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雑誌名 關西大學文學論集

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Academic year: 2021

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(1)

王政復古期における銀行家たちの文化活動 : 一九 世紀前半における 「銀行家」の社会的地位と文学 空間(三)

その他のタイトル Les activites culturelles des banquiers sous la Restauration : Le statut du banquier et son espace litteraire dans la premiere moitie du 19e siecle (III)

著者 柏木 治

雑誌名 關西大學文學論集

巻 68

号 3

ページ 1‑24

発行年 2018‑12‑18

URL http://hdl.handle.net/10112/16467

(2)

柏 木

はじ めに フレ デリ ック

・ペ レゴ ー亡 きあ と︑ フラ ンス 金融 界の 中心 を担 うの は︑ ペレ ゴー の右 腕と なっ て実 質的 にこ の銀 行 を動 かし てい たジ ャッ ク・ ラフ ィッ ト︵

J a c q u e s L a f f i t t e

一 八六 七~ 一八 四四

︶で ある

︒フ ラン スの 歴史 文化 研究 が なが いあ いだ 共和 主義 的な 歴史 観に 偏っ てい たた めで もあ ろう か︑ ペレ ゴー にせ よ︑ ラフ ィッ トに せよ

︑歴 史的 にき わめ て重 要な 役割 を演 じて いる にも かか わら ず︑ かな らず しも 深く 研究 され てこ なか った

︒ラ フィ ット の場 合︑ 名前 が取 り沙 汰さ れる のは

︑も っぱ ら七 月王 政の 最初 の首 相と して であ る︒ たし かに ラフ ィッ トは 七月 王政 誕生 に多 大な 貢献 をな し︑ ルイ

フ ィリ ップ の﹁ キン グメ イカ ー﹂ とも いわ れ︑ 一八 三〇 年一 一月 から は首 相に も就 任し てい るか ら︑ 政治 家と して の威 光は 絶大 であ る︒ とは いえ

︑か れの 政治 家と して の行 動も 銀行 家と して の長 い経 験︑ 経済 人と して さま ざま な次 元で の利 害を 観察 して きた 洞察 力に 裏打 ちさ れて おり

︑そ の点 を無 視す るこ とは でき ない

︒に もか かわ らず

︑か れ自 身の 回想 録が

︑実 業家 的の それ にあ りが ちな 自画 自賛 と虚 栄的 要素 を含 んで いる こと も手 伝っ てか

︑ 近年 まで その 生涯 を克 明に たど る研 究が ほと んど なか った

︒ま た︑ 経済 の理 論家 では なく 銀行 家で あっ たた めに

︑経

1

王政 復古 期に おけ る銀 行家 たち の文 化活 動

︱︱ 一九 世紀 前半 にお ける

﹁銀 行家

﹂の 社会 的地 位と 文学 空間

︵三

︶︱

︱︵ 柏木

︶ 一

(3)

済史 にお いて もほ とん ど挿 話的 にし か扱 われ ない

︒ しか しな がら

︑産 業革 命と とも に経 済活 動が あら たな 局面 を迎 え︑ 市場 経済 にも とづ く産 業主 義が 活発 に議 論さ れ るよ うに なっ た第 二次 王政 復古 期︵ 一八 一五

~一 八三

〇︶ にあ って

︑ラ フィ ット とい う銀 行家 の存 在は 時代 を象 徴す る存 在で すら ある

︒ピ レネ ー山 脈に 近い バイ ヨン ヌ︵ 現在 のピ レネ ー

アト ラン ティ ック 県の 都市

︶の 大工 の息 子か らフ ラン ス銀 行の 頭取 にま で昇 りつ め︑ つい には 首相 を務 める まで にな ると いう のは

︑見 よう によ って はナ ポレ オン の出 世物 語に 近い とも いえ る︒ 製材 所の 倅か ら社 会の 階梯 を駆 け上 がる

﹃赤 と黒

﹄の 主人 公は

︑ナ ポレ オン の運 命を 心に 描く が︑ 現実 には この 銀行 家の 運命 のほ うが よく 似て いる のか もし れな い︒ スタ ンダ ール がこ の小 説を 仕上 げつ つあ った のは まさ しく ラフ ィッ トが 首相 にな るこ ろと 重な って いた

︒い ずれ にし ても

︑銀 行家 の存 在は

︑社 会の あら

2

ゆる 局面 でペ レゴ ーの 時代 以上 に重 要に なっ てい たこ とは 事実 であ る︒ 王政 復古 期に おい て銀 行家 が社 会的 にど のよ うな 実際 的役 割を 果た して いた のか

︱︱ とい って も︑ 一九 世紀 の銀 行 家や 金融 資本 家が 影響 をお よぼ す範 囲は きわ めて 広範 であ るた め︑ 本稿 では とく に文 化的 な側 面か らそ の一 端を 眺め てみ たい

︒紙 数の 関係 から

︑中 心的 な主 題と して とり あげ るの は︑ 銀行 家と 芸術 との 関係 およ びか れら の博 愛主 義的 振舞 いの 二点 であ る︒ 自由 主義 の世 代 ラフ ィッ トと 同世 代の 著名 人を 何人 か並 べて みよ う︒ 一七 六七 年の 同年 生ま れに はバ ンジ ャマ ン・ コン スタ ン︑ 一 歳年 長に スタ ール 夫人

︑一 歳年 少に シャ トー ブリ アン

︑二 歳下 にナ ポレ オン

︱︱ 青年 時代 を旧 体制 下で

︑二

〇歳 代を 革命 時代 に︑ さら に三

〇代 から 四〇 代に かけ てナ ポレ オン 体制 のも とで

︑そ して 五〇 歳前 後か らは 王政 復古 に生 きた

關西 大學

﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号

(4)

世代 であ る︵ 七月 王政 まで 生き 延び るの は︑ コン スタ ン︑ ラフ ィッ ト︑ シャ トー ブリ アン

︶︒ 歴史 を世 代で みる こと にあ まり 意味 はな かろ うが

︑時 をお かず して 頻繁 に政 治体 制が 変わ る時 代に あっ ては

︑﹁ 世代

﹂は その 当事 者た ちに とっ て歴 史認 識上 かな り重 要な 意味 をも つこ とが ある

︒ 実際

︑王 政復 古期 には ある 種の 世代 論的 な見 方が 議論 の契 機を つく って いた こと はた しか だ︒ バラ ンシ ュは

︑﹁ わ れわ れは 心な らず も︑ そし て知 らぬ 間に

︑無 数の 不確 かな 思想 や漠 然と した 不安 を呼 吸し てい るよ うな 雰囲 気の なか に生 きて いる

︒﹇

⁝⁝

﹈若 者は この 波乱 に満 ちた なか で生 まれ

︑揺 らぐ 大地 のう えで 育っ たが ため に︑ 晴朗 な時 代に 生ま れた 父親 たち と同 じ感 情を 経験 する こと がで きな い﹂

とい い︑ スタ ンダ ール もま たロ マン 主義 宣言 の書 とも いえ

3

る﹃ ラシ ーヌ とシ ェイ クス ピア

﹄で

﹁老 人﹂ と﹁ 青年

﹂の 対比 を︑ 伝統 的な 文学 と来 たる べき あた らし い文 学の 相違 に重 ねた

︒そ のあ との 世代 のア ルフ レッ ド・ ミュ ッセ も︑

﹁い まの 世紀 病︵

m a l d u s i è c l e

︶ はす べて ふた つの 理由 に

4

由来 する

︒九 三年 と一 八一 四年 を通 過し た人 びと は心 にふ たつ の傷 を負 って いる

︱︱ もは や存 在し なく なっ たも のす べて

︑い まだ に存 在し ない もの すべ て︒ われ われ の不 幸の 秘密 を他 所に もと めて はな らな い﹂

と述 べる

︒こ のよ う

5

に︑ ロマ ン主 義世 代は

﹁若 さ﹂ を拠 り所 とし て世 代的 アイ デン ティ ティ をつ くっ てい った とい う意 味で

︑世 代は 他の 時代 に増 して 重要 な要 素と いえ るだ ろう

︒ とこ ろで

︑こ のよ うな 精神 状況 が︑ 革命 の落 し子 であ る﹁ 自由

﹂や

﹁個 の解 放﹂ とい う観 念と つな がっ てい るの は 当然 だが

︑じ つは 金銭 や市 場と いっ た経 済観 念と も深 く関 係し てい るこ とを 見落 とし ては なら ない

︒旧 体制 にお ける

﹁世 襲﹂ 制度 のも と︑ 相続 され る﹁ 血筋

﹂や 財産 とし ての

﹁土 地﹂ が支 配し てい た時 代か ら︑ 市場 経済 のな かで の商 業活 動や 投機 が財 をつ くる 世の 中へ と︑ 社会 構造 が根 本的 に変 化し たか らで ある

