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アジアの動向 ビルマ 1967

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(1)

アジアの動向 ビルマ 1967

著者

アジア経済研究所

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

シリーズタイトル

アジア動向年報

雑誌名

アジアの動向1967年版

発行年

1967

出版者

アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00052023

(2)

アジアの動向

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川 川 山 間 41 岨 四 四 国 岨 四 国 団 四 咽 ア ジ ア 経 済 研 究 所

(3)

との「アジアの動向」く国別シリーズ) 1967年は,月刊「アジ アの動向」を各国別にまとめ,総目次, 1967年の回顧,年表を 追録したものです。

アジア諸国の政治・経済の動きを適確に把握する基礎資料ど して,月刊「アジアの動向

J

とあわせて利用ください。

(4)

1967年の回顧.. 年 表 (1967年〉 . ( i ) ....折込 〔月間概況〕

1

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のデノレタ問題(3月〉 4ノjの動l11J.• • • 米不足による政治危機(5月〉 反中国人暴動の政治的意義(6)J) 崩壊寸前のビソレマ社会主義(7月) 9月の11V1rt,1 .. 今収穫期における革命政府(10月) 〔主要事項〕 地巨石油鉱物諮問委民会の新設 (3月〕 交易業従業員と消費者との非協力態度(3月〉 外国紙のピノレマに関する論調(

3JD

技術教育制度の改善 C3 IJ) 人民警察の意義と使命(3月) 農民評議会の重大使命(3月) 籾買入時期と籾買入価格との改訂(3月) 新国家建設過程におけるピルマ|斗防軍の使命 (3月〕 今期米の生産について (3月〕 農業生産増加について(4月〉 銀行の一本化( 4JJ) 食用油の価

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5 JJ) 1 35 .45 .57 .. 9:3 187 220 6 7 B 1 2 3 4 6 8 6 7 7 1 i 1 ょ v i 1 − 1 ム 1 1 q Q 内 J A 1 生活費について( 5月〉................................................事...47 1:{1国入学生騒動に端を発したラング…ン暴動の実情(6月〕........畠...GO ピノレマ共産党政治局の分裂とピノレマ紅衛兵組織の結成(6月〕 •••.••...••••.•••• 67 今期農業融資予定額(6月) •.•••••.••••..•.•••.•.•.•.•.••.••••.•••••.•.•.•• 69 ピノレマ共産党中国派幹部による正統派幹部の迫害と殺害( 8月〉 142 - lー

(5)

日 次 共産党・カレン同盟決裂(8月〉.................................‘... 146 アキャブの米騒動と政府の米需給事情説明(8月) .••••...•..•..•... 147 共産党による米騒動(9月) ..•...•..••.•.•••...•.•.•...•... 187 生産者米価改定(10月〉 ..・・・・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ • ・ ・ ・ ・ ・ • ・ ・ ・ • ・ • • • ・ ・ ・. ・ ..• 223 籾買付手続改定(10月〉.........................‘・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・. ・ ...223 交易公社価格引

I

ュげ( 10月〉 ..••.••••...••....•.•.•.••••..•.•.•.•...•...•. 225 反乱軍の集米妨害(11月) ...•...••.•.••..••..•.•.•.•...•.•...•... 249 投降者が語るピノレマ共産党(11月) ••.•..•...••..•.•.•.••...•••.••.•... 250 Paukkhaung地区の反乱活動(11月) ...•.••.•••.•••.•...••.•••...•.••... 253

ThakinThan Tunは偶像に過ぎず,北京派が完全に実権を掌握」(12月) ....273 2人の学生が共産党から脱出,投降(12月) ・ • ・ ・ • ・ • ・ • ・ .•.•.•...•••.•••. 274 共産党,仏教を迫害(12月〕...276 Daik-U の反乱軍分裂? (12月〉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・a・e・・・・・e・・・・・ 277 〔 資 料 〕 ピノレマ政府の国民に対する節米要望(6月〉 •.•.••....•.•.••.••..•..•.•... 83 反中国人暴動関係資料(6月) •.•••.•.••••.•••...••..•••..•.•...•.•• 86 ピノレマの蒋介石一一ネ・ワイン軍人政府はかならず敗北する/ 人民は かならず勝利する/ (7月) ...•••..•...•.•.•...••..••..•...•...•••.•• 116 反中国はピノレマ反動政府の崩壊をはやめるだけである一一ピノレマ共産党 中央委員会の声明(7月) .••.•...•.••••...••.•••.•...•.•.•...•...•... 125 ピγレマ中共関係悪化に関する各国官辺筋とジャーナリズムとの論評と観 測(7月)........‘....・ ・ 128 ピノレマ人民の革命的武装闘争は必ず勝利するーピJレマ共産党創立28周年 を記念して一(8月)...........................................‘... 164 経済危機と中共攻勢に苦悶するビノレマ(8月〉 ..•••...•...•.•...•... 182 ピノレマ, 日本共同声明(9月〉 ...・・...202 1967∼68年度ピ‘ノレマ国家予算の内容と説明(9月) ・ ・ ・ ・ • • ・ ・ • ・. ・. ・ ..•... 203 1967∼68年度ピノレマ国家予算の内容と説明〔10月) 9月のつづき... 236 一一ワーー “

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1967

年 の 回 顧

「ネ・ウィン社会主義jの崩壊 慢性的にまでなった経済の全般的混乱状況について,政府は66年をつうじ 「社会主義化過程における一時的不可避的現象

J

と説明し続けた。同時に当 面の打解策として取引の統制緩和および外国援助の導入に踏み切っていた。 しかし,こうした政府の努力は67年をつうじて発生した事態によってまっ たく徒労に終ったことが証明されるとともに, 「ピ、/レマ社会主義jの存続す ら危機に立たされることになった。 67年におけるピノレマの情勢は次のように整理出来る。 第1に政府による 67年度産米の収穫・集荷は,デソレタ米作地帯における共 産党と民族民主統一戦線,およびカレン民族防衛組織による大攻撃のために 重大な損害を受けた。 このためピノレマ現代史上空前の米不足という事態を生じ,輸出の激減はと もかく国内配給用米までも不足した。米騒動が各地で起り,反政府感情が醸 成され,暴動寸前にまでになっていた。この反政府ヱネノレギーは発端はとも あれ,結果的には反中国人暴動として民族聞の対立に転化していった。しか しこの代償として,ネ・ウィン政府は中国から「反動政府」の熔印を押され るとともに, ピノレマ共産党に対する支援を公然と宣言されるに及んだ。 第 2に,以上の経過によってネ・ウィン政府はその高速な「ピソレマ社会主 義

J

「積極中立」を,少なくとも対外的には放棄せざるを得なくなったこど である。否,無理をしてつま先で歩く必要はなくなったという方が妥当であ ろう。 革命来,デノレタにおける各反乱軍とは“静かに”戦闘を行ないつつ, 「社 会主義

J

を遂行してきたネ・ウィン政府であったが, 67年をつうじ “静か な”戦闘の続行が不可能となり,そのことによって「ビ、ノレマ社会主義」をも 放棄して, ピ、ノレマを戦乱の地と認めざるを得なくなったのである。 - 95 - 1

