播
州
書
写
山
法
流
考
証
小
此
木
輝
之
月 船 環 海 は、 播 磨 賀 古 郡 に 生 ま れ 早 年 出 家 し て 書 写 山 円 教 寺 に 登 り、 と く に 密 典 に 精 励 し た。 そ の 後、 上 野 長 楽 寺 院 豪 ・ 京 都 東 福 寺 円 爾 の 下 に 投 じ て 禅 密 を 修 学 し、 弘 安 五 ( 一 二 八 二) 年 北 条 時 宗 の 招 請 に よ り 長 楽 寺 五 世 と し て 入 院 し た。 そ の 間 二 〇 年 に 長 楽 寺 を 中 心 に、 武 蔵 東 永 寺 ・ 日 光 ・ 播 磨 円 教 寺 等 で 霧 し い 布 教 活 動 を 展 開 し、 多 く の 弟 子 を 育 成 し た。 晩 年 の 徳 治 二 ( 二 二 〇 七) 年 東 福 寺 八 世 と し て 迎 え ら れ て ( 1) い る が、 在 住 僅 か 一 年 で 示 寂 し て い る。 こ の 環 海 所 伝 の 台 密 法 流 が 書 写 山 に 伝 わ つ た 過 程 等 に つ い て、 大 正 大 学 総 合 仏 教 研 究 所 の 佐 々 木 邦 世 氏 よ り 先 ご ろ 一 ・ ( 2) 二 の ご 見 解 が 示 さ れ た。 氏 は さ ら に 進 ん で 瑛 海-円 爾-栄 朝 -栄 西 に 遡 つ て 法 流 の 再 検 討 も さ れ て お ら れ る。 そ こ で、 小 論 は そ れ ら の ご 指 摘 に 対 し、 い さ さ か 私 見 を 挾 も う と す る も の で あ る。 い う ま で も な く、 長 楽 寺 開 山 栄 朝 は 顕 密 禅 兼 修 と い わ れ た 葉 上 房 栄 西 の 門 下 に あ つ て、 そ の 教 風 を 最 も よ く 伝 え た 僧 で あ る。 そ の 法 嗣 が 前 述 の 院 豪 や 円 爾 等 で あ り、 台 密 法 流 に 限 つ て み る な ら ば、 主 と し て 円 爾 を 経 た も の が、 伊 勢 安 養 寺 の 大 恵 ・ 空 然、 東 福 寺 栗 棘 庵 の 恵 暁、 前 述 の 環 海 等 に 相 承 さ れ、 さ ら に 下 つ て 尾 張 密 蔵 院 の 慈 妙、 上 総 行 元 寺 の 弁 栄、 下 総 徳 星 寺 の 覚 俊、 常 陸 逢 善 等 に 至 り、 近 世 初 期 の 長 楽 寺 (栄 朝 流) の 法 流 末 は 四 百 余 ヵ 寺 に も 及 ん だ と さ れ て い る。 そ れ ら の 詳 細 は 別 に 述 べ た と こ ろ で あ り、 こ こ で は ま ず、 佐 々 木 氏 の ご 見 解 の 大 旨 を 紹 介 し た い。 第 一 に、 主 と し て 下 総 徳 星 寺 所 蔵 の ﹃ 蓮 華 院 流 血 豚 写 ﹄ の 奥 書 を も と に、 栄 朝 が 相 承 し た の は 葉 上 流 で は な く、 穴 太 流 と 蓮 華 流 で あ る と し、 こ れ を 栄 朝 流 と い い、 こ れ が 書 写 山 の 法 流 で あ る と し て い る。 第 二 に、 こ れ も 主 と し て 書 写 山 現 光 院 快 仙 の 筆 録 に な る ﹃ 灌 頂 支 度 私 要 砂 ﹄ ( 叡 山 文 庫 所 蔵) を ふ ま え、 今 日 書 写 山 に 伝 わ る 法 流 (栄 朝 流) は 蓮 華 流 で あ る と し て い る。 第 三 に、 同 史 料 に は 三 〇 余 ヵ 所 に わ た り、 快 仙 が 当 流 (栄 播 州 書 写 山 法 流 考 ( 小 此 木) 三 一 五-817-播 州 書 写 山 法 流 考 ( 小 此 木) 三 一 六 円 仁 安 恵 長 意- 〇-尊 意 旧 -〇 -〇 -覚 空 (1) (石 泉) 皇 慶 (谷) 長 宴 永 意 仁 弁 (1)(2)(大 原) ( 蓮 華) 忠 済- 〇-聖 豪 (床 岡) ( 岡 部) 田 図 同 (2)(3)(5) 〇 静 真 (3) 頼 昭 行 厳 聖 昭 基 好 栄 西-遍 慶 (5) 添 仏 頂) (汰 汰) (5) ( い葉 止) (3) (双 厳 房) -禅 仁-〇 (智 泉) 円 珍 帽 遍 昭 -最 円-玄 昭- 〇-良 源-覚 超-厳 範 - 〇-念 覚-基 好-栄 西 ( 華 山) 凶 (川) ( 葉 上) (4) 朝 栄 朝 流) と 穴 太 流 と 余 流 と い う よ う に 分 類 し て い る の で、 栄 朝 流 と 穴 太 流 は 異 る も の で あ り、 か つ 穴 太 流 は 葉 上 流 そ の も の で あ る と し て い る。 