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(Secretariat of the Pacific Community, SPC) 1970 Conand (van Eys & Philipson 1989:208) (McElroy 1990:4; Holland 1994:3) (Akamine 2001) 19

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干ナマコ市場にみられるグローバリゼーションとローカリティ

赤嶺 淳 (名古屋市立大学)

(1)はじめに

 太平洋共同体(Secretariat of the Pacific Community, SPC)は、1970 年代半ばから島嶼国 家における資源としてのナマコに着目し、海洋生物学者のコナンド Conand を中心に、干 ナマコ産業の開発努力をおこなってきた。その結果、同地域からの干ナマコの輸出は 1970 年代後半以降に増加しはじめた。 おりしも、中国では 1978 年 12 月に開放改革政策に方向転換をおこない、段階的な経 済の自由化にふみきった時期であった。その後の中国の経済発展にともなって、中国にお ける干ナマコ市場は拡大した。そのことにより、南太平洋地域におけるナマコ資源は、よ りいっそうの開発が可能となったのである(van Eys & Philipson 1989:208)。中国市場の開 放は、それまで需要のあった高価格の数種にとどまらず、それ以外のナマコにも新たな商 品価値を附加することとなった。とくに低価格種のナマコは中国で需要が高く(McElroy 1990:4; Holland 1994:3)、近年にいたるまで流通種の数は増大している(Akamine 2001)。 このように市場の拡大と流通種の増大が、干ナマコの生産意欲を刺激したのである。 とはいえ、南太平洋地域におけるナマコ資源の開発は、上記の市場側からの「プル」要 因だけで考えてはならないだろう。1970 年代における生産地の社会経済状況を「プッシ ュ」要因として考察する必要があるからである。たとえば、パプア・ニューギニアでナマ コ産業が受容された背景には、それまでの主要な商品であったコプラの価格が低下してい たからでもあった(Lokani 1990:8)。ニューカレドニアでは、1950 年代から盛況となった 鉱業が下火になったため、その代替産業を模索していた(Conand 1990:26)。ソロモン諸 島では、コプラ価格の低迷とタカセガイの資源量の減少により、新たな資源の開発が求め られていた。そこに、干ナマコの輸出業者が生産地を訪れ、生産者を刺激した(Holland 1994:6)。  もちろん、ナマコ市場の拡大の理由は、ひとり中国市場の開放にかぎらない。たとえば、 1980 年代末以降、カナダやアメリカ合衆国、オーストラリアなどにおける華人人口の拡 大に とも なっ て、こ れま での伝 統的 な市 場以外 でも 干ナマ コ市 場が 形成さ れて きた (Preston 1993:371; Malaval 1994:14)。実際に、香港よりアメリカ合衆国とカナダへの干 ナマコ輸出は 1992 年より定期的におこなわれるようになり、その額は上昇しつづけてい る(Ferdouse 1999:6)。  干ナマコ市場の規模が拡大し、その展開が地球的規模に拡散した結果、干ナマコの生産 地も面的な広がりをみせ、産地間競争も激しくなってきた(van Eys & Philippson 1989:207)。

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134 たとえば、1990 年代初頭にベトナム産のチューポーシェン猪 婆 参 (Holothuria fuscogilva)が香港市場に大 量に流入し、市場価格が半額にまで下がったことがある(Sommerville 1993:2)。猪婆参は 熱帯産ナマコのうちでもっとも高価な種である。したがって現在では、猪婆参は、ベトナ ムにかぎらず、太平洋とインド洋のほぼすべての熱帯海域で採捕されている。その結果、 近年の香港における猪婆参の価格は下がってきている(任勉芝 1997:221)。しかし、下落 したとはいえ、いぜんとして豪華なイメージをもつ猪婆参は、レストランや家庭で高い需 要をたもっている(van Eys & Philipson 1989:213)。

 たしかにモノとカネ、情報の移動するスピードが、歴史上かつてなく速まり、国境を越 えたグローバルな経済活動がめずらしくない現代社会において、ナマコ生産の地球規模的 展開は、とりたてて議論する必要がないかもしれない。しかし、干ナマコは中国食文化圏 を主要な消費地とし、生産地のほとんどが、みずからの生産した干ナマコを食する文化を もたない点できわめて特徴的である。つまり、干ナマコの生産は、自家消費を目的とせず、 つねに商業目的でおこなわれているのである。このような資源の利用は、どのような歴史 をたどってきたのだろうか。過去 200∼300 年にわたって干ナマコを生産してきた地域と 近年その生産が開始されたばかりの地域とでは、資源利用にどのような相違点がみられる のだろうか。そもそも、資源開発はどのようにはじまったのか。消費地と生産地をつなぐ 流通は、どのような機能を果たしているのか。 本稿では、そのような特殊な性格をもつ干ナマコについて、生産と消費をつなぐ「流通」 の機能について考えてみたい。まず、ナマコ資源の世界的開発の一例としてアメリカ大陸 におけるナマコの生産状況についてレビューし、2000 年 10 月にアメリカ合衆国のサン フランシスコの中華街でおこなった調査の報告をおこなう。次に、現在のフィリピンにお ける干ナマコの流通事情について報告する。最後に、嗜好品としての干ナマコがもつ特徴 について、「刺参」の事例を紹介し、今後の課題をまとめたい。 (2)アメリカ大陸のナマコ生産  わたしは、これまで東南アジアや南太平洋におけるナマコ漁あるいは、同海域における 干ナマコの生産、流通に関心をいだてきた。これらの海域は、遅くとも 18、19 世紀から 干ナマコの生産加工がおこなわれてきた「伝統」的ナマコ漁業地域である。しかし、近年 ではこれまでナマコ漁がおこなわれてこなかったメキシコやガラパゴスなどアメリカ大陸 の沿岸部でも、ナマコ漁が関心をあつめている(Conand 1998:37)。経済のグローバル化 が進む今日、非伝統的ナマコ漁業地域では、どのようなナマコが生産され、干ナマコに加 工されているのか。それらは、東南アジアや南太平洋海域で生産される干ナマコとどのよ うな相違点をもっているのか。本章では、SPC が発行するナマコ研究情報誌、BECHE

-DE-MER INFORMATION BULLETIN に掲載された論考から、南北アメリカ大陸におけるナマコ

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 アラスカ湾東岸よりメキシコのバハカリフォルニア Baja California にかけての広い海域 には、Parastichopus californicus が棲息している。このナマコは、別名カリフォルニアナ マコ(California sea cucumber)とも大ナマコ(giant sea cucumber)とよばれ(Barsky & Ono 1995:20)、商業目的に漁獲されている。たとえば、カナダのブリティッシュ・コロンビア 州 (British Colombia) で は 、 P. californicus の 商 業 化 は 1980 年 代 初 頭 に は じ ま っ た (Sutherland 1996:42)。アメリカ合衆国のワシントン州では、P. californicus が唯一漁獲さ れており(Bradbury 1990:11, 1994:15, 1997:11, 1999:25)、その開始は 1971 年にさかのぼ る(Bradbury & Conand 1991:2)。

