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戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面-団地家族に関する新聞記事の分析を通じて-

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(1)戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. 論文. 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面 ― 団地家族に関する新聞記事の分析を通じて ―. 梅 田 直 美. 1.はじめに 本稿は、1950 年代から 60 年代にかけての日本の団地家族に関する新聞記 事の分析を通じて、この時期の母親と子どもをめぐる大衆的言説がどのよう であったかを明らかにし、戦後日本における「母子密着」の言説史の視点か らその意味を考察しようとするものである。 団地は戦後日本の「近代家族」の大衆化と関わりの深い居住様式である(落 合 1997、西川 2004、田間 2006) 。2DK の居住空間に、サラリーマンの夫 と主婦の妻、子ども2、3人からなる核家族が住むという生活様式は、民主 的で近代的、都市的な生活様式のモデルとみなされ、団地をめぐってはこう した新しい家族についての様々な言説が現れた(梅田 2010)。特に、団地の 入居が始まった 1950 年代の終わりから 1960 年代はじめにかけては、学術的 にも、また新聞や雑誌などマスメディアにおいても、団地の家族とその生活 に対して注目が集まった。 筆者はこれまで、戦後日本における「母子密着」の問題化過程について社 会問題の構築主義アプローチによる言説史研究を行ってきた(梅田 2015)。 この研究を通じては、1960 年から 2000 年までの長期的なスパンで、 「母子 密着」の問題化過程について明らかにするとともに、戦後の母子関係をめぐ る大衆的言説の変容について一つの見取り図を示すことができた。 しかし、これまでの研究では、長期的なスパンでの言説の変容を描こうと 地域創造学研究. 1.

(2) 論文. したがために、言説の変容が見られた特定の局面を捉えての詳細な記述・分 0 0. 0. 析が出来ていなかった。また、問題化の過程に焦点を当てたために、 「母子密 着」言説の基盤となる認識枠組みの形成過程を詳細に捕捉することが出来て いなかった。具体的にいえば、拙稿では 1970 年代以降に母親や子どもの逸脱 行動の背景として「母子密着」が問題化されたことを指摘した。しかし、筆者 のこれまでの研究作業を通じては、問題化はされていなかったものの、 「母親 と子どもが密着している」 「母親が子どもに対して保護過剰になっている」と いう状況が存在するという認識が、1960 年代には既に大衆的言説空間におい て流通していたことが見出された。こうした認識は、どのようにして普及し ていったのであろうか。また、1950 年代には既に「育児過剰」などの概念に より戦後の新たな母子関係の状況が言説化され始めていたが、これらの言説 と、1970 年代以降の母子をめぐる言説には重要な乖離がみられた。たとえば、 1950 年代の「育児過剰」言説をみると、その原因論は母親の心因論に終始し ていたが、1970 年代以降は、心因論だけでなく母親のおかれた社会環境要因 が母子関係に与える影響が強く主張されている。こうした言説の変容は、ど のようにして起きたのであろうか。 以上の問題関心から、本稿では、 「母親と子どもが密着している」という 状況の認識を広く普及させる契機となった重要な局面のひとつとして、団地 家族をめぐる大衆的言説を取り上げ、戦後日本の「母子密着」言説の形成過 程について、さらなる考察を行うこととしたい。 冒頭で述べたように、1950 年代後半から 1960 年代にかけて、団地の家族 は近代的・都市的な家族であり、団地に住む人々は戦後の民主化に伴って現 れた日本の「新中間層」として捉えられていた。そのため、団地をめぐる言 説には、近代化・都市化に伴う個人や家族、地域の変容に関わる言説が集約 されていた。また、団地の家族をめぐっては、学術的領域における言説形成 と、マスメディアなどの大衆的領域における言説形成が共に活発に行われて いた。学術的には、シカゴ学派の流れを汲む都市社会学者らがアーバニズム 論の枠組みで都市的生活様式、都会人のパーソナリティやコミュニティの実 態を解明しようと調査研究を進めていた。また、家族社会学者らは、戦後の 2.

(3) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. 民主化政策に伴い現れた新たな家族についての調査研究に取り組んでいた。 さらに、団地が建設され始めてから後は、社会学だけでなく建築学や都市計 画学、教育学、経済学、政治学、心理学、医学など多様な領域の研究者が団 地の研究に取り組み学術的言説を生み出すとともに、新聞や雑誌においても 学識者として大衆的言説の形成に貢献した。一方で、朝日新聞社や読売新聞 社をはじめとする新聞社各社も独自の大規模な調査を行い、データに基づい て家族の生活実態や意識を子細に分析し、特集記事として報じた。このよう に、団地家族をめぐっては学術的な言説と大衆的言説の形成が同時に進めら れていた。 (梅田 2010) 以上の理由から、団地の家族をめぐる大衆的言説空間は、戦後の新たな家 族や地域のなかの母親と子どもをめぐる言説が形成される上でも重要な貢献 をしていたことが期待される。しかし、それにも関わらず、これまでの日本 の母子関係史に関する先行研究においては、団地をめぐる大衆的言説はほと んど注目されてこなかった。筆者のこれまでの研究においても、団地に関し ては主に学術的言説を対象としており大衆的言説については補足的に取り上 げただけに過ぎず、また、 「家族の孤立化」の視点から家族とその外部、す なわち近隣、コミュニティとの関係についての言説を中心に取り上げていた ため、母子関係についての言説には着目出来ていなかった。 そこで、こうした団地の家族をめぐって形成された大衆的言説の様相を明 らかにし、戦後日本の近代家族の誕生期においてどのような「母子密着」言 説の基盤が形成されたか、また、それらの基盤形成が戦後日本の「母子密着」 言説の形成過程においてどのような意味を持っていたのかを描き出すことが 本稿の狙いである。 本稿は、以下の構成とする。第一節では、まず、団地家族をめぐる当時の 大衆的言説空間がどのようであったかを新聞記事のバリエーションの分析を 通じて概観する。第二節では、それらの言説空間で、団地の母親と子どもを めぐってどのような言説のパターンがみられたかを記述分析する。特に、 「母 親と子どもが密着している」状況を指し示す言説、あるいは、これまでの研 究で、 「母子密着」 言説の基盤となったと考察された母親の子どもに対する「過 地域創造学研究. 3.

(4) 論文. 保護」 「教育過剰」 「育児過剰」言説について、それぞれどのような特徴を有 していたのかを中心に分析する。 研究の方法としては、社会問題の構築主義アプローチに依拠した歴史的言 説分析の手法を用いた。構築主義の方法論をめぐっては様々な議論がなされ てきたが、本研究が依拠する社会問題の構築主義の立場とは、社会問題をあ る種の「状態」ではなく問題をめぐる人々の「活動」として概念化し、その「活 動」を対象とした経験的研究を行おうとする立場である 1)。 対象資料としては、特に団地居住者について活発な言説編成活動がみられ た『讀賣新聞』と『朝日新聞』の2紙を用いた。この2紙は、団地に関する 連載記事を先駆けて掲載していただけでなく、新聞社独自の調査を行い、そ の結果を書籍や報告書として発行するなど団地をテーマとした執筆活動に活 発に取り組んでいた。記事抽出にあたっては、上記2紙の記事データベース 「ヨミダス歴史館」と「聞蔵Ⅱビジュアル」を用い、1950 年から 1969 年の期 間を対象にキーワード「団地」で検索を行った。その結果、抽出された記事 数は『讀賣新聞』が 2,144 件、 『朝日新聞』が 1,518 件であった。本研究では、 これらすべての記事をレビューした上で、母親と子どもに関わる記事を抽出 し分析するとともに、その記事の中で参照されている記事や資料があればそ れらを探索し分析対象に加えていくという作業を行った。また、上記の資料 のほか、団地をめぐる言説が、戦後日本の「母子密着」の言説史においてど のような意味を持っているかを考察するため、これまで筆者が収集した母子 関係に関する記事(梅田 2015)も補助的に分析、考察の対象として用いた。. 2.団地家族をめぐる大衆的言説空間 冒頭でも述べたように、団地は戦後の「近代家族」の普及と関わりの深い 居住様式であった。2LDK の生活空間は、夫婦と子ども2、3人からなる 核家族が住むことを想定した間取りであった。さらに、公団住宅を購入する うえでは、収入が安定した「終身雇用」のサラリーマンの夫が、主婦の妻と 子どもを養うことが出来るという条件を満たした世帯でなければ難しく、実 際に、多くの調査研究では、団地に住む家族のほとんどが「サラリーマンの 4.

