ら ゑ い ほ ど の 生 産 能 率 1 労 働 生 産 力 ル 書 し く 高 め る 。 ところでかよう友諸種の利益を最もよく享受し得るのは、大規模生産設備を有するととろの大工場に限られるのである。しかしながら、もとより大 規模生産の有利性を考察するに当つては、左に挙げるよう友より具体的放諸種の有利性が存在するととを看過してはなら友い Q ハ イ ﹀ 大 容 積 の 物 理 的 法 則 に よ る 利 益 物 混 的 に い っ て A と B の 容 器 を 製 作 す る 場 合 、 B は A の 縦 ・ 横 ・ 高 さ の 各 K の 二 倍 で あ る と す れ ば 、 八 倍 の 容 積 を 有 す る と と に 放 る 。 B の 製 作 に 必 要 な 鉄 板 の 面 積 は A の四倍であり、かつ構造材料も大体 A の四倍で足りると考えられるから、ことに二倍の利益が得られる。しかもとれに高温叉は低 湿 の 物 質 を 容 れ る 場 合 、 熟 の 損 失 は 壁 の 面 積 に 比 例 す る か ら 容 積 の 大 き い も の ほ 左 有 利 な わ け で あ る 。-般に犠械に投下される固定資本が算術級数的に増加するとき、その能率は幾何級数的に増加し、単位当りの生産費は低下するといわれているハ一耐 用 年 数 の 問 題 を 捨 象 ) 。 ハ ロ ﹀ 倍 数 均 衡 の 法 則 に よ る 利 益 一 ヱ 場 に お け る 幾 段 か ら の 生 産 工 程 に 使 用 さ れ る 諸 種 む 各 機 械 は 、 そ れ ぞ れ 能 力 を 具 に す る か ら 、 そ れ ら の 各 能 力 を で き る 限 り 、 無 駄 の ・ な い よ う に 働かす必要がある。その為には、各生産段階に属する諸種の機織を金工程としては各能力の最小公倍数となるように配置したければなら友い。とれが 傍 数 均 衡 の 法 則 ( 甲 回 目
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同自己2
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﹀ と 呼 ば れ て い る 。 例えば、第一工程除手工により労働者一人当り毎週五O
単位の能力であり、第こエ程は半自動式機織一台当り毎週六OO
単位の能力であり、第三工 程 は 自 動 式 機 織 一 台 当 h v毎 週 一O
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単 位 の 能 力 で ・ あ る と す れ ば 、 と の 場 合 、 生 産 設 備 能 力 を 全 体 と し て 無 駄 が た い よ う に 発 揮 さ せ る 為 に は 、 倍 数 均 鵬 閣 の 治 則 に よ っ で 、 第 一 工 程 は 労 働 者 を 六O
人とし、第二工程堅守自動式機載を五台とし、第三工程は自動式機械を三台とし、各工程が三n
円以U 単 位 の能力をもつようにしなければたら一たいわけである。とのことは生建設備@大規模化主義し、との法則に適うほ h F ﹂ 各 設 備 能 力 は よ り 効 率 的 作 運 営 さ れ る と と に た る 。 ハ ハ V 一 貫 作 業 に よ る 利 益 次 に 一 貫 作 業 ( 同2 0
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による生産費の節約も大規模生産設備において始めて有利に実現するととができる。それは鉄鋼業におけるいわゆる 鉄 鋼 一 貫 体 業 に よ っ て ‘ よ く 例 証 さ れ て い る 。 元来、鉄鋼業という場合には、製鉄業と製鋼業との二大作業部門がその内に合まれている。ところが、とのよう危製鋼作業を製鉄H製銑作業正一貫 して連続的に行う場合には、核炭炉・熔鉱炉のガスを製鋼炉の燃料とし、るるいは各圧延工場の動力用発電に利用するととができるだけで放く、一旦 冷却した銑鉄・鏑塊を再加熱するととをも省くことにたるから大いに熱を節約する ζ と が で き る わ け で あ る 。 以上にわたって、大規模生産についての、生産技術上からの澗益を具体的に考案したわけであるが、次に経営経済上の利益について簡単にふれてお ⑨ と う 。 -õ5~ ( B ﹀経官経済上の利益 ︿ イ ) 原 材 料 購 入 費 の 節 約 一般的にいって、大規模生産者はその必要原材料の購入価格を割安にする可能性が多い。何となれば、大量の原材料購入段、とれら販売する者にと ヲては‘販売上の手数を省き、費用を節約するととができるからである。そして、実際問題としても原材料の大量購入者は原材料の品質に関しても、 自分にとって有利友条件を満たし得る可能性を多く有している。しか本原材料購入の機関 l 仕入部は専門的に市場の調査、品質、価格の研究放左を科 学的に行うととができるという可能性を持っているのでるり、叉たとえその為に可成りの費用がかかるとしても、それは大量の原材料に細分化して賦 課 さ れ 得 あ か ら . 