、宗 心 九
慎宗連合學會研究紀要
一ー第二十六輯-—―
昭 和 57年 2月
虞 索 碑 合 學 會
真
宗 研 究
ノ 盲
ア、一よ
第
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連 十
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口 /
学 輯
会
八記念講演要旨>
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法 輸 を 護 る も の ⁝
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⁝ ⁝ 信 帰 依 僧 宝
の 人
・ 親 鸞 ⁝
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⁝ ⁝ 廣
八研究発表>
阿欝多羅三蒻三菩提について⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝若
阿闇世コンプレックスと真宗⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝田
正定緊之機⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝和
|—罪福信批判のあかすもの
l
教行信証の教行関係 真 宗
••………·蒻
善導の浄土教の展開について⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝村
研 究 第 二 十 六 輯
目 次
地 哲
谷 大 圃
︵ 空
︶
田 真
宮 林
信
瀬呆 ︵
一 四
︶
受 (
︱
︱ 立
︶
仁 (
‑ ︱
︱ 八
︶
雄
︵ 写 0 )
明 ︵
七 四
︶
楽 峻 麿 (
‑ )
学 会 彙
蓮 鈴
木 大 拙 師 に 見 出 さ れ た オ 市 の 歌
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⁝ ⁝ 幸
大行の軌跡………·………•……•西
続 ・ 佐 々 木 如 光 と そ の 周 辺
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⁝ 織 筑 後 真 宗 教 団 の 構 造 ⁝
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⁝ ⁝ 草
|—有馬藩の宗教政策との関係を中心にーーー
蓮 如 と ﹁ 嫁 お ど し
﹂ の お は な し
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⁝ 籠 谷 真 智 子 ( ‑
︱ ‑
︿ ︶ 伝 教 大 師 と 親 鸞 聖 人 ⁝
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音l
•••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••
︑
T ー蓮如上人御影下向・上洛の随行記̲ー戦 国 期 本 願 寺 に お け る
﹁ 頭
﹂ 考
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⁝ 早
ーー勤仕の性格と問題情況ー—ー
師
の
雄 猛︵会︶
︵九 写︶
信
(
! 0 0 )
之 ( ‑ ︱
︱ ︱ ‑ ︶
龍 ( ‑ ︱
︱ ︱ 七 ︶
晋︵
一写
一︶
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. .. .
. I
‑r
d̀
‑
艮
卑ー 特 に 梵 行 に つ い て
│
│
島 有 毅
︵ 一 六
B )
内 田
智
野 顕
田 顕
尾 京
城
勇
八記念講演要旨>
私はいま宇治市に住んでおりますが︑近くに古い氏神社があります︒私たちの町内はその崇敬地区になっているよ うで︑毎年春になると町内会の役員が︑この神社の奉讃金というものを徴収してまわります︒それについて︑私の家 庭では毎年のように︑私たちは仏教徒であるからという理由で鄭重におことわりをしているわけであります︒
ながら︑このことはいささかしんどいことであります︒ささいなことをと笑われるかも知れませんが︑町内会での日
頃のつきあいの中で︑
い思いがいたします︒今年もまたその時期がやってきましたが︑
は宗教を学び︑信心に生きてゆくということは︑そういうように︑きびしさの中にも︑
を選んで生きてゆくことだと思いとっております︒またしてはその道を見失い︑その道から転落してしまいそうな弱
い私ではありますが︑自己の心を尽して︑
とで
あり
ます
︒
なり
︑
しかしながら︑このように︑教えの道を歩み︑
しんどいことであり︑厳しいことであります︒そのことは︑
法憧
を設
るも
の
しかし
せっかくの徴収の訪問に対して拒否することは︑私たちの家庭にとっては︑やはり何とも重た
法 幡 を 護 る も の
まことに憂鬱なことであります︒しかしながら︑私
ひとつの﹁スジ﹂を通し︑道
ひとつの道をこそ︑大切に選びとって生きてゆきたいものと念じているこ
たんなる外境の問題ではありません︒外境にかか
﹁スジ﹂を通して生きてゆくということは︑大なり小
信 点
>白くら
不 き
尉 即
︵龍
谷大
学教
授︶
善義︶と明かされております︒ 会うことができるというのであります︒善遮大師はそれについて︑﹁善友相い見て疫楽することやむことなし﹂
︵ 散
ているわけであります︒たとえば︑
法憧
を護
るも
の
わって生起してくる︑私自身の内面における葛藤であり︑私ともう一人の私との闘いのしんどさ︑厳しさであります︒
しかしまた︑私は侶心におけるそういうしんどさ︑厳しさを通してこそ︑
てゆくといわれますが︑仏教においても︑ いろいろと新しく眼を見ひらかれ︑育てら
また同じことがいいうると思われます︒
アメリカの社会学者のC・グロックによりますと︑宗教には︑社会や個人に対する統合的・調節的な安定の機能と︑
社会や個人を相対化し︑それを批判的に検討してゆく挑戦の機能とがあるといわれます︒この二つの機能は︑
く対立するものでありますが︑宗教とは︑本来そういう二つの機能を︑同時にあわせもっているものでありましょう︒
そのことを更に私の領解に引きよせて申しますならば︑真宗信心においても︑また同じように︑統合・調和としての
安らいの機能と︑告発︑批判としての厳しさの機能を見ることができるように思われます︒
その調和︑安らいの機能とは︑真宗信心に生含るとは︑人生において生起するさまざまな苦悩や葛藤を︑
とめ︑ともかくも︑それを克服して生きてゆくことを意味します︒信心とは︑そういう安らいを生みだす働きをもっ
処に会いうる世界であって︑浄土に生まれるならば︑因縁あるものは︑先だった人も︑後れてゆく人も︑必ず再び出
死ほど恐ろしく︑悲しいことはありません︒どれほど因緑ふかい親子であろうとも︑
