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千那伝書考

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(1)

千 那 伝 書 考

も う 一 つ の 伝 書 ﹃ 礁 糊 俳 譜 奥 儀 ﹂

復 本 一 郎

芭蕉は一冊の俳論書も残していない︒同時代の俳人鬼貫が﹃独ごと﹄というすぐれた俳論書を残しているのと

は︑対照的である︒芭蕉の俳論は門弟たちによって祖述された︒その代表的なものが︑去来の﹃去来抄﹄であり︑

土芳の﹃三冊子﹄である︒論客支考や許六もすぐれた俳論書を残している︒

そんな中にあって︑芭蕉の門弟の一人で︑近江堅田の真宗本福寺の第十一世住職三上千那に俳論書のあることは︑

ほとんど知られていなかった︒私は︑先に神奈川大学経営学部﹁国際経営学論集﹂第七号(平成六年八月刊)所収

の﹁千那伝書﹃鳳鳴談﹄考﹂において︑架蔵の千那伝書﹃鳳鳴談﹄の存在を公にし︑この書が︑まちがいなく芭蕉

の俳論を祖述した千那の俳論書であることを︑内部徴証によって明らかにしたのであった︒

小稿は︑これも私の架蔵本である千那のもう一つの伝書﹃礁欄俳諸奥儀﹄(以下︑時に﹃俳譜奥儀﹄と略す)を翻刻

1{252}

(2)

紹介し︑その内容に検討を加えて︑その信懸性を確定せんとするものである︒

翻刻にあたっては︑表記を現行の字体に改め︑筆者によって句読点︑濁点︑振り仮名等を施した︒原本には︑カ

タカナルビが五箇所あるのみで︑他には︑これらの類は一切施されていない︒なお︑原文の明らかな誤りは︑その

文字の右に(ママ)と付した︒また︑発句の下には︑便宜︑私に通し番号を付した︒

[ ﹃ 孫 柵 俳 譜 奥 儀 ﹄ 本 文 の 翻 刻

蕉 門 千 那 俳 譜 之 伝

むかし︑華に下におゐて︑神代八雲の和歌を初め︑代々和歌の姿をと︾のへ︑其風躰を分てより︑此俳躰は定れり︒

されど︑俳譜は鯨の歌とかわりて︑表に談笑の姿をあらはし︑裏に閑清のこ﹀ろを含る句法なり︒俳句は上手の虚

をいふがごとくに綴るといふを謹言となして︑虚は虚なり︑虚を実に綴るを是となして︑実を実と云︑虚を虚とあ

らはすも︑俳譜の道にあらず︒正風は︑虚実の間に遊びて︑しかも虚実にとどまらず︒是を師の秘法なり︒

一祖翁の遺戒に日︑俳譜はいはでも有ぬべし︑只︑世上に和せず︑人情に達せざるを無風雅人と云べし︑とそ︒

此金言を常にいましめ︑俳譜に遊ぶ事︑第一なり︒

一発句︑切字のことは︑十八の切字の品ありて︑和歌にも︑連歌にも其沙汰あれど︑なにゆへと其故をあかさね

ば︑心更に知れず︒中古︑貫之︑あやまりて︑言葉の誹譜の誹の字を綴りいだすを︑みな好キ事と覚たり︒然ども︑

勅謎を以綴るの書なれば︑是を故実の例となして︑藏に俳の字を通用する事なり︒他門に対して論ずべからず︒只︑

蕉門に遊ぶの人︑人偏言偏の姿をしらべず︑口中に曲を含ことなかれ︒心中に曲を捨ることなかれ︒能守り︑能用

ば︑自他おのつから分るべし︒自他分つところ︑其言葉やすむ︑是句切なり︒

(2s1)2

国 際 経 営 論 集No.121997

(3)

落 鷹 亭 主 人

十 八 体

挨 拶 切 い ざ ︑ ら ば 雪 見 に こ ろ ぶ 所 ま で ①

中 の 切 猫 の 恋 止 む 時 ね や の 朧 月 ②

自 他 切 人 に 家 か は せ て 我 は 年 忘 れ ③

句 読 切 わ す れ ず ば 狭 夜 の 中 山 に て 涼 め ④

玄 妙 切 春 も 漸 気 色 と ︾ の ふ 月 と 梅 ⑤

無 名 切 咲 み だ す 桃 の 中 よ り 初 桜 ⑥

重 切 奈 良 七 重 七 堂 伽 藍 八 重 桜 ⑦

二 段 切 夕 に も 朝 に も つ か ず 瓜 の 花 ⑧

三 段 切 目 に 青 葉 山 ほ と ︾ ぎ す 初 鰹 ⑨

に廻シ柚の花にむかしを忍ぶ料理の間⑩

を廻シ青くてもあるべきものをとうがらし⑪

大廻シ行春を近江の人とおしみける⑫

下知切昔きけちンぶ殿さへすまひとり⑬

二字切秋涼し手毎にむけや瓜茄子⑭

三字切子共らよ昼顔咲ぬ瓜むかん⑮

千那伝書考 3(2SO)

(4)

押 字 何 の 木 の 花 と も し ら ず 香 か な ⑯

抱字夕兜や秋はいろノ\の瓢かな⑰

心切秋風に折て悲しき桑の枝⑱

画図格降らずとも竹植る日は簑と笠⑲

右十八体の切字を根として蛎余はいろ/\に別れたり︒猶口決にて勘得すべし︒

発 句 堅 横 井 狂 句 事

縦 の 句

五 肺 雨 を 鄭 瀞 や し 聾 炉 ⑳ (⁝

師伝に日・︒中に曲を含む事なかれ︑心中に曲を捨る事なかれ︒たとへば︑あなと・つと八幡の森のはと﹀ぎす︑と

いふ句・是・︒中の曲也・ほと善すといへるは︑心中に曲あり︒この句も︑集る︑ムフ︑虚なし︒自然に志味あら

はる・これ談笑也・最上川と閑清也︒曲流竺句の中にか﹀へて︑表にあらはさず五儀備るもの也︒縦の句は︑ 当口

葉わけて吟味すべし︒祝儀︑佳節︑其外表立時︑皆是縦を好しとす︒縦の本歌を引︒

ま 備 な く に 幣 を 種 と て 醜 の 灘 の う ね ー 撤 ひ し げ る ら ん

横 ノ 句

煤牒や又この灘も不撚拶⑳

伝に云・句籍作りの時は︑上の五孝に其句の題をあらはし︑心持にて流を含み︑序に曲の︑心をつ︑み︑篇にし

(249)4

国 際 経 営 論 集No.121997

(5)

鞭 の な 逆 を 種 と て 臨 か な く に 撤 ひ し げ る ら ん 灘 の う ね ー

如此五儀篇序題曲流と全くつゴけてといふにかぎらず︒顛倒しても句中に備るを第一とする也︒

狂の句

山々はみな雪くろくつ︾みけり⑳

伝に曰く・題を七文字繰︑上下に篇流とならべ︑篇に序を含み︑題に曲を添綴るをくるひの句と云︒此題︑右備

れる句のみにあらず︒曲流序篇題ともつゴり︑流曲題篇序ともつゴる事は︑作者の器量たるべし︒たとへば︑

まかなくにおひしげるらん捧の波のうねく何を種とて

又は︑和歌に返歌の口伝也︒

姿情の事

年の尾や頭のかたは喰じまひ⑳

年の尾や鮭のかしらは喰じまひ⑳

銭をまくのを神も御機嫌

銭をまく手を神も御機嫌

姿は賊碗なり︒頭の方は喰じまひ︑とは︑何を喰じまひたるか︑その姿しれず︒鮭の頭と姿を顕し︑しかも句中に

正月より十一月までの光陰終る心を含びて︑余情とはなる也︒平句の手と姿を求たる︑各同じ︒先師︑廿年の功を

つみて︑初て得たると也︒

千那伝書考 5(248)

(6)

