• 検索結果がありません。

研究ノート 日蓮聖人の宗教理念について (体育館落成記念号)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "研究ノート 日蓮聖人の宗教理念について (体育館落成記念号)"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

◇研究ノート◇

鎌倉仏教成立の時期を那辺に設定すべきか。これは日本仏教史上の一課題である。従来、この問題の究明に当って、教理学的に 乃至は思想史的立場から論議は盛んである。しかし大方の妥当的見解としては、法然の﹁選択本願念仏集﹂及び栄西の﹁興禅護国 論﹂の両譜が成った建久九年︵二九八年︶を以って、鎌倉新仏教の成立宣言とされている。 然しそれにしても、法然の﹁他力本願・専修念仏﹂或は栄西の﹁戒律為宗・不立文字﹂の立教をめぐって、それを伝統仏教の思

日蓮聖人の宗教理念にっ

七五三一 、 、 、 、 一 、 序

目次

序言

末法と日蓮聖人 ﹁末法為正﹂の意味 ●●●■口 。L■■■ ◇華小 郡町 言 六四二 、 、 、 みちのり 菩薩道の道程 日蓮聖人の﹁時﹂の意味 ﹁末法正機﹂の意味

町田是正

(2)

①家永三郎氏︵東京教育大学︶に依れば、法然・親驚が唱導した悪人正機・在家往生・専修念仏など、他力本願浄土系の重要概 念の悉どは、平安朝の欣求浄土・厭離穣土の往生信仰を継承したもので、それは決して法然・親鴬が開拓した思想ではないと主張 される。︵家永三郎﹁中世仏教思想史研究﹂︵昭和三十年・宝蔵館︶ ②井上光貞氏︵東京大学︶に依れば、平安朝の浄土往生信仰は観想的・情緒的である。これに対して鎌倉仏教の法然・親驚の専 修念仏は他力本願の易行門であるとは云え、そこには現実との対決を迫る意志的・決断的一面が強調されている。従って平安仏教 との間に、訣別を宣したものであると主張される。︵井上光貞﹁日本浄土教成立史﹂山川出版社︶ ③田村凹澄氏︵九州大学︶の主張は、法然の往生念仏は平安八宗体制に対抗して古代的伝統仏教の打破を宣したものであるとす る。法然浄土宗は八宗体制の枠外に立てられた最初の新宗であり、そして、栄西・道元・親驚・日蓮が続いて非八宗の仏教を開い た。それは平安仏教の継承ではなく、飛蹄である。既に古代的ではなく中世的であるとされる。︵田村側澄﹁鎌倉仏教の歴史的評 価﹂日本仏教学会年報第三四号所収︶ 鎌倉新仏教の形成をめぐる代表的論説の三つを要約紹介したが、雛者としては井上・田村両氏の見解に賛意を示したい。筆者が 理解するところでは、平安浄土思想は﹃あれも。これも﹄すべて容認してしまう妥協的・情緒的で、而も消極面が強く濠み出てい る。然るに法然浄土の﹁選択﹂は﹃あれか。これか﹄という二者択一の厳しい一面が強調される。この﹁あれか。これか﹂の選択 の態度は親駕・道元・日蓮に継承され、現実と対決する道が選択され、民衆と共に生きる宗教を建立していったのである。 鎌倉仏教を特色ずける﹁専修﹂の概念は斯る厳しい選択の中から生み出されたものであり、この選択の志向が末法の厳しい現実 を克服する理念の形成にあずかったと見ることが出来る。ここに、末法思想の克服をもって宗教的使命として興起した鎌倉新仏教 介を試てみおこう。 想的継承とみるか、 又は新仏教の成立宣言とみるか、その評価は当に汗牛充棟の現況である。いま代表的見解を要約して二・三紹 (〃)

(3)

