現場実習とアフターケアにかかわる諸問題について K男の就職から解雇を通して
樋 口 隆 史
(1986年11月5日受理)
1.はじめに
今年も身体障害者のための集団選考会が10月7日に行われた。本校からも高等部3年の男子生徒がそ
れに参加した。会場には,県内31事業所の関係者が面接に臨んだ。
現在,景気の先行きの見通しが暗く,求人数が昨年より3割も減っているため,各事業所とも採用条 件はかなり厳しく,面接は不調であったと聞いている。従って,かなり低調な就職率であったと言うこ とである。
その中でも,本校の生徒やいっしょに参加したK養護学校の生徒のように知恵遅れと言われる人は,
このような面接は不得手であり,会場に着く前から過度の緊張を伴い,他の障害者より相当のハンディ キャップを背負ってしまいがちである。ご多分にもれずK養護学校の女子生徒は,関係者と向かい合っ て一言も発しなかったと言うことである。本校の男子生徒も面接した関係者の質問がすぐに理解できず
(言葉がむずかしかったり,早口であったりもして),そばでかみくだいて再質問してやるありさまで あった。2週間後に,残念ながら不採用とする旨の通知が学校に届いたのは言うまでもない。
現在のように障害が多様化し,おまけに社会情勢が大変厳しい中にあっては,たとえ本人が努力をし,
周囲の人々に支えられたとしても,すべての生徒が希望どおりに就労できるとは限らない。しかし,生 徒が精いっぱい,たくましく生きるために働く力を身につけ,ひとり立ちをめざすことは,社会への積
極的な参加を意図するものでとても重要なことである。
このような意味から高等部では現場実習を実施している。校内の作業学習では経験できないものとし て,企業(援護施設)労働の厳しさや就労を通しての一般社会人とのかかわり,仕事場全体の緊張のあ
る雰囲気の体験があり,これらのこ.とは,経験をつみ重ねながら身体で覚えるものである。そしてまた
これらのことに不適応を起こして離職することも多いと言われている。だから,学校での保護された立 場にある時期に体験させて,より円滑に社会適応ができるように方策を講じておかなければならない。と同時に,生徒自身にとってもこの経験は,進路を選択する時の具体的要因として作用するようになる。
2.高等部の現場実習
(1)基本計画
ア.ねらい
○将来の社会人としてのひとり立ちをめざして,現場で働くことを体験し,社会生活に対する理解
を深め,適応能力を養うとともに,進路への心構えを養う。
イ.期間と対象生徒
茨城大学教育学部教育研究所紀要19号(1987)
第1次 5/12〜5/24(2週間) 3年9名,9事業所(企業授:産所)
第2次 1〔ン20〜1レi (2週間) 3年9名,2年8名 11事業所(企業,授産所)
第3次 2/2〜2/14(2週間) 3年(内定・した企業・授:産所を中心にして)
ウ.実習先開拓と決定
実習先の開拓にあたっては,事業主(責任者)の人柄や人生観教育に対する考え方が大きな比 重を占める。従って,毎週3〜4種類の求人ニュース(広告)をもとに事業主と連絡をとり,係が 事業所を訪問し,本校の教育概要,実習のねらい,生徒の実態と希望する作業内容,実施方法につ いて事業主や現場の責任者と面接をし,また事業所の様子を見学してくる。その結果については,
学部会において報告をして選定している。 (電話帳や新聞折り込みの求人広告,求人の看板などに
よる職場開拓も行っている)その他,職業安定所からの紹介や学校関係者や保護者からの紹介によ る開拓もある。しかしながら,めぼしい事業所に連絡をとる段階で断わられるのが常である。エ。諸手続き
実施計画(学部) 提案
運営委員会
決
紹介等 水戸公共職業安定所
(水戸市福祉二課,勝田市社会福祉協議会) 協力依頼
協力依頼 打ち合わせ
事業主(施設長)
実施依頼
実施要項説明 保護者
3.卒業生K男の事例
(1) プロフイーノレ
