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欧州経済統合の論理一欧州経済統合の本質

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(1)

欧 州 経 済 統 合 の論理

欧 州 経 済 統 合 の 論 理

一欧州経済統合の本質

斎 藤 武 雄

EEC委員会が一九六二年十月二十四日付で加盟六カ国政府tEEC理事会及び欧州議会に提出し、同月二十

九日に公表した「第二段階のための行動計画」(ActioロProgramfortheSeco

d S

tage)の序文の冒頭には次

のように述べられている。

「われわれが欧州経済統合(e

co

n

om ic in te g

rationofEurope)と呼ぶものは、本質的に'政治現象である。

欧州石炭鉄鋼共同体

(E ur op

eaロCoa

‑ an d St ee

‑Community)び欧州原子力共同体(EURATOM)ととも

に'欧州経済共同体(EuropeanEconomicC

om m u

nity)は経済的ならびに社会的面を包含する政治同盟(politicat

union)を構成する。」

このように欧州経済統合は本質的に政治現象であるとはっきり表明している点は注目されねばならない。

221

(2)

欧州経済統合が望ましいかどうかについて'また望ましいと思われる統合の本質及び程度についてさまざまな

意見があることはtT・シーフスキーの指摘しているところであるが'ここでは問超を限定して'何故に欧州経

済統合が本質的に政治現象であるのかを究明することにしよう。この問題へのアプローチとしては'歴史的に欧

州経済統合がどのようにして生じたかをみることも必要であるLtまた政治的に考察することも不可欠であるが'

ここでは紙面が限られているので'主として経済理論的に欧州経済統合の本質に迫ることにしよう。

欧州経済共同体は'それ自体'戦後のヨーロッ。ハ統一運動の一部であ‑、一九五

年五月九日'当時のフラン

ス外相'ロベール・シューマン(Ro

be r‑ S

chu

m a

)

によって発表された'有名な「シューマン宣言」

(S ch um a

n

Dec‑aratioロ)によって最初に言及された「経済共同体」の概念を具体化したものである。それは関税同盟を基礎

とするが'単なる関税同盟を超えて'経済同盟として発展することをめざすものであり'経済面においてヨーロ

ッ。ハの政治的統一を達成しようと意図するものである。関税同盟の論理的帰結は経済統合であり、経済統合は'

それ自体において'政治現象である。

EECが関税同盟を基礎とする点はすべての人が一致するところである。それでは何故にEECは関税同盟を

基礎とするのか。この点を検討しょう。問題は二つに分けられる。第一は'何故に世界的自由貿易をとらないで'

地域的自由貿易を実現しようとするのかということである。第二は'何故に地域的自由貿易を実現するのに、自

由貿易地域ではなくて'関税同盟によろうとするのかということである。

こ 自 由 貿 易 の 理 論

(3)

欧 州経 済統 合 の論理

自由貿易の理論は'アダム・ス‑ス以来、多くの学者によって'さまざまな理論構造において'展開された。

国際分業の有利性を証明した理論としてリカアドオの比較生産費説があることは周知のとお‑である。リカア

ドオの比較生産費説は高度の抽象理論であって'その限‑において'時間と空間とを超越して'妥当する。しか

し'比較生産費説によって国際分業の利益が証明されたということは'必ずしも現実の国際分業が各国にとって

有利であるということを意味するものではない。抽象理論と現実との間にはギャップがあるからである。しかし'

ここでは比較生産費説の仮定について検討することはしないでお‑。ここで問題とするのはその理論の性格であ

る。

第一に'注意しなければならない点は'自由貿易政策を合理化するリカアドオの比較生産費説は'万民主義的

性格の理論ではなくて'すぐれて国民主義的性格の理論であるということである。それは国際分業によって得ら

るべき利益を最大限に追求したものではない。もし世界全体の生産量を最大限に増大することを意図するならば'

リカアドオの例証にあるように'ポルーガルがラシャにおいてもブドウ酒においても絶対的優位をもつ場合には'

労働および資本はイギリスからポルーガルへと移動することが有利であることはいうまでもない。しかし'リカ

アドオによれば'国内においては'労働および資本の移動が自由であるのに反して'国際間においては'その移

動が自由ではない。そのために国内価値法則と国際価値法則とは異ならなければならないことにな‑'国際間の

価値法則として比較生産費説を展開したのである。ところで国際間においては労働および資本の移動が自由でな

いというのは'リカアドオが国際間の労働および資本の移動が自由でないことを望んでいるために設けられた前

提なのである。

リカアドオは資本の国外への流出を阻害する感情が弱まるのを悲しむべきことと考えたのであるが'それは何

223

(4)

故かといえば'リカアドオによれば'資本の国外への流出は'国内における労働需要をそれだけ減少させるから

である。

このようにリカアドオの比較生産費説は万民主義的性格のものではないのであって'国民主義的志向によって

展開されているものである。リカアドオの理論の根底にある「資本および労働の国際的被制約性」は'単に「国

際貿易に対して特有の理論をうちたてることを正当化する経済的特異性」(ハ)としてとらえられている

のではない。

第二に'リカアドオの比較生産費説は現状維持的性格のものであることを注意しなければならない。比較生産

費説によって'各国に生産力水準の絶対差があるにもかかわらず'各国が比較優位をもつ財の生産に特化し'貿

易することによって'各国の生産量を増大することが可能であるということを証明し、それを各国に確信させ'

