茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学・芸術),28号(1979),53−68, 53
近代フランス・オペラの研究(その3)
1871年から1914年まで
臼 井 英 男
(1978年10月18日受理)
Etude sur 1 oP6ra moderne en France
(dupuis 1871 jusqu,註 1914)36me partie
Hideo USUI
(Received October 18, 1978)
近代フランス・オペラの推移と確立 オペラ作品の傾向
1871年から1914年迄のフランス・オペラの大きな流れは,フランス・オペラの伝統に沿った本流で あり,しかもドイツやイタリア等それぞれの伝統的なオペラに対抗し得る確たる地位の確保は,リュ
リーJean Baptiste Lully(1632〜1687)やラモーJean Philippe Rameau(1683〜1764)の 時代この方かつてない黄金期を築いた証明である。
しかし,この期のフランス・オペラの伝統的流れといっても,かなりの相異点を有する流れの合体 である。一つの流れはグノーChar】es Gounod(1818〜1893),ラロEdouard Lalo(1823〜18 92),サンーサーンスCharles Camile Saint−Sa6ns(1835〜1921),ドリーブL60 Deli一 bes(1836〜1891),ビゼーGeorges Bizet(1838〜1875),マスネーJules Massenet(1842〜
1912),フォーレGabrie】Faur6(1845〜1924),ラヴェルMaurice Ravel(1875〜1937)等,
又この流れからリアリスティックなオペラを書いたブリューノーAlfred Bruneau(1857〜1934)や シャルパンティエGustave Charpentier(1860〜1956)が出ている。もう一つの流れはワーグナ 一Richard Wagner(1813〜1883)の影響を歴然と受けたシャブリエAlexis Emmamel Cha一 ,
b窒奄?秩i1841〜1894),ダンディVincent d Indy(1851〜1931),ショーソンEmest Chauss一 on(1855〜1899)等の流れである。
この二つの流れの影響を多少は受けているものの超然として我が道を行く作曲家にドビュッシー Claude Achille Debussy(1862〜1918)がいる。彼は1888年と1889年の2度,バイロイト詣で をするが,フランス・オペラの道はワーグナーとは別であることを悟り,後1902年に傑作更囎ペレアス
とメリザンドPell6as et M61isande を発表し一大センセーションをまき起こして,フランス語に よるフランス・オペラの模範を示し,近代フランス・オペラの確立に寄与している。
この期における初期の重要な作曲家は,グノーに師事したビゼーである。今でも時折上演される
e硬^珠採りLes Pδeheurs de Perles (1863),ぐでジャミレDjamileh (1872)の後のビゼー最 後のオペラ カルメンCarmen (1875)は,彼のオペラ作品中傑出したもので,又フランス・オペ
ラの中でも群を抜くものであることには疑いがない。
オペラ? カルメン はメリメProsper M6rim6e(1803〜1870)の同名の短編小説を原作として いるが,オペラの台本においてはその内容のどきつさは柔げられ,特に女主人公,ジプシー女カルメ ンにその感が強い。しかし,ビゼーはそれぞれの登場人物を,例えばカルメンをソプラノではなくメ ッゾ・ソプラノとしたように,明確に把握し,しかも彼等の舞台初登場の場面で,既にどのような人 物かを理解させている。言葉を必要とする場面と言葉を必要としない,即ちオーケストラに時間を与
える場面の必要性から,言葉はおのずと限定されるので,登場人物の性格を多くの場合早急に観客に 知らせる必要がある。この点において,般カルメン に匹敵する作品が他にあるであろうか。又,人 物のみならず場面の設定とそれぞれの場面の生き生きとしたリアリズム,特にスペインのリズムを取 り入れた手法は効果的である。場をつなぐものはレシタティーフではなく,当時のオペラ・コミーク の慣例縦っガ地のせりふ を用いて・・るが・後ビゼーの友人ギ゜−E・n・・tG・i・au )(1837〜
