験 震 時 報 第 68巻
(2004) 37"'46頁
日本と韓国の両国で有感になった地震について
石 川 有 三 * ・ 秋 教昇**
Earthquakes felt both in Japan and Korea
Yuzo ISHIKAWAand KyoふmgChu
(Received January 8, 2004 : Accepted February 12, 2004) 1 .はじめに 地震は自然現象であるので国境の位置にかかわらず 発生する.いくつかの国では緊急防災対応のため震災 の全体像を素早く正確に捉えることを目的に地震発生 後に各地の震度を公表している.ただ,それはすべて 自国の観測網だけによるものである.しかし,国境付 近で起きた地震を単独の国の観測網だけで見ると地震 の正確な全体像が必ずしも捉えられない.このような 地震を正しく評価するためには複数の国にわたる情報 が必要になる.日本付近では,韓国気象庁が1978年以 来地震観測網を作り,震度や震源情報の発表も行って きている.そこでここでは韓国と日本の両国で有感に なった地震を取り上げ,その震度分布を紹介し,その ような地震を正しく評価するための一助としたい. また,歴史地震の調査でも両国で、有感になったと思 われる地震があり,それについても取り上げる. 2.使用データと震度分布 韓国気象庁(KoreaMeteorological Administration以下, KMAと略す)の震度資料は, KMA(2001)により,日本 の震度データは気象庁(以下, JMAと略す)地震年報 CDによる.韓国では研究者の間では改正メルカリ震 度階(以下, M M震度階と略す)が多く使われている が(Kyunget a,.l1997),韓国気象庁の観測報告やホーム ページ(http://www.kma.go.kr)ではJMA震度階に準じた ものが2000年末まで用いられている(KMA,2001).た だ,震度計ではなく一般の情報に基づくものであり, 現行のJMA震度と厳密に同じとは限らない.また,震 発生日時(日本時間) 緯度 経度 深さ M 1975/02/04 20:36 400 42' 1220 48' 16km M7.3 海域地震 1981/04/15 11:47 350 43' 1300 13' 40km * M5.2 1994/04/22 02:05 360 00.1' 1310 02.5' 23km M5.3 1994/04/23 12:41 360 01.4' 1310 05.2' 26km M5.3 1997/06/2603:50 35,0 55.01' 129 0 16.41' 10km M5.0 2000/10/06 13:30 350 16.26' 1330 21.10' 8.96km M7.4 2001/03/24 15:27 340 07.75' 1320 41.77' 46.46km** M6.7
表l:JMAとKMAの報告で有感報告が共にあった地震とChu& Baag(1996)の海城地震の震 源パラメータ.それぞれの震度分布は図1a)"'-'g)に示した.本は深さ 40kmとなっているが地 殻内地震と思われる.料は地殻下のフィリピン海スラブ内地震. *気象研究所地震火山研究部(現:地震火山部地震津波監視課精密地震観測室) **ソウル大学海洋研究所 ヴ t q δ
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震度階に換算 した.これらの図を見て特徴的なことは,韓国側の震 度が震源からほぼ等距離にある日本側地点の震度より 全般的に大きいことである.これについては後で詳し く議論する.これら7
イベントのほかにKMA
の観測 報告がカバーしている期間に西日本で起きた大きな地 震としては,1