糸切て雲となりけり几巾虚⑳

糸 切 て 雲 よ り 落 る 几 巾 実 ⑳

糸切て雲ともならず几巾正⑳

右︑虚実を非とし︑正を是として︑ 此場を虚実の間に遊ぶといふ句の正豚なり︒

不 易 の 句

痩朧もあればかり花のよしの山⑳

第やとり残されて風の音⑳

流行の句

わら火にて煙草うまがる花見哉⑳

竹の子の名残や椀に節一つ⑳

右︑不易流行の姿︑あながちに甲乙を論ずるにあらず︒不易は︑千載不易の姿也︒流行は︑時々に変ずる姿也︒是

は︑其姿を弁へ︑或は奉納︑集物などには賀し悦びなる故に︑不易然るべし︒当座に言捨ることには︑流行もよし︒

両様ともに用心なり︒

(247)6

国 際 経 営 論 集No.121997  

発句五品

卯の華や暗き柳のおよび腰⑫

師伝に日︑柳の句也︒前に卯の花の垣ありて伸あがりて夏柳を見る姿にて︑これ垣根に対する処︑香なり︒

(7)

寄 塩 鯛 の 歯 ぐ き も 寒 し 魚 の 棚 ⑬

師伝に曰く︑寒きの句也︒古キ魚の棚に売残たる塩鯛のさむきといはねども︑おのつから寒き姿に風情を寄る

所︑是寄せ也︒

移木がくれて茶摘も聞や杜宇⑭

師伝に日︑愛すべき人こそ有に︑以下の茶摘までも時鳥をきくとの心は︑四方にほと〜ぎす入わたりて︑聞人

へだてなき所︑我にたくらぶるのうつろい也︒もの字に心を付べし︒

響蓬莱に聞ぼや伊勢のはつ便り⑮

師伝に日︑年の初のめでたきに︑又髭長きいせゑびと顕サんよりは︑五文字に蓬莱と置キ︑下に伊勢のはつ便と

つゴりて︑海老の姿︑玄妙に分明なり︒是響なり︒

志埋火や沮のおちて煮る音⑯

師伝に日︑これ花咲老人の忌日に祖翁のつゴれる句也︒其師の恩を感ずる時は︑少しき埋火にさしむかひて︑

立さる事をも忘れ感涙︑すみ火に煮る躰︑埋火は薄く︑涙のにえる音厚し︒是を志の句躰といふ︒しかし︑埋

火の句也︒

右五品の句躰は︑姿入交りて︑初心の人の見へがたき所︑愛に注して此類の句能眼に及さす為なり︒

幽 玄 八 体 之 句

人 も 見 ぬ 春 や 鏡 の 裏 の 梅 ⑰

古 池 や 蛙 飛 込 水 の お と ⑱

7(246) 千那伝書考

(8)

や が て 死 ぬ 気 色 も 見 へ ず 蝉 の 声 ⑳

有 心

無 心

梅 の 木 に 猶 宿 る 木 や 梅 の 華 ⑳

猿 ひ き は 猿 の 小 袖 を 湛 か な ⑳

金 屏 の 松 の 古 さ や 冬 篭 り ⑫

草臥て宿かるころや藤の花⑬

あか/\と日そつれなくも秋の風⑭

夏草や兵共が夢のあと⑮

(245}8

国 際 経 営 論 集No.121997  

悠 遠

梅が香にのつと日の出る山路かな⑯

時鳥きへ行方や島ひとつ⑰

水無月や峰に雲置あらし山⑱

風 艶

ひ よ う ノ \ と 猶 露 け さ や 女 郎 花 ⑲

象 潟 の 雨 や 西 施 が 合 歓 の 花 ⑩

綜ゆふ片手にはさむひたひ髪⑪

(9)

風 情

寓 言

風 曲

五月雨を集て早し最上川⑫

いざ﹀らば雪見にころぶ処迄⑬

涼しさを我家にして寝まる也⑭

昨日をも峠と云しあつさ哉⑮

道野辺の木橦は馬に喰れけり⑯

馬草かふ人をしほりの夏野かな⑰

ふ り 売 の 雁 あ わ れ 也 戒 講 ⑱

景清も花見の座には七兵衛⑲

青くても有べきものをとうがらし⑩

右発句八体の事は︑自他の句躰を何/\の躰と見定め︑祖翁の趣向を求め︑

ふ躰をあらはし侍れ共︑あまねくみな此八体より分れたるものなり︒

奉納伝

正親句は︑言葉続の縁を以仕立る句法なり︒和歌の伝にひとし︒

立われ稲葉の山の峰におふる松としきかば今かへりこん 眼に及すの鏡也︒世に三十躰など﹀い

9(244) 千那伝書考

(10)

俳譜

何の木の花ともしらず匂ひかな⑪

ふらずとも竹植る日は簑と笠⑫

響親句は︑五音十声の音通を以て綴るべし︒本歌の伝にひとし︒

恋すてふはやまがくれのおしかぞもほの酒\見ゆる武蔵の︾原

俳譜

松風の匂ふ扉や浜の宮⑬

色あざやかに御手洗の蓮

むつかしき顔は家老に極りて

正親響︑親合躰の時は︑上五文字と七文字を音通にしてつゴり︑下を言葉の縁にしても綴り︑又︑上を言葉にして︑

下を音通にも綴る也︒是は︑一句不安時の用と知るべし︒本式奉納の時は︑正親響親の句を以てつゴるなり︒当坐

ノ\には合体を用︒

裸にはまだ衣更の嵐かな⑭

右三品は奉納︑法楽のみにかぎらず︒祈薦︑夢想︑賀︑元服︑わたまし︑畿詠︑幡縁語音通なきを用ず︒尤・縁語・

古代の格にして︑綴り難し︒名人たりとも能心を付べし︒

蕉 門 千 那 誹 譜 之 伝 巻 之 一

国 際 経 営 論 集No.121997 (243)10

(11)

蕉門千那誹譜之伝巻之二

脇第三振

眠い目に落てみせたる椿かな⑮

蝶も机になじむ縁先

師伝に日︑発句竪の時は︑脇も竪に仕立る也︒脇は娘のごとく一代親の懐をはなれず︑しかも其家をとる事なしと

いへる・これ翁の教也︒発句にあらはれざる所を脇にあらはし︑発句にたがはぬよふに仕立る也︒発句の同月の季

を入べし︒是は発句を初学の体と見て︑其場を顕し︑余情を愛にて云お〜せたる也︒脇の手ホ葉留は︑発句のすが

た重くなり︑けり︑哉等の留にもあらず︑しかと文字にて留たる時の用也︒模様也︒其時は︑

柳が吹か風がなびくか

簑は芝に月は真上に

是︑手にはを重ねたる也︒

帰り花咲く場にやあるらん

是は︑上下へ返して聞也︒此外留る事︑幾品もありて︑一様に定らず︒功者の上は格別也︒発句は隠たる事を能

弁︑わきの句はしかとすはるを習といふ也︒猶口伝有︒

第三

残雪の峰は小山に笑れて

伝に日︑第三は︑他家の侍のごとく︑又入智のごとく︑脇の下心を好み︑一句長高く仕立る也︒転句といふは︑詩

千那伝書考 11(242)

(12)

の転句の心と場と也︒発句へ心︑詞︑場所の戻らざるやうにすべしとなり︒季は︑同月︑又三月にわたる物を置べ

し︒季のもどらぬやうにする也︒脇︑手にはの留の時は︑第三︑韻字にてする事もあり︒極りたる事にはあらず︒

朧月︑杜若︑金衣鳥︑時鳥︑かやうの景物にて留る也︒是を五字一名と云︒いつ邊も︑て留をよしとす︒事により︑

時の模様にしたがひて︑に留︑もなし︑らん留などに留る也︒らん留をはね字留と心得べし︒乱の響を鵬ば也︒ら

しは則らんにかよふ留なり︒此外習の留有︒修行のうへにて伝ふべし︒又︑顛倒の格といふ有︒

鳴からに轡も鈴も松むしも

松むしも鳴からに︑と返して聞也︒詩の例也︒第三は︑只︑四句目へ及す為の要を知るべしとそ︒哉留の発句に︑

第三︑にて留嫌ふといふは︑発句の哉︑にてに通ふ︒哉のときは︑第三も︑にて留にせず︒同様なるが故也︒只の

哉に︑只のて留嫌ふといふにはあらず︒すべて故実を知て︑故実を守ルを好しとす︒名人の上に有事︑求てしたるに

はあらず︒自然の事也︒用心のためには覚語して居るもむべなり︒

(241)12

国 際 経 営 論 集No,121997

付合五品之序

詩に前後の対有︒歌に上下の格有︒去るを俳譜に両句の対する所をしらざるは︑祖翁短命にして蛎言を述給はざる

故歎︒此章︑冬篭の淋しさに︑こつくと案じ悲しみて︑彼芭蕉庵にして門徒の連する所︑句躰を集め書て︑是を

 懐にせよと譲り給ふの句也︒

前 舟 場 あ が れ ば 鴫 の 看 経

(13)

