構 遺
本調査では中金堂院回廊東南部 とその内側 にある内庭の東南部分 を発掘 した。調査 区北半 と西半 は 境 内整備 のための盛上があ り、現地表面か ら遺構面 までは比較 的深 いが、南半では調査前か ら遺構面 が露出 していた部分 もある。
1998年 度の中門、1999年 度の回廊東北部の調査では、中金堂院の東北か ら中門東半へ とつづ く谷筋 を確 認 した。 この谷筋の東恨Jの肩 は、本調査 区の東北 隅か ら中央 を とお り調査 区の南へ抜 けてい る。
今 回検 出 した中金堂院内庭部 と南面 回廊 は谷筋 にあた り、谷の西側 の肩 はみ られなかった。断割調査 の結果、寺地の造成 に際 して、谷 を周辺の土で一定程度埋 め立てた後、埋 め立 て とは別の上で突 き固 めなが ら整地 を行 っていることが明 らか になった。調査 区西辺では内庭部の遺構面か ら約1.6mで 谷底 (旧地表
)に
達す る。(1)回
廊 基壇 上 の遺構基壇全体 は削平 されてお り、松 の植樹 による近世以降の撹乱 もあ り、残存状況 は良好ではない。回 廊基壇部分の築成 は、谷 を暗茶灰色の砂質土で厚 さ
80cm前
後埋 め立てた後、地 山由来の礫混 じり橙黄 色砂 質土 を突 き固めて水平 に整地す る。基壇部分 は整地土 に似 た上 を整地面 よ り20cmほ
ど積み上げて 築成 し、その上 に粒度の細かい黄灰色土 を版築 して仕上げている。基壇下の整地土 は厚 さ約40cm、 黄 灰色の築成土 は現存 で15cmほ どである。谷筋東側の東面回廊基壇 は、礫 を含む橙黄色 白斑砂質土の地 山を削 り出 し、上面 に地 山由来の土 を積 み上 げ突 き固めて築成 している。 この積 み上 げ築成上 は厚 さ 10cmほ ど残存 し、地山を直接掘 り込んでいる礎石据付掘形の上面 を覆 っている。第4図
調査 区全 景 (東南から)
東面回廊
SC7500
梁行2間、南面回廊 と交わる東南隅部 を含 めた桁行8間分 を検 出 した。調査 区北で は現地表下約25cm、 調査区南では5cmほ
どで基壇上面 に達す る。遺構面の標高は94.9〜95.3mで 北が高 く南 に向って低 くなる。基壇外装地覆石上面 との比高差 は、最 も残 りの よい ところで約25cm、 礎石上 面 との比高差 は40〜45cmあ
り、基壇上面 はかな り削 られている。本調査 区内の礎石 は
2基
のみ残存す る。いずれ も三笠安 山岩で、径0.9〜12mの
不整形 の 自然石 を使 用 している。棟通 り柱筋北端 の礎石 には、抜取穴 と非常 によ く似 た暗灰色砂質土 を埋土 とす る掘 り込 みがあ り、抜 き取 りあるいは据 え替 えを意図 した痕跡が認め られ るが、礎石 の位置 は据付 当初 と変わ りない とみて よいだろ う。東側柱筋東南 隅の礎石 は原位置 を保つ。そのほかの柱位置 は礎石抜取穴 と して確認 した。抜取穴の一部 には長 さ30〜50cmの
河原石の根石が据 え られた状態で残存 し、礎石 の破 砕片が投 げ込 まれていた例 もある (第5図
2)。 検 出された礎石据付掘形 は、長径1.5〜1.8m、 短径13
〜1.5mの 不整形が多いが、隅丸正方形 に近い整 った形の もの もある。断面の観察か ら、掘形底部 に一 定程度、土 を入れ版築 した後、根石 を据 えていることがわかる。
SX7501は棟通 り柱筋 に凝灰岩の切石 を
2列
に並べた地覆石列である(第 5図 3)。 幅約20cmの
切石 は 15cmほ ど間隔 をあけて配列 され、各石列 は別 々の掘形 を掘削 して据 え られている。 これは東面 回廊北 半で検 出 した地覆石列 と一連の もので、回廊 中央 を通る間仕切 りの地覆 と地長押 を受ける施設であろう。南面回廊
SC7416
桁行4間
分 を検 出 した。現地表か ら10〜15cmで
基壇 に達 し、基壇上面の標高は94.9〜95.2m、 南側 は削平 され北 ほ ど残 りが よい。 回廊北辺 の基壇外装地覆石上面 との比高差 は最大で約
30cmあ
る。礎石 は残存せず、柱位置 は抜取穴 と据付掘形 によって確認 した。北側柱筋では据付掘形 を 覆 う基壇積 み土が薄 く残存 している。SC7416の棟通 り柱筋 にある浅い掘 り込みは、凝灰岩片 を多 く含第5図