1892)によってレシタティーフに改められて現在多くの劇場で用いられていることは前回で述べた。
又, 真珠採り 同様璽璽カルメン の舞台は外国(スペイン)であるので,で冊カルメン の成巧は,
ドリーブの?雫ラクメ Lakm呑 (1883)やレイエルErnest Reyer(1823〜1909)の哩聖サランボ Salammbo (1890)のような異国趣味の傾向をこの後のフランス・オペラに残すこととなり,リア
リズムの巧みさは現実主義(ヴェリスモVerismo)の誕生を促し,シャルパンティエの㌧レイーズ Louise (1900)やイタリアのマスカー二Pietro Mascagni(1863〜1945)のセ建カヴァレリア・ル スティカー一ナCavalleria rusticana (1890)やレオンカヴァルロR㎎giro Leoncavallo(1858
〜1919)の鯉道化師IPagliacci (1892)等イタリア・ヴェリスモの名作を生む遠因となってい
る。
ワーグナーの影響は璽足カルメン において全く見当らず,いくつかの動機の繰り返しは,ウエーバ 一Carl Maria von Weber(1786〜1826)の璽ぞ魔弾の射手脱r Freisch琶tz (1821)やヴェル ディGiuseppe Verdi(1813〜1901)の曹ぐリゴレットRigoletto (1851)にも既に見られるもの で,決してワーグナーの示導動機ではなく,又そのように組織的使用もしていない。アリア,アンサ
ンブル等は,番号を付された,いわゆる従来の番号オペラの形式を踏襲している。
サンーサーンスは日本を題材にしたオペラ・コミーク般黄色い王女Princesse jaune (1872)や uアンリ八世Henri VIII (1883), アスカニオAscanio (1890)等10数余のオペラ作品を ものにしているが,代表作であり,又現在でも上演されているものにぐマサムソンとダリラSarnson
et Dalila・(1877)がある。この作品は,旧約聖書の士師記第13章から第16章にわたるイスラエル の英雄サムソンの物語に由来しており,オペラとオラトリオの中間をいくような作品である。この事 は,サンーサーンスが当初オラトリオとして計画した為であり,オペラ改作の計画と上演の協力は大
ピアニストであり,作曲家のリストFranz Liszt(1811〜1886)によっている。
形式を尊重し,フランス古典の精神を常に念頭に置いたサンーサーンスではあるが,この作品にお いては劇構成面に難がある。サムソンとダリラ及び群衆のからみが不十分であるので,どうしても説 得力に欠ける。この事は台本の責任と思われる。第1幕の群衆の合唱はヘンデルGeorg Friedrich
H勘del(1685〜1759)風であるが,女主人公ダリラは,カルメン同様メッゾ・ソプラノでその妖艶 繧 巧み鵬き(譜例、2)),サム。ンとのからみは非常鋤果的で,轍こ第2幕第3場の凌の二 重唱 においてその感が強く,加えて半音階によるオーケストレーシ・ンはその場の雰囲気をいやが
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繧ノも高めている(譜例2)。
総体的にいって,サンーサーンスのオペラは,音楽そのものの価値は十分にありながら劇場に不向
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きな点が見える。
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ドリーブはバレー音楽贋泉La Source (1866),般コッペリアCoppelia (1870),鰻シルヴ イアSylvia(1876)等で名を馳せた作曲家であるが,オペラはu王様のお言葉Le Roi l a dit
(1873),般ニヴェルのジャンJean de Nivelle (1880)♂ラクメLakm6 (1883)等が代表作 で,特にぞぞラクメ は現在でも数多く上演されるフランス・オペラの一つである。
足更 宴Nメ の物語は,インドを舞台とした東洋的異国情緒に満ちあふれており,プッチー二Giaco一 mo Puccini(1858〜1924)のuマダム・バタフライMadama Butterfly (1904)と内容がよく
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似ている。イギリスの陸軍士官ジェラールGeraldが,バラモン教の僧ニラカンタNilakanthaの 娘ラクメLakmるを,イギリス統治下のインドで見そめ,互に愛し合い森の小屋で生活を始める。しか
