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東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶

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(1)

東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶

松 井   望

はじめに 問題と視角

第一章 東京都における管理職昇任管理制度︵以上︑第四七巻二号︶

第二章 東京都における管理職昇任管理制度の相互補完的な諸制度

 一.主査・係長制の成立  ﹁要件﹂に関する制度

 二.一五級制︑六等級制給料表の成立  ﹁処遇﹂に関する制度

 三.定年制の検討・勧奨退職制度の成立ー﹁職数﹂に関する制度      \

おわりに 第二章 東京都における管理職昇任管理制度の相互補完的な諸制度

前章では︑本稿における四つの視角のうち︑東京都における管理職昇任管理制度の原型としての二級吏員昇任制

  東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶       ︵都法四十八ー二︶ 三九九

(2)

四〇〇

度の成立と廃止︑新たな管理職昇任管理制度の検討及び実施過程の把握を通じて︑管理職試験制度の成立要因を明

らかにした︒これまでの論述のなかでは︑他の三つの視角との相互補完性については言及してきたものの︑それぞ

れの制度の成立過程は明らかにしていない︒そこで︑本章では︑各制度の成立過程を見ることにより︑本稿が捉え

る管理職試験制度の一般的特性を把握したい︒

一.

蜊ク・係長制の成立   ﹁要件﹂に関する制度

(一

j背景

 まずは︑﹁要件﹂に関連する制度として︑主査・係長制の成立を見ていく︒どのような対象を管理職試験の受験

要件とするかは︑昇任管理制度の根幹ともいえる︒その要件については︑管理職試験制度の成立以前からも︑東京

都庁内でも検討されていた︒例えば︑初回の二級吏員昇任試験が実施された年の翌年一九四七︵昭和二二︶年に       ︵1︶ は︑長官官房文書課調査係︵後に︑臨時調査部︶と財団法人東京市政調査会との共同で実施された都政綜合調査の

︑挺・蔀行政の民主的能率的運営に関する紮Lでは・当時の人事制度の現状調査を踏まえた上で︑昇進試験制

度の確立が提案されている︒この提案では︑受験要件としては﹁五年を適当﹂としており︑﹁正式任用後五年の職       ︵4︶ 歴を有するものは︑すべて受験資格をもち一様に応募する﹂とある︒つまり︑その要件である吏員就任期間を当時

の二級吏員昇任試験制度よりも︑短期にした提案であり︑必ずしも特定の職位であることを管理職昇任管理制度に

は求めた内容ではなかった︒

(3)

 しかし︑第一章でも見たように︑管理職試験制度を設計する上では︑特定の職︵つまり︑主査・係長︶を要件と

することが検討された︒これは︑成績主義の観点から人事管理を見た場合に課長に就く職員には︑係長としての組

織管理の経験・実績を有することを期待する考えがあったからと考えられる︒しかし︑実際には︑二級吏員昇任試

験合格者が既に長期にわたり無任所であったことに応じるためには︑係長の就任経験を問うことなく︑吏員在職一

〇年以上という就任期聞という基準が採用された︒そこで︑以下では︑その主査・係長制の成立を見ておく︒

 東京都では︑主査・係長制に先立ち︑班長制が整備されていた︒これは︑第一章で見たように︑一九五二︵昭和

二七︶年二月の機構改正により部制を導入し︑当時の課長を部長︑係長を課長に移行したことが︑班長制の成立

背景としてあった︒つまり︑同年の機構改正によって︑東京都では課が組織の最小単位となることを意味してい

た︒そのため︑課長が︑主事や技師といった職の直近上位になる︒この場合︑課長と主事・技師との間で︑課長か

らの指揮命令・各種指示という情報を翻訳するとともに︑多くの主事・技師の業務実態及び要請等の情報を集約・

       ︵5︶       ︵6︶ 伝達する中間者の役割を担う者が不在となることを意味していた︒そこで︑主事や技師の先任者を︑﹁非公式﹂又

    ︵7︶ は﹁慣習的﹂に班長として任命されていたのである︒つまり︑班長とは︑各課内において︑課長と主事・技師との       ︵8︶ 間に立ち︑職員を指揮監督して職務を遂行していたのである︒そのため︑﹁班長行政﹂とも称されるほど︑職責は

重いものとなった︒そして︑班長のうち一名は課長代理として任命された︒課長代理とは︑課長が欠勤または不在

の際に︑その課の職務を遂行することがその役割であった︒

 一方で︑班長は︑二級吏員昇任試験の合格者のみが対象者ではなく︑実際の班長には︑二級吏員と三級吏員が混

在していた︒更には︑班長であることは将来の管理職に就任することを保証するものではなかった︒このように︑

処遇としては不明確なため批判も多く︑特に二級吏員昇任試験合格者からは不満が残る職であり︑職務体系の整備

   東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶      ︵都法四十八ー二︶ 四〇一

(4)

      四〇二

が必要とされた︒そこで︑一九五六︵昭和三一︶年に叙級制度が廃止されたことを期に︑職務体系の改正が行われ        ︵9︶ た︒一部には︑叙級制度を事実上存続する案もあったものの︑職階制の観点からも職務体系の整理が行われた︒そ

こで︑班を係として改める案が出てきたのである︒

︵二︶検討と成立

 ただし︑班を係とすることには︑﹁機構を拡大するとの印象を与える﹂との指摘もあった︒一九五六︵昭和三こ       ︵10︶ 年一二月に行われた機構改正・人事異動を機会として︑総務局にて検討が開始された︒まずは︑検討の対象となっ

た職は︑課長代理であった︒それは︑課長代理は職責が重いにもかかわらず︑待遇面では班長ともかわりがない現

状があったためである︒総務局では︑課長代理を原則廃止し︑新たな職を置くこととした︒しかし︑その際に一度

に課長代理を廃止することなく︑上述の人事異動等によって空席となった三九の課長代理職をまずは不補充とする

ことで漸進的な廃止を行うこととした︒そして︑新たな職として︑班長を東京都組織規程に根拠をもつ係長を置く

ことが考えられた︒だが︑当時の現状としては︑係を形成する程は職務が共有されていない業務もあった︒例え

ば︑主計部や人事部では職務が細分化されており︑一〜二名で班を構成していた︒そのため︑これらの職務を担う

部には職として主査を採用することが考案された︒従来の職を廃することになるため︑職員組合との間での了解を

得る必要があった︒しかし︑この案に対して︑東京都職員労働組合︵以下︑都職労︶からは︑﹁今の機構で十分だ︒       ︵11︶ いたずらに職制を細分化することはセクショナリズムを助長することになる﹂として反対意見が示されていた︒都

