• 検索結果がありません。

伝統文法と構造主義 : 日本英文学会シンポウジア ム報告に添えて

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "伝統文法と構造主義 : 日本英文学会シンポウジア ム報告に添えて"

Copied!
25
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

伝統文法と構造主義 : 日本英文学会シンポウジア ム報告に添えて

著者 貞方 敏郎

雑誌名 主流

号 25

ページ 93‑116

発行年 1964‑01‑31

権利 同志社英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016681

(2)

伝統文法と構造主義

一一日本英文学会シンポウジアム報告に添えて一一

貞 方 敏 郎

去る 5月に開かれた第35回日本英文学会大会におけるシンポウジアム7 部門のうち2部門は英語学に関するものであった.すなわち第6部門「構 造言語学と英語学についてj と第7部門「伝統的な文法について」であっ た.私は委嘱をうけて,構造言語学の部門を担当したが,その立案に当っ て, もう一つの部門の議題名にある「伝統的な文法」という語句が少々気 にかかった1"伝統的な文法Jと大体において同義と考えられる「旧来の 文法」とか「従来の文法」というのは,しばしば耳にするし,また自分で も不用意に口にすることばであるが,こういう場合ラわれわれ比何か今 まで行われているのとは違った,新しいスタイルの文法の存在を意識して いることは間違いないようだ.

新しい文法といえば,今日ではおそらく誰でもが構造言語学を母体とす る文法,特にアメリカ構造主義文法を考えるであろう.そしてそれ以外の 文法をすべて「伝統的」と呼ぶかも知れない.しかし私くらいの年代の者 は,伝統文法というと,これよりもう一つ前の段階,すなわち科学文法ま たは理論文法が現われる以前の段階の文法9 年代的にいうならば20世紀に 入るまでに普遍的であった (HenrySweet以前のといってもよい〉いわ ゆる学校文法を指すとも考えられるのである.実際に,教科用の目的をも っ学校文法は今日まで数世紀にわたる伝統をもつものであって,構造主義 文法や,さらに新しい変形分析文法が現われている現在においても,それ

(3)

94  伝統文法と構造主義

はそれなりに存在理由と親近感を失つてはいず,現に語学教育の分野では,

方法改善の新方式がどれほど提唱されても, いわゆる伝統的学校文法の占 める比重は絶大である.

これを逆にして,構造主義文法を新しい文法とすれば, それと対立する ような相手の文法というのはいったいどの文法を指すのかも問題となって くる. もともと言語学が言語の構造を究める学問であるならくこういう見 方も可能である.少くとも言語構造を無視して言語の科学は成り立たな い〕名称に関する限りでは言語学はすべて構造言語学的であるといってさ しっかえはない訳である. しかし今日の構造言語学が「新言語学」 (New  Linguistics) と呼ばれるゆえんは9 それが多くの流儀に分れてはいても9

f

可か共通する独自の理論をもっているからであり9 従ってこれを一箇の流 派的活動と見るべきであろう.構造主義 (Structuralism)に共通な特徴を 簡単に表現することはむつかしいことである.がタ次の二つの点は,はっ きりと言えると思う. 1.意味を分析の基準としない. 2. 言語ど構成し ている個々の要素を,個々の要素としてではなし全体構造の一部をなす ものとして扱う. このような態度はラ よく考えてみると,従来の文法理論 の中にも部分的には見られぬものでもない. とすれば,従来行われていた 一切の文法を含めてこれを構造主義文法と対立すると考えてもよいのだろ うか. またこの新しい文法を生んだ構造言語学自体が, さまざまな流儀を 含んで学問の内容に常に変容があるので3 時代的に見てもそれがどこから 始まるのかは必ずしも明確ではない. ヨーロッパの学派を除き,流派をア メリカ構造言語学に限I), SapirないしBloomfieldを「教祖」 と見ても,

明確に構造主義的文法と銘をうつことのできる著述は 1930年代におL、て,

まだ現われていない. 「伝統文法」 と「構造主義文法」の概念が, かくの ごとく内容的にも時代的にもあやしく(少くとも私にとって〉構造言語学 のシンポウジアムの議題について考えはじめると,実はこんな所からすで に解決すべき問題を課されてしまったという感がするのであった.

(4)

伝統文法と構造主義 95 

われわれは,今まで文法と言えば,ます、実用文法と科学文法の二つに大 ざっぱに分ける習慣をもっている.そしてそれはそれでよいと思う.実用 文法とは,いうまでもなし一国の言語を習得する手段としての学習文法 である. (同時に自国語の再認識を目的とする場合もある〉 いわゆる学校 文法 (SchoolGrammar)と呼ばれるもので, 主として語学的内容をもっ と同時に修辞学的な面を含むことも多い. これに対し科学文法または理論 文法と呼ばれるものは,言語の科学的研究でありラ言語を体系として記述 しその構造を明らかにすることを主目的とする.共時的(記述的〉ラ 適時 的(歴史的

L

思弁的(心理学的〉な方法によりヲ記述文法,塵史文法フ一 般文法などの下位の分類ができる.構造主義文法は,それがそデノレとして 新しいものであっても,上記の枠 (H.Sweetによる〉の中にその位置を 求めるなら,科学文法のうち純記述文法に属することは確かである.