た夫婦であろうとも︑
ます
︒
まった
よく受け
﹃阿弥陀経﹄に﹁倶会一処﹂という言葉が説かれております︒浄土とは︑倶に一
お互いに再会して喜ぶことは限りがないというわけでありましょう︒人生にとって︑
またどれほど強い愛情に結ばれ
ひとたび死が訪れたらすべてが終りです︒死はいっさいの人間関係を無惨にも引きさいてゆき
しかしながら︑浄土の教えによれば︑信心に生きる人は︑その信心︑念仏の道において︑再び一処に会うこと れてゆくということを思うことであります︒人間とは︑つねに厳しさを媒介としてこそ︑はじめて脱皮︑成長をとげ
と語られるものは︑
前の世界とは︑そのすべてにおいて嘘︑偽りであり︑何ひとつとして末通った真実なるものはないという自覚であり
ます︒自己の人生々活に対する厳しい内省であり︑徹底した自己放棄であります︒私たちがこの世に生きるというこ
とは︑それぞれの社会の機構に身をよせて︑独りして︑あるいはまた︑親を呼び︑子を呼び︑また夫をたのみ︑妻を
たよ
りと
しつ
つ︑
まさしくそのことを意味するものでありましょう︒この現実の自己自身と︑転変きわまりない眼
日々の営為を続けてゆくことでありますが︑そこには実際には︑何ひとつとして︑
なるもの︑真実なるものはありません︒そのすべてが︑
この現実の人生と世界のいつわらざる姿でありましょう︒このことを自己の冷めた眼をもって正しく見すえること︑
すべてのことを︑そらごと︑
法幡
を設
るも
の
たわごとと思いとってゆくということ︑そういう厳しい心の姿勢こそ大切であります︒ ただ念仏のみぞ︑まことにておはします﹂ ができ︑その再会において喜ぶことはきわまりがないというのであります︒このことは真宗における信心がもっているところの安らいの機能について︑それを象徴的に表現したものにほかなりません︒そしていまひとつ︑真宗信心がもっている機能としての批判︑厳しさとは︑侶心に生きるとは︑ているところの虚妄性について︑根本的に告発し︑それを批判してゆくということを意味します︒現実の状況を単純に肯定して︑世俗の価値を追求し︑その充足に酔うているかぎり︑決して仏法の世界はひらけてはきませんし︑
また
真宗信心は成立してくるはずもありません︒自己自身の存在の相について厳しく問い︑社会の構造の根底に向って眼
を鋭くそそぐことにより︑そこにひそむ矛盾︑限界︑虚妄のさまを洞察し︑それについて深く覚醒してゆくというこ
とにおいてこそ︑はじめてまことの真宗信心は成立してくるわけであります︒親鶯聖人が︑
﹁煩悩具足の凡夫︑火宅無常の世界は︑
よろ
づの
こと
︑
︵歎 異抄
︶
みなもて︑そらごと︑
たわ
ごと
︑
まことあることなきに︑
たよるべき不変
いつかは空しく崩壊してゆくものばかりであります︒それが つねに人生と社会のありようにおいて︑それが宿し
﹁唯
﹂と
いい
︑
説き︑道元禅師は﹁只管打坐﹂と示し︑
一遍上人は﹁独一名号﹂
と語られた如くであります︒
その﹁専﹂といい︑
法幡
を護
るも
の それはとてもしんどいことでありますが︑そういう厳しい自己放棄︑自己否定においてこそ︑それとまったくひとつ
にな
って
︑
﹁た
だ念
仏の
みぞ
︑ まことにておはします﹂という教語が︑素直にうなずかれ︑
信心が成立してくることとなるわけであります︒ここに真宗信心がもっているところの厳しさの意味があります︒
このように︑真宗信心においても︑安らいの機能と厳しさの機能の二つの側面があるといえますが︑それについて 更にいうならば︑それはひとえに厳しさを基底としてこそ︑
しもその信心において︑厳しさを欠落したままで︑安らいばかりが機能するとするならば︑その信心はまことの信心
とは
いい
えず
︑ かえってアヘンの役割をはたすだけであります︒何紐どの厳しさもないままに︑専ら安らいが語られ︑
﹁倶会一処﹂の再会が説かれるとするならば︑それはもはや真宗ではなく︑外道︑邪教でしかありません︒真宗信心 とは︑決して酔うことではありません︒それはまさしく覚醒︵めざめ︶てゆくことなのであります︒
私は釈尊の哀精神︑大乗仏教の根本意趣が︑
教が目指すところの究極的な悟り︑ またそこにこそ︑真実の
はじめて安らいが生まれてくるわけでありましょう︒も
日本において︑もっとも明確に受容され開顕されていったのは︑鎌倉 仏教においてであると理解するものでありますが︑この鎌倉新仏教がもっているところの基本的な性格とは︑その純 一性︑専修性にあると思われます︒そのことは︑鎌倉新仏教のそれぞれの祖師たちが掲げたところの︑仏教理解の標 目がよく物語っているところであります︒すなわち︑法然上人は﹁専修念仏﹂と明かし︑親鶯聖人は﹁唯以信心﹂と
﹁只管︵ひたすら︶﹂といい︑﹁独一﹂というのは︑
いずれもその純一性をよく表象しております︒仏
ないしは信心の世界とは︑この世俗的な諸価値に対する徹底した相対化︑その虚 妄性への見きわめにもとずくところの︑唯一なる出世への行道を選びとって︑その道をひとすじに生きてゆくところ に開かれてくるものであります︒さまざまな世俗価値に癒着し︑雑行雑修の道にとどまるかぎり︑決してまことの悟
四
ては
︑
す︒政治権力というものは
五
いつの場合においても︑つねに自己を是とし︑自己に従わぬものを非とし︑敵とします︒
りも信心も成立してくるはずはありません︒
びとって生きてゆく︑そういう選択︑選びの道を歩むところにこそ︑
鎌倉新仏教の基本的性格であります︒そこで語られた﹁専﹂といい︑
うこ
とは
︑
ひたすらに世俗の価値を選びすてて出世を志向しつつ︑唯一の行道を選 まさしくそのような選びの論理を見事に表詮しているものといえましょう︒
そのような選びの思想を親鰐聖人について見るならば︑聖人にあっては︑その﹁ただ信心を以てす﹂
みぞまこと﹂という﹁唯﹂の論理において︑先ずは︑政治権力を相対化し︑
﹁余のひとびとを縁として︑念仏をひろめんと︑
︵御 消息 集︶ と明かされる文は︑
力者を縁とし︑それに癒着することによって︑念仏をひろめることを計ってはならぬという誡めであります︒その他︑
﹃化土巻﹄に引用される﹃菩薩戒経﹄の文や﹃末法灯明記﹄の文についても︑同じ意趣がうかがわれるわけでありま
しか
しな
がら
︑
そのことをよくよく物語るものでありましょう︒
とも︑歴史の流れの中では︑
法幡
を設
るも
の
ていることが明瞭であります︒
﹁唯
﹂と
いい
︑
只﹁
管﹂
とい
い︑
﹁独
一﹂
とい
まことの仏道が現成することを示したものが︑
﹁た
だ念
仏の
それと癒着することを徹底して拒否され
はからひあはせたまふこと︑ゆめゆめあるべからずさふらふ﹂
いかに仏法の弘通を願うとしても︑ゆめゆめ権
そのような権力のありようは︑本質的には我執にもとずくものであって︑
いかに美しい装飾をまとう
やがて空しくうつろいゆくものでしかありえません︒親鶯聖人においては︑その信心の 智慧の眼において︑そのことがよく見えていたのでありましょう︒聖人における政治権力についての相対化はまこと に鮮明であります︒そしてまた親碧聖人は︑体制倫理に対しても明確に拒否の姿勢を示されております︒それについ
なり
﹂
ま ︑
.1 .
