ピア ジ ェは道徳 性 の発達 段 階 を どの よ うに考 えたか ?
‑ 『子 どもの道徳判 断』 を読 む
(2)‑関 口 昌 秀
1
.は じめに
ピア ジェは道徳性 の発達 につい て3段 階 に分 けて考 える。他人 と自分 の区別 がで きず 自己意 識 の ない 「自己 中心 性」(egocentrisme)の時 期 が,第 1段 階 として ある。 自己 と他者 の区別 が ない か ら, この時期 の子 どもは,周 りにあ る すべ て の もの を自分 の もの と意識 して しま う。
心 に浮かん だ感情 について も,他人 に よって評 価 され る もの とは考 えず, それだけで価値 あ る もの と信 じて しま う。 この よ うな道徳的 な ア ノ ミー状態が 自己中心性 の状態で あ る。
社会 関係 の中において,子 どもは 自己中心性 を抜 け出 してい く。社会 関係 のなかで他者 の評 価 に接 す るこ とに よって, 自己中心性 の無秩序 状態 に秩序 が もた らされ る。社会 関係 は大 き く
「強 制 関 係」 と 「協 同 関 係」 に2分 され る の で,秩序化 には2通 りの道 が ある。他律 と自律 で あ る。 この2通 りの道 がそれぞれ2つ の段 階 に もな る。他律 か ら自律 へ とい うのが発達 の道 筋 だ とピア ジェは考 える。
強制 関係 としての社会 関係 は,子 どもが親 や 大人 とつ くる最初 の関係 で あ り, 同年輩者 同士 の子 ども関係 が協 同関係 で あ る。大人 との関係 を特徴づ け るのは,大人 に対す る子 どもの 「一 方 向的 な尊敬感情」 で あ る。子 ども同士 の関係 を特 徴 づ け るの は,子 ども同士 の 間 にお け る
「相 互 的 な尊敬感情」で あ る。大人 との関係 の 中で は,「大人 の言 うこ とを聞 く」 こ とが基本
的 な義務 で あ る。 そ こで は,規則 が外部 か ら子 どもに押 し付 け られ る。す なわち, それは他律 の道徳 で ある。 これに対 して,子 ども同士 の協 同関係 で は,論議 を して, 自分 た ちで規則 をつ くりだす。 そ して 自分 た ちで創 出 した規範 に 自 ら従 う。 ここに 自律性 の道徳 が成立す る。
子 どもは家族 の 中で誕生す るか ら,大人 との 権威 関係 が先 にあ り, その後 に子 ども同士 の関 係 が あ る。 よ って,他 律 的道 徳 が先 に形 成 さ れ, その後 に 自律 的道徳 が形成 され る。 デ ュル ケ‑ム (よ り正確 には 『道徳教育論』 の後期 デ ュル ケ ‑ム) に対 して, ピア ジェが強調 したの が, 自律 の道徳 で あ る。他律 的道徳 は真 の道徳 で はない, とさえ ピア ジェはい う。
自己中心性 か ら他律 的道徳 へ, そ して他律 的 道徳 か ら自律 的 な道徳 へ とい うのが, ピアジ ェ が考 える道徳性発達 の基本 的 な筋道 で あ る。 こ れ は,前稿 「ピア ジェ理論 にお け る逼徳性発達 の論理一道徳性 の発達 と社会形成 のた めの ノー
ト」1)の 中で述 べ た こ とで あ る。前 稿 で は, ど ア ジェの 『子 どもの道徳判断』 の第4章 の部分 だけ を対象 としたが, ここで は第 1章 「遊 びの 中の規則」 を対象 として, ピアジ ェが考 える道 徳性 の発達段階 を見 てい こ う。
副題 を
「
『子 ど もの道徳 判 断』 を読 む」 と変 えたのは, その方 が内容 を正 し く表 わすか らで あ る。「道 徳 性 の発達 と社 会形 成」 は,私 の問 題 関心 の表現 としては よいが,論 文 の題 としては広 す ぎるか らで あ る。
‑6 3 ‑
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第28号 (2009年3月31日)
2.包括的な発達段階はない
第1章 の結論部 で, ピアジェは,包括 的 な発 達段階 はない と言 ってい る。
個人 の発達 のあ る時期 におい て その人 の心 理 的生活全体 を規定す る包括 的 な段 階 とい うものは,存在 しない。(p.61;103頁)
人 間の心理発達 を全体 的 に包括す る発達段階 を考 えるこ とは妥 当で ない とい うこ とと,第4 章 で述べ た 自己中心性 か ら他律へ, そ して他律 か ら自律へ とい うのは, ど うい う関係 にな るの か。上 の引用 に続 く次 の文 を読 む と, そ こがわ か る。
〔発 達 の〕諸段 階 は,行 動 と意識 の両 面 の 上 に リズムの よ うに生 じて くる規則 的 な過 程 の相次 ぐ諸局面 として,考 え られ る。た とえば, あ る個人 は, ある種 の規則 の行動 に関 しては自律 の段階 にあ るが, その規則 の意識 に関 しては, よ り洗練 された規則 の 行動 と同様,他律 の段 階 に止 まってい る。
(p.61;103頁)
ピア ジェは,発達 をい くつか の局面 に分 けて 考 える。 た とえば, ここで は,規則 を実行 で き る レベル と, その規則 について意識 す る レベル とを区別す る。
そ して,規則 も一通 りで な く,何種頬 か に区 別 して考 え る。上 の 引用 に対 す る脚 注 に おい て, ピアジェは次 の よ うに言 ってい る。
た とえば,10歳 の あ る 1人 の子 ど もは, ビー玉 遊 び の規 則 を実行 す る点 に関 して は, 自律的で あ る。 しか し, ビー玉遊 びの 規則 につい て意識 す る点 に関 して, また嘘 をつか ない規則, あ るい は 〔よ り一般 的 に 言 えば〕正義 の規則 を実行す る点 に関 して は,他律的で あ る。(p.61;103頁 の注)
10歳 の あ る 1人 の子 ど もを取 り出 して観 察 して み る と,規 則 の実 行 に関 して は 自律 的 だ が,規則 の意識 に関 しては他律 的 な段階 に止 ま ってい る。 そ うい うこ とが一般 にあ る。 そ して さらに,実行 の面 で も, ビー玉遊 びの規則 と嘘 をつか ない規則 とは別種 の ものなのだ。 ビー玉 遊 びの規則 の実行 の点で は 自律 的 だが,嘘 をつ か ない こ とでは他律 的 な こ ともある。
この よ うに, ピア ジェは,規則 の実行 とそれ につい ての意識 とを区分 し, さらに規則 その も の につい て も,規則 の種類 を区分 す る。「心理 的生活全体 を規定す る包括 的発達段 階が存在 し な い」 と い う の は,「心 理 的 生 活 全 体」
(1'ensembledelaviepsychologique)はい くつ か に区分 して考 えるのが,適正 だ とい うこ とで あ る。「心理 的生活全 体」 をその まま全体 と し て把握す るこ とは無理 だ とい うこ とだ。発達段 階 は,心的生活 をい くつか に区分 した上 で捉 え るのが妥 当 だ とい うこ とで あ る。「包括 的発達 段 階が存在 しない」 とい うのは, そ うい う意味 で ある。
た しか に,一般 に,認知発達 と人格発達 を区 分す る。た とえば,認知発達 につい て な ら, ど
アジ ェの感覚 一運動期 ,前操作期,具体 的操作 期,形式 的操作期 とい う時期 区分 が,一般 に受 け入 れ られてい る2)。人格 の発達 につい て は, ふつ う,有名 なェ リクソ ンの発達段 階区分 を思 い浮かべ るだ ろ う。 この よ うな意味で 「心理 的 生活全体」 を区分す るのは,当然 の こ とと言 っ て も よい。 そ うす るのが,ふ つ うの こ とで あ る。 しか し, ピア ジェの区分 は, それに とどま らない ものが あ るo
ピアジ ェは発達 を論 じる上 で,少 な くとも, 3つ の水準 の区別 を してい る。
① 道徳性 と知能 の区別
② 規則 の種別 (た とえば, ビー玉遊 びの規 則 と嘘 をつか ない とい う規範規則 の別)
③ 同 じ規則 の実行 とその規則 につい ての意 識 の区別
(Dは,道徳性 の発達 と知能 の発達 の平行性 と
ー 64‑
い う考 え方 の 中に表 されてい た (前稿 参 照)0 これは,認知発達 と人格発達 を区分す るこ とと 同等 で ある。 それは一般 的 な こ とで あ り, ピア ジェに特有 の こ とで はない。ただ し,認知発達 と道徳発達 の両方 を問題 としたのは, ピアジェ が例外で あ り,道徳性 と知能 の両方 を論 じた者 は ピア ジェ以外 に見 あた らない。
(参と(彰は, ピアジ ェに特有 で あ る。道徳性 の 発達 を考 える上 で も, これ らの区分 を してい こ うとい うわ けだ。「包 括 的発達段 階 が存在 しな い」 とい うのは,道徳発達 を捉 えるためには, それ らの中の さらな る区分が必要 だ とい うこ と で もあ る。 その よ うに して は じめて道徳性 の発 達 は捉 えるこ とが可能 とな る。 だか ら, ピア ジ
ェは次 の よ うに言 うわけだ。
自律 あ るい は他律 に よって特質づ け られ る 包 括 的 な 〔発 達 の〕諸 段 階 (sta°es glo‑ baux)につ い て語 る こ とはで きない。 わ た した ちが語 るこ とがで きるのは, ただ, 個 々の新 しい規則群 や個 々の新 しい意識面 や反省 の面 に関 して反復 してい く過程 を規 定 す る,他 律 と 自 律 の 諸 局 面 (phases d'heteronomie et d'autonomie)につい て だけで ある。(p.61;103頁)
自律 と他律 について も, 自律一般 とか他律一 般 は考 え らない, とい うわけで ある。 ただ し, ここか らひ とつ の問題 が生 じるこ とに もな る。
(参,③ の 区別 に関連 して 生 じる問題 につ い て,一言 してお こ う.