第 四 に、 諸 々 の 聖 教 に は 建 仁 寺 流 と か 栄 西 流 と か 示 さ れ て お り、 葉 上 流 の 名 は か な り 後 世 に 至 つ て の 呼 称 で あ る と し て い る。 以 上 四 点 を 整 理 す る 意 味 も 含 め、 論 点 が 栄 朝 の 台 密 法 流 に ま で 及 ん で い る の で、 ま ず 長 楽 寺 栄 朝 の 法 流 を 右 に 示 し て み た。 こ れ ら は、 前 述 寺 院 等 に 伝 わ る 栄 朝 関 係 印 信 を 中 心 と し た 聖 教 類 を 整 理 し た も の で あ る。 栄 朝 は 大 体 こ の 五 流 を 相 承 し て い る。(1) ・(2) が 味 岡-岡 部 の 蓮 華 流。(3) が 仏 頂-穴 太 を 経 て の 葉 上 流。 幽 が 華 山 系 川 流 を 経 た 葉 上 流。(5) が 智 泉-穴 太 を 経 て 味 岡-岡 部 に 入 つ た 流 で あ る。 さ て、 ま ず 佐 々 木 氏 の 掲 げ た ﹃ 蓮 華 院 流 血 豚 写 ﹄ に は、 世 良 田 長 楽 寺 開 山 釈 円 坊 栄 朝、 ( 中 略) 次 随 建 仁 開 山 葉 上 僧 正 栄 西、 受 持 衣 鉢 井 具 足 戒 成 僧、 同 受 法 灌 頂、 則 穴 太 流 也、 ( 中 略) (聖 豪) 又 奉 値 武 州 岡 部 即 成 坊、 蒙 再 三 呵 責、 重 受 則 蓮 華 院 嫡 々 相 承 之 ( 下 略)、 と あ る。 こ れ は 南 北 朝 期、 関 東 蓮 華 流 布 教 に 功 績 の あ つ た 了 義 が、 応 安 六 ( 一 三 七 三) 年 徳 星 寺 開 山 の 覚 俊 に 付 嘱 し た 時 の も の で あ る。 従 つ て 栄 朝 受 法 の 流 が 聖 豪 の 蓮 華、 栄 西 の 穴 太 の 両 流 の み で あ る か の よ う に 表 現 さ れ て い る こ と に も 問 題 が あ る。 例 え ば、 前 の 系 譜 で の 幽 の よ う に 穴 太 流 で は な い 栄 西 の 流 も 受 け て い る し、(5) の よ う に、 聖 豪 か ら の 穴 太 流 も あ る か ら で あ る。 ま た、 佐 々 木 氏 は ﹁ 則 穴 太 流 也 ﹂ と あ る 表 現 を そ の ま ま う け と め、 栄 朝 は 葉 上 流 は 相 承 し て い な い と し て い る が、 こ れ は ﹁ 随 建 仁 開 山 葉 上 僧 正 栄 西 ﹂ と い う 文 脈 を う け る の で ﹁ 穴 太 流 也 ﹂ と し た ま で で、 穴 太 流 を 経 た 葉 上 流 と い う こ と に す き な い。 次 に、 書 写 山 の 法 流 に つ い て 考 え て み た い。 ﹃ 灌 頂 支 度 私
-818-要 砂 ﹄ は、 永 正 十 三 ( 一 五 一 六) 年 僧 快 仙 が 門 流 の 備 忘 録 と し て 記 し た も の で そ の 巻 末 に は、 右 此 私 要 砂 者、 予 獄 光 附 随 繭 王 繊 法 印、 見 聞 伝 受 分 粗 注 之、 随 慶 鎮 ヲ ヲ 法 印、 穴 太 一 流 受 習 間、 両 流 之 同 異 分 別 之 処 也、 汲 門 流 人 者 見 之 備 廃 忘、 及 他 見 者 可 有 其 誹 諺 欺、 ( 下 略) と あ る。 