アジア文化研究所・研究所プロジェクト二〇〇五年
度研究調査報告「中国『西部大開発』と地域社会の
変容」
雑誌名
アジア文化研究所研究年報
巻
40
ページ
191-254
発行年
2005
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00011413/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaア
ジ
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研
究
所
一
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二
00
五年度研究調査報告ー
中 国 ﹁ 西 部 大 開 発 ﹄ と 地 域 社 会 の 変 容 研究代表 谷 房
口
男 本プロジェクトは、東洋大学における研究所プロジェクトの一つとし て、二O
O
三(平成一五)年度から三年間、毎年研究助成金を受け、中国 における西部大開発を研究対象に、グループによる調査・研究を目的とし たものである。その研究の主旨・経過・成果及び総括と展望を書き記し、 二年間のまとめとしたい。 {研究の目的} 一九七八年に改革開放政策を開始し、 一九八二年には社会主義市場経済 を導入し、高度経済成長の道をひた走る中国は、二0
0
⋮ 年 の W T O 加 盟 を果たし、また第一O
次五カ年計聞により、主要な項目の一つである﹁西 部大開発計両﹂をスタートさせた。先に離陸した東部沿海地域における開 発と社会的・文化的変容に続き、西部内陸地域においても、人々の生活が 今大きく変わろうとしている。とりわけ少数民族を多く含むこの地域の開 発は、そうした諸民族の伝統社会にまで強い影響を及ぼし、東部沿海地域 とは異なった特意な社会変容をもたらすものとなるであろう。 本研究は、中国における西部大開発計画について、とりわけインフラの 整備、生態環境の保護、産業構造の調整、高度情報化を目指した科学技 術・教育の発展(人材育成)、及び国民生活などの視点から、﹁社会主義市 場経済﹂という政治との連動性が強い開発方式のもとで実施される地域開 発が、人々の社会生活や伝統文化をどのように変容させていくのか、二つ の地域(漢民族地域と少数民族地域)を対象としながら調査・分析し、そ の実態を究明すると共に、永続する開発の方向性を位置付けようとするも の で あ る 。 ヨーロッパ諸国による支配、内戦、社会主義体制、文化大革命、そして 改革開放、社会主義市場経済を経て、中国における民衆の生活環境は、二O
世紀に劇的な変化を遂げ、全国レベルにおいて、水年の悲願であった﹁小 康目標(まずまずの生活レベル)を実現した。しかし、地域間格差は極め て大きく、未だ中部・西部の大半は﹁小康﹂にはほど遠い状況にある。こ の﹁東西格差﹂の解消を目指すのが西部大開発であり、開発の遅れている 貧困地域の大半がこの地域に分布し、少数民族が集中している地域でもあ る { 研 究 の 課 題 ︼ 本研究は西部大開発がもたらす影響を、都市と農村、農業と工業、沿海 地域と内陸地域、漢民族地域と少数民族地域など、それぞれを対比させな がら、各地域における社会的・経済的・文化的な変容を調査・分析するも のである。その具体的な課題を列記すれば、おおよそ以下のようである。 a 伝統的な経済産業構造の変容過程の分析、特に建国以来の農業・工 業を初め、産業の展開過程について b 社会構造の変化と人々の意識変化、科学技術の発展と人材育成、観 光資源の保存と開発について C 伝統文化・風俗習慣の変化過程について 九d ︻ 経 過 の 概 要 ︼ * 活 動 二
OO
三年度 0 月 月 二OO
四年度 二OO
五年度。
月 月 { 研 究 員 の 構 成 ︼ ︿ 報 告 ﹀ 平 成 ⋮ 七 年 度 ﹁ 中 国 ﹃ 西 部 大 開 発 ﹄ と 地 域 社 会 の 変 容 ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト 開発に伴、つ生態環境問題とその対応について 公開講演 広西大学教授哀少芽﹁中国西部大開発の検証及び 今 後 の 問 題 ﹂ 日中合同シンポジュl
ム開催﹁西部大開発の戦略と挑戦I
﹂ 月 中国視察(北京市・重慶市) 1へ
月 中国調査(陳西省西安市・延安市、広西チワシ族自治区隆安 県 ) 人 月 中国調査(陳西省西安市・延安市、広西チワン族自治区徳保 県 ) 市民大学講座﹁変わり行く中国経済 1 西部大開発の視点から ー ﹂ ( 五 回 連 続 ) 日中合同シンポジュl
ム開催﹁西部大開発の戦略と挑戦 E ﹂ 阿部照男、飯塚勝重、郁仁平(平成一六年度から)、谷口房男、針生清人、 (平成一六年度のみ)、山下清海(平成一五年度のみ)、横川伸 宮 川 朝 九 ︻ 総 括 と 展 望 ︼ 二OO
年から着手された西部大開発は、西部内陸地域の大規模な開発が 急速に進められ、大きな成果を上げてきている。しかし、この間に進めら れてきた東西聞の格差是正を目的とした西部大開発は、新たな開発のひず みをもたらし、とりわけ農村・農民における格差を拡大し、農民による不 平・不満が増大してきている。その為に大きな社会問題となり、中央政府 も﹁社会調和﹂のスローガンのもとに、農村を遊説する事態になってきた c すでに五年を経過した西部大開発計画は、今後どのように展開していく か、さらに調査・研究を継続していくことが望まれる。平成一七年度 中 国 西 部 大 開 発 プ ロ ジ ェ ク ト 一 西 安 ・ 延 安 ・ 徳 保 調 査 報 告 目 次 はじめに 第一部 第 部 第 部 第四部 はじめに 調査団長 谷
口
房 男 秘書長 事 日 平 団員 可 4 W ハμ・
部 日召 男 横 )11 由 T , 8 1 E ' 勝 重 飯 塚 中国における急速な経済発展、とりわけ東部及び中部の発展は、西部内 調査記録 調査総括 調査日程・調査先応接・案内者一覧 資料紹介 陵地区の発展の立ち後れによる、貧富の格差を拡大することとなった。そ のことが一九九九年六月の江沢民による﹁西部大開発地区への開発を推進 せよ﹂という指示となり、翌二000
年より﹁西部大開発﹂という一大政 策としてスタートしたのである。 この中国における国家的な開発計画を取り上げ、二O
O
三(平成一五) 年度から研究所内プロジェクトとし、﹁中国西部大開発と地域社会の変容﹂ という課題で共同研究することとなった。当プロジェクトチl
ムのメン パl