(参は道徳性全体 を区分す るこ とに関わ るo ビ ー玉遊 びの規則 と嘘 をつかない規則 と正義 の規 則 との関連 につい て は述べ られてい ない。第1 章 の主題 が ビー玉遊 びの規則 にあ った こ とを考
えてみれば, これ らの規則 の関連ついて述べ な い とい うの も肯 け るこ とで はある。 しか し, ど ー玉遊 びの規則,嘘 をつか ない規則,正義 の規 則 な ど と規則 自体 を区別 して しま うと,道徳性
ピア ジ ェは道徳 性 の発達段 階 を どの よ うに考 えたか ?
一般 を どの よ うに考 えるか, とい う問題 も発生 す る。 ピアジェ自身 「真 の道徳」 とい う言い方 もす るのだか ら,彼 は,一般 的 な道徳性 の存在 を想定 してい るわけだ。 それ と,諸規則 は どの よ うな関係 にあ るのか。 とりわけ, ビー玉遊 び の規則 は道徳性 とどの よ うな関係 にあるか。 も し, この脚注 でい う 「正義」 の規則 が道徳性一 般 を指す のだ と解 す るな らば, それ とビー玉遊 びの規則 とは どの よ うに関係 す るのか, とい う こ とが再 び問題 とな る。 ところが,諸規則 の関 連 について は述べ られない ので,道徳性一般 に ついて も暖味 な ところが残 るこ とにな る。
ただ し,道徳性 について は,本文 に 「真 の道 徳」 とい う言い方 も出て くるこ とか ら, ピアジ ェが道徳 とい うもの をどの よ うに考 えてい るか に関 して理 解 で きる点 もあ る。前 稿 で確 認 し た,真 の道徳 は 自律 の道徳 だ, とい うの もその 一つで ある。
第1章 で主 として述べ られてい るのは,③ の 規 則 の実 行 と意 識 の 区別 と関連 につ い てで あ るo それ との関連で,道徳 の考 え方 について も 述べ られ る。実行 と意識 の関連 について は, と くに 「意識化 の法則」 と 「行動 と意識 のずれの 法則」 を論 じる点が参考 とな る。 これについて は,節 をあ らためて,後 でみ よ う。
3.ビー玉遊びの規則一実行の 4段階 と 意識の
3段階
ビー玉遊 びで の 自律 と他律 とは,具体 的 に何 を指 してい るのか,見 てみ よ う。
まず, ビー玉 遊 び の規 則 の発 達 全 体 につ い て,大 まか に見 てみ よ う。先 に述べ た よ うに, ピアジ ェは ビー玉遊 びの規則 を行動 の面 と意識 の面 に区分す る。規則 の実行 で は, ビー玉遊 び の発達段 階 は4段 階 に分 け られ る。 ビー玉遊 び の規則 の意識 で は,発達段 階 は3段階 に分 け ら れ る。
行動 の第 1段 階 は
,
「純 粋 に運 動 的 で個 人 的 な 段 階」で あ る。「運 動 的」(moteur)と は「感 覚 一運動 的」(sensori‑moteur)の こ とで あ
‑65‑
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第28号 (2009年3月31日)
る。「運動 的」 と表 現 す るの は第 1章 だ けで あ り,第4章 で は 「感覚 一運動的知能」 と表現 し てい る。 この表現 の方が,事柄 の表現 として正 確 で分 か り易い。 これは認知発達 でい う 「感覚 一運動期」 の こ とで あ り,条件反射 的で言葉以 前 で あ る。知能 と道徳 の区別 も意味 が ある とは 思 えない段階で あ る。 また, この段階 は全 く個 人的 な もので ある。 だか ら,集 団的規則 につい ては何 も言 えない。 この点か らも,固有 の意味 で の道徳性 は問題 にな らない段 階で あ る。
第2段 階 は,「自己中心性」(egocentrisme)
の段 階 で,2歳 ない し5歳 か ら7,8歳 頃 まで で ある。 この時期 の子 どもは,他 の子 どもがす る例 を模倣 しよ うとす るが,遊 び仲 間 を見 出そ うとはせず1人 で遊ぶ か, あるい は他 の子 ども と遊 んで も勝 とうとは しない。友達 と一緒 に遊 んでい る ときで も 「自分 のみで」遊 び, た とえ ばす べ て の子 ど もが勝 つ こ ともで きる。 それ は,勝敗 を決 め る統一的 なゲ ームの規則 が ない か らで あ る。 この時期 の子 どもは,すべ ての子 に共通す る統一的 な規則 を制定 しよ うと思 わな
い。
ビー玉 遊 び の規 則 実 行 の第3段 階 は,7,8 歳 頃 か ら 10,11歳 頃 まで で, この段 階 を 「初 期協 同の段階」(sta°edelacooperationnais‑ sante)‑ 直 訳 す れ ば 「生 まれつ つ あ る協 同 の段 階」 とな るが, ここでは 「初期協 同」 と訳 してお く‑ と, ピアジェは よぶ。子 どもは, ビー玉遊 びで仲 間 に勝 とうとし始 め,統一的 な ビー玉遊 びの規則 を制定 しよ うとす る。
第4段 階 は,ll,12歳 頃 か らは じま る。 こ の段 階 は 「規則 の制定化 の段階」(sta°edela codi丘cation desregles)で あ る。子 ど も は 14,15歳 頃 で ビー玉 遊 び を しな くな る。 だか ら, それ以上 この段 階 を考 えるのはあ ま り意味 が ない。 ただ し, ここで ビー玉遊 びの規則 の実 行 に関す る限 り,協 同的 な相互拘束 の規範 が完 成す る。
ビー玉遊 びの規則 につい ての意識 の第 1段 階 の特徴 は,「まだ強制 的 で ない」 こ とで あ る。
年齢 的 には規則実行 の第2段 階で あ る自己中心 的段 階 の半 ば (5,6歳 ご ろ) まで と見 てい る よ うで あ る。 ピアジ ェに とって,年齢 区分 はそ れほ ど重要 で な く,意識 の段 階 は,発達 の メカ ニズムを説 明す るために,実行 とのかかわ りで 重要 とな る。「意識化 の法則」 と 「ず れの法則」
で,実行 と意識 の関連 を説 明 してい く。「ずれ」
とは,規則 の実行 と規則 につい ての意識 のずれ の こ とで あ り,実行 が先 に存在 し, その後 に規 則 について意識す る ようにな る。 その間 には一 定 のずれが あ る, とピア ジェは考 える。
意識 の第2段 階 は, 自己中心的段階 の半 ば頃 に出現 し,協 同段 階 の半 ば (9,10歳 頃) で終 わ る。規則 の意識 を調べ るに当 って, ピア ジェ は規 則 の起 源 と規 則 の永 続 性 と可変 性 につい て,一人 ひ とりの子 どもに質 問 した。規則 を決 めたのは誰か とい う質問 に対 して,子 どもは, 規則 は大人 あ るい は神様 か ら発生 した と答 え, 規則 を変更で きるか とい う質 問 に対 して は,規 則 を変更す るこ とはで きず,規則 は これか らも 永続 してい くと答 える。つ ま り,規則 の起源 は 大人 ない し神 とい う外部 にあ る と考 える。 そ し て それ は 自分 たちで変 え られ る もので はな く,
これ か ら も永 続 してい くもの と考 え る。 これ が,意識 の第2段階 の特徴 で あ る。
第3段 階で は,規則 は相互 同意 に基づ く規範 と考 え られ る よ うにな る。 だか ら,規則 は,第
2段 階 の よ うに変 更不 可能 で はな く,変更可能 と考 え られ る よ うにな る。一般 の同意 を得 られ る限 り,規則 は随時修正 す るこ とが許 され る。
意識 の第3段 階 は,9,10歳 頃か ら後 の全 てで あ り,規則実行面 でみ る と協 同段 階の後半 お よ び規則制定化段 階 の全体 を占め るこ とにな る。
以上 が, ビー玉遊 びの規則 実行 の4段 階 と意 識 の3段 階 の概要 で ある。
4.