染らのり

二、菩薩道の道程

● 日蓮聖人が﹁日蓮﹂と名乗られた文字的根拠を、法華経神力品﹁如日月光明。能除諸幽興⋮⋮﹂の﹁日﹂と、涌出 ● 砧﹁不染世間法。如蓮華在水・⋮..﹂の﹁蓮﹂とに依って、名サとされたことは周知のことである。 ○﹁明かなる事日月にすぎんや。浄さ事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名く。日蓮又日月 と蓮華との如くなり。﹂︵四条金吾女房御書・昭定遺四八四︶ すなわち、末法濁悪の間中に脚く日月と、泥沼に在って袖郁と芳香する蓮華とに象徴される理想を大願とされ、日 、、、、、 蓮と名乗られたのである。この﹁日並﹂とり名された当にその時にこそ、求通者蓮長から低道者日通へ、更には法準 ︵あれか︺︵これか︺ 経行者への契機が秘められていたのである。型人自身の﹁易行門か聖道門か﹂の選択の煩悶、そして法華正法の弘教 者たらんとされた固い決意は、その後の捨身弘教の誓願と実践となって見事に結実昇華されていったが、それらの契 機はすべて﹁日蓮﹂の名号に集約されるものである。 ●●●●●● 聖人の忍難弘教の宗教的実践は、法華経行者としての資格を問うた我不受身命の人間的苦斗と、但惜無上道の﹁宗 教信﹂の展開であった。末法濁悪の現実のなかに立正安国の実現を標旗となし、法華経色読の体現者としての生涯は とは そこに時代を超えて永遠の生命が躍動する宗教を形成していったのである。 日蓮聖人の生涯を佐前佐後とに大別する所以は、型人の思想・教義。そして、人間的にも一線を画することが可能だからである は、明かに平安伝統仏教からの訣別を宣したものである。以下、斯る視点を踏まえつつ、日蓮聖人の宗教理念に立ち入って考察し たい。諸先生の御批判と教示を賜わらんことを。

(4)

う。およそ大別する所以は、佐前は専ら法華経行者としての資格の追究︵教証から現証へ︶にあったのに対して、佐後は法華経行 者としての自覚・仏使上行の開顕にあるとするからである。

レハノワンハサノワノースハノレトモハンワ

○﹁見二此等本文一不し顕二三類敵人一非二法華経行者一。顕し之法華経行者也。而必喪二身命一歎﹂︵教機時国妙・昭定遺二四五頁︶ ○﹁日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし。これをもってすいせよ。漢土・月支にも一間浮提の内にも肩をなら ぶる者は有︾からず﹂︵撰時紗・昭定遺一○四八頁︶ いま前掲二鱒の文意には明らかに文脈と宗教意識に於て大きな相違が見られる。伊豆配流より身延在山に至る十有余年の歳月の 中に、人間的に、宗教的に、思想的に、あらゆる角度から﹁受雌﹂の意味が深く追求され、﹁文証から現証﹂へと、その帰結が日 本第一の法華行者の自覚へと昇華されていったのである。 法華経行者の自覚とは、不動なる宗教信の発露であり、体現のことである。 ル レ ○﹁而に法華経の第五巻勧持品の二十行の偶は、日蓮だにも此国に生ずは、ほとをど︵殆︶世尊は大妄語の人、八十万億那由陀 ク の菩薩は提婆が虚証罪にも堕ぬくし。経に云有諸無智人悪口照晋等、加刀杖瓦石等云云。今の世を見るに、円蓮より外の諸僧、 う小 たれの人か法華経につけて諸人に悪口蝋署せられ、刀杖等を加る者ある。H遮なくぱ此一偶の未来記妄語となりい﹂︵開目抄。 右の開目抄の執筆は文永九年二月佐波塚原にてなされたが、その前年の九月には竜口刑場にて﹁今度法華経の行者として流罪死 罪に及ぶ。流罪はたつのくち、相州たつのくちこそ日蓮が命を捨たる処なれ。仏土におとるべしや。片瀬の中には竜口に日蓮が命 をとどめをく事は、法華経の御故なれば寂光土というべき欺﹂︵四条金吾殿御消息・昭定遺五○四頁︶と。又佐渡へ配流の身とな るや﹁魂晩ここにとどまりて﹂と述懐されているが、この竜口・佐渡の刀杖遠流の体験が聖人当身の大事であったことは確かであ る。法華経行者の自覚とは、調うなれば仏使上行としての殉教使徒の意繊の硫認である。聖人自身、佐渡四ヶ年は厳酷の生活では 昭定遺五五九頁︶ (”)

(5)

あった。しかし内観の期間であったことは、開本両抄の述作、その後の身延在山時の著述をみるときこの感を深くするのである。 立正安国の実現が為に全生命を賭した宗教的実践、その実践の故に象むつた値難弘教の生涯こそ、当に菩薩道を迩 進する祈りの姿であった。従って、法華経行者の自覚とは、忍難弘教の菩薩道に依って培かわれた宗教信の帰結で 、、、、、、、、、、、、、、 ある。﹁末法﹂が意志的に体験せられたとき、当にその厳しい末法の現実を堪え抜かしめた宗教倍と、堪えさせた英

