スポーツ指導における「科学知」・「生活知」・「
経験知」の関係性 : アスリートへの栄養教育を手 がかりとして
その他のタイトル Relationship between "scientific knowledge", "
life knowledge" and "experience‑based knowledge" in sports coaching : Nutrition education for athletes
著者 津吉 哲士
発行年 2020‑03‑31
学位授与機関 関西大学
学位授与番号 34416甲第795号
URL http://doi.org/10.32286/00021342
2020年3月 関西大学審査学位論文
スポーツ指導における「科学知」・「生活知」・「経験知」の 関係性
―アスリートへの栄養教育を手がかりとして―
Relationship between "scientific knowledge",
"life knowledge" and "experience-based knowledge"
in sports coaching:Nutrition education for athletes
関西大学大学院
人間健康研究科 人間健康専攻
17D2503 津吉 哲士
スポーツ指導における「科学知」 ・ 「生活知」 ・「経験知」の関係性
―アスリートへの栄養教育を手がかりとして―
Relationship between "scientific knowledge", "life knowledge" and
"experience-based knowledge" in sports coaching
:Nutrition education for athletes
関西大学大学院 人間健康研究科 人間健康専攻 17D2503 津吉 哲士
<要旨>
1.問題の所在及び研究目的
今日,体育・スポーツの現場において,栄養・食事の適切な摂取が重要であることを疑う 余地はなく,アスリートを対象とした栄養教育の必要性も唱えられている.アスリートにと っての栄養・食事は,競技力の向上やコンディショニング等を目的としており,一般人と比 較して食事の量や回数,タイミングおよび栄養のバランス等に特殊性がみられるため,アス リートを対象とした栄養教育では日常の「生活知」に加え,栄養に関する「科学知」がその 実践において必要となる.また,アスリートに対する栄養教育において,指導者の役割は大 きいと言われており,実際に指導するアスリートの栄養・食事に高い関心を持ち,栄養教育 に取り組んでいる指導者が見受けられる一方で,現場によっては「科学知」が軽視され,指 導者による「経験知」に基づく栄養教育が実施されているという現実がある.したがって本 論では,スポーツ指導現場での栄養教育における「科学知」,アスリートの「生活知」,指導 者の「経験知」を問題の所在とした.
そこで本論は,スポーツ現場での指導において,「科学知」,「生活知」,「経験知」がどの ような関係性を構築しているのかを,指導者による栄養教育を手がかりとして明らかにす ることを目的とし,スポーツ現場における栄養教育の在り方について提言する.
2.結果及び考察
1)体育・スポーツにおける「科学知」としての栄養
「体育」という言葉が初めて文献に現れた明治時代から現在までの体育・スポーツ関連資 料の「栄養」について記述されている部分に焦点を当て,内容分析を行うことにより,体育・
スポーツにおいて栄養が「科学知」としてどのように位置づけられているのかを明らかにし た.その結果,「科学知」としての栄養は,社会的背景に影響を受けながら様々な形で体育・
スポーツの現場において活用されるよう試みられてきた.しかしながら,「科学知」として の栄養が,実際にアスリートによる実践に繋がっているのかは議論の余地が残された.
2)栄養サポートがアスリートの食生活・競技生活に与える影響
栄養学を専門とする大学教職員とその指導を受けた大学生によって実施された栄養サポ ートが,大学生アスリートの食生活や競技生活にどのような影響を与えているかを調査す ることにより,栄養に関する「科学知」がスポーツ現場でのアスリートによる実践に影響を もたらすのかを検討した.その結果,「科学知」を伝達するのみの栄養サポートでは,アス リートの食生活における実践に変化を与えることが出来ず,最終的な目的である競技力向 上やコンディショニングに繋がらなかった.したがって,栄養サポートにおいては,栄養に 関する「科学知」に加え,その「科学知」を実際の食生活に活用するために必要な「生活知」, さらにはそれらの「知」を連携させながら,アスリートが実践できるよう導くために,指導 者の「経験知」の必要性が示唆された.
3)指導者の栄養サポートにおける「科学知」,「生活知」,「経験知」に関する研究
指導者向けのスポーツ雑誌に着目し,「科学知」と「生活知」,そして指導者の「経験知」
の情報がどのように提供され,捉えられてきたのかを社会的背景を踏まえながら分析した.
その分析結果から,アスリートの栄養・食事に関して「科学知」を活用するには,アドバイ ザーや栄養専門家がそれらを日常の「生活知」と連携させるだけでは十分でなく,指導者が 個々の現場で検証して,自身の「経験知」を「科学知」で裏打ちされたものに書き換える必 要があるとの結論に至った.しかしながら,この研究で実施したスポーツ雑誌の内容分析だ けでは,指導者の「経験知」を捉えることが不十分であることも判明した.
4)指導者の栄養教育における「経験知」,「科学知」,「生活知」の構造
スポーツ現場において栄養教育を実施している高校生アスリートの指導者を対象として,
指導者が選手に栄養教育を実施するようになったプロセスを検討するとともに,指導者の
栄養教育による「科学知」,「生活知」,「経験知」の構造を明らかにすることを目的にインタ ビュー調査を実施した.その結果より,指導者による栄養教育では,「科学知の内面化」,ま た「経験知の科学知による裏づけ」など,指導者の「経験知」と「科学知」を連携させてい ることや,食生活の実践に活用される「生活知」との連携を図るために保護者との連携に意 識を向ける指導者が存在したことから,指導者の「経験知」は,競技力向上やコンディショ ニングに必要な栄養に関する「科学知」とアスリートの日常における「生活知」との橋渡し 的な役割を担っていることが明らかとなった.また,指導者の「経験知」をアスリートの「経 験知」に繋げていくためには,栄養専門家やアドバイザー,また保護者との連携など,栄養 教育に必要な環境を整えていくことが重要であることが示された.
3.結論
本論により,スポーツ現場での指導における「科学知」,「生活知」,「経験知」の関係性を,
指導者による栄養教育を手がかりとして明らかにすることができた.指導者による栄養教 育実施のプロセスでは,栄養に関する指導者の「経験知」が,栄養教育を受けたアスリート の「経験知」となり,さらにこの選手が将来的に指導者になった際に実施する栄養教育に大 きな影響を与えると考えられる.したがって,栄養教育において指導者の「経験知」をアス リートの「経験知」に繋げていく際には,その構造をよく理解し,「経験知」と「科学知」
及び「生活知」の相互作用について考慮した上で実施することが望ましい.そのためには,
指導者が自身の「経験知」と「科学知」及び「生活知」を連携させるための機会や環境を整 備していくことが重要である.
