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論 文 の 和 文 要 旨

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論 文 の 和 文 要 旨

論文題目 奈良朝・平安朝前期の漢文学と文人

氏 名 梁 奕華

本論は、奈良朝から平安朝前期までのいわゆる「律令時代」における漢文学および それらを創作した文人の在り方を研究するものである。いうまでもなく、漢文学は奈 良時代以来の律令制度の輸入に伴ってもたらされたものであり、その変化・展開は政 治史的環境の変動と密接な関係を持っている。奈良朝・平安朝前期の漢文学の担い手 は主に男性官人であったが、彼らは文人でありながら、政務を執って国政運営に携わ る官僚でもあり、その政治理念と文芸理念は連動している。ゆえに、彼らによって作 り出された漢詩文を解読し、またその一方で彼らが如何に文学・政治に関与したかを 検討することは、奈良朝・平安朝前期の漢文学の特質の解明につながると考えられる。

このことはさらに、中国の文人との対照を通して、日本の文人の在り方と特質を究明 し、東アジア文化圏に日本漢文学を改めて位置づけ直すことにも資するはずである。

以上のような問題意識に基づき、本論では時代順に、Ⅰ「奈良朝の漢文学と文人」、

Ⅱ「嵯峨朝の漢文学と文人」、Ⅲ「宇多・醍醐朝の漢文学と文人」の三部に分けて、奈 良朝・平安朝前期の漢文学を考察し、またそれらを作り出した古代日本の文人の在り 方を検討した。

Ⅰ「奈良朝の漢文学と文人」は、律令制の草創期である八世紀の漢文学と文人を対 象とし、全五章の構成となっている。

第一章「藤原房前「侍宴」詩の解読について」では、藤原房前の「侍宴」詩を通し て、上代人が〈無為の治〉にも憧憬を抱いていることを検証した。藤原房前の「侍宴」

においては、「錯繆たり、殷湯の網、繽紛たり、周池の蘋」という句は従来難解とさ れているが、実際この句には〈無為〉と〈徳治〉の理念が含まれていると考えられる。

本章では、中国思想史における〈無為〉思想の重要性を確認した上で、「侍宴」詩の表 現を分析し、上代における〈無為〉思想を構成する重要な要素である〈徳治〉理念の 受容状況を考察した。

第二章「『懐風藻』における〈君無為臣有為〉の理念の受容と表現」では、第一章に 引き続き、〈無為の治〉の構造におけるもう一つの重要な理念である〈君無為臣有為〉

が如何に上代人の詩文に表現されているかという問題を考察し、『懐風藻』に見られる 君臣和楽と野無遺賢の表現によって、上代人が〈無為の治〉と君臣和楽のような王道 政治に憧れを持っていることを明らかにした。

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第三章「文武天皇の「述懐」詩に見られる無為と文治の理念」は、天皇の漢詩とし て現存最古の詩である文武天皇の「述懐」を検討するものである。文武天皇は「述懐」

詩の冒頭で「垂裳」という言葉によって、中国で最も理想的な統治形態とされた〈無 為の治〉への憧憬を表している。また、それを実現するために、末尾の二句では、「三 絶務」を行い「短章」を作ると詠じている。該当詩の冒頭から末尾まで、文治によっ て〈無為の治〉を実現するような理念が一貫していると見られる。この「述懐」に現 れる〈無為〉と〈文治〉の理念への憧れが平安初頭の「文章経国」思想の濫觴であっ たと考えられる。

それに引き続き、第四章「聖武朝における無為と文治の理念と漢詩文」では、聖武 朝に見られる〈無為〉と〈文治〉への憧れの様相を考察し、また天平文化の一部とし ての漢文学の開花がそのような憧れに根差しているものであるということを検証し た。特に、聖武朝における学制の改革、つまり後に紀伝道に発展していく文章科の設 置が、〈文治〉への憧れに基づいているのだということを論じた。

第五章「聖代の狂生」は、前の四章とは異なる主旨であるが、藤原万里――藤原不 比等の四男――の詠作と文人としての在り方を論じるものである。万里は高級貴族出 身であったが、世俗で理想とされる昇進に挫折し、詠作で反俗の気風を見せている。

万里の詩文と史書における万里の事績についての記録を分析することによって、

中国からの思想文化が急速に広まりつつあった天平時代を生きていた一文人が、昇進 上の挫折を味わい、如何に中国文人の価値観と処世態度を用いてそれと対抗したかと いう問題を検討した。