英文法の歴史を通観していくと, 18世紀以来タ古典語(特にラテン)の 文法を範とすることから始まり,その方法は古典語以外の近代語や9 英国 人みずからの国語である英語にまで踏襲されて,構造を全く異にする言語 にラテン文法の持ち込みをするという無理が長く行われてきた.それはし ばしば便宜主義に陥り,現実の言語現象をゆがめた理屈に合わない記述や 説明を生じたり, もっといけないことは,語法の正否を文法学者が勝手に 決めてしまうという不合理があった.19世紀の終り頃までは実際には文法 とは多くはこのようなものであった. ところで, この種の文法は現在かえ りみられないかというと,決してそうではなく,新方式による語学教授方 の発達している今日でも,最初から教科用の呂的をもって編まれた文法と して優れたものが数多く用いられておりp その中には相当に科学的な考慮 が払われているものもある.突を言うと,語学を教授したり習得したりす る者にだけでなく,将来において高度の文法学の道を志す者にとっても学

(5)

96  伝統文法と構造主義

校文法はまことにありがたい存在なのである.文法の規則や語法上の指針 や練習問題の羅列ばかりのような学校文法も9 その優れたものは何れも深 い経験と長い伝統に培われて完成されたもので,後の学問的体系を具えた 科学文法の母体ともなった立派な文化財である.これをわれわれは「伝統 文 法Jと呼んでよいと思う.

然し一方9 文法によって言語の科学的な操作をしようとする言語学者ま たは文法学者たちは,文法が Artof Languag巴として単に規範の集積で あることに満足しない.被等は現実の言語現象を9 あくまで客観的に,あ ます所なし体系のうつわの中に記述することを第一目的とする.そのた めにはp 中心地の言語,地方の言語,上流社会の言語,下流社会の言語,

現在及び過去の言語の何れであるかを問わず,それぞれの枠内で体系を保 っている層域を単位とし,現実に話されている(また話されていた)言語 のすべてを調査の対象とする.そして得られた資料に基づいて Ruleを得,

Patternを引きだし,その言語に固有の文法範曙や音韻組織を発見し, そ の言語の正確な様相を一体系として記述し説明しようとする.記述が体系 をなすためには,観点はいきおい共時的態度となる.通時的〔歴史的〉観 点よりなされる記述は項目的個別的となり,組織的な綜合的措握は困難と なる.現に記述的 (Descriptive)と歴史的(Historical)とは対立する用語 として文法理論では用いられている.要するに科学文法でやることは,学 校文法で行われるような,規範 (Rules)に基づく文法作りの操作でなく9

資料 (Data)に基づく, あるいは事実 (Facts)に基づく,文法の発見で ある.このような科学的文法論を組織的に最初に示した点でHenrySweet  の NewEnglish  Grammar 2巻 (1891,1898)は英文法史上に太いー操 を画することは周知の通りである. the  rules  of  grammar  have  no  value except as  statements of fact:  whatevris  in general  use  in  a 

(6)

伝統文法主構造主義 97  language is  for that very  reason  grammatically  correct … 円 (NEG, Part 1, p.  5)は, 科学文法の発達した今日では当然すぎると思われるこ

とであっても,当時としては数世紀にわたる伝統文法の殻をやぶる力強い 宣言と言わねばならない.これに続く20世紀には多くの科学文法学者の輩 出を見る.Jespersen, Poutsma, Kruisinga, Curme, Wendt, Deutschbein 

らは早くからわが国に紹介された学者である.これらの学者による科学文 法と,さきに述べた学校文法とを同列に比較してその価値を論じるのは無 意味である.ただ発生的に見るならば,科学文法は伝統的学校文法に対し て「新しい文法」といえる.従って1""伝統文法一jとは Sweet以前の型の (そして現在も行われている〉文法であり1""新しい文法」とは Sweet以 後の科学文法(それ以前に科学的体系の文法と称し得るものが皆無という 訳ではないが〉を指す, というのが私たちの一頃の感覚であり9 今でもそ のように考えることもできると思う.

Sweetを境にすることによって1""[日」 と「新」 を意識していたわれわ れは, さらに新しい事実に直面した. それまで「旧Jと「新Jを画して いた線のほかに, もう一つの線を

5 1

かねばならない事態に直面したのであ る.それは,戦後ガリオアやフルプライト奨学金によるアメリカ留学生た ちが,当時アメリカで発展していた構造言語学という,一見してとっつき にくい学説を持ち帰ってわが国で布教を始めたことである.それまでわれ われが扱っていた文法は9 多少の差はあっても,意味中心の文法であった.

いうまでもなく,言語は意味と形式(音声〉の相関関係の上に成り立つ現 象であって,そのどちらをも継子扱いにして無祝するわけにはいかないが 英語のように語形変化を極度に失ない,形式上の残された拠り所である語

!民音調,アクセントなどが言語記述の手がかりとして完全には頼りにな らないと思われる場合,意味に拠り所を求めようとするのは自然の傾向で

(7)

98  伝統文法と構造主義

ある.一般の学校文法がそうであり,科学文法の理論では MaxDeutsch‑

beinの心理学的な意味文法に撤した Systemder neue略 的chen Syntax  (1916)があり, Curme, Poutsmaのような大家の文法も, その根抵にお いて意、味中心である.革新家で(同時に確信家でもある〉形式主義を標傍 する Jespersenでも,方法として形態論 (Accidence)と統語論(Syntax) を置き,前者を形式から意味を究め (OuterInner), 後者を意味から形 式を究める (10)ものとしたが(ThePhilosophy of Grammar, Chapter  1)実際には彼の文法では統語論が殆んどの比重を占めている.Jspersenの 論述を見ると9格の論p語類の分類,動詞の仮定法の処理などにおいては,た しかに形式に基準を置く額向は強いけれども,主語と述語,目的語9Nexus, Rankの分類の諸項目では純然たる意味中心の論9 または意味・形式の混 合した論述となっている.Jespersenが AnalytiヒSyntax(1937)で試み た,記号による文の図式と Friesや Harrisらが行っているそれとを比較 するならばこの間の消息がよく分ると思う(後出).何れにしても従来の文 法においては,意味の果す役割が大きいというのが特徴であり,同時に論 述が事実の項目的個別的な羅列になり易いというのが現実である.Jesper‑ senのModernEnglish Grammar 7 vols.  (1909‑1949) Poutsmaの Grammar of Late Modern English 5 vols.  (1904‑1926りなどは,あ る意味で OEDにでも匹敵するような世紀の著述といえる程の大著であ るが,英語の統合的な記述というよりも文法事典と見る方がむしろ正しい.