東面 回廊基壇 と基壇上 の遺橋
1
基壇全景 (北から) 2
礎石抜取穴 (南から) 3
棟通 り地覆石列SX7501(東南から)む ことか ら、1998年度 に南面回廊 中門取 り付 き部で確認 した棟通 り地覆石SX7423の抜 き取 り痕跡であ ろう。回廊基壇幅は東面、南面回廊 ともに約10.8m、 基壇の出はそれぞれ約1.9mに復元で きる。
掘立柱建物
SB8365
東面回廊 の中央部、回廊基壇上 に位置す る南北棟 の建物である。北東隅、南東隅 の2柱
を欠 く桁行5間、梁行2間
で、本調査 区では建物南半の桁行3間分 を検 出 し、その北半 は1999 年度調査区に及ぶ。桁行柱間寸法は約4m、 梁行 は約36mあ
る。柱穴の径 は約80cm、 検出面か ら約80cm
ほ どの柱穴底部 には自然石 の礎盤石 を据 えている。柱 穴はいずれ も回廊 の礎石据付掘形、礎石抜取穴 の西辺 に位置 し、礎石据付掘形 を掘 り込み、礎石抜取穴 によって切 られていることか ら、 この掘立柱 建物の柱 は礎石の西 に沿 う形で建 て られていた と考 え られる。柱夢lSA3366〜
SA3369 SA88661よ
東面回廊東側柱筋の西側 に位置 し、南北 に並ぶ約3m等
間の柱列。SA8366の西側約
7mに
位置す るSA8367も 約3m等
間の南北柱列である。両者は柱 間寸法が等 しく、柱位 置 も東西に対応するので関連する遺構か もしれない。SA8368はSA8366、 SA8367の 北側 に位置 し、東面回 廊の棟通 り柱筋上 に約2m間
隔で南北 に並ぶ柱列である。 この西側 に並列す る形でSA8369がある。両者とも柱列の北端 は1999年度調査 区に及び、掘立柱建物SB8365の 柱穴 を切 り込んでいる。
土坑
SK8371〜 SK8373
東面回廊の西狽↓柱筋上で基壇 を掘 り込む土坑 を検出 した (第 6図 3)。 SK8371〜SK8373は不定形で、長 さ2〜 3 rll、 幅
2mほ
どある。いずれ も近世の土器、近世後半 に属す る瓦が含 まれている。土坑 は礎石据付掘形 を避 けて掘 り込 まれていることか ら、掘削 当時、礎石 は存在 してい た と考え られる。上述の掘立柱建物、柱列、土坑 は、位置や出土遺物 の年代 な どか ら、回廊 の建物が存在す る時期の もの とは考えに くく、中金堂院最後の火災である享保
2年
(1717)以降につ くられた もの と推定す る。第6図
南面 回廊基壇 と東面 回廊基壇上 の遺構
1
南面回廊基壇 (西から) 2
南面回廊基壇 (東から)8
3
東面回廊基壇上 の上坑 (東南 か ら)Y=■5,190
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第7図
発掘調査遺構平面図 (1:200)
Yこ■5,170
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(2)基
壇 縁 と外 周 の遺構東面 回廊 の東側 は現代 の排水溝 によって破壊 されてお り、石材 はすべ て抜 き取 られていた。南面 回 廊南側 は、埋土 に近世以降の軒瓦片や陶磁器片 を含 む溝SD83851こ よって壊 されている。溝 の南岸 には 雨落溝 あ るい は石敷 の材 と思 われ る河原石 が遺棄 されていた。近世 の遺物 を含 む東面 回廊 西側 の溝 SD8383、 南面回廊北側の溝SD8384の下で基壇外装、雨落溝、石敷 を検 出 した。
基壇外装SX7502・
SX7418 SX7502は
東面回廊基壇の西縁基壇外装で、北半の残 りが よく、南半はほと んど抜 き取 られている。南面 回廊北縁 のSX7418の残存状況 は良好 である。いずれ も凝灰岩の切石 を用 いた基壇外装で、地覆石 と羽 目石の一部が残存 している。地覆石 は幅20〜 25cm、 長 さ37〜50cmの
