日中共通漢詩教材の比較研究
─杜甫「石壕吏」を中心に─
林 教子
キーワード:杜甫「石壕吏」、「三吏三別」詩、「アクティブ・ラーニング」、「漢文」の授業改善、「義務教育 語文課程標準(2011年度版)」、「学習指導要領(2017年〜2018年告示)」、漢詩の受容、訳詩
【要 旨】本研究の目的は、日中共通の漢詩教材に着目し、教科書及び教師用指導書における扱い方を比較・
分析することによって、「学習者主体の古典教育」の在り方を探ることである。主たる研究対象は杜甫の「石 壕吏」である。
まず、本論文Ⅱで、杜甫の社会詩における「石壕吏」の特性について考察した。ここでは、詩の主役が「石 壕吏」を転機に「吏(役人)」から民衆に変化していることを確認した。
次に、本論文Ⅲ・Ⅳで、日中両国の教科書を比較し、本文の異同や「学習活動」の違いを分析した。その 結果、中国の教科書本文では「有孫母未去」となっているのに対して、日本の教科書の多くが「孫有母未去」
となっていることが判明した。これは出典となるテキストの違いによるものと考えられる。また、「学習活 動」では、中国の義務教育課程の「語文(日本の国語にあたる)」教科書にある、「石壕吏」を題材として脚 本制作をする指導法を検証した。具体的には、教師あるいは学生が作った脚本を一つ用意して、これを基に 話し合いながら登場人物及び場面の設定、詩人の立ち位置等を決めて脚本を完成させていくという方法であ る。これは、詩に対する理解を深めるための学習活動であり、日本の教育現場でも活用可能である。
最後に本論文Ⅴで、古典学習の可能性に言及した。ここでは、新たな漢詩の受容形態として、教科書に掲 載されている「訳詩」に着目している。また、中国の古典教育から学ぶべき点として、教材である漢詩文作 品の出典を明らかにすることを提言した。中国の教科書では、学生が手に取りやすい出典を明示しているの に対して、日本の教科書では具体的に示されていないからである。日本でも、古典の主体的な学習や読書の 推進を図る上で、出典の明示は必要となるだろう。
今後は、杜甫の社会詩を継承した白居易の風諭詩を取り上げて、教材としての可能性を比較研究したいと 考えている。
Ⅰ 序章 ─ 研究の目的と意義 ─
Ⅰ-1 日中共通の古典教育の課題
「自国の古典を継承しつつ、学習者主体の古典教育を実現する。」これは現在、日中両国に共通 する国語1教育の課題の一つである。本研究では、日中共通の漢詩教材に着目し、教科書及び教 師用指導書における扱い方を比較・分析することによって、「学習者主体の古典教育」の在り方 を探ることを目的とする。
1 中国では、日本の「国語」に相当する教科を「語文」という。
両国直近の教育政策に目を向ければ、中国では2011年「義務教育課程標準(2011年版)」が制 定され、日本では2017年「小中学校学習指導要領」、2018年「高等学校学習指導要領」がそれぞ れ告示されている。これらの教育政策の基本方針には幾つもの共通性が認められるが、とりわけ 両国ともに〈主体的・対話的で深い学び〉、いわゆる「アクティブ・ラーニング」の視点に立っ た授業改善を提唱している点が注目される。学習者の主体的な学びは重視するが、学習内容の削 減はしないという点でも一致を見る。
この基本方針を踏まえて、本研究では伝統的な言語文化を継承するための指導と、その発展と して古典作品に「言葉の源泉」を求め、自らの言語能力を磨くための方策を探る。
Ⅰ-2 日中共通の「漢文」教材を比較研究する意義
日中共通教材を比較研究する意義を二つ挙げておきたい。まず、一つは「アクティブ・ラーニ ング」の視点に立った授業改善のためである。上記の「学習指導要領」の改訂に伴い、「漢文」
分野でも〈主体的・対話的で深い学び〉の本格的な実施が求められている。しかし、実情は、
「活動あって学びなし」2と指摘されるように、〈深い学び〉に結びつく学習活動を模索中である。
〈対話的な深い学び〉とは、古典作品を通じて古人と対話し、古人や先哲の考え方を手掛かり に自己の考えを深めることでもある。この学びを実現するには、まず、指導者側の知識の充実及 び多角的な視点からの指導力向上を図ることが不可欠である。その材料を両国の古典教育に求め るために、共通している教材の学習内容や指導法を比較・研究する意義は大きいと考える。
もう一つは、他者理解のためである。異文化交流において、同じ古典作品を習った経験は相互 理解の端緒となるだろう。しかし、同じ作品だからといって、同じ内容を習ってきたとは限らな い。古典作品を継承する過程で、それぞれの国の背景や受容の形態によって異同が生じることも あるからだ。したがって、両国の教科書等を比較して異同の有無を明らかにする必要がある。
Ⅰ-3 「石壕吏」に着目した背景
日中共通の漢詩教材のうち、本研究では杜甫の「石壕吏」に焦点を当てる。その理由は、中国 の「語文」教科書における「石壕吏」の扱い方に興味を抱いたからである。「石壕吏」は、中国 では第8年級(日本の中学校第2学年に相当する)の教科書に採録されており3、「望岳」・「春 望」・「石壕吏」という配列で、〈杜甫詩三首〉という単元を構成する。単元の冒頭には次のよう な文章が置かれている。
杜甫は唐代の大詩人です。彼の作品全体には唐王朝の全盛と衰退の過程が反映されていて、
「詩史」と称されています。この三首は異なる歴史時期に作られました。「望岳」は所謂「開 2 「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等につ いて(答申)」(平成28年(2016年)12月21日 中央教育審議会)の第7章1.「学びの質の向上に向け た取組」より抜粋。
3 『語文 八年級上冊』(人民教育出版社課程教材研究所編著、2009年3月第1版2014年6月第2次印刷、
人民教育出版社)
元盛世」の時期、杜甫二十四、五歳の時に作られ、「春望」と「石壕吏」は「安史の乱」前 期の作品で、杜甫はこの時すでに中年の域に達していました。学習する時は、詩の作風の変 化に注意して読む必要があります。
杜甫の詩の「詩史」という側面を学ぶことと、詩の作風の変化をつかむことは意義深い。し かも、この単元では、単に詩人の年齢による作風の変化に目を向けるのではなく、詩が詠まれ た「歴史時期」、つまり歴史的背景による変化に着目するよう促している。「春望」は757年(杜 甫46歳)、「石壕吏」は759年(杜甫48歳)の作である。律詩と古体詩という詩型の違いがあると はいえ、この短期間に、詩人の作風がどのように変化したのか、またそれは、どのような歴史的 背景を反映したものなのか興味を覚えたのである。杜甫の「春望」については堀誠(2013)4を はじめとし、教材という一面から研究した論文も数多く提出されているが、教材としての「石壕 吏」を研究したものは少ない。その意味からも、本論文では、「春望」の流れをくむ社会詩であ る「石壕吏」を扱うのである。
