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明治期の一字漢語

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全文

(1)

  はじめに 01  同じ人間に生れながら貴族と我々平民とは斯くも相違のあるもの おなにんげんうまぞくわれわれへいみん

にや彼 れは自 ゆうに遊 戯を為 すも我 れは窮 苦を覚 おぼゆるのみ彼 れは尊 とうとき 生 せいさつだつの権 けんあるものを我 れは卑 いやしき畜 類だに自 ゆうに屠 ほふる事 ことならず予 かね

て聞 く天 てんには私 行なしと然 かるに彼 れ貴 族等のみ専 恣横行して咎 とがめな きは麼 乍如何なる由 縁なるや(十~十一頁)

02  此の内なる二人の打扮は他の八人よりは衣服その外のもの迄も最 ふたふくほかいと

奢にして容 かほかたち貌さへ優 ゆうに柔 やさしく笑 わらふ時 ときは美 女の笑 えめるが如 ごとくこびるに似 たれ ども一 ひとたび怒 いかる時 ときは為 ために鬼 しんも威 を失 うしなひ又玄 げんめうの秘 じゆつを行 おこなふに遑 いとま

あらざるべしと思 おもひ遣 やらるる許 ばかり威 あつて猛 たけからざる君 くんの丰 ふうばうを具 そなへ胸 むね

には黄 金もて鋳 造十 じゆうを着 けたるは「クェクワー」宗 しうの高 かうそうの如 く黄 金にて飾 かざりたる衣 ふくを着 けたる上 うへに自 ぜんの威 とくを具 そなへたるは羅馬

はふわうの来 らいりんかと疑 うたがはれたり(十三~十四頁)         

明 治 期 の 一 字 漢 語

今   野   真   二

要旨

  本稿では、頼山陽『日本外史』を「訳解」した『日本外史訳解』を分析素材として、明治期における、一字漢語(漢字一字で書き表されている漢語)がどのように使われ、それがどのように理解されていたかについての観察、整理を行なった。『日本外史』は古典中国語を使ってあらわされている。その古典中国語を中心とした難語を明治期の日本語によって説明することが「訳解」である。具体的には、明治期の時点で、日本語の語彙体系内に定着していた漢語を使いながら、古典中国語を「訳解」していることがあきらかになった。また『日本外史訳解』にみられる漢語理解の方法は、同じ時期に刊行されていた漢語辞書の漢語理解、説明の方法と共通していることもわかった。

(2)

右は牛山鶴堂纂訳『梅蕾余薫』(明治十九年十二月出版発売、春陽堂)

から引用した。以下引用にあたっては、常用漢字表に載せられている

漢字は載せられている字体を使う。仮名の繰り返し符号には稿者の判

断によって適当と思われる仮名をあてる。合字は使用しない。

「生殺与奪の権」の「権」は漢語「ケン」を文字化したものであるが、

このように漢字一字で文字化されている漢語を「一字漢語」と呼ぶこ

とにする。同様に、漢字二字で文字化されている漢語は「二字漢語」

と呼ぶ。

02の中で使われている「威」も同様に一字漢語にあたる。現在使わ

れている小型の国語辞書、例えば『三省堂国語辞典』第七版(二〇一四

年)は見出し「けん[権]」をまず「はかり(のおもり)」と説明した

上で、〔文〕すなわち文章語のマークの下に「①権力。「天下の―をに

ぎる」②〔武力や権威(ケンイ)・機構などを背景にして持つ権限。

「兵馬の―」③(略)」と説明し、「造語」として〈権利〉〈支配する力〉

という意味をもつことを示している。前者の例として「所有権・選挙

権」が、後者の例として「制海権・チャンネル権」があげられている。

このように、現代日本語においても一字漢語は使われているが、『三

省堂国語辞典』は文章語とみなしているように、その使用は限られて

いる。

明治期においては、(現代日本語と比して、ということになるが) 一字漢語がひろく使われていたと覚しい。本稿においては、明治期に

一字漢語がどのように使われていたかについて観察し、考察すること

を目的としたい。 

一  漢語辞書における一字漢語

松井利彦は今から三十年ほど前に、『近代漢語辞書の成立と展開』

(一九九〇年、笠間書院)第三章第三節「漢語辞書の系譜」冒頭にお

いて「明治初期に刊行されたほとんどの漢語辞書は、少なくともその

体裁、掲出語の枠、語釈のいずれかの一つを『新令字解』か『漢語字

類』、または両者に基づいて成立している」(一七九頁)と指摘した。

『新令字解』は慶應四年六月に荻田嘯によって輯された、九〇四語

を見出しとする全二十四丁の小冊の、『漢語字類』は明治二年一月に

庄原謙吉によって輯された、四三四〇語を見出しとする全一四三丁

の、漢語辞書である。『新令字解』は採りあげている漢語のイロハ順に、

『漢語字類』は部首ごとに漢字を掲げ、当該漢字を頭字とする漢語を

配している。漢語をあらわす漢字列の漢字数でいえば、両辞書とも、

見出しは二字漢字列以上で、一字漢字列すなわち一字漢語(註

1)を 見出しにしていない 00000という共通点がある。この二つの漢語辞書が後続

の漢語辞書に大きな影響を与えた。

(3)