職労の意見を見ると︑職員の合理化へは反対の意見を示すとともに︑具体的には︑班をそのまま係とすること︑職

(5)

階上の位置づけを行わないこと︑職務を庶務偏重主義としないという考えであった︒これらの都職労からの主張の

意図としては︑係長が非組合員と位置づけられたことで︑職員組合の勢力を削がれかねないとの懸念があったため

と察せられる︒一方で︑総務局総務部長は︑﹁これを実施するからといつてすべての班がすぐそのまま係になると

いうわけではない︒規程で定めているように係にする場合は︑知事の承認を必要としており︑あくまで合理化の観       ︵12︶ 点に立つて考えなければなるまい﹂と述べ︑班の統廃合を含めた主査・係長制の導入であることを示唆している︒︐

その後︑総務局と職員組合間での交渉を経た後︑職員組合からの要請を概ね受け入れることで︑次の内容を了解事          ︵13︶ 項としてまとめられた︒まずは︑係長への切替にあたっては﹁現在の班長から犠牲者を出さないように措置をする

こと﹂︑係長制実施にあたっては﹁職制上の幹部職員扱をしないこと﹂︑各局を機械的に庶務中心にならないよう実

情に即して配慮すること︑本庁と出先機関との均衡については格段の配慮を行うこと︑の四点であった︒つまり︑

職員組合との交渉では︑﹁トコロテン式﹂に︑これまでの班を係とすることは認めないものの︑班長から係長にな       ︵14︶ れない職員を極力防ぐこと︑そして︑係長を非組合員としないことで意見が一致したのである︒これらの条件を踏

まえつつも︑合理化の観点からの職務体系の整備については︑職員組合からの合意を得ることができた︒

 その後︑具体的な検討が進められたのは︑一九五七︵昭和三二︶年二月=二日の副知事名による依命通達︵﹁係

制及び主査の設置について﹂︶が各局長及び出納長に対して示されてからであった︒当時総務局庶務課の調査では︑       ︵15︶ 係長制の対象となる知事部局︵出納長室を含む︶は一八六課あり︑班は八七五班があった︒そして︑新たに定める

設置基準によって算出すれば︑主査・係長制を導入した場合︑係は六四五になると見込まれていた︒        ︵16︶  依命通達の内容は次のようなものであった︒まず︑今回の基本的な方針としては︑従来から存在してきた課長代

理を廃止し︑班長やその他にも課の下にあった事務処理機構を新たに設置する係以外は廃止することとした︒つま

   東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶      ︵都法四十八ー二︶ 四〇三

(6)

四〇四

り︑都職労との交渉結果よりも積極的に合理化を進めるものであった︒

 第一に︑具体的な設置方針である︒係については︑内部管理部門を担当する係を除いて︑概ね局内課︵庶務課及

び主査を置く課を除く︶の三倍以内とすることが認められた︒一方で︑主査は︑課に係を置くことを適当としない

ものについて認めることとされた︒

 第二に︑主査・係の設置基準である︒係は︑①局における経常事務処理の単位として適当な内容︑規模及び責任

区分を有するものであること︑②係の設置によって事務処理の機動性を阻害しないものであること︑③概ね局庶務

課は五係以内︑各部庶務担当課は一係︵管理係︶とすること︑④係の人員は係長が効率的事務配分と適切なる指揮

監督をなしうる範囲とすることとして︑標準的係の人員は概ね一〇名程度︑定型的な業務を担当する係は概ね一〇

名乃至二〇名程度︑単純的労務の処理を担当する係は三〇名につき一係︑ただし五〇名以上で業務の性格上係を区

分することが可能なものについては一係二五名以内の区分において設けることができる︑とされた︒一方で︑主査

は︑設定できる課を次のように指定した︒それは︑①都庁全般にわたる管理事務を掌理するもの︑②二局以上にわ

たる調整︑統轄事務を掌理するもの︑③業務の性格が著しく高度の専門的学識経験を要するもの︑④主査を置くこ

とが出来る課及びその員数は当該局長の申請に基づき別に指定する︑とある︒

 第三に︑係長及び主査の任免及び職責についてである︒任免は当該局長が総務局長に協議のうえ行うとした︒そ

して︑その職責は︑係長は統轄事務執行の単位として︑分掌事務を処理し所属職員を指揮監督すること︑一方で︑

主査は︑担当事務処理の単位として係長に準ずることとされた︒

 第四に︑係長と主査の承認手続である︒局長︵出納長︶が︑係設置のために知事の承認を求めるときは︑①係の

名称︑分掌事務︑②係の構成︑③局内課の数の三倍を超える係を設けなければならない時はその必要性及び理由を

(7)

整備することとされた︒局長が主査を設ける課の指定を求めるときは︑①課に係を置くことを適当としない理由︑

②課別に置くことを適当とする主査の数及びその理由︑③主査の事務分担及びその内容を整理することが求められ

ていた︒  以上の内容をもとに一九五七︵昭和三二︶年四月一日より︑組織規程の職として主査・係長制が採用される予定       ︵17︶ であった︒これは︑後述の国家公務員において等級制が採用されたことに準じて採用された︑ともある︒実際に

は︑四月一日の同時採用には至らず︑各局によっては主査・係長制の設置には差異が生じていた︒例えば︑交通局

では︑従来より班長ではなく︑主任制を独自に採用していた︒そのため︑主任を係長とすることの是非について検        ︵81︶ 討が重ねられており︑四月一日からの係長制への移行は遅れることが当初から想定されていた︒結果的には︑四月

一日には︑民生局︑建設局︑建築局︑経済局の四事業局は係に移行が出来ない状況であった︒これは︑何れの局に

おいても設置基準による班数と︑各局において実際に存在した班数を踏まえて算出された要望する班数との間に格       ︵19∀ 差があり︑これを縮小しなければならないためであった︒つまり︑各局も業務内容が細化しており︑それに伴い班

もまた細化していたのである︒結果としては︑これらの局では︑設置基準の係数よりも多く設置することで結論が        ︵20︶ つく︵民生局・経済局は二〇係増︑建設局は二四係増︑建築局は四〇係増︶︒総体としては︑六八一係︵一課当た