︒ロ マン 主義 を標 榜し た若 い世 代 は︑ 夢想 や幻 想︑ 神話 やユ ート ピア とい った 地平 に誘 われ つつ も︑ ブル ジ

ワの 世紀 の経 済的 現実 のな かで みず から 王政 復古 期に おけ る銀 行家 たち の文 化活 動

︱︱ 一九 世紀 前半 にお ける

﹁銀 行家

﹂の 社会 的地 位と 文学 空間

︵三

︶︱

︱︵ 柏木

︶ 三

(5)

の価 値観 を鍛 えて いっ た︒ その 意味 で︑ ラフ ィッ トの よう な存 在は

︑文 学や 思想 とあ まり にか けは なれ てい るが ゆえ に文 化的 には ほと んど 顧み られ ない が︑ じつ は重 要な 意味 をも って いる

︒あ とで も述 べる よう に︑ 実際 にこ の時 代の さま ざま な集 団︱

︱正 式に 認可 され た協 会や 政治 的集 まり から サロ ンに いた るま で︱

︱を 覗い てみ れば

︑そ こに はか なら ず銀 行家

・金 融家 が名 を連 ねて いる

︒か れら は︑ 経済 活動 の自 由と その 土台 とな る政 治的 自由 をつ よく 主張 し︑ その ため に自 由主 義の 台頭 を後 押し した わけ だが

︑自 由主 義的 振舞 いの なか に金 融家 とし ての アイ デン ティ ティ をも とめ たよ うな とこ ろが ある

︒ロ マン 主義 の思 潮に 欠か せな い要 素で ある 自由 は︑ 他方 で経 済活 動と 産業 の発 展を 推進 する 原動 力で もあ った

︒こ こに おい て︑

﹁自 由﹂ は政 治︑ 経済

︑文 芸を 共通 の場 に引 き寄 せる 磁力 を帯 びた 言葉 にな っ たの であ る︒ 今日 われ われ が文 学者 や芸 術家 とし てと らえ てい る人 物と 金融 家・ 銀行 家の 距離 は想 像以 上に 近か った とい って もよ い︒ 作家 が作 家と して 生活 でき るよ うな 基盤 がま だ整 って おら ず︑ 政治 家や 外交 官を 兼ね てい るの はあ たり まえ であ り︑ した がっ て︑ その よう な交 流は 当然 のよ うに 行わ れて いた

︒﹁ 象

の塔

﹂に 籠る 狷介 孤高 の芸 術家 像が でき あが るの は︑ もう 少し のち のこ とで ある

﹁レ ユニ オン

﹂と いう 集ま り さて

︑ナ ポレ オン が失 墜し

︑ふ たた び王 政が 復活 して のち

︑人 びと が参 集し 語り 合う 場に も変 化が あら われ る︒ 一八 一六 年以 降︑ 政治 サロ ンに はあ らた なか たち が生 まれ てい た︒ 党派 ごと に特 定の 有力 者の 邸宅 に集 まり

︑議 会で の議 論の 情報 交換 をし たり

︑つ ぎの 議会 に臨 む準 備を した りと いう 習慣 が一 般化 して いた ので ある

︒旧 来の サロ ンに あっ た堅 苦し い社 交儀 礼か らい くぶ ん離 れて

︑政 治的 親近 性に よっ て集 まり をつ くり

︑そ こで 自由 に議 論す るよ うな 集会 で︑ これ を﹁ レユ ニオ ン﹂

r é u n i o n

︶と いっ た︒ この よう な活 発な 議論 があ ちこ ちで なさ れる よう にな った 背景 には

關西 大學

﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号

(6)

ナポ レオ ン体 制の 崩壊 後︑ すな わち 王政 復古 初期 の政 治情 勢は

︑新 しい 体制 の骨 格を どの よう につ くる かを めぐ って 複雑 に意 見が 分か れ︑ 議論 がさ まざ まに 紛糾 して いた とい う事 実が ある

︒﹁ 憲章

﹂︵

l a C h a r t e

︶を もっ てイ ギリ スの よう な政 治体 制を フラ ンス に導 入し よう とす る際

︑そ のバ ック ボー ンと なる 議会 制の 原理 につ いて さえ

︑い まだ に政 治的

・法 的に みて しっ かり した 理論 が構 築さ れて いな かっ たか らで ある

︒当 時︑ きわ めて 特殊 な政 治状 況に あっ たフ ラン スで は︑ 多数 派か ら内 閣を 選ぼ うと しな い国 王に 対す る不 満か ら︑ 右派 によ って 過半 数の 原理 が擁 護さ れる とい うよ うな こと も起 きた

︒過 激王 党派 の代 表格 と目 され てい たシ ャト ーブ リア ンで さえ

︑﹃ 憲章 によ る君 主制 につ いて

6

のな かで

︑﹁

﹇⁝

⁝﹈ 立憲 君主 制の もと では

︑世 論こ そが 内閣 の本 源で あり 根本

︑基 本で あり 源泉

p r i n c i p i u m e t f o n s

︶ なの だ︒ そし て︑ この 世論 に由 来す る帰 結に よっ て︑ 内閣 は下 院の 多数 派か ら出 なけ れば なら ない

︒と いう のも

︑下 院 議員 が民 衆の 意見 の主 要な 機関 だか らで ある

﹇⁝

⁝﹈

と︑ まる で政 治的 左派 であ るか のよ うな 主張 を展 開し てい る︒

7

この よう に政 治議 論が 活況 を呈 する なか

︑パ リに は十 指に 余る レユ ニオ ンが つく られ

︑そ れぞ れに 集会 の場 を提 供 する 人物 の名 前が つい た︒ たと えば シャ トー ブリ アン は︑

﹃墓 の彼 方か らの 回想

﹄で

﹁ピ エ・ レユ ニオ ン﹂

r é u n i o n P i e t

︶に 触れ てい る︒ 当時

諸々 の意 見が とて も活 発に 交わ され てい たが

︑そ れが 類似 して いる か否 かに よっ て︑ 両院 の少 数派 のあ い だに 仲間 意識 が形 成さ れて いた

︒フ ラン スは 代議 制政 府を 学習 して いる とき だっ た︒ わた しは 愚か にも それ を文 字ど おり に受 け取 り︑ 大損 にな るの にも かか わら ず心 底熱 中し て︑ これ を採 用し よう する 人た ちを 支援 した

︒か れら の対 立の なか に︑ わた しが 憲章 に対 して 抱い てい たよ うな 純粋 な愛 情よ りも っと 俗人 的な 動機 が入 って いな いか どう かも 気に する こと なし に︒ わた しは 馬鹿 では なか った が︑ わが 愛の 対象

