• 検索結果がありません。

セクシュアリティの多様性と

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "セクシュアリティの多様性と"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

 アーネスト ・ ヘミングウェイ(Ernest Hemingway, 1899-1961)は20世紀ア メリカ文学を代表する作家である。彼は数多くの作品を生み出したが,その 中でも1925年にニューヨークで出版した『われらの時代に』(In Our Time)

は,短編集の中では最も有名で,かつヘミングウェイ文学の特徴が凝縮され た作品である。

 この作品は,15編の短編と15編の中間章(interchapter),序文,跋文で構 成されている。15編の短編の中には,ニック ・ アダムズという男性を主人公 にした作品が8編あり,このニックは,作者ヘミングウェイの分身もしくは ペルソナとも言われている。その8編を通じてニックの様々な成長過程が読 み取れるが,そこにはヘミングウェイ自身の経験が反映されているようであ る。これら8編だけではなく,他の短編でも程度の差こそあれ,ニックの抱 えている問題が,あるいは作者自身が抱えていた問題が読み取れるだろう。

 その中でも特に「生と死」が問題となっている作品が多い。その背景には,

第一次世界大戦での経験がある。ヘミングウェイは大戦時にイタリア軍付き の赤十字要員だったのだが,その際に迫撃砲と機関銃の弾丸を受け重傷を負 い,死を強く意識するようになった。このことが「生と死」をテーマにした 作品が多い所以だろう。しかし,ヘミングウェイ作品には他にも興味深いと ころがある。それは,作品の主要テーマがまた別の問題を提起している点で ある。『われらの時代に』の最初の短編「インディアン ・ キャンプ」(

Indian Camp

)にそれが見られる。

セクシュアリティの多様性と 多視点的読解の必要性

萩 野 智 美

(2)

 「インディアン ・ キャンプ」は,幼い主人公のニックが,2日間難産で苦し んで絶叫し続けているインディアン女性を助けるために,医者である父親に 伴われてインディアン ・ キャンプを訪れるという内容である。逆子のために 出産は帝王切開で行われ,赤ん坊は無事に生まれるものの,医者は釣り旅行 中のため麻酔薬も手術道具も持ち合わせていなかった。難産の苦痛に加えて,

麻酔なしの開腹手術のため,その絶叫ぶりは相当なものだったろうと想像さ れる。そのときインディアン女性の寝ている2段ベッドの上段では,脚の怪 我のために彼女の夫が寝ていたのだが,彼女があげる絶叫を聞かされ続けた 夫は「剃刀(razor)」(18)で喉を切って自殺してしまう。作者が削除したこ の物語の前半部分(1)でニックは,インディアン ・ キャンプを訪れる前日に突然 に死の恐怖に襲われていたが,その恐怖を抱いたまま一夜にして人間の「誕 生」と「死」の光景を目の当たりにしたことになる。父親は,ニックにイン ディアン夫の死体を見せてしまったことを「恐ろしい失敗」だったとひどく 後悔して「すまなかった(

I

m terribly sorry

)」と謝っているが,ニックは 父親の心配をよそに「自分は決して死なないだろうと確信した」とあり(19),

彼の抱えていた死の恐怖を乗り越えたかのようである。

 この作品にはこうした「生と死」の問題もあるが,それに加えて別の問題 も含まれているようだ。それは「弱さ」である。それも「男」の弱さだ。「イ ンディアン ・ キャンプ」でインディアン夫の自殺に垣間見えた「弱さ」は,

他のインディアンの男たちにも見られる。女たちは出産を手伝っているのに 対して,「男たちは道の先の方まで行き暗闇の中に座り,叫び声の聞こえない ところでタバコを吸っていた」とある(16)。彼らもインディアン夫と同様 に,その絶叫に耐えられなかったのだろうし,これも現実の見えない暗闇の 中で,恐ろしい現実に耳をふさぐ男たちの「弱さ」を示すものだろう。