各国をして現在の生産力水準のままで、国際貿易による現在の旦別の利益を得ることのみに関心を向けさせ'生

産力水準そのものを高め'産業構造を高度化することによって得られるべき遠き将来の利益に眼を蔽わせること

に成功するならば'生産力水準の高い優越せる国の地位は永遠に確保されることになるであろう。

第三に'このような現状維持的性格のリカアドオの比較生産費説は'当時のイギリスの世界経済における優越

せる地位を背景として'すぐれて実践的性格をもち得たことを注意しなければならない。

すでにヒルファーディングが指摘したように「イギリスの自由貿易政策は'資本主義的発展の先駆けと、これ

に伴うイギリス産業の技術的・経済的優越とに基づくものであった」ことを看過してはならない。ゾムバルーは

イギリスが国家として自由貿易に利益をもっていた点を指摘し'次のように述べている。「自由貿易運動のもつヽヽヽヽヽヽヽヽ意味を正しく判断しょうとするなら'われわれはイギリスが国家として自由貿易に利益をもっていたということ

(5)

欧 州経済統 合 の論理

を忘れてはならない。そして理念としての自由貿易と利益としての自由貿易とは、厳密に区別さるべきものであ

る。その間の事情は周知のとお‑である。イギリスはナポレオン戦争後'工業の急速な興隆によって世界の工

と化したのであり'その結果として'自国ではその全部を消費しえない工業製品が充満Ltかくして自国に

たいして到るところの市場が門戸を開‑ことに利益をもっていた。しかもイギリスと競争しうる国は一つもなか

ったから'イギリス自身は輸入を恐れる必要がなかったのである。フランスを制圧して以来'イギリスは植民地

国家として唯一無比であった。だからこの国の対外政策がふたたび純粋国家政策的観点(reiロStaatSpO‑iti

sc h en G esi

chtspukte)に順応しはじめてからもなお'その政策の一要素としてイギリスは自由貿易政策のより狭い内

個々の国の間における自由な商品の移動‑を'蹄躍するところなく継続しえたのである.」と.自由貿易

は'当時のイギリスに対して'フェルジナンド・フリードの指摘し美ように'「無条件的に経済的な'従って政

治的な優勢の地位を確保した。」

このような世界経済における優越的地位がイギリスをして自由貿易政策を必要たらしめた地盤なのである。こ

のような現実の事情に即応してイギリスの必要とした自由貿易政策を合理化したのが比較生産費説であって'そ

れは国際分業が各国にとって有利であることを証明する理論であるが'現実の場においては'実は'イギリスの

利益のために役立つすぐれて実践的性格をもつ理論なのである。

自由貿易は各国の経済発展の現状を固定化させる傾向がある。各国が国際分業の利益を追求することだけを志

向するならば'工業国は永遠に工業国であ‑'農業国は永遠に農業国にとどまるであろう。イギリスが各国をし

て'イギリスにとって有利な自由貿易政策が各国にとってもまた有利であることを確信させ'国際分業の利益の

追求のみに専念させることができるならば'イギリスの世界支配権は永遠に確立されるであろう。それは優越せ

225

(6)

る工業国にとっては有利であるが'経済発展のために工業力を発達させようとする単なる農業国民

それはリ

スIによれば「片腕の人間」である

・‑

にとっては決して有利ではない。リスーは'国民生産力の総額を増大さ

せるためには'単なる農業国民は'自国内に工業力を発達させ、「生産諸力の均衡または調和」

(d as G ‑e ich ge w ich t o de r H ar m o

ni

e de r pro du kt iv e

nKrafte)を実現するように努力しなければならないと主張するが'それは当

時の世界情勢の下では自由貿易によっては不可能であることを看破したのである。

自由貿易の利益を説く理論は'リストの畑眼には、工業支配権を確立したイギリスの学問的輸出品と映じたの

である。リスIは次のように述べている。「権勢の頂上に到達すると'撃じ上ってきたその梯子を背後へ投げとはして'他の者がうしろから登ってくる

手段を奪うということは'ありふれた処世法の一つである。ここにアダム・ス‑スの万民主義的な学説の秘密が

あり'彼と時代を同じうする偉人ウィリアム・ピッーおよびそのすべての後継者たちのイギリス国家行政上にお

ける万民主義的諸傾向の秘密があるのだ。保護政策と航海制限とによってその工業力および航海業をして長足の

進歩を遂げしめ'他のいかなる国民と雑も白国との自由競争をなし得ないまでになさしめた一国民が採‑得る最

も賢明な策は'この権勢の梯子を投げとはLt他国民には自由貿易の利益を説きながら'しかも自らは'いまま

で誤謬の道を符捜してきたが'いまこそはじめて真理の認識に到達したtと後悔Lt嘆くことである。」

自由貿易の理論は'イギリスの歴史的'具体的事情に即して展開されたものであって'当時のイギリスには適

切であったが'事情を異にするドイツには受け容れることのできないものであった。リスIをしてス‑スの自由

貿易論に対する批判を展開せしめたものは'リス‑白身が告白しているように'「祖国の実情」と「ドイツの利

害関係」であった。

(7)

欧 州経済統 合 の論理

自由貿易の理論は低開発国にとって受け容れることのできないものであるのみならず'先進国にとっても'発

展を志向する先進国にとっては受け容れられないものである。しかし'自由貿易の理論が適切でないことは'経

済発展の問題のみならず,自由貿易だけでは'国際収支や'雇用問題など'どれ一つをとってみても解決できな

いことをみれば、明らかである。

すでにA・‑インビーは自由貿易政策は決して普遍妥当的な政策ではないことを指摘した。

「たとえば,自由貿易は,イギリスにとって'また一定の発展段階にあるすべての国民にとって'疑いもなく'