と
︵化
土巻
︶
外道の所有の三昧は︑みな自愛我慢の心を離れず︑世間の名利恭敬に貪著するが故なり﹂
法槌
を談
るも
の
﹁型人のおほせには︑善悪のふたつ惣じてもて存知せざるなり﹂
﹁本願を信ぜんには︑他の善も要にあらず︑念仏にまさるべき善なきゆへに︒悪をもおそるべからず︑弥陀の本
という文が有名であります︒もとより︑それは単なる倫理道徳の否定として︑
碍の思想ではありません︒それは世俗における正邪善悪の裁断が︑
してまたそのことが煩悩具足なる人間の営為であるかぎり︑決して末通るものではないという︑徹底した自覚︑内省
にもとずく︑体制倫理からの超脱を意味するものであります︒
俗における倫理道徳の意義を認めながらも︑
︵歎 異抄
︶
いかなる悪をも許容するという造悪無
つねに時の体制の論理にもとずくものであり︑そ
ひとえに本願の信心に生きてゆかれた親鶯聖人は︑世
またそれを超えた自立にして自律の道を生きてゆかれたのであります︒
﹁誠に仏恩の深重なるを念うて人倫の晦言を恥じず﹂
よくそのことを物語るものでありましょう︒また親鰐聖人は︑その選びの行道において︑
を否定されております︒ いつさいの究術信仰
﹁余道に事うることをえざれ︑天を拝することをえざれ︑鬼神を祠ることをえざれ︑吉良日を視ることえざれと
と示される如くであります︒親鸞聖人は阿弥陀仏一仏に帰依することにおいて︑そのほかの一切の宗教的権威を悉く
廃捨されたわけであります︒日本古来の神祇信仰に対してもその不祠不拝を主張し︑そのほの祖霊崇拝や現世祈藷な
どの児術信仰をすべて否定されているのであります︒それはこれらの信仰が︑本質的には︑
﹁ま
さに
知る
べし
︒
﹁仏に帰依せば終にまたその余の諸天神に帰依せざれと﹂ 願をさまたぐるほどの悪なきゆへにと﹂
︵信
巻︶
ーユ/
するものでしかなく︑
︵化
土巻
︶
したがってまた︑それらは決して人間の自己脱皮とその成長をもたらすものではありえないこ
とによるものでありましよう︒仏教とは︑人間が仏に成ってゆく道︑極悪最下の凡夫が極善最上の仏に成ってゆく道
を明かすものであって︑仏教とはまさしく成仏道にほかならないのであります︒親鷺聖人にとっては︑宗教とは︑本
来にそういう人間における脱皮と成長を目指すものでなければならず︑仏教とは︑そういう道を︑もっとも鮮明に開
示するものであったわけでありましょう︒
そしてまた親鰐聖人は︑その仏教についても︑更に深く立入って︑聖道教と浄土教とを分判し︑
﹁まことに知んぬ︒聖逍の諸教は在世正法の為めにして︑まった<像末法減の時機に非ず︒すでに時を失し機に
乖むけるなり︒浄土真宗は在世正法︑像末法滅濁悪の群朋をひとしく悲引したもうなり﹂
﹁ひそかにおもんみれば︑聖道の諸教は行証久しく廃れ︑浄土の真宗は証道今盛んなり﹂
﹁当今は末法にして是れ五濁悪世なり︒唯浄土の一門有って通入すべき路なり﹂
と説いていられます︒聖道教とは︑人問における成仏の可能性を無条件に肯定する仏教理解であって︑出家主義の立
場に立つ仏教をいいます︒それに対して浄土教とは︑人間における成仏の可能性を徹底して問いつづけるところの仏
教理解であって︑主として在家者の立場に立つ仏教であります︒仏教本来の立場とは︑その教主である釈尊がそうで
あったように︑出家者としての逍を示すものでありましたが︑
ための成仏道を明かすものでもなければなりません︒浄土教とは︑そのような多くの大衆のための仏道として︑こと
には煩悩多く罪業深き凡夫のための仏道として開説されたものであります︒親鸞聖人は︑自らの求道経験を通して︑
法幡
設を
るも
の
︵化
土巻
︶
また仏教の本意からすれば︑
七
いっさいの在俗の大衆の と明かされる如く︑たとえいかなる装いをこらそうとも︑つねに人間の自己中心的な欲望を肯定し︑その充足を意図
道は
︑
法憧
を渡
るも
の 出家主義の立場に立つ聖道教とは︑すでに今日の時代と人間に相応しない仏教であって︑在家中心の︑ことに凡夫中 心のための浄土教こそ︑
まさしく現今にふさわしい仏道であると分判し︑選定されたのであります︒そしてまた堅人 は︑更にその浄土教についても︑要門第十九願の道︑真門第二十願の道︑弘願第十八願の道の三種に分類し︑その要
門︑真門の行道とは︑
あり
ます
︒
いずれも他力の中の自力なる権仮方便の遁であって真実ではなく︑
念仏の道︑信心の道こそ︑まことの浄土教であり︑
した
がっ
てま
た︑
ただ第十八願の他力の行道︑
まことの成仏道であることを開顕されたわけで
以上の如く︑親鶯聖人はその選びの道において︑世俗における価値としての政治権力や体制倫理を徹底的に相対化 し︑宗教における民旅宗教や兒術信仰と明確に訣別し︑そしてまた仏教における聖道教と浄土教を分判︑選別し︑更 にはまた浄土教における権仮方便の行道をも廃捨することにおいて︑
心の道を選びとってゆかれたわけであります︒ここには﹁ただ信心を以てす﹂
の﹁唯﹂の論理を︑きわめて明確にみることができるのであります︒
かくして親鶯聖人は︑その生涯をかけて︑本願他力の念仏︑倍心の道を︑唯一の真実︑人生の畢党依として選びと って生きてゆかれたのでありますが︑
ただひとえにこそ︑
まこ
との
念仏
︑
まことの信
また聖人におけるそのような生きざまは︑どこまでもこの世俗のただ中におい て︑願い求められ︑そこを場として成立していったものでありました︒法然上人における﹁専修念仏﹂なる選びの行
﹁現世のすぐべきようは念仏の申されんようにすぐべし︒念仏のさまたげになりぬべくぼ︑何なりとも︑
をいといすててこれをとどむべし︒ 上人の思想からすれば︑
︑ま
く︑
︑
vi
よろず
ひじりで申されずば妻をもうけて申すべし︒妻をもうけて申されず ばひじりにて申すべし︒住所にて申されずば流行して申すべし︒流行して申されずば家にいて申すべし︒自力の
﹁ただ念仏のみぞまこと﹂という聖人
/¥.
