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戦争体験「語り」の継承とアーカイブ(8) ―

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1.本研究の目的

 本研究は,2009(平成 21)年度から推進している戦 争遺跡に関する研究1,2012(平成 24)年度から推進し ている戦争体験の「語り」の継承に関する研究2,2015(平 成 27)年度から推進している継承的アーカイブを活用 した「次世代の平和教育」の展開に関する研究3の継続 研究であり,さらに 2018(平成 30)年度から取り組ん でいる地域の継承的アーカイブと学習材としての活用に 関する研究4の一端を発表するものである。

 戦後 75 年の歳月が経ち,戦争体験を語れる終戦時の 年齢を仮に 10 歳とすれば,もはやその人口は全人口の 5%以下となった。こうした状況の中,あの貴重な体験 や記憶を残し,継承していこうとする試みが続いている。

また教育現場においても,直接的な戦争体験の「語り」

ではなく,そうした継承的アーカイブを活用したいわば

「次世代の平和教育5」と呼ぶべき実践が次々と展開され ている。

 本稿では,今年で 6 回目となった秋田大学での講話で,

広島市「被爆体験伝承者」である清野久美子氏(講話時

62 歳)と長崎市「交流証言者」である中島麗奈氏(講 話時 19 歳)のZoomによる「語り」を取り上げたい。

これまでの分析と同様に,文字起こしによるプロット毎 の「語り」の時間と文字数からの量的分析,また聴講者 からのアンケート結果(自由記述)からの質的分析によ り検討していきたい。

2.これまでの広島市「被爆体験伝承者」・長崎市「家 族証言者」「交流証言者」講話

 本研究では,まず戦争体験の「語り」の継承について,

以下の様な取り組みを取り上げてきた。

 前述した通り,本研究では,第 1 期生が誕生した 2015(平成 27)年より広島市「被爆体験伝承者」を,

さらに翌 2016(平成 28)年度からは,長崎市「家族証 言者6」を実際に秋田大学にお呼びして,講話をしてい ただいている。これまでお呼びした講話者は,以下の通 りである。

 広島市「被爆体験伝承者」については,2019(令和 1)

年度の石綿浩一氏が唯一の第 2 期生で,他の方は全て第

戦争体験「語り」の継承とアーカイブ(8)

―広島市「被爆体験伝承者」・長崎市「交流証言者」を事例として― 外 池   智

(秋田大学教育文化学部)

Study about inheritance of telling war experience (8)    - Hiroshima "a-bomb survivors legend" and

      Nagasaki "exchange evidence" as a case study-

TONOIKE, Satoshi Abstract

This study is in published studies on the development of peace education of the next generation using hierarchical archiving working from2015, continuing research studies on the inheritance of war has promoted research on war- related sites are promoted from the2009 fiscal year,2012 year telling.

Age of war after World War II 71 years have passed, and talk about the experience of war if 10 -year-old, no longer the population total population 8%. Narrative in such a situation, a direct war experience, not by using the hierarchical archive should be called "peace education of the next generation" so to speak, practice is ever- changing and expanded.

Nagasaki has been approached from the city of Hiroshima last year continue to be tackled from fiscal year 2012(Heisei 24), such circumstances "a-bomb survivors tradition" and 2014(Heisei 26) year " Family survivors

"and take" Exchange witnesses ".

Key Words: Study about inheritance of telling war experience, Practice of Hiroshima "a-bomb survivors legend", Nagasaki a-bomb experience about (exchange evidence) promotion project

(2)

1 期生である。

 そして,今年で 6 回目となった今回の講話では,新型 コロナウィルスの影響で外部の方を学内にお呼びするこ とができない状況だったので,初めてZoomによるオン ラインで開催した。講話をしていただいたのは,広島市

「被爆体験伝承者」清野久美子氏(講話時 62 歳)と長崎 市「交流証言者」中島麗奈氏(講話時 19 歳)である。

これまでの分析と同様に,文字起こしによるプロット毎 の「語り」の時間と文字数からの量的分析,また聴講者 からのアンケート結果(自由記述)からの質的分析によ り検討していきたい。

3.講話の日程と講話者の略歴

 例年 7 月末に実施してきたが,2020(令和 2)年は 8 月 7 日(金)に講話を実施した。主な日程は以下の通り である。講話時間は,例年であれば基本的には広島市「被

爆体験伝承者」講話は 1 時間,長崎市の場合は 40 分程 でお願いしているが,今回は初めてのZoomでの開催で あるので,視聴者である学生の負担を考慮して,前者は 45 分程,後者は 30 分程でお願いした。

 14:20〜14:30 参加者の状況確認  14:30〜14:45 基調報告(外池 智)

         「広島市『被爆体験伝承者』・長崎市

『交流証言者』講話―戦争体験『語り』

の継承―」

 14:45〜15:30 広島市「被爆体験伝承者」講話          (清野久美子氏)

 15:30〜15:45 質疑応答

 15:45〜16:15 長崎市「交流証言者」講話          (中島麗奈氏)

 16:15〜16:30 質疑応答

 講話実施の順に,まず広島市「被爆体験伝承者」の清 野久美子氏の略歴について取り上げる7。清野氏は,

1958(昭和 33)年,広島市生まれ,講話時 62 歳。実母 が現在は平和公園になっている中島で被爆しており,被 爆2世である。広島市内の病院で 33 年間看護師として 勤務し,退職後,広島市「被爆体験伝承者」の第 1 次募 集に応募した。第 1 期生である。これまでに日本語,英 語で 300 回以上の講話を実施している。伝承したのは,

清野氏の中学生時の恩師であり,その後看護師として勤 務していた時には患者としてお世話をした松島圭次郎氏 の被爆体験と,当時の中島地区(現在の平和記念公園)