五名は、昨年に引き継いで、険西省西安市郊外と延安市及びその周辺 へ赴き、またメンバーの一部は広西チワン族自治区徳保県へ出かけ、主と して農村を対象とした開発の状況を調査した。 もとより中国の領土は広大であり、西部大開発の対象地域も、中国内陸 地域の六省(四川省、雲南省、貴州省、青海省、陳西省、甘粛省)、五自治 区(チベット自治区・内モンゴル自治区・新彊ウイグル自治区・寧夏回族 自治区・広西チワン族自治区)、 一市(重慶市)からなっており、実に中国 領土の凡そ三分の二以上を占める広さである。またこれらの地域には漢民 族はもとより、とりわけ少数民族が多く居住する五つの自治区を含んでい る。このような点から、調査地点を西部大開発の出発点とも言、つべき陳西 省と、少数民族地区として広西チワン族自治区に対象を絞り、また農業・ 農村・農民といったいわゆる一二農問題に焦点を置き、開発の実態把握に努 めることとした。 なお、本年度険西省調査に当たっては、中国西北大学中国西部経済発展 研究センター章葦主任、西北大学陳西経済研究センターの葉道猛研究員ら の積極的な協力を得、また各調査地においては、当地区責任者の懇切な案 内を受け、内容を充実させることが出来た。また、広商チワン族自治区調 査においては、広西民族学・人類学研究所市宏貴教授、前広西大学東南ア ジア研究センター所長哀少芽教授らの協力を受けた。記して感謝する次第 である。(谷口房男) ︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹁西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 九︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 第一部 調査記録 西 安 市 郊 外 農 村 調 査 ( 八 月 一 一 一 一 一 日 ) 雁塔区魚化案街道調査 西安市中心部から西に向かって車で二五分ほどの所であるが、雁塔区 は、関中平原の平坦な地面に、半ば農村地帯、半ば工場地帯のような、ま さにこれから何らかの大規模開発が行なわれそうな気配のする地区に見え た。先に魚化案街道弁事所に立ち寄り、張、水潮書記、張華君主任らの出迎 えを受ける。同所で街道の全般的説明を受けた後、街道内に入り、見学し ながら地区の概況を聞く。 区は西安市西・東側に高新技術(ハイテク)開発区、北に蓮湖、南に丈 八溝がある。古くからの街道があり、低層の住宅街が密集している。 道路を入ると、街並みの割に学生風の若者が多く日についたのは、隣の 高新技術区に八八万平方メートルの校地と四万人の学生を持つ西安外事学 院があるためとのこと、新学期の手続きが始まっていたのである。街の歴 史は古く、西周の初め、周公旦の時代、雨華という娘がいて、それが魚化 になったという伝説を持つ。 面積 一 一 一 二 平 方 キ ロ メ ー ト ル 七個の郷 一二の行政村 魚化村が最大で一、
000
戸、人口 二 、 三O
O
人。最小は九O
戸、三O
O
人 で あ る 。 人口
内農業人口二二、000
人 二 二 二000
人 流動人口 外事学院学生・商人・臨時工一
O
O
、
000
人 企業 小規模民間企業など百数十件 大規模国営企業七 九 四 経済・産業 全体の一人当たり年平均収入 読 栽培食品 四 、 六 七O
元 菜 畜養(豚、羊)ほかに労務輸出(出稼ぎ) 果 樹 苗 樹 税 収 国 税 一 二 、 七O
O
万元、地方税七O
九万元 魚化村は競菜、果樹など、近郊農村の特長を生かしているが、工場の進 出計画で、農地を転用し、農民の収入を上げると共に、工業化による余剰 農民を吸収し、出稼ぎ労務輸出も受け入れている。他の都市より税収は少 ないが、今は飛躍発展期にあたり問題なく、順調である。村民の自治意識 も強く、旧人民公社の組織が基になっている。 次ぎに立ち寄った西嚢頭村は最も開発に積極的で、現地では工場誘致の ための区画整備や道路改修などが人力中心に盛んに行なわれていた。村長 や村人の話を総合すると、村全体で農地は一O
O
ムーほどしか残していな ぃ。他は全部政府に土地を提供し、その補償として、一年に一人一、000
ー 一 、 五O
O
元を得ている。またその聞に国営企業等に勤めているが、既に リストラにあっている者もいるという。大都市近郊の農村が都市化される (大都市に飲み込まれる)過程にある村である。 周宋村調査 η ノ い ︼ 村の入り口で村委員周氏に迎えられた。この村は、かつての周村と宋村 が合併したもので、八五%が周姓である。村内自治が徹底し、ちょうど村 委員の選挙運動期間中であったが、活動は公正に行なわれているという。 村の入り口にある牌楼にも選挙を呼びかけるピラが貼つであった この村は、果樹栽培を中心に成功した村で二年前から飛躍的な発展をと げ、栽培から出荷まで、それぞれに多忙で、村から出て行く者は殆どいない ﹀ } い 、 つ 。 人
口
八OO
人 。 国税二七OO
万元、地方税六六O
万元を納入。 農民周明虎氏(五九歳)が自宅を案内してくれ、個人としての経営状態 を次のように説明してくれた。 所有土地 七 ム l ( 約 四 七 ア ー ル H 四反七畝) 村管理 収入六001
七OO
元 ニ ムl
貸し出し 食糧用 食糧三五0
1
四00
キログラム収穫 ム 果樹栽培 四 ムl
梨、柿。桃、リンゴなど。 周氏の談では、 一九八二年の人民公社時代は、 一日働いて二角の収入し かなかったが、今の生活は娘・息子達の月五OO
元 、 年 約 五 、000
元の仕 送りもあり、ずっと豊かになったと一言う。同氏の家族構成は、夫人と子ど も三人であるが、上の娘二人は既婚、息子は出稼ぎの為、食糧は月二五キ ログラムで足りる。更に鉄加工業の収入が農業収入と約半々であり、年収 四 、 六OO
一冗ほどで、充分な暮らしをしているという。道の両側に柿の樹が 立ち並んでいる集合住宅に住む。人民公社時代の古い家屋の後方に、新し いコンクリート造りの二階建て家屋が建てられているが、表側には堅固な 入り口と用具庫、真ん中にロの字型の空間地を挟み、トイレは水洗である。 新しい家の二階には未だ内装工事が施されて居らず将来のために作ってあ るという部屋が四室もあるなど、かなり広いお宅であった。 周氏のお宅を辞して、次に村民一人が起業して営む周興工貿有限公司 (金属部品加工工場)を見学した。 村から数分の所にある五OO
坪ほどの立派な工場であり、二 j 三O
人の ︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 工 員 が お り 、 アルミ製大口径のパイプ加工などを請負い、脱農業の成功例 で あ ろ う 。 (3) 末央区三橋鎮和平村調査 この村は、西安市近郊という地の利を活かし、改革開放の波に乗り、西 部大開発以前から、企業誘致を成功させ、既にニ000
年末には﹁全国文 明村鎮建設﹂運動の中で一O
指にはいる先進単位として認められてきたと いう、活気に溢れる村であった。 村の開発を指導し、大きな業績を残した村党支部書記・主任白世峰氏が 会議中により、幹部王碧雲氏の案内により村の現況の説明を受ける。 二OOO
年末当時の村の総収入は一・八億元を超え、国税として五00
万元を納め、村集体に一、五OO
万元が累積されていた。同時に村の年収入 は 二OO
万元、村民一人当たり純収入は五、000
元であったという。 既に近郊農村状態を脱しているのであるが、全村三O
四 戸 、 人 口 一 、 二 一O
人。村としては、耕地五五O
ム 1 を有するが、一人当たり一・五ムl(
約 一0
アール)を工業団地に提供し、企業数は一一二O
社に上る。農民から一 ムl
当たり一、五OO
元 で 借 り 出 し 、 一 一 、000