Ⅱ 教材としての「石壕吏」の日中比較
Ⅱ-1 「石壕吏」の内容
「石壕吏」は、「三吏三別」(三吏は「新安吏」「潼関吏」「石壕吏」、三別は「新婚別」「垂老別」
「無家別」)と呼ばれる連作の一つである。これら六首は、杜甫の作品でも傑出した社会詩と評さ れている。まずは、「石壕吏」の全文を書き下し文・口語訳と共に示す。
「石壕吏」 杜甫
暮投石壕村 暮れに 石壕の村に投ず 有吏夜捉人 吏有り 夜 人を捉ふ 老翁踰牆走 老翁 牆かきを踰えて走り 老婦出門看 老婦 門を出でて看る 吏呼一何怒 吏の呼ぶ 一に何ぞ怒れる 婦啼一何苦 婦の啼く 一に何ぞ苦しめる 聽婦前致詞 婦の前すすみて詞を致すを聽くに 三男鄴城戌 「三さんだん男 鄴げふじやう城を戌まもる
一男附書至 一いちだん男 書を附して至れるに 二男新戰死 二男は 新たに戰死せりと 存者且偸生 存する者は 且しばらく生を偸ぬすむも 死者長已矣 死する者は 長とこしへに已やみぬ 室中更無人 室中 更に人無く 惟有乳下孫 惟だ乳下の孫有るのみ
4 「國語科教材の中の杜甫」(松原朗編『生誕千三百年記念杜甫硏究論集』2013年10月、研文出版)
有孫母未去 孫有れば 母未だ去らざるも 出入無完裙 出入するに 完裙無し 老嫗力雖衰 老嫗 力衰ふと雖も 請從吏夜歸 請ふ 吏に從ひて夜歸せん 急應河陽役 急ぎ河陽の役に應ぜば 猶得備晨炊 猶ほ晨炊を備ふるを得ん」と 夜久語聲絶 夜久しくして 語聲絶え 如聞泣幽咽 泣きて幽咽するを聞くが如し 天明登前途 天明 前途に登るに
獨與老翁別 獨り老翁と別れるのみ
〔口語訳〕日暮れに石壕村に宿をとったところ、役人が夜中に人をつかまえにやって来た。宿 の老翁は土べいを越えて逃げ、老婆は門口に出て役人と応対する。役人の怒鳴り声の何と怒りに みちていることか、老婆の泣き声の何と苦しげであることか。老婆が進み出て役人に申し上げる 言葉を聞くに、「三人の息子たちは皆、鄴城の戦場に行っております。一人の息子が手紙を人に 託して言ってよこしたところによると、二人の息子はつい先ごろ戦死したとのことです。まだ生 きている息子は、今のところどうやら生きのびているようですが、死んだものはもう永遠におし まいです。家の中にはもう男はおりません。ただ乳離れしない孫がいるだけです。この孫がいる ので、母親はまだ里帰りせずにおりますが、おもてに出るにも満足なスカートもないしまつで す。このばばめは力こそ衰えていますが、どうかお願いです、お役人様に従って、夜のうちにも 行くところに行く所存です。すぐにも河陽の労役に参ずれば、これでもまだ朝飯の仕度くらいは できましょう。」と。
夜も更けて、話し声も途絶えると、ひそかにむせび泣く声が聞こえたような気がした。夜明け に旅路につくとき、ただ老翁にだけ別れの挨拶をしたのだった。
次に、「石壕吏」を中心とした「三吏」詩の相関関係を、中国の「語文」の教師用指導書に掲 載されている杜甫の経路地図に基づき確認しておきたい。
この間、756年6月に安史の乱が勃発し、その翌春(757年3月)、杜甫は、軟禁状態にあった 長安で「春望」を詠んでいる。同年4月に賊軍の手から脱出して粛宗の行在所に駆け付け、その 功績をもって左拾遺に抜擢される。左拾遺は官位こそ低いが皇帝の側近という官職であり、杜甫 にしてみれば、ようやく念願がかなったことになる。しかし、その直後、敗軍の責めを負った房 琯を弁護したため粛宗の逆鱗に触れ、758年に華州司功参軍に左遷されてしまうのである。
「三吏三別」詩を作ったのは、【図1】の経路図の解説にある759年の春、出張先の洛陽から華 州への道途においてである。杜甫は、この時、目の当たりにした民衆の悲惨な現実をリアルに描 いたことで社会詩の頂点を窮めたとされる。
Ⅱ-2 「三吏」詩の構成
ここで再度、【図1】を確認する。洛陽から華州への旅程は、「新安→石壕→潼関」である。そ れにもかかわらず、杜甫の詩文集である『杜工部集』では「三吏」を、「新安吏」「潼関吏」「石 壕吏」の順に配列しており、これは実際の地理的位置と異なる。そこには杜甫の意図が働いてい ると推察されるが、その意図について鈴木修次(1979)6は、この配列に「詩人の発言の姿勢の 変化と深まりとが見られるのである。詩人の眼が、しだいに体制から離れてゆくそこのところ に、この連作の意味があるのである。」と指摘している。
では、鈴木修次が指摘する杜甫の「発言の姿勢の変化と深まり」とはどのようなものか、具体 的にみていきたい。
「三吏」詩は、いずれも苛酷な徴兵の様を詠んでいる。まずは、「新安吏」。詩の冒頭部、通り すがりの「客」である杜甫は、騒々しく点呼する役人に何をしているのか問う。役人はそれに答 えて、昨夜、徴兵の命が下ったが、小さな県のため既に「壮丁」(23歳以上の男子)は徴用し尽 くし、今度は「中男」(18歳以上子)を徴用するのだと説明する。
客行新安道 客は行く新安の道 喧呼聞点兵 喧呼 点兵を聞く 借問新安吏 新安の吏に借問すれば
5 『義務教育課程標準実験教科書教師教学用書 語文 八年級上冊』(課程教材研究所中学語文課程教材研 究開発中心編著、2007年3月、人民教育出版社)の222頁。
6 『唐代詩人論1』(鈴木修次、1979年3月、講談社学術文庫)の100頁。
【図1】 教師用指導書掲載の〈杜甫経歴示意図〉5 ※「新安」と「石壕」は筆者が加筆した。
【図1】の上部にある杜甫の行路(「→」「−→」等)の解説文は以下のとおりである。
・755年11月奉先県の家族の元に帰省し、反乱を避けて鄜州に家族を疎開させ、そ の後(玄宗の息子である粛宗の)行在所に参じようとしたが、賊軍に捕らえられ て長安に軟禁される。
・757年4月長安から脱出して、鳳翔の行在所に駆け付ける。8月、(粛宗の逆鱗に 触れ)鄜州に帰省するが、同年冬、長安に戻る。翌年6月、華州の(司功)参軍 に左遷される。同年冬、(司功参軍在任中に)、洛陽に出張し、そのついでに親族
(弟妹)を尋ねる。
・759年春、華州に戻り、官を捨てて、隴山を越え蜀に入る。※傍線は筆者による。
県小更無丁 県小にして更に丁無し 府帖昨夜下 府帖 昨夜下り 次選中男行 次選 中男行く