し,脱走したジェラールを探しにきた士官仲間に説得されてジェラールは帰隊を決意するが,ラクメ は彼の心変りを見抜き,毒草で自殺する。
燈驚 宴Nメ の音楽は好情的な優美さで一貫している。第1幕のラクメとラクメの召使マリカMa一 llika(メッゾ・ソプラノ)の二重唱,ラクメの短かいストローフやアリア゜?鐘の歌 どれをとって も美しく,そして終始よどみなく流れ,オーケストレーシ・ンもすぐれている。が好情的に過ぎて盛 りあげる場に迫力が欠けている。特にラクメの自殺に向けて展開する終幕は,最大の山場である筈で あるが,刺殺のぞ?カルメン ,自殺の喫哩マダム・バタフライ とそれぞれの終幕と比較してみても盛
りあがりに欠け,平凡な結末となっているのは残念である。なお,更でラクメ. は従来の番号オペラの 形式をとっている。
ドリーブのオペラは,般ラクメ で特徴づけられるように,美しい旋律と素晴らしい色彩に満ちあ ふれているが,山場における迫力の欠如が最大の欠点となっている。
ラロは,サンーサーンス同様に保守的な傾向にあった作曲家である。オペラは1867年のテアトル・
リリック劇場のコンクールで第3位を得た般フィエスクFiesque (1866)と名作ぐ罵イスの王様Le Roi d Ys (1888),それに未完の噂ぞ農民一揆La Jacquerie と数は少ない。 建噌フィエスク は,
オペラとしては失敗であったが,ラロはこの経験で貴重な蓄積をし,後の作品,バレー音楽e曜ディヴェ ルティスマンDivertissment (1877),オペラ璽ぞイスの王様 ,璽璽農民一揆 等にその重要な部 分を再び活用している。
オペラ鳴ぞイスの王様 のストリーは,フランスのブルターニュ地方の伝説に基くものであるが,こ の作品の劇構成,音楽の対応,舞台の呼吸全てに万全であり,足曜カルメン 以来の傑作であるQ
イスYsとは,ブルターニュ地方の伝説上の町の名で,4〜5世紀頃海に没したとされている。物語 は,イスの王は戦いをするが,敵将カルナックKamacと停戦をする。その条件として,イスの王の
2人の姫のうち,姉マルガレートMargaredとの結婚をのむ。マルガレートは王の部下ミリィオMi一 lioに恋をしており,カルナックとの結婚はどうしても気が進まない。或る時,マルガレートは妹の ロザンRozemからミリィオが好きであると告白され,又王もそれを認めて祝福するのを知り,嫉妬 のあまり嫌いであった敵将カルナックに水門を開ける鍵を,カルナックの脅迫によってではあるが,
渡してしまう。マルガレートは自責の念にかられ,町の人々に海水の迫まるのを警告するが時既に遅 く町の半分は海水にのまれる。マルガレートは大いに反省し,海の生け蟄として海中に身を沈めると 海は元通りの静けさを取り戻す。常に町を守る聖者,聖コロンタンは,今回のことも全てお見通しで あり,又その事を知っている町の人々は口々に聖コロンタンに感謝を述べるところで幕となる。
ラロのオペラに対する姿勢は,全て璽ぐイスの王様 に結集されている。劇構成は緻密であり,第1 幕曹イスの王宮のテラス にそれぞれの人物が登場し現在の立場を知らしめる。第2幕望王宮の大広 間 でマルガレートの嫉妬を起爆剤として,マルガレートとカルナック,ロザンとミリィオの2組 の立場をより明確にして劇を展開させる。第3幕第1場は更王宮の回廊 続いて見せ場であるq教会 4)
フ場となり,ロザンとミリィオは婚礼をあげるために教会に入る。テ・デウムTe Deum(譜例3)
が静かに流れると教会の外でカルナックがマルガレートを脅迫し水門の鍵を奪う。結婚という宗教的 な,そして厳粛な行事を行っている1組と水門の鍵を奪うために脅迫している他の異った1組の対比 は見事な効果をあげている。このような用例に,グノーの鯉ファウストFaust (1859)第4幕第2 場の曹教会 の場で,清純な娘マルグリットMargueriteが神に祈りを捧げているところに悪魔メフ
イストフェレM6phistoph61§sが現れて,マルグリットを脅かす場面があるが,プロの方がより効果 的と思われる。第2場マ罵丘の上 の場面で,海水の迫る様を動的に描き,最後の聖コロンタンへの感 謝を静かに対照的に描いている。舞台の大小,物事の静と動を各登場人物,特に2組の男女,激しい 気性のマルガレート(メッゾ・ソプラノ)と腹黒い将カルナック(バリトン),心やさしい妹ロザ