一苅で企業に貸し出す。村は 企業から電力などの管理費、道路管理費、等を徴収するが、又企業資金を 貸 し 出 す 。 村政府が出資する場合は、その企業の将来性をチェックして実施してい る。また村人が創業した企業が十数社ある。 外国からの投資も歓迎しており、韓国と南方の省が合弁の企業もある。 村では、インフラの整備やサービスの向上に努めており、水力、電力など 一 九 五︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト のトラブルが起きた場合を想定し、当初からこれらの法律対策・契約など のための事務所を備え、 いち早く解決できる力をもっている。 このサービス体制が評価され、進出企業も増えていると共に、近隣村々 から信頼される基となり、現在、 一 四
O
ムl
を他村から借り開発にあてる と共に、工業団地として二街道四村と共同し更に三村を加え拡大する計画 であり、このほかにも他村から土地の提供が申し込まれているという。流 動 人 口 は 三 、000
人、全国特定企業三社が入っている。 村の財政は、地代収入、電力、道路サービスの売り上げ、入居企業への 出資からの配当などがある。村人が企業に一展われている率は三O
%
であ る 村内を一巡して、家具会社、製紙会社、カラl
サッシ工場(イタリアと 合弁)等が目についた。村の中は広い道路が舗装され、中学校などもモダ ンな校舎で、村民の健康維持の施設や公園・共同墓地も整えられている。 また、個人の住宅もそれぞれ二階建てで内部も相当の間取りがあった。二、 ゴ一軒のお宅を見学したが、若くして製粉業で成功している夫婦の家には、 豪華な調度品があり、この村の成功を象徴しているようであった。 村民の中で六O
歳以上は二二O
人いるが、高齢者の補助として年六O
元 から八O
元あり、又学校教育上の補助のほか、人材育成として大学合格者 に は 在 学 中 、 一 、c
o
o
l
一 二 、000
元を補助し、その間村の中の権利も保 障しているという。 2 延安市農村調査(八月ニ四日1
八月二六日 今回調査の第二段は、二OO
四年度に続き、延安市を設定した。調査地 一 九 六 は前年度と異なる周辺各県に及んだが、岡市扶貧開発弁公室王主任のも と、各県書記ほか多くの関係者が多忙の中、終始案内を担当された。報告 の冒頭において深く感謝の意を表する者である。 宝塔区高荘郷王家溝移民新村 中国における延安は石油産出市である。各所に小規模な油井があり、各 所 ニ1
一一一基の掘削機が稼働してタンクに貯め、これをタンクローリーがこ まめに回収する。幹線道路は精錬所に急ぐタンク車で塞がれていた。延安 市街区を出て、各県を回る内は常にこの風景と一緒であった。 こうした道を暫く走り、更に馬力の強いランドクルl
ザl
に 乗 り 換 え 、 黄土台地の切れ目に踏み込む。昨夜来の雨のためか、辺り構わずぬかるん だ急坂を右・左に揺られて登り、やがて小正の一角に出ると、眼下に一棟 数十軒を連ねた平屋建て四棟が建ち並ぶ団地が望まれた。開村されたばか りの移民村である。宝塔区楊区長、漏荘郷社書記に迎えられ、説明を受け る この王家溝移民新村は、豊富川の上流にあり、郷政府から七キロメl
ト ル離れたところの谷合いにある。全村四四戸四一四人であり、元は三キロ メートルに渡る細長い谷間の斜面に散居していたのである。七、八0
0
ム (約五・二平方キロメートル) の 土 地 に 二 、 八OO
ムl
の耕地がある。 この内基本農田六五O
ムl
、経済林六八O
ムーである。二O
O
四年、新村 になって食糧は安定し、 一人平均五0
0
キログラム以上となり、 一人平均 年純収入は二、000
元を突破した。 元々この村は貧しく、交通は不便であり、飲用水にも困り、生存条件は格段に厳しかった。 一人当たり七
1
八 ム1
の土地を牛の放牧とトウモロコ シ・雑穀・粟等の穀物を作っていたが、収穫は一ムl
当たり一五0
キログ ラムにも足りず、食糧も飼料も不足していた。 退耕還林は一九九九年八月五日から実施し、穀物補助は今年から現金補 助になっている。補助が打ち切られる﹁八年後﹂の生活基盤は、 一 人 当 た り二・五ム11
一 一 一 ムl
の畑、温室野菜栽培、牧畜などである。 二O
O
二年、区政府と市の企画局の支援の一瓦に扶貧開発重点村移転要求 に基づき、分戸形式(八刀戸白強) で移転事業を実施。ニO
O
四年春建設開 始、二O
O
五年入居開始。各戸にメタンガス発生装置と配電設備を備えて い る 。 新村規模 現在移転戸数 七六戸(出稼ぎ労働者で入 四棟、三O
四間 居していない家もある) 調達資金 扶貧対策資金一一五万一万 自己資金一O
二・四万元 その他の資金九三・八万一冗 地区案内者の説明では、 二戸当たり一万五千元程かかったが、省から 人 あ た り 一 、000
一 兆 + 一 戸 当 た り 五 、000
元のいわゆる﹁一+五政策﹂ による補助があり、足りない部分は農民の負担であったという。具体的な 実施を図っている時、ちょうど、 一九九九年から、退耕還林事業の推進時 期に当たり、当該事業を結合させ、合計一、七三O
ムl
を生態林及ぴ経済林 として提供することにより新村への移民が完成したという。実際に新村内 二戸当たりの敷地面積は昨年調査した宜川県より倍近く広 を見学すると、 ︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト ぃ。またメタンガス設備もある。家畜は黒豚を飼育しており、住宅とは離 れるが、馬を飼育するための別棟の牧舎があるという。 一戸当たりの経営規模からみると、退耕還林地一人当たり四・五ムl
(全体の六割)を提供、移転前果樹地一ムl
が二ムl
に、食糧用農地二 1 一 二 ムl
、 一 一 ムl
は果樹(リンゴ・梨・桃など)地とし、ほかは生態林とした。 その為、移転後は土地の面積は減少したが、養殖(豚飼育などて果実など により、収入は増加した。一二年後は経済林八五パーセントにする予定であ り、①基本農田二・五ムーを維持 ②温室野菜栽培 ③養殖(豚・牛)な どに務めるという。 担当者の協力を得て、筆者が持参した調査紙に農民が直接記入した資料 に基づき、二1
三の農家の退耕還林規模を次ぎに記しておく。 ) 1 L ( 家 族 長女一七歳 二女一六歳 女 閤 家 夫四五歳 妻四O
歳 一 四 歳 長男一一歳 耕地・林地 総面積 四二ム l ( 約 二 町 八 反 ) 内 畑 地 ( 約 六 反 ) 九 ム l 退耕還林以前林地 ( 約 四 反 ) 六 ムl
退耕還林面積 (約一町八反)(全部生態林) 一 ⋮ 七 ムl
退耕還林地樹木種類 刺塊(ニセアカシア) (2) 長男二八歳 長 女 家 族 二 男 -一 六 歳 郭家 夫五二歳 妻四九歳 五 歳 耕地・林地 総面積三五ムl
(約二町三反四畝) 内 畑 地 ( 約 六 反 七 畝 )一
O
ムl
退耕還林以前林地 九 ム1
( 約 六 反 ) 九 七︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹁西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 退耕還林面積 二六ム l (約一町七反四畝) (生態林二六ム
l
・経済林九ムl
)
退耕還林地樹木種類 果樹・楊塊 (3) 家 族 買 家 夫四三歳 妻四三歳 長女二四歳 長男二三歳 耕地・林地 総面積四O