・昭和54年4月 K市にある中学校の特殊学級担任の勧めで本校高等部に入学した。
・入学試験で検査したIQ 46(WISC,言語性46,動作性61)
・家族構成 父(昭和57年9月死亡),母,弟2人,妹の6人であった。母親,弟2人とも知恵遅れ
である。
・昭和57年3月 高等部を卒業する。現場実習で世話になったK市のU電機に同窓の2人とともに昭 和57年4月12日から採用された。
(2)高等部在学中の様子
学年1 年 2 年 3 年
項國
重と ○場に応じた多様な動き ○場に応じた多様な動き ○場に応じた多様な動き 点施 ・宿泊学習や作業学習等で 。宿泊学習や作業学習等での 。宿泊学習や作業学習で種々
目 の種々の活動の豊富な体 種々の活動の豊富な体験 の豊富な体験をさせる。
標策 験 ・報告したり,応答したりす
る場を多く設ける。
作 〈農業瑳〉 〈農業班〉 〈印刷班〉
業 。ひとつの仕事を根気よく続 ・作業に対し,自信をもち,積 ・仕事はゆっくりだが,ていね 学 けることができるが,動作 極的に取り組んでいる。 いで,ほとんどまちがいない。
習 が遅い。 ・作業の見通しは立たない。
・農具の名前は覚えられない。
・5までの数が正確に数えら ・1から10までの対応が今一つ ・5までは確実に数えられ10ま
れない。 である。 でなんとかできるようになつ
学 ・衣服の汚れが目立った。 ・自分の名前を書くことはでき てきた。、
・宿泊学習の時の欠席が目立 るが,50音は読めない。 ・挨拶,返事等に抵抗がある。
校 つ。(親子共準備できない) ・スキー合宿は不参加だった。 。修学旅行は他学年の先生にK:
生 学校で用意し,遅れて参加 ・欠席が少なくなり,グループ
市からM市の駅まで送迎して
した。 (夏季宿泊学習) の申に入っていけるようにな もらい,参加する。
活
・欠席(年間)34日 ってきた。 (昼休みのソフト ・シャツの不衛生,身だしなみ の 理由としては,バスに乗り ボール) の不潔さが改まらない。
様 遅れたこと,雨の日にカサ ・欠席(年間)23日 ・欠席(年間)14日
がないこと,起きられない (怠け12日,かぜ11日) (腹痛10日,かぜ4日)
子 等である。 ※腹痛の中に怠けが含まれる
ようだが,欠席が減少して
いる。
※作業学習と学校生活の様子については,通信票や指導要録をもとにまとめた。
(3)現場実習の様子
<2年>1. S.55.10.27 (月)〜11。8 (土) 2週間(12日)
丁製作所(N町) 教師のつきそい指導で10人の仲間と実習する。
2. S。55.2。3 (月)〜2.21(土) 3週間(18日)
T製作所(N町) 教師のつきそい指導で7人の仲間と実習する。
<3年>
1. S.56.6.15 (月)〜6.27(土) 2週間(12日目
U電機(K市) 4人(N男,K男, M子, K子)で実習する。
2. S.56.9.28 (月)〜10.9(土) 2週間(12ED
U電機(K市) 3人(M男,K:男, M子)で実習する。
3.S.57.2.1 (月)〜2。20(土) 3週間(18日)
U電機(K市) 3人(N男,K男,0男)で実習する。
3年の第1次式実習では,下記のようなことが反省および課題としてまとめられた。
○通勤について
・通学と同じ講中前で路線バスを下車し,Kクリニック前より会社のマイクロバスに乗る。特に問題 はない。
o作業態度について
・3か所ずつボンドつけの仕事の内容がわかってくるとかなり正確に,しかも根気よく働くことがで
46
茨城大学教育学部教育研究所紀要19号(1987)きた。
・ボンドの量,速さ,ともによくできていた。
・単純なことなら理解もよく,段取りもつかめて作業できた。
○その他
・話しことばや返事などの意思表示がはっきりせず,今後の課題である。
K男は,2年生の時にT製作所で2回実習を経験した。種々な活動を豊富に体験させたいと願ってい たので,この実習はK男にとって大きくプラスになったはずである。事実,不器用であまり仕事がはか ばかしく進まないと見られていたK男が,ネジにワッシャー入れやバネはずし等の軽作業を黙々とこな
