明 治 二 八 年 の 写 真 術
│
│
﹃ 京名 所 写 真図 絵
﹄ に見 る 観 光の ま な ざし
│
│
岸
文 和
は じ め に 明治
二八 年﹇ 一八 九五
﹈四 月一 日︑ 第四 回内 国勧 業博 覧会 の開 催︵ 四月 一日 から 七月 三一 日ま で︶ に合 わせ て︑ 京 都 の名 所を 写真 で紹 介す る最 初の ガイ ド ブッ ク と して
︑広 池 千 九郎 編
﹃京 名 所 写真 図 絵﹄
︵ 小川 一 真 製版
/写 真 彫 刻 銅 板︑ 便利 堂︶ が刊 行さ れ た︒ 編者 で あ る広 池 千 九郎
︵一 八 六 六〜 一 九三 八
︶は
︑﹃ 日 本人 名 大 辞典
﹄に よ れ ば︑ 次 の よう な人 物で ある
!
︒ 明治
・昭 和時 代前 期の 歴史 家・ 教育 者︒ 慶応 二年 三月 二九 日生 まれ
︒小 学校 教員 をへ て︑ 明治 二八 年東 京へ で て
﹃古 事類 苑﹄ 編集 に従 事︒ 四〇 年神 宮皇 学館 教授
︒モ ラロ ジー
︵道 徳科 学︶ を提 唱︒ 昭和 一〇 年道 徳科 学専 攻 塾
︵現 麗沢 大︶ を創 設し た︒ 昭和 一三 年六 月四 日死 去︒ 七三 歳︒ 豊前 下毛 郡︵ 大分 県︶ 出身
︒著 作に
﹃東 洋法 制 史 本論
﹄﹃ 道 徳科 学の 論文
﹄な ど︒ 広池 は︑ 明治 二四 年﹇ 一八 九 一﹈
︑故 郷
︑大 分 県中 津 市 にあ っ て
︑地 方 史の 先 駆 をな す
﹃中 津 歴史
﹄を 発 行 し︑ 翌
― 47 ―
年 には 京都 に出 た︒ 京都 に来 るや
︑す ぐさ ま学 術雑 誌﹃ 史学 普及 雑誌
﹄第 一号 を発 刊す ると とも に︑ 皇室 研究 の出 発 点 とな る﹃ 皇室 野史
﹄を 刊行
︑ま た︑ 明治 二八 年に は︑ 京都 市の 依頼 で︑ 平安 遷都 一一
〇〇 年祭 にあ わせ て︑ 京都 最 初 の通 史で ある
﹃平 安通 志﹄ を編 集し た︒
﹃ 京名 所 写 真図 絵
﹄は
︑そ の よう な 広 池 の歴 史 的 関心 の 副 産物 で
︑平 安 遷 都 一一
〇〇 年祭 に連 動し て企 画さ れた 第四 回内 国勧 業博 覧会 を目 当て に京 都に やっ てき た観 光客 に︑ 数多 ある 京都 の
お も しろ き
名 所の うち
﹁極 めて 有益 にし て
!
怜な る名 勝﹂ を﹁ 僅々 六日 間﹂ で巡 覧す る方 法を 述べ たも ので ある︒縦 九
!
×横 一 二
・五
!
ば かり の小 さな 携帯 用ガ イド ブッ クで ある が︑ 発行 後一 五日 にし て再 版さ れて いる とこ ろを 見れ ば︑ 相当 に 売 れた よう であ る︒ 売れ た理 由は︑お そら く︑ その 簡明 な編 集方 針で あっ たよ うに 思わ れる
︒し かし
︑こ の種 のガ イ ド ブッ クに おい ては じめ て︑ 巻頭 に掲 げら れた 一六 点の 図版 のう ち一 四点 を占 める 写真 が︑ もっ ぱら
﹁見 る﹂ こと を 楽 しむ
││ 写真 を通 して すで に見
/知 って いる 場所 のイ メー ジを 現地 で指 さし て確 認す る│
│観 光の まな ざし を可 能 に した こと も理 由の ひと つで あっ たに ちが いな い︒ とい うの も︑ ジ ョン
・ア ーリ
︵
John Urry, 1946 −
︶ によ ると
︑近 代 に 固 有 の旅 の 形 態で あ る 観 光旅 行
︵
tourism
︶ にお い て 人 々が 追 い 求め る の は﹁ 旅行 会 社 の パン フ レ ッ ト や テ レ ビ 番 組 で見 るよ うな
︑一 連の 写真 的映 像﹂ だか らで ある
"
︒ア ーリ は言 う#
︒ 旅 行と は
︑出 か ける 前 に︑ 原 型と し て す でに 見 て いる イ メ ー ジの
︑自 分 用 に焼 直 し た も の を︑ 現 地 で 指 差 し て
︑そ こに 確か に来 たと いう こと を証 明す る作 業に 結局 なっ てい る︒ 写真 は︑ した がっ て︑ 観光 のま なざ しと 親 密 に結 びつ いて いる
︒写 真映 像は
︑こ れか らま なざ しを 向け よう とし てい る場 所に つい ての 予知 ある いは 白日 夢 を 構成 して くれ る︒
﹃ 京名 所写 真図 絵﹄ の巻 頭を 飾る 一六 点の 図版 とは
︵﹇
﹈ 内は 筆者 によ る補 註︶
︑︽ 桓 武帝 之御 真影
︾︑
︽ 大極 殿応 天 門
﹇平 安 神 宮
﹈︾
︑︽ 嵐 山﹇ 渡 月 橋
﹈︾
︑︽ 金 閣 寺
︾︑
︽ 三 十 三 間 堂﹇ 仏 像
﹈︾
︑︽ 知 恩 院﹇ 山 門
﹈︾
︑︽ 下 賀 茂﹇ 正 面 鳥 居﹈
︾︑
明治二八年の写真術 ― 48 ―
図1 《下賀茂》『京名所写真図絵』
明治28年
図3 高さ160! 15度上振り 表恒匡撮影
図2 高さ160! 水平 表恒匡撮影
図4 高さ160! 5度下振り 表恒匡撮影
― 49 ― 明治二八年の写真術
︽壬 生狂 言︾
︑︽
︵ 西︶ 本願 寺︾
︑︽ 三 條大 橋︾
︑︽ 島 原︾
︑︽ 伏 見稲 荷︾
︑︽ 祗 園祭 礼︾
︑︽ 清 水寺
︾︑
︽ 東本 願寺
︾︑
︽ 第四 内国 勧 業 博 覧 会︾ で︑ これ ら の うち
︑︽ 桓 武 帝 之御 真 影︾ と︽ 壬 生狂 言
︾の 二 点が 手 書 き の 原 画 を も と に し て い る 以 外 は
︑ す べ て 写 真 を 原 図 と す る 写 真 製 版︵ 網 版︶ で あ る︒
﹁ 製 版/ 写 真 彫 刻 銅 板﹂ を 担 当 し た の は
︑明 治 二 六 年
﹇一 八 九 三
﹈︑ 二 度目 の渡 米を 敢行 し︑
﹁網 版製 版用 の器 械と 共に 始め てエ ナメ ル法 を将 来︑ こゝ に本 邦の 網版 法は 殆ど 完成 さ れ た﹂ と記 され てい る小 川一 真︵ 一八 六〇
〜一 九二 九︶ であ る"
︒ 図版 のサ イ ズ は 小さ い な がら も
︑微 妙 な濃 淡 が 表 現 され てい て︑ 当時 の人 たち の目 を驚 かせ たに ちが いな い#
︒ 本論 の目 的は
︑し かし
︑こ のガ イド ブッ ク の印 刷
︵製 版︶ に 関す る も ので は な い︒ こ れら 一 四 点の 写 真 に 注目 し
︑ そ れら が﹁ 観光 のま なざ し﹂ とし て機 能す るた めに
︑ど のよ うな カメ ラで
︑ど のよ うに して 撮影 され たか を︑ 写真 を 集 中遠 近法 の観 点か ら分 析す るこ とに よっ て明 らか にし
︑再 現実 験を 試み よう とす るも ので ある
︒と いう のも
︑例 え ば
︽下 賀茂
︾︵ 図 1︶ をじ っく り見 れば
︑こ のよ うな 写真 を 私 たち が 日 常使 用 し て いる 一 眼 レフ
・カ メ ラ や携 帯 カ メ ラ など で︑ 手軽 に│
│﹁ シフ トレ ンズ
﹂と 呼ば れる 特殊 なレ ンズ など を装 着す るこ とな く│
│撮 影す るこ とは きわ め て 難し いこ とに 気が つく から であ る︒ 例え ば︑ カメ ラを アイ レベ ル︵ 視高 一六
〇
!