、、、、、、、、、

知と、堪え抜かれた実践とが見事に結実したとき、堪雌きを堪え、そこに仏使上行菩雌、末法の法華絲行者が誕れ出 でたのである。 ●●●●●●●●● ○日蓮聖人の忍難弘教の菩薩道とは一体何を意味するのであろうか。聖人の値難弘教とは文字通り自己の存在を捨て、自己の資 ●●●●●● 格を無にするものではなかったか。かって田辺元博士が﹁懐悔とは自己の存在資格を自ら放棄することである﹂︵懐悔道としての 哲学︶と云われたが、当にそれは人間性の限界に迫る宗教的回心にも通ずる境界であり、聖人の法華経色読とは自己の存在を無資 格に至らしめた俄悔菩薩道とも云うべきものと讃仰いたすのである。 さて聖人が末法の﹁時﹂のなかに在って、忍難弘教の途を選択された意味は何か。およそ型人ほどに末法の中で積 極的に、能動的に行動された弘教者は他になかろう。つまり法華経色読の忍難弘教の菩薩行は、そのことに於て、末 たことである。 日辿聖人の生涯は、勧持品二十行偶の真文そのままの忍雌弘教の菩薩行のそれであり、神力仙別付眠の勅使上行再 誕の境派であった。そして大事なことは、その醤薩遊のすべてが末法の﹁時﹂と深い関りに於て、通志的に股Ⅲされ

三、末法と日蓮聖人

(6)

法の時に能動的に働きかけた所謂、歴史の中で主体的に行動した歴史の創造者でもあった。 人間が歴史の意味を思考し、その意義を発見しようとするとき、人間は歴史の枠外に存在することはできない。人間は歴史的時 間の中に被投的存在であるにせよ、また企投的存在でありたいとするにせよ、歴史的時間から離れて存在することは出来ない。 歴史の只中に行動する人間が、歴史の主体者・創造者であるということは、歴史のなかに存在する﹁もの﹂ではな くて、むしろ存在する﹁こと﹂に強い意味がこめられているからである。末法なる時のなかで、忍難弘教の菩薩道の 実践者であった﹁こと﹂に注目せねばならない。人間は歴史的時間から断絶して存在することはない。常に現に在る 存在である。人間の存在は、この歴史的時間に基いてその意味が間われなければならないし、また、存在することを 通して雁史の意味も間われなければならない。 そこで﹁末法の法華経行者日蓮﹂の意味も、その歴史的時間との関りに於て、その存在することの意義が問われね ばならない。 日蓮聖人は末法の法華経行者であったと云われる。では法華絲行者といわれる外的条件は何か。帷うに、第一に末 法斗評の時であること。第二に三類の強敵に適遇すること。第三に刀杖遠流野の肉体的危難が加えられることであ ●● 繰返せば、たんに所与の末法当今の渦中に決然立って積極的に実践されたことだけではなく、その実践されたこと が、果して雁史のなかでどれほどの意味をもつものか、改めて考えられてもよいのではないか。次醐に論をゆずりた い 。

四、日蓮聖人の﹁時この意味

(”)

(7)

さて、H述聖人が末法の法華経行者として、その弘教に当っての﹁時﹂の概念を飛要視されたことは云うまでもな い。このことは、教義の根韓をなす五綱教判の中に﹁時﹂の概念を組成していることからも袈付される。因に弘教と 関述して﹁時﹂に言及されている簡処を二・三摘出すれば左の如くである。 orfソリ

ンワシテプノハ午子スル二

○﹁時者弘一仏教一人必可し知レ時:・・・・不し知し時弘し法無し益上還堕二悪道一也﹂︵教機時国紗・昭定避二四二頁︶ ○﹁仏法は時によるべし﹂︵開目抄・昭定遺六○九頁︶ ○﹁正法を修して仏になる行は時によるべし﹂︵日妙聖人御書・前同六四五頁︶ ツス ツ ○﹁法華経を持と中経は一なれども持事は時に随て色色なるべし﹂︵法蓮紗・前同九五一頁︶ ス上.ノ。リ ○﹁知者と申は如レ此時を知て法華経を弘通するが第一の秘事なり﹂︵前掲密・前同頁︶ し ○﹁夫仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし﹂︵撰時紗・前同一○○三頁︶ ○﹁仏眼をかって時機をかんがえよ﹂︵撰時紗・前同頁︶ 不動なる信念。 て可能である。 さて、H述耐 聖人は弘教に際して、その所与の﹁時﹂を何故に重要視されたのか、何故に時を選ぶことを大事とされたのか。し てだて ばらくその意味を考えたい。いまこれが考察の手段として、伊豆配流の直後の縦になる﹁教機時国妙﹂の一文を拝借 不動なる信念。②自己の現在的立場と将来を洞察する英知。③揺ぎなき実践力。この三者を具備することによって始 の三条件を克服することは、肉体的にも精神的にも極めて至難な道である。若し、克服するとすれば、①強靱にして る。つまり、法華経に予言される﹁仏在世猶多怨疾・況滅度後﹂の聖文にまさに適中されることであろう。然し、こ 1 レ ト ︽ 、 可 〃 ◎

