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ロバート・B. ライシュ 『SAVING CAPITALISM ─最後の資本主義─』を読む

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1.問題の限定

 ロバート・B.ライシュは,ビル・クリントン大統領のもとで労働長官 を,また,バラク・オバマ大統領のもとでアドバイザーを務めた,アメリ カの良心的知識人として知られる。現在は,カリフォルニア大学バークレ ー校公共政策大学院教授の職にある。著書は14冊を数えるとのことである が,雨宮寛・今井章子訳『暴走する資本主義』(東洋経済新報社,2008年) 同『余震─そして中間層がいなくなる─』(同上,2011年),同『格差と民 主主義』(同上,2014年)など,日本語訳も多い。

 筆者も,かつて,拙著『21世紀型世界経済危機と金融政策』(新日本出版 社,2013年)のなかで,2011年の「ウォール街を占拠せよ」運動の可能性 を予測したものとして,『余震』(原著の出版は2010年である)から,次の説

59 2017

ロバート・ B . ライシュ

『 SAVING CAPITALISM

─最後の資本主義─』を読む

建 部 正 義

   目   次 1.問題の限定

2.これはもう新自由主義型国家独占資本主義論の展開である 3.ケインズ型国家資本主義論をめぐって

4.グローバル資本主義の位置づけ 5.拮抗力の復活への期待

(2)

明を引用しておいた。「CEOたちも,国民のかつてない怒りを知ることに なる。これまで,彼らは国民の怒りから遠く守られていた。人々の憤怒 は,彼らが住むゲーテッド・コミュニティや保養地,オフィスパークや警 備の行き届いたオフィスビルまで流れ込んでくることはなかったからだ。

しかしそれほど遠くない未来のある時点で,人々の怒りがどっと流れ込ん でくることになるだろう。今後はCEOたちも,厄介で面倒なことに巻き 込まれることが多くなるだろう(彼らのリムジン車にわざと傷をつけられたり,

怒った人々がパーク・アベニューやウォール街のオフィス街に現れるなど)」。く わえて,拙稿「国家独占資本主義の現段階」(鶴田満彦・長島誠一編『マルク ス経済学と現代資本主義』桜井書店,2015年,所収)のなかで,1980年代以降 のアメリカにおける貧富の格差の拡大と中間層の解体の現実を剔抉したも のとして,『格差と民主主義』から,次の説明を引用しておいた。「1960

〜70年代には,米国の富裕上位1%の人々が手にする所得総額は,GDP の9ないし10%であった。それが大不況前の2007年には倍増して,23.5%

になった。しかもその間に,上位1%の人々のなかでも,さらに最富裕の トップ10%の人々が手にする所得は3倍に膨れ上がった。……富裕上位 400人だけで,下半分の所得階層にあたる1億5000万人の勤労所得をすべ て合算したよりも,さらに多くの富を手中にしているのである。一方,標 準的な勤労者の年間賃金の伸びは鈍化しており,この30年間で(物価上昇 分を差し引くと)280ドルしか上昇していない。つまり一世紀の三分の一以 上の時間をかけて,1%の伸びすら実現していないのである。2001年以降 は,実質賃金の中央値も下落し続けている」。

 そこに,新たに『最後の資本主義』(同上,2016年)の登場である。率直 なところ,筆者は,この著書の記述に驚かされた。その理由は,以下のと おりである。

 ライシュは,「はじめに」において,本書の問題意識を次のように整理

(3)

する。

 この四半世紀,私は自分の著作や講義を通じて,米国などの先進国 に暮らす普通の人々がしっかりと足場を固めることができないまま,

募る経済的ストレスにさらされているのはなぜかということについて 解き明かしてきた。単純に言えば,グローバル化と技術革新が多くの 人々から競争力を奪ってしまったことが原因だ。我々がやってきた仕 事を,今や海外の低賃金労働者やコンピュータ制御の機械が,もっと 安価にこなしてしまうからなのだ。

 私の解決策は(これを唱えているのはほとんど私だけなのだが),政府を もっと活動家型にすることであった。つまり富裕層へ増税して,その カネを優秀な教育機関など人々を前進させるための手段に回したり,

貧困層に再分配したりするのである。しかし,こうした私の提言は,

政府をもっと小さくしたり税金や給付金をもっと少なくすれば,経済 は一人ひとりにとってよりうまく機能するはずだと思い込んでいる 人々からは,きっぱりと否定され続けている。

 私が唱えてきた対応策は今でも有効ではあるものの,私はしだい に,それだけでは決定的に重要な現象を見落としていると考えるよう になった。それは,政治的権力が企業や金融セクターのエリートたち により集中するようになり,経済を動かすルールにまで影響を与える ようになっていることである。そして私が唱えてきた政府による解決 策は(私は今でも使えると思っているが)ある意味では的外れなものに なってしまった。なぜならそこに,経済ルールを規定するという政府 の基本的な役割を組み込んでいなかったからだ。しかも悪いことに,

そうなると〔この問題から目をそらすと〕論点が「自由経済の美点」

対「活動家型の政府」の是非に陥り,いくつかの重要な論点,たとえ

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ば,現在の市場が半世紀前の市場に比べどれだけ異質なものになって しまったか,なぜ50年前にはうまく分配できていた繁栄が,現代の仕 組みでは広く共有できなくなるのか,さらには,市場の基本的なルー ルとはどうあるべきかといった論点から人々の目がそらされてしまっ たのである。

 私はしだいに,そんなふうに目をそらされたのは決して偶然ではな いと思うようになった。大企業の重役や彼らを取り巻く弁護士やロビ イスト,金融業界やそれに群がる政治家,百万長者,億万長者たちな ど,「自由市場」を声高に擁護する者たちは,何年もかけて自分たち を利するようせっせと市場を再構築し,そうしたことが問題にされな いことを望んできたのである。

 ここで,「決定的に重要な現象」とされている,「政治的権力が企業や金 融セクターのエリートたちにより集中するようになり,経済を動かすルー ルにまで影響を与えるようになっている」,という内容を仔細に検討して みるならば,じつは,表現は異なるが,筆者の言う,「ケインズ型国家独 占資本主義」からの「新自由主義型国家独占資本主義」への移行という主 張に重なることを確認することができる。

