戦後和解をめぐって
著者 竹尾 茂樹
雑誌名 PRIME = プライム
号 31
ページ 1‑4
発行年 2010‑03
URL http://hdl.handle.net/10723/1005
2009年1月のオバマ政権の成立下で、米核戦略 の 根 幹 と な る べ き「 核 体 制 見 直 し 」
(Nuclear
Posture Review)
が進められている。議論の先駆けとして、2007年1月に『ウォールストリート・
ジャーナル』誌で
H.
キッシンジャー、G.
シュル ツ、W.
アム・ペリー、S.
ナンの共同執筆による「核兵器のない世界」と題する文章が発表されて、
米国内における核全廃論がかつて核抑止論をじっ さいに推進してきた現実主義者を含む超党派とし ての主張として浮上してきたことがあった。オバ マ外交チームは選挙戦のはじめからこの主張を取 り入れ、政権発足後も核全廃論を米国の政策目標 として掲げており、国連をはじめとする国際機関 の役割を重視した多国間外交や気候変動問題への 取組みなどとともに、就任1年にみたない大統領 はノーベル平和賞を受賞した。十分に成果が出て いない受賞をめぐって賛否両論があったが、ノー ベル賞委員会の選考理由は地球規模で取組むべき 諸課題を提示、平和を作ろうとする新大統領の試 みを応援するためという。
しかしじっさいに核兵器を廃絶する道のりは容 易ではない。5つの核保有国に先駆けてまず最大 の 保 有 国 た る 米 国 が 包 括 的 核 実 験 禁 止 条 約
(
CTBT
)を批准すること、戦略核兵器削減条約(
START
)の更新、核燃料サイクルの国際的リスク管理システムの構築などは、核兵器の削減と管 理、さらに廃止への道筋であろうが、容易には越
えられない関門であり、国際社会の理解なしには 実現されえないだろう。一方で、米政権は世界に 核兵器が存在する間は「力強い抑止力を維持す る」というダブル・コミットメントを同時に追求 していることも忘れてはならない。米国のこうし た核戦略は日米関係にも大きな影を落としてき た。
1969年沖縄返還交渉時に「有事の際の沖縄への 核再持ち込み」の密約が佐藤栄作首相とニクソン 米大統領(いずれも当時)による日米首脳会談に おいて交わされていたことが2010年3月に外務省 の有識者調査委員会で明らかにされた(1)。「核抜 き・本土並み」の本土返還や非核三原則という説 明は、当初から骨抜きにされておりその約定は歴 代政権に申し送りされて来た。核搭載の米艦船が 日本に寄港する場合、日米安全保障条約は事前協 議を義務づけているが、米側は一時寄港について は対象にならないという立場をとった。日本政府 は国会答弁などで「事前協議の対象になる」と説 明し、じっさいに米艦船が寄港した際には、米側 から事前協議の提起がないから核搭載はないはず だという説明をくりかえしてきたのである。米側 からは自分たちの解釈の立場を説明している(2)。 このような日米間の核持ち込みの「密約」の存 在は、じつは世上に喧伝されて来たことでもあ る。佐藤栄作の特使を務めた国際政治学者の若泉 巻頭言
戦後和解をめぐって
竹 尾 茂 樹
(PRIME 所長)
巻頭言
敬は1994年に自著の中で緊急時には沖縄に核兵器 の持ち込みを認める密約があったことを明確に証 言している(3)。核兵器の持ち込みを歴代の政権 は黙許し、国民もそれを明確に意識しないまでも 追認してきたと言われても仕方ないだろう。これ はアメリカの「核の傘」の下に入ることで、東ア ジアの相対的な安定を手に入れようという必要悪 なのだろうか?自民党の長期政権から民主党の新 政権へと変わったことによって政治の決定過程の 透明性は増したとは言えるだろう。しかし逆に官 僚や政治家などのプロ集団に一義的にはゆだねら れることの多かった政治過程に対して、市民の判 断がより多く求められるとも言える。メディアを 通じて提示される多くの情報のなかから、民衆の 人気取り(ポピュリズム)に傾斜していない政策 や提言を選び取る見識と責任が問われるだろう。
一例をあげると、沖縄返還が終わるまで戦後は終 わらない、と佐藤栄作首相(当時)は言ったが、
はたして先の戦争の清算を十分になしえているの か、という疑念は今にいたってもつねにつきまと うものだ。来るべき戦争の準備に、われわれは知 らず知らず刻々と加担しているのではないか…。
こうした現代の状況において、戦争と平和の問題 にどのように向き合うことができるのか。
このような関心をもって、今号の特集テーマは
「東アジアにおける戦争和解:戦争は『おわった』
のか?」とした。掲載の論文は荻野富士夫「『来 るべき戦争遂行の準備』に抗するために─治安維 持法の悪法性の視点から─」、石田隆至「寛大さ への応答から戦争責任へ─ある元日本軍兵士の
『終わりなき認罪』をめぐって─」、渡辺祐子・張 宏波・荒井英子「日本のキリスト教と植民地伝 道:旧満州『熱河宣教』の語られ方」秋月望「朝 鮮植民地支配を戦後日本はどう見てきたか」の4 本、これに加えて「座談会:明治学院大学の戦争 責任への取り組みと平和教育をめぐって」を収録 している。通底するのは、アジアにおける日本の