︵一
遍上
人語
録︶
九
衣食にて申されずば他人にたすけられて申すべし︒他人にたすけられて申されずば自力の衣食にて申すべし︒
人して申されずば同肌とともに申すべし︒共行して申されずば一人籠居して申すべし︒衣食住の三は念仏の助業 なり︒これすなわち︑自身安穏にして念仏往生をとげんがためには︑何事もみな念仏の助業なり﹂
と明かされるように︑出家の生活︑在俗の生活の︑
いずれをも問うものでありませんでした︒この世の生きざまは︑
出家と在家とを問わず︑そのすべてをあげて念仏を申すための助業であるべし︑
ら︑上人自身の生活は︑その生涯を通じて︑清らかな出家生活を営み︑持戒精進の聖者として生きてゆかれたのであ ります︒その点︑法然上人における選びの道とは︑専ら出家の立場に立ったところで成立した道であったといわねば なりません︒また一遍上人における﹁独一名号﹂なる選びの行道は︑同じくいちずに念仏を選びとる道でありました が︑それは世俗の名利や妻子を捨てるのみならず︑住むべき住居をも捨てて︑
るということにおいて成立したものでありました︒上人はその﹃語録﹄の中で︑
一切
を捨
ずば
︑
というわけであります︒
しかしなが
ただひたすらに遍歴遊行の旅路に生き
﹁念仏の機に一二品あり︒上根は妻子を帯し家に在りながら著せずして往生す︒中根は妻子をすつるといへども住 処と衣食とを帯して著せずして往生す︒下根は万事を捨離して往生す︒我等は下根のものなれば︑
定て臨終に諸事に著して往生をし損ずべきなりと思う故に︑
法幡
護を
るも
の
かくの如く行ずるなり︒
よくよく心に思量すべし﹂
と語られています︒上人にとっては︑名利を求め︑妻子をもつことは念仏の妨げになることでありましたが︑更には また︑出家して寺院に止住することさえも︑世俗への埋没を意味するものでありました︒上人は︑
より徹底してこの
世俗を捨棄し︑それから出離してゆかれたわけであって︑その選びの道とは︑専ら妻子を捨てて︑旅に明け旅に暮れ るという︑遊行を場として成立したものであったのであります︒まことに厳しい選びの道であります︒それに対して︑
︵和
語灯
録︶
あると思うことであります︒その点︑親鰐聖人が︑ つねに西に向て念仏して︑その余は忘れたるがごとし﹂
﹁ただ信心を以て 生きてゆかれたわけであります︒ し
て︑
談﹄
に︑
伝えられる如く︑教信については
る出
家︑
法瞳
を詭
るも
の
親鰐聖人における﹁ただ念仏﹂﹁ただ信心﹂という選びの行道は︑同じく念仏の道でありましたが︑法然上人におけ
一遍上人における遊行とは異って︑どこまでも世俗の生活にとどまりつつ︑その恩愛繋縛のただ中において
成立したものでありました︒まさしく在家止住を場として成立した念仏︑信心の道であったわけであります︒それは
賀古の教信沙弥の生きざまに学ばれた道であったわけでありましょう︒
﹁賀古教信は︑西にも垣もせず︑極楽とは中をあけあはせて︑本尊をも安せず︑聖教をも持せず︑僧にもあらず︑
俗にもあらぬ形にて︑
﹃一
言芳
と伝えております︒教信は︑妻子を帯して︑その身を世俗のただ中にとどめながらも︑﹁僧にもあらず俗にもあらず﹂
ただひとすじに念仏に生きた浄土の行人でありました︒親碧聖人もまたそれと同じように︑非僧非俗なる道と
して︑世俗のただ中に止住しながら︑
もうなり﹂と語られ︑
頂くことであります︒
しか
しな
がら
︑
しかもまた同時に︑
を志向しつづけるということ︒すなわち︑ ひたすらに出世を志向しつつ︑ひとえに念仏を選びとって
私はいま︑この鎌倉新仏教において︑ことにその中でも︑親鶯聖人の﹁ただ念仏のみぞまこと﹂
す﹂という仏道に︑仏教の根本意趣が見事に継承され︑発露されていると領解することでありますが︑またこの聖人
によって明示された行道︑在家止住なる非僧非俗の道こそ︑私たち在俗の凡夫にとって︑もっともふさわしい仏道で
﹁浄土真宗は在世正法︑像末法滅濁悪の群朋をひとしく悲引した
また﹁浄土の真宗は証道今盛んなり﹂と明かされた言葉は︑まことにもっともなことであると
ひるがえって思うことは︑この世俗のただ中にあって︑しかもまた︑出世の道
日々の暮しにおいて︑恩愛のきずなに繋がれ︑煩悩にまみれて生きながら
1 0
の歴
史は
︑
も︑その世俗の諸価値を相対化し︑
それらを悉く選びすてて︑
は︑それが世俗のただ中において求められる道であればこそ︑
いちずに念仏をこそ選びとって生きてゆくということ まことに至難なことであるといわねばならないようで あります︒そしてたとえ︑そのことがうまく成立したとみえても︑内実のともなわない形式だけのものにおわること 易行道でありますが︑
うな厳しさが欠落したものがあるのではないでしょうか︒
転落してしまって︑
とであります︒
いっこうに覚醒︵めざめ︶としての信心になっていない︑
妄と厳しく切りむすぶところの︑
﹁易往而無人﹂の道と誡められ︑
また
親鰐型人が﹁難中の難これに過ぎたるはなし﹂︵正信低︶と明かされる所以でもありましょう︒親鶯聖人の歩まれた道︑
いかなる凡人であろうとも︑その在俗の生活のままに︑すべてひとしく︑仏に成ることのできる またそのゆえにこそ︑きわめて困難にして︑厳しい道であるということを忘れてはならないと 思います︒前に真宗信心においては︑安らいの機能と厳しさの機能の二側面があると申しましたが︑その信心におけ る厳しさの意味がここにあるわけであります︒しかしながら︑今日の真宗信心の頒解においては︑時として︑このよ
たんなる観念の中だけの侶心となり︑酔いとしての信心に
したがってまた︑この世俗の矛盾や虚
たくましい信心になっていないものがあるのではないでしょうか︒今日において︑
浄土真宗の教えを学び︑親鶯聖人の道を生きようと願うものにとっては︑何よりも心すべきことがらであると思うこ ことにこのことは︑今日の真宗教団にとっても︑充分に内省︑自覚されるべき問題であると思われます︒真宗教団
いまは遠い過去は問わないとして︑近代以降の百年の歩みを顧みても︑全体的には︑真宗教団︑真宗教学 が民衆に教えた信心のありようは︑
その多くが専ら統合︑調和という安らいの機能でありました︒世俗の諸価値︑
れが内包しているところの矛盾︑限界︑虚妄に対して︑
法幡
を設
るも
の
浄土真宗の仏道は も多いことでありましょう︒
それを厳しく告発し︑相対化し︑選びすててゆくということ
﹃無董寿経﹄において︑この念仏︑信心の道を︑
そ
私たちの真宗教団もまた例外ではありえません︒ あ 自己批判されたでありましょうか︒残念ながら︑
りま
す︒
いったいなぜそうなのでしょうか︒しかも︑戦後三十数年を経た最近では︑
世界の動向の中にあって︑保守回帰︑右傾化の兆候がいちじるしく︑更には軍国調復活のきざしさえも活撥になって まいりましたが︑このような歴史的社会的情況の中にあって︑これからの真宗教団︑真宗教学はいかにあろうとする のでしょうか︒戦後の自己批判の不充分さを思う時︑そしてまた︑戦後の経済的繁栄とともに︑