 こうして,本稿の課題は,この側面を解明する点に求められるであろ う。

2.これはもう新自由主義型国家独占資本主義論の展開である

 筆者は,資本主義の現局面を,ケインズ型国家資本主義からの新自由主 義型国家資本主義への移行のそれとして捉える。『21世紀型世界経済危機 と金融政策』のなかで,その特徴を以下のように整理しておいた。

 転換点は,スタグフレーションであった。というのは,スタグフレーシ

(5)

ョンは,ケインズ型国家独占資本主義が目指した不況かインフレかの選択 ではなく,不況とインフレとの併存状態を招来したからである。1970年代 後半以降,スタグフレーションと財政赤字の累積という事実に直面して,

「ケインズ革命」(新古典派経済学からケインズ経済学へ)にたいする「反革 命」(ケインズ経済学からふたたび新古典派経済学へ)が試みられ,経済学的に はミルトン・フリードマンなどのマネタリズムが,思想的・政策的には市 場原理主義ないし新自由主義的政策が,ケインズ経済学・ケインズ主義・

ケインズ主義的政策に代位することになった。

 問題は,市場原理主義と国家独占資本主義との関係をどのように位置づ けるかという点にかかわっている。はたして,市場原理主義は,その語感 が示すように,国家ならびに国家独占資本主義とは無縁な存在なのであろ うか。そんなことはありえない。筆者によれば,新自由主義的政策は,ケ インズ主義的政策と同様に,否,それどころか,後者以上に国家ならびに 国家独占資本主義と癒着的である。つまり,独占資本は,ケインズ主義的 政策タイプであれ,新自由主義的政策タイプであれ,国家を最大限に利用 しつくさずにはおかないというわけである。アダム・スミスに代表される 古典的な自由主義は,国防・司法・警察・公共事業の分野を除いて,国家 を利用しようとは考えなかった。近代的な自由主義は,それだけ堕落した ということであろうか。あるいは,現代資本主義は,ケインズ型であれ,

新自由主義型であれ,国家の支援なしでは存続を保障されないということ であろうか。おそらく,その両方が正解ということになるのであろう。

 新自由主義型国家独占資本主義とは,ケインズ型国家独占資本主義がそ の限界に直面するなかで,独占資本が,国家の全面的な協力のもとに,社 会福祉政策の見直し,労働組合の切り崩し,各種の規制緩和,国有企業の 民営化などの手段をつうじて,労働者と国民の犠牲のもとに,資本蓄積体 (したがって,利潤極大化システム)の危機を根底から打開しようとする,

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ほかならぬ国家独占資本主義の枠組みのもとでの試行・巻き返しであり,

そのかぎりでは,それは,国家独占資本主義という局面(その基礎には自由 資本主義段階に対立する独占資本主義段階という資本主義の段階規定が厳存する)

のなかでの一小局面を形成するものにすぎない。そして,ここで,なぜ,

国家が正面に出てこざるをえないのかといえば,社会福祉政策の見直し

──わが国の橋本政権による社会保障制度の見直しを想起されたい──に ついても,労働組合の切り崩し──イギリスのサッチャー政権による炭鉱 労働組合およびアメリカのレーガン政権による航空管制官組合の切り崩し を想起されたい──についても,各種の規制緩和──クリントン政権のグ ラス・スティーガル法の規制緩和を想起されたい──,国有企業の民営化

──中曽根政権による国鉄の民営化および小泉内閣による郵政事業の民営 化を想起されたい──についても,法律の改正を含めて,国家の強力なリ ーダーシップなしに,独占資本の新たな利害に合致する方向でこれを実現 することは,独占資本といえども事実上不可能に近いことがらだからであ る。他方,独占資本や国家の側でも,折からのグローバリゼーション(こ の推進者もまた新自由主義的潮流に乗じた独占資本であった)の進展のなかで,

労働者や国民の意向に抗しつつ,国際競争力の維持・強化というスローガ ンのもとに,こうした施策を強行する口実を見出すことが可能になった。

 なお,ケインズ型国家資本主義からの新自由主義型国家独占資本主義へ の移行時期は,サッチャー政権・レーガン政権・中曽根政権が相次いで成 立した1980年代前半と考えることができるであろう。

 以上である。

 これにたいして,ライシュは,たとえば,『最後の資本主義』の第16章

「ここまでのまとめ」なかで,次のように言及する。

 永遠かと思える長い間,米国(と資本主義世界のほとんど)の政治の

(7)

世界で議論の中核をなしていたのは,「自由市場」か「政府」かとい う見せかけの選択だった。だがこの論争からは一つの大きな現実,す なわち,市場を設計し,構築し,機能させるという政府が本来担って いる役割が見過ごされている。そのせいで,立法や行政や司法がこれ らの基本的な仕事を遂行する際に取りうる多種多様な選択肢が見えに くくなっているのである。

 「自由市場」か「政府」かという従来の論争においては,政府が取 るべきこれらの選択肢を無視しているため,そうした選択がどう決め られ,その選択に対し大企業や金融業界や個人資産家の影響力がどう 拡大しているのかという点から,人々の注目がそらされている。最富 裕層にいる人々が経済力を獲得するにつれ,ゲームの基本的なルール に対する彼らの政治的影響力も拡大してきた。そしてそれによってさ らに経済力が増すのである。最も声高に「自由市場」を称賛する人々 の多くは,この隠されたプロセスから最大の利益を享受している。彼 らは,経済がどう動いているかについての人々の認識から「権力」の 存在を消すことでみずからの姿をも都合よく消し去っているのであ る。

 大企業や金融業界,個人資産家たちは,市場創出と市場規制に関す るあらゆる意思決定にさまざまな影響力を及ぼす。例えば政治献金 や,支持する候補者の選挙戦や,対立候補に対抗するキャンペーンに 寄付したりする。あるいは,官僚にロビー会社や大手金融機関の高給 ポストへの回転ドアを提供したり,退職後の天下り先を示唆したりす ることもある。有給の専門家からなる「シンクタンク」やPR活動に よって,特定の政策が人々にとって有利であると確信させたり,高い 報酬で雇われたロビイストや弁護士が集団となって議会や行政審判や 裁判所を圧倒することもある。検察官や裁判官であっても影響は受け

