現 代 ベ ト ナ ム の 経 済 問 題
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ト
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まず最初 に,京都大学 の東南 アジア研究 セ ンターに 対 して,心か らの挨拶 とお祝いの ことばを述 べ させて 戴 きます。 日本 と東南 アジア諸 国 との間の理解 と協力 とを一層推進 しようとす る高貴 な 目標 をお持 ちのセ ン ターの成功 と幸福を祈 る次第であ ります。 この会合 に私を招 いていただ きま して,誠 にあ りが とうございます。 と くに京都大学 で この出席 の栄与 を 与え られた最初のアジア人留学生 とな った ことを喜 ん でお ります。 この ことに関 して は大変感謝 してお りま して, また, このセ ンターに私 を招 いて下 さ った私 の 教授であ る堀江先生 に もお礼を 申 し上 げます。 お求 めに応 じま して今 晩ベ トナムの現状を非公式 に お話 ししたい と思 います。前 に決 め られてお りま した のは 「南 ベ トナムの現在 の経済情勢」 とい う トピ ック について話す ことだ ったのですが,今 日はそれを もっ と一般 的にい って,唯 「ベ トナム」 とい う風 な題 に変 え させて もらいます。 この話 しの中で,現在 のベ トナ ムの政治的 ・社会 的 ・経済的状況を若干述 べ ようと思 って います。 とはいえ,時間の不足 と報告資料 の不足 か ら, この話 しに関 して十分準備で きていないのは確 かなので, この場では, 私が知 り, 理解 してい る事 実だ けを皆様 に提供 したい と思 います。唯 ここで 申 し 上 げます見解 は,すべて完全 に個人 的な ものです。私 の国の政府 その他 の見解 を代表 してい る ものではあ り ませ ん。説 明を助 けるための統 計デー タは,現在私 の 利用 しうる公式 の統計 出版物か ら引用致 しま した。後 で,お尋ね にな りたい質問 には, どんな ことで も喜 ん でお答え したい と思 います。が,質問に答え る権利 は 保留 させていただ きます。 とい うのは,私が知 らなか った りその資格がな くて,皆様のすべての間 に十分満 足 い くよ うにお答え出 きないか も知れ ませ んので。そ れで も, どうぞ私 に質問をな さ って,ベ トナムの どん な面 をあなたが たが お知 りにな りたいかをお教え下 さい。
お話 しす る順序 は, まずベ トナムの国土,現代史 に ついて一般 的な概説を述べて,次 に,社会 ・文化 的背 景,現在の政治情勢,経済問題 に移 ってい きたい と思 います。 ベ トナムは,125,000平方マイルの小 さな国で,人 口約3
千万,その内1
千4
百万 は南ベ トナムに,1
千6
百万 は北ベ トナムに居住 してお ります。 国が分割 され たのは1954年以来ですが, この問題 に関 しては後程 ふ れたい と思 います。南側 の土地 は農業が盛んで,北側 で は鉱産資源が豊富です。従 って,北部 は重工業の地 と して適 してお り,南部 は軽工業及 び農業 に適 してい ます。 このような 自然資源の相互補完 的な分布 とあい ま って,その住民 は実際 にはあ らゆる面 か らみて等質 ですので,発展す る為には,ベ トナムは絶体 に二分 さ れたままで止 どまるわけには参 りませ ん。不幸 に も, 住民 の意志 に反 して,外 国の影響 と外国の政治的イデ オ ロギー との為 に,ベ トナムは現実では,二つ に引き 裂 かれてい るのです。 さて第2次世界大戦後の 歴史 的発展 を 瞥見 します と, この 戦争が 突然終 った ことは, ベ トナムにとっ て,外 国支 配か ら独立す るチ ャンスで した。ベ トナム 政府が作 られ,住民 の心か らの支持を受 けま した。 し か しこの国の独立の最初の 日か ら,ベ トナム指導者層 の間 に,深刻 な内紛があ った ことは, ま ことに残念で した。一方では,外 国で カ ッチ リと訓練 されて きた共 産主義者が立 ちあが り,そのイデ オ ロギーを熱狂 的に 宣伝 し,や っきにな って権力を手 中に収 めようと して いま したO他方,組織 も訓練 も貧弱な沢 山のナシ ョナ リス トの グル ープが 存在 していま した。 そ うですか ら, コ ミュニス トは独立ベ トナムの最初の政府 の機構 の中へ たやす く浸透 してい き,続 いてそれを支配 して しまいま した。 ま もな くそれ は完全 な コ ミュニス ト政 府 とな りま したが,彼 らは人民をたぶ らかす為 に,巧 み にナシ ョナ リズムの仮面 をつ けていたのです。 コ ミ ュニス トに対 す る強 い大衆 的反梅 はあ ったのですが, 丁度その頃生 じて きたフランスの植民地主義者の侵略- 8