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ピ Jレ マ 共産党に奪われたデルタ宝庫 革命来,とりわけ政府がその指向する「社会主義」を推進してから,皮肉 にもピルマ経済の中核たる米の生産,集荷は減少傾向を辿っていた。輸出米 100万トンをようやく維持できた 66年度の米不足が社会主義路線に対して, 決定的な論議を生起せしめたことはすでに指適したとおりである。したがっ て67年度産米の確保は,ピノレマ経済ひいてはネ・ウィン政府にとって至上命 令であったはずである。 にもかかわらず,生産は前年度比17%減の 650万トンにとどまり,うち政 府が集荷し得たのは 131万トンに過ぎなかった。輸出だけでなく国内配給用 米すら不足する事態が予想された。 さて,このように年々,米の集荷が減少し,特に今年激減した理由は何で あったのか。政府自らも「治安の悪化」によるものと認めたように,デノレタ における地下反乱活動がその根底にあり,農民の反政府感情が予想以上に醸 成されているためと言えよう。 共産党(

BCP

),民族民主統一戦線(

NDUF

),カレン民族防衛組織(

KNDO)

の反乱武装活動は,もとよりイラワジデルタを中心にベグー山麓,テナセリ ム平野,タイ・ピノレマ国境山岳地帯と広範囲にわたっている。その戦略はあ くまで政府に対する妨害活動をとり,戦術は徹底した遊撃戦である。殊にデ ルタ米作地帯においては,政府の集荷作業の妨害を主力とし,農民に対する 工作活動を続けてきている。 ネ・ウィン政府による「ピノレマ社会主義」の遂行と反乱活動は,デ、ルタ米 作地帯に重大な変化を及ぼしていることは,われわれがすでに指適してきた とおりであるが, 67年度産米の激減はこの変化に決定的な結論を与えた。こ れまでの,反乱軍による遊撃活動は,まず政府の指向する「社会主義」政策 を常に不徹底にする効果ーがあった。 このため特に政府にとって唯一最大の財政源である米の集荷は,年々減少 していった。それは,急激な社会主義による流通混乱のためもあるが,基本 的にはデ、/レタ全般の治安の悪化に依るものであった。 この現象は,直接政府財政に影響する。米の輸出低下は政府財政の逼迫に さらに拍車を加え,政策遂行を不徹底にしてきた。デ、ノレタ米作地帯での従来 9 6

(8)

-ヒ jレ マ の社会経済機構の担い手であったインド人地主,金貸,商人の役割を全面的 に代行した政府自身,財政的に窮迫したため,その役割すら全うすることが 出来ない。この傾向は「社会主義化

J

を強行に推進し出した64年頃から年々 強くなる。政府の財政困難打解の努力は, 「社会主義」の名の下で,民族資 本をも否定する国有化の方向を強めることになった。同時に,輸入抑制策あ るいは増税,価格管理などを強化しなければならなかった。 こうした一連の「社会主義化」が及ぼした影響をデルタ農村に見る時,結 局政府自ら墓穴を掘ったことが明らかになるのである。 デ、ノレタの貧しい農民連は,財政難を理由に政府の農業融資を受けられず, 再生産への資料は結局米を販売することによって獲得するしか道はない。し かも米は固有化されており農民は白由に販売することが出来ない。規則では 全てが政府に買上げられなければならないからである。予約買付制度の下で は,農民は予定供出量を政府買付所に申告し,代金は前払いで受ける。しか し代金は政府発行の“信用券”で受けることになる。信用券で交換可能な商 品が農協販売店あるいは小売店に出廻っていなければ,信用券は不渡りとな る。農民にとっては日常欲しいものが手に入らぬことそれだけで,不満を増 大する充分な条件になる。そのうえ,代金が不渡りになれ生活の糧が奪わ れたことになれば,農民の反政府感情が高まることは自明の理である。 こうした事情から農民は除々に政府への不信を高め,それが非協力的態 度となって,集荷減少さらには生産意欲の減退のー要因にもなっていったの である。政府は米の集荷量が漸減する度に,その都度手続や制度を改革した り,あるいは「農民評議会

J

を設置するなどして,農民の掌握と集荷の確保 につとめたが,結局はそれすら中途半端に終ることが多かった。 つまるところ,政府権力と武力を駆使し,「社会主義建設」の名において, 政府は農民へ迫り,強制供出ともいえる方法をとらざるを得なかった。この ため,農民は備蓄米どころか,自家用飯米や種籾までも供出しなければなら なかった。農民にとって,例え政府が「社会主義」と叫んでも理解できると ころではない。 この事態に際し,常に工作を怠らなかった共産党は,積極的に農民の掌握 に乗り出す。農民は“保護税”を支払ってまでも,共産党に政府の買付けか - 97 - 111

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ビ ル マ ら逃れることを擁護してもらうようになってきた。同時に反乱軍は66年から 67年にかけ,主にデノレタ米作地帯で軍事的にも大攻勢に出た。買付所,農協, 倉庫,精米所などの政府関係,集荷機関を破壊し,道路,橋梁,鉄道,電話 線,その他運搬通信手段に対する攻撃を加え,政府による集荷作業を徹底的 に妨害した。この収穫期攻勢はこれまで,反乱軍の半ば習慣化したものであ ったが, 67∼68年の事態は,政府に致命的な打撃を与える結果となった。 ピノレマの宝庫デソレタ米作地帯を,共産党および各反乱勢力に奪われたネ・ ウィン政府は, 67年をつうじこのことによって危機に直面することになる。 米騒動と反中国人暴動 デルタを失なったことによる空前の米不足は早くも5月には全国的に影響 し始めた。配給の遅帯や配給量の削減は,各地で米寄こせデモ,焼打ち,倉 庫破りを生起した。米騒動は,一般民衆の反政府感情の爆発を呼び起し,事 態は暴動寸前にまで発展した。さらにこの期に乗じて,反ネ・ウィン勢力は 反政府運動を展開しようとしていた。ネ・ウイン政府の危機は頂点に達した といえよう。 6月26日,突如ラングーンで発生した反中国人暴動は,その原因はともあ れ,結果的にはラ米不足による反政府暴動の芽をつむことになったのではな いか。ネ・ウィン政府にとっては,この重大な危機の根底にあるのは,デル タの共産党であり,政府の主要な敵はビ、/レマ共産党で、あることをすでに, 3 月の米の収穫結果において認めていた。米騒動に集約的に表現された民衆の 反政府感情は,デソレタの共産党に向ける必要がある。 この意味で反中国

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暴動は反政府感情を民族問およびイデオロギーの対立 に転化し得たことになる。このことは,後の学生を中心とする反共,反中国 大デモンストレーションが明解な示唆を与えている。また,暴動自体,その 主役が計画党員あるいは学生であり,事件の発端は政府当局の「毛ノミッジ着 用禁止令

J

にあったことからもうかがわれようし,華僑のピルマにおける経 済的役割からして,単に民族感情が爆発する素地はないことからも充分に理 解できることである。 ネ・ウィン政府は公然と言明しているわけではないが,全ての危機を中国 一 一 lV 一一 98

(10)

-ピ ノ レ マ と共産主義者とに向けようとした。しかし,このことによってネ・ウィン政 府は,さらに重大な決意を迫られることになったのである。 中国は28日,この反中国人暴動について, 「ネ・ウィン反動政府の仕組ん だ陰謀