り四・八〇係︶︑一四一主査となり︑従来の班からは九〇班が削減された︵表211︶︒そのため︑当初予定されて

いた程の大幅な合理化とまでは至らなかったともいえる︒

 新たに設けられた係長職には︑従来班長を勤めていた二級吏員昇任試験の合格者が引き続き多く任用された︒そ

の後の検討では︑第一章でも見たように︑新たな管理職試験制度を実施するうえでは︑係長を制度上の要件とする

までにはならなかった︒それは︑当時の人事委員会事務局任用部長であった佐々木英夫によれば︑在職年限が係長

   東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶       ︵都法四十八−二︶ 四〇五

(8)

四〇六 数

行 移

へ の 査

痴 主

及 酬

班 数

別 局 各

  表

年 ら 月 ユ 印

和 32

響μP 十潮縣

つ 鴫

ヨ 竜

24

12一

4 69 69

数査主

40 33

37

7 14 10

740

数ー白疋 DD決 ー一  一数ー麟仕

25 8 8 36

20一13一19一

14一

40一

0

1

鋤綻隔

53 斑 30 13 71 73 72 50 紡

26 25 17

583

蜘難係

77 62 38 49 51 60 53 45 71 72 25 25 17

583

数班行現

㈱蹴93

30

酬蹴鵬

76 97 83 50

脳 皿

36 25

調姐畑

数課行現

21 18 11 14 15 18 13 16 21 22 7 7 5

数部行現

7 4 4 6 5 5 4 5 7 5 3 3

58

名局 局務総局務財局税主嫡轍広局生民局生衛局済経局働労局設建局築建局湾港局掃清長納出

均平躍

程年   といえども﹁大きなバラツキが 曙髄﹂があったためであるという

つまり︑新しい魏で新たに係長に    月4   就任した者と従来の局で長らく係長 二年 三 を勤めた職員がいたる状況では︑係 胡剛 長であれば管理職試験の受馨格を

議庇認めることは﹁不公平の﹇を免

震難れない﹂とされたためであった・ま 臼日う  じ 喧蒜㍉﹂紗鮫㌶㌔⊇緯雛訓

鴛の間で了解を得ていた﹁係長は非

ヒロ

鷲囲組△︒員としない﹂︑とい︑つ事票存 の創月  在したことが︑係長を管理職予備群

縣驚であることを要件とすることなく

出    在職年限を管理職としての制度的な 典

(9)

﹁要件﹂として整備されたのである︒このことは︑実際に管理職︵課長︶に昇任する際の条件としては︑就任期間

と試験成績という︑一見する限りでは公平性の観点からは揺るぎのない要件を採用したといえる︒しかしながら︑

第一章でも明らかにしたように︑実際の試験結果からは︑多くの管理職試験合格者は係長職であり︑係長であるこ

とが事実上の﹁要件﹂となる傾向が見られた︒このことからすれば︑実態上は︑係長職を通じて得た職務知識の有

無が試験の結果に反映し︑昇任の事実上の要件となっていたとも考えられる︒

二.一五級制︑六等級制給料表の成立  ﹁処遇﹂に関する制度

(一

j背景

 次に︑﹁処遇﹂に関連する制度として︑東京都における一五級制︑六等級制給料表の成立を見ていく︒

 一九四六︵昭和二一︶年に提出された地方制度調査会答申では︑﹁給与については︑法律政令をもつて大体の規

準を規定し︑その範囲内で自治体が条例で規定するものとすること﹂とされ︑地方公務員に関する法制の整備が要

請された︒しかし︑第一章でも見たように︑地方公務員法制の整備は︑国家公務員法制の検討と並行することが適

当とされ︑地方公務員法制の独自整備は遅れた︒そのため︑地方公務員の処遇に関しては︑地方自治法施行規程第

五五条第二項に基づき必要な措置がされることとなった︒給与については︑三役は︑各自治体毎で条例により定め

ることとして︑吏員は︑官吏の俸給その他の給与の例によるとされた︒つまり︑官吏とは異なることがなく︑従っ

て条例を制定する必要がないとされた︒当時の国家公務員の給与に関しては︑官吏等俸給令︵明治一九年勅令︶︑

   東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶      ︵都法四十八ー二︶ 四〇七

(10)

      四〇八

官吏俸給令︵昭和二一年四月施行︶に基づく俸給制度が採用されてはいたものの︑改正が重ねられていたこともあ         り﹁混乱した給与制度﹂状況下にあった︒一九四七︵昭和二二︶年一〇月には︑国家公務員法が制定されたこと

で︑原則としては﹁職務給﹂を基本とした給与制が採用され︑給与制度としてはひとまずは安定することとなる︒

一九四八︵昭和二三︶年五月に﹁政府職員の新給与実施に関する法律﹂が制定され︑同年一月に遡り適用された・

同法によって︑新俸給への一本化︑職務に応じた給与の原則の確立︑そして︑職務を一五等に分類され︑一五級制

が施行された︒都道府県の職員については︑官吏の例によることとされていたことに続き︑国家公務員にならい・

職員の霧を一五級に分類し︑職員をそれぞれの魏に応じた級に位置づけら提・各都道府県に対しては・内閣

官房次長より﹁都道府県職員新給与実施要領﹂が提示された︒これによると︑国家公務員に準じて︑学歴︑格付

級︑在職年数︑業務の性質を踏まえて︑級が定められた︒具体的には︑部局長は︑一三級と一四級︑課長は=級

−≡級︑係長は九級−二級︑係長補佐は七級−九級とさ廷・そのため・地方霧員の給与制において・国に

準拠した給与制を受容する基盤となったのである︒

 東京都でも一般職員の給与に対しては︑独自の給与制を採用せず︑他の道府県と同様に︑官吏の例によるものと

された︒当時の職員の給与は︑職種の種類により︑一般給料表と特別給料表に分かれていた︒一般給料表は︑一般

職に属する職員が対象であり︑特別給料表は︑警察職員︑消防職員︑大学教育職員︑小学校・中学校等教育職員︑

⊥口

ッ等学校等教育職員︑学校事務職員が対象であった︒これら以外には公営企業職員については独自の給与表を採用

した︒各給料表は︑標準的な職務を基準として︑八ないし一五の職務の級に分類した︒そして︑号級は一号級から

入二号級まであり︑等比級数的に一本の系列に配列されるように定められた︒いわゆる﹁通し号給﹂が採用され

た︒昇給は︑一定期間良好な成績で勤務した場合に︑その属する職務の級の直近上位の号級に昇給された︒例え

(11)