の偶 像崇 拝者 であ った から

︑そ 王政 復古 期に おけ る銀 行家 たち の文 化活 動

︱︱ 一九 世紀 前半 にお ける

﹁銀 行家

﹂の 社会 的地 位と 文学 空間

︵三

︶︱

︱︵ 柏木

︶ 五

(7)

れを 腕に 抱え て持 ち去 るた めに は炎 さえ 飛び 越え たこ とだ ろう

︒一 八一 六年

︑わ たし がド

・ヴ ィレ ール 氏を 知っ たの はま さに この よう に憲 法熱 の発 作の 渦中 であ った

︒﹇

⁝⁝

﹈野 党の 他の メン バー とと もに

︑わ れわ れは かな り頻 繁に テレ ーズ 通り に行 き︑ ピエ 氏の 家で 討議 して 夕べ をす ごし た︒

﹇⁝

⁝﹈ われ われ は提 案さ れた 法律

︑出 すべ き動 議︑ 秘書 や財 務担 当や さま ざま な委 員会 につ ける 仲間 につ いて 話し た︒8 ピエ

とい う人 物 は︑ その 才能 より もテ レー ズ通 り八 番地 にあ った 広い 住居 で有 名だ った よう で︑ そこ では 仲間 にご

9

馳走 がふ るま われ

︑﹁ 王政 のレ スト ラン

﹂︵

r e s t a u r a n t d e l a M o n a r c h i e

︶ とも よば れて いた らし く︑ 集ま る者 たち も﹁ ピ エテ ィス ト﹂

︵い うま でも なく

P i e t

とい う名 と敬 虔派

p i é t i s t e

がか けら れて いる

︶と 綽名 され てい たよ うで ある

︒こ

10

のよ うに 当時 の議 員た ちは

︑リ シュ リュ ー公 一派 なら ロワ 伯の

︑ボ ナパ ルテ ィス トな らヴ ォワ イエ

・ダ ルジ ャン ソン の︑ 極右 王党 派な らピ エの

︑自 由主 義派 なら 実業 家テ ルノ ー︵

G u i l l a u m e T e r n a u x

一七 六三

~一 八三 三︶ のレ ユニ オン に︑ とい う具 合に

︑そ の政 治的 立場 に応 じて それ ぞれ 集ま って いた ので ある

11

﹁ラ フィ ット

・レ ユニ オン

﹂も その ひと つで あっ た︒ 集ま って いた のは

︑か れの 兄弟

︑大 勢の 法曹 関係 者︑

﹃立 憲派

L e C o n s t i t u t i o n n e l

︶や

﹃ラ

・ミ ネル ヴ・ フラ ンセ ーズ

﹄︵

L a M i n e r v e f r a n ç a i s e

︶の 創刊 にも 加わ った アン トワ ーヌ

・ ジェ ー︵

A n t o i n e J a y

一七 七〇

~一 八五 三︶ のよ うな ジャ ーナ リス ト︑ ナポ レオ ン時 代に 外交 官も 務め たセ バス ティ アー ニ将 軍︵

H o r a c e F r a n ç o i s B a s t i e n S é b a s t i a n i

一 七七 二~ 一八 五一

︶︑ ラフ ァイ エッ トの 義弟 にあ たる テオ デュ ー ル・ ド・ グラ モン 侯︵

T h é o d u l e d e G r a m m o n t

一七 六六

~一 八四 一︶

︑バ ンジ ャマ ン・ コン スタ ン︵ 一七 六七

~一 八 三〇

︶︑ バン ジャ マン

・ド レセ ール

B e n j a m i n D e l e s s e r t

一七 七三 から 一八 四七

︶と いっ た面 々で あっ た︒ 左派 の下 院議 員で 憲章 擁護 の立 憲派 自由 主義 を奉 ずる 人物 が目 立つ

︒シ ャル ル・ ド・ レミ ュザ

︵一 七九 七~ 一八 七五

︶に よれ

關西 大學

﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号

(8)

ば︑ そこ での 遣り 取り は﹁ あか らさ まに 革命 的で はな い﹂ にし ても

︑と ても

﹁活 気が あっ た﹂

とい う︒ さら にそ の場

12

のラ フィ ット の肖 像に つい ても 以下 のよ うに 伝え られ てい る︒ ラフ

ィッ トは お喋 りだ った

︒自 分が 話す のに 少し 酔い なが ら︑ 上品 ぶっ てゆ っく りと 話し た︒ 感じ のよ い︑ ほっ そり した 顔立 ち︑ 素朴 な仕 草︑ 気さ くな 話し 方︑ 品位 のあ る微 かな アク セン ト︑ これ らが かれ の会 話に 実質 以上 の見 かけ の価 値を 与え てい た︒ とは いえ

︑か れは 好感 のも てる 人物 で︑ 心の 奥に ある 大き な︑ そし てか れを 滅ぼ した 虚栄 心は セン スの よい 外面 のし たに 隠さ れて いた

︒人 のよ さ︑ 愛想 のよ さ︑ 協調 性︑ 気持 ちの よい 自信 の風 情が あっ たか ら︑ それ によ って

さ れる こと もあ った

13 この

よう なサ ロン の派 生的 存在 は︑ これ 以降 も重 要な 政治 的・ 文化 的位 置を 占め る︒ とい うの も︑ アン ヌ・ マル タ ン

フュ ジエ のい うよ うに

︑こ れら のレ ユニ オン は﹁ 政治 的共 感﹂ をも とに 集ま った 男た ちの 集団 であ り︑ そこ から

﹁す べて 社交 空間 へと 道が 通じ てい た﹂ から だ

︒一 般の サロ ンと 異な るの は︑ この 集ま りが ほぼ 男性 のみ で構 成さ れ

14

てい た点 であ る︒ 一九 世紀 のブ ルジ

・イ デオ ロギ ーに おい て︑ 政治 経済 的な 主体 がつ ねに 男性 であ った こと はよ く知 られ てい るが

︑こ のレ ユニ オン にも それ がは っき りと あら われ てい る︒ いず れに して も︑ 七月 王政 に下 院議 員と なる 若者 たち は︑ 多か れ少 なか れ︑ こう した 政治 的集 まり と関 係し てい たの であ る︒ 銀行 家と 芸術 庇護 ペレ ゴー に文 化的 庇護 者の 側面 があ った こと は前 稿で もみ たと おり だが

︑一 九世 紀の 金融 界の 第一 人者 とし てラ

15

王政 復古 期に おけ る銀 行家 たち の文 化活 動

︱︱ 一九 世紀 前半 にお ける

﹁銀 行家

﹂の 社会 的地 位と 文学 空間

︵三

︶︱

︱︵ 柏木

︶ 七

(9)

フィ ット にも その よう な側 面は あっ た︒ 銀行 家や 実業 家が その 財力 に見 合っ た地 位を 社会 的に 認知 して もら うた めに 芸術 保護 とい う手 段を とり はじ める の も︑ 一九 世紀 ブル ジ

ワ社 会の 特徴 のひ とつ であ る︒ 世紀 初頭

︑上 流社 交界 に社 会的 エリ ート とし て迎 え入 れら れる には

︑経 済的 成功 だけ では 足り なか った

︒い まだ に旧 体制 下で の階 級意 識︑ すな わち 血筋

︵生 まれ と爵 位︶

︑王 家と の関 係な どの 要素 を重 んじ る風 潮や 慣行 が上 流階 級の あい だに 根強 く残 って いた から であ る︒ した がっ て︑ あと から 貴族 を追 いか ける かた ちで 社交 界に 入ろ うと する 者は

