マネジメントおよび組織思考と円了思考
著者名(日)
斎藤 弘行
雑誌名
井上円了センター年報
号
8
ページ
292-273
発行年
1999-07-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002699/
マネジメントおよび組織思考と円了思考
斎藤弘行
saito hiro7”ki はじめに 経営学におけるマネジメント論および組織論のなかで、とくに動機づ けの理論が多く提出されているが、このもとをなすものはほとんど心理 学および社会学の研究成果である。そこからのエッセンスを借用するこ とにより、マネジメントおよび組織論のかなりの部分が形成されている といってもよいくらいである。心理学的知識については、それほど高度 でまた深い追究の結果がなくてはならないというのではないが、少なく とも心理学が通常使用する用語を使用して説明がなされていることだけ は確かである。 無論、我々はここで心理学そのものの領域に入りこむのではないが、 マネジメントおよび組織論の背景を見ると上記のようなことが言えると しているのに過ぎない。こうした背景のもとに、ある心理学的考察にお ける用語使用と思考様式が、我々の学科におけるそれとかなり共通して いるという事実がある。それは円了の心理学におけるある部分が、今日 のマネジメントおよび組織論における説明様式と同じであり、円了の説 明様式をそのまま用いても通用するといったことの発見がなされてい る。円了がそこで心理学の実験をしたというのではなく、円了が外国の 心理学の文献研究を通して示した動機づけについての説明が、今日の 我々の学科で、少しばかり用語を変えればほとんどそのままあてはまる といった事情を示すのがここでの課題である。 マネジメントおよび組織について円了はとくに何も言っているわけで マネジメントおよび組織思考と円了思考 3(292)はない。従って我々の学科に円了の心理学的説明形式をあてはめるの は、我々の側の責任である。それは、そうすることにより、古い時代に おける人間行動考察の本質はそれほど古いものでもないし、別の表現に よれば、人間行動そのものは変りはないのだと我々を納得させるもので ある。 マネジメントおよ猷組織論におけるモチベイション思考 モチベイションの考え方 モチベイションそのものは特に難解なことを含んでいない。例えば 我々の1日の生活行動を題材にすれば、モチベイションの視点でその行 動を説明することができる。朝、起きてから仕事に行き、自分のやり方 で行動するが、この行動はいつもの通りで予想のつくものである(とい うことはとり立てて変ったことをやっていないという意味である)。そこで は人はその環境と、そこに居る人間とに反応している。どうして一生懸 命働くのか、あるゲームをするのか、リクリエーションをするのかとい うことについて何の考え方をしていないのだとするのが一般的に想像さ れる。ところがこうした行動は何ものかによって動機づけられている (または刺激され、喚起されている)のだということはしばしば無視され て説明されてしまうのである。 こうした「何ものか」をめぐって語られるのが動機づけの考え方の本 質である。動機づけが「行動の喚起、方向づけ並びに持続性」として定 義されるのは一般的であり、それは上述の例が示している通りである。 より砕けた表現をすれば人間を行動をはじめようと催促するものは何 か、行動の選択に作用するのは何か、何故、人はその行動を持続するの かということにかかわるものがモチベイションである(1)。 それ故に動機づけは基本的な心理的過程だということができる。組織 論においては、行動にたいするミクロ的接近方法としてよく知られてい
る。正しいかどうかは別にしてそこでは人間の行動の起源と動機づけと は同じものとする考えがなされているのを我々は知る。もちろん行動は ただ動機づけだけにより説明されないけれども、その重要性は否定でき ない。それと共に動機づけは他の認知的過程がそうであるように、目に 見えるものでないことも承知しておく必要がある(2)。 従って動機づけは一種の仮説的構成物であり、これを通して行動を説 明する手段としての役割を果すものと考えられる。ということになると あらゆる心理学的事象は仮説的事象だとされるかもしれないし、そうす ることが心理学的説明なのかどうかを討議するのは非常に興味あること である。それで一般的には組織論においてはこのような仮説的事象が充 満しているのであり、その立場からすると科学的説明並びに内容から多 かれ少なかれそれることになる。我々はしかしこのような議論には入ら ない。 動機づけを説明するに当り先の説明が示唆している如く、いくつかの 基本的用語が必要であり、このことを中心にして説明される(3)。