、 大 し た 負 担 に も な ら た い と い う 利 益 が あ る 。 ( ロ ) 販 売 費 の 節 約 大規模生産者はその製品に関しで心理的に一般消費者の信用を憎し易いから、その当然の結果として広告費 l 販 売 費 を 節 約 す る と と が 再 能 で あ る 。文たとい可成り巨額の広告費を使ったとしても、その費用は大量の販売製品に賦課され、細分化され得るという利益がある。 ハ ハ ) 運 賃 の 節 約 原材料の購入、製品の販売の為に、それらを運送する場合においても、大口の運送を行う大規模生産者は比較的低廉た料会を支払う場合が多いとい う と と が 一 般 的 事 実 と 放 っ て い る 。 ハ ニ ) 金 融 上 の 利 益 現代資本主義経済社会において、大規模生産設備を擁する企業は、殆んどすぺて株式会社の企業形態をとっており、その資産状態、経営状態も社会 に対して公示するから、対外的友信用が頗る厚い。しかも、叉その大規模生産設備に基づく物的担保能力が大きいのでるるから、金融上に沿いて絶体 的危強味をもっている。す友わち、株式の募集、社債の発行、銀行からの低利資本の借入たどの恩恵に比較的容易に浴するととができるのである。 以上において、不変資本及ひ大規模生産の有利性と生産費との関連を考察したのであるがいづれにせよ、価格環論からすれば、可変資本のみが利潤 を生み出すとは限らたいといろことが、素朴放がら論証されたと思う。 第四の論点(利潤率と独占) 現実の資本主義経済社会における市場形態は、完全競争市場と完全独占市場との中間形態たる不完会競争市場であり、個々の経済主体は多少とも独 占 カ を 行 使 し 得 る 状 態 に あ る 。 独 占 と は 、 -一 言 に 附 せ ば 、 個 k の経済主体が価格を左右し得る状態を意味する。市場が不完全である怒らば、市場にお ける競争は制限されているから、個 K の経済主体の行動様式は完全競争市場の場合と自ら異なっている。す放わち、個 k の経済主体は、市場価格を与 えられたものとしてではたく、利潤(又は効用凶を極大ならしめる行為によって所与の条件のポに市場価格及び供給量又は需要量を決定し得る地位に あ る 。 をとで不完会麗争市場が成立する事情を一検討しよう。生産物の供給者としての企業ないし生産者数を少数たらしめるのは、先ず向然的に石油、石炭 鉄鉱石な H との埋蔵資源が地域的に限定されている場合である。かかる場合、少数の生産者のみしか資源の採掘に従事し得たいから、新資源が発見され た い 限 hv 、新た友競争者の出現する余地は殆んど友い。かかる自然的独占の他に、例えば公益上の理白から法律によってある種の事業の競争者を制限 するとか、るるいは又特許権放左によって特定の生産物の生産が法律上保護されている場合にも生産者数は少数でるる。けれども自然的独占及び訟律 的独占粍もまして重要訟の除、純粋の経済的理由に基づ会占の場合であるが、 ζ れに関しては後程検封しよう。その他社会的・経済的理由からも多 数の競争的企業の存在する余地の極めて少い場合がある。例えば、電力・鉄道・瓦斯・水道のような、いわゆる公益事業のように技術的にみても叉経 梼的にみても大規模生産を余儀たくされる産業において、極く少数の生産者が最適規模の生産あるいはそれ以下の生産を行うだけで市場需要を十分に 売 し 得 る と す れ ば 、 市 場 需 要 に 急 激 た 変 化 が 起 ら た い 限 り 、 新 わ し い 競 争 者 の 出 現 す 。 る 余 地 が 殆 ん
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た い σ e と れ と 別 の 角 度 か ら 市 場 が 不 完 全 た 場 合 を 検 討 し よ う 。 同じ種類に属すると認められる生産物でも買手の立場からみて同質的・なものと認められない為に、買手が特定の売手を選好するとすれば、個々の売 手除、自己の供給する生産物に対して選好をもっ買手群からある一定の市場、いい換えればチエみパりン(のr
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﹀のいわゆる生産物⑮ の 分 化