6-の危 険の方が共 産主義 6-の危 険性 よ りも大 きい とい うよ うに人民が 目覚 め るにつれて, その動 きは どん どん弱 くな って しまい ま した。 第2次大戦後のベ トナムにおけるフ ランス侵 略 につ いて若干 お話 しせね ばな ります まい。 日本軍 が 降服 し て2,3週間後 には,すで に武備 の整 った フ ランス軍 の5,6簡 師団が,最新式武器,装備,飛行機,戦艦 , 戦車 を有 して, しか もヤル タ ・ポツダム会談 の協定 に 従 って降服 した 日本軍 隊を武装解除 させ るために南 ベ トナムにいた英 国軍 の援助 を得 なが ら,ベ トナムの南 部 に上 陸 しま した。 フ ランスの悪意 あ る意図 は,ベ ト ナムを再 占領 して再 びその植民地 にす ることで した。 フ ランス植民地主義者 とベ トナム人民 の間 の本 当の戦 争が始 ま ったのです。 ベ トナ ム人民 は 直 ちに 統一 さ れ, ひ じよ うに原始 的で貧 弱な武器装備で勇敢 にフ ラ ンス と単組ヽま した。 コ ミュニス トは巧 み に この状況 を 利用 して政府 に対 す る支 配力を強 め, ナ シ ョナ リス ト グル ープの反対 を他所 に向 けて しま ったのです。後 は どコ ミュニス トの支 配 す るベ トナム政府 と, コ ミュニ ス トの首相
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の下 の フ ランス政府 との 間 に臨 時休戦協定 が作 りあげ られ, フ ランス軍 が北部 , 中部 のベ トナムに駐屯す ることを許 したのです。再 びベ ト ナム, フ ランス間の全面 的な戦争が1946年12月 に起 り ま した。 この戦 いで荒廃 は続 き,かつ コ ミュニス ト勢 力 は中国大陸 における中国共産党 の勝 利 によ って一層 強 め られ ま した。 中共 か らの供給ル ー トが確立 され た のです。 フ ランスは,す ぐに,その強 い植民主義 的な 野望 に も拘 らず,ベ トナムを再 占銃す る希望が消えて しま ったよ うに判断 しま した。彼 らは,西 欧諸 国か ら の援助 と支持 を得 るべ く, 自分達 は植民地戦争をや っ てい るので はな くて,反 コ ミュニス トの戦 いを してい るのだ と声高 く主張 してい ま した。 その よ うな助力を 得 る事 には成功 しま したが戟争 に勝 つ ことには失敗 し ま したO とい うのは,彼 らは共産主義者 だ けで はな く 非共産党員のベ トナム ・ナ シ ョナ リス トと も立 ち向か ってい るのだ とい う事実 を見 過 して いたわけです。 ベ トナム人 は過去 に フ ランス植民地主義者 にひ どい 目に 会 いす ぎていたのです。 この よ うに コ ミュニス トが成 功 した大 きな理 由は,ベ トナムにおけ るフ ランス植民 地主義者 の存在 であ ったのです。 デ イ ェン ・ビ ェン ・フー駐屯地 での敗戦 のため, フ ランスは コ ミュニス ト と 交渉せ ざるを 得 な くな り, 1954年7月21日の ジ ュネー ブ講和 によ ってベ トナムは 分割 され ることにな りま した。北部 は コ ミュニス トに よ って,南部 は フ ランス,後 にはナシ ョナ リス ト政府 によ って支 配 され ま した。 ベ トナム人民 はすべて祖 国 の分割 を嫌 い,南 のナ シ ョナ リス ト政府 は強 く抗議 し ま したが, ただ共産主義者 だ けは,それか ら多 くの も のを得 ることがで きると信 じていたので,だ ま って是 認 したのです。 この悲惨 な成 り行 きの結果 , 約100万 人 の被難民が北 か ら南 へ移 ってい ったのに対 し,僅 か 数千人 の ものが北-移 ってい きま した。 1954年 の末以来,ベ トナムは政治的のみな らず経済 的に も二分 されて しまい ま した。 この両地域 の間の交 易 とかその他 の 公然 た る 交通 は 全 然 あ りませ んで し た。 