(5) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. 夫と主婦の妻、子ども2、3人からなる家族であるという結果が示されてい た。当時、この団地家族は今後の日本の「新しい庶民」、「新たな中間層」と して注目され、その都市的・近代的な生活様式がどのようなものであるか、 また、そこに住む人々の意識やパーソナリティはどのようなものであるかに ついて、学術的領域だけでなく、新聞、雑誌、テレビなどのマスメディアも 関心を示し、独自の調査を行って、競うように特集記事を組んだ。本稿では、 この団地家族をめぐって、新聞というメディアを通じてどのような言説空間 が形成されていたかをみていきたい。 団地家族をめぐっての大衆的言説空間は、 ①団地をテーマとした特集記事、 ②団地以外のテーマの特集記事において単発で団地を取り上げたもの、③団 地に関わる事件報道、④読者投稿欄で団地に言及したもの、に区分される。 まず、団地をめぐる大衆的言説空間をみるとき、最も目立つのが団地を テーマとした連載ものの特集記事である。 「団地族」が 100 万人を超えたと発 表されたのち、新聞や雑誌などのメディアはいち早く団地をテーマとして取 り上げた。 「団地族」を最初に紹介したのは 1958 年7月の『週刊朝日』であり、 その後、多くの新聞・雑誌が団地と団地族の特集記事を組むようになった(梅 田 2010) 。 初期の連載記事では、新聞社の取材によって、団地の生活や団地居住者の 特性をあらわす記事が書かれていた。テーマは特に定まったものではなく、 各回で多様なトピックが取り上げられている。たとえば、全国紙で早期に始 まった連載記事として 2)、 1959 年に 『讀賣新聞』 で連載された「ダンチ」がある。 この「ダンチ」では、 『週刊朝日』の記事とほぼ同じく、人間関係のトラブル を中心に、所有者と居住者の関係や政治意識、子どもの遊び、防犯など多様 なトピックが取り上げられている。 その後、徐々に新聞社独自のアンケート調査や、学識者との共同調査が実 施され、 それらの調査結果にもとづいた連載記事が現れてくる。それに伴い、 テーマも絞られ、特定のカテゴリーを対象とした記事が増加する。その代表 的なものが、『讀賣新聞』においてそれぞれ 1961 年と 1962 年の年頭から連 載された「われらサラリーマン」と「わたしとあなた」である。 地域創造学研究. 5.

(6) 論文. 「われらサラリーマン」は、団地居住者の中でも「サラリーマン」である夫 に焦点を当てたものである。読売新聞社が団地居住者に対してアンケート調 査を行い、その結果を、学識者とともに分析して連載記事にしたものである。 アンケート調査は、東京と大阪の 41 団地の約 2000 世帯を対象としており、 質問項目も 125 項目に渡る大規模なものであった。この「われらサラリーマ ン」が好評だったことから、その翌年、同様にアンケート結果をもとに、今 度は「主婦」である妻を中心にまとめた「わたしとあなた」が始まった。 「わ たしとあなた」というタイトルは、 「わたしとあなただけの核家族が、平和 と繁栄の象徴として刻々ふえてきている」という意味で付けられている。ア ンケートの質問紙作成から分析に至るまで、松下圭一や松原治郎、加藤秀俊、 小山隆といった当時活躍する学識者らが関わっており、データと学術的知見 に裏付けられた記事として注目された。また、 「われらサラリーマン」と「わ たしとあなた」はどちらも、連載各回に「これはあなたです」という見出し で団地生活を舞台とした写真が付され、そのモデルには新珠三千代や団玲子 などの女優を起用し大衆の関心をさらに集める工夫がされた。さらに、これ らの連載記事の内容は、読売新聞社会部編(1961) 『われらサラリーマン』 、 『わたしとあなた』として書籍にもまとめられ、同タイトルがついた映画も 公開されるなど注目を集めた。この 「われらサラリーマン」 「わたしとあなた」 に代表される言説空間は、新聞社と学識者の共同作業により、膨大な量のア ンケート結果にもとづいた連載という形で、都市的・近代的な家族の意識や 生態を描いた特徴的な言説空間であった。 『朝日新聞』でも、 『讀賣新聞』より少し後になって、1963 年に特集記事「団 地」が連載されている。 『朝日新聞』は、 『讀賣新聞』に比べると 1960 年代前 半までの特集記事の回数は少ない。しかし、特集を組んでいる時は、ほぼ1 面を使って特定のテーマに基づいた複数のコラムを掲載し、インパクトがあ る紙面を形成している。この連載「団地」おいても、各回ともほぼ1面を使っ て、団地居住者の気質、政治意識、環境開発、家計、防犯、医学的課題など 多様なテーマにもとづき記事が構成されている。 その後、1960 年代の後半に入ると、団地をテーマとした特集記事はさら 6.

(7) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. に多様化する。たとえば、 『讀賣新聞』では 1966 年に「団地の 10 年」 「団地 と学校」が連載される。 「団地の 10 年」は心理学者の藤永保による記事で、 「新 しい階層を生み出す」 「対立2集団 プライバシー派と社交派と」などのト ピックで5回に渡る連載となっている。 「団地と学校」は、 「足立区立十四中 生活指導部」によるコラムで、 「田園風景消え、非行も都会化」「手ごわい? 団地PTA」 「親に注ぐ批判の目」 「自主性ない親たち」「成績第一主義のおか あさん」と同じく5回に渡る連載記事である。また、1968 年には、 「住めば 団地」 「マイだんち」が連載される。 「住めば団地」は、多様なテーマにもと づく 37 回に渡る連載コラムで、 「ミニから脱出」 「踊る商法」「こどもの世界」 「健康家族」 「分譲わが家」 「新旧市民」 「白い壁の中の悩み」などのテーマご との連載となっている。 「マイだんち」は、 「赤羽台『ゼンガクレン』も飛び 出す“転校送別会” 」 「汐見台“核家族”89.2%」 「常盤平 生まれ変わった校庭」 など、特定の団地のトピックを取り上げている特集記事である。 『朝日新聞』でも、同様に 1960 年代後半は多様な連載記事がみられる。 1967 年から始まった連載記事「団地カルテ」は、団地における様々な医学的、 教育的問題を取り上げ、それに対して学識者が論じるコラムである。この言 説空間では、学識者による団地居住者を中心とした一般家庭への啓蒙的言説 が形成されている。取り上げられている問題は多岐にわたるが、当時、団地 居住者に特有の精神的状況を指して話題となった「白壁ノイローゼ」や、連 帯意識、害虫駆除や換気などの衛生的問題、育児、しつけ、教育、歯みがき、 寝具の選び方、台所家具の選び方に至るまで多様なテーマが取り上げられて いる。また、同じく 1967 年から 1968 年にかけて、同一紙面に「団地」「プ ンプンキー子」 「団地っ子」という3つの記事が掲載されるようになる。 「団 地」は、 「団地農園一家総出で畑仕事 新所沢」 「自治会が一年間も空白 柏市 豊四季団地」「PTAのない学校 国立市の第五小」などのように、その回ご とに、ある特定の団地のトピックを取り上げている。 「プンプンキー子」は、 団地の子どもを主役とした小島功による4コマ漫画で、 「団地っ子」は、団 地の子どもたちの声をそのまま掲載したものである。このように、団地をテー マとした連載記事も、多様な形になっている。 地域創造学研究. 7.