︶に 構え てレ ンズ を水 平に して 撮 影 する と︑ 鳥居 まで の地 面が 異様 に広 く 写 る︵ 図2
︶︒ そ こで
︑こ れ を 避け る た め に︑ 同じ よ う にカ メ ラ をア イ レ ベ ル に構 えて から
︑レ ンズ を一 五度 上方 に向 けて
︵上 振り して
︶撮 影す ると
︑今 度は
︑鳥 居が 向こ う側 に倒 れ込 むよ う に
││ 先細 りに
││ 見え ると とも に︑ 両側 にあ る立 札な ど︑ 本来
︑地 面に 垂直 に立 って いる べき 地物 が鳥 居の 方に 倒 れ 込 み︑ ど こか 不 自 然に 見 え る から で あ る︵ 図3
︶$
︒ も ちろ ん
︑図 1で も︑ 鳥 居両 側 に あ る井 垣 の 垂 直 部 材 が や や 内 側に 倒れ 込ん でい るよ うに 見え るが
︑図 2ほ ど顕 著で はな い︒ ちな みに
︑カ メラ をア イレ ベル に構 えて から
︑レ ン ズ を五 度下 方に 向け て︵ 下振 りし て︶ 撮影 する と︑ 鳥居 まで の地 面が 図2
より もさ らに 広く なる こと は言 うま でも な
明治二八年の写真術 ― 50 ―
い
︵図 4︶
︒ では
︑︽ 下賀 茂︾
︵ 図1
︶の よう な写 真を 撮 影 する た め には
︑い っ た い どの よ う なカ メ ラ で︑ どの よ う な 操 作を すれ ばい いの であ ろう か︒ この こと を明 らか にす るの が︑ 本論 の課 題で ある
︒ その ため に︑ 第一 章で は︑ 一四 点の 写真 がす べて 小川 一真 によ って 撮影 され たの では なく
︑す でに 流通 して いた 横 浜 写真 を流 用し たも ので ある 可能 性が 高い こと を明 らか にす ると とも に︑ 当時 の横 浜写 真の 技術 的水 準を
︑先 行研 究 に 依拠 して 整理 し︑ 明治 二〇 年代 には
︑湿 板か ら乾 板に 完全 に移 行し てい たこ とを 確認 する
︒第 二章 では
︑︽ 下 賀茂
︾
︵図 1︶ に写 って いる 鳥居 と楼 門の 実測 値/ 測量 図を 参照 し
︑集 中 遠近 法 の 観点 か ら 分 析し て 消 失点 を 割 り出 す こ と に よっ て︑ カメ ラの 視点 の高 さが およ そ一 八四
!
で ある こと を明 らか にす る︒ 第三 章で は︑ さら に︑ この よう な写 真 を 撮影 する ため には︑ビ ュー
・カ メラ
︵
View Camera
︶と いう 特殊 な大 判カ メラ を使 用し て︑ 撮影 時に レ ンズ の 光 軸 を 上方 に移 動︵ ライ ズ︶ しつ つ︑ 約五 度レ ンズ を傾 けな けれ ばな らな いこ とを 明ら かに する
︒お わり に︑ これ らの こ と を踏 まえ て︑ この よう な写 真を 見る こと によ って
︑観 賞 者が 撮 影 者の 目 と 身体 に 自 ら を重 ね 合 わせ る こ と がで き
︑ そ の結 果と して はじ めて
﹁観 光の まな ざし
﹂が 可能 にな るこ とに 言及 する
︒ 第一
章
﹃京 名 所 写真 図 絵
﹄と 横 浜 写真 日本
の写 真史 には
︑大 局的 に見 れ ば︑ 二つ の 流 れが あ っ たと 言 っ て よい
︒ひ と つ は︑ 嘉永 元 年﹇ 一 八 四八
﹈︑ 長 崎 の 商人
・上 野俊 之丞 がダ ゲレ オタ イプ
︵
Daguerreotype
︶ と呼 ばれ る銀 板写 真法
││ 感光 材料 とし て銀 メッ キし た 銅 版 を 使用 する
││ とカ メラ を将 来し たこ と には じ ま る︒ 安政 四 年﹇ 一 八五 七
﹈︑ 薩 摩 藩士
・宇 宿 彦 右衛 門 と 市来 四 郎 が 日 本最 古の 銀板 写真
︽島 津斉 彬像
︾を 撮 影し
︑安 政 五 年﹇ 一八 五 八﹈
︑ 今度 は
︑そ の 島 津斉 彬 が 新来 の 技 術で あ る 湿
― 51 ― 明治二八年の写真術
板 写真 法に よっ て︑ 日本 最古 の 湿 板写 真
︽姫 三 人像
︾を 撮 影 し︑ 文 久二 年
﹇一 八 六二
﹈︑ 上 野 彦馬
││ 上 野俊 之 丞 の 次 男│
│が 長崎 に最 初期 の写 真館 を開 いて 多く の 志士 の 湿 板写 真 を 撮影 し 始 め た・
・・ とい う 長 崎系 の 流 れ であ る
︒ も うひ とつ は︑ 一八 六〇 年代 から 一九
〇〇 年 頃に か け て︑ 開港 地
・横 浜 で︑ 海外 か ら の 観光 客 向 けの 土 産 物 とし て
︑ 日 本の 風俗 や風 景の 写真 を綴 り合 わせ た蒔 絵ア ルバ ムや
︑ガ ラス
・ス ライ ドの 形態 で販 売さ れて いた 横浜 写真 の流 れ で ある
!