このような細分化された記述で,しかも抱括的な英文法は,構造主義的な

〔常に全体関係を考慮した上での)記述方法によることになれば,もう個 人の力ではできないであろうと見る人もある. (安井稔「構造言語学の輪 郭j1963, p. 104) 

構造主義者の側から言わせるとラ意味は複雑な心理過程で捉えにくし

(8)

伝統文法と構造主義 99  かつ主観性の強いものであるから言語の分析の基準として不適であるとい

う.(Bloomfield, Langzω:ge, Chapter IX)真に科学性のある首尾一貫した 記述を行うためには,意味を出発点とするような思弁的概念的方式を避け て, 自に見え耳に聞える testable'な側面を攻撃の目標とし,方法は直観 的な態度をつらぬくべきであると主張する.言語の外形だけを出発点とし て,言語の最も客観的な構造図を精密な青写真にしようというのである.

この青写真の上では,言語を構成している要素はどれーっとして個別的に 眺めたり取り扱われたりしてはならない.それは常にー構造体の一部とし て他の要素との関係において考えられねばならないという.しかし言語研 究において,言語の本質である意味を全く無視するということが実際にで きるであろうか. もちろん9 それはできないしp また構造主義者もしてい ない.彼等の言うところは,意味をできるだけ背面におしゃりラ分析の矢 面には形式を最大限におし出そうと言うのである.その形式の中に意味の 匂いがまじっていることは9 言語現象の本性として避け得ないことである。

ある発話が相手にその内容を理解され,反応を喚ぶという言語の仕組を 知るためには,その発話中の音調,語順,語患などの言語的特徴がp 意味 に対して,どのような形でどのように合図し合うかをまず知るべきである が,その際いろいろの形が合図する意味の相違(逆 ip 意味の相違が合図 する形の相違といってもよい〉を問題にしないならば,言語としての分析 も記述も行えないのである.しかしここで問題にされているのは「意味」

ではなくて「意味の相違」である.文や節や句や単語のもつ固有意味すな わち辞書的意味 (LexicalMeaning)ではない. 構造主義者が分析の際に 利用するのは, あくまで示差的意味 (DifferentialMeaning)の範囲を出 ないのであって,この示差的意味にてらして,各々の形式上の特徴を区別 し,構造上の違いを認知して行くのが彼等の方法である.単語間の辞書的 意味が同じであるか異るか,ある形式に別の形式を入れ換えた時に意味が 前と同じであるか異るか9 という程度における意味の利用は分析の際に行

(9)

伝統文法と構造主義 100 

言語に辞書的意味の外 われわれは,

この操作によって,

われるのである.

に構造的意味 (StructuralMeaning)というものがあることが分る.例え ある語が行 ある文が叙述であるか質問であるかまたは要求であるか,

44 

またそこで述べら れる行為の時や相や態がどうであるか等々,辞書的意味の表わす枠外にあ るような意味である.われわれはこれを「意味の形式」と従来呼んでおり,

非常に広義に解すればこれも一般意味の中に含まれるかも知れないが,概 為の主体 (Actor)であるか目標物 (Goal)であるか,

念上の意味とは区別されねばならない.実際の発話にあたっては文脈に影 響される所の最も少ない客観性の強い意味であるといえる.実際の発話に しばしば辞書的意味からみるならばあり得ないような解釈が可能 またいわゆる Contradictionin  termsの現象(例えば two‑

おいて,

であること,

sided triangle / almost quite readyは辞書的意味として成り立たないが 構造的意味はある〉の中にそれを見ることができる.構造言語学では,言 語にはこの構造的意味を合図する何らかの形態的特徴があることを前提と 孤立してでなく,構造 して出発する.そしてこの形態は体系の中で働し

体全体の中のある型に属する一部分として独自の機能を果すものとして受 それ一つだけを坦上に上し て料理するのでなく,構造全体(例えばSentenceの組立全体または Word を構成する音素の組立全体〉を見渡しながら,異形との対立,分布,置換 えの操作を用いる.結局Friesのことばを借りるならば,文法とは,構造 けとられる.従ってこの形態を認知する際は,

それらの配 的意味を合図する手段であり,……その記述は各語の認知と9

列の立場(すなわち全体構造をにらんでの立場一筆者注〉からなされるの である .(The Structure of English, p. 56, p. 64) 

このような手順によって,英語のよう な言語の記述が首尾一貫して完全に行なえるのであろうかという疑問は一

構造主義者の確信にしたがって,

(10)

伝統文法と構造主義 101  応,誰でもが抱くことであろう.しかし実際の言語生活の体験においてみ

ると,われわれは,ある発話の意味内容が解らなくてもその言語に具わる 構造上の特徴によって,文の初めと終り,主部と述部9 動詞と目的語,修 飾語と被修飾語などの形や配列のメカニズムをある程度まで認知できそう である.なぜならば,音素や形態素や単語というものは9 でたらめに配置 されることはなし必ずある環境に規定された一定の生起の型をもって分 布されているからである. この分布は9 対立 (Contrast)や置換え (Sub‑ stitution)によって確められるであろう. 以下に構造主義文法における文 の分析の一例として Friesの方式を挙げてみよう (Fries文法は構造主 義としてはすでに古典に属すると思われるかも知れないが,いわゆる構造 主義というものの特徴を知る最も手近かな範例のーっといえる〉

まずーっの発話単位ヲ例えば The old  man proved  himself  a fine  fellowという文から直観的に(文の意味は解らなくても〉よみとられる直

接成分 (ImmediateConstituent) (単語〉の組織を記号によって示す.