規則実行の発達 と認知発達の平行性 規 則 実 行 の4段 階 は,「感 覚 一運 動 段 階」,「自己 中心 的段 階」,「初 期協 同段 階」,「規 則 制 定化段階」 と続 く。規則 につい ての意識 の3段
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階 は,意識 にお け る自己中心性 が社 会 関係 へ 開 か れてい く意識 の諸 段 階で あ る。行動面 にお け る自己 中心性 と意識面 にお け る自己 中心性 とい う新 しい 区別 問題 が生 じる こ とにな るが, ここ で はそれ は脇 におい てお くこ とにす る。意識 の 3段 階 は主 観 的 自己 中心 性 か ら,他 律 的道徳 意 識 , 自律 的道徳 意識 ‑ と続 く。 これ は前稿 で確 認 した第4章 で の議論 に一致 す る もので あ る.
実 行 の4段 階 に つ い て ピア ジ ェは 「別 な名 称」 も与 えてい る。各段 階 を規定 す る 「法則 の 名 称 」 で あ る。4つ の段 階 は,「きわ め で単 純 で 自 然 な 法 則」(lois tres simples ettres naturelles)に よ って定 義 で きる。 それ は次 の 4つ で あ る。(p.31;48頁)
第1段 階 :単 純 な個 人 的 規 則 性 (simples regulalitesindividuelles) 第2段 階 :自己 中心性 を伴 いつ つ大人 を模
倣 (imitation desgrandsavec egocentrisme)
ピアジェは道徳性 の発達段階 を どの よ うに考 えたか ?
第3段 階 :協 同 (cooperation)
第4段 階 :規 則 そ の も の に 対 す る 関 心 (interetpourlaregleen elle‑ meme)
ここで注 目すべ きは,規則 実行 の4段 階 と認 知発達 の4段 階 が対応 してい る と考 え られ るこ とで あ る。先 に述べ た よ うに,認知 発達 は,感 覚 一運 動期 ,前操作 期 ,具体 的振作 期 ,形 式 的 操作期 と続 く。 これ と規則 実行 の4段 階 はほぼ 対応 してい る。 (図1参照)
「道徳発達 と認知発達 の平行 関係」(le paraL lelisme entre le developpement moralet l'色volution intellectuelle)(p.322;563頁) と い うピア ジ ェの基本 的考 え方 か らい って も, そ
うな る こ とは 自然 で あ る。
た だ し,認知発達 と平行 関係 に あ るのは,道 徳発達 の うち,規則 実行面 だ けで あ って,規則 意識 面 の発 達 は認知 発達 と対応 しない。 そ もそ も規則 意識 の発達 は3段 階 だか ら,規則 実行 の 図1 認知発達 と規則実行 の発達,規則意識 の発達 の時期 区分
年齢 認知発達 規則実行 の発達 規則意識 の発達
21 3 4 5 6 7 8
9 感覚 ‑運動期(0‑2歳) 運動 的 一個人的段階(?‑2ない し5歳) 規則意識 の第 1段階(?〜5,6歳) 前操作期(2‑7歳)
自己中心性 の段階 (2ない し5‑7,8歳)
規則意識 の第(5,6‑9,102歳)段階 具体的操作期 初期協 同の段階
1l11023 (l 形式的操作期7,8‑11歳) 規則制定化 の段階(7,8‑10,11歳) 規則意識 の第(9,10歳〜 ?)3段階
14 15 16 17
18 (ll,12‑15歳) (ll,12‑14,15歳)
〔認知発達 の年齢 区分 について は,子安増生 「発達過程 の理解」,子安 ほか編 『教育心理学』有斐閣,1992年,32ペ ージの表 に よる。〕
ー 67‑
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発達段 階 と対応 しないか らで あ る。次 に これ ら の関連 をみてみ よ う。
5.
規則実行 と規則意識の発達のずれ
‑意識化の法則 とずれの法則‑
5‑ 1 行動 と思考のずれ
規則実行 の発達 は4段階, それに対 して規則 意識 の発達 は3段 階 とい うよ うに,規則 実行 と 規則意識 の発達 は,ずれてい る。 図 1は,両者 の発達 に認知発達 も加 えて, その発達段 階 を年 齢 に沿 って 図示 した もので あ る3)。 これ を見 る と, そのずれが よ くわか る。意識 の段 階 は, お お よそ,実行段 階 の半 ばか ら始 ま り,次 の実行 段 階 の半 ばへ と続 く。第 1段 階 だ け は例 外 だ が,意識 の第2段 階 は実行 の第2段 階 のほぼ 中 頃 に始 ま り,実行 の第3段 階の半 ばに及ぶ。意 識 の第3段 階 は実行 の第3段階 の半 ばか ら始 ま
って, それ以後 まで続 く。
実 行 と意 識 の関係 は, この よ うにず れ てい る。先 に確認 した,認知発達 と平行 関係 にある 道 徳 発 達 とは,道 徳 発 達 の うちの実 行 面 で あ る。意識面 の発達 は, 当然 ずれ るこ とにな る。
「思考 はつね に行動 よ り遅 れて くる」(p.43;
69頁) とい うのが, ピア ジ ェの基 本 的 な考 え 方で あ る。行動面 の発達 が先 にあ り, その後 に 意識面 の発達 が あ る, とピアジェは考 える。道 徳性 の発達 でい えば,規則 実行 の発達 が まず あ り, そ の後 その実 行 状 態 が しば ら く続 い て の ち, そ の実 行状 態 につ い て意識 す る よ うに な る。 だか ら,実行段 階 の半 ば頃か ら意識 の段 階 が始 まるこ とにな る。
一般的 に言 って,全 く正常 な こ とだが,行 動面 におけ る初期 の協 同は,思考 の面 にお け る, 自己中心性 と拘束 との複合 に よって 生 み出 されてい る心理 状態 を,す ぐに廃棄 す る もので はない。実際,思考 はつね に行 動 に遅 れて くる。協 同 を長い期 間実行 して の ち,十二分 な反省 の光 に照 ら して, は じ め て,協 同 を意 識 す る こ とが で き る。
(p.43;69‑70頁)
これは,実行 の第3段 階,初期協 同の段 階か ら,意識 の第3段階へ の移行 の局面 につい て述 べ た もので あ る。
意 識 化 へ の移 行 とい って も,意 識 化 (prise de conscience)それ 自体 を意識 す る こ とはで
きない。意識化 は, む しろ無意識 的 な営為 だか らだ。私 た ちは意識 しよ うと思 って意識す るわ けで はない。 だか ら, なぜ規則 に関す る自己の 行為 を意識 す る よ うにな るのか, と問い を立て てみて も, それには答 え よ うが ない。 それ は, 規則実行 の面 について も同様 で,協 同の実行 が つね に協 同 を意識 す るわけではない。道徳 は規 範 的 行動 で あ るが, 自覚 的 意識 を伴 わ な けれ ば,本来 の意味で 自己の将来 的行動 を拘束す る 規範 としての道徳 とはな らない。 そ うい う意味 で,道徳性 の発達 は,道徳 的行動 を問題 にす る だけで は不充分 で,規範意識 の発達 を含 めて考 えなければな らない。 その よ うな意識化 の側面 を問題 とす るた めに, ピア ジェは行動 と思考 を 区別 したのだ。
5‑2 意識化 の法則 とずれの法則