付 前  

付 前  

浜地行雨は合羽のたすけ分

是を地方の対といふ︒千眼一至の案ジ場也︒

西様と知らで江口か秋時雨

此付所︑前句の一躰を見届︒口伝に委し︒左皆同♂ソ︒

暁の夢に行燈の灯をとぼし

そふ泣ふなら母が子でない

是︑地方なり︒

太刀抜はなつ銀扉の影

取ておさへて懸る早縄

かはらる﹀物なら惜む身ならねど

地の内にても︑是は一句立ず︒

御袋に因果含る町の衆

前木練には有明の月を残し置

付笠の上から初雁の声

是を地のつくり付ともいふ︒

13(240) 千那伝書考

(14)

寄 千 載 集 に 鴫 は な ひ げ な 志 付 前

す み つ か ぬ 旅 の 住 居 や 置 火 焼 ⑯

霜 の 音 聞 て 有 明 の 月

老 母 の 情 つ も る か み 詣

此香︑移︑寄︑響︑志を五品の付合といふ︒句々︑是にもる﹀はなし︒地方の付といふは︑前句の姿情を我が心に

あかさず︑おもひ寄のみを口先にて付置︑千眼一至の趣向の場なる故︑地といふ︒本句の句意は︑前句の姿情と場

と普く能く見込て︑しかと付︑しかも趣向︑他の思ひよらぬ所を取合たれば︑是を骨折振といふなり︒彿宗鑑がす

がたを見れば餓鬼つばた⑰︑のまんとすれば夏の沢水︑といへるごとき︑口先の俳譜也︒掬こそ隠逸伝にものすべ

かりしを︑もらされしは︑実情の至理にあらざる故也しそ︒第三︑声からす山ほと・ぎす飛くれて︑といへるは・

各別の手柄有よし︑古人云伝ふ︒尤幽斎法印の句也︒

目IJ

七名の事口伝に明す

参にも舟下向にも舟にして

国 際 経 営 論 集No.121997 (239)14  

有 心

付隣の婆々もこちで出来合

是を有心付といふ︒前句にいつれと其躰なきを︑付にてすがたをあらはし連する所の句躰なり︒下七文字にて

(15)

有心の心を含めり︒

前 上 戸 衆 の 寄 ば 更 る も 知 ら ぬ や ら

拍 子

付さらりくと手を打にけり

是を拍子付といふ・心は前句に噂する処を︑付句にて其姿をあらはせて︑噂と姿と立ならび︑自然に自他わか

る也︒手を打時の品を拍子といふにはあらず︒

前赤坂の名も折からにもみちして

色立

付知行寺やらいかひしら壁

是を色立といふ・心は紅葉に白壁と色を取合たる也.昆付合︑すがたはけやけきゆへ︑しゐてする事にはあ

らず︒百句に一所などは有べしか︒考

鰭那

前雲雀もあがる程な日なれば千

起情謝

付春風に酔をばせぬと舟にのせこの麗

是を起情付といふ・心は句には情あらはれず︑付句にて情を起也.常は舟に酔ふ人ながらも︑此のどかなる空︑

(16)

春風もそよぐ日なれば︑舟にも酔はせはせじと請合たる躰︑起情也︒

前使の者をまたせ置てや

向付

付異見いふ時は言葉をあらためて

日疋を向ひ付といふ︒使にさし向て︑自他の躰なり︒又︑大名といふ句に老僧と付合するも向付といふ・是は有

心の別名と知るべし︒縮む時の用也︒

前縁もなき雲雀に誰か百出そふ

応答

付白讐とてはあなた一軒

是は︑会釈の付△口也︒二句目の姿にて︑他の心持にあなたといふ所︑会釈也︒此句は・打こしのむつかしき時の機変と知るべし︒常はあらず︒

前幾年も箔のはげたる宮造り

逃句

付口にかざりをいふも宿ひき

此付ムロの躰︑逃句也︒日疋は会釈の別名にして︑むつかしく渡り来る時の逃也︒風雲寒暖のたぐひ也・時節・神

国 際 経 営 論 集No.121997 (237}16

(17)

舐の姿にて軽く付はなして︑次へ渡す処︑手がら成所也︒会釈︑逃句は︑十論にも引句出さるを︑稽古の為︑

愛にあらはす︒

加 茂 の 社

は よ ひ や し ろ 也

猿 み の 逃 句

悌 観 天 時 時 其 其 前

相 相 節 分 場 人

八体の事

使のものをまたせ置てや

奥様へ灸の隙を願入り

板の間も鏡のごとくきれい好キ

暮るとも月夜は安キ渡し舟

御流の例も涼しきあやめ酒

一とをり山からはる﹀俄雨

記念とはおもひがけなき浮別レ

宗盛の機嫌を熊野も計兼

時宜とは︑其座︑其時の時宜也︒謹句引がたし︒

蛎八体は・委しく誰にも及ばず︒句面にて分明也︑悌の事は︑案じ方広くして︑かぎりなし︒前句を能考へて古事

の悌をとり合する︑是を悌といふ︒誠に無分別の場所の分別なり︒

千那伝書考 17(23b)

(18)

二﹃補洲俳譜奥儀﹂の書誌と素性の輪郭

翻刻が終ったので︑まずは羅醐俳譜奥儀﹄の書誌を記すことからはじめる︒

縦二十二.三糎︑横十六.三糎︑半紙本一冊︒墨付本文二十丁︑奥書↓丁︑計二十一丁︒表紙は︑白地に深川鼠

(水 色 鼠 色 ) で 薔 桜 小 花 散 文 模 様 盤 は ︑ 四 周 単 導 縦 + 三 糎 横 三 糎 囲 圏 劇 國 團 と 餐 左 一眉

に貼付︑本文と同筆︒巻頭に右の翻刻で明らかなように﹁蕉門千那俳譜之伝﹂が掲出されており︑その文末に﹁落

編亭主人﹂と記されている︒﹁落膓古?王人﹂は︑芭蕉が元禄三年(一六九〇)に慰昨で詠んだ︿病雁の夜さむに落て

旅ね哉﹀の︼句に因んだ千那の別号か︒﹁堅田落雁﹂は︑近江八景の一つ︒芭蕉句の古注釈書︑寛政年間成立の乱灘

積翠著﹃芭蕉句選年考﹄は︑一句が千那が住職であった堅田本福寺での作であるとの説を伝えている・千那自身に

も一句を意識しての︿月に騰前は小海老の堅田かな﹀の作が残っている(﹁小海老﹂は︑芭蕉句︿海士の屋は小海老

にまじるいとゴ哉﹀を踏まえた措辞)︒が︑他に千那が﹁落鷹亭主人﹂と号した所伝は︑ない︒本文十一丁目の裏の

末尾に﹁蕉門千那誹譜之伝巻之一終﹂と見え︑十二丁目の表の巻頭に﹁蕉門千那誹譜之伝巻之二﹂と見える︒内容的

には︑巻之一が発句にかかわるもの︑巻之二が付句にかかわるもの︒

二十一丁目の表には︑

右奥儀抄杜如誓戒他見他言有間鋪者也

梅々園團

と見え︑裏には︑

寛政辛亥五月日

柴田指鳳雅子

(235)18

国 際 経 営 論 集No.121997

(19)