『新令字解』と『漢語字類』とを一つに括り「漢語辞書」と呼ぶのは、

現代日本語母語話者であるので、そうした「括り」は『新令字解』『漢

語字類』の編纂者にはかかわりのないことともいえるが、松井利彦が

指摘したように、この二つのテキストは後続のテキストに大きな影響

を与えている。それは「後続のテキスト」からすれば、この二つのテ

キストがいろいろな意味合いにおいて「雛形」であったことを示して

おり、「漢語辞書」という「括り」が現代のみのものとはいえないで

あろう。

そう考えた場合、後続の漢語辞書の、いわば「範」となった『新令

字解』と『漢語字類』とが一字漢語を見出しにしていないということ

は注目しておきたい。漢語辞書が一字漢語を見出しにする場合、当然

のことであるが、漢字一字を見出しにすることになる。基本的に漢字

一字=単漢字を見出しにしている「玉篇」のような体例を採る辞書は

明治期にも出版されていた。「玉篇」のような体例を採る辞書は、(漢

0ではなく)漢字 0を見出しとし、その漢字についての「情報」を示す

ものであるとひとまずはみておくことにしたい。そう考えた場合、「玉

篇」のような体例を採る辞書がある漢字Xを見出しとすることと、漢

語辞書が漢字Xであらわす一字漢語を見出しとすることは「全同」で

はない。しかしまたほとんど重なるとみることもできる。

『新令字解』の出版が慶應四(一八六七)年、『漢語字類』の出版が 明治二(一八六九)年であるので、幕末明治極初期の出版といってよ

い。それは江戸時代の日本語とつよく連続していた時期で、それをそ

のまま「漢字についてのリテラシーが高い」とみなすのはいかにも粗

いが、そのことが漢語辞書が一字漢語を見出しにしていないこととか

かわっているのではないか。一字漢語を漢語として見出しにして、説

明する必要がそれほどなかった時期といえるのではないだろうか。

明治十年十一月二十一日に「版権免許」、同年十一月に「刻成発兌」

している、片岡義助編輯『[御布令新聞漢語必用]文明いろは字引』

は「熟字」の「偏冠ニ関ラズ唯字音ノ首メヲ集メテ之ヲいろは部ニ分」

けてある。「熟字」と表現されているが、「け之部」を例にすれば、「字

音」すなわち見出しとなっている「熟字」=漢語の発音を仮名によっ

て文字化した場合の仮名文字数によって「けノ二」「けノ三」「けノ四」

「けノ五」「けノ自六至十」のように部内が分けられている。

「けノ二」には次のようにある。

けい  ツネ   憲 けん  ノリ   径 けい  ワタリ   血   チ   減 げん  ヘル 決 けつ  サダム   剣 けん  ツルキ   権 けん  ハカル   検 けん  カンガフ 脅 けう  ヲビヤカス   係 けい  カカル   警 けい  イマシム   刑 けい  コロス

けつ  カケル   継 けい  ツク   喧 けん  カマヒスシ   慶 けい  ヨシ  梟 けう  カクル   賺 けん  スカス   歇 けつ  ヤム   雞 けい  ニハトリ  

(4)

けん  イヌヰ   隙 げき  ヒマ   験 けん  シルス   県 けん  アガタ  現 げん  アラハル   讞 けん  ウカガフ 竅 けう  アナ   激 けき  ハゲシ  鎌 けん  カマ   掲 けい  カカグ   玄 げん  クロシ   顕 けん  アラハル  劫 けう  ヲビヤカス   懸 けん  カケル   業 けう  ワザ

 これらすべてが明治期において一字漢語として頻用されていたかど

うかについては、非辞書体資料(註

2)を精査する必要がある。また、 右では「権 けん」が「ハカル」と説明されており、これは一字漢語「ケン(権)」

の語釈というよりも、単漢字「権」の字義の説明にみえる。したがっ

て、右の語釈が何を説明しているか、ということについても慎重に考

える必要があるが、とにもかくにも、明治十年に「刻成発兌」された

漢語辞書である『文明いろは字引』が漢字一字の見出しをたてている

ことはたしかなことといえよう。

さらに観察を続ける。「けノ四」には次のような見出しがある。

けんせい  ケントイセイト   権 要  同上   権 柄  同上 権 道  トキノハカライ   権 衡  ハカリ   権 臣  ケンシキアルケライ   権 けんもん  レキレキノカドグチ 権 変  マニアハセル   権 用  カリニモチフル

  権 謀  マニアハセ  右では漢語「ケンセイ(権勢)」が「ケントイセイト」と説明され

ている。漢語「ケンセイ(権勢)」を「権」と「勢」とに構成要素に

分け、それぞれを「ケン(権)」と「イセイ(威勢)」とによって説明

していると思われ、この場合の「ケン(権)」は一字漢語、「イセイ(威

勢)」は二字漢語とみるのが自然であろう。そして「ケン(権)」「イ

セイ(威勢)」は語釈として使われている。つまり当該時期においては、

一字漢語「ケン(権)」と二字漢語「イセイ(威勢)」とは漢語の説明

に使うことができる 00000000漢語であったことがわかる。

右でわかるように、それぞれの漢語の説明のしかたはさまざまであ

るが、「ケンシン(権臣)」を「ケンシキアルケライ」と説明し、「ケ

ンヨウ(権用)」を「カリニモチフル」と説明するのは、漢語を構成

要素に分けて、それぞれの構成要素を説明するというやりかたで、こ

のような「説明方法」が確実にあったことがわかる。「説明方法」は

すなわち「理解のしかた」といってよいだろう。見出し「ケンシン(権

臣)」では、二字漢語の構成要素「ケン(権)」を二字漢語「ケンシキ

(権式・権識・見識)」で説明し、見出し「ケンセイ(権勢)」では構

成要素「ケン(権)」を一字漢語「ケン(権)」で説明するというよう

に、さまざまな説明方法がみられる。

「きノ三」から見出しを抜き出す。「ウタガヒマダフ」は「マドー」

という発音を「マダフ」と文字化したと推測する。振仮名を省いて引

(5)

用する。 疑惑  ウタガヒマダフ   疑念  ウタガヒ  疑団  ウタガヒノカタマリ   疑心 ウタガヒノココロ 疑猜  ウタガヒネラフ 疑憚  ウタガヒハバカル

