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密教文化 Vol. 1986 No. 153  001山本 智教「中国石窟古寺巡礼 P1-35」

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昭 和 五 十 九 年 八 月 十 九 日 よ り 九 月 五 日 ま で の 短 期 間 に 同 行 者 十 人 で 中 国 の 石 窟 古 寺 を 巡 拝 し た。 ま ず 東 北 部 の 雲 岡 か ら は じ め て 長 駆 し て 西 陸 の 敦 煙 莫 高 窟 を 見、 蘭 州 か ら 黄 河 々 岸 の 嫡 霊 寺 を 訪 う 幸 運 に 浴 し、 古 都 長 安 で 玄 ・ 義 浄 の 旧 跡、 弘 法 大 師 御 留 学 の 遺 跡 青 龍 寺 を 拝 し、 東 し て 古 都 洛 陽 に て 名 高 い 龍 門 と 北 魏 帝 室 の 寺 で あ る 輩 県 石 窟 寺 を 訪 い、 上 海 か ら 空 路 帰 国 し た。 各 遺 跡 で 充 分 に 時 間 を も つ こ と が で き な い で、 ざ っ と 見 る 程 度 で あ っ た が、 今 ま で に 読 ん だ 研 究 書 や 図 版 な ど に よ っ て 得 た 所 を 確 認 す る こ と が で き た の は 幸 い で あ っ た。 本 稿 で は 雲 岡、 龍 門、 輩 県 の 諸 窟 を の べ る。 柄 霊 寺 に つ い て ゆ っ く り 見 学 す る 時 間 が な く、 本 格 的 報 告 書 も な く、 小 さ い パ ン フ レ ッ ト に 見 る 写 真 に よ っ て、 造 像 年 代 や 様 式 に つ い て 凡 そ の 見 当 を つ け る に す ぎ な い。 敦 燵 石 窟 に つ い て は あ ま り 複 雑 で 簡 単 に ま と め ら れ な い の で、 今 回 は 割 愛 す る。 雲 岡 石 窟 群 関 野 貞 支 那 の 建 築 と 芸 術、 水 野 ・ 長 広 雲 岡 石 窟 三 十 一 巻 水 野 雲 岡 石 仏 群、 長 広 雲 岡 石 仏 芸 術 論 雲 岡 石 窟 群 は 東 西 一 キ ロ に 亘 り、 現 在 窟 堂 が 五 十 三 あ り 造 像 は 小 さ い の を 含 め る と、 五 万 一 千 体 あ り、 造 営 時 間 は 四 十 年 に 亘 っ た。 石 窟 は 曇 曜 が 北 魏 帝 室 に 奏 請 し た 和 平 初 年 ( 四 六 〇) か ら 太 和 十 八 年 ( 四 九 四) の 洛 陽 遷 都 ま で で あ る。 そ の う ち 曇 曜 の 奏 請 に よ り 北 魏 帝 室 が 造 営 し た い わ ゆ る 曇 曜 五 窟 は 第 一 六、 一 七、 一 八、 一 九、 二 〇 洞 で あ る。 第 一 九 洞 (A.D. 460-470) 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 中 央 の 窟 の 前 庭 が 梯 形 を な し、 左 右 の 脇 窟 が 斜 内 に 向 い て ひ ら く。 脇 窟 は 一 九 A と 一 九 B と 呼 ば れ、 も と は 窟 前 に 木 造 建 築 が あ っ た。 一 九 本 窟 は 平 面 は 隅 丸 の 矩 形 で、 壁 面 は 上 ほ ど 前 の め り に な り、 上 方 は 半 ド ー ム 形 を な す が、 天 井 は 平 ら で あ る。 南 壁 全 体 は 仏 寵 に よ っ て 占 め ら れ る。 千 仏 の 小 寵 な ど が あ る。 東 西 壁 の 仏 立 像 は 一 対 を な し、 同 時 代 で 同 様 式 を な す。 無 文 の 円 頭 光、 剃 頭、 剃 肉 髪、 長 耳 を も つ。 衣 文 は う す く、 肉 体 に 密 著 す る。 と も に 通 肩 で あ る。 円 頭 光 と 通 肩 は 西 北 イ ン ド の ガ ン ダ ー ラ 式 で あ る が、 剃 頭 と 薄 衣 は イ ン ド 本 土 の グ プ タ 式 で あ る。 西 の 仏 像 は 胡 脆 合 掌 す る ラ ー フ ラ の 頭 を な で る 釈 尊 で あ る。 衣 の ひ だ の 数 が 多 い の は ガ ン ダ ー ラ 起 源 で あ る が、 衣 が う す い の は ガ ン ダ ー ラ 前 期 (西 紀 二。 三 世 紀) で な く、 ガ ン ダ ー ラ 後 期 ( 四. 五 世 紀) の 様 式 を 受 け て い る。 薄 衣 は 後 期 ガ ン ダ ー ラ 派 が、 イ ン ド 本 土 の グ プ タ 様 式 を う け て、 前 期 の 厚 衣 か ら 薄 衣 に な っ た の が、 西 域 に 伝 わ り、 西 域 ( シ ナ ・ ト ル キ ス タ ン ・ 今 の ウ イ グ ル 自 治 区) か ら 中 国 の 河 西 廻 廊 に 伝 わ り、 そ こ か ら 雲 岡 に 伝 わ っ た の で あ る。 北 魏 が 涼 州 か ら 住 民 を 強 制 移 住 さ せ た の で 涼 州 の 仏 教 が 雲 岡 に 移 植 さ れ た。 仏 像 の 右 手 首 か ら 垂 れ 下 る 衣 端 が 折 重 な る 環 状 線 を 平 行 直 線 で 連 結 す る の は、 中 イ ン ド の マ ト ゥ ラ の グ プ タ 時 代 の 仏 像 に 見 る 所 で あ る。 東 西 壁 の 千 仏 は 古 い 様 式 を も ち、 張 り が あ っ て 豊 満 で あ る。 頭 部 と 肉 髪 に 髪 の 線 が な い。 先 例 は 中 イ ン ド の マ ト ゥ ラ に あ る。 衣 の ひ だ は 陰 刻 線 を な し、 衣 の 着 方 は 通 肩 と 偏 祖 で あ る。 本 尊 は 北 壁 に あ る。 雄 偉 な 坐 仏 で あ る。 衣 は 偏 祖 で 右 手 施 無 畏、 左 手 袈 裟 角 を と る。 衣 は う す い 階 段 状 で、 各 々 に 一 本 の 陰 刻 線 が 走 る。 豊 頬 で ひ き し ま っ た 弾 力 性 の あ る 顔。 雲 岡 初 期 の 仏 像 の 代 表 で あ る。 大 き な 肉 髪 と 頭 部 に 髪 の 線 が な い。 こ の よ う な も の は ガ ン ダ ー ラ に 皆 無 で あ っ て、 マ ト ゥ ラ だ け に 先 例 が あ る。 し か し 眉 は ガ ン ダ ー ラ 風 で 幅 を も た な い。 唇 は う す く、 口 が 小 さ い の は 西 域 ・ 中 国 式 で あ っ て、 イ ン ド 式 で な い。 し か し 口 角 が や や つ り 上 っ て、 微 笑 を 含 む よ う に 見 え る の は ク シ ャ ー ナ 時 代 の マ ト ゥ ラ 彫 像 の み に 見 る 顕 著 な 特 色 で あ る。 耳 が 長 い の は ガ ン ダ ー ラ 風 で な く、 イ ン ド 本 土 の グ プ タ 系 で あ る。 し か し 耳 朶 の つ く り 方 は ち が う。 喉 に 一 本 の 陰 刻 線 が あ る の ば ク シ ャ ー ナ 時 代 の マ ト ゥ ラ 式 で あ る。 本 尊 の 大 光 背 は 北 壁 か ら 東 西 壁 に 達 す る。 こ の よ う な 光 背