(8) 論文. 次に、団地以外のテーマの特集記事のなかで単発で団地を取り上げた記事 についてみていきたい。 『讀賣新聞』 『朝日新聞』の両紙とも、上記の団地を テーマとした特集・連載記事とは別に、単発で団地を取り上げることがしば しばあった。特に、家庭面を中心とした特集記事や連載記事で団地を取り上 げたものが、団地家族についての言説形成において重要な役割を果たしてい た。たとえば、 『讀賣新聞』では「新しいおつきあい」という連載記事のなか で、「7 アパート八分 双方にある言いぶん」などのように団地のつきあい を取り上げている。また、 1965 年には「東京百話」という連載で「モダン長屋」 という見出しの団地に関する記事を掲載している。この記事は、物語形式で 団地家族の姿を細かく描写しており、団地家族に関して当時流通していた認 識を色濃く反映したものであった。 これらの団地をテーマとした特集記事や単発の記事は、いずれも団地を テーマとしてはいたが、そこで形成される言説は決して団地居住者、団地家 族に限定したものではなく、当時急速に普及している「ホワイトカラーのサ ラリーマン」や「主婦」といった「新中間層」の生活や意識、新たな近代家族 のあり様に対するものであった。その点においても、これらの記事は、団地 というカテゴリーを超えて、都市的・近代的な個人と家族をめぐる大衆的言 説を形成するうえで重要な役割を果たしたといえるだろう。 上記の団地をめぐっての特集記事が、記者や学識者によるオピニオン記事 であった一方で、異なる形で団地をめぐる大衆的言説の形成に貢献したの が、団地で起きた事件についての報道記事であった。団地の入居が始まった 初期には、1962 年のひばりが丘団地の老女殺しに代表される事件報道によ り、団地の防犯に注目が集まった。また、 「内職で団地マダムをだます」 (1962 年 10 月 10 日『讀賣新聞』朝刊) 、 「団地暮しのミエがアダ テレビ 36 台主婦 が月賦詐欺」(1963 年 7 月 27 日『讀賣新聞』夕刊)などのように、団地の主 婦の間での詐欺事件が報道された。一方で、 「主婦ガス自殺 団地生活にノ イローゼ?」 (1960 年 9 月 7 日『讀賣新聞』朝刊)といった、 「団地ノイローゼ」 「白壁ノイローゼ」といわれた、団地居住者に特有の病理が背景と推定され る事件の報道も時折みられた。また、1960 年代後半に新聞各紙で繰り返し 8.

(9) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. 報じられ、注目されたのが、上尾団地主婦殺し事件である。これについては 後に詳述するが、子どもを預ける仲の主婦間での殺人事件であったことや、 事件について誰も気づかなかったことなどから、団地の主婦のつきあいをめ ぐる議論に大きな影響を与えた。このように、団地をめぐる事件報道は、団 地における様々な「問題」に関する認識を、大衆的な言説空間で流通させる 上で重要な役割を果たしていた。 最後に、もうひとつ、新聞記事を通じて団地の家族をめぐる大衆的言説が 形成されるうえで重要な役割を果たしたのが、読者投稿欄である。ある投稿 記事をきっかけに読者間でのやり取りや論争が起き、それらを新聞社が取り 上げて特集記事を組むというパターンが時折みられた。たとえば、 『讀賣新聞』 では 1961 年に「女性のこえ」という投稿欄で、 「本当にうるさい団地のおしゃ べり」 「団地暮らしが心配になる」 「団地生活は快適です」といった団地に関 する読者間のやり取りが掲載されている。また、 『朝日新聞』では、 「ひととき」 というコーナーで、団地の「競争病」をめぐっての論争があり、後にそれら の投稿内容や反響をまとめた特集記事を組んでいる。これについても後に詳 述するが、こうした読者投稿欄の記事をみると、マスメディアを通じて普及 している団地に関する言説が、どのように読者に受け取られ、どのように認 識されているかが読み取れる。 以上、1950 年代から 60 年代までの団地の家族をめぐる大衆的な言説空間 の様態を、新聞記事のバリエーションをみることで確認してきた。冒頭でも 述べたとおり、団地の家族をめぐる言説は、団地という特定の生活空間カテ ゴリーに住む人々、家族を指していながらも、それらに対象を限定するので はなく、 日本の近代的・都市的な家族、 日本の「新中間層」に対する評価となっ ていた。 「われらサラリーマン」 「わたしとあなた」はその代表的な言説空間 であったといえるだろう。 また、団地をめぐっては、学識者などの学術的関心による言説形成と、マ スメディアなどの大衆的言説形成が、両者の密な連携によって同時に行われ たことにも留意したい。団地をテーマとした特集記事においても、学識者が 記事のもとになるデータの作成や分析に関わっており、また、「団地カルテ」 地域創造学研究. 9.

(10) 論文. に代表されるように学識者による啓蒙的言説が形成されていた。さらに、新 聞社独自の調査が各社で大規模に実施されており、団地をめぐっては、学術 的関心の枠を大きく超えて、マスメディアによる大衆的言説の形成が進めら れていたことがわかる。また、読者投稿欄においては、団地をめぐる大衆的 言説が読者の認識に結び付いていることが読み取れる。 以下では、これらの団地家族をめぐる大衆的言説空間の中で、母親と子ど もの関係をめぐってはどのような言説が存在していたか、その特徴を描き出 したい。. 3.団地の母親と子どもをめぐる言説 本節では、1950 年代から 60 年代にかけての団地家族をめぐる大衆的言説 空間の中で、母親と子どもについてどのような言説がみられたか、その特徴 を記述分析する。特に、1970 年代以降の「母子密着」言説につながる、 「母 親と子どもが密着している」 という状況、 あるいは、 母親の子どもに対する「過 保護」 「教育過剰」 「育児過剰」といった状況が、それぞれどのように言説化 されていたかをみていきたい。 結論を先取りして整理しておくと、団地の母親と子どもをめぐっての言説 は、以下のパターンに分類することが出来る。 第一に、団地の家族そのもの、とりわけ家族内部の人間関係の変容に関す る言説が挙げられる。先述の通り、団地家族は「サラリーマン」の夫と「主婦」 の妻、子ども2、3人からなる核家族が多数を占めていたため、核家族化や専 業主婦化に伴う生活様式や家族内の人間関係の変容を指摘する多様な言説が 生み出された。さらに、産業化や消費社会化の進展によって、家電製品など 便利な生活設備が導入されたことも加わり、女性が専業主婦となり、仕事を せず終日家庭にいる上に、生活の利便性が高まったことで暇とエネルギーを 持てあまし、そのエネルギーが子どもへと注がれるという言説が形成された。 第二に、団地の家族をめぐる近隣関係、コミュニティの変容に関する言説 が挙げられる。拙稿でも指摘したように、団地の近隣関係をめぐっては、都 市社会学者をはじめとする学識者やマスメディアの調査研究活動を通じて、 10.