先ず 定義のなかに、desires、 wants、 wishes、 aims、 goals、 needs、 drives、 motives、 incentivesというような言葉が使われることに注目 することから始まる。すべてこれらの言葉がないと説明が不可能という のでなくて、それぞれの説明の当事者がこのうちどれかの組合わせを通 して解明しているというように我々は理解している。それで再び動機づ けそのものについて述べれば、それは生理学的もしくは心理学的不足も しくは欲求不足から出発し、それが行動をひき起す過程なのである。あ るいは目標もしくは誘発因(インセンティブ)を目指す動因から始まる 過程ともいうことができる。こうするとさし当り動機づけに必要な用語 は欲求、動因、誘発因になる。欲求が動因を準備し、この動因は誘発因 を目指すとみなされる。この3つのエレメントが相互関連し、相互依存 しているときに動機づけがあるとも言える。 マネジメントおよび組織思考と円了思考 5(290)
これにつき少し拡大して説明すれば欲求がつくり出されるのは、生理 学的もしくは心理学的不均衡があるときである。生理学的には水分が不 足したとき、あるいは心理学的には(たとえば友人を失なうことによる) パーソナリティの喪失があったとき、何らかの欲求がある(もしくは発 生する)と言えるのかもしれない。ところが心理学的欲求に関しては不 足状態が土台とならないこともよくある。強力な欲求をいつも所持して いて何らの不足状態を経験することなく前進し続ける人物も存在するこ ともある。そのあたりが生理学的欲求とは異なる(生理学的不足が続け ば生物としての人間は生存できないのはあたり前である)。 動因は何らかの対象へ方向をとるような身体的かつ心理的活動(およ び機構)の状態のことである。生理学的動因が、方向性をともなう不足 状態としてよく知られる。また生理学的および心理学的動因も共に行動 指向的であり、誘発因を求めての行動にエネルギーを与えるものとされ ている。例えば食物や水分への欲求が飢えや渇きの動因になる、また友 人への欲求が親和への動因になる。 動因は動機と同じ意味で用いられることが多く結局、欲求を緩和する ために準備され、形づくられるものと考えられる。 誘発因(もしくは誘因)は欲求を緩和し、動因を低下させる「何か」 として表現される。動機づけのサイクルがあるとすればその最終段階に あるのが誘発因である。誘発因を達成すると生理学的または心理学的バ ランスを回復するようになるかもしくは動因を除外する方向に行く。上 記の例に続けば、食物、水分、友人は誘発因である。これは生物にとっ て接近性を生じるか(プラス現象)またはそこからの逃避を生じるか (マイナス現象)させるものである。 さらに誘発因を文字通り報酬とするものもある。その場合、内在的報 酬はある人の行動の直接的結果として受取られるものである。複雑な仕 事を完成させると達成感といった気持よさが与えられる。外在的報酬は
他人によって与えられる。例えば上位者(もしくはマネジャー)が従業 員にたいして与えるものであり、昇進や昇給などを含むかもしれない。 動機の種類 動機の分類に関する一般的法則は存在しないが、組織論においてとり 入れられる考え方を列挙するにとどめる。 (1)一次的動機:これは生理学的、生物学的または学習されない動機と も呼ばれる。それは名称の示す如く生理学的基礎をもち、学習がなく ても人がもっているものである。 (2)一般的動機:余り使われない区分である。これは学習されない動機 であるが生理学的基礎づけのないものである。第一次動機が緊張(も しくは刺激)の低減を求めるのだが、一般的動機はむしろ刺激の量を 増加しようとする。好奇心、マニピュレーション、(自分からの)活 動、愛情などがこれに含まれる。 (3)二次的動機:人間社会が経済的に発展し複雑になると、二次的動機 が人の行動を駆り立てるようになる。学習された二次的動機が顕著に なり、支配的になる。この動機は強化概念と結びつけられているのは いうまでもない(ここでは報酬が刺激と反応の結合をうながし罰は結合を 弱めるとみなされる)。また動機づけと強化は別のことだとして、強化 は、動機づけを増加して再び行動を起させるようにした結果であると 論じるものもあってはっきりしないが、どう見ても結びつきがあるこ とは否定できない。 特に二次的動機づけが組織生活領域では重要であるから、その例を いくつか示すことにする(4)。マネジメントおよび組織論では二次的 動機づけについて語るのであって、他の動機は省略されることがよく ある。 (a)パワー動機:この動機に最初に触れたのがA.アドラーだと言わ マネジメントおよび組織思考と円了思考 7(288)