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の 原 型 は ガ ン ダ ー ラ に な く て イ ン ド 本 土 の グ プ タ 時 代 に あ る。 中 国 の 大 光 背 は グ プ タ 仏 よ り も 発 達 し て い る。 た ぶ ん 西 域 で や や 発 達 し、 中 国 で さ ら に 発 達 し た の で あ ろ う。 天 井 は 半 ド ー ム 形 を な し、 扁 平 な 楕 円 形 で あ る。 ヴ ォ ー ル ト 形 の 天 井 は 西 域 の 仏 教 窟 堂 の 天 井 が ト ン ネ ル 型 (筒 形 弩 薩) で あ っ た そ の 名 残 と 見 ら れ る。 第 一 九 A 洞 (A.D.460-470) せ ま い 洞 内 を 碕 坐 の 大 仏 が 大 き く 占 め る。 前 壁 に 仏 舷 を 配 列 す る。 二 仏 並 坐 像、 結 跡 朕 坐 像、 交 脚 坐 像 な ど 本 尊 に 劣 ら ぬ 逞 ま し い 様 式 で あ る。 こ こ の 仏 籠 は み な 雲 岡 初 期 の 様 式 で ま る ま る と 太 い。 衣 は う す い。 仏 像 の 宝 坦 の 前 に 拓 蹟 族 の 供 養 者 の 列 像 が あ る。 奥 壁 の 本 尊 に 対 し 左 壁 に 脇 侍 菩 薩 が 立 つ。 三 面 宝 冠 を い た だ き、 火 焔 を 彩 色 で あ ら わ す。 量 感 に 富 む 両 肩、 太 い 両 腕、 ま な 板 の よ う な 四 角 い 足。 け れ ど も 衣 文 は や わ ら か い。 衣 文 は あ さ い 階 段 状 で あ る が、 微 妙 な 轡 曲 が あ り、 起 伏 が あ っ て 雄 大 で あ る と 同 時 に 柔 軟 で あ る。 弾 力 の あ る 流 動 的 な 衣 文 は 中 国 仏 像 に お い て 稀 に 見 る 所 で あ る。 股 間 に S 字 つ な ぎ と 平 行 直 線 を つ な ぐ ひ だ が あ ら わ れ る。 そ れ は た し か に グ プ タ 風 で あ る。 こ の 脇 侍 菩 薩 は 後 期 ガ ン ダ ー ラ 派 の 影 響 を う け た、 雲 岡 で 最 も す ぐ れ た 像 の 一 つ で あ る。 右 壁 の 菩 薩 像 は 三 面 宝 冠 を い た だ き、 前 面 に 化 仏 を も つ。 右 手 に 払 子、 左 手 に 水 瓶 を も つ か ら 観 音 か。 腕 太 く 顔 は ま る ま る し、 装 身 具 が 多 い。 股 間 の 衣 の ひ だ は グ プ タ 式 で あ る。 力 強 く 弾 力 に 富 む。 本 尊 に ふ さ わ し い 立 派 な 脇 侍 で あ る。 後 壁 の 本 尊 は 大 き い。 右 手 施 無 畏、 左 手 袈 裟 角 を と る 仏 碕 坐 像 で あ る。 衣 文 は う す い 階 段 状 で 逞 し く 弾 力 あ り、 は ち き れ ん ば か り の 像 で あ る。 第 一 九 洞 の 両 脇 の 仏 立 像 に し て も、 第 一 九 A 洞 の 脇 侍 に し て も、 雲 岡 的 な 雄 大 な 気 分 を も つ が、 そ の 中 に グ プ タ 的 な も の を 色 濃 く も っ て い る。 こ の グ プ タ 風 は 直 接 中 イ ン ド か ら 伝 わ っ た と 見 る よ り も、 後 期 ガ ン ダ ー ラ 派 を 通 し て 伝 わ っ た と 見 る 方 が イ ン ド と 西 域 の 状 勢 に 合 致 す る よ う で あ る。 こ れ ら の 尊 像 は 雲 岡 で は 最 も 早 い も の で あ る だ け に、 他 の 窟 以 上 に 西 方 の 風 を 生 々 と 保 持 し て い る。 し か し そ れ は 純 粋 な ガ ン ダ ー ラ 風 で も な い し、 純 粋 な グ プ タ 風 で も な い。 す で に か な り に 雲 岡 風 に 変 質 し て い る こ と を 見 逃 が す わ け に 行 か な い。 第 一 八 洞 (A.D.460-470) 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 曇 曜 五 窟 の 一。 東 西 北 の 三 壁 は 連 続 し て 扁 円 形 に な る。 上 方 は 半 ヴ ォ ー ル ト 状 を な す。 三 体 の 大 仏 立 像 が 立 つ。 中 間 に 籐 几 を お き、 各 一 体 の 菩 薩 立 像 を ほ る。 南 壁 に 千 仏 小 籠 と や や 大 き い 仏 寵 が 並 ぶ。 大 多 数 は 二 仏 並 坐 像 で あ る。 最 上 層 の 三 角 垂 飾 と 二 層 の 坐 仏 列 像 の み が 当 初 の も の で、 他 は 追 刻 で あ る。 そ の 殆 ん ど が 二 仏 並 坐 像 で あ る。 東 壁 の 大 部 分 を 左 脇 侍 大 仏 立 像 が し め て い る。 殆 ん ど 丸 彫 で あ る。 通 肩 の 衣 の ひ だ は う す い 階 段 状 を な す。 顔 は や や 長 目 だ が 豊 頬 で あ る。 右 手 を あ げ、 左 手 で 衣 端 を と る。 宝 珠 形 頭 光 の 中 心 に 蓮 花 が あ り、 そ の 外 に 化 仏、 さ ら に 半 パ ル メ ッ ト 列 文 帯 が あ る。 体 躯 は 後 期 ガ ン ダ ー ラ 派 の 様 式 を く む の で、 薄 衣 で あ っ て し か も ひ だ が あ り、 眼 は 半 開、 眉 は 鼻 梁 に つ づ く。 喉 に 横 線 が な い。 グ プ タ 式 な の は 肩 に と ど く ほ ど 長 い 耳 だ が、 耳 朶 に く ぼ み は な い。 西 壁 の 大 部 分 を 右 脇 侍 仏 立 像 が 占 め る。 左 脇 侍 仏 に 対 立 す る。 様 式 も 時 代 も 同 じ で あ る。 遍 肩、 右 手 施 無 畏、 口 ひ げ を 緑 青 で あ ら わ す。 宝 珠 形 頭 光、 ひ く い 二 成 の 蓮 花 座。 半 円 形 の 傘 蓋 が 一 対 を な す。 手 に 水 か き が あ る の は ガ ン ダ ー ラ か ら 来 た。 北 壁 の 本 尊 仏 立 像 は 頭 部 顔 面 が 大 き く 肩 幅 が ひ ろ く 背 が ひ く い。 右 手 を 垂 ら し、 左 手 で 衣 端 を と る。 左 腕 か ら 垂 れ る 衣 端 は 環 つ な ぎ 文 を な す。 こ れ は イ ン ド 本 土 の マ ウ ル ヤ 時 代 か ら グ プ タ 時 代 に あ、 る が、 ガ ン ダ ー ラ に な い。 本 尊 と 左 右 の 脇 仏 と の 中 間 の せ ま い 所 に 左 右 二 体 の 菩 薩 が 立 つ。 三 面 宝 冠 に 化 仏 が あ り、 パ ル メ ッ ト 飾 が あ る。 菩 薩 は 籐 几 の 上 に 立 つ。 十 大 弟 子 -左 右 の 菩 薩 の 上 方 に 夫 々 二 段 に 五 比 丘 を あ ら わ す。 総 計 十 躯 で あ る か ら、 釈 迦 十 大 弟 子 た る 羅 漢 で あ る。 右 の 上 方 の 五 弟 子 は の こ っ て い て、 み な 個 性 的 で あ る。 下 の 一 人 は 若 い 人 で あ る。 水 瓶 を も ち 肩 か ら ス カ ー フ を か け る。 下 の 一 人 は 頬 骨 の 出 た 老 人 で あ る。 こ れ ら 二 人 は 阿 難 と 迦 葉 に 比 定 で き る。 上 の 三 人 は み な 田 相 の 袈 裟 を つ け る。 ま た 無 文 の 円 頭 光 を も つ。 後 期 ガ ン ダ ー ラ 派 の 作 品 の 風 を う け て い る。 十 大 弟 子 の 上 方 に 左 右 五 人 ず つ 天 の 半 身 像 を あ ら わ す。 天 井 は や や ド ー ム 状 だ が ほ ぼ 平 ら に 近 い。 西 域 仏 寺 の 宥 隆 天 井 の 名 残 で あ る。 第 二 〇 洞 (460-470 曇 曜 五 窟 の う ち) 第 二 〇 洞 の 外 壁 は 崩 落 し、 そ れ で 本 尊 坐 仏 は 露 出 し、 一 九

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四 〇 年 ま で 下 の 方 が 埋 も れ て い た。 発 掘 に よ っ て 本 尊 の 全 貌 が 明 ら か に な っ た。 北 魏 時 代 に は 窟 の 前 面 に 木 造 の 建 造 物 が あ っ た が 崩 壊 し た。 後 に は 前 壁 も 崩 落 し た。 本 尊 坐 仏 は 北 壁 の 前 に 坐 り、 左 右 の 脇 侍 仏 は 東 西 壁 の 前 に 立 つ。 本 尊 坐 仏 は 総 高 一 三 ・ 四 四 m。 禅 定 印、 偏 担、 右 肩 に 衣 が 少 し か か る。 肉 髪 と 頭 は 剃 頭 で 白 毫 が あ り、 眼 は 半 開 で 切 長。 唇 は う す く ガ ン ダ ー ラ 式。 耳 は 長 く て グ プ タ 風。 喉 に 一 本 の 陰 刻 線 が あ る。 衣 の ひ だ は 隆 起 線 で 外 方 で 尖 る。 そ の 中 に 一 本 の 陰 刻 線 が あ る。 ガ ン ダ ー ラ の ひ だ を ま ね た も の か。 結 蜘 跣 坐 の 膝 は ひ ろ く て 堂 々 と し て お り、 肩 幅 は ひ ろ く て 量 性 に と み、 雄 偉 で あ る。 左 右 脇 侍 菩 薩 の 保 存 は よ く な い。 一 九 A 洞 の 脇 侍 の 手 法 に 似 る。 本 尊 の 楕 円 身 光 は 中 心 か ら 外 へ 順 に 蓮 花、 化 仏 列 火 焔 圏 と な り、 そ れ を 舟 形 身 光 で か こ む。 化 仏 や 飛 文 は 胴 が 長 く、 顔 も 長 い。 内 側 と 外 側 の 火 焔 は 少 し ち が う。 東 壁 左 脇 侍 仏 は 高 さ 九 ・ 六 m。 蓮 花 座 直 径 四 ・ 五 〇 m。 四 角 い 顔、 眉 と 眼 は ガ ン ダ ー ラ 系。 口 も そ の 上 の 溝 も ガ ン ダ ー ラ 起 原 で あ る。 耳 が 長 い の は 非 ガ ン ダ ー ラ 風 だ が、 首 の 下 の は し の た ま り は ガ ン ダ ー ラ に 起 原 す る。 け れ ど も そ の ひ だ は マ ト ゥ ラ 風 に 近 い。 左 右 両 腕 か ら 垂 れ る 衣 端 の ひ だ は 古 く か ら イ ン ド 本 土 に あ る 手 法 で あ る。 光 背 は ほ ぼ 円 形。 中 心 に 蓮 花 が あ る。 そ の 外 に 胡 脆 天 人 帯、 化 仏 帯、 半 パ ル メ ッ ト 帯 を 有 す る。 第 一 七 洞 ( 曇 曜 五 窟 の う ち、460-470) 外 壁 に 千 仏 の 小 寵 が 並 ぶ の は 曇 曜 五 窟 の 共 通 で あ る。 外 側 の 上 に 明 窓、 下 に 門 口 が あ る。 上 側 は ま る く な っ て 馬 蹄 形 に 近 い。 石 窟 の 高 さ は一三 ・ 三 〇 m。 本 尊 は 交 脚 坐 弥 勒 菩 薩 で 高 さ 一 三 ・ 三 〇。 窟 内 は せ ま く て、 石 窟 は 本 尊 の 容 器 と し て の 大 寵 に す ぎ な い。 窟 の 平 面 は 奥 で ひ ろ い 梯 形 で あ る。 東 側 の 上 一 段 と 西 二 段 の 仏 寵 は 太 い、 力 の こ も っ た 様 式 で、 雲 岡 初 期 で あ る。 南 壁 の 高 さ 一 五 ・ 八 O m で 上 ほ ど せ ま い。 南 壁 の 上 に あ る 明 窓 と 下 に あ る 操 門 と の 中 間 の 壁 面 に 左 右 に 上 下 二 つ ず つ の 大 寵 が あ る。 み な 尖 操 寵 で あ る。 そ の 中 の 坐 仏 は 量 感 が あ る。 東 下 寵 の 脇 侍 は と く に 堂 々 た る 大 作 で あ る。 衣 は う す く 肉 体 の り ん か く は は っ き り し て、 グ プ タ 式 に 発 源 す る 後 期 ガ ン ダ ー ラ 式 で あ る。 本 尊 仏 坐 像 の 光 背 の 彫 刻 は 蓮 花、 化 仏、 火 焔 の 三 帯 で あ る。 脇 侍 の 光 背 は 宝 珠 形、 リ ボ ン は イ ー ラ ー ン 風 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 で あ る。 宝 座 前 に 博 山 櫨 を は さ ん で 拓 践 族 の 男 女 が 礼 拝 す る。 東 壁 の 左 脇 侍 仏 坐 像 の 大 籠 が 東 壁 の 大 部 分 を 占 め る。 北 壁 の 本 尊 (交 脚 弥 勒 像) と 西 壁 の 右 脇 侍 大 寵 と で、 三 尊 を 形 成 す る。 左 脇 侍 大 寵 は 右 脇 侍 大 寵 と 同 じ く 楯 操 籠 で、 高 さ は 七 ・ 八〇 m、 幅 四 ・〇〇 m、 衣 は 通 肩、 衣 襲 は マ ト ゥ ラ の ク シ ャ ー ナ 時 代 の も の に 似 る。 け れ ど も ガ ン ダ ー ラ 仏 か ら 出 て い る。 結 跡 跣 坐、 禅 定 印 で あ る。 光 背 に ほ っ て あ る 胡 脆 合 掌 天 人 列、 火 焔 列、 飛 天 列 は み な 雄 偉 豪 快 で あ る。 禽 内 に 仏 坐 像 が あ る。 本 尊 が 菩 薩 で 脇 侍 が 仏 と い う こ と は 変 則 で あ る。 口 角 が 上 る の は マ ト ゥ ラ の ク シ ャ ー ナ に 先 例 が あ る。 あ ご に く び れ の 線 が あ る の や、 剃 頭、 長 耳、 火 焔 光 背 も み な マ ト ゥ ラ 起 源 で あ る。 こ の よ う に こ の 仏 像 は マ ト ゥ ラ と ガ ン ダ ー ラ の 混 清 様 式 を 示 し、 そ れ が 北 魏 式 に 統 一 さ れ て い る。 西 壁 で は 東 壁 に 対 応 し て 右 脇 侍 仏 立 像 の 大 籠 が 壁 面 一 ぱ い を 占 め る。 上 部 に 千 仏 列 寵 が あ る。 東 壁 が 坐 仏 で あ る の に、 こ れ は 立 仏 で あ る。 通 肩 で 施 無 畏 印 を な し、 光 背 に は 蓮 花、 化 仏 圏 環 帯、 半 パ ル メ ッ ト 環 帯、 火 焔 環 帯 が あ る。 北 壁 に は こ の 窟 の 本 尊 弥 勒 菩 薩 交 脚 坐 像 が あ る。 高 さ 一 三 . 三 〇 m、 殆 ん ど 丸 彫 の 巨 像 で、 窟 内 の ほ と ん ど 全 部 を 占 め る。 光 背 は 上 に 行 く ほ ど 轡 曲 し、 天 井 で は 急 に 折 れ 曲 り、 ほ と ん ど 天 井 の 大 部 分 を 占 め て、 そ の 尖 頂 は 南 壁 に せ ま る。 そ の 薄 衣 は グ プ タ 式 に 近 い。 第 一 六 洞 ( 曇 曜 五 窟 の 内460-470) 明 り 窓 の 東 西 壁 に 交 脚 相 洪 寵、 坐 仏 尖 洪 寵 な ど が あ る。 問 地 は み な 千 仏 小 寵 で 埋 め る。 様 式 は 雲 岡 初 期 式 で 中 か ら 盛 り 上 る 量 感 に 富 む。 脇 侍 も 礼 拝 者 た る 拓 践 族 の 男 女 も ず ん ぐ り と 太 い。 南壁-南 壁 上 層 か ら 東 西 壁 に か け て 整 然 と 千 仏 小 寵 で う ず め つ く す。 み な 禅 定 の 坐 仏 で あ る。 中 層 中 央 部 に 三 寵 を 並 べ る。 坐 仏 三 尊 の 尖 洪 禽 を 中 央 に し、 左 右 に 屋 形 楯 操 交 脚 菩 薩 と 半 跡 思 惟 菩 薩 像 を お く。 仏 は ま る く て 豊 か な 大 像 で あ っ て 雲 岡 初 期 式 で あ る。 左 右 の 楯 換 ・籠 の 台 座 の 前 に 香 櫨 を 中 心 と し て 比 丘 に 先 導 さ れ る 男 子 四 人 と 女 子 四 人 が あ る。 左 右 両 端 で は ア ト ラ ス と し て の 株 儒 が 頭 と 両 手 で 上 の 籠 を さ し 上 げ る。 東 部 の 中 下 層 に も 西 部 の 中 下 層 に も 大 き な 仏 寵 が あ る。 過 去 七 仏、 礼 拝 者 列、 大 地 女 神、 徐 儒、 竜 神、 獅 子、 楽 天、 比 丘 な ど が 見 え る。