しつづけているこの教団の現状を顧みる時︑その前途について大きな不安を抱かざるをえないところであります︒
そして先日の﹃朝日新聞﹄に報道された同社の日本人の宗教意識調査によれば︑民衆は概して宗教を願求している ものの︑既成教団離れはいちじるしいと報告されております︒民衆は宗教を求めながらも︑既成教団には魅力を失っ ているというわけでありましょう︒このままでは既成教団の地盤沈下は︑
このような内外の諸情況にあって︑これからの真宗教団のあるべきようは︑ ちの教団や教学において︑ の
終結
にお
いて
︑
法憧
を護
るも
の は少なく︑むしろ︑
いたずらに王法為本や仁義為先をうたって︑時の国家権力に癒着し︑その体制に追随し︑それを 補完していったのであります︒すなわち︑真宗教義を真俗二諦の論理において解釈し︑仏法と王法︑阿弥陀仏と天皇︑
浄土と国家という如く︑
いっそうまことの信心を復興し︑
まこ
まったく異質な出世的価値と世俗的価値とを︑観念的に操作してたくみに調和させつつ︑天 皇制国家体制に奉仕していったわけであります︒それは明らかに真宗信心の世俗への転落を意味するものにほかなり ませんでした︒しかしながら︑このような真宗教団のありよう︑真宗信心に関する理解の誤謬性は︑第二次世界大戦
一九四五年の八月十五日をもって︑きわめて明確になったはずであります︒だがそのことが︑私た
いったいどれほどの痛みをもって自覚されたか︑
その近代以来の歩みが︑どれほど厳しく
そのことは何ら問われることもないままに今日に至っているようで
日本の思想的︑政治的情況は︑
いよいよ民族宗教化
いよいよ急速に進向してゆくと思われます︒
しかしながら︑これからの真宗教団において︑
そのことを欠落しては︑教団再興といい︑法幡護持というも︑
とってよくよく思慮すべきことでありましょう︒
法幡
を設
るも
の
そのことがはたしてどれほど確かに成り立ちうるでありましょうか︒
に支持される教団となりうる︑唯一の道があると思います︒ われます︒そしてここにこそ︑真宗教団が︑これからの時代において新しく蘇り︑多くの大衆をまことに遮き︑それ 論理に立ちかえって︑信心の厳しさ︑その信心による世俗価値との厳しい切りむすびをこそ大切にすべきであると思
まことに甲斐なきことであります︒私たち真宗教徒に 去の歩みを虚心に反省し︑
いよいよ親鱈聖人の﹁ただ信心を以てす﹂﹁ただ念仏のみぞまこと﹂といわれる﹁唯﹂の との教団︵サンガ︶を建立してゆくほかはありません︒それについては︑先ず何よりも︑この教団と教学における過
るよう︑まず最初にお願いを申しておきます︒それでは︑
一体なにを話すのかと申しますなら︑それは︑ここに掲げ
帰依僧宝の人・親杷
八記念講演要旨>
ただ今︑ご紹介をいただきました︑大谷大学の廣瀬でございます︒本日は︑真宗連合学会の大会のお席でお話をさ せていただくこととなりました︒たいへん光栄に存ずると同時に恐縮いたしておる次第でございます︒ただ今は龍谷 大学の信楽先生が情理を尽したお話をしてくださいましたが︑私のお話は︑
けでありまして︑ことにとりたててお心に掛けていただくこともないと思いますので︑どうぞお気軽にお聞きくださ てありますように︑帰依僧宝の人としての親鶯聖人︑大乗のサンガに帰依されたお方としての親驚聖人ということを︑
お話したいのであります︒時間が余りございませんので︑殆どつきつめたお話はできそうにもありませんが︑
とが話したかったのだということだけを知っていただければ︑それで充分なのであります︒
まあ
︑ どんな話のすすみ具合になりましょうとも︑親鰐聖人というお方は︑大乗サンガに帰依されたお方である︑というこ 私が︑ことさらにこのようなことを考え出しましたのは︑この数年のことでありまして︑私自身のうちでも充分な
確かめができていないのですが︑こうしたことを私が考えるようになりましたきっかけは︑もう十五年以上も以前に
婦 依 僧 宝 の 人
・ 親 鸞
ただ心に浮ぶままを申し上げるというだ
廣 ぢ
瀬 せ
たかし
呆
︵大
谷大
学長
︶
一四
学校へお越しくださっていた頃のことであります︒私は︑
一 五
一週間のご講義を終られた先生にお礼を申すつもりで︑先
上人は説浄土真宗を明らかにされ︑親鰐聖人は聞浄土真宗を明らかにされた︒このお二人の説と聞との呼応のもとに 浄土真宗は開かれたのである﹂とおっしゃいました︒もちろん︑先生はもっと柔かいお言葉でお話になられましたが︑
そのお話の趣旨はこういうことでありました︒私はそのお話をお聞きして非常に感激したのですが︑それから数年た ったある日︑金子大栄先生から次のようなお話をお聞きしたのであります︒それは︑ちょうど金子大栄先生が大谷大 学の大学院生のために一週間の集注講義をされまして︑その最後のお話を終ってご自宅へお帰りになられたときのこ とです︒先生は九十五歳のご高令でお亡くなりになったのですが︑
みずしい講義をなさってくださいました︒とくに最晩年の二年間はお体が悪くて学校までおはこびいただくことはで きませんでしたが︑逆にご自宅へ学生を集められまして︑
生諸君と一緒に聴講させていただきましたが︑
りになり︑きちっと一時間のお話をされました︒そのご様子はお元気な頃とまったく変りませんでしたが︑その一時 間のご講義がすみますと︑
様子のうえに︑仏追を生きる菩薩の姿を拝んだものであります︒ところで︑
生のお宅をお訪ねしたのです︒お部屋へ通されまして︑
帰依
僧宝
の人
・親
鰐
お礼を申し上げようとしている私に対して︑先生はずんぶん
した
︒
遡るのであります︒そのきっかけとなりましたのは︑正親含英先生と金子大栄先生という︑
お二人の先生のお話を聞
いたことにあります︒もう十五年以上もまえのことになりますが︑ある法話の会で正親含英先生のお話を聞かせてい ただいたときのことであります︒談たまたま﹁浄土真宗﹂ということに及びまして︑先生はこのようにおっしゃいま
﹁浄土真宗は法然︑親鰐のお二人によって開かれたご宗旨である︒あえてお二人のお仕事を分つならば︑法然
お亡くなりになるその年まで︑学生に対してみず
しっかりとしたご講義をなさってくださいました︒私も学
いつも先生はきちっと簡衣輪袈裟を着用されてお座敷の机の前にお坐 お床のしいてあるお部屋まで這うてお入りになられました︒私たちは︑そういう先生のご
いまお話をしかけておりますのは︑
まだ
先生のお顔を拝見しながら︑私はほんとうにびっくりしたのです︒確かに﹁智慧光のちからより
浄土真宗ひらきつつ
浄土真宗の開祖は我が親鶯聖人である︑と︑私自身思いこんでいたのであります︒しかも︑そう思いこんでいる浄土
真宗は︑親鶯聖人が仰がれる浄土真宗とは全く異ってしまっている︒
でいるのであります︒その私自身を反省しておりますと︑先生はさらに言葉をつがれて︑
聖人により開かれた仏教の学問なのだね﹂と言われたのです︒このお言葉を私は百雷が一挙におちるような気持でお