ば︑一号級から三八号級は六か月︑三九号級から六二号級までは九か月︑それ以上は一二か月であった︒その幅の

最高号級にあるとき︑または最高号級をこえている場合でも︑勤務成績が特に良好であるときは︑普通昇給期間の       ︵25︶ 一倍︑二倍または三倍の期間で昇給が行われている︒

 その後︑一九五〇︵昭和二五︶年に地方公務員法が公布され︑同年二月より︑全国の都道府県では人事委員会が

設置された︒そして︑給与内容を検討する上で人事委員会における給与勧告制度が整備された︒一九五一︵昭和二

六︶年一月一〇日付けの通知によれば︑当時採用されていた給与体系を﹁根本的に改めなければならないものでは

ない﹂とされた︒職員給与は︑地方公務員法第二四条により︑生計費︑国及び他の自治体の職員ならびに民間事業

の従業者の給与その他の事情を考慮して定めねばならない︑とある︒本条項には︑﹁︵事実上はともかく︶法文上は         国家公務員の給与との均衡の要請は︑かなり弱いものとなった﹂との見解があるものの︑実際には︑﹁国公準拠﹂

により国家公務員給与との﹁均衡﹂の原則が定められたと解されている︒そして︑国の給与水準が地方公務員の給         与基準となるという﹁国の給与制度とのリンクしたもの﹂となり︑﹁官公均衡﹂水準が形成されたのである︒給与

制が﹁官公均衡﹂となる背景には︑当時の人事委員会勧告制度による制約も考えられる︒人事委員会では︑制度上

は︑生計費︑国及び他の地方公共団体の職員給与︑民間事業の事業者の給与︑その他の事情を考慮したうえで︑勧

告することができる︒しかし︑人事委員会の勧告は﹁できる﹂との規定に止まっており︑法制度上は義務とされて

いなかった︒そのため︑必ずしも給与確定に関与する権威が確立していたとは言い難い状況にあった︒また︑人事

委員会が実際の給与体系の確定段階では︑執行部と職員組合双方からの要請や期待を受けつつも︑そこで出された

勧告等の内容が︑ややもすると実現可能性が低い内容となる可能性を含んでいたといえる︒その一つの例が︑後述

する一五級制から六等級制へ移行時の審議であった︒東京都の最初の人事委員会委員であった小倉庫次によれば︑

東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶       ︵都法四十八−二︶ 四〇九

(12)

       四一〇

人事委員会の設置当初は必ずしも理解が徹底されておらず二非常ばしご的褒Lとも称された・また・当時の四

六都道府県中二七都道府県では給与条例が未制定であったことから︑各自治体では給料表のべースアップについ       ぬ  て︑人事委員会が独自に勧告することが︑制度上はできなかったことも現状としてはあった︒

 このような都道府県の動向のなかでも︑東京都では︑一九五二︵昭和二六︶年六月に職員の給与に関する条例が

制定され︑同年人事委員会が設置され︑同年一二月には︑人事委員会から第一回目の報告が知事に対して提出さ

  

れた︒特に︑東京都の人事委員会による報告は︑第二回以降︑人事委員会独自に民間給与実態調査を行った上で提

出されたものとなり︑人事委員会が独自に行う民間給与実態調査に基づく報告の形式は︑現在では﹁人事院が行う           ような本格的勧告﹂となっており︑東京都の﹁特殊性﹂となっている︒

︵二︶検討と成立

 官吏の例により採用された一五級制であったが︑東京都に適した制度であるかについては︑人事委員会において

議論が重ねられた︒しかし︑一五級制の採用以降七度にわたる→ス影を進められたものの・給料制自体が見直

されることはなかった︒特に︑人事委員会の設置以降では︑委員会の報告を受けて改訂が進められてきた︒例え

ば︑一九五二︵昭和二七︶年一〇月二〇日の人事委員会の報告では︑物価は漸次安定しつつも消費者物価指数が総

合で七.二%増︑その他では被服費以外はすべて増加していることや︑生計費についても前年からは二一二・七%増

加︑標準生計費についても前年からの一〇%増︵六〇六七円から六六八〇円︶︑民間給与も全産業において東京都

分は前年より一八.三%増︑人事委員会による民間事業所調査︵都内五〇人以上の従業員を有する事業所︶では

(13)

       お   ﹁民間給与は一般に都職員給与を上廻り︑中でも役付職員については︑その差が著しいことが認められた﹂とあり︑

 ﹁給与に関係する諸条件は既に変化を示し︑都職員の現行給与は必ずしも適切なものではないと思料せらるに到

墨﹂との現状分析がなされた・地方公務員法第二四条第三項では︑国家霧員の給与を考慮することが求められ

 たものの︑当時は国家公務員の給与が決定されていない状況にあったため︑人事委員会においても﹁都職員の新給

 与を最終的に論ずることは適当ではない﹂との考えが示された︒しかし︑人事委員会では︑﹁給与改訂の気運が漸

 次醸成されつつある﹂との見解も示しており︑具体的には︑現行給与水準に比して概ね三〇%程度引上げる内容を

 報告した︒一九五五︵昭和三〇︶年一一月二二日の人事委員会による報告では︑﹁都職員の給与は︑ある程度改善          され︑また給与決定に関係ある諸条件もあまり変化を示してない﹂として︑一九五四︵昭和二九︶年一月から採用

 してきた給料表の改訂は行われないままで︑ベースアップを進めることとなった︒その一方で︑国や他の自治体︑

︑民間の給料制度の改善を踏まえて︑次のような報告がなされた︒まずは︑﹁職員の給与については︑経済関係の実

 情にかんがみ︑差当りは︑生活級の色彩をもつこともやむを得ないが︑逐次︑職務と責任に応ずる給与制に移行さ         せるため︑昇格︑昇給制度の改善を図ること﹂であるとして︑一五級制にも問題もあるとも指摘した︒

  旦ハ体的には︑一五級制には︑職種間において職員の給与分布に広がり生じていたことや︑同一階層内で幾つもの

 職務の級が位置づけられていたこと︑同一職務の級において異なる階層の職員が混在していたことが問題であつ

 た︒これらの問題は︑一五級制を採用している国家公務員でも同様の指摘があった︒つまり︑異種の職種に同一の

 俸給表を利用することが限界であること︑段階別職務実態に即応しないこと︑各級ごとに枠外者が多いこと︑通し       ぱ   号俸制及び俸給の調整額が実情に合わないなどが指摘されていた︒そのため︑管理職においても︑同じ職層の管理