疑点  ウタガヒ 奇謀  フシギノハカリコト  奇計  同上   奇策  同上 奇偶  ヒトツトフタツト   奇数  ハシタノカズ  奇功  フシキノテカラ   奇説  メヅラシキハナシ  奇談  同上   奇勲  フシギノテガラ   奇才  フシキノサイチ

奇験 フシギノシルシ   奇童  スクレタコトモ

「ギワク(疑惑)」「ギダン(疑団)」などの漢語の構成要素「ギ(疑)」

が和語「ウタガイ」によって説明されている。これは改めていうまで

もないが、構成要素「ギ(疑)」が和訓を媒介にして(ある程度)固

定的に理解されていることを窺わせる。そう考えてよければ、「キボ

ウ(奇謀)」「キコウ(奇功)」「キクン(奇勲)」「キサイ(奇才)」「キ

ケン(奇験)」の構成要素「キ(奇)」は、「奇偶」や「奇数」のよう

な数にかかわる場合は別として、漢語「フシギ(不思議)」によって、

やはり(ある程度)固定的に理解されていることになる。 ここまでの観察からは、次のようなことが確認できたと考える。

 A明治期においては一字漢語が(現代日本語よりも)ひろく

使われていた。

 B二字漢語を構成要素に分解して、それぞれの構成要素を和

語あるいは漢語と(ある程度)固定的に理解することがあった。

二  非辞書体資料における一字漢語理解

非辞書体資料として、頼復二郎閲、小川弘蔵訳解『日本外史譯解』

全五巻(明治八年七月発行)を採りあげることにする。頼復二郎は、

頼山陽の第二子の復 あつし。以下書名を「外史訳解」と略称することがある。

「外史訳解」は頼山陽『日本外史』を「本 書」(註

3)とし、それを「訳解」

したテキストである。「外史訳解」を引く。『増補日本外史』(註

4)及び、

『日本外史』(一九七六年、岩波文庫)の「漢文訓み下し文」を併せて

示す。

是ノ時ニ當リテ、源氏王 ミコトノリ命ヲ梗 ササユル者アレバ。平氏ニ勅 ミコトノリシテ之 レヲ討チ。平氏ノ制シ難キ者アレバ。源氏ヲシテ之レヲ誅 コロサシム。 更 カハルガハル相ヒ箝 制テ以テ控 トリアツカヒ馭ノ術ヲ得タリト為セトモ。異 日搏 噬攘 ヌスミウバフ

(6)

[二氏等後日天子ヲ搏噬シ。/権ヲ攘ミ奪フヲ謂フナリ。]ノ禍 ワザハヒ又タ 此 ココニ基 モトヒスルヲ知ラズ。古ノ制 ホウドヲ敗 壊リ。一時ヲ苟 ヤスゼバ。皆ナ以テ自 ラ困 クルシミツマヅクヲ取ルニ足レリ(五丁裏)。

當是之時。源氏有梗命者。勅平氏討之。平氏有難制者。命源氏誅之。

更々相箝制。以為得控馭之術。而不知異日搏噬攘奪之。又基於此。

敗壊古制。苟婾一時。皆足以自取因蹶也。

この時に当つて、源氏に命を梗 ふさぐ者あれば、平氏に勅 ちよくしてこれを

討たしめ、平氏に制し難き者あれば、源氏をしてこれを誅せしめ、

々相箝 制せしめて、以て控 馭の術を得たりとなす。而して異日 搏 はくぜいじようだつ噬攘奪の禍、またこれに基くを知らず。古制を敗壊し、一時を苟 こうとう

す。皆以て自ら因 蹶を取るに足るなり。

右に引いた「外史訳解」と「漢文」、岩波文庫の「漢文訓み下し文」

を対照すれば、『日本外史訳解』における「訳解」は「原文(本 書)

である漢文を訓み下し文にし、さらに振仮名によって日本語としての

理解を助け、必要に応じて注解を加える」という「解釈形式」である

といえよう(註

5)。 岩波文庫の「漢文訓み下し文」には「平氏に勅してこれを討たしめ」、 ちよく

「源氏をしてこれを誅せしめ」とあるので、対句となっている「勅平

氏討之」「命源氏誅之」の「勅」を漢語「チョク(勅)」のまま訓み下

し文に使い、「命」は明示的に訓み下さず、「討」は「ウタシメ」と、

「誅」は「チュウセシメ」と訓み下している。「外史訳解」は「勅」を「ミ

コトノリ」と説明し、「誅」は「コロス」と説明していることになる。

三  『

日本外史訳語』における一字漢語理解

ここでは一字漢語が「訳解」の「本文」において使われている場合

及び「訳解」の「本文」において使われている語の構成要素を併せて、

ひろく「一字漢語」ととらえ、「一字漢語」がどのように理解、説明

されているかについてできるかぎり具体的に分析してみたい。

01平氏ノ威天下ニ振フ。(二十二丁裏五行目) イセヒフル

02則チ公家豈ニ威ヲ霽メザル有ランヤ。(三十三丁裏六行目) ゴイコフ

03相門ノ権ヲ専ラニスル自リ。(七十七丁表八行目) ケンヘイモツハ

04功無キノ人ヲ以テスラ猶ヲ権寵ヲ檀ニスル(七十七丁裏六行目) ケンイチヨウアイモツハラ

05然リト雖トモ平氏ノ勢ヲ成ス者ハ(七十八丁表七行目) イセヒ

06源氏ヲ抑ルハ以テ相家ノ権ヲ殺ス所ナリ。(七十八丁裏二行目) ケンイ

(7)