で被爆した清野氏自身の母の被爆体験である。

 次に,長崎市「交流証言者」の中島麗奈氏の略歴につ いて取り上げる8。中島氏は,2001(平成 13)年,長崎 県長崎市生まれで,講話時 19 歳。母方の曾祖母が被爆 者の被爆 4 世である。高校 2 年生でのアメリカケンタッ キー州への留学時に,全校生徒へ長崎の被爆の実相を話 す機会を得た事がきっかけで証言者になる事を決意し た。初めての講話は 2017(平成 29)年で,まだ高校 2 年生であった。今回の秋田大学の講話で,15 回目の講 話になる。伝承したのは,信子さん(本人の希望で名の み)の被爆体験で,中島氏への伝承によって初めて自身 の被爆体験を詳細に語った方だという。

4.講話の構成と内容についての分析

(1)講話の構成

 前述した通り,講話はZoomによるオンラインで,お 二人ともパワーポイントを使用しながらの実施であった。

 パワーポイントの内容について,まず清野氏は全部で 70 枚のパワーポイントを活用していた。その内訳は,

資料 1 これまで取り上げてきた戦争体験「語り」の継 承プログラム

事業名 事業主体 期間

(3件)広島

「被爆体験伝承者」

養成プロジェクト

「ヒロシマ ピース ボランティア」事業

「原爆遺跡フィール ドワーク」

広島市市民局 広 島 平 和 文 化 セン ター原爆遺跡保存運動懇 談会

2012- 1998- 1990-

(3件)長崎

「青少年ピースボラ ンティア」事業

「被爆体験記朗読事 業( 朗 読 会/朗 読 ボランティア育成・

派遣)」長崎市「『語り継ぐ 家族の被爆体験(家 族証言)』推進事業」

長崎市被爆継承課平 和学習係国立長崎原爆死没者 追悼平和祈念館

長崎市被爆継承課平 和学習係

2002- 2011-

2014-

(4件)沖縄

「ボランティア養成

「子や孫に語り継ぐ講座」

平和のウムイ事業」

「次世代プロジェク

「南風原平和ガイドト」

養成講座」

沖縄県平和祈念資料 沖縄県平和祈念資料 ひめゆり平和祈念資 料館南風原町

2004- 20062012- 20132002-

2007-

(1件)国立市

「くにたち原爆体験 伝承者」育成プロ ジェクト

国立市市長室平和・

ダイバーシティ推進

2014- 2018

資料 2 秋田大学にこれまでお呼びした講話者

(敬称略)

年度 広島市「被爆体験伝承者」 長崎市

家族証言者 交流証言者 2015 髙岡昌裕(36)    

2016 楢原泰一(40) 佐藤直子 (52)  

2017 藤井幸恵(73)   松野世菜 (19) 2018 山岡美知子(67) 平田周(59)  

2019 石綿浩一(55)   田平由布子(26)

 ・( )内は,講話時の年齢

(3)

多い順に写真 36 枚(51.4%),絵画 21 枚(30%),地図 8 枚(11.4%),写真と地図の複合 2 枚(2.9%),手書き 地図 2 枚(2.9%),文字 1 枚(1.4%)であった。一方 の中島氏は,全部で 16 枚のパワーポイントを活用して いた。その内訳は,多い順に写真 9 枚(56.3%),文字 6 枚(37.5%),家系図 1 枚(6.3%)であった。

実施した講話のお二人のプロットは,以下の資料3,資 料4の通りである。

資料 3 清野久美子氏による広島市「被爆体験伝承者」

講和(36 分 54 秒,9,775 文字)

資料 4 中島麗奈氏による長崎市「交流証言者」講話(27 分,8,482 文字)

 講話の文字起こし本文は,本稿末の資料 5,資料 6 の 通りである。実際の講話から質疑応答まで,全文掲載し てある。

 まず,講話の内容構成について,当然ながらお二人と も違いはあるが,その中核となる部分については,基本 的に以下の 4 点と共通している事が分かる9

  ・原爆投下までの歴史的背景や生活の様子   ・被爆の実相

  ・被爆体験の「語り」

  ・平和への願い

 前述の通り,広島市「被爆体験伝承者」の第 1 期生が 養成を終了し,講話を開始した 2015(平成 27)年から 秋田大学での講話を開始し,翌年からは長崎市からも「家 族証言者」「交流証言者」もお呼びし,前者の事例は今 回を含めて 6 件,後者の事例は 5 件になった。これらの 方々の「語り」の内容構成を振り返ると,当然その方に よってそれぞれの力点の違いはあるものの,やはり基本 的は上記の 4 つの項目の内容で構成されている事が分か る。すなわち,講話者のプロットとしては,この 4 項目 による構成がスタンダードな内容構成として確立してき ている事が指摘できる。

(2)「語り」の時間,文字数に着目した量的分析

①清野久美子氏の講話の分析

 次に,文字起こしをした資料 5,資料 6 に基づいて整 理した「語り」のプロット(資料 3,資料 4)に注目し,

「語り」の時間,文字数に着目した量的分析から指摘し たい。

 まず清野久美子氏の講話は,文字起こし分の時間で 36 分 54 秒,文字数だと 9,775 文字であった。これまで お呼びした広島市「被爆体験伝承者」講話では,最も時 間的に短く,また文字数も最も少ない結果となった。こ れは,やはり秋田大学にお呼びして直接「語り」をして いただく講話ではなく,Zoomによる開催であった事が 第一の理由であろう。これまでの広島市「被爆体験伝承 者」講話は,広島市で実際に実施しているスタンダード な講話を継承し,ほぼ 60 分での講話を実施してきた。

しかし,今回はZoomによる講話であるため,学生の負 担を考えて時間を短めにしていただいた。時間や文字数 の減少は,こうした影響による。

 一方の中島氏の講話は,文字起こし分の時間で丁度 27 分,文字数だと 8,482 文字であった。前回の田平由 布子氏の講話は,33 分 8 秒,6,819 文字,また中島氏と 同年齢であった 2017(平成 29)年の松野世菜氏の講話は,