︑金 とは ちが う次 元の し を獲 得す る必 要が あっ た︒ 万人 が 認め る社 会的 地位 や爵 位を 得る こと もそ のひ とつ だが

︑さ らに 有効 な方 法︑ それ が芸 術の 活用 であ った

︒ 一般 に品 物と して の有 用性 によ って 消費 され る物 理的 な﹁ モノ

﹂︵

c h o s e s

︶に 対し て︑ ある 種の 特別 な意 味作 用を 付与 され

︑そ の抽 象的 価値 によ って 成立 して いる もの を﹁ セミ オフ ォー ル﹂

s é m i o p h o r e s

︶と よん だの はク シシ トフ

・ ポミ アン であ る

︒か れに よれ ば芸 術作 品も その ひと つで

︑一 五世 紀以 降︑ それ まで もっ てい なか った 威光 を獲 得す る

16

にい たっ たと いう

︒時 とと もに 移ろ い消 滅し てい く自 然に 対し て︑ それ を時 間の なか に固 定し 持続 させ るも の︑ それ が芸 術で あっ て︑ いわ ば世 界を 永遠 の相 のも とに

︑さ らに いえ ば未 来の 相の もと に描 きだ すそ うし た芸 術を 保護 する こと は︑

﹁真 に栄 光に 到達 した いと 願う あら ゆる 君主 の義 務﹂ とな った

︒こ うし て﹁ 君主 は︑ 文芸 の庇 護者 とな り蒐 集家 とな る﹂ わけ だが

︑こ れは 君主 にと どま らず

︑﹁ 権力 の階 級制 の上 位に 位置 する すべ ての 人々 は︑ 同じ 役割 を演 じる よう に仕 向け られ る﹂

︱︱ そう ポミ アン は述 べて いる

17

事情 は一 九世 紀前 半の 銀行 家に とっ ても 基本 的に 変わ らな い︒ セミ オフ ォー ルの 獲得

︑す なわ ち芸 術作 品の 購入 や コレ クシ

ン の形 成は

︑﹁ 有用 性を 意味 作用 に変 容さ せる こと によ って

︑富 の階 級制 にお いて 上位 に位 置し てい る人 が︑ 趣味 や知 の階 級制 にお いて もそ れに 対応 する よう な位 置を 占め るこ とを 可能 にす る活 動の ひと つ﹂

なの であ る︒

18

關西 大學

﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号

(10)

この よう に金 銭を

﹁有 用性 の流 通回 路﹂ から 引き 離す こと

︑そ して それ を趣 味や 教養 とい う象 徴的 な記 号に 置き 換え るこ とは

︑と くに 金に よっ て富 を得 る銀 行家 には 必要 だっ たと いっ てよ い︒ 銀行 家や 実業 家と 芸術 の結 びつ きは

︑芸 術を 取り 巻く 状況 の変 化に よっ てさ らに 密に なる

︒フ ラン ス革 命と ナポ レ オン 体制 は芸 術の 市場 を拡 大し たか ら︑ 前世 紀に くら べる と︑ 名の ある 芸術 家を

﹁消 費﹂ する もの はヨ ーロ ッパ 全体 に広 がっ た︒ この 間︑ 政治 的理 由に よっ て外 国に 亡命 を余 儀な くさ れた 芸術 家も いれ ば︑ ナポ レオ ン戦 争に よっ てい くつ もの 芸術 品が 国境 を越 え︑ 結果 的に 流通 を促 すこ とと とな り︑ 多く の作 品や 芸術 家が ヨー ロッ パ全 体に 広く 知ら れる よう にな った

︒芸 術作 品を 投機 対象 にす るよ うに なっ たの は一 八世 紀か らだ が︑ 産業 革命 とと もに 経済 活動 が活 発に なり

︑裕 福な 実業 家が 出て くる につ れて 美術 商は ます ます 幅を 利か せる よう にな って

︑蒐 集家 の助 言者 とし て振 る舞 いは じめ る

︒王 政復 古と とも にこ うし た現 象は さら に加 速化 した

︒美 術商 はも はや 愛好 家の 延長 では なく

︑積 極

19

的に 美術 作品 を商 品に し︑ 経済 活動 へと 引き 込ん でい く役 回り を演 じる こと にな る︒ のち にバ ルザ ック が小 説﹃ ピ エー ル・ グラ ッス ー﹄ で画 商と 高利 貸し を結 びつ けた よう なユ ダヤ 人エ リア ス・ マギ ュス とい う人 物を 創造 し

︑こ の

20

悪魔 的な 人物 と勤 勉か つ凡 庸な 市民 画家 ピエ ール

・グ ラッ スー を通 じて ブル ジ

ワ社 会に おい て芸 術ま で侵 食す る経 済過 程を 皮肉 り︑ 芸術 的価 値の 平板 化を 推し 進め る民 主主 義を 批判 する こと にな るだ ろう

︒ち なみ にグ ラッ スー を婿 とし て迎 える 成功 した ブル ジ

ワ商 人ヴ ェル ヴェ ルは

︑別 荘に 立派 な絵 画コ レク シ

ンを もっ てい る︒ スタ ンダ ール もま た︑ よく 似た 時期 に同 じよ うな 主題 で﹃ フェ デー ル﹄ を書 いて いる

︒小 説は いず れも 王政 復古 から 七月 王政 にか

21

けて の時 代が 舞台 とな って おり

︑芸 術が 悲劇 的に 資本 主義 経済 に取 り込 まれ てい くこ とを 実感 させ る状 況が 現出 して いた こと の証 左と なろ う︒ ピエ ール

・グ ラッ スー と﹃ 知ら れざ る傑 作﹄ のフ レノ フェ ール のち がい は︑ 芸術 を取 り巻 く環 境の

︑一 九世 紀と 一七 世紀 のあ いだ の差 でも ある

︒ 王政 復古 期に おけ る銀 行家 たち の文 化活 動

︱︱ 一九 世紀 前半 にお ける

﹁銀 行家

﹂の 社会 的地 位と 文学 空間

︵三

︶︱

︱︵ 柏木

︶ 九

(11)