 職であったとしても︑異なる職務級に属している者が存在していた︒つまり︑二級吏員昇任試験を合格した職員で

     東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶       ︵都法四十八ー二︶ 四二

(14)

四一二

あっても無任所の者は︑昇給︵号級が一号級上位となること︶はなされてはいたものの︑昇格︵職務の級が一級上

位の職務になること︶は行われていない状況にあった︒

 一九五六︵昭和三一︶年七月一六日には人事院勧告が提出され︑当時の一五級制を廃止して︑新たに八種類の俸

給表︵行政職︑税務職︑公安職︑海事職︑教育職︑研究職︑医療職︑技能労働職︶に改める内容が示された︒例え

ば︑行政職では︑俸給表を一等級から八等級までに改める内容であった︒この勧告が提出された後︑一九五七︵昭        和三二︶年五月一七日に可決成立した︒そして︑一九五七︵昭和三二︶年六月一日より︑一般職の職員の給与に関

する法律の一部を改正する法律が公布施行され︑同年四月一日に遡及して︑国家公務員では八等級制を導入され

た︒これにより︑現代まで継続する国家公務員給与体系が形成さ江越のである︒

 人事院勧告から国会審議の間には︑東京都の人事委員会からは︑一九五六︵昭和三一︶年一一月三〇日に給与に

関する報告が提出された︒本報告では︑東京都における一五級制の実態と制度上の不合理を指摘した内容であっ

た︒つまり︑東京都の給与制は︑コ般職に属する国家公務員の給与制度と大綱において類似しているけれども︑

初任給︑職層別職務の級の範囲及び枠外昇給等の相違があり︑このことが昇進速度の差異と表裏して︑実質的に         は︑両者の間にかなりの差異を生じている﹂とある︒国家公務員との職員の級別分布の比較を見てみると︑一般職

員は東京都職員の方が高く︑一方で幹部職員は東京都の幹部職員の方が若干低い状況にあった︵表212︶︒これ

は︑コ般職員にあつては︑初任給職務の級の限度および枠外昇給の点において︑国家公務員よりも都職員につい

て有利になつているのに対し︑幹部職員にあつては︑昇任にともなう昇給昇格が国家公務員よりも都職員の方が不        む  利になつているからである﹂としている︒また︑同報告では︑一五級制の問題としては︑一九五二︵昭和二七︶年       ︵24︶ 一〇月の報告と同様の内容が指摘された︒

(15)

較 比 の

棚 粉

酬 即

  表

級8級9%12

級10

脳4 跳眺

級11

%18

脳4眺9

級12

眺6 %82

級13

%55%98%31

級14%6眺9%4

級15%26%10

長局省本国長局庁本都長部庁本都長課省本国長課庁本都 佐補長課省本国

員吏級二旧都

三   現    同報告では︑東京都でこれらの問題が生じた要因としては︑次 和   月       ︵43︶ 昭  国   の三点を指摘している︒まずは︑一般給料表内に︑給与上の処 雛 欄 遇・段階区分を別にすることが明らかに妥当であると見られる技 と    昭 告  翫は   能労務職を含んでいたためである︒次いで︑標準的な職務の級の 醐姦 葦が明確でなく・またその限度が一般職員に三ても割合に高 嚇鷺ξられて;また級別定蓮もない;大多讃員 順讃抽そのため・普通昇給期間で昇給できる限度が聾かになってお    ユ 課 人田し 結㌶擬りこれに加えて︑鷲間での階段差が少ないため︑高い.万級ま 酬朋芸で亘昇給がなされていたのである.そこで︑同報告では︑給与 露よ㌫は・上述の通り・国家霧員については国会の審議最中でもあ 鞍㌫灘り﹁都警の給料表及び昇給方法等を含む具体的な給与馨の 人二のの都       ︵44︶ 蜘三国都勧方策に三て意見の申出は︑いましばらく留保する﹂とされてい

凍一吐臥   たためであった︒これは官公間で制度設計においても均衡が図ろ

典朋  うとする配慮ともいえよう・

東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶       ︵都法四十八ー二︶ 四一三

(16)

       四一四

 その後︑国家公務員に入等級制が採用されたことを受けて︑自治庁からは各都道府県知事に対して︑一九五七

︵昭和三二︶年五月二八日に︑﹁地方公務員の給与制度等の改正について﹂︵昭和三二年六月一日 自乙公発第五一

号︶が示された︒これにより︑各自治体において︑職務の特殊性毎に俸給表を定めることを要請された︒例えば︑

行政職給料表︵一︶を整備し︑一等級︵本庁の部︵局︶長の職及びこれに相当する職︶から六等級︵吏員以外の職       ︵54︶ 又はこれに相当する職︶の六等級制が採用された︒

 東京都では新しい給料表を導入に当たり︑まずは︑総務局から︑都職労︑東京都労働組合連合会︵以下︑都労

連︶との間で検討が進められた︒これは︑団交に至るまでの事前の交渉ともいえ︑総務局人事部職員課長︑勤労部

労務課長及び担当課長︑職員組合からは副委員長︑書記長︑各単組役員が参加した︒都労連からは︑総務局側に対

して①職員の新給与は職種に関係なく行政職俸給表︵一︶の俸給金額をすること︑②職種の分類︑等級の編成等に

ついては別途検討するものの俸給表の金額は全て行政職︵一︶の俸給額とすること︑③昇給期間を一部短縮化する

こと︑④一般職の初任給は新制中学卒六三〇〇円︑新制高卒七四〇〇円を基準として短大卒︑新大卒については別        ︵46︶ 途協議をすることの以上四点が申し入れられた︒その後︑総務局は団交を行うものの︑萩原辰郎副知事の提案によ       ︵47︶ り︑内容の詳細な検討のための給与改訂小委員会を設けて︑技術的な議論が行われ内容の一致を目指した︒しか

し︑給与法の国会成立前であったこともあり具体的な審議は進まなかった︒特に︑総務局からは国会審議中である

ことに加えて︑東京都の人事委員会からの意見が未提出であることを理由として具体的な内容にまでは踏み入るこ

とが出来ないという考えを示していた︒つまり︑人事委員会の報告が未提出であることを盾に︑都職労からの要請

を甘受するような拙速な結論に至ることを抑制することを企図していたと考えられる︒一方で︑都労連からは︑交

渉を進めるためにも︑法成立直後からは人事委員会に対して報告提出を求めていた︒しかし︑人事委員会委員長で

(17)