36 分 45 秒,8,969 文字であった。今回の中島氏の場合は,

時間は一番短いが,文字数からは松野氏とほぼ同じくら いの内容であった事が分かる。

 さて,注目したいのは,やはり「語り」の継承部分で ある。まず,清野氏の講話では,松島圭次郎氏の被爆体 験と,母の被爆体験の二つの被爆体験の「語り」があり,

前 者 は「 3. 松 島 圭 次 郎 氏 の 被 爆 体 験(13 分 39 秒

(37.0%),3,725 文字(38.1%))」と「4.戦後の松島

〇 自己紹介,イントロダクション   (49 秒(3.0%),262 文字(3.1%))

1.長崎に投下された原子爆弾について   (1 分 5 秒(4.0%),348 文字(4.1%))

2.信子さんの紹介と被爆前の暮らし   (3 分 13 秒(11.9%),1,132 文字)

3.信子さん自身の被爆体験の「語り」

  (信子さん自身の動画)

  (5 分 44 秒(21.2%),1,289 文字(13.3%))

4.信子さんの被爆体験(中島氏による)

  (10 分 3 秒(37.2%),3,473 文字(40.9%))

5.終戦後の信子さん(中島氏による)

  (2 分 11 秒(8.1%),789 文字(9.3%))

6.終戦後の信子さん(信子さん自身の動画)

  (2 分 52 秒(10.6%),795 文字(9.4%))

7.平和を願って

  (1 分 3 秒(3.9%),394 文字(4.6%))

1 〜7のタイトルは,中島麗奈氏講話時使用のパワー ポイント及び資料 6 の内容から筆者作成。

〇 自己紹介,イントロダクション   (56 秒(2.5%),207 文字(2.1%))

1.原爆投下の概要(2 分 38 秒(7.1%),631 文字(6.5%))

2.原爆投下前の広島の歴史

  (1 分 34 秒(4.2%),424 文字(4.3%))

3.松島圭次郎氏の被爆体験

  (13 分 39 秒(37.0%),3,725 文字(38.1%))

4.戦後の松島氏と松島氏の詩

  (1 分 57 秒(5.3%),467 文字(4.8%))

5.清野氏の母の被爆前の生活

  (3 分 10 秒(8.6%),839 文字(8.6%))

6.清野氏の母の被爆体験

  (11 分 43 秒(31.8%),3,010 文字(30.8%))

7.平和を求めて(1 分 17 秒(3.5%),472 文字(4.8%))

1 〜7のタイトルは,清野久美子氏講話時使用のパワー ポイント及び資料 5 の内容から筆者作成。

(4)

氏と松島氏の詩(1 分 57 秒(5.3%),467 文字(4.8%))」

の部分で,合わせると時間では 15 分 36 秒(42.3%),

文字数では 4,192 文字(42.9%)であった。また後者は「5.

清野氏の母の被爆前の生活(3 分 10 秒(8.6%),839 文 字(8.6%))」と「6.清野氏の母の被爆体験(11 分 43 秒(31.8%),3,010 文字(30.8%))」の部分で,合わせ ると時間では 14 分 53 秒(40.3%),文字数では 3,849 文字(39.4%)であった。二つの被爆体験継承の「語り」

の部分を合わせると,時間では 30 分 29 秒(82.6%),

文字数では 8,041 文字(82.3%)となり,時間,文字数 とも全体の 8 割を超える分量となっていた。これは,こ れまで秋田大学にお呼びした広島市「被爆体験講話」の 中では最も多い割合である10。前述した様に,被爆体験 を継承した「語り」については,ほぼその内容構成が固 定化しつつある。しかし,当然その語り部によって,力 点の置き方の違いがあり,特に今回の清野氏の場合は被 爆体験を継承した「語り」の部分に最も力を入れて構成 されていた事が分かる。これは,広島市の被爆の現状を 事実的「語り」11 や現象的「語り」12 といった説明的「語 り」により詳細に解説する構成ではなく,個人の被爆体 験を重視した構成になっていたという事である。

②中島麗奈氏の講話の分析

 一方,中島氏の講話だが,中島氏の場合,信子さんの 被爆体験を継承した「語り」だけでなく,信子さん自身 の「語り」の動画を活用していた。前者では,「2.信 子さんの紹介と被爆前の暮らし(3 分 13 秒(11.9%),

1,132 文字)」と「4.信子さんの被爆体験(中島氏に よる)(10 分 3 秒(37.2%),3,473 文字(40.9%))」「5.

終戦後の信子さん(中島氏による)(2 分 11 秒(8.1%),

789 文字(9.3%))」の 3 カ所で,合わせると時間では 15 分 27 秒(57.2%),文字数では 5,394 文字(63.6%)

であった。また後者では,「3.信子さん自身の被爆体 験の「語り」(信子さん自身の動画)(5 分 44 秒(21.2%),

1,289 文字(13.3%))」「6.終戦後の信子さん(信子さ ん自身の動画)(2 分 52 秒(10.6%),795 文字(9.4%))」

の 2 カ 所 の 部 分 で, 合 わ せ る と 時 間 で は 8 分 36 秒

(31.9%),文字数では 2,084(24.6%)であった。

 さて,この様に中島氏の場合,信子さんの被爆体験を 継承した「語り」だけでなく,信子さん自身の「語り」

の動画を活用していた。すなわち,純粋な戦争体験の「語 り」の継承ではなく,被爆者ご本人の「語り」も動画の 形で複合した構成になっていたのである。実は,こうし た構成は中島氏が初めてではなく,前述した 2017(平 成 29)年の松野世菜氏の講話においても活用されてい た手法である。これまでの戦争体験の「語り」の研究に おいて,広島市「被爆体験伝承者」の場合は,オリジナ