上 の引用 にある よ うに,初期協 同の実行 とそ れについての意識 との間 には 「ずれ」 が あ る。
初期協 同が一定期 間続い たのち, その後 に協 同 の実行 に関す る意識 が生 じる。協 同行動が一定 期 間続い たの ち,協 同が 「意識化」 され るわけ で あ る。
これ らの こ とを, ピア ジ ェは
,
「意 識化 の法 則」(lo主deprisedeconscience)と 「ずれの法 則」(loides declaages)と 呼 ぶ。(p.43;70 頁)4)「意 識化 の法則」 とは, ピア ジ ェに よれ ば, ク ラパ レ ー ド (Claparede)の学説 で あ り
,
「意 識化 の法則」 に対 して,
「行動 と思考 のず れ の 法則」 を追加 した こ とが ピア ジェ自身 の独 自性 とい うこ との よ うで あ る。 ピアジ ェ自身 に とっ て, この法則 はだいぶ思い入 れが あ り, 自信 の‑68‑
あ る説 の よ うだが, その意味す る ところについ て,私 は まだ 自信 を もって理解 した とはい えな い。 ここで は素朴 に次 の よ うに考 えてお くこ と にす る。
この箇所 で ピアジェは,別 の著書 『子 どもの 判 断 と推理』(Lejugementetleraisonnement chez l'enfant)へ の参照 を指示 してい る。 同書 で は, これ らの法則 を第1法則 と第2法則 と呼 んで お り
,
「意識化 の法則」 が重 要 な理 由につ い て,次 の よ うに述べ てい る。それが重要 な わけ は
,
「子 どもの思考 の機 能 的 な要因‑ とくに, 自己中心性 と社会的 欲 求 の欠如‑ と,子 どもの論理 の特質 をあ らわす構造的性格 との間の関係 を明 らか に す るか らで あ る」 (同書第5章)5)ここでの議論 の特徴 は2つ ない し3つ ある。
1つ は,発達段 階的 には 自己中心性 の時期 にか か わ ってい るこ と。第2に,認知発達 を念頭 に おい た議論 にな ってい る こ と, そ して
,
「機 能と構造 の関係」 とい う問題設定 で あ る。
『子 どもの道徳判 断』 におい て ピア ジ ェは,
「意識化 の法則」 と 「ずれの法則」 は
,
「自己 中 心性 の問題 を, その一般性 において単純化 す る 上 で 自然 の こ と」(p.43;70頁) だ と言 っている。 そ して, これ らの法則 は
,
「知 的 自己 中心 性」 (1'egocentrisme intellectuel) が 「行 動 に おけ る自己中心性」 (1'egocentrismeen acte) よ りも長期 間続 くこ とを説 明す る, とも述べ て い る。 この法則 がなぜ知的 自己中心性 の長期化 を説 明す るこ とにな るのか, この点 について今 の私 には正 直 わか らない。 この点 について は不 問 に してお く。『道徳 判 断』 は道徳 発 達 が主題 だか ら,議 論 の対象 が認知発達 に限定 され るわけはない が, それで もや は り,道徳 的行動 は認知発達 との関 係 において考 え られてい る。 そ して ここで も, 自己中心性 の時期 を対象 としてい る。 自己中心 性 は, ピア ジェに触 れ る者 が必ず とい っていい
ピア ジェは道徳 性 の発達 段 階 を どの よ うに考 えたか ?
ほ ど論 じる定石 だが,本稿 の焦点 は発達段 階的 には もっと後 の 自律 へ 向か う時期 で あ り, この 難解 な問題 に ここで触 れ るこ とは しない。
ただ,機能 と構造 の対比 について は,前稿 で も指 摘 した6)。機 能 と構 造 の 関係 も難 解 で あ る。 ここで は, この間題 について も, あ らため て論 じるこ とは しない。
他律 か ら自律へ の移行 におい て重要 なのは, す で に述べ た よ うに
,
「行動 と思考 にず れ」が あ り,規則 実行 の段 階 に遅 れて規則意識 の段 階 が は じまる とい う点で あ る。 その よ うな もの と して,
「ず れ の法則」 を素朴 に理解 して お く。それが よい と思 う。 自律 へ の移行 の段 階で,機 能 と構 造 の関係 が ど うな るか は, ここで は不 明 な まま としてお く。
6.
ビー玉遊びにおける他律と自律
ビー玉遊 びにおけ る他律 と自律 を も う少 しみ てみ よ う。他律 か ら自律へ の局面 が問題 にな る のは,規則実行 で は第3段 階 と第4段 階,規則 意識 で は第3段 階で あ る。 そ して意識 の第3段 階 は,規則 実行 の第3段 階か ら第4段 階へ の移 行 を媒介す る よ うに見 える。 そ こをやや詳 しく 見 てい こ う。
6‑ 1 規則実行 の第3段 階
子 どもが規則実行 の第3段 階,初期協 同の段 階 にい る とき, そ こには2つ の特徴 が あ る。第 1に,子 どもた ちは,共 通 の規則 を持 つ こ とへ の関心 を もちは じめ る。 しか し,第2に, それ と裏腹 の関係 にあるこ とだが,規則 について の 知 識 は,子 ど もに よ ってバ ラバ ラの状 態 で あ り, ビー玉遊 び をす る上 で の確定 的 な統一的規 則 は まだ存在 してい ない。
ビー玉 遊 び の典 型 的 な投 げ方 に は 「弾 き投 げ」 と 「転 が し投 げ」 の2通 りが あ り, この ど ち らで も遊ぶ こ とは可能 で あ る。 だが,弾 き投 げの方 が難易度 が高い。 当然 ,勝 負 を公平 にす るには,投 げ方 を統一 す る必要 が あ る。
この時期 の あ る少 年 が
,「
1人 が弾 き投 げ で‑ 69‑
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第28号 (2009年3月31日)
遊 ぼ うとい うな ら,皆 も同 じよ うに遊 ばなけれ ば な らない」 と調査者 に答 えた。
ピア ジ ェは この発 言 の 中に
,
「ビー玉遊 び を す る仲 間全 員に共通 に適用 され る確定 した規則 を発 見 し よ う とす る一 般 意 思 が 存 在 す る」(p.27;41頁) こ とを確認 した。
この時期 の子 どもた ちには,共通 の規則 を発 見 しよ うとす るこの よ うな一般意思が存在 す る に もかかわ らず,他方 において, この時期 の子 どもた ちの間 には,「規則 に関す る知識 におい て,か な り大 き な 隔 た り も存 在 して い る」
(p.27;42頁)0
8歳 か ら9歳 の同一学級 の子 どもた ちはい つ も仲 間 と一緒 に遊 んでい るけれ ども,ど ー玉遊 びの規則 につい て,1人 1人 の子 ど もに別 々に質 問 してみ る と,返 って くる答 えはす ご く区々で あ り, しば しば全 く矛盾
してい る。 (p.13;19頁)
一緒 に遊 んでい る子 どもた ちに対す る個 々の 質 問か ら, ピアジェは第2の特徴 を確認 した。
この時期 の子 どもは,仲 間 に勝 とうとつ とめ る が, しか しまだ, ビー玉遊 び を してい る間その 規則 は 「だいたい において一致 す る」程度 にす ぎない。規則 につい ての理解 は区々だが,子 ど もたちは仲 間 と一緒 に遊ぶ。 そ して,仲 間に勝 とうとしは じめ る。仲 間に勝 とうとしは じめ る こ との 中に, ピア ジェは,仲 間全 員 を拘束す る 統一的規則 へ の関心 の発生 を確認 す る.