本論の結果より, そのキーポイントの1つとして,指導者と栄養専門家やアドバイザー との連携が挙げられる.その連携により,指導者が「科学知の内面化」や「経験知の科学知 による裏付け」を行い,そこから生成された指導者の「経験知」を指導者間で「共同化」す る,以上のようなモデルを構築することが重要である.また,このような「科学知」と連携 した「経験知」をアスリートが自身の「経験知」として獲得していくためには,「生活知」
との連携が必要となるが,そのためには高校生アスリートの食生活における主な調理担当 者である保護者との連携も不可欠である.
以上のような環境の整備を実施し,「科学知」及び「生活知」と連携した指導者の「経験 知」をアスリートに伝達することが,今後の栄養教育の望ましい在り方ではないかと考える.
目 次
序章 本研究の目的と方法・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
第 1 節 スポーツ現場における栄養教育の現状・・・・・・・・・ 1 第 2 節 問題の所在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 第 3 節 先行研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 第 4 節 研究目的及び研究方法・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
第 1 章 体育・スポーツにおける「科学知」としての
栄養に関する研究・・・・・ 10
第 1 節 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 第 2 節 明治期における栄養の位置づけ・・・・・・・・・・・・ 11 第 1 項 明治初期(明治元年-10 年代)・・・・・・・・・・・ 11 第 2 項 明治中期(明治 20 年代) ・・・・・・・・・・・・・・ 15 第 3 項 明治後期(明治 30-40 年代)・・・・・・・・・・・・ 22 第 3 節 大正期から昭和初期における栄養の位置づけ・・・・・・ 31 第 4 節 戦後から東京オリンピックにおける栄養の位置づけ・・・ 40 第 5 節 東京オリンピックから現在における栄養の位置づけ・・・ 44 第 6 節 まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 46 文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47
第2章 栄養サポートがアスリートの食生活・競技生活
に与える影響・・・・・ 50
第 1 節 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ 50
第 2 節 研究方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
第 1 項 調査時期と調査対象・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
第 2 項 調査方法と調査内容・・・・・・・・・・・・・・ ・・ 51
第 3 項 倫理的配慮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 52
第 4 項 統計処理・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・ 52 第 3 節 研究結果および考察・・・・・・・・・・・・・・・・・ 53 第 1 項 対象者の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 53 第 2 項 栄養サポートが好影響を及ぼした食生活・競技生活・・ 54 第 3 項 選手が期待する栄養サポート・・・・・・・・・・・・ 55 第 4 項 種目別,性別,居住形態別,アルバイト有無別の比較・ 56 第 4 節 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 60 第 5 節 まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・ 62 文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・ 63
第3章 指導者の栄養サポートにおける
「科学知」 , 「生活知」 , 「経験知」に関する研究・・ ・・ 64 第 1 節 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 64 第 2 節 研究目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 65 第 3 節 研究方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 65 第 4 節 研究結果および考察・・・・・・・・・・・・・・・・・ 66 第 1 項 栄養関連情報の概要・・・・・・・・・・・・・・・・ 66 第 2 項 1950 年代~1970 年代の栄養関連情報・・・・・・・・ 67 第 3 項 1980 年代~現在の栄養関連情報・・・・・・・・・・ 72 第 5 節 まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 76 文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 78
第4章 指導者の栄養教育における
「科学知」 , 「生活知」 , 「経験知」の構造・・・・・・・ 80
第 1 節 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 80
第 2 節 研究方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 82
第 1 項 対象者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 82
第 2 項 インタビューの手続き・・・・・・・・・・・・・・・ 82
第 3 項 調査方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 83
第 4 項 分析方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 83 第 5 項 倫理的配慮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 84 第 3 節 研究結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 86 第 1 項 各カテゴリーについて・・・・・・・・・・・・・・・ 86 第 2 項 「指導者による栄養教育実施のプロセス」
のストーリーライン・・・・・・・ 94 第 4 節 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97 第 5 節 まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 99 文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 101
結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 102
第 1 節 本研究の総括及び今後の課題・・・・・・・・・・・・・ 102
第 2 節 今後の栄養教育の在り方・・・・・・・・・・・・・・・ 104
初出一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 106
序章 本研究の目的と方法
第1節 スポーツ現場における栄養教育の現状
今日,体育・スポーツの現場において,栄養・食事の適切な摂取が重要であることを疑う 余地はない.「食事は競技成績に大きく影響する.アスリートは精神的,身体的能力を最大 限に発揮するために練習と試合の前,中,後に必要な栄養を摂るようにする.根拠に基づい た食事の量,質,タイミングに関する指針は練習効果を高めたり傷害を防止したりするのに 役立つ.必要なエネルギー,栄養成分,水分やスポーツの特性に応じた練習時,試合時,そ して回復時の栄養補給に関するスポーツ栄養の専門家の助言は役立つ」という言葉は,「ス ポーツ栄養に関するIOCの合意声明2010」(大阪体育大学運動栄養学研究室,2011)の冒頭 に記され,スポーツにおける栄養の重要性や必要性を指摘している.この「スポーツ栄養」
という言葉がわが国で使われ始めたのは1990年代からとされており,スポーツ栄養学とは
「競技力を支える学問領域の1つで,もともとは運動生理学の一部であり,競技力向上のた めに何をどのように摂取すべきかという疑問を解決するための研究学問である」と定義さ れ,科学研究として社会的に認識されている(田口,2013a).
ところで,わが国のスポーツ医・科学研究の中枢機関である国立スポーツ科学センター
(以下「JISS」と略す)では,競技者のパフォーマンスに直接的・間接的に影響を及ぼすと 考えられる基礎的,共通的及び種目対応的な項目についてスポーツ医・科学的な検査・測定 を行い,競技力の向上に資するための科学的情報を提供することを目的として「スポーツ 医・科学支援事業」が行われている.その中には,フィットネスサポート,心理サポート,
情報技術サポート等とともに栄養サポートも含まれており,競技者の目的に合わせた望ま しい食事の摂り方等についてアドバイスを行っている.アスリートを対象とした栄養サポ ートでは,「現状の把握や課題設定のためにアセスメントを実施し,その結果から個人の具 体的な目標を設定する.栄養サポートの計画は,個人目標を達成するためにいつ,どのよう に,どのくらい行うかという行動計画と,行動計画の根拠となる栄養補給計画,行動計画を 実行するために必要な知識とスキルを教育する栄養教育計画,行動計画を実行するために 必要なスタッフ連携で構成される」と具体的な指針が示されている(鈴木,2012).
このような指針は,研修会や書籍,雑誌などの出版物,インターネットなど多様な形式に て情報発信されており,管理栄養士など栄養関連の有資格者が中心となり,トップアスリー トから成長期のジュニアアスリートに至るまで,「スポーツ栄養学」をベースとした科学的
な栄養教育が実施されている.
第2節 問題の所在
われわれが,健康的な生活を営むために必要な栄養素は,日常生活における食事から摂取 されており,いつ,どこで,なにを食べるのかは主に「生活知」によって営まれている.奈 良・伊勢田(2009)は「生活知」を「生活について,あるいは生活の中で人々が知り得た情 報である『生活の知識』と生活に必要な思考スキル,あるいは生活する人が経験や伝承など を通して身につけた思考のスキルである『生活の知恵』を総称したものである」としている.