ン(ソプラノ)と王の部下ミリィオ(テノール)にからませ,劇展開の材料としてマルガレートの
ぞ曙ケ妬 ,動的展開に対するおさえとして,静,善の聖コロンタン(パス)をおいている。プロが最 も重要視したのは言うまでもなくマルガレトで,声種もカルメンやダリラのようにメッゾ・ソプラ ノとして劇的動機を与え,妹ロザンの静かな動機とは対照的である。又,イスの王やミリィオの登 場の際には非常にはなやかなトランペットに4るファンファーレを付し,その強奏と弱奏の区別は両 者の所在の遠近を表わしている。序曲はかなり長いものであるが,劇中に用いられる動機を素材とし て物語をオーケストラで語らせているが,この用例は早くはドイツのロマン・オペラの開拓者である
ウェーバーの雫reの射手 の序曲で見られ,その後ワーグナー等多くの作曲家の例があるので取り 分け目新しいものではない。オペラ自体は従来の番号オペラではなく,又重要人物に動機がつけられ,
オーケストレーシ・ンの1部にワーグナー的なところがあるのでワーグナーの手法と無縁ではない。
しかし,動機の取り扱い方はワーグナーのように有機的ではなく,又聞えてくる音楽は全くフランス の作曲家のそれである。
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トーマAmbroise Thomas(1811〜1896)の弟子で,シャルパンティエ,ブリュノー等の大物を 育てたマスネーは26のオペラを書いたオペラの作曲家であった。マスネーのオペラの特徴は,まず旋 律に重きをおき,それは好情的で優しく甘く,そして感傷的ですらある。オペラの作法に長じ,特に 大衆の好みには敏感であった彼は,人気に対する効果のためであれぽどのような方法でも遠慮なく用 いた。つまりは折衷的ではあるが,劇構成,主要人物の取り扱い,色彩豊かなオーケストレーシ・ン 等で巧みにマスネー的個性を打ち出している。
題材の多くは,世に知られた女性を主役におき,特に官能的な女性, エロディアードH6rodi一 ade (1881)のサロメ,興マノンManon (1884),般タイースTh訓s (1894)等のそれぞれの 女主人公を生き生きと描いている。代表的作品は,曾璽マノン ,ぞぞタイース ,聖曹ウエルテルWer一
ther (1892)等であるが,特に女主人公マノンとタイースの取り扱いは微に入り細に入りで,正に 5)
}スネーの独壇場である。憩マノン の例を第1幕のマノンのアリア(譜例4)にとる。マノンの従 兄の近衛士官のレスコーLescautに,マノンは始めての旅の素晴らしさを語る場面である。女性らし い慎しみと恥らいをもって話し始めるが,瞬時にして自分の無作法なおしゃべりを詫びたり,或いは ひたむきな愛情を示したと思うと急に笑ったり,変りの早い娼婦的性格を見事に描いている。又,旋 律の優位と劇構成の巧みさはマスネーの特徴的なものであるが,その例としてで曹タイース 第3幕第
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R場のタイースの死の場面(譜例5)をあげる。
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美しい娼婦タイースは,修道僧アタナエルAthanaelの訓戒に従って尼院に入るが,今は死に直面し ている。そこヘアタナエルが急ぎ来訪し,タイースの名を呼ぶと彼女は目をひらき,かつてのアタナ エルとの思い出に浸る。アタナエルは愛を打ちあけるが,既に彼女の耳には何も聞えず,「天国の門 が開かれ天使達が手に花を持って私を迎える。」と歌って息絶える。旋律はまことに美しく感傷的で あり,加えてオ ケストラは第2幕の終りに奏でられる名曲u冥想Meditation を再び奏して観客 の涙をそXるという筋書きである。他の作曲家の有名な旋律を用いている例は曜鳴マノン 第5幕のマ
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mンと青年デ・グリューDes Grieuxの別れの場(譜例6)である。ベートーヴェンのピアノ。ソナ
タ喫?枢ハ OP・81の 聖別れのテーマ を数度にわたって使用し,又前奏曲中にも用いていることは 当然マスネーはベートーヴェンのテーマを意図して用いたのであろう。