こ れ に よ る と 快 仙 は 書 写 一 山 の 明 王 院 快 憲 か ら 栄 朝 一 流 の 法 を う け、 慶 鎖 か ら 穴 太 一 流 の 灌 頂 を う け た と あ る。 そ の 内 客 は、 瑛 海 が 永 仁 五 ( 一 二 九 七) 年 以 降、 五 度 に わ た つ て 灌 具 や 聖 教 を 長 楽 寺 か ら 書 写 山 に 搬 入 し、 灌 頂 し た 経 緯 が 示 さ れ て お り、 快 仙 は こ こ で ﹁ 当 流 ﹂ と 穴 太、 余 流 の 分 別 を 行 な い、 儀 軌 の 比 較 を し て い る。 ま た、 快 仙 は 本 文 に お い て ﹁ 当 流 栄 朝 流 ﹂ と 記 し、 表 題 に は ﹁ 蓮 華 流 灌 頂 ﹂ と 示 し て い る。 従 つ て、 快 仙 の 意 識 で は 栄 朝 流= 蓮 華 流 で あ つ た こ と は 間 違 い な い。 し か し、 こ れ は こ の 頃 の 書 写 山 に 栄 朝 所 伝 の 蓮 華 流 が 伝 え ら れ て い た の で あ つ て、 一 般 的 に 栄 朝 流= 蓮 華 流 と き め つ け る こ と は 当 然 で き な い。 こ の こ と は、 徳 星 寺 や 行 元 寺 ・ 逢 善 寺 ・ 出 羽 立 石 寺 等 へ 長 楽 寺 了 義 を 経 た 栄 朝 流 が 伝 え ら れ、 そ れ が ﹁ 蓮 華 流 ﹂ と 称 さ れ た こ と と 同 様 で あ る。 ま た、 書 写 山 の 法 流 を 蓮 華 流 と き め つ け る こ と も 穏 当 で は な い。 永 延 二 (九 八 八) 年 性 空 草 創 の 叡 山 ・ 大 山 と 並 ぶ 天 台 の 三 大 道 場 と い わ れ る 書 写 山 で、 そ れ ま で 密 灌 が 行 な わ れ、 そ れ な り の 法 流 が あ つ た こ と は ﹃ 渓 嵐 拾 葉 集 ﹄ に も み え て お り、 書 写 山 栄 朝 流 の 祖 礫 海 自 身、 若 く し て 書 写 山 に 登 り、 灌 頂 を 受 け て い る か ら で あ る。 だ か ら、 適 々 深 海 の 法 流 が 快 仙 に 至 る ま で の 二 百 余 年 間、 円 教 寺 関 係 僧 の 中 で 相 承 さ れ た と み る の が 妥 当 で あ る。 こ の こ と は、 中 世 法 流 が 僧 を 中 心 に 伝 わ り、 か つ、 如 何 様 に も 変 客 す る と い う 前 提 に 立 つ。 こ れ を 近 世 の 法 流 概 念 で 把 え る こ と も 無 理 な ら、 今 日 の 法 流 と は 全 く 比 較 で き な い。 そ の よ う に 言 え る の は、 先 の ﹃ 灌 頂 支 度 私 要 鋤 ﹄ で 快 仙 自 身 が、 慶 鎮 か ら 穴 太 の 一 流 も 受 習 し て い る と 記 し て い る か ら で も あ る。 慶 鎮 は 密 蔵 院 関 係 の 僧 で、 同 寺 所 蔵 の 印 信 を み る と、 穴 太-葉 上、 石 泉-蓮 華、 川 流-葉 上 ( 前 述 栄 朝 法 流 の (1) ・(3) ・(4) に あ た る) 等 を 順 賢 か ら 付 法 さ れ て お り、 不 動 許 可 を 実 盛 か ら 得 て い る。 つ ま り、 快 仙 が 慶 鎮 か ら 受 修 し た 法 流 は 穴 太-葉 上 の 流 の み で は な く、 密 蔵 院 系 ( 葉 上 流 篠 木 派) の 法 流 も 広 く 伝 授 さ れ た と み る こ と は 自 然 で あ ろ う。 こ の 法 流 も 書 写 山 に 伝 わ ら な い と は い え な い。 し た が つ て、 書 写 山 の 法 流 を 蓮 華 流 と き め つ け る こ と は、 こ の 頃 で さ え 無 理 で あ る。 最 少 限 度 い え る の は、 快 仙 に と つ て ﹁ 当 流 ﹂ と は 栄 朝 か ら 礫 海 を 経 て 快 憲 か ら 付 法 さ れ た 蓮 華 流 で あ つ た。 そ れ だ け で あ る。 第 三 点 の 快 仙 が 栄 朝 流 ( 当 流) と 穴 太 流 を 分 別 し て い る の も、 多 分 に 密 蔵 院 の 流 と 礫 海 以 降 の 書 写 山 の 流 を 意 識 的 に 示 播 州 書 写 山 法 流 考 ( 小 此 木) 三 一 七