︒横 浜写 真は
︑万 延元 年﹇ 一八 六〇
﹈頃 に来 日し たオ ーリ ン・ フリ ーマ ン︵
Orrin E . F reeman, 1830 − 66
︑滞 在 期 間
︑一 八 六二
〜六 六 年︶ が はじ め て 横 浜に 写 真 館を 構 え︑ 短 期間 な が ら︑ 肖 像写 真 を 撮 影 し た こ と に 始 ま る︒ 以 後
︑ウ ィリ アム
・ソ ンダ ース
︵
William S aunders, ? − 1893
︑滞 在期 間︑ 一八 六二 年︶
︑下 岡蓮 杖︵ 営業 期間
︑一 八 六 二 頃
〜七 六年
︶︑ フ ェリ ス・ ベア ト︵
Felix Beato, 1834 − 1908
︑営 業期 間︑ 一八 六三
〜七 七年
︶な どが 活躍 し︑ 明治 一
〇 年 代と もな ると
︑日 下部 金 兵衛
︵営 業 期 間︑ 一八 八 一〜 一 九一 四 年
︶︑ 玉 村康 三 郎︵ 営 業期 間
︑一 八 八二
〜一 九 一 六 年
︶︑ そ して ベア トの スタ ジオ を引 き継 いだ ライ ムン ト・ フォ ン・ シュ ティ ルフ リー ト︵
Raimund von Stillfried, 1839 −
1911
︑ 滞在 期間
︑一 八七 一〜 八五 年︶
︑ 明治 一八 年
﹇一 八 八五
﹈に は
︑シ ュ ティ ル フ リ ート の 日 本写 真 社 を買 収 し た ア ドル フォ
・フ ァー サリ
︵
Adolfo Farsari, 1841 − 91
︑ 営業 期間
︑一 八 八 五〜 一 九二 三 年︶ が 参入 し
︑横 浜 写真 は 世 界 で も有 数の ブラ ンド にな って いっ た"
︒
﹃ 京名 所 写 真図 絵
﹄の 制 作に 関 わ っ た 小 川 一 真 は と 言 え ば︑ 群 馬 県 熊 谷 で 湿 版 式 写 真 術 を 会 得 し て︑ 明 治 一
〇 年
﹇一 八七 七﹈
︑群 馬県 富岡 に﹁ 小川 写真 館﹂ を開 いた が︑ 明治 一五 年﹇ 一八 八二
﹈に はこ の写 真館 を廃 して
︑単 身渡 米 し
︑新 しい 感光 材料 であ る写 真乾 板の 製法 やコ ロタ イプ など 当時 最新 の写 真術 と印 刷術 を学 んで 明治 一七 年﹇ 一八 八 四
﹈に 帰国 した
︒翌 年に は︑ 東 京府 飯 田 橋に 写 場﹁ 玉 潤会
﹂を 設 立 し て︑
﹃写 真 新 報﹄ や美 術 写 真雑 誌
﹃国 華
﹄を 創 刊 した り︑ 凌雲 閣の 百美 人写 真や 東海 道を 撮 影し た り する な ど︑ 写 真師 と し て 活躍 す る 一方 で
︑﹁ 玉 潤館
﹂を 開 い て
明治二八年の写真術 ― 52 ―
図5−1 《清水寺》『京名所写真図絵』
明治28年
図6−1 《嵐山》『京名所写真図絵』
明治28年
図7−1 《三十三間堂》『京名所写真図絵』
明治28年 図5−2 《清水寺本堂》
京都府立総合資料館矢野家写真資料
図6−2 《嵐山渡月橋》
長崎大学附属図書館
図7−2 《三十三間堂》
長崎大学附属図書館
― 53 ― 明治二八年の写真術
写 真製 版を 始め
︑明 治二 六年
﹇一 八九 三﹈ には
︑再 び渡 米し て︑ 写真 銅版 印刷
︵網 版製 版︶ の技 術と 器械 を輸 入し た こ とを 顧慮 すれ ば︑ まさ に日 本全 体の 写真 界と 印刷 界を 牽引 した 人物 と言 うべ きか もし れな い!
︒
﹃ 京名 所写 真図 絵﹄ の巻 頭を 飾る 一四 点の 写真 につ い て は︑ 小川 一 真 が撮 影 し た もの と 考 える の が 普通 で あ る︒ し か し︑ 実情 はそ うで はな い︒ とい うの も︑ 管見 の限 り︑ 三点 の写 真が いわ ゆる
﹁横 浜写 真﹂ とし て流 通し てい たも の で あ る こ と が 確 認 さ れ る か ら で あ る︒
︽ 清 水 寺︾
︵図 5│ 1︶
︑︽ 嵐 山﹇ 渡 月 橋﹈
︾︵ 図 6│ 1︶
︑︽ 三 十 三 間 堂
﹇仏 像
﹈︾
︵図 7│
1︶ がそ れで ある
︒ま ず
︑︽ 清 水寺
︾︵ 図 5│
1︶ につ い て は︑ 舞台 上 の 人 物配 置 か ら︑ 京都 府 立 総合 資 料 館 矢 野家 写真 資料 のう ち︽ 清水 寺本 堂︾
︵ 図5
│2
︶の 上部 と 下 部を ト リ ミン グ し た もの で あ るこ と が 知ら れ る
︒矢 野 家 写真 資料 は︑ 矢野 豊次 郎氏 が収 集し た黒 川翠 山撮 影写 真︑ 京都 及び 近郊 の名 所写 真︑ 自ら が撮 影し た祭 礼・ 民俗 写 真 のコ レク ショ ンで
︑図 5│
2は おそ らく 矢野 氏が 購入 した 京都 名所 を写 す横 浜写 真で あろ う︒ 画面 右下 に白 抜き で 入 れら れた 長方 形の 名所 名が
︑フ ァー サリ 商会 の初 期に 帰せ られ る︽ 三十 三間 堂︾ と類 似し てい るの で︑ 明治 一八 年
﹇一 八八 五﹈ 以後 に撮 影さ れた もの と考 えて よ い"
︒︽ 嵐 山﹇ 渡月 橋
﹈︾
︵ 図6
│1
︶は
︑木 々 の枝 振 り から
︑長 崎 大 学 附 属図 書館 幕末
・明 治期 日本 古写 真 メ タデ ー タ・ デ ータ ベ ー ス 中の
︽嵐 山 渡 月橋
︾︵ 図 6│
2︶ の上 部 を トリ ミ ン グ し た も の で あ る こ と が 分 か る︒ た だ し︑ 図6
│2 は 撮 影 者︑ 撮 影 時 期 と も に 未 詳 で あ る
︒ま た︑
︽ 三 十 三 間 堂﹇ 仏 像
﹈︾
︵ 図7
│1
︶は
︑同 じく 長崎 大学 附属 図書 館 のコ レ ク ショ ン 中 で日 下 部 金 兵衛 に 帰 せら れ る︽ 三 十 三間 堂
︾︵ 図 7
│2
︶の 下部 をト リミ ング した もの であ るよ うに 思わ れる
︒日 下部 金兵 衛が 営業 を開 始し たの は明 治一 四年
﹇一 八 八 一﹈ で︑
﹃ 京名 所写 真図 絵﹄ が刊 行さ れた のが 明 治 二八 年
﹇一 八 九五
﹈で あ る か ら︑ まさ に 金 兵衛 の 脂 のの り き っ た 時期 のも ので ある
︒ これ ら横 浜写 真の 技術 的側 面に つい ては
︑ま ず︑ ネガ を得 るた めに
︑ガ ラス 製の 写 真乾 板
︵
Photographic P late
︶ を
明治二八年の写真術 ― 54 ―
利 用し てい たと 考え られ てい る︒ 写真 乾板 は︑ 島津 斉彬 が︽ 姫三 人像
︾を 撮影 する 時に 利用 した 写真 湿板
︵
Collodion
Process
︶ に 代わ る 感 光材 料 で︑ こ の 写真 湿 板 は︑ ガラ ス 原 板が 濡 れ た まま の 状 態で 露 光
・現 像・ 定 着 す る 必 要 が あ っ たた め移 動式 の暗 室を 必要 とし
︑ま た︑ 露光 時間 が五 秒か ら一 五秒 かか った ため 被写 体に 制限 が加 えら れて いた の に 対し て︑ 写真 乾板 は︑ 乾い ても 感光 性を 失わ ない ガラ ス原 板を 利用 する ため
︑暗 室が なく ても
︑随 時︑ 露光
・現 像
・ 定着 する こと がで き︑ しか も露 光時 間が 二五 分の 一秒 まで 短縮 され たた め︑ 瞬間 的映 像を 撮影 する こと が可 能と な っ た︒ 明治 一六 年﹇ 一八 八三
﹈に
︑東 京の 江崎 礼仁 が隅 田川 での 水雷 爆破 実験 など を撮 影し たの が乾 板写 真の 嚆矢 で あ ると され
︑同 年︑ 東京 の浅 沼籐 吉が 輸入 を始 め ると
︑明 治 二
〇年 頃 ま でに は
︑湿 板 写 真を 完 全 に駆 逐 し た とい う
︒ し たが って
︑横 浜写 真の 多く も写 真乾 板を 利用 して 撮影 され た可 能 性 が 高い
!