そこで,本論では食における「生活知」を「個人が健康に生活できる最適な食事を摂取する 際に求められる,食品や調理法の選択に必要な知識や知恵」と定義する.一般的な栄養教育 では,このような「生活知」を対象者に情報発信し,日常の実践に繋げることを目的とする.
アスリートの食事においても同様に「生活知」をベースに用いて営まれているわけであるが,
アスリートにとっての栄養・食事は,競技力の向上やコンディショニング等を目的としてお り,一般人と比較して食事の量や回数,タイミングおよび栄養のバランス等に特殊性がみら れる.したがって,アスリートを対象とした栄養教育では「生活知」に加え,目的を達成す るために栄養に関する「科学知」を実践において活用する必要がある.
第 1 節で述べたアスリートに対する栄養教育は,管理栄養士など栄養の専門家のみなら ず,保護者,監督・コーチなどの競技指導者(以下「指導者」と略す),トレーナー,運動 生理学を中心とした研究者など様々な立場の者によって行われているが,石田(2011)は「指 導者は選手への影響力が最も大きい.したがって,選手に対し正しい栄養・食情報発信源と なるようにしなくてはならない」と述べ,スポーツ現場での栄養教育における指導者の役割 の大きさについて言及している.また,田口(2013b)は,アスリートに対する栄養教育に ついて「選手のみならず,指導者はその重要性を認識してみずから学び,栄養と食生活につ いての知識と実践力を選手が養えるような栄養教育のプログラムを企画,立案する責任が ある」として,指導者が選手に対する栄養教育の主体であるべきであると指摘している.公 認スポーツ指導者育成テキスト(日本体育協会,2010)では,「指導者として重要なことは,
個々の競技者やチーム全体に科学的根拠に基づいたスポーツ栄養のノウハウを伝達し,競 技生活の中で実践させる能力を身につけさせ,根気強くバックアップしていくことである」
と記載されており,さらに一歩進んだ栄養管理のために栄養専門スタッフと連携すること の必要性について指摘している.また,神奈川県教育委員会(2011)や広島県教育委員会
(2010)が発行している部活動マニュアル等では,部員の健康管理を目的とした栄養の補給 や適度な休養に留意させるよう指導者に呼びかけており,文部科学省(2013)では,指導者 には当該スポーツ種目の技術的な指導などとともに,生徒の健康管理,安全確保,栄養管理 等を行うことが望まれており,また専門家との協力体制の構築が薦められている.
このように,スポーツ現場での栄養教育における指導者の役割は重要である.しかし一方 で,指導者による栄養教育が必ずしもスポーツ栄養学の理論を踏まえておらず,「科学知」
を軽視して行われているとの指摘もある.例えば,スポーツ系大学に所属する学生に「過去 に食生活に関して競技指導者より受けた指導」について質問を実施した武田(2015)の研究 では,「弁当を残した者は試合に出さない」,「ご飯は吐くくらいまで食え」,「ご飯を茶碗 3 膳以上食べないと試合に出さない」,「お菓子と炭酸飲料の摂取禁止」などの回答が挙がった ことから,食事に関して指導者による「強制的な指導」行われているケースがあることを明 らかにし,さらにこれらの食生活に関する強制的な指導が,アスリートの体の成長に負の影 響を与えるだけでなく,プレイヤーとしての自立(自律)など内面的な成長にも影響すると 懸念している.実際に,指導者からの厳しい体重管理や食事制限によって摂食障害となった 陸上競技選手,指導者から強制的にご飯を食べさせられたことにより,食べることが怖くな った少年野球選手,パフォーマンス向上のために指導者の指示で貧血でもないのに毎月鉄 剤注射をうけた高校生陸上競技選手などの例が報告されている.このようにアスリートを 対象とした指導者による栄養教育において,栄養に関する「科学知」に基づく教育が必要で あるとの認識が広まっている一方で,スポーツの現場によっては「科学知」が軽視され,指 導者による「経験知」に基づく栄養教育が実施されているという現実がある.
したがって本論では,スポーツ指導現場での栄養教育における「科学知」,アスリートの
「生活知」,指導者の「経験知」を問題の所在とした.また本論では,指導者がスポーツの 現場で,自らの経験あるいは他の指導者の経験から得られた情報を行動基準としたものを
「経験知」と定義した.スポーツの「経験知」は,一般的な健康の維持・増進を志向する「生 活知」と違い,健康より勝利が優先され,スポーツ種目別に求められる身体特性が異なる特 殊性があることをここで確認しておきたい.
第3節 先行研究
奈良・伊勢田(2009)によれば,「科学知」と「生活知」は,次のような特徴の違いから 分断されて取り扱われやすいという.まず,「生活知」は経験を通して獲得されているため 個々人の具体的な問題発見力と問題解決力の向上につながりやすいのに対し,「科学知」は 公共の知識として整理されており生活に入りにくい.また,科学的な検証を経た知識が重視 されるようになったという文脈において,そうした検証を経ない「生活知」は,非科学的な ものとして排除されるようになった.そして,専門家と生活者の関係は「教える人と教えら れる人」の関係であり,「科学知」が増産されればされるほど,両者の分離は進む.すなわ ち専門家からは生活者の「生活知」が見えにくくなり,生活者からは専門家の「科学知」を どう取り入れればよいか理解できなくなる.これらの理由により,「科学知」と「生活知」
の切り離しが生じていると指摘している.
このような「科学知」と「生活知」の分断の可能性は,スポーツ現場においても想定され る.浅見(1989)は,科学と実践の現場との間にあるギャップ,とりわけ現場サイドが科学 に対して不信感を抱く理由として,科学に即効性を求めすぎることを指摘しており,それが スポーツ現場の栄養においても同様に,アスリートにとって本来必要であるはずの「科学知」
が敬遠され,日常の食生活に実践に用いられる「生活知」に繋がらないケースがあるのでは ないだろうか.また,先に述べたような「科学知」を軽視した指導者の「経験知」に基づく 栄養サポートが「科学知」と「生活知」の分断を生じさせている可能性も考えられる.
一方で,奈良・伊勢田(2009)は,専門家と生活者は互いに異なる文脈において秀でた「知」
を持っており,それらを相互補完的に活用することにより,複雑な現実世界での問題解決に 近づく可能性が期待できるのではないかと2つの「知」のコミュニケーションの重要性を提 起している.現代の「科学知」と日常の生活者がどうつきあうべきかを検討した西山(2013)
もまた,専門知や日常知という言葉を用いて,「現代の日常生活者は,様々な場面で科学の 専門知を頼りにしながら,その専門特化と研究領域の細分化への対応に苦労している.その 一方で,科学の専門家の多くも,誰に対して,何を根拠にその研究の価値を説明すべきか苦 慮している.それゆえに,科学知と日常知を架橋する試みは,立場の違いを超えて,広く世 間で求められている」と述べ,2つの「知」の連携について言及している.