 ロスアンジェルスの近郊では、1978 年頃よりナマコ漁がおこなわれるようになった (Barsky & Ono 1995:20)。その当時にどの種が漁獲対象となっていたのかは明らかではな いが、現在漁獲されているのは、P. californicus と P. parvimensis の 2 種である。後者は、 サンフランシスコ南方のモンテレイ湾(Monterey Bay)からメキシコのバハカリフォルニア にかけて棲息するナマコで、疣ナマコ(warty sea cucumber)ともよばれている(Barsky 1997:12)。P. parvimensis は、厚い肉質に富んだ体壁をもつため、一固体あたりの重量も 重くなる。そのため、漁民にとっては漁獲効率のよいナマコとなっている(Barsky & Ono 1995:21)。

 カリフォルニア湾(メキシコではコルテス海, Sea of Cortez)では、Isostichopus fuscus が漁獲されている(Gutierrez-Garcia 1999:26)。I. fuscus は、カリフォルニア湾とガラパゴ スに固有のナマコである(Meyer 1993:10; Sonnenholzner 1997:12)。細長い体形は、背面 (dorsal)が凸状(convex)で、腹部(ventaral)は平らである。濃茶褐色の体壁には、オレンジ 色の突起(papillae)が無数にある(Garcia 1999:26)。バハカリフォルニアでは、資源量の低 減から不振となったウニ漁の代替として(Pelez-Plascecia 1996:15)、まず I. fuscus が 1980 年代半ばに漁獲されるようになり、1980 年代後半には P. parvimensis も漁獲対象となっ た(Castro 1995:20)(注 2)。メキシコでは、I. fuscus は、太平洋側で獲れる P. parvimensis よりも需要がある(Meyer 1993:10)。1992 年には、ガラパゴス西部で I. fuscus が漁獲さ れるようになった。ガラパゴス産の I. fuscus の乾燥品は、1992 年にエクアドルにおいて、 キログラムあたり 30 米ドルにて取引された(Sonnenholzner 1997:12)。

 大西洋側では、カナダ東部の St. Lawrence 河口において Cucumaria frondosa が漁獲さ れている(Hamel & Mercier 1995:12)。ケベック州では、過去 12 年間にわたる資源量に関 する綿密な研究を経て、1999 年の春より C. frondosa の商業漁業が開始された(Hamel & Mercier 1999:21)。C. frondosa は、小さいながらも黒い体壁、ピンク色の muscle band、 たくさんの突起(protuberance)が、市場で高い評価をうける理由である(Hamel & Mercier 1999:21)。

 以上、アメリカ大陸で漁獲されているナマコの特徴としては、つぎの 2 点があきらか となる。第一に、アメリカ大陸では少なくとも、P. californicus、P. parvimensis、I. fuscus、 C. frondosa の 4 種が漁獲され、干ナマコに加工されている。このことは、フィリピンや

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南太平洋などの「伝統」的ナマコ漁業地域では 20 種以上もの多様なナマコが乾燥品に加 工されていることと対照的である。第二に、漁獲されるナマコが、I. fuscus と C. frondosa などのように疣や突起をもつか、P. parvimensis のように体壁が厚く、商品価値の高いも のである点である。このことに関連して、ハメルとメルシルが、C. frondosa の市場価値 の高さを「体壁の黒さとナマコがもつ突起」(Hamel & Mercier 1999:21)に帰していること の意義について、第 6 節でくわしく検討したい。

それでは、これらのアメリカ大陸で獲れるナマコは、どこで消費されているのだろうか。 バハカリフォルニアで漁獲される I. fuscus も P. parvimensis も、アメリカ合衆国を経由 してアジアへ再輸出される(Castro 1995:20)。しかし、カリフォルニア州で漁獲されたナ マコのほとんどが香港と台湾へ輸出されるものの、ごく一部はアメリカ合衆国内でも販売 されている(Barsky & Ono 1995:21)。ガラパゴス産の I. fuscus は、漁獲量のうち 66.7 パ ー セ ン ト が ア メ リ カ 合 衆 国 へ 、 残 り の 33.3 パ ー セ ン ト が 台 湾 へ 輸 出 さ れ て い る (Sonnenholzner 1997:12)。 これまでわたしは、干ナマコの二大市場である香港とシンガポールにおいて、現地で流 通しているナマコについての市場調査をおこなってきた。しかし、ここで言及されている アメリカ大陸産の干ナマコを小売店ではみたことがない。種名は明らかにできなかったが、 唯一アメリカ大陸産の干ナマコを見かけたのは、ソウル(1999 年 2 月)とクアラルンプー ル(2000 年 12 月)の中華街においてである。 干ナマコを食する「ナマコ食文化」は、清代以降の中国で洗練された文化である。日本 の江戸期の俵物貿易に代表されるように、実際に干ナマコは、清代以降に近隣諸国から中 国へさかんに輸出されてきた。したがって、これまでの干ナマコの流通に関する報告も香 港あるいはシンガポールを集散地・消費地とする「本家本元」の動向に関するものばかり であった。しかし、グローバルな経済活動によって、これまでのナマコ市場に変化が生じ つつあるとは考えられないだろうか。そのひとつが、アメリカ合衆国やカナダのエスニッ クチャイニーズによるナマコ市場の形成と、かれらによるアメリカ大陸でのナマコ資源の 開発ではないだろうか。 (3)サンフランシスコの干ナマコ事情  以下は、2000 年 10 月 20 日にカリフォルニア州サンフランシスコ市の中華街で干ナマ コの小売り状況について概査した報告である。  サンフランシスコでも、香港やシンガポールなどでみかけるように、「トンルーハイウェイ冬茹海味」と 看板を掲げる食料品店・八百屋あるいは、「サ ン ロン参茸」と表示する薬材店において干ナマコは 販売されていた。熱帯産のものとしては、猪婆参が圧倒的におおく、熱帯産ナマコの高級 品として猪婆参と双璧をなすトゥーシェン禿 参 (H. scabra)は、XS サイズの小さなものがほとんどで あった。それ以外には、ターウーシェン大烏参(Actinopyga echinites)の XS サイズとメイファー梅 花シェン参 (Thelenota