ムl
(約二町六反七畝) 内 畑 地 (約二反七畝)退耕還林以前林地 四 ムl
退耕還林面積 三六ムl
(約二町四反)(全部経済・生態混合林) 退耕還林地樹木種類 杏、刺棟・沙赫混合 宝塔区柳林鎮太春溝流域 王 (2) 家 溝 調 査 の 後 一旦延安市街に一民り、さらにこの市街地を通り抜け、 柳林鎮に向かった。太春溝流域に沿った台地状の空地に一つの記念碑があ り、この流域の概況と退耕還林の意義について説明が書かれていた。 この地はかつて朱舘基首相が訪れ、﹁加快山川秀美﹂の標語のもとに緑化 事業を始めていた延安県の方針に賛成し、全国に先駆けて退耕還林・草の 重要性を説き、この事業の開始を宣言した所であり、以後多くの視察者が 当地を訪れているという。記念碑の説明によれば大凡次の通りである。 ﹁面積は七八・八三平方キロメートル、二O
の行政村があり、 一 、 八O
五 戸 、 七 、O
五O
人 が 住 む 。 既 に 一 九 九 六 年 以 来 リ ン ゴ 生 産 を 行 な っ て き た が、更に自然の規制条件に従い、生態利益を優先させ、土壌の質と樹木・ 草の適合性を結びつけ、自然と経済、社会の協調的発展を図る複合型の生 態系維持を図ってきた。丁度、退耕還林・草事業と結合して、林・草連結 した管理体制を整え、林地権の所属を明確にし、植林後の管理成果を保護 九 人 する政策をとっている。更に、今後、林木・果実産業と第三産業(商品流 通業)及び草畜業(牧舎飼育畜産業)など、多岐に渡る収入源を確保し、 退耕還林を後退させることなく、退耕後の農民の生存権と発展問題を解決 す る 。 ﹂ なお、二O
O
四年のこの流域は経済林一・八万ムl
、生態林一七、五七O
ムl
、種草四一O
ムl
、 であり、林・草覆蓋率は七五パーセントから九O
パーセントとなり、土砂の流出も初歩的な防止状態となり、生態環境は明 確に改善され、一人当たり平均の純収入は二、二O
O
一川となり、その内リン ゴ収入が五O
パーセント以上になる、とある。 記念碑の背後に広がる黄土台地の地面に実際の退耕還林した様相をみる と、まだ、畑地であった頃のアワや黍も雑草のように残っていたりしたが、 全面的には草地が覆い被さり、その中に適当な間隔を取った羊・山羊の飼 料となる沙打(達)旺草や、樹木として刺柏(イブキ)が五0
センチほど、 刺椀(ニセアカシア)が植林後三 1 四年というが、まだ細いが、背丈を超 すほどに育っていた c 活着率は七五パーセントで合格であるという。この ほか、臭椿や金銀華も生態用林として植えられるという。 塞県沿河湾鎮方塔村 午後三時を過ぎて、安塞県に到着。最初に、延安市と安塞県城の中間に 当たる方塔村を訪問し、鳴毅県党書記等に迎えられる。方塔村は三、四六O
戸、人口一六、O
五 六 人 。 面 積 一 一 一0
・六平方キロメートルである。非農業 者は僅かに五四九人である。 農家は温度調節できる高級のハウス ( 大 棚 ) が 一 一 二 三O
基、簡易ピニ lルハウスが三六
O
O
基で、主として読菜・胡瓜・茄子・西瓜などを作る特 色経済をもって急速に発展してきた(花井は少ない)。退耕還林の機会を捉 ぇ、このこ、三年で、リンゴの栽培が二・四万ムl
二 六O
平方キロメ l トル・一六O
町歩)、草地面積一、二万ム l ( 八0
平方キロメートル)と なっている。草地は放牧が禁止されている。年三回草を刈り二二1
四 、00
0
キ ロ グ ラ ム の 草 を 刈 る 。 牛 一 二 、000
頭 、 羊 二 、000
頭、牛は食用を主 とし、年八O
O
頭を出荷する。羊は年一ムl
の土地が必要であり、以前一 万頭飼育していたが、いたが、草の収量は六、0001
八 、000
斤 で あ り 、 退耕還林を機に羊を養える草の収量の範囲で減少させている。こうした改 革の結果、農民一人当たり年間純収入は、一九九0
年 代 一 、 六O
O
元から二0
0
四 年 に は 二 、 六 二O
一万に達した。また、元々人口が少ないこともあり、 果樹園芸には入手がかかることもあり、出稼ぎ者は数百名と少数である。 安塞県沿河湾鎮坊場村 A 4 A 続いて一行は、リンゴや梨が稔る果樹園の間道を通り、坊場村のある農 家の庭先に立ち寄った。強い日差しを隠すリンゴの木の下に座り込み、村 内の近況の説明を受け、次いで質疑応答をした。 村は五つの自然村、一二つの集落からなり、 一 一 二 二 戸 五 四 九 人 、 九 ・ 六 六 平方キロメートルと小規模である。果樹は一、八O
O
ム1
、一人平均三ム1
であり、農民一人当たり年間純収入は、二、000
元 以 上 一 二 、000
元まで である。ここでは果樹栽培を中心にし、八年後には実がなることでもあり、 まだ五六O
ムl
が未成熟である。果樹の間作に穀物(一人当たり三ムl
・ トウモロコシも栽培しているが種は自給である)を作っているが、果樹が ︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 全盛になれば穀物は金銭で購入する予定である。 退耕還林ではリンゴは五年間の補助を受ける経済林としている。 ヰ ﹂ 事 ' h ' ' ﹂lyl
生 態 林 七 、 八O
O
ムーがあり、針柏を植えている。草地は一、四九三ムl
で 飼育用草地にはならない。 経済林と生態林は二対八である。かつて森林面積は、村面積の二四%し かなかったが、今は、九四%が森林であり、このため降雨量も増えた。(以 下は質疑応答の中から村の今後の方針などを聞き取ったものであるが、次 のようにまとめておきたい) 現在の課題と今後の発展については、 一人当たりの収入を増やすことで あり、コ一つの増加、①ハウス栽培、②果樹栽培、③草地増加、による発展 を目指す。①のハウスには二戸当たり県から一、000
元、市から五OO
元 の補助を出し、水道代や電気代を補う。一戸当たりでは六、000
元必要で あるが、銀行から借入する場合は二厘四分の利息分を補助している。②は 半分の補助金を出している。③は草の種代の半分を補助する。家畜につい て午は一頭につき、二、000
元の補助と銀行から借入する場合は二厘四 分の利息分を補助する。 食糧確保のため、基盤整備を行ない、基本農回一人当たり二・五 j 三 ムl
ム1
を確保し、谷聞に階段状に設ける﹁掛地唄﹂式小ダムにより土沙 流失防止に務めている。 一 ム1
当たり市から一O
O
元、県から五O
O
元 の 補助を受け、単位当たり収穫を増やしていく。 これらの補助金を必要とする財政負担に対しては、県が石油・石炭など の収入から毎年数万元を支出している。 村民の健康維持のためには、医療保険制度があり、 一人年間二二瓦の支 九 九︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹁西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 払いを以て病気の場合、一万元まで、大きな病院は二万元まで保障される。 医療費は県が四
O
パーセント、郷が五O
パーセント、本人が一O
パl