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t 135. 1400 を 、 -- 騎 手・0・ 、 t i t -を L ; ' Ed d j h 勾 3 6 1, g)2001/3/24 震度1 チャウォン未記入 図1 震度分布図. a)"-'g)は,表1の7つのイベントにそれぞれ対応している.以下すべての 図で rXJ 印は震央を示し,四角で固まれた数字は,その地点での震度を表す. 次に過去の資料では,呉ほか(2002)が表 2に示すイ ベントについて両国で同じ日に有感報告があることを 指摘している.ただ,この元のリストにはこれらのイ ベントの他にサンフランシスコの地震と同じ日に有感 報告がある例なども含まれており,両国で別の地震が それぞれ発生していた場合も含まれている可能性があ る.そこで表 2のイベントを個別に検討する.対比し た日本側資料は宇佐美(2003)による. まず, 1)は,日本では震源位置もMも求められてい ないイベントであり,評価できない. 2)は,宇佐美 (2003)にも 1498年 7月9日に九州を中心とした被害地 震の記載があり,両国で有感であったイベントの可能 性は高い .3)は,紀伊・京都の M7.0"-'7.75とされ巨大地 震ではない.さらに韓国側の有感報告も南部や南東部 ではなく,別の地震の可能性が高い。 4)も震源位置が 加賀大聖寺とやや離れている上 M6.25"-'6.75と小さく 別の地震の可能性が高い.5), 6)も場所が離れすぎてい る.7)は,肥前・長崎の地震で M6.0とされ,震源が韓国 に近い上,韓国側の有感報告地点も南西部であり,一 つの地震が両国で有感であった可能性がある. 8)は, 明治芸予地震(M7.2)であり,表 1の 2001年平成芸予地 震(M6.7)が韓国で有感であった事から,より規模が大 きな明治芸予地震も韓国で有感と想像できる.しかし, 表2にある「仁川地震有感」は間違いと思われる.な ぜなら当時仁川にあった中央気象台第三臨時観測所 (1906)にはこの震動到着時刻の記述と共に「身体に感 -40ー験震時報第68巻第1"""'2号 発生年月日 日本の震源地 韓国側の有感地点など 1)1456年02月13日 熊野,紀伊地震 慶尚南道澗州,宜寧,草渓,晋州地震 2)1498年07月09日 日向灘M7"'-'7.5 慶尚道17邑地震 3)1520年04月14日 紀伊M7.0地震 尽城及び、尽畿楊州,富平,忠清道?川 黄海道信川,裁寧,風山,延安,安岳 4)1640年11月23日 加賀地震M6.7 黄州地震有感 5)1659年04月21日 岩代,下野M6.7地震 忠清道?}1/,平津など邑地震 6)1685年04月15日 ニ河M6.4地震 全州,益川,臨波など邑地震 7)1725年11月09日 肥前M6.2 全州,淳昌など邑地震 8)1905年06月02日 芸予地震M7.6 仁川地震有感 9)1922年12月08日 千々石湾M6.5 慶尚南道東菜,蔚山,統営,南海,釜山地震有声 10)1936年10月26日 本州M6.25 全羅北道鎮安微震 11)1936年11月03日 宮城県沖M7.7 全羅道麗水弱震 12)1940年08月14日 隠岐島西方M6.75 欝陵島弱震,慶州軽震,蔚山微震,朝鮮半島東南海 岸地区普遍有感 表2:呉ほか(2002)による日韓両国で同じ日に有感報告があった地震. この他,1700年壱岐・対馬の地震 (M7)が両国で有 感であったと指摘されている(石川ほか,2004).また, 1707年宝永地震 (M8.5)は済州島で有感であったこと が藤田(2002)の資料調査から明らかにされた.さらに, 1923年関東地震(M7.9)についても調べた.朝鮮気象月 報(朝鮮総督府観測所,1923)には1923年10月号に当時 機械観測をしていた仁川などの観測点での観測波形に ついての記載はある.しかし,有感報告は無い.当時 の新聞記事でも東亜日報には現地の状況を報じた記事 は無く,朝鮮日報の記事(図3)があるだけである.し かし,この内容は朝鮮気象月報に書かれた仁川観測点 での波形記録に関する記述であり,現地が有感であっ たという記述は見あたらない.また, 1946年南海地震 と報告書に記載している.9)は,千々石湾の M6.9であり,これも7)との類似性から韓国でも有感で あった可能性が高い.10)は,宇佐美(2003)には該当す る地震はなく, JMA地震月報をみるとやや深発地震を 対応させていると思われる.別の地震であろう.11)は, 1936年宮城県沖地震(M7.5)であるが, 1978年宮城県沖 地震(M7.4)では韓国で無感であり,これも別の地震で あろう.12)は,朝鮮総督府観測所(1943)にほぼ同じ記 載があり,両国で有感であったことは明らかである. 朝鮮総督府観測所(1943)の記載では「中園地方全部,四 国大部分,九州北部,厳原,欝陵島有感.松江,境港, 米子中震,欝陵島弱震,慶州軽震?,秋風嶺,蔚山微 震.Jとなっている.全体の震度分布図を図 2に示した. 覚なしJ 5 ‘
