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自動車販売業への生産知識の移転

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(1)

1. 

問題の所在

 日本の製造業の優れた能力は広く知られるところである。TQM(Total Quality Management)、TPM(Total Productive Maintenance)、 ト ヨ タ 生 産 方 式(Toyota Production System)などは、海外企業も多く採用している。こうした能力のおかげで、

特に 1980 年代以降、自動車や電機産業では、相対的に低コスト、高品質、多品種の製品 を市場に投入することが出来たのである。

 他方で、サービス業の生産性の低さは先進諸国の間では際立っている。特に、販売業、

運輸業では米国に比較して半分程度の労働生産性しかない。この製造部門とサービス部門 の生産性の大きな違いは目を引くものである。

 この違いは、製造部門からサービス部門への知識や能力の移転がこれまで進んでこな かったことを示唆している。しかし、視点をよりミクロに合わせてみると、近年、いくつ かのサービス業で、製造企業からの知識移転が行われ始めていることも分ってきた。本稿 では、日本の主要な自動車メーカーであるトヨタ自動車と日産自動車が、工場で蓄積され た知識・生産方式を、それぞれの販売ディーラーに適用していく過程を記述する。

2.日本の製造業における独自の生産方式の開発と普及

 1980 年代以降、日本の製造業の優秀性は広く世界に知られるようになった。しかし、

日本の製造企業群は 1980 年代に、突然優秀になったわけではない。現在では世界的な優 良企業と言われる日本の製造企業の多くは、第 2 次世界大戦後の混乱期から高度成長期を 通じて、倒産の危機や外国企業の国内市場参入の脅威の下にあった。そうした脅威を克服 するために、彼らは独自の生産管理方式を生み出していった。そうした方式には、TQM

(Total Quality Management)やトヨタ生産方式(Toyota Production System)など、日 本国内のみならず広く世界に知られ、海外企業も含め多くの企業が採用していったものも ある。国内の普及については、いくつかのルートが存在する。

(1)TQM のように、普及を促進する団体がいるケース:こうした団体は、企業への啓蒙 活動をするとともに、優秀な企業にはデミング賞のような賞を与えることで、新しい 生産管理方式の採用を助長してきた。

(2)ビジネス雑誌や書籍等の外部情報を通じて、新しい生産管理方式を知り、採用するケー

【研究ノート】

自動車販売業への生産知識の移転

松尾 隆 *

* 首都大学東京社会科学研究科経営学専攻

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ス:例えば、トヨタ生産方式が日本国内で知られるようになったのは、その開発者で ある大野耐一が著作を出版したことがきっかけであった(大野 , 1978)。

(3) 業務上の取引の必要性があり、新しい生産管理方式の開発者や、その初期採用者が取 引相手に、採用を求めるケース:例えば、トヨタ自動車が開発したかんばん方式1は、

1950 年代にトヨタ自動車内部で普及が進み、その後、1960 年代、70 年代を通じて、

トヨタ自動車に部品を供給するサプライヤーの間に普及していった。それは、トヨタ 自動車がサプライヤーに対して、かんばんを使った納入を強く指示したからであった。

 かんばん方式のような新しい生産管理方式の普及がサプライヤーに対してスムーズに進 んだのは、日本型の企業間関係が寄与していたと考えられる。日本の大規模製造業は、各 自が、特定のサプライヤーと長期的に取引する傾向がある。そのため、彼らの取引は、相 互に寡占的な性質を持つ。こうした状況の下では、大企業が新しい生産方式をサプライヤー に採用させるメリットは大きいし、サプライヤーにとっても取引量の大部分を占めるその 大企業の意向を無視することは出来なくなる。

 こうして、比較的クローズドな企業間関係を持った垂直的グループが、集中的に新しい 生産方式を採用することによって、日本の優れた製造業はグループレベルでの競争優位を 発揮することが出来た。上記のように、このグループレベルの能力は 1960 年代から 1970 年代にかけて蓄積されていき、その後、1980 年代には国際市場において、多いに発揮さ れた。

3. サービス部門の低生産性と製造部門との断絶

 日本のサービス部門を見ると、製造部門とは全く異なる姿が浮かび上がる。例えば、日 本の経済産業省が行った調査では、米国と比較して、日本の流通業の労働生産性は半分以 下である。また、近年の労働生産性の上昇率を見てみると、日本は先進 4 カ国の中で、製 造業は最も伸びが高いのに対して、サービス業は最も低い(表 1)。