︒な お
︑ガ ラ ス板 上 の ネガ を 感 光/ 印 画 紙に 焼付 けて ポジ を得 ると きに
︑湿 板写 真が もっ ぱら 鶏卵 紙と 呼ば れる 印画 紙を 利用 して いた のに 対し て︑ 乾板 写 真 の時 代に なる と︑ 一八 九一 年に
︑イ ルフ ォー ド社 から
P. O. P.
︵
Printing O ut Paper
︶ が大 量に 生産 され るよ うに な り
︑横 浜写 真に も両 方の 印画 紙が 混在 して いる よう であ る︒ 第二
章
︽下 賀 茂
︾の 撮 影 法│
│ 視 点の 高 さ
﹃ 京名 所写 真図 絵﹄ 中の
︽下 賀茂
︾︵ 図1
︶が
︑誰 によ って
︑い つ頃
︑撮 影さ れた かは 判然 とし ない
︒し かし
︑横 浜 写 真と して 流通 して いる もの のな かに
︑類 似の 構図 をも つ下 賀茂 神社
││ 正式 には
﹁賀 茂御 祖神 社﹂ と呼 ぶ│
│の 写 真
︑す なわ ち正 面鳥 居︵ 南鳥 居/ 南口 鳥居
︶か ら楼 門を 見通 すと いう カメ ラア ング ルで 撮影 され た写 真を 多数 見い だ す こと がで きる から
︑こ の写 真映 像は まさ に﹁ これ から まな ざし を向 けよ うと して いる 場所 につ いて の予 知あ るい は
― 55 ― 明治二八年の写真術
白 日 夢 を構 成 し てく れ る﹂ も の とし て
︑古 都
=
京 都を 観 光 する ま な ざ しに と っ て不 可 欠 なも の で あ っ た に ち が い な い︒と はい え︑ 観光 が︑ 写真 を通 して すで に見
/知 って いる 場所 のイ メー ジを
︑現 地で 指さ して 確認 する 作業 であ る と す る なら ば
︑そ の こと が 可 能 なの は
︑写 真 がひ と つ の固 定 さ れ た目
︵視 点
︶か ら 見た 場 所 の視 覚 的 な 記 録 で あ っ て
︑旅 行者 は︑ 写真 その もの から
││ 消失 点を 手掛 かり にし て│
│撮 影者 の視 点を 同定 し︑ 自ら を撮 影者 の目 と身 体 に 重ね 合わ せる こと がで きる から であ る︒ では いっ たい
︑こ の写 真の 消失 点は どこ にあ り︑ 撮影 者の 視点 はど のよ う な 場所 の︑ どの よう な高 さに あっ て︑ どの よう なカ メラ を使 用し て︑ その レン ズを どの よう な方 向に 向け てい るの で あ ろう か︒ 出発 点は
︑写 真の 消失 点を 割り 出す こと であ る︒ しか し︑ この 作業 は︑ この 写真 の内 部情 報だ けに 依拠 して 行う こ と は 不 可能 で
︑写 真 外部 の 情 報│
│被 写 体 の実 測 値│
│を 参 照 しな け れ ば 行う こ と が で き な い︒ と い う の も︑ 例 え ば
︑写 真が
︑直 方体
││ すべ ての 面が 直行 する
││ によ って 構成 され た建 築物 を撮 影し たも ので ある なら
︑特 殊な 場 合 を除 いて
︑写 真の 内部 情報 のみ を手 掛か りに して 消失 点を 割り 出す こと は︑ 写真 が集 中遠 近法 の原 則に よっ て構 成 さ れ て い る 限 り︑ 容 易 で あ る!
︒ し か し︑ こ の︽ 下 賀 茂︾
︵ 図1
︶の 場 合 は
︑鳥 居 と 楼 門 と が 別 個 の 建 築 物 で あ り
︑ 鳥 居そ のも のも 二本 の円 柱に よっ ての み構 成さ れた もの であ るこ とに よっ て︑ その 種の 平行 線情 報が 欠落 して いる か ら であ る︒ そこ で︑ その 種の 情報 を補 うた めに
︑被 写体 とし ての 鳥居 と楼 門そ のも のの 実測 値︑ なら びに 両者 の位 置 関 係と 距離 を調 べる こと とし た︒ 楼門 は︑ 寛永 五年
﹇一 六二 八﹈ に造 替さ れた 三間 一戸 の入 母屋 造り 檜皮 葺で
︑昭 和二 八年
﹇一 九五 三﹈ に重 要文 化 財 に指 定さ れて いる
︒こ の建 物に つい ては
︑幸 いな こと に︑ 明治 四一 年の 修理 時に 作成 され た図 面が 京都 府文 化財 保 護 課に 残さ れて いて
︑各 部の 寸法 が判 明す る︒ 今回 の消 失点 割り 出し に必 要な 範囲 で︑ 正面 部分 の数 字を あげ るな ら
明治二八年の写真術 ― 56 ―
図9 高さ200! 水平 ライズ 表恒匡撮影
図10 高さ200 cm 5度上振り ライズ 表恒匡撮影
分析図 図8 高さ200! 水平 センター
表恒匡撮影
― 57 ― 明治二八年の写真術
ば
︑ま ず高 さに つい ては
︑一 階部 分の 頭貫
││ 深い 軒を 支え る平 三斗
︵大 斗肘 木の 上に 小斗 を三 つ載 せた 斗
#
︶を 支 え る四 本の 柱の 頂部 を水 平に 繋ぐ 横木
││ の底 辺︵ 分析 図の
b a
︶か ら礎 石︵ 分析 図の
d c
︶ま での 柱の 高さ が一 丈 二 尺一 寸五 分︵ 三六 八
!
︶︑ つ いで 幅に つい て は︑ 四 本の 柱 の 間隔
︵柱 の 中 心 を結 ぶ
︶を 言 うと
︑左 右 の 一間 部 分 が 七 尺八 分︵ 二一 五
!
︶︑ 広 い中 央の 一間 部分 が 一丈 一 尺 八寸
︵三 五 七
!