このような「知」の連携は,アスリートに対する栄養教育においても求められている.数 多くのアスリートに対して栄養サポートを実施している鈴木(2018)は,「アスリートの身 体は,一人一人全く違う.身体だけではなく,すべてが一人一人違うのだ.そのため,栄養
サポートは,理論を一人一人に合ったものにアレンジして実践する必要がある」と述べてい るが,これはアスリートに対して栄養サポートを実施する場合においては,普遍的な「科学 知」を提供するだけではなく,それを個別的な「生活知」に転換できるようなサポート,す なわち2つの「知」の連携の必要性について指摘している.
1990年8月に発行された『指導者のためスポーツジャーナル』では,国際スポーツ栄養 シンポジウムの特集が組まれており,「瞬発力を高めるトレーニングと栄養とは」というテ ーマのパネル・ディスカッションについての記事が掲載されている.その中で,サラ・H・
ショートはアスリートの食事ついて,「科学的な情報を,現場をよく知っている人たちを使 って,実際に現場で適用できる形に置き換えてもらうことが大切だと思います」と述べ,「科 学知」と「生活知」を連携させる役割を担う者の重要性を説いた.また同じくパネリストを 務めた佐藤満は,「科学などの情報があまりに現場から離れすぎてしまっていることもあり ます.仕方ないので,自分で勉強して,自分の経験を理論づけていかざるを得ないのが現状 です」と述べており,この発言より「科学知」から「生活知」への変換に自身の「経験知」
を活用していたことが窺える.さらに,コーチング学を専門とする岡野(2019)はスポーツ 現場において「科学知」を活用するためには,「指導者の感覚的な思考や勘に基づく現場の 活動や経験から得られた知」である実践知の重要性を説いた.これらのことは,アスリート に対する栄養教育での「生活知」と「科学知」の連携において,指導者の「経験知」が影響 している可能性があることを示唆しているが,体育・スポーツ分野において,そのような
「知」の関係性について検討した研究はこれまでにほとんど見受けられない.
一方,経営学の分野では,野中郁次郎が「知識創造理論」において,「形式知」と「暗黙 知」の関係性によって表現されるSECIモデルを提唱し,それが分野を越えて教育や医療の 現場にも活用されている.この理論において,「形式知」は,言葉や数字で表すことができ,
厳密なデータ,科学方程式,明示化された手続き,普遍的原則などの形でたやすく伝承でき る知識,「暗黙知」は,非常に個人的なものであり,形式化しにくいため,他人に伝達して 共有することが難しい知識と定義されている(野中・竹内,1996).また,「暗黙知」は,言 語化やドキュメント化が困難な知であり,人間の体に蓄積された知であるため経験知とも いえる,全身,五感で獲得される知でもあるとも述べられている(野中ほか,1997).SECI モデルは,この「形式知」と「暗黙知」による相互作用のプロセスを①共同化(Socialization),
②表出化(Externalization),③連結化(Combination),④内面化(Internalization)と いう4つのフェーズで表現したものである.
このモデルにおける,「共同化」とは,個人が経験を共有することによって暗黙知を創造 するプロセス(暗黙知→暗黙知)であり,それに続く「表出化」とは,個人のもつ暗黙知が グループに伝達されやすい形式知として明示化されるプロセス(暗黙知→形式知)とされて いる.さらに,「連結化」とは,形式知同士が組み合わさって新しい知識体系を創出するプ ロセス(形式知→形式知)であり,「内面化」とは,形式知を実践(身体化)することで,
新たな暗黙知を獲得するプロセス(形式知→暗黙知)とされており,知識創造を組織的に実 施するプロセスとして普及している.野中(2019)は,この組織的な知識創造は,「形式知」
による科学的アプローチと「暗黙知」的アプローチの相互補完関係によって成り立つとして,
「形式知」と「暗黙知」を二項対立(dichotomy)として捉えるのではなく,二項動態(dynamic duality)として双方を両立させる必要性を唱えている.
以上のように,一般社会においては「科学知」が強調されるほど,日常における「生活知」
との乖離は大きくなる.それはスポーツ現場においても同様であり,科学と実践の現場との 間にあるギャップという形でしばしば問題を生じる.その問題を解消するために,「科学知」
を取り扱う専門家と「生活知」を活用する日常生活者は,それぞれの立場からお互いに歩み 寄ろうとし,世間もまたそれを求めている.そして,スポーツ界においても「科学知」(形 式知,専門知)と「生活知」(日常知)は,乖離しつつも相互補完の道を探っているのだが,
先行研究が示すように,スポーツ現場において特徴的であるのは,その関係において指導者 が自らの実践により獲得した「経験知」(暗黙知,実践知)というスポーツ独自の知の影響 が大きいという点である.
そこで本研究では,指導者によるアスリートへの栄養教育において,「科学知」,「生活知」,
「経験知」がどのような関係性を構築しているのかを明らかにする.このような試みはこれ までになされておらず,先に述べた「知」の構造を明らかにすることで,今後の栄養教育の 在り方に提言を行い,実践の場で生じている問題の解決に繋げていくという意味において,
本研究の意義は大きいと考える.
第4節 研究目的及び研究方法
本論は,スポーツ現場での指導における「科学知」,「生活知」,「経験知」の関係性を,指 導者による栄養教育を手がかりとして明らかにすることを目的とする.その結果から,スポ ーツ現場における栄養教育の在り方について提言する.
その方法として,まず第1章では,「体育」という言葉が初めて文献に現れた明治時代か ら現在までの体育・スポーツ関連資料を対象として,「栄養」について記述されている部分 に焦点を当て内容分析を行うことにより,体育・スポーツにおいて栄養が「科学知」として どのように位置づけられてきたのかを明らかにする.この栄養に関する「科学知」がアスリ ートの実践にどのように反映されるのかを確認するために,第2章では,大学生アスリート を対象とした栄養サポートがアスリートの食生活および競技生活に与える影響について分 析する.それにより,アスリートにとって極めて重要である栄養に関する「科学知」が実践 の場において活用されているのかを検討する.この大学生アスリートを対象とした栄養サ ポートは,栄養学を専門とする大学教職員とそれを学ぶ大学生により実施される.栄養サポ ートを担当する大学教職員は,サポート対象である競技種目の経験及び指導経験がない者 が大部分である.一方,中学や高校の運動部活動においては競技経験を有する指導者のアス リートへの影響が非常に大きいため,指導者はアスリートに対する栄養教育においても重 要な役割も持っていると言える.しかしながら,現在のスポーツ現場において,「科学知」
を軽視し,指導者の「経験知」に基づいた栄養教育がしばしば問題視されている.