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東 壁 の 二 仏 並 坐 の 尖 操 に は 堂 々 た る 古 式 の 仏 像、 脇 侍 菩 薩 が 立 つ。 西 壁 は 東 壁 大 籠 と 対 称 す る 尖 洪 二 仏 並 坐 籠 で あ る。 北 壁 の 本 尊 は 大 仏 立 像 で あ る が、 様 式 は や や お そ い。 肉 髪 と 頭 部 に ガ ン ダ ー ラ の 亜 流 の 交 代 短 波 が 見 え る。 顔 は 面 長 で か た い 感 じ で あ り、 衣 は 中 国 の 星 服 風 で 両 肩 か ら 垂 直 に 垂 れ る。 こ の 本 尊 は 第 六 洞 様 式 で 後 に 完 成 さ れ た。 第 八 洞 (460-470) 第 八 洞 は 第 七 洞 と 一 対 と し て 設 計 造 営 さ れ た も の で あ る。 両 窟 は と も に 前 室 と 奥 室 よ り 成 り、 そ の 規 模 と 平 面 図 が 一 致 す る。 前 室 の 東 壁 に 供 養 者 列 像 が あ り、 ま た 上 方 に 千 仏 列 寵 が あ る。 西 壁 に 供 養 者 列 像 と 天 人 像 が あ る。 門 口 の 上 層 に 三 面 八 管 を も ち 牛 に の る シ ヴ ァ 神 像 と 五 面 六 腎 を も っ て ガ ル ダ に 乗 る ヴ ィ シ ュ ヌ 像 が あ る。 下 層 の 金 剛 力 士 は 三 叉 と 金 剛 杵 を も つ。 雄 偉 豪 健 な 彫 刻 で あ る。 明 窓 の 側 壁 に 山 が あ り、 一 本 の 大 樹 が 立 つ。 樹 下 に 禅 定 比 丘 が あ る。 奥 壁 は ほ ぼ 長 方 形 で あ る。 北 壁 に 上 下 二 層 に 楯 操 寵 と 大 尖 操 籠 が あ る。 左 右 の 東 西 両 壁 は 四 層 を な し、 各 層 に 二 仏 籠 を 配 す る。 東 西 南 の 各 壁 八 寵 合 計 二 四 寵 が あ る。 天 井 は 梁 で 六 つ の 格 間 に 分 か れ、 蓮 花 と 飛 天 を ほ る。 侮 坐 像、 交 脚 坐 像、 半 跡 思 惟 像 な ど さ ま ざ ま で あ る。 楯 操 額 の 枢 に 悠 然 た る 飛 天 が あ り、 そ の 下 に 垂 幕 が あ る。 そ の 所 々 を キ ー ル テ ィ ム カ ( 獅 子 面) が く わ え る。 飛 天 の 上 に 楽 天 列 籠 が あ る。 楽 天 は ク ッ チ ャ の 壁 画 の 楽 天 の よ う に 露 台 の 窓 に 免 る。 奥 室 東 西 壁 は 四 層 に 二 籠 が あ り、 各 層 の 間 に 蓮 弁 文 体、 波 状 唐 草 文 帯 や、 半 パ ル メ ッ ト 文 帯、 パ ル メ ッ ト 環 つ な ぎ 文 帯 が あ る。 東 壁 第 四 層 の 坐 仏 に 対 し 礼 拝 者 や 飛 天 が 群 が る。 三 ヶ 所 に 籐 几 を 刻 出 す る。 撲 端 に 竜 が の る。 北 ・籠 に は 坐 仏 と 両 菩 薩 が あ り、 南 寵 に 須 弥 座 に 両 獅 子 を 従 え て 交 脚 坐 す る 仏 が あ る。 モ デ リ ン グ は 浅 い け れ ど も 堂 々 た る 大 き な 気 分 を あ ら わ す。 ヤ ク シ ャ 株 儒 の ひ き し ま っ た 口 元 に 力 が こ も る。 東 壁 の 南 籠 に 四 天 王 の 四 鉢 と ト ラ プ シ ャ ・ バ ッ リ カ ニ 商 人 の 麩 蜜 供 養 の 彫 刻 が あ る。 南 壁 明 窓 の 下 に 籐 几 に の る 合 掌 菩 薩 像 が あ る。 そ れ は ア ー チ を 支 え る 柱 の 代 り を す る の で caryatid と い っ て よ い。 ま る ま る 太 っ た 童 子 形 で あ る。 南 壁 第 四 層 に 飛 天、 菩 薩 像、 礼 拝 者 が あ る。 南 壁 第 三 層 に 天 蓋 籠 が あ る。 蓮 花 座 に 坐 す る 仏 が 両 脇 侍 を 従 え る。 両 脇 侍 は 文 殊 と 観 音 か。 第 二 層 は 尖 挑 籠 坐 仏 で あ る。 第 一 層 は 幕 の 下 に 比 丘 と 礼 拝 者 を あ ら わ す。 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 奥 室 天 井 は 東 西 に 一 本、 南 北 に 二 本 の 梁 が わ た っ て、 六 つ の 方 形 の 格 問 に 分 れ る。 格 間 の 中 心 に 蓮 花 を お き、 そ の ま わ り は 四 隅 三 角 持 送 に し て あ る。 梁 の 交 叉 点 に も 蓮 花 が あ る。 そ れ 以 外 は 飛 天 で 充 た す。 第 七 洞 (460-470) 第 七 洞 は 第 八 洞 と 一 対 を な し、 前 後 二 室 よ り 成 る。 第 七 洞 の 前 面 に 木 造 の 三 層 楼 が あ る。 換 門 の 頂 上 中 央 に 大 蓮 花 が あ り、 そ れ を め ぐ っ て 二 体 ず つ の 飛 天 が あ る。 下 に 三 面 四 腎 の シ ヴ ァ 神 像 が あ る。 右 上 手 で 日 輪 を さ し 上 げ る。 雄 大 で 新 鮮 で あ る。 神 像 の 下 に 守 門 神 が 立 つ。 明 窓 は 大 体 に 第 八 洞 に 同 じ。 側 壁 の 基 部 に 山 岳 が あ る。 一 本 の 喬 木 が 生 え、 下 に 禅 定 比 丘 像 の 明 ら か な 味 の あ る 姿 が 見 え る。 傍 に 水 瓶 を お き 前 に 長 靴 を お く。 樹 枝 に 食 物 の 袋 を 吊 る す。 樹 木 の 内 側 の 籐 几 に の る 菩 薩 立 像 は み ず み ず し い 豊 か な 像 で あ る。 主 室 の 奥 壁 (北 壁) 東 壁、 西 壁 に 夫 々 四 層 に 各 八 籠 ず つ、 合 計 二 四 籠 が あ る。 み な 同 形 同 大 で あ る。 上 層 で は 楯 操 寵 に 五 尊 像 を ほ る。 本 尊 は 交 脚 坐 菩 薩 で あ る。 左 右 に 衙 坐 仏 像、 外 側 に 両 菩 薩 半 臨 思 惟 像 が あ る。 み な 豪 壮 雄 大 で あ る。 上 層 楯 操 部 は 三 段 に 分 れ、 上 段 は 尖 換 寵 十 四 個 の 並 列 で あ る。 諸 天 が 高 楼 の 勾 欄 か ら 見 下 ろ す 図 様 で あ る。 こ れ は イ ン ド 本 土 か ら ガ ン ダ ー ラ、 ク ッ チ ャ を 経 て こ こ に 伝 わ る。 中 段 は 楯 挨 額 で 十 四 個 の 枢 に 分 れ る。 下 段 に 帷 幕 が あ る。 梯 形 の 権 の 下 の 垂 幕 に い く つ も の kirtimukha (獅 子 面) を ほ る。 主 室 の 東 壁 と 西 壁 は 同 じ つ く り で、 と も に 四 層。 各 層 は 二 籠。 各 層 の 境 目 の 文 様 は 蓮 弁 文 帯、 波 状 唐 草 文 帯、 半 パ ル メ ッ ト 並 列 文 帯、 パ ル メ ッ ト の 略 式 で あ る 三 葉 の 環 つ な ぎ 文 帯 の 四 種 類 が あ る。 仏 像 は 張 り の あ る マ ッ シ ヴ な 好 ま し い 型 で あ る。 無 文 の 光 背 は 円 頭 光 と 舟 形 身 光 で あ る。 仏 像 は 細 部 に 拘 わ ら ず、 量 感 を も っ て 人 に 訴 え る。 顔 面 を 丹 念 に つ く る が 衣 な ど は 簡 素 で あ る。 主 室 西 壁 ー 第 四 層 は 両 尖 操 寵 に 二 坐 仏、 第 三 層 は 楯 撲 寵 に 交 脚 坐 仏 と 坐 仏、 第 二 層 に 尖 洪 籠 二 つ。 南 籠 に 二 商 人 の 浮 彫、 北 寵 の 左 右 に 籐 几 に 碕 坐 す る 脇 侍 が あ る。 第 一 層 に Ur-uvela kassapa の 教 化。 北 籠 に 多 く の 礼 拝 者 を 容 れ る。 こ れ は 五 比 丘 説 法 か。 一 番 下 段 に 礼 拝 者 列 像 が あ る。 第 三 層 の 中 央 と 南 端 に 四 層 塔 柱 を ヤ ク シ ャ 珠 儒 が 両 手 と 頭 で さ し 上 げ る。 仏 像 は 落 ち つ い た 気 分 で 純 浄 無 垢 で あ る。 天 井 は 格 子 に よ っ て 六 区 に 分 れ、 格 間 と 梁 に 飛 天 を お く。