マスネーの諸作品を見ると,当時の世相を並べた博物館的印象を受ける。異国情緒の鯉ラオール王 Le Roi Lahore (1889),グランド・オペラのセ喫大守Le Cid (1885),ワーグナーの匂ひの する更 エスクラルモンドEsclarmonde (1889),ヴェリスモのぞ駝ナヴァルの女La Navarraise
(1891),前述の大衆好みの女性像賭囎マノン ,ぞ喫タイース ,足曜サッフォSapho (1897),神秘 的,象徴的な好情劇鯉ノートルダムの吟遊詩人Le Jongleur de Notre Dame (1902)と多種多 様である。マスネー→ま,音楽学者ラングPaul Henry Lang(1901生)の「マスネーのオペラは・職 人的で,手際のよい,香料の入った混合物鉱という言葉に代表されるような批判を受けており,この 事を否定できぬ面を確かにマスネ→ま持っているが,マスネーのオペラを圧縮すれぽ,例え題材が異
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っていても,そこに共通することは愛の叙事詩であり,その表現は,模倣が入っていてもマスネーの 音楽的個性を消失させてはいない。音楽家として,作曲家として手に入れるもの(ローマ大賞,オペ
ラ作曲家としての人気,フランス学士院会員,パリ・音楽院教授,シャルパンティエやブリュノー等 の育成)は全て手にし,何んの屈託もなく作曲できたマスネーは,幸運な作曲家であり,又,彼の作 品群は世紀末を如実に物語るものである。
この期のその他重要な作曲家には,ベルリオーズHector Berlioz(1803〜1869)の影響を受け たレイエルErnest Reyer(1823〜1909)がおり,異国趣味を生かした曙ぞサランボSa1ammbo
(1890),テキストがワーグナーのuニーベルンゲンの指環Der Ring des Nibelungen (1876)
の後半に全く似ている望でシギュールSigurd (1884)を書いている。又,リアリスティックなオペ ラの分野を開拓したブリュノーは,ゾラEmile Zora(1840〜1902)の原作に基く 夢Le R容ve
(1891),足楓車小屋の襲撃L Attacque du Moulin (1893)を,又ゾラ自身の台本によるw収穫 の月Messidor (1897),曙ぞ台風L Ourange (1901),雫足若き王L Enfant Roi (1905)を 書き,ゾラの協力によって当時の社会情勢を生き生きと描いている。ブリュノーの業績をグラウト
9)
conald Jay Grout(1902生)は「近代和声の斬新な試みの先駆者」として指摘している。ブリュノ 一の道を一歩進めたのが㌧レイーズLouise (1900)の作者シャルパンティエである。㌧レイーズ の台本作者でもあるシャルパンティエは,当時のパリの庶民生活をあますところなく描き,それは社 会問題までにも触れている。今までオペラの台本で見かけなかった日常的な事が,美しい音楽でしか
も洗練された手法で見事にまとめられている。
次にワーグナーの影響の歴然とした作曲家達にふれる。今まで述べてきた作曲家達にもワーグナー の影響が現れていたことは指摘した通りである。ワーグナーの聖雫タンホイザーTarmhauser が失 敗ながらもパリで上演されたのは1861年であった。その後,ラムルー演奏協会AssociatiQn des
Concerts Lamoureux,コロンヌ芸術演奏協会Association Artistique des Concerts Colonne の協力によってワーグナーの作品は徐々に紹介され,1880年代,更に1890年代には旋風を巻き起した 程であった。この期のフラン多の作曲家達の大多数は,当然のことながらワーグナーとは無縁ではあ
り得ず,ワーグナーの聖地バイロイト詣でをすることも一つの流行になった程である。
シャブリエは1880年(39才)迄内務省の官吏であったが,その間のオペラはぞぐ逸した教育Une 倉d。,ati・n m。nq・色。 (1879)ピ厘L 倉t・il・ (1877)で,官吏を辞した後は》アンドリヌ
Gwendoline (1886),ぐでそれでも王様Le Roi malgr61ui (1887)と第1幕のみの未完の オペラ喫セブリゼイスBriseYs (1903)とである。シャブリエの傑作哩璽スペイン狂詩曲Rhapsodie Espa施 (1883)や他のオーケストラの作品を思い起こしても,彼がワーグナーの信奉者であったと は以外な感を受けるが,シャブリエは1879年に友人のデュパルクHenri Duparc(1848〜1933)と