これ らの特徴 を総括 して, ピア ジェは, この 第3段 階 におい て,子 どもの主 た る関心 が 「心 理運動 的」(psychomoteur)な ものか ら 「社 会 的」(social) な もの に な る とい う。「社 会 的」
な ものに 「なる」 のは,子 どもの間 に 「協 同」
が確 立 されてい くか らで あ る。 この ときの協 同 は, ビー玉遊 びが ゲ ーム として成立す るこ と, 仲 間に勝 とうとす るこ とを指 してい る。 ここに は一定 のJL,‑ルが存在 し,一定 の 「相互性」 が 存在 してい る。
しか し, この初期協 同段 階 の 「協 同」 は, ま だ 「その意思 の状態 が部分 的 な ままに とどまっ て い る」(p.28;43頁)。子 ど もた ち は 同一 ゲ ームの 中だけで相互 に理解 す るにす ぎず,各人 はゲ ームの規則 について まだ全 く個人的 な意見 を もってい るにす ぎない。
ゲ ームの規則 実行 の この第3段 階 は,認知発 達面 で の第3段 階で もあ る。第3段 階では,吹 の段 階 と比べ て,知 的発達 と道徳発達 のそれぞ れの面 で,何 が不 足 してい るか。 その こ とにつ いて, ピア ジェは次 の よ うに言 ってい る。 やや 長い が,引用 してお く。
7,8歳 頃,す な わ ち私 た ち のい う 〔規 則 実行 の〕第3段 階が出現す るまさにその と
きに, ・‑‑ (中略) ‑‑・討論 や反省 が,す なわち思考面 で の協 同が,独 断や知的 自己 中心性 よ りも次第 に優位 を占め る よ うにな って くる。 そ して この新 しい 思 考 の習慣 は,固有 の意 味 で の演 鐸 法 に まで 至 る。
‑・ ‑ (中略) ‑‑だが,演鐸法 の使い方 が 一 般 化 して,完 全 に合 理 的 に な るた め に は, まだ本質 的 な何 ものかが欠 けてい る。
子 どもは形 式的 に推論 す る よ うにな らね ば な らない。す なわち純粋 の一仮定 を含 めて あ ら ゆ る場 合 に 推 論 規 則 (regles du rai‑ sonnement)を適用 で きるほ ど,推論規則
を意識 す る よ うにな らねばな らない。 同様 に, ゲ ームの規則 (regles du jeu)〔の実 行〕 に関 して第3段 階 にあ る子 どもは,一 時的 な集 団的協 同に達 してい るが, しか し
まだ ゲ ームの立 法化 それ 自体 (la legisla‑ tionmemedujeu)に対す る関心,原則 そ の もの を議論 す るこ と (lesdiscussionsde prince)の 関 心 を持 って い るわ け で は な い。(pp.28‑29;43‑44頁)
ここで ピアジ ェは,推論規則 の発達 とゲ ーム の規則 の発達 とを平行 な段 階 と考 えてい る。 そ して, それ ぞれの第3段 階が次 の最終段階へ と
ー 70‑
至 るた めに不足 してい る ものについて も,平行 的 に叙述 してい る。認知発達 におい て第4段 階 に達 す るには 「形式的推論」 が,す なわち演揮 法 を形式的 に使い こなす思考習慣 が,不足 して い る。道 徳 発達 に おい て第4段 階 に達 す るに は,仲 間 とゲ ームの原則 を議論 して それ を決 め てい くこ とへ の関心 が,す なわち 「ゲ ームの規 則 を制定化 してい く」関心 が,不足 してい る と い う。
6‑2 規則実行 の第4段 階
上 で不足 してい る と述べ た ものが第4段 階 の 特徴 で ある。 ビー玉遊 びの規則実行 に関す る第 4段 階 は,「ゲ ー ム の 立 法 化」(legislation du jeu),「規 則 の 制 定 化」(codi丘cation des regles)の段 階 で あ る。 これ は11,12歳 頃 か
らは じまる。
これ以後 (ll,12歳 頃 か ら),勝 ち負 け を 決 め る手続 きを細部 まで決 め られ る よ うに な る。 それ に加 えて,守 るべ き ビー玉遊 び の規 則 につい て仲 間全 体 が知 る よ うに な る。実 際, 同一 学級 の11,12歳 の子 ど も た ちは, ビー玉遊 びの規則 とその可能 な変 形 について質問す る と,驚 くほ ど一致 した 答 え を あ た え る よ うに な る。(p.13;19 頁)
第4段階 の子 どもはその前 の段 階 とは違 った 関心 を持つ ようにな る。子 どもた ちは ビー玉遊 び をす る とき, ゲ ームの規 則 につ い て話 し合 い,規則 の調整 をはか り,ル ール を統一 させて い く。 そ して統一的 なル ール を確認 してか ら, ビー玉遊 び を始 め る。 ここに,「協 同」 を求 め る子 どもた ちの関心 が あ る。
ピア ジ ェは, こ こに,「協 同」へ の関心 だ け でな く,規則 その もの を制定化 しよ うとす る関 心 をみ よ う とす る。子 どもた ちは,「あ らゆ る 可能 な場合すべて を予想す るこ とに楽 しみ を見 出 してい る」(p.31;47頁) よ うにみ える。 ピ
ピアジェは道徳性 の発達段階 を どの よ うに考 えたか ?
ア ジェは この よ うに解釈す る。 ビー玉遊 びの遊 び方 は,「方形 遊 び」 とい う 1つ の代 表 的 な遊 び方 に限定 して も,5種 類 か ら10種 類 のル ー ルが ある。子 どもた ちがそれ らの細部 まで記憶 して話 し合 ってい るこ とに, ピア ジェは驚 嘆 の 念 を表 明 してい る。(p.31;47頁)
ピア ジェに よれば, ここにおけ る子 どもた ち の驚嘆すべ き記憶 を含 めて,一般 に 「記憶 は活 動 に依存 し,かつ真 の活動 は興味関心 を前提 と す る」(p.31;47頁)。 だ か ら,子 ど もた ち が 複雑 なゲ ームの規則 に関す る膨大 な記憶 内容 を もつのは, そ こに子 どもた ちの ビー玉遊 びの活 動 が あ るか らで ある。 そ して そ こに活動 が あ る のは, その活動 に対す る興味 関心 が あ るか らで あ る。
そ して ピア ジェは, この時期 の子 どもた ちが 持 ってい る関心 は,「規則 その もの に対 す る関 心」 なのだ と解釈す る。子 どもた ちは方形遊 び におい て, ゲ ームの進行 をその時 々で決 めてい く実 に込 み入 った様 々の決 ま り文句 を発言 して い く。 この よ うなゲ ームの進行 に関す る微細 な 規定 が存在 す るのは, この段 階 の子 どもた ちが
「自分 た ちの意 の ままに事物 を複雑化 す るこ と に楽 しみ を見 出 してい る」(p.31;47頁) か ら だ と, ピアジ ェは解釈 す る。 そ して, 自分 た ち の思 い の ま まに ゲ ー ム を複 雑 化 して楽 しむ の は,子 どもたちが 「規則 のた めの規則 を求 めて い る証拠 だ」(p.31;47頁) とす る。
6‑3 規則意識 の第3段 階