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一 々 が 彫 刻 的 立 体 性 を も ち、 す ぐ れ て 美 し い。 各 格 間 は 四 隅 三 角 持 送 式 (Laternendecke) の 藻 井 で あ る。 こ の 式 は 中 央 ア ジ ア か ら 出 た。 第 九 洞 (467-475) 前 面 に 八 角 柱 が 二 本 立 つ。 イ ン ド 風 で あ る。 前 室 北 壁 に 明 窓 と 門 口 が あ り、 仏 寵 が あ る。 仏 像 の 顔 が や や 細 長 く な っ た。 諸 天 の 上 に 飛 天 が と び、 二 階 の 露 台 か ら 拘 欄 に 免 る 奏 楽 諸 天 が 並 ぶ。 中 イ ン ド、 ガ ン ダ ー ラ、 西 域 を 経 て こ こ に 伝 わ っ た。 仏 ・籠 と 明 窓 の 中 間 に 五 層 の 塔 柱 が あ る。 各 層 に ガ ナ が 遊 ぶ。 明 窓 の 内 側 の 垂 直 な 壁 面 に 著 し い 浮 彫 が あ る。 水 野 長 広 両 氏 の ﹁ 雲 岡 石 窟 ﹂ で は こ れ を 菩 薩 と 見 る が、 菩 薩 で な い。 菩 薩 の よ う に 宝 冠、 腕 環、 首 飾 を つ け る の は 帝 釈 天 で あ っ て 大 象 (ア ィ ラ ー ヴ ア タ) に 遊 戯 坐 し、 象 は 山 の 上 を 瀾 歩 す る。 素 朴 な が ら 生 々 し た 浮 彫 で あ る。 帝 釈 に 対 面 す る 東 壁 に も 山 岳 が 重 畳 し、 そ の 中 に 池 が あ っ て、 池 か ら 蓮 花 が 生 え 出 て、 そ の 上 に 坐 す る の は 梵 天 で あ る。 イ ン ド 思 想 で ﹁ 生 主 ﹂ の 後 を つ い で 梵 天 は 生 命 の 象 徴 た る 蓮 花 に 坐 し、 ま た 蓮 花 と 水 瓶 を も つ。 梵 天 を こ の よ う に 表 現 し た 彫 刻 は イ ン ド に は の こ っ て い な い。 山 中 の 池 の 表 現 は 西 域 の ク ッ チ ャ の 壁 画 に 多 い。 ナ イ ー ヴ で 新 鮮 明 朗 な 彫 刻 で あ る。 北 壁 下 層 の 楯 挑 の 楯 を う け る 八 角 柱 は イ ン ド の 八 角 柱 を 思 わ せ る。 浮 彫 は 八 角 の う ち 三 面 を 示 す の み。 柱 頭 に は 左 右 に 巻 く 渦 巻 が あ る。 柱 頭 の 渦 巻 は 古 代 イ ン ド、 西 域 ニ ヤ、 楼 蘭 の 柱 に あ っ た。 門 口 i 中 国 風 の 木 造 建 築 の 屋 根 と 軒 組 を 示 す が、 門 口 の 内 側 は 洪 に な っ て い る。 即 ち 中 国 風 と 西 域 風 の 共 存 で あ る。 両 脇 の 腰 壁 の 下 に 小 さ い 金 剛 手 が 立 つ。 金 剛 杵 と 戟 を も ち 被 甲 し て い る。 こ れ は 裸 体 を 誇 示 す る 型 で な い。 洪 門 の 左 右 側 壁 に 別 に 守 門 神 が あ る。 逆 髪 を も つ 四 人 の 飛 天 は 降 魔 図 の 魔 兵 の よ う で あ る。 南 壁 東 隅 と 西 隅 で は 須 弥 山 に 竜 身 が ま き つ き、 須 弥 山 上 に 天 宮 が あ る。 イ ン ド の 宇 宙 説 の 中 心 に 位 す る 須 弥 山 の 造 形 は イ ン ド に 遺 例 は な く、 ク ッ チ ャ に あ る。 天 井 は ト ン ネ ル 形 で 格 天 井 と な っ て い る。 主 室 北 壁 に 大 仏 僑 坐 像 一 躯、 脇 侍 は 東 西 壁 各 一 体 菩 薩 の 大 立 像 で あ る。 本 蝉 の 背 後 は 墜 道 と な り、 右 邊 で き る よ う に し て あ る。 バ ー ミ ヤ ー ン の 大 仏 魂 の 通 り で あ る。 側 壁 に 供 養 者 列 像 が あ る。 天 井 は 放 射 状 格 天 井 で、 内 四 区 に 蓮 花、 外 区 に 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 ヒ ン ド ゥ ー 教 諸 神 を ほ る。 第 一 〇 洞 (467-475) 第 九 洞 と 同 様 に 前 室 と 主 室 よ り 成 る。 前 面 に 八 角 柱 二 本 と 両 端 に 半 分 の 壁 柱 が あ る。 門 口 の 上 方 に 須 弥 山 図 が あ る。 中 ほ ど が 細 く な り、 そ こ に 竜 が ま き つ く。 そ の 左 に 五 面 六 曹 や 三 面 四 腎 の 阿 修 羅 像 が 坐 す る。 門 口 の 脇 に 守 門 神 像 が あ る。 羽 翼 冠 を つ け、 円 頭 光 を 具 し、 左 手 を ふ り 上 げ、 金 剛 杵 を も ち 右 手 を 腰 に あ て る。 前 室 の 東 西 両 壁 は 第 九 洞 の 両 壁 と 照 応 し、 上 下 二 層 と 腰 壁 よ り 成 り、 仏 寵 が い く つ か あ る。 主 室 は 横 長 の 矩 形 で、 そ の 構 造 は 第 九 洞 に 同 じ く、 本 尊 の 背 後 は ト ン ネ ル に な っ て い て 右 邊 路 を な し て い る。 第 九、 一 〇 洞 の 彫 刻 は 第 七、 八 洞 の 様 式 を う け つ ぐ け れ ど も、 七、 八 洞 よ り 細 く 弱 く な り、 自 由 さ、 大 ら か さ を 失 な っ た。 第 五 洞 (477-483) 第 五 洞 と 第 六 洞 は 一 対 で あ る。 第 五 洞 は 坐 仏 の 大 像 を 本 尊 と し、 後 を く り ぬ き、 窟 の 側 壁 と 前 壁 に 仏 籠 を 上 下 に 並 べ る。 仏 像 の 顔 は ま る く、 肩 幅 ひ ろ く、 体 格 が ゆ た か で あ る。 し か し 衣 は 初 期 の も の と ち が っ て、 胸 の 問 に 内 衣 の 帯 が 見 え 衣 端 は 翼 の よ う に 左 右 に ひ ろ が り、 ひ だ は 厚 紙 を 重 ね た よ う に 厚 く、 ま た 衣 は 下 ほ ど 広 い。 こ れ は 雲 岡 後 期 様 式 で あ る。 第 六 洞 (477-483) 第 六 洞 の 前 に 三 間 四 層 の 木 造 楼 閣 が 立 っ て い る。 門 口 の 両 側 に 先 細 の 八 角 柱 が あ る。 右 柱 は 獅 子 に、 左 柱 は 象 に の っ て い る。 い ず れ も イ ン ド 的 着 想 で、 イ ン ド に 類 例 が あ る。 方 形 の 平 面 の 真 中 に 方 柱 が あ り、 そ の 四 面 に 仏 ・籠 を か ま え 周 壁 は 上 下 二 層 に 分 れ る。 仏 像 を 見 る と 頭 髪 が ガ ン ダ ー ラ か ら 出 た 交 代 短 波 型 で あ り、 衣 は あ つ く、 ひ だ は 段 を な し、 衣 の す そ は 尖 っ て 左 右 に 突 き 出 る。 脇 侍 な ほ っ そ り と き ゃ し や で あ り、 × 字 状 ス カ ー フ を ま と い、 宝 珠 形 頭 光 を も つ。 南 壁 下 層 に 文 殊 維 摩 対 問 像 が あ り、 腰 壁 に 仏 傳 諸 場 景 の 浮 彫 が あ る。 方 柱 は ほ ぼ 方 形 で、 一 辺 七 ・ 三 〇 ー 七 ・ 九 〇 m。 上 下 二 層 を な し、 上 層 の 四 隅 に 九 層 塔 模 型 が あ り、 下 層 に 瓦 葺 と 種 を あ ら わ す 屋 形 が あ る。 こ の 洞 は 明 窓 の 床 を 境 と し て、 周 壁 も 方 柱 も 正 し く 上 下 二 層 に 分 れ、 上 層 に は 天 蓋 寵 に 仏 立 像 が 三 体 宛 な ら び、 下 層 で は 各 種 仏 籠 と、 そ の 下 の 腰 壁 に 仏 傳 図 と 供 養 者 列 像 を あ ら わ す。 仏 傳 は 中 央 方 柱 の 南 西 か ら 西、 北、 東 南 と ま わ り、 順 次

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樹 下 神 像、 シ ュ ツ ド ー ダ ナ 夫 妻、 釈 尊 誕 生、 独 歩、 九 竜 沐 浴 騎 象 帰 城、 阿 私 多 仙 観 相、 乗 象 太 子、 太 子 射 芸、 宮 中 歓 楽、 浄 飯 王 と 太 子、 四 門 出 遊、 出 家 鍮 城、 白 馬 と の 別 れ、 山 中 苦 行、 降 魔 成 道、 四 天 王 の 奉 鉢、 初 転 法 輪、 迦 葉 教 化 ま で で あ る。 龍 門 石 窟 明 治 三 五 年 伊 藤 忠 太 が 調 査

Osvald Siren, Chinese sculpture.