れる。これは単純には他人を操縦しようとする欲求もしくは他人よ りも優位にありたいとする動因である。この動機が生得的か否かの 議論の的とされるが、それは差しおくとして、今日先進国、とくに アメリカの社会でパワーを求めることが明白に観察されていて、他 の国々にも伝播していることだけは言える。組織論ではリーダーシ ップとの関係で語られることが多い。 (b)達成動機:この動機がとりあげられる経過は比較的新しい。しか しこれについての研究は多いと言われる。心理学者のマクレランド の研究がよく知られている。達成動機は(他よりも)勝れているこ とが基であり、それをもとにして行動しようとする願望もしくは、 競争情況において成功したいとする願望である。その場合高い業績 達成動機をもっ人(ハイアチーバー)は、適度な危険負担、直接的 フィードバックへのニード、完成にたいする満足、仕事への専心と いった特色をもつとされている。 (c)親和動機:社会的動機(または集団力学)と同じとみなされる場 合があり、また学習されざる動機とみなされることがあるが、ここ では一般に組織論においてよくやられているように、ホーソン研究 が示す事実に依り、組織の参加者の行動に見られる親和性質のこと をとりあげる。特に平社員と呼ばれる従業員が集団への強烈な帰属 欲求、および集団による受入れの欲求を持つことが知られている が、組織における行動の理解にとって最も重視される動機である。 (d)安全動機:進歩の早い、高度にテクノロジー化した社会に出現す る動機としてよく知られている。この動機は日常生活のなかでふん だんに見られる。分割支払方法による物品購入、配偶者との生活が 継続できるかぱうかということ、入学もしくは卒業、有利な仕事の 獲得もしくは継続といったことについて常に不確実性がつきまと う。こうした不安からいかにして逃れるか、自己の生活を安全(安
定)化させるかが生活の大事である。この現象も特にアメリカにお いて顕著だとされるが、先進国はどこも同じ事情にある。安全動機 は例が示すように、物理的なものと心理的なものがあり、前者につ いては場合により保険をかけることにより回避されるかもしれな い。それは意識的安全性動機の部類に入る。後者が無意識的安全性 動機であり、それは容易には満されないのであり、人間行動にたい してより大きな衝撃を与えると考えられる。 (e)ステイタス動機:この動機は威信を求める動機としても知られて いる。人はあらゆる他の動機を満した後にしばしばステイタス追求 者となってしまう。動態的社会が出現するとみなこうなるといった 観察結果も伝えられる。こういう人物は物質的なステイタスシンボ ルを求める人としてよく非難されることがある。ところが実はどん な社会でも2人以上の人間が居ればステイタスは存在するものであ ることも否定できない。両者が同じステイタスを持つとしてもステ イタスヒエラルヒーが出現する。ステイタスは文化が決めるもので あることを知らねばならない。 動機づけの前提としての知覚 前の説明において何の前提もなしに動機および動機づけについて語ら れている。しかし組織論においては動機づけの前に知覚についての説明 がなされるのが普通の手続きである。反復的になるが、動機づけは、個 人に働きかける力かもしくは個人の内部にある力であって個人の行動を 開始させそして方向づけをする力を述べようとするとき、利用される概 念が動機づけなのである。ある行動を観察し、そこから意味づけをする ために用いる説明的概念ともいうことができる。行動を直接的に測定で きないから条件を操作して行動変化の様子を観察しなければならないの が本当の事情である。変化の様子がわかると、その行動の根底となって マネジメントおよび組織思考と円了思考 9(286)
いる動機づけ(または動機)の理解を修正する。それは推量または推理 の連続を人はしていなくては正しい動機づけがわからないことを教える (5)。 実は動機づけだけが人間の行動の説明を完了させるのでなくて、その 背後、知覚のプロセスがあることを組織論のみならず心理学が知らせて いる。このことに触れることを通して我々は円了の心理学との接点を持 つようになる。そのいきさつは後のこととして先ず知覚について組織論 からの知識を得ることにする。 人が自己の周囲のものについてもつ理解もしくは考えのことを知覚と いうとすれば、それぞれ異なる人は異なる理解と考えを持つことになる (6)。知覚は環境からの情報を(自分なりに)組織化して意味のあるもの にすることであり、認知的過程なのである。人が刺激を選択、組織、貯 蔵、解釈して、有意義でまとまりのある世界図にするように支援してや るのである。より生理的事象にあったものがより心理的事象へと転換さ れるプロセスとも言うことができる。それは現実にあるものに基づいた 行動よりもむしろ、現実であるものの知覚に基づいた行動がとりあげら れるからである口)。 どのように見ようとも感覚的データをとり入れることから出発する (つまり知覚よりも感覚の先行)。それを加工する(選択、組織、解釈)す ることが知覚であるのは先の説明の通りである。人は客観的な現実を見 るのでなくて、自分が現実もしくは真実と知覚するものを信じているの だということになる。「私」の知覚が私の個人の現実であり、それが客 観的であろうとなかろうと、現実なのであり、そうしてでき上った知覚 が行動に影響する(e)。 これらの予備知識をもって、円了の感情、智力、意志との比較を試み るとしよう。 円了の「心理学は心象の学問で、心性作用の現象を研究するもの」と