していったのである。
そして,3年生の2次の実習では,1次と同じU電機で,ステーターコイルのばしと点検の仕事をし た。また新しい事業所で実習をするのではなかったのがK男にとっては救いであった。少し慣れた仕事 場で,顔見知りになったおばさん方(従業員め方)といっしょだからである。ステーターコイルのばし
の仕事のほかにねじ6個をラインで流す仕事をした。そして評価は,正確に手順通りにやっているが,
速度が遅いと言うことであった。
この2次の実習で問題となったことは,欠勤が1日あったことである。歯科医院へ行くので休んだと 聞いたのですぐ家庭訪問したところニヤニヤしながら家の中にいたのである。予約がとれなかったので そのまま欠勤(実習中のu電機)してしまったと言うことである。親子共々別な方法がとれなかったこ とや遅れても出勤して働くと言う意欲が感じられず,生徒個々へのかかわりの重要さを思い知らされた。
しかし,ありがたいことに3次の実習もU電機でうけてくれたことである。K男にとっては, U電機 で7週間実習したことになる。3次の実習では,ステーターのコイルのばしの仕事をする。これは,す でに何度となく仕事してきて慣れているのでK男にとって好都合であった。
ある日,巡回指導でU電機に行った。その時,常務の0氏に案内していただき,いろいろ話をうかが うことができた。0氏は,障害者の雇用についてすでに講習を受けてきて,3人の実習生の指導にも積 極的な姿勢でむかっていると話してくれた。これはとてもうれしいことであった。
(4)就職にむけて
2年生の5月に実施した心障センターの適性検査の結果をまとめると次のようになる。
〈身体〉
・運動神経の発達が遅れている(縄とびの方法がわからない) 腕,手先の運動速度と調節機能の検 査で,平均速度の8倍以上を要している。
〈知的能力〉
・田中ビネー IQ32(MA4歳10か月) 記憶力がない,覚えることができない
〈作業〉
・指示ののみこみは,すぐ理解するようであるが,習熟効果が少ない。
・作業中は口数が少なく,速度がゆっくりである。
・相対的に作業意欲がなく,無気力で作業に身が入っている様子がなく,持続性も足りない。
・判定は,「下」あるいは「劣」である。
〈総合所見〉
・社会生活能力の面で,家庭的な環境によるところが大であり,検査態度にもあらわれている。
・現時点においては,職場適応面で難点があり,職業前訓練が妥当である。
3年の第1次の現場実習が終了してからの個人面接では,職業前訓練をするために授産施設への入所
もすすめたが,就職を希望する母親は,黙りこくってしまいうつ向くばかりであった。
また,K男の職業適応調査の結果をまとめてみると次のようになる。
職業適応調査 項目別プロフィール
〈茨大附属養護学校高等部〉
対人関係 作業態度
得 点 換 算 表 項 目
項目別.小項 }総得点 目数
得点
対人 関 係
9÷42.2
作業態度 18÷7
2.6
作業能力 16÷8 2基礎的な知識
6÷51.2
基礎的な知識 作業能力
職業適応の4項目ともK男の成長がうかがえ
るのであるが,過去の調査をまとめてみると,
一般就労した生徒の4項目の平均は以下のよう
である。
・対人関係 3.5 ・作業能力 3.4 ・作業態度 3.5 ・基礎的な知識 2.8
作業態度
5.情緒安定
1.同僚関係 2.指導者との関係
11.責任感 6.意欲
10.安全性 7.積極性
N K
4.社交性 3.協同作業
9.注意力
(注,実線;S.55.4実施,
8.持久力 点線;S.57.2実施)
茨城大学教育学部教育研究所紀要19号(1987)
作業能力 基礎的な知識
18.計画性
12.器具の扱い
性層 創造1
@ ,,
@ /
13.仕事
A、、
̲、、
@ \ 、 、 、
\\ ︑︑︑︑ ︑
@!
f14.