健全な政策であるが、しかし'白由貿易は一定の諸条件の下でのみよい政策であることは何びとにも明らかであ

る。なるほど・イギリスの経済学者にはこれを断言した人はない。たとえば'シェポンス氏も'この上なき重大

な事情ある場合にのみ自由貿易の制限を認めようとするにすぎないであろう。しかし'この政策があらゆる時代'

あらゆる場所において,賢明な政策でなければならないと説‑のは'この問題に関する是認し得ざる早急な判断

である。」

実際にも,古典学派の経済学者の理想とした世界的自由貿易は'これまでのところ'遠い理想にすぎなかった。

一八四

年代から自由貿易の波が'ヨーロッ。ハに高まり'一八六

年のコブデン条約において最高潮に達し、新

時代を劃したが,一八六

年代までに「自由貿易のエピソード」(W・ゾムバルト)は終りを告げた。現在の世界

において、世界的自由貿易が実現されると考えるのは'幻想にすぎない。1・ヴァイナIは'第一次世界大戦前

と第二次大戦後の世界を比較して'次のように述べている。

「世界は大いに変化した。そしていまや計画経済'国家貿易'かなり人為的かつ非伸縮的な国民的価格構造'

および為替レ1‑の管理された不安定の世界なのである。古典派理論はこのような世界に対しては直接には適切

227

(8)

ヽヽではないのである。そして恐らくこのような世界に対しては適切な一般理論はないし'またあり得ないであろ

う。」

第二次大戦後にいよいよ重要となった共産圏と自由主義圏との対立'植民地の独立'アメリカの支配的地位,

このような世界においては世界的自由貿易の実現は夢の夢である。戦後の世界経済再建のためアメリカのリーダ

ー・シップの下に構想された国際通貨基金'世界銀行'ガッ‑など'いずれもヨーロッ。ハの当面するさし迫った

困難な問題を解決し得ると期待できるようなものではなかった。関税の引き下げは'実際には'数量制限の障壁

にまもられながら行なわれた。関税の引き下げだけでは自由貿易が実現しないからといって'数量制限の撤廃を

めざす自由化が進行すると'今度は国際収支の困難が生ずる。しかもヨーロッパの直面する問題は'経済問題だ

けではない。社会問題がある。さらにますます増大するソ連の政治的'軍事的な挑戦と脅威にどうして応ずるか

という重大な問題があった。現在のEEC加盟諸国はこのようなヨーロッパの当面する困難な問題を解決するた

めには'伝統的自由貿易とは異なるtより広いより深い自由貿易を'世界的規模においてではなく,地域的規模

において、実現しなければならないという認識に到達したのである。

EEC構想が生みだされた当時の実情を無視して'自由貿易を何故に世界的規模において実現しようとしない

のかと非難する学者もいるが'およそ適切な理論は'それを生みだした時代の実情に即応して、その時代の問題

を解決するためのものであるということを認識しなければならない。

三関税同盟と自由貿易地域

(9)

欧 州経済統合 の論理

地域的自由貿易の形態として'自由貿易地域と関税同盟の二つがあるのにt

E E C

が共同市場を実現するため

に関税同盟形態によるのは何故であろうか。

関税同盟も白由貿易地域も'加盟諸国間では関税や輸出入制限を廃止するものであって'この点は同じである

が'関税同盟は外部に対して共通の関税率'輸出入制限をもつのに対して'自由貿易地域は外部に対して各加盟

国がそれぞれ独白の関税率'輸出入制限をもつ点が異なっている。

自由貿易地域方式は'関税同盟方式とは出発点において異なっている。ハルシュタイン教授が指摘しているよ

うに'自由貿易地域方式はその加盟諸国間の関係を本質的に独立したパーーナIの関係であるとみる。そして各

加盟国はできるだけその国民的特権をそれ自体に留保しょうと努める。しかし'そうすることの困難は、「貿易

の転換」"div

er

sionoftrade"という問題において明らかである。ここに「貿易の転換」というのは、各加盟国

の域外関税率が異なるため、域外に対して低い関税率を課する加盟諸国を経由して第三国の商品が輸入されるこ

とをいうのである。もしアメリカ合衆国が関税同盟ではな‑て'自由貿易地域であったならば'そしてルイジア

ナがニューヨーク州よりもはるかに低い関税をもつとしたら'その結果はどうであろうか。明らかにtもし関税

差が運送費の差よりも大きいとすれば'抜目のない実業家たちはその商品をニューオルリアンズを通してアメリ

カ合衆国へ輸出する傾向があるであろう。か‑してニューヨークの高関税を無意味にするのみならず'また最短

ル1‑による運送よ‑も単に人為的にいっそう経済的であるにすぎない不必要な運送に従事することによって、

自由貿易の経済性をも無効にすることになる。

このような困難に対して自由貿易地域方式がとることのできる解決策は'このような低関税国経由で高関税国

に輸入される商品に対して域外関税差を相殺する国内課徴金を課すことである。しかし'そうすることは'現状

22β

(10)