と見える︒また︑別に︑本書には︑

寛政三亥の五月奥儀の書を授りて

此道の暗きを照らす螢かな

右青画櫻指鳳

圏贋

なる紙片(縦十一糎︑横八糎)が挟まれていた︒すなわち︑本書は︑寛政三年(一七九一)に梅々園が︑自ら蔵す

る﹃驕俳蛍儀﹄を書写して︑柴田指鳳に与えたものである.﹂とがわかるのである︒が︑梅々園も︑指鳳も︑残念

ながら︑いかなる俳人であるのか明らかにし得ない︒

*エところで︑私は︑先の拙稿﹁千那伝書﹃鳳鳴談﹄考﹂において︑中西啓氏が﹁近世文芸資料と考証﹂恥7(昭和

四十七年二月刊)において紹介されている﹃蕉門千那俳譜之伝﹄について触れた︒そこで︑次に︑中西本﹃蕉門千

那俳譜之伝﹄と︑私架蔵の﹃礁醐俳譜奥儀﹄との関係について見ることにしたい︒加蔵本の内題も︑右に見たように

﹁蕉門千那誹譜之伝(巻之一・巻之二)﹂であった︒考

中西本﹃蕉門千那俳譜之伝﹄には︑中西氏によれば﹁裏表紙内面から外面にかけて﹂左のごとく記されている由︒鰭

此 両 巻 は 先 師 東 武 の 芭 蕉 董 り 伝 へ ら れ た る 秘 中 の 秘 に し て 世 俳 の 人 是 を 知 る 事 な し ゆ め ー 他 門 寿 し て 語 梛

 

ることなかれ穴賢々々鋤

明績主人兜

延享二丑ノ(印)(印)

(20)

冬日

門人未雅丈

これによって︑中西氏架蔵の﹃蕉門千那俳譜之伝﹄は︑私架蔵の﹃礁胴俳譜奥儀﹄よりも写本時期がはやく︑延享

二年(一七四五)であることが明らかである︒﹁此両巻﹂の意味するところが明らかでないが︑ひょっとしたら中西

本も︑本来は︑架蔵本のごと全二巻よりなるものであったのが下巻(巻之二)が何らかの理由によって欠けたと推

定し得るのである︒﹁明績主人﹂が﹁世俳の人是を知る事なし﹂と記しているように︑延享二年(一七四五)という

時点においては︑流布度の少ない秘伝書であったものと思われる(﹁秘中の秘﹂は︑秘伝書に付される常套語であ

り︑秘伝書とは名ばかりの書が多い中で︑本書は︑これから検討を加える架蔵本の他に︑今日までのところ・管見

の範囲では伝本の存在を知らない︒中西氏も﹁解説﹂で﹁千那系俳論作法の伝書として︑他にあまり聞かないので

紹介しておきたい﹂と記している)︒

ここで︑架蔵本﹃礁欄俳譜奥儀﹄と中西本﹃蕉門千那俳譜之伝﹄との構成面からの内容的かかわりについて見てお

くことにしたい︒架蔵本の内題と中西本の書名とが一致していることからも︑内容の共通性は窺知し得るであろう︒

本文の細部にわたっての文言の相違等︑具体的内容にかかわっての重要と思われる箇所は後述することにして︑ひ

とまず構成に限定して比較してみる︒

﹁落隔(雁)亭主人﹂による冒頭総論部に続いて︑﹁十八体﹂︑﹁発句竪横邦狂句(之)事﹂︑﹁姿情の事﹂︑﹁虚実正乃

事﹂(﹃俳譜奥儀﹄はタイトルを欠く)︑﹁不易之句﹂︑﹁流行之句﹂︑﹁発句五品﹂︑﹁八体之句﹂までは︑構成的にはま

ったく薮している︒そして︑中西本薫門千那俳譜之伝﹄は︑ここで終っているのである︒対する架蔵本﹃蠣俳

譜奥儀﹄は︑右に翻刻した通り︑﹁巻之一﹂の﹁発句﹂の部に限っても︑﹁奉納伝﹂が加わっており︑さらに﹁巻之

X233)20

国 際 経 営 論 集No.121997

(21)

二Lの﹁付句﹂の部の各条が九丁にわたって続いているのである︒架蔵本﹃繭俳輩墜が︑大いに注目されてい

い千那伝書であることがわかるであろう︒

そして︑同系統の本がもう一冊︒これも先の拙稿﹁千那伝書﹃鳳鳴談﹄考﹂(﹁国際経営論集﹂第七号)ですでに

明らかにしておいたが・明和元年二七六四)刊﹃灘か.うやむやのせき﹄である︒西村燕々葦千那﹄(本奪蔵

版︑大正十三年七月刊)中の﹁略譜﹂(千那年譜)の明和元年の項には︑

○幻住庵俳譜有也無也関上梓さる︑これ千那の編し置きしものと云ふ︒(風之の茸底記Lに﹃堅田の浦に雁が

音ならで有也無也と鳴くもあり﹄とあるは此の事を指したるならんか)

と見えるところである・芭蕉の門弟影の俳論を風之が祖述した﹃俳聾底記﹄(刊年不詳)においては︑燕々が触

れているように︑翻卸かいうやむやのせき﹄は︑千那の著作と考えられているのである︒

そこで・早速・架蔵本﹃覇俳董儀﹄と﹃獣か.うやむやのせ三とを︑.託も細部にわたっての具体的な内容

の検討は後述することにして︑構成の面から比較してみることにする︒

﹃礁醐俳董儀﹄において﹁薫亭主人﹂の名で掲げられていた日目頭の総論部が︑﹃灘か.・つやむやのせき﹄では︑

﹁桃青﹂(芭蕉)の名で掲げられている︒以下﹃俳譜儀﹄の﹁+八体﹂の条が﹃・つやむやのせ三では﹁+八躰引

手ホ葉﹂として解説が付与されて続き︑﹁発句竪横井狂句事﹂(﹁発句竪横井狂句仕立様之事﹂・カッコ内は﹃.つやむや

のせき﹄のタイトル名︒異なる場合は︑以下︑同じ)︑萎情の事L︑﹁虚実正事﹂(﹃俳輩毯はタイトル名を欠

く)・﹁不易之句﹂﹁流行之句﹂(﹁不易流行之事﹂)︑﹁発句五品﹂(﹁発句吾芝事﹂)︑﹁八体之句﹂(﹁発句八躰之事﹂)︑

﹁奉納伝﹂(暴納伝三品L)となり﹁巻之=が終るが(﹃うやむやのせき﹄は.巻之一﹂﹁巻之二﹂の区別がない)︑

ここまで構成的には︑まったく両書は一致している︒そして︑﹃礁糊俳諸奥儀﹄は﹁巻之二﹂の﹁付合﹂の部に入るの

千那伝書考 21(232}

(22)

であるが︑続けて﹃謙かい・つやむやのせき﹄との構成を比較してみることにする︒﹁脇第三振﹂(﹁脇第三﹂)・﹁第一一こ

(﹁第三振﹂)︑﹁付ムロ五口芝序﹂(﹃・つやむやのせき﹄にこの条なし)︑﹁七名の事﹂(﹃うやむやのせ三では・﹁付合八

躰之事﹂の後に﹁付ムロ八躰之七名﹂として掲出)︑穴体の事L(﹁付合八躰之事﹂)︑となり︑三﹂で﹃覇俳輩儀﹄

は巻を閉じているのであるが︑﹁付合五品之序﹂の条が郵卸かいうやむやのせき﹄にないことは・特記されてよいで

あろ,つ︒そして︑﹃・つやむやのせき﹄は︑.﹂の後︑さらに﹃付合八躰之転句L︑扉譜五花之・決L・扉譜月之伝L・﹁七夕伝之事﹂︑﹁月次之月の事﹂︑﹁月に螢之事﹂︑﹁名所前後之事﹂︑﹁本式表+句之事﹂︑等の条が約八丁半ほどにわ