ミュンヘンでワーグナーのぐ トリスタンとイゾルデTristan und Isolde (1865)を見て深い感銘 を受ける。後,ラムルー演奏協会が1884〜85年にかけてセセトリスタンとイゾルデ の第1,2幕の みの演奏の際に,シャブリエは,指揮者ラムルーのもとで合唱指揮を務め,この事がワーグナー信奉 の度合いを強めたと想像される。3番目に書かれたで グアンドリヌ にワーグナー色が濃く出ており,
示導動機の使用は今まで述べてきたフランスの作曲家には見られぬ程組織的なものであり,半音階法,
7や9の和音の使用は意図的で,ストリーそのものもワーグナー風である。しかし,シャブリエは,
前述のように音楽に専念する年令が39才と遅く,又53才で没したことでも頷けるようにワーグナー を克服し,脱却するにはあまりにも時間がなかった。しかし,どのようにワーグナー的であろうとも,
シャブリエのオーケストレーシ・ンの色彩豊かなことは彼の大きな特徴として認められる。
シ・一ソンは最初法律を学び,後25才でパリ音楽院に入学しマスネーのクラスに入ったが,間もな くフランクCるsar Franck(1822〜1890)のクラスに移り大きな影響を受け,友人のデュパルク,
ダンディ等と共にワーグナー崇拝者となった。彼のオペラぞぞアルテユス王Roi Arthus (1903)は シャブリエの作品同様ワーグナーの影響が認められ,ででトリスタン や?で指環 の類似点を挙げるこ とができる。友人の一人であったドビュッシーも大いに期待した作品であったが,結局は習作の域を 出なかった作品で,ブリュッセルのモネ劇場Th6飢re Royal de la Momaieで1903年に初演さ れて後,パリのオペラ座Th6飢re National de l Op6raでダンディ指揮のもと,1916年に第3幕 のみではあったが2度上演されている。
フランクの高弟であり,ワーグナーの手法を再に研究し,その方法をフランス・オペラに導入しよ 10)
、としたのがダンディであった。彼は「あらゆる芸術の原理は純粋に宗教的なものである。」と述べ ており,神への雫喫信仰 ,この信条を終生貫いている。ダンディは作曲のみならず,フランス古典の 復興と同世代のフランス人の作品紹介に務めた国民音楽協会の一員として,1890年のフランクの死後 は会長として,或いはスコラ・カントルム音楽院Schola Cantorumの校長として近代フランス音楽 の発展を旗印に大奮闘する。
ダンディは1876年,記念すべき第1回バイロイト音楽祭で聖㌧一ベルンゲンの指環 全曲初演に立 ち合う機会を得,以後熱烈なワグネリアンとなった。代表的なオペラ作品は,曽フェルヴァールFer一
vaal (1897)と雫足異邦人L 重tra㎎er (1903)であるが,ワーグナー同様台本も自ら書きあげ ている。ストリーは,前者は異教徒の信仰と犠牲による愛の争いを,後者は婚約をしている若い娘と 40がらみの上品で悲しい様子をした異邦人との許されぬ愛を死による浄化で描いているが,どちらに も神話的気分が漂っている。又,前者では調性にも重要な任務,二長調は光明,ト長調は祖国,変ホ 長調は宗教,そしてロ長調は戦いとそれぞれ与え,示導動機も組織的であり,コーラスもオーケスト ラも共に大掛りな交響的ドラマを展開している。又,ダンディはグレゴリオ聖歌をしぼしば用いてい るが,特に第3幕第3場,光明に向う主人公の昇天という最終場面においての聖体賛歌㌧くンジェ・
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潟塔OァPange linga (譜例7)は心うつ感動的なもので,これこそダンディの曜曜信仰 そのも のと思える。で罵異邦人 は,更望フェルヴァール の上演時間4時間に対して約半分の2時間とし,全 てを必要限度にとどめているせいか,ワーグナーの影響は貯フェルヴァール 程ではない。
臼井:近代フランス・オペラの研究(その3) 65
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これら2つの作品は今では上演されることもないが,このことについてグラウトは「浮世離れした 台本と,舞台で成功を収めるために必要な単純さ,山場,わかり易さがない。又舞台音楽という面か