J

であり

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中国はピ、ルマ共産党と民族民主統一戦線の武装闘争を支持 する」と宣言した。 また7月 5日には北京駐在のピノレマ共産党代表 Thakin Ba Thein Tinは「ピノレマの蒋介石一一一ネ・ウィン軍人政府はかならず敗北 する/ 人民はかならず勝利する」と題して,ピルマ共産党の武装革命を初 めて内外に公表するに至った。 ネ・ウイン政府は自ら公言することなく,中国とピルマ共産党と対決して いることを内外に印象づけることが出来た。米騒動による政治危機はこうし て,共産党と中国とを敵に廻すことによって,一応回避することが出来た訳 である。 7∼ 8月をつうじ,学生と労働者による反共デモンストレーションが行な われてし、る問,政府はデソレタで緊急、供出を強行し,米不足問題は一応事なき をうることが出来た。 さらには,各種の反政府勢力の動きや,政府・軍部内の動揺も,反共・反 中国という緊張を造り出すことによって,そのエネノレギーを一応反共への結 束という方向にむけることが出来た。 こうした意味で反中国人暴動の政治的意義は極めて大きいということがで きょう。しかし,政府が“反共”を旗印に掲げることは,自らその指向する 「ピノレマ社会主義」をある程度転換しなければならない。従来「社会主義」 の名の下で否定されていった旧政治勢力,仏教僧侶,民族資本家をも政界に 復帰させ,ネ・ウィン将軍の周りに大同団結させる必要がでてくる。事実, 10月頃よりこの決定が実施され, 「社会主義」に反するとして投獄されてい た政治勢力の多くが釈放されている。 また共産党の破壊活動は仏教をも迫害しているとして, 12月には仏教僧侶 協会も共産党と対決するとの態度を明らかにした。 このような動きはネ・ウィン政府が,もはや「ピノレマ社会主義」を採り続 ける必然性すら放棄していっていることを推測させる。また共産党と公然と 闘うためには,充来の「厳正中立」をも放棄せざるを得まい。なぜならネ・ - 99ー 一一 V ー 『

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ピ lレ マ ウィン政府が,自力で戦闘をし続ける余裕は全く無いとさえいえるからであ る。 このことは,今後ピノレマに対するアメリカ, ソ連の介入が,ネ・ウィン支 援を名目にますます強化されていくことを予測させるものである。 政権奪取を進める共産党 デ、ルタでの共産党の動きは前述したが, 1967年をつうじて,共産党および その他武装勢力にも重大な変化があったことを指適しなければならない。 すでに66年9月,統一戦線を構成するカレン族集団内部で,カレン族の自 治独立を強調する軍権派(BoMya)が革命的マノレキスト派(MahnBa Zan) によって追放されたことが明らかになって以来,統一戦線・共産党内部での 権力争いが伝えられていた。この頃中国ではすでに“文化大革命”が推進さ れており,国際共産主義路線においては中国派といわれていたビ、/レマ共産党 内部でも影響が表われ始めた。 67年 4月にはう結党以来ラ実権を握ってし、た 中央政治局員ThakinBa Tin (Goshal), Yebaw Htayらが革命派青年党員 によって殺害されたことが伝えられるにおよび,ピルマ共産党内部の“文化 革命”が進められていることが明らかとなった。 デソレダで,共産党による大攻勢が展開されている頃,共産党幹部の投降が 相次いだのもこのことを裏書している。投降者の大半が「北京で訓練された 30数名の青年党員を中心に党内の奪権闘争が行なわれている」と語り, 「毛 沢東路線を堅持する革命派によって追放された」と,その投降理由を語って いた。 これらの投降者からの陳述によると,党内における実権派幹部は,青年党 員からなる“紅衛兵組織”によって駆逐され,新しい革命組織が造られたと いう。そして旧幹部は“日和見主義者” “ブノレシチ五フ修正主義者”として 非難され,新しい革命組織は明確に毛沢東路線を採っているといわれる。

それは,北京における ThakinBa Thein Tin演説,あるいは,中国政府 のピルマ共産党に対する各種声明が発表されるにおよび歴然となった。ピノレ マ共産党は,明確にその性格を66年をつうじて変えていったのである。

地下活動を開始して以来,すでに20年を経験した共産党は,一時期,大打

(12)

-100-ビ lレ ・マ 撃を受け沈滞を余儀なくされていた。しかしネ・ウィン政府による強硬な「社 会主義化」からひき起されたデルタ米作地帯を中心とする経済・政治の混乱 は,共産党にとって,その組織拡大の好条件を造り出すことになった。共産 党の不断の遊撃戦と農民工作は, 67年に至ってその効果を明白に示し始めた といえる。 シャン族,カチン族などの少数民族反乱軍内部においても今夏頃より,毛 沢東路線のもとに,共産党との共同戦線に参加するものもあり,共産党の指 導による反乱活動はデルタ,下ビ、ノレマにとどまらず,辺境地帯にまで拡大さ れつつある。 11月から 12月にかけての北部デソレタ・ Paukkaung地区の激戦 では,数百名の共産党軍のために政府軍は3個連隊を対応させなければなら なかった。また10月からのペグ一地区における数件の鉄道爆破では,政府は これまでにない大損害を受けた。 共産党の攻勢は 11月からの米の収穫開始いらい,さらに強められている。 一方,今収穫期に全ての命運を賭けるネ・ウイン政府は,デソレタは一応あき らめざるをえないとしてもラ最後にわずかに残された米作地帯を絶対に共産 党にゆずることは出来ない。少なくとも 67年程度の集荷量を確保しなければ 政権自体の危機を招くことにもなるO そのため政府は10月来,生産者米価の 引上げ,買付手続の簡素化をつうじ集米努力を講じている。同時に計画党, SAC (治安行政委入学生あるいは軍隊などを動員し,集団収穫と称、し,直 接政府が収穫し,買付所に運搬するという手段まで実施している。さらには 計画党, SACによって農民集会が開催され,共産党を非難し,政府にだけ米 を売るとの宣言などが各地で行なわれている。 共産党およびカレン族集団はこれに対し農民に「100パスケット当り 500チ ヤツト以下では政府に売らぬよう」との指令を出し,工作を強めている。 12 月末までの事態から見ると,政府による集荷は, 「大成果,大豊作」とのキ ャンペーンにも拘わらず, 67年程度の確保がせいいっぱいであろう。 政府は,すでに自力で共産党と対決する余裕はない。それは, ピノレマの死 命を制するデソレタを共産党に奪われたからであるO 共産党内での権力闘争は 決してその勢力の衰退を意味していない,むしろ戦略的には「政権奪取」を 目標に,各反乱軍と連合し,益々生活の窮乏化と政治不安,経済のマヒに不 一一Vll

(13)

--ピ Jレ ーマ 満を抱く貧しい農民,農業労働者達を基盤に,勢力を拡大する素地を残して いる。 いまや政府は, 「厳正中立」と「社会主義」の理想、を捨ててまでも,共産 党と対決せざるを得ない。米国は軍事援助の増加はもとより,新しくジェッ ト戦闘機,重火機などすでに“中程度”の軍事援助を行ない,軍事顧問団, 技術者なども派遣している(米国務省発表)。デソレタでの戦闘は,早急に解決 する兆しはない,むしろ激化の方向を辿っている。米国の“大程度の”軍事 介入の可能性は増々強くなろう。デルタでの情況,さらにラングーンの権力 をめぐる政争,共産党の戦略などをみるとき,ビ、ノレマでの現事態は,ベトナ ム戦争の初期に酷似している。したがって,この事態の発展は一一一国際情勢 殊にベトナム戦争の推移にも関わることであるが一一ごれ以上の米軍の介入 をみるとき,第 2のベトナム戦争にピノレマをひきこんでいくことを十分予想 させるものがあり,それはネ・ウイン政府の運命をも暗示している。 なおソ連はネ・ウィン政府を「偉大な社会主義」と賞め賛え,積極的に支 持支援しているが,共産主義者との闘いに,ネ・ウィン政府の「社会主義」 をもって対決させんとすることは上述のネ・ウィン政権自体の変化をも考え るとき,もはや無理な相談というべきであろう。 1968年間に予想されるピノレマの政情は,数年来我々が指適してきたことを 立証するであろう。 一一Vlll−一ー

(14)