なっている。その場合、心象の種類を、感情、智力、意志の3つに区分 する。 (1)感情は感覚と情緒の2種類より成り立つ。感覚は五官の上に起こる 心性作用である。情緒は喜怒愛憎の性である。これは12種類に分類さ れているが、12種類を大きく単純な情(例えば驚、愛など)と複雑な 情(例えば同情、美情、徳情など)に区分する。そこで感情の性質をと くに苦楽の2つの感情とする。 (2)智力は「事物を識別思量する作用」である。これは外覚と内想に区 分される。外覚は自分の目の前にあるものの存在を知覚する作用と、 識別したりすることを含む。内想とはあることを思い出したり、推量 したりする作用である。 また内想は2つに区分され、その1つはあるもののかたち、すがた を思い出して、心のなかに再現できる作用およびその力である。これ を「実想」と名づける。もう1つは実際にあるものを離れて、心の中 における思考作用をする、思考そのものをいう。これを「虚想」と名 づける。とくに論理および推論作用のような純粋に思考的活動を特色 とする。そのとき比較したり統合したりする思考作用も加わる。 (3)意志は心の中に生じる決心を外界において実行しようとする心的過 程とみられる。「外界に向っての命令実行する心性作用」という。こ の際ある事を行うと欲する目的をもつのが当然である。しかし目的の ない作用(無意識作用)も認められる。意志は現実の行動の中に示さ れることもあるが、心性の作用として行為に先行する働きでもある。 従ってこの両者を合わせて意志とする。 上記は円了の考えをかなり粗くまとめたのであり、内容的にはこのよ うに整然となっていない。以下においてそれぞれの心理作用を比較検討 してみる。 円了においては智力の発達は感覚がもとをなすとされる。また別に感 マネジメントおよび組織思考とF]了思考 11(284)
覚は感情の一種であることも我々は確認している。ここで円了のこだわ りがあって、感覚は身体の外部において生ずる一種の意識作用とみてい て、あくまで内部と外部の区別をしたがる。ところが組織論においては 感覚はとくにそのような区分によって成立するのでなくて、感覚器官を 通して受取られる感覚データと同じに見られている。従ってそれぞれの 身体的器官がどのような働きをするかをいちいち語ることはしない。 円了においても知覚と感覚の区別に触れる。感覚の総合作用としての 知覚としている。またまだ智力になりきらないところにあるのが知覚だ としている。感覚と知覚の区別を、単純と複雑、刺激の受取と刺激の認 定、所作用と能作用、再現作用なしと再現作用ありというところについ て行っている。どちらにしても感覚が発達して知覚となることが指摘さ れている。知覚は成人することにより精密化するようになるというので ある。 この点について組織論において知覚が語られる事情を見ると、既に示 した如く、感覚データの加工が知覚であり、身体のどこでなされている か、知覚が発達するかどうかについては触れられない。むしろ知覚が環 境にたいする意味づけにあることが重視される。ある人が知覚している ことは客観的現実(そういうものがあるかどうかは別にして)とは本質的 に異なるのだとする側面が強調される。こうして組織論では知覚の個人 的相違のほうが肝要である。 心性の発達によりより人間らしくなることは当然といえばそれまでだ が、特に智力について、人間の内部において最も重要な働きをするも の、中心的位置を占めるものと認識されている。感覚と知覚が外部との 関係、インプットとアウトプットの関係で考えられているのにたいし、 智力は専ら人間の内部においてのみ作用すると考えられている。智力が より人間の成熟化と、文明化(文化ではない)の標識となっている。ま た感覚と知覚より智力が生じることも含めると、智力は広義の概念であ