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ananas)の普通サイズのものをわずかにみかけただけであった。 猪婆参が極端におおいというのは、香港ともシンガポールとも異なる点である。しかも、 XXL とでも表現すべき特大サイズのものがたくさん流通していた点で興味深い。なぜな らば、このような大きなものは、香港やシンガポールではあまりみかけたことがないから である。また、乾燻の度合いが弱いためだと思われるが、表面が白く仕上がったものがお おかった。なかには干ナマコの白さを強調して、わざわざ「白婆参」と表示する店もあっ た。価格は、ポンド(約 454g)あたりのものが記載されていた。猪婆参の L サイズのもの は、キログラムあたりに換算すると、60 ドル前後が相場であった。1999 年 9 月における 香港での小売価格では、高価なものでキログラムあたり 8,500 円、同年 10 月のシンガポ ールで 10,000 であったから、60 ドルはやや安めだといえる。この価格差が、独自の流通 ルートによるものなのか、先に述べたように猪婆参の価格じたいが下落したためなのかは わからない。  また、いわゆる「ツーシェン刺 参」の種類がおおいこともサンフランシスコのナマコ事情の特徴 で あ る 。 「リャオシェン遼 参 」 と い う 遼 東 半 島 周 辺 産 の も の ( 日 本 の マ ナ マ コ と 同 じ Stichopus japonicus)は、キログラムあたり 150 ドルと妥当な価格であった(瀬戸内海で干ナマコ加 工に取組む A 氏によると、L サイズのものだと、キログラムあたり 15,000 円程度で日本 国内の問屋に卸しているという)。興味深いのは、これまで香港やシンガポールで見たこ とのない南米産の「刺参」が流通していたことである。同種のナマコは、特級南美刺参 ($80/lb)、南美大刺参($65/lb)、特級墨西哥刺参($59/lb.)などとして売られていた。南美は 南アメリカ、墨西哥はメキシコを意味する。いずれも外見は、韓国人が好むといわれる熱 帯産の S. variegatus に似ているものの、S. variegatus にしては価格が高すぎる。だいい ち S. variegatus は、これほどまでに「刺」が目立たない。BECHE-DE-MER INFORMATION

BULLETINに掲載された写真から判断すると、これが I. fuscus ではないかと思われる。  これ以外でも、カナダ産のナマコもあった。こちらは、「チェンジュ珍 珠ツーシェン刺 参」と表記されてお り、1 ポンド 29.50 ドルであった。種が不明の「ナ ン メイ南美チューシェン柱 参 」というものも、1 ポンド 45 ドルで売られていた。カナダ産のものは、棲息環境から判断して C. frondosa あるいは P.californicus である可能性が高いし、柱のようにまっすぐな南美柱参は、P. parvimensis かと思われる。  これまでに香港やシンガポール、インドネシア、フィリピンなど東南アジアの市場調査 を実際におこない、南太平洋などの事例報告を参照してきた経験から、わたしは、サンフ ランシスコの中華街においても、香港経由で熱帯産ナマコが流通しているのだろう、と考 えていた。ところが、事情はやや異なるようである。熱帯産ナマコもあることはあるが、 その主流は禿参ではなく、猪婆参なのである。しかも、量からいっても猪婆参よりもアメ リカ大陸産の各種の「刺参」の方が、おおく販売されている。 このことは、何を意味するのであろうか。現段階では、香港を中心とする干ナマコの流 通ネットワークとは異なって、アメリカ大陸に産するナマコを中心とした独自の流通ネッ

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138 トワークが、在アメリカの華人によって築かれている、といった推論しかなしえない。ア メリカ合衆国には、現在、200 万人の華人人口がいるのだし、アメリカ大陸には 19 世紀 半ばから華人移民がいたのだから、独自の市場を形成していても不思議はないだろう。し かも、アメリカ大陸へ移住してきた華人には華南地方出身者がおおく、広東との緊密な経 済関係が確立されてきた。この歴史事実を反映するように、サンフランシスコでは、香港 大手の乾燥海産物店を複数店みかけた。つまり、アメリカ大陸に発達した干ナマコのネッ トワークは、香港を中心に広がる「アジア・コネクション」(秋道 2000:23)とも、関係を たもっているのである。 ふたつのネットワークが交差しあう現象も、ナマコ資源利用のグローバルな展開のひと つの帰結であろう。生産地が新たに開拓されつづけ、市場もまた拡大していく一方で、こ れまでの伝統的な生産地はどのような変化を受容しているのだろうか。 (4)フィリピンの干ナマコ事情  わたしは 1998 年より継続的にフィリピンで干ナマコの価格と流通種の調査をおこなっ てきた。これまでの調査結果はすでに報告したとおりである(赤嶺 2000; Akamine 2001)。 以下では、2001 年 9 月の時点での調査結果を報告したい。  現在、フィリピンでは 24 種のナマコが干ナマコとして流通している(表 1)。ナマコの 価格は、種によっておおきく異なる。表 1 によると、2001 年 9 月のプエルトプリンセサ では、最高種と最低種との価格差は、95 倍もひらいている。同一種における価格差の決 め手は、大きさである。ナマコは重量単位で売買されるが、大きければ大きいほど等級が あがり、高価格となる。それは、水に戻した時の大きさに関係してくるからである(van Eys & Philipson 1989:219)。種とサイズ以外では、みため(appearance)、におい(odour)、色、 湿り具合(moisture content)、損傷(spoilage)が価格を左右する(McElroy 1990:2)。 2000 年 9 月からの 1 年間に新たに商品価値をえたナマコは、表 1 の番号 10 と番号 12 のナマコである。番号 10 は「瘠せたフドゥフドゥ」という意味である。この種と hudhud(A. echinites)との関係は明らかではない。12 は「香港ラワヤン」という意味である。ナマコ は外敵に襲われたり、強いショックをうけたりすると肛門から消化管や呼吸樹などをふく む内蔵諸器管を射出することがある(荒川 1990:30)。ラワヤンはタガログ語をふくむフィ リピン諸語のおおくで「唾液」を意味する語である。そして、唾液の語義が、この白いネ バ ネ バ し た 内 臓 諸 器 管 に 転 用 さ れ た と 理 解 で き る 。 ラ ワ ヤ ン は 、 ジ ャ ノ メ ナ マ コ (Bohadschia)属のうち B. marmorata/vitiensis をさすと思われるが、そのなかでも大きな ものを Hong Kong とよんでいるようである。プエルトプリンセサ市内の大手仲買商 3 社 のうち、C だけは 1999 年 9 月に Hong Kong をそれ以外のラワヤンと区別していた。他 方、A 社と B 社は 2000 年後半以降に区別するようになった。とくに A 社は、2001 年に なって独立した分類となった。流通段階において Hong Kong 種が確立すると、これまで