ルの被爆体験者の「語り」の継承に対してかなり手堅い 措置を施している13。広島市「被爆体験伝承者」の場合,

3 年かけた養成期間の内,2 年目には 1 万字程度の証言 のまとめを作成する事になっている14。そして,それは 二重のチェックを経て承認される。すなわち,オリジナ ルの証言者と養成担当の広島市市民局国際平和推進部平 和推進課によるチェックである。無事養成期間を経て,

いわば公式に認定された「被爆体験伝承者」達は,基本 的にはこのまとめに基づき,その後の講話を実施する事 になっている15。一方の長崎市の場合,統一的なまとめ の形式はない。例えば,2016(平成 28)年に初めて秋 田大学にお呼びした長崎市「家族証言者」である佐藤直 子氏は,紙芝居とパワーポイントの組み合わせであり,

「家族証言者」としては最も年齢が若い三根礼華氏(登 録時 26 歳)は,自身の祖母の証言映像とパワーポイン トの組み合わせである。さらに,こうしたまとめに対す るチェックはなく,長崎市は証言者の支援に徹している のである。「交流証言者」がパワーポイントであればそ の作成を支援し,証言映像を活用したいとなれば,その 撮影を補助している。厳密に考えれば,被爆体験の「語 り」の伝承であれば,広島市「被爆体験伝承者」の講話 がスタンダードで正当な取り組みと言えようが,長崎市 の場合はご本人のアーカイブ動画も活用している点が特 色ある点であり,その背景にはこうした長崎市の養成の 特色が反映されていると言える。

5.参加者の感想

 参加者は,秋田大学教育文化学部の社会科教育の免許 取得科目を受講している学生 23 名,教員 2 名,秋田大 学教育文化学部附属小学校の教員 1 名,広島平和記念資 料館啓発課の横谷淳子氏,長崎平和推進協会継承課の入 浜由佳子氏の合計 28 名であった。

 聴講したアンケートとして 2 点,「〇実際にそれぞれ の『語り』を聞いた感想・意見等をお聞かせください。1. 島市『被爆体験伝承者』講話,2.長崎市『交流証言者』

講話」を記入してもらった(資料 7 参照)。回収数は,「1. 島市『被爆体験伝承者』講話」については 21 件,「2. 崎市『交流証言者』講話」については 20 件であった。

こうしたアンケート結果について,記述の内容から質的 分析を試みたい。

(1)広島市「被爆体験伝承者」清野久美子氏の講話へ の感想・意見

 まず,広島市「被爆体験伝承者」の清野久美子氏の講 話への感想・意見について,多かった順に 3 点取り上げ たい。

 まず最も多かった感想は,清野氏の「語り」がリアル

(5)

で当時の状況が鮮明に伝わったとの感想で,21 件中 10 16(47.6%)であった。例えば,(1-11)「松島さん,

お母さんのお話だったが,どちらも被爆した日,その前 日,後日のエピソードがどれも鮮明で,自分の感情に非 常に訴えかけられた」,(1-13)「講話を聴いてみて,実 際にそこにいるかのようにリアルに伝えていたと思っ た。自分を含め若者は皆戦争を経験したことがなく,さ らに原爆の脅威すら分からないだろう。私は今回の講話 で,原爆を落とされた後の生活を聴いたとき,非常に悲 しさを覚えた」,(1-15)「原子爆弾の恐ろしさが伝わっ てきた。何キロも離れているのに爆弾がすぐとなりに落 ちたかと思うということは,想像もつかないくらい強い 威力だったのだと感じた」等の感想である。これまでの 講話においても,原爆投下後の状況がリアルで鮮明に伝 わってきたとの感想は,多くの聴講者が述べている感想 である。講話者は,これまでもパワーポイントにより写 真や絵等の視覚資料を効果的に活用する場合が多いが,

今回の清野氏の講話においてもそうであった。清野氏の 講話では,前述した通り全部で 70 枚のスライドを活用 していた。その内訳は,多い順に写真 36 枚(51.4%),

絵画 21 枚(30%),地図 8 枚(11.4%),写真と地図の 複合 2 枚(2.9%),手書き地図 2 枚(2.9%),文字 1 枚

(1.4%)という状況であった。さらに,こうした写真や 絵は,固まって表示するのではなく,2 〜 4 枚毎に交互 に配置し,しかも,地図を定期的に挟む事により,その 示した写真や地図がどの位置で展開されたものなのかを 確認しながら提示する工夫がなされていた。こうした,

視覚資料や地図の効果的活用が,聴講者の感想に表れて いるのであろう。これは,これまでの講話者とは違う,

清野氏の特色である。社会科教育では,小学校 3・4 年 生における地域学習で,市町村や県の様子を捉える時,

実際に自分でその場を歩く体験的理解と地図を用いての 俯瞰的理解がなされ,前者を「ムシの目」,後者を「ト リの目」と呼ぶ時がある。清野氏自身は,こうした社会 科教育での手法を周知して今回のパワーポイントの配置 を取り入れたのではないが,類似した手法によりより状 況がリアルに伝えられている事には注目したい。

 また,類似した感想として,清野氏が事実を丁寧に伝 えているとの感想も,21 件中 5 件17(23.8%)あり,「語 り」がリアルで鮮明であるとの感想と合わせると 21 件 中 15 件(71.4%)となり,聴講者の 7 割を超す感想と なる。例えば,(1-3)「清野さんのお話の中で最も印象 的だったのは,話の中身やスライドの描写において,事 実を丁寧に伝えるということでした。誇張して怖さを煽 るのではなく,事実として確かなことを伝えたうえで,