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ゲ ロ n 神 仏 刊 均 四 時 開 H H広 三 回 Oロ ) が 生 じ て く る 。 そ れ で は こ の 生 産 物 の 分 化 は 如 何 に し て 生 ず る の で あ る う か 。 第一にあげるべきは輸送費の存在である。生産物の売手である生産者は、通常異・なった地点に位置しているから、そとから消費者の手許に生産物を 輸送するわに-定の費用を必要とする。従って個々の売手は比較的地理的に近接ヲる寅手群から成るそれぞれの市場を有するであろう。更に買手は地 理的に隠っているという理由からだけで近接する売手を選好するであろう。かくして、競争者の生産物が特定の売手の有する市場に流入するととがる る程度限止されるから、かかる地位にある売手は、自己の生産物の価格を幾分引よげたとしても販路のすぺてを失うととはない。もちろん生産物の生 産費のうち輸送費の占める割合が極めて僅かである場合には、輸送費の存在に基づく独占的要素はそれほど重要ではたい。 特定の売手を選好する第二の事情は、市場の状犯に対する買手の知識の不完全にある。買手は慣習的に購入している売手のほかに、ほぼ同じ種類に 属するとみられる商品を供給している売手の存在することを、あるいは他の売手の・つける価格又は商品の品質などについて十分の知識をもっていたい か も 知 れ 友 い 。 ζ の よ う た 場 合 に も 、 あ る 売 手 が 価 格 を い く ら 引 ・ よ げ た と し て も 、 買 手 は す ぺ て ほ か の 売 手 が そ の 商 品 と 品 質 に お い て 同 じ で る り -な が らも、より安い価格で供給していることを知らないから、価格を引上げた売手は顧客の全部を失う ζ とがたい。通信機関の発達や広告な主によって市 場に対する買手の知識が発達するに伴い、かかる事情に基づく独占的要素も漸次その重要性を突いつつあるけれ左も、今日ですら市場に対する買手の 知 識 は 完 全 で あ る と は い え 友 い 。 第三にあげるぺきは、同じ種類に属するとみられる商品について品質、外形又は販売条件たどの点で買手からみて主観的にも差異が認められる場合 である。商標・商号・殴れん・包装・容量の相違、商品そのものの質的相違、底舗のふん閤気やかけ売り、月賦制・回途制、など顧客に対するサ I ヴ ィ ス、宿主叉は后員との個人的ったがりなどの販売条件の差異も、貿手をして特定の売手を選好せしめる。同じ夏目飯石の作品でも、ある特定の文庫版 を 愛 好 す る と い う よ 念 場 合 は 、 そ の 一 例 で あ る 。 以上において不完全競争市場が成立する事情を検討したのであるが、次に独占価格と利潤とに関ナる常識的な問題をとり上げて吟味しよう︿専門的 関 論 は 捨 象 ) 。 生産物の価格は社会全体の需要と供給之によって定まる。競争金業が多数存在するときは一生産者の供給量は全供給量の極めて一部努作過ぎたいか ち価格を自由花左右し得友い。そ ζ で各企業は可及的最大の利潤を求めて、何よりも先ず生産費の低減に努めるのであるが、 ζ の生産費の低減に最 Jh 役立つものは、既に触れたように、主として新しい生産技術の採用するととろの生産の機械化 l 大規模生産化である。大規槙生産化は、その生産力& 異常に膨脹させるばかりでなく、企業の資本構成にも変化を与え、流動資本部牙に対する固定資本部牙を増大させるから、生産の伸縮を不自由友もの 正し、殊に需要に対する供給過多の原因たらしめるのでるる。すなわち、それは巨大な固定設備に投下された固定資本の重圧の為に、単位当り一生産費 市における固定費 l 不変費用部牙を、大量生産によって細分化したければならないから、生産を制限するにも一定の限界が存在するととにたる。いわ んや生産を中止して市犯の回復を持ったり、その競争市場から退いて他の事業に転換するというようなととは、殆ん芯全︿許され友くたるのである。 そ ζ で勢い、巨大企業同志の間では、くうかくわれるかのいわゆる破滅的競争守口?吾8
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宮号官三が行われる。すなわち各企業は価格低落 につれて、その利潤の減少を忍ば友ければ友らないばかりでたく、ときには生産費より以下の価格ででも皇]の製品を売り、巨額の損失を冒しても操 棄を続け友ければなら友い。そとに、とれらの企業にとって相互の破滅を招くようた危機が字まれるととに放る。従って大企業はかよう放激しい競争-67
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が互いの不利益であるととを自覚し、とれを国進しようとする。そ ζ でカルテル・トラスト・コンツェルンなどの企業の結合ないし集中が促進される に 至 る の で あ る 。 企業の結合による市場の独占的傾向は自由読争の必然的結果でるる。独占企業はその供給カによって自己の利潤を一最大放ちしめるようにその生産量 と価格を可成り自由に統制し得る。かかる方法によって独占企業が得る利潤が独占利潤であり、独昌生産物の価格除原則として続争価格より高い。 自由競争の下における供給価格には生産費が標準とたる。しかるに独占の下においては、供給者が供給量を自由に増械するととによって供給価格を 左右し得るから、供給者が辰大利潤を獲得しよう・とする限り中心価格は存在したい。独占者が最大利潤を獲得する為には生産物一単位当りの価格が高 ければ高いほど利潤が大きくなるかといえば、必ずしもそうではない。余り価格を引上げると需要は減少し、従って総売上高払議少するからである。 一 単 位 当 り の 価 格 は そ れ ほ