る(がそこに区分の混乱を生じる原因がある)。 智力のなかでとりわけ重要な役目を果すのは虚想である。それは概念 形成、全体的視点の生成、推論および推理、断定などといったいわば一 種の精神作用のことにほかならない。一般に人が抽象思考をもつことが できる基盤になっている。智力の本質は予め人間に備っていて、その力 とは、あるものを他と区別する力(弁別力)、他との類似性を見出す力 (契合性)、獲得した知識(円了は知識という表現はしない)を心の中に保 存する力(記住力)である。そしてこのどれひとつを欠いても智力では ない。言い換えるとこの3つが揃って作用して智力なのである。もとよ りこの智力は、実際に心性作用を試みること(実習)によって発達す る。ある器官を例えば眠らせておくと智力が低下する。その演習を繰返 すことがより高い智力を得る(習慣)。さらにひとつの考えから他の考 えへと想起させること、ある考えを他の考えを結びつけること(連想) によって別の考えを生じさせることも智力の発展に有効に働くとする。 組織論においてはこのような一種の、人間内部に存在する総合力とし ての智力をあまり前面に示さないように見える。つまり、知覚の作用は 動機づけに関連するか、意思決定の方へ進むかを別にして、人間活動 (あえて行動とはしないが)の中心部に智力を置き、それが全く閉ざされ た領域内で何らかの作用をしていると判断することはしない。 組織論は人間行動の統制もしくは制御をするのはパーソナリティだと いう説明方式をとるのが普通である。ということが心理学とは異なるか もしれない(心理学もパーソナリティを扱うけれど)。 パーソナリティを考えるに当り出発点として、「個人が多様な情況の なかで統一ある方法で行動するようにするのは何か」という質問事項が あげられる。人はそれぞれ異なるけれど(何が異なるかは別にして)、そ の人の行動に一貫性を与えるものであり、その個人的特色づけをするも のが、パーソナリティである。故に「パーソナリティは、ある人の行動 マネジメントおよび組織思考と円了思考 13(282)
に影響を与える、相対的に安定した特性の組合わせ」として定義され る。このパーソナリティを決める要因として遺伝と環境をあげるのも一 般的なやり方である(9)。 その場合にパーソナリティの主要特性としてよく知られているのが、 (a)外向性一内向性、(b)感情的安定性、(c)気分のよさ、(d)まじめさ、(e)経 験への開放性である。(a)は、人が社交的で、話し好き、集まりの中に居 ることが好きで、自己主張的であるかどうかの程度、(b)感情が、心配 性、憂うつ、怒っぽい、照れくさいなどといったものに比べて、均一に なっている程度、(c)礼儀のよいこと、弾力性、信頼、気だてのよさ、協 力性、寛容、我慢強さのような特性をどの程度もつかということ、(d瀬 りがいのあること、ねばり強さのあることについての程度、気をひきし めていること、勤勉およびきちょうめんなどの程度、(e)新しい考えや経 験に関心があり、積極的にやろうとする心構え、として説明される㈹。 またパーソナリティを別の視点から見る方法として、人の学習と思考 のやり方をあげている。知識もしくはスキルを獲得する経過が学習であ る。経験、実践、研究の組合わせによって学習するとされる。また、学 習は具体的経験、反省的な観察、抽象化(概念化)、自発的実験から得 られるとするものもある。 思考方法については認知スタイルとして表現されることもある。それ は人が知覚しまた情報を処理する種々な方法のことである。それは知的 に思考し、情報を分析する能力を含めるから、認知的能力といったほう がよい。特に、推理、演繹、視覚的再現化、対象の類似性と相違にたい する迅速な判別、知的に処理した情報の取出し能力などが認知的能力の 次元としてあげられることがよくある(11)。 こうした組織論における初歩的知識をもとにして先の円了の智力を反 省してみるとわかることがある。それは円了の智力は組織論で使用する パーソナリティのことではないかとする憶測である。その関係の正当性
をいくらかを補充することがしばらくなされる。 すると円了は智力が人の心の中にあり、他の作用の中心となるといっ ていて、しかも動物とは異なる力を出させるものだというのが、それに 相当するのが組織論のパーソナリティに当るとみることができる。また 智力の発達の順序として、感覚、知覚、再想(再生想像:ある風景、人物 を思い出すこと)、構想(構成想像:新しい影像を生み出すこと)、概念、断 定、推理を示す。それは、パーソナリティの認知能力、すなわち、人間 の思考形式とほとんど変りはない。組織論は精神とか心とかいった用語 を避けるけれども、円了はそうしたことをしないで、智力は「閉じた」 心の中の作用とみなす違いはある。組織論が感覚と知覚をパーソナリテ ィの前提としているけれど、これはパーソナリティを智力に置換えれば よいであろう。 総じて円了においては、感情、智力、意志がプロセス的に解明されて いるのでなくて、ある人間の精神のありかたとして、それを組立ててい るのは何かといった事柄が中心である。もちろん意志は行動の方向を決 めることになっているが、それさえも個人の内と外との関係として考え られているに過ぎない。