 この「弱さ」は,ニックの父親についても言えるだろう。「インディアン ・ キャンプ」の次に収められている短編「医者と医者の妻」(

The Doctor and the Doctor

s Wife

)で,それははっきりと描かれている。まず前半では,湖 岸に漂着していた丸太をめぐり,インディアンと白人の混血のディックと口

(3)

論になり,言い負けて悔しがる医者の姿が描かれている。医者は,丸太を単 なる「流木」として,自宅の暖炉用の薪にするためにディックを雇ったのだ が,漂着した丸太には木部に刻まれた持ち主を示すハンマーの跡があったた め,所有者がはっきりしている以上,それは医者が「盗んだ」ものだとディッ クは主張して口論になる(24)。大男で喧嘩好きなディックは平然として,医 者との口論をむしろ楽しみ,嬉しそうに感じているのに対して,医者は顎髭 を噛みながら睨みつけるだけで,すごすごと別荘へ逃げ帰ってしまう。こう した「強い」ディックとは対照的な「弱い」医者の姿は,後半の妻とのやり 取りでも繰り返される。

 医者とその妻は夫婦でありながら寝室は別々で,妻はクリスチャン ・ サイ エンス(2)の熱心な信者であり,その点で近代的な医学を修めた夫とは相容れず,

対照的である。妻はまた「ブラインドを下ろし」て「暗くした部屋」の中で,

「彼女の聖書,彼女の『科学と健康』,彼女の『クォータリー』」のような「彼 女の(her)」を強調したクリスチャン ・ サイエンスの出版物に囲まれている

(26)。「インディアン ・ キャンプ」で暗闇の中で現実に目をふさいでいたイン ディアンの男たちと同様に,彼女も「暗くした部屋」の中で現実にあるいは 夫の近代医学に目をふさぐかのように,夫とは離れて自分だけの世界で生き ている。先のディックとの口論が話題になると夫は,ディックは妻の病気の 治療費を帳消しにしようと喧嘩を売ってきたようだと説明する。それを聞い た妻は,クリスチャン ・ サイエンスの教義を信じているため,「そのようなこ とをする人がいるとはとても思えないわ」(26)と返答する。2人は話が合わ ず,結局夫は部屋を出ていくが,その際たまたまドアが強く閉まり,その音 で妻をはっとさせてしまうと,彼はすぐに「すまない(

Sorry,

)」(26-7)と 謝る。これも先の「インディアン ・ キャンプ」でのニックへの「すまなかっ た」とつながりつつ,夫の「弱さ」を表しているように思える。この後部屋 を出て行った夫は森の中へと入っていくが,この姿も先のディックとの言い 争いで別荘へと逃げ帰った姿と重なりながら,また先のインディアンの男た ちとも重なりながら,目の前の現実から逃避しようとする彼の「弱さ」が読

(4)

めるだろう。

 さらに,夫の寝室には開封されないままの医学雑誌が積み上げられていて,

それが夫を苛立たせていたとある(25)。これは「インディアン ・ キャンプ」

において,釣り道具で手術を成功させたことを「医学雑誌ものだ」(18)と夫 が自慢げに話していたことと響き合っているが,それを読めずに苛立ってい るこの夫の姿にも,医者としての仕事を全うできずに現実から目をそむけて いる「弱さ」が読めるだろう。そしてこの夫婦の寝室が別であるというのは,

夫が科学の力で病気を治す「医者」であることと,信仰の力で病気を癒す「医 者の妻」との対照性という先にも触れた点とも相まって,夫婦関係の稀薄さ,

あるいは無さ,さらには敵対性を,より一層強めているようにも思われる。

 夫婦関係に見られるこうしたニックの父親の「弱さ」はまた,愛や性の問 題にも関わってくる。先にも述べたように,妻とは寝室が別々であることか ら,2人の関係が稀薄で夫婦生活もないようだ。だからなのか,父親の愛と 性の対象は異性でも同性でもなく,自己に向かっていったかのようである。

つまり自己愛である。先のディックとの口論の後,部屋に戻って銃の手入れ をしていたのも,それを表していたかのようだ。これは一見,口論に負けた 悔しさからディックを殺したいという無意識の願望の表れのようにも見える し,自分の弱さを銃で武装しているようにも見えるが,銃には「男性の象徴」