07猶ヲ権ヲ戀フノ意ナキコト能ハズ。(七十九丁表二行目) ケンイシタココロ

08故ニ皆ナ其ノ権ヲ抑ルヲ計リテ(八十一丁表四行目) ケンヘイヲシツク

先に『文明いろは字引』において見出し「権 けんせい」(「同上」という語

釈を考え併せれば「権要」「権柄」も)が「ケントイセイト」と説明

されていることについて述べた。右に掲げた「外史訳解」の例におい

ては漢語「ケンチョウ(権寵)」が「ケンイ(権威)」と「チョウアイ(寵

愛)」によって説明され、一字漢語「ケン(権)」が漢語「ケンペイ(権柄)」

「ケンイ(権威)」によって説明されている。しかも「ケンペイ(権柄)」

「ケンイ(権威)」による説明は繰り返されており、こうした理解が少

なくとも「外史訳解」の編纂者にとっては臨時的なものではないこと

が窺われる。また、一字漢語「イ(威)」「セイ(勢)」ともに漢語「イ

セイ(威勢)」によって説明されている。

これらのことからすれば、まず、説明に使われた「ケンペイ(権柄)」

「ケンイ(権威)」「イセイ(威勢)」は当該時期において理解しやすい

漢語であったことが推測される。

『漢語字類』五十二丁表においては、まず見出し「ケンセイ(権勢)」

を「イセイ」で説明し、見出し「ケンペイ(権柄)」「ケンヨウ(権

要)」の語釈には「上ニ同シ」とあるので、やはり「イセイ(威勢)」

は説明側の漢語 000000ということになる。また、村上快誠編輯『必携熟字集』 (明治十二年)の見出し「権」(巻上、二〇四丁裏~二〇五丁表)には

次のような記事を見出すことができる。ここでも「イセイ」「ケンイ」

が「権」を上字とする複数の漢語の説明側の漢語 000000であることが確認で

きる。また一字漢語「ケン(権)」の使用も確認できる。

権家  ケンヰアル    権要  ヰセイ   権威  ヰセイ  権臣  ケンアルケライ   権力  ヰセイ   権柄  ヰセイ 権勢  イセイ   権制  ケンヰデマツリゴトヲオコナフ 権貴  ミガラデケンヰアル   権門  ケンノアルイヘ

明治二十四(一八九一)年に出版を終えた、大槻文彦『言海』には

次のようにある。

くわんけん―官権―官府ノ威権。政府ノ行フベキ権理。

けん―権―〔略〕其人ノ分際ニ具シテ、事ヲ處分スルヲ得ル力。権

柄。(略)

けんえう―権要―威権アル要路ニアルコト。(略)

けんげん―権限―権力、権利等ノ界限。

けんせい―権勢―権 威ニ同ジ。 けんぺい―権柄―(一)権 ケンヲ執リテ居ルコト。(二)威勢。威光。

(8)

威力

けんぼう―権謀―一時、権ニ行フハカリゴト。権略。(略) けんもん―権門―(一)官ニ居テ権威アル家。(以下略)

けんよ―権輿―(略)物事ノハジマリ。ハジメ。オコリ。

けんり―権利―身ノ分際ニ有 タモチ居テ、事ニ當リテ自ラ處分スルコト

ヲ得ル権力。(略) 

けんりゃく―権略―権 謀ニ同ジ。

けんりょく―権力―権威。権柄。

けんゐ―権威―権ヲ執リテアルニ就キテノ威勢。

ぜんけん―全権―十分ニ威権ヲ持ツコト。

そけん―訴権―裁判所ヘ訴ヘ出ヅベキ権理。

ちぐゎいはふけん―治外法権―居留ノ外國人ノ、其國ノ法律ニ服從

セズシテ居ラルル権。

どうけん―同権―互ニ同ジ程ノ権理ヲ有ツ事。

とくけん―特権―特別ノ権柄。

はんけん―版権―書畫ノ版木ヲ所有シ摺出ス権、政府ノ保護ヲ受ケ

テ、他人ノ翻刻スルヲ許サズ。版行ノ株 カブ

へいけん―兵権―兵馬ヲ統ベテ戰ヲ起シ得ル権力。

みんけん―民権―人民ノ身體財産等ヲ保ツ権利。(政府ノ権ニ對ス)

ゐけん―威権―威光ト権柄ト。権威。 『言海』においては、「ケンセイ(権勢)」が「ケンイ(権威)」「ニ同ジ」

で、「ケンイ(権威)」は「権ヲ執リテアルニ就キテノ威勢」のように、

「ケン(権)」と「イセイ(威勢)」とによって説明されている。「ケン

ペイ(権柄)」の語義(二)は「威勢。威光」と説明され、「イケン(威

権)」の説明においては、「イ(威)」が漢語「イコウ(威光)」で、「ケ

ン(権)」が漢語「ケンペイ(権柄)」で説明されている。

このように、辞書体資料である『文明いろは字引』『漢語字類』『必

携熟字集』『言海』、非辞書体資料である「外史訳解」に共通した漢語

理解があることを確認することができる。

09而シテ平時ハ皆ナ散シテ卒伍ニ歸ス。(三丁裏五行目) ブジノチラカヘ

10延喜ノ後ニ至リテ。百度弛廢。上下ノ情隔絶リ。(四丁表八行目) モモノホウド

11之レヲ京獄[京師ノ/獄門]ニ梟ス。(十丁裏四行目) ゴクモン

12義朝ヲ誅シテ其ノ首ヲ獻ジ。之レヲ獄門ニ梟グ。(二十二丁表六行

目)