(11) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. 「個人主義」 「家族中心主義」が進行し、地域の人間関係が希薄化していると いう個人・家族の「孤立化」言説が形成された(梅田 2010)。団地家族をめぐっ ては、この個人・家族の「孤立化」言説と母子関係に関する言説が結びつけ られ、近隣づきあいが減少することで母親の関心が子どもばかりに向かって いるという状況が指摘された。また、同質性の高い居住者が集住することに より、 「競争」 「ミエ」の風潮が高まり、子どもに塾や習い事を競ってさせる ようになったことがさらに教育熱を高めているという言説も形成された。 第三に、建築物など生活環境の近代化に関する言説が挙げられる。近代的 な建築環境(物質的条件)として、コンクリートの「白壁」、人工的な遊び環 境、画一的なデザイン、近隣に対する騒音を気遣わざるを得ない集住環境な どが、居住者である母親や子どものイライラを募らせ母子関係に悪い影響を 与えているという言説が形成された。 以下では、この3つの言説のパターンについて、詳しくみていきたい。. 3-1.団地家族の変容と母子関係 団地家族をめぐる大衆的言説のなかで、最初に母子関係に関する言説を形 成する契機となったのは、 「主婦」である団地の妻、すなわち母親に対する 関心であった。団地の母親の特徴として指摘されたことは、 「主婦」として の生活様式や生活態度、意識であった。また、 「家庭の民主化」、夫婦平等の 考えに基づく家族内部における女性の地位の向上、 「家庭主義」の浸透など もあわせて注目された。 この「主婦」である母親について、団地をめぐる記事で特に取り上げられ たのが、その有閑さと、それに伴う、しつけや教育における熱心さである。 近代的な団地生活のひとつの特徴は、システムキッチン、水洗トイレ、洗濯 機などの充実した生活設備や電気器具である。これらが備わった団地では、 主婦は家事の時間が大きく削減され、暇な時間やエネルギーを持て余すよう になるとみなされた。このことも、当時の新聞記事や雑誌記事で取り上げら れる格好の題材となっていた。 この「実態」を紙面で繰り返し取り上げたのは、 『讀賣新聞』の 1962 年の 地域創造学研究. 11.

(12) 論文. 連載記事「わたしとあなた」であった。先述のとおり、これらの記事は東京 と大阪の団地を対象とした大規模なアンケート調査の結果にもとづくもので あり、戦後の近代家族をめぐっての詳細な分析と考察の結果が、多様な分野 の学識者のコメントを交えて論じられていた。この連載記事は、団地家族の 変容についての言説と母親と子どもの関係に関する言説を形成するうえで極 めて重要な役割を果たしていたため、以下に詳しく取り上げておきたい。 この記事の第一回目は、 「平和と繁栄の象徴 夫婦だけの家庭ふえる」とい う見出しであり、 以下のように連載の趣旨について述べている。 夫婦だけの単婚家庭が五%もふえてきたということは、日本の名実と もに近代化のはじまり、平和と繁栄のシンボルでもあろう。 一九六二年の年頭にあたってまことにめでたい話であるが「わたしと あなた」だけでつくられたこの現代家族が、いつまでも平和と繁栄をつ づけていくためには、いままでと違った新しいいろいろな問題と取っ組 まねばならないこともまた当然だろう。わたしたちはあなたの家庭に幸 福を送り込むために、この連載ものをはじめます。 . (1962 年 1 月 1 日『讀賣新聞』朝刊). このように、第一回目の記事では、 「 『わたしとあなた』だけでつくられた この現代家族」である夫婦中心の核家族の増加を、 「平和と繁栄のシンボル」 として評価する一方で、 「いままでと違った新しいいろいろな問題と取っ組 まねばならない」と、多様な新たな問題を抱えるものであることを示唆して いる。 続く第二回目は、 「まあ満足夫人 まず家庭だんらん」を見出しとし、主婦 を対象としたアンケートの回答で「まあ満足」を選択した人が最も多く、そ れまでの日本の女性史では「どちらともいえない」「やや不満」でまとまっ ていたことから、日本の女性史上最初の「まあ満足夫人」の誕生であること を述べている。そして、この「まあ満足夫人」の誕生の背景として、社会学 者の加藤秀俊による「家庭主義哲学」の存在を指摘するコメントが記載され 12.

(13) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. ている。 加藤さんは団地をまあ満足夫人の純粋培養基と表現するが、しかしそ れにしても生活全般にわたってなんと「まあ満足」が多かったことか。 このまあ満足夫人のとうとうたる誕生は家庭主義哲学からでているとい うのが加藤さんの結論だ。 「戦後旧来の家庭制度がつぶれてから日本には 家庭哲学が不在でした。それは親子がバラバラにいることが民主主義的 だと思われていた時代のことなんです。それが朝鮮動乱を境に生活水準 の向上、耐久消費財の普及、それにアメリカ的なものが加わって新しい 家庭主義哲学が生まれた。哲学なんていうとむずかしいが、イメージと していえば休みの日に夫がこどもの三輪車を押している。その間に妻が 台所でおいしいものをつくっているといったものなんです」 (中略) 「女の場合この家庭主義でこどもと夫を同列に置いた保母になったと いえるでしょう。夫は外でどんな有能な仕事をしていても家では無能な 園児に過ぎない。テレビの『ママちょっときて』に見られるようにちょっ ときてママ、ちょっときてママとみんなから呼ばれ、たよられているあ のふんい気に現代主婦がシンボライズされていると思われますね。 」 . (1962 年 1 月 2 日『讀賣新聞』朝刊). ここで加藤は、団地家族に象徴される戦後の新たな家族にみられる「家庭 主義哲学」について論じている。 「家庭主義哲学」が何を指し示すのかについ て、加藤は「イメージとしていえば休みの日に夫がこどもの三輪車を押して いる。その間に妻が台所でおいしいものをつくっているといったものなんで す」と説明している。さらに、 「男の生活信条にはいろいろありますが、も しあなたが男だったらもっとも同感できるものはなんですか」との質問に対 し、最も多かった回答が「妻やこどもと家庭生活を楽しむ」で 60%を超え たことを示しながら、 「男女ともそういう家庭哲学をもっている」とも述べ ている。また、この記事の中では、当時人気を集めていた 1954 年から放映 されたアメリカのホームドラマ『パパはなんでも知っている』や、同じくア 地域創造学研究. 13.

(14) 論文. メリカのドラマ『うちのママは世界一』を模倣して日本でつくられたという 1959 年の『ちょっときてママ』などで描かれた、 「民主的」で「幸福」な家族 のイメージがこうした「家庭主義」を象徴するものとして用いられている。 拙稿では、当時の団地の近隣関係をめぐる言説空間において、団地では「個 人主義」と並行して、ここでの「家庭主義」とほぼ同様の意味で用いられて いた概念である「家族主義」 「家族中心主義」あるいは「マイホーム主義」が 浸透しており、そのことが個人・家族の孤立化、近隣関係の希薄化に結び付 いているという認識が流通していることについて述べたが(梅田 2010)、団 地家族をめぐる言説においては、この「家庭主義」によって女性が「主婦」 あるいは「ママ」となり、そのことが家族内部にどのような影響を及ぼして いるかが言説化されていた。 このように、団地の家族をめぐっては、平和と繁栄のシンボルとして、豊 かで民主的な生活を送っているというイメージが形成されていた。しかし、 「わたしとあなた」の第一回目でも示唆されていたように、それらの家庭生 活に対しては、肯定的な言説ばかりではなく、次第に、そこに存在する様々 な問題が指摘されていくようになる。 その中でも、特に繰り返し強調されたことは、この新たな家族にみられる 「家庭主義哲学」や家事の電化、インスタント化などの家事労働の負担軽減 によって、団地の「主婦」である母親は時間とエネルギーを持てあましてい ること、また、その状況に近隣関係の状況(近隣住民への過剰な関心や干渉、 あるいは、 近隣関係がうまく形成されず孤独に陥っている状況など)が重なっ たことが、母親の子どもへの密着、教育過剰、しつけ過剰、過保護といった 状況へとつながっているということであった。近隣関係の状況については後 の節で詳しく取り上げることとし、ここでは、 「主婦」である母親が余った 時間とエネルギーを家族内部、特に子どもへと注いでいるという言説を取り 上げてみていきたい。 次の引用は、 「わたしとあなた」の連載のなかの「心理学ママ しつけの優 等生 けれど“ボク欲求不満ヨ” 」という記事の一部である。 まず、冒頭で「オシメと“母の権利” 」という小見出しで、 「オシメ配給会社」 14.