 もちろん、サービス業の低生産性には多くの理由が考えられる。例えば、相対的に零細 企業が多いこと、狭い商圏、低い設備投資、顧客ニーズの多様性などは、日本特有の事情 であり、サービス業の生産性を低く押さえる要因になっている。

 しかし、製造業も第 2 次大戦後の発展初期段階は、欧米企業と比べて零細、小規模な企 業群であった。彼らは、そのハンディキャップを克服する過程で独自の生産方式を生み出 していった。サービス業においても、製造業のように独自の管理方式が開発され、広く普 及する条件はあったと思われる。

 現実の日本のサービス業者は、日本の環境に適応するための変更はなされたものの、欧 米の業態を日本に導入することで近代化を行ってきた傾向が強い。

 では、製造部門からサービス部門への知識・手法の移転はなかったのであろうか? 結 論的には、製造部門の手法がダイレクトにサービス部門に移転することはほとんどなかっ たようである。例外的に TQM は製造業に留まらず、幅広いセクター(公共部門を含む)

に普及している。TQM はもともと TQC(Total Quality Control)と呼ばれた品質管理の

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手法の 1 つである。TQC が一般性・普遍性を獲得すべく、ホワイトカラー部門や、サー ビス部門が含めた領域を拡大していく過程で TQM と名称を変えた。しかし、この TQC のサービス部門への拡大は、TQC をそのまま適用するというよりは、TQC のコンセプト 自体の変更を伴っていた。したがって、TQM は製造業の知識・手法のダイレクトな移転 とは言いにくい。

 では、取引のある企業間の知識移転はあったのか? 自動車関連産業の場合、管理会計 などの近代的な経営管理手法が、メーカーの指導でディーラーに導入されることはあった。

しかし、生産方式に関わる知識がダイレクトに移転されることは、これまでほとんどなかっ たようである。

 しかし、近年、いくつかのメーカー=ディーラー間で、生産管理手法の導入した事例が 観察されている。また、製造企業が、異業種のサービス業のコンサルティング・サービス に多角化する事例もある2。では、どのような経緯で、こうした手法の移転が行われたの であろうか?

 以下では、メーカー=ディーラー間の知識移転の事例を記述する。事例として取り上げ るのは、日本の 2 大自動車メーカーであるトヨタ自動車と日産自動車である。主要な着目 点は、移転が行われたきっかけ、移転に関与した人間、移転のプロセスにおける知識の変質、

移転の結果、である。移転事例の記述の前に、日本のカーディーラー・システムについて 簡単に説明する。

表 1 先進国の労働生産性の伸び:製造業とサービス業

(単位%) 米国 英国 ドイツ 日本

製造業 3.3 2 1.7 4.1

サービス業 2.3 1.3 0.9 0.8

OECD の調査による

4. 日本のカーディーラー・システム

 日本のカーディーラー・システムは欧米のそれと比較したとき、次のような特徴を持つ。

(1)地域別専売制、(2)包括的サービスの提供、(3)メーカーの資本注入、(4)訪問販売 主体、(5)注文販売中心、(6)低収益(高コスト)構造

(1) 地域別専売制:各ディーラーは、特定メーカーの特定車種を販売する。例えば、トヨ タはレクサス・ブランドを含め、車種毎に分かれた 5 つの販売チャネルを持つ。各地 域(多くの場合、県)に各チャネルのディーラーが割り当てられる。各ディーラーは、

その地域で数店から数十店の店舗を保有している。その地域での、その車種(例えば、

レクサス・ブランドの車)を、販売できるのは、そのディーラーのみである。

(2) 包括的サービス:各ディーラーは、新車販売を行うだけでなく、修理・車検の実施、

自動車保険の販売、オプション部品の販売、中古車の買い取りなど、自動車保有者が 自動車を保有することに関わるサービスを包括的に提供している。こうして、保有者 を長期的に囲い込むことで安定的な売上を確保することを目指している。一方、ディー

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ラーの業務は非常に複雑になる傾向がある。

(3) メーカーの資本:日本の自動車ディーラーには、メーカーの資本が注入されているこ とが多い。メーカーが財務基盤の弱いディーラーを支援するという意味がある。加え て、メーカーの戦略をディーラーの販売政策に反映させやすい。