13盍ゾ其ノ首ヲ梟セザルヤ。(二十七丁表五行目) ナンクビゴクモン

14重盛ノ曰ク。諾ス。(二十丁裏三行目) シヨウチ

15行綱之レヲ諾ス。(二十六丁裏八行目) シヤウチ

16不レバ則チ讒或クハ因リテ入ラン。(二十三丁裏九行目) シカラザザンゲンモシ

(9)

17叡山坐主明雲ヲ法皇ニ間シテ流ニ處ス(二十七丁裏九行目) ザンゲン

18今マ乃チ輕シク讒言ヲ信ジテ族ヲ滅サント欲ス。(三十二丁表一行 カロガロイチゾクホロボ

目)

19吏ヲ殺シ。貢賦ヲ奪ヒ。(十一丁表八行目) ヤクニンミツギモノ

20恩ヲ叨ルコト極レリ。(三十三丁裏二行目) ヲンシヨウムサボキワマ

08においては漢語「ヘイジ(平時)」の構成要素「ヘイ(平)」を漢

語「ブジ(無事)」によって説明している。大森惟中、荘原和編纂『外

史訳語』(明治十一年)は「ヘイジツ(平日)」「ヘイゼイ(平生)」「ヘ

イジ(平時)」「ヘイキョ(平居)」を「ツネフダン」と説明する。

09には「百度弛廢」とあり、「ヒャクド(百度)」の上字「百」を モモノホウド

和語「モモ」で説明し、下字「度」を漢語「ホウド(法度)」で説明

している。『漢語字類』には「法 則  オキテ  法 度  上ニ同シ」(五十六

丁表)とあり、漢語「ホウソク(法則)」「ホウド(法度)」をともに

和語「オキテ」で説明している。近藤元粋『新撰漢語字引大全』(明

治十七年)には「法 度  オキテ  法 則  同上/法 制  同上  法 禁  同

上」(一七八丁表)とあり、ここでは四つの漢語「ホウド(法度)」「ホ

ウソク(法則)」「ホウセイ(法制)」「ホウキン(法禁)」がいずれも

和語「オキテ」によって説明されている。また『必携熟字集』(明治

十二年)においては、「ホウリツ(法律)」「ホウド(法度)」「ホウソ ク(法則)」「ホウショウ(法章)」「ホウケン(法憲)」「ホウセイ(法制)」

「ホウシキ(法式)」(二一八丁表)が「オキテ」によって説明されて

いる。つまり、漢語「ホウド(法度)」は漢語辞書が見出しとして採 0

りあげるような 0000000漢語でもあった。漢語辞書という枠内でいえば、「ホ

ウド(法度)」は見出しとなる漢語=説明される漢語で、和語「オキテ」

が説明する語といえよう。しかし、『日本外史』を「本書」とする「外

史訳解」においては、漢語辞書が見出しとして採りあげるような漢語

が説明に使われることもある 00000、という点には注目したい。「漢語の層」

といった場合、「説明される漢語/説明に使われる漢語」という二層

がまずは想定できるが、漢文を「本書」とする「外史訳解」のような

非辞書体資料には、「漢文に使われる漢語/説明に使われる漢語」と

いう二層が観察できる。

『史記』「高祖本紀」、『漢書』「高帝紀上」に「梟故塞王欣頭櫟陽市」

とあり、『漢書』顔師古は「梟、懸首於木上也」と施注する。

11「之 レヲ京獄[京師ノ/獄門]ニ梟 ゴクモンス」、

13「盍ゾ其ノ首ヲ梟セザルヤ」 ナンクビゴクモン

においては、一字漢語「キョウ(梟)」が二字漢語「ゴクモン(獄門)」

によって説明されている。一方、『日本外史』の「尾張人長田忠致誅

義朝、献其首。梟之獄門」(尾張の人長田忠致、義朝を誅し、その首

を献ず。これを獄門に梟 きようす)の行りを「外史訳解」は

11「義朝ヲ誅シ テ其ノ首ヲ獻ジ。之レヲ獄 門ニ梟 グ」と訳解している。『日本国語大

(10)

辞典』は見出し「ごくもん(獄門)」に中国文献の使用例を示してい

ない。また『大漢和辞典』の見出し「獄」の条に掲げられている「獄

門」の語義は「牢獄のもん。獄舎のもん」「昔、斬罪に処した重罪犯

人の首をさらした刑罰。さらしくび。梟首」と二つに分けて記されて

いるが、後者の使用例として掲げられているのは『和漢三才図会』で、

中国文献は掲げられていない。データベース「中國哲學書電子化計劃」

の「先秦両漢」の範囲において漢字列「獄門」で検索をしてもヒット

はなく、「獄門」は少なくとも古典中国語ではないといえよう。『必携

熟字集』は「獄」を上字とする見出しを「獄吏」「獄司」「獄官」「獄卒」「獄

丁」「獄庭」「獄医」「獄詞」「獄事」「獄房」「獄署」と十一掲げている

が、「獄門」は掲げていない。山田美妙『新編漢語辞林』(明治三十七

年)は「ゴクモン(獄門)」を「ゴクヤノモン◯日本デ、又サラシクビ」

と説明しており、はっきりと「日本デ」と認識していることがわかる。

仮に〈さらしくび〉という語義の「獄門」が狭義の漢語ではないと

すれば、そのことは、そうした語を使った『日本外史』に関しての一

つの「情報」といえよう。しかし、本稿においては、「ゴクモン(獄門)」

がそうした語 00000であったために、説明に使われているとみることもでき

る。

13~ 15においては、一字漢語「ダク(諾)」が二字漢語「ショウチ(承

知)」で説明されている。『必携熟字集』には「承 シヨウダク諾  シヨウチスル」 「承 シヨウフク服シヨウチスル」「承 知ウケタマハリシル」(一五六丁表)と記さ

れている。見出しとなっている漢語「ショウダク(承諾)」「ショウフ

ク(承服)」が漢語「ショウチ(承知)」によって説明され、その「ショ

ウチ(承知)」は「ウケタマハリシル」と和語によって、一語の置き

換えではなく、上字下字と結びついていると思われる和訓を媒介にし

て説明的に説明されている。このことからすれば、語義のわかりやす

さには、「ショウダク・ショウフク」

↓「ショウチ」

↓「ウケタマハ

リシル」という「順序」があることが推測される。

例えば服部誠一『文明花園春告鳥』(明治二十一年五月十九日出版)