そこで,第3章では,栄養サポートにおいて「科学知」と「生活知」,さらには指導者の
「経験知」がどのように出現し,関係性を構築してきたのかを明らかにするために,栄養に 関する記事が豊富であるという特徴をもつ「陸上競技マガジン」に着目し,1951 年から現 在までの栄養サポートにおける「科学知」,「生活知」,「経験知」に関する情報の内容を分析 する.さらに第 4 章では,第3 章で分析した内容をもとに高校生アスリートの指導者を対 象に「指導者による栄養教育」について半構造化面接法によるインタビュー調査を行い,指 導者が選手に栄養教育を実施するようになったプロセスを検討するとともに,指導者の栄 養教育における「科学知」,「生活知」,「経験知」の構造について明らかにする.
最終的に,これらの研究から得られた知見と課題について述べ,スポーツ現場における栄 養教育の今後の在り方について提言することを目的とする.
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第1章 体育・スポーツにおける「科学知」としての栄養に関する研究
第1節 はじめに
序章において述べた通り,現在,アスリートを対象とした栄養教育において,栄養に関す る「科学知」が重要であるとの認識が広まっている一方で,スポーツ現場の指導者による「科 学知」を軽視し,「経験知」に基づいた栄養教育の実施が問題視されるケースがみられる.
したがって,スポーツ現場での指導者の栄養教育における「科学知」,「生活知」,「経験知」
の関係性を検討する上で,これまでの体育・スポーツ現場において「栄養」がどのように取 り扱われていたのかを調査する必要があると考えた.
これまでに,体育・スポーツ現場における「栄養」の位置づけについて検討した研究はみ られないものの,「栄養」が「科学知」としてどのように成立してきたかを論じた先行研究 としては,村田(2001)が,「栄養」概念の系譜を明らかにするとともに,20世紀初頭に日 本が「栄養」研究の先進国になりえたことの社会的・政治的背景について,権力論の立場か ら説明を試みた研究が存在する.その研究では,食という人間的行為を,ただひとつ,「栄 養」の問題に特化して論じることが合意された明治大正期の社会的・言説的状況に着目する ことにより,日本の初期近代における「栄養」と権力との特異な結びつきが明らかにされた.
その中で村田は,わが国における栄養学の成立と展開を,明治10年代の兵営における脚気 の蔓延というコンテクストと,大正年間における食糧問題(米騒動など)という政治的コン テクストの中にそれぞれを解きほぐして示すことを試み,それにより,知識の単線的な発展 過程と思われたものが,じつは相互にどんな連続性ももたないそのときどきの政治的要請 と結びついてでてきたものであることを示した.
さらに村田は,日本の栄養に関する研究が興隆する契機として前述の脚気や食糧問題よ りも,長期的かつ根源的な問題として,身体のつよさ・大きさをめぐる西洋人への強烈な劣 等意識の存在を取り上げた.このような意識の背景にあったのは,日本と西洋との間に存在 していた国力および産業化・近代化の度合いにおける歴然たる「格差」であり,日本の初期 栄養学の実践は,まさにそうした「格差」と劣等意識をめぐる実践であったと分析している.
この研究の中では,明治時代の栄養学者らが旧来的な日本式食品(米,魚,大豆など)と西 洋型食品のシンボルとされた肉類との食品成分の比較や,陸軍士官学校および囚徒を対象 とした食事調査の結果から,彼らが摂取する一日の平均栄養所要量のデータを作成してい たことなどが報告されており,当時から栄養が「科学知」として取り扱われていたというこ
とを示している.
そこで本論では,この先行研究を参考に,「体育」という言葉が初めて文献に現れた明治 時代から現在までの体育・スポーツ関連資料を対象として,体育・スポーツにおいて,栄養 が「科学知」としてどのように位置づけられているのかを明らかにすることを目的とした.
第2節 明治期における栄養の位置づけ
第1項 明治初期(明治元年-10年代)
明治期前半における「体育」という言葉の意味について研究した抱江ほか(1984)による と,日本の学校体育に初めて制度として体育が取り入れられたのは,1872 年の学制発布で あり,翌 1873 年には「体操」に改められ,その名称は終戦時まで続いたとのことである.
さらに,明治5年から10年代にかけては,諸外国からの知識集得の為,身体を健康に保つ ことが要求されたが,10年代の後半には,「体育」の独自性が生まれ,身体を強壮にして精 神をそう快にするという意味をもち,やがてこの「体育」が国家の目的遂行の手段となって いったと分析し,当時の「体育」を健康論的体育(三育主義の立場に立ち,身体の各器官の 働きを活発にさせ,健康を保持増進させること),身体強壮論(健康論的体育が基礎にある が,特に身体を強くすることを強調し,その結果精神をそう快にさせること),国家論的体 育(国家の義務や目的遂行の為に体育が用いられ,その為に身体を強壮にし,精神を高揚さ せること)というように三種類に大別した.
「体育」という言葉が初めて文献に現れるのは1876年であるが,この時期における文献 は,前述の分類によると,ほぼすべてが健康論的体育あるいは身体強壮論である.岸野(1959)
は,この時期の体育(体操)について,「文明開化を反映した初年代の体操は,強いて図式 的にいうならば,医学的合理主義に基く保健思想を背景とした体操であり,国防への危機意 識から生じた教練や操練系譜が体操ではなかった.そして,この伝統は『普通体操』を通じ て,長く明治の学校教育の正統派としての地域を確立する」と述べている.これらの記述が 示すように,この時期の「体育」は,軍事的な影響が皆無であったとは言わないまでも,あ くまで体操によって国民の健康を保持することに主眼を置いていたことは明らかである.
そしてこの時期において,「体育」による健康の保持や身体強壮を達成するための中心的 な役割を担ったのが「体操伝習所」である.これは,「わが国にとって適当な体育法を選定 し,体育教員の養成すること」を目的に文部省が1878 年10 月に設置したものである.当
時,軍事的な影響を受けていた学校体育を体操伝習所の講師として招聘されたジョージ・ア ダムス・リーランド(以下「リーランド」と略す)が批判し,軍隊と学校との役割の違いを 踏まえ,それぞれにふさわしい体操を実施すべきとして,体操伝習所においては保健目的の 体操を採用した.また,体操伝習所では,授業の成果を教官や卒業生がまとめて出版したも のが多く,『新制體操書』や『新撰體操書』は100冊架蔵され,生徒の教科用図書として十 分に活用されていたとの報告もある(阿部ほか,2009).