D  3  1 2‑‑ 1a‑sf  D  3  P 

be  he  be 

この式の意味する所は,文頭は決定詞 (Determinerつまり冠詞〉 で始 まり,次に第3類語(形容詞

λ

次に単数(‑)で男性の代用語 (he)で置 き換えられる第1類語〈名詞〉ヲ 次に過去(ーので単@複同形(土〉の第2 類語(動詞),次に単数で男性で ‑selfの形をもっ第1類語,次に決定詞,

第3類語,最後に単数・男性の第一類語があり,この中にある3簡の第1 類語はみな同一人物を指すことを小文字 aによって示す. (文の記号化は

z .  

S.  Harrisや F.Sleddらも行っているが9 彼らはこの上に音調や,置 換えを示す記号や式を加え用いて複雑である〉次に分析の手順としては9

まず品詞,決定詞,機能語を認知する.品詞の区別は特定のテスト用枠文 を用いて,語の位置,語の形,決定詞の型,置換えによって生じる意味の 異同により3 第1類語(名詞), 第2類語(動詞),第3類語(形容詞

λ

第4類語(副詞〉の4種類に分けられる.機能語は154語を別に選びだし

(11)

102  伝統文法と構造主義

別表に整理されてあるのを参照して認知する. (この操作は全く辞書的と 思われる〉そこでまず第1類語と第2類語の配列の認知によって文の種類

を知る.すなわち ηzanとprovedの相互位置から叙述文であることが分 る. 次に第2類語の前後にある第1類語の配列を認知する. そして ηωη

が主語,himselfが目的語であることが分る.文頭や文末にもし Sentence Modi五er,継続記号9 包合文のようなものがあれば, それを切り離す.こ

うした後9 第一分離段階として,基礎構造をなしている第1類語と第2類 語も各々修飾語句のついたまま切り離し,次に第1類語と決定詞及び修 飾語とを分離,第2類語と他の述部を分離,残った部分の決定詞,修飾語 句を分離,最後にー単位として扱われていた語群が残ればそれを単語すな わち直接成分に分離する. 以上の直接成分分析(1.C. Analysis)を図式 化して示すと次のようになる.分析の順序は横線の最下のものから始まり

fe//ρw 

構造の記述はここで終る. この文の各 positionにいろいろな意味の語 が現われるのであるが,構造的意味の図式はここに示されるのと変らない.

この分析の或る段階では第2類語のうしろに来る 2箇の第1類語、 (him selfと fellow)の構造的意味は不明である.それを認知するには,配列,

第2類語の選択ヲ置換え,綜合的な対比による意味の異同3 あるいはPas‑ sive  Testにてらして分析するとんのnselfが目的語であるのに対しfelloω は補語であることが分る.但し S,O,C のような機能の表示は,全構造の 型によって察知され得るものとして行わない.さきの例文をこの図式にあ てはめてみると次のようになる.

I 3  7a 

i  I hε 

と 日

hlea  

(12)

伝統文法と構造主義 103  これは直接成分が集まってお互いに階層関係を保ちながら一つの構造体 を造り上げている様子を記述したもので,ここで見られるように9 英語で は階層は2分法が基礎となっている.最初に主部と述部が2分され,その 各々は幾重にも 2分され行って最後に(ま単語lこいたっている.

この操作は構造言語学的であるが,結果的に見れば,普通の学校文法で も行われている Diagramによる文の解剖やラ SVOCによる 5文型の設 定と余り変らないように見える JespersenもAnalyticSyntaxでこれ と類似の,記号による文の分析を行なっている.彼によると上記の文は次 のように表わされる.

S(21) V O(S P(21)) 

1は Primary,2は Secondary PはPredicative,かっこは階層を示す.

冠詞は表示を受けない. 概略 Frsの図式と同じであるように見え,違 う所はラ構造的な観点に, S,V,Oなどの機能的な観点の表示が加わってい るだけといってよい.しかし,比較して結果は同じでも,その結果を導き 出す原理と道程が全く違っていることが重要であるa 従来の分析では,各 語や文全体の辞書的意味は解っているものとして,分析の基準にこれを自 由に利用して SVOCを決めている.構造主義の分析ではラ意味は伏せて おいて,分析の手がかりとなる形態的特徴があるという前提の仮定の下に 出発し,語I!贋,語形,語形間の相互間係を示す形態,音調えとどを基準とし て,さらに組織的な置換えによる方法で操作を進めて行く点,槌来の分析 と原理的にも方法論的にも違っている. Action‑actor‑goalは結果的に S‑

V‑Oと同じであると言えるけれども9 これが単語一つ一つの辞的意味を 解してヲ C.T. Onionsらの文法がするように,

r

主語とはそれについて何 ごとかが述べられるものJ

r

述部とは主語について何ごとかを述べる部分」

「目的語とは動詞の動作の及ぼす物または人Jなどといった説明によって 導きだすのと Actor‑action‑goalを最初から, 単に文の構造上の型とみ なし 'thehunter killed  the lion'を 'thelion killed the hunter'と

(13)

104  伝統文法と構造主義

の対立により,その示差的意味にてらして語聞の関係を知り,あるいは語 の配置,決定詞の選択,形態,音調によって,主語,動詞,目的語,修飾 語を認知し区別するのとでは全く違ったものといわねばならない.