-102-ビ

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米不足とデルタ問題 連邦記念

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,農民セミナー,国軍記念日とピルマにとっては重要な年中行 事が行なわれる期間であるが,政治的には特に注目すべき動きはなかった。 三つの記念日には,それぞれ民族統一,農民評議会結成宣言,国軍の人民軍 への再編成などが取り上げられ,あるいは決定された。なかでも農民評議会 の結成は,問題の曲折があったにせよ一応の決定を見たのであるが,政府と しては,もはやその政治的意義を期待する余裕すら無いようである。 昨年の同期1∼九月間の政治的雰同気は,農民評議会,労働者評議会,人 民軍編成という一連の「民政移向

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の傾向を強め,政治的安定の基礎づくり を続けたのであった口しかし,今年の農民評議会結成は,空前の米の生産低 下じ反乱軍攻勢というピルマ政府にとって最も重大且つ深刻!な状況下で、行 なわれたわけである。評議会結成は社会主義計画党の組織的支柱と,それに 伴う民間人の政治場面への登用を含んでいた。さらには政府の農民に対する 組織的掌握,(これは集米確保につながる)もその目的とされていた。 だが,結成を前にして,米の生産激減が確認されるに及んで,政府は当面 予想される米不足を真剣に考慮せざるを得なかった。 従って,われわれも改めて凡ゆるビノレマの政治・経済問題の核として存在 する米の問題の重要性じ米産地デルタ地帯での出来事を再検討してみなけ ればならない。 昨年12月から開始された政府による籾買付は, 3月末に終った。結果は空 前の生産減少じ極度の集米不足を深刻に受け取らざるを得なかった。 昨年度の米不足が,社会主義路線に対し,決定的な論議を生起せしめたこ とはすで、に指摘してきたとおりであるO したがって今年度産米の確保は,ピ ノレマ経済ひいてはネ・ウィン政府にとって主上命令で、あったにもかかわら ず,生産は前年度比17%減の 650万トンにとどまった。昨年度実績は 790万

(15)

175--ピ ノ レ マ (l

2

3月) トンで,輸出はようやく 110万トンを確保したわけであるが,さらに今年は 輸出量の大幅な減少が不可避となった。 いうまでもなく,米の輸出はピ、ノレマ経済の死命を制する。昨年の段階で, もはや“鎖国”や“社会主義”という旗印の下でラ外国援助の導入無しで当 面の経済困難を切り抜けることはできないとの結論がでている。しかし政府 にとってみれば,今さら外資依存の政策が好ましいものであるとは考えては いまい。自力更午.を建て前として,経済困難のj了解と,それにつづく経済建 設には,米の生産増大と輸出増加に最大の期待をかけているわけであるのだ からこそ,ピノレマ社会主義は民族資本を否定してまでも農民保護に徹し,農 業開発を工業化に優先させているのである。 こうした政府の期待と政策努力にもかかわらず,昨年度産米の減少に引き 続く,今年の激減を政府は,

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'う受けとっているのであろうか。農民セミナ ー開会式当日の席

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タウン・チ農林大臣

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:,開口一番,今年度産米の激減 について触れなければなちなかった。政府による生産基礎の整備と改善努力 にもかかわらずラ米の生産が予想以上に減少した原因について,農相は,天 候不!|頂,農業資材の不足,生産構造改苦=の不徹底,農業技術の末向

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治安 の悪化を指摘した。 また, 3月2日の農民の日記念式典へ送ったネ・ウィン議長のメッセージ は「当面の経済困難,とりわけ農業生産減退jの理由止して,第1に経済的 撹乱分子と武装反乱分子の存在があると述べている。 確かに政府は不作や集荷不足の理由として天候不順や,流通機構の宋整 備,あるいは技術的問題などを,い主主で指摘してきたし,そのとおりであ った。それは常に「社会主義化過程における一時的不可避の現象]として全 ての経済問題に対する説明と同じものであった。実際,他国の経験にもない 急速な固有化過程が及ぼした経済的影響は,短期的には殆んどの場合が,混 乱や停滞を引き起した。だから凡てほ国の基本政策たる固有化が及ぼした問 題としてとらえるのは当然の事ども思える。政府は失敗を認めても「止めち れない立場jにあるとは,すでに1965年末に表明されていたことである。そ の理解はあくまで,一時的不可避なのであって,社会主義化の進行過程での 必然的現象であるEいうのである。 一( 2)ー

(16)

-176-ピ ノ レ マ (1

2

3月〉 しかし,政府はもはやこのような説明を続ける根拠を見出すことに極めて 消極的になってきたし,余裕すらない。今年度産米の激減が,特に生産の減 少からくること,また「社会主義は建設という第二段階」に入ったと説明し たことなどから,今までのように一般的問題として取り扱うことが出来なく なった。 すなわち,議長,農林相ともに米の生産,集荷不足の理由として治安,反 乱軍問題を指摘し公言しなければならなかったのである。ここにわれわれが すでに以前から指摘してきた反乱軍とデルタ米作地帯の問題を改めて提起す る必要を見出すのである。 デ、ノレタが全ビ、ノレマの70%の米を産することは周知の事実である。また米を 生産する者の大半は100年前,すなわちイギリス植民地によるデ、ルタ開発と ともに移入し たピノレマ人小 作農,農業労 働者,あるい はもともと原 住民たる貧し いカレン人農 民などである。 彼らはデ、ルタ 開発の進行に つれて,イン ド人および華 僑資本の下で 小作ないしは 農業労働者−と イ七していった。 独立時点にお けるデノレタの 土地制度には, A KNDO か

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ピ ノ レ マ (1

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3月〉 全耕地の47%が不在地主の所有当時ラであったことからしても,多数の貧し いピノレマフカレン人農民と一握りのインド人,中国人地主との関係を見るこ とが出来る。 ネ・ウィン政府は,成立当初,まずピノレマの経済自立を保障するために は,それまで陰然たる力のあった,これら地主殊にインド資本(チュティア) の排斥を行なったのである。その結果,昨年末主で,帰同したインド人は20 統制解除食料品を売るペグーの市場 政府の農業融資を返済する ため夫は出稼に

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ている 万人ともいわれるので,戦前,戦後をつうじて,地主・小作関係には,かな りの変化が起っているものと考えられる。この土地制度の変化が,どのよう なものであるかは,凡て推測の域をでないわけであるが少なくとも,いわゆ る地主の絶対数は減っているし,地主の経済的基盤はなくなったと見てよい だろう。 (実際,ネ・ウィン政府は地主制度の廃止を宣言している)したが って具体的にはラ軍事政府の農業諸機関がインド人地主,資本家の役!割に代 っているわけである。ところがデルタの農民にとっては,たとえ, 「社会主 義」といって,一連の農民保護政策が採られたとしても,政府・役人に対す る関係とインド人地主に対する関係との相異を鮮明に見出すことは出来ない 一( 4 )一

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-178-ビ ノ レ マ (l

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3月) のが現状である。 土地革命,

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!]ち地主小作制度が完全に撤廃され,土地の再配分が全般的に 行なわれない以上,政府諸機関は,単に金融・流通面の役害jJを肩がわりした ものとしか受けとられていない。しかも政府は財政逼迫が深化するにつれ, 農民に対する融資も順調に行かず,むしろ貸付枠,返済について増々厳しい 条件を出さざるを得ない。 また,集米不足を玉虫111に,農民に対してはなかば強制的と思われる供出を 強いる。予約民付制度では,農民は収穫期前に政府への販売量を契約し,代 金は契約量分の前払いを受け,:佳作,不作にかかわらず契約を履行せねばな らぬ制度である口も

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,契約後何らかの原因で、履行出来ない状態が起ったな らば,農民は白家飯米をも犠牲にしなければならない。ましてや,従来当座 の現