の意味もあることから,性的な解釈も可能だろう。彼は銃を「とても気に入っ ていた」(26)とあるように,銃を偏愛していたようだが,この銃をいじって いる姿は弱い自分を愛し,かつ自分を慰めているかのようにも見える。それ はまた,妻との夫婦生活の代償行為とも言えるかもしれない。先に,ディッ クは夫が自分のものだと主張する丸太につばをかけていたが(24),「丸太

(log)」にも象徴的には銃と同様の意味があるので,この行為も「弱い」夫へ の侮辱のようにも見える。普通名詞の「ディック(dick)」が俗語で男性器の 意味があることも,これを裏書きするだろう。また,この丸太の持ち主は「ホ ワイト ・ アンド ・ マクナリー(White and McNally)」とあるので,このホワ イトに固有名詞だけでなく,「白人」の意味も読めば,その丸太への唾棄はイ

(5)

ンディアンの白人への侮蔑の表れとも読めるだろうし,さらには人種問題に 発展していく契機にもなるだろう。(夫婦の寝室が違うという点では,『われ らの時代に』に収録されている「エリオット夫妻」(

Mr. and Mrs. Elliot

と共通している。)

 また,第2短編集『男だけの世界』(Men Without Women, 1927)の最後 の短編「身を横たえて」(

Now I Lay Me

)でも,ニックの両親の関係の稀 薄さが読み取れる。作中でニックは,夜眠れないときに思い出すことの1つ として,幼いころの新居への転居の際に,母親が行った荷物整理での出来事 を挙げている。父親の不在中に母親は地下室の掃除をし,不要と思えたもの すべてを燃やしていた。その中には,父親が大切に保存しておいたもの,た とえば石斧,石の皮剥ぎナイフ,鏃を作るための道具,土器の破片などが含 まれており,帰ってきた父親は,その燃え殻の中から焼け焦げた大切なもの を取り出し,何も言わずに新聞紙にくるんで部屋に持ち帰っている。ここか らは,両親の夫婦関係の希薄さ以上に,力関係(あるいは従属関係)がはっ きりとわかるし,このような強い母親(3)が,帰ってきた父親を「微笑みながら

(smiling)」(148)迎えたというところには,悪魔のような底意地の悪さすら 感じられる。

 またニックは,新居に関して他にも思い出していたことがある。それは屋 根裏で父親が大切に保存していた「蛇(snakes)」の標本の壜などを,母親が 燃やした一件である(147)。蛇を燃やすとは,どういうことなのか。蛇には 象徴的にいろいろな意味がある。「すべての原初の力」や「生命」の意味もあ れば,生の根源としての性にも関わって「男根」の意味もある(先の「ディッ ク(dick)」と同じである)。父親が蛇を標本にしていたことには,自分の男 性性がすでに失われ,痕跡になっていたことを表し,一方で母親がそれを「燃 やす」ことは,父親の男としての役割の消滅を宣告していることを表してい るのかもしれない。他方,蛇には「女性原理」の意味があり,イヴとの関連 で「悪魔」の意味もある。また両性具有の意味もあり,実に多義的である。

蛇が多義的であるならば,それを燃やしている母親にも多義的な面があると

(6)

言えるのではないか。

 ヘミングウェイが描く女性は,今村楯夫著『ヘミングウェイと猫と女たち』

によれば2タイプに分けられる。1つが「男の愛に応じて身も心も捧げ,男 に尽くし,主体性を失ってしまったようなタイプの女性」で,もう1つは,

「攻撃的で,美貌の容姿と笑みの裏に,底意地の悪い性格を秘めた性悪女」で ある(31)。前者は『武器よさらば』(A Farewell to Arms, 1929)のヒロイ ン,キャサリン ・ バークレーがその代表例であり,後者は『エデンの園』

