緒 言 自動車・鉄道・航空機等による交通騒音は,不快感等 の心理的影響や聴取妨害等の生活妨害だけではなく,環 境性睡眠障害・高血圧・虚血性心疾患・脳卒中・糖尿病 等の健康影響との因果関係が明らかにされている環境リ スク因子である (1–4)。世界保健機関(WHO)や同欧 州地域事務局は,騒音に関する数多くの疫学研究や実験 的研究の成果に基づき,1980 年以降,健康影響の閾値 等を含むクライテリアおよびガイドラインを示している (5–8)。 また,健康損失(DALY:障害調整生存年)を指標とし て,西欧諸国を対象に様々な環境リスク因子の比較が行 われた結果では,大気汚染の粒子状物質に次いで交通騒 音のDALY が高値であることが報告されている (9, 10)。 既に,欧州連合は2002 年に環境騒音指令 (11) を公布 し,加盟各国に交通騒音マップの作成や曝露人口の推定, © 日本衛生学会
我が国における道路交通騒音による健康リスク
―欧州環境騒音ガイドラインに基づく推定
田鎖 順太,松井 利仁
北海道大学大学院工学研究院Estimation of Health Risk Posed by Road Traffic Noise in Japan Based
on the Environmental Noise Guidelines for the European Region
Junta TAGUSARI and Toshihito MATSUI
Faculty of Engineering, Hokkaido UniversityAbstract
Objectives: Traffic noise exposure is associated with adverse health effects such as environmental sleep disorder, ischaemic heart disease (IHD), stroke and diabetes. The health risks posed by traffic noise were esti-mated to be quite high in European countries. However, in Japan, no estimation has ever been conducted. In the present study, we estimated the health risk posed by road traffic noise in Japan.
Methods: We estimated the risks of environmental sleep disorder (high sleep disturbance) and IHD caused by road traffic noise in Japan as of 2015 on the basis of existing noise-exposure estimates, vital statistics of deaths, and patient survey with exposure–response relationships proposed by the Environmental Noise Guidelines for the European Region issued in 2018. We employed old information on noise exposure in 1994 because it is the only information currently available in Japan. We also estimated the health risks of noise exposure levels that were equivalent to the Japanese environmental quality standards.
Results: The estimated numbers of patients with environmental sleep disorder and IHD caused by road traffic noise were approximately 1,200,000 and 9,000, respectively. The estimated number of mortalities from IHD was approximately 1,700. The noise exposure level equivalent to the Japanese noise standards caused a lifetime mortality rate of more than 10−2, which was extremely high as an environmental health risk.