Ⅰ「奈良朝の漢文学と文人」では、主に中国で最も理想的な統治形態とされた〈無 為〉をキーワードとして、上代の知識人が如何にその思想を受け入れて、それへの憧 憬のもとで漢詩文の製作を盛んにしたかという問題を追求した。「無為」は前半の四章 を貫くキーワードであった。ここで最も注目したのは、〈無為〉における重要な一部で あり、また同時に儒家思想の核心の一つでもある〈文〉を重んじる理念が、如何に文 武天皇の詠作「述懐」に表現されたか、また如何に天平期における漢文学の隆盛を導 いたかということである。考察を通して、大陸文化を受け入れて律令制国家を建て始 めた当初から、古代日本はすでに儒家の文化至上的な側面を大いに受容したことが分 かる。そのような〈文〉を重んじる理念は、後の嵯峨朝にも受け継がれ、長く王朝文 化の根底に横たわり続けたと考えられる。

Ⅱ「嵯峨朝の漢文学と文人」は三章からなっており、平安遷都以後、漢文学が隆盛 を極めた嵯峨朝の文学と文人を取り上げて論じた。九世紀初めの嵯峨天皇を中心とす る弘仁天長年間は、いわゆる「摂関政治」がいまだ確立していない貴重なひとときで

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あった。言い換えれば、権力者の血統に連なる人たちではなく、高度な学識や才能を 持っている文人官僚たちが、「文章は経国の大業」という理念をかかげ、政治の中枢に 集まり、遺憾なくその能力を発揮しえた時代であった。

まず、第六章「文人天皇嵯峨の人と文学(一)」と第七章「文人天皇嵯峨の人と文学

(二)」では、嵯峨文壇の庇護者かつ指導者である嵯峨天皇の詩境を時代順によって詳 細に考察した上で、その詠作に表れた隠逸への思慕がどのように深まっていったかを 提示した。その隠逸志向は文遊活動に大いに関わっているということを検証し、さら にそれは文治の理念と通底しているものだと指摘した。同時に、そのような隠逸志向 は、初唐の「出処一致」「吏隠兼得」の理念の影響であることも明らかにした。

そして、第八章「嵯峨朝文人の吏隠兼得と山荘別業」では、嵯峨天皇以外の嵯峨朝 文人の隠逸志向を検討した。本章では、まず中国における隠逸の流れを確認してから、

嵯峨朝文人の吏隠兼得が初盛唐期の朝隠に最も近いものであることを検証し、さらに、

初盛唐期の朝隠における山荘別業の役割を検討してから、嵯峨朝文人の吏隠兼得理念 も山荘別業に託されたことを分析した。また、そのような理念は文章経国思想の高揚 によって保証されているものであり、内実も嵯峨天皇の隠逸志向と通底していること を論証した。

Ⅱ「嵯峨朝の漢文学と文人」では、「隠逸」をキーワードとして、嵯峨天皇および嵯 峨朝文人たちの隠逸志向とその在り方を考察した。嵯峨朝の天皇と文人たちが持って いる隠逸への思慕の実質は、精神上の「自適」にあると考えられる。すなわち、実際 に政治を離れて野に生活するというのではなく、精神上の自由や快楽を享受するとい う隠逸的な処世態度である。さらにこれを中国の隠逸と比べてみると、嵯峨朝の隠逸 には政治批判的な性格がほとんどなく、非政治的な性格が非常に強いと見られる。「隠 逸」という主題が平安中期以降「閑居」へと変換したのもその性格と大いに関わって いると考えられる。

Ⅲ「宇多・醍醐朝の漢文学と文人」は、藤原家が皇親として権力を占取し、前期摂 関体制が次第に形成され、律令機構の運営が硬化症状を呈してきた九世紀後半を生き た菅原道真とその岳父の島田忠臣の漢詩と文人官僚としての在り方を検討する内容で ある。

まず、第九章「島田忠臣の「分」意識(一)」・第十章「島田忠臣の「分」意識(二)」 では、中下級貴族の代表としての忠臣の上昇意欲を、「分」という字の使い方を通して 考察した。島田忠臣は菅原道真の岳父と詩友として知られている。彼は一般的に、俗 世間に背を向けた風月詩人として認識されている。ところが、忠臣にはまったく上昇 意欲を持っていないわけではない。むしろ官僚として、彼は生涯に亘って官界への執

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着を持っていると見られる。それは彼がその詩作で意識的に「分」の字を用いること から窺える。この二章では彼の詠作における「分」の使い方と彼の「分」意識を分析 した。忠臣の「分」の字を用いた詩作から、「曾侍緇帷知有分」(「仲秋釈奠」156)

とあるように、彼は自分の作詩に長じる天分と紀伝道出身の文人の身分に相応しい 職分を求める上昇意欲が読み取れる。その一方、「官銜隨分忝閑曹」(「身無繫累」

80)のような、命分・機縁にしたがうという、知足安分の態度が窺える作例も存在 するが、これは忠臣の最も得意な時期に詠じた作で、官職への希求が満たされれば、

悠々と閑適な暮らしを詠むのではないかと思われる。端的に言えば、忠臣は自分なり の価値基準を持っており、彼にとっては現在の「分」がしかるべきものであれば安 ずるが、そうではなければ自らの「分」を主張するような態度を採ると見られる。