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NO. 地方名 学名 1 大きさ PHP USD 4 重量 2 寸法3 1 putian H. scabra 15 XL 1,900 37.3 20 L 1,500 29.4 40 M 1,100 21.6 60 S 700 13.7 80 XS 650 12.7 2 susuan H. fuscogilva 3-4 XL 1,800 35.3 5-6 L 1,700 33.3 7-8 M 1,100 21.6 8-10 S 800 15.7 11-15 XS 500 9.8 3 buliq-buliq Actinopyga spp. 3'' up L 1,100 21.6 2.5" M 800 15.7 1"-2.5" S 600 11.8 (<1") XS 400 7.8 4 hanginan S. horrens 3.1" up L 1,100 21.6 S. hermanni 2.5"-3" M 800 15.7 2"-2.5" S 600 11.8 (<2") XS 300 5.9 5 bakungan H. nobilis 5-6 L 1,000 19.6 7-8 M 900 17.6 8-10 S 700 13.7 11-15 XS 500 9.8 6 katro kantos S. chloronotus na 1,000 19.6 7 tinikan T. ananas na 700 13.7 8 khaki A. mauritiana 3" up L 650 12.7 2.5" M 450 8.8 1.5"-2.5" S 280 5.5 1"-1.5" XS 120 2.4 9 hudhud A. echinites na 650 12.7 10 hudhud payat ? 450 8.8 11 leopard B. argus na 420 8.2 12 lawayan hongkong Bohadschia spp. na 320 6.3 13 lawayan Bohadschia spp. 4" up L 300 5.9 2.5" M 270 5.3 (<2.5") S 170 3.3 14 red beauty H. edulis na L 240 4.7 S 200 3.9

15 white beauty ? na 230 4.5

16 patola red ? na 230 4.5

17 brown beauty ? na 220 4.3

18 black beauty H. atra 5" up L 200 3.9 4"-5" M 120 2.4 2"-4" S 80 1.6 19 patola H. leucospilota na 200 3.9 20 legs T. anax na 190 3.7 21 sapatos H. fuscopunctata na 140 2.7 22 bulaklak B. graeffei na 90 1.8 23 labuyuq ? na 20 0.4 24 patola white ? na 20 0.4 出典: 仲買商Aの買付け価格表 (2001年9月現在).

1: A, H, B, TはそれぞれActinopyga 属, Holothuria 属, Bohadschia 属, Thelenota 属をさす。 2: 数字は1キログラムに必要な個数をさし、つうじょうは固体ごとに手で計量する。

3: 中指の第一関節を1インチとする。括弧内の数字は、筆者がいれたもの。naは大きさによる区別がないことを意味する。 4: 調査時点での交換レートは1米ドルが51フィリピンペソであった。

分類基準

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たんにラワヤンとよばれてきたナマコをフィリピンラワヤン(lawayan Pilipin)とよぶ者も でてきた。また、現在では brown beauty に sa laut(深海)と katian(沿岸)あるいは tabaq(太 った)と payat(瘠せた)といった下位分類を検討中の仲買商もある。  表 2 はプエルトプリンセサにおける干ナマコの買付け価格の変化をみたものである。 同一種で大きさによって価格が異なるものは、もっとも大きなサイズで比較した。上位 4 種は上昇あるいは変化なしであるが、それ以外のナマコはほとんどが下落していることが わかる。 (5)フィリピンの干ナマコ仲買商  現在、フィリピンには、大手の干ナマコ輸出問屋が 4 社存在している。いずれもフィ リピン国籍をもつエスニックチャイニーズが所有している。これまでの調査では、これら のマニラ在住の経営者から直接に話を伺う機会をえていないので、これらの華人がどのよ うな経歴をもっているのかは明らかになっていない。ただし、ひとりは、マニラ商工会議 所の重役を勤めていることがわかっている。  以下の議論においては、さまざまなレベルにおけるナマコ売買の混同を避けるため、島 や村でナマコを漁民から買付ける、いわば一次的な仲買行動に従事する者を「仲買人」、 プエルトプリンセサやサンボアンガなどの集散地で島の仲買人から干ナマコを買付ける、 二次的な仲買者(会社)を「仲買商」、全国各地の仲買商から干ナマコを買付け、輸出業を 営むマニラの会社を「問屋」とよぶことにする。ただし、集散地における仲買商は、マニ ラの問屋が経営する支店であることも少なくない。たとえば、大手 4 問屋のうち、3 社は プエルトプリンセサに支店を設けている。  現在、プエルトプリンセサで活発に買付けをおこなっているのは、マニラに本店をもつ 問屋の支店 3 社である。1997 年当時は、ほかにも個人が経営する 2 社が活発に買付けを おこなっていたが(赤嶺 1999)、激化する買付け競争の結果、事業は縮小傾向にある。以 下、聞取り調査でえた口承情報をもとに、プエルトプリンセサにおけるナマコ仲買業の歴 史を振り返ってみたい。 現在 5 社あるナマコ仲買商は、設立された年代順ではなく、現在の操業規模の大きな 順に A、B、C、D、E とする。それぞれの仲買商の出身民族と年齢を記す。A はマスバテ生ま れの華人系マスバテ人(1964 年生まれ)、B はサンボアンガ生まれの華人系チャバカノ人 (1961 生まれ)、C はタイタイ生まれの華人系セブ人(1966 年生まれ)、D はボホール出身 のセブ人(50 代後半)、E はバタンガス出身のセブ人(50 代後半)である。D だけが女性であ るが、D の夫(故人)は華人系セブ人である。  A はマスバテ生まれのイロイロ育ちである。イロイロの中華(中国語)学校で学び、北京 語と広東語が堪能である。敬虔なキリスト教徒であり、教会の活動にも積極的である。妻 はセブ人で、中国語はできない。子どもはプエルトプリンセサの中文学校で学ばせている。  B はフィリピン名をもつが、タウィタウィ州のシタンカイ生まれの陳姓をもつ華人であ

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順位 一般名称 学名 1 PHP 価格差 2 2000年比 順位差 1 putian H. scabra 1,900 △ 1.15 -2 susuan H. fuscogilva 1,800 △ 1.13 -3 buliq-buliq Actinopyga spp. 1,100 - 1.00 +1 hanginan S. horrens, S. hermanni 1,100 △ 1.16 +2 5 bakungan H. nobilis 1,000 ▼ 0.83 -2 katro kantos S. chloronotus 1,000 ▼ 0.95 -7 tinikan T. ananas 700 △ 1.08 +1 8 khaki A. mauritiana 650 - 1.00 -hudhud A. echinites 650 ▼ 0.93 -1 10 hudhud payat ? 450 na na na 11 leopard B. argus 420 △ 1.11 -1 12 lawayan hongkong Bohadschia sp. 320 na na na 13 lawayan Bohadschia spp. 300 ▼ 0.97 -2 14 red beauty H. edulis 240 - 1.00 -15 white beauty ? 230 ▼ 0.92 -3

patola red ? 230 ▼ 0.92 -3

17 brown beauty ? 220 ▼ 0.92 -3 18 black beauty H. atra 200 ▼ 0.83 -4 patola H. leucospilota 200 ▼ 0.91 -1 20 legs T. anax 190 ▼ 0.86 -3 21 sapatos H. fuscopunctata 140 △ 1.08 -2 22 bulaklak B. graeffei 90 ▼ 0.82 -2 23 labuyuq ? 20 ▼ 0.27 -2 patola white ? 20 - 1.00 -1 出所: Akamine (2001)と仲買商Aの買付け価格表 より筆者作成。