明治時代の学校教育における体操観を研究した木下(1957)によると,1872 年の学制発 布当時の文部当局は国民皆学を基本方針とし,智育,徳育,体育の三育思想に立脚し,体育 を身体の健康維持と解して身体運動,体操の必要性,即ち「身体教育」的体操観を認めてい たようである.また,この時代の「体育」という語はしばしば「体育法」として使用される 場合「体操」と同義に使用される傾向が認められているが,文部当局は「体育」は目的であ り,体操はその一手段であると認識していたとのことであった.さらに,前述のリーランド 氏の体操観は,「教育的立場から身体の健康の価値を認め,その体育法として少力運動(軽 体操)を支持したのであって,1872 年に発布された学制以来我が国文部当局を中心として 認められる身体教育的体操観と一致していたと云える」と述べ,従来諸学校で行われていた 軍式体操を教育上不適当であるとしていたようである.しかしながら,1883 年の徴兵令改 正によって,文部省は軍事的要求に基づく軍事訓練の目的で,歩兵操練を学校へ導入する必 要がでてきたため,1885年に歩兵操練を「兵式体操」と改称した.「操練」ではなく「体操」
に改称したことは,あくまで軍事的要求に基づくものではなく体力発達及び徳育的慣習の 形式を目的とするもであったと木下は論じているが,一方で体育の現場に軍事的な観点の 導入が免れない状況も窺い知ることができる.
以上のように,この時期における「体育」は健康の保持や身体強壮を達成するための中心 的な役割を担う一方で,軍事的な要求にも対応せざるを得ない状況にあったと言える.
一方,この時期の栄養の動向について,村田(2001)は,「栄養という視座がわが国の歴 史上はじめて公的言説の舞台に登場したのは,明治10年代のことであり,そのきっかけの 1 つとなったのが,当時社会問題化していた脚気の問題である」と述べている.『栄養科学 の歴史』(安本ほか,2013)によると,脚気は,コメを主食とするアジア諸国に古くから多 発した死に至る病であり,日本では都市化が進み始めた元禄時代(1688~1704 年)から,
都市部で精白米を好んで消費するようになると「江戸煩い」あるいは「大坂腫れ」と呼ばれ た疾患が,農村部から移住してきた若者たちのあいだで広まったとのことである.また,脚
気の影響は,特に軍隊において深刻であり,明治10年代における海軍では毎年兵員の30%
程度が脚気に罹患し,軍事行動に支障をきたすことが危惧されていたと記述されている.
川村(1972)によると,「明治時代初期,日本のみならず西欧諸国においても『脚気』が 注目されていたが,18~19 世紀の医学界は細菌学の栄えた時代であったため,脚気も細菌 によるという学説が有力視されていた.1896 年には,オランダ人医師のエイクマンが糠の 水,又は糠のアルコールエキスによって脚気症状が改善されることを発見し,脚気病研究の 上に大きなエポックをつくったが,その後も細菌説や中毒説はあとを絶つことはなかった」
とのことである.また,日本では,「海軍軍医の高木兼寛が航海時の食事において,米を減 らし,パン,牛乳,野菜を増加した結果,脚気は著しく減少し,海軍では1887年すっかり なくなった」と報告している.しかしながらその後,西欧諸国と同様に日本においても,細 菌説や中毒説を唱える者は存在したようである.このようにまだビタミンというものが広 まっていなかった明治時代の前半では,「暗中模索の時代」(萩原,1960)という言葉が示す とおり,「栄養学」の分野は未だ確立しておらず混沌とした状況であった.
また,わが国における食品の分析はこの時代に発展を遂げた.安本ほか(2013)によると,
国民の健康・栄養状態の把握を行うために,明治政府によって海外から招聘された研究者た ちが,日本人の常食としている食物に着目し,1878 年に「日本食物の分析表」,1879 年に
「穀物分析表」を作成したとのことである.そして1883年,これらの成分データを一覧で きる形式にまとめた本邦最初の食品成分表である「日本飲食品分析表」が出版された.さら にこの時代には,生きていくために必要な最低基準の栄養所要量を示した「本邦人の保健食 料」も発表された.
このような背景の中,この時期の体育関連資料において「科学知」としての栄養は存在し ていたのであろうか.国立国会図書館の蔵書検索システムにおいて「体育」をキーワードに 明治時代(1868年以降)の資料を検索した結果,出版年の最も古いものは,1879年に東京 玉沽堂から発行された『體育新書』(久松義典,1879)であった.また,体育学研究第5巻 第2号において,木下(1961)は「明治時代の体育論に関する図書一覧」という表を掲載し ているが,その中で最も古い図書も同様であったことから,この『體育新書』を起点として,
体育・スポーツ関連資料の中での「栄養」について記述されている部分を分析した.『體育 新書』は,文部省御傭教師であるリーランドが体操伝習所にて講義した体育論の内容を受講 生である久松義典が筆記したものである.前田(1971)は,『體育新書』の意義について「体 育新書はわが国に,新しい体育の姿を最も早く紹介したという点で当時における先進的書
物であり,明治の時代を迎えても体育の普及,発展は望めなかった状況のなかで,最新の体 育理論としての役割を果たしたと考えられる」と述べており,また「リーランドの理論と実 際を最初に筆記した体育新書は全ての人に必要な健康の保持増進のための体育を説くもの であった」とあるように特定の対象者に向けて書かれたものではなく,健康の保持増進を願 うすべての人々のための書物であることが特徴であった.
この書物の中には「栄養」に関する記述は見当たらず,食事に関する次のような記述があ るのみである.
操習ハ食後二時ヲ可ナリトス又業罷テ汗ヲ出サハ粗鬆ナル手巾ニテ强ク體ヲ拭フヘ シ且ツ即時ニ冷水ヲ飮ミ食事ヲ爲スコト莫レ
[體育新書,1879:p24]
この記述は,体操の実習をする際の注意事項の一つで,「体操の実習は食後2時間が経過 していれば可とし,汗をかいていたら粗めの手巾で強く体を拭い,かつ体操終了後はすぐに 冷水を飲み食事を摂ってはいけない」という内容であり,体操前後の飲食の望ましい在り方 について指導したものである.
1882 年には同じくリーランドが体操伝習所にて実地教授した内容を通訳の坪井玄道が筆 記した『新撰體操書』(坪井,1882)が発行された.この書物には,体操の意義や具体的な 実施方法が多くの挿絵を交えて記述されている.
人體ノ系統ヲ論述シ以テ體操運動ノ各系統ニ及ボス効驗及ビ結果ノ如何ヲ說示スべシ [新撰體操書,1882:p4]
この記述が示すように,本書の緒言において,体操による身体の各系統への効果が説明さ れている.各系統とは,筋肉系統,血行系統,呼吸系統,栄養系統,皮膚系統,神経系統を 指し,それらに対する体操の効果が記されている.栄養系統という言葉使われているが,下 記の記述が示すように,それは消化器のことを指している.