ということが不備だというのではなくて、組織 論におけるように、人間を全体として行動に方向づけるものとして解明 されていないだけだと我々は指摘することになる。円了自身も説明の途 上で、3つの基本的心性の帰属をしばしば緩めていて、きちんとした説 明をしていないことは確かである(例えば感覚は智力の性質をもつという ような)。 動機づけと意志 動機づけについては、既に我々は冒頭に初級の知識を示した。それが 円了の意志(意志論)とどのように関係づけられるのかを考える課題が 残されている。殊にこのことが組織論における動機づけと同じかそうで マネジメントおよび組織思考と円了思考 15(280)
ないかという問題になるかもしれないと我々は予測するが、そのように はなかなかならない。円了は意志という言葉をダイレクトに使用するが 組織論においては意志もしくはその類似の用語をほとんど使用しない点 にも着目しなくてはならない。さらに組織論においては「意思」という 語を用いるが、それは主として人間のある行動の選択をしている過程ま たは情況を想定しているものと考えられるからである。これについて組 織論は意思決定論の領域で論じているのはよく知られている。 それでまた反復的に動機づけの意味のバリエーションを示すとすれ ば、組織目標に向って高いレベルの努力をする意欲のことであり、それ は個人の欲求を満足させようとする努力をして、その能力があるかどう かによって意欲の実現は決ってくるというようになる。冒頭には目標を 確立していないで、「何らかの目標」というように示していたが、ここ では目標を狭めて、組織目標といっていることになる。そうしないと動 機づけが組織論らしくならないのである。従って動機づけには、努力、 組織目標、欲求という3つの要素が含められているのを知る。このうち 努力はどのくらい強く(または熱心に)やるかどうかを見る尺度である。 しかし、高いレベルの努力はすぐに有利な仕事成果を生み出すとは限ら ないのであり、そうするためには組織のためになるような方向へと努力 の道筋をつけてやらねばならない。従って努力の強度と共に、努力の質 をも含めなければならない。組織の目標に向けられ、それと一致する努 力が、組織論の対象とする努力である。 円了においては、意志は心性の外界に見られる行動、動作ということ もできるが、目に見える、既に行われてしまった行動だけをいうのでな くて、また行動のなかに示されていない心性の作用、つまり行為に先行 する心性の方向も意志なのである。 意志はこの際意志そのものとしてではなく意志作用として表現され る。何らかの作用であるから当然目的を持つ。直接的に自己の目前にあ
る目的を目指す行為を一方で想定する。それは単純の行動を目指す(こ れを単意と呼ぶ)。複雑な行動を目指すのも他方ではある(複意)。だが どのような行動が単純か複雑かはここでは明確に規定されない(他のと ころでのべているが)。どちらにしても意志作用は意識のなかで生じ、目 的をともなうことだけは明らかである。 意志は感情によって方向を決められるとする。例として楽と苦の感情 により意志がどの方向に向くかがわかる。このとき人によりどちらを選 ぶかが決る。意志と智力との関係において、意志の目的は智力により定 められるという。智力がある用件を準備し、思考してはじめて心性とし ての意志の方向が決るという。 意志は願望との関係でも説明される。肉体的欲望と区別したものが願 望であり、精神的な欲のことである。願望も欲望と同じく苦楽の受入れ もしくは拒絶に従うから、意志もこれにより方向づけされるという。願 望は文字通り願望(または想像)していれば事足りるのであるが、意志 のレベルになると、どのようにすればよいか、どのような情況で行動す べきかを予め考えることをも含む。願望は目的を想像するレベルにある ということができるであろう。 意志が単意と複意に区分されることを先に指摘したが、前者が単一の 刺激(衝力)によって生じ、後者が複数(雑多)の刺激によって生じる と考えられている。さらに複意は智力作用がないと生じないが、単意は なくても生じるという。意志は人間の発達と成熟段階に応じて単意から 複意へと進行するのが普通である。子供が目前の食物をとるのと、成人 の愛情はその変化のいきさつを示す。しかし成人にあって意力を用いな いで、ある事ができるようになった段階での、この人の行動は習慣によ って形成されたものとみてよい。習慣は智力と意志の発達に必要なもの とみなされている。 それで最終的には意志は智力と感情と共に心の中に生じる力(衝力) マネジメントおよび組織思考とF]了思考 17(278)