たって記されている︒

三三伝書の内容的比較

ζ︑で︑﹃覇俳輩儀﹄﹃蕉門千那俳譜之伝﹄漏伽か・うやむやのせ三の三書の内容的かかわりを・何条かについ

て︑具体的に比較検討してみることにする︒

まず﹁十八体﹂の条である︒﹁十八体の切字﹂が︑具体的な発句作品によって示されている︒その例句中で異同のある箇所を左に掲げてみる︒

﹃礁醐俳譜奥儀﹄

玄妙切春も漸気色と︾のふ月と梅⑤

無名切咲みだす桃の中より初桜⑥

押字何の木の花ともしらず香かな⑯

国 際 経 営 論 集No,121997 (231)22

(23)

抱 字

夕 兜 や 秋 は い ろ く の 瓢 か な ⑰

﹃蕉門千那俳譜之伝﹄

無名切春も漸気色調ふと月と梅

玄妙切咲みだす桃の中より初さくら

抱字何の木の花ともしらぬにほひ哉

押 字 夕 兜 や 秋 は い ろ く の 瓢 哉

﹃槻伽かいうやむやのせき﹄

無名切咲乱す桃の中より初桜

言妙切春もや︾気色調ふ月と梅

押字何の木の花ともしらず匂ひ哉

抱字夕顔や秋は色/\の瓢かな

三伝書を比較してみる・切字の名称の配列は問わないこととして︑名称と例句との関係に注目するならば︑﹃礁醐俳

壷選と﹃磯いうやむやのせ三が︑右の鶴においては系統的に近いとい・つことは︑百瞭然であろ,つ.と.﹂

うが︑全体にわたってそうかというと︑必ずしもスッキリと単純にはいかないのである︒

千那伝書考 23(230)

(24)

﹁発句竪横弄狂句事﹂の条に注目してみよう︒

﹃礁糊俳譜奥儀﹄

山々はみな雪くろくつ﹀みけり⑳

﹃蕉門千那俳譜之伝﹄

山/\は皆雪くろくつ﹀みけり

﹃蹴伽かいうやむやのせき﹄

景清も花見の座には七兵衛

﹁狂の句﹂(﹁狂句体﹂)の例句であるが︑この場合には︑﹃覇俳璽儀﹄の例句と︑﹃蕉門千那俳譜之伝﹄の例句が一致していて︑先の場合とは対踪的な系統関係結果となっているのである︒

念のため︑もう二条︒一つは︑﹁発句五品﹂(﹁発句五品之事﹂)の条である︒

﹃礁粥俳譜奥儀﹄

移木がくれて茶摘も聞や杜宇⑳

師伝に日︑愛すべき人ソ﹂そ有に︑以下の茶摘までも時鳥をきくとの心は︑四方にほζぎす入わたりて・

聞人へだてなき所︑我にたくらぶるのうつろい也︒もの字に心を債べし︒

﹃蕉門千那俳譜之伝﹄

国 際 経 営 論 集No.121997 (229)24

(25)

木がくれて茶摘も聞や時鳥

師伝に日︑かかか小ざ湘こそ有に︑以下乃茶摘まで郭公を聞くとの心は︑

だてなき所︑掛にたくらぶるのうつろひ也︒もの字に心付くべし︒ 四方に時鳥入わたりて︑聞人へ

﹃齢卸かいうやむやのせき﹄

移こがくれて茶摘も聞や郭公

伝云・愛恵美こそあるに︑︑以下繋つみ迄ほとますを聞との心は︑四方に入渡りて︑聞人隔なき所

を︑掛に臥心かあて﹀見る事︑是︑移也︒聞人に山q同下あればこそ︒

傍点は・私に付した・三書の本文が︑相互にかなり錯綜している状態を窺つ?﹂とができるであろ,つ︒中西啓氏の

翻刻に誤りがないとすれば︑﹃覇俳董儀﹄﹃灘か.うやむやのせき﹄の憂すべき人Lと︑﹃蕉門千那俳譜之伝﹄の

﹁あハすべき人﹂との差異は大きい(あるいは︑中西氏の翻刻ミスで﹁あいすべき人﹂ではないかとも田心われる)︒

この部分を除くと・この条全体としては︑﹃覇俳譜奥儀﹄の本文と﹃蕉門千那俳譜之伝﹄の本文とが近い関係にある

最後にも三つ・尺体の句L(﹁発句八躰之事﹂)の条の末尾に注目してみる(﹃蕉門千那俳譜之伝﹄は︑先にも述

)

右発句八体の事は・自他の句体を何くの躰と見定め︑祖翁の趣向を求め︑眼に及すの鏡也︒世に三+躰など︑

いふ躰をあらはし侍蕪・あまねくみな蛎八体より分れたるものなり︒

2s(22g) 千那伝書考

(26)

﹃蕉門千那俳諮之伝﹄

右発句八体の事ハ︑自他の句躰を何々の躰と見定め︑借翁乃趣舟を求め︑脇に及すの鏡也・世干三+躰など〜いふ躰あらハし侍れども︑あまねく皆此八躰より分れたるものなり︒

﹃伽伽かいうやむやのせき﹄

右 発 句 八 体 の 事 は ︑ 自 他 の 句 躰 何 々 と 見 定 ︑ 胞 誌 窄 改 ︑ 脇 に 及 ば す べ き の 態 ・ 外 に 三 + 躰 な ど い ふ 事

吻 読 冷 漁 漉 八 摩 分 つ の 末 躰 な り ︑ 猶 ︑ 嵐 山 の 発 句 (箸 注 ・ ︿水 無 月 や 峯 に 雲 穿 嵐 山 ﹀ を 指 す )

に︑脇ぶりの指南あり︒口伝︒

まず注目すべきは︑﹃驕俳譜奥儀﹄﹃蕉門千那俳譜之伝﹄にあった疽翁の趣向Lなる言葉が・郵伽かいうやむやの

せき﹄では消えてしまっており︑﹁よく其趣向﹂となっている点である︒

.︑の因は何か︒﹃覇俳璽儀﹄や﹃蕉門千那俳譜之伝﹄が︑冒頭総論部分の﹁薦(雁)亭主人﹂の署名からはじまって︑あくまでも千那の伝量日としての体裁を整えているのに対して︑板本灘か・うやむやのせ三は・﹁薦亭主人﹂の署名が﹃桃青﹂となっていることからも窺知し得るごとく︑芭蕉の著作としての体裁を撫っているのである︒先にも触れたよ・つに︑風之の俳論童日﹃耳底記﹄に亟田のうらに漿音ならで有也無也と鳴もあり﹂と記されているよ,つに︑馨つやむやのせき﹄は︑千那の伝壷岡としての体裁が整っていたのであろう.それを板本﹃灘かいう

やむやのせき﹄のさつに芭蕉伝書としての体裁へと変更したのは︑商業→スを考慮しての出版書讐西村源六●西村市暑衛門.柏原霧右衛門)がらみのさかしらであろう.そして︑その体裁を保持するために本文が謹されたであろうことは︑十分に考えられるのである︒

国 際 経 営 論 集No.121997 {227)26

(27)

そのいくつかを見てみることにする︒すなわち︑﹃覇俳譜奥儀﹄において︑千那が﹁我師﹂積翁L等と記してい

る箇所が・﹃灘か・うやむやのせ三では︑どのように表記されているかである.﹁日義師の秘法なり﹂←﹁日疋我家の

秘決也﹂・﹁師伝日﹂←﹁伝云﹂︑﹁祖翁の趣向﹂←﹁其趣向﹂︑といった具合である︒

話が少し拡散したので︑もとの本文の校異そのものに戻す︒右Q︑とき﹃覇俳詣奥越と﹃蕉門千那俳甦伝﹄

の一致があるかと思うと二方では・﹁.瞬﹂(わざわざルビが付されている)の箇所など︑瞑Lの表記は﹃礁欄俳詣

奥墜のみであり・薫門千那俳譜之伝﹄漏勧かいうやむやのせき﹄の二童日は︑塵と表記されているのである.

