当番兵は裁断師
私達の当番兵は O と言う二等兵であった︒入隊前の職業は洋服の裁断師で私が B 収容所に着
いて︑初めて O にあった時に︑彼は私の着ている夏の将校服の上衣を見て︑将校服も粗末なも
のになりましたねと一言った︒私達は既製の将校服を着ていたのである︒昔の将校は身体にあわ
せた注文仕立ての軍服を着ていたので身体にぴったりあって格好が良かったらしい︒一屑には真
その部分を軍服の一畏から菊の花弁状に縫い︑敵から万で切られでも︑軍服が容易に
切られないような作りになっていたそうだ︒それでベラペラの夏服を着た私を見たら︑からかっ 綿
を 入
れ ︑
てみたくもなったのであろう︒
サ マ
が ︑
さいころ
彼はなかなか如才のない男で︑私に色々なことを教えてくれた︒花札賭博や般子博打のイカ
どのように行われるかも︑彼から聞いて私は初めて知った︒どんな場所でそのような
博打はするのかと私が尋ねたら︑警官などが来るのがよく見える野原の中の一軒家でするのだ
と言っていた︒なる程︑理屈にあっている︒うまい場所を選ぶもんだと私は感心した︒
聞くと︑彼は地方では背広や将校服やモーニングなど様々な洋服を作っていたらしい︒製作
技術が分からない時は︑優秀な腕を持っている洋服庖に住み込み製作技術を盗んでくるのだそ
うだ︒将校用の乗馬ズボンを作るのが上手な洋服屋があって︑彼はそしらぬ顔をしてそこに住
み込みノウハウを覚えたこともあると言っていた︒ モーニングを上手に作る庖が横浜にあって
そのコツはモーニングの尻の部分にアイロンを如何に巧くかけるかということにあると彼は
一 言
っ て
い た
︒
洋服を作らせる時は︑値切ってはいけませんよと彼は言った︒
で︑(例えば裏に使う布地を安物ですますとか)結局は損をすることになると話してくれた︒
副官 Q 中尉の軍服の右肩の辺が少し︑引きつっているのを見て︑彼は Q 中尉に﹁肩がこるで
しょう﹂といったら︑﹁右肩がこる﹂との返事だったそうだ︒洋服で一屑がこるということを私は
初めて知った︒彼は洋服を注文され︑余り値切られて腹が立った時に︑意地悪をしようと思え
ば︑裏の布地を斜めにして洋服を縫い︑雨に一回会って濡れただけで︑洋服が縮んで︑二度と
着ることが出来ないようにすることも出来ると言った︒ いくらでも手抜きが出来るの
股下がキチンとなるようにと︑ ある時︑新京のさる婦人からスラックスを作るように頼まれたが︑この婦人が口やかましく︑
ひどくしつこく言うので︑股に食い込むようにキツチリ仕立て
たら︑股にあんまりピッタリとフィットして具合が悪いと言われたと笑っていた︒
彼は一人で洋服屋のような辛気くさい仕事をしても玲が明かないと考え︑洋服工場をはじめ
たと言った︒将校服を大量に作る軍服工場を作ったわけである︒陵軍の将校養成学校が新京に
は沢山あったので︑そこの卒業生の軍服の製作を引き受けることにしたのである︒
陸軍は一人当たり︑軍服の布地が幅一・四メートルなら︑六メートル必要であると決まって
いる︒(正確な数字は知らないが仮にそうとする)五
OO
人卒業するとすれば三
0 0 0
の布地が彼の工場に持ち込まれることになる︒彼は本職が裁断師であるから︑巧くやりくりし
て︑布地を浮かせば︑相当の長さの布地が余分に出てくる︒彼はそれを閣に流して儲けたのだ
と 一 す 一 口 ﹀ つ ︒﹁よく警察に捕まらなかったなあ﹂と私が言ったら︑閣の洋服生地を乗せて走るトラックには
助手席に警察官を乗せるのだそうだ︒巧く考えてたものだ︒
困 っ
た の
は ︑
工場でミシンの針がよく折れることだったらしい︒それで七日間︑針を折らな
かった職工に報奨金を出すようにしたら︑針の折損率が減ったと話していた︒
彼には身勝手なところがあった︒医官室で彼と一緒に暮らしていて︑何時も割りを食うのは
私であった︒夜︑二段ベッドの上段に私が寝ていると寒くて眠れないので︑ O と話して交替し
て︑私が下段に寝て︑ O を上段に寝させると︑今度は私が暖か過ぎて眠れないのである︒何度
交替しても︑上段に私が寝れば寒いし︑下段に寝れば暖か過ぎるのには変わりがない︒どうし
てだろうと︑私は環境衛生学的な素朴な質問に遭遇し︑それを解決しなければならなくなった︒
答えは簡単であった︒ O が自分が下段に寝るか︑上段に寝るかで︑ペーチカの火加減を変えて
いたのである︒どうしたら︑ O を当番兵から外すことが出来るかと考えていたら︑ソ連の縫製
工場が五名の縫製経験者を募り︑ O がその隊長となって行くことになり︑この問題にも決着が
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