切石 で、上面 は平坦 に仕上げているが、羽 目石 を組 み合 わせ る仕 口や束石 をはめるほぞ穴はない。凝灰岩 には硬軟 の差が認め られ、風化 の度合 い も一様ではない。羽 目石 はすべ て軟質の凝灰岩で、下端部 に 切 り欠 きを施 して地覆石の背面 に落 とし込んでお り、その下端部のみが残存 している。葛石 は確認 し ていないが、外装全体 は束石のない壇上積基壇であろう。SX7502地覆石上面の標高は、94.95〜95,06mと南 に向かってゆるやかに傾斜 し、SX7418は94.83〜94,90mで 西 に傾斜す る。
雨落溝SD7503・
SD7420
基壇タト装地覆石の内庭側 に沿って構築 された石組みの雨落溝。東面回廊西側 のSD7503と 南面回廊北側のSD7420の規模 と構造 は同様で、径20cm前
後の1可原石 を2列に敷 き並べ、幅 約40cmの
溝底 を形成す る。溝 の内庭側 には河原石 を立てて側石 とし、基壇側 は基壇外装の地覆石 を溝 の側壁 とす る。SD7503底石上面の標高は9485〜95.00m、 SD74201よ 94.78〜94.88mで 、基壇外装 の地覆 石 と同様 に、北か ら南、東か ら西へ向かってゆるやかに傾斜 している。地覆石上面 と雨落溝の底石上面との比高差 は5〜 8cm、 側石上端 との差 は
8〜
15cmある。第8図
東面 回廊西側 の基壇外装 と外周遺構
1
基壇外装 と外周遺構の金景 (北から) 2
基壇西側の石敷SX7504(西南か ら)10
石敷SX7504。
SX7421
東面回廊西側のSX7504は 、基壇タト装 と同様に北半ほど残 りが よく、南面回廊北 側のSX742Hま、東半の残 りが比較的良好である。SX75041ま内庭側の面 をそろえて見切 りとし、溝偵Iは 雨落溝 の側石 を基準 に して径20〜40cmの
河原石 を4列
に敷 き並べ、溝偵1にわずか に傾斜 させ る。雨落 溝の側石 を含 む幅は約90cmあ る。後述す る廃棄土坑SK8395の東側では凝灰岩 を敷いているところ もあ り、部分的な補修 と考 えられ る。SX74211よ内庭側の見切石1列の残 りはよいが、そのほかの敷石 は側 石 とともに抜 き取 られている。雨落溝SD7420と の関係 をみる と、SX7504と同様 の規模 と構造 とを有 し ていた と考 えるが、SX7504に比べ石が小ぶ りで石 と石 の間に隙間が 目立つ。雨落溝 の側石や敷石の抜 取穴か ら中世の遺物が出土 している。暗渠
SD8380
雨落溝SD7503の延長線上 に位置 し、南面 回廊基壇 を南北 に貫通 し、基壇南側溝 に連結 す る。 同位置で数度の溝の掘 り直 しが観察 され、溝埋土か らは中世か ら近世の土器片、陶器片や瓦片 が出土す る。蓋石や側石、底石 は残 っていないが、溝埋土最下層 には凝灰岩の細粒 や砕片が含 まれて お り、元来 は凝灰岩切石 を組み合 わせ た暗渠であったことがわか る。暗渠北端 には凝灰岩の切石片が 残存 し、切石上面の標高は雨落溝SD7503の底石 と一致す ることか ら、雨落溝 に合 わせ て据 え られた暗 渠への入水 口であろう。溝
SD8381
回廊東南隅か ら南へのびる石組みの溝 (第9図 3)。 東面回廊東側の現代溝の下層で検出 し た。遺構 の掘形北端 は南面 回廊南側 の溝SD8385の南辺 に位置 し、南端 は調査 区外へつづ く。幅約1.3m の掘形 中央 に径20cm前
後の上面平坦 な石 を2列に敷 き並べて底石 とす る。西辺 には溝側の側面 を垂直 に加工 した石 を据 えて側石 とす る。溝東側の側石 はすべ て失われているが、抜取穴が確認 された。側 石 に挟 まれた溝 の幅は約40cm、 底石上面の標高は94.37mあ り、側石上面 は底石 よ り15cmほ ど高い。第9図
南面 回廊北側 の基壇外装 と外周遺構
1
基壇外装 と雨落溝 (東北から)2
基壇外装 と外周遺構 (東から)3
テ芦SD8381(東F菊か ら)階段
SX8382
本調査 区の北端 近 くで検 出 した、東 面 回廊SC7500西辺 の階段 であ る。段 石や階段 の築成 土 は残存 してい ないが、調査 区北端 にあ る基壇外装SX7502の地 覆石 の西側 に接 す る形 で凝灰 岩 の切 石 が 据 え られ てお り、雨 落溝SD7503は