榮養系統 此系統ノ目的ハ消食用ノ液類ヲ供給シ且ツ各自異様ノ運動ヲ以テ消化ノ 効ヲ成スニアリ盖シ此諸液ノ供給ハ血液循環ノ介達或ハ直達ニ由ルモノニシテ其器械
的ノ作用ハ消食器ノ固有セル筋肉ノ直達作用ト腹部及ビ呼吸器ノ諸筋ノ介達作用トニ 由ルモノナリ今夫ノ筋肉ヲ運動セザルヨリ生ズル所ノ二大患ハ即チ食物不消化及ビ便 秘是ナリ
[新撰體操書,1882:p9]
この栄養系統の目的は「消化液を供給し,各消化器官が異なる運動によりその効果を発揮 すること」とし,さらに,「この消化液の供給は血液循環の間接あるいは直接的な作用によ るものであり,その器械的な作用は消化器固有の筋肉による直接的な作用と腹部及び呼吸 器の筋肉による間接的な作用にとるものである」と述べている.また,「体操によって筋肉 を活動させないことにより消化不良や便秘を起こす」ということが記述されているものの,
いわゆる栄養素や食事に関する記述はみられなかった.
この後も体操伝習所出身の著者による書物の発行は継続していき,同年には体操伝習所 が発行した『新制體操法』(体操伝習所,1882),1883 年には体操伝習所出身者の横井琢磨 により『體育論』(横井,1883)が,1887年には同じく体操伝習所出身者の星野久成により
『體操原理』(星野,1887)が発行されたが「栄養」に関する記述について大きな変化はみ られなかった.
以上のことから,この時期における「栄養」は,江戸時代から続く脚気の騒動に端を発し,
歴史上初めて脚光を浴びることとなった.結局この時期において脚気の問題が完全に解決 することはなかったが,研究者の中に栄養・食事に関心を持つ者が出現してきたことは注目 に値する.さらに,現在では当然のように利用されている「食品成分表」や「食事摂取基準」
の原型が作り出されたのもこの時期である.しかしながら,明治初期に発行された体育関係 の資料には,この時期の「体育」が国民の健康を保持することを主眼とされていたにも関わ らず,栄養を「科学知」として扱った記述はほぼ皆無であった.
第2項 明治中期(明治20年代)
明治初期の「体育」は先に述べたように,健康論的体育と身体強壮論を中心としたもので あったが,明治10年代に入ると国家論的体育の要素も大いに孕むようになってきた.
その具体的な事例としては,健康の保持増進を目的としていた学校伝習所の活動の中に
「兵式体操」が導入されるようになったことが挙げられる.森田(1995)はそのことについ て,「体操伝習所は,前述したように軍隊式の体操を学校の『体育』として実施することは
不適切としてきたが,1880 年には文部省の意向で陸軍教導団の士官,下士官を教官とする 歩兵操練が体操伝習所で実施され,翌年には正式な教科に加えられていく.この背景には,
三育主義とはまったく別に,富国強兵主義,軍事力強化策の場を学校に求めようとする,森 有礼らを代表とする兵式体操論の主張が大きく影響している」と記述している.このように,
この時期の「体育」は,富強主義,軍国主義などの影響を色濃く受け,これまで学校体育で 実施されてきた「普通体操」とともに「兵式体操」が並行実施され始めたことが特徴である.
森有礼は,1885年に初代文部大臣に就任すると,翌1886年には帝国大学令,師範学校令,
小学校令,中学校令を制定し,各学校種別の規程を整備して学校制度の基礎を確立させた中 心人物である.これらの法令の公布により,兵式体操を核とする国体主義の「体育」が推進 され,1889年の大日本帝国憲法発布そして国体主義の根本精神を明示した1890年の教育勅 語公布を経て,明治時代後半,大正,昭和へと流れは継続していくこととなる.
また,この時期の「体育」におけるもう1つの特徴は,1891年に「日本体育会」が設立さ れたことである.木下(1966)によると,日本体育会は天皇制国家体制確立期に,一介の退 役下士官日高藤吉郎が創立した富強主義体育の啓蒙普及を目ざす任意団体で,当時唯一の,
そして現存する日本で最古の体育団体である.『近代日本体育史』(真行寺・吉原,1984)に よると,日本体育会の事業としては3つで,まず1つ目に體操学校の設立がある.これは日 本体育会が,1893年3月に私立団体が体操教員養成を始めた最初となる「體操練習所」を 設立し,1900年5月に「體操学校」と名称を改めたものである.2つ目は模範體操場の設立 である.設立年月は明らかでないようだが,器械體操,狭窄射撃,弓術,剣術,馬術,水泳,
自轉車,女子遊戯等の各部を置いて,一般市民の運動の練習を便利にしたと記述されている.
さらにこの模範體操場では,定時・臨時に講習会を開いたとも報告されている.3つ目は地 方支部支會の設置とあり,各支部と本部で連携して體操講習,兵事講習,水泳等を行ったと のことであった.さらに日本体育会は,1893年11月より『文武叢誌』を機関誌として刊行 した.この『文武叢誌』は1899年に2月に廃止され,同年3月より新たに『體育』を機関 誌として刊行している.その後も『國民體育』,『新體育』,『学校體育』などと形を変えなが ら昭和初期まで刊行された.
一方で,この時期における栄養では,『日本栄養学史』(萩原,1960)に掲載されている「日 本栄養学史年表」によると,1887年,田原良純による学生店員の栄養調査,1891年の浦和 監獄での飲食物調査,同年の古川栄による慶応義塾宿舎,学習院,女高師,陸士の栄養調査 などが実施された.また,1887年の大沢謙二,上田計二による12種の食品消化吸収の調査,
1890年の坪井次郎,丹波敬三による餅,外米の消化吸収試験,1892年の村田豊作による学 生の消化吸収試験,1894 年の隈川宗雄,須知篤太郎の新陳代謝試験などの各種実験が行わ れた.一方,前期から続く脚気の議論についても,1891 年に三浦守治が脚気の魚類中毒説 を発表し,同年に長井又蔵が「米飯に依る対馬警備隊に脚気多く,麦飯の監獄に脚気少なし」
と発表した.海外では,既に述べたようにオランダの医師エイクマンが1896年に脚気の動 物実験より糠の有効性を発表した.これらの事実が示すように,この時期では多様な調査や 実験が行われ,栄養・食事について科学的に捉えようとする動きが活発化している状況が見 受けられる.
そして,この時期には,陸軍三等軍医の毛利僊太郎と神保擣次郎の共著によって,『體育 学』(毛利・神保,1889)が出版された.この『體育学』が日本の体育史においてどのよう に位置づけられているかを明らかにすることを目的とした木下(1961)の先行研究では,「こ の書は,従来紹介されておらず,したがつて,体育史上の位置づけもなされていなかつたけ れども,わが国体育史上特色ある位置をしめていたと考えられる」と記述されており,この 書物が前述のリーランドおよび体操伝習所の系統,後述する日本体育会の系統にも属さな い特異な存在であったことを伝えている.その内容は,「単なる欧米体育論の翻訳紹介にと どまることなく,日本人がみずからの研究ならびに現状に対する批判を加えて,軍医である 自己の識見にもとづいて構成したもの」であり,「従来のリーランドの講義を編集加筆した だけの体操伝習所系統の翻訳にすぎない体育論と比較すれば,本書は飛躍的な発展をとげ た体育論であったと云えよう」と考察されている.
