42 短 報
ろものが少ないためある商社では1962年来沖縄のミカン
穂木を本土の種苗園へ輸出し育成させて再輸入するよう
になった.穂大の種類はポンカン,オートウ,カープチ
などがあり,台木はカラタチで1966年には5,500本も輸
入された.しかし農家では在来種以外の品種も栽培する
ようになり,現在ではウンシュウミカンが一番多く輸入
されておりタンカン,ポンカン,ナツカンがそれにつ
ぎ,1968年には2月現在すでに15.7万本の苗木が輸入さ
れていろ・現;窪沖縄におけるミカン果実の生産量は93.4
万キロと推定されており,需要の10分の1にも足りな
い.そこでミカン栽培熱が高くなったことは喜ばしいこ
とであり,栽培管理技術の向上により今後の生産を高め
ていきたいものである.
沖縄におけるミカン栽培と輸入
伊良波幸仁
(琉球植物防疫所)
1940年頃まで沖縄で栽培されていたミカンは,ほとん
どが在来種のオートウ,カープチー,羽地ミカン,タル
ガヨウ,ユウクニブーなどで,その他ポンカン,タンカ
ン,パレンシャなどの外来種もあったが,ただ珍らしき
で植えた程度の極くわずかであった.また野生種のシィ
クワシャーの類が果物として市場に出まわったほか,バ
ショウ布の洗剤としてもよく利用されていた.当時はミ
カンの消費量も極めて少なく,宅地内栽培程度の生産量
でほぼ需要をみたしていた.換金作物としての価値が低
かったので,大々的に栽培されることもなく,その栽培
方法も原始的な自然放任状態であった。
ところが1950年頃からの消費人口の増加と食生活の向
上により,諸外国からの消費物資の輸入が増加し,農業
形態も以前までの主食生産主義から換金作物の栽培へと
変り,サトウキビ,パインアップル,野菜類などが主と
して栽培されるようになった.またミカンの需要量も相
当多くなってきたが,ミカンの成木が戦争でほとんどつ
ぶされ,また山に残った野生のシィクワシャーも,国有
林,村有林などが乱伐された際にふみつぶされてしま
い,需要をみたすだけの生産がなく,ほとんど輸入品で
まかなわれるようになった(1940年に134万kg生産され
たミカンが1952年には6.6万kgと激減していろ).し
かして1955年に178万kgだった輸入量が毎年増加し,19
67年には第1表で示すように1,000万kg270万ドルにのぼ
っている.輸出国は,本士からウンシュウミカン,ナツ
ミカン,ポンカン,サンポウカンなど10余種,アメリカ
からオレンヂ,グレープフルーツ,レモンなど,台湾か
らポンカン,タンカンなどが輸入されている.このよう
に需要ののびにより,一般農家でも換金作物としてのミ
カン栽培の関心が高くなり,各農家では,シィクワシャ
ーを台木として,オートウ,カーブチなどを増加するよ
うになった.しかし専門の種苗園がないため,必要量の
苗木を生産することができず,本土から輸入されるよう
になった.しかしそれらの種苗は沖縄の栽培条件に適す
表1ミカンの輸入量
量|価
年度|数 格
ドル
1,181,414
1,377,358
1,655,759
2,206,608
2,710,518
キロ
4,218,769
5,243,520
6,539,744
9,836,003
10,222,393
63年
64
65
66
67
表2ミカン苗木の輸入量
量|価 格
年度|数
繩1
識1
6Ⅲ1
157,2151
ドル
8,407
3,235
5,354
8,594
11,902
12,406
34,384
56~1
62年’
631
641
651
66
671
681
(2月現在)’