-819-播 州 書 写 山 法 流 考 ( 小 此 木) 三 一 八 し て い る も の と 思 わ れ る。 も ち ろ ん 一 般 論 と し て は、 佐 々 木 氏 の い う よ う に、 栄 朝 流 と 穴 太 流 は 異 る。 栄 朝 を 経 な い 穴 太 流 も あ る か ら で あ る。 正 し く は 栄 朝 は 穴 太 の 支 流 を う け た に ( 4) す ぎ な い。 た だ し、 こ れ に 基 づ き、 葉 上 流 と 穴 太 流 を 同 じ で あ る と す る の は 至 当 で は な い。 確 か に 快 仙 の 使 用 し て い る 字 句 に は、 穴 太= 葉 上 の 意 図 が あ る。 し か し、 前 述 の 栄 朝 法 流 に み ら れ る よ う に 葉 上 流 で は な い 穴 太 流 ( つ ま り、 栄 西 を 経 な い 穴 太 流) も あ る の だ か ら、 今 日、 正 し い 意 味 で 葉 上 流= 穴 太 流 と は い え な い で あ ろ う。 最 後 に、 た し か に 諸 聖 教 類 の 中 に は ﹁ 建 仁 寺 流 ﹂ と か ﹁ 栄 西 流 ﹂ と か あ り、 ﹁ 葉 上 流 ﹂ と 示 さ れ る 例 は 僅 少 で あ る。 し か し、 弘 安 年 間 に は 成 立 し て い る ﹃ 阿 婆 縛 抄 ﹄ に 葉 上 流 の 名 は 認 め ら れ る し、 貞 和 三 ( 一 三 四 八) 年 の 完 成 と さ れ る 光 宗 の ﹃ 渓 嵐 拾 葉 集 ﹄ に も、 ( 前 略) 一、 天 台 流 真 言 事 山 家 大 師 御 流 金 剛 覚 三 蔵 御 流 已 上 三 昧 流 輔 騒 筋 仏 頂 流 謝 翻 筋 法 曼 院 流 騰 醐 筋 已 上 谷 三 流 兜 率 流 号 横 川 流 已 上 根 本 両 流 智 泉 流 聖 行 院 流 蓮 華 院 流 葉 上 流 已 上 傍 相 伝 ( 後 略) と あ り、 葉 上 流 の 名 が 古 く か ら な か つ た と は い え な い。 以 上、 書 写 山 の 法 流 に つ い て 佐 々 木 氏 の ご 見 解 に 卑 見 を 挾 み な が ら、 穴 太 聖 昭、 葉 上 栄 西、 蓮 華 永 意、 栄 朝 等 の 法 系 を た ど つ て み た。 近 世 法 流 本 末 の 完 成 以 降 と そ れ 以 前 の 法 流 は 相 当 異 り、 そ れ 故 に 法 系 を 糾 す こ と は 極 め て 煩 雑 で あ る。 そ の 意 味 で、 書 写 山 法 流 と 題 し な が ら、 傍 証 の み に 終 つ た 感 が 否 め な い。 書 写 山 現 蔵 史 料 の 調 査 が 侯 た れ る と こ ろ で あ る。 1 ﹃ 聖 一 国 師 年 譜 ﹄、 ﹃ 東 福 寺 八 世 法 照 禅 師 十 乗 坊 行 状 ﹄、 ﹃ 延 宝 伝 燈 録 ﹄、 ﹃ 本 朝 高 僧 伝 ﹄、 ﹃ 峰 相 記 ﹄。 2 ﹁ 台 密 蓮 華 流 疑 考 ﹂ ( 昭 和 五 十 二 年 度、 天 台 宗 教 学 大 会 発 表) ﹁ 播 州 書 写 山 法 流 疑 考 ﹂ ( 日 本 仏 教 史 学 14)。 3 拙 稿 ﹁長 楽 寺 栄 朝 と そ の 法 流 ﹂ ( 櫛 田 良 洪 博 士 頗 寿 記 念 論 集) ﹁ 台 密 葉 上 流 の 展 開 過 程 ﹂ ( 印 度 仏 教 学 研 究 26-2)。 4 南 渓 蔵 ﹃ 伝 法 用 心 ﹄ ﹁ 智 泉 流 相 承 次 第 ﹂ に 穴 太 支 流 と し て、 本 文 栄 朝 台 密 系 譜 の 個 に 相 当 す る 法 流 が 示 さ れ て い る。