(8)

ハテニ

キフワ

○﹁当世入二末法三百一十余年也、椛経念仏等時欺。法華経時歎。能能可レ勘二時国一也﹂︵教機時国妙・昭定遺二四三頁︶ キ 右の﹁能能可ン勘二時刻匡との﹁時刻﹂とは、所謂、物理的時間を意味するのではない。この﹁時刻﹂とは、聖人 が被投されて在る客観的実在としての﹃時﹄であって、それは歴史であり、末法なる時なのである。従って﹁可レ勘二 時刻こと云うのは、被投的に存在たらしめられている末法の﹁時﹂そのものの考察と認識なのである。つまり末法 の﹁時﹂という客観的な歴史の中へ否応なしに被投されている自己と、その客観的実在としての﹁時﹂の中で、企投 的存在たろうとする自己を発見しようとするものである。少なくとも、法華経行者であろうとするならば、﹁時﹂を 考えなくして存在価値はないのである。 前述のことから、日蓮聖人の﹁時﹂とは、他から﹁与えられた時﹂又は﹁選び与えられた時﹂ではなかった。それ は聖人の愈志によって﹁選ばれた時﹂であった。被投性の時ではなく、企投性の時であった。当に﹁時﹂を選択する という意志の自由性に強い意味がこめられているのである。従って、偶々、末法時に生を受けた弘教者というのでは ない。法華経行者の実践弘通が行われる時であるという、聖人の主体性が強調されているのである。末法の法華経行 者の自覚とは、当に﹁時﹂を選択する企投性に立脚したものであった。 日蓮聖人の宗教理念の形成に於て、極めて深い関りをもっていたのは末法思想であった。当時の人々が末法思想に よって大きく揺振られたことは周知の事実である。然し、その受容意識︵末法観︶は必ずしも一様ではなかった。 我が国での末法当来の初年は永承七年︵一○五二・扶桑略記︶とするのが通説となっている。いまその算定の正否を議論する余地

五、﹁末法為正﹂の意味

(23)

(9)

はない。ともかく爾後二百五十年の間有為転変の世相が錯綜するに及び、日本仏教との深い関連を持って、末法思想が問題となっ ていることを認めざるを得ない。因にこの歴史を背景として、慈円僧正は﹁愚管抄︵二三○年︶﹂を著し﹁マコトニハ末代悪世 ・武士ガ世ニナリハテ、末法ニモイリタレ・ハ﹂︵愚管抄・附録︶と末法観的立場を打出している。然し惟うに、慈円が生涯強調し たものは﹁滅罪生善・遮悪持善・諸悪英作・諸善奉行・利益衆生・抜苦与楽﹂の仏教倫理の建設ではなかったか。従来、愚管抄は 仏教的道理に基く史論を展開し、併せて平安末から鎌倉時代にかけての﹁末法観﹂を論ずるのに不可欠の史論書とされてきた。確 かに優れた史論書ではあるが、愚管抄の全篇を通すとき、そこには仏教倫理﹁道理﹂の建設は強く主張されてはいるが、積極的に 末法思想を克服する理念なり方途についての探究はみられない。ここに、末法思想超克の方途と、建設は鎌倉新仏教の祖師の出現 をまたねばならなかった。法然・親鴬・道元・日蓮の各祖師によって末法思想の意味が徹底的に究明され、而も民衆の生活と直結 した中で克服理念が形成されていったことは、日本仏教史上に占める鎌倉仏教の史的意義を画期的ならしめるものである。 鎌倉仏教を概観したとき、肢も﹃末法﹄が危機意識として惨透した時期は、所調、自界叛逆・他国侵逼・天変地天 連年に亘った建久・建仁・承久・貞永・建長・弘長・文永・弘安・永仁・正安の百余年︵二九二’一三○○︶の間 ではなかったか。謂うなれば、日蓮聖人︵三二’三全︶を含めて鎌倉新仏教の開祖、法然︵一三一’三三︶・栄西︵二 空’三三︶・親鷲︵二望’三童︶・道元︵三81三菫︶等の活動された時代がこれに当るのである。然るに何故に、 日蓮聖人の末法時の受容意識に於て、或は末法克服の理念に於て、他の祖師との間に大きな相異がみられるのであろ うか。吾々はここに焦点をしぼり考えてみたい。 日蓮聖人の宗教理念である﹁末法為正﹂とは一体どんな意味を有っのであろうか。調うまでもなく﹁末法為正﹂と 。●● は、立教開宗の基本精神であることは論を俟ない。いま文字通に﹁末法為正﹂を読めば、﹁末法の時をもって正とな