以上・四条にわたって﹃錨俳糞儀﹄﹃蕉門千那俳蓮伝﹄﹃灘か.うやむやのせき﹄の三伝圭日の本文を比較検討

してみたが・三伝書の本文は・右の四条に限っただけでも複雑に錯綜しており︑﹃蠣俳諸奥儀﹄が︑﹃蕉門千那俳諾

之伝﹄﹃讐いうやむやのせ三のどちらにより近い系統の本文であるとい・つ.﹂とは︑簡単に結論し得ない.また︑

三伝書の中で・どれが最善本であるかということも︑これまた結論し得ない.ただ︑架薬﹃舗俳糞儀﹄は︑薫

門千那俳譜之伝﹄に比して︑分量的にはるかに増さっていること︑﹃灘か.・つやむやのせき﹄に比して︑後述するよ

うに独自の本文を有していること︑によって︑+分に注目してよい禾であるとだけは考口ってよいであろ.つ︒

四 ﹃ 孫 輔 俳 譜 奥 儀 ﹂ 中 の 発 句 の 検 討

そこでいよいよ俳論としての﹃覇俳譜奥墜の検討に入るのであるが︑ス→スの関係もあり︑便宜︑発句につ

いて言及されている内題蕉門千那誹諮之伝L巻之匠限って︑その中の注目すべき何条かに絞り︑検討を加えて

が・その前に﹃覇俳輩儀﹄にサンプルとして提示されている発句を巻之一に限って列挙し︑作者︑成立年代等

27(226) 千那伝書考

(28)

を可能な範囲で記してみる︒翻刻において発句の下に付しておいた通し番号を︑便宜︑発句の上部に示し・発句作

.㎜も︑可能な範囲で正しい句形に訂して掲出す蚤﹂とにした︒また︑他の俳論書にも収録されている作品は・その

旨︑明示した︒全六十四句である︒

*

①いざさらば雪見にころぶ所迄芭蕉

貞享四年(一六八七)・﹃旅寝論﹄﹃三冊子﹄

②猫の恋やむとき閨の朧月芭蕉

元禄五年(一六九二)・﹃俳譜古今抄﹄

③人に家をかはせて我は年忘れ芭蕉

元禄三年(一六九〇)

④忘れずば佐夜の中山にて涼め芭蕉

貞享元年(一六八四)

⑤春もや︑けしきと﹀のふ月と梅芭蕉

元禄六年(一六九三)

⑥ 咲 乱 す 桃 の 中 よ り 初 桜 芭 蕉

元 禄 元 年 二 六 八 八 )

⑦ 奈 良 七 重 七 堂 伽 藍 八 重 ざ く ら 芭 蕉

貞 享 元 年 ( } 六 八 四 ) ・ ﹃宇 陀 法 師 ﹄ ﹃俳 譜 古 今 抄 ﹄

国 際 経 営 論 集No.121997 (225)28

(29)

⑧夕にも朝にもつかず瓜の花芭蕉

元禄三年(一六九〇)

⑨目には青葉山ほとンぎす初がつほ素堂

元禄二年(一六八九)

⑩柚の花にむかしを忍ぶ料理の間芭蕉

元禄四年二六九一)

⑪青くても有べきものを唐辛子芭蕉

元禄五年(一六九二)

⑫行春を近江の人とおしみける芭蕉

元禄三年(一六九〇)・﹃去来抄﹄﹃旅寝論﹄

⑬むかしきけち〜ぶ殿さへすまふとり芭蕉

元禄年間

⑭ 秋 涼 し 手 毎 に む け や 瓜 茄 子 芭 蕉

元 禄 二 年 二 六 八 九 )

⑮子ども等よ昼顔咲キぬ瓜むかん芭蕉

元禄六年(一六九三)・﹃宇陀法師﹄

⑯何の木の花ともしらず匂哉芭蕉

元禄元年(一六八八)・﹃三冊子﹄

29(224} 千那伝書考

(30)

⑰夕がほや秋はいろノ\の瓢かな

元禄元年(一六八八)

⑱秋風に折て悲しき桑の杖

元禄六年(一六九三)

⑲降ずとも竹植る日は蓑と笠

元禄四年(一六九一)

⑳五月雨をあつめて早し最上川

元禄二年(一六八九)

⑳煤掃や又此茶屋も不あしらひ

不詳(﹃小弓俳譜集﹄による)

⑳山々はみな雪くろくつ﹀みけり

出典不詳

⑳年の尾や頭のかたは喰じまひ

⑳年の尾や鮭のかしらは喰じまひ

右二句出典不詳

⑳糸切て雲となりけり几巾

⑳糸切て雲より落る几巾

⑳糸切て雲ともならず几巾

万 芭 芭 芭 芭

子 蕉 蕉 蕉 蕉

国 際 経 営 論 集No.12199? (223)30

(31)

右 三 句 出 典 不 詳

⑳ 痩 朧 も あ れ ば ぞ 花 の よ し の 山

出 典 不 詳 (右 の 句 形 は ﹃蕉 門 千 那 俳 譜 之 伝 ﹄

⑳ 笑 や と り 残 さ れ て 風 の 音

出 典 不 詳

⑳ わ ら 火 に て 煙 草 う ま が る 花 見 哉

出 典 不 詳

⑳ 竹 の 子 の 名 残 や 椀 に 節 一 つ

出 典 不 詳

⑫ 卯 の 花 や く ら き 柳 の 及 こ し 芭 蕉

元 禄 七 年 ( 一 六 九 四 )

⑳ 塩 鯛 の 歯 ぐ き も 寒 し 魚 の 店 芭 蕉

元 禄 五 年 ( 一 六 九 二 )

⑭木隠て茶つみも聞や時鳥芭蕉

元禄七年(一六九四)

⑮ほうらいにきかばやいせの初便芭蕉

元禄六年(一六九三)・﹃去来抄﹄

⑯ 舞 も き ゆ や な み だ の 撃 音 芭 蕉

)

31(222) 千那伝書考

(32)

元禄元年(一六八八)

⑰人も見ぬ春や鏡のうらの梅

元禄五年(一六九二)

⑱古池や蛙飛こむ水のをと

貞享三年(一六八六)

⑳頓て死ぬけしきは見えず蝉の声

元禄三年(一六九〇)

⑳梅の木になをやどり木や梅の花

元禄元年(一六八八)

⑪猿引は猿の小袖をきぬた哉

元禄四年(一六九一)

⑫金屏の松の古さよ冬籠

元禄六年(一六九三)

⑬草臥て宿かる比や藤の花

元禄元年(一六八八)・﹃葛の松原﹄

⑭あか/\と日は難面も秋の風

元禄二年(一六八九)

⑮ 夏 草 や 兵 共 が ゆ め の 跡 芭 蕉

芭 蕉

芭 蕉

芭 蕉

芭 蕉

芭 蕉

芭 蕉

﹃ 三 冊 子 ﹄

芭 蕉

芭 蕉

国 際 経 営 論 集No.121997 (221)32

(33)

元禄二年(一六八九)

⑯むめが︾にのつと日の出る山路かな芭蕉

元禄六年(一六四三)・﹃旅寝論﹄﹃三冊子﹄

⑰ほと﹀ぎす消行方や島一ツ芭蕉

元禄元年(一六八八)

⑱六月や峰に雲置あらし山芭蕉

元禄七年(一六九四)

⑲ ひ よ ろ く と 猶 露 け し や 女 郎 花 芭 蕉

元禄元年(一六八八)

⑩きさがたのあめや西施がねぶのはな芭蕉

元禄二年(一六八九)

⑪綜結ふかた手にはさむ額髪芭蕉

元禄四年二六九一)・﹃三冊子﹄

⑫五月雨をあつめて早し最上川芭蕉

元禄二年(一六八九)

⑬いざさらば雪見にころぶ所迄芭蕉

貞享四年(一六八七)・﹃旅寝論﹄﹃三冊子﹄

⑭涼しさを我宿にしてねまる也芭蕉

千那伝書考 33(220)

(34)

元 禄 二 年 二 六 八 九 )

⑯ 昨 日 を も 峠 と 云 し あ つ さ 哉

出 典 不 詳

⑯道のべの木橦は馬にくはれけり芭蕉

貞享元年(一六八九)

⑰秣負ふ人を枝折の夏野哉芭蕉

元禄二年へ↓六八九)

⑱振売の雁あはれ也ゑびす講芭蕉

元禄六年(一六九三)

⑲景清も花見の座には七兵衛芭蕉

元禄元年(一六八八)・﹃聞書七日草﹄

⑳青くても有べきものを唐辛子芭蕉

元禄五年(一六九二)