に従って現われるものである(衝力は感情と願望)。衝力は種々なものの 組合わせ、複合化しているのが普通である。たとえ単純な行動とみられ るものもいくつかの衝力が同時に作用する。衝力の間に競争が起り、力 の優位性が発生する。その結果が動機である。従って意志作用の原因を 動機ということができる。(また意志作用のなかに克己作用を認めていて、 道徳の役割を果すということがここでは扱わないことにする。) 意志は動機により発現されるけれども、どのような行動の方向をとる かについて決断をしなければならないかの最終決定を下さなければなら ない。種々な選択肢のなかの1つをとる作用と、似ているが自己抑制を 働かして別のものをとる克己作用があって、それを必ずやらなければな らないから、自由意志でやっているように見えても、疑わしいというの である。 我々はかなり長く円了の心性説明を引用したが、こうした考えが組織 論における動機づけ(論)とどう結びつくかを再考してみる。 (1)意志は行動として現われているもののなかに見られるけれども、そ れに先立って生じる心性の方向という。組織論では意志という語は用 いないにしても、行動に先立って存在する何ものかを表現するひとつ として態度がある。それはパーソナリティと共に述べられることがよ くある。そしてパーソナリティも態度も複雑な認知的過程である。パ ーソナリティが全体的人間とみなされるのにたいし、それを全体とし て構成するのが態度である。その場合態度を「ある対象物にたいし て、ある特別な方法で感じたり行動したりする不変的傾向」と理解さ れる。それと共に「物、人、もしくは事象にかんする評価的表明もし くは判定」を含める㈹。それは自分にとって好ましいものか好まし くないものかという評価のことでもある。そのとき態度の認知的コン ポーネントとして感情的部分と、行動的部分があるとする指摘を通 し、特に、行動的部分が「誰かまたは何かにたいしてある方法で行動
しようとする意図(意思または意志)であることに我々は注目する。 これは態度が行動そのものでなく行動に先立つ準備段階にあることを 含めている。 このようにして円了が行動そのものではないといった意志の意味 が、組織論においては態度のことだと理解されるようになる。意志は 衝力の強弱により支配され、強い方向に向うというけれど、決定を下 して行動するところまでよりはむしろ、その前段階にあって、予期さ れる行動が好ましいか、好ましからざるかをある時間的範囲で(瞬間 的かもしれないが)評価している過程なのである。少なくとも単意よ りも複意が態度に近いのはもっともである。 (2)意志は衝力により強い影響を受けるという。その場合、願望やある 評価がもとをなしているけれど、それも態度とほぼ同じとみることが できる。智力が意志と関連づけられるのは、組織論におけるパーソナ リティと態度との関係に類似する。組織論は行動に影響するのはパー ソナリティ特性だというけれど、それをある方向に導くのが態度であ る㈹。従ってこうした共通的理解がそれほど無理することなしに可 能であろう。 (3)組織論における最近の研究では、意志つまり態度が直接的に行動に 結びつかないという指摘もある。それは態度にたいする社会的圧力が あるからである(14)。こうなると、円了の評価や願望のさらにその背 後にある基準(例えば好み)が揺らいでくる。円了は意志への社会的 影響力については特に指示してはいない。しかし組織論においても、 若しもこの点をとりあげるとより複雑な説明を余儀なくされることに なり、我々の知識では追いつかないことになる。 (4)意志はその日常的解釈も加味して、物事の決定についての行動に現 われる以前の過程とすれば、組織論における意思決定(論)との関連 を思い出すことができる。円了は今日の意思決定の理解における行動 マネジメントおよび組織思考と円r思考 19(276)
経営組織論の扱う領域
感情__〉パーソナリティ__〉態度 一一〉行動 知覚 : 動機 , 1 , ‘ ’ ‘ l t , I I l , t コ ’ 心性1(原力) ’一
感情 鴫一一〉習慣⑤」一
願望 (動機) 意 無意 経営組織論と円了思考の構想図 における意思決定の連続性については触れていない。それは円了は心 理学を論じているのであり、意思決定を含めていないので当然であ る。しかし円了が意志の発達において道徳的方向づけを示唆している ところを見ると、今日の組織論における倫理的意思決定への指向性を も暗に含めていることを察知することができる。 終りに 円了の心理学を通して、現代のマネジメントおよび組織論におけるあ る部分を考えることが本稿の課題である。その場合、円了の陳述が古 く、過去のものとする見方を我々はとらない(だからといって、それがそ のまま組織論と合致するというのでもない)。 心性の学としての心理学が「目を閉じてその内に動くもの、これを心 性と呼ぶ」に関するものであり、こうした定義は今日の定義方式からすると組織論においては納得しないであろう。