私たちが講話を基に,これからの日本や,世界の平和に ついて考えることが大切と感じました」,(1-7)「質疑応

答の場面では,清野さんの『事実を描写し,感情よりも 事実を大切にする』といったお言葉が印象的だった。た しかに,戦争の悲惨さを痛感するための一つの視点は,

戦争の被害を受けた方々の感情に触れることだろう。し かし,聞き手としては,人々の感情のみで戦争をとらえ てしまうと,戦争の事実そのものを歪んで捉えてしまう 可能性がある。そのため,実際に起こった事実を捉え,

そのうえで人々の感情を伝えるという視点が,より適切 に物事を捉えることにつながるのではないかと感じた」,

(1-11)「今回の質問の答えの中で,『なるべく感情的に ならないようにしている。客観的に事実を伝えるように 工夫している』とおっしゃられていたように,伝える人 もそれを理解している上で話していることが分かった」

等の感想である。筆者は,以前の研究で,こうした伝承 者の「語り」を,事実的「語り」18,現象的「語り」19,感 性的「語り」20の 3 つに類型化した。清野氏の場合,前 述の様に内容構成としては松島氏や実母の被爆体験を伝 承した「語り」が 8 割以上を占めていたが,それぞれの 被爆の状況を表す時に,現象的な「語り」や事実的な「語 り」といった,被爆の実相を客観的に表す説明的な「語 り」が丁寧で工夫されており,それが聴講者にも伝わっ た結果であろう。

 次に多かったのは,今後社会科教師になるにあたって 参考にしたいとの感想で,21 件中 6 件21(28.6%)であっ た。例えば,(1-2)「外国の方にも見た光景を伝え,こ れ以上原爆が使われることがないように活動している姿 を見て,私も教師としてこれからの未来を創る子どもた ちに平和を築く力を身に付けさせたいと感じた」,(1-16)

「被爆体験者の方がご高齢である現在,伝承者の方など,

当時の体験を伝える存在の必要性が高まってきている し,伝承者ではなくても,社会科の教員を目指す私たち もそういった体験を伝える身になるという自覚をもって このような貴重な体験を通して学び続けていかなければ いけないと思った」,(1-21)「講話の中でも仰っていま したが,辛い情報を出しすぎないということや,資料の 使い方や話し方など,私自身が教師となって何かしらを 語り継ぐという機会があった際に参考にしたいという点 が沢山ありました」等の感想である。聴講者は,基本的 には社会科の教員を目指している学生なので,例年多く みられる感想である。

 最後に 3 番目に多かったのは,清野氏の母親が原爆を 投下したアメリカを憎んでいないことへの感想である。

21 件中 4 件22(19.0%)であった,例えば,(1-17)「私 が特に印象に残っている話は,外国人の方が大きな反応 があることと,被爆をしてとても大変な思いをしたにも かかわらず,アメリカに対しての恨みがそこまでないと いうことです」,(1-19)「今回の講和を聞いて,印象に残っ

(6)

た清野さんの文言があります。その文言とは,清野さん の母親が,原爆を落としたアメリカに対して憎しみを抱 いていることがなかったという文言です」,(1-20)「原 爆を落としたアメリカへの憎悪はないというお話に驚き ました。憎むべきは戦争を起こした日本でも敵国アメリ カでもなく戦争そのものであるということを再認識しま した」等の感想である。原爆投下の実行者であるアメリ カでは,原爆投下により戦争が早く終結したので原爆投 下は是であるとの考えが基本的にあるが,近年そのアメ リカにおいても原爆が投下された地上では何が起きてい たのか,そのあまりにも非人間的な現状に対する注目が 集まってきている。あれだけの凄惨な状況があったにも かかわらず,「憎むべきは戦争を起こした日本でも敵国 アメリカでもなく戦争そのものである」との清野氏の母 親の言葉は,学生達にも深く印象に残ったようである。

(2)長崎市「交流証言者」中島麗奈氏の講話への感想・

意見

 次に,長崎市「交流証言者」中島麗奈氏の講話への感 想・意見について取り上げたい。前述の通り,中島氏は 講話時 19 歳であり,2017(平成 29)年にお呼びした「交 流証言者」である松野世菜氏と同年齢時での講話であっ た。これまで秋田大学にお呼びした伝承者の中では最年 少である。聴講者である学生達よりも若い講話者の「語 り」を,学生達はどう受け止めたのであろうか,多かっ た順に 3 点取り上げたい。

 まず最も多かった感想は,やはり若い世代にもかかわ らずこうした継承事業に関わる中島氏への尊敬と感銘に 関する感想と,同数で被爆後の差別に関する感想で,そ れぞれ 20 件中 9 件(45.0%)であった。例えば,前者23 については,(2-4)「私が中島氏の講話を聴き,まず中 島氏の年齢と,中島氏自身の思いにひどく心を動かされ た。年齢の近さが要因なのか,そもそも若い方が講話を 行うことが要因なのかはわからないが,講話者の年齢に よって,受講者の印象は大きく変化するのかと感じた」,

(2-8)「自分よりも若い方がこうして平和についての活 動を積極的に行っていることに感銘を受けました。社会 科に携わる人間として,もっと意識していかねばと思わ されました。実際に戦争を体験した方がどんどん少なく なってしまう,という中で,このように若い方が伝承者 として語り継ぐという活動がもっと推進されていくとい いなと思いました」,(2-16)「中島さんは年齢が 1 歳差 ということもあり,同じ 10 代がこうして被爆体験を幅 広い年代に伝えていることに驚いたと同時に,10 代と いう若い世代だからこそ原爆や戦争,平和について真剣 に考え,向き合うことが重要だと強く思った」等の感想 である。以前の松野氏の場合もそうであったが,聴講者