忠臣の詠作から、自らの作詩に長じる天分を強調し、自分がもっと出世できる命分が あるはずと主張するような内容の詩を見出すことができる。忠臣がそのように自己の 価値を強調したのは、学閥が新たに確立してゆき、中下級貴族が高位高官に上がる機 会がほとんど断たれて、律令機構の中で許された地位にしがみつこうとするしかない、

という当時の時代背景と大いに関わっていると考えられる。

また、第十一章「菅原道真に関する一試論」では、道真が讃岐守に任じられた時に 作った詠作を手がかりとして、その家門意識を検討した。まず、本章では道真の「讃 州客中詩」における二つの作品群を確認した。「讃州客中詩」の中に、国司を務める自 分の立場を嫌悪し、京に帰還することを切望する作品が数多く存在する一方、国司の 政務に精励努力し、国司の立場から積極的に在地社会での様々な問題を告発して訴え ようとする作品も数多く見える。この二つの作品群は一見異なる方向にあるが、実際 両方とも道真の家門意識の表現だと考えられる。道真にとっては、国司の身分比べれ ば、やはり宮廷詩人のほうが自分の本分である。そのために、道真には「詩人無用論」

に対抗するために、国司の立場から積極的に在地社会での様々な問題を詠む作品を作 り、如何しても詩の実用性を堅持しようとした。詩儒の家門を守る強い意識はその「讃 州客中詩」からはっきりと見られる。そして、本章では、白居易との対照によって、

なぜ道真がそれほどの強烈な家門意識を持っているかという問題をさらに追求した。

対照を行った結果、中国の文人には儒家思想が根ざしているのに対して、奈良・平安 朝期の文人には経世済民的性格が薄いではないかと指摘した。

なお、附章の「菅原道真詩における散句」は、道真の漢詩に見られる、絶句・律詩 のリズムとは異なる、散文的なリズムを持つ散句についての考察である。「不出門」は 太宰府に左遷されてからの憂愁を歌い上げた菅原道真の名作である。就中、頷聯の「都 府楼/纔看瓦色、観音寺/只聴鐘声」は、『和漢朗詠集』(「閑居」)に収録された、人口 に膾炙する名句である。名句名作であるために、頷聯の表現を中心に該当詩の専論も

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多い。しかし、頷聯の二句が上三文字・下四文字で句切れをしている変則的な対句で あるという点については未だ論じられていない。また、頷聯のみならず、該当詩の第 七句の「此地雖/身無撿繋」もまた変則的な一句である。実際、「不出門」のみなら ず、道真詩には散句が比較的多く見られる。それらの散句を考察することによって、

道真が詩を作る時に訓み下しを意識していると推定し、また訓読を通して作詩するこ とは所謂「国風文化」への覚醒にも繋がるのではないかという推論を検証した。

Ⅲ「宇多・醍醐朝の漢文学と文人」で取り上げた忠臣と道真は、詩人無用論を前に した際、ともに「詩臣」の理念を打ち出して、宮廷詩人として自身の価値を主張しよ うとした。この「詩臣」の理念は、道真が『毛詩』の流れを汲んで持ち出した「言志」

の理念――つまり、宮廷詩宴で天子の命令を承けて「志」を「言」うこととも通じる。

しかし、中国では「志」が主に士大夫の経世済民の志向を指しているのに対して、道 真の「志」は宮廷詩宴で帝徳王道を歌うことである。ここには九世紀後期の文人の「志」

の矮小化が見られる。

終章では、これまでの各論を捉えかえす視点から、奈良朝・平安朝前期の漢文学の 特質とその時期を生きた文人の在り方を描いた。まず、資料や作品の検討から古代日 本における中国の儒家思想の受容は、非政治的文化的な面が大きいということが明ら かになった。中国の文人には儒家思想が根ざしているのに対して、奈良・平安朝期の 文人には経世済民的性格はほとんどない。それに連動して、奈良朝・平安朝前期の漢 文学の実作は非政治的な色彩を帯びている。このことは、従来指摘されてきたように、

中国文学が政治と非常に緊密的な関係を有するのに対して、日本文学は元来政治とは 強い関係を有さないという、両国の文学の性格と一致していると見られる。そして、

中国では唐宋を経る間に、六朝的貴族社会は完全に崩壊して消滅していくのだが、日 本では九世紀以降、律令によって支えられた中央集権的な制度が崩壊したのち、世襲 貴族の分立的秩序が新たに発展していく。そのような背景によって、唐代の文人が家 格を背負わないのに対して、菅原道真をはじめとする平安朝の文人は家格を背負い、

家門意識が強いという違いが生じたものと考えられる。日本では漢文学の世界のみな らず、その後和歌の世界においても家門流派が重んじられるようになる。つまり、平 安朝の文人には家門流派的な性格が強いとも言えるのである。

参照

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