すで に述べ た よ うに,規則意識 の第3段 階が 始 まるのは,9,10歳 頃,規則 実行 の第3段 階 のち ょうど半 ば頃で あ る。規則実行 に関 しては すで に協 同段 階 にあ り,協 同行動 に遅 れて その 意識 が始 まってい く。実行 の第3段 階 の初期 は まだ意識 の第2段 階 にあ るか ら,実行 の第3段 階 をみれば,意識 の第2段 階 と第3段 階 の中間 段 階 をみ るこ とがで きるはずで あ る。
ピアジ ェは,意識 の第 2段 階 と第 3段 階 の中 間, その境界 にい る子 (ベ ン) の事例 を取 り上
‑ 7 1‑
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第28号 (2009年3月31日)
げて,次 の よ うに言 ってい る。
ベ ンは, 〔規則 実行 にお け る〕協 同 のおか げで, ビー玉遊 びの規則 を適用 す る際 に, それ を様 々に変形 してい くこ とをす でに知 ってい る。 したが って,彼 は,現実 の ど一 玉遊 びの規則 が子 どもたちに よって最近つ くられた こ とを知 ってい る。 しか し他 方 に おいて,彼 は,規則 の絶対的真理性 も信 じ てい る。 ‑ .(中略) ‑・‑・ビー玉遊 びの規 則 に対す るベ ンの尊敬 は,協 同に よって も
まだ排 除 されてい ない拘束 の遺物 で あ る。
‑‑・(中略) ‑‑ベ ンの態度 は,拘束 に由 来 す る性格 の戎存物 として考 えなければな
らない。(p.43;69頁)
10歳 の ベ ンは,規 則 実 行 の 第3段 階 に い る。 だか ら,友 だち と一緒 に ビー玉遊 び をす る こ とがで きる。 だが,彼 は, ビー玉遊 びの規則 の可変性 を一般論 としては認 め るが, 自分 が実 際 にす る ときにはそれ を認 めない。 ベ ンに とっ て, ビー玉遊 びの規則 は公正 な真理 としてすで に存在 す るものなので あ る。彼 が公正 な規則 と し実際 に使 お うとす るのは,すで に馴染 んだ こ れ までの規則 で あ る。実際 の ところ規則 の可変 性 を認 めない わけで あ る。 この点 は,意識 の第 2段 階 の残存物 だ, とピア ジェは主張 す る。 そ れ は,大人へ の一 方的尊敬 と外部か らの拘束 と に よって成立す る他律 的道徳意識 で あ る, とい
うわけで ある。
協 同段階 の後半か ら規則制定化 の全段 階 を 通 して,規則 意識 は完全 に転換 す る。他律 に取 って替 って, 自律 がは じまる。子 ども に とって ゲ ームの規則 は, もはや外在 的 な 法 で はない。大人 に よって課せ られた聖 な る法 で な くな る。子 ど もに と って,規 則 は, 自由に決定 で きるもの とな り,子 ども 同士 の意見 が一致す るこ とのゆ えに尊敬す る に値 す る もの とな る。(pp,43‑44;70
頁)
規則 意識 の転換 は,3つ の場合 で み られ る。
第 1に,子 どもは,全 員の賛成 が あれば規則 の 変更 を認 め る よ うにな る。第2に,子 どもは, 規則 が永遠不変 に世代 か ら世代 へ と伝 わ って き た と考 えるこ とを止 め る。第3に,子 ど4)は, ビー玉遊 びの起源 とその規則 の起源 について私 たち と同 じ考 え方 をす るよ うにな る。
そ して,注 目すべ きこ とは, この よ うな新 し い規則意識 の出現 と同時 に
,
「規則 の真 の遵守」も出現 す る こ とで あ る。 ピア ジ ェに よれ ば,
「自律 意識」 と 「法 の実質 的尊 重」 とは, 同一 の事柄 の両面 だ とい う。
第2に注 目すべ きこ とは,子 どもた ちが 「法 の存在 理 由」 を意 識 す る よ うに な る こ とで あ る。
「喧 嘩 しな い た め に は,規 則 を こ し ら え て, その規則 に従 って遊 ばなけれ ばな らな い。」
「最 も正 しい規則 は遊 びに参加 す る者 た ち の意見 を取 りま とめた ものだ。 なぜ な ら, その ときに は誤魔化 しが きか ない か ら。」
(p.49;81頁)
この よ うな発言か ら ピア ジ ェは,子 どもた ち の中に,法規範 の存在理 由に関す る意識 が生 ま れた こ とを確認 す る。
注 目すべ き第3の こ ととして, ピア ジェが挙 げ るの は,子 ど もが
,
「無 政 府 的空 想」 と 「合 法 的手続 きに よって導入 された変更」 とを区別 で きる よ うにな るこ とで あ る。「も し変 更 が提 案 され た ら, そ うしたい と 思 う者 もいれ ば, そ うしたい と思 わない者
もい る。 もし仲 間た ちが変更 を認 めた ら, 他 の者 もそ の よ うに遊 ば な けれ ば な らな い。」(p.49;81頁)
‑72‑
この発言 に ピアジェは,他 の仲 間たち を説得 して最後 は多数決 で評決す るこ とが,ル ール変 更 の正 当な手続 きで あ るこ とを,子 どもたちが 理解 してい るこ とをみ る。子 どもた ちは,仲 間 集 団 の 中で大人 か ら介入 され る こ とな く,「真 に政治 的 で民主 的 な感 覚 (セ ンス)」(le sens vraimentpolitiqueetdemocratique)(p.49;
81頁) を身 につ けてい く, とい うわけで あ る。
6‑ 4 規 則 の第4段 階 は どこか ら出 て くる か
規則意識 の3段 階 と規則実行 の4段 階 の関係 は, うま く説 明 で きるだ ろ うか。「思考 は行動 に遅 れ る」 とい う 「ずれ」 の原則 に照 ら してみ る と,実行 の第3段階で あ る初期協 同か ら意識 の第3段階へ の移行 は, その原則 に則 って説 明 で きる。 しか し,実行 の第4段 階 につい ては, この原則 は通用 で きない。思考 の後 に行動 が来 る とは言 ってないか らだ。
そ もそ も意識 は第3段 階 までで終 ってお り, 次 の段 階はない。先 に述べ た よ うに,規則実行 の第4段階 は,認知発達 の第4段階 に対応す る もの と考 え られてい る。実際, ピア ジェは次 の よ うに言 ってい る。
〔規 則 実 行 の〕第4段 階 の 法 道 徳 的 議 論 は,一般 に,形式的推論 に同一視 で きる。
(p.29;44頁)
規則 の第4段階 を特徴づ け るのは法道徳 的 な 議論,つ ま り規範 を決定す る議論 で ある。 そ し て, それは,認知発達 におけ る形 式的 な論理能 力 に 「同一視 で きる」(assimilable)。 したが っ て,規則実行 の第4段 階は認知発達 の第4段 階 か ら導 かれ る とい うこ とにな るだ ろ う。少 な く
とも認知能 力 の発達 と相即 して発達す る。つ ま り第4段 階発生 の メカニズムは 「意識化 とず れ の法 則」で は な く,形 式 的推 論 能 力 に あ るの だ。
た しかに,規則 の制定化 には, ピアジ ェが言
ピア ジ ェは道徳性 の発達段 階 を どの よ うに考 えたか ?