戦争とその継承のあり方についての考察である点 だ。荻野氏の論文は、表題の示すように、戦争を 挙行する社会の体制をいかに準備したかを俎上に あげている。悪名高い治安維持法の適用はいかな るものであったのか。施行当初は慎重な運用が図 られていたものが、しだいに適用範囲を広げ、さ らに改正によって政府に批判的な個人や集団を予 備的な措置として検挙、拷問を含む違法的な取り 調べ、極端な裁判手続きの簡略化などが行われる にいたった過程を分析した。さらに満州や朝鮮な どの植民地において一層きびしく適用されたこ と、それが戦後に至っても「戦前の特殊な社会情 勢下に」おけるやむを得ない措置であったと、免 罪する言説がまかり通っていることを明らかにし ている。そして社会の治安の維持の名目で、言論 の自由や反政府的な批判を封じようという動きは きわめて今日的なものでもあることを指摘してい る。
石田氏の論文、渡辺・張・荒井三氏の共同執筆 による論文はいずれも中国における日本人兵士 や、キリスト教の宣教に関わった日本人の経験を 検証するものである。石田氏の論考は
PRIME
30 号掲載の石田隆至・張宏波「加害の語りと日中戦 後和解─加害者が受け入れる反省とは何か─」と いう論文を引き継ぐものである。中国で戦犯とし て収容され、しだいに加害者としての意識を持つ にいたり、帰国後にも証言をつづける「中国帰還 者連絡会」の元兵士への聴取りによって、その困 難な道のりをていねいに後追いしている。「認罪」の過程は個人の精神の歴史としても容易なもので はなく、さらに戦後の日本社会において彼らの営 みは必ずしも政府や社会から歓迎されるものでは なかった。石田・張両氏は、調査の結果を別のし かたで還元する試みも行っている。すなわち「東 アジアの『過去』と『現在』を見つめ直し平和を 語るカフェ」を4回開催、1回は明治学院と戦争 の関わりについて、2回は中国帰還者を招いてそ
の体験を証言してもらった。元日本軍兵士による 中国戦線における熾烈な体験の語りを前にして、
若い聴講者はまず言葉を失ったが、しだいにその 歴史的な意味を考える思いに誘われたように思わ れた。
張・渡辺・荒井氏は、植民地下の中国にキリス ト教の伝道に向かった日本人の聖職者が同時に進 行していた抗日戦における過酷な展開(三光作 戦)をいかに見たか、あるいは見なかったかにつ いて、その意味を問い直している。その手法は伝 道者の手記の分析から、伝道を受け入れた中国人 への聴取りなど共同研究の強みを生かして多角的 である。しだいに明らかになるのは、伝道者たち がその対象たる人々の現に受けている被害につい てほとんど目と口を閉ざしていることである。そ れは殉教も厭わずに伝道を成し遂げようと困難に 立ち向かった熱意と好対照を見せている。一方に 国策としての植民地経営の抑圧的現実があり、他 方にはキリスト教の説く普遍的な人道主義を広め ようという理想主義がある。しかしそれが矛盾な く併存していることは、どのように可能であった のだろう。このことを突き詰めて考えて行くプロ セスは、今日において平和を構築しようとする多 くの試みが、現実主義とのはざまで遭遇する困難 をどのように解いて行くかについての示唆を与え るもののように思われる。
「座談会:明治学院大学の戦争責任への取り組 みと平和教育をめぐって」は、明治学院と戦争の 関わりについて石田隆至・張宏波両氏が「東アジ アの『過去』と『現在』を見つめ直し平和を語る カフェ」で取り上げたことはすでに述べた。1989 年の昭和天皇死去に際して大学はどのような態度 をとるかという問題があった。また戦争中のキリ スト教徒の翼賛体制支持について、学院も大きく 関わった経緯があり、その位置づけと清算の試み を1995年に行おうとした。これらはすでに歴史の 中において語られることだろうか。現在とのつな
がりを生き生きと更新し続けることは可能だろう か…二つの「事件」の当事者の参加を得て、こう した経験の新たな意味づけを試みた。この明治学 院の歴史の中にも、平和を構想する多くの材料が 残されていることにあらためて気づかされた。学 院から学徒出陣して特攻隊員として与那国島海上 で戦死した長谷川信の残した明晰な戦争批判のこ とば(4)、あるいは昭和天皇の戦争責任をけっし てその死によって免罪しないことを大学という学 問と教育の機関として明言したことなどがそうし た財産であろう。また同じ組織が戦争に加担する という危うさを内包してもいること、不断にそれ を意識化し、かつ試み続けなければならないこと を学院の先人は身をもって明瞭なメッセージとし て残している。これらの歴史は、学院の大きな実 りである。と同時にその精神をいかに現在につな いで行くかについて、我われのあり方があらため て問われていることを忘れる訳にはゆかないだろ う。
註
(1)
http://mainichi.jp/select/seiji/etc/
20100309/
(2)1963年4月
E.
ライシャワー大使・大平正 芳外相会談、1981年5月18日付ライシャ ワー元大使への毎日新聞のインタビューな ど(3)若泉敬『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス──
核密約の真実』(1994、文藝春秋)
(4)「人間の獣性というか、そんなものの深く 深く人間性の中に根を張っていることをし みじみと思う。人間は、人間がこの世を 創った時以来、少しも進歩していないの だ。今次の戦争には、もはや正義云々の問 題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あ るのみだ。敵対しあう民族は各々その滅亡 まで戦をやめることはないであろう。怖ろ しきかな、あさましきかな、人類よ、猿の