母親に見送られる元気な少年や、独りぼっちでしょんぼりしている痩せた少年。彼らは東の守 護に征く。青山には哭声が響きわたり、痛ましいばかりの情景であった。
肥男有母送 肥男には母の送る有り 痩男獨伶俜 痩男は獨り伶俜たり 白水暮東流 白水 暮に東流し 青山猶哭声 青山 猶ほ哭声あり
だが、最後に詩人は徴用される側になぐさめのことばをかけて詩を結ぶ。「戦場に行くからと いって血の涙を流して送ることはない、僕射(郭子儀を指す)どのは、父兄のように接してくだ さるだろうから」と。
送行勿泣血 行を送るも血に泣くこと勿れ 僕射如父兄 僕射は父兄の如し
馮至(1952)7は、徴用されていく民衆に同情しながらも、詩の最後では、なぐさめに転じる杜 甫の姿勢を、「胡人を防禦するのは人民のもつべき責務であることに思いつくと、たちどころに詠 みぶりをかえて、その青年たちを慰める」のだとし、これを杜甫がなお体制側に立つ表れとする。
次は、「潼関吏」である。杜甫と思しき「我」が、関所の役人に何のために工事をしているの か問うている。役人がそれに答えて説明するという会話形式で詩は展開する。
借問潼関吏 潼関の吏に借問すれば 修関還備胡 修関して還た胡に備ふ、と
要我下馬行 我を要して馬より下ろして行かしめ 爲我指山隅 我の爲に山隅を指す
杜甫を馬から下ろし、山隅を指しながら、関所を堅固に修築して胡に備えるのだという。それ に対して、かつて潼関を守り切れず、数万の兵を溺死させた哥舒翰の轍は踏まぬように訴える杜 甫の言葉で詩を結んでいる。
7 『杜甫伝』(馮至、1952年)。引用は、橋川時雄訳の『杜甫─ 詩と生涯』(1977年6月、筑摩書房)の119 頁。馮至(1905−1993)は中国の詩人、文学者。『杜甫伝』は、近年の中国における杜甫に対する評価 を知ることができる評伝。
哀哉桃林戰 哀しいかな桃林の戰 百萬化爲魚 百萬 化して魚と爲れり 請嘱防関将 請ふ 防関の将に嘱せん 愼勿学哥舒 愼みて哥舒を学ぶこと勿かれ
今度こそ最後まで堅守して欲しいと防関の将に訴える姿勢には、杜甫の体制側への期待感が詠 み込まれている。
そして、最後に置かれるのが「石壕吏」である。この詩で杜甫は冒頭と結びのみ、その存在を 見せる。もはや自身は何も語らない。役人も怒鳴るさまが描写されるばかりで具体的な文言の表 出はなく、老婆の口上で詩は展開する。最後も、「天明登前途 獨與老翁別(天明前途に登るに 獨り老翁と別れるのみ)」と、淡々と事実を述べて結んでいる。ここに、明らかな「姿勢の変化」
が見て取れる。もはや掛ける言葉もない杜甫は、民衆である老婆自身に語らせることによって民 衆に寄り添う姿勢を深め、最も雄弁にその惨状を描写したのである。
以上、「三吏」の配列に着目して杜甫の「発言の姿勢の変化と深まり」を追ってきた。この配 列及び作風の変化について、谷口真由実(2005)8は、「登場人物とストーリー展開の必然性」か らこのような配列になったとし、「石壕吏」を、「主役が「吏」から民衆へと転換する結節点」と 位置付けている。
国都・長安で「春望」を詠んだ当時の杜甫は、体制側への忠義心を持ちながら、それも叶わぬ 自らの身の上と、家族の惨状とを嘆いていた。それが、約1年後、地方官に左遷されたとはい え、なお体制側の立場にありながら、民衆を代弁する形で体制批判を展開している。長安時代の 杜甫は、自身のこのような変化を予想できただろうかと考えずにはいられない。「三吏三別」は、
民衆の苦悩を描写すると同時に、杜甫自身が抱える矛盾をも映し出しているのである。
以下では、上記の背景を踏まえて、日中両国の教科書では「石壕吏」をどのように扱っている か検証していく。
Ⅲ 日中両国における教材としての「石壕吏」の実際
Ⅲ-1 中国「語文」の教科書の「石壕吏」
中国では、〈杜甫詩三首〉という単元を設定していることは既に述べた。人民教育出版社課程 教材研究所は教材研究法をネット上で公開9し、この単元の目標は「探求式学習の追究」であり、
「詰込み教育」を廃絶し学生の自力による読解力を養成することであると解説している。
次に実際の教科書掲載部分を示す10。「石壕吏」は五言古詩だが【図2−1】・【図2−2】の ように載せる。
8 「杜甫「三吏三別」詩の世界─「新婚別」を中心に」(田部井文雄編『研究と教育の視座から 漢文教育 の諸相』所収、大修館書店)。
9 http://www.pep.com.cn「第五単元 単元説明」として張必錕(北京)の解説を載せている。
10 『語文 八年級上冊』(人民教育出版社、2007年3月第2版・2016年6月第7次印刷)
中国の古典作品に対する注釈は、総じて歴史的背景を詳しく解説しているので内容理解を兼ね て紹介しておく。
【図2−1】の脚注①西暦758年、安史の乱鎮圧のため、郭子儀、李校弼ら九位節度使は、
20万の兵を率いて安慶緒(安禄山の息子)が占領していた鄴郡(現在河南省安陽)を囲み、
勝利は目前かと思われた。しかし、翌春、史思明が派遣した援軍により、唐軍の内部矛盾が 続発し、形勢は逆転。敵軍の挟み撃ちにあい、唐軍は全軍壊滅状態に陥った。郭子儀らは撤 退して河陽(現在の河南孟州)に立てこもり、四方八方から壮丁を徴兵して兵力を補充した。
杜甫はこの時、洛陽から華州への帰路にあり、その道途に新安・石壕・潼関等の地を経た。
そこで目の当たりにした現実に基き連作詩を詠む。「石壕吏」はその中の一首。「石壕」、ま た石壕鎮。現在の河南省三門峡の東南に位置する。「吏」は、下級役人。ここでは地方の小 役人を指す。
また、【図2−1】中には見えないが、単元のはじめに出典テキストを『杜詩詳注』(中華書 局、1979年版)としている点も注目される。
Ⅲ-2 日本における「石壕吏」の採録状況と扱い方
日本では、「石壕吏」は主として高等学校の選択科目「古典B」の教科書に採録されおり、必 履修科目「国語総合」での扱いはない。そこで本項では、現行最新の「古典B」教科書(平成29 年2月検定済、平成30年度使用開始)における「石壕吏」の採録状況と、どのような単元が設定
【図2-1】 中国「語文」教科書掲載の
「石壕吏」 【図2-2】 中国「語文」教科書掲載の
「石壕吏」の続き
されているか等、扱い方の状況を分析する。
現行最新の「古典B」の教科書は、全9社から18種(古文・漢文が分冊になっている場合は合 わせて1種と数える)が発行されている。そのうち石壕吏を採録しているものは5社10種であ る。なお、2019年4月以降に使用が開始される教科書(平成30年2月検定済、31年度使用開始)
も「古典B」1種・「古典A」2社2種あり、このうち「古典A」1種に石壕吏が採録されてい る。以上の採録状況をまとめると【図3】のようになる。