構造主義が編みだした文法は, 純粋に記述的であり, 論述は徹底して mechanisticである.しかし方法としては従来の文法においても部分的に はこのような傾向が見られるものはあるので9 われわれはこれが奇想天外 とは考えない.だが操作の方法を全般的 iこながめてみると,やはり構造主 義的文法観はそれ以前のすべての文法をひっくるめて対比せしめる程の著 しい特徴をもっていると考えてよさそうである.ただ, Distribution, Con‑

trast, Substitutionを指導原理とする方法によって, 英語のような言語を どの程度まで精密に記述説明することが可能であるかが疑問となるのであ る.非常に具体的である音素論のような分野では構造言語学は完壁に近い し,形態分析の段階においても成果を挙げていると考えられるが,一方,

意、味を退ける文法で当然予想されるように,統語論では構造言語学は最も 後れている.将来においても構造主義の文法は Jespersenや Poutsmaの 文法に見られるような,各文法範噂の詳述といったきめの細かい記述がな し得るであろうか,その他従来の文法でなし得なかったことをこの新しい 文法はなし得ただろうか,逆に従来の文法が記述し得たことで,構造主義 文法が記述し得ないところがあるのではないか,など疑問はさまざまであ る.

r

意味を退けて形態だけを基準とする」ということ自体にも問題があ るのであって,どれだけのものを意味と考えるのか,どれだけのものを形 態的な手がかりとして利用することを認めるのかについても,構造主義者 の間で必ずしも意見は一致していない.示差的意味を得るために行なう,

語や形態などの置き換えまたは PassiveTestなどは事実上, 辞書的意味 を前提とせずに行えるのかどうか,これを行うのは事実上は辞書的意味を

(14)

伝統文法と構造主義 105  利用しているのと同じではないかという批判を蒙っている. またI.

c .

分 析は意味の構造を基準にして分析していると考えざるを得ないという非難 を受けている. (中島文雄「英文法の体系J1961, p.  13)  Fries自身は,

この分析が意味によるのでなく,形態的特徴によるものであることを主張 して自信の程を見せているけれども9 果して充分な説得力をもっているで あろうか.

In all  of these various layers of  structure  the  determination  of  the direction of  the  modification, the  grasp  of  the  precise  units  that form the immediate constituents of each structure, come as an  automatic response to those who lmow the language.  These group‑

ings are not vague, but precise and sharp.  The seeming vagueness  arises  when we try to  describe them and indicate the  featursthat  as native speakers we use to mark them.  When the necessary dis‑ tinguishing marks are absent ambiguity results.  Sometimes  the  force of the formal arrangement produces  groupings  that are lexi‑ cally incompatible or logically humorous: 

The house consists of six rooms and a bath which they own. 

The signals of these groupings are therefore not the maningsthem‑

selves.  On the contrary it  is  the fatures of  correlation  of  forms  and of order that convey the meanings. (The Structure of English,  pp. 272‑273) 

意味を相手にしているのでなく,意味を伝えるための形態上の特徴とい う客観的な条件を相手にしているのだと主張するのは分るのだが 1その 国語に通じている人の場合にはこの分析は自動的な反応として認知される ーが, 自国人としては認知の手がかりとされていた特徴も,これを意職 的に取り上げて記述しようとすると,あいまいとした点が生じて来るjと はどういうことなのか.1形態的特徴がないときには, あいまいさが生じ

(15)

106  伝統文法と構造主義

る」のが実情であれば,英語のような国語の記述には Fries文法は適しな いのだろうか.英語において形態的特徴は常に明らかと言い難いので,当 然構造上の区別はあいまいとなり,分析が充分に行なえないことが多いこ とは予想される.そこで辞書的意味を利用すればヲさらに分析を進められ るという場合がしばしばある.それをどこまでやるか,どこで止めるかは 学者によって違ってくるであろう They chose  him a wife と They  chose him kingは同一構造なのか異構造なのか, (この場合 Curmeのよ

うに 'herefunction alone distinguishes accusative and dative'とLぅ、 風に himのもつ意味的機能を考えてよいのならこの2文は簡単に区別で きる訳である .Syntax, p. 96)また Wecall him Johnは構造主義的な 観方においては一種の構造しかもたぬものと普通なら考えられるが 1わ れわれは彼をジョンと呼ぶ」と「われわれは彼のためにジョンを呼んでや るJ(英語ではこういう意味も普通である〉の意味と二つの場合があること を,語形・音調の上で合図する特徴がないとすれば何によって説明するか.

Chomskyは(そしてJespersenも)Passive Testをもちだすけれども,テス トの行われる前に構造の違いがすでに分っているのではないか.構造の違 いが分っているというのは意味を前提としているからではないのか.それ とも,あるいは構造主義の考え方では,そこまで分析は進めずにおくのかど うか等々問題は多いようだ.現に

w .

N. Francis (Resolution of Structural  Ambiguity by Lexical Probability:  the English Double Object, Read‑

ings in  APlliedLinguistics, p. 114任.)や A.A. Hill (Introduction to  Linguistic Structure, p. 296)は,これは区別し難い同一構造でその差異は 辞書的意味に依存すると言っている.例えばFrancisはいわゆる

s v o o

型 とSVOC型において,

v

の後に二っとも名詞が続くような文をいくつか 示し, その時の動詞が, ある種のものである場合(例えば ωll,choose,  makeなど〉この2種の構文上の相違は,文脈や辞書的意味に頼る以外に は識別のしょうがないとサジを投げているようだ. Here,then, is a clear 

(16)

伝統文法主構造主義 107  case  of  a structural  ambiguity  which is  habitually  resolved  in  the  stream of speech by largely unconscIous recourse to lexical probability." 

(Resolution, p.  118.) (一方Fries文法ではこの文は1a21b1bと1a21b1c

+ 一 一 十 十 一 ー

としてその差異は表示を受けるが辞書的意味利用の傾向が見える〉いずれ にぜよ意味を退ける文法の進む道にはおのずから限度があるようだ.そこ で考えられることは,構造主義の文法学者が目標とする所と9 従来の文法 学者が目標とする所とが必ずしも同じではないのではないかということで ある. いま構造主義文法は統語論の各論に入る手前のI.c.分析のあたり で一応足ぶみの状態であり,構造主義文法への賛否の判断も今後の進展を 見なければ容易には下されない状態にあるようだ.