Conclusions: As in European countries, road traffic noise was one of the most important environmental risk factors in Japan. However, the current Japanese noise standards are insufficient for the protection of public health.
Key words: road traffic noise(道路交通騒音),environmental sleep disorder(環境性睡眠障害),ischaemic
heart disease(虚血性心疾患),health risk(健康リスク),environmental quality standard(環境基準)
受付2019 年 8 月 20 日,受理 2020 年 11 月 27 日 Reprint requests to: Junta TAGUSARI
Faculty of Engineering, Hokkaido University, Nishi 8, Kita 13, Kita-ku, Sapporo, Hokkaido 060-8628, Japan
TEL: +81(11)-706-6872, FAX: +81(11)-706-6872 E-mail: [email protected]
Page 2 of 7 および騒音対策の策定を義務づけている。騒音曝露に関 する情報は公表され (12, 13),種々の疾患を対象に大規 模な疫学調査が続けられている (2, 3)。 一方,我が国では,各自治体において限られた測定点 で騒音測定および各種基準値との比較が行われているに 過ぎない。全国を対象とした騒音曝露情報については, 1994 年に推計された道路交通騒音曝露に関する古い資 料 (14) 以外に見当たらないのが現状である。また,交 通騒音の健康影響に関する規模の大きな疫学調査は,質 問紙による調査を除くと,米軍の航空機騒音を対象とし た事例があるに過ぎない (15, 16)。 我が国では,騒音に関する基準値の多くは1970 年代 に定められているが,その後に改定された基準値も含め, 健康影響に関する近年の知見は必ずしも反映されていな い。騒音は健康に悪影響が生じる環境要因であるが,大 気汚染・水質汚濁・土壌汚染の有害化学物質とは異なり, 全国一律の基準値は定められていない。都市計画法の用 途地域に基づいて環境基準の適用範囲が定められている ことが多く,結果として,環境基準が適用されていない 地域にも住居が多数存在する。これは,我が国の騒音行 政が,交通騒音によって様々な健康影響が生じることを 認めていないことも一因になっていると考えられる。 本研究では,我が国全域の主要道路近傍での騒音曝露 戸数を1994 年に推定した資料 (14) を利用し,2018 年 に公布された欧州環境騒音ガイドライン (8) に基づき, 国勢調査が行われた2015 年時点での健康リスクの推定 を試みた。対象とした健康リスクは,量反応関係が示さ れている,高度の睡眠妨害と虚血性心疾患である。また, 現行の環境基準値の妥当性に関して,健康影響の視点か ら検証を試みた。 なお,我が国では騒音の健康影響に関する知見は,騒 音以外の環境リスクに携わる研究者の間で十分に知られ ていないと考えられる。次節では,1980 年以降に WHO および同欧州地域事務局が公布してきた健康影響の科学 的知見 (5–8) の変遷の一部について概説し,騒音による 健康影響の科学的知見が我が国で長年に渡って放置され てきたことを示す。 環境騒音による健康影響に関する WHO ガイドライン等の変遷 表1 に,1980 年以降に示された,騒音の健康影響に 関するクライテリアおよびガイドラインの記載内容か ら,睡眠妨害と心臓血管系疾患に関する知見の変遷を示 す。 騒音による睡眠妨害は,生活妨害とも解釈されるが, WHO では当初から健康影響として扱われていた。一過 性の睡眠妨害でも,翌日に眠気・集中力の低下等が生じ れば,短期的な健康影響と考えるべきであり,慢性的に 繰り返される睡眠妨害は環境性睡眠障害 (17) という特 異的疾患につながる (1, 18)。