発行者 単元の設定と扱い方の特徴
A社3種
※古A1種
「古B」1(分)…第二部・単元名「漢詩─古体詩」【人生】【社会】挿絵あり
「古B」2…漢文編Ⅱ・単元名「漢詩─古体詩」 以下、同上
「古B」3…漢文編Ⅱ・単元名「人生と社会─詩文」同テーマの詩文を混合して配列 訳詩(短歌)「石壕吏」(『竹乃里歌』正岡子規)付き、挿絵あり
※平成31年度使用開始教科書
「古A」…漢文編・単元名「物語─不思議な世界」 コラム「古体詩に親しむ」付き B社2種 「古B」1(分)…第二部・単元名「漢詩」訳詩(短歌)「石壕吏」(正岡子規)付き
「古B」2…第二部・単元名「漢詩」訳詩(短歌)「石壕吏」(正岡子規)付き C社2種 「古B」1(分)…詩3・単元名「李白と杜甫」関連地図あり
「古B」2…詩3・単元名「李白と杜甫」関連地図あり
D社2種 「古B」1(分)…第Ⅱ章・単元名「漢詩の鑑賞」【古体の詩】挿絵あり
「古B」2…同上
E社 「古B」(分)…第二部・単元名「漢詩〈古体詩〉」写真「現在の石壕村」あり
・同じ発行者が複数の教科書で採録している場合、「古典B」の一冊目を「古B」1のように表記してい る。「同上」は、掲載教材も全て同じことを示す。
・古文編と漢文編が分冊になっている場合は、(分)としている。
【図3】 高等学校の教科書における「石壕吏」の採録状況
上表で「石壕吏」がどのような単元に掲載されているかを示したが、より詳細に教材としての 扱い方をと把握するため、同じ単元に配列されている漢詩文を具体的に記す。
A社
「古B」1【人生】:「桃夭」(詩経)、「行行重行行」(文選)、「飲酒・其五」(陶潜)
【社会】:「子夜呉歌」(李白)、「石壕吏」(杜甫)、「売炭翁」(白居易)
「古B」2…同上
「古B」3…「桃夭」 ※俳句「漱石新婚」を添える。
蓁蓁たる桃の若葉や君娶めとる (『寒山落木』正岡子規)11 「飲酒」 ※【参考】として、『草枕』(夏目漱石)を載せる。
「子夜呉歌」、「石壕吏」 ※訳詩(短歌連作)(『竹乃里歌』正岡子規)
「雑説」(韓愈)
11 脚注に、「この句は友人の夏目漱石の結婚に際して作られている。」との説明がある。
B社
「古B」1…「月下独酌」(李白)、「石壕吏」 ※【古典の扉】─杜甫石壕吏(正岡子規)
「代悲白頭翁」(劉廷芝)、「長恨歌」(白居易)
「古B」2…「子夜呉歌」、「胡笳歌 送顔真卿使赴河隴」(岑参)、
「石壕吏」 ※【古典の扉】─杜甫石壕吏(正岡子規)、「長恨歌」
C社
「古B」1…「月下独酌」(李白) ※【参考】「夢李白」(杜甫)を載せる。
「石壕吏」 (関連地図付き)、「月夜」(杜甫)、「登高」(杜甫)、「登岳陽楼」(杜甫)
「古B」2…「秋浦歌」(李白)、「独坐敬亭山」(李白)、「月下独酌」、「早発白帝城」(李白)、
「石壕吏」、「月夜」(杜甫)、「登高」、「登岳陽楼」
D社
「古B」1…「行行重行行」、「責子」(陶潜)、「石壕吏」、「長恨歌」
「古B」2…同上 E社
「古B」…「桃夭」、「秋風辞」(漢武帝)、「飲酒」(陶潜)、「送別」(王維)、「漁翁」(柳宗元)、「石 壕吏」、「長恨歌」
以上から、全般的に漢文分野を二分し、前半で近体詩(日本の漢詩を含む場合あり)の単元を 設定し、その後、応用編として古体詩を扱う傾向があると分かった12。ちなみに、「石壕吏」を 採録していない教科書では、同じく杜甫の社会詩である「兵車行」を扱うことが多いようだ。な お、参考資料として掲載されている「訳詩」については、本論文「Ⅴ−2 訳詩の可能性」で言 及する。
Ⅲ-3 日本における「石壕吏」の扱い方の特徴 ─ 単元「古体詩」を生かすには ─
日本の高等学校の教科書は、「教材のアンソロジー」的な作りになっていることが多い。上記 の「古体詩」の単元でも、各時代の代表的な作品を年代順に配置した編集が一般的だ。多様な学 校形態や各校の生徒の実態に対応するにはこうした編集が適する面もあるが、学校現場では「古 体詩」は長くて難しそうだから、まずは「近体詩」を押さえよう等の意識が働き、限られた授業 時間数内での扱いに苦慮することは否めない。単元を生かすなら、「古体詩」の特性を捉え、作 品に対する理解を深めることを目指したい。
「古体詩」とは「近体詩」に対する呼称である。一般的には「近体詩」の規格にそぐわない詩 のことで、「近体詩」が確立した唐代以降も盛んに作られている。「近体詩」は盛唐の李白・杜甫 をもって完成をみたと言われているが、「古体詩」もまた両詩人によって完成の域に達するので
12 「近体詩」では、「独坐敬亭山」(李白)、「秋風引」(劉禹錫)、「九月九日憶山東兄弟」(王維)、「碩中作」、
「除夜寄弟妹」、「江村」(以上3篇杜甫)等を採録。日本漢詩は、「不出門」(菅原道真)、「冬夜読書」(菅 茶山)、「送夏目漱石之伊予」(正岡子規)等が見える。
ある。杜甫の社会詩も、「古体詩」という、韻律的な制約が少なく、また長さについては全く制 約をもたない、より自由な表現媒体を用いてこそ成立したのである。杜甫の社会詩は、中唐の白 居易らによって継承され、発展していく。
教科書においても、「古体詩」を系統的に学習しようとする要素が見られないわけではない。
例えば、【図3】の※「古典A」(平成31年度使用開始)では、単元「漢詩─自然と人生」(古 体詩:「桃夭」「石壕吏」)の後に、「古体詩に親しむ」というコラムを載せている。ここでは、
「古体詩」を、「民謡調の古体詩は、為政者を賛美し、あるいは遠回しに諫めるために用いられた り、そのような意図がこめられていると解釈されたりすることがある。」と説明し、前者の例と して「桃夭」を、後者の例として「石壕吏」を挙げる。さらに、「長恨歌」等を例示して、長さ の制限がない古体詩だからこそ物語詩といえるような長編作品も制作されたことに言及してい る。
「古典A」は特定の分野(この場合は「物語」)に特化して学ぶ科目であり、分野の偏りなく学 習する「古典B」とは性格が異なる。しかし、「古典B」でも「桃夭」「石壕吏」「長恨歌」を同 一の教科書で扱うことが多い。「石壕吏」などは、まさに「老婆の語りものがたり」的発想の詩 であるから、古体詩の特性を意識した授業を構築することは可能だろう。また、その方が相乗効 果を発揮して、個々の作品に対する理解も深まるに違いない。
Ⅳ 日中両国の「石壕吏」の本文と学習活動の比較
Ⅳ-1 本文の異同
本項では、教科書に掲載されている「石壕吏」の本文の異同について検証する。古典作品は、