(10)

す﹂と云うのである。そして、その﹁正﹂とは、正意・正時・正理・正道・正機・正法・等々多義に解釈することが できる。聖人の御文書の中で﹁末法為正﹂の字句が適格に示される箇処は次の二書であろう。

ノノハルニワチワシテヂ又・Pし︽ナヲスト

○﹁迩門十四品正宗八品一往見レ之以二二乗一為し正以二菩薩・凡夫一為し傍。再往勘咳之以二凡夫・正・像・末一為し正。正・像・末三

チクニクモハノスラシ

ヤノザヤニクムワシナセ 時之中以二末法始一為二正中正一。問日其証如何。答日法師品一云而此経者如来現在猶多二怨嫉一況滅度後。宝塔品云令二法久住一乃至 ニモナノワスカノトチク シルワ

シテワスレハワニテワスーr

所し来化仏当レ知二此意一等。勧持・安楽等可し見し之。迩門如し是。以二本門一論し之一向以二末法之初一為一正機一・⋮⋮本門序正流通倶

ノし小ニルワ

ワストノト.

、二 以一末法之始一為し詮。在世本門末法之初一同純圃也。﹂︵観心本尊抄・昭定遺七一五頁︶

卜ニメハ▼ナノワストノハ

サワスレハワ ○﹁自二安楽行一勧持・提婆・宝塔・法師逆次読し之以二滅後衆生為し本。在世衆生傍也。以激後一論し之正法一千年像法一千年傍

ワストノー︽チワストテクテクノテクワストテ夕

也。以二末法一為し正。末法中以二日蓮一為し正也。問日其證拠如何。答日況滅度後文是也。疑云日蓮為し正正文如何。答云有諸無智 ナタハチタヒルカニニヶシテヘ又小 人悪口罵督等及加刀杖者等云云。問云自讃如何。答日喜余し身故難し堪自讃也。﹂︵法華取要抄・昭定逝八言貢︶ いま﹁末法為正﹂の概念をコトバ通りに受けとめれば、末法の時をして正法時代へと還元し、以って歴史的同時性 と宗教的同質性を同権の立場で認めようとしている。 然しこの論理的主張は、末法と正法という全く対立する異質の概念を同等の椛利に於て、同等の時占慥於て認めよ うとする二律背反論理であり、論理的矛盾をおかしていることは自明である。 また、末法と正法の雁史的同時性を認めようとするのは、歴史的時間の経過を否定する時間倒錯の論理でもある。 ロジカル 聖人の御文書の内容の趣旨を、論理の型にはめこんで思惟する心要はないかも知れない。しかし聖人は、この矛盾の 論理と時間倒錯の思考を克服して﹁末法為准﹂と強調してやまないのである。当に﹁末法為正﹂とは、矛盾論理を揚 棄した弁証の理論ではなかろうか。 (25)

(11)