とこ ろで

︑こ のよ うな 状況 とは 裏腹 に︑ いや

︑こ うし た状 況だ から こそ とい うべ きか

︑芸 術家 の社 会的 地位 も大 き く変 容し た︒

﹃百 科全 書﹄ では 工芸 職人 も﹁ アル ティ スト

﹂︵

a r t i s t e

︶ とよ ばれ てい たが

︑一 八世 紀末 にな ると この 語 の価 値が 急速 に高 まっ てく る︒ そし て一 九世 紀の 初め

︑そ の意 味は しだ いに

﹁芸 術家

﹂に 限定 され てい くと とも に︑ 芸術 の表 現者

︵演 奏家

・演 技者

︶を も含 むよ うに なっ た

︒こ うし て芸 術家 の神 格化 がは じま る︒ 芸術 家は 特別 な存 在

22

であ り︑ 一般 人に は近 づけ ない 何か を実 現す る神 に選 ばれ し者 とし て象 徴的 に君 臨す るよ うに なる のだ

︒ロ マン 主義 の時 代の 芸術 家像 とは

︑ま さに その よう な運 命的 で神 々し い輝 きに 包ま れた 精神 的存 在と して 屹立 する もの であ っ た

︒天 才的 芸術 家は 俗塵 から はる か遠 く︑ 清澄 な天 空の 極北 に輝 く孤 高の 巨星 であ るこ とを ロマ ン主 義的 魂は 望む

︒ 一 23

方で その よう な社 会は 天才 を夢 見て 脱落 して いく 数多 の凡 人芸 術家 を生 む︒ 凡庸 な芸 術家 は売 るた めに

︑す なわ ち 生き るた めに 作品 を生 産・ 供給 し︑ 需要 する ブル ジ

ワも

︑芸 術の 真の 価値 を理 解す る地 平か らは 遠く

︑も っぱ ら名 声と 評判 が判 断の 基準 であ る︒ 模写 の技 術で 名声 を勝 ち得

︑勲 章に まで 手の 届い たピ エー ル・ グラ ッス ーは

︑や はり ブル ジ

ワ的 価値 観し かも ちあ わせ ない ヴェ ルヴ ェル 氏の 目に かな う条 件を 完全 に満 たし てい たの であ った

︒﹁ 何事 にお いて も創 案す るこ と︵

i n v e n t e r

︶﹂ は︑ 弱火 で焼 かれ るが ごと く﹁ 少し ずつ 衰弱 し死 ぬこ と﹂ を意 味す るの に対 して

︑﹁ まね るこ と︵

c o p i e r

︶﹂ は﹁ 生き るこ と﹂ であ る︒ 命を 削っ て芸 術に 身を 捧げ る創 造的 行為 と模 倣に よっ て生 活の 資を 稼ぐ 商業 的行 為︒ つい に金 鉱脈 を発 見し てか らと いう もの

︑グ ラッ スー は﹁ まね るこ と﹂ を実 践し つづ ける

︒ この よう な自 己の 判断 基準 をも たぬ 階級 にお いて

︑模 倣が 専横 を極 める こと にな るの は必 然で ある

︒バ ルザ ック によ れば

︑創 造的 行為 より も模 倣が 富を 築い てし まう よう に︑ 世論 にみ なが 流さ れ︑ 過半 数に よっ て政 治を つく って しま うの が民 主主 義で ある

︒﹁ 自分 より も上 位の 者を すべ ての 社会 階層 から 選ば なけ れば なら ない

﹂と いう 今日 の﹁ 社会 の不 名誉 な凡 庸さ

﹂︵ 選挙 を指 す︶ も︑ まさ に同 根な ので ある

24

關西 大學

﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号

一〇

(12)

この よう なブ ルジ

ワ 的凡 庸さ を代 表す るか のよ うに

﹁国 王ル イ

フイ リッ プ︑ そし てヴ ェル サイ ユの ギャ ラリ ー と張 り合 おう とし たか のよ うな

瓶商 人ヴ ェル ヴェ ル氏 さな がら に︑ 同時 代の 銀行 家た ちも 自邸 に芸 術コ レク シ

25

をも とう とし た︒ ラフ ィッ トよ りも 一〇 歳ほ ど年 下の スイ ス生 まれ の銀 行家

︑ジ ャム

・ド

・プ ルタ レス

J a m e s d e P o u r t a l è s

一 七七 六~ 一八 五五

︶は 父の 莫大 な資 産を 元手 に

︑す でに 一八 世紀 末に 蒐集 をは じめ

︑王 政復 古と とも に

26

パリ のト ロン シェ 通り

︵現 在の マド レー ヌ寺 院の 裏手

︶に 邸宅 を建 てて 住ん だ︒ その コレ クシ

ン はブ ロン ズィ ーノ

︑ レン ブラ ント

︑ア ング ルな どの 作品 を含 み︑ プロ イセ ン国 王や ベリ ー公 夫妻 にも 見せ てい る

︒バ ンジ ャマ ン・ ドレ

27

セー ルも やは り革 命時 代に 父エ ティ エン ヌ・ ドレ セー ルが はじ めた 蒐集 を受 け継 ぎ︑ コレ クシ

ン を増 やし つつ あっ た︒ 数の 上で は︑ オラ ンダ

︑フ ラン ドル の画 家の 作品 が多 く︑ ルー ベン ス︑ ファ ン・ ダイ ク︑ レン ブラ ント

︑バ ック ホイ ゼン など があ った

︒続 いて 多か った のは フラ ンス の画 家で

︑ク ロー ド・ ロラ ン︑ ミニ ャー ル︑ オラ ース

・ヴ ェル ネ︑ ジロ デ︑ ジェ リコ ーな どの 作品 があ った こと をバ ンジ ャマ ン・ ドレ セー ルの 死亡 記事 は語 って いる

︒銀 行家 でラ

28

フィ ット のあ とに 首相 を務 めた カジ ミー ル・ ペリ エも やは り絵 画蒐 集を 行っ てい た︒ 文化 的教 養が 露骨 な金 銭の 臭い を消 すの だと すれ ば︑ 成り 上が りの 条件 をも っと もよ く具 えて いた ジャ ック

・ラ フィ ット にと って

︑こ れは 重要 なフ ァク ター であ った だろ う︒ ドレ セー ルや プル タレ スと ちが い︑ かれ の場 合は 父か ら受 け継 ぐも のは 何も なく

︑ま さに 一代 で築 いた 地位 であ った だけ に︑ その よう な思 い入 れは よけ いに 強か った と思 われ る︒ 後発 の者 がと った 方針 は︑ 買う 美術 品を 自分 と同 時代 のも のに 絞り

︑い ま生 きて いる 芸術 家を 助け るこ とで あっ た︒ これ は当 時︑ シ

ダン タン 地区 にあ った モン モラ ンシ ー館

H ô t e l d e M o n t m o r e n c y

︶ の所 有者 とな った ジ

ヴァ ンニ

・バ ッテ ィス タ・ ソン マリ ーヴ ァ︵

G i o v a n n i B a t t i s t a S o m m a r i v a

一 七六

〇~ 一八 二六

︶に 習っ た結 果 であ ると もい われ る

︒イ タリ アに 生ま れ︑ のち にフ ラン スに 帰化 した この 男は まさ に出 世の ため に美 術コ レク シ

29

王政 復古 期に おけ る銀 行家 たち の文 化活 動

︱︱ 一九 世紀 前半 にお ける

﹁銀 行家

﹂の 社会 的地 位と 文学 空間

︵三

︶︱

︱︵ 柏木

︶ 一一

(13)

を活 用し た人 物で

︑王 政復 古時 代︑ フラ ンス の美 術愛 好家 には よく 知ら れて いた

︒﹁ たし かに 美術 に勤 しむ のは 金の かか るこ とだ

︒し かし

︑こ の財 産は つね に残 るし

︑と きに は増 えさ えす る︒ さら に︑ 多大 な名 誉を もた らし てく れる のだ

とい って 憚ら ず︑ ナポ レオ ンの 妻ジ

ゼ フィ ーヌ にダ イヤ のネ ック レス を贈 って 拒否 され たり

︑タ レラ ンに 高

30

価な 腕時 計を 献上 した りし たと もい われ てい る

︒金 銭的 資産 は築 いた とし ても

︑と くに 後盾 のな い地 方出 身者 や外 国

31

人の 場合

︑上 流社 交界 で認 めら れる ため には この よう な文 化的 記号 を手 にす るこ とが 必要 であ った

︒革 命以 降︑ 王侯 や貴 族階 級の 囲い から 拡散 した 美術 品が 出回 り︑ 市民 に開 放さ れた 美術 館が 建設 され

︑美 術の 享受 が民 主化 され てい くの と並 行し て︑ 作品 が資 本主 義経 済の 流通 のな かに 取り 込ま れ︑ 商品 化し てい くの は必 然で あっ た︒ 短期 に富 を蓄 積し