を固定化する傾向があって'経済に対してそのダイナミズムを与える変化に対する誘因をほとんど与えないとい

う不利益がある。このような困難は関税同盟方式では生じない。通関港として'前述の例について'ニューヨー

クを選択するか'ニューオルリアンズを選択するかは'便宜あるいは費用を考慮して決定されるからである。

そのほか自由貿易地域方式にはさまざまな困難があるが'とくにここで注意しなければならないのはt

E E C

は経済面においてヨーロッパの政治的統一を達成しょうと意図するものであって'この観点からみると'自由貿

易地域方式は政治的統一を達成する手段として役立つものではないのに対して'関税同盟方式は'政治的統一を

達成する手段として合目的であると考えられるからである。

E E C

が自由貿易地域方式をとらずに'関税同盟方式によるのは'以上に述べたような理由によるのである。

関 税 同 盟 の 論 理 的 帰 結

すでに述べたように'関税同盟の論理的帰結は'経済統合であり、そして経済統合は'それ自体'政治現象で

ある。このような関税同盟の論理は'関税同盟に関する多くの著者によって'全部的にあるいは一部分'明示的

または暗黙的に'認められてきた。

一九一五年に'フリードリッヒ・ナウマンは'その著「中央ヨーロッパ」(Mitte‑

eu ro

pa)において'ドイツと

オースーリアとの問の関税同盟

(Z olt

ve

re in

)を提唱したとき'次のことを指摘した.すなわち'かくして創造

される「経済国家」は「いたるところで清澄な交域地域を創造しようと努めるであろう。これは'ある経済立法

に対して直接的に責任を負い'同時にその他のものに関して各国政府に勧告する経済政府を意味する。経済政府

(11)

欧 州経 済 統 合 の論理

の直接的機能は、関税,カルテル規制'輸出協定'特許法'商標の保護'原材料の統制などを含む。その間接的

活動範囲は'商業立法'社会福祉'およびその他の多くのことを含む。」

l九三九年に,W

・ o ・

ヘンダーソンは'その著「関税同盟」(T

h e

Z.tlverein)において'次のように結論

した。すなわち,関税同盟は「滅多に恒久的協定とは見倣され得ない。その加盟諸国は、おそかれはやかれ'加

盟諸国が後退すべきか前進すべきかを決定しなければならない。‑‑もし加盟諸国が前進するならば'加盟諸国

はその経済機構をできるだけ統一する。共通関税の後に共通国内税制‑同じ内国消費税'同じ直接税'同じ専

売‑が続く。加盟諸国は同じ度量衡'同じ貨幣'同じ鉄道料金'同じ規定の商業法や海上法'産業や労働者の

規制に関する同じ立法を採用する。」

しかし,関税同盟の論理を最も徹底的に'しかも明快に定式化した叙述は二九四七年に国際連合によって再

刊された,国際連盟の関税問題に関する研究の成果を要約した次の章句に見出される。

「関税同盟が存在するためには'同盟内における財の自由移動を認めることが必要である。関税同盟が現実的

なものであるためには,人の自由移動を認めることが必要である。関税同盟が安定的であるためには'同盟内に

おける通貨の自由交換性と安定的為替相場を維持することが必要である。これは'なかんずく'同盟内における

資本の自由移動を意味している。なんらかの地域で'財'人'及び資本の自由移動がある場合には'経済活動の

維持に関して多岐な経済政策は遂行され得ない。政策の統一性を確保するためには'ある種の政治機構が必要と

される。経済生活における国家の干渉が大きければ大きいほど'関税同盟内における政治統合はますます大きく

なければならない。」

J・

E

・ミードは'一九五三年に出版したその著「経済同盟の諸問題」(Prob‑emsofEconomicUロioロ)に

231

(12)

おいて'商品のみならず'労働と資本との自由移動が望ましい効果をもつためには'加盟諸国間の経済政第の調

和が必要であることを指摘し'さらに経済同盟の含蓄するものがいかに遠大であ.るかを注意した。

「われわれはこう結論してよい'すなわち、われわれの経済同盟内の労働と資本との自由移動は'経済効率の

ため'及び生活標準を最高可能な水準まで引き上げるために'望まれねばならないと。しかし、かかる生産要素、

ならびにその生産物についての市場の統合がこの望ましい効果をもつとするためには'三つの条件が充たされね

ばならない.第一に'個々の加盟諸国は'所得及び財産の分配に関するその国内政策において相互にあま‑かけ

離れていてはならない。第二に'個々の加盟諸国は'その国内経済の安定のための直接的統制'財政政策、及び

通貨政策の選択において相互にあまりかけ離れていてはならない。第三に'個々の加盟諸国は'その国内人口趨

勢を決定するところの社会政策及び経済政策においてあまりかけ離れていてはならない。」

「ほんの一つか二つの正確に限定された経済的機能だけをある超国家的団体(supraatioabody)に移譲

Ltそしてその後は各国の政府に彼ら自体の国民経済政策の立案の完全な自由が残されるような連邦あるいは他

の型の経済同盟を形成し得る‑‑と論ずるのは'全然あまりにも単純である。‑‑経済同盟の含蓄はそれよりも

はるかにいっそう遠大である。そして現代世界において実際に遅行している連邦民主主義諸国においては'ます

ます経済力が加盟諸国から中央的な同盟へと移行しているということは、偶然ではない。」

しかしtI・E・‑1ドは'経済同盟の形成がいかに困難であるかを指摘するにとどまり、主要な国家間に真

の経済同盟の形成の可能性があろうとは思っていないのである。

EEC条約は'関税同盟の論理を最後まで貫徹させ'経済面における政治的統一の実現をめざしているのであ

る。

(13)