(4) 訪問販売中心:各ディーラーは、担当地域内に店舗を持つが、店舗での販売は、それ ほど多くはない。むしろ、セールスマンが顧客の自宅や事務所を訪問して、そこで商 談をすることが多い。店舗はセールスマンの事務所的機能を果たしている。個別の商 談は、各セールスマンの管理の下に行われる。したがって、各セールスマンの業績は 商談の結果で評価される。一方、商談の各プロセスの内容や、そのプロセスの管理は 各セールスマンに任されている。

(5) 受注販売中心:米国のディーラーが、商品在庫を持ち、手持ちの在庫を販売していく のに対して、日本は顧客からの注文を受けてから、その注文を工場に連絡する。これ は、相対的に日本の車がバリエーションが豊富で、在庫では全てのバリエーションを カバーできないからである。こうした状況なので、セールスマンは顧客を訪問し、細 かな仕様を時間をかけて決定することになる。

(6) 低収益構造:店舗を持ち、かつ訪問販売を行うという二重投資によって、日本のディー ラーの収益率は一般的に低い。一人当たりのセールスマンの販売台数は、米国のそれ と比べて明らかに少ない。この傾向は、国内市場が縮小している現在では、より顕著 になっている。

 このように、日本のディーラーシステムは、自動車メーカーとの安定的な関係を持ち、

地域別専売制でディーラー同士の競争を避けている。しかし、そうした配慮にも関わらず、

ディーラーの経営成績は悪化している。このことは、メーカーからディーラーへの知識移 転のルートとニーズが共に存在することを意味している。それにも関わらず、長い間、生 産管理方式に関する知識は移転しなかった。

 当事者達は、次のように、移転が行われなかった理由を説明する。

(1) 業務の性質の違い:自動車を生産するという仕事と、販売するという仕事は全く別の ことである。機械を相手にするのと、人間を相手にするのでは、自ずからやり方が異 なるはずであり、工場のやり方は参考にならない。

(2) 組織間の距離:自動車メーカーの工場とディーラーが直接コミュニケーションをとる ことは基本的にない。通常、自動車メーカー内部の組織のうちで、ディーラーとコミュ ニケーションを取るのは、営業部門である。したがって、実際には知識移転のルート は存在しない。

 そこで、以下では、トヨタと日産を事例に取り上げ、(1)、(2)の条件をどのように克 服していったのかを説明する。

5. トヨタ:TPS の領域拡大

 2 節で述べたように、トヨタ自動車は独自のトヨタ生産方式と呼ばれる生産管理手法を

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開発した3。それがトヨタの強さの源泉の 1 つになっている。トヨタの内部には、生産調 査部という、トヨタ生産方式を保持し、発展させていく部署が存在する。生産調査部には、

優秀な工場技術者が数十人集められている。彼らは、特定の生産機能(溶接、プレス、工 作機械)の専門家である以上に、トヨタ生産方式の専門家である。なぜなら、トヨタ生産 方式は、特定の生産技術ではなく、広く製造に適用できる普遍的な手法であり、思考法だ と考えられてきたからである。

 生産調査部のスタッフは、トヨタおよびトヨタへ部品を供給するサプライヤーへのトヨ タ生産方式の指導・サポートを主たる業務としている。当初は国内企業を対象としていた が、海外での自動車生産が本格化するにつれ海外工場や海外現地資本のサプライヤーの支 援も行うようになった。

 この生産調査部は 1960 年代半ばに設置された。ほぼ同時期に、トヨタは本格的に部品 サプライヤーへのトヨタ生産方式の指導を始めている。この指導の中心を担ったのが、生 産調査部のスタッフであった。特に、トヨタ生産方式を部品サプライヤーへ普及する時期 には、同部のスタッフが、サプライヤーの工場に長期間(数ヶ月から 1 年)駐在して、指 導にあたった。また、自主研究会と呼ばれる、サプライヤーの委員会を組織し、そこでト ヨタ生産方式を導入した成果を発表し、相互に学習することを助長している。こうした活 動は、トヨタ生産方式のサプライヤーへの普及に大きな役割を果たした。また、近年では、