その典拠とするテキストの違い等により、本文に異同が認められる場合もあるからだ。本項で示 す【図4】はB社のものである。ここでは第15句「孫有母未去」に限定して考察する。(※【図 4】中の「孫有」の囲みは筆者によるものである。)
この第15句は、【図4】の本文以外に、「有孫母未去」という異文が伝わっている。現存する杜 甫集のうち、最古のテキストである『宋本杜工部集』は「有孫母未去」となっている。この『宋本 杜工部集』は、後世の杜甫集の祖本ともなった点で最も信頼性の高いテキストとされている13。
ここで、前出【図2−1】の中国「語文」の本文を確認すると、宋本の「有孫母未去」を採用 している。それは、「語文」教科書が出典テキストとしている『杜詩詳注』(1979年版、中華書 局)が宋本に依っているからだと考えられる。各教科書の本文の採用状況を整理して示すと、次 のようになる。
有孫母未去…「語文」、A社 孫有母未去…B社、C社、D社、E社
では、この二つには、どのような意味合いの違いがあるのか、書き下し文と共に示す。
有孫母未去:孫有れば母未だ去らざるも(孫がいるので、母親はまだ去らないでいるものの)
孫有母未去:孫に母の未だ去らざる有るも(孫にはまだ去っていない母親がいるものの)
「語文」教科書【図2−1】の注釈⑬には、「(因為)有孫子在、(所以)他的母親還没离去。
13 『校注唐詩解釈辞典』(松浦友久編著、1989年11月、大修館書店)792頁の「テキスト解題」による。
((なぜならば)孫がいるので、(そのため)孫の母親はまだ去っていない。)」とある。
次に、この部分に対する日中の教師用指導書の内容をみていきたい。「語文」の教師用指導書 では、『唐詩鑑賞辞典』(霍松林、上海辞書出版社、1983年版)を引用して、「「孫母未便出、見吏 無完裙」に作るテキストもある。役人は嫁も出て来いと言っているのかもしれない。」(原文は、
「有的本子作「孫母未便出、見吏無完裙」、可見県吏是要她出来的。」)と解説している。ここで は、また新たな異文「孫母未便出、見吏無完裙(「孫の母未だ出ずるに便ならざるは、吏を見る に完裙無ければなり」(孫の母が表に出にくいのは、お役人さまにお目にかかろうにもまともな スカートがないからです。)」14を提示している。この異文は、門口に出て来ない嫁をかばおうと する老婆の意図は分かりやすいが、その態度が言い訳がましく卑屈に感じるとして評価は低いよ うである。
一方、日本の教科書ではA社のみが「有孫母未去」を採用する。そこで、A社の教師用指導書 等を見ると、出典を『杜甫 下』(中国詩人選集10、黒川洋一注)15としている。ところが、この 出典テキストは、「孫有母未去」となっており、教科書の本文とは齟齬が生じている。教師用指導 では、「一本は「孫有母未去」に作り、あるいは「孫母未便出、見吏無完裙」に作るテキストが ある。ここは、宋本の『杜工部集』に従った」と説明している。つまり、A社は出典としている ものとは異なるが、宋本の『杜工部集』の「有孫母未去」の方を教科書の本文に採用したという。
教科書の場合、出典テキストを「教育上の配慮」という理由で加筆・修正することもあるのだ。
日本の他の4社の教科書は「孫有母未去」としている。これらの教師用指導書では、その根
14 『杜詩詳註』の注にこの異文がみえる。
15 中国詩人選集第十巻『杜甫 下』(1959年3月、岩波書店)
【図4】 高等学校「古典B」の教科書本文
拠として『唐詩鑑賞辞典』16〔高橋稔執筆〕の、「『杜詩詳註』では「有孫母未去」としているが、
この句の孫は前の句の孫をすぐに承けてくるのが自然であると思われるので、他の諸本に従って おく。」を示している。
Ⅳ-2 学習活動の比較
日本の教科書の場合、教材として成立するには基本的に「学習の手引き」のような、具体的学 習活動を示すものが必要となる。しかし、高等学校の教科書においてはごく簡潔に示されている ことが多い。「石壕吏」の学習活動としては、各教科書で次のようなものが見られる。
・「婦」の「詞」はどこからどこまでか。また、そこからわかることを順にあげてみよう。
・「石壕吏」の詩について、時間の経過に注意して全体の構成を考えてみよう。
・「石壕吏」の詩で、作者が訴えたかったことは何か、話し合いなさい。
高等学校の教師用指導書においても、「学習活動」に対する解説は模範解答が簡潔に示されて いる以外に、指導法等が細かく書かれていることはあまりない。それよりも、語句や内容の解説 及び文法事項に多くを割くのが普通である。
では、中国の「語文」の教科書ではどうだろうか。高等学校と義務教育(日本の中学校段階)
という違いはあるが、次のような〈研究討議と練習〉(原文は「研討与練習」)が設定されてい た。
〈研究討議と練習〉
一 三首(「望岳」「春望」「石壕吏」)の暗誦をしなさい。
1.「石壕吏」で老婆が役人に申し述べる言葉は、全て役人から問い詰められて出たものだと いう説に同意しますか。同意するとしたら、その理由は何ですか。
二 「石壕吏」を記述文か、あるいは短い劇の脚本に書き換えなさい。
ヒント(原文は「提示」):役人と老婆はこの詩中の主要な人物です。彼らの各々の動作、言葉、
表情や態度をよく思い描いて創作しなければなりません。つまり、実際にはあったが詩人が 敢えて描写しなかった情景も補う必要があるということです。
この〈研究討議と練習〉に対する教師用指導書の解説もかなり詳細である。まず、この設問の 意図を「学習の目的」として提示し、学習活動を展開するポイントを具体的に3点挙げてどのよ うな発問をするかを示している。その概略を箇条書きにすると次のとおりである。
学習の目的:この詩の構造の巧みさを理解する。
ポイント① 役人はどうして夜間に捉えに来るのか。
② なぜ老翁は垣根を跳び越えて逃げたのか。
③ むせび泣いているのは誰か。
16 『唐詩鑑賞辞典』(前野直彬編、1970年9月、東京堂出版)の208〜209頁。
上記ポイント①〜③については、「本文の研究」(原文は「課文研討」)で、前出『唐詩鑑賞辞 典』を引用しながら解説している。その要点を次に示す。
・ポイント①について
「夜」…昼間は隠れたり抵抗されたりするため、人民の寝入みを襲うのである。詩人は「暮」
に投宿しているので、「夜」には既に眠りに入っている。以下、詩人は表舞台に登場 することなく、あくまでも傍観者という立場をとる。
「捉」…「征兵」(徴兵)、「点兵」、「招兵」ではなく「捉人」とするのは、役人の横暴さを表 現するためである。
・ポイント②について