にも「如 何にもして維 すべき旨 むねをも申 もうしおく送らば。主 人にも必ず承 諾せ

らるべし」(三十四頁六行目)とあり、やはり「ショウチ(承知)」と

「ショウダク(承諾)」との結びつきを確認することができる。

16は「不則讒或因以入」を「訳解」したものであるが、「摘句」を

角書きとする小野正巳輯、青山薫閲『日本外史訳語大全』は、この行

りを「若シソレヲ辞色ニ形サバザンゲンガソレニ因テハイルデアラフ

◯良ヲ傷ルヲ讒言ト云フ」(一、十丁裏)と「訳」しており、やはり「讒」

を「ザンゲン」によって訳している。

「終間叡山座主明雲於法皇処流」を「訳解」したものが

17「叡山 坐 主明雲ヲ法皇ニ間 ザンゲンシテ流ニ処ス」である。岩波文庫の「訓み下し文」 は「終に叡山の座 みよううん雲を法皇に間 かんして、流に処す」(上巻五十六頁)

(11)

で、一字漢語「カン(間)」をそのまま使っている。野呂公敏『日本

外史字引』は「間」の条において、「間貞世」を例示し、「間ハザンゲ

ンスルナリ」(二十丁表)と説明している。

18では漢語「ザンゲン(讒

言)」そのものが使われている。

19では一字漢語「リ(吏)」が二字漢語「ヤクニン(役人)」によっ

て説明されている。これはひろくみられる認識といってよい。『日本

外史字引』は「吏 」を「ヤクニン」「ツカサドル」(五丁表)によって 説明しており、大森惟中、荘原和纂『外史訳語』には「吏人  ヤクニ ン」「吏徒  ヤクニンドモ」「吏胥  コヤクニン」「吏卒  コヤクニン   シソツ」「吏言  ヤクニンノマウスコトバ」「吏務  ヤクニンノツト

メムキ」という記事が三十七丁表にみられる。

また、『必携熟字集』及び山本小三郎輯『開化いろは字引』(明治八

年)内藤彦一編輯『明治いろは字引大全』(明治十五年)は「吏」を

上字とする漢語について次のように説明をしている。いずれとも「吏」

を「ヤクニン」と説明している。

必携熟字集       開化いろは字引   明治いろは字引大全 吏員  ヤクニンノカズ   ヤク人ノヒトカス   ヤクニン 吏卒  ヒクキヤクニン   コヤク人       カロキヤクニン

吏態  ヤクニンノヤウス  ヤク人ノナリフリ   ヤクニンノスガタ 吏務  ヤクニンノツトメ  ヤク人ノツトメ    見出しなし

吏舎  ヤクニンノヘヤ   見出しなし      ヤクニンノヘヤ 吏言  見出しなし     見出しなし      ヤクニンノコトバ

一字漢語「リ(吏)」と二字漢語「ヤクニン(役人)」との結びつき

は『言海』内部においても確認することができる。例えば見出し「ぞ

くり(俗吏)」は「俗 0役ノ役人 00」(傍点稿者)と説明されている。漢語

「ゾクリ(俗吏)」の構成要素「ゾク(俗)」を「俗役」、「リ(吏)」を

「役人」と置き換えた理解といってよい。あるいは見出し「ごくり(獄

吏)」は「牢役人」と説明されており、「ゴク(獄)」が「牢」、「リ(吏)」

が「役人」によって説明されている。見出し「こやくにん(小役人)」

の語釈は「身分卑 ヒクキ役人。小吏」で、語釈末には「漢用字」として「小

吏」が置かれているが、これはやはり見出し「コヤクニン(小役人)」

の類義語とみるのが自然で、「小役人=小吏」という図式でとらえる

ならば、「役人=吏」であることになる。また一字漢語「リ(吏)」は

語釈中において少なからず使われている。例えば、見出し「じゆんさ(巡

査)」の語釈は「警察ノ吏、専ラ、路上ヲ巡 メグリテ警ムルモノ」で、見

出し「つゐぶ(追捕)」の語釈は「官ヨリ吏ヲ遣シテ、不良ノ徒ヲ追

ヒ捕フルコト」で、いずれの語釈においても一字漢語「リ(吏)」が

使われている。

(12)

ここまで幾つかの例について具体的に検討を加えた。紙幅の都合も

あり、以下参考のために、例を掲げておくことにする。

[恩・恩賞・恩義]

21恩ヲ叨ルコト極レリ。(三十三丁裏二行目) ヲンシヨウムサボキワマ

22其ノ舊恩ヲ謝ル。(四十九丁表六行目) モトノヲンギコトワ

23臣ハ君ノ恩ヲ受ルコト久キナリ。(五十丁裏七行目) ゴヲン

[甲・具足・甲冑]

12家人平ノ家貞[左衛/門]ソノ子家長ト甲ヲ衷テ從フ。(十二丁表 グソクツケ

四行目)

18其ノ擔ヲ開ヒテ甲冑五十ヲ出ス。(十七丁裏六行目) カモツ

28清盛乃チ甲ヲ被長刀ヲ執リテ出ヅ。(三十一丁表五行目) グソク

33族人皆ナ甲ヲ擐。馬ニ鞍ヲキ旗幟ヲタテ成列テ(三十二丁表九行目) グソククラ

[私・通・密通]