︶で
︑全 体 と し ての 桁 行 きは 二 丈 五尺 九 寸 六 分
︵七 八七
!
︶ とな る︒ 鳥 居は い さ さか 問 題 があ る︒と い う のも
︑ま ず
︑写 真 に写 っ て い る 鳥 居 と︑ 現 在 の 鳥 居
︵図 2︶ を 見 比 べ て み る と
︑基 本的 な形 態に 変化 はな いよ うで ある が︑ 鳥居 の上 部中 央︑ 最上 部の 笠木
・島 木と
︑二 本の 柱の 間を 水平 に繋 ぐ 貫 との 間に ある 額束
││ 額を 付け る場 所│
│の 幅が
︑現 在の もの の方 が少 しば かり 広い よう に見 受け られ るか らで あ る
︒案 の定
︑鳥 居は 二一 年毎 の式 年遷 宮に よっ て︑ これ まで 何度 も修 理/ 立替 が行 われ てい るは ずで ある が︑ 少な く と も昭 和九 年﹇ 一九 三四
﹈の 室戸 台風 の際 に︑ 周囲 の樹 木と とも に倒 壊し
︑再 建さ れた こと が判 明し た︒ 図1
に見 え る 巨大 な松 もこ の時 に倒 れた よう で︑ その 後︑ 楠が 植え られ たが
︑こ の種 はも とも とこ の地 には なか った もの で︑ 植 生 がす っか り変 化し てし まっ たよ うで ある
︒た だし
︑鳥 居に つい ても
︑幸 運な こと に︑ 京都 府総 合資 料館 デー タベ ー ス
﹁京 の記 憶ラ イブ ラリ
﹂の
﹁官 国 幣社 明 細 帳﹂ の部 に
﹁﹇ 官 幣大 社
﹈賀 茂 御 祖神 社 明 細取 調 書﹂ と いう 文 書
︵明 治 一 六 年﹇ 一 八八 三
﹈︶ が あり
︑﹁ 南 鳥 居/ 称一 の 鳥 居 一口
/間 一 丈 五尺 五 寸
﹇四 六 九
!
﹈﹂ と 記 さ れ て い る"
︒ こ こ で 言 う﹁ 間﹂ がど の部 分を 指す のか は 定か で は ない が
︑さ し あた り 鳥 居 の両 方 の 柱│
│﹁ 亀腹
︵饅 頭
︶﹂ と 呼ば れ る 台 石 の上 にあ る柱
││ の内 側を 結ぶ 線分
︑す わな ち︑ 向か って 左側 の柱 の足 元は 見え ない が︑ 分析
図に 破線 で示 した 内 側 の線 の延 長線 と︑ 右の 柱が 台石 と接 する 点
y
から 左右 に引 いた 水平 線e f
と の交 点をx
と した とき の線 分x y
と 考 え るこ とに する︒な お︑ この 種の 建造 物に つい ては
︑基 本的 に︑ 修理
・造 替時 に現 状が 保存 され るは ずだ と思 われ る
明治二八年の写真術 ― 58 ―
の で︑ 現在 のも のも 過去 のも のと 形状
・位 置と もに 大き く変 わっ てい るよ うに は思 われ ない
︒実 際の とこ ろ︑ 現在 の 鳥 居の
﹁間
﹂は およ そ四 五七
!
︵ 柱の 直径 は約 六四!
︶ であ った︒ 鳥居 と楼 門と の位 置関 係と 距離 のう ち︑ 距離 につ いて は︑ 当時 の状 況に つい ても
︑現 状に つい ても 不明 であ る︒ た だ し︑ 位置 関係 につ いて は︑ 当時 も現 在も
︑鳥 居と 楼門 は平 行に 建て られ てい るこ とと
︑鳥 居が 楼門 を南 北に 貫く 中 心 線 よ りも や や 西側 に 位 置 して い る こと に つ いて は 変 わ りが な い よう に 見 受け ら れ る︒ な お︑ 鳥居 と 楼 門 の レ ベ ル
︵水 準値
︶に つい て言 えば
︑当 時の こと は分 から な い とし て も︑ 現 状は
︑ほ ぼ 同 じ レベ ル に あり
︑こ の 種 の建 造 物 の 性 格か らし て︑ 当時 も同 じで あっ たと 考え ても よい よう に思 われ る"
︒ さて
︑こ のよ うな 情報 をも とに 写真 の上 で消 失点 を割 り出 す手 順は
︑次 の通 りで ある
︒た だし
︑あ らか じめ 断っ て お かな けれ ばな らな いこ とは
︑以 下の 手順 が写 真上 での 作図 によ って 行わ れる ため
︑そ の結 果は あく まで も概 算で し か な いと い う こと で あ る︒ さて
︑手 順 は
︑第 一 に︑ 鳥居 の 柱 の﹁ 間﹂
︵線 分
x y
︶は
︑台 石 のレ ベ ル
︵直 線
e f
︶ で 測 定さ れて いる よう に思 われ るの で︑ これ と同 じ線 分を
︑地 面の レベ ル︵ 直線
g h
︶に 求め て︑ これ を線 分
x’
y’
と す る
︒し たが って
︑線 分
x’
y’
は約 四 七
〇
!
であ る︒ち な みに
︑台 石 の 高 さは
︑現 状 で は︑ 三〇
!
ほ ど で あ る︒ 第二 に︑ 楼 門の 前面 部分 に︑ この
﹁間
﹂と 同じ 四七
〇
!
の幅 を求 める こと にす る︒ その ため に指 標と なる 数値 を求 めて 計算 す る と︑ 中央 部分 の広 い一 間が 約三 五七!
で ある ので︑こ れの 三分 の二 を計 算す ると 二三 八
!
とな り︑ これ に向 かっ て 右 の 一 間分 二 一 五!
を加 え る と︑ お よそ 四 五 三!
とな っ て︑ ほ ぼ鳥 居 の 柱 の﹁ 間﹂ に近 い 数 字 と な る こ と が 分 か っ た︒そ こで
︑第 三に
︑写 真上 で︑ 楼門 に向 かっ て右 端の 柱と おぼ しき 所に 垂直 な線
i j
を引 くと とも に︑ 中央 の広 い 一 間分 の三 分の 二と おぼ しき とこ ろに
︑斗
#
を 手掛 かり とし て︑ やは り垂 直な 線k l
を 引く︒第 四に
︑こ れら 二本 の 垂 直な 線
i j
な らび にk l
と︑楼 門の 基底 線︵ 正確 には 礎石 上の 線︶
d c
との 交点 をそ れぞ れ︑
x’’
点 なら びにy’’
点 と― 59 ― 明治二八年の写真術
す ると
︑線
x’’
分y’’
は ほぼ 四五 三
!