(The Garden of Eden, 1986)の主人公の妻キャサリン ・ ボーンが代表例だ。

2人とも同じ「キャサリン」で共通しているが,同一の名前に正反対の2人 の性格を込めているところには,名前/言葉の多義性が読み取れるだろう。

 また,この2つのタイプの女性像は,ニックの母親のイメージと重なるか もしれない。「身を横たえて」の母親は,先にも述べたように悪魔的な一面が 垣間見られたことから,底意地の悪い性悪女に当てはまるし,さらにニック の父親を迎えているときの母親のあの微笑みは,蛇をも想起させる。一方の

「医者と医者の妻」では,母親はブラインドを下ろした暗い部屋にいることも あり,その性格は必ずしもはっきりとはしないが,結婚当初は『武器よさら ば』のキャサリンのように夫に尽くし,身も心もささげていた女性だったの かもしれない。そうすると,蛇の多義性は母親のこのような多面性に重なっ てくるだろう。

 では,父親の場合はどうなのか。先に述べたように「医者と医者の妻」で のニックの父親からは,自己愛に向かっていくかのような姿と異性愛の消滅 や弱さが見られたが,銃いじりはまさしく,自慰的な自己愛を想起させる行 為である。つまり父親については,「弱さ」と「セクシュアリティ」が一体と なっている様相が窺えるだろう。そしてこの自己愛に関しては,同じく『わ れらの時代に』に収められている短編「エリオット夫妻」とつながっている だろう。

 「エリオット夫妻は懸命に子作りに励んだ」の1文で始まるこの作品は,夫 婦の性愛をコミカルなオブラートに包んで露骨にならないようにしているが,

(7)

25歳の詩人の夫に対して,40歳の元ウェイトレスの妻は色々な面で耐えきれ ず,ボストンから女友だちをフランスに呼び寄せ,3人で暮らすようになっ てようやく元気を取り戻す。妻と女友だちは同じベッドに,夫は別室に1人 で寝て,朝には「へとへとになって」(88)起きてくるが,3人は「とても幸 せだった」と書かれて終わる。夫の「へとへと」の原因は詩作のためとも読 めるが,果たしてそれだけか。夫婦の性愛の消滅により生じる,若い夫の自 慰的な自己愛と,妻の同性愛を,このコミカルなオブラートの中に読みとっ た方がいいのではないか。そうするとエリオットのこの姿は,「医者と医者の 妻」での父親の銃いじりと重なって見えるだろう。

 男の同性愛を考えるならば,「身を横たえて」と同じく『男だけの世界』に 収録されている短編「簡単な質問」(

A Simple Enquiry

)を見過ごしては いけない。この短編は,少佐が当番兵のピニンのセクシュアリティについて

「簡単な質問」をするという内容である。これに関しては,松下千雅子氏が著 書『クィア物語論―近代アメリカ小説のクローゼット分析』で次のような解 釈を示している。

ピニンが部屋に入ってきたとき,少佐は頭をリュックサックの上に乗 せている。しかし,ここに引用した場面では,少佐は「リュックサッ クの上に頭をもどし」たと書かれている。少佐が「楽になった relieved」

ことを伝えるこの場面で,少佐は,じっとしているピニンの側で明ら かに一度,寝台の上で身体を起こしている。(中略)ピニンの顔,身 体,手を見ながら,少佐は,身体的であるかははっきりと描かれては いないが,自らを「楽にさせる relieve」ための何らかの行為をしたは ずである。(中略)寝台の上に起き上がり,ピニンを見ながら,そし て,興奮して「それでお前は本当に欲しくないのか―」,「お前の大 きな欲望は本当に―」と,ピニンの欲望に言及し,彼を誘惑しなが ら,実際には彼に触れることなく,少佐は,マスターベーションをし て,オルガズムを迎えたのではないだろうか。(196-97)

(8)

 松下氏が指摘しているように,少佐が同性愛者であることや,ピニンの目 の前で自慰行為を行っているとする解釈もある。また,ピニンは女性の恋人 がいると主張しているが,少佐の方はピニンの目の前で自己の欲求を満たす かのような行為をしている。これは,ピニンを自分のものにしたいという少 佐の願望の表れとも読めるかもしれないし,もしくは,彼を同性愛へと引き 込もうとしているのかもしれない。