らすれぽ,ワーグナーのように感動を押しまくる力もないのに,逆にワーグナーの悪い面を持ち合せ ている12>」と指摘している.ダンデ,のオペラ雌かにワーグナーの影響を強く受けているカ・,戦 るワーグナーの模倣ではなく,ベルリオーズの世界,そしてマ信仰 と同一視していた聖中世 の世 界への回帰に,完全でなくとも,彼の燃ゆるが如き真摯さと努力でもって,フランス音楽の舵を握り 続けていた偉大な音楽家であった。しかし,ワーグナーを信奉したグループからは,ワーグナーに対 抗し得る者は出なかった。結局のところ,彼等のオペラは習作の域を出なかったのではないだろうか。
1902年4月30日,ついに栄光の日がフランスにやってきた。ドビュソシーのぐ ペレアスとメリザン ド の誕生である。ドビュッシーはこの作品を約10年の歳月をかけて作りあげた。台本はメ テルリ ンクMaurice Maeterlink(1862〜1949)の戯曲璽 ペレアスとメリザンド であるが,多少の省略 はあっても原作のまX作曲されている。
オペラぞ更メリザンド は,ドラマの神秘的な精神とその雰囲気を細部にわたって侵透させ,特に声 の取扱いやそのデュナーミクにその大きな特徴を持っている。当時のオペラ界は前述のようにワーグ ナーの影響が強く,歌手もオーケストラも音の大饗宴に酔っていた一面もあり,フランス語の美しさ をどのような方法で表現するかがドビュッシーの最大の課題であった。彼は声を張りあげず,フラン
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ス語の持つ節度ある美しさを,ドラマの要求に従って表現している。絶えず抑制されてつぶやくよう に,オーケストラも間奏以外では全く控え目である。数少ない強奏は,逆に効果をあげる。
ドビュッシーのUペレアス の出現は,ついにワーグナーの影響からの脱却と,長い歴史を通じて 求めてきたフランス・オペラの重要な精神の獲得を意味しているσ内的で,すべて薄明にとざされ,
静寂そのもののオペラ 雫ペレアス はメーテルリンクの戯曲を再に昇華させ,フランス語の取扱いの 手本として歴史上に残る作品である。詳細については次項で述べるのでこNでは省略する。
ドビュッシーの雫足ペレアス 以後に発表された作品で重要なものは,デュカスPalll Dukas(18 65〜1935)の雫更アリアンヌと青ひげAriane et Barbe−Bleue (1907)である。 デュカスは,
ギローErnest Guiraud(1837〜1892)の弟子で,ドビュッシーとは同門であるが,ベートーヴェ ンを尊敬し,フランク,ダンディ等の系列に入る。望でアリアンヌと青ひげ は,これもドビュッシー の壁喫ペレアス と同様にメーテルリンクの戯曲によっており,発表当時よりかなりのセンセーシ・ン を巻き起こしているが,更でペレアス とはその内容が大いに異なる。コーラスをふんだんに用い,オ 一ケストラをよく響かせた大規模なオペラであり,又示導動機は非常に有機的に用いられワーグナー に忠実であることを示している。動機は曜城 ,ぞアリアンヌ ,τ青ひげ の3つが基本であるが,
動機の変奏も多く用いられる。アリアンヌの動機は6つの変奏とされて,それぞれはストリーに従っ て6つの宝石に対応している。レシタティーフはドビュソシーの影響を見受けられるが,ドビュッシ 一よりも詩的な感じは受けず,むしろ力強さを感じる。全体構造は実に堅固であり,デュカスが10年 かけて作りあげた?ぞペレアス 以後の傑作である。
フォーレの弟子であるラヴェルは,同世代のドビュッシーとは対照的である。前者は自らの存在を 表現する為に,後者は自由への要求から始め,又前者は形式を受け入れ,後者はそれを避けるという
ように。ラヴェルの1幕もののオペラuスペインの時L Heure Espagnole (1911)は,正に軽妙酒 脱である。舞台はスペインのトレドのありきたりの時計店内。リズムは生き生きと,声のかけあいは 軽妙で,オーケストラは絶えずスペイン舞曲の組曲を演奏し,即興的気分で時計屋の女房に言い寄る 男を描いている。
般スペインの時 以後の作品には,この期のリータL的存在であったフォーレの璽望ペネロープP6一 n610pe (1913)とラボーHenri Rabaud(1873〜1949)の硬聖マルフMarouf とがある。フォー レはサンーサーンスの弟子であったが,生涯師弟の間柄を越えての親しい友人であった。フォーレは 1905年,60才の折にパリ音楽院長となり,多忙をきわめるなかをオペラ璽 ペネロープ に7年の歳 月をかけるが,その台本についてフォーレの次男フィリップは「フォーレが劇場の為に書いたのは,