確実性
I,
@
@ 15.力量
忽.器具について
の知識 14器用さ
23.実務
緊−︑\
1
20.読み,書き
一一
x
x、\テ// 21.聞く,話す
22.数とその処理 16.機敏性
(注,実線;S.55.4実施, 点線;S.5 7.2実施)
母親の希望としてK男にどうしても就職させたいと言うことやU電機での現場実習の反省をまとめて,
K男自身に少しだが就労への意欲が感じられるので会社に打診をした。その結果,「3人とも採用して
やりなさい。」と言う社長のひとことで就職が決まった。
(4)就職してからの様子
〈1年目〉(S.57.4〜S.58.3) O男,T男と共にU電機で働く。
O男は,在学中は対人関係に問題をもつ生徒であった。そのため,集団の中では孤立することが多く,
女生徒やO男より能力の低い者に対してのいじわるなどが目立った。0男のこのようなはけ口が,就職
してからK男に向けられてしまったようだ。
私達のアフターケアへの取り組みは,特に計画化されたものはない。後輩の現場実習時にたまたま同 じ会社に先輩が働いていると,様子を見てくるとか,会社の方に働きぶりをたずねてくる程度である。
あとは毎年夏休みに開催される同窓会で元気な顔を見ることである。だから,同窓会にも不参加で,元 の担任に電話をかけてくるわけでもないK男に対する情報は,0男やT男から入るぐらいの乏しいもの であった。
「先生,K男はきょうも休んでるよ。」とT男や0男からたびたび聞くようになり,あわてて会社に 問い合わせてみると,すでに40数日の欠勤があると言われ,ショックをうけてしまった。
2月9日 家庭訪問 (副校長先生に許可をいただく)
・会社に友達がいなくておもしろくないから休むと本人が言う。会社には気分が悪くて休むと連絡し たと母親が言う。休むことのうしろめたさ,クビになると言う意識が母親にはある。
3月3日 家庭訪問 (K男が欠勤したと言う連絡を受けて)
・バス停にいた母親に会う。欠勤して会社に迷惑がかかることはわかっているようだが,休んだ時は 会社に連絡しているんだと言う。職業安定所からも欠勤に注意するよう言われたことを告げ,休ま
ないことを第一とするよう念を押す。
〈2年目〉(S。58.4〜S.59.3)
5月20臼 家庭訪問 (現場実習巡回指導で日立市のH電子へ行った帰りに)
(毎朝K男の家に電話をして出勤したかどうか確認していたが,20日の朝,K駅に会社のマイクロ
バスを待つK男の姿が見えなかったとK先生より知らされる)
・なぜ休むのかたずねると,「0男がうるせえ。」(同僚のTさんが会社に来なくなったのはK男のせ
いだとみんなに言われる) 遅れても会社に行くよう話しても「遅刻すると怒られる。」と言う。
・母親が,K男の健康保険組合員証ができたと言って見せてくれる。「これを持って病院に行けばあ
まりお金がかからないんだね。」とうれしそうに話す。
・給料の明細書 手取り7万円程度。
・4月 出勤19日,欠勤3H。
・「彼女がいねえんだ。」とポツリひとこと。ガ・一ルフレンドが欲しいと言う思いが募っている。
5月26日,6月10日 家庭訪問 (母親では手に負えないから来てくれと学校に連絡が入って)
・ふとんにくるまったK男は,「おもしろくねえ。」, 「行きたくねえ。」とどなり散らしている。理 由は,「0男がいやだ。文句ばかり言う。」である。とにかくズボンをはかせ,会社までやっと送る。
会社が近づくにつれ不安定になってしまう。いろいろ話をしても働くことへの意識はあまり感じら れない。
6月27日,7月4日 家庭訪問 (K駅にK男が立っていないとK先生より知らされて)
・K男の勤労意欲をむしばんでいるのは,「働いて○○しよう」「○○のために働く」と言う意欲の なさと同時に,母親のバックアップの弱さやK男の怠けぐせとO男への弱さであるようだ。
・母親は,「行きづらいんなら明日から行かせっから…。」と言うが,会社まで送る。
・母親は,K男が欲しいと言うと,テレビや自転車をすぐ月賦で購入してしまう。