︑新 しく 拓か れた モダ ンな 地区 に瀟 洒な 邸宅 をか まえ る新 興ブ ルジ

ワ ジー にと って

︑そ こに 自前 の美 術コ レク シ

ンを もち

︑サ ロン を開 いて 招い た貴 顕の 士に 絵を 見せ るこ とは

︑経 済的 のみ なら ず文 化的 にも かれ らに 肩を 並べ るた めの 必須 条件 にな って いた ので ある

︒ 芸術 を見 る目 はな かっ たも のの

︑ラ フィ ット も美 術を 栄達 の手 段の ひと つと する こと に躊 躇は なか った

︒か れの 絵 画蒐 集は

︑い かに も合 理的 な近 代人 らし く︑ また ブル ジ

ワ銀 行家 らし いも ので

︑損 をし ない こと が第 一で あっ たよ うだ

︒絵 は必 ずサ ロン 展で

︑も しく は画 家か ら直 接買 うこ とに して いた

︒そ のほ うが 安く 仕入 れる こと がで きた し︑ 偽作 をつ かま され る心 配が なか った から であ る︒ また

︑サ ロン に出 展さ れる 画家 であ れば

︑そ れな りの 評価 もあ る︒ しか もサ ロン で買 うこ とは 買い 手の 宣伝 にも なっ た︒ もっ とも

︑世 間は いま だ古 典作 品が 基準 とな って いた から

︑ラ フィ ット のよ うな コレ クシ

ン はそ れほ ど評 価さ れた わけ では ない

︒フ ラン スで は一 八二

〇年 代か ら美 術愛 好家 向け

32

の美 術作 品案 内が 出版 され はじ める のだ が︵ この 点か らも 美術 のひ ろが りの 度合 いが 見て とれ る︶

︑そ のひ とつ

﹃一 八二 四年 版 パリ 芸術 愛好 家手 引き

﹄︵

M a n u e l d e l ’ a m a t e u r d e s a r t s d a n s P a r i s , p o u r 1 8 2 4

を開 いて も︑ ドレ セー ル

33

關西 大學

﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号

一二

(14)

やペ リエ のコ レク シ

ンは とり あげ られ てい るの にラ フィ ット のそ れに つい ては まっ たく 言及 がな い︒ かれ にと って 重要 だっ たの は︑ コレ クシ

ン の内 容よ りも 絵画 を蒐 集し てい ると いう 行為 その もの であ った

︒芸 術活 動へ 理解 を示 し︑ その 普及 の一 翼を 担っ てい ると いう 姿勢 を見 せる こと によ って もた らさ れる 利益 をよ く知 って いた ので ある

︒ ここ で観 察で きる 現象 は︑ それ まで 芸術 から 締め 出さ れて いた 階級 が︑ いわ ば﹁ 経済 の回 路﹂ を通 じて それ に接 触 する とい う事 態で ある

︒ど んな 手段 であ れ︑ 新し く参 入し てき た者 に対 して

︑も とか らそ こに いる 者た ちは みず から を差 異化 しよ うと する

︒オ ルテ ガ・ イ・ ガゼ ット は新 しい 芸術 につ いて

︑﹁ 本質 的に 非大 衆的 であ るば かり でな く︑ 反大 衆的 でさ えあ る﹂ とい った が

︑芸 術を 理解 でき る者 と理 解で きな い者 とに 分け

︑対 立さ せる 効果 があ るこ とは 芸

34

術の ひと つの 真理 であ り︑ とく に市 民社 会の 成立 以降

︑そ の真 理は いち だん と見 えや すい もの にな った とい える だろ う︒ 金融 ブル ジ

ワジ ーが 美術 品を 買い 漁り

︑自 邸に コレ クシ

ン をつ くる よう にな ると

︑当 然の こと なが らそ れま で芸 術を 占有 して いた 階級 は芸 術的 感受 性に すぐ れた 特権 的少 数者 とし てみ ずか らを 位置 づけ よう とす る︒ 少数 者と して 大衆 と闘 わな けれ ばな らな いと いう 自分 の使 命を 自覚

させ るの も芸 術な のだ

︒こ のよ うな

﹁幸 福な る少 数者

の自

35

己正 当化 的想 像力 には 際限 がな い﹂

︒一 九世 紀前 半に 生じ たブ ルジ

ワ ジー の急 速な 台頭

︑資 本主 義経 済体 制の 確立

36

そし てほ ぼ同 時期 に起 こっ たロ マン 主義 運動 の根 は同 じ土 壌か ら養 分を 得て いる

︒天 啓︑ 孤高 の天 才︑ カリ スマ など

︑ ロマ ン主 義が 神格 化さ れた 芸術 家像 をつ くり あげ てい くの も︑ ブル ジ

ワ的 資本 主義 社会 の浸 透に よっ て芸 術の 裾野 が大 きく 広が った から であ って

︑孤 独な 夢想 や霊 感︑ 自我 や理 想と いっ た個 人に 局限 され た特 異な 世界 ばか りを 考え てい ては 足を すく われ てし まう だろ う︒ ロマ ン主 義と は︑ 少数 選良 の純 粋美 学と ブル ジ

ワ階 級に も享 受さ れう る中 間美 学の 相克 にお いて こそ 生ま れる 運動 なの であ る︒ いず れに して も︑ ラフ ィッ トは 芸術 に対 して の向 きあ い方 にお いて も典 型的 なこ の時 代の 銀行 家で あっ たと いえ る︒ 王政 復古 期に おけ る銀 行家 たち の文 化活 動

︱︱ 一九 世紀 前半 にお ける

﹁銀 行家

﹂の 社会 的地 位と 文学 空間

︵三

︶︱

︱︵ 柏木

︶ 一三

(15)

博愛 精神 と慈 善活 動 とこ ろで

︑こ うし た絵 画蒐 集は

︑も うひ とつ 別の 次元 の活 動と も結 びつ いて いる

︒知 られ てい ると おり

︑一 八二

〇 年代 の国 際的 な政 治問 題の ひと つに ギリ シャ 独立 戦争 があ った

︒フ ラン スで は一 八二

〇年 代の はじ めか ら︑ 自由 主義 陣営 を中 心に 親ギ リシ ャ運 動が 活発 に展 開さ れて くる

︒ド ラク ロワ は﹃ 墓場 の孤 児﹄

J e u n e o r p h e l i n e a u c i m e t i è r e

︶ を大 作﹃ キオ ス島 の虐 殺﹄

S c è n e d e s m a s a c r e s à S c i o

︶の 準備 とし て描 き︑ 両作 品を 二四 年の サロ ンに 出展 する

︒こ の年 はバ イロ ン卿 がミ ソロ ンギ で死 んだ 年で もあ り︑ 文学 者や 画家 たち が積 極的 にギ リシ ャ独 立運 動に 加担 する よう にな って いた

︒バ イロ ンの

﹃チ ャイ ルド

・ハ ロル ドの 巡礼

﹄と

﹃ギ リシ ャ頌 歌﹄ がフ ラン ス語 に翻 訳さ れ︑ スタ ンダ ー ルの 事実 上の 処女 小説

﹃ア ルマ ンス

﹄の 主人 公オ クタ ーヴ

・ド

・マ リヴ ェー ルも バイ ロン さな がら にギ リシ ャに 向か う船 上で 最期 を迎 える

︒ま た︑ カジ ミー ル・ ドラ ヴィ ーニ ュ︵

C a s i m i r D e l a v i g n e

一七 九三

~一 八四 三︶ もい くつ か の詩 編を ギリ シャ に捧 げ︑ 独立 戦争 にフ ラン スが 積極 的に 介入 する こと を促 した

︱︱

﹁世 界の 強者 たる 汝ら よ︑ 平和 と戦 を手 のう ちに もつ 陸の 王た る汝 らよ

︑苦 しみ に疲 れた ギリ シャ の人 びと が武 器を とっ たの は打 ち勝 つた めな の か︑ はた また 死ぬ ため なの か︑ これ を決 する のは 汝ら なの だ︒