この心性は心体があっての ことなのだが、心体は人が直接的に知ることができないものであり、心 体より発現する心象を知るだけである。それで心理学は専ら心象を研究 する。その心象を感情、智力、意志が構成するとみる。 この3種類の心象が我々の組織論と関連づけられると我々は見る。そ れは円了の心理学を評価することではなく、その3種の心象が組織論に おける組織行動の説明にとっても、ちょっとしたバリエーションを加え れば共通性をもつという発見である。円了は心性(心象)の3種類を実 験的に引き出しているのでなくて、いわば観念的にかつ概念的に語って いるに過ぎないから、そういう点では純粋の科学とは異なる。しかし 我々の組織論は表面上は、近代的な心理学の裏付けはあるにしても説明 様式としては科学から遠ざかっていることを告白すれば、円了の考え方 との共通項を把えるようになる。 円了は心、心像、精神といった言葉を使うが組織論はそういう用語は 使わない。そこで組織論におけるパーソナリティが智力に相当し、意志 は態度は相応すること、感情と智力が知覚に合致するものであることが わかって来た。こうして我々は円了の心理学的概念を組織論の考えと比 較検討してみたにすぎないということにとどめる。 【注】 (1)Daft, R. L., Management, International Edition, The Dryden Press, 1994,p.512. ② たいていの組織論のテキストにおいては動機づけの説明をするが、動機 そのものの説明はあまりしない。「動機とはテンションの状態(つまり満 足されない欲求)であり、これは目標の達成に向った行動のための引金を ひくのであり、その目標達成がテンションを減少する(つまり欲求を満足 させる)のである。そこで動機には、不足動機(基本的動因)、第一次的 動機(心理的および社会的)、および振生的動機(仕事を通しての動機一 一振生した成長動機)がある。これに関して、Scott, W. G., Organiza・ マネジメントおよび組織思考と円了思考 21(274)
tion Theory, Homewood, Irwin,1967, p.73. (3)Luthans, F., Organizational Behavior, New York et al., McGraw−Hill, 1995,p.141. (4} ibid., pp.143−148’ (5)Gibson, J. L/lvancevich, J. M./Donnelly, J. H. Jr., Organizations, Boston, Irwin,1994, pp.144−145. (6)Gordon, J. R., et al., Management and Organizational Behavior, Boston, Allen and Balcon,1990, p.396. (7) Robbins, S. P., Organizational Behavior, Englewood Cliffs, Prentice’ Hall,1996, p.132. (8)Cook, C. W./Hunsaker, P. L/Coffey, R. E, Management and Organi・ zational Behavior, Chicago, et al., Irwin,1997, p.150. (9)Nelson, D. L/Quick, J. C, Organizational Behavior, New York, et aL, West Publishing Co.,1997, p.73. (1》 Barrick, M. R./Mount, M. K、,“The Big Five Personality Dimensions and Job Performance:AMeta−Analysis,”Personnel Psychology 44 (1991):1−25が示されるが内容については調べていない。 (ID Wright, P. M./Noe, R. A., Management of Organizations, Chicago, et a1., Irwin,1996, pp.277−279. (12} Luthans, op. cit., P.121. (13) Robbins, op. cit., p.180. (10 Robbins, S. P., Organizational Behavior, International Edition, Prentice−Hall,1998, pp.148−149. 円了に関しては次のものから多く引用したが、とくにページ数は指示して いない。 『井上円了選集』第九巻、東洋大学、1991年