セ ン ト負担し、還付もある。 また、生活保障、老人問題として、低収入農家で六二五元以下は貧困戸 として生活補助を行ない、身寄り無く、収入のない、いわゆる五保戸は五、 六 人 で あ る が 、 一ヶ月一人八O
一克を補助する。ただし、三ヶ月に一度審査 をする。また八O
歳以上は生活資金の全部を補助する。これらのために郷 に民生工作ステーションが置かれ、五、六人の職員がいる。 (5) 安塞県生態農業一不範園 いわゆるハウス栽培の中で、年聞を通して風よけ、寒冷対策と恒久性を 図る片面コンクリート囲いの高級温室である。全体二九O
ムl
の寛さの土 地 に 一O
O
棟が建ち並び、水道・電力を利用して、温度調節し、水循環の 節約化が図られている。建設用政府投資は二、五O
O
万元であり、回収はこ れからである。既に一O
種以上の新優秀品種を開発し、オランダ移入種の 大型茄子やフランス種の冬玉萌芦など、大型、多収穫品種など成功、 ノ、 ウス一回の収穫一万キログラム、 一万元収入など、この大型茄子は県全体 で 二OO
万株を普及させる予定という。ほかに西瓜(黒い美人の名あり)、 唐辛子、トマトなど、普及実績あり。このモデルハウスは次の五つの機能 を 持 つ 。 、 一O
棟のハウスを使って国内外の新品種、新技術を試験し、成功す れば速やかに全県に普及させ農民の利益に寄与する。 二、技術と知識の訓練、教育の場。野菜農家の一、八O
O
人以上が訓練を。
。
受 け た 。 一 二 、 育 苗 集 中 効 果 。 四、モデル国が先頭に立って、企業と野菜農家が結合し、流通市場を積 極的に開拓・確保し、生産を増大させる。 五、質量と市場競争能力を高めるための農産品の質量検査機能。 安塞県﹁八年の憂え﹂を越え、持続する農村社会の繁栄へ 安塞県現地調査の後、県城丈化会館において県党書記橋氏の概況報告と 県長の挨拶を受けた。退耕還林の詳細は別項飯塚報告に記すが、情書記は、 ﹁ 退 耕 還 林 は H 八年の憂え H で、政府補助金の出ている(八年間の)聞に農 民の協力によって、より豊かな農村を作るための手段を講じておかなけれ ばならない。農民の協力を得ていけば、八年後も豊かさが継続し、 n 山川秀 美“の黄土高原が出現する。﹂と今後の抱負を述べた。 (7) 志丹県双河郷桃庄湾陽湾堂村調査(新規基本農田造成地) 八月二五日、本日の調査地に向け、朝八時、延安市を出発。西北西一ニ
0
キロメートルの離れた志丹県に同九時二O
分到着、主として周河流域 に沿って起伏・亀裂の多い黄土高原の調査を続けることになった。 タンクローリーの行き交う幹線からそれれば忽ち黄土のぬかるむ小道と なる。集落と集落をどう結ぶのか。西部大開発では幹線のみならず、村々 を結ぶ網の日の道路整備が望まれる理由である。今が降雨期であるため、 本日も霧が深い。 最初の調査地陽湾堂村に到着。県常任委員劉衛平氏に案内され、新たに造成された農地を見学する。当地は海抜一三五
0
メートルにあり、年間降 雨量は五五0
ミリに過ぎない。 霧が晴れて、向かいの山を眺めると、黄土高原の山の頂きが削られて、 等高線状に平らな畑が造成されているのが見える。見渡すと、このような 造成畑地が周りに幾つも見える。これらの農地は、退耕還林で減少した農 地の代替えとして造成されたもので、双河郷にはこのような農地が一七カ 所 あ る 。 志丹県の農地造成事業は、県が目指す、退耕還林の補償が切れる八年後 までに、農民一O
万人(想定数)が一人当たり一一一ムl
(農民が自活のため に必要な耕地 H 基本農田) の土地を持つ ( 総 計 で は 三O
万ムl
)
為に、畑 を作り出すプロジェクトの一環である。 ここの小組は、戸数二四戸、人口一六九人。一克々農田(畑地)一四O
ム l であり、基本農田としても一人平均一・二ムーにも足りなかった。その為 今回の退耕還林は切実にその成果が望まれ、後戻りすることは許されず、 同時に農民の食糧を確保するために耕地問題を解決する良い機会となっ た。上級の幹部と派遣技術者の指導を受け、本年、この村では、新たに農 一人平均面積が三ムl
に達した。農田造成は傾斜 田三八O
ムl
を 造 成 し 、 度0
・ 五1
一・五度の間で幅一五メートルの土地を水平を保って、畑地に 還す。造成はブルドーザー六台と四O
O
人の人力により僅か二ヶ月で完了 し た 。 農田は、造成宇年目の今年は沙打旺(サダワン)という乾燥に強く飼料 になる草の種を蒔き、二年目から家畜の飼料になる。五年間テストして、 これで牧畜が可能であれば、このまま続けるという。その場合、食糧は購 ︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹁西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 入することになる。二1
三年沙打旺を作った後、土質改良し、トウモロコ シ栽培に代えると云うこともあり得る。果樹ではアンズが適地である。 この農村は退耕還林と還草工作を取り混ぜ、斜面下部に百宿を、周囲に は魚鱗坑を堀り鉄粁草を植え、道路際には柳を植えている。五年間研究し て可能性あれば畜産業主体を考え、退耕後に備える。 人口構成は四01
五O
代が主で、若年世代の二O
パーセントが出稼ぎに 出ている。退耕還草を主とし、現状では牛四、六O
O
頭、更に六、000
頭 に増やす。羊は一、000
頭、豚は二O
、000
頭 で 一 二O
、000
頭まで増や す。牛は三OO
頭が乳牛である。ほかにアンズの生産があるが、現在の年 収一人当たり二、O
五O
元であるが、二、八O
O
元まで伸ばし、更に三、0
0
O
元を目指す。 志丹県城南開発区鵬期食品有限公司見学 農 (8) 村 地 域 如 何 中 城 鎮 ( 中 間 都 市 ) を作るかは、 農村産品の商品化 基地作りや流通化を図ると共に、過剰農民の都市戸籍移転など、多くの希 望が託されている。それと同時に、開発区を設け企業を招致し、地もと産 品を商品化することが、企業の収益を納税等で還元させ、地元の富裕化を 図るものとして歓迎されている。西部大開発の一つであり、退耕還林の補 助効果の影響でもあるが、更に中央政府の緊急的補助金政策により、沿岸 都市部と中、西部地区農村との格差是正を図る対策でもある。志丹県は陳 北地区の石油産出県であり、政府納入による収入によって、各種の事業に 投資を行なっているが、地もと産業の多様化にも支援を積極的に行なって い る 。。
︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 今回訪問したこの食品会社は、酒蔵会社である。主力商品﹁康子黄酒﹂ の名で売り出している。康子と云うアワに似た穀物から作られるミリンと 清酒の中間のような酒である。昔からこの地方の農民が作ってきたもの を、数年前に企業化し、漸く軌道に乗り始めたという。現在は、原料と販 路の制約から、大量には生産できないが、将来は日本へも輸出したいと、 董事長・王鵬挙氏は話していた。この企業は、地元の農産品を活用するこ とによって、農民に収入をもたらすもので、地方経済を活性化する地場産 豊 来 の モ デ ル ( む し ろ テ ス ト ) ケースであろう。 志丹県保安鎮張溝門生態移民調査 ハ u d 幹線道路を急で細い泥道を上っていくと、山の斜面に階段状に、三段ほ ど、横並びに平屋が並んでいる。張溝門村の移民村である。 全村八個の村民小組で成り立ち、一四八戸、五八七人、総面積二八、