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ないとは言い切れない。

 これらすべてを煙に巻いているのが「自由市場」だ。この言葉のた めに,経済的利益を分配するシステムが,あたかも中立的な力によっ て生じた自然で必然的な結果であるような印象を与えている。

 また,第9章「まとめ──市場メカニズム全般」のなかで,次のように 言及する。

 私的所有,独占への制限,契約,不履行に対処するための破産など の手段,ルールの執行といった事柄は,いかなる市場にも必須の構成 要素だ。資本主義と自由企業体制にはこれらが必要なのだ。だがこの 要素の一つひとつを,多くの人々ではなく,ひと握りの人々を利する ように捻じ曲げることも可能である。これら五つの要素はいずれも,

国会議員や官庁の長や裁判官による広範に及ぶ各種の決定によって機 能する。立法府も行政も裁判所も決断しなければならないのだ。

 では何がその決断を導くのだろう。

 しかしここ数十年,実際の決断は,巨大企業や大銀行や自分の主張 を聞かせるための十分な資産を持った個人投資家たちからの偏った影 響を受け,密室で行われている。彼らの資金は,ロビイスト,選挙資 金,PR活動,専門家や研究者の軍団,弁護士部隊,将来の転職先の 密約に使われる。

 直接的で素早く効果が出るのは議員に対する資金提供である。選挙 で選ばれる判事や検事総長に対してもそうだ。法を制定し執行する立 場にある政治任用の公務員にも,直接的ではないが,効き目はある

(過去には,自分を指名した大統領とは意見を異とする最高裁判事もいたが,

近年はほぼ予想どおりの党派性を帯びている)

(9)

 こうして,物事を取り決めるメカニズムが悪循環を生み出し,自律 的にそれを持続させてしまう。経済的支配力が,政治的権力を増大さ せ,政治的権力がさらに経済的支配力を拡大させる。大企業と富裕層 が市場を構築する政治の仕組みに影響を与え,彼らがその政治的決定 によって最も恩恵を受けるという状況は加速するばかりだ。こうして 彼らの富は増強され,その富によってますます,将来発生する決断事 項への影響力を得ていくのである。

 さらに,第10章「能力主義という神話」のなかで,次のように言及す る。

 1980年代初めから,大企業とその重役たち,ウォール街の金融機関 や富裕層の人々は市場の機能や役割に対して不相応なまでに強い影響 力を行使してきた。その結果,資本主義に不可欠なさまざまな要素が 資本を所有する者たち(企業とその株主や重役たち,ウォール街のトレー ダーやヘッジファンド・マネジャー,プライベートエクイティ・マネジャー)

に有利に働き,平均的な労働者には不利に働くようになった。

 くわえて,第3章「自由と権力」のなかで,次のように言及する。

 所得と富がトップ層に集中するにつれ,政治的権力もそこにシフト していった。カネと権力とは分かちがたく密接に連動し,その権力が 市場メカニズムに影響力を持つようになった。市場の見えざる手は,

裕福で筋骨たくましい腕へとつながっているのだ。

 合理的で不変な「自由市場」を熱く支持し,政府の「介入」に反対 するような人ほど,市場メカニズムに過度な影響力を持っているとい

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うのは,おそらく偶然ではない。彼らは「自由企業」を擁護し,「自 由市場」を「自由気まま」と解釈して,ひそかにゲームのルールを都 合よく変えている。権力の不均衡がますます広がって,大部分の人々 の自由を蝕み始めていることに気づきもせずに,「自由」を絶賛して いるのである。

 これぐらいで十分であろう。ここには,現代資本主義の支配者としての 独占資本ないし独占資本家,その国家との融合・癒着,巨大企業・大銀 行・国家の腐朽性といった,「新自由主義型国家独占資本主義」の特徴が,

そうした用語をいっさい使用することなしに,アメリカの実状に即するか たちで,平易に説明されている。しかし,これは,まぎれもなく,筆者が 言う「新自由主義型国家独占資本主義」の分析内容と重なるものである。

その意味で,ライシュは無意識のうちに「新自由主義型国家独占資本主 義」の本質の暴露役を果たしているのだ,とみなすことも可能である。

 つまり,いまでは,「自由市場」と「政府」とが融合・癒着してしまっ たのであるから,「自由市場」か「政府」かという二者択一的な見せかけ の選択の議論ももはや不毛なものになりはてたというわけである。

 ちなみに,こうしたライシュの説明は,エマニュエル・トッド『「ドイ ツ帝国」が世界を破滅させる』(文春新書,2015年)の第7章「富裕層に仕 える国家」に見られる,以下のような主張とも整合的である。「国家とは 何かということについては,その両義性〔国民性と階級性〕を認め,マル キシズムの理に叶った部分に依拠しなければ,現在起こっていることは理 解できません」,「今日,国家はその主要な性格から見て,何よりもまず階 級国家です。金融資本主義が改めて諸国家をコントロールするようになっ ています」,「本質的な問題は,市場自体の問題ではありません。寡頭支配 層こそが,そして寡頭支配層が国家との間に持っている関係こそが本当の

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問題です。したがって,この寡頭支配層を特定し,その構造,その生活様 式,その構成を分析する必要があるのです」,「国家は無力ではない。しか し,寡頭支配層に仕えている。これが現代の真実なのです」。

 さて,本節を終えるにあたり,もう一つの論点を補足しておきたい。そ れは,第13章「弱まる中間層の交渉力」のなかに,次の記述が存在するこ とである。すなわち,「ロナルド・レーガン大統領がストライキを決行し ようとした国家航空管制官を大量解雇した悪名高い出来事……は,米国の 労使関係が新しい時代に入ったことを大企業の経営者たちに知らしめるこ ととなった」,と。

3.ケインズ型国家資本主義論をめぐって

 ライシュが,『最後の資本主義』において,従来の見解を変更したのは,

筆者の言う「新自由主義型国家独占資本主義」の時期に限られたことであ り,それ以前の時期については,見解を変更したわけではない。はたし て,ライシュは,それ以前の時期についても,筆者の言う「ケインズ型国 家独占資本主義」という見地と同じ立場にたっていたとみなすことができ るのであろうか。