さらに,睡眠障害は心臓 血管系疾患等の原因になり得る (19–21)。 WHO は 1980 年の時点で睡眠妨害を重要な健康影響 として扱い,屋外での夜間平均騒音レベル(Lnight:夜間 等価騒音レベル)で45 dB の規準値を示していた (5)。 その後の各種ガイドラインにおいても,40–45 dB とい う同程度の閾値が示されている (6–8)。 騒音による心臓血管系疾患への影響は,近年,多数の 疫学研究等によって交通騒音との因果関係が明確となり (3),1999 年の環境騒音ガイドラインから,重要な健康 影響として量反応関係・閾値等が示されるようになった。 騒音に起因する心臓血管系疾患の主因は夜間の睡眠妨 害であると考えられており (2, 4, 19),評価指標として Lnight等の夜間騒音の指標を利用することが望ましい (7)。2009 年の欧州夜間騒音ガイドラインでは,夜間平 均騒音レベル(Lnight)が騒音指標として採用されていた が,2018 年の欧州環境騒音ガイドラインでは,日平均 騒音レベル(Lden:時間帯補正等価騒音レベル)が騒音 指標として採用された。これは,過去の疫学研究の多く がLdenやそれに類する評価指標を解析に用いていたため である (3)。 なお,2018 年の欧州環境騒音ガイドラインには,策 定時に利用可能だった欧州以外で行われた疫学調査結果 も集約されており,このガイドライン文書に記載された 健康影響に関する知見は,欧州以外の地域でも利用可能 であると明記されている。 ちなみに我が国では,1998 年に「騒音に係る環境基 表1 道路交通騒音による健康影響に関する WHO および WHO 欧州地域事務局の知見の変遷 年 文書(発行機関) 健康影響 騒音指標 閾値/規準値 1980 騒音クライテリア(WHO) 睡眠妨害 Lnight 45 dB(規準値) 1999 環境騒音ガイドライン(WHO) 睡眠妨害 Lnight 45 dB(閾値) 高血圧・心疾患 Leq,24h 65 dB 以上はリスクあり 2009 夜間騒音ガイドライン(WHO/EURO) 睡眠妨害 Lnight 40 dB(閾値) 高血圧・心筋梗塞 Lnight 50 dB(閾値) 2018 環境騒音ガイドライン(WHO/EURO) 睡眠妨害 Lnight 40 dB(閾値) 虚血性心疾患 Lden 53 dB(閾値)
準」,2007 年に「航空機騒音に係る環境基準」が改定さ れているが,睡眠障害も含め上述した健康影響の知見は 反映されていない。 方 法 1.全国における騒音曝露人口の推定 本研究では,1998 年に中央環境審議会騒音・振動部 会(当時)が示した我が国全体の道路交通騒音曝露戸数 に関する資料 (14) を利用し,交通騒音の中から道路交 通騒音のみを対象として騒音曝露人口を推定した。 欧州連合では2002 年に交通騒音の騒音マップ作成が 義務づけられ,道路交通騒音・鉄道騒音・航空機騒音等 について,より精度の高い曝露人口推定が行われている が (12, 13),我が国では,1998 年の資料以外に全国を対 象とした騒音曝露情報は見当たらないのが現状である。 この資料では,全国の主要道路近傍を対象に1994 年 の道路交通騒音の曝露戸数が推定されている。本研究で はこの資料を利用し,道路交通騒音を対象として,国勢 調査が行われた2015 年における騒音曝露人口を推定す ることとした。1994 年時点での健康影響を推定するの が妥当とも考えられるが,1994–2015 年の間,道路交通 量や道路交通騒音の状況に大きな変化がないことから (22, 23),20 年以上前の健康影響を推定するよりも現状 を推定する方が,より有益な結果が得られると判断した。 資料には,道路端から50 m 以内の住居を対象に,昼間・ 夜 間 の 屋 外 平 均 騒 音 レ ベ ル(Lday,Lnight) 帯 域 別 に, 1994 年時点での曝露戸数が示されている。1994 年の総 戸数(1993 年および 1998 年の総務省住宅・土地統計調 査結果から補間)から,曝露戸数の割合を求め,2015 年の総人口(総務省国勢調査)を乗じることにより,騒 音曝露帯域別の曝露人口を推定した。 健康リスク推定においては,2018 年の欧州環境騒音 ガイドラインで量反応関係が示されている「高度の睡眠 妨害」(軽度の環境性睡眠障害)と「虚血性心疾患」を 対象とした。前節で述べたように,虚血性心疾患につい ても夜間の騒音が原因であると考えられるが,ガイドラ インでは虚血性心疾患の量反応関係は日平均騒音レベル (Lden)で示されている。