13忠盛ト私シテ身メルコトアリ。(十三丁裏四行目) ミツツフハラ

60因テ其ノ女ニ通ス。(七十五丁裏二行目) ムスメミツツフ

[奏・奏聞・言上・白]

27院中ニ就テ奏セシメテ曰ク。(二十八丁裏六行目) ツイソウモン

38ニシテ帝ニ奏シテ基房ヲ貶シテ代ルニ基通ヲ以テス。(三十九丁表 ゴンジヤウヲトカユ

三行目)

39清盛乃チ人ヲシテ帝ニ白セシメテ曰ク。(三十九丁表九行目) コンジヤウ

[答・返答]

37昏ニ及ブマデ答スル所ナシ。(三十八丁表四行目) クレヘントフ

47還テ報シテ曰ク。(五十一丁裏四行目) カヘツヘントフ

[和・和睦]

45ナガラ和ヲ講シ。(四十九丁表八行目)則チ請フ兩 フタツワボク

50漢ノ匈奴ニ和スルノ故事ヲ引テ。(五十四丁裏二行目) ワボク

58我レ乃チ之レト和セバ(六十一丁裏八行目) ワボク

[降・降参]

51[]降將菊池高直次/郞原田種直[大/夫]以下兵千騎。(五十四 コウサンノ

丁裏五行目)

56成能。義經ニ降ス。(七十丁裏七行目) コフサン

59自ラ來リテ降ヲ乞ハバ。(六十二丁表一行目) コフサン

[状・様子]

49其ノ状ヲ告ゲテ曰ク。(五十三丁裏六行目) ヤフス

55地肥美ノヲ以テス。(六十丁裏一行目) ヤフス

[軍・士・軍勢]

63源氏ノ軍海陸トモニ充塞ル。(七十丁表六行目) グンゼイミチフサガ

54知盛。宗盛ニ謂テ曰ク。士氣奮ヘリ。(七十丁裏三行目) グンゼイノイキホヒフル

[胤・後・子孫]

(13)

61一ツノ平氏ノ胤ヲ擁テヽ(七十六丁表一行目) シソンモリタ

64天必ズ其ノ後ヲ勦絶ス。(七十九丁裏八行目) シソン

[その他一字漢語]

14帝崩ス。(十四丁裏四行目) ホウギヨ

19勝ヲ獲ルコト必ナリ。(二十丁表三行目) カチヒツジヨウ

21重盛教盛ハ成親ト姻ナルヲ以テ乞フテ之レヲ宥ス。(二十二丁表三 シンルイユル

行目)

29蓋シ我ガ官爵ノ分ニ踰ルヲ謂フノミ。(三十一丁表八行目) ブンゲンコユ

32我レヲ目ケテ賊ト爲ストモ悔ユ可カラザルナリ。(三十二丁表四行 ナヅムホンニン

目)

36兒ノ疾ヲ獲ルハ命ナリト。(三十七丁裏一行目) ワレテンメイ

41世人其ノ清盛ノ意ニ出ルト稱ナリ。(三十九丁裏二行目) ヨノシユイイフ

43陛下ハ親父。決ハ聖断ニアリ。(四十三丁裏六行目) ケツチヤクヲボシメシ

48維盛ノ敗ルヽヲ聞テ。兵ヲ引テ之レト合ニ退テ(五十二丁裏六行目) イツシヨ

52行盛俊成ノ子定家ヲ師トス。(五十七丁裏六行目) シシヨウ

56遂ニ兵ヲ擧シテ反ス。(六十一丁表七行目) ヨウムホン

56遂ニ兵ヲ擧シテ反ス。(六十一丁表七行目) ヨウムホン

57義仲我レヲシテ此ノ極ニ至ラシメタリ。(六十一丁裏八行目) ナンギ

60騎聞サル爲シテ走ル。(六十三丁裏一行目) キバムシヤキカマネ

61重衡此ニ至ルハ命ナリ。(六十六丁表八行目) テンメイ

62僕ヲシテ之レヲ視セシムレバ非ザルナリ。(六十七丁表五行目) ケライ

55宗盛終ニ断スルコト能ハズ。(七十丁裏六行目) ケツチヤク

57教經驍名素ヨリ著レタリ。(七十一丁裏一行目) ブユフノナモトアラワ

58[]平ノ家長平内左衛門等八人之レニ殉ス。(七十二丁表七行目) ジユンシ

59重盛ノ骨ヲ奉テ常陸ニ隱ル。(七十四丁表七行目) シガイモチカク

[二字漢語]

16諸將ノ其ノ任ニ當ベキ者ニ遺命シケルニ。(十五丁表六行目) ヤクタユ

30東夷ヲ下スノ功ヲ以テ大將ニ超拜ス。(三十一丁表九行目) テガラ

40諸政ハ陛下之レヲ親セヨ。(三十九丁裏一行目) モロモロノセイジミヅカラ

54舟ヲ連ベ板ヲ布キ以テ進退ヲ便ニス。(六十丁表三行目) ナライタベンリ

62世ニ其ノ抜興ノ漸無キヲ以テ。(七十七丁裏八行目) シダイ

おわりに

本稿では『日本外史訳解』をおもな観察対象として、明治期におけ

る一字漢語がどのように使われ、どのように理解されていたかについ

ての整理を試みた。「外史訳解」は『日本外史』を「本書」とする非

辞書体資料である。本稿においては「訳解」を、「本書」を基本的に

は「漢文訓み下し文」にし、それにさらに振仮名等を使って注解を加

えるという形式と定義した。従って、「外史訳解」は中国古典籍を下

(14)