輓近本邦敎育ノ實況タル日進月捗駸々トシテ止マス敎科ノ書類ハ萬ヲ以テ數フルノ 盛況ニ達セリ然リト雖モ體育ノ一事ニ至リテハ未タ頗ル低度ニシテ之ヲ論スルノ書甚 タ少ナシ是レ本邦敎育上ノ一大缺典ニシテ大ニ三育ノ權衡ヲ失スル者ト云フヘシ夫レ 身體ハ萬能ノ基礎ナリ基礎强固ナラサレハ百事成就シ難キハ素ヨリ論ヲ竢タス特ニ近 世ノ如キ銳烈ナル競爭社會ニ在リテハ心身ヲ勞スルヿ倍々劇シク之ヲ往時ニ比スレハ 一層健全ナル身體ヲ保有セサル可ラス故ニ體育ヲ講スルハ今日ノ急務ニシテ亦一日モ 忽諸ニ付ス可ヲサルナリ蓋シ近來運動ノ一法ハ多少世人ノ注目スル所トナリ諸學校ニ 於テモ體操ノ一科ヲ加フルニ至レリ是レ本邦後來ノ爲メ誠ニ慶スヘキ所ナリト雖モ未 タ完全ナル體育書ノアルヲ見ス是レ余輩ノ常ニ慨嘆スル所ナリ於此乎自ヲ淺學寡聞ヲ 顧ミス公務ノ俆暇ヲ以テ自己ノ實驗ト歐洲諸大家ノ說ヲ参照シ此一小冊ヲ編纂セリ然
レトモ文辞拙劣固ヨリ大家ノ覧ニ供スルニアラス讀者幸ニ之ヲ諒セヨ
[體育学,1889:p1]
これは『體育学』の緒言であるが,「近年,教育をめぐる状況は非常に速いスピードで発 展しており,教科書の作成も大変盛況であるが,体育教育に関して非常に程度が低く,また 体育を論じた書物も著しく少ない」ということを筆者は嘆いている.またそのことは「我が 国の教育における一大欠陥であり,三育(知育,徳育,体育)のバランスが崩れることであ る」と指摘している.さらに,「身体は万能の基礎であるから,それを強固にしなければす べてがうまくいかないことは言うまでもなく,とくに最近の激しい競争社会における健全 なる身体を保有する必要性を強調し,そのためには体育を講ずることが急務であり,それを 軽んじてはいけない」と主張している.そして,「最近では,運動は多少注目されるように なり,学校においても体操が科目に加えられたが,まだ完全なる体育書というものは存在し ないため,自身の実験と欧州の大家の説を参照し,この一冊を編纂した」と述べている.
このように明治20年代の教育において,体育というものが軽んじられ,また不完全な体 育書が用いられている現状を嘆き,著者は「體育学」を出版した.前述の木下による先行研 究では,この『體育学』が明治20年代の体育学に関するテキストとして使用された傾向が 認められると記述されていることから,当時の体育指導者および学生に『體育学』が与えた 影響は少なくないのではないかと推察される.
『體育学』は,總論,飮食論,衣服論,住居論,運動并ニ靜息論,年齡論,全篇結論の7 篇で構成されている.總論の中には「富國強兵ハ國民ノ健康ニアリ」と要約されている部分 があり,次のような記述がみられる.
國家ハ,人類ノ集合體ニシテ國家ノ貧富强弱盛衰ハ,人類各自身體ノ强弱ニ基因スコ トハ,素ヨリ論ヲ俟タス.(中略)故ニ兵ヲ徴スニ學生ヲ募ルニ工商ヲ雇フニ總テ體格
ヲ檢査スルハ,蓋シ爰ニ基クナリ.然ラハ,體育ハ,國家盛衰ノ原要ニシテ忽諸ニ附ス ヘカラサル一大要件タルヿヲ記憶セサル可ラス
[體育学,1889:p3]
ここでは,「国家の貧富,強弱,盛衰が個人の身体の強弱に基因することは言うまでもな いことである.徴兵する,学生を募集する,あるいは職人・商人を雇用する際に体格を検査
するのはここに基づいている.したがって,体育は国家盛衰の要でありないがしろにしては ならない一大要件である」というように富強主義と体育の結びつきについて触れている.木 下は「富強主義にもとづく体育の考え方は,すでに,明治10年代体操伝習所設立当初から 存在していたけれども,リーランドの体育論はもちろん,伊沢修二の『教育学』などでは,
何ら論じていない点であり,明治10年代末兵式体操採用前後から急速に抬頭した考え方で,
明治20年代の体育思想の中心をなしたものである」としているところから,明治初期(明 治元年~明治10年代)における体育との差異を読み取ることができる.
また同じく總論の中には「歐州人ト日本人ト體力ノ比較」と要約されている部分もあり,
具体的なデータも示されている.
今歐州人ノ體格ト我邦人ノ體格トヲ比較スルニ彼レノ身幹ハ,大約平均五尺二寸ニ シテ體重ハ,十七貫餘ナリ.然ルニ我ハ,身幹大約平均四尺九寸ニシテ體重ハ,十四貫 餘ナリ.體重ニシテ三貫,身長ニシテ三寸ノ差アリ.是レ大槪ノ比較ナリト雖モ若シ精 密ノ調査ヲ遂クルトキハ,恐クハ尚ホ之レヨリ甚シキ差異ヲ發見スルニ至ラン.今此比 較スル所ヲ見ハ,我邦人ハ,果シテ如何ナル感覺ヲ喚起スル乎.(中略)然ルニ國人ノ 體力ハ,國力ノ消長ニ關スルモノナレハ,身體ノ比較ハ,國力ノ比較ト看做スモ,敢テ 誣ヒサルノ言ナリ
[體育学,1889:p4-5]
この記述によると,「欧州人の身長は平均約158cm,体重の平均約64kg,日本人の身長の 平均約148cm,体重の平均約53kgであり,体重にして約10kg,身長にして約10cmの差があ る.これは大凡の比較ではあるが,もし精密な調査を実施した場合は,おそらくこれより大 きな差を発見することになるであろう.そして我々日本人が今この比較した結果を見て,い かなる感覚を呼び起こすのか」と問いかけている.そして,「国民の体力は国力の盛衰に関 係するので,身体を比較することは国力を比較することと見做しても過言ではない」として おり,村田(2001)の先行研究でも見られた西洋人に対する劣等意識がこの時期に存在し,
大凡ではあるものの体格差のデータが存在することが明らかになった.
このような社会背景の中,体育において「栄養」はいったいどのように扱われていたので あろう.『體育学』の第 2 編「飲食論」の中には「栄養」に関する記述が数多くみられる.
第1章の「生活體機能保續ノ機械的原理」では,体育における「食物」「栄養」の重要性