とな る︒ した がっ て︑ 鳥居 と楼 門と が平 行に 建て られ てい る限 り︑ 四角 形x’
y’’ y’
x’’
は
︑実 際に は︑ 同一 地面 上に ある ほぼ 平行 四辺 形と なる から
︑点
x’
と
x’’
点 とを 通る 直線m n
と︑ 同じ く点
y’
と
y’’
点 と を 通る 直線m n
との 交点
v
が 求め る消 失点︵
Vanishing P oint
︶と なる
︒ 写真 の消 失点 から
︑撮 影者 の視 点の 高さ
︵視 高︶ を求 める 手続 きは
︑い たっ て簡 単で ある
︒と いう のも
︑消 失点 を 通 る水 平線
q r
が︑ 透視 図法 で言 うと ころ の地 平線
︵
Horizontal Line
︶ であ るか ら︑ そ の高 さ が 視高 に 等 しい か ら で あ る︒ した がっ て︑ 地平 線の 高さ は︑ 鳥居 のと ころ に立 って 楼門 の方 を見 やっ てい る人 物の 頭上 の︑ かな り上 を通 過 し てい るか ら︑ 視高 も︑ 直観 的に
︑か なり 高い
││ 少な くと も写 真中 の人 物よ りも 高い
││ とこ ろに ある こと が分 か る
︒た だし
︑も う少 し正 確に 割り 出そ うと する と︑ 地平 線
q r
が︑直 線
a b
と 直線d c
のほ ぼ中 央を 上下 に二 等分 し て いる こと に気 がつ く︒ 直線
b a
は︑ 楼門 の頭 貫の 底辺 を繋 ぐ線 であ り︑ 直線
d c
は楼 門の 基底 線で ある から
︑両 線 の 間隔 はお よそ 三六 八
!
であ った︒し たが って
︑こ の間 隔を 二等 分す る地 平線
q r
と楼 門の 基底 線
c d
の 間隔 はお よ そ 一 八 四!
とな っ て︑ こ れが 求 め る 視点 の 高 さと い う こと に な る︒ 写 真中 の 人 物と の 関 係を 考 慮 す る と︑ 直 観 的 に は︑も う少 し高 いよ うな 気も する が︑ その 人物 の身 長が 分か らな い以 上︑ 何と も言 えな い︒ 第三
章
︽下 賀 茂
︾の 撮 影 法│
│ ラ イズ と 上 振り 写真
を集 中遠 近法 の原 理に 基づ いて 分析 し た結 果
︑視 点 の高 さ が およ そ 一 八 四
!
であ る こ とが 判 明 し た︒ そこ で︑ フ ィー ルド
・カ メラ
︵
Field C amera
︶ と呼 ばれ る野 外撮 影用
︵携 帯用
︶の ビュ ー・ カメ ラ を 用い
︑後 述 す る基 本 ポ ジ シ ョン で︑ 視点 を高 くし た効 果を 際立 たせ るた めに
︑レ ンズ を地 上か ら二
〇〇
!
の 高さ にセ ット し︑ 水平 に撮 影し て明治二八年の写真術 ― 60 ―
み た の が 図8 で あ る"
︒ こ の 写 真 を 見 ると
︑す でに 視点 の高 さ一 六〇
!
で 水平 に撮 影し た写 真︵ 図2︶に つ い て言 及し たよ うに
︑鳥 居ま での 砂 利 道が 異様 に広 く写 って いる こと に 気 付く
︒こ のよ うに 見え るの は︑ 消 失 点が 画面 の中 心に あり
︑し たが っ て
︑い わゆ る地 平線 が画 面を 上下 に 二 等分 して いる から であ るが
︑カ メ ラ で こ の よ う に 写 っ て し ま う の は
︑ レ ン ズ の 中 心︵ 光 軸
︶と フ ィ ル ム
︵感 光 面
︶の 中 心 と が 一 致 し て い る か らで ある
︒こ のこ とは 図2
の場 合 も 同じ であ る︒ ただ し︑ 図8
の方 の 視 点が 四〇
!
高 いこ とに よっ て︑ 鳥 居 と楼 門と の間 が広 く見 える こと だ け が異 なる︒そ こで
︑今 度は
︑フ ィ ー ルド
・カ メラ のレ ンズ を︑ 高さ 二
図13 Rise, Chris Heald, 2005 図14 Fall, Chris Heald, 2005
図11 View Camera, Chris Heald, 2005 図12 Rise/Fall, Chris Heald, 2005
― 61 ― 明治二八年の写真術
〇
〇
!
︑水 平に セッ トし たま ま︑
︿ ライ ズ﹀ して 撮 影 した の が 図9
であ る
︒こ の 写 真を 見 る と︑ 鳥居 と 楼 門と の 間 の 面 積は 図8
と同 じ広 さを 保持 しつ つ︑ 図8
とは 異な って
︑鳥 居ま での 砂利 道の 範囲 が狭 くな り︑ 本論 で再 現し よう と し てい る︽ 下賀 茂︾
︵ 図1
︶に かな り近 づい たよ うな 印象 をも つ︒ ただ し︑ 鳥居 まで の砂 利道 の面 積が まだ 広す ぎて
︑ 図 1に 近づ ける ため には
︑別 種の カメ ラ操 作が 必要 であ るこ とを 示し てい る︒ とも あれ
︑以 下︑ ビュ ー・ カメ ラの 構 造 が普 通の 一眼 レフ
・カ メラ とど のよ うに 異な り︑
︿ ライ ズ
﹀と は どの よ う な操 作 を 行 うこ と で ある の か を簡 単 に 説 明 する
︒
﹁ ビュ ー・ カメ ラ﹂ とは
︑独 立し たフ ァイ ンダ ーを もた な い 大判 カ メ ラの こ と で︑ そ の構 造 を 簡単 に 図 示し た の が
﹁ビ ュー
・カ メラ 模式 図﹂
︵図 11︶ であ る"
︒ その 物理 的構 造は いた って 単純 で︑ レン ズを 装着 する 前枠 部︵
Front Stan-
dard
︶ と︑ フィ ルム
・ホ ルダ ー︵
Film Holder
︶/ ピ ント
・グ ラス
︵
Ground Glass
︶を 装着 する 後枠 部︵
Rear Standard
︶ が
︑基 盤︵
Base
︶の 上に 垂直 に立 てら れ︑ その 間を 蛇腹 部が 繋ぐ とい うも ので ある
︒撮 影の 手順 は︑ まず
︑後 枠 部 に ピ ント
・グ ラス を装 着し て︑ 磨り ガラ ス上 に写 った 被写 体の 映像
││ 一八
〇度 倒立 して いる
││ を見 なが ら︑ 前枠 部 を 前後 に水 平移 動さ せな がら ピン トを 合わ せ︑ ピン トが 合っ たら
︑シ ート 状の フィ ルム の場 合は
︑ピ ント
・グ ラス の 前 にフ ィル ム・ ホル ダー を挿 入す るか
︑ロ ール 状の フィ ルム の場 合は
︑ピ ント
・グ ラス を外 して フィ ルム
・ホ ルダ ー を 装着 する
︒こ のカ メラ が一 眼レ フ・ カメ ラと 異 な る 最大 の 特 徴は
︑レ ン ズ 面︵
Lens Plane
︶ を︑ フ ィル ム 面︵
Film
Plane
︶ に対 して
︑上
・下
︵ラ イズ
・フ ォー ル︶
/左
・右
︵シ フ ト︶ に 平行 移 動︵ ス ライ ド
︶し た り︑ 時に は
︑レ ン ズ 面 を前
・後
︵テ ィル ト︶
/ 左右
︵ス イン グ︶ に回 転し たり する こと が可 能な 点で ある
︒ レン ズ面 とフ ィル ム 面 との 関 係 で 言え ば
︑図 11が 基 本ポ ジ シ ョン で
︑レ ン ズ の中 心
=
光 軸︵Lens Axis
︶が フ ィ ル ム 面の 中心 と一 致し てお り︑ この 点で は︑ 一眼 レフ
・カ メラ の場 合と 同じ であ る︒ した がっ て︑ 例え ば︑ 高い 塔を 撮
明治二八年の写真術 ― 62 ―
影 した とす ると
︑レ ン ズを 通っ た光 はフ ィル ム面 に︑ 13図
ある いは 14図
に共 通し て見 られ るよ うな 大き な円 形の 像│
│ 感 光に 支障 のな い範 囲の 円を
﹁イ メー ジ・ サー クル
﹂と 呼ぶ
││ を結 ぶこ とに なり
︑長 方形 であ るフ ィル ムそ のも の は
︑こ のイ メー ジ・ サー クル 内の 中央
││ 13図
と図 14に 示さ れた 長方 形の 枠の 中間
││ に位 置す るこ とに なる
︒そ の 際
︑重 要な こと は︑ レン ズ面 およ びフ ィル ム面 が地 平面 に垂 直に 保た れて いる 限り
︑地 平線 は必 ずフ ィル ム枠 の中 央 を 上 下 に二 等 分 する
││ 地 面の 面 積 と 空の 面 積 が等 し く な る│
│こ と にな り
︑こ の こ と は 図2 や 図8 に も 当 て は ま る
﹁ ︒ ライ ズ︵
Rise
︶﹂ とは
︑こ の基 本ポ ジシ ョン
︵図 11︶ から
︑レ ンズ 面を
︑上 方に
︑フ ィル ム 面 に対 し て 平行 に 移 動 す るこ とを 意味 する
︵図 12︶︒
この よう な操 作が 画像 にど のよ うな 変化 をも たら すか と言 うと
︑こ のカ メラ の場 合は
︑ フ ィル ム枠 の方 が固 定さ れて いる ので
︑イ メー ジ・ サー クル を上 方に 移動 する こと を意 味し
︑そ の結 果と して
︑図 13 の よう な地 面の 少な い画 像を 得 る こと に な る︒ 図9
がこ の よ う なラ イ ズ︵ 2
!