 また一方で,少佐の手が毛布の上に置かれているという描写が2度ある。

彼はピニンへの質問中に1度身体を起こしているので,ずっと毛布の上に手 が置かれていたとは言い切れない。しかし,毛布の中に手を入れたという描 写もないので,入れたと断定することもできず,少佐が本当にピニンの前で 自慰行為をしたのか疑わしくもなる。ただこれに関しては,ストーヴ用の木 材が解釈の手掛かりになるかもしれない。物語序盤にピニンは,ストーヴに マツの木材を入れるために少佐の部屋へやって来る。その後彼は部屋を出る が,少佐に呼ばれ再び部屋へと赴くことになる。このときに,先に述べたよ うなセクシュアリティの質問を少佐からされてピニンが顔を赤らめ,最初に 木材を持って来たときとは違った動きをしながら少佐の部屋から退出するの だが,この後彼はストーヴの木材を持って,また少佐の部屋へとやって来る のである。もし,ピニンが2度目に少佐の部屋へ訪れた際の滞在時間が短かっ たのならば,ストーヴ用の木材がたくさん減ることもなく,補充する必要も なかっただろう。しかしピニンは,木材を補充している。これは,時間の経 過の表れであり,またピニンが長時間にわたって少佐の部屋にいたことを意 味するのではないか。これを踏まえると,少佐の身体を起こす行為や毛布の 上の手からは,セクシュアリティに関する解釈の余地がまだあるだろうし,

そうするとこの作品にも,セクシュアリティの多様性あるいは多面性がある と言えるだろう。

 さらに,「身を横たえて」と「簡単な質問」は同じ短編集に収録されている が,その表題が『男だけの世界』である。この表題にあるように,この2作 品では男あるいは男性同性愛が中心になっている点から,つながりがないと

(9)

は言い切れない。これらの作品では異性愛,同性愛,自己愛などの多様なセ クシュアリティの有り様がそれぞれ関連しつつ展開されているので,読み手 としては多角的に,あるいは多視点的に読んでいく必要があるだろう。

 そしてこの多視点というのはおそらく,フランスの画家ポール ・ セザンヌ

(Paul Cézanne, 1839-1906)の技法から学んだものだ。ヘミングウェイがセザ ンヌの作品から影響を受けたのは,「パリ修業時代」と言われる1920年代のパ リ滞在時期だろう。パリ時代の師ガートルード ・ スタイン(Gertrude Stein, 1874-1946)は,ピカソ(Pablo Picasso, 1881-1973)やマティス(Henri Matisse, 1869-1954)などの画家のパトロンをしていたこともあり様々な絵画を所有 し,彼女の家は時にはサロンとなり,芸術家たちの集いの場となっていた。

そういったことが,ヘミングウェイが芸術について語り合ったり,ピカソを はじめとする様々な画家たちと親交を深めるきっかけとなる。またヘミング ウェイは,1920年代パリの回想録『移動祝祭日』(A Moveable Feast, 1964)

で,セザンヌの絵画を見ようとしてほとんど毎日のようにリュクサンブール 美術館へ通い,マネやモネ,他の印象派の絵画を鑑賞していたことを明記し ている(13)。さらに「単純な真実の文章を書くだけでは,作品に次元を持た せるために決して十分ではないことをセザンヌの絵から学んだ」(13),「セザ ンヌがどのように風景を作ったかを正確に理解することを学んだ」(69)とも 述べており,セザンヌの絵画や彼の創作上の技法に,ヘミングウェイが影響 を受けていことがわかる。またヘミングウェイは,作家になったニックを通 してセザンヌについて言及してもいる(4)

 セザンヌの技法の1つとして,つとに知られているものに「多視点」から 描くというものがある。多視点とは,1つの対象を複数の角度や方向から捉 え,1つのキャンヴァスに描き出す技法である。多数ある多視点描写の代表 作の1つに『台所のテーブル』(1888-90)がある(図1)。