1: A, H, B, TはそれぞれActinopyga 属, Holothuria 属, Bohadschia 属, Thelenota 属をさす。

2: 20001年9月の価格が2000年9月のものより減少したものを▼、上昇したものを△、変化ないものを-でしめ naは2000年9月に流通していたなかったことをしめす。

3: 2000年9月の調査時点で流通していた22種のうち、価格の高い順につけた番号。

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142 る。1958 年に両親がスルー諸島南端のシタンカイへ移動し、そこで生まれた。その後B の父親は 1964 年からサンボアンガで精米業に従事し、1974 年にはバーター貿易をはじ めた。B の父親は 1978 年よりナマコの仲買商となる。C のマニラ本社へ売っていた。サ ンボアンガに長いため、チャバカノ語とタガログ語に通じている。北京語と福建語ができ るが、漢字は書けない。妻はサンボアンガのチャバカノ人である。  C(1966 年生まれ)の父方の祖父が華人 1 世で、エルニドで漁業を営んでいた。父方の祖 母はパラワン人であった。父はエルニドで生まれ、後にタイタイへ移動した。ナマコの買 付けをおこなったり、アガルアガル(海藻)の買付けをおこなっていた。母はアンティケ出 身のセブ人である。林という中国姓をもつものの、中国語はほとんどできない。C は 1988 年に台湾へ渡り一儲けしようとしたが、リクルーターを装った詐欺にあって、100,000 ペ ソを騙しとられた。このあとマニラ市内(マラボン)の靴会社に勤務し、ソルソゴン出身 のビコル人女性と知り合い、1991 年に結婚した。1995 年に父の友人であった C の経営 者から、「プエルトプリンセサ支店の責任者とならないか」と勧誘され、マニラからプエ ルトプリンセサにやってきた。C は、もしナマコ仲買商をやっていなかったら、大学で学 んだ技術を生かして、電子工学の技術者として海外へ出稼ぎにいっていただろう、述懐す る。  1970 年代初期には、プエルトプリンセサにマエ Mae と呼ばれる華人経営の仲買商が存 在していた。つづいて E 社が 1975 年に操業を開始した。3 番目に操業を開始したのが D で、1983 年のことである。正確な年は不明であるが、1991 年頃にマエが A と B に分裂 する。A の姉が社長の兄弟と婚姻関係にある。そして C が 1995 年より操業を開始して現 在の 5 仲買体制となった。 D は、夫が 1972 年よりマニラで干ナマコの買付けを開始し、みずから香港へ輸出した り、在マニラのナマコ輸出問屋に売却していた。しかし、夫が 80 年代後半に他界すると、 広東語も北京語も理解しない D は、1991 年で輸出を止め、マニラの問屋へ売却するよう になった。買付けたナマコは、条件によっては、A や B、C のマニラ本店へも移出したし、 マニラのナマコ問屋の古参である L にも売却していたが、最近は値段に関わらず L へ売 却している。買付け資金が足りないときは、L に連絡をとり、L の買付け価格を高めに設 定してもらうことで、他社との競争に挑んでいる。D は L の支店ではないが、A、B、C の各社と競争していくためには、L とより緊密な関係を築く必要があると考えている。 E は操業開始時期も早く、マエ社とビジネスを競っていた。1980 年代には、毎週 5 ト ン前後のナマコをマニラの D や L へ出荷していたこともある。しかし、プエルトプリン セサ市場の将来性に目をつけた D が、直接プエルトプリンセサで干ナマコの買付けを開 始し、競争が厳しくなった。そして、C が進出してきた 1990 年代半ば頃よりナマコの買 付け価格が上昇し、資本が少なかったために価格競争に負けた、と E は自戒する。現在 もナマコを仕入れる意志はあるが、他社に比べて安い購入額しか提示できないため供給者 はほとんどない。その理由として、A、B、C はマニラに本社をもつ大手会社の支店であ

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品名 規格 重量(kg) 範疇 品名 規格 重量(kg) 範疇

1 bakungan 2nd 7.10 ナマコ 18 lawihan black 1.70 フカのひれ

L 22.85 white 0.55 S 0.85 19 legs 1,519.20 ナマコ 2 banjo L 2.75 フカのひれ 20 leopard L 416.20 ナマコ M 2.15 Salted 1.20 3 black beauty L 22.90 ナマコ M 11.15 M 100.40 21 patola 73.70 ナマコ S 69.80 white 5.75

4 black Fin XL 89.80 フカのひれ red 747.25

LM 22.25 22 putian XL 4.35 ナマコ L 89.50 L 13.20 M 48.90 L-2nd 4.50 S 45.70 M 19.90 XS 100.10 M-2nd 0.40 10'' 19.50 S 34.30 5 black lip 2nd 36.70 真珠貝 XS 145.75 L 91.70 XS-2nd 4.45

6 brown beauty 143.15 ナマコ 23 red beauty L 67.15 ナマコ

7 brown fin 42.15 フカのひれ 248.33

8 brown lip 160.55 真珠貝 24 samong L 1,675.95 タカセガイ

9 bulaklak 300.30 ナマコ S 44.55

10 buliq-buliq 2nd 32.25 ナマコ 25 sapatos 233.70 ナマコ

L 1,266.20 salted 3.75

M 105.20 26 sea horse 0.75 タツノオトシゴ

S 56.05 27 sea urchin 458.00 パイプウニ

salted 0.55 28 sharkfin (rough) khaki 0.80 フカのひれ

XS 13.00 M 3.00 11 gold lip a 20.05 真珠貝 S 0.60 b 19.30 29 sudsud L 44.70 フカのひれ c 14.60 LM 0.70 d 20.20 S 8.15 S 7.85 XS 4.75 12 hanginan 2nd 51.50 ナマコ 12" 3.75 XL 16.80 11" 2.35 L 1,092.65 10" 2.10 M 211.65 9" 1.70 S 116.25 8" 5.35 XS 12.15 30 susuan 2nd 15.75 ナマコ 13 hudhud 11.85 ナマコ L 132.65 14 katro-kantos 224.70 ナマコ M 43.95 15 khaki L 20.60 ナマコ M-2nd 2.55 M 4.30 S 30.45 S 5.20 S-2nd 0.75 XS 0.30 assorted 278.05 16 labuyoq 31.20 ナマコ salted 0.45 17 lawayan L 459.45 ナマコ 31 tinikan 123.90 ナマコ L-salted 1.75 salted 1.10 M 111.60 32 white beauty 25.35 ナマコ S 93.89 合計 12,165.67 salted 15.70 出所: C社の買付け伝票帳より筆者作成。 assorted 0.20 表3 仲買商Cの月間仕入れ 1999年9月3日−1999年9月30日