である学生達は,自身より若い世代の主体的で積極的な 取り組みに大いに刺激を受けた様である。

 また,同数の被爆後の差別に関する感想24は,例えば,

(2-9)「信子さんのように被爆したことによって差別が あることは知っていたが,それによって入学を拒否され 自分の夢まで叶わなかった事を知り,間違った知識が広 まり,それを取り入れることの恐ろしさを改めて感じ た」,(2-10)「今日の講話では特に差別のお話が心に残っ ています。今でも被爆を理由に入学拒否されたり,婚約 破棄されたりと原子爆弾の傷跡が社会に残っているとい うのは名状しがたいものを感じました」,(2-14)「私が この語りの中で最も心に残ったのは被ばくした後も被ば く者として差別や偏見の目にさらされるということでし た。核兵器による影響がその時一度のものではなく,そ の人の今後の人生にも大きくかかわるということはこう して話を伺わなければしっかり認識できなかったし,教 科書上の知識だけでは伝えられないことの一つだったと 思うので,自分にとって学びになりました」等の感想で ある。これまでの秋田大学の講話の中では,前回の石綿 浩一氏の講話時に初めて多くを占めた感想であったが,

今回の感想でも多くを占める事となった。学生達は,被 爆時の悲惨な状況に関しては,これまでの学習やメディ アでの放送などによって既知の事実であったが,被爆者 のその後の人生の中での差別については,今回の講話で 初めて聴いた者も多く,印象に残った様である。また,

そうした感想を挙げていたのも,聴講者の学生の内でも 今回初めて講話を聴いた 2 年生に多いのが特徴である。

 最後に,3 番目に多かったのは,やはり今後社会科教 師になるにあたって参考にしたいとの感想で,20 件中 7 件25(35.0%)であった。例えば,(2-2)「私も日本最 後の空襲があった土崎で生まれ育った者として,語り継 ぐ責任があると考える。戦争を繰り返さないために,平 和な世界を築くために,私は教師として子どもたちに戦 争があったこと,核兵器の恐ろしさを伝えていきたい」,

(2-12)「自分も,教師となった時には,これほど上手く 伝えられるかは分からないが,原爆,戦争のことを知っ てほしい,後世に伝えていってほしいという気持ちを もって伝えて行きたい」,(2-17)「将来教師になって平 和教育を行う際には,言葉選びを慎重に行い,事実を伝 えていきたいと思います。この講話を聞き,私自身が戦 争のことをもっと知りたい,知らなければいけないと強 く感じるきっかけになりました。事実を受け止めたうえ で,客観的に考え,次世代に受け継いでいけるよう,頑 張っていきたいと思います」等の感想である。前述の清 野氏の講話と同じように,将来社会科の教師になること を目指している学生達にとって,我が事の問題として受 け止めていた証であろう。

(7)

6.小括―初めてのオンラインでの講話への感想・意見  今回,新型コロナウィルスの影響で,初めてZoom よるオンラインでの講話になった。これまでの学生達の 感想からも伺えたことだが,伝承者の「語り」は,やは り実際に対面しての生の「語り」に説得力があり,その 意義を認める感想が多かった。しかし,今回初めての Zoomでの講話は,聴講者にどのように受け止められた のであろうか。今回のアンケートでは,これまでのアン ケートと同様に,前述のシンプルな意見の問いかけで,

特段Zoom開催での感想を求めてはいなかったが,全感 想の内,6 件26(28.6%)がZoomでの講話に対する感 想を述べていた。

 その内容に関しては,結論から言えばほとんど肯定的 な意見であった。例えば,(2-3)「Zoomでの講話につ いては,清野さんとも共通していますが,表情を見なが ら講話を聴くことができたため,より鮮明に描写が伝 わってきました」,(1-5)「清野さんは,Zoomでの講話 は今回が初めてだが,対面形式に比べ大変さはあまりな いとおっしゃっていた。これは事実を述べていく語りの スタイルと合致しているのかとも思うが非常に興味深 く,やはり手軽に幅広く知ってもらうためにはこのオン ライン形式のメリットもあるのではないかと感じた」,

(2-18)「中島さんはZoomなどのオンラインツールを用 いた方が,より多くの人に講話を届けることができるの

ではないかというお話をされていました。確かにその通 りだと思いますし,オンラインでの講話でこれまで以上 に被爆体験者の声を多くの人に届けることを通して,戦 争やこれからの平和の在り方などについてもより多くの 人が考えたり意見を交流あったりする世の中になると良 いと感じました」等の感想である。

 対面方式の講話では,直接「語り」を聞けるメリット があるが,オンラインでの講話でも清野氏自身の感想に もある通り「Zoomでの講話は今回が初めてだが,対面 形式に比べ大変さはあまりない」状態であり,「より多 くの人に講話を届けることができる」メリットや,「戦 争やこれからの平和の在り方などについてもより多くの 人が考えたり意見を交流あったりする」メリットがある という様に,オンラインでの講話のメリットを肯定的に 受け止めていた。

 唯一否定的な意見は,(1-5)「ただ,聞く側としては 緊張感が薄れ雰囲気などを感じられない点はやはりあっ た」との感想であった。意見としては 1 件のみであった が,実は他にも同じような感想を持った聴講者はいたの かもしれない。聴講者である学生は,これまで大学の教 室を会場として聴講していたが,今回はZoomなので各 自の自宅で聴講していた。「緊張感が薄れ雰囲気などを 感じられない」との感想は,やはりこうした聴講環境が 影響していたのであろう。

1 2009-2011 年度科学研究費補助金基盤研究(C)「地域にお ける戦争遺跡の複合的・総合的アーカイブと学習材として の活用」(課題番号:21530972)。その内容は,拙著『2009-2011 年度科学研究費補助金(基盤研究(C))研究成果報告書 地 域における戦争遺跡の複合的・総合的アーカイブと学習材 としての活用』(暁印刷,2015 年)としてまとめている。