 その課題を検討する前に,まず,この点をめぐるライシュの見解の整理 という側面から接近を試みることにしよう。

 ライシュは,『余震』の第3章「あるべき取引」なかで,ケインズ理論 の性格を以下のように理解する。

 ジョン・メイナード・ケインズは1883年に英国ケンブリッジで生ま れたが,この年はカール・マルクスが世を去った年でもある。奇遇に も,ケインズの著作は資本主義を自滅から守ることに貢献し,後のマ ルクス主義の台頭を阻止することにも大きく寄与した。大恐慌の深み

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に突き落とされ,多くの人々が資本主義の存続に疑問を抱いていた 頃,ケインズは,資本主義は文明化した経済社会を構築するための古 今最良のシステムであると明言した。その一方で,二つの欠陥をも認 識しており,「一つは完全雇用が実現できないこと,もう一つは,富 と所得の分配が恣意的に不平等に行われること」であった。ケインズ は,これらの欠陥が是正されない限り,資本主義は非常に不安定であ り,好況の後にしばしば壊滅的な破たんが発生すると論じた。そし て,政府がこれらの欠陥の是正につとめれば,将来世代は安定的で繁 栄した世界を受け継ぐことができるとケインズは確信していた。

 古典派経済学者は市場が自動調整機能を備えていると考え,最終的 には完全雇用が常に実現すると考えていた。失業の発生が賃金低下を 招き,賃金が十分に低下すれば経営者は再び労働者を雇い入れるよう になるという見方である。しかしこれでは,慢性的な失業は,賃金引 き下げに対する労働者の頑強な抵抗によって引き起こされるというこ とになる。労働者たちが以前の賃金水準に見合う働きもしていないの に,その水準に固執するというのだ。だからその唯一の解決策は彼ら に十分長く失業を経験させ,それにより低水準の賃金を受け入れさせ ることだというわけだ。この見方は当時有力であった社会ダーウィニ ズムに合致していた。すなわち,適応に成功した者のみが生き残り,

適応できない者を救うことは社会全体に悪影響を与えるという主張で ある。1929年の株価暴落の後,ハーバート・フーバー政権の財務長官 を務めていた産業界の富豪アンドリュー・メロンは,社会ダーウィニ ズムに立脚して,政府の動きをけん制した。「労働力,在庫,農民,

それに不動産を流動化させるのだ。こうやって経済システムのうみを 出し切るのだ。人々は懸命に働くようになり,もっと道徳的な生活を 送るようになるであろう」。これもまたエクルズ〔大恐慌時の金融界

(13)

の大物〕がばかばかしいと思う言い草であった。エクルズに言わせれ ば,権力者たちは怪しげな道徳論を持ち出して,現状維持をもくろん でいるだけであった。

 エクルズ同様,ケインズも失業を道徳的欠陥によるものとは考えな かった。彼は需要の不足が原因であり,それは一般労働者の購買力が 彼らの生産物を買えるほど大きくないことに起因すると考えた。ケイ ンズはこの考えを基礎に,完全雇用を維持するためにマクロ経済政策 を発動するという大胆な提案を行った。彼は,金融当局は貨幣供給を 拡大することによりさまざまな金利を恒久的に引き下げて,消費者や 企業による借り入れを促進すべきであり,政府は消費者需要の不足を 補うため財政支出を拡大し,それにより雇用機会を増やすべきである と唱えた。

 ケインズは経済成長の恩恵の広がりにも注目した。彼は富裕層によ る貯蓄と投資の促進が成長のカギを握ると考えていた。しかし,完全 雇用に達しない限り,貯蓄の増加は助けにならず,むしろもろもろの 財とサービスへの需要を減退させる有害なものだと考えた。問題の核 心は,過少な貯蓄ではなく,一国経済が生産する財とサービスに対し て需要が少なすぎることなのである。この論理からケインズは「消費 性向を高めるような所得の再分配を行えば,資本形成に好適な状況と なるだろう」と結論づけた。

 このようにケインズは,エクルズが自身が目撃した状況下で政府が なすべきと考えた内容に理論的裏づけと実際的な根拠を与えたのであ る。すなわち,総需要を維持することにより一国経済の生産能力が国 民全体の購買力を上回る事態を回避し,それにより企業の投資減に歯 止めをかける政策であった。もう一つの柱は,労働者が経済成長によ る富の分け前を相応に享受することができるような,基本的な取引原

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則の実践である。この二つは密接に絡み合う一つの概念だ。基本的な 取引原則が維持されれば,経済全体も均衡する。逆にこの経済原則が 崩れると,政府はその強化に乗り出す必要があり,それをしなければ 経済は縮小してしまう。

 さて,ここでの問題は,ケインズ理論の要点の理解のいかんにかかわら ず,アメリカにおいてケインズ的経済政策が実際に適用されたことがある と考えていたのか否か,もし実際に適用されたとすればそれはいつの時期 であったのか,また,その経済政策ははたして成功裡に機能したと判断さ れるべきなのか否か,そして,これらの質問にたいしてライシュはどのよ うな答えを用意していたのか,という点にかかわっている。

 この問題について,ライシュは,『余震』の第6章「大繁栄時代──

1947〜75年」のなかで,次のように論定する。

 第二次世界大戦後,四半世紀にわたり続いた大繁栄時代は,1930年 代の大恐慌をもたらした時代とは全く異なる経済をつくり出した。政 府は大繁栄時代に「経済の基本取引」を強化したのだ。すなわち,完 全雇用を目指してケインズ政策を採用し,労働者の交渉力を強化し,

社会保障を提供し,公共事業を拡大した。その結果,総所得のうち中 間層の取り分が増える一方,高所得者への分配は減少した。しかし,

興味深いことに,経済自体が順調に拡大したため,高所得層も含めて ほぼすべての国民が恩恵を受けることになったのだ。

 大繁栄時代は,より多くの米国人に,彼らが望む生活を送ることを かつてないほど可能にした。所得の広範な分配が経済成長と両立可能 なことが証明され,そればかりか,広範な分配はむしろ経済成長に不 可欠のことであった。