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144 り、買付け資金に不足することはない。干ナマコの売買は現金決済が基本であるため、昨 今のようにナマコの価格が上昇してくると、E にはそのような大金を動かす資本がなく、 客足が遠のいてしまうのである。  わたしは 1998 年よりプエルトプリンセサにおける干ナマコの仲買商の競争を観察して きた。現在は、A、B、C の 3 社が互角に競いあっているようにみうけられる。たとえば、 マンシ島のサマ人仲買の Y は、1999 年 11 月から翌年 9 月までの 10 ヶ月間に 11 月 26 日 (C)、12 月 12 日(C)、1 月 11 日(C)、2 月 28 日(C)、3 月 13 日(C)、4 月 4 日(C)、4 月 17 日(C)、5 月 5 日(C)、5 月 16 日(A)、6 月 13 日(A)、6 月 26 日(A)、7 月 24 日(B)、8 月 8 日(B)、9 月 5 日(C)の合計 14 回干ナマコを出荷している(括弧内のローマ字は、その時に 売却した仲買商を示す)。14 回の商いのうち、A に 3 回、B に 2 回、C に 9 回売却したこ とがわかる。Y によると、売却先を決める要因は、価格が第一であるとのことであった。 しかし、わたしが観察したところでは、価格は 3 社とも大きく変わらない。C の気さ くで明るい性格も、C が人気の秘訣のようである。また、大手の A、B、C のうち、パラ ワン島出身は C のみである。C は、パラワン島北部のタイタイ出身であるため、同島北 部に顧客がおおいのも、後発ながら A、B とも互角に勝負できる要因のひとつだと思われ る。 また、香港やシンガポールの輸出入業者のおおくは、干ナマコのほかにも、フカヒレ、 鮑、シイタケ、魚肚(fish maw)やそのほかの中華食材をあつかっていることがおおい(van Eys & Philipson 1989:212)。次に、その実態を仲買商 C の事例でみてみよう。C が管理す る経理帳簿にもとづいて、1999 年 9 月に仕入れた海産物を表 3 に示した。およそ 12,200 キログラムの海産物は、金額にして合計 5,044,251.51 ペソ(およそ 13,300,000 円)であっ た。  C に乾燥海産物を搬入する仲買人はどうであろうか。1999 年 10 月 23 日には、午前中 に 3 名、午後 12 名の計 15 人(組)の仲買人がナマコやフカヒレなどを売りにきた。内訳は 以下の通りである。ナマコとフカヒレを持ってきたのは夫婦 1 組で、ナマコの 8 件中、 女性が 5 名と過半数であることがわかる。 表 4: 1999 年 10 月 23 日に仲買商 C へ海産物を売却した仲買人の数とその商品 商品 人数 性別内訳 ナマコ&フカヒレ 1 MF のカップル 1 組 ナマコ&貝類 1 M ナマコのみ 8 M3 名、F5 名 フカヒレのみ 5 M 出所: 仲買商 C における観察結果  C では、干ナマコが搬入されると、C と補助役の数名がまず種類と大きさに仕分けする。

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仕分け作業中、C は干ナマコの持主と談笑している。高級ナマコは、C がひとつずつ手で 触りながらサイズと等級を決める。等級とは、塩蔵ナマコを salted、形の悪いものは second などに分類する範疇をさす。客によっては、仕分けをしないで「まとめて 100,000 ペソ でどうだ」などと一括取引を申し出る者もいるが、C はけっして応じない。冗談を言いな がら、気長に仕分けするのである。量がおおい場合には、仕分け作業に 1 時間以上かか ることも珍しくない。仕分けが終わると、それぞれをプラスティック袋にいれて、袋ごと 計量する。C はグラム単位までわかるデジタル計量器を使用している。数字は、一目で干 ナマコの売り手にもわかる。その数字を見ながら、ナマコの湿り具合などを手で確認しな がら、端数を切り捨てる。この時、計測値を減らす理由を売り手に説明し、同意を求める。 その際に、次回の改善点も指導する。売り手が計測値の軽減に同意すると、その値を妻が ノートに記録し、奥の部屋で伝票に再記入し、精算する。たとえば、2000 年 9 月 5 日の 場合、以下のような計量がおこなわれた。 表 5: 実際の計量値と帳簿への記載値 種 サイズ/クラス 実際の重量(kg) 記載重量(kg) 減少率 S. variegatus L 0.10 0.05 -50% H. fuscogilva M 0.12 0.10 -17% Salted 0.17 0.15 -12% Second 0.18 0.15 -17% H. scabra L 8.42 7.60 -10% M 4.71 4.40 -7% S. variegatus L 7.81 7.30 -7% T. anax 10.19 9.50 -7% A. mauritiana 0.37 0.35 -5% 出所: C における観察記録 差し引き率は、5∼50 パーセントと一定していない。同一種によっても、S. variegatus のように 50 パーセントのものもあれば、7 パーセントのものもあって、アドホックな様 子がうかがわれる。  買付け価格は、マニラの経営者が決める。2000 年 3 月の時点では、すでに 1 月 14 日 と 3 月 6 日の 2 度変更していた。とはいえ、価格変更は定期的なものではないという。 つねにマニラ本社の在庫と海外からの注文との関係によると C はいう。実際にわたしが 調査していた 2000 年 9 月 7 日に、C はマニラ本社の責任者と T. ananas の価格について 電話で相談していたが、「マニラには 1 か月分の在庫がある」との理由で価格は据え置 きとなった。 仲買商が仕入れた干ナマコは、どのような過程をへてマニラの問屋へ移出されるのであ

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ろうか。干ナマコの流通ネットワークにおける仲買商の役割はどのようなものなのだろう か。たとえば、香港やシンガポールの干ナマコ輸入業者は、たんなるに商品を流通させる だけではく、格上げ(upgrading)、洗浄、乾燥、パッキングなどの価値を賦与(adding value) することも、輸出入業者の機能のひとつである(van Eys & Philipson 1989:212; Preston 1993:400)。  C によれば、仕入れの量にもよるが、1 ヶ月に 1、2 度はマニラの本社へ在庫を出荷す るという。その間、仕入れたナマコの状態によって、さまざまな加工をくわえる。仕入れ たナマコは、まず、①すぐに倉庫へいれてもよいものと、②半日程度の日乾が必要なもの、 ③1 日以上の日乾が必要なもの、④燻乾が必要であるもの、⑤それ以外のケアが必要なも のの 5 種にわけられる。それ以外のケアとは、次の7つのことをさす。 1. 塩蔵したナマコを煮直し、塩分を抜いてから干す。大釜に湯を沸かして煮た 後に水洗いを 5、6 回は繰り返す。 2. 異臭がするものは、水洗いしてから燻乾しなおす。 3. 部分的に腐敗しているナマコは、水洗いし、腐った部分を取り除き、乾燥し なおす。 4. 乾燥時に焦げたものは、その部分を洗い流して、燻乾しなおす。 5. 肉厚なナマコの場合、内側と外側とが均一に茹で上がらず、しわがおおくな ったものを煮なおす。 6. H. scabra の白い石灰質の部分をナイフで削り取る。 7. 体内に砂が混じっている場合には、砂を取り出す。 これらの特徴をもつナマコは、買付ける段階で 2 級品として安く買付ける。なお、B のサ ンボアンガ支店では、着色をおこなっていたのをわたしは見たことがある。買付けた B. argus を鍋にいれて紅茶で煮ていた。これは、褐色に染色するためである、との説明をう けた(1998 年 7 月)。 C は、「乾燻には、煙が必要なため、堅木がのぞましい。しかし、堅木の薪は高価なの で、炭をもちいることがおおい。炭をもちいる場合には、炭は熱をもちすぎるので、熱く なりすぎないように注意しなくてはならない」という。実際に、煙をだすために、炭の上 に木屑をかけたり、時おり水をかけたりしていた。C は、中庭に 5 メートル四方のセメ ントを塗った干場も設けており、燻したナマコはそこに干す。干場がいっぱいになったら、 庭にブリキ板をしき、その上にナマコを干す。干す場合にも、種類ごと、大きさごとにま とめておく。そして、乾いたものから PBB(ポリ臭化ビフェニール)製の袋に種、大きさに わけて収納する。在庫がまとまった段階で、マニラに出荷するのである。 (6)刺参と光参  さきにサンフランシスコでは香港やシンガポールとは異なったナマコが売られていたこ