分 区

務 職

喋 準

等 綱

表 料

職 給

桁 政

  弓

級咋 長係級初

級時 長係級上

級時長係

級蒔σo長係

級時長課

級時長部

級時長局

 三       あった大野木克彦  和  昭      は︑﹁国に準ずる 酷      という原則から︑  と  告      国に先んじて都の  報   月  る   一      方針はだせない  す   ー 幽 糠      が︑都における情  与  給        勢を考えて検討﹂  給  職

峨 る       魅・報告を留保  課  ユ  縛 剖       していた︒

 務8 人        員会では︑国家公

 人二 蜘三      七︵昭和三三年

 凍一       六月一四日に提出  典  出      した︒報告では︑

東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶      ︵都法四十八ー二︶ 四一五

間期給昇212121212121212121212151811242

級等7

額月料給00﹂6003600過6000700メ700ρ800β8002900β900陥01004110032100β31003410035100β61

‖期給昇2121212121212121212121212121215181811242

級等6

額月料給002900β900β010041100β2100β3100β4100β5100β6100371003810039100002004120062200β3200﹄5200262005720008200303

‖期給昇21212121212121212121212121212151811242

級等5

額月料給00411003210033100β4100β5100β610037100ほ810039100β0200遵1200β2200β3200﹄52002620057200⑨8200β0300﹄2300733 鯛給昇212121212121212121212121212151811242

級等4

額月料給00351003610037100β8100ほ910030200遵1200陥2200β3200ゆ52002620057200β820030300﹄23007330045300己7300β83 聞期埜和昇2121212121212121212121212151811242

級等3

額月料給0030200己1200β2200β32000520026200572000820030300﹄2300﹂3300湛5300ユ7300β83005040022400メ4400664 酬給昇21212121212121212151811242

級等2

額月料給00β03000230073300メ5300ユ7300β83005040022400己400過6400β8400﹄150023500455

聞期給昇212121212121212151811242

級等1

額月料給002240044400㊤6400β8400﹄150023500遵5500㊤7500﹄0600メ2600β460027600陥96

1

2

3

4

5

6

7

8

9

011121314151617181910212

(18)

      四一六

  新給与表を︑職務に応じた一〇種類︵行政職︵一︶・︵二︶︑公安職︑教育職︵一︶・︵二︶・︵三︶︑医療職︵一︶・        ︵49︶   ︵二︶・︵三︶︑研究職︶の給料表に改める内容であった︵表2−3︶︵表214︶︒同報告では︑行政事務︑技術系統

  職員で他の給料表を適用されない職員を︑﹁行政職給料表︵一︶﹂が適用されるとして︑七等級に分類するもので

  あった︒上記の自治庁からの要請とは異なる独自な内容であった︒

   そして︑二級吏員昇任試験の合格者を五等級に位置づけた点も特徴といえる︒これにより︑二級吏員昇任試験の

  合格者が係長に就いた場合には︑一般の係長と比べても︑二級吏員試験合格者を非合格者よりも配慮した位置づけ

  とする内容となった︒これは︑人事委員会事務局公平部によれば︑﹁叙級制度の廃止で二級と云う制度はなくなつ       ︵50︶   たが︑これはあくまで既得権として尊重しなければならないとの観点から分けた﹂からという︒これにより︑無任

7 所の職員から順次︑管理職又は管理職予備群とすることが期待されたのであった︒

   しかし︑人事委員会による同報告は実現されることなく︑その後︑東京都では六等級制となる︒何故︑人事委員

  会の報告が採用されなかったのか︒これに対して人事委員会の資料では︑本報告から条例制定までに﹁条例化の段

  階では︑教職員︵一︶︑︵二︶︑︵三︶の名称がそれぞれ教育職給料表︑高等学校等教育職給料表︑小学校中学校等教

  育職員給料表と変わり︑また研究職給料表は実施されなかったため九職種となった︒さらに︑この際に一部の等級        ︵51︶   構成の変更︵行政︵一︶の七等級制を六等級制へ︶もあった﹂との事実記載が残されているだけであり︑同報告が

  採用されなかった理由は明示されていない︒これは︑恐らくは︑二級吏員職員の処遇などの東京都の特殊性を配慮

  したうえで独自の給料表を提案したものの︑給与決定の実際の場として以前から継続的に交渉してきた総務局と職

  員組合のそれぞれから期待されていた内容とは離れてしまっていたことがその要因として考えられる︒

   そのため総務局では︑都労連に対して一九五七︵昭和三二︶年六月一三日の事務折衝において非公式に行政職給

(19)

      料表︵一︶を提示した︵表21

      5︶︒総務局から示した給料表

      案は︑一等級が局長︑二等級が

      部長︑三等級が課長︑四等級が 月 ↑      係長︑五等級が吏員︑六等級が

犠       雇員とされた︒これは︑人事委

職      員会の報告内容から︑二級吏員 織

桁      昇任試験の合格者が位置づけら 政

蝸      れていた五等級を除いた内容で

に 案       あった︒総務局からは︑この給

      料表は︑正式なものではなく︑

2       事務局の考えをまとめたもので モ

      あること︑国の給料を基に作成

      したものであること︑国家公務

      員では八等級に分類しているが

      東京都では六等級としたとの説

明がなされた︒つまり︑国よりも二等級︑人事委員会の報告よりも一等級を少なくし︑自治庁が上記の通知により       ︵52︶ 当時﹁適当﹂との判断を示していた他の道府県と同様の六等級であった︒総務局が六等級を提案した理由について

   東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶      ︵都法四十入ー二︶ 四一七

聞期給昇2121212121212121212121212121212121515181811242

級等6

額月料給00ユ600β600β6000700己7000800過8002900β900過010⑩L100β2100β310034100β5100β61003710038100β9100β0200メー200過2200β3200⑩52

鯛給昇2121212121212121212121212121515151811242

級等5

額月料給002900β9060q10041100β210033100β4100β5100β610037100︑38100β9100β0200A1200過2200β3200﹄5200262005720008200303

‖期給昇2121212121212121212121215151811242

級等4

額月料給00β5100β6100β7100β810039100β020041200陥2200β320005200②62005720008200303000230073300A5300ユ73

‖期給昇21212121212121212121212121215181

21

42

級等3

額月料給003020041200過2200β3200﹄5200262005720008200β03000230073300メ5300ユ7300β8300ほ040022400己4400β6400﹄84