この切 石 を迂 回 して西 狽1に張 り出 して い る (第11図)。 雨 落溝 SD7503の東 辺 に は長 条形 の抜 き取 り痕 跡 を検 出 した。 基壇 タト装 西 側 の切 石 は階段 北 側 の羽 目石 をのせ る地覆石 で、雨落溝東辺 の抜 き取 り痕跡 は階段 前面 の地覆石 にあた る とみ られ る。階段 北 狽1の羽 目石 をのせ る地覆石 は長32cm、 幅30cmあ り、地 覆石 の長 さか ら階段 の 出 は約30cmと わ か る。 階段 南側 の羽 目石 をのせ る地 覆石 は残 存 してい ないが、雨落溝
SD7503が
屈 曲す る位 置 を階段 の 南狽1と考 え、 そ の位 置 に北 側 と同様 の地 覆石 を想 定 した場 合 、 階段 地 覆石 の外 面 間 は約4.5mに復 元 で きる。 階段 の位 置 と幅 は、 階段 の東根1に位 置 す る東 面 回廊 の桁 行柱 間1間分 に相 当す る こ とか ら、 階 段 に対 応 す る門の位 置 を明 らか にす る こ とが で きる。回廊 基壇 高 の復 元 を試 み る。調査 区の北端 に残 る礎石 上面 の標 高
9564mと
、 基壇タト装SX7502の北端 に位 置 す る地覆石 上 面 の標 高95,05mと の比 高差 は059mあ
る。礎 石 上面 が基壇 上面 よ りも2寸
ほ ど高 か った と仮定 し、 さ らに基壇端 までの水垂 れ勾 配 を1寸
ほ ど と見積 もる と、葛石 上面 の標 高 は95.55m とな る(1寸 =3cmで
計 算)。 以上 か ら基壇 高 は約0.5m(1尺 7寸 )と
推 定 され る。 この基 壇 高 で あ れ ば段 石 1段で基壇 上面 に登 る こ とが可 能 であ ろ う。段 石 は地覆石 に直接 のせ る もの と し、1尺
角程 度 と想 定 す る と、 階段 の 出 と も整 合 す る。 葛 石 の厚 さは7寸
ほ ど とな る。 仮 に階段 前 面 を通 る雨 落溝 の上 に渡 りの ための板 石 が あ り、 そ の厚 さを3寸
とす れ ば、段 石 の蹴 上 げの高 さは7寸
とな り、葛石 の蹴 上 げ とも一致す る。 階段 両側 の羽 目石 や耳石 も含 めた復 元案 を第21図 に示 した (22ペ ー ジ)。東 面 回廊 西 辺 の基 壇 外 装SX7502は、 階段 の幅 に対応す る範 囲 の地覆石 が抜 き取 られて い る。 階段 北
郵 ミ
ぞ
第 10図
階段 (東北から)
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の地覆石 や、 そ の東 に接 す る基壇 外 装 の地覆石 は、抜 き取 り痕跡 を切 る形 で据 え られ てい る。 この こ とか ら、 階段 は基壇 外装 の地覆石 を抜 き取 った後 に構 築 した こ とにな る。 これ につ い て は基壇外 装 の 地 覆石 をい った ん通 した後 に、 階段 構 築 の ため に地 覆石 を抜 き取 る とい う一連 の工程 の 中で の状 況 と み るか 、 階段 の ない時期 が あ り、 後 に階段 を新 た に構 築 す る とい う時期 差 とみ るか、現状 で は どち ら と も決 し難 い。 中 門北 側 や 中金 堂 にお い て も、凝 灰 岩 の切 石 で構 築 され た階段 が検 出 され て い るが 、 いず れ も雨落溝 や石敷 とともに明確 な改I多の跡 が認 め られ た。本調査 で検 出 した階段 の時期 につ い て は、既往 の調査 成果 を考慮 した うえで検 討す る必要が あ ろ う。
回廊 の 階段 と して は興 福 寺 食 堂 の西 側 に取 り付 く軒廊 の事例 が あ る。軒廊 の北側 に位 置 し、 幅 は約 12尺 あ り、凝 灰 岩製 の廷石 、 地覆石 と段 石 が 1段残 存 してい る。周 辺 の雨 落溝 や石 敷 な どは検 出 され て い ない (奈良 国立文化財研 究所 『興福 寺 食堂発掘調査報告』、 1959年)。
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一一Y=15,176
一Y‐ 15,177