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化のためにそなえていた備蓄米の確保は困難であろうし,例え,それ があったとしても,米の取引国有化がある以

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ン現金化の道はない。だから ;農民にしてみれば,結局のところ!日制度下での生活と変りはないのである。 こうした事実がうもしデノレタで一般的なものであるとすれば,それはまさに 反乱軍の勢力の存在基盤としてフさらにはその拡大への条件が整っているこ とになる。 政府が集米努力に力 {i:入れるほど,農民にはそれが圧迫として受け取られ る。この事態に対し,反乱軍が, 「軍部独裁による非民主主義的政治

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と政 府を攻撃し, 「:良:の農民解放を勝ちとるまで闘う

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とl呼号したら,むしろ農 民は反乱軍に共鳴するだろう。事実,反乱軍が,農民に対し「保護税」を徴 収し,政府の影響力から農民を守り,自由に米を代買しているとも伝えられ ている。米の間取引,密貿易の増加もこうしたことに無関係ではない。 いずれにせよ,反乱軍は軍事的には政府の集米施設や輸送設備を破壊し て,政府に対する集米妨害をする−−−・方で,デノレタ農民の掌握に努める。この ことは政−府とて同じ事であるが,このデソレタ攻防戦は,いまのところ,むし ろ政府側に極めて深刻な問題を生起せしめているようである。 要するに,生産量の激減は単に天候不順だけの理由ではなく,問題は,デ ノレタをめぐる極めて政治的な意味を持つものである。米の問題,すなわちデ ノレタの問題は,政府の指向する基本的政策に決定的な変更を余儀なくさせ, 円 i 1 ム 一( 5 )

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-ピ ル マ (1

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3月) 少なくとも今年の米不足からくる経済危機は“鎖国”の壁を取りはずすこと になりそうである。 争地質石油鉱物諮問委員会の新設 鉱業省は1967年 1月 2日に地質石油鉱物諮問委員会を設置した。 この委員会の存続 期間は2年である。委員長には鉱業相,副委員長にはラングーン大学地質学部長がそ れぞれ就任した。委員に任命された諸氏は下記の通りである。 文相(政府代表), ビ‘ノレマ応用科学研究所事務局長,ラングーン大学化学教授,ラ ングーン技術院鉱山局長,鉱業開発公社副総裁,ラングーン技術院地質技術部講 師,人民石油産業地質学主任技師,シュリアム精油所長フボードウイン人民工業業 務局長,工業開発公社企業部長(政府代表) 以上列記した委員のうち人民石油産業地質学主任技師は委員会書記に就任したυ 委員会の業務と責任事項とは下記の通りである。 0技術関係事項につき鉱山相に意見を上申することυ 0石油,鉱物,諸他資源の試掘と採取とを口的とする長期1H企画

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と短期計両とを労 力,資本,設備の利用可能な範囲内において必要に応じて作成または提出すること。 0石油,鉱物,諸他天然資源の試掘と採取との原則を定めること。優先事業を選 択すること。諸種方法を指導すること。 0地質,採油,採鉱に関する経験と情報とを国際科学

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生|体と交換すること。鉱業 相の承認を得て国際科学団体に代表を派遣すること。諸国における科学と技術との 進歩発展を絶えず研究してピノレマに有益な資料と情報とを鉱業相に提示すること。 0ピノレマの地質図,地殻構造|脅し地球物理図,石油鉱物分布図を刊行することυ 0地質,石油,鉱物に関する学術論文の作成を奨励すること。これら学術論文の 適正な標準を定めることと国および国民の威信を損う倶れある低級な学術論文を禁 制とすることを鉱業相に上申すること。 0地質学と石油鉱物学とを振興すること。 0天然資源の学修,研究,試掘,採取の各部門を統合すること。 0技術研究所の行なう地質,石油資源,鉱物資源の基本調査を一方では実際の必 要に適応させ他方では鉱業省所管諸機構の行なう基本調査と統合すること。 0地質,石油,鉱物に関する専門事項の処理と活用とのため,所要の措置を採る 一( 6 )一 -180ー

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ピ ノ レ マ C1

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3月〉 こと。 0委員会は業務処理に要する報告書,記録,紀要,その他適切な論文を諸官庁, 各大学,諸団体から直接または鉱山相を通じて間接に取得する権限を持つものとす る。さらにまた委員会は必要に応じて企画委員会を設置しかっ専門家と討議を行な うことができるものとする。 0委員会は原則として毎月1[§]定例会議を開催するものとするQ 多交易業従業員と消費者との非協力態度 1月 8日にケメンダイン,司立第 3高等学校で開催のケメンダイン治安行政委員会と

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両党幹部と交易業従業員との三者会談でラングーン第5地区治安行政委貝会委員長 Mya Thant大尉は下記要旨の演説を行なった。 「治安行政委員会は交易業従業員を非難するために存在するものではない,それ は両者が|司ーの立場にあり

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,司ーの事態に対処するものだからである。だが治安行政 委民会は必要に応じて交易業従業員に訓戒を与えねばならない。換言すれば治安行 政委員会は例えるならば自分の子が他人に行儀作法をしつけられる前に親がしつけ ると同じ筆法で交易業従業員にやifか失策があった場合に他から責任を問われること のないようにとの親心から戒めるに過ぎない。 消費者委員会の多くは誠実に1n哉務に従事している,従って交易業従業員は消費者・ 委員に対して寛大であらねばならず好意を示さねばならない。消費者委員が交易業 従業員の誠実を疑うこともあろう。このような場合には従業員は自ら進んで説明し てこのような疑惑を一掃せねばならない。従業員諸君は先ず反省せよ,次に誠心誠 意各自の業務に従事せよ。そうすれば諸君は前仰天地に’塊づることは少しもないは ずである。 交易業従業員は社会主義制度建設過程にあって遂行している各自の任務を過小評 価しではならない。些細な気の弛みも大事を惹き起すことは軍馬に馬蹄をぞんざい に打ち付けたため伝??の通報が遅れそのため戦闘で惨敗を喫した事例を見ても明か である。空腹であるとのことは従業員諸君が不正を働いてよいとの理由とはならな い。交易業に従事中の諸君の不正行為はその動機が如何なるものであるにせよ社会 主義制度建設の阻害と停滞とを意味する。 最後に私は各消費者委員が配給制度の順調な運営を目指して交易業職員と協力す ることを切望する。」 次にケメンダイン計画党支部長KyinMyint大尉は消費者委員会の責任について下 QU 一( 7 )一

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ビ ル マ (1

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3月〕 記の通り述べた。

「消費者委員会は現在は物資配給業務だけを組うしているが今後はこの業務のほ かに工業原料配給業務も担当することになろう。し〆たがって各委員は工業原料の配 給を受ける工業者の名簿を作成せねばならない。」