37

この よう に︑ 画家 や作 家が ギリ シャ を主 題化 する なか

︑実 業家 たち のあ いだ でも 問題 は共 有さ れた

︒独 立に 立ち あ がる ギリ シャ への 経済 的支 援は

︑プ ロテ スタ ント の銀 行家 やフ ォー ブー ル・ サン

ジ ェル マン の貴 族に とっ ては キリ スト 教擁 護の 意思 表明 に︑ また

︑自 由主 義者 にと って は民 族自 決の 原則 を堅 持し よう とす る思 想の あら われ とな った

﹁パ リ親 ギリ シャ 委員 会﹂

C o m i t é p h i l h e l l è n e d e P a r i s

の設 立は そう した 活動 の中 核を なす もの で︑ ここ には 信条

38

を越 えて 多く の有 力者 が参 集し た︒ 当初

︑自 由主 義派 とオ ルレ アン 派が 中心 とな った が︑ シャ トー ブリ アン が加 わる

關西 大學

﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号

一四

(16)

こと によ って

︑ま さに 共和 主義

︑自 由主 義︑ 王党 派と いっ た政 治的 立場 を超 越す る組 織と なっ た︒ シ

ワズ ール 公

C l a u d e ‒ A n t o i n e ‒ G a b r i e l d e C h o i s e u l

一 七六

〇~ 一八 三八

︶︑ ブロ イ公

V i c t o r d e B r o g l i e

一七 八五

~一 八七

〇︶

︑ フイ ッツ ジャ ム公

É d o u a r d d e F i t z

‒ J a m e s

一七 七六

~一 八三 八︶

︑ラ ボル ド伯

A l e x a n d r e d e L a b o r d e

一 七七 三~ 一八 四二

︶︑ セバ ステ ィア ーニ 将軍

H o r a c e F r a n ç o i s B a s t i e n S é b a s t i a n i

一七 七二

~一 八五 一︶

︑テ ルノ ー︑ ラフ ィッ ト︑ フィ ルマ ン・ ディ ド︵

F i r m i n D i d o t

一 七六 四~ 一八 三六

︶︑ バン ジャ マン

・コ ンス タン など

︑そ のメ ンバ ーを み ても それ はあ きら かだ ろう

39

この 親ギ リシ ャ熱 は西 ヨー ロッ パ全 体に 広が りを みせ たも ので

︑ナ ポレ オン 戦争 後︑ フラ ンス を含 めて はじ めて の 汎ヨ ーロ ッパ 的な 運動 とい って も過 言で はな い︒

﹁親 ギリ シャ 委員 会﹂ なる もの も西 ヨー ロッ パの 複数 の国 で組 織さ れ︑ 一八 二一 年八 月に 第一 号が シュ トッ トガ ルト に︑ つい で一 八二 三年 二月 にロ ンド ンに

︑パ リの それ は少 し遅 れて 一八 二五 年の 初め に設 立さ れた

︒発 足こ そド イツ

︑イ ギリ スに 後れ をと った もの の︑ パリ の委 員会 はも っと も積 極的 な活 動を 展開 し︑ 三年 間で ギリ シャ 基金 とし て一 五〇 万フ ラン を集 めた とい う

︒資 金集 めの 一環 とし て︑ 一八 二六 年

40

に﹁ ギリ シャ のた めの 展覧 会﹂

E x p o s i t i o n a u p r o f i t d e s G r e c s

︶ と銘 打っ た有 料の 絵画 展を ギャ ラリ ー・ ルブ ラン

G a l e r i e L e b r u n

︶で 大々 的に 開催 する

︒こ の展 覧会 は大 成功 を収 める のだ が︑ それ はも ちろ ん︑ グロ

︑ダ ヴィ ッド

︑ ジェ リコ ー︑ ヴェ ルネ

︑ア ング ル︑ ドラ クロ ワと いっ た画 家の 絵が 並ん だか らだ が︑ それ とあ わせ て︑ 自前 のコ レク シ

ンか ら絵 を貸 し出 した 名だ たる 庇護 者た ちの 名前 が発 表さ れた から でも ある

︒プ ルタ レス やド レセ ール 兄弟

︑カ ジミ ール

・ペ リエ の名 前と とも にラ フィ ット の名 も並 んで いた

41

社会 階層 や政 治的 党派 性を 突き 抜け る契 機が この よう なか たち であ りえ たと いう こと は歴 史的 にも 重要 であ る︒ 外 部の 敵が 内部 の凝 集力 を高 める のは いつ の時 代に も観 察さ れる こと だが

︑現 実に は互 いに 鋭く 対立 しな がら も︵ 政治 王政 復古 期に おけ る銀 行家 たち の文 化活 動

︱︱ 一九 世紀 前半 にお ける

﹁銀 行家

﹂の 社会 的地 位と 文学 空間

︵三

︶︱

︱︵ 柏木

︶ 一五

(17)

的に

︑宗 教的 に︑ 社会 階級 的に

︶︑ ギリ シャ 独立 の大 義に おい て合 意し

︑顔 を合 わせ る場 をも ちえ たと いう のは 大き な意 味を もつ

︒一 八二

〇年 代の ギリ シャ 独立 戦争 は︑ 多く の場 合︑

﹃キ オス 島の 虐殺

﹄の よう な強 烈な 絵画 的イ メー ジや バイ ロン とい うあ まり に英 雄的 な像 とと もに 語ら れる

︒自 由と 独立 とい う近 代的 理想 に燃 え︑ 義勇 兵と して 参加 する 姿︵ バイ ロン だけ では ない

︶は いか にも

﹁個

﹂の 熱い 意思 を炸 裂さ せる よう で︑ ロマ ン主 義的 欲求 を満 たす もの だか らで あろ う︒ たし かに この 運動 は︑ 初期 にお いて 個人 の自 発性 に依 拠す ると ころ が目 立ち

︑一 八二 三年 にボ レル

B o r e l

︶偽 名を つか って ギリ シャ に赴 いた ファ ヴィ エ大 佐︵

l e C o l o n e l F a b v i e r

︶は

︑当 時の フラ ンス 人に とっ てギ リ シャ 愛の 象徴 的存 在と して 突出 した 姿だ った

︒フ ァヴ ィエ とい う名 前は

︑﹁ ひと りの 人間 のな かに あれ ばよ いと 思わ れ

42

るす べて の美 点﹂ と結 びつ いて いた ので ある

︒ス タン ダー ルも

﹃産 業者 に対 する 新た な陰 謀に つい て﹄ とい うサ ン

43

シモ ン派 への 攻撃 パン フレ ット でギ リシ ャ独 立戦 争を その よう な英 雄的 相の もと にみ てい る︒ ウィ リア ム・ テル やリ エゴ

︑ボ リヴ ルと いっ た人 びと に体 現さ れる よう な︑

﹁何 らか の高 貴な 目標 のた めに 利得 を犠 牲に する こと がで きる

44

高邁 な精 神︑ これ こそ がギ リシ ャ独 立戦 争に みる 英雄 的形 象で あり

︑ロ マン 主義 的感 性を 熱狂 させ るも ので あっ た︒ しか しそ の一 方で

︑ギ リシ ャ救 済熱 は広 く国 民に も浸 透し

︑社 会全 体を 動か した 情熱 であ った とい う点 で︑ それ ま であ まり 例の ない 運動 でも あっ た︒ 階層 を超 えて フラ ンス 全土 にひ ろが る社 会現 象に なっ たと いう とこ ろに

︑あ る種 の﹁ 社会

﹂的 理想 をみ る者 が出 てき ても 不思 議で はな い︒ 実際

︑こ の基 金に 寄附 をし た人 びと はあ らゆ る階 級に 属し てい る︒ 一〇 フラ ン寄 附し た仕 立屋

︑三 フラ ン出 した 革な めし 工︑ 客か ら一 六〇 フラ ンの 拠金 を集 めた 美容 師︑ さら には ボラ ンテ ィア でア ピー ル広 告を 刷る 印刷 屋な ど