人民は長期間、いつ捕まるか昼夜問わず不安でいる。そのため、たとえ夜であっても、役 人がまたやって来たことを聞きつければ、即刻、土塀を跳び越えて逃げるのである。
・ポイント③(※傍線は筆者による。)
老婆はすでに役人に連れ去られ、息子の嫁がむせび泣いている。作者はその声を強い関心
(親しみをもって)耳を傾け、夜通し寝付けないでいるのである。
ポイント③の発問は、「古典B」1社2種の教科書でも同様の脚問が見られた。この第22句
「如聞泣幽咽」では、誰が泣いて幽咽しているのかを巡っていくつかの異説がある。中国の教師 用指導書では上記傍線部のように「息子の嫁」であるが、日本の教師用指導書がどのように解説 しているか整理して示しておく。
ア説:孫の母(=息子の嫁)ひとり〔B社、A社〕
解説コメント…しかし、作者は夢うつつであるので定かではない。
イ説:孫の母と老婦〔A社〕
解説コメント…老婦が連行されたのは翌朝であろう。老翁はまだ戻っていない。
(異説としてア説とウ説も紹介している。)
ウ説:孫の母と老翁〔C社、A社〕
解説コメント…ただし、詩人はだれのものであるかを記さない。家族の嘆きを直叙せず、イ メージの世界で想像させる効果的な技法である。
(エ説):老婆と別れを惜しむ家族。(または、老婆が連れ去られ、残された家族)〔D社、E社〕
解説コメント…「如聞」で幅のある解釈を可能にしている。
参考として、上記ア〜ウ説に対する前出『校注唐詩解釈辞典』の解説を一部紹介する17。 中国ではア説が主流であり、日本ではウ説が通行している。状況を考えると、老婦が連行さ 17 注20『校注唐詩解釈辞典』の372頁。
れた直後であろうから、老翁も警戒してまだ家には戻っていないと見るのがよいか。イ説は 考えすぎであろう。
結局、詩人の「如聞(聞くが如し)」、つまり「聞いたような気がした」という姿勢が多様な解 釈を可能にしているのである。
Ⅳ-3 学習活動「脚本の制作」の検討
さて、中国「語文」の教科書の〈研究討議と練習〉の二にある脚本を作るという設問だが、こ ちらが主となる学習活動である。前項のポイント①〜③は脚本を制作するための導入となってい る。
では、「語文」の教師用指導書では脚本の制作をどのように指導しているのか、前項同様に
「学習の目標」と「ポイント」を示しながらみていきたい。
学習の目標:実践活動を通して詩に対する理解を一層深め、学生の想像力を育成する。
ポイント:詩のプロット(内容の段落構成)や細部を合理的に補足すること。
指導上の留意点(脚本制作の協議中に留意すべき点):
・劇全体をいくつの場面に分けたらよいか。
・詩人は登場させるべきかどうか。登場させるとしたら、どのような登場のさせ方をした ら良いか。
さらに、脚本制作を試みる場合、 最良の方策 を提案している。それは、まず、教師かある いは学生個人が作った たたき台 となる脚本を一つ示し、これを基にして討議しながら完成さ せていくというものである。ポイントを踏まえて討論をしていくうちに、学生は詩に対する理解 を深めることができるというのである。この「詩に対する理解を深める」という点が重要なので あって、 演出のための演出 であってはならないとも助言している。
日本でも 活動あって学びなし に陥りがちな授業を危惧する声が高まる中、このような提案 は参考になるのではないだろうか。
ところで、教科書に載っている挿絵は、詩に詠まれた情景を具体的にイメージして内容を理解 する一助となる。脚本を制作する場合、挿絵は一層重要な役割を果たすことになるだろう。そこ で、もう一度、前出の「語文」教科書【図2−2】の挿絵18を確認すると、老婆の後ろに「息子 の嫁」が乳飲み子を抱きかかえて描かれているのである。彼女は役人の前には出て来ないはず で、老婆も体を張って嫁と孫をかばうのであるからこの挿絵は良くない。同社別版の教科書を確 認すると、【図5】のような老婆だけが役人に応対している挿絵が載っていた。なお、「息子の 嫁」が描かれている挿絵は、2018年9月現在、人民教育出版社の電子課本網では確認できない。
18 『語文 八年級上冊』(人民教育出版社、2007年3月第2版・2016年6月第7次印刷)
日本の教科書では、【図6】のように朱梅村筆の挿絵を載せているものがある。この挿絵は、
老婆、役人、孫の母、そして詩人であろう人物が描かれており、演劇的(物語的)性格をもった
「石壕の吏」の理解と鑑賞に役立つだろう。ところが、筆者は以前この挿絵を見た生徒から、「な ぜ詩人は逃げないのか」という質問を受けたことがある。これに対して、別の生徒は、「この人 物は詩人ではなく、これから逃げようとする老翁ではないのか」と発言した。また、「この人物 が詩人ならば、なぜ見ているだけで老婆をかばわないのか」という疑問を抱く生徒もいた。
Ⅴ 古典学習の可能性
Ⅴ-1 漢文における「アクティブ・ラーニング」─ 詩人はなぜ逃げないのか ─
脚本制作は〈主体的・対話的で深い学び〉を実現するのに適した学習活動だが、毎回このよう な授業ができるわけではない。したがって、日頃から生徒の素朴な疑問を大切にすることが「ア クティブ・ラーニング」に繋がると考えている。特に「漢文」は、生徒と教師の認識に隔たりが ある場合が多いため、生徒の声を取り上げなければ教師の独りよがりな授業になってしまう恐れ がある。
筆者自身も、上記の発言が出た当時、「生徒は突拍子もないことを言うものだ」程度の認識し か持たなかったが、改めて考えるとこれらは重要な観点である。以下で考察してみたい。
①「なぜ詩人は逃げないのか」
詩人(ここでは杜甫)は、同時に官僚である。つまり体制側の人間であって徴兵の対象ではな く、しかも地方役人よりも高官なのだから、当然、逃げる必要などない。しかし、生徒が疑問を 抱くのはもっともなことで、「詩人=官僚」という図式は中国官僚制度が生み出した独特の構造 なのである。これについて、村上哲見(1980年)20も著書『科挙の話 試験制度と文人官僚』の
〈官僚と文学〉の項で、「唐宋の詩人や文章家というのは、いくらかの例外を含みながらも、多く の場合、一方では科挙の試験を経た官僚であった。というよりは、彼らの本質はむしろ官僚とい
19 『語文 八年級上冊』(人民教育出版社、2009年3月第1版・2014年6月第2次印刷)
20 『科挙の話 試験制度と文人官僚』(村上哲見、1980年、講談社(現代新書)。引用部は、講談社学術文 庫版(2000年4月)の34頁。
【図5】老婆と役人のみの挿絵19 【図6】A社「古典B」の挿絵 石壕吏(朱梅村筆)