O
七 六・四ムーであり、基本農田一、二三三ムl
。食糧を以て林に代えた林地が 一一、九二二ムーである。この村が延安市生態移民移転事業に基づき、実施を 開始したのが二O
O
二 年 一O
月、二O
O
三 年 一O
月にこの村は竣工した。 ﹁国家が補助し、(地方)政府が牽引し、統一規格により、戸を分けること を実施する﹂という方針に基づいたものであり、戸毎に均しく五、000
一 冗 を 、 一人に均しくて000
一 冗 を 補 助 ( ﹁ 五 十 一 方 式 ﹂ ) し 、 総 投 資 額 は 三 六O
万元、その内訳は、県が一O
O
万元、郷政府が一O
O
万元、農民の自己 負担が一六O
万元であった。移民全体は八四戸、四O
二人、建物面積八、八 六八平方メートル。平屋建て部屋数は三三六聞で各戸に門前の緑地、小締 麗なデザインをした正門と、中に家畜飼養用固い、廟所、 メタンガス漕な。
どがある。メタンガスは各戸の光熱源を供給し、自給可能であるという。 家畜の午は一O
戸で一五三平顕飼育しているが、年末には五O
戸 五O
O
頭 にする予定で、目標は草畜業、加工業を発展させることで、 一 人 均 し く 一 頭の秦川牛を飼育し、 一O
ムl
の優良草地と三ムl
の基本農田、退耕還林 面積六ムl
を目標とする。現在一人当たり純収入は二、四五六元であるが、 年内に県レベルの小康村として二、六O
O
元、二一年以内に延安市級の小康 目 標 三 、 二O
O
元を達成させる予定であると一千っ。これまで見学した移民 新村の二戸当たりの間取りと広狭はそれぞれ異なっており、宝塔区のもの が最も広く、昨年調査の宜川県が最も狭い。その県の財政状況を反映して いるように思われる。移民村の見学と同時にかつての旧村も見学したいと 願ったが、現地が離れすぎていることなどで案内してもらえなかった。居 住環境の良くない旧村は見せたがらないと言うことであったろうか。 世 的 志丹県保安鎮麻地坪世林肉午養殖場 黄土台地の農業は永年、山地を切り開き、﹁広種薄収﹂と云われる穀物生 産と一部山羊または羊の粗放牧に頼ってきた。大部分は常態的な貧困生活 を送ってきたが、近年漸くアンズ・桃・リンゴなどの呆樹栽培により換金 化を図り、﹁多角経営﹂に踏み込む農家(農村)も増えてきた。しかし、 ﹁高産、優質、高効果﹂を目指す近代農業の方向を取る場合も、黄土高原の 生態(自然環境)に充分即していなければ、却って失敗することになりか ねない。その上、転換事業には少なからず当面の資金を必要とする。退耕 還林・草事業はこうした転換期の生態保護と扶貧対策ばかりでなく、補助 資金の活用により、多種経営の道を聞くもとにもなっている。そうした一っとして﹁八年の憂い﹂を解き、持続する発展事業の例として紹介された のが、事業主李世林(個人) の肉牛養殖場である。 二
O
O
三年に建設され、三、二0
0
平方メートルに全体で一O
六頭の牛 を飼う。その内乳牛が一一頭で、山羊が五O
O
頭、他に黒豚がいる。全て 牧舎の飼育であるため、貯草場が五四0
平方メートルある。飼料用地とし ては、玉米一O
O
ムl
、牧草地三一O
ムl
で、百稽(馬ごやし) 入。
ムl
、沙打旺二二O
ムーなどであり、同時に大量の農作物の茎がらや野草、 樹の葉などを集め飼料にする。現場では粉砕器が沙打旺を細分し、露天の コンクリート漕に貯蔵していた。畜舎での飼育では干し草や穀物飼料を如 何に確保し保存するかも重要となる。野天の貯蔵はやや粗放な感じを受け た 。 この養殖場では毎日四、000
元の収入と二O
頭の山羊の出荷がある。 一頭の利益は二O
O
元 で 合 計 四 、000
元、午乳三五キログラムを出荷し、 一キログラム三・六元1
四元の収入がある。年間として牛一頭五O
O
元 で 六O
頭を出荷する。子午は五O
頭が生まれ、市場価格で五O
O
元1
一 、0
0
O
元で人件費を除いても三、五O
O
元の純利益がある。開設一年で本養殖 場は五人で年間一O
O
万元の利益を上げることになる。年度末には収入一0
・五万元。純収入は約六万一冗になろうという。 ) 市 , ょ I ( 志丹県順寧鎮尖山崩流域壬坪村調査 順寧鎮は志丹県西北に位置し、靖辺県・呉旗県に近い。尖山崩流域の壬 坪村は、山道を相当登った高台にある。道路脇に﹁山川秀美共建基地﹂の 石碑がある。志丹県における退耕還林政策の出発点になった土地である。 ︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹁西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 村は、三六戸、人口一八六人の小村である。面積は二、五五O
ムl(
一 七 平 方 キ ロ メ ー ト ル ) 。 基 本 農 回 一 人 一 一 一 ム1
を食糧用として確保している。 退耕還林は二000
年春に始まる。標高一、五0
0
メートルのこの土地は その年の秋に植林をした。すでに整備・完成した人口草地は五七O
ムl
( 内 四 八 一 ムl
が退耕還林地として中央政府から認定)。造林は四八O
ムl
で全て林地と草地がセットであり、中央政府が食糧補助した林地は一二七四 ムーである。その中で、経済林としてアンズ (平坦地)が三四三ムl
、下 草地は四八一ムーである。退耕還林の実施率は一OO%
で あ る 。 そ の 他 、 荒山造林(苗木代のみ補助)一、五O
O
ムl
。植林地は、檎系の樹木中心で あるが、野兎の食害などで枯れる率も高く、毎年春秋に植え足している。 樹種の再検討もしており、そのため、整備目標は一O
O
パーセント達成し て い る と い 、 っ 。 養午七二頭、戸毎に二頭で、その内五頭以上の養牛戸は六戸である。メ タンガス装置も三O
戸、上級ハウスはこ七棟あり、緩斜地と溝谷地を合理 的に活用して、耕作・舎飼養畜・林地管理請負の三結合に依って禁牧・禁 伐・禁墾を厳格に実行した例であるという。農民達が自宅から畑(基本農 田 へ行くのに要する時間は、耕転機で二O
分 か か る 。 (12) 志丹県順寧鎮白草台村退耕還林調査 白草台村退耕還林地点は六個の村委員会と一一一個の村氏小紐五八O
戸 に 及ぶ。総面積は三七・三平方キロメートル ( 五 ・ 六 万 ムI
)
の中で、退耕 地 造 林 三 、 一 二 九 六 ・ 五 ムl
、中徳合作(集体承包)九、0
0
六 ムl
、棄耕地 造 林 五 、000
ム1
、荒山造林三八、五九七・五ムーである。これにはコ一つ。
︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃西部大開発﹂と地域社会の変容﹂プロジェクト の特徴があり、第一に実施面積の規模が大きいこと、前後で合計八万ム
l
に上る。第二に標準質量が高いことで、統一して0
・ 八 ×0
・六メートル の魚鱗坑と各樹株聞に二×二メートル幅の整然とした間隔を取っているこ と、第三に、活着率が良好なことで、春季乾燥期には苗に潅水し、秋期に は全面的に(枯れた苗に対し)補植をおこない、現在の活着率は八五パl