その後も家庭訪問をし,、K男の話を聞いてやり,なんとか説得して会社に送り届けることやそれが空
振りに終わることのくり返しであった。
また,土曜日が休Hとなることや出勤日にすることがK男には理解できず,怠けに拍車をかけてしま
った。 (会社としては,個人的にそのつど話してくれたようだが)
璽O月26日 Y部長 学校訪問
K男の勤務態度にホトホト困り果てたと言ってY部長(U電機)が,学校を訪ねてきた。3人の卒業 生の様子を聞くと,とにかく休まないと言うことでT男やO男を評価している。
0男の様子や仕事場所(O男と離れたところでK男が働ける)についてお願いし,同時にK男につい
て学校でも協力を惜しまないことを話す。
※欠勤状況(Y部長の資料)
5月;7日(会社から本人に連絡)
6月;5日 9月;7日(本人に忠告)
7月;7日(会社から本人に連絡,本人に忠告) 10月;8日(本人に忠告)学校訪問 Y部長 8月;8日(会社から本人に連絡,本人に忠告)
その後もK男の欠勤は改まらなかった。家庭訪問をしてもふとんをかぶってどなり散らしているK男 が落ち着くまで待ち,K男の言い分を聞いて,会社へ送り届けようとしても空振りになることが多かっ
た。
言い分のひとつに,「会社がおもしろくねえ。」ということがある。今迄K男がやっていた仕事がなく なってしまったことである。会社としては,いつ欠勤されるかわからないためどうしょうもなかったの
だろう。
また,言葉が重く,対人関係のとり方がうまくできず,誰からも相手にされなかったこともあげられ
so 茨城大学教育学部教育研究所紀要19号(1987)
る。Y部長もK男と話をしたり,いろいろ かかわってくれたが,何を話したらいいか
わからず気が重いと言う。
〈3,4年目〉(S.59.4〜S.60.7)
4月は欠勤が一一・ Hだけだった。今まで考
えられなかったことである。K男から私の 家への電話がかかるようになったのもこの ころからである。毎夜,6時から8時の間 にかかってくる。かかってきた日はまちが いなく出勤しているのである。そして,新しく入社した女の子と同じ仕事をしている
と嬉しそうに話したのも4月である。しかし,この良好な出勤状態も4月だけ で,また元のような欠勤状態にもどってし まった。と同時に,欠勤した日は電話がか
かってこなかった。
7月19日と9月3日にY部長が再度来校 し,K男の勤務ぶりについて大きな問題に なっていることを訴えていった。また,K 男の母親から,「K男が会社で草むしりを
している。もう草むしりするところがなく なってしまう。部長に話してほしい。」と電
話がかかる。それよりもまずとにかく休まないようにすることを母親に話した。
12月になると,K男が腰の痛みを訴えて,
会社に診断書(母親が医者につれていった)
を出し,2週間の療休をもらう。結局この ように長く休むことは怠けぐせがよりひど
くなることであった。母親に話してもちや
んと休みがとってあると言うことの一点張りで将があかなかった。
2月14日置K男より電話があり,骨折し て入院中(K市のT病院)だと聞かされ,
驚いてしまった。2月初め,久しぶりに出 勤し,窓ふきをするように命じられた。K 男は下駄箱の上にのり,高窓を拭いていた
再
び卒 業 生
K
君
の
事
いつもの時間に,いつもの場所にKが立っていな
1いという連絡をK先生から受けました。土,月,火 と連続して欠勤してしまいます。昨日の電話では,「明日は行く。」とはっきり言っていたのに…。
すでに6回目の家庭訪問になります。車をとばし
ました。(ちょうどその時,かあちゃんから学校に 電話がありました。)その電話をきいてKは外出してしまいました。自転車でにげ出してしまったのです。
到着した時K:はいません。申しわけなさそうにして いるかあちゃん。しばらく立ち話をしてそのへんを 捜して…。あきらめて戻ることにしました。
しかし,なんともがまんができません。また,K の家にひき返しました。玄関に入ると,あっ,Kが
いました。と,呼びとめる間もなく逃げ出しました。畑の中に行きました。私もさつまいも畑にかけこみ,