︶の 結 果 であ る
︒ち な み に︑
﹁フ ォ ー ル
︵
Fall
︶﹂ と は
︑こ れ と は逆 の 操 作│
│レ ン ズ面 を
︑フ ィ ル ム面 に 対 し て 平 行 に︑ 下 方 に 移 動 す る こ と
││ を 意 味 し
︑そ の結 果と して
︑図 14の よう な地 面の 多い 画像 を得 るこ とに なる
︒要 する に︑ ライ ズ/ フォ ール とは
︑レ ンズ 面 が フィ ルム 面に 対し て平 行に 移動 され る限 りに おい て︑ イメ ージ
・サ ーク ルの どの 部分 を︑ 長方 形の フィ ルム 枠に 定 着 する かの 問題 であ って
︑レ ンズ 面を 左右 に平 行移 動す るシ フト
︵
Shift
︶ の場 合も
︑そ の例 外で はな い"
︒ 最大 限の ライ ズを 行っ た結 果 と して 得 ら れた 図 9は
︑し か し︑ た しか に
︽下 賀 茂︾
︵図 1︶ に かな り 近 づい た よ う な 印象 があ ると して も︑ 鳥居 まで の砂 利道 の面 積が まだ 広す ぎる よう に見 える
︒し かも
︑す でに 述べ たよ うに
︑図 1 を じ っ くり と 観 察し て み る と︑ 鳥居 の 両 側に あ る 井垣 の 垂 直 部材 が 少 しば か り 鳥居 側 に
││ 写真 の 中 心 に 向 か っ て
│
│倒 れ込 んで いて
︑カ メラ のレ ンズ がや や上 方に 向け られ てい る│
│上 振り され てい る│
│こ とを 示し てい る︒ そ
― 63 ― 明治二八年の写真術
こ で︑ 図9
の写 真を 写し たカ メラ を︑ ライ ズの 状態 を保 持し たま ま︑ 上方 に五 度上 振り して 撮影 した もの が図 10で あ る
︒相 当程 度︑ 図1
に接 近し たよ うに 思わ れる が︑ いか がで あろ うか
︒ お
わ り に
︽ 下賀 茂︾
︵図 1︶ はラ イズ と上 振り の結 果で あ るこ と が 判明 し た が︑
﹃京 名 所 写 真図 絵
﹄に 含 まれ て い る他 の 写 真 に おい ても
︑程 度の 差こ そあ れ︑ ライ ズ/ フォ ール とい うレ ンズ の平 行移 動︵ スラ イド
︶と
︑上 振り
/下 振り とい う カ メラ の首 振り が併 用さ れて いる よう に思 われ る︒
︽ 嵐山
︾︵ 図6
︶は 定か では ない が︑
︽ 清水 寺︾
︵図 5︶ と︽ 三十 三 間 堂︾
︵ 図7
︶の 撮影 では
︑明 らか に︑ フォ ール と下 振 り が併 用 さ れて い る こ とが 見 て 取れ る
︒し た がっ て
︑こ れ ら の 横 浜 写真 を 撮 影す る た め には
︑ラ イ ズ/ フ ォー ル が 可能 な フ ィ ール ド
・カ メ ラが 必 要 であ る と 思 わ れ る の で あ る が
︑は たし て︑ 実際 に︑ どの よう なカ メラ が使 用さ れた のか とな ると
︑特 定す るこ とは 難し い︒ ただ
︑写 真乾 板が 輸 入
・製 造さ れる よう にな って 一般 化す ると
︑野 外で の撮 影が 容易 にな り︑ それ とと もに カメ ラも 携帯 可能 なよ うに 改 良 が加 えら れて
︑一 八八
〇年 代に は︑ 折り たた み式 の│
│し たが って 蛇腹 のあ る│
│カ メラ で︑ レン ズが スラ イド す る タイ プの フィ ール ド・ カメ ラが イギ リス など で出 現し たこ とだ けは 確か であ る!
︒ 一枚 の写 真が どの よう に撮 影さ れた もの で ある か は︑ 通 常の 場 合︑ 直 観的
/無 意 識 的 に認 識 さ れる こ と で ある が
︑ 観 光と いう 観点 から する と︑ きわ めて 重要 であ る︒ な ぜな ら
︑観 賞 者は そ の こと を 認 識 する こ と によ っ て は じめ て
︑ 自 らを 撮影 者の 目と 身体 に重 ね合 わせ
︑も っぱ ら見 るこ とを 楽し む観 光の 主体 へと 自ら を変 身さ せる こと が可 能に な る から であ る︒
︽ 下賀 茂︾
︵図 1︶ を撮 影し た人 物が 誰で ある かは 分か らな い︒ しか し︑ 観光 旅行 に行 く人 は︑ 実際 に
明治二八年の写真術 ― 64 ―
下 賀茂 神社 に参 拝す る前 に︑ この 写 真を 見 て︑ 撮 影者 が
︑少 し ばか り 高 い 所か ら
︵二
〇
〇
!