次にケメンダイン交易事務所長 U Tin Maung Aye は交易業従業員が定期訓令を 遵守していないことを慨嘆し, そして人民店鋪従業員は毎日の売上一向をたとえそれが 5ピヤスだけだとしても毎 H提出せねば、ならないと誠めた。 引き続き県交互I事務所長 U Win Shinは人民店舗従業員が勤務時間111に道路でフ ットボール競技に興じて店舗をみだりに離れていることを止めるようさとした。 討議終了後にケメンダイン地域消費者委員会は別個の会議を行なうため校会に残 り,この会議では治安行政委員長 MyaThant大尉が議長となった。 第45号主食店舗を担当する U Maung消費者委員は各消費者委員会の活動が最近 6 ヵ月間に不活発であったことを指摘し, そして誠実でない委員の数が最近次第に増加 していると述べたり しかしj肖費者側にも徒らに大言壮語するものあるため消費布・自体 が非難されることは仕方なく, 例えば人民店鋪で去り渡す配給品ならばたとえ象でも 買い取ると放言した一部消費者を名指すこともできると述べ, このような消費者達は 物資貯蔵の問題や物資の活用などには全く無関心だと慨嘆したり 第50号主食店舗担当の UKyaw Yin消費者委員は消費者の我健勝手な態度を非難 した。その例として同委員は小屋住いの身分でありながらラジオの購入申込をする者 が決して少なくなし‘と述ペ, このような態度を改めさせるには消費者・に教育を施して 彼等を啓蒙せぬばならず, もし彼等の教育を放任するならば彼等は資本家の子−先に成 りさがらないとも限らないと警告した。 Mya Thant大尉は以上の諸問題に対して総括答弁を行なった。 多外国紙のビルマに関する論調 《躍進するピ、ルマ》 1月 9日付の Neu日Deutshland紙社説は次のように論説し/こ。 ビソレマはビ、ノレマ社会主義建設要綱に定める綱領に基づいて非資本主義の途を選ん だ。この過渡期の主要特徴は大規模な国有化

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昔置とビノレマ経済からの外国資本の排 除とを手段とする重要工業部門の国有化,農業から封建制度残津の一掃,勤労大衆 の福祉増進に役立つ新教育政策と新社会政策との完全実施,ピノレマ社会主義制度建 設要綱の完全実施を目指す新政党と勤労大衆組織との結成である。 一( 8 )一

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-182-ピ ル マ (1・2・3月〉 ビ〉レマの指導者層が万難を排して上述の諸政策を推進していることは指導者屈が 実力を蓄積し,ーー・致団結し,そしてまた国民を{訓[1'(していることを証明して余りあ る。 去る11月に開催のビノレマ社会

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二義計世

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党第2凹セミナーでは経済問題と政治問題 とが主要議題であッた。現在では,

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党は第l次4ヵ年

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坦jの実施に参加すること を最大任務とみなしている。この任務を達成するに当って党の最大日標は勤労大衆 に農工業増産と労働生産性向上とが今後の進歩発民にとって不11J欠な要件であるこ とを納得させるにある。勤労大衆組織として近く発足する労働者討議会と農民評議 会との結成は増産と労働生産性1i',J上とに拍車を加えることとなろう。 外交政策についぐは,ビ、/レマ政jj'.fは厳:Jlミ中立を基本外交政策として!?主持してきた し,その意味で諸国相互の内政干渉を今日まで機会ある毎に非難してきた,そして また万邦が!iii有の政治,経済,社会組織を自由に選択する権利あることを強調して きた。ビノレマ外交政策の基調をなす諸原則は平和共存,軍合Hi撤Jici,核兵船出来,あ らゆる形態の此略・植民地主義・新植民地主義の排撃,国連の世界性格の文持であ る。 《過渡期のピノレマ》 プラウダ紙は第19[BJL'ルマ独立記念 HにうってF記の社説を掲載した。以下l)j13 l=l付

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οrんingI切,ple'sDailyに1j1ぷ哉の|}計上己完全丈である。 あらゆるjk]の歴史にはその凶の運命にかかわる重大な変革と結合した

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己念祭があ るリピノレマにとってはこのような祝日は1月 4日であるはこの日に今を去ること lυ '.i'j'.l)[jにピノレマの独立が内外に立言されたのであった。 この新生国の建設は決して容易でなかった。独立直後の数年間政)斗を担当した政 治家達は匹!民に対する公約の履行を怠った。ピ、ルマの危機を意味したこの期間にピ /レマ軍部は|五

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運開拓の重責を担うことを決意した。この軍部は解放闘争で活躍した 将校凶を主体としてし、た。ネ・ワイン将軍を首班とする革命評議会は1962:f['.3月に 政権を把握した。革命評議会は新社会建設計画の用意ある旨を宣言した。革命評議 会の宣古した綱領,すなわち「ピノレマ社会主義制度建設要綱Jは資本主義路線に沿 った1:11家建設方式を排斥したυ その後の事態、の動きを辿るとこの綱領が着実に実施されてきたことは一目瞭然で ある。この間に外国商社,工業,銀行業,諸他のあらゆる産業部門,外国貿易,国 内卸売業はすべて国有化された。今日では採鉱業生産の80%と製造工業生産の50% 余が国の管理下にある。外国投資,新規資本主義経営,私企業はすべて禁止され -183ー 一( 9 )一

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ピ ル マ (1

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3月〉 fこ。 ピノレマの経済改革は重要な諸種社会措置と結合しているυ ビノレマの勤労大衆は労 働権,休暇を受ける権不jl,教育を受ける権利ラ老後生活保障を受ける権利を法律に 基づき享有し,女子は男子と均等の権利を保障されているυ 封建制度の遺物たる地主土地保有制度は土崩瓦解したω 革命戸Jz;議会は手始めに地 主の農民搾取を制限する措置を実施し,次に地主に対する小作料支払制度を

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:し た。これらの設置の重要性は如何に高く評価しても決して過大評価となることはな い,だがこれら措置の実施にもかかわらず多数農村では保守主義者連はこれら措置 の完遂を妨害することに狂奔している。次に全耕地の約3分のlは土地を渇望する 土地なき耕作者に交付された。農地改革措置はこの担度で終らなかった。革命評議 会が封建制度の残伴たる地主土地保有制!支を寸吊するため立案した諸措置はいまだ 完遂していない。既墾地, 11J耕地の別なく土地の不足はピノレマの深刻な農村問題で ある。そのため大規模な農地開発計画が実施されることとなりフ例えば開発された 農地には|主|営農場と協同経蛍農場とがJ設定され,これら農場には農業機械賃貸所が 設置されることとなり,すでに主としてソ連製とチェコスpパキア製の農業機械が 多くの賃貸所を通じて利用されている。 革命評j議会は社会改革と経済改革とを|析交して勤労大衆の大部分を味方となすこ とができた。しかし凶)Jを結集し国民を大同|卦結させるためには:革命評議会は今後 倍旧の努力を尽さねば、ならない。 ビ、ノレマは社会進歩計世1iを実施するため多大の努力を傾けてさた。 Lかし社会経済 改革は事の性質上決して順調に進行するものではなく,ビノレマの場合には改革の第 一歩として民間資本家の活動を封ずる措置を実施して旧制度の工業経営,商品生産 と商品分配フ物資生産を一掃せぬばならなかった。しかも旧制度に代って採用され た新制度はいまだ発達起度低く,そのため多くの場介諸種の不備欠陥を露呈してい る。さらにまた,このような方向転換に伴って生起した諸種困難は悪質外国人の策 動,地主の抵抗,フツレジゴア階級の以撃,新体制に敵志を抱く諸他勢力の暗躍のた め激化せざるを得ないυ しかし新制度の反対勢力が破壊活動を行なう余地は次第に狭められてきた。その 迎!向は革命評議会と国民との結合が次第に強化してきたためで,革命評議会の設置 したピルマ社会主義計画党の組織も拡大強化してきたからである。 ピノレマは平和共存と厳正中立とを基調とする外交政策を推進しており,侵略を目 指す植民地主義と帝国主義との策動に反対している。ちなみにソ連とピノレマとの問 ハ U QU 4

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ピ ノ レ マ

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3月) には友好協力関係が確立したυ ソ連国民はビソレマ国民が資本主義を排除した新国家建設方針を確立してすでに諸 種の成果を収めたことを衷心から祝福する。ソ連国民は新国民生活の建設に努めて いるビ/レマ

