市街地の拡大 と人 口移動の関係
弘 前 市 の 場 合
工 藤 主 星 .Eiiij
く はじめに>
大 都市‑の人 口,および機能の急激な集 中に ともない中心部では立体弛 集約的都 市化が, そ して近郊では住宅団地や学校 の進出などにみ られるよ うな平 面的で,かつ分散的 都市化 が進 ん でい る。 このような近郊 の変容 は目 ざましいものがあ る。この都市化 は, 地方 の中小都市 に おいても程度の差 こそあれ,進行 してい る。一十没に,都市 と村落の境界は厳密に区別 できず, 漸 次に移 りかわるこ とが多い。 こうして都市 の外側 には都市 と村落が入 りま じった漸移地帯 が 存在 するO これ が近郊, あるいは郊外 とよばれ る地域である。近郊は都市 の側 からみれば前進 地戒 であ り, 次第に都市的要素を加えてい く, 一方近郊 は,農村側か らみれば後退地濠であ り, 村 落的要素 を減 じてい く, ここで筆者 は,地方都市,弘前市について,郊外 の都市化 を示 す指 標 の一つである,都市的機能要素 の増大 を示す ものである住宅 の設連 を中心 に工賂 学校 の進 出 と,人口 (地区別 ・町会別 )をもとに,以下論文 を進 める ことにす る。
<都市化 の概 念>
まず,人口の面か らみ ると,1964年 までは負 の社会増加であ り, 自然 増加が禰 うことによ よ って人 口増加 の傾向を示 してい た。 ようや く1965年 になると社会増加 が正 の値 とな った が, その割合は非常に小である, 1955年 の人口を100とする と,1960年では109.4 1965年 では109.1であ り,1970年 には113とい う値にな っている,産業構造 をみる ると,1960年に第一次産業 が47.370, 第2次産業 が11.3%で,第3次産業が41.670 であ っlL そTLが1970年 では,第1次産業が32.570,第2次産業 が14570,第3次産 業が53.0とな ってい る" これから,都 市的人 口 (第2・3次産業人 口 )の増加 と, さらに第 1次産業の大巾な減少 がわかる,次に,嘉業面では,農家戸数 が市全俸で,1960年に は, 10693であ った ものが,1970年には10189で4.770の減少で あり, 旧市内部 では, 1960年に650であ った ものが,1970年 には491で実に24.970の減少 をみている, 専 ・兼業別 にみ ると,1960年にはその割合が,専業32・970,兼業67,170であ った もの が,1970年には専業 が15.670,兼業が84.4ヲもに な っている, これは,農村的機能要 素
の後退 を示 すものである。
く地区別住宅建設状況>
第1表 地区別世帯数 と人 口
地 区 〜 35年 40年 45年
世 帯 数 人 口 世帯 数 人 口 世 帯数 人 口 全 市 32,07.6 15q702 36256 151,624 42,252 157;601
市街地区 la044 73か22 20,695 75,749 23,499 76,572 農村地区 14,032 77,680 15,561 75,875 16,753 81一029 清 水 1,211 6,413 1,569 7,248 1β87 &181 船 沢 805 4,769 863 4,437 846 4,073 高 杉 911 5ユ44 930 4838 942 4444 裾 野 1,209 7,068 1,234 6472 1β82 6270 新 和 1,260 7,347 1,294 6,777 1,319 6,384 藤 代 1,431 7,695 1,382 6,814 1,479 6,534 和 徳 960 5524 1,058 5,433 1,277 5>837 豊 田 1,303 6,946 1,363 6586 1,480 6,434 堀 越 1,366 6,964 1,785 7,456 2,986 ll,210 石 川 1,229 6,935 1,280 6,431 1,307 6232 千 年 1,618 8,656 2β58 9,424 3,107 ll,7671
Tl句 才竹 折祭8:苑内 (4・‑1叫)
‑47 ‑
住宅地の造成は,市街地 の外縁 に 連続 して建設 されるものと,飛地的
なものとのタイプに区分 され るが, 地区別に状況 をみると,
h)西部 ここは,岩木川 の氾
濫源 で,水田地帯であ り,宅地 とし て適地 とはいえなか った75:. 住宅事 情 の緩和 の意味で,城西団地 の用地 として水田が転用 されてい った。城 西団地 は総面勧 ;30万3642d(約 11万坪)で住宅1200戸 と諸施 設が 建設 されている。 分 譲 宅 地に転居 しているものの8割近 くが市内か ら のものである,団地 の造成 とともに,
樋 ノロ町,河原町な どに も住宅化が波及 し,現在 では, これ らの各町 も含んで城西団地 と呼ん でいる。 このよ うな公共 による団地 の開発 払 地価対策 の上か ら望 ま しい ことでは あ っ7三が, (地価 の高膚 にブ レーキをかける )周辺地 区 の巣地 の高値 をよぷ ことにな り,問題 もないわ け でもない。岩木川 をは さんで藤代,浜 の町方面 も住宅化 が進 展する虜 向を示 してい る。