欧 州経 済統合 の論理

E E C

条約のグランド・デザイン

すでに述べたようにEECは「シューマン宣言」

(S

c

hu

manDecaratioロ)いらいのヨーロッ。ハ統一に向って

の一つのアプローチである。EEC条約はこのような観点から考察されなければならない。EECの技術的基礎

は関税同盟であるがtEECは単なる関税同盟ではなく'それを超えて経済同盟として発展しようと志向するも

のであり'それによって経済面における政治的統一を達成しようとするのである。EEC条約はそのために必要

な多‑の措置を規定している。

関税同盟は'関税同盟という名称にもかかわらず'その注意を関税だけに局限することはできない。加盟諸国

間の関税のみならず'数量制限による貿易障壁をも撤廃しなければならない。また域外諸国に対して共通関税を

適用するのみならず'共通政策をも採用しなければならない。しかし'現在'政府が貿易を制限し'競争を歪め、

とくに国内市場や産業を保護することのできる手段は'関税及び数量制限だけに限らない。そのほか'租税制度'

特別な法律上の要求'補助金及び輸出リベー‑'信用保証'及び輸送料率でさえも'故意にせよそうでないにせ

よ'同じ効果をもつであろう。関税同盟が真の共同市場であるためには'これらの手段は'関税や数量制限と同

じ役割を演じないように'調整されねばならない。しかし'問題となるのは政府手段のみではない。ダンピング'

カルテル'独占などによって'競争上の地位が人為的に強化されたり、共同市場が分割されたりしてはならない。

EEC条約が競争に関する規則を規定Lt加盟諸国の産業間及び生産物間の競争の制限または歪曲を阻止しよう

とするのは'このためである。

233

(14)

ところで、EECは域内において単に商品のみの自由貿易を実現しょうとするのではなくて'商品のほか生産

要素の自由移動をも実現しょうとするのである。しかし'商品の自由移動でさえも、それに対して支払うことがで

きなければ'無意味である。したがって商品の自由移動を実現するためには'経常支払が自由にされねばならな

い。さらに投資が最も生産的であるところへ資本が自由に移動できるのでなければ、国際特化と分業の進展はほと

んど望めないであろう。同じことが人の自由移動についてもいえる。それ故にtEEC条約は'域内における資本

と労働の漸進的自由移動'及びEEC条約のいわゆる役務の自由授供に対する制限の漸進的撤廃を規定している。

これまで述べたところによってみるとtEECによって提供されるものは'ハルシュタイン教授の指摘したよ

うに,「その市民の自由の大拡張」

(a gr e

atexpansionofit

s cit ize n 's fre

ed.

m

)であることが知られる。何故

なら,EECは現在の加盟六カ国間の経済的障壁の漸進的打破をもたらすからである。しかし'この障壁打破の

過程は漸進的であるLtまたそうでなければならない。それは'すべての当事者に対して新しい情勢に適応Lt

かつ他の共同体諸国による完全な競争にさらすための時間を与えるためである。この点は'アダム・ス⁝スが自

由貿易への復帰は徐々に'漸進的に行なうべきことを主張し'急激に行なうことには人道上の立場から反対した

のに似ている。しかし'同時に'適応に対する誘因を与えるために'この過程に対しては一定の期限が定められ

ねばならないLtまたこの過程が逆戻りするようなことはあってはならない。このような理由によってtEEC

条約は'過渡期間を十二年とLt最大限十五年としたのである。(ただし「第二段階のための行動計画」による

と一九六七年一月一日までに域内関税の完全な撤廃'最終的域外共通関税への接近が行なわれることが提案され

ていてtEEC条約で予定されたよりも過渡期間が短縮されることになっている。)またEEC条約には脱退に

ついての規定がない。

(15)

欧 州 経 済統 合 の論理

このようにEEC条約では'加盟国間の経済的障壁の打破の過程は漸進的であることが規定されているSであ

るが'そうであってさえもtEEC条約は'過渡期間中に特別な困難が生ずるかも知れないことを認識し'それ

に応ずるために通商政策上のセーフガード措置(第百十五条)'及び一般的セーフガード措置(第二百二十六条)

を規定している。また特別な援助措置についても規定している。後者についていえば'その第一は欧州社会基金

(Europeaロ

S

ocialFund)である。これは共同市場における労働者の雇用の機会を改善し、もって生活水準の向

上に寄与するために設立されたものである(百二十三条)。第二は欧州投資銀行(E

uro

p

ea

nInv

est m e n t B an k)

である。その任務は'資本市場及び自己資金によって、共同体の利益に合するように'共同市場の均衡のとれた

円滑な発展に寄与するにある(百三十条)0

EEC条約のこれらの規定をアダム・ス‑スの自由貿易論と対照してみると'きわめて興味深い。ス‑スも自

由貿易政策の採用の結果として失業が発生することを認め'そのために自由貿易を徐々に回復することが望まし

いと考えたが'このようにして発生する失業は一時的にすぎないと主張した。その主張は'労働に対する需要は

一国に現存する資本の高によって決定されるが'自由貿易政策を採用した後も'一国の資本は依然として同一で

あるから'労働に対する需要も同一であるという考え方にもとづいている。ス‑スは、失業に対処するために'

労働者がいかなる場所にて'いかなる職業を営むも自由にしてやるべきであるtと主張したにすぎない。EEC

条約が単に域内における労働及び資本の自由移動を打ち出しただけであるならば'それはアダム・ス‑スの自由

放任の学説を'一国ではなくて加盟国全体にわたって拡大したにすぎないであろう。しかしtEEC条約は失業

に対処するために積極的政策を要求しているのであって、この点だけからみても、EEC条約は決して「アダ

ム・ス‑スの現代的復活ではない」(R・メイン)ことが知られるであろう。

235

(16)