セント以上である。植林とその後の管理を実行するため、各村に専門の森 林管理人を置いて、厳格に進入禁止、禁牧、禁伐、禁墾を実行していると のことである o ( 但し、退耕還林の政府方針では、退耕後は退耕戸そのもの が森林管理人になる筈であるが、その仕組みが具体的にどうなっている か、明らかには出来なかった。) ﹁高台から見下ろすと、山の頂は平らに整地されて畑になっており、雨水 は下に流れにくくなっている。その下には、等高線状に棚田ならぬ棚畑が あり、これが何段か繰り返されている。畑の部分は水平なので雨水は流れ 出さない。畑の下は傾斜地が続き、草や樹が植えられて緑色であり、雨水 を吸収する。山は地肌を見せないように緑に覆われている。この方法であ れ ば 、 一定の耕地を維持しながら、しかも雨水を流出させず吸収し、表士 の流出も妨げる。これは単なる退耕還林ではない。中央政府が求めている 退耕還林とは、耕作地化して、山肌がむき出しになったところで樹や草 を植えて、もとの緑の山に戻そうということである。言うなれば﹁後始末 の政策﹂であり、消極的政策である。しかし、ここ志丹県で行なわれてい る対策はもっと積極的名政策であり、単なる退耕還林政策を乗り越えて、 もっと先に進もうとする試みである。双河郷桃庄湾陽湾堂村の造成された ばかりの農地も、数年後にはこれと同じ景観を呈する緑の山地になるので 0 四 あろう。志丹県がこのような積極的な農業政策を実行できるのは、石油産 業からの税収という恵まれた財源を持っているからである。しかし、その ような財源を持たずとも、中央政府の支援の仕方を工夫すれば、必要な財 源は確保できるはずであり、 いたずらに農民を引き離す必要はなくなるは ずである。勿論、現在の農業人口が絶対的に過多であることは、間違いな ぃ。しかし、今の政府の農業政策つまり﹁三農政策﹂は、農民を離農・脱 農させる所に力点を置いており、農民が如何にしたら農民として自活でき るようになるかには、 重点が置かれていないように思われる。 重要なことは、農業を自立的な産業として如何に育てていくかである。 戦後の日本では、農業政策を誤り、農業の自立的な発展の道を閉ざしてし ま っ た 。 つまり、農地の移動を厳しく禁じて、小農経営の状態を永続化さ せようとしたために、工業の発展に対応できるような大農経営の日を潰し たのである。中国の農業政策は、この日本の農政の轍を踏まないように注 意 し な け れ ば な ら な い 。 ﹂ ( ﹁ ﹂内は阿部の指摘による。) (13) 志丹県幹部との調査総括及ぴ討論会 各地を調査の後、志丹賓館会議室において、志丹県共産党委員会劉衛平 常任委員・士山丹県人民代表大会牛金貴副主任・志丹県政治協商会議米玉金 副主席ほか各部署幹部職員出席(氏名は後記参照) のもとに、今回の調査 の総括と討論会を行なった。討論の冒頭では、谷口房男アジア文化研究所 長からこの度の調査にあたり県当局幹部の尽力に感謝の辞を述べた。 (最初に志丹県書記から県の現況について配布文書をもとに説明が行な われた。全訳文はこの調査記録編に収載されるのでここでは、後の討論に繋げるため、参考とする県総体の概略のみ摘記しておきたい 0 ) 延安市志丹県は黄土高原の丘陵とそれに切り込む谷間、川沿いにある。 総面積三、七八一平方キロメートル。六鎮五郷一管理区、 一 九 二 か 村 、 三 ・
O
三万人で、その内農業人口は一0
・五万人である。二O
O
四年末の 国内総生産地は一四・O
七億元であり、財政収入は六・二三億元で、農民 純 収 入 は 二 、O
七二元であったが、二O
O
五年上半期の財政収入は六・一 八億元と年間計画の一O
六・四パーセントに達している。好調の原因は① 財政収入の九五%が石油からの収入である。石油が支える工業経済発展が 良好であること、②退耕還林事業が順調に生態環境を改善していること。 ③草畜を主導とする産業開発が活発であること。④白子山区の開発により 重点とする扶貧活動が順調に発展していること。⑤効果の高い生態農業を 以て産業化するという制度建設を課題とする試験項目が全面的に展開して いることなどである。 ①の石油は、二O
O
五年上半期産出高四五・八万トン。収入八・四四億 元、創利税四・一一二億元。国家納入財政三・三二億元であり、石油収入が 他の商・工業企業を牽引している。 ②の全県の退耕還林は一00
・ ⋮ 一 一 七 万 ム l 、造林一三六・五万ム1
、種 草九六・三万ムーであり、造林することによって失われる食糧用耕地を新 たに造成する基本農田二八・二万ム l で 、 一人平均二・七四ムーである。 この植林事業によって土砂流出防止一、六二二・五平方キロメートル、全 体の六九・七パーセントに達し、森林覆蓋率は六八・八パーセントに達し た。退耕還林で、枯れた樹木を毎年補っていくことを﹁加密﹂といい、何 年かすると基準に達する。 ︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹁西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト ③の草地を増やし、畜舎の中で家畜を養うことを主とする産業が急速に 発展し、二O
O
五年上半期、造成した草地は二0
・ 一 二 万 ム1
、新たに山 羊・羊を五・八万匹増やし、全体で二三万匹に達した。午は三、二O
O
頭増 やし、全体で四・六八万頭に達した。農民の所得の四五%は牧畜からであ る。雑穀の畑地一五万ム l を開発し、野菜用高級ビニールハウス一、O
七九 棟 を 増 や し 、 一 、 六O
九棟とし、メタンガス利用戸一五O
戸が増え、二、四O
二 戸 に 達 し た 。 ④の扶貧活動では、志丹県は一九七九年と一九八六年貧困県に指定され て い た 。 一九九八年には貧困県を脱出した。二O
O
四年末には、全県の貧 困戸と貧困人口は、二000
年の五、七九七戸、二七、二四四人から二、六二 五一戸、一四、八五六人までに減らした。とりわけ年純収入が六二五元以下の 特困人口は一、六O
四戸、七、五三八人で、二000
年に比べ二、四七四戸一 一 一 、 六 六 二 人 を 減 ら し た 。 ま た 六 二 五 一 冗1
八 六 五 一 苅 の 低 収 入 困 難 者 は 四 、 一 九三戸一九、七O
六人で、二000
年に比べ二二九戸二、一九四人を減ら し、なお国家政策と共に各級各部門に責任者を置き各郷・村・個人が請負 ぃ、重賞必罰を以て扶貧開発を強化していく。なお②についての別項では 次のように報告された。 当面の最大の任務は退耕還林であり、人民が大きな恩恵を受けている。 一九九九年以来、七年間に全県が完成した退耕還林面積は五回・二一万 ム1
、荒山造林四二・六二万ム l 。配給補助食糧九、五六六万キログラム (現金にして九二七一・四万元)、種苗補助費三、九五六・五万元、生活補 助 費 一 二 、 ニ 二 三 ・ 四 万 一 河 、 全 県 二 一 郷 、 一九二か村、二・一万戸、九・六万 人 が 受 益 し 、 一人平均の享受した政策補助は二、八八四元である。 二 O 五︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 現 在 、 一四六ヵ所で基本農田の建設という農業の基盤整備を実施してい る。今年新農地を四万ム