明 治 三 九 年 四 十 日 間 塚 本 靖、 平 子 鐸 嶺 が 調 査、 そ の 成 果 を 大 村 西 崖 ﹁ 支 那 美 術 史 彫 塑 篇 ﹂ に 引 用 一 九 〇 七 年 ( 明 治 四 〇 年) 七 月 か ら 八 月 に 十 二 日 間 Chavann es が 調 杏。 常 盤 大 定 大 正 九 年 調 査 ﹁ 古 賢 の 跡 へ ﹂ 大 正 一 〇 年。 関 野 ・ 常 盤 ﹁ 支 那 仏 教 史 跡 ﹂ 第 二 冊 沢 村 専 太 郎 大 正 十 二 年 調 査 大 村 西 崖 ﹁ 支 那 美 術 史 彫 塑 篇 ﹂ 大 正 四 年 山 本 明 ﹁ 竜 門 石 窟 ﹂ と い う 写 真 集 昭 和一三 年 水 野 ・ 長 広 昭 和 一 一 年 四 月 二 ﹂四 日 -二 九 日 調 査、 竜 門 石 窟 の 研 究 L 古 陽 洞 北 魏 が 洛 陽 に 遷 都 し て 竜 門 に 窟 堂 を ほ り は じ め た そ の 最 初 に 着 手 し た の が 古 陽 洞 で あ る。 遷 都 の 翌 年 太 和 一 九 年 ( 四 九 五) に 出 来 た 長 楽 王 夫 人 弥 勒 像 籠 は い ま 古 陽 洞 北 壁 の 外 に あ る。 古 陽 洞 造 営 の 始 ま り は 太 和 末 年 で あ り、 古 陽 洞 本 尊 は 景 明 正 始 の 交 ( 五 〇 三 -五 〇 四) に 出 来 た。 古 陽 洞 の 天 井 は 円 天 井 ヽ 天 井 ま で の 高 さ は 一 一 m で ヽ幅 は 入 口 で 六 m。 奥 の 坦 の 中 央 に 本 尊 坐 仏、 左 右 に 菩 薩 立 像 が あ る。 本 尊 は 北 魏 仏 で、 大 き な 肉 髪 の 頭 部 に 髪 の 線 が な い。 顔 は 長 く、 衣 は 羽 織 の よ う に 左 右 相 称 で、 ひ だ は 規 則 正 し く 配 置 さ れ や や 簡 素 で あ る。 定 印 を 結 び、 も か け 座 を 有 す る。 光 背 の 中 心 は 円 頭 光。 舟 形 身 光 に 化 仏 の 列、 宝 珠 つ な ぎ 文 が あ り、 外 縁 は 熾 ん な 火 焔 で あ る。 脇 侍 は 顔 長 く 身 体 も 長 い。 ス カ ー フ は × 字 状 で あ る。 は し が 上 縛 で 外 に は ね 上 り、 す そ で 外 に ひ ろ が る。 下 裳 の ひ だ が 末 広 が り に な る。 光 背 は 装 飾 的。 奥 壁 の 銘 文 に 正 始 元 年 (五 〇 四) か ら 和 平 四 年 (五 二) を 記 す る の で 本 尊 三 尊 は 景 明 末 正 始 元 年 頃 に 造 営 さ れ た。 獅 子 像 は ず ん ぐ り し て い る。 左 右 側 壁 に は 上 下 三 段 に 大 小 の 仏 寵 を 並 べ る。 梯 形 寵、 尖 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 洪 罷 な ど。 梯 形 寵 は ガ ン ダ ー ラ 仏 寺 に 見 ら れ た 意 匠 か ら 発 源 し、 尖 操 寵 は イ ン ド 本 土 の ず っ と 古 い 意 匠 か ら 出 て い る。 光 背 は 装 飾 的 で あ る。 壁 面 に 見 え る の は 垂 帳、 宝 珠 つ な ぎ 文、 交 脚 碕 坐 像、 二 仏 並 坐 像、 仏 立 像、 仏 坐 像、 菩 薩 立 像、 弥 勒 菩 薩 像 な ど。 右 側 第 一 寵 は 最 も 古 式 で あ る。 賓 陽 洞 (第 三 洞) こ れ は も っ と も 完 備 し た 大 窟 で あ る。 北 魏 帝 室 の 造 営 に か か り、 は じ め か ら 統 一 的 計 画 で つ く ら れ た。 洪 門 に 大 き な 力 士 像 が あ る。 力 士 で あ る の に 菩 薩 の よ う な 表 現 を す る。 即 ち 宝 冠 を か ぶ り、 眉 を よ せ 眼 を 見 開 き、 右 手 を 上 げ て ひ ろ げ、 棒 を 左 手 に も つ。 ス カ ー フ が 菩 薩 の よ う に × 字 状 に か か り、 肩 の 外 側 の そ の 端 が は ね 上 る。 ま た 衣 の す そ も 左 右 に ひ ら く。 正 面 の 奥 壁 中 央 に 方 座 を つ く り、 仏 坐 像、 二 声 聞、 二 菩 薩 を 安 置 し、 そ の 前 に 獅 子 一 対 を お く。 中 央 の 床 面 に 浮 彫 文 様 蓮 弁、 流 水 渦 文 が あ る。 こ れ は 浄 土 の 蓮 池 に か た ど る も の で 中 に 水 禽 や 遊 泳 人 物 を あ ら わ す。 天 井 は 宵 薩 を な し、 中 央 に 蓮 花 が あ る。 奥 壁 の 本 尊 の 光 背 の さ き が 天 井 の 蓮 花 に 達 す る。 こ の 光 背 の 左 右 か ら 飛 天 が と ぶ。 本 尊 は ひ ろ く て 低 い 肉 髪 を も ち、 肉 髪 と 頭 部 に 細 い 渦 ま き ま た は 波 文 を あ ら わ す。 こ れ は ガ ン ダ ー ラ 仏 像 の 頭 髪 の 崩 れ で あ る。 顔 は 細 長、 眼 は 半 開、 鼻 翼 は 張 る が、 鼻 梁 は 高 く な い。 口 角 は ぐ っ と 上 っ て 古 拙 微 笑 を な す。 衣 は 羽 織 の よ う に 両 肩 に か か り 胸 が あ く。 そ の 胸 に 下 衣 の 帯 が の ぞ く。 裳 懸 座 だ が 衣 は 割 に う す い。 円 頭 光 は 蓮 花 を 中 心 と し て そ の ま わ り に パ ル メ ッ ト 蔓 草 文 を 配 し、 身 光 の 外 縁 に 火 焔 を あ ら わ す。 仏 の 左 右 に 老 い た 迦 葉 と 若 い 阿 難 が い る。 両 脇 侍 菩 薩 は 帝 釈 天 の 宝 冠 の よ う な 高 い 宝 冠 を か ぶ る。 宝 冠 に 蓮 花 文、 火 焔 宝 珠 光。 ス カ ー フ は X 字 状 に 膝 の あ た り で 交 叉 す る。 右 脇 侍 は 右 手 に 未 敷 蓮 花、 左 手 に ハ ー ト 形 の 玉 を も つ。 観 音 か。 左 右 壁 に こ れ と 同 様 の 三 尊 仏 が あ る。 衣 の ひ だ は 平 行 線 を な す が、 す そ は 左 右 に 出 張 り、 衣 は 厚 く 肉 体 を 覆 う。 こ れ ら の 尊 名 に つ い て は 異 説 が あ る。 前 の 浮 彫 は 維 摩 文 殊 の 対 問 図、 仏 本 生 話。 帝 王 后 妃 像 が あ っ た が 米 国 に 持 ち 去 ら れ た。 い

ま Kansas city Museum

とMetropolitan maus に あ る の を 私 は 見 た。 蓮 華 洞 ( 第 一 三 洞) 操 門 の 脇 に 一 対 の 金 剛 力 士 像 が あ る。 脇 の つ け 根 に か か る ス カ ー フ の は し が は ね 上 る の は 北 魏 後 期 の 形 式 化 し た 風 で あ

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る。 全 体 は 賓 陽 洞 外 の 力 士 像 に 似 る。 奥 が 円 く 天 井 も 円 く、 古 陽 洞 の 形 状 に 近 い。 窟 は 入 口 で 幅 五 ・ 四 八 m、 奥 で 六 ・ 四 〇 m、 奥 行 九 ・ 七 五 m。 奥 壁 の 本 尊 と 二 脇 侍 は 床 面 に 直 接 彫 ら れ た 蓮 花 上 に 立 つ。 そ の 蓮 座 は 低 い。 奥 壁 の 本 尊 は 仏 立 像。 そ の 左 右 に 仏 の 方 に 向 く 声 聞 即 ち 比 丘 各 一 体、 菩 薩 各 一 体 が あ る。 本 尊 は 賓 陽 洞 の 本 尊 に 同 じ く 北 魏 時 代 で あ る が、 も と の 写 真 を 見 る と 細 長 く な っ た。 顔 が 細 長 く 頭 も 細 い。 今 で は 顔 面 が 回 教 徒 に 打 催 か れ て 痛 ま し い。 前 の 写 真 に よ る と、 頭 部 肉 髪 の 髪 は 前 面 で 大 き な 渦 巻、 そ れ に つ づ い て 交 代 短 波 型 を な し て い る。 こ の 型 は も と ガ ン ダ ー ラ か ら 由 来 し、 西 域 で 誤 解 に よ る 変 形 を う け、 そ れ が こ こ に 伝 わ っ た。 衣 文 線 は 賓 陽 本 洞 の 本 尊 と 同 質 で あ る。 光 背 は 円 頭 光 と 舟 形 身 光 で あ る が、 身 光 の 周 縁 は 火 焔 で あ る。 眼 は 半 開 で ガ ン ダ ー ラ 系 だ が、 鼻 翼 が 張 り、 口 角 が 上 っ て 古 拙 微 笑 を 見 せ る の は マ ト ゥ ラ 風 で あ る。 本 尊 の 左 に 大 迦 葉、 右 に 阿 難 が 立 つ。 脇 侍 菩 薩 は 低 い 蓮 花 座 の 上 に 立 つ。 周 壁 に 小 さ い 千 仏 像 が 並 ぶ。 天 井 は 細 長 く ト ン ネ ル 風。 少 し 奥 の 頂 上 に 大 き な 蓮 花 が あ る。 天 蓋 の つ も り で あ る。 蓮 弁 を め ぐ っ て 半 パ ル メ ッ ト 列 文 も 完 好 に 保 存 さ れ、 そ の ま わ り に 飛 天 が 行 き 交 う。 側 壁 ー 右 壁 に い く つ も の 仏 魂 を 並 べ る。 少 数 は 中 国 式 屋 根 形 を い た だ く 梯 形 寵 で あ る が、 多 数 は 洪 寵 で あ っ て、 イ ン ド 洪 か ら 出 た 操 額 を も つ。 そ の 中 に 仏 坐 像、 二 仏 並 坐 像、 仏 三 尊 像、 仏 五 尊 像 な ど が あ る。 右 壁 に は 正 光 六 年 ( 五 二 五) 蘇 胡 仁 釈 迦 仏 籠 か ら 永 熈 二 年 ( 互 三 二) 法 蔵 等 十 余 人 の 像 罷、 永 熈 三 年 ( 五 三 四) 比 丘 道 仏 弥 勒 寵 ま で あ る。 左 壁 の 仏 籠 は 右 壁 の よ り も 小 さ く、 不 整 で あ る。 衣 の ひ だ が 多 く 細 か い。 北 魏 末 期 で あ る。 そ こ に 過 去 仏、 維 摩 経 変、 交 脚 坐 菩 薩 像、 維 摩 文 殊 対 問 像、 釈 迦 弥 勒 並 坐 像 が 見 ら れ る。 大 多 数 の 仏 籠 は 帷 幕 を か け る 尖 換 寵 で あ る。 帷 幕 は 必 ら ず 換 の 上 に あ る。 魏 字 洞 (第 一 七 洞) (524-525) 力 士 像 が す み 丸 の 長 方 形 入 口 の 左 に あ る。 高 さ 二 m ほ ど で 動 的 な 姿 勢 を す る。 天 井 は ゆ る く 轡 曲 し、 中 央 に 大 蓮 花 が あ る。 こ れ を 中 心 と し て 飛 天 が 左 右 に 三 体 ず つ 飛 ぶ。 奥 壁 に 深 さ 一 m あ ま り の 宝 坦 を つ く り、 そ の 上 に 五 尊 を の せ る。 左 右 壁 に 相 称 的 に 深 さ 八 五cm の 大 寵 を つ く り、 整 然 た る 統 一 を も た せ た 窟 で あ る。 本 尊 は 仏 坐 像。 き ゃ し ゃ な 細 い 体 つ き。 顔 は 細 長 い。 頭 部 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 の 頂 は 平 ら で、 そ の 上 に や や 高 い 肉 髪 が あ る。 衣 は 羽 織 風。 宝 坦 前 面 に 裳 懸 座 の ひ だ が 多 い。 北 魏 末 の 形 式 化 し た 仏 像 で あ る。 麦 積 山 の 多 く の 塑 像 も こ の 時 代 に 属 す る。 仏 の 光 背 の 彫 り は 浅 い。 仏 の 左 右 に 仏 弟 子 像 が あ る。 仏 座 の 左 右 の 獅 子 は や せ て 力 が な い。 天 井 は わ ず か に 轡 曲 す る。 西 域 風 が 減 じ た わ け で あ る。 中 央 の 蓮 花 も う す い 彫 で あ る。 飛 天 の 彫 り も 浅 い。 蓮 花 に は 子 房、 花 弁 部、 半 パ ル メ ッ ト 列 文 よ り 成 り、 一 々 の 花 弁 は 二 つ の 盛 り 上 り 即 ち 双 肉 で あ る。 飛 天 の ス カ ー フ は 細 く て 長 く、 先 が 尖 り、 下 か ら 斜 上 へ 風 に よ っ て 吹 き 上 げ ら れ る 様 を あ ら わ す。 そ の 飛 天 は 賓 陽 洞 と も 蓮 華 洞 と も ち が い、 天 龍 山 の 東 魏 窟 第 二 洞、 第 三 洞 の 飛 天 に 近 ず く。 左 右 壁 で は 梯 形 ・籠 を 中 心 に 垂 飾、 相 操、 小 仏 寵 を 配 す る。 樹 木 の 葉 を 銀 杏 の よ う な 形 に あ ら わ す の は こ の 時 代 か ら 北 斉 に か け て の 彫 刻 に 見 ら れ る も の で あ る。 造 像 記 に は 正 光 四 年 ( 五 二 三)、 正 光 五 年 ( 五 二 四)、 孝 昌 二 年 ( 五 二 六) な ど が あ る。 定 印 を 結 ぶ 無 量 寿 仏 が あ る。 弥 勒 菩 薩 像 の 造 営 が 盛 ん で あ っ た。 薬 方 洞 ( 第 二 〇 洞) 北 斉 風 入 口 は 換 門 で、 両 脇 は 蓮 花 飾 り の あ る 八 角 柱 で あ る。 イ ン ド の 八 角 柱 と 蓮 花 柱 頭 の 応 用 で あ る が、 変 形 し て い る。 入 口 左 右 に 金 剛 力 士 像 が あ る。 ス カ ー フ は 上 半 身 の 背 後 で 一 つ の 大 き な 環 を な し、 下 半 身 の 左 右 で く ね り な が ら 風 に 靡 く さ ま を あ ら わ す。 頭 部 は 荒 れ て い る が、 造 形 は す ば ら し く、 力 強 い 量 感 に 富 む 立 派 な 力 士 像 で あ っ て、 北 斉 様 式 で あ る。 力 士 像 の 上 方 に 飛 天 一 対 が あ る。 洪 門 の 左 側 壁 に 坐 仏 七 尊 籠、 右 側 壁 に 立 仏 三 尊 籠 が あ る。 七 尊 籠 と は 両 力 士 像 と 五 尊 像 で あ る。 そ の 様 式 は 北 斉 式 で あ る。 薬 方 の 刻 文 に 大 斉 武 平 六 年 ( 五 七 五) の 銘 が あ る。 こ れ ら の 彫 刻 を 天 龍 山 石 窟、 響 堂 山 石 窟 と 比 較 す る と、 と も に 北 斉 様 式 で あ る こ と は 疑 な い。 こ れ ら は 武 平 六 年 ( 五 七 五) か ら 北 斉 末 の 五 七 七 年 ま で つ く ら れ た。 窟 の 幅 三 ・ 二 八 m × 奥 行 三 m。 奥 に ひ く い 宝 坦 が あ る。 本 尊 は 高 い 宝 座 上 に 坐 し、 左 右 に 二 羅 漢、 二 菩 薩 が あ り、 前 に 両 獅 子 と 香 炉 を お く。 奥 壁 の 本 尊 坐 仏 は い か め し い、 が っ ち り し た 造 り で、 あ ご の 張 っ た 方 形 の 顔 を も つ。 毛 の な い 肉 髪 と 頭 部、 眼 と 鼻 と 口 は と も に イ ン ド 本 土 の グ プ タ 様 式 を う け て い る。 眼 は 切 長 で 下 険 が せ ま く、 鼻 は 中 国 像 と し て は 割 に