(15) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. の説明をしたうえで、次のように続けている。 これは家庭の主婦は家事労働の商品化によって妻の座ばかりでなく、 母の“権利”をもうばわれつつあることを意味する。 一体、あまった主婦のエネルギーはどこにゆくのだろうか。 大阪市立大学の梅棹忠夫助教授は「それは、こどもの教育に集中する」 という。 「現在の日本の主婦たちは全精力をこどもの教育に投入することに よって、自己の立場を維持しようとしている。こどもの生活にベッタリ と密着した教育熱心な母親たちは、余剰エネルギーの発散と自らの地歩 の維持との二つの目的のために、こどもを手段として利用しているもの なのだ。 」 教育熱心の裏側 教育熱心こそは、あまったエネルギーのはけ口でもあり、母の権利を 守る方法だというのである。母親向きの育児書やしつけの本がよく売れ ることはこれを物語るものだろう。(1962 年 2 月 1 日『讀賣新聞』朝刊) これらの記事にみられるように、団地の「主婦」である母親は、家庭の民 主化、家事からの解放、家庭主義の浸透といった状況において、「母の権利」 という自己の立場を維持するために、また、余った暇とエネルギーを発散さ せるために、過剰なしつけや教育を行っていると指摘されていた。さらに、 こうしたしつけや教育のあり方は、子どもへの負の影響を及ぼすものと認識 された。この記事ではさらに、87 種類の「しつけモデル」を指標とした調査 (兵庫県美方郡温泉町井土の 29 戸と、大阪府茨木市の団地 250 世帯の比較調 査)を行ったところ、団地は「 『望ましいしつけ』の模範的実施地帯」であっ たが、同じ子どもを対象に欲求不満テストと親子関係診断テストを試みたと ころ、以下の結果が得られたと記されている。 この結果はまさにおどろきだった。しつけがよく行われているはずの 地域創造学研究. 15.

(16) 論文. 団地では非社会的、個人中心的でしかも協調性に欠けるこどもが多く、 逆にしつけが不十分なはずだった井土では協調的であるばかりか、積極 的なこどもがたくさん発見されたのである。これはまさに“心理学ママ” の敗北であるといえる。 「望ましいといわれるしつけでも、与える方法がわるいとこんなこと になります。父親が毎晩おそく帰り、母親がいらいらしながらしつける と、こどもはたちまち欲求不満になってしまうのです。問題はむしろ家 庭内の質的な人間関係にあるでしょうね」 . (1962 年 2 月 1 日『讀賣新聞』朝刊). また、次の回の「ママ聞いて しかってばかり ボク、百点はとれない」と いう見出しの記事でも、 「主婦が余ったエネルギーを、こどもに集中して、 過保護とか教育過熱の問題をひきおこし、そこからこども自身の疎外現象が みられる」 (1962 年 2 月 2 日『讀賣新聞』朝刊)と冒頭に記載し、前回から引 き続き、母親が余ったエネルギーを子どもに向けていることが子どもに負の 影響を及ぼしていることを批判している。 以上の記事が団地の「主婦」である母親をめぐる言説空間でみられた一方 で、団地の子どもをめぐっても同様の言説が形成されていた。当時の記事で は、団地で育つ子どもを「団地っ子」と呼び、その子どもたちの特性につい ての批判的言説が多くみられ、その原因として母親の過保護や教育過剰が指 摘された。 たとえば、 『朝日新聞』の連載記事「団地」には、「その子どもたち 温室 の中の草花 女性化し主体性を欠く」という見出しで、ある団地の学校の校 長のコメントが、以下のように書かれている。 団地っ子は現代の王子様、王女様と言ったらいいのか、ようするに保 護過剰なんです。少し寒いと「風邪をひくといけないからセーターを着 て行きなさい」と着ぶくれさせられる。子どもはエネルギーをもてあま しているから、冬でも半ズボンで平気なのに、母親が自分の感覚でやた 16.

(17) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. らに着せたがる。子どもは教室に入ると汗びっしょりになってしまうの で、窓という窓を開け放してフーフーいっている。 おもちゃ、学用品、参考書でもみんなそうです。子どもたちがほしい と思う前に親が先走りして買い与える。もっといろんなものに飢えさせ るといいんだが、みちたりすぎている。それに母親がつきっきりであれ これ面倒を見てくれるので、それに合わせて行動さえしてくれればいい。 だから自主性、主体性のない子になってしまう。 . (1963 年 11 月 18 日『朝日新聞』朝刊). このように、 団地の子どもは、 それ以外の地域の子どもに比べて「ひ弱」で、 温室の中の草花のようであり、自主性・主体性に欠けると述べ、その原因と して「みちたりすぎている」 「母親がつききりであれこれ面倒をみてくれる」 といった「保護過剰」であることを指摘している。 さらに、1967 年からは『朝日新聞』に連載された「団地カルテ」という連 載記事のなかで、小児科医などの専門家による医学的、教育学的見地からの 啓蒙的言説として、母親の育児に対する神経過敏や考えすぎ、過干渉といっ た問題が取り上げられた。たとえば、児童遊園をテーマとした記事では、 「団 地の主婦は、家事労働を早く終わる傾向があり、一般的にヒマではあるが、 積極的なサークル活動や近隣のつきあいも少ない。親子関係では、不安、干 渉の著しいタイプの母親が多く、三、四歳の年少児に限らず、子どもの幼稚 園の送り迎えや戸外遊びにも、かなりついてくる」と、団地の「主婦」であ る母親が家事労働の軽減によって「ヒマ」である一方で、地域活動や近隣づ きあいが少ないことに言及し、続けて「母子密着の育児態度や近隣における 母親自体の相互交渉の欠如を考え直してみる必要があろう」と指摘している (1967 年 7 月 6 日『朝日新聞』朝刊) 。ここにも同様の認識が見出せる。この 「団地カルテ」では、度々育児がテーマに取り上げられ、上記の他の回でも、 「なかまと遊ばせよ 子どものしつけ」という見出しで、団地の母親が教育熱 心であることについて「 『教育』の名において、子どもたちは友をうばわれ、 あそびをうばわれ、人間的なよろこびをうばわれる」 (1967 年 8 月 17 日『朝 地域創造学研究. 17.

(18) 論文. 日新聞』朝刊)と非難している。このように、団地の母親は育児や教育に熱 心であり、それが団地の子どもたちに何らかの負の影響を与えているという 認識が団地家族をめぐる大衆的言説空間の中で流通していたのである。 以上、団地の家族が「サラリーマン」の夫と「主婦」の妻、その子どもか らなる都市的・近代的家族のモデルとして取り上げられ、その特徴として、 夫婦だけの家族の増加や、女性が「主婦」となったことについての言説が形 成されたことをみてきた。そして、それらの言説のなかで、かつて家族の中 で女性が担ってきた家事や育児といった労働が軽減され、それゆえに時間 とエネルギーを持てあますことになった「主婦」である母親が、その時間と エネルギーを子どものしつけや教育へと注ぎこむとともに、そのことによっ て自らの地位を維持しようとしていること、 「子どもにべったりと密着した」 状況に陥り、子どもに弊害が生じていることが言説化されていることがわ かった。また、父親が不在のなかで母親がイライラしながらしつけをするこ とも、子どもに対して負の影響を与えていると批判する言説も見出された。 このように、団地家族をめぐっての「平和と繁栄のシンボル」とされた初期 の言説は、瞬く間に、暇とエネルギーを持てあます母親と、その過剰なしつ けや教育によって問題を抱えることになった子どもという批判的言説へと変 わっていったのである。. 3-2.団地コミュニティの変容と母子関係 続けて本節では、団地の家族をとりまく外部の人々との関係、すなわち団 地の近隣関係やコミュニティの状況と関連づけられた母親と子どもをめぐる 言説をみていくことにしたい。. 3 - 2 - 1.団地の主婦の「孤立/孤独」と「つきあい過剰」 まず、筆者のこれまでの研究で得られた知見も引用しながら、団地の「主婦」 をめぐる近隣関係、コミュニティをめぐっての当時の大衆的言説がどのよう であったかを確認しておきたい。なお、ここで「主婦」というカテゴリーを対 象としたのは、団地の「母親」についての言説を特徴づけていたのはこの「主 18.