なおEEC条約は'単なる経済障壁の打破だけでは十分でない問題については、検板的なポリシー・メ‑キン

グを規定している。これは輸送及び農業の場合である。EEC条約では農業は第二編'輸送は第四編にそれぞれ

詳細に規定されている。

EEC条約は第二条において加盟国の「経済政策を漸進的に接近させること」について述べ'第三条において

も共同体の活動の一つとして加盟国の「経済政策の調整」を挙げている。しかしtEEC条約では経済政策は景

気に関連する政策と国際収支について第百三条から第百九条まで規定されているにすぎない。景気に関連する政

策については第百三条に「加盟国は、景気に関連する政策を共通の利益の問題として考える」と規定している。

国際収支については第百四条に「各加盟国は'高水準の雇用及び価格水準の安定を確保しっつ'国際収支の全体

的均衡を確保しtかつ'自国通貨の信用を維持するために'必要な経済政策を遂行する」と規定Lt第百五条で

は「第百四条にいう内容の達成を容易にするため'加盟国はその経済政策を調整する」と規定Ltさらに加盟国

の通貨問題に関する政策の調整を助成するために諮問機関として通貨評議会を設置することを規定している。

経済政策に関するEEC条約の規定については「非常に概括的・抽象的であり過ぎて'不徹底のそしりをまぬ

がれない」という批評もある。しかし'ハルシュタイン教授によると'経済政策に関するEEC条約の規定にみ

られる「語法の慎重さ」は'第一に'各加盟国政府があらかじめあまり強く束縛されるのをいやがることを反映

している。第二に'量的であるよ‑も質的である'これらの事柄について正確な目標及び時間表を設定すること

が困難であることから発生する。第三に'それはまた'もし経済統合の完全な利益が達成さるべきであるとすれ

ば'これらの分野における仕事もまた不可避的になるという事実を知っていたことを示している。この点につい

てハルシュタイン教授は「EEC条約は'一組の正確かつ詳細な命令よりはむしろ手続及び原則の条約であるが

(17)

欧 州経済統合 の論理

故に'必要とされるときに

そしてそれは必要とされるであろう

必要な特別の手段を展開することができ

るのである。これはローマ条約を立案した人びとが'石炭鉄鋼共同体の経験からして'統合市場という新しい諸

条件への適応は'もし賢明なかつよく調整された経済政策が、EEC条約がその基礎を確立しようと求めた〝堅

実かつ均衡のとれた拡大を確保するならば'非常に容易な'苦痛のないものであるということを知っていたの

であるからなおさらそうである。この点に鑑みれば'ある人びとが条約のこれらの部分について批評した精密性

の欠如は'少なくとも一部分は'条約の調印者のその機構への'及び経済統合の漸進的'不可避的過程への信頼

のしるLである」と述べている。,

ハルシュタイン教授は'それに続いて「もちろん'この信頼は'条約が表わしている連帯の精神(spiritofsoT

idarity)への同様な信頼がある場合にのみ存在し得るにすぎない」と述べている。ここで経済統合と連帯の精神

との関係が問題とされねばならない。

六 経 済 統 合 と 連 帯 の 精 神

経済統合を達成するためには制度や精神が改革されねばならない。EECの加盟諸国間において商品のみなら

ず'労働や資本の自由移動を達成するということだけのためにも'それに対する障害を除去するだけでは不十分

である。この点について

T

・シーフスキーは次のように述べている。

「完全なヨーロッパ内の資金の移動を達成するためには'貿易を自由にすることよりもはるかにいっそう遠大

な諸制度や精神の改革を必要とするであろうということは、注目されねばならない。その中で'それは'西ヨーロ

237

(18)

ッ。ハ人の国内貯蓄は国内開発のために利用しようとする強い国民主義的な願望を克服すること'及びその願望に

ヨーロッパ人としての忠誠心と見地

(E uro

p

ea

ntoyattyandoutlook)を代えることを必要とするであろう。」

経済統合は、域内における商品及び生産要素の自由移動を実現することをめざすだけではない。E・ブノワは、

関税同盟の完全な利益を得るためには'関税同盟を超えなければならない'そして最大能率の線に沿って最大限

の成長を遂げるために'資本と労働との移動を自由にし、競争を強化し'及び経済政策を調整するための計画を

樹てなければならないことを指摘した後'続いて次のように述べている。

「しかし'この程度の経済的統一は'直接的な経済的手段それ自体を超越して'これを本質的に政治的性格の

より広い熱望に従属させるある種の政治的ヴィジョンによって鼓舞されるのでなければ'たぶん達成不可能であ

ろう。短期的な各国の経済的利益を全地域の長期的な利益に従属させることは、よ‑広い政治的目的のわ‑の中

以外では'実際に求め得られない。・・・・・・EECの根底にある動機は'西欧内部で

そしてと‑にフランスとド

イツの間で‑もう一度戦争を行なうことを実際に不可能ならしめるように加盟諸国の経済的利益を融合するこ

とである。このような強力な政治的理想のみが'経済統一の過程が必然的に伴う各国の既得利益に対する多‑の

短期的犠牲を課することを可能ならしめるであろう。」ヽヽヽT・シーフスキーは国民主義的な願望に「ヨーロッパ人としての忠誠心と見地」を代えるべきことを主張した。

この点は問題とされねばならない。また、それがいかにして可能であるかについて述べていない。ハルシュタイヽヽヽヽヽン教授は'市民が自分自身を単に伝統的な国家的構造のメンバーとして考えるのみならず'また欧州の大家族に