⑪何の木の花とはしらず匂哉芭蕉

元禄元年(}六八八)

⑫ 降 ず と も 竹 植 る 日 は 蓑 と 笠 芭 蕉

元 禄 四 年 ( 一 六 九 こ

⑬ 松 風 の 匂 ふ 扉 や 浜 の 宮

国 際 経 営 論 集No.121997 {219)34

(35)

出典不詳(﹃槻卸かいうやむやのせき﹄は︑

⑭はだかにはまだ衣更着のあらし哉芭蕉

元禄元年(一六八八) ︿松風の匂ふとつみや浜の宮﹀の句形)

*

以上である︒六十四例中五十句が芭蕉の作品であるが︑これは︑﹃礁糊俳譜奥儀﹄が芭蕉の説(俳論)を祖述する体

裁を採っているので︑納得のいくところであろう︒他に明らかにし得たのは︑素堂︑万子の句が各一︑不詳十二句

である︒不詳十二句の中には︑⑳⑳︑⑳⑳⑳の例も含まれているので︑実際には九句ということになる︒この九句

が明らかにし得れば︑﹃礁醐俳譜奥儀﹄の素性をかなり限定し得るのであるが︑残念ながら目下のところ明らかにし得

ない︒

ただ︑出典において注目しておきたいものが一︑二ある︒

⑩︿柚の花にむかしを忍ぶ料理の問﹀の芭蕉句は︑元禄九年二六九六)刊︑史邦編﹃芭蕉庵小文庫﹄の句形で

ある︒宝暦三年(一七五二)刊︑魯玉編﹃はせを翁嵯峨日記﹄は︑︿柚の花や昔しのばん料理の間﹀の句形︒千那が

七十三歳で没したのは︑享保八年(一七二三)のこと︒千那は︑﹃芭蕉庵小文庫﹄によったものであろう︒﹃礁醐俳諮

奥儀﹄の巻頭総論部に﹁祖翁の遺戒﹂なる言葉が見えることからも︑﹃俳譜奥儀﹄は︑芭蕉没後の執筆と断定してよ

いであろう︒ちなみに﹃蕉門千那俳譜之伝﹄漏伽かいうやむやのせき﹄も︑同句形である︒

⑯︿何の木の花ともしらず爺畷哉﹀の芭蕉句は︑元禄八年(一六九五)刊︑支考編著﹃笈日記﹄の句形である︒宝

永六年(一七〇九)刊︑乙州編﹃笈の小文﹄は︿何の木の花とはしらず匂哉﹀の句形︑土芳著﹃三冊子﹄は︿何の

木の花ともみへず匂ひかな﹀の句形である︒﹃蕉門千那俳譜之伝﹄は︿何の木の花ともしらぬにほひ哉﹀の句形(他

千那伝書考 35{218)

(36)

に所伝なし︑杜撰か)を掲げている︒﹃槻卸かいうやむやのせき﹄は︑﹃俳譜奥儀﹄と同句形︒

⑳の万子の句︿煤掃や又此茶屋も不あしらひ﹀は︑元禄十二年二六九九)刊︑東鷲編﹃小弓俳譜集﹄の句形︒

元禄十四年(一七〇一)刊︑浪化.万子.支考編﹃そこの花﹄も︑同句形︒ところが︑﹃礁欄俳譜奥儀﹄は︑︿煤掃や

又この茶屋も不挨拶﹀の句形︒﹃蕉門千那俳譜之伝﹄も︑この句形︑漏伽かいうやむやのせき﹄も︑同じ︒この句形も

あったか︒この例から篠瑚俳譜奥儀﹄﹃蕉門千那俳譜之伝﹄掃伽かいうやむやのせき﹄の三伝書の祖本(親本)・すな

わち︑原﹃礁欄俳譜奥儀﹄が一つであることを推定し得るのであり︑その点では︑大いに注目しておいてよいであろ

そして︑そのことは︑⑯︿饗もきゆやなみだの華音﹀の芭蕉句の句形についても言える・この句形は・元禄

二年(一六八九)刊︑荷分編﹃阿羅野﹄所収のものである︒他に﹃笈日記﹄﹃泊船集﹄﹃蕉翁句集﹄等も︑すべて同

句形である︒対して︑﹃礁粥俳譜奥儀﹄は︑他に所伝のない︿埋火や沮のおちて煮る音﹀の句形である︒そして﹃蕉門

千那俳譜之伝﹄﹃鰯伽かいうやむやのせき﹄も︑この句形を撫っている︒かくて︑三伝書の祖本(親本)が一つである

との推定は︑ますます動かないものとなったのである︒ただ︑この句形も︑他に所伝がないので︑﹁花咲老人の忌日

に祖翁のつゴれる也﹂とのエピソードとともに︑疑問の残るところではある︒

以 上 ︑ ﹃覇 俳 輩 墜 の 巻 之 あ 発 句 に 限 っ て 少 々 検 討 を 加 え た の で あ っ た が ︑ こ の 作 業 か ら 原 ﹃繭 俳 謹 儀 ﹄

の存在が浮び上がってきたことは︑思わぬ収穫であった︒

(217}36

国 際 経 営 論 集No.121997  

五﹃繍柵俳譜奥儀﹂の発句本質論

巻之一に限って︑基礎作業が︑不十分ながらも終ったので︑その内容の中で俳譜本質論として注目すべきものを︑

(37)

冒頭の総論部を中心にいくつか検討してみることにしたい︒

むかし・華の下におゐて︑神代八雲の和歌を初め︑代々和歌の姿をとあへ︑其風躰を分てより︑此俳躰は定

れり︒されど・俳譜は餓の歌とかわりて︑表に談笑の姿をあらはし︑裏に閑清のこ﹀ろを含る句法なり︒

総論の冒頭部である︒華の下におゐてLは︑疫病をはらうための花鎮(鎮花祭)に思いを馳せつつも︑直接的

には俳譜の源流である﹁花の董歌﹂を指していると見るべきであろう.﹁神代八雲の和歌﹂は︑曇口・つまでもなく︑

﹃古 今 和 警 ﹄ の 仮 名 序 に お い 三 人 の 世 と な り て ・ 蕪 饗 ,よ り ぞ 奪 肇 あ ま 鉱 , 拳 は よ み け る L と 記 さ れ て

いるところの︿八雲立つ出雲八重垣妻籠めに八重垣つくるその八重垣を﹀を指す︒その﹃古今和歌集﹄の巻+九羅

蜥Lの部において論轍Lが誕生しているア﹂と︑これまた周知の事実である︒そして︑連歌に至り︑﹃菟玖波墓

巻第十九﹁雑体連歌﹂において︑﹁誹諸歌﹂ではなく︑﹁俳譜﹂そのものが掲出されたわけである︒lI以上をごく

ごくコンパクトに表現したものが︑右の文章の冒頭箇所であろう︒

注目すべきは・次のセンテンス扉譜は鯨の歌とかわりて︑表に談笑の姿をあらはし︑裏に閑清のツ﹂︑ろを含る

句法なり﹂である︒千那の理解と見てよいであろう︒芭蕉俳譜の要諦が見事に把捉し得ている︒﹁談笑﹂は︑支考が

好んで用いた言葉であり︑特に享保四年(一七一九)刊﹃俳譜+論﹄中の﹁第+法式ノ論﹂に見︑尺る﹁談笑の風俗に

あそびて・く職臨に哀楽の頒をしれや﹂(談笑の生活の中にありながらも︑﹃論語﹄で言うところの﹁関睡の哀楽﹂︑す

なわち哀をも理解せよ)との文言は︑千那の把捉に近いものがあるが︑本質論としては︑千那の把捉のほうが︑は

るかにすぐれていよう︒俳譜の特質である﹁笑い﹂(滑稽)と︑芭蕉俳譜の特質である﹁閑寂﹂(さび)との関係を

的確に解き明かしているのである.﹁笑い﹂の表現の中に﹁さびしさ﹂﹁悲しさ﹂の︑心を込めるとい,つことである︒

総論部は︑続いて﹁虚実﹂論へと入っている︒

千那伝書考 37(216)