聞きしました︒はっきり言いますと︑真宗学は親鰐聖人を研究する︑親駕聖人の宗教思想を調査したり研究したりす
る︑そういう学問である︑と︑どこかで決めているのですね︒そういう私自身の大きな独断を︑先生の大発見が打ち
砕いてくださったのであります︒そして︑この金子先生のお言葉は︑
その時以来私にとりましての大きな宿題になったのです︒法然︑親席のお二人によって明かにされた浄土真宗︑それ
は︑お二人のお仕事を合さなくては完成しない︑だから︑そのお一人お一人は半分のお仕事しかできなかったのだ︑ であるということは︑
て で頷かれたことが
﹁だけどね︑真宗学は親鰐
帰依
僧宝
の人
・親
鶯
と興奮した口調で︑﹁廣瀬君︑私はこんどは大発見をした﹂とおっしゃるのです︒先生の大発見とは何かと思っており
ましたら︑先生は﹁親鸞聖人の教えを学ぶものは︑なによりもまず親需聖人のお言葉を素直に聞くということがなく
ては駄目だということに気付いた﹂とおっしゃるのです︒そして︑﹁浄土真宗は法然上人が開かれたご宗旨なのだね﹂
九十歳になられてから︑改めて﹁親鸞聖人のお言葉を素直に聞かなければ駄目だ﹂ということが大発見であり︑そこ
﹁浄土真宗は法然上人によって開かれたご宗旨だ﹂ということなのです︒興奮してそう話される
本師源空あらわれ
選択本願のべたもう﹂というご和讃もございますから︑浄土真宗を開かれたのは法然上人
一応頭では理解していた筈ですが︑先生から改めてこのように言われてみますと︑心の中では
と言
われ
た︒
お聞きしていて私はびっくりしましたね︒
にもかかわらず︑そのことに一向に気付かない
さきの正親先生のお言葉と︱つになりまして︑ 一生涯親鶯聖人のお教え︱つを学び続けてこられた先生が︑
一 六
とをお心に止めていただければ︑それで充分なのであります︒ ということではない︒そうではなく︑
一 七
一言に尽して申しますならば︑法然上
お一人お一人で完結している︒完結はしておりますが︑押えて確かめるとお役 目を異にしている︒法然上人にあっては﹁説﹂であり﹁開く﹂ということであるし︑親鶯堅人におきましては﹁聞﹂
であり﹁学ぶ﹂ということである︑と︑こうおっしゃるのでありましょう︒このように確かめられる浄土真宗とは何 か︒法然上人により独立開顕されることとなった浄土真宗とは︑どのような仏教であり︑親鰐聖人により学びとられ
た浄土真宗とは︑
いかなる具体性をもつものなのであろうか︒実は︑このお二人の先生のお言葉が私にとりましては 大きな宿題になっておりまして︑その宿題がこの頃ようやくにして︑こういうことでもあろうかと少しばかり頷ける ようになって参ったのであります︒どう頷けるようになったかと申しますと︑
人により独立開顕された浄土真宗とは大乗サンガの成就であり︑親鶯聖人により学びとられた浄土真宗は帰依僧宝の
大乗仏道である︑ということであります︒
けのことを明らかにしたいという以外にはなにもありません︒もし話が行き届きませんようでしたら︑これだけのこ ところで︑親鶯聖人にとりまして仏道とはどのようなものであったのかと申しますと︑それは︑歎異抄の第二条に
﹁親
鷺に
おき
ては
︑
ですから︑本日私が充分にお話できるかどうかは別と致しまして︑それだ ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと︑
よきひとのおおせをかぶりて信ずるほかに別の
子細なきなり﹂と示されているように︑人生が教え︱つに尽される道であり︑そのことは︑具体的には法然上人との 出会いということでありました︒そのことを︑もう少し丁寧に申しますと︑﹁親鸞におきては⁝⁝別の子細なきなり﹂
と言い切って人生を尽す親鷺の誕生であり︑その誕生は﹁ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし﹂という﹁よ きひとのおおせ﹂ひとつを﹁かぶる﹂身と成ることなのであります︒言い換えますならば︑教え︱つのもとに人生を 尽す独立者の誕生であり︑そのような人を限りなく生み出す仏道︑それを浄土真宗と仰いだのであります︒しかし︑
帰依
宝僧
の人
・親
鴨
この﹁浄土真宗﹂というお言葉は︑親鸞聖人がのこしてくださいました全著述のなかで︑
ておりません︒なかでも聖人の主著である﹃教行信証﹄のなかには︑
とを手掛りとして︑
申しますと︑聖人のお手紙を集めました﹃末燈紗﹄の第一通に︑
仮といいうは定散二善なり︑選択本願は浄土真宗なり︑定散二善は方便仮門なり浄土真宗は大乗のなかの至極なり︑
方便仮門のなかにまた大小権実の教あり﹂と示されているようなことであります︒はっきり言葉にしてしまいますな
らば︑仏道と擬似仏遁の峻別ということでありましょう︒そして︑このような選びのもとに︑法然上人によって独立
されることとなりました﹁浄土宗﹂の﹁真﹂なる生命は﹁選択本願﹂︑すなわち︑
本願﹂の仏道を﹁浄土真宗﹂と呼ぶのであり︑その﹁浄土真宗﹂なる仏道こそが﹁大乗のなかの至極﹂であるという
こと
を︑
もともと法然上人は浄土宗という名のもとに一宗の独立を宣言なさったのであります︒しかし︑この浄土宗という
宗名を立てて独立したということが︑長い仏教の歴史のなかで充分に明らかにされることなく覆われていた事柄を白
日のもとに晒したのであります︒法然上人までは浄土教とか往生浄土の教えといった具合に呼ばれていたわけであり
まして︑その場合にはいわゆる聖道の仏教の寓宗ということで位置ずけられておりました︒
往生浄土との教えは共に存在していけたのであります︒ところが法然上人によって浄土教は浄土宗と名乗られて独立
することになったとき︑浄土宗は型道の仏教と共存することはできなくなったのであります︒存在できなくなったと
いうことは︑その本質と現実との両面から決定的な異りが明らかにされたからであります︒そこで明らかになった異 一点の曖昧さも止めることなく頷き明かにするのでありましょう︒ ﹁浄土宗に真あり仮あり︑真というは選択本願なり︑
確か
めの
言葉
︑
帰依僧宝の人・親駕
わずかに十三回しか使われ
四回しか出てこないのです︒最近︑私はこのこ
いろいろと考えているのでありますが︑この浄土真宗というお言葉は︑親聾聖人にとりましては
つまり︑確認用語であったのではないかと思われるのであります︒その確かめごととは何であるかと
阿弥陀の本願であり︑その﹁選択
ですからそこでは聖道と
一八
間の能力︑努力を成仏の条件としない︑ 両面から明らかにされたのであります︒ ならば︑その千差万別の生き方について︑
一 九
りというのはどのようなことかと申しますと︑仏教が︑どのような意味におきましても︑人間の努力とか能力とかに かかわるものであるかぎり︑真実の仏教であり得ないという︑本質における確かめがはっきりしているかどうかとい うことであり︑そのことはまた現実的には︑真実の仏教であるかぎり︑どのような人間も乎等に仏と成るということ が︑具体的に証明されねばならない筈であるが︑その点がどうなっているかということであります︒人閻が生きると いうことは︑千差万別の縁のもとで千差万別の生き方をするということであります︒したがって︑真実の仏教である