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第11図
階段
1
階段遺構平面図 (1:50) 2 F皆F曳 (口固か ら)(3)内
庭 部 の遺構回廊 に囲 まれた中金堂 院内庭 部 に相 当す る。表土 を取 り除 くと近世以 降の建物遺構 が検 出 された。
近世の瓦片、土器片 を含む茶灰色砂質土の包含層 を
30cmほ
ど下げると、近世以前の遺構が検 出される 遺構面 に達す る。内庭面 にはご く薄い白色砂 の層がひろが り、瓦片が埋 め込 まれた部分が一部 にみ ら れる。多 くの溝や小穴 を検 出 したほか、大型の廃棄土坑が南面回廊北側 に集中 している。廃棄土坑
SK8390〜 SK8396
土坑の形状は不定で、規模 も径2〜5mと
一定ではない。SK8390〜 SK8396は 大量 の瓦 とともに赤褐 色 の焼 土が含 まれてお り、火 災時 に生 じた廃 棄物 を処 理 した土坑 であ ろ う。SK8390〜 SK8393か らは奈良〜平安時代の軒瓦が出土 し、SK8395からは奈良時代か ら中世の軒瓦が出土 している。完掘 しているわけではないため推測 の域 を出ないが、 これ らの土坑 には時期差があると想 定で きる。中世以降のSK8395は石敷SX7504を壊 し、埋土 に石敷の敷石 と思 われる石が含 まれている。
瓦敷地業
SX3403
本調査 区西辺の断割調査で、内庭部の白色砂層 を取 り除 くと赤褐色 の焼土層が検 出 され、 この層 に覆 われるように大量の瓦が出土 した。焼土層 は20cmほ
どの厚みがあ り、瓦 はその下半 か ら出土す る。九瓦、平瓦が多 く、軒丸瓦、軒平瓦 も含 まれている。瓦 は黄色マ ンガ ン斑 の内庭部整 地土の上 に置かれ、向 きは不揃いだが西半に平瓦が まとま り、東半では九瓦が上下に重 なる (第14図 1)。土圧 によ り破砕 しているが完形 に復元で きる ものが多い。古代 の九瓦、平瓦が ほ とん どで、軒瓦 はす べ て奈良時代である。
瓦 の出土状 況 か らす る と、 回廊屋根 か らの崩落や単 なる遺棄 とは考 えに くい。焼土層 は石敷
SX
7421北 辺か ら1.8mほ ど北の瓦が出土す る範囲に限 られ、南 はSX7421の下 に もぐり込んでいる。焼土層 上面の標高は内庭の遺構面 と一致することか ら、火災後 この部分 を削 り込み、瓦 を敷 き焼土 をかぶせた
第12図
内庭 部 の遺 構
1
内庭部全景 (西南 か ら)14
2
内庭 部 東南 隅 (東北 か ら)3
廃棄土坑SK8890の瓦推積状況 (東か ら)第13図
調査区西壁断面図 部分 (1:40)
後 に石敷SX7421を敷設 した ことがわかる (第13図)。
柱列
SA3404
廃棄土坑SK8395の西側 に南北 に並ぶ柱列。柱筋や柱 間は一定ではないが、径40cm前
後の 柱穴内には完形 の九瓦が縦 に据 え られ、 自然石 の礎盤 を据 えている。恒常 的な建物 の柱穴 とは考 えにくく、法会時に憧 などを立てた穴の可能性がある。
仮設建物
SB7536
廃棄土坑群 の北 にある南北棟 の礎石建物で桁行6間分 を検出 した。1999年度の調査 で確認 した礎石建物の南半部 にあた り、既調査分 と合 わせ て桁行12間、梁行2間
の建物 となる。礎石 は一辺30〜40cmの
方形で上面 を平 らに加工 した切石で、礎石 の心心間の距離 は1.95mある。近世後半の 瓦 を含む包含層上 にあ り、1999年度調査 で示 された明治時代以降 とい う年代観 とも矛盾 しない。建物
SB8406
内庭南半部 に位置 し、長 さ20cm前
後の不定形の石 を地面 に敷 き並べ る。 この東 には東 に 伸 びる丸瓦列があ り、建物の基礎 と思われる。雨落SX8407は SB8406の西側 にあ り、南北 に伸 びる幅約 50cmの施設で、破砕 した平瓦 を木端立て して長条形 につ くる。南側 と西側 には瓦片 を平置 きした施設 が取 り付 く。建物SB84061こ ともなう雨落 と考 える。丸瓦列SX8408は建物SB8406の東側 に南北 に伸 びる 施設。瓦幅 よ りわずかに広い幅の浅い掘 り込みをして据 えている。区画施設 と思われる。第14図