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128" 図2: 1940年8月14日隠岐島西方地震の震度分布図.慶州軽震未記入 唱 E A a q日本と韓国の両国で有感になった地震について A A E -E F T F V ﹄ 也 、 - h
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1日午後零時 1分に仁川観測所の地震計記録が振り切れたJと書 いである.有感ではなく 地震計で観測されたという内容である. 発生年月日 地震名または震源地 1498年 07月 09日 日向灘? 1700年 04月 15日 壱岐・対馬 1707年 10月 28日 宝永地震 1725年 11月 09日 肥前・長崎 1905年 06月 02日 明治芸予地震 1922年 12月 08日 千々石湾 1940年 08月 14日 隠岐島西方 表3:表1以前に両国で有感であったと思われる地震. では地殻下の減表構造が不均質で東側への地震波の減 表が小さかったことが知られている(綴織・古村、2002). これは地震波の減衰が小さい硬いフィリピン海スラブ が東側へは地殻直下に存在するため西側に比べ震動が 大きかった事が示された.そのため図4b)では,震源 から同じ北西方向だけで比べた.すると日本の観測点 の有感限界が震央距離400km程度と推定できるが,韓 国側では震央距離600km近くまで有感である.このほ か図1b)では震央距離が近い山口県や島根県で無感で あり,図 1d)でもほぼで同じ震央距離で韓国側の震度 は大きい.この原因として考えられるのは, 1)震源、 位置が誤っており,震源がもっと韓国側に近く,結果 として間違った震央距離が与えられている場合と, 2)同じ震動でも, KMAの震度が JMAの震度より大 きな値があたえられる(すなわち,震度の基準が異な る)場合と, 3)両国の地下構造が異なっていて,特 に地震波の減衰構造が異なる場合である. は,韓国南部で有感になった可能性があるが,当時の 朝鮮日報,東亜日報を調べた限りでは日本の被害を伝 える記事しか無く,現地での有感状況などの記事は無 かったので現地は無感であった可能性がある. 以主の結果,日韓両国で有感であった可能性の高い ものを表3にまとめて示した.3
.
韓国での震度の特徴 上に韓国内で観測された震度が,同じ震央距離にあ る日本の観測点での震度より大きい傾向が見られるこ とを指摘した.ここでそれを詳しく検討してみる. 図4a), b)に表1の中の 1994年 4月 22日の地震と 2001年 3月 24日の地震における震度と震央距離の関 係を示した.後者については,韓国側への伝搬時の減 表特性をみるため震源から主に北西象限の観測点だけ を示した.図中に fKJ を付したのが韓国の観測点で, 図4a)ではすべて同じ震央距離の日本の観測点より上 にあり,震度が大きいことが分かる.2001年芸予地震-42-験震時報第68巻 第1'"'-'2号 K K K K 回 国 回回 2 + 臼 回 回 日 日 日 100 200陪百一 300 a) 回 州国 k 日
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100 200 300 400 5OO km aoo b) 図 4:図 a)は、図 1cの 1994年 4月22日の地震について,図 b)は,図 19の 2001年 3 月24日の地震について各観測点震度を震央距離と震度の関係で示した rKJ印を付した ものは韓国の観測点.どちらの場合も同じ距離にある日本の観測点の震度より韓国の観測 点の震度は大きい. まず 1)については,この付近の JMA震源決定の誤 差はそれほど大きくないことが分かつている(石川ほ か, 2002) .また,図 1a)に示した中国海域地震(M7.3) では震源、は周辺に展開された地震観測網で決められて おり位置の誤差は小さいと考えられる.その海城地震 で有感範囲が日本まで達しており,その有感距離は 1100km以上になっているが,規模が似ている鳥取県 西部地震(M7.4)の最大有感半径は 600km程度である. 両者の違いは震源位置のズレは原因ではない.更に JMA観測点が欄密に存在する中で発生した 2001年の 芸予地震(図 1g,図4b)でも韓国側の有感範囲は広 く,震源位置が誤っている可能性は否定される.次に 2 )の可能性であるが,これを検討するため2つのイベント