※﹁末法為正﹂の思想的論拠について ※歴史的時間の倒錯論理について。 この大科学者の言葉は、時間の可逆性と不可逆性を思惟するうえで示唆に富むものである。時間n.瞳・鮒︲・・燭の事象の順序関係 は必ずしも正のh・睦・均.⋮魚の順序のみ示すものではない。若し時間tに負の符号をつけてや・趣・油⋮・もとしても成立す る。即ち数式計算上の或る時間tに於てその連続を逆にしたとしても、事象の順序関係は成立するのである。この意味で数式上の 時間は可逆性である。然し実測される物理的時間は不可逆性である。ここに﹁末法為正﹂の理念を理解するに当り、どうしても日 常的な時間とか物理的な時間という観念が打破されねばならない。﹁末法為正﹂という末法と正法の対立概念を同時点で認めるた めには時間の倒錯論理。つまり時間の可逆性の思惟が導入されなければならない。﹁末法為正﹂の理念が永遠の時間とか無限なる 生命を志向するものであるならば、少なくとも史的時間の可逆性が肯定される論理が認められなければならない。 概念と方法・九二頁借引用︶ ﹃末法為正﹄の意味を理解するためには、史的時間の質的変化を沓定する論理を理解せねばならない。ここに物理学者アインシ ュタインの興味ある一文を参考として考えてみよう。 ﹁時間は、物理学的な式では文字tであらわされていて、もちろんそれは負の符号をつけても方程式に導入されうる.このこと は時間を逆方向に計算する可能性を与える。しかし、ここでわれわれはただ単なる計算にのみかかわっているのであって、そのこ とから、時間の流れそれ自身も負になりうることを、決して結論してはならない。ここに一切の誤解の根本がある。ここには許さ れうるものであり、必然的でさえあるもの、たとえば、計算と現実界において可能なものとの混同がある﹂︵岩波講座7.哲学の 日蓮聖人立教の基本精神が﹁末法為正﹂にあったことは否定することは出来ない。そして忍難弘通の菩薩道の実践は、﹁精神﹂

(12)

この観心本尊抄の要文こそ聖人畢生の要諦であり、宗教思想の根幹である。既にみた如く﹁末法為正﹂とは、二律背反的矛盾・ 時間倒錯論理を内包しつつも、それを克服することが強く示唆されている。要は永遠なる生命とか無限なる魂を肯定し開顕しょう とするところに意義を有っている。斯る意味に於て、本尊抄の﹁今本時娑婆世界云云:.﹂の聖文こそ﹁末法為正﹂と主張される宗 教理念の裏付であり、そして、本尊抄にみられるその永遠なる生命︵久遠仏︶思想の客観的教証として、それを法華経にもとめて いることは云うまでもない。本尊抄の﹁今本時娑婆世界離三災出四劫常住浄土﹂なりとの国土の常住・娑婆世界の肯定・末法世界 を肯定する論拠として寿量品の﹁我常在此娑婆世界﹂・﹁我此土安穏・天人常充満﹂の経文を指摘できよう。また本尊抄の﹃仏既 過去不滅未来不生﹄との文は、化城畷品の﹁彼仏滅度己来・復過是数・無量無辺・百千万億・阿僧祇劫・我以如来・知見力故・観 彼久遠・猶如今日﹂の一文を証としつつ、寿鼠品の﹁無有生死・若退若出・亦無在世及滅度者・非実非虚・非如非異﹂との久遠の 仏身思想を典拠とせるは明らかである。 さて﹁末法為正﹂とは、かかる時間的空間的限界を超克した絶対者久遠本仏の存在・常住不滅の永遠存在・無限なる生命を開顕 したる法華経の幽遠なる思想を背景として、この末法濁悪の時なればこそ、法華正法の興陸まさに当今なりとの確信、こうした時 いのら 間と空間の永遠性を内包した永遠の生命・生命の宗教を主張するものなのである。聖人の不動なる信・歴史を洞察した英知・蕎薩 道の実践という三者の見事な融合の中から確立されたものこそ、当に﹁末法為正﹂なる宗教理念であったのである。 次の御文撚であろう。 乗の思想と信仰にあったことは事実である。因にここに﹁末法為正﹂のコトパが理念として開陳される御文書を指摘するとすれば を﹁宗教理念﹂にまで昇華していったのである。その宗教理念として見事に開花結実に至らしめたものは、調うまでもなく法華一 ○﹁今本時娑婆世果離一三災一出二四劫一常住浄土。仏既過去不漁未来不し生。所化以同体。此即己心三千具足二蔵世間也。﹂︵観 ノ タ応

ノ歩りニニモセニモ

テナリレ ノ ノ 心本尊抄・昭定遺七三一頁︶ (27)

(13)