属するものと考えるように望んでいる。それには思考習慣の変化が必要であるが'その変化は制度の改革によっ

て可能であることを指摘している。この点を明らかにするために'一九五八年三月十九日'三つの欧州共同体の

(19)

欧 州経 済統合 の論理

議会で行なわれた欧州委員会委員長'ハルシュタイン博士の演説の一節を'次に引用しよう。

「われわれが達成しようと試みているものは何か。われわれは社会を変化させようと努力している。われわれ

は'われわれの市民が'自分自身を政治的な存在と見倣すかぎり'自分自身を単に伝統的な国家的構造のメンバ

ーとして考えるのみならず'また欧州の大家族

(th e gr ea

tEuropeaロfa

m i‑

y)に属するものと考えるように望

んでいる。しかしながら、このためには先ず思考習慣の変化が必要である。ひとびとは彼らの公事を欧州の共通

の責任問題

(a m

at

te r

of

co m m o

nEurope

an

responsi

bil it

y)だと考えることを学ばなければならない.これは

制度が助力することができる場合である。もし制度が健全な方針にもとづいてつくられたならば'制度はそのよ

うな態度を必然的にもたらすであろう。制度はひとびとをいっしょにより緊密にLt相互に知られるようにLt

また相互の理解を促進するのみではなくて'制度は'何が共同体全体'すなわち'ヨーロッパにとって最善であ

るかに関して絶えざる議論を強いるであろう。」

EECが創造しなければならないものはtEEC条約が表わしている「連帯の精神」である。この「連帯の精

神」という言葉は'ハルシュタイン教授が一九六二年四月十七日'タフ‑大学において行なった講演で用いられ

たものであって'ハルシュタイン教授によれば'加盟諸国がその資源のみならず'またその問題をもプールする

ことを喜んですることである。政治的分野においては'それは'他の加盟諸国の重要な利益と相容れないであろ

う政策を喜んで放棄すること‑その国際法上の意味が現在でさえアカデ‑ックな法律家たちによる研究問題で

ある一種の「同盟への忠誠心」(o

y a首 to th e

uロi

on ) ‑

を意味する。経済的分野においては'それは'自分

自身の個々の困難の解決に対する手段として共同体方式(Co

m m un ity m eth od )

を進んで信頼すること'ならび

に共同体の加盟国として'自分のパー‑ナIの経済的な諸問題を「共通の関心の問題」

(m a

tters

o

fcommon

239

(20)

co nc e

rロ)として'従って一部分は自分自身の責任として進んで取扱うことを意味する。

EECはこの「連帯の精神」によって創造され'「連帯の精神」によって支持され'「連帯の精神」を糞失する

ことによって崩壊するのである。この意味において'経済統合は単なる経済問題ではなく、国民性の問題'ある

いは教育の問題に深く関連していることを認識しなければならない。

七経済統合と政治統合

最後に,経済統合と政治統合との関係について述べよう。これまで多‑の人びとによってtEECは経済同盟

であって,経済的事柄を取扱うのであり'政治的事柄は政治同盟が取扱うのであるとかtEECの究極目標は欧

州政治共同体の設立であるとか主張された。

たとえば,∫.F・ドゥニョIは'その著「共同市場」(TheC

om m o

ロMarket)において'次のように述べ

ている。

「政治同盟は,それだけでは'対応する経済同盟なしには'実行不可能なことがたちまち判明する。経済同盟

は,諸国‑またはそれらの中のl国Iがそれをその政治的プログラムに含める場合にのみ実行可能であるに

すぎない。」

このような表現は'政治と経済とをはっきりと区別していることを示唆するものである。EECはヨーロッパ

の政治的統一に向う戦後の運動の一部であって'政治的統一のための手段として経済統合を行なうのであり'経

済統合は,それ自体において'政治現象である。EECの主たる任務は経済政策の調整を行なうことである。政

(21)

欧 州経 済統 合 の論理

策と政治とは完全に切り難すことのできない概念である。英語では政栄

(po ‑i

cy)と政治(po‑itics)とは別個の

言葉が用いられるが'フランス語'ドイツ語'イタリア語'及びオランダ語の場合には同じ言葉

I po ‑it iq ue ﹀

P

o‑itikVpoHiticavpo‑itiekIが用いられるのをみても'政策と政治との関連の深いことが知られるであろう。

ハルシュタイン教授はtEECの究極目標が欧州政治共同体の設立であるという主張を否定L〜EECは政治的

な特徴をすでに含んでいるものであると主張する。一九五八年三月十九日'三つの欧州共同体の議会において行

なわれた欧州委員会委員長、ハルシュタイン博士の演説は'この点を明らかにしている。

「多‑のひとびとは'われわれの仕事の政治的な面は'われわれがそれへ向って努力しっつある究極目標'す

なわち'欧州政治共同体‑そこでは'諸国の純粋に政治的な特権もまたプールされるであろうIの設立であ

るといっている。しかしながら'これは'誤‑ではないけれども'不完全である声明なのである。実際には'わ

れわれの経済共同体は明白な政治的な特徴をすでに含んでいる。これは'以前には諸国によって行使されていた

権限を共同体へ移譲Ltそしてそのような権限を引き受けるべき制度を明記する'組織上の性質をもったすべて

の規則に明らかである。ローマ条約によってプールされた主要なものは'われわれの諸国民の〝経済

〃 ‑

すな

わち'産業家'労働者'銀行家'商人'及び消費者の決定や活動の総計1ではなくて'参加諸国の経済政策で

あったということを'われわれは忘れてはならない。換言すれば'共同体に対して犠牲を払いつつある(したが

って共同体の設立の結果として以前よ‑も自由でなくなりつつある)のは'市民ではなくて'政府である。各国

経済の融合は'単にこの結果にすぎないのであって'この意味において'第二次的な重要性のものである。われ

われの共同体の重要性は'行政の諸条件に関連する実際的な親則に劣らず'われわれの共同体の制度的な構造に

おけるこの政治的な面にある.1」

241

(22)