う方にあるので、その官僚生活の中でつくられた詩や文章が、中国文学史の重要な部分を形成す ることになっている、という方がおそらく正確であろう。」と述べる。つまり、「この事実は、ひ とりわが国とくらべて非常に違っているというばかりでなく、世界の文化史の中で、きわめてま れな例」ということなのだ。おそらく、生徒の中には、中学校国語で「春望」と「おくの細道」
の関連学習をしたことにより、この当時の杜甫も、芭蕉と同じく創作のための旅に出ていたとい うイメージを持った者もいただろう。両者の旅の目的の違いは、明確にしなくてはならない。
②「挿絵の人物は、これから逃げようとしている老翁ではないのか」
この人物は詩人だと考えるべきであろう。人物の横には馬がいるが、詩人(杜甫)が馬に乗っ て旅をしていたことは、前出「潼関吏」詩の「要我下馬行(我を要して馬より下ろして行かし め)」からも推察できる。生徒は、芭蕉が徒歩で旅をしていたことから、詩人もそうなのだろう と思ったのかもしれない。
③「この人物が詩人ならば、なぜ見ているだけで老婆をかばわないのか」
この問いかけは、まさに、体制と民衆の狭間に立つ詩人・杜甫の自己矛盾を突いたものと言え よう。民衆の苦悩を目の当たりにして、もはや掛ける言葉もない詩人が、民衆である老婆に語ら せることによって体制批判を実現するのが「石壕吏」詩なのである。生徒の意見としては、「こ の老婆一人を救っても、何の解決にもならないから」というものが多かった。社会情勢から見れ ば、この意見は当然考えられることだが、詩の表現という観点からも理解も深めたい。
これらは、ほんの一部の例に過ぎないが、日常的な学習活動の中に「アクティブ・ラーニン グ」があるという認識が重要だと考える。
Ⅴ-2 「訳詩」の可能性 ─ 日本語の言語能力、創作力の育成 ─
今回、高等学校国語教科書における漢詩教材の採録状況を調査し【図3】を作成する中で、漢 詩を鑑賞する参考資料として「訳詩」の類(短歌、俳句等を含む)を取り上げる傾向があること に気付いた。
「石壕吏」に対しては、2社5種類の教科書で正岡子規の短歌集『竹の里歌』所収の「杜甫石 壕吏」21を載せている。実際の本文は【図4】にある「古典の扉」で見ることができる。
また、教師用指導書では、土岐善麿の訳詩集『新訳杜甫詩選』所収の「石壕吏」22を紹介して いるので示しておく。
「石壕のつかさ」 土岐善麿 (※傍線は筆者による)
日ぐれ 石壕の村にやどれば 夜 つかさ 人をぞ捉う 垣こえて 翁はのがれ 門に出でて 嫗は看る 怒りたち つかさの呼ぶに 苦しけく 嫗はなげく 進みいで 嫗の申す 「子らみたり みな 城を攻め
21 『竹の里歌』(1904年、俳書堂)の「明治31年(1898年) 讀杜詩(二十三首)」にある。
22 『新訳杜甫詩選』(土岐善麿、1955年11月、春秋社)の34〜36頁。
そのひとりの たよりとどきて ふたり いま 戦い亡せぬ 生けりとも しばしのいのち 死にたるは とわに終わりぬ 家のうち 人気なしとや 乳のみ児の孫あるのみぞ 孫の母 いまだは去らね 出で入りに まとうものなし 衰えし老の身ながら いざ つかさ 夜を従れゆかん さしせまる 可陽の役 いとせめて 朝餉は炊かん」
夜ふかく ひとごとたえて すすり泣く声きこゆらし しらじらと 空あけゆくに ひとり 翁と 立ち別れつる
この訳詩集『新訳杜甫詩選』では、上記のような日本語文語文による訳詩の下部に、漢文の原 詩を添えるというスタイルをとっている。本論文「Ⅳ−1」で、上記傍線部の本文の異同につい て検証したが、土岐善麿は「孫有母未去」を採って、「孫の母 いまだは去らね」と訳している。
その他、「古典B」の教科書では、王維の「竹里館」には佐藤春夫の訳詩集『玉笛譜』所収の
「竹里館」、「鹿柴」には同じく『玉笛譜』より「鹿柴」、杜甫の「絶句」には土岐善麿の訳詩集
『鶯の卵』所収の「絶句」、李商隠の「登楽遊原」には佐藤春夫『玉笛譜』所収の「丘にのぼり て」、『詩経』の「桃夭」には正岡子規の句集『寒山落木』所収の「漱石新婚」などが付されてい る。
漢詩の「訳詩」は明治以降、ヨーロッパの詩を翻訳した『於母影』(森鴎外)などの翻訳作品 詩集の影響を受けて作られるようになった、比較的新しい漢詩の受容方法である。それまでは伝 統的な書き下し文で受容することが普通であった。澤田瑞穂(1985年)23は土岐善麿の『鶯の卵 新訳中国詩選』解説で、書き下し文を介しない方式を、「洗練された邦訳すなわち日本語の「詩」
にしたいという試み」であるとし、訳詩に原詩のみを添えたスタイルの詩集を、「読者が訳詩を 諷詠しながら、同時に原作の凝結した文字美を無言の視覚を通じて味わうという、まさに日本人 だけに許された両面鑑賞の愉楽を提供するものである。『鶯の卵』はその方式を一書として創始 し、かつ確立したという点で、日本訳詩史の上で記念すべき詞華集」であると高く評価してい る。
漢詩の授業において「訳詩」は、書き下し文と口語訳以外の解釈手段として参考になる。なに より生徒にとって新鮮であり、新たな発見に結び付く可能性もある。【図4】の教科書では、子 規の短歌に、「子規は三句めで、一男、二男、三男を、太郎、次郎、三郎と解釈している。」と注 記している。一般に、「一男、二男、三男」を「長男、次男、三男」と解釈することはないだろ うし、子規もそのことは承知しているはずだ。この短歌が作られた明治31年(1898年)は、1894 年に勃発した日清戦争の最中であり、子規自身も従軍記者として1895年に中国遼東半島に渡り、
直後に病のため帰国している。子規は、杜甫の「石壕吏」と自身の戦争体験を重ね、反戦の気持 ちを込めて、より親密に「太郎、次郎、三郎」と呼んだ可能性は十分考えられる。
また土岐善麿は、前出『新訳中国詩選』の「あとがき─ 中国の詩の日本的な読みかたと訳し 23 『鶯の卵 新訳中国詩選』(土岐善麿、1985年3月、筑摩書房)の251〜253頁。
かたについて─」において、原詩を日本語としての古典性と格律性を保った訳詩にしようとす る過程を、「杜甫を読み、唐詩を読みながら、そのついでに日本語の「勉強」をしている」24よう なものだと語っている。これは、現代社会に生きる我々が「漢文」を学ぶ意義にも通じる。つま り、古典を学びながら、日本語の言語能力の育成を目指すという視点に立った指導が必要なので ある。
Ⅴ-3 中国の古典学習から学ぶこと
以上のように、本研究では日中の教科書及び教師用指導書を比較研究してきたが、中国の古典 学習において、日本が特に参考とすべき点を二つ挙げたい。