すでにみてきた如く、日巡聖人の忍難弘教の生涯を支えた宗教理念には幾つかのすぐれた要素が内蔵されている。 ①建長五年暁曙の法華経宣布の大願と末法当今の衆生済度の悲願が秘められていること。②正法と末法の異質の対立 概念を同質的に認めようとする二律背反論理・時間倒錯・論理を内包するも、この矛盾論理を克服する発想と思惟が くみこまれていること。③そして法華一乗思想の開顕と、それに立脚しつつ、・水遠なる生命・無限なる魂の存在を肯 定する理論が展開されていること。④更には﹁我不愛身命・但惜無上道﹂の教証から現証へと菩薩道の実践が強調さ れている。こと等々、日蓮聖人にとって当に﹁末法為正﹂の理念は、久遠の生命が躍動する宗教に不可欠なる支柱で あったのである。ここに聖人の宗教とは、人間の有限なる世界と時間を超えて、永遠に生きる生命の教えとなってい るのである。 日蓮聖人立教の基本理念である﹁末法為正﹂の意味について、如上に於ては専ら膝史の中で主体的に創造的に活動 する企投性の人間に焦点をしぼりつつ、その意味を思考してきた。然し、如上にあっては歴史の中で何故に創造的で 企投的であらねばならないの・か、人間の主体的行動が如何なる意味をもつのか、と云った宗教的実践の重要性に関し ては余り論及しなかった。つまり、日蓮聖人が末法の時の中に在って、何に故の忍難弘通であったのか。単に聖人一 人の宗教的昇華の為の弘教であったのか。以下こうした内容に立入って少しく考えてみたい。 勿論答えは出ている。﹁末法為正﹂の理論的帰結としての﹁末法正機﹂を唱導された聖人にとって、末法の衆生 済度の悲願を秘めての忍難弘教の実践であったことは、云うまでもなかろう。だからこそ、その宗教的実践によって

六、﹁末法正機﹂の意味

(14)

培かわれた聖人の﹁教え﹂を看過することは出来ないのである。 さて﹁末法正機﹂とは、末法の下根劣機と云えども、仏果証乗の﹁正機﹂となりうる可能性を積極的に示唆された ものである。因に本尊抄の一文を参照しよう。

テワスレハヲニチ▼ストーテヲストノト︿二

○﹁以二本門一論し之一向以二末法之初一為二正機一⋮⋮本門序正流通倶以二末法之始一為し詮。在世本門末法之初一同純圓也﹂︵観心本 すでに述べた如く、﹁末法正機﹂とは、﹁末法為正﹂と主張する理念的帰結であって、そこには末法の鈍機劣機と 云えども得脱の証が与えられるものでなければならないとする、積極的救済の立場が強調されている。然しながら、 その﹁正機﹂とは末法中の﹁正機﹂であるが為に、その﹁正機﹂たらんとするには宗教的﹁信﹂の裏付がなければな らない。即ち、﹁末法正機﹂と云うのであるから、末法の時に在っても仏界証乗の世界に得入することが出来ると云 う簡単な理論ではない。末法の中でも証果を得ることが出来るが、その証果を得るための努力、宗教的実践がなくて はならない。﹁正機﹂となる為めの﹁信﹂が必須の条件とされるのである。聖人によれば﹁証﹂とは、与えられるも のではなく、自己の厳しい受持信行によって証得されるとする。末法なるが故に、本未有普の鈍機には受持信行の厳 しさが要請されるのである。たしかに、末法当今の衆生にとって受持信行は苦しく、厳しい修行の道である。然し、 ﹁末法正機﹂なのである。必ず法華一乗の﹁証果﹂の世界へと得入されるのであると、日蓮聖人は保証を与えられて ﹁末法正機﹂上 いるのである。 日蓮聖人の聖意を拝しよう。有名な﹁自然譲与﹂の段りを参考にして考えてみよう。 ノハ

ノニス

スレハヲ二リヘクマプノブ ○﹁釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足。我等受二持此五字一自然譲一与彼因果功徳一。﹂︵観心本尊抄・昭定遺七二頁︶ 尊抄・昭定逝七一六頁︶ (29)

(15)