「第二段階のための行動計画」は'政治と経済との二分法を否定LtEECにおいて政治統合は重要な分野に

おいてすでにはじまっていることを強調している。

「国家政策の経済的ならびに社会的な面の統合がローマ条約において目的とされているのは'ヨーロッ。ハの政

治的統一(po‑iticaunityinEurope)を達成する手段としてである。というのは'いっしょにされつつあるも

の'ここで共同体に結合されつつあるものは、個々の国の政策だからである。われわれが建設しっつあるものは'

経済'あるいは'いっそう正確にいえば'経済的な事柄に対して国家によって及ぼされる影響'すなわち'経済

政策という'すぐれて政治的な面における加盟諸国の同盟である。それは加盟諸国の対内政策の本質的部分'及

びその対外政策の部分'すなわち'貿易政策に影響するところの同盟である。それ故に'経済共同体において共

同的に取り扱われるであろう〝経済的な事柄と'その共同的な取り扱いが大部分政治同盟によって取り扱

われるように残されている〝政治的な事柄との間に区別をみるのは'非現実的であろう。このような経済的な

ものと政治的なものとの間の二分法.

(d ich ot om y )

は'政治と経済との間の関係がまったく異なっていた時代か

らはじまったもので'いまでは混乱を生じさせ得るのみである。EECは決して現在は純粋に経済的な冒険であ

って'政治的な冒険によってそれが二重にされるのを必要としているものではない。反対に'次のことが安ん

じて主張され得る.すなわち'共同体内において政治統合は'他の分野‑文化政策'対外政策の他の部分'及

び防衛政策

と。」 は加盟諸国の手中に残されているが'一つの重要な分野においてすでにはじまったのである'

このようにEECが行なっている経済統合は一つの重要な分野における政治統合そのものである。

ハルシュタイン教授は'一九六一年五月二十二日'ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学の合同集会に

(23)

欧 州経 済統合 の論理

おいて'次のように演説した。

「われわれは'決してビジネスの世界にいるのではなくて'政治の世界にいるのである。われわれの側には政

治統合を求めた歴史がある。一世代前にさえも'われわれは権力のコンサーーについて語るのが常であった。伝

統的に'ヨーロッ。ハの構造は'それぞれ独白の別個の構造をもった多数の別個の国から成‑'これらの国は必ず

しも相互にまった‑孤立して行動したのではないけれども'ほんの一時的かつ特別のグループに集合したにすぎ

なかった。基本的には'この体制はフランスとドイツとの問の勢力均衡に依存するものであって'しばしばイギ

リスが両者の間の調整者の役割を演じた。それは‑ときどき‑ヨーロッ。ハ大陸の外部から指揮者が加わる対

位法的なヨーロッパのコンサ1‑であった。そのコンサ1‑はいまや静まった.それはl九三九年にそのフィナ

ーレ‑悲劇的なフィナーレtに到達Ltそれは六年間続いた。そのとき、たとえそれ以前ではないとしても'

ビスマルクによって非常に巧妙に用いられた十九世紀の体制は'もはや二十世紀には通用しないことが明らかに

なった。それはシューマン'アデナウアー'スフォルツァ'デ・ガスペリ、ス。ハ‑ク、及び'まった‑新しい世

代の政治家の体制にとって代られた。これらの政治家は'権力の代りに'利益の融合を創造した。別個の国の特

別のグループの代りに'問題と資源をプールすること(poo‑ingofp

ro b‑e

m

s a

d

r

es o

亡rCeS)を提案した。権力

のコンサ1‑の代‑に'彼らの目標として'共同の制度によって形づくられtかつ言葉ではなくて'行為の上に

たてられた'永遠により密接な統合

(e ve r

・ctoserunion)をうちたてたのである.」

一九二三年'オース‑リアの一青年哲学者、クーデンホ17・カレルギーが'その名著「。ハン・ヨーロッパ」

(PanEuropa)にて'ヨーロッ。ハ青年に対し。ハン・ヨーロッ。ハ事業を遂行すべ‑訴えた。「すべての偉大なる歴

史的事実はユー‑ピアに始ま‑実現に終った」(17・カレルギー)という言葉のとおり、。ハン・ヨー

243

(24)

ロッパのユー‑ピアはいまやEECという歴史的事実となって実現したのである。

参照

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2006 年 6 月号から台湾以外のデータ源をIMF のInternational Financial Statistics に統一しました。ADB のKey Indicators of Developing Asian and Pacific

告した統計をもとに編集されている 1 。国際連合統 計委員会(United Nations Statistical Commission、以 下 UNSC

 取引費用の経済学によると,垂直統合の動機としては2点あげることがで

 ASEAN 域内の関税については引き下げが進んでおり,先発の ASEAN 原加盟国では,2010 年には域内関税がすべて撤廃されるという段階まで

EAEG 東アジア経済グループ EC ヨーロッパ共同体 ECFA (両岸)経済協力枠組協議 EFTA ヨーロッパ自由貿易連合 EU ヨーロッパ連合.

国(言外には,とりわけ日本を指していることはいうまでもないが)が,米国

)の報告書が利用されている。この調 査は,最初は対象を農村の栄台十支出に限定して u