本研究では,夜間平均騒音レベ ル(Lnight)に9.3 dB を加算することで Ldenに換算し,ガ イドラインを適用した (24)。 また,欧州環境騒音ガイドラインでは,道路交通騒音 による「高度の睡眠妨害」の閾値はLnightで40 dB とさ れているが,1994 年の我が国の調査資料では Lnightが 55 dB 以上の騒音曝露のみが集計対象とされていた。そ のため,55 dB 未満の曝露人口比率は,55 dB 以上の曝 露人口分布に基づき直線的な外挿によって推定した。な お,直線的な外挿では控えめな曝露人口が推定されてい ると考えられる (13, 25)。 2.全国における健康影響人口の推定 本研究では,欧州環境騒音ガイドラインで示された量 反応関係に基づき,「高度の睡眠妨害」と「虚血性心疾患」 を対象として,道路交通騒音による健康影響人口を推定 した。高度の睡眠妨害は,質問紙調査による主観的評価 に基づいているが,軽度の環境性睡眠障害 (17) に相当 することが,医師の診断による調査から明らかにされて いる (26, 27)。 欧州環境騒音ガイドラインでは,騒音レベルと各種健 康影響との関係のみが示されており,性・年齢等の調整 はできない。高度の睡眠妨害(軽度の環境性睡眠障害) が生じる住民割合(%HSD)および虚血性心疾患の相対 危険(RRIHD)に関する量反応関係 (4, 8) を以下に示す。 %HSD=1⁄(1+exp(6.8968-0.0754・Lnight)) for 40 dB ≤ Lnight≤ 65 dB (1) RRIHD=1.08(Lden-53)⁄10 for 53 dB ≤ Lden≤ 80 dB (2) 影響人口の推定では,騒音曝露が定義域を超える場合 についても上式を適用した。定義域を超える曝露人口は わずかであり,我が国全体での健康リスク推定値への影 響は軽微である(表2 参照)。なお,欧州環境騒音ガイ ドラインでは,高度の睡眠妨害(軽度の環境性睡眠障害) については(1)式の 95% 信頼区間が与えられているが, 虚血性心疾患に関する(2)式の 95% 信頼区間は示され ていない。 健康リスク推定においては,総患者数(厚生労働省患 者調査,2014 年)および年間死亡者数(WHO Global Health Estimates,2015 年 (28, 29))を利用した。虚血性 心疾患の健康リスク推定では,(2)式と曝露人口に基づ いて人口寄与割合を求め,道路交通騒音による有病者数 と年間死亡者数を推定した。なお,平均寿命を85 年とし, 年間死亡リスクに85 を乗じて簡易的に生涯死亡リスク を推定した。 3.「騒音に係る環境基準」と等価な曝露による健康リ スク 我が国では,環境騒音に対して,環境基準や規制基準 が制定されている。しかし,これらの基準値の多くは 1970 年代に制定されており,近年明らかになった,虚 血性心疾患等の疾患に関する知見は反映されておらず, 慢性的な睡眠妨害に起因する環境性睡眠障害も考慮され ていない。騒音は聴取妨害・睡眠妨害・不快感等の生活 妨害が生じる感覚公害として扱われているのが現状で ある。 水・大気・土壌等の有害化学物質は全国一律の基準値 が定められているが,騒音は地域によって基準値が異な るだけでなく,基準値の対象外となっている住居地域も 存在する。
Page 4 of 7 本研究では,1998 年に改定された「騒音に係る環境 基準」の中で最も規制が緩い「幹線道路近接空間」の環 境基準値について,基準値と等価な騒音曝露による健康 リスクを,前節と同様の量反応関係に基づいて推定した。 なお,「幹線道路近接空間」は高速道路・国道・県道・ 4 車線以上の市道から,15 m ないしは 20 m の範囲と定 義されており (30),道路交通騒音の健康影響が生じる ような主要道路沿道のほとんどがこの地域区分に該当す ると考えられる。 道路交通騒音を対象とした環境基準はLdayとLnightを 騒音指標としている。虚血性心疾患のリスク推定の際に は,これらの騒音指標から昼夜平均騒音レベル(Ldn: 昼夜等価騒音レベル)を求め,1.0 dB を加えることで Ldenに換算した (24)。昼間 70 dB,夜間 65 dB の環境基 準値から得られたLdenは73.4 dB であった。 結 果 表2 に,2015 年を対象として,道路交通騒音曝露に よる全国の健康リスクを推定した結果を示す。Lnightのレ ベル帯域別に曝露戸数・曝露人口および,高度の睡眠妨 害(軽度の環境性睡眠障害)と虚血性心疾患の影響人口 を示している。