お互 いに血 と共通 の社会 ・文化 的背景 によ って結 びつ け られ た同胞で あ るに も拘 らず,唯単 に政治的 イ デ オ ロギ ーの相違 のために,住民 はお互 いに憎 み合 う ことを教え られてい ます。政 治 的問題 には後で もう一 度述べ させ て もらいますが, ここでベ トナム人民 の社 会 ・文化 的な面 について数言 ふれ たい と思 い ます。 ベ トナムの住民 は蒙古人種 に属 し,その祖先 は 2-3000年前 に,中国中部 か ら南部へ と移動 して きた もの だ と信 じられてい ま した。 中国の文化 はベ トナム文化 に非 常 に大 きな力を及 ぼ して きま した。儒 教,道教 , 大乗仏教 の世界観 がすべて 中国か ら来て, そ してベ ト ナム人 の思考 に深 く浸透 したのです。 ベ トナムの こと ばは,100年程前 まで は, 中国字 で書 き記 されてい ま した。 しか しなが ら, 現在3,000万 の人 によ って話 さ れ るこの ことば は,中国語 とはま った く異 な った もの です。 今世紀 の始 めにベ トナム語 は ローマ字 を 採用 し, この国語 の ローマ字化が成功 した ことは人民 の教 育 に大 い に役立 ちま した。 この新 しい書 きことばは, 古いのを習 うよ りはず っとた易すい ものです。 この新 機 軸のお陰で,ベ トナムで は読 み書 きの能力を持つ も のがかな り高率 で,ベ トナム語 がすべての教育段 階で 教 え られてい ます。 中国か ら来 た世界観 の うち,儒 教 と大乗仏教 とが最 も大 きな イ ンパ ク トをベ トナム人 の生活 に与 えていま す。 日本 におけ ると同様 に この両 者 は,一人 の人 間の 中に隠 やか に共存 してい ます。 中国, 日本,朝鮮,ベ トナムの諸 国民 は基本 的な社会文化構造で は, さ した る相違 がない と言 って正 しいか と思 い ます。 ベ トナムの主 な宗教 は仏教一 大部分 は大乗教- とキ- 8
7-リス ト教一大部分 はカ トリックー です。前者 は半数以 上の人 々によ って信奉 され,後者は
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0
%
以下 の人 々が 信奉 しています。実質上 イス ラム教徒, ヒンズー教徒 はベ トナムにいませ ん。祖先崇梓 は,仏教,カ トリッ ク教 な ど宗教 に無関係 に, もっとも普通 に行なわれて いますO この擬似宗教 は,儒教 と結 びついて,家族 を 社会 の基本的単位 と して強化 し国家を超家族 とす る傾 向が あ ります。 このような考え方を心 に持 ってい るも のだか ら,ベ トナム人 は 自分達の超家族 の分裂 に耐 え ることがで きないのです。 彼 らは基本 的には国土が再 び統一 され ることを熱烈 に希求 していますが,近 い将来 における平和的再統一 へ の見 通 しは非常 に暗たんた るものが あ ります。小 さ な国の運命 は もはやその住民だ けによ って決定 されな くな っています。ベ トナムは英国, ソ連, フランス, 中共 の決定 によ って二つの部分 に断絶せ られてい るの です。私 は東西両陣営の緊張があ る限 りベ トナムは再 統一 されないのではないか と思 っています。直接 的, 間接 的に,各 々の部分 はこの陣営のいずれかの強い影 響を受 けています。 再統一問題 はイデオ ロギーの相違が大 き くなればな る程 困難 とな って きま しょう。彼 らの政治的イデオ ロ ギーが どうであろうと,両政府が国民 的関心を第- に せ ぬ限 り, この国は分割 され低開発のままで止 どまる に違 いあ りませ ん。 これ に関 しては,私 の意見 では, 共産主義者が もっとも責 め られ るべ きで,その理 由は 彼 らは この国の支配 を独 占 し, しば しば この国の利害 と反対の方 に向 う国際共産主義のイデオ ロギーを宣伝 す ることのみ に興味を もってい るか らです。 さ らに言えば, コ ミュニス トが南ベ トナムを侵略 し よ うとす る絶 え ざる試み は, まさ し くジ ュネー ブ講和 の違反であ り,平和 的再統一 の可能性-の妨害 なので すっ コ ミュニス トが北ベ トナムか ら南 ベ トナムに対 し て行な うゲ リラ戦 は実 に国内戦の もっとも悲惨 な非人 間的な面 であ ります。 同胞達 は敵 とされ, お互いに 殺 しあ うのですO南側が人民の為 に建設 しようと した ことは, コ ミュニス トの狂信者達 によ って 無分別 に 破壊 されています。 もしこの ような活動が続 くな ら, この国は貧困 と後進性へ と一層落 ちこんでい くで しょう。