¢) 城北部
【第 2図A〕 年度別 住宅建 設場所
〔頼光帝〕
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栄町地 区の富士見橋団地 の造成 とともに住宅化 が進行 し,新興住宅街 を形成 してい るが,年 とともに転居者 も讃 えてい る, 栄町地 区 とともに, 道路 をへだてて東城北⊥丁目 も住宅化 の傾 向がみ られ る。‑JT投住宅 をは じめ貸住宅な どが建設 され てい る, この地 の住宅の造成 は飛地的 な タイプに層する もので, 何よ りも, 渦 の地区 と異な り, 公共,民間会社 の手によ って造成 さ れ た住宅地 であるT=め,通路の区画,垂傭 7:=どれ いきとどいてい る。 ここか ら東側 の田町地 区 も,市営 住宅や分譲住宅が建設 され るとともに,新 しい住宅地 を形成 してい て, さらに北側 の水田地帯‑ と拡大 してい る,
(3)北東部 国道7・102号線に, は さまれた地 区を中心 に撫 牛子方面 に道路 に沿 っ て住宅化 が進行 してい る, この地区 は,水田か らの宅地‑ の転用 が多 く, 水はけの悪い住宅地 区 もみ られ7t,室田 ・富乱 さらに俵元 ・を ケ枝 につ づ く稲田地区 など蔑称 して高崎地 区は,
物やそれ に付随す るものの建物が多 く,住宅地 はその背後 に位置 している。住宅は「般 および 社員住宅 ・工員住宅であるが,工業関係にかわ って, 次第に増加 の傾向 を示 してい る。ここは 国道に面 してい る点か ら,流通 の面から工業地区 としての役割 も果た してお り,市当局 が農工 並進 を目ざしてお り,和徳 の国道7号線バイパスにそ って79万zJの工業拠点団地 を造成 し,
工場の受け入れ の態勢 を整 えることに している。
(4 駅東部 国鉄鯛係 の建物 が密集 しているなかで,変電所 のうらに道路の整備 されて い る住宅地, さらに,その南側にもかな りの住宅地区がある。これよ り南側の外崎地区 におい ては道路にそ って新築住宅が建設されている, この周辺は,城東団地 の造成 とともに,農地の 宅地,工業用地へ の転用が進行 し,周辺地城は一変す るものと思われ る,城東団地は,現在 第1か ら第3城東団地 の造成が進め られている,城東ニ ュータウンの造成 は,城西 ・小沢団地
と異な り,民間の土地区画組合が事業 の主体 とな っているのが特徴である,組合では,46年 から48年の三ケ年間に二億三千万円を投 じて団地 を造成することにな っている。団地 の中に は,住宅はもちろんのこと,青森 ・八戸についで卸センターがつ くられ ることにな っている。
三つの団地が出来上がると,136万7000万m2,住宅戸数3‑4千戸 のこ .1‑タウンにな るわけである。 こた団地 の東部 を7号線バイパ スが通 ることにな ってお り,団地か ら東へ,辛 川沿岸にかけての工業団地 としての可能性 もひめている,
(5)南部 滞 2図B〕 豊原 ・三岳町 さらに南の松原地区が住宅化 の著 しい地区で あるが,栓原地区について,道路 を中心 に束鮒のを原東地区 と,西側 の西地区についてみ ると, まず東地区で払 二丁目付近には新築住宅は余 りみられず, この地区の南側および道路からは なれた ところに住宅化が進行 してい る。東地区は,道路から東側に,土地 が平坦で, かつ広 く 続いてお り,周辺‑ の拡大には良い条件 とな っている。このことを裏付けるかのように,小規 模ながら大清水地区 の大清水団地 とか,取上地区 の南側 の地区が新 しい住宅地を形成 している。
一方,酉価では,道路にそ ってのみ住宅がみられるとい って も過言 ではない。 とい うのは,道 路 を‑だてるにつれて次第に傾斜 してお り,その先 は崖 にな っているか らである。また南側の 千年駅付近の住宅化 も進んでいる。次に城 南地区についてのべると, ここも城北部 とともに新 興住宅街 を形成 してお り,全体を通 じて, スプロール的に発展 している。市が住宅 の建設は民 風 個人 の手 に負わ ざるをえない とい う現状の反映 であるように思 える。小沢の団地は,旧練 兵象 水田 リンゴ園の転用 によるもので,城見 ・城西につづ くもので,市,住宅供給公社が中 心 とな って開発している。45年12月 から造成 をは じめた。46年11月現在80rpの造成 率 である。面穣 37万1000nJで,1,300戸 の住宅が建設 され る。そして4千人 が住むこ とにな っている。 さらに桔坪野,緑 ヶ丘 で も飛地的だ った住宅地が次第 に中間部が うめられて い っている。
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〔第 2図 B〕
+^一‑‑̲̲
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I;..;.11tIヽ▲■‑●l●̲ rrl1‑‑.・i;'一I..lli:溝.:・・]:・+・・]:',.