さて親鴬上人には﹁悪人正機﹂の思想がある。それは﹁善人なほもて往生をとぐ、況や悪人おや﹂と、云うのであ る。絶対他力の阿弥陀仏の本願は善人よりも、善を行じ得ない悪人に対して深く、悪人の自覚ある者ものこそ往生が 可能であるとするのである。然し親驚の﹁正機﹂とは絶対他力の救いであって、そこには﹁与えられる﹂ものという 易行の立場が表現されている。然るに聖人の﹁末法正機﹂の思想は、末法の時であるから善人も上根も、況んや下根 ●●●● も悪人もすべて証乗の世界に得入されうると云う単純な論理ではない。そこでは、末法の時に強い意味をもたしめっ 。●●●●●● つ、本未有善の鈍機は法華経本門の要諦たる題目を受持信行するところに証乗の果が得られるとする、信行する人間 ●●●●● の主体性が強い意味をもって強調されている。従って、本尊抄の﹁自然譲与﹂の意味は、文字通りに談り与えられる 他力本願のことではない。法華経本門観心の﹁行﹂を本門の妙法五字として如説修行するところに、末法当今の衆生 と云えども仏の大慈悲の譲与にあずかりうるとされるのである。つまり日蓮聖人にとって、忍難弘教の菩薩道の実践 そのものが仏因仏果の﹁証﹂の世界そのものであったのである。 如上のことから、﹁末法正機﹂の﹁正機﹂とは、歴史の中に投げだされた人間ではない。放職されている人間では ない。当に﹁正機﹂とは、仏果証乗の世界を目標として、宗教的実践にいそしむ人間なのである。末法なる厳しい現 実の中に在って、自己をみつめる人間なのである。末法の時なるが故に、歴史の流に対処しうる人間︵正機︶となら ねばならない。末法の渦中に在って、自己を見失わない人間︵正機︶とならなければならないのである。

ズレ︽ナリバヲハキヲ絶ラヲ二︽シヲノーミヲシメ々マフサノ二

○﹁天晴地明。識二法華一者可し得二世法一歎。不し識二一念三千一者仏起二大慈悲一五宇内褒二此珠一令ソ懸二末代幼稚頸一。﹂︵観心本 尊抄・昭定遺七二○頁︶

(16)

日蓮聖人の忍難弘教の生涯が意味するものか何か。斗課末法中に在って、﹁存在する人間﹂としてではなく、その 時のなかに﹁存在すること﹂の為に、自己の内的追究︵内証を求めて︶の実践であった。就中、その実践に於て強調 されたものは、人間日蓮の生身の肉体を無にしての護法運動、自己の存在資格を捨てての広宣流布の大願、当にその 捨身弘法の故に、かえって﹁法華経行者日蓮﹂として生きられたのである。まさしく、上行菩薩の再誕であった。 クメテ ヲニセ訪

二レヘハ

レンヤ ︽ク ソレンニク ニン︽ ○﹁汝早改二信仰之寸心一速帰二実乗之一善一・然則三界皆仏国也。仏国其衰哉。十方悉宝土也。宝土何壊哉。国無二衰微一土無二破 ︿ニシテ︿ナラン クスシ 壊一身是安全心是禅定。此詞此言可し信可咳崇突。︵立正安国論・昭定遺一三六頁︶ ●●● この立正安国論のコトバを何と受けとめるか。この聖文中、大事なことは、信仰の﹃寸心の改め﹄が強調されてい ることである。﹁改める﹂という人間の意志的行為。改めの熾悔の行為に深い意味がもたしめられている。この﹁改 める﹂ことの信行こそ、仏道者にとって肝要とすべき事である。 日越聖人の宗教を支えたものは、深い内省から誕み出された絶対信。忍難弘教による教証から現証への昇華。激動 する歴史を洞察した冷徹なる英知。末法の渦中に意志的に、人間的に、創造的に実践された行動。これらの要素が融 合されて聖人の宗教は形成されたのである。これこそ、時代を超えて永遠に師く生命の宗教なのである。 七、 結 諏 胴 ︵“・皿・羽︶ (3I)

参照

関連したドキュメント

 「訂正発明の上記課題及び解決手段とその効果に照らすと、訂正発明の本

例えば,立証責任分配問題については,配分的正義の概念説明,立証責任分配が原・被告 間での手続負担公正配分の問題であること,配分的正義に関する

例えば,立証責任分配問題については,配分的正義の概念説明,立証責任分配が原・被告 間での手続負担公正配分の問題であること,配分的正義に関する

4)詳しくは,野村真理「正義と不正義の境界    ナチ支配下ウィーンのユダヤ・ゲマ インデ」 (赤尾光春・向井直己編『ユダヤ人と自治

医師の臨床研修については、医療法等の一部を改正する法律(平成 12 年法律第 141 号。以下 「改正法」という。 )による医師法(昭和 23

主空気槽 4年 マンホール開放内部点検 主機動弁注油ポ 10600/4年 軸受オイルシール新替 ンプ. 主機冷却清水ポ

次に、第 2 部は、スキーマ療法による認知の修正を目指したプログラムとな

旧法··· 改正法第3条による改正前の法人税法 旧措法 ··· 改正法第15条による改正前の租税特別措置法 旧措令 ···