構造主義文法比 いま Zel1igHarrisや NoamChomskyらによる変 形分析理論 (Transformational Theory)を含む産文文法 (Generative  Grammar)の方向に転換しつつあるように見受けられる. 文を産み出す 文法とはどのような文法か.1957年に出た Chomskyの SyntacticStruc‑ tures及び昨 1962年に出て最近わが国へ到着した HarrisのStringA刀 砕

sisof Sentence Structure, Papers  on  Formal Linguistics  No. 1 (私 は一月前に入手したばかりで充分に目を通していないが)ではまだスケッ チの程度であって完成されてはいないが,結局それは文が構成されて行く 原理と「過程」を究めようとするもののようである. Syntaxis  the study  of the princrples and processes  by which  sentences  are  constructed  in particular languages.' (Syntactic Structure, p.  11,文中斜体は筆者に

よる〉と言う Chomskyの方式によると,第一段階として, Friesが行っ たような, 1. C.分析が文を区切って行く過程を記号で表わし,文のもつ 連語構造 CPhrase Structure)を明らかにする.まず発話において構造が

「文法的に」展開する基本の型を示す.

(17)

108  伝統文法と構造主義

( i)  Sentence‑NP+VP  (ii)  NPTN

(iii)  VPVrb+NP (iv)  Tthe 

(v)  Nman, baU, etc. 

i) Verbhit, took, etc 

P=Phrase, N=Noun, V=Verb or AuxVerb, T=the, etc,  XY = rewrite X as Y の表示,

用いた例文は theman hit  the ball. 

この型のルールに従い,発話の中で文が引き出されて行く過程を順々に 下記のように記述して行く. (かっこ内の数字はそのラインが派生するの

に上記の展開の型の中のどの型によったかを示す〉

Sentence 

NPVP ( i ) 

T+N+VP  (ii)  TN+Verb+NP (iii)  the+ N + Verb+ NP  (iv)  thenωηVerbNP (v)  themanhit+NP ( vi)  themanhitT+N (ii)  the+manhit+theN (0)  the+manhittheball (v) 

こうしてできる文は常に文法的であると言う.しかし実際の発話に現わ れる文は,このような簡単なものばかりではなし形態的にも無限に近い 変化があって,それをすべてこの方式で表わすならば恐ろしく複雑な記述 となるであろう.それでは Simplicityという文法の原則から外れるので,

(18)

伝統文法と構造主義 109  それらの現象はある原則の一つの形 (NPVP)から新しいものに変った 変形構造 (Transformational Structure)  として表示する. 例えば the guests drank theωineの受身の文が生れる道程を分析すると, その連語 構造は簡約すると

NP+VP 

NP1‑Aux‑V ‑NP TNj‑Aux‑V‑T+Nz

(the‑guest‑Aux‑drink‑wine)  であり,これに続く変形構造の分析過程は

NP1‑‑Aux+be+n‑V‑by+NPz

NP2‑C‑be+n‑V‑by+NP

the wine‑C‑be+drunk‑by+the guests  the wine‑[pastJ‑be+drunk‑by+the guests  the wine‑was drunk‑by the guests 

である. 寸印のラインではまだ主語と目的語の交替は行われていない.す なわち Johnloves 1¥ゐryの受身構造は Johnis  loved by Maryで,こ こで交替が必要か否かを考えるi段階である.enは来るべき動詞に過去分調 形が期待されることを示す.CはContextualRestrictionでこの場合Past Tenseが示される.

そして最後に上記の結果得られた文を音韻表記の法則によって音表化す る形態音韻論 (Morphophonemics)の段階に至る. す な わ ち /d;:l  wain 

W;:ldrAl)k b;:li d;:l gests /となる. (音調は略す〉

Chomskyの文法理論では, 連語構造論と変形構造論と形態音韻論の三 つのレベルを組'合せて一つの核文から,あらゆる文法的文が構成されて行 く過程を説明しようとする.そして記述を簡単にするために,ここでは,

(19)

110  伝統文法と構造主義

原の文となる中核文 (KernalSentence)を,肯定平叙の能動態の Simple Sentenceー箇とし9 基本型を NP+VPとする. それ以外の構造の文は すべてが文法のルールに従ってこの中核文から変形した派生文 (Derived Sentence)として表示を受ける. これまでの文法においては,発話の形で 表面に出てきたものだけが構造として認知されていたのであるが,ここで は変形の道程そのものも構造として認めようとするのであるから,従来の 記述では相互関連がなかった9 平叙文,疑問文,要求文の基本型の間の間 係も説明されることになる.

FriS は発話において基本的な主役を演じるのは4つの語類(名詞,動 詞,形容詞,副詞にあたる〉であって,機能語は発話の拡充という,いわ ば脇役をつとめると言う.変形分析文法でも,中核文から派生文が分れる 前後のひも (String)に差異を与えるのは機能語である場合がよくある.

ただし観方は違う Chomsky文法では Thatis  not a ballという文は That is  a ball  (NPVP)という中核文から notの添加により生わした 派生文で9これが否定の変形操作として示される.Fries文法ではこの not

は C群に属する機能語で, (C群に属する機能語は notだけで, これは E群の notとは違う〉これによって発話が拡充されたとする. Chomsky 

の変形操作と Friesの拡充とは同一現象を扱ったものと考えてよい.Fries  が相 (Aspect)として捉えたものを Chomskyは過程(Process)として捉 える訳である.安井稔氏のことばを借りて言うならば, Friesの文法は「単 位の設定とその結合をこととする組み合せ言語学 (CombinatorialLingui‑ stics)あるいは,よろず分類をこととする分類学的言語学」であり,Chom

skyらの文法は「与えられた構文が他のどの構文から変形されて生じたも のとして述べうるかを問うj文法である. (r構造言語学の輪郭Jpp. 248‑

249)このような方法を目標においた文法であるから9 特定の与えられた 文の一つ一つを出発点とはせずに,英語なら英語という国語の法にかなっ た文を生み出し,法にかなわない文は生み出さないような分析法を工夫す

(20)

伝統文法と構造主義 111  るのである.Chomskyによれば,文法とは, すべての女法的な文を生み 出し,非文法的な文は生み出さない仕組 (adevic thatgenerates al1  of  grammatical sequences of L (=a language) and none of th ungram matical ones. S.  S. p.  13)であるという Friesの文法を「聞き手の文 法Jとすれば Chomskyの文法は「話し手の(立場をも含む〉文法」とい

うことができるであろう.