(1982年 2月14日安岳(Anak)地震と 1996年 12 月13日寧越(Yeongweol)地震)の震度分布図と震度-震 央距離の関係を図5a,b及び図6a,bで例を示した. M は,観測網が異なることによる偏差を避けるため米国 地質調査所の短周期実体波によるマグニチュード mb で前者は 5.1,後者は 4.8である.これらを見ると前者 は震央距離が 450kmを越す範囲まで有感であり,後者 も同様か,飛び離れた済州島を除いても 300kmを越す 範囲で有感である.これは,日本の浅発地震に関す る 有 感 半 径 (R)と M の 市 川 (1961)の 経 験 式 (M=-1.0+2.71ogR) に適用すると M5.0で R=167kmと 司 ぺ U 8 品 A日本と韓国の両国で有感になった地震について なり,明らかに韓国の方が広い範囲で有感になってい る.同じ M でも韓国の方が有感の範囲が広いことは, KMA震度が大きすぎるわけでは無いことを示してい る.また,Kyung et al.(1997)がYeongweol地震の震央域 での最大震度が M M震度で7であったと報告してい る.一方, KMA観測点での最大震度は3であり, KMA 震度が大きすぎることはない.また,Kyung et al.(1997) は, M M震 度 で の 震 度 - 震 央 距 離 の 関 係 式 , 1=10+ 1.82249-0.00707*R・0.65295*lnR (Rは震央距離, 1 は震央距離 Rの地点の震度, 10は震央震度)を求め, M M震度2で、も震央距離300kmを越えることを示して いる.従って,これらのことを総合すると3)の地殻 内での地震波減衰率の違いが原因と結論される.ただ, 例外的な地震が一つある.1936年智異山南麓の地震は, M5.3(隼田,1940)、Mw5.1(Shimazaki,1980)である.その 有感範囲は半径およそ 200km弱と日本の浅発地震と 同程度である.しかし,この地震では震央付近だけ震 度が突出して大きく狭い範囲で震度5(JMA)が報告さ れた.従って,この地震の震源は同じ地殻内でも極め て浅かったため有感範囲がそれほど広がらなかった可 能性がある. A耐 え。 0・ 2 A 仇 嗣 3 , γ 飴 伶 、 B→ 5 -1 回日 E→ 回区四 日 回 日 日 回 囚 100 200 30日 400 km 500 図5 : a)は1982年2月 14
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安岳(Anak)地震(mb5.1)の震源、と震度分布.震度2カンポア 未記入.b)は各観測点震度を震度ー震央距離の関係で示した.-44-験震時報第68巻第 1"-'2号 的 可b d -n -n u ' 、 i 内 ペ u
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200 日 300 400 km 500 b) 図6 : a)は 1996年 12月 13日寧越(Yeongweol)地震(mb4.8)の震源と震度分布.震度 3:チョ ンサン, 1 :ホンソン,ボソン,ムアン,アンサン,フチョン未記入. b)は各観測点震度 を震度ー震央距離の関係で示した. 4. まとめ 参考文献 日韓両国で、有感になった地震を調べたが,観測報告 などのある表1の7イベントの他に表3の7イベント が可能性の高い候補として残った.それらの震度分布 を見ると韓国側の観測震度が日本側より大きくなる傾 向が見られた.この原因としては,地殻の減表構造の 違いが原因で,韓国では日本の中国地方西部や九州北 部に比べ硬く減衰が小さいと推定された. 最後に,震度分布の表示には石井嘉司氏の開発した ソフト fKai卯kanJを使わせて頂いた.また,韓国の震 度階については韓国気象庁のRyooYonggyu氏に貴重 な情報を頂いた.中国遼寧省地震局の呉文氏と中園地 震局の李裕激氏には貴重な著書を頂いた.ここに感謝 いたします.Chu, Kyo Sung and Baag, Chang-Eob,1996, Seismic e百ect of the 1975 Haicheng earthquake on the Korean peninsula
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