の視 高︶︑ 鳥 居と 楼 門 に 関 心 を 向け
︵ラ イ ズ︶
︑ その 間 に 広 が る 神 域 の 広 さ を 見 届 け て か ら
︑巨 大 な 松 の 木 が 枝 を 広 げ る 糺 の 森 を 見 上 げ た
︵上 振り
︶こ とを 認識 する
︒こ の認 識 は︑ 下 賀茂 に つ いて の
﹁予 知
﹂あ る いは
﹁白 日 夢﹂ を 構成 す る もの と な り︑ 旅 行 者は
︑実 際に 京都 の地 にや って 来て
︑撮 影者 と同 じ位 置に 立ち
︑そ のイ メー ジを 指差 して
︑確 かに ここ が下 賀茂 神 社 であ るこ とを 確認 する
︒観 光と 結び つい た写 真は
︑多 くの 場合
︑こ のよ うな 行動 が可 能で ある
︒ま た︑ その 撮影 目 的 か ら して
︑可 能 で なけ れ ば な らな い よ うに 思 う︒ し かし
︑こ の 写 真 の場 合
︑二
〇
〇
!
の視 点 の 高 さ を 確 保 す る の は︑実 際に は︑ 至難 の業 であ る︒ では
︑な ぜ︑ 撮影 者は
︑旅 行者 が容 易に 共有 する こと がで きそ うも ない 視点 の高 さ を 選択 した のだ ろう か︒ どう やら
︑こ のこ とに つい ては
︑撮 影者
/編 集者 に直 接聞 いて みな けれ ばな らな いよ うで あ る
︒答 える こと がで きる かど うか は別 にし て︒
" 註
﹃ 日 本 人 名 大 辞 典
﹄ 講 談 社
︑ 二
〇
〇 一 年
# 拙 論
﹁ 京 都 表 象 の メ デ ィ ア 史
│ 名 所 図 会 か ら 写 真 へ
﹂︑ 同 志 社 大 学 観 学 研 究 会 編
﹃ 大 学 的 京 都 案 内
﹄ 昭 和 堂
︑ 二
〇 一 二 年
︵ 予 定
︶
$ ジ ョ ン
・ ア ー リ
﹃ 観 光 の ま な ざ し
│ 現 代 社 会 に お け る レ ジ ャ ー と 旅 行
﹄ 加 太 宏 邦 訳
︑ り ぶ ら り あ 選 書
︑ 法 政 大 学 出 版 局
︑ 一 九 九 五 年
︑ 二 四 九 頁
% 郡 山 幸 男
﹃ 印 刷 読 本
﹄ 印 刷 雑 誌 社
︑ 一 九 四 二 年
&
こ の ガ イ ド ブ ッ ク の 内 容 と 意 義 に つ い て は
︑ 中 川 馨
﹁ 観 光 と 写 真
│ 明 治 期 の 写 真 集 に 見 る 京 都
﹂︵ 京 都 映 像 資 料 研 究 会 編
﹃ 古 写 真 で 語 る 京 都
│ 映 像 資 料 の 可 能 性
﹄ 淡 光 社
︑ 二
〇
〇 四 年
︶ 参 照
︒ ' 鳥 居 が 向 こ う 側 に 倒 れ 込 ん で い る よ う に 見 え る の は
︑ 被 写 体 と レ ン ズ が 平 行 で な く な り
︑ 被 写 体 と レ ン ズ と の 距 離 に 遠 近 が
― 65 ― 明治二八年の写真術
生 ま れ る か ら で あ る
︒
"
佐 藤 守 弘
﹃ ト ポ グ ラ フ ィ の 日 本 近 代
﹄︵
﹁ 視 覚 文 化 叢 書
﹂ 第 三
︑ 青 弓 社
︑ 二
〇 一 一 年
︶ な ど 参 照
︒
# 横 浜 写 真 は
︑ 明 治 三 三 年
﹇ 一 九
〇
〇
﹈︑ 安 価 で 大 量 生 産 が 可 能 な
﹁ 絵 は が き
﹂ の 民 間 販 売 が 解 禁 さ れ て か ら 衰 退 し た
︒ 横 浜 開 港 資 料 館 編
﹃ 増 補
/ 彩 色 ア ル バ ム
/ 明 治 の 日 本
│ 横 浜 写 真 の 世 界
﹄︵ 有 隣 堂
︑ 一 九 九
〇 年
︶ な ど 参 照
︒
$ 細 馬 宏 通
﹁ 小 川 一 真 関 係 年 表
﹂︵http://www.12kai.com/history/ogawa.html
︶ 参 照
︒
% 横 浜 開 港 資 料 館 編
﹃ 増 補
/ 彩 色 ア ル バ ム
/ 明 治 の 日 本
│ 横 浜 写 真 の 世 界
﹄ 前 出
︑ 一 三 二 頁
&
同 前
︑ 二 三 五 頁 ' 特 殊 な 場 合 と は
︑ 例 え ば
︑ 直 方 体 の 建 物 の み を 正 面 か ら 撮 影 す る よ う な 場 合 で あ る
︒ ( 明 治 一 六 年 に
︑ 京 都 府 が
︑ 府 内 の 官 国 幣 社 の 由 来 や 財 産 等 に つ い て
︑ 内 務 省 に 報 告 し た 文 書 の 写 し
︒ な お
︑ 同 じ 資 料 に
︑
﹁ 楼 門
/ 桁 行 二 丈 六 尺 二 寸
/ 梁 行 一 丈 四 尺 四 寸
﹂ と あ る
︒ ) 一 眼 レ フ
・ カ メ ラ を 視 高 一 六
〇! で 水 平 に 設 置 し
︑ 鳥 居 の 接 地 面 と 楼 門 の 接 地 面 に
︑ 同 じ 一 六
〇! の 高 さ に 先 端 が 来 る よ う に 調 節 し た 三 脚 を 置 い て
︑ カ メ ラ を 覗 け ば
︑ 鳥 居 に 設 置 し た 三 脚 と 楼 門 に 設 置 し た 三 脚 の 先 端 と は ほ ぼ 同 じ 高 さ で 一 致 し
︑ か つ 画 面 の 中 央 を 水 平 に 横 切 る 線
︵ 地 平 線
︶ の 上 に 位 置 す る
︒
* カ メ ラ はTOYOFIELD45AII
︑ レ ン ズ はSchneiderAPO−SYMMER5.6/180
を 使 用 し た
︒ +://amw_cie/Vkiwig/a.ordipekien.witpChrht2005,”,eraamCwie“Vld,eaHisera , 北 方 ル ネ サ ン ス の 画 家 ア ル ブ レ ヒ ト
・ デ ュ ー ラ ー
︵AlbrechtDürer,1471−1528
︶ の 描 く
︽ 透 視 図 法 の た め の 照 尺 装 置
︾ は
︑ こ の よ う な 操 作 が
︑︿ ま な ざ し
︵ 関 心
︶ の 方 向
﹀ と し て
︑ 絵 画 制 作 に お い て 意 味 が あ る と 認 識 さ れ て い た こ と を 示 し て い る
︒ 拙 著
﹃ 江 戸 の 遠 近 法
│ 浮 絵 の 視 覚
﹄ 第 三 章 第 三 節
﹁ 豊 春 の 革 新
﹂︵ 勁 草 書 房
︑ 一 九 九 四
︶ な ど 参 照
︒ - 富 士 フ イ ル ム プ レ ゼ ン テ ッ ク 編
﹃FUJIFILMPHOTOMUSEUM
展 示 品 図 録: 写 し て 遺 し た 写 真 の 初 期
│ 写 真 初 期
・ 乾 板 か ら フ イ ル ム へ
︑ 小 型 カ メ ラ 時 代 が 始 ま っ た
﹄ 富 士 フ イ ル ム
︑ 二
〇
〇 九 年
明治二八年の写真術 ― 66 ―