(15)

 見られるように,ライシュは,アメリカにおいてケインズ的経済政策が 導入されたのは,「大繁栄時代(1947〜75年)」のことであり,それは大成 功を収めたと考える。大成功と呼ぶのは,生産面では経済成長が実現さ れ,それを基礎にして,分配面でも国家・独占資本・労働者のあいだにウ ィンウィンの関係が構築されるにいたったと判断されるからである。

 結論的にいえば,ここでもまた,「ケインズ型国家独占資本主義」とい う概念を使用しているわけではないが,ケインズ政策の採用の含意が,ア メリカの実状に即するかたちで平易に説明されている。それにもかかわら ず,これは,筆者の言う「ケインズ型国家独占資本主義」の分析内容とふ たたび重なるものである。そして,なぜ,筆者が,「国家独占資本主義」

という表現にこだわるのかといえば,国家が資本主義国家である以上,体 制的な危機の克服にあたって,結局のところ,国家は率先して資本主義体 制そのものの存続と資本家の擁護とを至上命題とせざるをえなくなると考 えるからである。

 じっさい,ケインズも『雇用・利子および貨幣の一般理論』(『ケインズ 全集』第7巻,塩野谷祐一訳,東洋経済新報社,1983年)の第24章「一般理論 の導く社会哲学に関する結論的覚書」のなかで,以下のような記述を残し ているほどである。すなわち,「上述の理論はその含意において適度に保 守的である。なぜなら,それは,現在主として個人の創意にゆだねられて いる問題について,ある種の中央統制を確立することがきわめて重要であ ることを指示するが,なお影響されない広い活動の分野が残されているか らである。国家は,一部分は租税機構により,一部分は利子率の決定によ り,そして一部分はおそらく他のいろいろな方法によって,消費性向に対 してそれを誘導するような影響を及ぼさなければならないであろう。さら に,利子率に対する銀行政策の影響は,それ自身では最適投資量を決定す るのに十分ではないように思われる。したがって,私は,投資のやや広範

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な社会化が完全雇用に近い状態を確保する唯一の方法になるだろうと考え る。……しかし,これ以上に,社会の経済生活の大部分を覆うような国家 社会主義の体制を主張する明白な論拠は述べられていない。国家が引き受 けるべき重要な仕事は生産手段の所有ではない」,「したがって,消費性向 と投資誘因とを相互に調整する仕事にともなう政府機能の拡張は,19世紀 の評論家や現代のアメリカの銀行家にとっては個人主義に対する恐るべき 侵害のように見えるかもしれないが,私は逆に,それは現在の経済様式の 全面的な崩壊を回避する唯一の実行可能な手段であると同時に,個人の創 意を効果的に機能させる条件であるとして擁護したい」,と。ここで,「個 人」とは,産業家および銀行家のことを指している。

 現実にも,1989年のベルリンの壁の崩壊とそれに続くソ連・東欧の社会 主義の崩壊という事実が存在しなかったならば,それ以降,「新自由主義 型国家独占資本主義」がこれほどまでわがもの顔に世界を跋扈すること は,おそらく想像さえされえなかった事態であるといえよう。

 また,ライシュは,経済と政治との関係について,『最後の資本主義』

の「はじめに」なかで,次のように論定する。

 問題は経済ではなく政治でもある。この二つの領域は,分離不可能 だ。事実,本書で私が描いてきた領域は従来「政治経済(ポリティカ ル・エコノミー)」と呼ばれ,社会の法則や政治制度が,どのように道 義的な理念,つまり所得と富の公正な分配という中心課題に影響する かを研究してきた。第二次世界大戦後は,ケインズ主義経済の強い影 響を受け,研究の焦点は分配問題から,景気を安定させ貧者を救済す る手段としての政府税制や所得移転の問題へとシフトしていった

(1936年に発表されたジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨 幣の一般理論』は,第二次世界大戦後から1970年代終わり頃まで米国の経済

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政策に強い影響を与えた)。長年にわたりこのやり方は奏功し,高度経 済成長が広範な繁栄を生み出し,それによって活発な中間層が出現し た。拮抗勢力〔労働組合や中小企業,小口投資家,地方や中央政治を 拠点とする政党といった組織〕はその使命をきちんと果たしており,

人々は政治経済のあり方を気にかけたり,社会の上層による過剰な政 治力や経済力を懸念したりする必要はなかった。だが今はどうか。

人々は大いに懸念している。

 要するに,筆者の言う「ケインズ型国家独占資本主義」の時代こそが,

ライシュにとっての失われた黄金郷であり,こうして,『最後の資本主義』

の中心テーマは,おのずから,「新自由主義型国家独占資本主義」を逆転 して,そこに復帰するべく,拮抗力をいかにして回復させるかという課題 の解明に絞り込まれざるをえなかったというのが,ことの真相なのであろ う。

4.グローバル資本主義の位置づけ

 筆者は,資本主義の現局面を「新自由主義型国家独占資本主義」である と位置づける。そのように提唱する際に,かならず持ち出されるのが,

「グローバル資本主義」であると理解するべきだという反論である。

 これまで考察してきたように,筆者の見るところ,ライシュは,『最後 の資本主義』において,資本主義の現局面を新たに「新自由主義型国家独 占資本主義」として位置づけ直すにいたった。それでは,「グローバル資 本主義」にたいするライシュの捉え方もはたして同様に変更されたのであ ろうか。筆者によれば,この側面でも,表現に明らかな変化を認めること ができるというものである。

 『最後の資本主義』の「はじめに」のなかでは,次のように表現されて

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いる。

 この四半世紀,私は自分の著作や講義を通じて,米国などの先進国 に暮らす普通の人々がしっかりと足場を固めることができないまま,

募る経済的ストレスにさらされているのはなぜかということについて 解き明かしてきた。単純に言えば,グローバル化と技術革新が多くの 人々から競争力を奪ってしまったことが原因だ。我々がやってきた仕 事を,今や海外の低賃金労働者やコンピュータ制御の機械が,もっと 安価にこなしてしまうからなのだ。