海外工場や海外の部品サプライヤーへの指導の比重が増している。

 この生産調査部がサポートする範囲に、ディーラーが含まれることはなかった。生産調 査部のスタッフは工場出身者が圧倒的に多く、また、この組織自体が生産部門の中に置か れていた。しかし、1990 年代初頭から、状況が徐々に変わっていった。まず、非製造部 門の従業員が一時的に生産調査部に配属される制度を設けた。これは、必ずしも非製造部 門にトヨタ生産方式を適用することを意味しているわけではなかった。トヨタ生産方式が トヨタ自動車の非常に重要な要素となったので、トヨタ生産方式の内容を他部署も理解し ておくために人事異動が行われた。

 そのような人事の中の一つに、創業者の子孫である豊田章男がいた。彼は、技術者では なく、会社では営業部門に属していた。彼は、生産調査部に比較的短期間所属したのだが、

そのことは、彼が営業部門に再び異動してから活かされた。

 1994 年、豊田は営業部門で、ある販売チャネル担当の次長となった。当時は、いわゆ るバブル経済崩壊後の長期的な不況期で、多くの日本国内ディーラーは新車販売台数の減 少に悩んでいた(例えば、1990 年に 250 万台あったトヨタの国内販売台数は 1997 年に は 200 万台に減少している)。豊田はトヨタ生産方式の視点でディーラーの業務を見ると、

ムダが非常に多いことに気がついた。

「メーカーの工場では 1 分 1 秒のムダをぎりぎりまで省き、生産コストの引き下げに 全力を注いでいる。ところが、いざクルマが販売店に回ってしまうと、ステレオを取 り付けて店頭に回すまで 1 週間もかかり、代金の回収に至っては 1 カ月以上も費やし ている。これはおかしい」(日経ビジネス、1998)

 しかし、当時は、トヨタ生産方式は工場のものであって、販売とは無関係という認識が

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されていた。だから、いきなり公式のプロジェクトとしてトヨタ生産方式を取り上げるこ とは不可能であった。

 豊田は、自身の関係する販売会社(ディーラー)の中で、懇意にしていて、しかも新し い取組に積極的なディーラーに声をかけた。彼らとともに、私的なプロジェクト(「TSL(ト ヨタ販売物流)自主研究会」と名付けられた)として、トヨタ生産方式のディーラーへの 導入は始まった。この時期、特に問題視されたことの 1 つは、新車販売シェアに比べた、

それ以外の関連事業のシェアであった。トヨタでは国内販売シェアは 40%程度あるのに対 して、中古車販売、車検、修理などは 7%程度のシェアしかなかった。また、それぞれの 業務のプロセスが不必要に長く、標準化されていないことも問題であった。

 当初私的なプロジェクトとして始まった活動は、翌年にはある 1 つの販売チャネルでの 公的なプロジェクトになった。この販売チャネルは、豊田が担当していたし、統轄する取 締役はトヨタ生産方式の経験が豊富であった。1996 年には 5 つのチャネル全てに対応す るプロジェクトに格上げされ、恒久的な組織(改革改善支援室と名付けられた)になった。

この組織には、工場現場で改善活動を経験した人間と、営業部門出身の人間が両方集めら れた。当初 20 数名で始まったこの組織は、現在では 100 人を超えるスタッフが所属して いる。

 従来のトヨタの国内営業部門のディーラーへの支援は、マニュアルを作成し、それを配 付することがほとんどであった。それを実行する責任はディーラーに割り当てられるが、

販売成績を上げていればディーラーの責任を問われることはなかった。一方、トヨタ生産 方式では、マニュアルを作ること以上に、それを実行し、改訂することに重点が置かれる。

マニュアルに従うことではなく、そのマニュアルをより良いものにすることが、定着を意 味するのである。販売ディーラーにトヨタ生産方式を導入しようというプロジェクトでも、

マニュアルを配布することではなく、それを現場に定着させることが必要になった。そも そも、工場向けにトヨタ生産方式の理念と、具体的な手法をまとめたマニュアルはあった が、それらは当然のことながら、販売の場所で、そのまま使えるものではなかった。

 この導入プロジェクトを成功させるためには、何から手を付けるかも重要な問題である。

概ね、ディーラーの保有する車検場など、よりメーカーの工場に近い領域から、販売管理 などディーラー特有の領域へと拡大していった。前者には、車検作業、修理作業、などが あり、後者には顧客とのコミュニケーションや商談プロセスの管理などがある。結果とし て、いくつかの具体的な改善活動が、各々異なるディーラーで実験された。その中で、い くつかのうまくいった事例を、他のディーラーにも普及させていった。その場合も、単に マニュアル化して、それを渡すのではなく、数ヶ月、改革改善支援室のスタッフが駐在して、