10 

変形分析文法ではヲそれまでの構造主義文法が触れようとしなかった,

意味がかなり有用に採り入れてあるような観がある. ここでは例の5文型 の S,V, 0などの内部の機能や Tense,Voice等の文法範曙及び平叙 文,疑問文ヲ命令文等の文の種類が,文法的な枠に従って生じる道程も

「動的」に画一的に公式化しようとの試みと考えられるが,この操作や図 式を仔細に調べると,伝統文法で行われているのと同じ操作がここではか なり行われているようだ. Chomskyの文法理論は伝統文法へのリパイパ ルではないかとの印象さえ受ける.しかし9 今後構造主義文法は,最もそ れが後れているとされる統語論の部分もこの「過程説文法」によって大 いに進展を見せるのかも知れない.少くとも英語という国語でしばしば遭 遇する構造上のあいまいさ (ConstructionalHomonimity)は,変形分析 理論を含む GenerativeGrammarのようなモデ、ルにおいて多くの解決を 見ることと期待される. このような文法の出現により,どうやらわれわれ は Chomsky(1960年前後〉あたりを境として「旧」と「新」を画する第3 番目の線を

5 1

かねばならないらしい.

なお後から分ったことであるが9 第7部門のシンポウジアム「伝統的な 文法について」を担当した毛利可信氏はヲ伝統的とは要するに教科文法を 中心とした,ごく一般的な英文法という ζとで,しいて言えば「構造言語 学に属さない」というぐらいが「伝統的」の定義であると言っている。そ

(21)

112  伝統文法主構造主義

してこの伝統文法の考え方に従って英文の構造を説明しようとするとき,

どこに困難を感じるか,それらの点はどう是正されるべきか,そしてそれ らを含めて伝統文法はまだ役に立っかどうかという検討がなされ,その際 には Jespersnや Curmeの文法も討論の対象となっていたようである.

以上,伝統文法と構造主義の文法について長々と述べたが,次に記する シンポウジアムの内容を理解するのには最少限度これだけくらいの知識が 必要かと思われる.以下に第6部門で行なわれたシンポウジアム「構造言 語学と英語学についてjの内容を,英文法に関する部分をとってその概略 を記しておこう.

シンポウジアム:構造言語学と英語学について (1963525日 同志社大学において〕

構造言語学と英語学(司会者 貞方敏郎〉

今日構造主義と呼ばれている言語研究の方法はー名「新言語学」と呼ば れるのであるが,その根元にさかのぼって考えると,すでに戦前よりわが 国に導入されていたものである.戦後大量の若き学徒がアメリカに留学し,

アメリカで独自の姿をとった新しい学説を持ち帰るに及んで急速に普及発 展した.またこれが Fries教授という窓を通って入って来たことにより,

英語教育とも直結し,英語学研究に新しい観点、を与え英語学諸分野にきわ めて深い影響を及ぼしたことは否定できない.事実,現在英語学の仕事に たずさわるものは,構造主義に対し賛否いずれであるかを間わず, これに 無関心であることは許されないであろう.しかし構造言語学がわが国の学 界で脚光を浴びて以来すでにかなりの歳月を経ている. もはや啓蒙の時代 は去り,主要なる項目についての論義も大体において出つくしたかの観が あり,さらにまたChomskyらによる変形分析のような新しい理論が現わ れている現在,構造主義に対する反省や評価の時期が来ていると考えられ る.そこで今回このシンポウジアムに課された「構造言語学と英語学につ

(22)

伝統文法と構造主義 113  いて」という題目の下に9 われわれは,構造言語学が従来の英語学研究の 上に寄与をなしたかどうか,従来の英語学特に英文法の分野で問題とされ ていた点に,構造言語学は解答を与え得たか否か,また全般的に見て,英 語を記述する方法として構造主義は最適のものかどうか,などの諸点につ いて討論する.討論の対象となる構造言語学はアメリカ構造言語学に限定 し?三講師から次の間題の提出をお願いする.

1.  構造言語学と英語音韻論 2.  構造言語学と英文法 3.  構造言語学と英語の記述

構造言語学と英語音韻論(大阪市立大学助教授 荒木一雄氏〉

省 略

構造言語学と英文法(京都学芸大学助教授 日下部徳次氏〕

英文法の三つのそデノレを概観し,アメリカの構造言語学が英文法の研究 に与えた影響及びその問題点について考察してみたいと思う.

1 Traditional Grammar 

構造主義の立場から伝統文法に浴びせられた批判の主なものは,単位の 設定に当って基準が一貫していないこと,意味を分析の基準に持ち込むこ

と,などであった.

II  StructuralDescr旬tiveGrammar 

これに対して構造主義的文法は,意味を排除し Contrastと Distribt

tionを主な指導原理とするが, Contrastを分析の基準とすると Contrast のない形式はそれ以上分析することができない.逆に形式的に異る構造は 別個に記述され, リストの項目が多くなるのみならずタこれらの聞に明ら かに認められる相互関係を説明する道は聞かれないこととなる.

III.  Generative Grammar 

(23)

114  伝統文法主構造主義

構造主義的文法は, 要するに資料の中に法則を発見しようとする Dis‑ covery Procedureであった.Chomskyによれば, 大切なことはそのよ

うな法則を発見する方法が厳密であることではなく,その法則が現実の言 語現象を如何によく説明するかということでなければならない.あるモデ ルが適切であるかどうかの判定の基準は (a)Adequacy of grammar,  (b)  Generality, (c)  Simplicityである. 記述文法では,分析とは分類す ることであると考えたからヲ分類の基準ということが問題となったが,こ の方法では分析とはあらゆる文法的文を産み出し,非文法的文を排除する ruleの仮設をたてることであってラ分析の基準とは ruleをたてるための 制約のことである. このモデルによれば,語の co‑occurrenceを法則化す る PhraseStructure,その Transformation及び Morphophonemicsの 三つのレベルから文法を組織立てる. この方法による具体的な記述はまだ 充分発表されてはいないが,これにはおよそ次のような問題点がある.