敷きにした『日本外史』の「漢文」を「本書」としながら、それを明

治期の日本語を使って「訳解」するという重層的なテキストであるこ

とになる。

『日本外史』を「本書」とする字引、字類、字解は少なからず編ま

れており、そうした辞書体資料や漢語辞書、『言海』のような国語辞

書を併せ用いることによって、それぞれのテキストの「ありかた」に

ついても考えることができた。

稿者は、何らかの「編集」が行なわれているテキストを「辞書体資

料」、そうした「編集」が行なわれていないテキストを「非辞書体資料」

と呼ぶ。この用語を使えば、『日本外史』『日本外史訳解』が非辞書体

資料で、『日本外史』を「本書」とする字引、字類、字解、漢語辞書、

『言海』が辞書体資料ということになる。『日本外史訳解』は稿者の分

け方でいえば非辞書体資料であるが、『日本外史』を「本書」として

いることからすれば、辞書体資料としての「要素」をももつ。したがっ

て、辞書体資料と非辞書体資料の中間的な資料と位置付けることもで

きる。こうした資料を軸にして、辞書体資料、非辞書体資料を併せ用

いることによって、当該時期の日本語についての知見は、より具体的

なものになることが期待できるが、本稿はそうした可能性も示し得た

と考える。 [註]註

  『1

新令字解』は「異 教蔓延  イテキノヲシヘサカンニナルコト」(一丁裏)「一 層励 精  ヒトキハセイダス」(同前)「談 意相投  ハナシガアフコト」(八丁裏)「大 勲偉烈  大ナルテガラ」(同前)など、四字漢字列も見出しにしている。註

2

  稿者は何らかの「編集」が行なわれている資料を「辞書体資料」と呼び、それに対して「編集」が行なわれていない資料を「非辞書体資料」と呼んできたので、本稿でもこれらの用語を使うことにする。註

  「3

書」は「もととなる本」と定義しておく。山田忠雄は『明治初期辞書集成目録―(Ⅰ)字類・字解・字引類』(一九八六年ナダ書房刊)の「凡例」(七頁)の一において、「明治初年から明治三十年までに刊行された国立国会図書館所蔵「字類」「字解」「字引」類を、本書の内容により歴史・地理・中国古典・修身・読本・自然科学・その他に分類する」と述べ、三においては「本集成に収録するものは、そのほとんどが特定の本書に基づき編纂されたものであることに鑑み、特定できるかぎり本書を明示する」と述べている。ここでの「本書」が本稿における「本 書」にあたる。註

註 蹶」となっているなど、小異があるがそれについてはここでは措く。 ストに該当する。「外史訳解」が「困蹙」としている箇所が漢文では「困 郞増補、一二冊・中本、和装活版・一二行二二字」と示しているテキ (一九八一年、岩波文庫)が四八三ページに「『増補日本外史』頼又次   月再版)全十二冊の和装活字版を使用した。これは『日本外史下』 頼襄子成著『増補日本外史』(明治十三年五月出版、明治二十六年十   4引用は刊記に「原著及増補者相続人兼著作権所有者頼龍三」とある

  『5

日本外史』の「敗壊古制」の箇所を「外史訳解」は「古ノ制 ホウドヲ敗 壊リ」と「訳解」している。漢字列と振仮名との関係からすれば、通常は漢語「ホウド(法度)」を「制」によって文字化し、和語「ヤブリ」を漢字列「敗壊」によって(部分的に)文字化したとみることになる。これはいわば「書き手」側からのみかたになる。『日本外史訳解』は『日本外史』を「本書」としているので、まず『日本外史』の「本文」があって、それを「訳

(15)

解」するという「順序」がある。したがって、「制」を漢語「ホウド(法度)」によって説明し、「敗壊」を和語「ヤブリ」によって説明している、とみる必要がある。これはいわば「読み手」側からのみかたにちかい。つまり漢字によって文字化されている語をどのように理解するかということと重なり合いをもつ。

(16)

“Single Character Words of Chinese Origin During the Meiji Period”

KONNO Shinji

Abstract

  In Japanese, words of Chinese origin [kango 漢語] written with a single character are called single character words of Chinese origin [ichiji kango 一 字 漢 語; hereafter SWC]. Though the term often denotes words borrowed directly from Chinese, it also refers to words created in Japan that are written in Chinese characters. Thus, it is critical to establish a clear distinction between Chinese characters broadly defined [kanji 漢字] and words of Chinese origin [kango 漢語]. The former are an integral part of written Japanese, and can be used to represent native Japanese words (e.g., yama 山 for “mountain”) as well as words of Chinese origin (e.g., mikan 蜜柑for “mandarin orange”). Critically, the latter encompasses words created from Chinese characters but are not necessarily limited in their usage to the Chinese linguistic context. Such SWC were in heavy circulation throughout the Meiji period (1868-1912). Indeed, SWC appear as headwords in many Meiji period dictionaries specializing in words of Chinese origin [kango jisho 漢語辞書].

  While these SWC were used as independent semantic clusters, they were also used as tools to explain and define the more familiar pattern of two character words of Chinese origin [niji kango 二字漢語]. For example, in one text an SWC is used in a definition of the Chinese-derived phrase

“power and influence” 權勢 (Ch. quánshì; Jp. kensei), namely, “power [ken 權] and influence [izei 威勢].” In this study, I examine the 1875 A Translation and Explication of An Unofficial History of Japan [Nihon gaishi yakkai 日本外史訳解], a text itself examining and providing commentary to Rai San’y ō’s twenty-two volume An Unofficial History of Japan [Nihon gaishi 日本外史, comp.

1827]. By examining this text, it becomes clear that here, too, SWC are used to clarify, define, and provide commentary on words of Chinese origin in a manner similar to dictionaries specializing in words of Chinese origin.

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