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イ ン ド 風 に 鼻 翼 が 張 っ て お り、 上 下 の 唇 が 割 に 厚 い の も イ ン ド 式 で あ っ て 中 国 式 で な い。 喉 に は っ き り し た 三 道 が あ る の は グ プ タ 仏 の 特 色 で あ る。 イ ン ド と ち が う の は 長 く な い 耳 朶 と 羽 織 風 の 衣 で あ る。 両 羅 漢 は し わ の あ る 大 迦 葉 と 若 い 阿 難 で あ る。 そ の 衣 は 不 自 然 で な く て、 ま っ す ぐ 下 に 垂 れ る。 顔 面 も 体 躯 も が っ ち り し た 本 尊 と 同 じ タ イ プ で あ り、 菩 薩 も 同 じ 型 で あ っ て 細 か い 技 巧 を 弄 し な い。 全 体 と し て 階 様 式 に 近 い。 左 の 菩 薩 の 宝 冠 に 化 仏 が あ り、 右 の 菩 薩 の 手 に 水 瓶 を も つ か ら、 こ れ ら を 夫 々 観 音、 勢 至 と 解 す る こ と が で き る と す れ ば、 本 尊 は 阿 弥 陀 如 来 像 で あ る と い え よ う。 本 尊 台 座 の 前 左 右 に 肥 大 な 獅 子 が う ず く ま る。 左 壁 に 維 摩 文 殊 対 問 像 が あ る。 そ れ は 蓮 華 洞 諸 像 に 似 る。 北 魏 末 期 の も の で あ る。 奥 壁 の 諸 尊 は 北 魏 末 の 諸 仏 籠 よ り 後 に 新 し く 造 ら れ た。 そ れ ら は そ の 様 式 上 階 代 と 考 え ら れ る。 こ の 窟 の 大 体 の 規 模 は 北 魏 後 期 永 安 二 年 ( 五 二 九) 頃 に 始 ま り、 北 魏 末 ( 五 三 三) ま で の 問 に 出 来 た。 北 斉 の 時 代 に 道 興 の 薬 方 が 刻 ま れ た 時 に 外 壁 や 天 井 の 造 営 が 行 な わ れ た。 階 代 に 左 右 壁 の 一 部 分 を 切 り お と し て、 ふ か い 仏 籠 を つ く り 五 尊 を 刻 ん だ。 賓 陽 南 洞 ( 第 四 洞) 左 右 九 ・ 四 〇 m × 奥 行 九 ・ 〇 九 m。 奥 に は 本 尊 を 含 む 五 尊 像 が あ り、 天 井 は ま る く、 頂 上 に 蓮 華 を 中 心 と し て 北 魏 式 飛 天 が と ぶ。 本 尊 は 賓 陽 洞 奥 壁 の 本 尊 に 似 る。 髪 は ガ ン ダ ー ラ 式 短 波 で 眼 も 鼻 も 大 き く 喉 に 三 道 が あ り、 羽 織 風 の 衣 は う す く 柔 ら か い。 関 野 氏 (pl. II-65) は へ階 代 ?) と す る が、 私 見 で は 北 斉 で あ る。 脇 侍 菩 薩 は や や か た い け れ ど も、 既 に 北 魏 風 の 重 厚 な 衣 で な く、 身 体 の 輪 廓 を う か が わ せ る 薄 衣 で あ る。 一 人 は 宝 冠 に 化 仏 を い た だ き、 水 瓶 を も つ 観 音 で あ る。 す る と も う 一 人 は 勢 至 で あ る か も し れ な い。 本 尊 は 阿 弥 陀 仏 で あ ろ う か。 本 尊 の 脚 下 の 一 対 の 獅 子 は 写 実 的 で あ る。 龍 門 唐 代 石 窟 水 野 長 広 ﹁ 龍 門 石 窟 の 研 究 ﹂、 関 野 常 盤II、pl. 51、

Siren Chinese Sculpture pl 452-461

斎 被 洞 ( 第 一 洞) 本 尊 は 円 顔 で、 眼、 鼻、 口、 喉 な ど み な イ ン ド の グ プ タ 様 式 を ま ね る。 中 国 で こ れ ほ ど 鼻 や 口 の 大 き い 仏 像 は 稀 だ。 右 手 は 施 無 畏 で い か め し い。 円 頭 光 に 蓮 花 を 中 心 に 七 仏 を あ ら わ し、 身 光 に 火 焔 の 細 線 が あ る。 衣 は 羽 織 風。 通 肩 で 裳 懸 座 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 を も つ。 仏 の 左 右 に 二 声 聞、 二 菩 薩、 二 神 王 が あ る。 本 尊 も 脇 侍 も 初 唐 頃 の 立 派 な 像 で あ る。 賓 陽 北 洞 ( 第 二 洞) 奥 壁 に 大 き な 寵 が あ る。 天 井 は ま る く 窟 頂 に 蓮 花 天 蓋 が あ り、 周 囲 に 飛 天 が あ る。 奥 壁 は 深 い 籠 形 を な し、 中 央 に 坐 仏、 左 右 に 声 聞 が あ り ま た 二 菩 薩 が あ る。 前 壁 入 口 の 左 右 に 神 王 像 が あ る。 本 尊 (常 盤II -5 6) は あ ご が ひ ろ く、 口 鼻 が 大 き く、 喉 に 三 道 の あ る 雄 偉 な 仏 像 で あ り、 イ ン ド 式 で あ る。 衣 は イ ン ド 風 の 偏 祖 の よ う で あ る。 右 手 施 無 畏、 左 手 与 願、 円 頭 光 の 上 方 に 火 焔 が あ る。 声 聞 と 菩 薩 像 は 厚 い 衣 に い か め し い 体 つ き を し て 古 風 で あ る。 左 脇 侍 の 宝 冠 に 化 仏 が あ る の で、 観 音 像 と 見 ら れ る。 本 尊 は 阿 弥 陀 か。 こ れ ほ ど 雄 偉 な 像 は 稀 で あ る。 光 背 の 蓮 花 文、 唐 草 文、 火 焔 は 天 井 の 装 飾 と と も に 萎 縮 し て い る。 賓 陽 洞 と ゆ か 同 様 に 床 に 蓮 花 文 の 浮 彫 が あ る が、 こ の よ う な 形 式 は 階 式 と 見 ら れ る。 窟 頂 は ほ ぼ 完 全 な 寄 薩 で あ る。 こ の 窟 は 北 魏 の 未 完 成 窟 を 利 用 し て 初 唐 に 造 営 さ れ た と 見 え る が、 脇 侍 は 古 い か も し れ な い。 敬 善 寺洞(636-658) 三 m あ ま り の 平 方 の 小 窟 で あ る。 天 井 は や や 円 く、 蓮 花 を 中 心 に 飛 天 を 配 す る。 本 尊 は ガ ン ダ ー ラ の 亜 流 た る 渦 巻 と 交 代 短 波 の 髪 を も ち、 眼 も ガ ン ダ ー ラ 仏 の よ う に 真 直 ぐ を 見 る。 耳 は あ ま り 長 く な い。 三 道 が な い。 右 手 施 無 畏、 左 手 与 願 で、 衣 は 薄 く て 通 肩 で あ る。 こ の 像 は ガ ン ダ ー ラ 後 期 の 仏 像 の 流 を く む。 左 右 側 壁 に 各 々 声 聞、 供 養 者 小 像、 菩 薩 像、 被 甲 す る 金 剛 力 士 が あ る。 洞 外 に 敬 善 寺 石 像 銘 が あ る。 唐 の 太 宗 の 妃 紀 国 太 妃 章 氏 の 造 建 で あ る。 こ の 人 は 太 宗 第 十 子 紀 王 慎 の 母 で あ る。 敬 善 寺 洞 は 六 三 六 年 ー 六 五 八 年 の 造 営 に か か る。 摩 崖 三 仏 ( 第 六 洞) 籠 形 の 奥 壁 に 浮 彫 三 尊 を 並 べ る。 中 尊 は 仏 碕 坐 像、 右 は 仏 坐 像、 左 は 未 完 成 の 仏 立 像。 中 尊 の 頭 部 は ガ ン ダ ー ラ の 亜 流 で あ り、 ま る い 太 っ た 顔 に 小 さ い 眼 鼻 が つ い て い る。 し か し 眉 は 大 き く 弧 を な す。 衣 の ひ だ は 少 な く ま た 薄 い。 そ れ で 肉 体 の 輪 廓 が よ く う か が え る。 つ ま り グ プ タ 仏 の 薄 衣 の 影 響 と 考 え て よ い。 こ の 三 像 の 下 方 に 中 イ ン ド ・ サ ー ル ナ ー ト (鹿 野 苑) 様 式 の 仏 小 碕 坐 像 が あ る。 衣 の ひ だ を つ く ら な い し、