l
造成して全部で二六万ムーになった。来年に四 万 ムl
を 造 成 し て 一 二O
万ム!とし、予想される農民の数、 一O
万人が一人 当たり三ムl
の自活のための農地を確保できるようにする。この事業は、 国の政策として、省の財源で実施しており、農民の負担はない。 最近、こ の事業に対して、 マスコミが注目しだした。それは、この方式が効果を上 げ始めているからである。険西省は政策として、省内の農地面積を減らさ ないで維持するという方針を打ち出している。このため、例えば西安の市 街地にある農地を接収して事業用地にしたとすると、同じ面積の農地を、 どこか別の市・県等に造成する。その為の財源は、事業用地を手に入れた 企業から得た収益を充てる。 なお、このほか、種畜開発、基本農田確保の必要性、土地保護上の規格 厳守と対策等について、今後の指導方針として、基本農田建設に退耕還林、 産業開発、基礎建設とを有機的に結合させ、農業産業化を図る実施企画優 先と平衡性を保つことに主眼をおくことが、次のように説明された。 農業政策の基本は、﹁工が農を支援する﹂と云うことである。石油資源の 開発を利用して、農村の改革に積極的に対策を立てること、低生産農地に 土地の流動性を図り、小型水利工程、ダム、荒山荒地の売り出し、賃貸、 請負形式などの諸方式による資金収入を図り、土地整備、再開発、新村移 転などに再投資し、生態保護としての寛さ幅一五メートルの農田基準を守 り、三近 H 近村・近水・近路を実現し、傾斜地を平らに、荒を宝に、溝を 田にするクラスの格上げが必要であると、詳しい数字による説明が成され 省 - o ナ ム 二 O 六 全般的に全県的・経済的開発と富民化への集中した努力、熱意が溢れて いたが、その対策は政策指導型、中央指導型によるもので、多くが試験段 階またはモデル地点設定の段階とみられた。その反面、農民の具体的な福 利厚生を支える生活保障、例えば年金とか医療保護とかについて、或いは 教育面などについての言及は少なかった。 会議における討論の主なものは次のようであった。•
問 志丹県の今後は農業を中心に、農民が農民のまま開発していく方針 と伺えるがどうか。 一般論として、世界的にみて、生きるための産業、 特に農業を基本に生きるのは、他産業中心に生きるより不利である。 農業が利用されると云うことがあるが、工業に引っ張られ、農業はそ れに吸い込まれるという原則がある。西部大開発の中で、志丹県は工 業県であるが、今のままで工業に引っ張られると、基本農田三ムl
で は、農民は生活水準を維持できなくなるのではないか。農業にもっと 付加価値をつけること、例えば果樹を作るとすれば加工としての ジュース工場を作る等、農業十工業化に進まないと発展しないのでは な い か 。 受え p 政府部門が終始考えている問題であり、都市部と農村がどう発展し ていくか大きな問題である。工業が農業を引っ張っていくため、﹁一減 二増三化﹂を図っていく。 一 減 H 農村人口を徐々に減らすこと、二増 H 農村の収入増加、 三化 H 工業化・都城化・産業化を図り、 農業を発展させ、高収入を図ることが必要である。養畜型、労働集約 ハイテク 型、産業集約型をもって、リーダーシップをにぎる先頭企業が必要で あり、産業化が市場と生産基地をむすび、企業を興し、それが農家と更に結合することになる。例えば、先に見学した黄酒製造や牛乳、 羊・牛肉加工 (未契約)が考えられる。産業化により都市化を推し進 めていき、都市化が徐々に進めば農民も減ることになる。現在、県庁 所在地には二万人が五万人になっている。今後、都市部を一
O
万 人 、 農村部を三万人とする計画である。•
開 高齢化社会の段階で社会保障の問題が起こる。養老年金、社会保障 はどう考えているか。 受え p ①養老保険は公務員は一OO
パーセントであるが、農村部について も全面的に推進していく。②最低の生活保障ラインとしては、他県で は四O
O
元までであるが、志丹県では七O
O
一冗まで補助している。③ 農民子弟の就学問題は、全て九年間義務教育制で教科書・学費は免除 している。また貧困家庭には補助金を支給している。④医療合作(保 険 一人当たり年三O
元、政府(中央・省・市・県)が二O
元、農民 が 一O
元を負担する。なお、農業税は免除されている。•
間 基本農田三ムl
政策は理解できるが、その為新たに黄土を削り山頂 の緑地を畑地にするのは生態維持に支障は起こらないか。 答 志丹県は農業県であり、人口の大部分は農村にあり、現状として農 業なしには生活が成り立たない。西部大開発の方針は農民の生活保障 にある。農民が一0
1
ニ
O
ム1
で 、 一五度以上の農地では収穫高は低 く、労働力もかかる。志丹県の地形・気候条件から、山頂しか造成で きない。﹁山に帽子をかぶせ腹にスカートをまき、麓は靴を履く﹂と言 うように、帽子とは食糧確保のための基本農田のことで、土砂の流失 を防ぐため傾斜面の上に畑を作ること、 スカートとは中間斜面に草・ ︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃商部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 樹を植えること、靴とは河溝に泥質のダムを作り、水利管理をして、 表土の流出防止を図るということである。•
問 一一ムーでは生活水準が維持できないのではないか。 答 二 ムl
に退耕還林した収入がある。•
問 退耕還林地の権利は誰にあるか。 答 農民は従来の三0
年間の﹁土地使用権﹂を国に返納し、改めて七O
年間の﹁林権﹂(林業権) の所有者となる。 以上の質疑応答の後、 県長の挨拶があり、﹁生態保護と経済発展が均衡 した段階に達してきでいる。今後も生態維持に関心を寄せて貰いたい。中 国の地方行政は人民に対し責任を持つ強力な体制がある。日本の企業との 協力があれば更に強力になる﹂旨の発言があった。 (14) 志丹県窒洞建築現場 八月二六日午前、延安市への帰途、害洞の建築現場を通りかかったの で、途中下車してその建築方法を見学した。道路際よりやや奥まったとこ ろ、幅一二・一メートル、奥行きコ了一メートル、一二棟(問)を並べており、 各棟の内部の土を掘り出しているところであった。工人の説明では、土は 小型のダイナマイトも使いながら掘り進め、 二人で一ヶ月、工事費は一棟 ( 間 ) 三 、000
元 j 四 、000
元であるとのことであった。 3 西北大学管理学院での合同研究会(八月二八日 出席者 葦(西北大学経済管理学院教授、西北大学中国西部経済発 章 展研究センター主任) 0 七︿報告﹀平成一七年度﹁中国﹃西部大開発﹄と地域社会の変容﹂プロジェクト 葉道猛(西北大学陳西経済研究センター教授 研究員) 劉新権(西北大学中国西部経済発展研究センター弁公室主任) (西北大学中国西部経済発展研究センターについては﹁アジア文化研究 所研究年報﹂第三九号に紹介されているので参照されたい。) 最初に章葦教授から、同教授らを中心にまとめられた ﹁ 青 書 ﹂ 発 刊 に つ いて詳しい紹介があった。要旨は次の通り。 西部大開発は昨年六月で五年を経過したが、その成果と問題点をまとめ るため、昨年一一一月三日