ただし,Lnight 55 dB 未満の曝露人口は, 1994 年の資料から推定された曝露人口を直線的に外挿 しており,それらについては括弧付きで推定値を示して いる。 総人口約1 億 2,700 万人のうち,道路交通騒音による 高度の睡眠妨害(軽度の環境性睡眠障害)の有病者数が 約120 万人(119.4 万人(95% 信頼区間:63.7–175.1 万人)) にのぼり,虚血性心疾患の有病者数が約9,000 人,年間 死 亡 者 数 は 約1,700 人 と 推 定 さ れ た。 ま た,Lnightが 55 dB 以上および 65 dB 以上の地域では,生涯死亡リス クがそれぞれ1%,2% を超えた。 Lnight 55 dB 以下の曝露レベル帯域で,高度の睡眠妨害・ 虚血性心疾患の有病者数・死亡者数が減少する傾向が認 められ,全有病者数・死亡者数に対するLnight 55 dB 以上 の帯域の有病者数・死亡者数は,高度の睡眠妨害が 60%,虚血性心疾患は 73% を占めている。 ただし,本研究では,Lnight 55 dB 未満の曝露人口は直 線的な外挿によって求めているため,表2 に示した曝露 人口は控えめな値になっていると推測される。また, 1994 年の調査資料は道路から 50 m の住居のみを対象と しており,表2 に示した影響人口や健康リスクは実際の 値を過小評価していると考えられる。より妥当な健康リ スク推定のためには,Lnight 55 dB 未満の地域も含めた広 域の騒音曝露予測を行う必要がある。 表3 に,「騒音に係る環境基準」の「幹線道路近接空間」 の基準値と等価な曝露による健康リスクの推定値を示 す。欧州環境騒音ガイドラインでの夜間の道路交通騒音 の勧告値はLnight 45 dB であり,我が国の「幹線道路近接 空間」の環境基準値はきわめて高い騒音レベルに定めら れている。 推定によれば,環境基準値と等価な騒音曝露によって, 12% の住民に高度の睡眠妨害(軽度の環境性睡眠障害) が生じ,虚血性心疾患の有病率(人口10 万対)は 104, 死亡率(人口10 万対)は 19.9 となる。生涯死亡リスク 表2 全国における道路交通騒音による健康影響人口推定結果 項目 Lnightレベル帯域(dB) 合計 40–45 45–50 50–55 55–60 60–65 65–70 70–75 >75 >55 dB >40 dB Lnight中央値(dB) 42.5 47.5 52.5 57.5 62.5 67.5 72.5 77.5 ― ― Lden換算値(dB) 51.8 56.8 61.8 66.8 71.8 76.8 81.8 86.8 ― ― 騒音曝露 戸数(千戸) ― ― ― 1,097 828 463 170 25 2,583 ― 割合(%) (4.1) (3.5) (2.9) 2.3 1.8 1.0 0.4 0.1 5.5 (16.0) 人口(千人) (5,213) (4,451) (3,690) 2,982 2,251 1,259 462 68 7,022 (20,376) 高度の睡眠妨害(軽度の環境性睡眠障害) 有病率(%) 2.4 3.5 5.0 7.2 10.1 14.1 19.3 25.9 ― ― 有病者数(千人) (127) (156) (186) 214 228 177 89 18 726 (1,194) 虚血性心疾患 相対危険 1.000 1.030 1.070 1.112 1.156 1.201 1.248 1.297 ― ― 有病者数(人) (0) (800) (1,567) 2,025 2,123 1,533 695 122 6,498 (8,866) 死亡者数(人) (0) (156) (305) 394 413 298 135 24 1,265 (1,726) 有病率(人口10 万対) (0) (18) (42) 68 94 122 150 180 ― ― 死亡率(人口10 万対) (0) (3.5) (8.3) 13.2 18.4 23.7 29.3 35.0 ― ― 生涯死亡リスク(%) (0) (0.3) (0.7) 1.1 1.6 2.0 2.5 3.0 ― ― 注:Lnight 55 dB 未満の人口は外挿による推定値のため,この値を含む推定値は括弧付きで表示。 LdenはLnightからの換算値 (24)。