 ところが,第13章「弱まる中間層の交渉力」のなかでは,次のように表 現が一変する。

 第二次世界大戦後の30年間,米国の労働者の平均時給は,生産性の 上昇と歩調をあわせるように上昇した。米国経済が成長し,中間層が 拡大し,購買力が上昇するにつれ,経済成長が加速して新しい投資や イノベーションを生み出し,それがさらに中間層を増やし豊かにして いった。

 しかし1970年終盤に入るとその好循環は止まってしまった。生産性 は以前と同じようなペースで上昇を続け米国経済も成長を続けていた が,賃金の伸びが止まって横ばい状態になったのだ。1980年代初めに なると物価調整後の世帯収入の中央値の伸びも同じように止まってし まった。2013年の典型的な中間層世帯の収入は5万1939ドルで,これ は2007年の大不況に入る前よりも4500ドル少ない。2013年まで,平均 世帯収入は四半世紀前の1989年よりも少ない状態が続いた。米国の就 労率の低下に見られるように雇用の安定性も低下した。つまり米国の

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中間層の大半が貧しくなったのだ。

 通説では,こうした賃金や収入のUターン現象は,「市場力学」の せいで起こったと言われている。特にグローバル化と技術革新が労働 者の競争力を削いでしまったというのだ。米国の労働者の仕事は非常 に安い賃金でメキシコ,次いでアジアの労働者に外部委託されたか,

あるいは国内にとどまったとしてもオートメ化やコンピュータやロボ ットが廉価に代替してしまった。いずれのケースも,米国の労働者は かつての好待遇のゆえに,自らの労働需要から押し出されてしまった のだ。だからもし本当に仕事が欲しいなら低賃金と不安定な雇用環境 を受け入れるしかない。つまり「市場の思し召しのままに」というわ けだ。

 この解釈は実際に起こった事象と関連はあるものの,これでは説明 がつかないことも多い。なぜこのような変化が短い年数の間に突然お こったのか,あるいは,なぜ同じような市場の力学にさらされた他の 先進国では,そのプレッシャーに簡単に屈しなかったのか(例えば,

2011年まで,ドイツの平均収入は米国のそれよりも増加ペースが速かった。

ドイツの富裕上位1%層が税引前の国民総所得の11%を受け取った一方で,

米国の最上位1%層は17%以上受け取っていた)。また,2007年に始まっ た大不況後の景気回復期の最初の6年間において,なぜ下位90%の平 均所得が下落したかについても説明できない。

 大学を卒業したばかりの若い労働者の平均賃金の伸び(物価調整値)

が止まってしまっているという衝撃的な事実についても,グローバル 化と技術革新では説明できない。大卒労働者はそうでない若者よりも 高い賃金をもらえてはいるが,金額は伸びなくなった。ニューヨーク 連邦準備銀行によると,2014年の大学新卒者が大学の学位を必要とし ない職業に就いた割合は46%であった。既卒を含めた大卒者全体が,

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大学学位を必要としない職業に従事している割合は35%である。

 中間層に何が起こったのかをさらに理解するためには,大企業や金 融業界の利益が増える一方で中間層の交渉力や政治的影響力を弱める ことになった,市場の構造変化を精査する必要がある。構造変化は結 果的に富の再分配を所得の上位層にもたらした。だがその「再分配」

は一般的に定義されている意味ではない。政府は中間層と貧困層に課 税はしなかったが,彼らに再分配されるはずの所得の一部を,富裕層 に移し替えたのだ。政府(そして政府に大きな影響力を有する人々)はゲ ームの仕組みやルールを変えながら,直接手をくださずに上位層への 再分配に取り組んだのであった。

 ちなみに,第9章「まとめ──市場メカニズム全般」のなかには,上記 の文章の含意の理解に役立つ,次のような表現も見出される。

 確かにグローバル化と技術革新によって,教育程度が高くコネを持 つ層が恩恵を受け,そうでない層は不当な扱いを受けてきたが,拡大 する富と所得の不平等は単にグローバル化や技術革新のせいではな い。グローバル化と技術革新がなくても,国民総所得のうち,企業 と,企業収益に自分の所得が連動する重役たちや投資家に振り分けら れる割合は,労働者層に向かう割合よりも,相対的に増加している。

 見られるように,ここでは,中間層から富裕層への富の移転の原因をグ ローバル化と技術革新に求める姿勢が,完全に撤回されるにいたってい る。これは,『最後の資本主義』において,ライシュが,現代資本主義の 現局面を,事実上,「新自由主義型国家独占資本主義」として再把握する にいたったことと整合的であるといえよう。

(21)

5.拮抗力の復活への期待

 ライシュの判断によれば,現在の状況が続くかぎり,経済的にも政治的 にもアメリカには未来を見通せるような明るい条件は存在しない。『最後 の資本主義』の第17章「資本主義に対する脅威」のなかでは,とりわけ,

このうちの経済的側面が,次のように叙述される。

 過去100年間の米国の所得の集中度を見ると,1928年と2007年に頂 点に達しているが,それは偶然の一致ではない。いずれも上位1%の 富裕層が全体の所得の実に23%以上をかき集めた。だが成長を続ける 広範な中間層の購買力がなくては,国の経済は機能しない。

 2008年から2009年にかけて景気がどれほど落ち込んだかを考える と,いわゆる「大不況」からの景気回復は米国経済史上で最も脆弱な レベルの回復だった。経済全般にわたる需要不足という問題は今なお 続いている。そもそも景気を大不況に陥れた原因がこの需要不足とい う問題だった。さらに米国の消費力は,世界各国の需要においてきわ めて重要な部分を占めていたため,米国の景気回復期の需要が相対的 に弱いことは,世界の景気回復の足を引っ張った。このため,米国の 国内需要の落ち込みを輸出で補うことができなかった。

 しかし,絶望をすぐさま希望に転換する点にこそ,欧米知識人の真骨頂 を見出すことができるであろう。ライシュは,ガルブレイスの言う「拮抗 力」の復活に,アメリカ経済の未来の希望を託することになる。ライシュ は,第18章「拮抗力の衰退」のなかで,次のように叙述する。