 図1を見ると,中央少し左にある壺は少し上から,その右にある果物籠の 側面はほぼ正面から,取手の部分は正面から少し右にずれた位置からと,複 数の異なった視点から描かれていることがわかる。セザンヌが多視点を使っ

(10)

て作品を描いていたころ,その技法はまだ世に認められていなかった。むし ろ,嘲笑の的になっていたほどであった。この多視点の技法を推し進めていっ たのはピカソやブラック(Georges Braque, 1882-1963)だった。ピカソに関 しては,セザンヌは唯一の先生だったと発言し,セザンヌを師と仰でいたほ どであった。そして,彼らによって創始された多視点描写を「キュビスム」

という。キュビスム時代を代表するピカソの作品は『アヴィニョンの娘たち』

(1907)だが(図2),セザンヌの多視点を起点としているのはすでに知られ ていることである。つまり,ピカソもヘミングウェイ同様セザンヌに影響を 受けた1人なのだ。

 ピカソは,セザンヌが試みた多視点描写を同じ画家として絵画で表現し発 展させていったが,セザンヌに心酔していたヘミングウェイは文字でセザン ヌの多視点の技法を応用し,それを文学の世界に推し進めていこうとしたの ではなかっただろうか。つまり,セクシュアリティが多角的/多視点的に描 かれているのは,セザンヌから影響を受けた結果と多視点的描写の実践だと 考えられる。だからこそ,ヘミングウェイの作品(特に初期の作品)を読む 際には,セザンヌの存在あるいはその技法を念頭に置かなければならないし,

多視点的に読み,多様な解釈を模索しなければならない。

図1『台所のテーブル』 図2『アヴィニョンの娘たち』

(11)

(1) 作者の死後にフィリップ ・ ヤングによって編集された『ニック ・ アダムズ 物語』(The Nick Adams Stories, 1972)に,「三発の銃声」(Three shots と題され発表された。そこではニックはインディアン ・ キャンプに行く前日,

父親と叔父と釣りキャンプをしている。2人が夜釣りに行っている間に,ニッ クは数週間前に教会で歌った讃美歌の「いつかは銀の紐も切れるだろう」

Some day the silver cord will break.)という詩句を思い出して突然に死 の恐怖に襲われるが,父親に教わったように銃を3発発砲すると恐怖感が消 えていったという経験をしている。

(2) クリスチャン ・ サイエンスは,アメリカの神癒主義者の団体でエディ夫人

(Mary Baker Eddy, 1821-1910)によって創設された。彼女は夫の死後,イエ スのなした病気治癒の方法を発見したと称し,「実在するものは精神または霊 だけであって,物質はすべて幻影にすぎない。したがって,健康は医療によっ てではなく,病者のもっている誤った幻影を除去して,正しい思考に導くこ とによって得られるとする」とされている(『キリスト教大事典』より)。

(3) 母親の強さに関しては,女性の台頭を暗示しているのだろう。「医者と医者 の妻」や「身を横たえて」は1920年代初めに書かれているが,作品の舞台と なっている時代は1910年前後である。今の時代こそ,女性が男性と対等な関 係性を築けているものの,当時の女性の地位あるいは立場はやはり,今より も低かった。アメリカでは,1890年から1910年にかけて女性の高等教育機関 の在籍者数が膨れ上がり,教育を受けた女性が徐々に増加していくのに比例 して,参政権運動も高まっていた。そして,1920年に合衆国憲法が改正され たことで,ようやく女性が参政権を獲得した。すると,今まで家に入ってい た女性たちは社会に進出するようになる。丈の短いスカートをはき,ルージュ を塗り,髪型をボブ ・ ヘアにする「フラッパー(flapper)」と呼ばれる若い 女性が,1920年代の「新しい女性(New Woman)」を象徴していた。また,