(38)

俳句は上手の虚をいふがごとくに綴るといふを謹言となして︑虚は虚なり︑虚を実に綴るを是となして︑実を

実と云︑虚を虚とあらはすも︑俳譜の道にあらず︒正風は︑虚実の間に遊びて︑しかも虚実にきまらず・是

を師の秘法なり︒

支考の﹃俳譜十論﹄中の﹁第四虚実ノ論﹂にも︑

吾翁は︑俳譜といふは別の事なし︑上手に迂詐をつく事なり︑とは︑例に俳譜の端‑的底にして︑虚実不自在の

人には燃すまじき芭蕉門下の﹂と繍刀なり︒

と見える︒また︑支考の著作とされている三+五箇條﹄にも︑﹁.飛詩歌蓮俳といふ物は・上手嫌をつく事

なり﹂と見えている︒支考によって喧伝流布された芭蕉の遺語であるが︑千那が右のごとく祖述していることによ

って︑.あ遺語が︑支考によって捏造されたものでないことが明らかとなる(かかる共通性から︑﹃うやむやのせき﹄

を支考系の伝書と見倣す説もあるが︑中西本﹃蕉門千那俳譜之伝﹄︑復本本﹃礁醐俳譜奥儀﹄の出現によって︑この説は否定されよう︒支考︑あるいは支考系の人々が千那名で伝書を流布させる必要性を認めることはできないからで

ある)︒また︑千那の﹁虚実﹂論のほうが︑支考の﹁虚実﹂論よりも明決である︒

この﹁虚実﹂論を具体的な作品によって明らかにしたものが︑本文中の左の一条である︒

糸切て雲となりけり几巾虚

糸切て雲より落る几巾実

糸切て雲ともならず几巾正

右︑虚実を非とし︑正を是として︑蛎場を虚実の間に遊ぶといふ句の正豚なり・

.﹂の﹁虚塞論は︑千那独自のものであり︑大いに注目していい︒総論とのかかわりも明確である・支考も﹃俳

(215)38

国 際 経 営 論 集No.121997

(39)

譜十論﹄の﹁第二俳諮ノ道﹂において︑

そも俳諮の道といふは︑第一に虚実の自在より︑世間の理屈をよくはなれて︑風雅の道理にあそぶをいふ也︒誠よ・俳譜の寛活なる︑期人にし臨道なからんには︑狂言︑綺語の假‑事ならんに︑虚実の問に心をあそばし

むる︑言語の訳を宗としるべし︒

と述べているが・同じく﹁虚実の間に遊ぶ﹂(﹁虚実の問に心をあそばしむる﹂).﹂との大切さを説きながらも︑千那

の両論のほうが明晰であることは︑一説明らかであろう︒

千那は虚Lの表現も︑﹁実﹂の表現も否定し︑虚実の間Lの表現として﹁正﹂(﹁正豚﹂)を設定しているのであ

る︒﹁虚実にとゴまらず﹂とは︑﹁虚実﹂を超えて俳譜作品そのものの評価に直戴かかわっていることを言っている

のであろう︒はやく久松潜一氏も﹃鮒伽かいうやむやのせき﹄の︿糸切て﹀の一条に注目し︑﹁虚実の明快な解釈﹂と

述べている(﹃日本文学評論史近世・近代篇﹄至文堂︑昭和五十一年十月刊)︒

総論中の次の条は︑:

祖翁の遺戒に日・俳諸はいはでも郁ぬべし︑只︑世上に和せず︑人情に達せざるを無風雅人と云べし︑とそ︒

蛎金言を常にいましめ︑俳譜に遊ぶ事︑第一なり︒

である・この一条・﹃うやむやのせ三では欠く︒この蘂中の芭蕉の遺語は︑董日に見え︑門弟たちによって注目

されていたことが窺知し得る︒土芳の﹃三冊子﹄には︑

はいかいはなくても麓べし︒たゴ世情に和せず︑人情通ぜざれば人不調︒まして宜友なくてはなりがたし︒

と見え︑北枝の﹃山中問答﹄には︑

世上に和し︑人情に達すべし︒

千那伝書考 39(214)

(40)

と見える︒そして︑支考の︑元禄十二年(一六九九)刊﹃続五論﹄には︑

俳譜はなくてもありぬべし︒たゴ世情に和せず︑人情に達せざる人は︑是を無風雅第一の人といふべし・

とある︒千那の記述は︑この﹃続五論﹄の記述に近いが︑細部の相違から︑千那が独自に採取したものと見てよい

であろう︒芭蕉の俳譜活動の根幹にかかわる姿勢を窺うことのできる遺語として貴重である︒

もう一つ︑本文中の発句本質論に注目しておくことにする︒﹁不易流行﹂について左のごとく記されている︒

不易の句

痩朧もあればかり花のよしの山

箏やとり残されて風の音

流行の句

わら火にて煙草うまがる花見哉

竹の子の名残や椀に節一つ

右︑不易流行の姿︑あながちに甲乙を論ずるにあらず︒不易は︑千載不易の姿也︒流行は︑時々に変ずる姿也・

日疋は︑萎を弁へ︑或は奉納︑集物などには賀し悦びなる故に︑不易然るべし︒当座に言捨ることには・流行

もよし︒両様ともに用心なり︒

︿痩朧も﹀の一句は︑先にも記しておいたように︑﹃蕉門千那俳譜之伝﹄によって︿痩儒もあればぞ花のよしの山﹀

の一句である.﹂とが判明する︒他の箇所については︑大きな糞はない︒ところが﹃灘か・うやむやのせ三には・

次のごとく記されているのである︒

不易の句古池や蛙飛込む水の音

{213)40

国 際 経 営 論 集No.121997

(41)

流行の句景清も花見の座には七兵衛

右・不易流行の事は︑連俳ともにま︾取ちがへ多し︒古池は千載不易也︒其姿述るに及ばず︒並日子が頭え山吹

やと備へしからんか︑など話せり︒山吹︑古池︑心雲泥を隔つべし︒山吹や蛙飛込む水の音とせば︑流行の句

也︒流行は右の一句に准じて︑此景清もよくく心得あるべし︒

例句とともに・内容的にも全く異なるものとなっている.﹃驕俳糞儀は︑具体例に密着する.﹂とを避け︑抽象

的に﹁不易流行﹂を論じ︑説得力もある︒なおかつ︑例句も︑﹁不易﹂の句︑﹁流行﹂の句ともに︑一句は﹁花見﹂

の句・一句は﹁筆﹂の句︑とテーマが統一されており︑具体的作品を通して理解せしめようとの配慮がなされてい

る︒ただ・何としても残念なのは︑四例句の作者を︑目下のところ明らかにし得ないことである︒作者が解決する

ことによって︑﹃嫡俳螢墜の俳論書としての素性が︑かなり鮮明になってくるものと思われる.ちなみに︑巻之

二の連句の部に入ると︑同丙容でありながら︑﹃灘か.うやむやのせき﹄とは︑例句(サンプル)を異にする場△口

が数例ある︒本書の素性の謎の部分である(具体的には両書を比較していただきたい)︒

六まとめ

以上・私架蔵の﹃覇俳譜奥儀﹄を翻刻紹介して︑いささかの検討を加︑尺てみた︒千那のも・つ;の隻日﹃鳳鳴談﹄

のように内部徴証によって千那の俳論であることを明らかにはし得ないが︑風之の﹃俳譜耳底記﹄が千那の著作で

あることをほのめかした﹃灘か・うやむやのせき﹄と同丙容のものが︑中西啓氏架蔵の一本では﹃蕉門千那俳諸之

伝﹄と呼称されており︑私架蔵の一本では﹃礁胴俳譜奥儀﹄と呼称されているという事実によって︑千那の伝書と見

倣してよいように思われる︒また︑内容的にも︑蕉門の俳論書として少しも矛盾しないばかりか︑すこぶる充実し

千那伝書考 41(212)

(42)

俳論研究︑俳譜研究に裡益するところ大であると思われる︒

(平成八年(↓九九六)十一月二十一日了)

国 際 経 営 論 集No・121997(211)42

参照

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