︑小 口の 寄附

・義 捐が 後を 絶た なか った ので ある

︒寄 附運 動は 子

45

ども にま で広 がっ た︒ 興味 深い のは

︑こ のギ リシ ャ問 題が その 英雄 主義 的な 理想 と行 動に よっ て惹 きつ けら れた 人び とば かり では なく

關西 大學

﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号

一六

(18)

人道 的博 愛主 義の 視点 から 共鳴 した 人び とを 動員 した こと であ る︒ 前者 には

︑ス タン ダー ルが その 典型 であ るよ う に︑ ブル ジ

ワ支 配の 社会 には 消失 して しま った 精神 的貴 族性 をも とめ る傾 向︱

︱そ の意 味で ロマ ン主 義と 通じ る

︱︱ があ った のに 対し

︑後 者は ブル ジ

ワ支 配を 代表 する 銀行 家や 実業 家が 多く を占 めて いた

︒そ もそ も﹁ 親ギ リ シャ 委員 会﹂ の集 まり は実 業家 テル ノー の邸 宅で 開か れて おり

︑さ きに 述べ たと おり

︑そ こに 貴族 や軍 人︑ 実業 にい たる まで さま ざま な人 びと が集 まっ たの であ る︒ 構成 員を みる かぎ り︑ いか にも 雑多 な集 団だ が︑ かれ らを 束ね てい たの は博 愛精 神で ある

︒ブ ルジ

ワ にと って 芸 術の 嗜み が栄 達の 手段 であ った よう に︑ 博愛 主義 的行 動に も同 じよ うな 意味 があ った

︒元 来︑ キリ スト 教的 な慈 善活 動で あっ た博 愛主 義が 社会 的・ 政治 的運 動の 様相 を帯 びて くる のは 一八 世紀 以降 であ る︒ 一九 世紀 初頭

︑王 政復 古と とも に︑ 革命 によ って 崩壊 した キリ スト 教組 織の 再建 運動 がは じま るが

︑そ のな かで 宗教 的な 立場 から の慈 善事 業も 活発 化す る︒ 他方

︑啓 蒙思 想や 革命 のな かで 育ま れて きた 平等 主義 や人 権思 想が 教会 とは 離れ た世 俗の 運動 とし て社 会的 弱者 の救 済活 動に 結び つい て

︑あ らた な人 道的 博愛 の実 践を 生み だし てい く︒ いず れに して も興 隆し てき たブ ル

46

ワ勢 力︑ とり わけ 銀行 家や 実業 家が その よう な活 動に 参入 し︑ 自分 たち の美 点と して 取り 込も うと する のは 理解 しや すい だろ う︒ ポー ル・ ベニ シュ ーも いう よう に︑ フラ ンス では いく らブ ルジ

ワ が勝 利し

︑思 想上 の進 化を 経験 して も︑

﹁ブ ルジ

ワ ジー が思 索す る人 びと の目 にと って

︑し たが って 世論 一般 にと って も︑ 威信 を獲 得す るも のに はけ っし て至 らな かっ た﹂

それ ゆえ かれ らが

︑多 分に 宗教 的な 響き のあ る

« c h a r i t é

»

︵ 慈善

・慈 悲︶ や

47

« b i e n f a i s a n c e »

︵慈 善・ 善行

︶と いう 語を 使う にせ よ︑ ある いは より 近代 的な 意味 を込 めて

« p h i l a n t h r o p h i e »

︵博 愛︶ とよ ぶに せよ

︑こ のよ うな 篤志 家的 振舞 いに 参入 し︑ みず から の実 践を 喧伝 する こと は︑ 芸術 的教 養を 身に まと うパ

48

フォ ーマ ンス と同 様に 賢明 な選 択で あっ たと いえ るだ ろう

︒ 王政 復古 期に おけ る銀 行家 たち の文 化活 動

︱︱ 一九 世紀 前半 にお ける

﹁銀 行家

﹂の 社会 的地 位と 文学 空間

︵三

︶︱

︱︵ 柏木

︶ 一七

(19)

繰り 返す まで もな いが

︑一 八二 一年 末に 進歩 主義 的な キリ スト 教徒 たち が集 まっ て結 成し た﹁ キリ スト 教道 徳協 会﹂

S o c i é t é d e l a m o r a l e c h r é t i e n n e

︶は

︑博 愛主 義的 な理 念の もと に設 立さ れた 団体 であ る︒ その 定款 には 団体 の目 的 とし て︑

﹁社 会の 諸関 係に キリ スト 教の 教え を適 用す るこ と﹂

とあ り︑ 取り 組む べき 重要 な社 会問 題と して あげ たの

49

が︑ 奴隷 制お よび 黒人 売買 の廃 止︑ 監獄 の環 境改 善︑ 孤児 の救 援︑ 死刑 廃止

︑賭 博・ 富籤 への 反対 運動 など であ った

50

圧政 に苦 しむ ギリ シャ につ いて も大 きな 関心 を寄 せた のは

︑当 然の 成り 行き だろ う︒ 会の 発足 後ま もな く︑ 会員 のひ とり であ った シャ ルル

・ド

・レ ミュ ザが 声を 上げ

︑﹁ キリ スト 教と 正義 によ って 心動 かさ れる すべ ての 人間 に当 然の こと とし て利 益を もた らす よう な大 義が この 世に ある とす れば

︑そ れは まさ しく ギリ シャ 解放 の大 義で ある

と述 べ

51

てい る︒ この 団体 は﹁ 親ギ リシ ャ委 員会

﹂と 歩み をと もに して その 独立 を支 援す るの だが

︑か なり のメ ンバ ーが 両団 体に 属し てい る︒ 一八 二〇 年代 は国 家の 立て 直し をめ ぐっ てさ まざ まな 政治

・宗 教イ デオ ロギ ーが 対立 した 時代 であ るが

︑以 上に み

52

たよ うに

︑宗 教色 のあ るな しに かか わら ず︑ また 政治 的党 派を 超え て︑ 互い に目 標を 共有 する よう な契 機も あっ た︒ 全体 とし てみ れば

︑た しか に過 激王 党派 と自 由主 義的 王党 派が 政権 の中 心を 占め てい たが

︑ブ ルジ

ワ ジー の成 熟と とも にシ ャル ル一

〇世 の反 動政 策へ の不 満は しだ いに 肥大 して いく なか

︑王 政と 自由 の理 念と を調 和さ せる 中道 的志 向が 強ま って いく

︒第 二次 王政 復古 が成 立し た当 初に 多数 派を 占め てい たド クト リネ ール

D o c t r i n a i r e s

︶ は︑ やが て七 月王 政の 中心 とな って いく だろ う︒ かれ らは 政治 的に は自 由主 義的 王党 派︑ すな わち 中道 右派 を形 成し

︑一 定額 以上 の納 税者 に選 挙権 を与 える 制限 選挙 を土 台と した 立憲 君主 制を 目指 した が︑ 唱導 した ロワ イエ

コ ラー ル

P i e r r e ‒ P a u l R o y e r ‒ C o l l a r d

一 七六 三~ 一八 四五

︶︑ ギゾ ー︵

F a n ç o i s G u i z o t

一 七八 七~ 一八 七四

︶︑ レミ ュザ

︑ク ー ザン

V i c t o r C o u s i n

一 八九 二~ 一八 六七

︶︑ デュ ヴェ ルジ エ・ ド・ オー ラン ヌ︵

P r o s p e r D u v e r g i e r d e H a u r a n n e

關西 大學

﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号

一八

参照

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