女性の象徴であった長い髪からボブ ・ ヘアになったり,ショートカットが流 行したりしたのは,ココ ・ シャネル(Coco Chanel, 1883-1971)の影響もあっ たのかもしれない。これに関しては,ヘミングウェイの最初の長編小説『日 はまた昇る』(The Sun Also Rises, 1926)で,ヒロインのブレット ・ アシュ レイが内面と外面含め,まさしく当時の最先端をいく女性として描かれてい た。今でこそ当たり前に思えるこのような女性のライフスタイルは,当時と してはまだ珍しく,女性は男性の陰に身を潜めていたと言っていいかもしれ ない。そのような時代だからこそ,ニックの母親の「強さ」は,際立って映っ

(12)

ているのだろう。また「医者と医者の妻」の原題,The Doctor and the Doc- tors Wifeに見られる the Doctors も,閑却できないものだろう。この The Doctor はニックの父親のことを指しているので,the Doctors Wife は彼の妻

(ニックからすると母親)のことだが,ここでは所有を表す his ではなく the Doctors となっている。これは,彼(夫)の所有内から外れ,1人の女とし て格上げされていること意味し,同時に妻(女)の独立性を暗示しているの ではないか。もし his で表現されていたら,ディックとの口論が話題になっ たときに,おそらく夫をたしなめるような発言や意見はしないだろう。また,

夫婦が別々の部屋であったり,妻の自室内が「彼女の(her)」を強調し,ま るで自分の世界を創造しているかのようであるのも,単なる夫婦関係の崩壊 だけでなく,妻の独立性の表面化を意味しているのではないか。

(4) 『ニック ・ アダムズ物語』に収録されている短編「書くことについて」(On Writing)でニックは「作家」となっており,今自分が釣りをしている自然 豊かな川や森を「セザンヌのように描きたい」と言っている。

 He wanted to write like Cezanne painted.(239)

(彼はセザンヌが描いたように書きたかった。)

 He, Nick, wanted to write about country so it would be there like Cezanne had done it in painting.(239)

 He knew just how Cezanne would paint this stretch of river. God, if he were only here to do it.(240)

(彼はセザンヌが川のこの広がりをどのように描くのかを正確に知って いた。あぁ,彼がそれをするためにただここにいてさえしてくれれば。)

 Nick, seeing how Cezanne would do the stretch of river and the swamp, ……(240)

(ニックは,セザンヌが川のその広がりと沼をどのように描くのかと想 像しながら……)

 さらに,ヘミングウェイはガートルード ・ スタイン対して,「セザンヌのよ うにその故郷を書こうとしている」とも言及している(Selected Letters, 122)。

こういったことから,この短編の自然描写やニックの創作態度もしくは執筆 方法は,セザンヌの構図を手本にしていると考えていいだろう。

(13)

引用 ・ 参考文献

Baker, Carlos. Ernest Hemingway: A Life Story. New York: Charles Scribners Sons, 1969.

Donaldson, Scott, ed. The Cambridge Companion to Hemingway. Cambridge:

Cambridge UP, 1996.

Flora, Joseph M. Hemingways Nick Adams. Baton Rouge: Louisiana State UP, 1982.

Hemingway, Ernest. A Moveable Feast. New York: Simon & Schuster, 1964; First Touchstone edition, 1996.

---. Ernest Hemingway: Selected Letters, 1917-1961. Ed. Carlos Baker. New York: Charles Scribners Sons, 1981.

---. In Our Time. New York: Scribner, 1925; First Scribner Paperback Fiction Edition, 1996.

---. Men Without Women. New York: Scribner, 1927; First Scribner trade paperback edition, 2004.

---. The Nick Adams Stories. New York: Scribner, 1972; First Scribner trade paperback edition, 2003.

Trogdon, Robert W, ed. Ernest Hemingway: A Literary Reference. New York:

Carroll & Graf Publishers, 1999; First Carroll & Graf trade paperback edition, 2002.

Vries, Ad de. Dictionary of Symbols and Imagery. Amsterdam: North-Holland Publishing Company, 1974.

Young, Philip. The Nick Adams Stories. New York: Scribner, 1972; Fist Scribner trade paperback edition, 2003.