(19) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. 婦」というカテゴリーであったからである。本項では、子育てや子どもに関す る記述がなく「母親」であるかどうかが明確にわからない場合でも、 「主婦」と いうカテゴリーについての言説であれば、対象として取り上げることとする。 1950 年代から 60 年代にかけての団地に関する学術的言説空間では、団地 居住者は「個人主義」 「家族中心主義」あるいは「孤立主義」的であり、近隣 づきあいが希薄であることが数々の調査研究論文等を通じて言説化されてい た。しかし、当時の新聞や雑誌記事をみると、団地の主婦に限っては、これ とは異なる様相が描かれている。この点については拙稿で一部取り上げてい るが、団地の主婦の近隣関係については、団地に関する新聞記事が登場した 当初から、同じ棟や階段に住む者同士の濃密なつきあいがあり、そのつきあ いが過剰であるがゆえに「ミエ」 「のぞき」 「競争」 「階段八分」など人間関 係上のトラブルが頻発していることが指摘された(梅田 2010)。一方で、こ れまでの団地論で指摘されてきたように、主婦についても孤立している/孤 独であるという言説も存在しており、団地の主婦はお互いにわずらわされな い孤立的な生活をのぞんで入居していること、殻に閉じこもっていて孤独で あることなどが指摘された。このように、 団地の主婦の近隣関係に関しては、 「近所づきあいが過剰である」とする言説(以下、 「つきあい過剰」言説とする) と、 「孤立している/孤独である」 (以下、 「孤立/孤独」言説とする)の両方 が入り混じった複雑な言説が編成されていたといえるだろう。 これらの言説において留意すべきことは、 「つきあい過剰」言説と「孤立/ 孤独」言説は、対抗しているものであったわけでなく、互いに補完的なもの となっていたことである。たとえば、 「個人主義的・孤立主義的な考えを持っ ているにもかかわらず集団生活に巻き込まれざるをえない」 「過剰なつきあ いによる人間関係のわずらわしさから逃れようとして孤立/孤独を選択して いる/すべきである」といった言説が同時に存在していた。このように、 「つ きあい過剰」言説と「孤立/孤独」言説は複雑に入り混じっていたのである。 たとえば、1959 年の『讀賣新聞』連載「ダンチ」の1回目から 5 回目まで は団地の人間関係をテーマとしており、この 5 回の記事はいずれも、団地の 居住者が孤立主義的な生活を望んでいるにもかかわらず集団生活に巻き込ま 地域創造学研究. 19.

(20) 論文. れざるを得ないことを指摘している(梅田 2010) 。初回の記事「階段が基盤 の交際 不満もコンクリートを通して」では、まず、 「団地では向こう三軒両 隣り的な近所づきあいはあまりない。公団アパートに住む人たちが、口をそ ろえてその利点としてあげるのは、わずらわしい近所づきあいをしないです むということだ」「なるほど、公団のアパートに入る人たちは、割合い年が 若く、新婚の夫婦ものが多い。戦後の教育を受けた人たちは、他人に干渉す ることも、他人にオセッカイをやかれることも好かないようだ」と、団地の 居住者が孤立主義的な生活を望んでいることを説明している。そのうえで、 「しかし、そうともばかりいっていられない。共同生活だからだ。向こう三 軒両隣りにかわるものはここでは“階段” 」と述べ、階段を基盤にした人間 関係のトラブルを描いている(1959 年 7 月 1 日『讀賣新聞』朝刊)。続く2回 目から5回目においては、 「光る“まわりの目”食べ物にも神経を使う」、 「信 念が必要な“独立” “全員一致”が追いかける」 、 「音でわかる家の中“裏窓” ばりののぞき夫人」 、 「洗たく用の下着“見通し”が生む“競争心”」と、団地 の主婦の様々な人間関係上のトラブルが取り上げられている(1959 年 7 月 2 日~ 5 日『讀賣新聞』朝刊) 。このように、団地の主婦は個人主義的・孤立主 義的な生活を享受しようとしているのに対し、実際は団地という共同生活の 中での濃密なつきあいから免れることが出来ず、それゆえに様々な人間関係 のトラブルが生じていることが指摘されていた。 一方で、団地の主婦は「過剰なつきあいによる人間関係のわずらわしさか ら逃れようとして、孤立/孤独を選択している」という言説も存在した。団 地のつきあいは過剰で人間関係のトラブルが生じやすく、そのわずらわしさ から逃れるために団地の主婦は「孤立/孤独」を選択せざるを得ないのだ、 と主張するものである。たとえば、 「団地マダム」(1960 年 7 月 10 日『讀賣 新聞』朝刊)という見出しのコラムでは、 「殻に閉じこもった生活」として「彼 女らは孤独である」 と団地の主婦の孤独を指摘しながら、 「彼女たちはうわさ、 スキャンダルが好きだ。一軒の家の不幸は、たちまち興味半分の話題になっ て、団地に広がってしまう」 「彼女らが隣近所と深い交際を結ばないという のも、実は自分が他人のうわさ話の材料になるのを恐れているのだ」と、噂 20.

(21) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. 話などに巻き込まれることを避けるために孤独になっているとみている。ま た、 「団地の生活を見る 全国婦人会議の行事から 多すぎる“雑音”」(1960 年 4 月 16 日『讀賣新聞』朝刊)の記事では、団地の婦人会議で話し合われた 内容が記事となっており、当初は、団地でグループ活動や連絡簿の作成、ま た、子どもの預け合いなどを試みたが、連絡簿をみて陰口が生じたり、子ど もを預かったらその話を一部始終言いふらされたなどのトラブルになり、結 局はどの話もなくなった、といったエピソードが記載されている。このよう に、団地の主婦が、人間関係のトラブルを避けるために、近所づきあいや近 隣のグループ活動を断念あるいは敬遠するようになったという指摘は、多く の新聞記事にみられた。 このように、団地の主婦の人間関係についての言説では、「つきあい過剰」 と「孤立/孤独」が複雑に入り混じっており、 「孤立/孤独」を志向している にも関わらず集団生活に直面することによって人間関係上のトラブルが生じ ている、あるいは、 「つきあい過剰」によって生じる人間関係上のトラブル を避けるために近隣の人々との関わりを避け、 「孤立/孤独」を志向している、 といったものであった。また、これらの言説においては、団地の主婦同士の 濃密なつきあいは、いずれも人間関係のトラブルを引き起こす望ましくない 状況とされていた。 もうひとつ、団地の主婦の近隣関係について形成されていた言説は、団地 の主婦のつきあいが限定的、閉鎖的であることを指摘するものであった。た とえば、先述の『讀賣新聞』の連載「わたしとあなた」の第 23 回目の記事「四 角 奥さんの“交際表”限られた人たちとばかり」では、団地の主婦の交際量 が非常に多いことを示した上で、その交際が団地の中に限られた限定的なも のであることについて述べている。この記事では、団地の主婦のソシオメト リック・マトリックスの交際表を分析しながら、 「団地夫人はよく外出なさ るようだが社会生活の場ということでみれば、ほとんど団地の中に限られて いる」 、 「主婦の交際量は非常に多いが、相手は少ない、いいかえれば同じ相 手と何回も交際していることを物語っている。そしてその場所は団地の中が 九八%だった」 (1962 年 1 月 29 日『讀賣新聞』朝刊)と、団地の主婦が限定的 地域創造学研究. 21.