自分の信念に合った台本があったためで,それは粗野ではあるが,優しく,堅固で抜巧的なところが 13>
ネい雄大な主題と好ましい詩情にあふれていたため」と述べている。醍曙ペネロープ においては,ギ リシャ神話のかもし出す雰囲気を十分に支えるフォーレ独得の繊細な和音が素晴らしい効果をあげ,
いたる所で美しい洗練された音楽が響いている。フォーレは歌手に対して過度な要求はしていない。
フォーレのスタイルでは,その事が劇的展開に不十分さを感じさせるのであろうか。ラボーはマスネ 一の弟子であるが,ワーグナーやフランクに心酔している。オペラ鯉マルーフ もワーグナーの影響 が見られるが,ビゼーの曜曜ジャミレ からきていると思われる東洋的な趣味を生かした魅力ある作品 である。
1871年から1914年迄のフランス・ナペラの重要と思える作品を順に述べてきたが,その傾向は複 雑に交差している。いつの時代でも,リーダー的存在の人物はおり,その影響にどう対処するか,又
どのように反発するかによって自らの世界を死守し得る。19世紀前半,ベルリオーズの活躍はあった
にせよ,全体的には反省を余儀なくされた時期に生を受けた前述の一連の作曲家達の努力は非常に高 い価値を持っているし,やがて彼等は怒とうのように押し寄せるワーグナーの波に対抗しなけれぽな らなかった運命を考えると,多難な時代の音楽家達ということができる。ワーグナ→こ押し付けられ て窒息するもの,傷つくもの,傷ついても自覚のないもの,逆に利用するものとさまざまな姿を見る ことができるが,ワーグナデ芸術のフランスにもたらした最大の功績は,大衆に音楽の関心を呼び起 したことと,音楽家にフランス・オペラのありようを自覚させたことと思われる。ドビュッシーの
ペレアス はワーグナーへ対する反発であり,その反動として独自の道を,しかも的確にフランス
・オペラの道を開拓した。長い道程であったが,蟹璽ペレアス 初演の1902年は記念すべき年であった。
近代フランス・オペラにおいて, ペレアス は救世主的存在であり,又当然のことながら,この期 を代表する作品であるが, 璽ペレアス のみが代表ではなく,他の極には璽聖カルメン が控えている。
足哩テ ピ勧 ,聖ぞ薄明 と 光 ,それぞれあい異なった性格を持つこれら2つの傑出した作品は,
その後のフランス・オペラの道標としての重責を担っている。又,この2つの作品を支えているもの は,前述の一連の作品群である。
注
1) 臼井英男「近代フランス・オペラの研究(その2)」『茨城大学教育学部紀要』27巻,1978年,43頁 2) Saipt=Saδns, Charles Camile. 5α7π80π θ孟1)α♂z♂α(Partition chant et piano).
(Paris : Durand,1892), P.165.
3) Ibid., P. 181.
4) Lalo, Edouard. L8 Ro乙 ♂γ8(Partition chant et piano).(Paris:Heuge1,
1888),P.171.
5) Massenet, Jules.躍απoπ(Partition chant et piano).(Paris:Durand,1895),
P.50.
6) Massent,Jules,71んα乞3(Partition chant et piano).(Paris:Heugel,1894),
p。263.
7) Massenet, J. Mαπoπ. Op. cit., p.578.
8) Lang, Paul Henry.必ω8乞o乞π解召368γπ αo読zα孟zoπ.(New York:W. W. Norton,
1941),P.924.
9) Graut,Jay Donald.・4 5んoγ孟∬乙8ご07y oプ OPθγα.(New York:Columbia Uni一 versity Press,1965), p.437.
10) D,Indy, Vincent. 0侃γ3 伽 oo糀po8乙翻oπ 7π払8乞oα♂θ(26me Vol.).(Paris:
Durand, 1909), p.66.
11) D,Indy, Vincent. F8γびαα♂(Partition chant et piano).(Paris:Durand,1895),
p.375.
12) Graut,D.J. oP. eit., P,431.
13) Faur6−Fremiet, Philippe.0αゐγご¢♂Fωγ6.(Paris:Albin Michel,1957),
P.99.