情報の不足か ら,私 は北ベ トナムで何が起 こってい るのかは存 じません。従 って ここで述べ ることがで き るのは南ベ トナム における 若 干の 現状 だけであ りま す。 今 日南ベ トナムが もっとも緊要 とす る仕事は,破壊 的な コ ミュニス トの ゲ リラに侵 された 地域の平定で す。必然的に,国富の多大の量が軍事的消費に使 われ ざるを得 ませ んで した。我 々は,共産主義者が この国 の安全をおびやかす限 り, このような非生産 的出費を 避 け られ ませ ん。防衛費は国家予算 の最高額を 占めて お り,1
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年4
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年3
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%,1
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年3
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%,1
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年5
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とな ってお りますO この割合 いはこの2
年でよ り 増 えたよ うです。 このよ うに戦争で分裂 した国で は,国民 は未来 に対 して非常 に危 険で不安定 に感 じるので,個人個人があ えて長期的産業投資をや ってや ろうとい うよ うな こと はあ りません。国は低開発のままの状態 に止 どま り, 進歩 は殆 どあ りませんで した。すべて は共産主義者に よ って引 き起 こされたゲ リラ戦 によるものなのです。 ベ トナムは多 くの点か ら低開発 国です。 その1
人 当 り国民所得 は非常 に低 く,官庁統計 によれば1
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年度 で は約1
3
7
ドルです。但 しこの数 はベ トナムの通貨流 通額を過大評価 した公式為替相場 によ って大部つ り上 げ られています。私 の思 うには約1
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0
ドル前 後ではな いか と思 います。総 国内資本形成率 は1
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5
7
年で総 国内 生産のた った5.
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で したが,その前年 には7.
7
%
で す。 この比率 はま った くひ くす ぎて国を発展 に導 くな どとい うことはで きえません。 これ は,部分 的には総 国内生産の殆 ど1
0
%
を食 いつ くして しまう軍 事的な甚 だ しい消費高 によるものです。 これ らに加 わ うるに,ベ トナム発展 にとって深刻な 障害が蔑つかあ ります。 (1) ベ トナムで は年間約1
.
8
%
とい うかな り高率の 人 口増加 があ ります。 出産率 は2.
4
%
, 死亡率 は約0
.
6
%
です。 ベ トナムの人 口増加 は, 現在の 状態で は, (もしこれを1人 当 りの国昼所得の レベルで測れ ば) この国の 発展率 を 緩慢 に してい く傾 向があ りま す。幸 いに して,ベ トナムは,多 くの末耕地があ るの で,人 口増加 による食糧不足 に悩 まされ ることはない のです。 可耕地 は 現在全土地面積 の1
/
5
を 占めてい て,土地を更 に集約 的及至粗放 的に耕作す ることによ って食糧増産の可能性 は多いのですO (2) 労働力 は全人 口の約4
0
% と推定 されていますo この割 り合 いは恐 ら く高す ぎるのですが, これ は,千- 8
8-供 の労 働が あ ることと不完全就 業の労 働者を合 んでい ることによ る ものですっ労働生産率 は,原始 的な生産 技 術 と資 本投下 の不足 か ら,非常 に低 く,労 働の先 業 状態 と失 業問題 も労働問題 も存 在 してい ます。 (3) 8O/%'近 くの労 働力 は農 業に従 車 し