支援にあたるというやり方をとった。また、逆にディーラーの人間を数ヶ月、トヨタに派 遣させ、彼 / 彼女を教育するというやり方をすることもあった。

 こうしてトヨタ車を扱うディーラーのほとんど全てに普及したものに車検の短時間化が ある。日本の制度では、新車は 3 年、以降 2 年ごとに車検を受ける法律がある。多くの場合、

ディーラーや民間の業者が検査を代行する。検査項目は決まっているが、検査の順番は作 業者の判断に委ねられていた。従って、検査測定は正確に行われているものの、生産性は

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大きくばらついていた。そのため、どの程度の時間で車検が完了するか予測できず、あら かじめ余裕をもった期間を自動車オーナーに提示していた。オーナーにとっては、ディー ラーに数日間車を預けなければならず、不満が多かった。

 トヨタからディーラーに派遣されたスタッフは、こうした現状を見て、トヨタ生産方式 の定番であるタイムスタディを行った。つまり、個々の作業者の作業手順がどうなってい るのか、各作業にどの程度の時間をかけているのか測定していくのである。その上で、作 業を手順が最も時間が短くなるように組み合わせていった。さらに、作業時間を秒単位で 短くできるように検査工具の置場を定め、そのための特別製の工具カートを作った。それ らの結果、車検の作業は総 135 分の特定の順番の作業に定められた。これを 3 人で行えば 45 分で車検は完了する。こうして標準(マニュアル)とその標準を行うためのツール(車 検の場合は特別製カート)をセットに、他のディーラーに普及させることになった。

 この短時間の車検の開発、普及は 1997 年から 98 年にかけて行われたが、この当時でも、

改革改善支援部の業務は、私的プロジェクトの時から賛同しているディーラー以外の、多 くのディーラーに理解されているとは言い難かった。そこで、改革改善支援室は、短時間 車検のメリットを説明するとともに、「3 ヶ月間病気をしたと思って人を出してください」

と言って人材をトヨタに送るように説得した。こうして、徐々に短時間車検はディーラー 群に受け入れられていった。

 そこで、トヨタはこの短時間車検を商品として、大々的に PR することにした。全国に コマーシャルを流し、トヨタのディーラーならば 45 分で(つまり、車を預けることなく、

ちょっとコーヒーを飲んでいるうちに)車検が終わると宣伝した。こうして、トヨタの ディーラーならば、オーナーは全国一律に短時間車検を選択することができるようになっ た。

 しかし、この短時間車検のディーラーでの解釈は様々であった。全ての車検を、この 45 分で定められた手順で行うディーラーもあれば、45 分車検を選択したオーナーの車のみを 45 分の手順に従って処理し、それ以外は従来の個人に任せたやり方で行うディーラーも あった。前者は、45 分車検の手順を、自らの業務を効率化するものとして捉えているが、

後者は自社の自動車オーナーが他の業者に流出しないようにつなぎ止めるための商品とし て捉えていた。前者のディーラーの中には、トヨタから与えられたマニュアルをさらに改 善したり、自分たちでツールを工夫するディーラーも現れた。その結果、ディーラーによっ て、45 分車検の実施比率(全車検のうち、45 分車検の手順に従って行う車検の比率)は 大きく分散している。

 もう一つの例として、自社自動車オーナーとのコミュニケーションの標準化が挙げられ る。従来、日本の自動車ディーラーでは、セールスマンが顧客の自宅や事務所を訪問して、

商談を行うことが多かった。そのため、各顧客は、トヨタの顧客あるいはそのディーラー の顧客というよりは、担当のセールスマンの顧客となる傾向があった。顧客の情報は、セー ルスマンが持っていて、顧客にいつ、どのようなコミュニケーションをとるかは、そのセー ルスマンに任されていた。そのため、コミュニケーションの頻度や内容に大きなバラつき が生じていた。

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 バラつきを減少させることは、生産管理の基本でもある。TQC では、品質のバラつきを 測定し、原因を特定し、対処する。トヨタ生産方式でも、バラつき(mura)は、無駄(muda)