 本質的な問題は経済ではなく政治にある。経済システムの基本ルー

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ルが経済エリートの支配下にある状況では,その支配力の背後にある 政治的権力の所在を変えることなしに改革を行うことはできない。

 重要なのは,連邦政府がニューディール政策の時代から第二次世界 大戦後の10年間にかけて,大企業や金融業界の権力を相殺するような 経済的権力の新たな中枢を作り出すのに成功したことだ。労働組合は 政治に強い圧力をかけて1935年までに団体交渉の合法化に成功し,そ の後の数十年間で団体交渉権を基盤に政治的・経済的な影響力を築き 上げた。組合に未加入の労働者も最低賃金法という形で経済的権力を 獲得した。小規模農家は連邦政府からの価格保証とともに農業政策の 立案過程での発言力を得た。

 農業協同組合は労働組合と同様に独占禁止法の免除措置を勝ち取っ た。小規模小売店は「公正取引」を保障する州法によって小売店チェ ーンから守られた。すべての小売店に対して同じ卸売価格を適用する ことを卸売業者に義務付け,小売店チェーンの値引き販売を阻止する 法律だ。同時に,小売店チェーンは大手メーカーの巨大な市場支配力 に対抗するために協力して全国規模の組織を作ることを認められた。

小口投資家も証券取引法によって大口投資家や大企業の経営陣の権力 から身を守った。中小金融機関は,州際銀行業務を禁じ,商業銀行と 投資銀行を分離する規制によってウォール街を防いだ。こうした動き は経済全般に広がった。

 経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスはこれらを「拮抗力(Coun- tervailing Power)」と呼び,新たな影響力の中枢が生まれたことで,こ れが経済成長から得られる利益を広く拡散させる手段になると考え た。1952年〔『アメリカの資本主義』〕に「事実,拮抗力をこの20年間 支えたことは,平和時の連邦政府が果たしたおそらく最大の役割とな った」と記している。拮抗力が経済全体に広がったことは,大企業と

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ウォール街に集中した権力との均衡を図る重石となった。「経済には 民間の市場支配力が存在するため,拮抗力の拡大によって米国経済が 自律的に自己調整する能力が強化され,それによって政府に求められ る全面的な統制や政策立案の規模が小さくてすむようになる」とガル ブレイスは続けた。こうした新たな権力の中枢が存在したことで,経 済成長がもたらす利益のかなりの部分を,米国で大多数を占める中間 層の労働者層が受け取ることができたのだ。

 この文章は,明らかに,2006年に亡くなった旧友ガルブレイスにたいす るオマージュとして書かれたものである。げんに,『最後の資本主義』に は,「ジョン・ケネス・ガルブレイス教授との懐かしい思い出に寄せて」,

という献辞が掲げられている。

 そして,『最後の資本主義』は,第24章「新しいルール」における,以 下のメッセージの提示をもって終結する。

 私の言いたいことが読者に伝わったことを願うが,未来を楽観でき る理由はたくさんある。

 未来を楽観できるさらに大きな理由に,私たちは自分で制御できな い機械的な「市場原理」の犠牲になる必要がないということがあげら れる。市場とは人間が作り上げたものであり,人間が自ら策定したル ールに基づいている。ここで重要なのは,そうしたルールを誰がどの ような目的で作り上げているかということだ。この30年間,ルールを 作ってきたのは大企業やウォール街やきわめて富裕な個人資産家であ り,彼らの目的は国全体の所得と富の大部分を自分たちの手中に収め ることだった。もし彼らが今後も市場のルールに対して限りない影響 力を及ぼし続け,新たなイノベーションの波の中枢をなす資産を支配

(24)

し続ければ,やがて彼らはほぼすべての資産,すべての所得,すべて の政治的権力を手中にするだろう。そのような結果はもはや彼らのた めにも,それ以外の人々のためにもならない。なぜなら,そうした状 況では経済も社会も立ち行かないからだ。

 次なる挑戦は技術に対するものでも経済に対するものでもない。民 主主義に対する挑戦だ。将来を決定づける議論は政府の規模に関する 議論ではなく,政府が誰のためにあるのかという議論だ。「自由市場」

か「政府」かという選択が重要なのではなく,人々が幅広く繁栄を分 かち合うように設計された市場か,ほぼすべての利益が頂点にいる限 られた人々に集中するように設計された市場かという選択が重要なの だ。裕福でない人々に再分配するために富裕層にどれだけ課税するか が問題なのではなく,事後に大規模な再分配を行わなくとも公平な分 配がなされていると大多数の人々が受け止められるような経済を生み 出す市場のルールを,どのようにして設計するかが重要なのだ。

 なるほど,力強いメッセージではあるが,『最後の資本主義』の読後感 としては,肝心の「拮抗力」を復活するためや「新しいルール」を作り出 すための政治的・経済的な道筋がいまひとつ明快なかたちでは見えてこな い点に不満が残るというのが,率直な印象である。

 そこで,前著の『格差と民主主義』を読み直すと,第3部「怒りを乗り 越えて──私たちがしなければならないこと」のなかで,政治家への申し 入れ書と企業によるアメリカ合衆国への忠誠書のそれぞれについて,サン プルが提示されていることに気がつく。

 政治家への申し入れ書には,「貴殿が以下のような政治課題に真伨に取 り組む限り,私たちは貴殿の当選のため,また再選・留任へ向けて,粉骨 砕身尽力することを誓います」,というまえがきのもとに,以下の項目が

(25)

列挙されている。

 ・ 富裕層への課税率を1981年のレベルに引き上げよ

    最も裕福な400人が支払う所得税率が平均17%で,多くの中間層 よりも税率が低いという現状は,破廉恥ですらある。超富裕層の収 入の大半がキャピタルゲインとみなされており,その税率はわずか 15%にすぎない。