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に友誼こもる支持と援助とを欣然提供するものであるω 多技術教育制度の改善 技術教育局長は革命

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、ド議会が 1966年 8月1日に1iJ決した一 技術教育制)支を改善し,技

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教育を

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奇:編fJ兄する案を丈{lf:一百に挺

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したO この技術教育 fljiJ)支改善案は1968年6}1に実施の予定である。 この改善案は技術教育局長が現行技術教育制度を検討し諸極欠陥をf術品した結果に 基づいて作成されたO この改善案ではまずマンダレーとラングーンとの工業実務学校2校を高等技術学校 に昇路させることが限目となっている(アウンサンミヨ工業実務学校は農学過桂だけ を生徒に履修させているため現行のままとする〉。 これらは現行制度では初等教育を 履修した 15才以上20才までの生徒を収容,教育しているため,初等学校第 8学年修了 生を中学校に編入しかっ中学校卒業生に限り職業教育と技術教育とを授ける一般教育 制度と合致しない。 したがって改善される技術教育制度:では技術学校入学者は中等教 育履修生と L, 技術学校卒業生は(最終試験である〉官立技術学校入学資格試験に合 格すればこれらの技術学校に入学することができる。 この試験の不合格者は普通合格 証書を授与されて就職することとなる。 これと同ーの制度はタウンジイラモウルメイ ン,プロームフチャウクの各地に開設予定の工業職業学校についても設けられる。 ラングーン, ナトマウク街の商業実務学校はこの種の教育施設としては全国唯一の もので、あるが,同校の改組は今後適当な時期を見計らって実施されるであろう。同校 は現行制度では初等学校第7学年修了生を収容しているが, このことは新規の一般教 育制度では不

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能で、ある。 したがって入学許可資格を最低限度第8学年修了と定め, その代り現行 3年の修学年

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肢を 2年に短縮することとなろう。同校と諸他の改組され る工業職業学校とは|司ーの標準に置かれることとなる。 これら職業学校の卒業生で官 立技術学校入学試験に合格した者は高等教育施設入学有資格者となる。 これらの職業 学校を卒業ししかも官立技術学校入学試験に不合格となった者は高等教育施設入学有 資格者と認められない。 このような者は実務に就くこととなり所要の実務準備教育を 授けられる。 官立技術学校(インセインにl校, マンダレーに1校)の現行修学期間は 3年であ

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-185-ビ ル マ (1

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3月〉 るが改組案では現行週211,r間の英語学修を出しその代りに一般科学を教えることにな る。技術教育局は今回提出の改善案とは別に官立技術学校卒業生に技術院に入所して 正式な技師となるよう所要の勉学と研究とに従事させる措置を採るべきだとの案を拠 出したがこの案は今回文相の承認を得たので近く実施される予定である。ナトマウク 街の高等技術学校に設けられた修業年限3i]'・の夜間学級は労働者を教育している υ こ の夜間学級で修得する教育の程度は官立技術学校で授ける教職の在皮よりは低い, し かし高等技術ザt校の教育桂度よりは高い。技術教育局長は官立技術学校で教える全型g 論過躍を履修させることを目指してこの夜間学級の修業年限を

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から6年に延長す ることを提案した。 この修業年限延長案が実現すれば夜間学級の卒業免状は'

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技 術 学校卒業免状と

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ーの価値を持つこととなり, したがってこの夜間学級で勉学した労 働者は技術院で引き続き勉学する機会に志士れるわけであるυ 技術教育局長は以上の案とは別に大工職,左記

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家共取付属;

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ベンキ職, その他 を技術学校H./111の製作所と細工場とで 6ヵ)J 教え込む説問’下級の!?ト

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案したυ こ の夜間学級の入学資格には厳長な iH!JJ浪をI泣けない予定であるυ 技術教育局長はアウンザンミョ手こ['、

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校が生徒75名の収容能)Jあるものの現伝では 75名だけを収容していることを認めている。

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司校の現行教

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受要目は竹

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毘:茎の編物細 工術,皮革主IH工術,製本術,木彫術,金属版細工術,鉛管製作法であるが,改正案で は一部学校の家庭科で教えている理容訓示石彫刻

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,彫刻,金箔製造,時計修主

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パ ン製造。洗濯,金銀細工,象牙獣骨彫刻,玩只製作, 刺繍:i,裁縫,その他を付加する ことになっているQ や人民警察の意義と使命 警察の主要任務は安寧秩序の維持である, しかし今日の警察がはたしている役割と 過去の警察がはたしてきた役割との間には雲泥の相違がある。 この相違を確認するた めには杭民地時代までさかのぼって新旧警察の比較を試みる必要はない。当時の響楽 は水がI旬く場合だけかまたは瞥察白休の利益となる場合にだけ犯人の捜来に従事し たり lrJ警察は人民のために職責をはたすことよりも気随気位に振舞うことのほうが多 かった, 換言すればIf!警察は厳密な,意味で人民に奉仕する任務て、はなくて単に世波り のための職業として警察官吏に利用されたに過ぎなかった。新旧警察の聞に認められ る大きな相違点は今日の警察が人民に奉仕する公務と成ったことである。警察の名称 それ自体も今日では警察のはたす役割と警察の根本理念とが一変したことを示す, そ れは今日の普察が人民警察と呼ばれてし、ることであるω 瞥察の:恨本理念がこのように 一( 12)一 -186ー

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ピ ノ レ マ C1

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3月〉 一変したことはフアウンギイ中央人民奉仕業務研修所で所長が研修を修了した下級警 察官吏に

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−:日行なった演説で強調された。 公平に論ずるならば, 過去にあっては真の意味で人民に奉仕することを怠った公務 は警察だけに限らず諸他公務も程度の差はあれいずれも単に生活のための職業となっ ていた。 このように生活のため職務に従事する場合には何人も私利追及に耽り,悶利 民福の明進を念願とする殊勝な心掛けは微塵もなかった。 このことは公務民に限らず 商取引や一般職業に従事する者にも汁て限り,何人も私利迫及を念願としてきた。 こ のような態度は今日ではl析呼排撃されぬばならない。今やあらゆる公務,あら ゆる職 業,あらゆる業務は人民の利益増進を目標とせぬばならない。そして人民の日常生活 それ自体も地域社会と国民との利説明進とを目標とせぬばならないの これぞ新たなる 文明開化の真姿にほかならない。 これがニ片日の文明開化に比し温かに高度の文明開化 であることについては何人も異論なきところであろう。かくしてピノレマで、は新生国家 と新丈|円開化とが今や着実に建設されるに至った。 したがって警察と人民軍との概念 と役割,ならびに諸他公務の概念と役割とが一変するに至ったのは理の当然である。 ブァウンギイr¥1央人民奉仕業務研修所の設置された事実それ自体もかかる変化を立証 する。

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修所は公務はと清和業務に従'

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育神ならび に公務と業務に関する新思想と新観念とを教え込み, 人民に専心来{Jする能力を修得 させるため有効適切な訓練を施している。 公務と諸種業務とに従事する者が人民と利害休戚を共にするならば人民は必ずやこ れに対して酬いるであろうの独立T'i/Jのtl1抗期を通じて人民軍はこの悦ぶべき休験を経 てきた。それは人民軍と人民とが一‘身同体であったからである。人民警察も今やかか る反応を人民から得ることとなぺた。 このことはプローム人民警察隊と勤労大衆とが 共同巡察を行なっていることからも明かであるn このように人民警察隊と地元住民と が協力したことは最近 51干問プローム地万とタヱトミヨ地方とで住民の恐怖の的であ った匪賊問を消滅させるに頗る役立つた。 この事例は公務員と人民とが正しい態度と IEしい精神とを育成し堅持するならば如何なることをも成就できるかを示すものとし て意味深長で、ある。 このことは確乎たる独立心の発現でもあり新文明開化の到来を予 示するものでもある。 ここに類する多くの徴{民が生起するならば新文明開化の開花結 実は必至であるの 物農民評議会の重大使命 農民評議会選挙管理委員の第 1同講習会開講式は Hmawbi の再入植勤労者農業学 一 187- 一( 13 )一