○▲●○㌃寓:Hi.:';:.: 一〇ノー.
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̲り′
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きざ/ ・・・̲/ ヽ●I▲J‑..+..4.γ、.一′J′ヽIh,Jヽ
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ノ
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)<町会別人 口増減 > 〔第2表 〕
昭和45年の国勢調査によると,全般的 に市街地‑の人口の集 中が一段 と高 ま ってきてお り, 都市化 の現象 を示 してい る。人 口集中地 区のうちで弘前市 は旧三市の うち伸び率13.770で最 こ帯 である。黒石,五所川原市 の減少 している主な分は弘前市に吸収 され たもの と思われ る。
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1960年〜1965年にかけての弘前市 の人口集 中地区では10.970の伸 び を示 していたが, 人 口集 中地 区以外では,7.470の減少 を示 していた。しか し,45年度 の国勢調査 によるも, 人 口集 中地区以外で も6.8%の増刀ロをみせている。 このことから,市街地周辺 の佳肴 ヒの進展
第2表 町会別J.口増減 (1965‑70年 )
色) 増加 (100人以上 )
上 を 腐 1,943 向 外 頗 509 三 岳 町 187 原 ケ 平 908 高 崎 489 八 幡 町 181 栄 町 861 桔 硬 肝 293 松 原 161 寒 沢 662 本 和 徳 294 酉 ケ 丘 161 上 桔 梗 野 528 室 田 225 大 清 水 135 取 上 527 京ケ平中野 221 和 徳 粁 田 113
¢) 減少 (主なるもの )
本 町 441 上 土 手 町 193 品 川 町 167 東 長 町 230 新鍛 治 町 180 笹 森 町 158
茂森 町 229 富田三丁 目 177 亀 甲 町 123
下 元 寺 町 195.親 方 町 173 富 野 町 111
が著 しく,市街地 が が拡大 しているこ とが明 らかである。
町会別で人口の増 加 しているのは新 市内であ り,かつ 市街地周辺に位置 しているところで ある。他 方減少 し ているのは,旧市 内部であり, これ から離心現象が課 め られ る。この理由としては,磯住 の分離, および家族人員 の減少,つ まり核家族化によるも のである と思われ る,人 口の階層による分布 をみても,新 しい住宅地での若い世代 の占める割 合が高 くな っていることからもうなづ ける。
<む す び>
北部 は民間社会 の手で さらに北側‑拡大 してお り,国道沿いの地区でも次第 に背後 に住宅化 が進行 してい る.駅東地区では城東団地 とともに住宅化の康相 をみせてい る。 さらに南薪では, 松原地 区 を中心に,周辺 の敢上 大清水地区 さらに南側 にと拡大 してい る。弘南大 鰐線 にそ
った地区で も,寒沢 ・城南地区を中心 に新興住宅街 を形成 している。桔 療野 ・緑 ヶ丘で も1)ン ゴ周 が転用 さA,住宅化 されてい る。西部では,城西団地 を中心 に周辺 に拡大 している。市街 地 の拡大は同心 円的になされ てい るが,中で も南部の拡大 が著 しい。これ は, 旧軍用地 が広大 な面積 をしめていたことと, T)ンゴ園 の親密 が34‑35年か ら目だ ってきたことによる。各 住宅地区 とも,転居者 の8割以上 が市内か らであ り,住宅 の造成 されているごく近いところか らの移動 が多い。 また,住宅地の多 くでは,上 ・下水道 の設備,道路 の未舗装 など帝尭整備に 問題 が凍 っている。最後 に,昭和35年か ら40年 にかけての町会別の人口で増加 している地 区の千年 (8.970),堀越 (7.170)清水(1370),および市内金棒のこの五 ヶ年 の住宅新 設戸数,2800戸,そ して41年か らの5年間の地区別 の人口増加,堀越,50.470,千年 24.970,清水12.970,和徳7.270とい う値,そ して新設戸数4500か らして,昭和35 年〜40年 の5年間 を第1市街地拡大期 とするなら,次の5年間は第2市街地拡大期 といえる。
最後に, この論文 を進 めるにあた り,多大 な御指導 を賜 った横 山弘教授 引 まじめ,資料 の収 集に助力 を得た地遷学研究室の後輩 諸君に感謝 の意 を表 する。
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α) 田 辺 健 一 (2) 杉 森 唯 史 (3) 横 山 弘 (4)竹 山 幸 治 (5)佐 藩 俊 雄
参 与 文 献
市街地 の拡大 と人 口移動 について 仙台における丘陵地 の宅地造成 弘前市 の都市機能 と地域分化 弘前市の都市化 につやて
東北地理 14(1962)、 東北地理 18(1966) 弘大地理 2 (1966) 弘大地理 5̲(1969) 横 浜市 における宅地造成 の地理学的研究
地理学評論 42の6 (1969)