(22) 論文. で濃密なつきあいであることを指摘している。さらに、同記事は、 「団地が近 代的な個人主義的な住宅といわれながら、こうしてながめてみるとひとたび 号令がおこればいっせいに右へならえッする危険をはらんでいる、つまり団 地が大衆社会的な産物であることをこの図表は示しているのである」と述べ、 こうした団地の限定的で濃密なつきあいが、当時「近代的」で「個人主義的」 な生活の舞台といわれた団地が、実はそうした認識とは異なる側面を持つこ とを、 「大衆社会的」という概念を用いて言説化している。このように、団地 の主婦の濃密なつきあいは団地の中だけに限られた限定的なものであり、そ れゆえに、大衆社会的な危険性を孕むものであるとも指摘されていた。 以上、団地の主婦の人間関係については、限定的な関係のなかで「つきあ い過剰」と「孤立/孤独」が複雑に入り混じったものであるという言説が支 配的であったことをみてきた。では、こうした団地の主婦の人間関係上の問 題に対する解決策としては、 どのようなことが提示されていたのであろうか。 最も頻繁に提示されていた解決のための提案は、様々な人間関係上のトラブ ルを避けるために、お互いに干渉しないこと、おせっかいをしないことや、 自分の生活を守ると同時に他人の個人生活を守ることであった。たとえば、 『讀賣新聞』の連載記事「ダンチ」では、15 回の連載中の最初の 5 回が人間関 係に関する内容であったことを先に述べたが、この連載の最終回の 15 回目 は、「お互いに干渉しない 新しい生活のルールを」という見出しで、以下の ように、 人間関係上のトラブルを解決するための新しい生活のルールとして、 お互いがお互いの生活に干渉しないことを提案している(梅田 2010)。 私たち日本人は、ダンチ形式の集団生活にこれまであまりナジミがな かった。だから、たくさんの人間がひとつところに投げこまれると、不 必要なマサツや反目が生まれてくることもあろう。お互いが楽しく暮ら すためになによりも大切なことは、お互いがお互いの生活に干渉しない というかんたんなことである。ダンチの生活は新しい。そこに地面の習 慣を持ちこんではならない。新らしい生活には新しい生活のルールが求 められるべきであろう。 22. (1959 年 7 月 19 日『読売新聞』朝刊).

(23) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. この記事には、上記の引用文に続き、 「妻に贈る五条」として、「お隣りの 奥さんがタイのサシミを買ったそのすぐわきでアジのヒラキを買う勇気を持 たなければならない」 「電気冷蔵庫にテレビに洗濯機に…などと夫の顔をみ るたび口走ってはならない」 「周囲のいじわるい蔭口は、マントバーニーの ムードミュージックと聞き流さなければならない」 「セメントに囲まれて気 が狂うほどさびしいとき、それでもご近所に出かけてオシャベリをしてはい けない」「階段や自治会の寄合いに出てはならない。階段や自治会の寄合い に出なくてはならない」という五つのことが書かれている。この「妻に贈る 五条」の内容をみても、当時、団地の主婦が近隣のつきあいにおける問題と 孤立/孤独との間で揺れ動く悩ましい状況であるという認識が現れていると いえよう。 これと同様の認識や提言は、他の記事でもみられた。たとえば、 「賢いお くさん 18 団地の生活(下)めんどうなトラブル ドアの内と外とのけじめを」 (1960 年 11 月 4 日『讀賣新聞』朝刊)では「団地のおつきあいで大切なのはド アの内と外のけじめをハッキリさせておくことじゃないでしょうか。つまり 井戸ばた会議になったり、ご用聞きの近所情報が中心になるのは禁物です。 そういうドアを開放したおつきあいは、はじめは調子よくいっているようで いて、何かのひょうしに口もきかなくなってしまうものです」と、開放的な つきあいが、かえってその後の疎遠へとつながりかねないことを指摘し、そ れゆえに団地のつきあいにおいては「ドアの内と外のけじめをハッキリさせ ておく」ことの重要性を指摘している。また、1967 年 8 月には、埼玉県上尾 団地の主婦の殺人事件をめぐって、団地の近隣づきあいに関する論議が再燃 しており、この時の記事でも、識者によって、おせっかいはせず個人生活を 守ることの重要性が強調されている。この事件は、団地の主婦が、子どもを 預けるほど親しくしていた隣室の主婦に、陰口を言われたことを原因として 殺害されたという事件である。この事件は『讀賣新聞』 『朝日新聞』共に、 「隣 室の女を逮捕 上尾の団地殺人“悪口言った”と凶行 被害者の子を預かる仲」 (1967 年 8 月 18 日『朝日新聞』朝刊) 、 「団地隣室の主婦逮捕 上尾の人妻殺し 地域創造学研究. 23.

(24) 論文. “陰口言われて凶行” 」 (1967 年 8 月 18 日『讀賣新聞』朝刊)などと連日報道さ れるほど注目された。また、事件が収束した後も、 「団地の近所づき合い 埼 玉県の主婦殺しをめぐって」 (1967 年 8 月 20 日 『朝日新聞』 朝刊) を見出しとし、 「埼玉県上尾市の団地に起こった奥さん殺しの犯人は、被害者と親しくして いた向う隣の女性でした。 『奥さん、ちょっとお願いします』─ 団地の生活で は、なにかにつけ、隣の世話になることが多いだけに、この事件は団地の住 む人々にショックを与えたようです。これからの隣近所づきあいは、どんな 姿が望ましいのか」という出だしで、識者による意見をまとめたコラムが掲 載されている。このコラムでは、識者がかつて近隣に住むことになったイギ リスの夫人との話を取り上げ、一年に二、三度しかお互いに訪ねることもな いが、道で出会った時には「近所に住む親しさ」をこめた笑顔であいさつす る関係であり、その人がいるから普段の生活でも「あの人がいるから安心だ」 と思えた経験を語っている。その経験から、 「自分の『出来る』親切はつくす が『おせっかい』はいっさいしない。ひとの生活には立入らない。そして決 して無縁にそっぽは向かない」 「全国に急速に増え、これからもいっそう多 くなる団地ぐらしをするには、まず自分自身の生活を持つこと。なにごとも 自分の生活、自分の心に忠実に行動することが大切だ。 (中略)自分の生活を 大切にするところから他人の個人生活をまもる気持ちもわいて来るのだと思 う」と提言している。 以上、団地の主婦の人間関係に関して、1950 年代から 60 年代の新聞記事 では「つきあい過剰」と「孤立/孤独」の両方が入り混じった複雑な言説が 編成されたことをみてきた。これらの新聞記事は、当初は団地の主婦の人間 関係上のトラブルを新しい人間関係、 「新しい風俗」の紹介として報じてい たが、次第に、 「団地ノイローゼ」 「団地競争病」などといわれる主婦の病理 の原因であることを指摘し、団地の主婦の人間関係を「問題」な状況として 報じていくことになる。さらに、 「つきあい過剰」による「ミエ」「競争」「団 地八分」といった人間関係のトラブルや、 「孤立/孤独」な状況は、いずれも 子どもに対するしつけ過剰や教育過剰の問題を引き起こす原因として批判さ れるようになる。次節では、こうした近隣関係やコミュニティの状況が、団 24.