と共に、解決すべき問題だと考えられている。そこで、トヨタの改革改善支援室のメンバー は、ディーラーのセールスマンが自動車のオーナーと行っているコミュニケーションの内 容と頻度を調べていった。その中で、定期的なコミュニケーションに属するものをピック アップした(生産管理のやり方がもっとも適用可能なのは、繰り返し起るイベントだと考 えられた)。

 例えば、車検の時期は、自動車オーナーにとって、車検を行って、後数年同じ車に乗り 続けるか、新しい車に買い替えるかを決定する時期でもある。そこで、オーナーとコミュ ニケーションが取れなければ、車検を他の業者にとられるだけでなく、他のメーカーの新 車に乗り換えられてしまうかも知れない。こうした問題に対処するために、車検に関わる コミュニケーションを標準化する必要があった。ただし、コミュニケーションの主体は、

これまで通り、あくまでセールスマンである。ディーラーが一括してコミュニケーション を取ることは、自動車オーナーとの密接な関係を薄めてしまう可能性があるからである。

 標準化するためには個人で保有されていたオーナー情報を店舗レベルで共有しなければ ならない。共有された情報にすることで、標準通りにコミュニケーションをとっているか どうかを管理することができる。しかし、これにはセールスマンの反発が大きかった。

 改革改善支援室のメンバーは、標準通りにコミュニケーションを取るように、情報を組 織化する棚を作成した。これは縦 1.5m、横 2m 程度の大きさで、内部がたくさんの区切 りで分けられたものである。縦にセールスマンの名前が並び、横には 8 週間分の日付が付 けられている。これは店舗ごとに 1 台置かれる。もし、その店舗に 6 名のセールスマンが 居れば、6(人)×7(日)×8(週)の 336 個の区分になる。各区分には、その日、そのセー ルスマンがコミュニケーションを取るべきオーナーの名前やコミュニケーションの内容が 書かれた紙が入れられる。セールスマンは、朝、出社すると、その日の紙を取り出し、手 紙を書き、電話をかける。もし、過去の日付のところに紙が残っていれば、それはするべ きコミュニケーションが行われていないことがわかる。店長は、それを見て、コミュニケー ションが順調に進んでいるかどうか、判断できる。

 この棚は、ある程度、セールスマンの行動を規定することができる。しかし、この棚の 利用は、短時間車検の場合と異なり、実施率は必ずしも高くない。

 「こんなものは無くても、これまで自分でちゃんと管理してきた。俺の方が客を良く知っ ている。」

 「その日に、その客とコミュニケーションを取れるとは限らない。週末にしか連絡が取 れない客に、平日に連絡を取れと言われても無駄だ。」

というのが、典型的な反対派セールスマンの反応であった。此処には、既存の個人化され た技術体系との競合の問題と、不確実な環境への適応という問題が生じている。

 これまで、セールスマンは、個人毎に何らかの管理手段を用いて、コミュニケーション を管理してきた。その方法は、手帳であったり、エクセルの表であったり、記憶である。

多くのセールスマンにとって、そうしたこれまで馴染んできた方法と比べて、この新しい

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棚が優れているとは、考えられなかった。この棚を受け入れるには、まず、自分のこれま での管理方法に欠陥があること、コミュニケーションのプロセスを店長に知られること、

を受け入れなければならない。そこで、この棚は、技術的であるともに、ポリティカルな 色彩を帯びてくる。

 一方、この棚を積極的に受け入れたセールスマンは、車検以外の顧客に関する色々な情 報を、この棚を使って管理するようになった。個人の技術体系を全く無くして、全てをこ の棚とコンピュータ上にある顧客台帳だけで管理しているセールスマンもいる。

 

6.日産:限りない同期化に向かって

 日産も、トヨタと同様に優れた製造に関する能力を持っている。しかし、トヨタが 1960 年代には、トヨタ生産方式と呼ばれる全社的な生産管理方式を確立したのに対して、

日産は各工場が独立して運営する傾向が強く、他工場のやり方を真似しないという文化が あった。しかし、バブル経済の崩壊後、生産量の大幅な減少が不可避となり、国内の数工 場を閉鎖せざるを得なくなった。それ合わせて、日産の生産方式の再構築、統一化を行 う動きが生まれた。そして、1994 年に初めて日産全体のポリシーとして NPW(Nissan Production Way)が定められた。