一つ目は「学習活動」の在り方だ。「石壕吏」は、中国では義務教育である第8年級(日本の 中学2年生)で扱い、日本では高等学校の選択科目で扱うというような学習者の発達段階の違い があるので単純に比較することはできないが、「石壕吏」の学習活動は「語文」の教科書に比べ て、「古典B」は抽象的で表面的と言えよう。従来、日本の高等学校の国語教科書は「教材のア ンソロジー」的な傾向があり、義務教育の教科書とは一線を画するものであった。しかし、今次
(2018年)の「学習指導要領」改訂により、古典学習においても「学習活動」の一層の充実が求 められるようになった。義務教育のように、懇切丁寧に「学習活動」を示す必要はないが、古典 という教材をどのように学び、その結果、どのような力を付けるかを再検討する良い機会にした い。その際、中国の「語文」に示された〈研究討議と練習〉は大いに参考となるだろう。
今一つは、出典の示し方である。「語文」の教科書では、「石壕吏」の出典を『杜詩詳注』(中 華書局1979年版)としている。一方、「古典B」では全ての教科書で『杜工部集』とするのみで あった。これは漢文教材全般に言えることなのだが、学習者が、場合によっては指導者である教 師も、出典を見ることを前提にしていない提示の仕方である。このような出典の示し方について は、既に菊地隆雄(2012)25が、中国の教科書では「信頼のおけるテキストクリティークを経た テキストで、しかも容易に見ることのできるものを挙げてある。」ことを例示して、日本の教科 書でも一考してはどうかと提言している。
日本の教科書の場合、前述のように「教育上の配慮」によって原文を加筆・修正することがあ るため出典が示しにくいという事情もあろう。しかし、漢文分野においても学習者の主体的な学 びや、生涯にわたる読書活動の推進を求める26のならば改善の余地はあるだろう。例えば、日本 の教科書では『杜工部集』について「杜甫の詩文集。」という注釈が付いている。ここに、高校 生でも手に取りやすいテキストを挙げる等の方策も考えられる。あるいは、現代文の「読書案 内」のようなコーナーを設置するのも一つの手段であろう。
24 『新訳中国詩選』(1955年、春秋社)の226頁。
25 「中国の古典教育から探る新しい漢文教材㈢ ─ 中国の高校の必修教材から─」(「新しい漢字漢文教育」
第55号、全国漢文教育学会)
26 平成29年度告示「高等学校学習指導要領 国語」第2章第2節「国語の内容」の2(3)「我が国の言語文 化に関する事項」の「読書」の「古典探究」に、「エ 先人のものの見方、感じ方、考え方に親しみ、自 分のものの見方、感じ方、考え方を豊かにする読書の意義と効用について理解を深めること。」とある。
Ⅵ 終章 ─ 日中両国の古典教育の展望 ─
2016年度、筆者は大学1年次必修科目「漢文学」を担当し、履修した学生約100人(日本語・
日本文学部)を対象に、日中共通漢詩教材の定着度を調査するためのアンケートを実施した。そ の結果は、杜甫の「春望」を、暗唱したと答えた学生が16%、内容をよく覚えている学生17%、
だいたい覚えている24%、あまり覚えていない16%、全く覚えていない15%、やっていない2%、
やったかどうか不明10%であった。一方、「石壕吏」は、暗唱した学生が0%、内容をよく覚え ている・だいたい覚えているが共に3%、あまり覚えていない7%、全く覚えていない19%、
やっていない69%、やったかどうか不明6%であった27。
このアンケートで「春望」の定着度は、「春暁」に次いで2位と判定された。律詩である「春 望」は中学校になって扱うのが一般的であるのに対して、「絶句」である「春暁」は小学校の教 科書に載っており、この段階で暗唱したことが結果を左右したのであろう。それにしても、「春 望」を習ったかどうかさえ定かではない学生が1割いるというのはどういうことなのだろうか。
「春望」は、中学校では全5社全ての教科書で採録している超定番教材である。しかし、このこ とが却って、高等学校では既習の教材としてごく簡潔に済ませている可能性もある。
筆者自身、高等学校で国語を教えていた際に、「春望」は重複教材であるので内容の再確認程 度で終わっていた。「石壕吏」については、扱わないこともあった。杜甫の作品では同じく社会 詩である「兵車行」を扱うこともあったし、杜甫以外の社会詩として白居易の「売炭翁」を取り 上げることもあった。また、何といっても長篇の「長恨歌」が控えているので、「石壕吏」は割 愛せざるを得ないというのが実情であった。しかし、本研究で中国の教科書の単元のような「春 望」と「石壕吏」との関連学習の効果が明らかとなったことにより、日本でも応用できると確信 した。
今後は、「石壕吏」と「兵車行」との差異に着眼した学習や、さらには後世の白居易の社会詩 に及ぼした影響を考える学習等、様々な可能性を追究していきたい。
最後に、中国の「語文」教科書の動向について言及しておく。中国国務院は、2017年9月の新 学期から、義務教育段階で「語文(言語・文学)」「道徳と法治」「歴史」の3教科において全国 統一の国家教科書の使用を開始する改訂を進めている28。電子課本網で確認できる新版『八年級 語文上冊』(2017年版)29には、従来の〈杜甫三首〉の単元はなく、初中版(中学校版)から「石 壕吏」は削除されているようだ。「春望」は、〈詩詞五首〉の一首という扱いで従来と同じく『八 年級上冊』に採録されており、「望岳」は『七年級下冊』の採録となっている。このような教科 書の構成は2017年版限定という可能性もあり、今後も注視していく必要があるだろう。
「自国の古典を継承しつつ、学習者主体の古典教育を実現する」ことを、日中両国に共通する 課題として本研究に取り組んできたが、人工知能(
AI
)等の技術革新により激変する社会の中 27 詳細は、「日中共通漢文教材の分析とその可能性─ 高大接続へのワンステップ─」(林教子、2017年3月、「武蔵野大学日本文学研究所紀要」第4号)を参照されたい。
28 「朝日新聞」朝刊13面(2018年1月13日)。
29 中国人民教育出版社「電子課本網」(http://www.dzkbw.com/books/rjb/chuzhong-yuwen/)にみえる。最終 閲覧日:2018年9月21日
で、古典教育が担う役割は何か、常に問い続けていかなければなるまい。この問に対しては、
「古典は教養の基盤であり、現代に生きる我々の言葉の源泉である」という観点から研究を継続 していきたい。
本論文は早稲田大学教育総合研究所研究部会「日中共通国語教材の研究」(部会主任:堀誠)
(2016−2017)の研究成果の一部である。