(25) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. 地の「主婦」である母親と子どもの関係にどのような影響を及ぼすと認識さ れていたかをみていきたい。. 3 - 2 - 2. 「孤立/孤独」と母子関係 以下の記事は、 『讀賣新聞』の連載「わたしとあなた」のなかの「井戸ばた は閑散なり テレビへ逃げる ひとり楽しむレジャー」 (1962 年 1 月 30 日『讀 賣新聞』朝刊)という見出しの記事である。この記事では、団地の母親たち の「井戸ばた」、すなわち近隣づきあいが閑散としていることを指摘する内 容となっている。 この記事では、まず、 「わたしとあなた」のもととなるアンケート調査の 結果に基づき、団地の母親がどの程度の「余暇」をもっており、その余暇を どのように過ごしているかが述べられている。そのなかで、まず洗濯機の登 場により洗濯時間がほぼ半分に減ること、また、料理もインスタント食品や 缶詰の流行、裁縫も既製服などで、母親のエネルギーが減る一方であること を指摘したうえで、あまった時間とエネルギーがどう使われているかをアン ケートのデータで示している。その一部を引用すると、 「あなたは家事の仕 事以外に主としてどういうことをなさいますか」という質問に対し、 「ラジオ、 テレビ」が 54.0%と最も多く、ついで「読書その他の教養」が 29.5%、「隣近 所へおしゃべりに行く」が 2.8%という結果が掲載されている。また、「買い ものにおいでになるとき近所の方と誘い合わせて行く場合とご自分だけで行 く場合とどちらが多いでしょうか」という質問では、 「誘い合わせる」が 9.5%、 「一人で行く」が 80.5%、 「どちらともいえない」が 9.0%という結果が示され ている。これらの結果を受け、 「少なくともわたしたちのアンケートでは案 に相違して井戸ばたはきわめて閑散だということになった」と結論づけてい る。また、この結果については、 「この人たちの場合、さっきいった“おしゃ べり”は、 “はしたない”の裏返しで、一人でいることが個人主義、近代主義 だと思い込んで、その結果外界と壁でへだてられたレジャーを過ごしている んじゃないでしょうか。団地生活はこの錯覚の上に成り立っているのではと さえ思いますね」という学識者のコメントが付されたうえで、以下のように 地域創造学研究. 25.

(26) 論文. 締めくくっている。 現代主婦は余暇時間を“生きている人間”とつながる第一次的接触よ りもブラウン管などを通じての第二次接触で過ごしている。ひとりぼっ ちからの逃避はひとりぼっちの接触で行われているわけだ。そしてあ まったエネルギーのハケ口は、こどもへの過保護、教育過熱、帰宅した とたん亭主が受けるおしゃべりの洪水となってほとばしるのかも知れな い。そういえば現代家族の日常の小さないさかいのほとんどは、疲れて 帰った夫とエネルギーのうっ積した妻、このギャップが生んでいるよう である。. (1962 年 1 月 30 日『讀賣新聞』朝刊). この記事は、団地の「主婦」である母親が、家事や育児の負担軽減によって 生まれた余暇やエネルギーをどのように使っているか、というテーマの記事 であり、その結果においては、近隣づきあいに使うとの回答が極めて少ない 一方で、ラジオやテレビといった家庭内でひとりで楽しむ時間に費やされて おり、そのことを受けて、団地の母親が「ひとりぼっち」すなわち孤独である ことを示唆している。また、その後に書かれた内容をみると、関連するデー タがこの記事では提示されていないにもかかわらず、余ったエネルギーが子 どもへの過保護や教育過熱に向けられていることや、夫とのいさかいを生む 原因となっていることの可能性が示されている。この記述からも、母親の余っ た時間とエネルギーが子どもや父親など家族内部の人間関係において、負の 影響を及ぼしているという認識が生み出されていたことが読み取れる。 このように、「孤立/孤独」であることで母親の余ったエネルギーが子ど ものしつけや教育へと向けられ、しつけ過剰や教育過剰を招き、子どもに弊 害を及ぼしているこという認識は、他の記事にもみられた。先に述べた『朝 日新聞』の「団地カルテ」の記事においても、 「団地の主婦は、家事労働を早 く終わる傾向があり、一般的にヒマではあるが、積極的なサークル活動や近 隣のつきあいも少ない。親子関係では、不安、干渉の著しいタイプの母親が 多く、三、四歳の年少児に限らず、子どもの幼稚園の送り迎えや戸外遊びに 26.

(27) 戦後日本における「母子密着」言説の形成過程の一局面. も、かなりついてくる」と、団地の母親は暇があるにもかかわらず地域活動 や近隣のつきあいが少なく、そのことが子どもに対する著しい干渉や密着へ とつながっていることを示唆している。. 3 - 2 - 3. 「ミエ」「競争」と母子関係 一方で、 団地における 「つきあい過剰」 によって引き起こされるとされた「ミ エ」 「競争」といった状況も、子どもへの弊害となるものとして指摘された。 団地では、同じような形態・間取りの建物に、同じような家族構成、同程度 の生活レベルの世帯が一斉に住む。そのことにより、団地の近隣の人々同士 のつきあいのなかで「ミエ」と「競争」が過熱しているとの言説が生成され ていた。 前節でも述べたように、団地についての初期の 1959 年の連載記事「ダン チ」においても、 「洗たく用の下着“見通し”が生む“競争心”」といった見出 しで、団地の主婦のミエや競争が描かれており、団地が注目され始めた当初 から、 「ミエ」 「競争」といった概念は団地をめぐる大衆的な言説空間に現れ ていた。また、この団地における「ミエ」と「競争」は、事件報道記事でも 取り上げられた。1963 年、 団地の主婦二人が月賦詐欺で捕まった事件である。 この事件を報道する記事では、 「団地暮らしのミエがアダ テレビ 36 台 主 婦が月賦詐欺」との見出しで、本文も「団地のミエの多い生活が、二人の主 婦の落とし穴だった ─」から始まり、夫の知らぬ間にかさんだ生活費の穴埋 めにあてるための仕業だったことから、 「同署では団地の生活もミエをほど ほどにしないととんだことになる、 と警告した」ことが記載されている(1963 年 7 月 27 日『朝日新聞』夕刊) 。 さらに、「競争」をめぐっては、1960 年代の半ば頃から、その子どもへの 負の影響が強調されるようになった。その象徴的な記事が、 『朝日新聞』の 読書投稿欄「ひととき」における「競争病」をめぐっての一連の記事である。 1965 年、 『朝日新聞』の「ひととき」欄に、 「団地競争病から子を守ろう」と いう見出しの投書が掲載された。この投書をめぐり、同欄では「団地競争病」 に関する投書のやり取りが繰り返された。その後、この記事をまとめた特集 地域創造学研究. 27.

(28) 論文. 記事「団地の“競争病”をめぐって」が掲載された。これは、「団地競争病」 をめぐって各地から寄せられた主婦の声をまとめたうえで、識者のコメント を掲載した記事である。この論争のきっかけとなった投書は、以下のように 問題提起していた。 団地競争病から子を守ろう 大体同じくらいの年齢層で、同じくらいの子供を持ち、同じ程度の生 活程度で、同じくらいの家の中に住む者同士の集り。それがいまの団地 の状態ですが、なんでも同じということが子どもに影響をおよぼすこと を最近になってつくづく感じはじめました。 他人より少しでもと思う欲望は、たぶん人間本来のようなものでしょ うが、団地ではこういう意識がいやが上にも盛り上がるのではないで しょうか。となりが買った、それでは家でも、というぐあいに、次々と 購入します。 (中略) この競争病は知らず知らずのうちに子どもにもかかってしまうような 気がします。着るものなどをはじめ、おけいこごとなどはそのよい例で す。こうして人間を同じ鋳型にはめ、個性もない、欲望のコントロール もできないいつも欲求不満な子どもになってゆくように思えるのです。 . (1965 年 5 月 17 日『朝日新聞』朝刊). この投書をきっかけとした論争をまとめた特集記事では、 「犠牲者は子ど も」という小見出しが付けられ、以下のように大人の「競争病」が子どもへ の悪い影響を及ぼしていることが指摘されている。 十七日の「ひととき」の主婦は「大体同じぐらいの年齢層で、同じぐ らいのこどもを持ち、同じくらいの生活程度で同じくらいの家に住む者 同士の集り。それがいまの団地の状況ですが、何でも同じということが、 子どもに影響を及ぼすことを最近になってつくづく感じ始めました」と いう。着る物をはじめ、おけいこごと、電気製品からピアノ、自動車に 28.

参照

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