 NPW の最も重要な目標は、「顧客への限りない同期化」である。つまり、リードタイム を極力短くし、顧客の購買行動に同期化するように、日産の全ての活動が行われるように するのである。同期化というコンセプトは、以前から日産の内部にはあった。1960 年代 前半には、日産と日産に部品を供給しているサプライヤーの間で、在庫を無くして、日産 が自動車を生産するのと同じタイミングで部品を生産する実験が行われたことがある。こ れを彼らは「同期化実験」と呼んだ。この実験は、一定の成果を上げた後、忘れられていた。

それをもう一度発掘し、日産全体のコンセプトに拡張したのである。

 当初は、このコンセプトは製造および物流に限定されたものであった。しかし、顧客へ の同期化を本気で考えれば、部品の調達から顧客の手に届くまでを一貫したシステムとし て考えなければならない。したがって、少なくとも概念上は、NPW には開発や販売も含 められることになった。結果として企業活動は 5 つの領域に分けられた(第 1 領域:日産 の自動車組立ライン、第 2 領域:日産のサブライン、第 3 領域:サプライヤー、第 4 領域:

日産が行う自動車の物流、第 5 領域:ディーラー)。製造部門では、NPW は順調に実行さ れた。例えば、NPW エキスパートという資格をつくり、その取得者が部品サプライヤー の指導を行うようになった。しかし、第 5 領域が具体的にどのようなものであるべきかと いう案は当時の日産にはなかった。

 1999 年に日産とルノーが資本提携し、カルロス・ゴーンが日産の社長になった。この 外国人が社長になった影響は大きかった。ゴーンは、日産リバイバルプランという 3 年間 の中期計画を立て、様々な改革を進めていった。その過程で、クロス・ファンクショナル・

チームというプロジェクト型組織が多用された。これは、各部門のからメンバーを出して、

全社横断的な課題を検討し、解決策を実施する。これまで、部門の壁の厚かった日産にとっ

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ては、大きな衝撃であった。この CFT が機能するようになると、社内でも部門の壁を乗 り越えたプロジェクトが多く作られるようになった。

 また、ゴーンは株主に対して明確な財務的コミットメントをした。日本のディーラーは、

相対的に自動車メーカーの資本が入っているケースが多い。株主重視の傾向が強まるにつ れ、日産の連結収益にディーラーの収益が与える影響が問題となった。つまり、日産にとっ て、ディーラーは自社の製品を買う顧客であるだけでなく、自社の株式評価に直結するも のと改めて捉えられるようになったのである。

 このように当時の状況は、連結財務の圧力による日産グループ全体での最適化の機運、

CFT の定着による部門間を超えた協力の可能性があった。また、概念的には NPW の中に 販売ディーラーも含められていた。しかし、具体的にディーラーに NPW を適用するとい うことが何を意味するのかは分っていなかった。

 そんな中、2002 年に、ゴーンは福岡県を訪れた。福岡県には日産の主力工場の 1 つが ある。通常、工場のある県は、相対的に、そのメーカーの自動車のシェアが高いという傾 向がある。しかし、福岡県では目立って日産の車が多いわけではなかった。福岡で、ゴー ンは、中期的に福岡県での日産車のシェアを当時の 20%程度から 30%に引き上げると宣 言した(日経産業新聞、2004)。それと同時に、内部には、工場とディーラーが連携して 活動をするように示唆した。その結果、2004 年に彼らが福岡プロジェクトと呼ぶプロジェ クトが生まれた。このプロジェクトの目的は、福岡県内での日産車のシェアを向上させる ことであるが、日産の営業部門ではなく、工場のスタッフがプロジェクトを指揮すること になった(日経産業新聞、2005)。

 このプロジェクトで行ったことの一つに、「ホットライン活動」がある。例えば、顧客 の製品に関する苦情を、日産本社が取りまとめるのではなく、ディーラーからダイレクト に工場に情報が行くようにした。工場では、品質、納期など課題毎に担当者を割り当て、