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衣 も 中 国 式 偏 祖 で な く、 真 に イ ン ド 式 な 偏 祖 で あ る。 耳 も 耳 朶 が 長 く 長 方 形 の く ぼ み が あ る。 中 国 で 最 も グ プ タ 式 の 仏 像 の 一 つ で あ っ て、 天 龍 山 の 唐 代 仏 像 に 比 較 す べ き で あ る。 恵 簡 洞 ( 第一一 洞673 年) 奥 壁 の 本 尊 は 仏 衙 坐 像、 左 右 に 両 声 聞、 両 菩 薩 が 侍 立 す る。 仏 の 髪 は 龍 門 諸 洞 の 仏 像 に 多 い ガ ン ダ ー ラ の 亜 流 で あ る。 次 に 見 る 奉 先 寺 の 大 仏 に 見 る の と 同 じ で あ る。 頭 は 大 き く、 顔 は 口 字 形、 鼻 は や や 小 さ い。 喉 の 三 道 だ け が グ プ タ 式。 衣 は サ ー ル ナ ! ト 式 を う け て 薄 衣 で ひ だ が 少 い。 膝 と 脚 部 は く っ き り し て い る。 衣 は グ プ タ 式 だ が、 中 国 式 羽 織 風 か ら 次 第 に う す く な っ た の で あ っ て、 純 粋 な イ ン ド 式 で な い。 頭 光 は 蓮 花 の 円 光 で あ る。 仏 の 座 具 の 背 板 の 左 右 外 側 に 獅 子 と マ カ ラ ( 摩 潟) を 線 彫 す る の は グ プ タ 風 で あ る。 右 の 侍 者 阿 難 の 顔 は ま る み を も ち、 表 情 は 自 然 で、 均 斉 が と れ る。 萬 仏 洞 の 五 百 弥 勒 像 が 碕 坐 像 で 現 わ さ れ て い る 通 り、 こ こ の 菩 薩 碕 像 も 弥 勒 仏 で あ ろ う。 こ の 石 窟 の 南 壁 東 端 の 恵 簡 の 造 像 記 に 弥 勒 像 一 寵 を 威 亨 四 年 (六 七 三) に つ く っ た と い う。 そ れ が こ の 窟 で あ る と す れ ば、 本 尊 は 弥 勒、 創 造 は 六 七 三 年 と な る。 奉 先 寺 洞 ( 第 一 九 洞) ( 672-675) 龍 門 西 山 の 中 腹 の 中 央 部 の 大 洞 が 奉 先 寺 洞 で あ る。 山 腹 を き り ひ ら く こ と 約 三 〇 m 四 方。 大 像 を つ く る こ と 十 一 体。 中 央 の 大 仏 は 東 面 す る。 そ の 左 右 に 両 羅 漢、 両 菩 薩 を 刻 し、 左 右 側 壁 に 供 養 者、 神 王 像、 力 士 像 を 刻 す る。 本 尊 盧 舎 那 大 仏 像 は 重 層 蓮 弁 の 八 角 台 座 上 に 坐 す る。 台 座 の 高 さ 約 三 m、 本 尊 の 高 さ 一 三 m、 地 盤 か ら 光 背 の 頂 ま で 約 一 六 m。 台 座 の 腰 部 は 八 角 形 で、 そ の 隅 角 に 裸 形 の 力 士 像 が 立 ち、 そ の 間 に 甲 冑 を つ け た 神 王 像 が 坐 っ て い た。 北 面 に 大 盧 舎 那 像 記 と 開 元 十 二 年 十 二 月 五 日 の 牒 を 刻 す る。 そ れ か ら 上 に 四 重 の 持 送 り を 出 し、 三 層 の 仰 蓮 花 を う け て い る。 蓮 弁 の 一 々 に 梵 網 経 に よ る 千 葉 千 仏 の 坐 像 を 刻 ん で い る。 本 尊 ー 頭 髪 は ガ ン ダ ー ラ 系 の 交 代 短 波 型 の 髪 を も つ。 眉 は ガ ン ダ ー ラ 式 界 線 で 三 日 月 形。 眼 は 半 開 で 同 じ 高 さ を 見 る の も ガ ン ダ ー ラ 式 で あ る。 円 頭 に 鼻 は ふ つ う。 口 は や や 小 さ い。 耳 長 く 喉 は 三 道 ( こ れ は グ プ タ 風)、 肩 は や や グ プ タ 風 に 張 っ て い る。 道 肩 の 衣、 ひ だ は 段 を な す 界 線 で 数 は 多 く な い。 胴 と 頭 部 の 均 斉 は よ い。 膝 以 下 は 磨 損 す る。 体 躯 は 全 体 と し て ガ ン ダ ー ラ と グ プ タ の 融 合 で あ る。 円 頭 光 は 晴 形 の 蓮 花 弁 を 中 心 と し て そ の 周 囲 に 唐 草 文 帯、 そ の 外 に 火 焔 の 宝 珠 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 形 光 背 が あ る。 頭 光 の 下 は 火 焔 身 光 で あ る。 両 比 丘 像 の う ち 右 脇 の 阿 難 は ほ ぼ 完 好 に の こ る。 恵 簡 洞 の 阿 難 と 似 て い る。 あ れ と 同 じ よ う に 頭 部 の 割 に 体 躯 が 小 さ い け れ ど も、 こ の 方 が 丹 念 で あ る。 光 背 は 二 重 の 円 環 よ り 成 る 円 頭 光 で あ る。 脇 侍 菩 薩 は ほ ぼ 完 好。 唐 草 冠 を い た だ き、 長 い X 字 状 よ う ら く の 鎖 を つ け、 そ の 上 に 二 本 の ス カ ー フ を 垂 れ る。 左 壁 の 神 王 像 は 甲 を 被 い、 右 手 で 宝 塔 を さ し 上 げ る ク ベ ー ラ で あ る。 邪 鬼 が く っ た く の な い 雄 偉 な 面 構 え を 見 せ て い る。 量 感 も あ る し、 そ の 写 実 性 は 唐 代 彫 刻 の 白 眉 と い え よ う。 そ の 傍 の 金 剛 力 士 は 上 半 身 裸 体 だ が、 菩 薩 の よ う に ス カ ー フ と ほ そ い 胸 飾 の 鎖 を つ け、 ま た 三 面 冠 を か ぶ る。 あ ら ゆ る 部 分 で 筋 肉 が 緊 張 す る。 こ れ こ そ 金 剛 力 士 像 の 典 型 で あ る。 こ の 石 窟 は 唐 高 宗 の 建 造 で、 皇 后 武 氏 が 脂 粉 銭 を 寄 附 し た。 成 亨 三 年 ( 六 七 二) 四 月 一 日 着 工、 上 元 二 年 ( 六 七 五) 十 二 月 三 十 日 落 慶 と 記 さ れ る。 調 露 二 年 (六 八 ○) 一 月 十 五 日 に 前 庭 に 奉 先 寺 と い う 木 造 建 築 が 建 て ら れ た。 そ れ は 正 面 の 仏 殿 と 左 右 両 屋 で あ っ た。 萬 仏 洞 (第 九 洞-380) 入 口 外 側 左 右 に 裸 形 の 力 士 像 が あ る。 そ の 筋 肉 は 不 自 然 に 誇 張 さ れ る。 獅 子 は 全 体 に 写 実 的 な が ら 細 部 に 誇 張 が あ る。 外 壁 に 多 く の 像 籠 が あ る。 そ の 中 に 比 丘 尼 真 智 敬 造 の 観 世 音 菩 薩 立 像 が あ る。 入 口 両 側 に 柄 香 炉 を も つ 比 丘 ら の 像 が あ る。 写 実 風 の よ い 像 で あ る。 門 口 左 側 に ﹁ 沙 門 智 運 奉 為 天 皇 天 后 太 子 諸 王 敬 造 一 万 五 千 尊 像 一 A籠 ﹂ の 造 像 銘 が あ る。 右 側 に 小 仏 碕 像 を 五 十 一 段 に 並 列 す る。 前 壁 f 入 口 を 入 っ た 内 側 左 右 に 被 甲 し た 両 神 王 が 立 つ。 ず ん ぐ り と 太 い 型 で あ る。 左 右 壁 面 に 5cm ほ ど の 小 坐 仏 を ぎ っ し り 並 列 す る。 合 計 一 万 五 千 体 と い う。 基 底 部 に 十 人 の 楽 天 と 二 人 の 舞 天 が あ る。 一 様 に 長 い ス カ ー フ を ひ る が え し て い る。 奥 壁 -中 央 に 仏 坐 像、 両 脇 に 両 比 丘、 さ ら に 両 菩 薩 あ り。 仏 の 頭 部 は ガ ン ダ ー ラ の 亜 流 の 髪 を し、 顔 は 口 字 形、 喉 に 三 道 が あ り、 衣 は 羽 織 風。 台 座 は 入 角 で 三 段 の 蓮 花 座 で あ る。 八 角 形 の 筒 形 部 に 徐 儒 を い く つ か 彫 る。 仏 は 奉 先 寺 大 仏 に 近 い。 光 背 は 蓮 花 と 仏 の 円 頭 光 で あ る。 比 丘 像 は 写 実 的、 迦 葉 は 水 瓶 を も ち、 阿 難 は 合 掌 す る。 迦 葉 の 顔 に し わ や 筋 を あ ら わ す。 両 比 丘 は 円 頭 光 を 負 う。 ( イ ン ド に な い こ と で あ る)。 両 菩 薩 は 宝 珠 形 頭 光 を 負 う。 そ れ に 唐 草 文 や 蓮 花 文 を ほ る。 腹