うよ うに,「純 粋 な仮 定 的状況 を想定 して」議 論 をすす め られ る よ うな形 式的推論能力 が必要 で あ る。 しか し,道徳規則 ・法規則決定 のた め の規範 的 な議論 には,形式的推論 だけで は不足 してい る。道徳 とは道徳感情 だか ら形式論理 だ けで十分 なはずが ない。
ピアジェが 「規範 的議論 は形式的推論 と同一 視 で きる」 とい うの を,規範 的議論 は形式的推 論 と同 じだ とい う意味 に解 して はな らない。 そ れは,規範 的議論 に も形式的論理 が必要 だ とい う意味で ある。形 式的推論能力 が規範 的議論 の 必要条件 にな るこ とを語 る もので あ る。道徳規 則発達 の第4段 階 を特徴づ け る 「規則 その もの へ の関心」が,道徳規範へ の関心で あ る以上, それは当事者全 員に対 して共通 に課せ られ る拘 束規則 を求 め る関心で あ る。議論 を通 して拘束 規則 を共 に求 め よ うとす る限 り, それ は まさに 協 同行為 にはか な らない。 それ は, ピア ジェい うとこ ろの 「協 同的規 則」(la regle de coo‑ peration)を求 め るこ とで あ る。
ピアジ ェは 「規則 」 とい う言葉 を2通 りに使 って い る。「規 則」(regle)は,一 方 で 「推 論 規 則」(regles du raisommement)で あ り,他 方 で 「ゲ ー ム の規 則」(regles du jeu)で あ る。「推 論規 則」 とは形 式論 理 に他 な らない。
「推 論規 則」 を知 ってい る とは,形 式 的推 論 が で きる とい うこ と, その能力 を もってい るこ と で あ る。 これ に対 して 「ゲ ームの規則」 を知 っ てい る とい うこ とは, もち ろん, そのゲ ームを 遂行 で きる能力 が あ るこ とで もあ るが, それだ けで はない。形式論理 の 「推論規則」 とは,数 学 的真理 の よ うに,人 間個 人 に とって は,絶対 的 な もの,外部 とい うよ りは神 の よ うに超越 的 な もの として,「絶 対拘 束」 的 な もので あ る。
そ こか ら逃 れ られ る と意識 され る よ うな もので はない。絶対 に逃 れ られ ない とい う意味で は, そ もそ も拘束 と意識 され ない もの, それが なけ れば形式論理 自体 の存在 を考 え られ ない本質で あ り, そ うい う意味で絶対 的条件 で あ る。 これ に対 して,「ゲ ームの規 則」 は, その よ うに絶
‑73‑
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第28号 (2009年3月31日)
対的 な ものではない。 まさに ピアジェが言 うよ うに,人間 の意思 に よって変更可能 な規則 で あ る。人 間が その規則 に従 うのは,彼 の 自発的 な 意思か らで ある。 そ うい う意味で 「ゲ ームの規 則」 は拘束 的な もので はない。 ゲ ームに拘束 が 成立す るのは, ゲ ームの参加者 た ちが その規則 に同意 す るか らで ある。 だか ら,子 どもた ちが ど一玉遊 びの共通 の規則 を求 め る関心 をもちは じめ る場 面 (p.27;41頁)‑ 規 則 実 行 の第3 段 階 とい う初期協 同の場面一 の叙述 において,
ピア ジ ェが 「一般意 思」(volonte gen色ral) と い う言葉 を使 うの も理解 で きる。 ゲ ームの規則 へ の 同意 は,た しか に,社 会 契約 論 に お け る
「社 会 (国家)成 立 の契約」へ の 同意 に似 てい る。 その契約 に同意 しなければ社会 (国家) は 成立 しない。 それ と同 じよ うに, ゲ ームの規則 に同意 しなければ, ゲ ームはそ もそ もは じまら ない。 そ うい う意 味 で
,
「ゲ ームの規則」 は き わめで政治 的な もので あ る。 ピア ジェが, ゲ ー ムの規 則 の変 更手 続 きを身 につ けてい くこ と を,
「真 に 政 治 的 で 民 主 的 な感 覚」(1e sens vraimentpolitiqueetdemocratique)と呼ぶ のは, そ うい う意味で あ る。
この よ うに
,
「ゲ ームの規則」 は 「政 治 的」な もので あ り, それは決 して絶対的真理 とい う もので はない。 それ に対 して
,
「推 論 規則」 と は絶 対 的真 理 で あ る。 当事 者 の合 意 に よ って「推 論 規 則」 を変 更 で き る こ とな どあ りえ な い。 だか ら
,
「法道 徳 的議 論 が形 式 的推論 に同 一視 で きる」 とい うのは,法規範 や道徳規範 を 決 め る議論 におい て も,当事者 間 の合意 を得 る ための話 し合い の中で形式 的推論 を互い に使 い 合 うこ とが必要 だ, とい う意味で あ る。実 は, ピア ジ ェは, この言明 に
,
「この観 点 か らす れば」 (acepointdevue)とい う限定 句 を付 けていた。先 の引用 は正確 には次 の よ うにな る。
この観 点 か らす れ ば, 〔規 則 実 行 の〕第4 段 階 の法道徳 的議論 は,一般 に,形式的推
論 に同一視 で きる。(p.29;44頁)
この付加 の意味す る ところは,上述 して きた 理解 とな るだ ろ う。法道徳 的議論 の中で も形式 的推論 を使用す る必要 はあ り, そ うい う意味で 形式的推論 は法道徳 的議論 の必要条件 とな る。
「同一 視 で きる」 とい うの は, その議 論 の 中で 形式的推論 が使 われてい るこ とを指 す ので あ ろ
う。
細 か く見 てい くと, ピア ジェの論述 がそ うな ってい るか に関 して は,疑 問 な しとしない が, 少 な くともこの よ うに理解 しない 限 り, ザ イ ン (Sein)とゾ レン (Sollen)を区別す る ピアジ ェ の言明 は‑ この区別 に関 して ピアジ ェはカ ン ト 主義者 だ と思 う一理解 で きない。
そ して, この よ うに理解 してみ る と, ピアジ ェの言 ってい るこ とも, それほ ど大層 な事 では ない。相手 を説得す る ときに形 式的推論 を使 う とい うのは, きわめて当然 の こ とで あ る。 ただ し, ピア ジェが形式的推論 だけで説得 され,令 意 が達成 で きる と考 えてい た とは思 わない。
形式的推論 が法道徳 的議論 のために必要 で あ る限 り,認知発達 が形式的操作期 に達 しなけれ ば, ゲ ームの規 則 も立 法 化 で きない こ とに な る。 だか ら,規則実行 の第4段 階 は,認知発達 の第4段階 と即応す るので あ り, その限 りで認 知発達 が実行 の第4段 階 を導 き出 して くる。 こ の点で,規則意識 の第3段 階が,実行 の第4段 階 を導 き出 しは しない。
もっ とも,直 ちに,付 け加 えなければな らな いが, この こ とは,意識 の第3段階が実行 の第 4段 階 の成 立 に とって不 必要 とな るこ とを意味 す るわけで はない。法道徳 的議論 が形 式的推論 だけで成立す る とは考 えに くいか らで ある。 そ こに は, お そ ら く道 徳 感 情 の問題 もあ るはず だ。 ピア ジェが規則 意識 におい て尊敬 を問題 と す るのは, そ うい うこ とだ ろ う。
7
.おわ りに
規則 の実行 と意識 の関連 に関 して は,結論部
‑74‑
(p.62;104頁) で 社 会 的 行 動 の3類 型 (自動 的 行 動conduites motrices,外 部 拘 束 の あ る 自己中心的行動conduitesegocentriquesavec contrainteext色rieure,協 同行動cooperation)
に対応 す る もの として,運動 的規則 (1a regle motrice),強制 的規則 (lareglecoercive),協 同的規則 (lar色gledecooperation)を規則 の3 類型 として提示 してい る箇所 が注 目に値 す る。
だが先 に も言 った よ うに, 自己中心性 問題 を 中心 とした ここでの論述 を,私 は まだ読 み取 る こ とがで きない。 それゆ え, ここで は触 れ るこ とがで きない。
現実 は諸類型の混合
た だ, この論述 の 中で 目 を引 くの は,「相 互 的尊敬 と協 同は完全 に実現 す るこ とはない。」
(p.70;116頁) と言い, また,「純 粋 な拘 束 と い うものは存在 しない. したが って,純粋 に一 方 向的 な尊敬 も存在 しない。逆 に,絶対的 に純 粋 な協 同 も存在 しない。」(p.65;108‑109頁)
と,発言 してい るこ とで ある。
こ こで ピア ジ ェは,「拘 束」 と 「協 同」 を, マ ックス ・ウェーバ ーのい う理念型 として,つ ま り純粋類型 として考 えてい るわけで あ る。実 際,現実 の仲 間同士 の議論 の中で は, ピアジ ェ も認 め るよ うに,時 に応 じて 「慣習や権威 に訴 え る こ と」(p.65;109頁) がふ つ うに あ る。
逆 に言 えば,現実 の中で,完全 な協 同が実現す るこ とはない, とい うこ とで もあ る。
発達 にお ける男女差
ビー玉遊 びは男の子 の遊 びだか ら,当然 ,道 徳発達 にお け る男女差 の問題 が生 じる。
女 の子 の道徳 に関 して ピア ジ ェは,「隠 れん ぼ遊 び」(iletcachant)(p.53‑ ;87頁以 下) を取 り上 げ,基本的 には女 の子 も男の子 と同一 の発達過程 をた どる, と結論 づ けてい る。
真の道徳 とは何 か一道徳性の とらえ万一 最後 に, ビー玉遊 びの規則 と区別 され る正義
ピア ジ ェは道徳 性 の発達段 階 を どの よ うに考 えたか ?