2 2012-2014 年度科学研究費補助金基盤研究(C)「戦争体験『語 り』の継承カリキュラムの開発と学習材としての活用」(課 題番号:24531174)。その内容は,拙著『2012-2014 年度科 学研究費補助金(基盤研究(C))研究成果報告書 戦争体験

「語り」の継承カリキュラムの開発と学習材としての活用』

(2015 年,暁印刷)としてまとめている。

3 2015-2017 年度科学研究費補助金基盤研究(C)「継承的アー カイブの活用と『次世代の平和教育』の構築」(課題番号:

15K04475)。その内容は,拙著『20015-2017 年度科学研究 費補助金(基盤研究(C))研究成果報告書 継承的アーカイ ブの活用と「次世代の平和教育」の構築』(2018 年,八郎 潟印刷)としてまとめている。

4 2018-2020 度科学研究費補助金基盤研究(C)「地域におけ る継承的アーカイブと学習材としての活用」(課題番号:

18K02606)。

5 「次世代の平和教育」については,前掲脚注 3 の報告書にま とめている。その特色として,以下 3 点を指摘した。

  (1)継承的アーカイブの活用   (2)戦後の平和希求活動への着眼   (3)目的的平和教育から方法的平和教育へ

6 「家族証言者」とは,「被爆者の子,孫等の家族,及び被爆 者と親戚関係にある者」である。また「交流証言者」とは,

「同居や団体活動などにより被爆者との密接な交流経験を有 する者」または「被爆者と関わりはないが,体験を継承す る意志の強い者」である。長崎市「『語り継ぐ被爆体験(家族・

交流証言)』推進事業実施要項」(2014 年)「3 対象者の要件」

による。

7 清野氏提供(2020 年 7 月 29 日)資料の「プロフィール」

と事前のZoomテスト時における聞き取り(2020 年 8 月 6 日)

による。

8 中島氏提供(2020 年 8 月 4 日)資料の「プロフィール」と 事前のZoomテスト時における聞き取り(2020 年 8 月 6 日)

による。

9 前掲註 2 報告書では,「被爆の実相」,「被爆体験の『語り』」,

「平和への願い」の 3 点に整理していたが,これまでの「語 り」の検討から新たに「原爆投下までの歴史的背景や生活 の様子」を加え,4 点とした。

10 例えば,第 1 回目の 2015(平成 27)年の髙岡昌裕氏は,「3  被爆体験伝承講話」「(1)新宅勝文さんの体験」部分で 30 分 10 秒(32.2%),8,056 字(33.9%),第 2 回目の 2016(平 成 28)年の楢原泰一氏は,「5.被爆体験伝承講話(岡田 恵美子さんの被爆体験伝承)」の部分で 12 分 33 秒(20.2%),

3,379 文字(20.6%),第 3 回目の 2017(平成 29)年の藤井 幸恵氏は,「2.森田さんと 2 年生の被害体験」の部分で,

28 分 38 秒(61.1 %),7,381 文 字(59.3 %), 第 4 回 目 の 2018(平成 30)年の山岡美知子氏は,「3.当時 20 歳の母

(8)

が見た被爆した広島の様子」の部分と「4.被爆体験者の 岡田恵美子さんから聞いた原爆孤児の事」の部分で,合わ せると 13 分 54 秒(23.1%),3,917 文字(23.6%),第 5 回 目の昨年 2019(令和 1)年の石綿浩一氏の講話では,「3.

被爆者,細川浩史さんの体験①(5 分 49 秒(9.6%),1,869 文字(9.0%))」,「5.被爆者,細川浩史さんの体験②(48 秒(1.3%),285 文字(1.4%))」,「7.被爆者,細川浩史 さんの体験③(29 秒(0.8%),361 文字(1.7%))」で,合 わせると時間では 7 分 6 秒(11.8%),文字数では 2,515 文 字(12.1%)であった。前掲註 2 報告書,及び拙著「戦争 体験『語り』の継承とアーカイブ(7)―広島市『被爆体 験伝承者』・長崎市『交流証言者』を事例として―」,秋田 大学教育文化学部編集委員会編『秋田大学教育文化学部研 究紀要 教育科学』第 75 集,(秋田大学教育文化学部 2020 年),49-80 頁参照。

11 「事実的『語り』」は,語られるストーリーの主体,場,日 時,そしてその時の戦局や状況といった客観的状況に関す る説明的な「語り」である。これは,実際の体験者ではな くても可能な「語り」であり,文献等による史実研究により,

より精緻な情報にすることが可能である。前掲註 2 の報告 書,83-84 頁参照。

12 「現象的『語り』」は,体験者のおかれた状況下で何が起き たのかを現象として語るものである。例えば,広島の原爆 遺跡保存運動懇談会の「原爆遺跡フィールドワーク」にお ける高橋信雄氏の「語り」である。高橋氏は直接的な被爆 者ではない。しかし,例えば広島城公園における被爆樹に 関する「語り」では,爆心地からの距離,原爆が落ちた時 点での温度,その熱線を浴びた時間,爆風の速さ等の客観 的情報に基づき,そこで何か起きたのかを現象として語っ ていた。これもまた,こうした「語り」であれば体験者で はなくても語り得るものである。原爆に関わる客観的史料

に基づき,いわば追体験的な「語り」により,臨場感のあ る「語り」を再現することが可能である。前掲註 2 の報告書,

84 頁参照。

13 前掲註 2 報告書,48 頁参照。

14 伝承者の話のスピードにもよるが,40 〜 45 分程度,遅く とも 60 分で講話が終了する事が目安になっている。その ため,その分の文字数を勘案して 1 万字程度となっていて,

文字数の制約ではない。広島平和記念資料館啓発課西田満 氏からの聞き取り(2016 年 9 月 14 日)による。

15 さらに,その後の実際の講話においても,運営を担当する 広島平和記念資料館啓発課から折に触れて「語り」の正当 性の確保のためのチェックを受けている。同上の聞き取り による。