(1) i文法的」とは何か. (訪中核文と派生文との区別. ゆPhraseStruc

tureの ruleが複雑になりはしないか. 性)あらゆる発話をすべて iNP+

VPJ形式からの変形とすることが果して Simplicityの原則にかなうもの かどうか.(5)このモデルは Transformationの過程を説明してくれるがヲ そのような過程を経て出来上った文の意味の相違は何によって合図される かということについては依然として問題が残る.

構造言語学と英語の記述(東北大学教授安井稔氏〉

構造言語学は英語という言語を記述する場合に最適の方法であるか. こ うL、う課題を与えられたと仮定し,このような課題に対して,どのような 解答が可能であるか,あるいは,このような課題に対して,どのような態 度をとるべきであるのかラ ということを考えてゆくことにする. これは広 く考えてゆくと,けっきよし構造主義的言語学の史的概観を試みること になるであろうが,まず二問題になる点を,いくつか拾ってみよう.

(24)

伝統文法と構造主義 115  1.  I構造言語学は」とL、う発想は,構造言語学の名で呼ばれる相当に 明確な限界をもっ流派あるいは学問の存在を合意するが,その根拠はある のか「構造言語学」という名称によって人々が理解しているのは,何であ るか.1957年以降といってよい変形分析理論(TransformationalTheory)  などは構造言語学の中にはいるのか,はいらないのか.流派をアメリカに 限定しラ年代を1933‑1957と限っても9 構造言語学という名を冠しうる明 確な単一体があったと断言できるか.

2.  I英語という言語を記述する場合に」とLづ発想はラ場合によって9

「ほかの,たとえばアメリカ・インディアンの諸言語を記述する場合など には適しているかもしれないが,英語という言語の場合には適していない のではないか」あるいは Iほかの, たとえば日本語のような言語の記述 には適していないが9 英語という言語には適している」というような含意 を有するが,それは妥当であるか.構造言語学という学聞は,個々の言語 を個別に記述してゆくことを意図しているのか,それとも,すべての言語 に通ずる理論の建設を意図しているのか.

3.  I最適の方法であるか」という問題の提示法は,最適の方法という ものを,すくなくとも,考えることができる9 という前提に立っている.

したがって「最適の方法Jというものが備えているべき条件が,すぐ問題 になって来る.最適の方法とは何であるのか

.A

B

という二つの記述方 法が存在する場合,どちらが英語という言語の記述に適しているかという

ことを判定する方法がなければ,何が「最適の方法」であるかを判定する ことはできない.I適しているかいないか」を客観的に計るものさしを,

われわれはもっているであろうか.

構造言語学者達が「適している方法J I好ましい条件」と考えているも のは何であるのか.それは,伝統的な言語学者で考えられている「好まし い記述の条件j と一致しているかどうか. もしも一致しているとは言えな いならば,両者を比較して,是か非かの判定を下すことは不可能になるの

(25)

116  伝統文法と構造主義

ではないか.むしろ,両者は,それぞれ,何を自らに課しているか,とい うことに目を向けるべきであろう.

(以上シンポウジアム・マテリアルより再録〉

講師の方々による上記発題の内容には多くの重要かつ興味ある問題が含 まれている.そのいくつかについては,私なりの意見を述べたつもりであ るが,まだまだ論義すべき余地は多く残されている.大会当日は一般参加 者からの発言が少なしここにあらためて記する程の核心をついた質疑応 答または討論らしい討論は出なかった.始めに予定されていた3時間とい う制限が半時間短縮されたこと,さらに参加者が多数廊下に溢れたために 途中で会場の変更を余儀な〈されて時間のロスがあったこと,その上に司 会者の能力の限界もあることなどで,期待していた程充分にはシンポウジ アムの機能を発揮できなかった.なお,構造言語学が最も成果を挙げてい る分野は音素論の分野であって,この意味から特に発題を願ったフ荒木氏 の「構造言語学と英語音韻論 iは,純粋に記述的とされている構造言語学 が歴史的な音韻論の分野へ進出する可能性を暗示する興味ある問題提出で あるのだが, (そしてアメリカでもぽつぽつ自命じ女合められているらしいが〉

紙数の制限もあるので9 ここでは一応英文法論に関する事項だけに止めた.

詳しくは大会当日のマティリアル及び、「英文学研究J Vol.  40.  No. 1, 

「英語青年J1963年8月号(特集:英文学会シンポウジウムの問題点〉両誌 所載の拙稿記事を参照していただきたい.また日下部氏の所論は「英語教 育J1963年9月号より,安井氏の所論は「英語青年J1963年9月号から,

目下それぞれ数回にわたり詳細に掲載されていることを附言しておく.

(1963年9月〉

参照

関連したドキュメント

また,文献 [7] ではGDPの70%を占めるサービス業に おけるIT化を重点的に支援することについて提言して

この 文書 はコンピューターによって 英語 から 自動的 に 翻訳 されているため、 言語 が 不明瞭 になる 可能性 があります。.. このドキュメントは、 元 のドキュメントに 比 べて

いない」と述べている。(『韓国文学の比較文学的研究』、

2021] .さらに対応するプログラミング言語も作

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

本論文での分析は、叙述関係の Subject であれば、 Predicate に対して分配される ことが可能というものである。そして o

「海洋の管理」を主たる目的として、海洋に関する人間の活動を律する原則へ転換したと

 英語の関学の伝統を継承するのが「子どもと英 語」です。初等教育における英語教育に対応でき