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とを報告した。このことは何を意味するのだろうか。ナマコのすべてが一様な評価をうけ るのではなく、市場によって異なる嗜好性―好まれるナマコやその加工法―が存在する可 能性を指摘したい。たとえば、南太平洋地域のナマコを研究するプレストンは、香港と取 引のある仲買人とシンガポールと取引のある仲買人とは買付ける種も異なるし、同一種に たいして異なる価格をつけることもあることを指摘している(Preston 1993:398)。 たとえば、シンガポールでは、天日で乾燥させた干ナマコが好まれるのにたいして(van Eys & Philipson 1989:222)、中国市場では燻蒸した干ナマコが好まれる傾向にある(大島 1962:111)。フィリピンでは、ナマコを燻乾した後に天火干しするのが一般的である。そ の結果、干ナマコは黒く仕上がる。ところが、1997 年にインドネシアのティモール島の クパンで華人仲買人に聞いた話では、燻乾を弱くして白く仕上げたものをスラバヤ経由で シンガポールへ輸出しているということであった。また、わたしが 1999 年 10 月にシン ガポールの中華街で小売り状況を調査した際には、薬品をもちいて表皮を剥ぎとり、白く 半透明な状態に加工した猪婆参をおおくみかけた。この白い猪婆参は、あきらかにシンガ ポール国内で消費されることを念頭に加工されたものであり、先の指摘を裏付ける事例と いえよう。  このことは、天日乾燥した干ナマコが比較的白い製品となるのにたいして、燻蒸したも のは黒く仕上がるといった違いが生じるように、ナマコ食文化における「色」の問題でも ある。2 節でカナダ産の C. frondosa が市場で高い評価をうけるのも、その黒い色が理由 であるとのハメルらの指摘(Hamel & Mercier 1999:21)を引用した。ナマコの漢語名称に 「黒」や黒を意味する「烏」、あるいは正反対の「白」が多用されるように、黒と白の対 立がナマコ食文化にとって意味ある何かを表象しているものと思われる(表 6 参照)。ナマ コ食文化は、不老不死を追求する道教の影響を多分に受けている(鶴見 1999)。黒と白の 対立は、道教思想における「陰」と「陽」の対立と無関係ではないと推測される。  次に、ナマコの「刺」について考察してみよう。清代に編まれた『本草綱目拾遺』の「海 參」の項にも、「有刺者名刺参無刺者名光参」(趙學敏 1971:494)と記されているように、 中国では刺のあるナマコを刺参、刺のないものをクワンシェン光 参 と総称する。ここでの「刺」とは、 背面と両側部に縦列する、いわゆる疣足が保存されて硬く尖った突起となったものをさす (大島 1962:122)。つまり、刺参とは、種ではなく、ナマコの形状に由来する分類名称な のである。しかも、刺参の市場価値が光参よりも高いのが一般的な傾向である(農商務省 1935:44; 太田 1915: 287; 陳 1991:9)。  刺参の代表は、渤海湾から朝鮮半島沿岸、沿海州沿岸、日本列島沿岸に産する S. japonicus である。上海でもっとも豊富な品揃えで定評のある第一食品店で販売されてい た S. japonicus は、日本産のものではなく、渤海周辺で生産されたものであった。第一食 品店では、大きさや刺の形状によって、5 種類の等級に選別されており、キログラムあた り 18,000 円∼29,400 円と価格に幅が存在した。この価格は、第一食品店における光参の 最上級種である猪婆参の 3∼5 倍に相当する。第一食品店の干ナマコ売り場の店員による

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表 6 フィリピンに流通するナマコの一般名と学名、英語名、漢語名 一 般 名 学名 英語名 漢語名 1 bakungan H. nobilis black teatfish 顔参,烏石参, 烏岩参, 黒参 2 putian H. scabra sandfish 禿参, 頽参, 脱皮参, 白脱参 3 black beauty H. atra lollyfish 黒虫参 4 khaki A. mauritiana surf redfish 沙参 5 hudhud A. echinites deep-water redfish 大烏参, 大烏元参, 烏料参 6 susuan H. fuscogilva white teatfish 猪婆参, 白石参, 岩参 7 hanginan S. horrens 2 ? 黄肉参 8 hanginan S. hermanni 2 curryfish 玉参 9 katro kantos S. chloronotus greenfish 方刺参,小方参, 四方参 10 labuyuq ? ? 光頭参 11 talipan, tinikan T. ananas prickly redfish 梅花参, 刺参 12 patola H. leucospilota ? 虫龍参 1 13 legs T. anax amberfish 美人腿参 4 14 brown beauty ? ? 赤虫参 8 15 tres kantos B. graeffei orangefish 三方参 16 red beauty H. edulis pinkfish ? 17 lawayan Bohadschia spp. 3 ? 赤参 18 leopard B. argus leopard fish 花斑参, 紋参 19 buliq-buliq Actinopyga spp . 4 ? 烏丸参, 小烏参, 小烏元参, 烏圓参 20 sapatos H. fuscopunctata

elephant's trunk fish

象牙参, 象鼻参, 虎皮参 21 white beauty ? ? ? 22

lawayan hong kong

1 Bohadschia sp. ? 大赤参 23 hodhod payat 1 ? ? ? 24 patola red ? ? ? 25 patola white ? ? ? 出所 : 筆者作成。学名と英語名は Cannon et. al .(1994) 、