 ・ 国民の0.5%を占める超富裕層に2%の付加税を  ・ すべての金融取引に0.5%課税せよ

 ・ 軍事予算の削減を前倒しせよ

 ・ メディケア(高齢者のための公的健康保険)の活用による医療費上昇 の抑制

 ・ 万人のためのメディケア(メディケア・フォー・オール)のために闘

 ・ 増えた歳入と予算削減の成果を公共財,特に教育とインフラ投資に 回せ

 ・ グラス・スティーガル法を復活させよ

    ドッド・フランク法におけるボルカー・ルールは,一種の簡易版 グラス・スティーガル法とでも言うべきものだが,ウォール街のロ ビイストたちの圧力の下では,弱すぎてその任に堪えない。

 ・ ウォール街の大銀行の規模を制限せよ

 ・ 大銀行に「水面下」(住宅ローン残高が評価額を上回っている)状態の 不動産ローンを是正させよ

    苦しんでいる住宅保有者が破産を宣言できるように,破産法を改 正する。こうすれば,所有者が住宅ローンの再設定を銀行とかけあ う際に交渉力を持てるだろう。商業用の資産や別荘は,所有者の破

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産時にこれらを資産と見なすことが許されているのに,自宅に住ん でいる所有者はなぜそれができないのか。

 ・ 政治からビッグマネーを排除せよ

 政治家への申し入れ書以上に注目されるのは,企業によるアメリカ合衆 国への忠誠書である。これは,法律上の要請ではなく,完全に自発的な誓 いであり,忠誠を誓う企業は,広告に「私たちは合衆国に忠誠を誓いま す」という記述を掲載することができる。消費者は,忠誠を誓わない企業 を自由にボイコットしてもよい。

 この忠誠書は,「我が社はアメリカ合衆国に忠誠を誓います」というま えがきのもとに,以下の内容を備えたものである。

 我が社は,我が社が海外で創出している雇用(直接雇用,ならびに海 外子会社および下請けを通じての雇用)よりも,米国において創出する雇 用を増加させることを誓います。

 我が社は,海外での人件費の合計額が国内における人件費の20%を 超えないようにすることを誓います。収益力のあるときにアメリカ人 労働者のレイオフをおこなう場合は,当該従業員の週給に勤続月数を 乗じた額に等しい退職金を支払うものとします。

 我が社は,管理職の報酬に制限を設けてアメリカ人労働者の平均給 与の50倍を超えないようにすることを誓います。この「報酬」には給 与,賞与,医療給付,受取年金,延べ払い給与,ストック・オプショ ン,およびその他あらゆる形態の報酬を含むものとします。

 我が社は,米国内で得た収益について,最低でも30%を米国政府に 税金として納めることを誓います。この資金を海外のタックスヘイブ ンに移動することはいたしません。また,所得を偽るための不正会計

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処理はいたしません。

 我が社は,選挙に影響をおよぼすための資金拠出はいたしません。

 もちろん,この政治家への申し入れ書および企業によるアメリカ合衆国 への忠誠書は,『最後の資本主義』の趣旨に照らして,若干の修正が必要 とされることであろう。しかし,おそらく,重大な修正が必要とされるほ どのことはあるまい。そして,もし,これらに掲げられた項目が実現され るならば,「拮抗力」の復活と「新しいルール」の作成に向けて巨大な一 歩が踏み出されるであろうことは疑いの余地がない。

 筆者は,かねて,現代資本主義の最大のガンは格差問題とタックスヘイ ブン問題に求められると考えてきたが,こうした問題にも十分な目配りが 払われている。格差問題については,『最後の資本主義』の第23章「市民 の遺産」のなかで提起されているベーシックインカムの導入という項目を 追加する必要があるかもしれない。すなわち,「単刀直入に言えば,すべ てのアメリカ人が18歳に達した最初の月から毎月,経済的に独立できるだ けの基礎的な最低限の所得(ベーシックインカム)を支給することだ」,と。

 ただ,「拮抗力」の復活と「新しいルール」の作成に向けたライシュの このような綱領を眺めていると,それが,今回のアメリカ大統領選挙にお いて,民主党候補者の地位をめぐり,ヒラリー・クリントンと最後まで競 い合ったバーニー・サンダースの綱領と類似している点に思いがいたらざ るをえない。

 サンダースの主要な選挙綱領は,次のようなものであったと伝えられて いる。

 ・ 富裕者と大企業への課税強化,所得税の累進性を強化し,富裕層,

ウォール街の投機家たちに増税する。

(28)

 ・ 連邦最低賃金を2020年までに時給7.25ドルから15ドルに引き上げる。

 ・ 道路,橋梁,鉄道,その他のインフラ整備に,5年間で1兆ドルを 投資し,少なくとも1300万人の雇用をつくりだす。

 ・ 「どん底に向かう競争」をもたらす自由貿易政策(NAFTA,TPP) やめ,低賃金国の最低賃金引き上げを促す。

 ・ 公立大学の授業料をタダにし,貧しさゆえに大学進学をあきらめる ことをなくす。

 ・ 単一基金の公的医療保険よる国民皆保険制度をつくり,すべての市 民に権利としての医療を保障する。

 ちなみに,『バーニー・サンダース自伝』(大月書店,2016年)の監訳者で ある萩原伸次郎氏によれば,今回の大統領選挙にあたり,ライシュは,サ ンダースを支持したとの由である。すなわち,「私はバーニー・サンダー スを,アメリカ大統領として支持します。彼は,少数のためではなく,多 くの人のためにアメリカを再生させる運動をリードしているからです」,

と。

 そういえば,ライシュは,『最後の資本主義』の第19章「拮抗力を取り 戻せ」のなかで,次のように指摘していた。

 今後数年のうちに,米国政治を二分する境界線が「民主党か共和党 か」から「反体制派か体制支持派か」へとシフトする可能性が高い。

つまり,ゲームがいかさまであると考える中間層,労働者層,貧困層 と,いかさまを行っている大企業の幹部,ウォール街の住人,億万長 者という対立軸だ。

 だが米国で再び拮抗勢力が形成されるなら,それが二大政党のいず れかが順応することで実現しようと,もしくは新たな第三の政党の出

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現によって実現しようと構わない。

 問題をこのように整理するならば,ライシュは,理論的にばかりではな く政治的にも,首尾一貫した立場を堅持しつつあることを容易に窺い知る ことができるであろう。頼もしいかぎりである。

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