いかなる意味でも差別をつけることなく︑千差万別なるままに成仏せしめ るということが︑具体的に証しされねばなりません︒実は︑法然上人の浄土宗の独立は︑この一点を本質と現実との
つまり︑浄土宗とはただ浄土教を宗の名に置きかえたということではなく︑
職土を生きる人間の宗は浄土である︑それゆえ人間は︑浄土を宗としてこそ稼土の生活を尽すことができるのであり︑
そのことが明らかにならないならば︑人間にとって生きるということは酔生夢死というより外にはない︑
ことは︑どのような人間でありましょうとも乎等のことである︑
と︑そういうことを明らかにされたのであります︒
ですから︑その浄土宗は︑その宗の内容をはっきりさせて語るときには他力本願念仏宗と申すのでありましょう︒人
いや︑条件とはならない︑ そしてこの
ただ成仏は他力本願念仏ひとつによって成るので ある︑それだからこそ現実的には︑人間であるかぎりにおいて︑成仏できない存在は一人もいない︒もし一人でも除 外者がある限り︑それは大乗を標榜する仏教であることはできない︑ということで︑人間が自らの能力︑努力に依頼 することを一分でも認めるならば︑自ら仏教のいのちを放棄することとなるのであり︑その能力︑努力の無効に目覚
める
とき
︑ ただ絶対なる他力である本願念仏により乎等に成仏する︑ここに︑大乗の仏教は名実ともに大乗の仏道と して具体的に自らを表現することができるのである︑と︑こういうことをはっきりされたのであります︒すなわち︑
帰依
僧宝
の人
・親
鷺
帰依
僧宝
の人
・親
鸞
﹃教
行
浄土宗こそ大乗の仏逍であるということを︑本質的にも現実的にも明らかになさったのであります︒ところが︑この
ようにして浄土宗が独立致しますと︑それまで︑仏教の本道であることを自他ともに認めていた聖逍の仏教は︑本質
的にも現実的にも問い直されることとなり︑
ととなったのです︒こうしたことが︑
圧の起る根本理由なのであります︒
とこ
ろで
︑
やがて︑うちに秘められていた非仏教的性格が白日のもとに晒されるこ
いわゆる承元の法難と呼ばれるような浄土宗を地上から抹殺し尽そうとする弾
その承元の法難を真正面からとり上げ︑そのことのただ中に︑浄土宗独立ということのもつ歴史的意味
を見開いていかれたのが親鶯聖人でありました︒親鸞聖人は﹃教行信証﹄の﹁後序﹂におきまして︑そのことをはっ
きりさせておいでになります︒だいたい親鶯聖人というお方は九十年の生涯を送られましたが︑自分の身の上に起っ
た出来事について語るということの殆どない方でありますが︑この﹁後序﹂の文だけは︑自分が経験した出来事をベ
ースにして記述しているのです︒ということは︑聖人の基本姿勢から申しますと︑この﹁後序﹂の記録も単なる個人
的な経験を述べたのではなく︑むしろ︑その具体的事実というところに︑聖人が頷かれた仏道の証明を見究めたので
あり︑そういう意味では﹁後序﹂の文の具体的事実の記述こそ︑大乗仏道の証しであったのでありましょう︒
信証﹄は﹃顕浄土真実教行証文類﹄と申しますが︑その顕浄土真実教行証︑
する
︑
つまり︑浄土の真実である教行証を開顕
ということは︑具体的には﹁後序﹂の文の上に顕証されていると申してもよいのでありましょう︒だいたい︑
教行証という言い方は仏教の実践的確かめとしてある言葉だと思いますね︒仏教が仏教として在るということは仏道
を行ずるという事実が在るということの外には証明の仕様がない︒しかし︑仏道を行じているか否かは︑単に形式や
威儀だけではわからないことであって︑あくまでもその行人が仏と成るという事実で決まるのである︑と︑こういう
現実的確かめが教行証という仏教の確認なのであります︒そういう意味からすれば︑浄土真実教行証ということは︑
二
0
のみぞまことにておわします﹂ということであり︑﹁慶しき哉︑心を弘誓の仏地に樹つ﹂とおっしゃることなのであ
﹁ 煩
教行証として現に人間のうえに慟きつつある浄土の真実ということであり︑或は浄土の真実のみが職土に生きる人間 を平等に救済する仏道であるということでもありますから︑それを別な言い方で表わせば浄土真宗ということであり ます︒職土を生きる人間にとっての真宗こそ浄土である︒浄土とは阿弥陀の本願により建立せられる境界であります︒
とすれば職土とは人間の職業が作り出し︑職業によって感受する境界でありましょう︒
つまり︑人間の業が感受する
境界です︒私たちの生きる現実は稿土以外にはない︒どんなに浄土らしき世界を夢見ても︑
その全体が職土でありま
す︒しかしまた︑人間は人間であることをやめるわけにはいかない︒とすれば︑人間であることを積極的に尽し切る には真実なる依り処がなくてはならない︒それは︑明治の先輩であります消沢満之先生が﹁吾人の世に処するや︑必 ず完全なる処世の立脚地なかるべからず﹂と言われた︑
その﹁処世の立脚地﹂でありまして︑
土であります︒こんな具合に窺いますと︑教行証ということは真宗としてはたらく仏道ということであり︑そのよう な仏道こそが浄土という言葉で現わされる大乗仏教であるわけでしょう︒
浄土爽宗ということと全く同一なのであります︒そのかぎり︑顕浄土真実教行証とは顕浄土真宗ということである︒
すなわち親鰐聖人のお仕事は︑法然上人によって独立せしめられた浄土宗を︑浄土真宗として学び︑浄土真宗として 開顕するということに外ならなかったのであります︒そのことを親鰐聖人ご自身のお言葉によって窺うならば︑
悩具足の凡夫︑火宅無常の世界は︑
りま
しょ
う︒
帰依僧宝の人・親碧
よろ
のず
こと
︑
みな
もて
︑
それこそ真宗である浄
ですから︑浄土真実教行証ということは︑
そらごとたわごとまこことあることなきに︑
このようなことを親鸞聖人は﹁後序﹂の文で具体的にお示しになったのである︑
ただ念仏
と︑私は窺うのであります︒具体
的ということは︑単に事件としてということに止まることではありません︒むしろ︑事件にまで現実化するほどに具
たにて内心外道を帰敬せり﹂
﹁鬼神﹂に仕えて日のよしあしといった
﹁かなしきかなや道俗の良日吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつ
﹁五濁増のしるしには外儀は仏教のすが
懐﹂と標記したご和讃を作っておられますが︑そのなかで︑
﹁かなしきかなやこの頃の
仏
仏教に昏迷でありつつも釈門︑ といわれるように︑ 帰依僧宝の人・親冠
体的な仏道の事実ということなのでありましょう︒その具体的な仏道の事実こそ︑
久しく廃れ︑浄土の真宗は証道今盛なり﹂と言い切られることです︒