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ピ ル マ C1

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3月) 校で昨日挙行された。講習会期は1週間で,受講ー生は各君防ミら派遣された管理委員 114名である。 社会主義計画党中央組織委員会農民局長タウン・チ大佐は受講生に農民評議会の重 要性を説明し,農民評議会は農民大衆の組織化につき責任を負わぬばならないと述べ たの次に同大性は農民評議会の責任事項を下記の通り個別に指示した。 i 農民福祉増進,農民教育向上,農業技能錬磨に必要な手配を整えること ii 農民に最新農法と最新養斉法ならひ、に互助協力制度を採用させるため彼等を 教育し組織化すること iii 農民に訓練を胞し彼等のr¥11併を高め,かくして彼等を選法の良民と化すこと iv 労働者と農民とを同結させること V 革命評議会の定めた諸種社会主義方針を遵守するよう農民を指導,勧喫する こと vi 農民の直市する日市’問題の解決に協力すること 次に同大佐は下記の訓示を述べた。 「私が以

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二列記した責任事項を見れば明らかな通り農民評議会は農民の運命を決 定する極めて重大な使命を帯びている。今同施行される選挙は政府機関で公務に従 事する代表者を選ぶため従来施行されてきた選挙とは全く性質を異にし,農民団体 に代表者を送るための選挙である。 今同の選挙を管理する諸君は選挙が公平に行なわれる上う厳重に監督せねばなら ないの 投標者に投票を自由に行なわせねばならす七何人も白由投票に干渉しではな らないの自由投

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主権の行使に妨害または干渉を企てる者あればその旨を選挙管瑚委 員会に即時通告せねばならないの ピルマ農民は政権相交替の時

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を経てきたため政治経験に宿んでいる。したがっ てわれわれは農民・が彼等を搾取してきた不良分子‘を排除で、きるものと確信してし、 るの農民は過去においてかかる不良分子どものため苦汁を喫したことを決して忘却 していないの 末端農民評議会に所属する者も中央評議会にi輩出される機会を持っているため選 挙管理委員は末端評議会に農民代表としてふさわしい人物を選挙を通じて送り込ま せるよう充分配慮せねばならない。換言すれば農民のため粉骨砕身することを厭わ ずピルマ社会主義制度建設要綱を徹底信奉する者だ、けを選出させるべきであるの」 場参籾買入時期と籾買入価格との改訂 ー( 14)一

(28)

-188-ピ ル マ (1

2・3月) 交易省は1月16日に交易省告示第17号を発して第3次籾買入時期と品種別籾買入価 格とを公告した。 これより先に貿易省は

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年11月30月に第1次と第2次との籾買入時 期と各時期別籾買入価格とを定めた。 Emata,Ngasein, Kaukhnyinの早生品種3種の 第1次買入時期は1966年12月1日以 降1967年1月15日までとし,第2次 買 入 時 期 は 1967年1月間日以降(後日指示される)特定期Hまでとなった。 NεakyweとMeedon との晩生品種2種については第1次買入時期は19G7年1月1日以 降2月15日空で,第 2次買入時期は2月16日以降(?をH指示される〉特定期日までとなった。 さてl月16日付古示を通じて貿易省は第1次買入H寺期と第2(大買入時期との満了を 公示し,第3次買入時期を指示した。早生品種については,今後正式に告示があるま では,第2次貿入の最終期日は2月15R, 第3次買入開始期日は2月16日である。晩 生品種についても,今後正式に告示があるまでは,第2次 買 入 の 最 終 期 日 は3月15 H,第;i次買入の開始期日は3月16日である。 今戸

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の籾買入価格は100カゴ(1カゴ当り容量は46ポンド)につき昨年の買入価格 に比し第1次買入で:10チツヤト高,第2次買入では20チヤツト高, 第3次買入では10 チャット高乃至15チャット高である。 1月16日付貿易省告示では第2次 買 入 と 第3次買入どの100カゴカり籾買入価格は 下記の通り指定された。 Emata品積 普通米 :150∼34:1チャ、ァト !二質米 370∼362 fl

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二米 却の∼:

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fl Ngasein

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,積 普通米 330∼32!) 11 上質米 345∼339 "

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頂上米 350∼343 " Kaukhnyin品種 普通米 320∼315 グ 上質米 330∼324 " 極上米 350∼343 " Nεakywe {ii

干重 普通米 405∼397 グ 上質米 420∼411

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極上米 430∼420 " Meedon品種 普通米 345∼339 II 上質米 3GO∼352 fl 極J:−米 365∼357 II -189- 一( 15 )ー

(29)

ピ ル マ (1

2

3月) 早生品種の第1次買入時期は 1月15日午後 6時に満了となった。同時刻に供出され た現物はすべて第1次買入時期の価格で買い取られたものとして記帳された。秤;量や その他の作業が遅れたため午後6時までに買入手続の完了しなかった場合でもこの価 格で現物が買上げられた。 第1次買入時期の価格は供出された現物が貿易省直営の現地買入所, 賀入貯蔵所, 買入精米所,脱殻所,第1号交易公社移動買入班,農業協同組合fr{常の買入所ど脱設 所などに午後6n、);主でに搬入された場合に限り支払われる。 治安行政委員会中央木部と第1号交易公社とは以l二述ぺた籾買入干続につき各ド部 機構に命令を発した。 今回の交易宵告示につき,各新聞社代表に説明を行なった関係官は下記の通りであ る。

治安行政委民会中央本部副部長Maun日 Kyaw大佐, 貿易省次宵 Thein Han大

佐,中央交易公社の U Thein Maun,第 1号交易公社総裁 SanWin中{fr:,情報省

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Tin Tun 中(仁

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l央交易公判:5Z::易局長 U Tin Tunであったο

番多新国家建設過程におけるビ、ルマ国防軍の償命(ザン・ユー准:!守の演説)

チォードウインゴンの社会関係調査本部で、1月16日以降 2週間にわたって開催され

ることとなった第1間同防軍組織再編成講有会の開講式でサン・ユー准将は灯、一下述べ

る訓示を与えたの受講者は27名の指揮官と副官とで,開講式には革命評議会のタン・

セイン大佐と TinU 大性、 Hla刊1one大

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,社会主義汁

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党本部役員,同防宵関係

1',;,中央政治学校教官が列席した。 〈サンュー准将の演説> 「ピルマ国防軍が結束を堅め強同な団結を誇る場合にだけ革命評議会の作成した 社会主義国家建設す

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は完遂されるのこの計画を短期間内に完還するためには現職 にあると養成中であるとにかかわらず同防軍の全将兵が社会主義意識に燃え立つこ とが絶対必要である。 革命評議会が過去4年間に収めた実績を検討すれば多数の計画がすでに遊行され て多大の成果を収めたことが認めれらる。詳言すれば,!日思想を清算できなかった 諸政党は解消され,労働者と農民との福祉向上を目指すピノレマ社会主義計両党が確 立しラさらにまた労働者と農民との生活条件改善を目指す諸種措置も実施されたO 経済而では青空命評議会は国の経済を強化し,農民を虐げられた境遇か

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解 放 し 彼 等の社会的地位と生活水準とを高めたの p b

参照

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