おいかけました。どうでくつがよごれました。用水 路のふたの上にひっくりかえっているKを見つけ,
手くびをつかみました。しばらく話をきいてやるこ とにしました。K:にがみがみ言ってもかえっておこ らせるだけです。
・おもしろくねえ。 (土曜日の出勤を教えてくれな かった。このごろ入社してK:と働いていた女の子
はOといっしょにやるようになってしまった。0
がいつも文句を言ってうるさいのはお前(K:)が 欠勤ばかりしているからだとみんなに言われる。一一要約するとこうなります。)
・文句言われないように休むな…と言ってもピンと 来ないようです。ボーナスはふりこんであったと かあちゃんがうれしそうに話しました。手くびを つかんで家の中に入れ,着がえました。弁当はつ くってありました。紙ぶくろに入れました。この Kは突然「今Hは行かねえ。」と言い出すそうです。
妹の高校進学のこと,ステレオの月賦のこと,職 場実習のこと,おたがいにボソボソしゃべりまし た。会社到着10時。車から降りて玄関のタイムカ
ードを押し,Kが中に入る迄心配でした。しっか
り見届けてから学校に戻りました。(学部だより「まきば」にのせたK男の様子)
Se 58. 7. 19
ところ下駄箱もろともひつくり返ったと言う。この骨折で50日入院し,仕事を棒にふった。入院中のK 男は,病院から私のところに電話をしたり,同窓のN子に指輪を買ったなどと言って意気揚揚の生活を
していた。 (会社からは労災を適用する旨,報告があった)
K男の退院(3月26日)と同時にまた私の家への電話が始まった。しかし途絶えがちになることが多 くなった。もはやU電機は,K男にとって居心地のよいところではなくなってしまったようだ。本人も やめたいと濡らし始めた。会社としてもこの機を逃すはずはなかった。7月でK男のU電機での就労は 終わりとなった。K男も母親も実にさばさばしたものであった。その後, K男と母親は職業安定所に行 き,そのつど会社を紹介され,親子で面接に行くが断わられてしまう。「俺,働きたいけどうまくいか
ねえんだ。」とK男は言う。そして今,近くの干芋工場で母親といっしょに働いている。
4.まとめと今後の課題
卒業生の中で,特にK男には家庭訪問をしながらアフターケアにあたった。K男は就職した年に頼り にしていた父親をなくし,母親だけではK男が職場定着をするのにうまくいかないことが目に見えてい
たので,校長(副校長)先生に特別にお願いをし,何度となく足を運んだ。
家庭訪問(アフターケア)をくり返す中で常に頭にあったのは,怠けを何とかしたいことである。好 きな女の子がいない,○男がいやだ,起床して気分的にいらいらして出勤しない,母親と前の日の夜に いい争いをした等ですぐ欠勤してしまった。ふとんの中でどなり散らすのがおさまるまで待って話を聞 いてやること,腕ずくでひっぱって出社させることなど,いろいろ試みたがK男にふり回されることが 多かった。それに母親の事なかれ主義の態度もK男の成長を妨げていたようである。朝から大声でわめ
くK男が心配で,「先生,明日行かせっからいいよ。」とあきらめてしまうのである。
U電機のK男への理解は十分感じられたが,K男が仕事に自信をもち,確実にやれるまでには至らな かったのは,いつも欠勤するたびに,「なんとか働かせたい」と言う思いばかりで指導をし,「俺働
くんだ」と言うK男へのゆさぶりができなかったことを反省する。これは,高等部の学部経営や学級経 営の中で配慮をし,授業計画を組み,ひとり立ちへの芽を育てていかなければならないだろう。K男の ような卒業生は,やはり教師の手を貸してやらないと不適応状態は解消されないと思われる。
本校では,父親の会の組織もできているので,卒業生のための青年学級などを通し,恋人や性の悩み,
レクリェーションを計画し,卒業生の交流の場をつくり,生きる喜びや働く喜びを味わわせてやりたい。
毎年,卒業生がふえていく中で学校だけでは対応しきれなくなってくることが予想されるからである。