16 資 料 7 の 内,1 の 欄 の 8,9,10,11,12,13,14,15,

16,17 の 10 件である。

17 資料 7 の内,1 の欄の 3,5,7,11,17 の 5 件である。

18 前掲註 11 参照。

19 前掲註 12 参照。

20 「感性的『語り』」は,臭いや肌触りといった感触等,まさ に体験したものが感じた情報であり,またその時の思いや 気持ち,願いといった内面の心情に関する「語り」である。

前掲註 2 の報告書,84 頁参照。

21 資料 7 の内,1 の欄の 2,7,14,16,18,21 の 6 件である。

22 資料 7 の内,1 の欄の 10,17,19,20 の 4 件である。

23 資料 7 の内,2 の欄の 2,3,4,5,8,12,13,15,16 の 9 件である。

24 資料 7 の内,2 の欄の 4,7,9,10,14,15,16,17,19 の 9 件である。

25 資料 7 の内,2 の欄の 2,3,12,14,15,16,17 の 7 件である。

26 資料 7 の内,1-5,2-3,2-5,2-7,2-8,2-18 の 6 件の感想 である。

(9)

資料 5

広島市「被爆体験伝承者」講話 清野久美子氏(2020.8.7)文字起こし(36 分 54 秒,9,775 文字)

○自己紹介,イントロダクション(56 秒,207 文字)

○清野 はい,それでは,ごめんなさい,ちょっと手間取りました。私の名前は清野久美子といいます。被爆された 方たちの話を伝える伝承者です。今日は,私の中学のときの先生だった松島圭次郎さんの被爆体験,それと現在の平 和記念公園の中にあった,私の母が育った中島地区での生活の様子をお話しします。よろしくお願いします。まず最 初に,広島に原爆が落とされたときの,ちょっと待ってください。ちょっとごめんなさいね。PowerPointが次に行か ないの,はい。

1.原爆投下の概要(2 分 38 秒,631 文字)

○清野 まず最初に広島の,この町の様子をお伝えします。これが広島の地図になってます。ここが平和公園です。

この平和公園の,この北の端にある,Tの字の形をしたこの橋,これが広島市のほぼ中央にあったので,原爆の投下 の目標にされたんです。ただ,実際に原爆が投下された爆心地はここから約 300 メートル離れた病院の上空 600 メー トルで爆発しました。その後,約 200 メートルを超える火球になってこの爆心地あたりの温度が,ごめんなさい,温 度は摂氏 3,000 度から 4,000 度になったんです。そしてこの爆心地から約 100 メートル離れたところの爆風,280 メー トルの爆風に襲われました。ちなみに鉄が 1,500 度で溶けて,それから台風で立っているのが難しいと言われている のが秒速 25 メートルです。そしてこの爆心地から約 1.2 キロメートルのところで,遮るものがないところにいた人た ちはこの熱線のため体の内部まで焼かれ,重大な影響を受け,ほとんどの人たちが即死,または数日以内に亡くなら れたんです。そして,爆発して約 100 時間あたりは,この周辺から危険なレベルの放射線が放出されたと言われてい ます。そのため,家族を探すために市内に入った人たちや,被災者を救援するために市内に入っていた人たちまでも,

放射線を含んだちりやすすを吸い込んで,そして放射線を含んだ水や食料を食べたことで体の内部まで被ばくをしま した。その原爆はこの地図の赤いところ半径約2キロ,焼き尽くしてしまいました。今から話をする松島さんはこの 白い十字の場所におられました。約2キロです。

2.原爆投下前の広島の歴史(1 分 34 秒,424 文字)

○清野 次に,広島の歴史について簡単に説明します。広島はご覧のように川に囲まれたデルタ都市です。北にはこ の中国山地があり,南には瀬戸内海があります。江戸時代から城下町として発展してきました。19 世紀になり広島市 が誕生しました。その後,港が完成し,そして鉄道が広島まで開通しました。すると広島へは軍のための工場が次々 とできて,軍事都市化が進んでいきました。日清戦争から太平洋戦争まで全国から集まってきた兵士たちはこの港か ら戦地に運ばれました。

 太平洋戦争末期になると,男は戦場や軍需工場に送られ,人手が足りなくなり,現在の小学校を卒業したばかりの 中学生の少年少女たちも働くようになりました。生徒たちは食べるものがほとんどなく,朝から工場などで働いてい ました。着るものや食べるものも十分になく,みんな校庭を畑にして食べるものを作っていました。食べ盛りの子ど もたちはみんなお腹をすかして勉強や作業に頑張っていたんです。そして 1945 年,8月6日に原子爆弾が落とされま した。

3.松島圭次郎氏の被爆体験(13 分 39 秒,3,725 文字)

○清野 たった一発の原爆で広島の家々は壊され,この爆心地から約2キロ,半径2キロが火事になって焼き尽くさ れてしまいました。当時広島には約 35 万人の人がいたとされていますが,その年の暮れまでに約 14 万人が亡くなり ました。

 このように多くの人たちの命を奪い,広島の街を一瞬にして破壊した原爆ですが,あのとき地獄のような広島の街 を実際に見た,松島さんの被爆体験をお話しします。

 松島さんはご両親と2人のお兄さんとの5人家族でした。松島さんが小学校のときに日中戦争が始まり,中学になっ た頃は日本中が戦争で一色でした。子どもたちは学校で,兵隊さんは偉い人でお国のために戦争で死ぬことが名誉な ことだと教わってきたので,当時の子どもたちは松島さんも含め,みんなそういうふうに感じていました。戦争が長 引くと,だんだん日本は不利になりました。日本が占領していた太平洋の島々が次々とアメリカに占領されてしまい,

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