は約2% であり,環境基準値と等価な曝露を 85 年間受 けたとすると100 人に 2 人が道路交通騒音で死亡するこ とを示している。 なお,表2 によれば,「幹線道路近接空間」の環境基 準値であるLnight 65 dB を超える地域に 180 万人以上が居 住していると推定されている。これらの住民は,さらに 高い健康リスクに曝されていることになる。 考 察 本研究では,道路交通騒音に関して,全国を対象とし た1994 年の曝露戸数推定値に基づき,2015 年の我が国 全体における健康リスクの推定を試みた。 1994 年と 2015 年で騒音曝露戸数分布は異なると考え られるが,この間に道路交通量に顕著な変化は見られな い (22)。また,環境省が公表している道路に面する地 域の環境基準超過戸数にも,ほとんど変化は見られない (23)。このため,1994 年の曝露戸数分布を使用したこ とによる推定誤差は大きくないと考えられる。 ただし,約20 年前の情報を利用しているため,本研 究のリスク推定に限界があることは避けられない。1994 年の曝露戸数推定結果は主要道路から50 m の範囲に限 定されているため,低レベル帯域の曝露戸数は過小評価 されているだけでなく,住居位置分布の変化等の影響が 考慮できていない。 なお,欧州環境騒音ガイドラインでは虚血性心疾患の 量反応関係の信頼区間は示されておらず,推定値の誤差 評価ができない。虚血性心疾患の影響人口推定値の誤差 が評価されていないことも本研究の限界である。 さらに,ガイドラインに示された量反応関係では,性 別・年齢等の交絡要因が調整できないことも誤差要因に なる可能性がある。しかし,高度の睡眠妨害(軽度の環 境性睡眠障害)の量反応関係は日本を含む先進国での疫 学調査結果に主に基づいており,これらの交絡要因の推 定結果への影響は大きくないと考えられる。 また,虚血性心疾患の量反応関係は主に北欧の調査結 果に基づいており,我が国の家屋が北欧と比較して平均 的に遮音量が低いことを考慮すると,虚血性心疾患の健 康リスクは過小に評価されている可能性が高い (31, 32)。 本研究の推定結果には様々な誤差が含まれていると考 えられる。しかし,著者らが札幌市全体を対象に,近年 欧州で行われている手法で騒音マップを作成し,健康リ スクを推定した結果でも同様な高い健康リスクが得られ ている (25)。また,欧州 32 か国を対象とした,道路交 通騒音による健康リスク推定結果 (33) を我が国の人口 に換算すると,「高度の睡眠妨害(軽度の環境性睡眠障 害)」が約110 万人,「虚血性心疾患」の年間死亡者数は 約2,500 人であり,本研究での推定値に近い。表 2 に示 された結果は,我が国において,きわめて多くの住民が 道路交通騒音によって「高度の睡眠妨害(軽度の環境性 睡眠障害)」や「虚血性心疾患」などの健康影響を受け ていることを示唆している。 本研究では,住民の健康保護の観点から,1998 年に 改定された現行の「騒音に係る環境基準」の妥当性につ いても検討した。 幹線道路近接空間の環境基準値と等価な騒音曝露に起 因する虚血性心疾患の死亡率(人口10 万対)は 19.9 で あり,高度の睡眠妨害(軽度の環境性睡眠障害)の有病 率は曝露人口の約12%,虚血性心疾患の有病率は約 0.1% と推計された。また,生涯死亡リスク推定値は10–2を 超えており,発がん性物質など,閾値のない有害化学物 質を対象とした環境基準値が生涯死亡リスク10–5を目 安としている (34) ことと比較すると,1,000 倍を超える リスクに環境基準値が定められていることになる。 環境基本法には,「常に新しい科学的知見の収集に努 め,適切な科学的判断が加えられていかなければならな い」と明記されており,「騒音に係る環境基準」は1998 年に改定も行われているが,WHO ガイドライン等の科 学的知見を反映しない状態が続いており,きわめて高い 健康リスクが長年に渡って放置されている。2015 年時 点で「幹線道路近接空間」には約350 万戸が位置し (23, 30),約 750 万人が居住すると推定されるが,現行の環 境基準値が幹線道路沿道住民の健康を保護しているとは 言いがたい。 表4 は,本研究で得られた道路交通騒音による推定死 亡リスクを,大気汚染の粒子状物質による死亡リスク, および,種々の死因の死亡数・死亡率と比較した結果で ある。 道路交通騒音による年間死亡者数の推定値は,大気汚 染の約1/10 であり,インフルエンザや結核による死亡 者数に匹敵する値である。大気汚染と道路交通騒音によ る死亡率は,水質汚濁や土壌汚染など他の環境要因とは 比較にならない高い値となっている (9, 10, 35)。 なお,道路交通騒音の場合,健康リスクは道路沿道の 住民に集中している。死亡者の約半数は夜間平均騒音レ 表3 環境基準値と等価な騒音曝露による健康リスクの推定結 果 環境基準値(幹線道路近接空間) Lday(dB) 70 Lnight(dB) 65 Lden 換算値(dB) 73.4 高度の睡眠妨害(軽度の環境性睡眠障害) 有病率(%) 12.0 虚血性心疾患 相対危険 1.170 有病率(人口10 万対) 104 死亡率(人口10 万対) 19.9 生涯死亡リスク(%) 1.7