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が や や つ き 出 て そ り 身 に な り、 顔 を 下 向 き に す る。 右 脇 侍 は ハ ー ト 形 を も ち 左 脇 侍 は 水 瓶 を も つ。 こ れ ら 五 尊 像 の 上 方 の 壁 面 に は 枝 に よ っ て 分 岐 し た 多 く の 蓮 花 の 一 々 に 諸 菩 薩 諸 天 を あ ら わ す。 五 十 二 体 あ る か ら、 五 道 菩 薩 の た め に 現 わ れ た 阿 弥 陀 仏 の 五 十 二 菩 薩 像 で あ ろ う。 す る と 本 尊 は 阿 弥 陀 仏 と い う こ と に な る。 こ れ ら 五 尊 像 は 敬 善 寺 洞 の 彫 刻 と と も に 確 立 し た 唐 代 様 式 で あ る。 天 井 は 水 平 で 中 央 に 大 蓮 花 が あ り、 四 隅 に 飛 天 が あ る。 蓮 花 の 周 囲 に 二 字 ず つ 区 画 し て 次 の 通 り 刻 出 す る。 大 監 挑 神 爽、 内 道 場 運 禅 師。 一 万 五 千 尊 像。 大 唐 永 隆 元 年 ( 六 八 ○) 十 一 月 計 日 成。 極 南 洞 ( 第 二 八 洞) 奥 壁 に は 須 弥 座 の 上 に 跣 坐 す る 本 尊 が あ る。 グ プ タ 風 の 仏 坐 像 で あ る。 今 ま で 見 な か っ た 螺 髪、 弓 な り に 轡 曲 す る ほ そ 長 い 眼、 長 い 耳、 グ プ タ 式 の 厚 い 唇 な ど ほ と ん ど グ プ タ 式 で あ る。 顔 は 円 顔、 喉 に 線 は な く 衣 が 羽 織 風 な の は 中 国 風 で あ る。 奉 先 寺 の グ プ タ 式 の 諸 仏 と あ ま り ち が わ な い。 右 脇 侍 の 顔 面 は 失 な わ れ た。 大 体 に お い て グ プ タ 風 の 菩 薩 で あ る。 東 山 看 経 寺 洞 石 窟 は 入 口 を 北 に 向 け、 平 面 は 一 一 m の 正 方 形、 天 井 は ほ ぼ 水 平、 は し は 少 し ま る い。 中 央 に 蓮 花、 四 周 に 六 体 の 飛 天 が あ る。 奥 に 方 3 m 高 さ ー m の 方 坦 が あ る。 そ の 上 に 高 さ ユ m 50 の 八 角 形 の 宝 座 に 坐 す る 仏 像 が あ る。 八 角 座 は 本 尊 と と も に 一 石 よ り 成 る。 仏 の 螺 髪 は 小 粒、 顔 は 楕 円 形、 眉 は つ よ く 沓 曲。 眼 は ほ そ く グ プ タ 式、 鼻 は 中 国 風 に 小 さ い。 鼻 翼 も せ ま く、 唇 は 小 さ い。 し か し 耳 は 長 く の ど に 三 道 が あ る の は グ プ タ 式 で あ る。 通 肩 の 衣 は 薄 く て、 そ の ひ だ は 隆 起 線 で ほ ぼ サ ー ル ナ ー ト 式。 ひ だ の す そ が 八 角 の 座 の は し か ら 垂 れ る の は 馬 周 の 像 の よ う で あ る。 こ れ は 西 山 の 極 南 洞 の 本 尊 よ り も も っ と イ ン ド 的 で あ る。 イ ン ド 風 の 感 能 的 な 写 実 性 が 濃 厚 で あ る。 周 壁 に 高 さ 2 m ほ ど の 腰 壁 が あ り、 そ こ に ほ ぼ 等 身 大 の 羅 漢 列 像 が 浮 彫 さ れ て い る。 た だ 前 壁 左 方 だ け が 仏 立 像 と 二 菩 薩 で あ る。 羅 漢 は み な 向 き を 異 に し、 顔 の 表 情 と 持 物 も ち が っ て い る が、 そ の 手 法 は 円 熟 し た 唐 様 式 で あ っ て す ぐ れ た 個 性 的 表 現 で あ る。 す べ て で 二 十 九 体 を 数 え、 全 体 で 唐 代 彫 刻 の 代 表 作 で あ る。 羅 漢 の 持 物 は 蓮 茎、 数 珠、 杖、 如 意、 貝 葉、 宝 珠、 柄 香 炉、 手 匝、 水 瓶 な ど。 こ の 窟 と 同 じ こ ろ に 出 来 た 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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密 教 文 化 次 に の べ る 揺 鼓 台 中 洞 に あ る 羅 漢 像 浮 彫 は ﹁ 付 法 蔵 因 縁 伝 ﹂、 の 二 十 五 祖 に あ た る と さ れ る か ら、 そ れ に さ ら に 達 磨 ま で の 四 祖 を 加 え る と 二 十 九 人 と な る。 こ れ ら の 彫 刻 は 先 に 見 た 西 山 諸 洞 の 彫 像 よ り も 様 式 上 や や 進 ん で い る し、 ま た 揺 鼓 台 諸 洞 と 類 似 し て い る の で、 こ れ ら の 諸 像 は 則 天 武 后 代 ( 6 8 4 -7 0 5) の 作 と 解 す る こ と が で き る。 揺 鼓 台 三 洞 揺 鼓 台 に 同 時 頃 に で き た 西 南 面 す る 三 洞 が あ る。 こ れ を 北 洞、 中 洞、 南 洞 と 呼 ぶ。 南 洞 南 洞 の 外 に 博 造 の 前 室 が あ る。 い ま の こ る 石 室 は も と の 後 室 で あ る。 そ の 幅 七 ・ 七 〇 m、 奥 行 五 ・ 八 O m。 奥 中 央 に 宝 坦 が あ り、 そ の 上 に 広 一 ・ 八 O m の 方 形 宝 座 を か ま え、 丸 彫 の 仏 坐 像 を 安 置 す る。 本 尊 (常 盤 支 那 仏 教 史 蹟II-101) は 宣 字 座 に 坐 す る 仏 で、 触 地 印 を 結 ぶ。 甚 だ イ ン ド 的 な 感 能 性 を も つ。 仏 で あ る の に 宝 冠 を い た だ き、 密 教 風 で あ る。 眼 は つ り 上 り、 理 略、 腕 釧 を し、 偏 祖 の 衣 は ほ と ん ど 全 く イ ン ド 中 世 初 期 ( ポ ス ト ・ グ プ タ) の 様 式 で あ る。 た し か に イ ン ド の 七 世 紀 の 様 式 を う け つ い で い る。 そ れ 以 外 で な い。 奥 壁 に は 蓮 花 座 に 坐 す る 千 仏 を 浮 彫 る。 中 洞 中 洞 の 外 に 千 仏 像 を ほ る。 左 右 に 力 士 像 が あ っ た が い ま は 大 破 す る。 石 窟 の 幅 六 m、 深 さ 五 m。 本 尊 は 仏 椅 坐 像、 頭 に 螺 髪。 頭 と 顔 は 大 き い。 豊 頬、 喉 に 三 道、 衣 の ひ だ の 数 は 少 い。 背 後 に イ ン ド 本 土 に な い 障 屏 を 刻 出 す る。 脇 侍 菩 薩 は 蓮 枝 上 に 立 ち、 宝 珠 光 を 負 い、 身 を く ね ら す。 装 身 具 を つ け、 か な り に イ ン ド 本 土 グ プ タ 式 で あ る。 壁 面 に 千 仏 像 が あ り、 窟 頂 に 簡 素 な 蓮 花 が の る。 壁 の 下 の 腰 壁 に 二 十 五 体 の 祖 師 像 を 浮 彫 る ( 常 盤II-103) 看 経 寺 洞 の 祖 師 像 浮 彫 よ り 小 さ い が、 こ れ に 次 ぐ す ぐ れ た 作 で あ る。 付 法 蔵 因 縁 傳 の 文 句 を 刻 す る。 そ し て 文 字 は 則 天 文 字 で あ る か ら、 こ の 窟 の 年 代 が 則 天 武 后 時 代 で あ る こ と を 示 す。 窟 中 央 に 宝 坦 が あ る。 そ こ に 三 体 の 丸 彫 坐 像 を 安 置 す る。 こ れ ら 三 尊 像 (常 盤II -1 0 1) は 甚 だ イ ン ド 風 で あ る。 三 尊 の う ち 中 尊 た る 仏 坐 像 は 偏 祖 で 胸 飾 と 腕 釧 を つ け、 密 教 風 で あ る。 右 手 は 触 地 印、 七 世 紀 頃 の イ ン ド の 彫 像 の 様 式 を う け て い る。 台 座 に こ れ を 支 え る 四 天 王 の 像 が あ る。 左 右 の 尊 は 菩 薩 で な く や は り 仏 で あ る。 そ し て 通 肩 の 衣 を ま と い、 右 手 を

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あ げ る。 ひ だ は イ ン ド 風 に 隆 起 す る。 台 座 の 格 狭 間 に 奏 楽 す る 天 の 像 が あ る。 こ れ ら 三 尊 は 七 世 紀 の イ ン ド の ポ ス ト ・ グ プ タ 様 式 を う け て い る。 北 洞 ー 円 い 窟 は 幅 3 m、 深 さ 3 m。 円 天 井 の 頂 上 に 蓮 花、 左 右 後 壁 の 三 面 に 夫 々 坐 仏 を 彫 り、 方 座 上 に 安 定 す る が 荒 れ て い る。 前 壁 左 右 に 夫 々 菩 薩 立 像 浮 彫、 右 十 一 面 四 辟 目 像、 左 六 管 像、 こ れ ら は 龍 門 に お け る 多 管 像 の 唯 一 例 で あ る。 本 尊 が 装 身 具 を つ け た 仏 で 密 教 的 な 聖 像 で あ る こ と と 照 応 す る。 周 壁 の 空 所 に 蓮 上 の 菩 薩 を 彫 る。 姿 勢 は 自 由 で 円 熟 し て い る。 大 王 遊 戯 坐 の 菩 薩 が 蓮 花 上 に あ る。 す ぐ れ た 作 で あ る。 輩 縣 石 窟 関 野 ・ 常 盤 支 那 仏 教 史 蹟II

Siren, Chinese Sculpture 98-100

平 凡 社 中 国 石 窟 輩 県 石 窟 寺1983年 8 月 輩 縣 石 窟 寺 は 洛 陽 旧 市 街 か ら 東 五 ニ キ ロ に あ る 輩 縣 の 町 の 東 北 九 キ ロ に あ た り、 伊 洛 河 の 北 岸 に あ る。 石 窟 寺 は 五 つ の 石 窟、 三 尊 摩 崖 像、 千 仏 寵 一 ケ 所、 小 仏 寵 三 二 八 よ り 成 り、 そ の う ち 四 窟 の 造 像 と 摩 崖 大 像 が 北 魏 の 彫 刻 で あ る。 平 凡 社 の. 輩 縣 石 窟 寺 L の 序 説 ( 安 金 梶) に よ っ て 石 窟 の 歴 史 が 知 ら れ る。 北 魏 の 孝 文 帝 が 延 興 三 年 ( 四 七 三) か ら 太 和 二 二 年 (四 九 九) の 間 に 輩 縣 に 希 玄 寺 を 創 建 し た が 今 は な い。 景 明 元 年 ( 五 〇 〇) に 宣 武 帝 が 洛 陽 伊 閾 山 に 孝 文 帝 と 文 昭 皇 太 后 (宣 武 帝 生 母) の 窟 ニ ケ 所 を 掘 っ た が 完 工 で き な か っ た。 永 平 中 ( 五 一 〇 頃) 世 宗 (宣 武 帝) の た め に 一 窟 を 造 ろ う と し た。 こ れ が 今 の 龍 門 の 賓 陽 三 洞 で あ る。 北 魏 皇 室 は 景 明 元 年 ( 五 〇 〇) か ら 四 年 ( 五 〇 三) に か け て 輩 縣 石 窟 寺 の 開 掘 を は じ め た。 熈 平 二 年 ( 五 一 七) か ら 正 光 四 年 ( 五 二 三) に か け て 宣 武 帝 と 霊 太 后 が 輩 縣 第 一 窟 と 第 二 窟 を 造 営 し た。 第 一 窟 は 正 光 四 年 に 完 成 し、 第 二 窟 は 中 途 で 中 止 し た。 熈 平 二 年 ( 五 一 七) か ら 孝 昌 三 年 ( 五 二 七) に か け て 孝 明 帝 と そ の 后 が 第 三 窟 と 第 四 窟 を 造 営 し た。 第 五 窟 は 永 安 元 年 ( 五 二 八) 孝 荘 帝 の 造 営 に 成 る。 そ の 後 東 魏、 西 魏、 北 斉、 唐、 宋、 金 代 民 間 人 が 小 寵 を つ く っ た こ と が そ の 銘 文 に よ っ て う か が わ れ る。 輩 縣 の 石 窟 は 方 形 の 平 面 を も つ 窟 内 の 中 心 に 太 い 方 柱 を か ま え、 四 周 の 壁 と 方 柱 の 四 辺 乃 至 一 辺 に 仏 寵 を ほ る。 そ 中 国 石 窟 古 寺 巡 礼

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