間期給昇2121212121212121212151811242

級等2

額月料込和0030300﹄230073300己5300ユ7300β8300504002240044400㊤6400β8400015002350045500β75

同期給昇212121212121

級等1

額朋米給0022400己4400β6400β8400﹄150023500メ5500β7500﹄060042600β460027600696

1

2 3 4 5 6 7 8 9

01

11

21314151617181910212223242

(20)

四一八

は︑本稿では把握することができなかったものの︑当時の状況から察すると︑職員組合からの納得を得るために用

いられたことが考えられる︒上述の通り︑職員組合からは行政職俸給表︵一︶の俸給を全ての職種に適用すること

というように︑従来の給与体系を継続する意向が強かった︒そのため︑都労連や都職労からは﹁都の実情に全く合        お  わない﹂との考えが示された︒特に︑人事委員会の報告は︑総務局が示した給料表よりも実情に合わないとしてい

た︒つまり︑等級としては係長を四等級︑五等級の二段階としたことで総務局の案よりも一等級多いことや︑七等

級の号級を総務局案であった二四号より少なく一六号として︑更には一等級から四等級は昇任期間が延伸したもの         ヨ となっていたことを問題と捉えていたのである︒比較考量によれば︑総務局の提案は次善案と捉えられるとも考え

られる︒結局は︑六月一八日に開催された小委員会では︑﹁現行を改悪するもの﹂として︑﹁早急に都案を示しても

   ︵55︶ らいたい﹂との意見が示され︑人事委員会の報告内容はその後議論の祖上に載ることはなかった︒総務局と都労連

との第八回目の団交は六月二一日に開催された︒ここでは︑総務局からは給料表改訂に関する回答が示された︒ま

ずは︑行政職給料表︵一︶以外の給料表を用いる金額は︑国の当該俸給表の金額によることとした︵ただし行政職

給料表︵二︶及び医療職給料表︵三︶については原則として行政職給料表の金額を用いる︶︒次いで︑一九五七

︵昭和三二︶年三月三一日以前から引続き在職する職員については︑当分の問︑国の措置に準じて現行給料額とす

ることとした︵この暫定措置は本年四月一日に遡り実施し︑この間における暫定手当については︑一九五七︵昭和

三二︶年三月三〇日現在における勤務地手当相当額とする︶︒これに対して︑都労連からは︑六月二一日の総務局

の回答は教育職給料表の問題には不明確な内容があり︑等級編成︑昇給期間及び昇給の限度等に関する基本的態度

が明確になっていないとして︑これらを更に明確にさせることを求め︑暫定給料︑暫定手当の問題︑夏季手当の支

給基準に関しては当面留保する・という意見が提示さひ煙・馨局は・六月二四日に開催された第九回目の団交に

(21)

おいて︑教育職給料表について︑﹁教育職給料表に用いる金額は国の当該俸給表の金額とする但し行政職給料表        ホ 

(一

jとの関連及び教員の実態並びに均衡を考慮して必要な調整を行うものとする﹂と回答した︒このように︑都

労連側は行政職︵一︶に基づくことを継続的に主張し︑一方で︑総務局は職種別の給料表とすることで対立した︒

結果としては︑総務局からは︑行政職︵二︶︑医療職︵三︶︑教育職を原則として行政職︵一︶に基づき考慮するこ

とで︑給与改訂については原則としては一致した︒その後︑初任給に関する交渉等が進められ︑約一〇ヶ月にわた        ︵58︶ る交渉は︑一九五八︵昭和三三︶年三月に合意に至った︒

 同年一〇月に職員の給与に関する条例の一部改正する条例が公布施行され︑同年四月に遡り︑新しい等級制給料

表が導入され・東京都でも六等級制が採用さ江趨・これにより豊毎の給料表︵行政職給料表三・三︑公

安職給料表︑教育職給料表︑医療職給料表︵一︶〜︵三︶︑小学校・中学校等教職員給料表︑高等学校等教育職員

給幕劉︶を設け・等級区分と給与の関係を明確にし︑﹁秩序正しい等級制にもとつく警と責任に応ずる給料の支

給を行うこととされた﹂ので袈・実際には・旧制度からの移行に伴う制度間の蓼が進められた︒例えば︑初任

給︑昇格及び昇給に関する規則の全部改正︑管理職手当の支給範囲の拡大と課長職に対する支給︑初任給の改訂及

び暫定手当の繰入並びこれに伴う給料表の改訂︑初任給の改訂の結果生じた昇給間差額のゆがみを標準的に是正す         るための給料表の改訂︑研究職給料表の制定︑医療職給料表︵一︶の適用者の給料表改善等が行われた︒一九六〇

︵昭和三五︶年一一月一入日には︑人事委員会から民間給料との較差是正のための給料表の改訂︑昇給期間の一二

月とすること︑初任給調整手当を制定することを内容とした初めての﹁勧告﹂が提出された︒

 以上のような過程を経て︑東京都において等級制給料表が導入された︒等級制給料表は国家公務員のそれと同様

に︑職務内容によつて一般給料表が分割されており︑職種に適応した給料表が新設されたため︑﹁職階制の代替的

   東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶      ︵都法四十八ー二︶ 四一九

(22)

      四二〇

   

機能﹂を果たすことになったといえる︒つまり︑﹁その策完にあたつては本都独自の任用制度給与制度を基盤とし         た体系を打立てることとなつた﹂のである︒結果としては︑行政職給料表︵一︶に基づき課長を三級とした︒しか

し︑これは︑二級吏員昇任試験の合格者には︑処遇上の整備は特段行われることなく︑東京都の処遇の体系が整備

されたものであった︒

三.定年制の検討・勧奨退職制度の成立  ﹁職数﹂に関する制度

(一

j背景

      ぽ   最後は︑﹁職数﹂に関連する制度として︑定年制の検討︑勧奨退職制度の成立を見ていく︒

 地方公務員に対する定年制が地方公務員法上に導入されたのは︑一九八一︵昭和五六︶年であった︒それ以前

は︑地方公務員の身分に関する統一的規程がなかったため︑各自治体では︑条例又は規則等により独自に定年制を

定めていた︒例えば︑一九五〇︵昭和二五︶年段階では︑全自治体の入・五%︵八八八自治体︶︑都道府県では三

自治体で定年制を設けていた︒東京都においても定年制は予てからの検討課題とされてきた︒例えば︑前述の﹁都

行政の民主的能率的運営に関する調査﹂においても︑戦後復興期に都政の再建を図る上で職員の刷新︑新陳代謝の

促進が課題とされており︑豆吏員のうち六〇歳を対象とした定年制を設ける轟との提黍なされた・

 地方公務員法の成立段階では︑定年制を設けることには︑積極的には︑制度設計上の検討課題としては扱われて

いなかった︒地方公務員法制定当時の担当者であった角田礼次郎によれば︑連合国軍総司令部との交渉の中では︑

(23)