浅野春男『セザンヌとその時代』東京:世界美術双書007,2000。

安達秀夫「ニック ・ アダムズ,セクシュアリティ,セザンヌ―ヘミングウェイ『わ れらの時代に』について―」東京:立正大学大学院文学研究科紀要,2012。

アドリアーニ,ゲッツ『Cezanne 巨匠のデッサン ・ シリーズ』中村昌子訳,東 京:岩崎美術社,1992。

今村楯夫,島村法夫監修『ヘミングウェイ大事典』東京:勉誠出版,2012。

今村盾夫『ヘミングウェイと猫と女たち』東京:新潮社,1990。

今村盾夫(編著)『アーネスト ・ ヘミングウェイの文学』東京:ミネルヴァ書房,

2006。

(14)

島村法夫『世界の作家ヘミングウェイ―人と文学』東京:勉誠出版,2005。

下中直人編『世界百科事典8』東京:平凡社,2005。

スコールズ,ロバート『テクストの読み方と教え方』折島正司訳,東京:岩波書 店,1999。

セジウィック,イヴ ・ コゾフスキー『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャ ルな欲望』上原早苗 ・ 亀澤美由紀訳,愛知:名古屋大学出版会,2001。

寺澤芳雄編『英語語源辞典』東京:研究社,1997。

中里見博「健康な母親と強壮な子孫―アメリカ社会福祉制度形成における裁判所 判決とジェンダー」,姫岡とし子著他『近代ヨーロッパの探究⑪ジェンダー』東 京:ミネルヴァ書房,2008,第4章。

日本アート ・ センター編『新潮美術文庫28 セザンヌ』東京:新潮社,2004。

日本基督教協議会文書事業部,キリスト教大事典編集委員(編集)『キリスト教大 事典』東京:教文館,1963。

日本ヘミングウェイ協会(編者)『ヘミングウェイを横断する―テクストの変貌』

東京:本の友社,1999。

ベーム,ゴットフリート『ポール ・ セザンヌ≪サント ・ ヴィクトワール山≫』岩 城見一 ・ 實渊洋次訳,東京:三元社,2007。

ベルナール,エミル『改訳 回想のセザンヌ』有島生馬訳,東京:岩波書店,

2011。

前田一平『若きヘミングウェイ―生と性の模索』東京:南雲堂,2009。

松下千雅子『クィア物語論―近代アメリカ小説のクローゼット分析』京都:人文 書院,2009。

武藤脩二『ヘミングウェイ「われらの時代に」読釈―断片と統一』京都:世界思 想社,2008。

ノートン,メアリー ・ ベス『アメリカの歴史④アメリカ社会と第一次世界大戦』

本田創造監,上杉忍訳他,東京:三省堂,1996。

モデルモグ,デブラ『欲望を読む―作者性,セクシュアリティ,そしてヘミング ウェイ』島村法夫/小笠原亜衣訳,東京:松柏社,2003。

(2014年12月2日受理,2014年12月24日採択)

参照

関連したドキュメント

¢−ma批Orde愕@印ringe「.jp   Subscription Information  Frequ孤Cy:2issⅦeSpery¢訂  

At Geneva, he protested that those who had criticized the theory of collectives for excluding some sequences were now criticizing it because it did not exclude enough sequences

In he following numerical examples, for simplicity of calculations he start-up time parameter is dropped in Model 1. In order to keep system idle ime minimal, the "system

However, in the case of our new inequality (1.3), although the result of doing so would be correct, it would add nothing since the left side of the modulus form, when opened, is

2010年小委員会は、第9.4条(旧第9.3条)で適用される秘匿特権の決定に関する 拘束力のない追加ガイダンスを提供した(そして、

Proof: The observations at the beginning of this section show for n ≥ 5 that a Moishezon twistor space, not fulfilling the conditions of Theorem 3.7, contains a real fundamental

Chiu; Asymptotic equivalence of alternately advanced and delayed differential systems with piecewise constant generalized arguments Acta Math.. Yorke; Some equations modelling

In [24] he used this, together with Hendriks’ theorem, so show that if the fundamental group of a PD 3 complex splits as a free product, there is a corresponding split of the complex