をそれと峻別して真宗と明示するということであり︑ここに︑人間の知的な関心の対象となることにより︑仏道であ ることを自ら放棄して諸々の教理に終る仏教と︑あくまでも真宗となって人間を救済する仏教との︑厳然とした選び があるのであります︒そして︑このような峻別こそ浄土宗独立の意味であったのであります︒このように非仏教化し ていく仏教と︑真宗としてはたらく仏教とを選ぶとき︑前者は︑
ようなことにおびえ︑
﹁教
に昏
﹂く
して
︑
る浄土宗の弾劾となり︑
教の威儀をもととして
しかも﹁釈門﹂であることを誇示する﹁諸寺﹂となる︒
つまり︑仏教であることを主張して寺院の形式に自己誇示をする仏教の本質は︑
そ仏教とは縁のない﹁洛都の儒林﹂の﹁行に迷うて邪正の道路を弁うることな﹂き世俗的関心と同一のものでしかな いのであり︑そうした聖道の仏教が自らの本質にしたがって行なうことになるのが︑南都興福寺の奏上文に代表され
やがて︑浄土宗の弾圧を惹き起すのである︑と︑親鸞聖人ははっきりとおっしゃるのであり ます︒このような聖人のお示しには一点の独断も曖昧さも止めていないのでありまして︑聖人は晩年に﹁愚禿悲歎述
天地の鬼神を尊敬す﹂この世の道俗みなともに
とめとす﹂と悲歎しておいでになりますが︑私は︑そこに恐ろしいまでに透徹した非妥協的な聖人の眼光を感じざる を得ません︒仏教は﹁外儀﹂であり﹁威儀﹂のみであって︑内実は﹁外道﹂
しかも︑このように
和国の道俗みなともに
およ
卜占祭祀つ
﹁卜占祭祀﹂に明け暮れている︑これが︑聖道の仏教の現実相である︑と言われるのでありま
﹁諸寺の釈門︑教に昏くして真仮の門戸を知らず﹂
つまり︑聖道の仏教を諸教といい︑浄土の一宗
﹁艤に以れば︑聖道の諸教は行証
いですね︑世俗に従属するものになり︑それゆえ︑法師とか僧徒とかいう名称も仏教者の尊貴性を現わす名ではなく︑
まったく世俗の従属者の名になり果てている︑
に従属することによって外道化し︑もはや仏教である証しをどこにも見出すことができなくなった︑と言い切られる
ので
す︒
比丘比丘尼を奴婢として
僕従ものの名としたり﹂と悲歎しておいでになりますが︑私は︑このご和讃は大変なご和讃だと思います︒
﹁僕従ものの名﹂とするといわれるが︑そこには︑仏教者が世俗の奴婢︑
と言い切られているのです︒
て起ったのである︑と︑親鶯聖人は見定められたのであります︒ 法師僧徒のとお
つまり︑召使
ですから︑承元の法難は決して偶然に起った事件ではなく︑そのような聖道仏教の質に基因して起るべくし
このような見定めに立たれる親鸞聖人にとっては︑承元の法難の質がそのような非仏教化にあるかぎり︑むしろ︑
この法難によってこそ明瞭になる仏道の事実があったのです︒それは︑法然上人によってなされた浄土宗独立の意義
であり︑同時に︑その浄土宗に帰依する存在となったことの意義であります︒すなわち︑それこそが︑
大祖源空法師︑並びに門徒﹂ということであり︑
す︒それは︑仏教がはじめて真宗として明らかになったということです︒ということは非常に具体的な事柄なのであ
って︑大祖である法師と︑その下に集う門徒とによって︑仏教は今日唯今の歴史を生きる人間の真只中に真宗として
興隆するということであります︒そのことをもっと単純に言いますならば︑仏教が仏教以外のものの代用品になるこ
となく︑あくまでも仏教として今日唯今の人間を救済するということが︑歴史の事実として証しされるということで
あります︒しかも︑人間の能力とか努力とかを条件にすることなく︑万人を平等に﹁予はそのひとりなり﹂と頷かし
めるのであります︒と言うことは︑
帰依僧宝の人・親鸞 聖人は﹁奴婢﹂とするとか︑ とさも
﹁真
宗興
隆の
またその門徒としての﹁予はそのひとりなり﹂という頷きでありま
はじめて大乗のサンガ︑大乗の僧宝が成就したということに外なりません︒私た す︒聖人はさらにこのような仏教の現実を︑﹁仏法あなずるしるしには
つまり︑仏教は完全に世俗の要請のもと
考えているのであります︒
帰依
僧宝
の人
・親
鶯
ちは︑このような法会で︑
はじめに一二帰依文を唱和致しますね︒ところが︑正直な実惑として︑
てまつる﹂と﹁自ら法に帰依したてまつる﹂とは素直に頷けますが︑
くると︑何か心にひっかかるものがあるのではないでしょうか︒もちろん︑この場合の﹁僧﹂は一人のお坊さんとい
つまり︑僧宝のことであります︒
したがって︑帰依僧宝ということが素直に頷けないということは︑僧宝に遇うたことがないという証拠なのでしょう︒
僧宝は仏法の歴史態ですから︑触れれば誰にでも頷ける事実なのであります︒
仏法に帰依しょうとすると︑
つまり︑帰依する僧宝に遇うことなく かならず仏法を私有化し︑私のこのみの仏法にしてしまうのです︒実は法然上人によっ て行なわれた浄土宗の独立ということに︑親鸞聖人ははっきりと大乗サンガの成就を見たのであります︒そして︑そ の浄土宗に焔依した自分自身のうちに︑僧宝に帰依する一人となったことの確かな頷きをもたれたのであります︒そ
のとき親鶯聖人は︑
はっきりと仏法のもとに平等なる独立者として生き合う人間の新しい交りを知ったのでありまし ょう︒仏法に統理されて無碍自在なる人間の交りに目覚めたのでありましょう︒
浄土真宗興隆ということは︑
まさしく大乗サンガの成就ということであり︑その大乗サンガの成就とは︑あくまで も僧宝に帰依する一人として自己自身を発見するところに知られることに外ならないのでありましょう︒私は︑親鰐 聖人こそは帰依僧宝の人して︑法然上人の浄土宗独立の本意を︑大乗サンガの成就として開顕されたお方である︑と はなはだ切りつめたお話を致しましたが︑これでお終らせていただきます︒ご静聴有難うございました︒
う意味ではなく︑サンガ
つまり︑仏法により統理される和合の集いであります︒
﹁自ら僧に帰依したてまつる﹂というところへ
﹁自ら仏に帰依した ニ四
阿孵多璽云塁菩提について かくの如く弥陀法には他力の中へ入る入口と︑ とよろこばれることと理解する︒ 真宗研究第二十三輯に於いて論じた﹁帰命卜無我ノ定義ニツイテ﹂の拙論は︑規格を論じたもの︒今回さらに﹁阿孵多羅一云貌︱︱︱菩提について﹂の題下に﹁浄土真宗﹂は即ち他力の中に入りて後の教えなりと論決し︑以て現在の真宗の布教には油断があり而も肝要の教義を忘却していると論じたい︒
周知の通り表題の法語は﹃小経﹄には四回﹃御本書﹄には二十二回も拝見する︒
テ此ノ難事ヲ行ジ阿孵多羅一云貌︱︱︱菩提ヲ得テ一切世問ノタメニ此ノ難信ノ法ヲ説ク﹂
﹁聞法能不忘︵中略︶則我善親友﹂とあるは今︑末法の衆生でも﹁阿舞多羅一云貌三菩提﹂を行ずれば﹁我親友ナリ﹂
は じ め に
入った後の益との
阿孵多羅三説三菩提について
﹁始終ノ両益﹂がある︒
若 虚
と示
し︑
二五
︵下三ー左︶に﹁イカントナレバ聖教ヲ審抵スルニ始終ノ両益アリ︑念仏ノ衆生ヲ摂取シテ捨テザレバ寿ツキテ必ス生 その文証は﹃安楽集﹄ その他﹃大経﹄
にも
﹃小経﹄では﹁我レ五濁悪世二於 一般仏教より真宗に入るについての
林 閉
し ん じ ゅ
信 受
︵大
谷派
︶