退職年金制度が整備されると退職年金を受けられる時期に自然と退職する者がでることが想定されており︑そのた        め敢えて定年制を導入する必要はないという考え方が示されていた︒その後︑地方自治制度官庁としては︑戦後当       ︵68︶ 初には︑都道府県及び市町村の吏員については定年制を設けることは法的には問題ないとの見解を示す者も一時期

はいたものの︑地方公務員法の改正までは一貫として﹁現行法制の下においては︑職員が一定の年齢に達したこと        ︵69︶ のみを基準として︑画一的に免職することはできない﹂との見解が示されており︑一般的には定年制を採用するに

あたっては法律の改正が必要と考えられてきた︒

 最初の定年制導入の契機となったのは︑一九五二︵昭和二七︶年の地方公務員法の改正時であった︒この時に       ︵07︶ は︑実際に定年制の採用も検討され︑例えば民間企業の実施状況等についての研究が行われたという︒その検討結

果としては︑地方公務員法第二八条第一項に一号を追加して︑﹁職員が︑条例で定める年令に達した場合には︑そ

の意に反して︑降任又は免職をすることができる﹂という規定を設けることが想定された︒しかし︑実際には︑法

案としては提案がなされなかった︒それは︑まずは市町村レベルでの吏員以外の職員に対する退職年金制度が未整

備であったこと︑次いで成果主義の原則からは好ましくないと考えていたことがその理由とされる︒また︑前述の       れ  角田の指摘では︑国家公務員法にない制度を地方公務員法に設けることに﹁若干のちゅうちょを感じたこと﹂から

定年制の規定を改正案に盛り込まなかったという︒

 定年制が再び取り上げられたのは︑一九五三︵昭和二八︶年の地方制度調査会答申においてであった︒この答申

では︑﹁任用制度その他地方公務員制度に関する事項﹂として﹁条例で定年制を設けることができるものとする

︑塗﹂とされた・地方制度調査会の場で制度改正の課題として取り上げられた背景には︑﹁漸く行き詰つてきた地       ︵73︶ 方行財政の合理化のために︑それが有力な一手段であると考えられたから﹂との指摘がある︒当時の地方財政の危

   東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶      ︵都法四十八ー二︶ 四二一

(24)

四二二

機的状況を背景として︑一九五四︵昭和二九︶年には吉田内閣において︑﹁地方公務員の人事整理に関する件﹂が

閣議決定された︒これに基づき︑自治庁では各自治体に対して︑一般職二六〇〇〇名を含む︑五八〇〇〇余の行政

整理の通達を示した︒これは︑各都道府県レベルでは︑職員の五・五%を整理する内容であった︒各自治体では︑

主に高讐を対象とした退職勧奨が行われるところも多かったと境・しかし・高齢者の轟勧奨が警組合の抵        ︵75︶ 抗もあり思うように進まない自治体もあった︒その後︑地方公務員法の改正案が︑一九五六︵昭和三一︶年に第二

四回国会に提出された︒提出された法案は︑同法第二八条に︑新たに第七項として﹁地方公共団体は︑条例で職員

の定年制を定めることができる﹂︑第八項として︑﹁前項の定年制を定めるに当たっては︑職員の特殊性並びに退職

金及び体側一時金の制度との関連について適当な考慮が払わなくてはならない﹂の二項を追加する内容であった︒

つまり︑法令により一律に定年制を設けることなく︑各自治体の条例によって︑定年制を設けることができるとさ

れた︒審議は︑参議院にて自民党と緑風会による賛成により︑衆議院へ移った後︑文部省からの反対もあり︑継続

        審議となった︒安井誠一郎が会長を務めていた全国知事会からは同年六月に﹁地方公務員︵教職員を含む︶に対す

る停年制実施に関する要望﹂が提出され︑そこでは︑﹁各地方団体は挙げてこれが実現を期待して﹂おり︑﹁教職員        じ を含む地方公務員に対し︑停年制を実施し得るよう﹂と強く定年制の実現が求められていた︒しかし︑その後︑第

二五回国会に提出されたものの継続審議として扱われ︑第二六回臨時国会では廃案となり︑地方公務員法上では導

入されるまでにはならなかった︒

(25)

︵二︶検討と成立

 一九四九︵昭和二四︶年五月二六日に︑各知事宛に通達が示された︒東京都では︑この通達を受けて︑一九四九

︵昭和二四︶年九月三〇日迄に︑順次行政整理を実施した︒この際の整理率としては︑原則として︑昭和二四年三

月一日現在の予算定員に︑三割を乗じた人員を目標とした︒そして︑整理基準としては︑①満六〇歳以上の者︵用

務員は六五歳︶︑②執務の能率が著しく低い者︑③勤務成績が不良の者︑④正当な理由なく欠勤の多い者︑⑤退職

を願い出る者︑以上五つとした︒そして︑整理基準に該当する者については退職を勧奨したものの︑﹁つとめて︑

垂退響として取り扱うように込﹂という・これに至るまでは︑地方霧員法の施行以降︑﹁職員関係は︑新

体制に移行する過齢﹂であった・そのため・人事管理においても配置藁によって董が進められた︒例えば︑

第一章でも見たように︑一九五二︵昭和二七年︶の機構⁝改革においては︑職員の配置転換で対応してきたものの︑

合理化には至らなかった︒そのため︑職員構成の高齢化が進むとともに︑人事の停滞を招いていた︒特に︑東京都        では︑高齢者が他の道府県と比べても高いことが問題とされていた︒そのため定期的な職員異動だけでは︑職数の

確保につながる現行職員の自然減を期待できなかったのである︒

 そこで︑これらの課題への制度的な解消策として︑定年制の導入が検討されることになった︒例えば︑人事委員

会任用部企画部では︑﹁定年制についての研究﹂が行われ︑その内容を一九五五︵昭和三〇︶年一二月に発表

嬢・報告書では・定年制の定義からはじまり・目的効果︑定年年齢の一般的決定方法︑過去・現在における定

年制度及び退職金制度等というように︑定年制に関連する基本的な課題についての整理や実態調査が主たる内容で

   東京都における管理職試験制度の成立︵二・完︶      ︵都法四十八ー二︶ 四二一二

参照

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