Carpenter and Niem (1998), SPC(1994

)、

McElroy (1990), Preston (1990), Holland (1994

)を参照した。 1: 2000 年 10 月以降にあらたに流通しはじめた。 2: 以前は S. variegatu s とよばれていたもの (Samyn 2000, Lambeth 2000 )。マンシ島民は、両種をよびわけているが、流通過程においては名称も価格もおなじである。 3: B. marmorata (chalkfish) あるいは B. vitiensi s (brown sandfish )であると思われる。なお、この両種は同一種の異名である

(Cannon et. al. 1994)

。 4: A . miliari s (blaskfish) と A . lecanora (stonefish) の 2 種をさす。

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と、「個体が大きく、刺の形がはっきりしているものがよい」とのことであるし、香港の 南北行で乾燥海産物輸入問屋を営む天徳行海陸産品有限公司の林樹田氏によると、「刺が 鋭いほど、眼に効く」とのことである。理由は明らかとはいえないものの、ナマコの「刺」 がナマコ食文化にとって無視できない文化的要素をもっているといえる。

 さて、太平洋から東南アジアにかけてみられる熱帯産ナマコでは、T. ananas と S. chloronotus が、刺参に分類される。T. ananas が刺参とよばれたり、S. chloronotus が「

ファン 方 ツーシェン

刺 参」の漢語名をもつのはそのためである。したがって、中国では T. ananas が好まれ るとの指摘は(van Eys & Philipson 1989:219)、じゅうぶんに妥当性のあるものと理解でき よう。実際に、わたしが訪れた廈門と上海でも T. ananas は小売りされていた。これは T. ananas が、もっとも価格の安い刺参だからであろう。また、サンフランシスコの中華街 でみられたナマコのほとんどが刺参だったことも興味ふかい。  しかし、ナマコ食文化を一般化して、「刺参」がより価値のあるナマコと仮定するには 注意が必要である。シンガポールの事例を検討してみよう。経済力におうじた高級ナマコ だけが消費されるということならば、シンガポールで日本産の高価な刺参が評価されても 不思議ではない。概してシンガポールでは、日本産にかぎらず S. japonicus の需要はほと んどない(赤嶺 2000)。シンガポールで干ナマコの輸入問屋「海瑞」の主人である陳氏に よれば、シンガポールにおける干ナマコの嗜好は、禿参と猪婆参に偏っているという。ま た、日本産にしろ、中国産にしろ、S. japonicus を加工したナマコが、比較的黒くしあが ることは、経済的に裕福なシンガポールにおいて、日本産の刺参にかぎらず、中国産の刺 参の流通量までもが少ないことも、シンガポールで色の白い光参が好まれる傾向とも無関 係ではないだろう。  このような差異がみられるのは何故なのか。わたしは、かつて温帯産のナマコを「北の ナマコ」、熱帯産のナマコを「南のナマコ」と形容し、一般に北京料理では温帯産の刺参 が、広東料理では熱帯産の光参が好まれる傾向があることを指摘したことがある(赤嶺 1999)。このことに関連して、社会経済史家松浦章の興味深い指摘を検討してみたい。鎖 国政策をしいた清代においては、長崎より輸出された干ナマコは浙江省の乍浦と寧波に、 東南アジア各国から輸出された干ナマコは広東省の広州に水揚げされていた。この事実を ふまえ、松浦は、「日本産干ナマコが浙江周辺から華北地方にかけて消費され、東南アジ ア産ナマコは華南地方で消費されていた」可能性を示唆している(松浦 1972:24)。また、 当時の琉球から輸出されていた干ナマコは、福州に水揚げされていた(真栄平 1998)。こ れらの琉球ナマコは中国のどの地域で消費されていたのだろうか。亜熱帯の琉球列島に生 息するナマコは、フィリピンなどに生息するものと大差ない(農商務省 1935:50-64)。松浦 はふれていないが、琉球産ナマコも東南アジア産ナマコも、福建省と広東省を中心とした 華南地方で消費された可能性が高いと考えられないだろうか。このことと、現在のシンガ ポールで高級な光参の需要が高く、刺参(S. japonicus)がほとんど小売りされていないこ とと無関係ではないはずである。

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150 (7)今後の課題  干ナマコ市場は、けっして一様ではない。香港にしろ、シンガポールにしろ、サンフラ ンシスコにしろ、独自の歴史のなかで、固有の好みを培ってきた結果なのである。このよ うな地域の個性と歴史性は、たんに統計をもちいた経済学的分析ではとらえることができ ない。 今後は、シンガポールの問屋が南太平洋地域の生産者へつけた「乾燻を避け、天火干し するよう努力せよ」といった注文(van Eys & Philipson 1989:222)が、どのように具現化し ているのか、それはどのあたりまで伝播した情報なのか、香港とシンガポールのネットワ ークはどこで交差しているのか、といった共時的な研究が必要であろう。あるいは江戸時 代に松前藩で編まれた『唐方渡俵物諸色大略図絵』(年代未詳)が記すように「刺を傷めず に加工せよ」(「『イラ立宜敷』」ように加工せよ)などといった注文が、どの地域の華人の 嗜好性を反映したものなのか、それがどのような経路を経て地方の仲買商まで伝わってい ったのか、といった歴史的展開を細かく実証していくことも必要だろう。このような空間 の広がりと歴史の流れをおさえたうえではじめて、グローバルな時代における漁民社会の 位置づけも明らかになるからである。 注

(注 1) 太平洋共同体は、南太平洋委員会(South Pacific Commission)が 1998 年 2 月に 改組した組織である。南太平洋委員会は 1947 年に南太平洋に植民地をもつイギリス、ア メリカ、フランス、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドの 6 カ国が、「植民 地の経済開発と福祉向上」を目的として創設し、本部をニューカレドニア島のヌーメア (Noumea)とした。『ナマコ事情研究報告』はフランス政府から資金援助を受けて発行さ れている。2001 年 9 月現在、15 号が発行されている。<http://www.spc.org.nc/coastfish> にて全文閲覧が可能である。 (注 2)  バハカリフォルニアにおけるナマコ漁の開始時期については異論もある。 Pelez-Plascecia は、1988 年頃に I. fuscus の漁獲が始まり、1989 年には P. parvimensis の生産も太平洋側で開始されたと報告している(1996:15)。 引用文献 赤嶺 淳 1999 「大衆化する宮廷料理」『エコソフィア』4, 56-59。 2000 「熱帯産ナマコ資源利用の多様化−フロンティア空間における特殊海産  物利用の一事例」『国立民族学博物館研究報告』25(1), 59 -112。 2001 “Holothurian exploitation in the Philippines: Continuities and

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discontinuities” TROPICS 10(4), 591-607。 秋道智彌 2000 「海と人類」尾本惠市、濱下武志、村井吉敬、家島彦一編集『海のアジ  ア 1―海のパラダイム』pp. 3-30, 岩波書店。 荒川好満 1990 『なまこ読本―マナマコの生物学・増殖および利用』緑書房。 Barsky, Kristine

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参照

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