の規則 につい て, ピアジ ェは,次 の よ うに 自問 してい る。
「道徳 規 則 その もの (嘘 をつ くなか れ,盗 む なかれ,等 々) に関 わ る点 におい て, な ぜ,子 どもは,大人 の 中で は悪い と見倣 さ れてい る事柄 について,相互 的尊敬 に よっ て も一致 に至 らない のか」(p.71;117頁)
この問い に対す る答 え として,相互的合意 と 相互 的尊敬 の区別 を もちだ して くる。
盗賊 の社会 を例 に挙 げて, そ こで も相互的合 意 が成立す るこ とはあ る。 しか しそ こに相互的 尊敬 はない, とピア ジ ェはい う。言葉 の本来 の 意 味 で の 「尊敬」 とは,「規 範 規則 に 自 ら従 う もの として の人格 に対 す る賞賛 で あ る」。 だか ら,「相 互 的尊敬 は,諸 個 人 が道徳 性 と見倣 す 事柄 の 中におい て しか,存在 しない」(p.71;
117頁)。 これ が,盗 賊 の社 会 に相 互 的 尊 敬 が ない, とい う理 由で あ る。
しか し, これは答 えにな ってい ない。少 な く とも発達 的 な文脈 でみ る と, この答 えは,子 ど もが道徳 的規則 について一致 しない理 由につい て,子 どもが まだ本来 の意味 での 「人格」 に ま で発 達 して い ない か らだ, と答 え るに過 ぎな い。相互的合意 と相互 的尊敬 の区別 は, 冒頭 で した, ビー玉遊 びの規則 と正義 の規則 の区別 と 似 てい る。 そ こに共通す るのは,正義 の規則 を 取 り出 して, それが他 の もの (ビー玉遊 びの規 則 や相互 的合意) と異 な る と言 ってい るこ とで あ る。
ただ し, ここで は,正義 の規則 とは何 か につ いて, ピア ジェは少 し語 ってい る。 ピアジ ェが 考 える 「真 の道徳」 に関 して述べ てい る。 それ は,「人格 に対 す る尊 敬」で あ る。 これ が ピア ジェの答 え とな る。 ここでい う 「人格」 とは, カ ン トの言 う 「人格」 と同 じで ある。 ただ し, 1点異 な る。 カ ン トの場合,尊敬 は道徳規則 そ の ものに対 す る尊敬 で あ る7)。 だが, ピア ジ ェ の場合 は,道徳規則 に従 う人格 に対す る尊敬 , 具体 的 な 「個人 に対す る尊敬」(p.78;126頁)
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神 奈川大学心理 ・教育研究論集 第28号 (2009年3月31日)
で あ る。 何 を尊 敬 す るか とい う尊 敬 の対 象 が , カ ン トと異 な る。 しか し, そ れ 以 外 の道 徳 性 の と らえ方 に おい て , ピア ジ ェは きわ め て カ ン ト 的 で あ る。
ピア ジ ェは, ボ ヴ ェ (P.Bovet)に依 拠 しな が ら, 道 徳 発 達 理 解 の方 法 論 に つ い て述 べ て い る。 ボ ヴ ェ (つ ま り ピア ジ ェ) の方 法 は, どの よ うに義 務 意 識 が 現 れ るか , とい う意 識 の枠 組 で 捉 え よ う とす る。 これ に対 置 され るの が , デ ュル ケ ‑ ムの方 法 で あ る。 デ ュル ケ ‑ ム は, 客 観 的 枠 組 で 捉 え よ う とす る。 そ して ピ ア ジ ェ は , これ ら2つ の方 法 は, 対 立 す る もの で は な く,「平 行 的」 (parallele) (p.77;125頁 ) だ と主 張 す る。 つ ま り, ピア ジ ェの 方 法 は , デ ュ ノレケ ‑ ム の 方 法 と 「平 行 な 関 係 」, つ ま り相 互 に相 補 う関係 に あ る, とい うわ けで あ る。
ピア ジ ェの この主 張 につ い て は, 疑 問 が あ る が , そ れ を論 じる準 備 は まだ ない 。
ピアジェの引用文献
ここで参照 した ピアジェの 『子 どもの道徳判断』
の仏語原典 は次の ものである。
Piaget,Lejugementmoralchezl'enfant(1932), PressesUniversitairesdeFrance,1992
邦訳 は,大伴茂訳 『児童道徳判断 の発達』 同文書 院,1957年,である。
引用箇所表示 (p,260;477頁)は,仏語原典260 ペ ージ,邦訳477ペ ージを示す。
注
1)拙稿 「ピアジェ理論 における道徳性発達 の論理 一道徳性 の発達 と社会形成 のための ノー ト」,
『神 奈 川 大 学 心理 ・教 育研 究 論 集』第26号, 2007年3月。
2)この4つの時期区分 の考 え方 は,子安増生 に よ る もので ある。子安増 生 「認知 の発達」 (大村 彰道編 『教育心理学 Ⅰ』東京大学出版会,1996 年,所収)参照。
3)認知発達 の年齢 区分 については,子安増生 「発 達過程 の理解」 (子安 はか編 『教育心理学』有 斐 閣,1992年,34頁 の 「表2‑1発達段 階 の 区分」)に依 ってい る。
4)第1章 の (p.62;103頁)で も 「意 識 化」 と
「ずれ」に触れてい る。『子 どもの判断 と推理』
(次注参照) においでは,「意識化 の法則」 を第
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1法則 と し,「ず れ の法則」 を第2法則 と して い る。
5)ピア ジェ著 (滝沢武久 ・岸 田秀訳)『判 断 と推 理 の発達心理学』国土社,1969年,232頁。
6)注1の拙 稿,166‑167頁。 そ こで次 の よ うに 述べていた。
「どの よ うに して道徳感情,道徳 的規範 が出 来て くるのか。すでに述べ た ように,道徳的規 範 も論理的規範 も生得的ではないが,道徳的規 範 の素材 はすでにあ った。 だか ら, その素材が どの ように して道徳規範 になるのか, とい うこ とである。 ところで, この 「素材」 について ピ ア ジ ェは,「構 造」(structure)の よ うな もの ではな く,「機能」(fonctionnement)だ と説明 す る。 ピアジェが ここで考 えてい る 「構造」 と い うの は,「意 識 の 内 容 を形 づ く って い く (organiser)もの」で あ る。 それ に対 して 「機 能」 は,「釣 り合い (平衡) を求 めて働 く法則」
(loifonctionnelled'equilibre)として 「一貫性 や体 系 性 を求 め て い く働 き」(recherche de coherence etd'organisation)として イメージ
され て い る (323;564‑565頁)。事 物 の無 秩 序 の中に 「一貫性」 を求 め, ひ とつの 「秩序 を 形づ くるこ と」(organisation)が,論理 の働 き である。秩序形成 とい えば, また道徳 の働 きで もある。 ピアジェの考 えでは,道徳 の場合 の秩 序 は 「釣 り合い」 を取 るこ とである。知能面 と 感情面 を含 めて初期 の活動 の中には, この よ う な 「秩序へ の体系化」(organisation)を求 めて い く 「働 き」(fonctionnement)の 「等 価 物」
(1'equivalent)がすで にあ る, とい うのが ピア ジェが発見 した こ とである。
で は,その 「働 き」「機能」か らどの よ うに して,本来 の意味での 「道徳規範」が生 まれ る のか。 それに対 して ピアジェは, その 「働 き」
を働 きとして意識す れば よい とい う。「意識 す る」(prendre conscience;prise de con‑
science)とは,「意識 の 中に取 り込む」 こ とで あ る。「意識 の 中に取 り込 む」 とは,つね に意 識 の 「構造」 の中に取 り込む こ とである。 この ことを ピアジェは,「(働 き ・機能 を)適切 に意 識 す る こ とに よ って構 造 を形 成 す る」(con‑
stituer desstructuresparle moyen d'une prisedeconscienceadequate)と言 う(324;
565頁)。ただ し, この 「意識化」は 「1回だけ の操作」(uneoperationsimple)とい う訳 には いかない。む しろそれは,長期 にわた るもので ある。」
7)カ ン ト (野 田又夫訳)「人倫 の形而上学 の基礎 づ け」,『世 界 の名 著 32』 中央 公 論 社,1972
午,242頁 において, カ ン トは 「実践的法則 へ の純粋 な尊敬」 と述べてい る。
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ピアジ ェは道徳性 の発達段 階 を どの よ うに考 えたか ?