Page 6 of 7 ベル(Lnight)が60 dB を超える地域の居住者であり,総 人口の約3% に過ぎない。この地域では高度の睡眠妨害 (軽度の環境性睡眠障害)の推定有病率は10% を超えて いる。 また,本研究では,虚血性心疾患と高度の睡眠妨害(軽 度の環境性睡眠障害)のみを対象としたが,脳卒中・糖 尿病等との関連も明らかにされつつある (8)。これらの リスクを加えれば,道路交通騒音はより高い健康リスク を有していると考えられる。 結 言 本研究では,2018 年に公布された欧州環境騒音ガイ ドラインと,我が国で入手可能な各種統計資料に基づき, 我が国全体での道路交通騒音の健康リスクを推定した。 その結果,約120 万人が高度の睡眠妨害を受けており(軽 度の環境性睡眠障害に相当),道路交通騒音に起因する 虚血性心疾患の患者が約9,000 人,毎年約 1,700 人が死 亡していると推定された。 推定された健康リスクの信頼性については,利用でき た情報が限られていたことから,様々な誤差が含まれて いると考えられるが,札幌市および先進国を対象とした 信頼性の高い推計結果と同様な値が得られた。より推定 精度を向上するには,欧州と同様,我が国全体を対象と した騒音マップの作成が必要である。また,家屋遮音量 など,欧州との差違についても検討が必要であろう。 欧州では,騒音の健康リスクは各種環境要因の中で, 大気汚染の粒子状物質による健康影響に次いで高いこと が明らかにされている,我が国では,睡眠妨害による短 期・長期の健康影響や,虚血性心疾患等の新たな科学的 知見も含め,一部の専門家を除いて必ずしも認知されて いないと考えられる。 本研究では現行の環境基準の妥当性について考察を 行った。道路交通騒音による健康影響は幹線道路沿道等 の高曝露群に集中しているが,1998 年に改定された「騒 音に係る環境基準」の幹線道路近接空間の環境基準値は, 住民の健康保護の観点からは著しく高いリスクの基準値 が設定されていることが明らかとなった。 道路交通騒音以外については曝露情報が得られなかっ たため,健康リスクを推定できたのは道路交通騒音のみ である。しかし欧州では,各種交通騒音の騒音マップを 作成することが2002 年に義務化され,詳細な曝露情報 が公開されており (12, 13),健康影響の評価・対策だけ でなく,様々な疾患を対象とした騒音の疫学調査にも利 用されている (2, 3)。 我が国の騒音行政は,欧州諸国と比較して大きく遅れ ているのが現状である。騒音マップの作成だけでなく, WHO によるガイドライン等に示されている科学的知見 を取り入れ,騒音の各種基準値を見直すことが望まれる。 謝 辞 本研究は北海道大学大学院工学研究院大気環境保全工 学研究室の運営交付金により実施した。 利益相反なし 文 献
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(8 ) World Health Organization Regional Office for Europe. Environmental noise guidelines for the European region. Copenhagen: WHO Regional Office for Europe, 2018. 表4 道路交通騒音曝露による死亡率と各種疾患による死亡率 の比較 リスク因子・死因 死亡者数 死亡率 (人口10万対) 道路交通騒音(全国) 1,726 1.4 環境基準値曝露(幹線道路近接空間) ― 19.9 大気汚染(粒子状物質) 24,700 19.3 悪性新生物 370,346 295.5 心疾患 196,113 156.5 脳血管疾患 111,973 89.4 腎不全 24,560 19.6 自殺 23,152 18.5 交通事故 5,646 4.5 インフルエンザ 2,262 1.8 結核 1,956 1.6 他殺 314 0.3 HIV 56 0.0 注:大気汚染は2004 年の推計値 (28),他は 2015 年の人口動 態統計。
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