対応させるようにした。その結果、これまで全くと言ってよいほどなかった、工場とディー ラーの間にコミュニケーションのルートが開かれた。

 納期の問題については、NPW の実行が本格化するにつれて、第 1 から第 4 領域の活動 によって、測定されたリードタイムは短くなった。しかし、そのデータをメーカーがディー ラーに見せても、彼らはそのデータを信用しなかった。彼らには、リードタイムが短くなっ た実感がなかったのである。工場からの出荷は予定通りなのに、顧客は納期の遵守に不満 を持っている。そこから、プロジェクトのスタッフは、福岡県内のあるディーラーの店舗 の改善に乗り出した。店舗では、工場出身のプロジェクトスタッフが、納期遅れの原因と なる様々な要因を発見した。納車の予定日と実際の日のズレを一つ一つ辿っていき、原因 を分析し、対応策を標準化していった。例えば、受注日と納車日を注文毎に並べた管理図 表を作ったところ、受注は毎日平均的にあったとしても、納車は特定の日に集中している ことがわかった。それを踏まえて、受注から納車までの日にちを一定にし、受注だけでなく、

納車もコンスタントに行うように改善を行った。

 当初は、ディーラーは納期遅れの原因を日産側にあると考えていた。しかし、このプロ ジェクトで、ディーラーは、実際は自分たちの原因が数多くあることに気がついたのであ

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る。

 この納期遅れへの対応から、日産は、工場のスタッフとの共同活動が幅広く店舗運営全 体に使えるという認識を得た。そこで、工場側のスタッフを増員し、福岡県内の店舗に 3 ヶ月程度派遣するようになった。各店舗が抱える問題を、工場出身のスタッフが、IE や TQC などの手法を用いて、店舗のスタッフと一緒に解決していった。

 そうした活動で工場出身のスタッフが店舗で経験したことには、次のようなものがあっ た。

(1) 自分たちが持つ技術が工場以外でも使えるという経験:プロセスを管理する手法、品 質管理手法、問題解決のためのヒアリング、解決策を実行へと部下を誘うコーチング は、スタッフが工場現場で蓄積したものだが、それは店舗での問題解決にも適用でき ることがわかった。

(2) 好意的でない状況で問題解決を行わなければならないという経験:工場は数十年間問 題解決を繰り返してきた。そのため、改めて言わなくても、次に何をすれば良いのか 理解される。しかし、ディーラーの店舗では、そういった共有知識のない状況で一か ら説明しなければならなかった。また、自分たちの問題解決手法を生産現場の特殊な 用語ではなく、セールスマンが理解できるような言葉で説明しなければならなかった。

 当初は福岡県内の工場とディーラーのプロジェクトであったが、その後、日産本社の NPW 推進部署の協力を得ることになった。その結果、このプロジェクトは、展開がスムー ズになる共に、他の県への普及の道が開かれた。

7. まとめ

 本稿では,トヨタ自動車および日産自動車を取り上げ,両社が生産部門の知識を販売部 門に移転するプロセスを記述した。このプロセスが、組織の知識マネジメントに持つ意味 については、別稿にて分析したい。

1  部品の過剰生産を避けながら、生産のタイミングを最適化するため、工程と工程の間 にある部品在庫につけられたプレートを意味する。部品が組立に使われると、かんばん が部品から外される。部品生産工程は、その外されただけの量の部品を生産する権利を 得る。こうすることで、コンピュータ技術が存在しない時代に、柔軟な生産管理を行う ことが出来た。

2  例えば、豊田自動織機(トヨタグループの発祥企業)は、トヨタ生産方式をするサー ビスを行っている。現在のところ、主要なクライアントはスーパーマーケットなどの小 売業が中心である。

3  トヨタ生産方式については例えば、大野(1978)、Fujimoto(1999)を参照。

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参考文献

Fujimoto, Takahiro (1999) The Evolution of a Manufacturing System at Toyota, : Oxford University Press.

大野耐一 (1978) 『トヨタ生産方式』ダイヤモンド社

日経ビジネス(1998)「激変 自動車販売 トヨタが挑む流通版改善」1998 年 7 月 27 日 付け、pp.20-24。

日経ビジネス(2000)「トヨタ役員になる御曹司」2000 年 5 月 29 日付け、p.15。

日経産業新聞(2004)「日産、九州工場の福岡で、地元シェアアップ作戦」2004 年 4 月 19 日付け、18 ページ

日経産業新聞(2005)「日産自動車−苦情受付顧客の顔見える」日経産業新聞 2005 年 1 月 17 日付け、15 ページ

参照

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